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筑波⼤学 CEGLOC ⽇本語・⽇本事情遠隔教育拠点シンポジウム 2017 9 10 ⽇) ⽇本語の教科書が⽬指すもの教科書執筆者・活⽤者と語る1 『げんき』が目指したもの ⼤野 * 要旨 『初級⽇本語げんき』共著者の⼀⼈の視点から、『げんき』が作られた背景を検証するととも に、執筆にあたって著者たちが何を⽬指したかを明らかにし、その意図がどのような形で教科 書の中に反映されたかを考察する。出版後 20 年近くを経た『げんき』が課題として積み残して きたものが何であるかをふまえ、これからの⽇本語の教科書作りについての提⾔を⾏なう。 1.『げんき』ができるまで 『初級⽇本語げんき』 という教科書を⽇本語教育の歩みの中に位置づけるために、まず、それ がいつどこで書かれたか、そしてだれによってだれのために書かれたかを考える。 1.1.『げんき』が生まれた場所 『げんき』は、1999 年にジャパンタイムズから刊⾏された。著者 5 名は⼤阪府枚⽅市にある関 ⻄外国語⼤学留学⽣別科で⽇本語を教えていた当時若⼿の教員であった。関⻄外国語⼤学は、 開学以来ずっと海外提携校への交換留学派遣と別科への短期留学受け⼊れによる国際交流に⾮ 常に⼒を⼊れてきた⼤学である。『げんき』の元となる試⽤教科書が作られた 1990 年代後半に は、各学期 300 ⼈近い短期留学⽣がそこで学んでいた。その多くは⽶国からの学⽣であった。⼤ 学の提携校開拓に伴い、オーストラリアからやフランス・スウェーデンなど欧州諸国からの留 学⽣も少しずつ増えてきた時期である。学⽣たちは午前中に週 8 時間の⽇本語の授業を受講し、 午後は英語で開講される⽇本社会、⽂化、宗教、経済などの授業を履修していた。学部 3 年次に 留学する “junior year abroad” のために⽇本に留学してきたこれらの学⽣のうちには、⺟校で東ア ジア研究専攻の勉強をしていた⽇本語既修者もいたが、全くの初学者もいた。これが『げんき』 が⽣まれた⼟壌である。つまり、『げんき』は、主に英語が第⼀⾔語である地域出⾝の⼤学⽣ に対して、英語を媒介語として⽇本語を教えることを⼤きな前提として作られたのである。 * ⽴命館⼤学理⼯学部・⽴命館⼤学⽇本語教育センター 坂野永理、池⽥庸⼦、⼤野裕、品川恭⼦、渡嘉敷恭⼦(1999, 2011)『初級⽇本語 げんき/ Genki: An Integrated Course in Elementary Japanese』ジャパンタイムズ

『げんき』が目指したもの - 日本語・日本事情遠隔 …kyoten/symposium/20170910...筑波 学 CEGLOC 本語・ 本事情遠隔教育拠点シンポジウム (2017

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筑波⼤学 CEGLOC ⽇本語・⽇本事情遠隔教育拠点シンポジウム (2017 年 9 ⽉10 ⽇) ⽇本語の教科書が⽬指すもの−教科書執筆者・活⽤者と語る−

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『げんき』が目指したもの

⼤野 裕*

要旨

『初級⽇本語げんき』共著者の⼀⼈の視点から、『げんき』が作られた背景を検証するとともに、執筆にあたって著者たちが何を⽬指したかを明らかにし、その意図がどのような形で教科書の中に反映されたかを考察する。出版後 20 年近くを経た『げんき』が課題として積み残してきたものが何であるかをふまえ、これからの⽇本語の教科書作りについての提⾔を⾏なう。

1.『げんき』ができるまで

『初級⽇本語げんき』†という教科書を⽇本語教育の歩みの中に位置づけるために、まず、それがいつどこで書かれたか、そしてだれによってだれのために書かれたかを考える。

1.1.『げんき』が生まれた場所

『げんき』は、1999 年にジャパンタイムズから刊⾏された。著者 5 名は⼤阪府枚⽅市にある関⻄外国語⼤学留学⽣別科で⽇本語を教えていた当時若⼿の教員であった。関⻄外国語⼤学は、開学以来ずっと海外提携校への交換留学派遣と別科への短期留学受け⼊れによる国際交流に⾮常に⼒を⼊れてきた⼤学である。『げんき』の元となる試⽤教科書が作られた 1990 年代後半には、各学期 300 ⼈近い短期留学⽣がそこで学んでいた。その多くは⽶国からの学⽣であった。⼤学の提携校開拓に伴い、オーストラリアからやフランス・スウェーデンなど欧州諸国からの留学⽣も少しずつ増えてきた時期である。学⽣たちは午前中に週 8 時間の⽇本語の授業を受講し、午後は英語で開講される⽇本社会、⽂化、宗教、経済などの授業を履修していた。学部 3 年次に留学する “junior year abroad” のために⽇本に留学してきたこれらの学⽣のうちには、⺟校で東アジア研究専攻の勉強をしていた⽇本語既修者もいたが、全くの初学者もいた。これが『げんき』が⽣まれた⼟壌である。つまり、『げんき』は、主に英語が第⼀⾔語である地域出⾝の⼤学⽣に対して、英語を媒介語として⽇本語を教えることを⼤きな前提として作られたのである。

