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東北大学大学院教育学研究科研究年報 第55集・第 号(2007年)2
― ―13
本稿の目的は、「おやじの会」が学校・地域・家庭・父親にもたらすインパクトを、調査で得られ
た体系的なデータから、グラウンデッド・セオリー・アプローチを用いて描き出すことにある。本
稿ではB会を対象に調査を行った。その結果、「おやじの会」は、父親自身が目的を達成する機能
と、会の活動維持という会の目的を達成する機能の つを内在しており、両者が同時進行する中で2
生じるミスマッチや意図せざる外部環境の変化が「おやじの会」にフィードバックされることで、
その実態が左右されていることがわかった。 ここから、「おやじの会」が、①従来の性別役割分業
の体制を維持する中で、妻や世間への対面をはかり、自らの葛藤を解消しようとする父親たちの新
しい子育てモデルを提供していること、②学校と密接な関係を結ぶことでコミュニティにその位置
を見出し、既存のコミュニティの機能を修復する役割を果たすことが明らかとなった。
����������� ���������������������� !�"#$%
������������ 父親の育児参加を推奨し、父親同士のネットワークを創成しようとする「おやじの会」の組織化
が全国的に進んでいる。本稿の目的は、この「おやじの会」が学校・地域・家庭・父親にもたらす
インパクトを、調査で得られた体系的なデータから、グラウンデッド・セオリー・アプローチ(以
下、���と略)を用いて描き出し、その上でそこから説明力のある理論を発見することにある。
近年、少子化の進行を背景にして、子育てに対する関心が高まっている。2000年の中央教育審議
会答申では、都市化が地域社会の子育て支援機能の低下を招き、その結果、母親に子育ての負担が
集中していることが指摘され、母親の育児不安を解消するために、「父親が子育てを分担するととも
に、社会全体で子どもを育てるという考え方に立つことが必要である」と述べられた。1991年に
「育児休業法」、1999年に「男女共同参画社会基本法」が制定され、2003年には「少子化社会対策基
本法」及び「次世代育成支援対策推進法」が成立している。また、1999年の厚生省のキャンペーン
では、「育児をしない男を、父とは呼ばない」というスローガンも打ち出された。
「おやじの会」の多くは、小・中学校区を単位とし、学童・生徒の保護者(父親)をメンバーの中
― ―13
「おやじの会」と父親の育児参加�
―B会を事例として―
京 須 希実子*
橋 本 鉱 市**
*東北大学大学院教育学研究科 博士後期課程**東北大学大学院教育学研究科 助教授
「おやじの会」と父親の育児参加�
― ―14
心として自発的に組織され、既存の地域団体や学校と協力をしながら、親子間のコミュニケーショ
ンを図るための様々な活動を行っている。こうした「おやじの会」の組織化は、先述の子育てをめ
ぐって活発化する施策や言説の渦中で進められてきた。そのため「おやじの会」は、父親と子育て
をめぐる現状をダイナミックに描き出すための写し鏡となり得る。
���������� ������������������� 家族やコミュニティに関する研究の動向を検討することは、「おやじの会」の状況を鋭く切り取る
ための視点となる。
近代家族システムは、核家族化のもと「父親は仕事、母親は家庭」という性別役割分業によって
成り立つのが主流とされてきた(�������訳書 1981、江原 2001)。しかし、景気の停滞や母親た
ちの就業の増加などに伴い、現在そのシステムが揺らぎをみせている。こうした中、母親たちの育
児不安が問題として浮上するとともに、父親の育児参加を求める声が高まり、それに関する研究が
盛んに行われている。そこでは、母親の育児不安が父親の育児参加によって解消されるとの報告
(松田 2001、柏木 1993、神原 2000)や、父親たちの育児への関心が高まりつつあるとの報告
(多賀 2006、矢澤他 2003)がなされる一方で、労働時間の短縮や扶養責任の軽減がそれほど進
まない現状に父親たちが葛藤を抱いているとの指摘もある(多賀 2006、牧野 1996、矢澤他
2003)。このように父親たちは、近代家族システムの揺らぎの中、国や家族から育児参加という見え
ない重圧を求められる一方で、仕事もしなければならないというダブルバインドの状況に置かれて
