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僕がデザイナーになったのは偶然なん やね。家が貧乏だったから、高校の商業 科を卒業したら就職しようと考えていた のね。就職先を調べていたら京都の会社 に図案(デザイン)をする部署を見つけ て面白そうやと思った。高校でデザイン を勉強していたわけではなかったし、デ ザインという概念もあまり認識してな かったと思う。 iPS細胞研究所のロゴをはじめ、京大にはさま ざまなシンボルがあります。そのいくつかは、あ の江崎グリコのロゴを考案したデザイナーさんが 手掛けているのです。今月は、そんな実績のある デザイナーであり、メディアセンター客員教授で もある奥村昭夫さんにお話を伺いました。 (夷) 1943 年、 東 京 生 ま れ。1945 年、 京 都に転居。1962年に堀川高校を卒業後、 働き始める。1981年に会社設立。江崎 グリコやロート製薬のシンボルマークを 考案した。2007年より現職。京大のい くつかのシンボルを手掛けている。 会社を退社してから、2つのデザイン 事務所を経て27歳の時に自分の事務所 を作った。その後はしばらく仕事を続け ていた。それで、10年くらい前に大学 にVisual Identity(VI、ある団体のコン セプトを象徴するマーク)を作ろうとい う流れがあったんだよね。そのころ、京 大でVIの研究会が開かれていて、そこに 呼ばれたのが京大と関わり始めたきっか け。そのとき、京大ってええ大学やなあ と思った。それから1年間、京大のVIに ついて研究して、結論が出たころに学術 情報メディアセンター教授の美濃さんに 連絡してプレゼンさせてもらった。 今さら京大に新しいシンボルマークは いらないということ。研究の過程で出た 紙のゴミの中にはいろんな先生が捨てた ものがある。それを集めて作った再生紙 を京大のパンフレットなどの印刷物に 使っていけば、京大の「知恵の血」が連 鎖していく。それが京大が社会に伝える べきコンセプトだと尾池前総長にもプレ ゼンした。このアイデアが採択されるか は別にして、自分が客員教授か顧問に なったら実現できそうだと妄想していた のね。そしたら本当にお呼びがかかって。 他大の学生を見てきたのもあって、授 業しているとみんな優秀だという印象を 受けるね。だからこそ、自分の目で見て、 自分の頭で考えて、自分の言葉で伝える ようにしてほしい。ムードで流されるの が一番ダメなことだと思う。 できる限りいろんな人に会うことやね。 何か物事が始まるきっかけは、やっぱり 人だと思う。そういう意識を持っておけ ばいいんちゃうかな。学生のうちは付き 合う範囲が狭いかもしれないけれども、 チャンスがあれば社会人も含めた外部の 人とも付き合ったらええと思うよ。学生 だったら人に会うのに遠慮する必要もな いと思うし。できる限り背伸びしてでも 人に会う方がええ。僕は大学に行ってな いから特にそう思うね。 要は、大学の時に自分の時間をうまく 使っておいたらいいと思う。人脈を広げ るのもいいし、自分の興味のある勉強を するのもいい。本当に面白いと思ったこ とがあればトライしていけばいいと思う。 そのとき、作っておいた人脈のおかげで 誰かに手助けしてもらえるかもしれない。 だから、学生時代にいろんな人に会って おいてほしいね。 そのときはまだ仕事をたくさんしてい て、週に一日取られることがプラスかマ イナスか悩んだ。でも、妄想が現実になっ たからには行くしかないなと。困ったの が京大に来るときの書類でね(笑)。高 卒だから履歴書の学歴が1行で終わるし、 論文なんて1本も書いたことない。困っ ていたら、仕事での実績を論文と同じよ うに評価するよう融通してくださったね。 たとえば、僕が手がけた江崎グリコの ロゴ。あれは企業側の考えた「おいしさ と健康」というコンセプトが基になって いる。それを自分の中で考えてみたら「お 母さんの優しさ」だと思ったの。そこか ら、あの柔らかい手書き文字っていう答 えは必然的に導き出されるんだよね。も 絵を描くこととデザインをすることは 別物なんやね。デザインっていうのは材 料を自分なりに消化して、「ある答えを 形にする」という一連の作業だと思う。 ちろん、その「答え」が正しいかどうか は誰にもわからないけどね。それは好み が反映される世界になるから。でも、そ の「答え」がどう思われているか調査は できるよね。その結果、マイナスイメー ジが出たら「答え」を修正していく。そ のようにしてフィードバックを積み重ね て、正解に近いデザインを追求していく しかないと思う。 デザインは学問的な面もはらんでいる と思う。だから、デザインを体系化して、 最終的に論文を書けたらいいね。似た分 野でも、建築は工学というバックグラウ ンドがあるから学問になっているし、デ ザインもそうなりえると思っているよ。 京大で奥村さんが手がけたロゴタイ プ・シンボルマークの一例を紹介しま す。 左:京大のロゴタイプ 中央:学術情報リポジトリ KURENAI 右:iPS細胞研究所 ▲机の上にあった仕事道具 1 逸脱舞台 (農・2 やまつ) ⇒京大生と編集部員が織り成す即興劇。 (考えるの割と大変ですからね;編) あの教授が気になって夜も眠れない。 (法・2 ラブゴリラ) ⇒そんなあなたにらいふすてーじ。いろんな方々、取り上げます。 (今月はこの方!;編)