*⽴命館⼤学理⼯学部・⽴命館⼤学⽇本語教育センター† 坂野永理、池⽥庸⼦、⼤野裕、品川恭⼦、渡嘉敷恭⼦(1999, 2011)『初級⽇本語 げんき/Genki: An Integrated Course in Elementary Japanese』ジャパンタイムズ

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1.2.『げんき』が生まれた時代

『げんき』が出版されるまでの時代に、英語圏の⼤学で⽇本語を学ぶ学⽣がどのような初級教科書を使っていたかを⾒てみよう。出版された年代順に並べると以下のようになる。

1962 Beginning Japanese (Jorden)

1977 An Introduction to Modern Japanese (Mizutani)

1984 Learn Japanese (Hawaii University), Japanese for Busy People (AJALT)

1987 Japanese: The Spoken Language (Jorden & Noda)

1990 Japanese for Everyone (学研)

1992 Situational Functional Japanese (Tsukuba), Communicating in Japanese (Noto)

1994 ようこそ (Tohsaku)

1998 なかま (Hatasa & Makino), みんなの⽇本語 (スリーエーネットワーク)

1999 げんき

表 1 英語圏での代表的⽇本語教科書

教科書を通した⽇本語教育の通時的な分析を提供するのが本稿の⽬的ではないので、詳細には⽴ち⼊らないが、上掲の年表からはいくつかの傾向が容易に⾒て取れる。その第⼀は、⾔語教育観の変化である。⾏動主義⼼理学に基づく変形練習、代⼊練習などのドリルが中⼼の授業から、いわゆるコミュニカティブな授業運営が⽬指されるようになり、タスクやアクティビティ中⼼の学習が主流となっていったことが分かる。

第⼆の点は、あまり顕著な変化が⾒られなかったという意味で特徴的と⾔える点であるが、上に挙げたような英語圏の⼤学における⽇本語教育で⽤いられてきた主な初級教科書を⾒る限り、純粋な⽂法シラバスであるか、状況、機能、トピックなどを中⼼に据えたシラバスであるかには差があるものの、どの教科書も、中級や上級の⽇本語の授業を継続的に履修していく学⽣たちに配慮した⽂法の積み上げを⽬論んでいることが分かる。

三つ⽬の点は、歴史を通じて何か優勢な解決法が現われることなく、さまざまなアプローチが試みられてきた点で、⽇本語の⾳声⾔語と書記⾔語の学習をどのように切り離したり結びつけたりするかという論点である。⽇本語の⾳声⾔語と書記⾔語は全くの別物であるので、伝統的に社会で通⽤している書記法を⽤いて教えるのは⽇本語⾳声の本当の姿を伝えないとする⽴場、単に漢字の学習には膨⼤な時間が必要とされるのでローマ字であるいはひらがなとカタカナのみで教えればよいとする⽴場、あくまでも⺟語話者と肩を並べる運⽤能⼒を最終的な到達⽬標として着実に漢字の習得を⽬指すべきだとする⽴場があるだろう。

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四つ⽬には、学習者や社会の変化が挙げられる。おそらく、Beginning Japanese のころは、⽇本語を本当に必要としている⼈とか、後⽇、⾮常に有能な⽇本研究家になったような学習者がかなり多かったであろう。その当時の熱⼼な学習者たちのおかげで、現在、⽇本の国際的なプロフィールはとても⾼い。⽇本語を学ぶ⼈⼝が増えたのも、⽇本の経済が云々という以外にも、その⼈たちの努⼒に負うところが⼤きい。しかし、今⽇、アメリカやヨーロッパの国々で⽇本語を学ぼうという⼤学⽣は、そのころの学習者とは質的に違うように思われる。純⽂学ではなくアニメやマンガが⽇本語学習のきっかけとなった⼈たちが多い。それに合わせて、教科書も変わってきた。また、⽇本語という問題から離れて「学習」という⼀般的な観点でも⼤きな変化があった。注意の集中を維持できる時間は短くなったように思えるし、学習者の⽇常のみならず社会全般で情報源としての⽂字の⽐率が低下し、動画や⾳声の媒体が躍進した。情報を即時に検索することが可能になったため、いろいろなことを暗記しておくことの意義を⾒いださない学習者が増えた。これらの傾向は『げんき』が作られたころにも既に明らかであったが、その後も顕著な形で継続している。