いる。「おやじの会」への参加は、父親たちにとって、こうした葛藤を打破するための戦略になりう
るのだろうか。
コミュニティ(地域社会)は、個人と国家の中間に位置する一定の地域的範囲に生活する人々の
共通の生活基盤である(佐藤 2002、������訳書 1975)。本稿では、コミュニティの範囲を小学校
区とする。それは、小学校区が地域社会のユニットとしてある種のリアリティをもつ空間だからで
ある(岩見 1991)。コミュニティには、家庭・PTA・町内会など国家と個人を媒介する様々な中
間集団が存在しているが、こうしたコミュニティを統合するシンボルとしての機能を、学校は歴史
的に果たしてきた(岡崎 2004)。しかし現在、都市化の進行や交通・通信機関の急速な発達などの
影響により、家族が「その機能のほとんど一切を基礎的社会及び他の諸集団に奪われている」状態
としての生活(家族機能)の外部化(清水 1954)と、「人々がそれぞれ個人単位に、別々の生活を
もち、あるいは行動する」生活の個人化(鈴木 2002)が進行し、従来のコミュニティは変容を余
儀なくされている。こうした変容は、同時に既存の中間集団の機能低下・衰退を意味することから、
学校・地域・家庭の教育力の向上と、三者の密な協力を求める声が高まった(葉養 1999、岡崎
2004)。そして、既存集団の機能が衰退する中、伝統的共同社会から解放された個人のボランタリズ
ムにもとづく個人の選択意思によって形成されるボランティア・アソシエーション(佐藤 2002)
が、新たに中間集団としての機能を果たすのではないかという可能性に注目が集まっている。「おや
じの会」はこの一つとして位置づけられるよう。「おやじの会」は、コミュニティにおける位置を獲
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得するために、既存の地域集団やコミュニティの統合を行ってきた学校などと差異化し、その距離
をはかると考えられる。それでは「おやじの会」は、学校・家庭・既存の地域集団とは異なる立場
からコミュニティに新たなメンバーとして社会参加を行おうとする父親たちの戦略となりうるのだ
ろうか。
���������������� � ���は、1960年代にアメリカの社会学者であるグレーザーとストラウスによって提唱された、
データに密着した(�������������)分析から、説明力のある概念を創り出し、独自の理論(ま
とまりのある説明図)を生成する研究法である(木下 2006、������訳書 1996)。類似例と対極
例を常に考えながら継続的にデータを見ていくこと(理論的サンプリング)で、「現象自体の最大範
囲と解釈の妥当範囲を確認しつつ個々の概念を完成させる」と同時に、「概念相互の関係のまとまり
であるカテゴリーと、分析の中心となるコア・カテゴリーを軸に相互の関連密度を上げていき、主
要な説明概念が網羅されたと判断した段階(理論的飽和化)で、その分析を終了する」(木下 2006)。
GTAはKJ法と近い関係にあるが、���がデータの収集と分析作業を分離せず、相互補助的に行って
いくところにKJ法との重要な相違点がある(木下 1999)。これが���の特徴であり、データに密
着した理論生成を可能にするものでもある。
本稿では、制度から家族に至るまで多層多重な要因が「おやじの会」の在り方に影響をもたらす
中、そこから重要な要因を抽出し、「おやじの会」の機能を多角的に描き出すために有用と考えられ
る���を方法論として採択する。
����������� ��� � 地方政令都市A市を調査対象地域に設定した。A市には「おやじの会」が約52団体ある(宮城県
教育庁生涯学習課 2005)が、本稿では立ち上げから 年以上が経過し、定期的に活動を行ってい5
るB会を分析対象とする。B会は、A市の中心部に位置する、伝統はあるが転勤族の多いC地区を
活動拠点にし、地区内のD小学校の保護者を中心に2000年に立ち上げられた。現在のコアメンバー
は26名である。
調査者は、B会主催の活動に参加し、打ち合せから打ち上げまでの追跡調査を行った。データは、
主に参与観察によるフィールドノートの記入、ビデオ撮影、組織成員へのインフォーマルなインタ
ビューを通して収集した。調査期間は、2005年10月から2006年 月までである。その間に行われた9
