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日本出版学会 - 「活字離れ」論の文化史 林 智彦 (2015年5月 春季研究発表会) 2015年 11月 20日(金曜日) 15:01 「活字離れ」論の文化史――「定義」と「統計」の実証研究 智彦 (朝日新聞社) 「出版」についての報道や論評に,「枕詞」のように多用される「活字離れ」という概念は ,どんな意味で,どのように使われてきたか。その本当の意義は何なのか。「定義」と「統計 」の両面から追究するのが本研究の目的である。 春季研究発表会では,(1)活字離れという現象が,本当に起きているのかどうか,(2)活 字離れという用語の来歴,(3)活字離れという用語の用いられる社会的文脈,という三部構 成で検討を行った。 (1)について。2015年の年初から前半にかけて,日本社会の「活字離れ」に警鐘を鳴らす 言説が,文芸誌などで流行したが,読書率,売上(インフレ調整済み,国民ひとりあたり)な どのデータを見ると,書籍に関して「離れて」いるという決定的な証拠は見られないことを示 した。 (2)については,新聞・雑誌記事等を援用しながら,1950年代に使われだしたことを示し ,その動きが,マクルーハン「メディア論」で例示されたような,旧メディアによる新メディ アに対する「外敵撃退」を目指した反応の一種として理解できることを示した。 (3)については,過去の「活字離れ」論議が,新聞界と出版界を引き寄せ,権益保護の連 合戦線を組む際のスローガンとして機能してきたことを示唆した。報道を見ても,ビジュアル な本の隆盛や,活版印刷からCTSへの置き換えなどが,すべて「活字離れ」で一括りにされ, 中には,対策と称して,女優のヌード写真集を購入した学校図書館の例もあった。「活字離れ 」という箱には何でも入るのである。 これらをまとめて,一つのまともな「概念」を定式化することは普通に考えて無理である。 それは「概念」というよりは,業界関係者にとって都合のよい政治的キャッチフレーズにすぎ ないのではないか? と発表者は問題提起した。 発表終了後,会場から,以下のような質問を受けた。 (1)「活字文化(出版文化)」との関連について,どう考えるか? (2)「出版研究45」掲載の論文(清水一彦「『若者の読書離れ』という“常識”の構成と受 容」)が提示した論点と本研究との関連は? (3)活字離れという概念の当否とは別に,実態として,人々がどんどん本から遠ざかってい るという実感があるが,どう考えるか? これに対して,発表者は次のように返答した(以下,当日の回答を補足した)。 (1)については,「出版物というフォーマットのなかで物事を思考し,共有する方式」( 『現代社会学事典』「活字文化」の項)とされ,「活字離れ論」と密接に関連していることは 間違いない。 ただ発表者としては,歴史的実体としての「活字文化」と,機会主義的に持ちだされる,い わば表象としての「活字離れ」概念の間には,一線を引きたいと考えている。後者はしばしば 1 / 2

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日本出版学会 - 「活字離れ」論の文化史 林 智彦 (2015年5月 春季研究発表会)2015年 11月 20日(金曜日) 15:01

「活字離れ」論の文化史――「定義」と「統計」の実証研究

林 智彦(朝日新聞社)