英語圏に的を絞った教科書であること、20 世紀が幕を下ろそうとしている時期に作られた教科書であることが、『げんき』を⼤きく特徴付けたことは紛れもない事実である。

1.3.『げんき』に直接影響を与えたことがら

⽇本語教科書をめぐる時代の流れの中で、結果的に『げんき』に最も強く影響を与えたのは、Introduction to Modern Japanese であったと⾔えるだろう。先に、『げんき』共著者の 5 ⼈は当時の職場の若⼿の同僚だったということを述べたが、この 5 ⼈が関⻄外⼤に赴任して『げんき』の執筆に取りかかる前には関⻄外⼤の別科ではこの教科書が使われていたからである。『げんき』は、著者たちが Introduction to Modern Japanese を使っていて「教えにくい」と感じた部分をよくしようと考えて作られた教科書だったと⾔える。当時、著者たちは以下のようなことを考えていた。

• 練習には、機械的な変形練習や代⼊練習だけでなく、意味を考えて答えを決めたり、⾃分⾃⾝の考えに基づいて答えたり、情報を持ち寄って協働することによって解決したりするものを⼊れよう。

• ローマ字表記を併⽤し続けると、かなや漢字の学習意欲を削いでしまう。だから、最初のうちはローマ字や分かち書きを⽤いるとしても、学習が進むにつれて、できるだけ早い時期にローマ字表記はやめよう。

• ⽂法の説明は簡単すぎると体系的に学べない。しかし、あまり詳細すぎると学習者が消化不良を起してしまう。会話⽂や読解⽂の理解および練習の遂⾏に過不⾜ない説明を提供しよう。

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• 会話⽂に登場させるのは、学習者が感情移⼊しやすい⼈物にしよう。話題も学習者の暮らしに寄り添ったものにしよう。そして、⽇本語⺟語話者と気軽に交流することが当たり前であると感じられるような話の展開にしよう。

• 書記⾔語については、様々なジャンルの読み物に触れさせよう。⽇記や⼿紙のような等⾝⼤の⽂から、物語⽂、説明⽂なども含めよう。⽇本を紹介するような読み物の中にも、古来の伝統を語るものだけでなく、同時代の若者の姿を描いたものも⼊れよう。

• 教室の外で聞く⽇本語は東京⽅⾔ではない。書記⾔語としても通⽤する⽂法体系を効率よく習得させることや、⽇本語の学習を継続していく学習者もいることを考えると、⽂法や語彙の⾯では共通語を素材とすることが妥当だが、単語の⾼低アクセントについては、東京⽅⾔のアクセントの模倣を求めることはやめよう。

• イラストを⽤いた練習を増やそう。イラストは、無味乾燥なものではなく、親しみやすい⼈物を⽤いよう。

これらの⽅針は『げんき』の形を決める⼤きな要素となったし、学習者や教員から概ね好意的に受け⽌められたように思われる。これらのうち主な特徴については詳細を後述する。⼀⽅、それまで⽤いていた教科書に代わるものを作るということや、共著者たちが職場の中で若⼿であったことによって課された制約もあった。

• ⽂法の提出順序に関して、それまで⽤いていた教科書の扱いをほぼ踏襲する形になった。学期ごとに新しい教材に置き換える形で作業が⾏なわれたため、1 学期⽬を新教材で学び、2 学期⽬を古い教材で学ぶ学⽣に対して、学習内容の接続性を担保する必要があったからである。

• ⾳声⾔語と書記⾔語について、⼀冊の教科書の中で「会話・⽂法編」と「読み書き編」に分ける必要が⽣じた。これは、会話が週 5 時間、読み書きが週 3 時間と別々のクラスとして運営されているプログラムで使える教材を作る必要があったからである。会話編が総ルビになっているのも同様な理由で、読み書きのクラスを受講しない学⽣がいたため、漢字の使⽤にあたっては、それらの学⽣に配慮する必要があった。

2.『げんき』はどんな教科書になったか

『げんき』は上下 2 巻、23 の課から構成されている。学習に必要な時間は 200 時間と想定しているが、実際には、これに加えて試験を実施したり、試験前の復習に時間を取ったり、教科書から離れた活動をしたりするため、250 時間程度を⾒込むのが妥当かとも思われる。⽂法積み上げという点から⾔えば、最後の 23 課までの到達点としては、条件⽂や使役受け⾝までの、いわゆる初級⽂法全般を扱っている。

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前節に述べたような事情で、上下 2 巻の教科書のそれぞれが、前半が会話・⽂法編、後半が読み書き編という構成になっている。学⽣の⼿に渡る教材としては、教科書に加えてワークブックがある。2011 年に出版された第 2 版では、教科書とワークブックそれぞれに⾳声教材として mp3

形式のファイルの CD-ROM が添付されている。初版の時代には、⾳声 CD6枚ずつのセットが学校向けに別売りで⽤意されていた。個⼈向けとしては⾼価であったが、採⽤した学校にはサイトライセンス契約を⾏なって、テープにコピーして配付することなどを認めていた。