イベントは、 月の「総会」・「校長先生講和会」、 月の「すずめ踊りへの参加(A市主催)」、 月3 5 7
の「七夕用の笹とり」・「������に泊まろう(宿泊イベント)」、 月の「夏祭りでの出店(C地区8
町内会主催)」であった。飲み会ではインフォーマルなインタビューを行い、イベントではビデオ・
デジタルカメラを使って撮影を行いつつ、参加者(メンバー・妻・子ども、メンバー以外の父親・
母親・子ども、活動協力者及びその他の参加者)に随時インタビューを行った。その他、「おやじの
「おやじの会」と父親の育児参加�
― ―16
会」に関する行政の報告書や、A市の「おやじの会」同士の情報交換会などで得られたデータも使
用している。なお、文中では概念を<>、カテゴリーを≪≫、コア・カテゴリーを【】で示した。
���������� �������������������������� � 「おやじの会」は、【仲間と作る家族の“絆”】という機能を内在している。この機能が父親たちの
活動参加・継続を促す核となっており、 つのカテゴリーから構成される(図 )。5 1
第 に、≪愛情表現を通した子どもとの関係の親密化≫である。父親たちは、「子どもと過ごす時1
間を作りたい」「子どもと仲良くなりたい」など、“子どものため”に「おやじの会」に参加する。
父親たちにとって活動への参加は、自分の子どもに対しての愛情表現の手段となっている。
第 に、≪繕い紡がれる夫婦関係≫である。父親たちが意識するのは、<妻からの視線>であり、2
中には自分を<愛妻家>と称する人もいる。日々の子育てを母親に任せきりと感じている父親たち
は、<妻への対面>を保つために、「おやじの会」の活動に参加する。また、イベントの実行は妻た
ちの協力があってはじめて活動が成り立っている。「おやじの会」の活動は、父親と妻にとって、日
頃子育てをしている妻に対しての夫婦関係の“繕い”と、共に子育てをすることを通しての夫婦関
係の“紡ぎ”を表しているといえる。
第 に、≪共有される時間の中で強化される家族の“絆”≫である。父親たちは、活動に参加し、3
子どもや妻と共有する時間を持つ。特に、日頃仕事で帰りが遅くなる父親にとってこのような家族
で共有できる時間は貴重なものとなる。こうした時間の蓄積が家族の関係を深めることに成功して
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いる。
第 に、≪友人関係で結ばれる仲間≫である。父親たちは<仲間づくり>という目的でも参加す4
る。ある父親は、参観日に行った際の母親ばかりで行きづらかった経験を話し、仲間が欲しかった
という。彼らは、決まった日に飲み屋で会議を行っており、どんなに忙しくても<ちゃんと飲む>。
また、父親たちは父親同士で<はしゃぐ>ことで普段出来ない“いたずら”を試したり、会の活動
内容や子育てに関して思うままに語ったり、自分たちの<楽しみ>を活動内容に組み込んだりして
いる。
第 に、≪仲間と分かち合う達成感≫である。先頭に立って<イベントを主導する>ことに楽し5
みを見出す父親もいれば、様々な<こだわり>を展開する父親もいる。会では、特に父親たちの職
業は関係ないものとされているが、イベントの際に、職場で身につけたスキルが使用されることが
ある。例えば、デザインの編集をしている父親は、活動の様子を写真で撮り、その写真を並べて、
報告書を自主的に作成している。また、会では会長を一年ごとに変えたり、イベントごとの代表者
を決めたりして、<役割分担>をしながら会の活動に取り組んでいる。そして、会の活動が本格化
すると、<おやじの会の共通グッツ>を作成してメンバーの凝集力を高めようとする動きも見られ
た。
このように、「おやじの会」は父親と子ども・妻との関係を深める場、父親たちの仲間づくりの場
として機能し、その結果、家族内部の絆の強化、父親たちへの達成感の付与という効果をもたらし
ている。
������������� ���� � 父親たちが会で活動を続けるには、人・物・資金など足りない資源を調達する必要がある。その
ため、「おやじの会」は【活動存続のための資源獲得戦略】という機能を内在する。この機能は、 5
つのカテゴリーから構成される(図 )。2
第 に、≪メンバーの補充≫である。「おやじの会」の活動は、主に小学校や中学校の子どもを対1
�������������� �������������
「おやじの会」と父親の育児参加�
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象に行われるので、小・中学生を持つ父親を随時メンバーに補充していく必要が生じる。またそれ
は、≪学校との調整≫をスムーズに行うため、特定のメンバーへの負担増を避けるためにも必要不
可欠となる。メンバーの勧誘は、主に活動に参加した父親を対象に行い、興味を持った父親のメー
ルアドレスがメーリングリストに登録される。活動への参加は、その父親の任意となり、情報は随
時メールを通じて父親たちに届けられる。
第 に、≪活動参加者の収集とその理解促進≫というプロセスである。メンバーは、<参加者を2
集める>ため、イベントごとに学校で文書を配って参加者を募る。また、<参加者に活動を理解し
てもらう>ために、メンバーは参加者に積極的に活動を手伝ってもらう。そのほか、<参加者の満
足感>が父親たちに達成感を与えるため、父親たちは<参加者への気配り>を忘れない。子どもに
限らず参加した人が満足できるように、活動の内容を参加者のニーズにあわせた形で修正し、来年
に活かそうとする。
第 に、≪学校との調整≫というプロセスである。<モノがない>「おやじの会」は、<活動場3
所の確保>・<子ども達への連絡手段>の確保のために≪学校との調整≫を行う。メンバー間では
「おやじの会」の≪学校での位置づけ≫が重要な関心事項となり、彼らは≪校長からの認知≫を得
ようとする。図 は、≪学校との調整≫を構成する重要な概念の関係を示したものである。3
「おやじの会」の多くは、まず���という壁にぶつかる。���は、学校運営に何かしらの提言を行
なうことができる保護者集団である。そこで「おやじの会」は、<���会長となる戦略>を用いる
場合もある。会長ではなく会員の場合もあり、逆に会員の誰かを「おやじの会」の活動に勧誘する
場合もある。それが意識的であれ、無意識的であれ、「おやじの会」は何かしらの形で���と関わる
ことになる。���との良好な関係は、「校長からの認知」を得やすい状況をつくり出し、活動が行い
やすくなる。
また、教員の協力を得るために、<協力教員の勧誘>を行う。学校の中には社会教育主事の資格
を持つ教員など、活動への参加に積極的な教員が少なからず存在し、彼らをメンバーとすることで
������������� ���
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他教員へのパイプラインをつくることができる。
教員や保護者団体との関係が良好になると、校長は「おやじの会」の活動を奨励する場合が多い。
しかし、その場合、校長はイベントごとに挨拶あるいは参加を会から求められるため、校長によっ
ては活動に消極的であったり積極的であったりと一様ではない。このように、学校を通して活動を
行う場合、<校長からの認知>が鍵となるが、数年ごとに校長や教員が入れ替わるため、「おやじの
会」のメンバーは常に≪学校との調整≫に追われることとなる。
第 に、≪地域との調整≫というプロセスである。<モノがない>「おやじの会」は、<活動資4
金の確保>のため、<モノの貸出>・<情報提供>を受けるため、≪地域との調整≫を行う。その
ため、「おやじの会」のメンバーにとって、<地域団体からの認知>を得ることが重要な関心事項と
なる。図 は、「地域との調整」を構成する重要な概念の関係を示したものである。4
地域団体の中で、<おやじ達との親近感>を持つ団体は、消防団や体育振興会といった団体であ
る。「おやじの会」のメンバーはこうした団体にメンバーを派遣することで、地域への玄関口を確保
する。「おやじの会」は、町内会や体育振興会などの団体に自らの企画したイベントへの協力を要請
して<資金提供>を受ける代わりに、彼らが主催する<イベントの手伝い>を行う。メンバー間だ
けで資金調達が可能な「おやじの会」や、助成団体から資金援助を得ている「おやじの会」は、逆
にこうした活動に消極的になる。
第 に、≪活動協力者との調整≫というプロセスである。活動協力者は、何かのスキルを持って5
イベントの中で大きな役割を果たしたり、場所や資金を提供してくれる団体に所属する人でその団
体とのパイプラインの役割を果たしてくれたりする。彼らは<イベント実行への橋渡し>をする、
イベント実行への鍵となる人物であるが、<仲間に近い協力者>としてメンバーに位置づけられて
いる。彼らは、彼らが関係するイベントに関してのみ、ある程度の<発言力>を持つ。彼らを仲間