ちろん、その「答え」が正しいかどうかて、正解に近いデザインを追求していく しかないと思う。 デザインは学問的な面もはらんでいる

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Page 1: ちろん、その「答え」が正しいかどうかて、正解に近いデザインを追求していく しかないと思う。 デザインは学問的な面もはらんでいる

僕がデザイナーになったのは偶然なんやね。家が貧乏だったから、高校の商業科を卒業したら就職しようと考えていたのね。就職先を調べていたら京都の会社に図案(デザイン)をする部署を見つけて面白そうやと思った。高校でデザインを勉強していたわけではなかったし、デザインという概念もあまり認識してなかったと思う。

iPS細胞研究所のロゴをはじめ、京大にはさまざまなシンボルがあります。そのいくつかは、あの江崎グリコのロゴを考案したデザイナーさんが手掛けているのです。今月は、そんな実績のあるデザイナーであり、メディアセンター客員教授でもある奥村昭夫さんにお話を伺いました。 (夷)

1943年、東京生まれ。1945年、京都に転居。1962年に堀川高校を卒業後、働き始める。1981年に会社設立。江崎グリコやロート製薬のシンボルマークを考案した。2007年より現職。京大のいくつかのシンボルを手掛けている。

会社を退社してから、2つのデザイン事務所を経て27歳の時に自分の事務所を作った。その後はしばらく仕事を続けていた。それで、10年くらい前に大学にVisual Identity(VI、ある団体のコンセプトを象徴するマーク)を作ろうという流れがあったんだよね。そのころ、京大でVIの研究会が開かれていて、そこに呼ばれたのが京大と関わり始めたきっかけ。そのとき、京大ってええ大学やなあと思った。それから1年間、京大のVIについて研究して、結論が出たころに学術情報メディアセンター教授の美濃さんに連絡してプレゼンさせてもらった。

今さら京大に新しいシンボルマークはいらないということ。研究の過程で出た

紙のゴミの中にはいろんな先生が捨てたものがある。それを集めて作った再生紙を京大のパンフレットなどの印刷物に使っていけば、京大の「知恵の血」が連鎖していく。それが京大が社会に伝えるべきコンセプトだと尾池前総長にもプレゼンした。このアイデアが採択されるかは別にして、自分が客員教授か顧問になったら実現できそうだと妄想していたのね。そしたら本当にお呼びがかかって。

他大の学生を見てきたのもあって、授業しているとみんな優秀だという印象を受けるね。だからこそ、自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の言葉で伝えるようにしてほしい。ムードで流されるのが一番ダメなことだと思う。

できる限りいろんな人に会うことやね。何か物事が始まるきっかけは、やっぱり人だと思う。そういう意識を持っておけばいいんちゃうかな。学生のうちは付き

合う範囲が狭いかもしれないけれども、チャンスがあれば社会人も含めた外部の人とも付き合ったらええと思うよ。学生だったら人に会うのに遠慮する必要もないと思うし。できる限り背伸びしてでも人に会う方がええ。僕は大学に行ってないから特にそう思うね。要は、大学の時に自分の時間をうまく

使っておいたらいいと思う。人脈を広げるのもいいし、自分の興味のある勉強をするのもいい。本当に面白いと思ったことがあればトライしていけばいいと思う。そのとき、作っておいた人脈のおかげで誰かに手助けしてもらえるかもしれない。だから、学生時代にいろんな人に会っておいてほしいね。

そのときはまだ仕事をたくさんしていて、週に一日取られることがプラスかマイナスか悩んだ。でも、妄想が現実になったからには行くしかないなと。困ったのが京大に来るときの書類でね(笑)。高卒だから履歴書の学歴が1行で終わるし、論文なんて1本も書いたことない。困っていたら、仕事での実績を論文と同じように評価するよう融通してくださったね。

たとえば、僕が手がけた江崎グリコのロゴ。あれは企業側の考えた「おいしさと健康」というコンセプトが基になっている。それを自分の中で考えてみたら「お母さんの優しさ」だと思ったの。そこから、あの柔らかい手書き文字っていう答えは必然的に導き出されるんだよね。も

絵を描くこととデザインをすることは別物なんやね。デザインっていうのは材料を自分なりに消化して、「ある答えを形にする」という一連の作業だと思う。

ちろん、その「答え」が正しいかどうかは誰にもわからないけどね。それは好みが反映される世界になるから。でも、その「答え」がどう思われているか調査はできるよね。その結果、マイナスイメージが出たら「答え」を修正していく。そのようにしてフィードバックを積み重ねて、正解に近いデザインを追求していくしかないと思う。

デザインは学問的な面もはらんでいると思う。だから、デザインを体系化して、最終的に論文を書けたらいいね。似た分野でも、建築は工学というバックグラウンドがあるから学問になっているし、デザインもそうなりえると思っているよ。

京大で奥村さんが手がけたロゴタイプ・シンボルマークの一例を紹介します。

左:京大のロゴタイプ中央:学術情報リポジトリKURENAI右:iPS細胞研究所

▲机の上にあった仕事道具

1

逸脱舞台 (農・2 やまつ)⇒京大生と編集部員が織り成す即興劇。 (考えるの割と大変ですからね;編)

あの教授が気になって夜も眠れない。 (法・2 ラブゴリラ)⇒そんなあなたにらいふすてーじ。いろんな方々、取り上げます。 (今月はこの方!;編)