2.1.会話・文法編の外形的な特徴

表 2 は、会話・⽂法編の各課のタイトルと、主な⽂法項⽬である。

あいさつ

第 1 課 あたらしいともだち …は…です

第 2 課 かいもの こそあど、じゃない

第 3 課 デートの約束 動詞(ます、ません)

第 4 課 初めてのデート ある・いる、動詞過去(ました、ませんでした)

第 5 課 沖縄旅⾏ イ形容詞、ナ形容詞、好き・きらい

第 6 課 ロバートさんの⼀⽇ テ形、てください

第 7 課 家族の写真 ています

第 8 課 バーベキュー 普通形現在

第 9 課 かぶき 普通形過去

第 10 課 冬休みの予定 ⽐較

第 11 課 休みのあと たい

第 12 課 病気 んです

第 13 課 アルバイト探し 可能動詞

第 14 課 バレンタインデー 授受、かもしれない、たらどうですか

第 15 課 ⻑野旅⾏ 意志形、名詞修飾節

第 16 課 忘れ物 てあげる・てくれる・てもらう、る時・た時

第 17 課 ぐちとうわさ話 たら、前・てから

第 18 課 ジョンさんのアルバイト 有対動詞、ばよかった、条件のと

第 19 課 出迎え 尊敬語

第 20 課 メアリーさんの買い物 丁寧語、謙譲語、間接疑問

第 21 課 どろぼう 受け⾝

第 22 課 ⽇本の教育 使役、ば

第 23 課 別れ 使役受け⾝、ても

表 2 会話・⽂法編の構成

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教科書の会話⽂法編は、会話、単語表、⽂法説明、練習、補⾜的な語彙表や説明、⽂化ノートからなる。会話は、⼤学⽣、留学⽣、ホストファミリー、先⽣などが主な登場⼈物で、⽇本に来たアメリカ⼈留学⽣が⽇本⼈の⼤学⽣と友だちとなるところから始まり、恋⼈同⼠となり、帰っていく留学⽣を空港で⾒送るところで終わる。同じ⾒開きページの中に英訳が付いている。⾳声教材には、通しの録⾳が⼊っているほか、ポーズ⼊りの繰り返し⽤⾳声も⼊れてある。

図 1 会話ページの例

単語表は、⾒開き 2 ページで、その課の会話や練習に出てくる単語が品詞別に、各品詞の中では五⼗⾳順に掲載されている。各項⽬はひらがな表記、漢字表記、英訳から構成されており、動詞には、ともに⽤いられる助詞に関する情報が付されている。会話⽂に出現する単語にはアステリスクが付けられている。この単語表も CD にあって、⽇本語、英訳が録⾳してある。

図 2 単語表抜粋

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⽂法説明は英語で書かれている。各課で導⼊する⽂法項⽬は 5 から 6 で、⽂法説明の次に配置されている練習とほぼ同じ順番に並べてある。⽂法説明は、学習者がクラスに来るまでに予習として読んでくることを念頭に置いており、ある程度詳しいものが提供されている。

練習は、各⽂法項⽬について、語形変化など機械的、基本的なものから、コミュニカティブなもの、という順番に並んでいる。各⽂法項⽬の前半にあたる、語形変化や機械的に答えるような問題、つまり答えが⼀つに決まり、⼀⼈で練習できるものは、全て⾳声を収録してある。⽂法説明を読むことと並んで、ここまでを予習範囲として指定することができる。

図 3 機械的な活⽤練習の例(第 8 課 動詞の否定形)

図 4 絵を⽤いた機械的な練習の例(第 7 課「〜ています」)

各項⽬の練習の後半はペアワーク、グループワーク、ロールプレイなどの形式のタスクやアクティビティになっている。

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図 5 ペアワークの例(第 11 課「たり」の練習)

図 6 クラス全体で取り組むアクティビティの例(第 3 課 動詞の現在形)

図 7 インフォメーション・ギャップを使ったペアワークの例(第 4 課 場所の表現)

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練習問題の部分は『げんき』の⼀番⼤きな特徴である。練習の量が豊富であること、絵がたくさんあること、基本練習からオープン・エンドでコミュニカティブな応⽤練習までをバランスよく配置してあることで、教員は、楽しく、また円滑に授業を進めることができる。

クラスで練習した後は、ワークブックのワークシートを宿題に出す。ワークシートは、1 枚 1 枚ミシン⽬を⼊れて、切り離して提出できるようになっている。英⽂和訳や、絵を⾒て描写する問題、活⽤表を埋める問題、周りの⽇本語話者にインタビューしてくるタスク、⾳声教材の聞き取り問題などを収録している。