にすることは、活動をスムーズにし、メンバー自身が<楽しむ>効果と<参加者の満足感>を得ら
������������� ���
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れるという効果をもたらしている。
このようにメンバーは、地域・学校・活動協力者との調整、メンバー補充、参加者への理解促進
を行いつつ、資源の獲得を目指す。三者は密接に関係しあうため、そのバランス調整が機能を存続
させるための重要な要件となる。
������������ ��������� � 活動を続けていくと、 つの機能がうまくかみ合わなくなる可能性が生じる。それは、会を取り2
巻く様々な社会環境が、「おやじの会」に付加される役割と意図せざる状況の進行を促すようになる
からである。
メンバーたちは、しかる・注意するなどのしつけにつながることを基本的に行わずに、地域の子
ども達を<見守る>。また、自分の子ども以外とは<積極的に遊ばない>。メンバーがこのように
接するのは、メンバーたちが、家族内の“絆”を深める場として会の活動を捉えているところから
生じている。その一方、地域・学校・保護者からの信頼が高まるにつれ、メンバー達は<地域の子
ども達のおやじとして>の立場を求められる。この結果、メンバーたちは「おやじの会」の目的と
地域・学校・保護者からの要望を折衷する形で、地域の子ども達を<お茶目なおやじ>として見守
る役割を新たに付加するようになる。
「おやじの会」のイベントが成功すると、地域・学校・保護者から、次回開催を期待されるように
なる。その時、地域や学校から資源の提供を受けている場合、構築された関係が失われる恐れがあ
るため、そのイベントをもう一度行う方向へと進む。こうした<イベントの定例化>は、≪メンバー
の補充≫がうまくいかない場合、<メンバーの多忙化>を引き起こす原因、<役割分担>に支障を
きたす原因となる。また、断続性をもって活動を行うことが難しくなることから、会の存続にメン
バー達の関心が置かれ、【活動存続のための資源獲得戦略】が必要以上に推し進められる要因とも
なる。
また、学校や地域との調整で他団体に所属したメンバーは、「おやじの会」の活動にかける時間が
減少する。それは自分の家族と過ごす時間が減少したことを意味し、「おやじの会」がもつ【仲間と
作る家族の“絆”】という機能から乖離するため、父親たちに葛藤を抱かせる原因となる。並行し
て、他団体に属した<メンバーの多忙化>やそこから生じる<意見の相違>は、「おやじの会」の
≪メンバーの補充≫にマイナスの効果を示し、その結果として<メンバーの固定化>がはじまる。
その他、行政面から「おやじの会」への関心が高まる中で<集団化されるおやじの会>という状
況が生まれている。A市があるE県では、「おやじの会」のネットワークが組織され、年に 回活動1
報告会や交流会が行われている。こうした「おやじの会」の集団化は、各会同士の仲間意識を深め
るメリットがある一方で、多様に展開していた「おやじの会」の形態の同型化を推し進めたり、活
動存続への見えない圧力がかかったりするというデメリットがある。
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������������� �������� � 「おやじの会」は父親自身が自己の目的を達成する機能と、会の活動維持という会の目的を達成す
る機能の二つを内在しており、それぞれが【仲間と作る家族の“絆”】、【活動存続のための資源獲得
戦略】というコア・カテゴリーで抽出された。その一方、両者が同時進行する中で生じるミスマッ
チや、意図せざる外部環境の変化が「おやじの会」に影響を与える。これらの関係を図 に示した。5
「おやじの会」は、父親たちが妻や子どもたちと共有の時間を過ごすことで家族の“絆”を深める
ことができるという効果を有する。また、≪友人関係で結ばれる仲間≫と活動を計画・実行する中
で、父親たちは≪仲間と分かち合う達成感≫を得ることができる。こうした【仲間と作る家族の“絆”】
という機能は、父親たち個人の「おやじの会」への参加及び参加継続動機となっている。その一方
で、「おやじの会」は、その活動を存続させるために、足りない資源を獲得していかなくてはならな
いという【活動存続のための資源獲得戦略】という機能を有している。そのため、父親たちは地域・