 「出版」についての報道や論評に,「枕詞」のように多用される「活字離れ」という概念は,どんな意味で,どのように使われてきたか。その本当の意義は何なのか。「定義」と「統計」の両面から追究するのが本研究の目的である。 春季研究発表会では,(1)活字離れという現象が,本当に起きているのかどうか,(2)活字離れという用語の来歴,(3)活字離れという用語の用いられる社会的文脈,という三部構成で検討を行った。 (1)について。2015年の年初から前半にかけて,日本社会の「活字離れ」に警鐘を鳴らす言説が,文芸誌などで流行したが,読書率,売上(インフレ調整済み,国民ひとりあたり)などのデータを見ると,書籍に関して「離れて」いるという決定的な証拠は見られないことを示した。 (2)については,新聞・雑誌記事等を援用しながら,1950年代に使われだしたことを示し,その動きが,マクルーハン「メディア論」で例示されたような,旧メディアによる新メディアに対する「外敵撃退」を目指した反応の一種として理解できることを示した。 (3)については,過去の「活字離れ」論議が,新聞界と出版界を引き寄せ,権益保護の連合戦線を組む際のスローガンとして機能してきたことを示唆した。報道を見ても,ビジュアルな本の隆盛や,活版印刷からCTSへの置き換えなどが,すべて「活字離れ」で一括りにされ,中には,対策と称して,女優のヌード写真集を購入した学校図書館の例もあった。「活字離れ」という箱には何でも入るのである。 これらをまとめて,一つのまともな「概念」を定式化することは普通に考えて無理である。それは「概念」というよりは,業界関係者にとって都合のよい政治的キャッチフレーズにすぎないのではないか? と発表者は問題提起した。 発表終了後,会場から,以下のような質問を受けた。(1)「活字文化(出版文化)」との関連について,どう考えるか?(2)「出版研究45」掲載の論文(清水一彦「『若者の読書離れ』という“常識”の構成と受容」)が提示した論点と本研究との関連は?(3)活字離れという概念の当否とは別に,実態として,人々がどんどん本から遠ざかっているという実感があるが,どう考えるか? これに対して,発表者は次のように返答した(以下,当日の回答を補足した)。 (1)については,「出版物というフォーマットのなかで物事を思考し,共有する方式」(『現代社会学事典』「活字文化」の項)とされ,「活字離れ論」と密接に関連していることは間違いない。 ただ発表者としては,歴史的実体としての「活字文化」と,機会主義的に持ちだされる,いわば表象としての「活字離れ」概念の間には,一線を引きたいと考えている。後者はしばしば

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日本出版学会 - 「活字離れ」論の文化史 林 智彦 (2015年5月 春季研究発表会)2015年 11月 20日(金曜日) 15:01

,活字「産業」の意図によって生み出されている。 (2)については,社会心理学的な見地から「若者の読書離れ」を論じ,出版に関わる諸アクターによって,「ここちよい」物語として同概念が製造,再生産,消費される様を追った興味深い研究であると考える。 同研究と本研究は,出発点において共通点が多いが,次の2点が異なる。 一つは,近年の「活字離れ」論は,メディア環境の激変とあいまって,旧来の「若者批判」の枠内に収まらなくなってきている。その結果,世代論は後退し,より権力性があらわになっているともいえる。この点に,発表者はより重心を置いている点である。 もう一点は,清水氏の論文が「ここちよさ」という心理面に着目しているのに対し,発表者は,関係者にとって「都合がよい」という政治的な側面に注目している点が挙げられる。 (3)について。発表者は,文化批評によく見られる「昔はよかった」式の主張は,実証的な学問の対象足り得ないと考えている。 過去と現在の文化現象の優劣を論じるためには,文化に,何らかの基準を設けなければならない。活字離れについていえば,いつの,いかなる状態が「よい」状態で,それと比べて現状は何がどう「悪い」のか,定義する必要がある。 しかし,おそらくそれは不可能だろう。たとえば,ウェブやスマートデバイスの普及によって,人類はかつてない量の文字を日々読んでいると考えられる。これの何が悪いのか。簡単には言えまい。 この構図は,いわゆる「学力低下論争」や「しつけ論争」にも共通するもので,歴史研究に安易に(現代的)価値観を持ち込むことの危険性を示す実例ともいえるだろう。 発表者は今回の発表で提起した問いを深め,「活字離れ」論がほんとうに守るべきだったものは何なのか,そして,それは現在のメディア環境の中でどう再定義されるべきなのか,という方向へ研究を進めていきたいと考えている。 なお,当日発表で使用したスライドは,以下のアドレスで公開する( http://goo.gl/Gb0uDS)。

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