以上が会話⽂法編の構成である。表記については、第 1 課と第 2 課まではひらがな表記で、ローマ字をルビ的に配置してある。第 1 課、第 2 課の間は、会話・⽂法編の学習と並⾏して、読み書き編でひらがなとカタカナを学ぶことになる。学習の最初期に、表記について延々と教えるのではなく、課の内容をやりながら、表記を学んでいくという形での使⽤を念頭に置いている。第 3 課以降は、会話⽂法編は総ルビになっており、読み書き編は未出漢字のみルビが付されている。会話⽂法編の漢字表記は、常⽤漢字を⽬処とした⾃然な⽇本語表記とした。ただし、動詞や形容詞の機械的な活⽤練習の問題では、第 18 課までひらがな表記としてある。

2.2.読み書き編の外形的な特徴

次に読み書き編の構成を概観する。先にも述べたように、第 1 課はひらがなの習得、第 2 課はカタカナの習得を⽬指したもので、第 3 課以降は漢字が各課に 15 程度導⼊される。

漢字表は図 8 のようになっており、読みや意味のほか、その漢字を⽤いる単語と書き順を提⽰している。単語のうち、その課までに会話・⽂法編で既に導⼊されている単語は、漢字表記も併せて覚えるべきものと考え、網掛けが施してある。

図 8 漢字表抜粋

漢字の練習の部分では、部⾸などの漢字の構成要素を組み合わせて漢字を作ったり、パズルを通して漢字を読んだり書いたりする問題を配置した。

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図 9 漢字の練習問題

図 10 漢字の練習問題

漢字学習に関しては、ワークブックに、⼀字ごとの反復書き取り練習やひらがなから漢字への書き換え問題などを収録している。

漢字の後に、読みものと書く練習がある。読みものは、プレリーディング、本⽂、内容理解を確かめる問題からなっていて、書く練習は、読み物に関連したトピックの作⽂課題などである。表 3 に読み書き編各課のトピックを挙げる。

第 1 課 ひらがな ⾃⼰紹介

第 2 課 カタカナ 外来語

第 3 課 まいにちのせいかつ 物の値段、時間

第 4 課 メアリーさんのしゅうまつ ⾃分の経験

第 5 課 りょこう 絵はがき

第 6 課 私のすきなレストラン 紹介⽂、メモ

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第 7 課 メアリーさんのてがみ ⼿紙

第 8 課 ⽇本の会社員 アンケート

第 9 課 スーさんの⽇記 お礼のメール

第 10 課 かさじぞう 昔話

第 11 課 友だち募集 募集広告

第 12 課 七⼣ 伝統⽂化

第 13 課 ⽇本のおもしろい経験 体験談

第 14 課 悩みの相談 アドバイス

第 15 課 私が好きな所 紀⾏⽂

第 16 課 まんが「ドラえもん」 現代⽂化

第 17 課 オノ・ヨーコ 伝記

第 18 課 ⼤学⽣活 説明⽂、グラフ

第 19 課 ⼿紙とメール ⼿紙⽂、メール

第 20 課 猫の⽫ 落語

第 21 課 厄年 体験談

第 22 課 友美さんの⽇記 ドラマ

第 23 課 これはどんな顔? 学術的な⽂

表 3 読み書き編の構成

教科書本体の末尾には、⽇英と英⽇の単語索引がある。⽇英の索引は五⼗⾳順で、ひらがな表記、漢字表記、英訳、導⼊された課が表⽰されている。

図 11 単語索引抜粋

教科書とワークブックの他に、『げんき』には、各課の単語の多くを PDF 形式のイラストで収録した『絵カード』、解説、解答等を収めた『教師⽤指導書』、追加のアクティビティや動画教材を集めたウェブサイト( http://genki.japantimes.co.jp/ )、単語と漢字の学習⽤の iOS および

Android アプリが⽤意されている。

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3.『げんき』を形作った実践

『げんき』は、何か特定の⾔語教育に関する信念に基づいて作られた教科書ではない。だれか有⼒な理論家のもとに集まったグループが執筆したとか、ある学校の確⽴した教授法に基づいて作成したというのではなく、たまたま同僚となった同年代の教員(ちなみに、執筆者名の排列は名字のアルファベット順になっている)が平等にそれぞれの考えに基づいて素材を出し合い、考えかたの違いに折り合いを付けながらまとめていったものである。

教育理念の代わりに著者たちが⽬指したことは何だったかを振り返ってみる。第⼀に、教員の授業準備の負担を減らすこと、そして教員にとって「使いやすい」教科書を作るのは、『げんき』を作る際のテーマだったと⾔える。⾝も蓋もない逸話になるが、著者たちがこのことを⽬指したのには⼆つの原因があった。⼀つは、著者たちは⽇本語教育副専攻の学⽣の教育実習指導も担当していたのであるが、実習⽣たちに教室で使えるアクティビティを作らせても、なかなかいいものができないという悩みがあったということ。もう⼀つは、世の中では、⽇本語教材に⽐べて英語教材は圧倒的に市場が⼤きいため、よい教材も多くあると⾔えるが、外国語⼤学という職場で⾒ていると、英語⺟語話者の教師は「教えやすい」教科書を使っているために⽇本語教員に⽐べて格段に授業準備を楽に済ませているのを⽬の当たりにしていたことである。著者たちは、「教科書⼀冊持って⾏けば授業が成り⽴つ」こと、経験の乏しい教師にも授業を組み⽴てやすくすること、そして⽇々のハンドアウト作りなどの負担を軽減して、より効果的な授業運営の準備に集中できるようにすることを⽬指した。