学校・特定の個人/団体に対して様々な戦略を用いて調整を行うとともに、各々の「おやじの会」
に対する認知度を高めることで≪活動参加者の収集とその理解促進≫及び≪メンバーの補充≫を行
なう。
この つの機能がバランスよく果たされている状態で「おやじの会」の活動は継続可能となるが、2
会の活動が長期化するなかで、「おやじの会」に新たな役割が付加されたり、外部環境の変化から意
図せざる状況が「おやじの会」に引き起こされたりすると、それが原因となって父親たちの間に葛
藤が生まれ、その結果、 つの機能がミスマッチを起こす可能性がある。2
�������������� �������������
「おやじの会」と父親の育児参加�
― ―22
����������������� ���������� � 「おやじの会」は、父親とその妻や子どもが同じ時間を共有することで、家族の“絆”を深める効
果を持つ。「おやじの会」に参加する父親の妻たちは、家庭で父親が実際に子育てに携わっているか
どうかに関わらず、夫婦で過ごす時間が増えたことで夫婦仲が良くなり、父親に子どものことを気
軽に相談できるようになったと語っている。その意味で「おやじの会」は、母親たちの子育て不安
を解消する つの子育て支援となっているといえる。1
また、「おやじの会」は周囲に見える形での父親たちの育児参加でもある。「積極的に育児する父
親」のみを至上のものとする「見える統制」のヴォイスが具現化されようとしている(天童 2004)
現在、こうした「おやじの会」を通した父親たちの活動は、その父親自身が家庭でどの程度子育て
に関わっているかどうかに関わらず、周囲の人々にとって肯定的にうつることになる。その意味で、
「おやじの会」は父親たちの葛藤を和らげる効果がある。
以上 点から、「おやじの会」は、父親たちが妻や世間に対して対面を保つための“隠れ蓑”とし2
ての役割を果たしていると考えられる。つまり、「おやじの会」は育児と仕事の両立が困難な状況に
おかれる中で、可能な限り子育てに参加できるように父親たちが戦略をめぐらした結果、生み出さ
れた集団とも捉えることができる。そのため、活動に時間を割かれないように、「おやじの会」はそ
の在り方を定式化せず、好きな時にメンバーが出入りできるようなオープンな形態をとる。この特
質が、単身赴任や転勤族など仕事が忙しく地域への愛着が薄いと思われる父親をメンバーとして迎
え入れることを成功させている。
その一方で、活動を企画し実行するという活動自体の“楽しさ”が父親たちの活動参加に対する
大きな活力となっていることも事実である。このとき、妻たちはイベント当日にお手伝いとして参
加している。こうした「おやじの会」の実態は、「男」に「活動の主体」としての位置を、「女」に
「活動を行っている者を支える役まわり」を与える「性別分業」という「ジェンダー秩序」(江原
2001)を、「おやじの会」を通じてコミュニティにおいても再生産していることを意味している。
つまり、「おやじの会」は性別役割分業を解体するような新しい子育てのモデルを提供するのでは
なく、むしろ従来の性別役割分業の体制を維持する中で、可能な限り、妻や世間への対面をはかり、
自らの葛藤を解消しようとする父親たちの戦略としての、新しい子育てモデルを提供しているとい
える。
������������ ����������� ���� ��� � 「おやじの会」は、小学校区という学校がその中心に位置づけられるコミュニティにおいて組織化
された、“子育て活動”を目的とする機能集団である。メンバーたちが、伝統的な社会での拘束的な
地縁的関係ではなく、任意的で弾力的で共生的な<趣味縁>的関係(藤田 1991)で結ばれている
点で、コミュニティ内の他集団と「おやじの会」は差異化される。しかし、その活動の範囲あるい
はメンバーの範囲が、コミュニティを越えるものではないことから、「おやじの会」はコミュニティ
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に緊密な集団であるといえる。
彼らは、学校や既存の地域集団から距離をとって独自に活動を行うのではなく、むしろそうした
既存集団との協力・調整を通じて活動を展開していた。そして彼らは、家族・地域・学校のつなぎ
目から抜け落ちた、子育てに関する活動を行い、弱まる三者のつながりを繋ぎ止めるインターフェー