もちろん、「教えやすい」というのは、教師がだれであるか、学習者がだれであるかに依存する概念であるし、感覚に過ぎず、⼀般的な形での計量もむずかしい。しかし、英語話者の⼤学⽣を対象とし、ペアワークなどをふんだんに織り込んだ授業をするという⽬標に即して考えた場合、詳しい⽂法説明を読んで予習することを宿題として課すことができたり、もし教科書が機械的な練習ばかりであったならば毎⽇やることになっていたはずの教室活動のためのワークシート作成等の作業から解放されたりした実感を『げんき』を使って教えた教師の多くが得たことは、出版社や著者たちのもとに寄せられた声から明らかである。

『げんき』はまた、学習者にとって「学びやすい」教科書にしようとする努⼒の産物でもあった。ことさら『げんき』に限ったことではないものばかりであるが、どんなところで「学びやすさ」を求めたか、例をあげてみる。

• ⽂法説明、単語表、練習などが⼀冊にまとまっていること。教師にとって「教科書⼀冊持って⾏けば授業が成り⽴つ」ことを⽬指したのと同様に、学習者が「これ⼀冊持っていれば勉強ができる」ようにした。

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筑波⼤学 CEGLOC ⽇本語・⽇本事情遠隔教育拠点シンポジウム (2017 年 9 ⽉10 ⽇) ⽇本語の教科書が⽬指すもの−教科書執筆者・活⽤者と語る−

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• 親しみやすいイラストを⼀貫して⽤いた。各課の会話⽂には精緻なイラストを配置する⼀⽅で練習にはスティックフィギュアを使うというのではなく、交換留学⽣のメアリーさん、⽇本⼈⼤学⽣のたけしさんといった主要登場⼈物の絵を練習にも⽤いた。

• 英語の⽂法説明を提供する⽇本語教科書の多くは、”This sentence pattern is used to express

…” といった形で、⽂法項⽬を説明⽂の主語にしているが、『げんき』では、できる限り、”You can use this pattern if you want to say…” とか “In this lesson, we learn…” のように、⼈を主語に⽴てた能動⽂を⽤いるように⼼がけた。

• 先に述べたように、各課の単語表は品詞別構成とした。また、第 4 課までは、名詞を場所を表す単語や物を表す単語などに下位分類し、単調な丸暗記の作業の中でも、意味や統語的なつながりを持った体系が頭の中にできるようにした。

• 巻末の単語索引を⽇英と英⽇の両⽅向にしたのは、執筆当時には⽋かせない「使いやすさ」への配慮だった。1990 年代後半には、紙媒体での⽇本語辞書が⼿に⼊りにくかっただけでなく、電⼦辞書についても、⽇本語学習へのコミットメント度が強く、さらに裕福な留学⽣にしか⼿の届かない状態であった。今のようにスマートフォンが普及し、⼿ごろな価格で辞書のアプリが⼿に⼊るような状況ではなかったのである。

• ⽇英の索引は五⼗⾳順になっているが、図 11 に⽰したように、各ページのヘッダーに、そのページに記載されているのが五⼗⾳の中でどの部分にあたるかを明⽰している。五⼗⾳の順番をしっかりと把握できていない学習者にも検索が容易になることを狙ったものである。

『げんき』には⾔語習得に関する⾼尚な理念はなかったかもしれない。しかし、何の指針もなしに無節操に作られたのではなく、その執筆は、きわめて形⽽下なレベルでの学習者の観察に強く裏打ちされていたと考えている。

4.次の時代の教科書のために

『げんき』の元となった試⽤教科書を作った時からは、既に 20 年が経過した。この間に世界は⼤きく変わった。その結果、『げんき』には、もはや時代遅れと感じられるところも多く出てきたと思われる。⼀つの教科書に関わる省察としてではなく、⼀般的な教訓として考えれば、教科書は、20 年経っても使われ続けるのだから、20 年後を⾒据えて作るべきであると⾔えるだろう。

4.1.社会の変化に取り残される教科書

『げんき』の中に現われる事象のいくつかのものを、時の流れの観点から検証してみよう。先にも述べたように、『げんき』は学習者に親しみを感じさせるために、学習者の⾝の回りの事柄やだれでも知っているような有名⼈への⾔及が多い。しかし、これらは流⾏り廃りのはげし

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い領域でもある。図 12 は第 18 課の「ながら」を使って絵の中の動作を描写する練習問題で、上段が 1999 年の初版、下段が 2011 年の第 2 版である。ブラウン管テレビ、ラジカセ、アンテナを伸ばす⽅式の携帯電話が姿を変えている。第 2 版でも携帯電話は折りたたみ式として描かれているので、現時点では既に少し古さを感じさせる表現になっている。また、仮にこれからもう⼀度改訂するとして、10 年 20 年先を考えると、紙の新聞や固定電話の絵を使い続けることには不安が残る。

図 12 初版と第 2 版との差異の例(第 18 課練習)

読み書き編の第 23 課には、メールで使う顔⽂字の話が出てくる。1999 年のことであるから、顔⽂字と⾔えば、扱っているのは \(^o^)/ とか :-) といったものである。その当時としては新しい話題ではあったが、今では Unicode の中にJといった絵⽂字が定義されており、英語でも emoji と呼ばれるようになった。第 23 課に現われる顔⽂字の話は、若い⼈たちには⼀世代前の話のように感じられることであろう。 ¯\_(ツ)_/¯

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⼈物も同様で、『げんき』の練習の中には、何回かマイケル・ジャクソンが登場するが、彼は既にこの世にはいない。亡くなって往年のスターとして名が残る場合はまだよいが、時代とともに評価が変わった⼈物については悩ましい問題がある。第 22 課の⽂法の例⽂には「私はアウンサン・スーチーのような⼈になりたいです。」というものがあり、かつては、⼈権や⺠主主義を⼤切にする⼈たちにとって申し分のない配役であったが、ここ 2 年余りのロヒンギャ問題を⽬の当たりにすると、躊躇を感じざるを得ない。

4.2.言葉をめぐる変化

教科書作りにおいて、⽂章や練習問題の中に映し出される社会的な現象よりも更に慎重な考察が必要なのは、⾔語事実に関する変容であろう。だれもがすぐに頭に思い浮かべるであろう点をまず挙げるとすれば、いわゆる「ら抜き⾔葉」、つまり、可能動詞の形態上の変異がある。『げんき』では、Ru 動詞や「来る」から派⽣する可能動詞は「られる」の形を基本として教え、ら抜きの形については「「られる」ではなく「れる」を付加する、より短い形もあります。ら抜きの形は特に若い話者の間で広まっていますが、若⼲正しくない形だと考えられています。」と説明している(第 13 課。⽂法説明の和訳は教師⽤指導書付属 CD-ROM 収録のファイルによる)。しかし、⼤学⽣の年代の初級⽇本語学習者が教室外で接する可能動詞はら抜きが圧倒的であるはずだ。これからの変化も⾒据えて、今から教科書を作るのであれば、規範主義を脱却して、社会の趨勢を反映した形を選択することが必要であるように思われる。

ら抜きのような局所的な判断が必要な事項とは異なり、教科書全体の姿を決めるような⼤きな問題がある。それは、⼊⾨期において、丁寧な⽂体(ですます体)を基調とするのか、もっと直接的な⽂体(普通体)を基調とするのかという問題である。少なくとも⾼等教育機関での使⽤を前提としたものでは、⼤半の初級教科書がですます体を先に取り上げている。『げんき』においても、全 23 課のうちでほぼ 3 分の 1 まで学習が進んだ第 8 課で普通体の学習が始まる。しかし、⾔語習得の研究を教科書作りの指針とするならば、⼦どもの第 1 ⾔語習得においても、⼤⼈の⾃然な第 2 ⾔語習得においても、先に現われるのは普通体である。

⽇本語の教科書でこれまでですます体を先に導⼊してきたのは、丁寧な話しかたをしたほうが聞き⼿に不快感を与えるおそれが少ないからということであったと思われる。例として、Japanese: The Spoken Language での説明を⾒てみよう。この教科書もですます体から学習が始まるのであるが、最初の課で既に⽇本語には距離感のある⽂体と直接的な⽂体の⼆つがあることを説明している。その上で、距離感のある⽂体は「⽇本語の勉強を始めたばかりの⼤⼈の外国⼈には⼀般的に⾔って最も適切な⽂体である」とし、「⼤⼈の外国⼈にとって最も「安全な」⽂体から勉強し始める」のだと説明している(p.32)。明⽰的な⽅針の説明を⾏なっていない教科書の多くも、おそらくは似たような配慮を念頭に、ですます体を基調とした学習のレールを