スとしての役割を果たしている。つまり、「おやじの会」はコミュニティを包摂する新しい中間団体
としてではなく、コミュニティに既存の他中間団体と同列の立場にあって、それらを相互に結びつ
け、その機能を修復させるような新しい中間団体として現出した。そこから【活動存続のための資
源獲得戦略】は、コミュニティに「おやじの会」が編成されるプロセス、つまりコミュニティ再編
成のプロセスを示しているといえるだろう。
そのプロセスでメンバーは、学校との関係に特に高い関心を抱いていた。それは、学校が現在で
もコミュニティの中核に位置し、それを統合する機能を持っていること、つまり、岩見(1991)が
指摘した「学校が肥大化し、子ども・青年の成長・発達過程が学校化」される状態が現存している
ことを示している。
また、メンバーは「行政補完機能」を行う団体という性格(倉沢 1998)をもつ体育振興会や町
内会とも親密な関係を築いていた。彼らとの関係の親密化は、メンバーの多忙化や分裂をもたらし
たり、将来的に「おやじの会」の活動の中に「行政補完機能」が入り込んだりする可能性が示唆さ
れる反面、彼らと関わりの薄かった父親たちを彼らと関わる活動に参入させる効果をもっている。
これは、「定年によってアイデンティティの拠り所を失ってしまう男性」(多賀 2006)の増加が問
題視される中で、仕事に忙しい父親たちに退職後の居場所を提供するという副産物を「おやじの会」
が作り出していることを意味している。
つまり、「おやじの会」は学校と密接な関係を結ぶことでコミュニティにその位置を見出し、そこ
で既存のコミュニティの機能を修復するインターフェースとしての役割を果たしており、その副産
物としてメンバーの父親たちは、コミュニティにおける将来的な位置を獲得することに成功して
いる。
����������� � 本研究は、「おやじの会」に参加する父親・母親・子どもを対象としたため、活動に参加しない父
親・母親・子どもからの「おやじの会」に対する視点が明らかにされていない点で限界がある。ま
た、「おやじの会」の実態は、学校・町内会などの既存の中間団体の様相や、子育てをめぐる政策や
言説に左右されるため、その設立年度、設立地域によって異なる様相を示す可能性があり、引き続
き比較的継続分析をすすめる必要がある。
������
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「おやじの会」と父親の育児参加�
― ―24
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牧野カツコ・中野由美子・柏木惠子編、1996、『子どもの発達と父親の役割』ミネルヴァ書房.
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松原治郎・久富善之編、1983、『学習社会の成立と教育の再編』東京大学出版会.
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岡崎友典、2004、『改訂版 家庭・学校と地域社会』放送大学教育振興会.
落合恵美子、2000、『近代家族の曲がり角』角川書店.
���������������� ���������1956, ������� ��������������� ���(=1981、橋爪貞雄訳『家族』黎明書房).
佐藤慶幸、2002、『NPOと市民社会』有斐閣.
������������� �����������1973, ������������ ������������� ����=1999、川合隆男監訳、『フィールド・リサー
チ-現場調査の方法と調査者の戦略-』).
清水幾太郎、1954、『社会的人間』角川文庫.
住田正樹・中田周作、1999,「父親の育児態度と母親の育児不安」『大学院教育研究紀要』第 巻,pp.19-38.2
鈴木広監修、2002、『地域社会学の現在』ミネルヴァ書房.
多賀太、2006、『男らしさの社会学』世界思想社.
天童睦子、2004、『育児戦略の社会学』世界思想社.
山田昌弘、1994、『近代家族のゆくえ』新曜社.
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東北大学大学院教育学研究科研究年報 第55集・第 号(2007年)2
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