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敷いてきたのだと思われる。しかし、実際には、この配慮は古めかしいものになっている。Japanese: The Spoken Language の記述は 1980 年代半ばのものだが、その後、⽇本の社会の中で外国⼈すなわち⽂体の管理が不完全な⾮⺟語話者の存在は当たり前のことになった。⾮⺟語話者が普通体で話しかけてきて、仮に少し不快に感じたとしても、「⾮⺟語話者なのだからしかたないだろう」と思えない⺟語話者はいないであろう。だから、教科書を作る際も、学⽣たちが失礼な話しかたをしてしまうかもしれないと臆病になるより、教科書の⽇本語が教室外の⽇本語をよりよく反映するようにして、教室での学びが教室外での⽣活にすぐ⽣かせるようにすることのほうが⼤切だと考えることができると思う。

4.3.残念なこと

社会全般や⽇本語そのものの変化に⼗分対応できていないという後悔とは別に、作っている時にもう少し洞察⼒があればと反省していることも多い。

⽇本語は⾮⺟語話者にとってやさしい⾔語ではない。単語の使⽤率の分散が⾼く、基礎 1,000 語、2,000 語などの基本語彙によるテキスト全体のカバー率が低いことは古くから指摘されてきたことである。分かち書きを採⽤していないために語や句の認定のために語彙知識・⽂法知識への依存度が⾼いこと、漢字を採⽤しているために学習しなくてはならない⽂字数が多いこと、省略を許容しがちな統語体系であるために⽂脈依存度が⾼いことなども、⽇本語が⾮⺟語話者にやさしくない理由として挙げることができる。これらの理由が相まって、初級教科書に現われる⾔語と⽣の素材に⾒られる⾔語との間の距離はとても⼤きい。

『げんき』をはじめとする多くの教科書は、⽇本語⺟語話者の持つ知識や運⽤能⼒を完成形として想定し、そこまでの道のりを段階的に学習できるように配慮してきた。積み上げに⼼を砕いてきたということである。しかし、そのために、学習者が今⽇、実⽣活で接する⽇本語に無頓着でありすぎるところがあったように思われる。これは、特に書記⾔語において顕著で、街の中で多くの漢字を⽬にする機会があるのにも関わらず、それが今⽇理解できることではなく本や新聞がいつか読めるようになるための勉強を学習者に強いてきたと⾔える。たとえば、「空」という漢字は、⼩説の中ならば、「そら」の意味で使われることが多いだろう。だから、「⻘空」とか「空港」という熟語といっしょに教えたりする。しかし、初級学習者は⼩説も新聞も全く⻭が⽴たないから⼿に取ることは少なくて、彼らが⽇常的に⽬にするのは「駐⾞場空きあり」とかタクシーの「空⾞」といった使われかたのほうが圧倒的に多い。『げんき』では、読み書き編の第 13 課でこの漢字が導⼊されるが、既習語であるとか既習漢字との組み合わせであるかといった理由で、覚えることを要求した熟語は「空港」と「空気」で、「空(そら)」「空く」「空⼿」を参考に挙げた。学習者が⽇常的に⽬にするものは何かという視点からは、反省が求められるだろう。

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語彙の選択についても、『げんき』は⽂法の積み上げを意識するあまり、既習語や既習⽂法項⽬を⽤いたフル・センテンスの中で使うことができるかどうかという基準に振り回され、「同じ」や「違う」といった抽象度が⾼い語の導⼊が遅くなった。「両⽅」のように、教室の中でも⽇常的な買い物などの状況でも使う機会がありそうな語であるのに第 23 課までに導⼊できなかった単語もある。

⽂法では、たとえば動詞の導⼊には「図書館で本を読みます」といった現在時制の⽂型を⽤い(第 3 課)、過去時制(第 4 課)やテ形の導⼊を経て「てください」(第 6 課)や進⾏中の動作の表現(第 7 課)を学び、願望の「たい」の⽂型は後回しとなった(第 11 課)。学習者が直⾯する必要性を考えた場合、客観的な事実の描写と希望の表明とどちらのほうが切迫したものでありうるか、もっと検証が必要であったように思われる。

会話⽂も、各課までに積み上げてきた語彙や⽂法の知識を⽤いて⾃然で意味のある会話ができるということを強調するあまり、不完全な話者が現実の世界で必ず直⾯する接触場⾯でのコミュニケーション不全の状況を回避してしまったという問題がある。そのため、コミュニケーションがうまく⾏かなかった場合に取るべきストラテジー等を教える機会を逸してしまった。

もちろん、初級教科書を作るには、さまざまな検討要因や制約があり、ここで反省事項として挙げたものは、優先順位がもう少し⾼かったとしても、総体的に『げんき』の中では実現できなかったことなのかもしれない。

5.終わりに

以上、『げんき』が書かれた背景を開⽰し、そこから⽣まれた教科書がどのようなものになったかを説明した上で、著者の⼀⼈としてどんなところに悔いが残っているかを述べた。『げんき』は、英語圏の⼤学向け教科書としては間違いなく⼀つの時代を担う教科書になったと思われる。その作成や利⽤をめぐってここに記した総括が次の世代の教科書を作る⼈たちの思いや努⼒を後押しするものになることを切に願う。