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38 vol.84 / 2008 海士町 地域資源を活用した商品開発で、 「島まるごとブランド化」を図る 隠岐諸島に属する離島のまち、島根県海士町は、過疎化と地財ショックに 立ち向かい、島の生き残りを図っていくため、「自立促進プラン」を策定し た。それに基づき、大幅な人件費カットによる行財政改革とともに、積極的 な人口定住策や島の資源を活用した新たな産業創出を進めている。商品開 発研修生やUIターン者の力を借りて島の資源を磨き、商品開発に結びつけて いるのが特徴だ。その中からは岩ガキや隠岐牛、天然塩など、全国版の商品 も誕生した。町はそれら商品の価値を高めるため、「島まるごとブランド化」 をめざしている。 38 島根県海士町 公共事業で生き、生かされてきた島 海士町は、島根半島の沖合約60㎞の日本海に浮か ぶ隠岐諸島のひとつ、中ノ島を町域にした周囲89.1 ㎞、面積33.46㎢の離島の町である。 島の歴史は古く、干しアワビなどを献上していた ことを示す木簡が平城京跡から発見されるなど、海 産物の宝庫として「御食つ國」に位置づけられていた。 鎌倉時代には承久の乱に敗れた後鳥羽上皇が配流さ れ、一生を終えた島として知られている。数多くの 文化遺産や史跡、伝承が残され、自然・景観に優れた 中ノ島は、大山隠岐国立公園に指定されている。対 馬暖流が育む海の幸に恵まれ、自給自足のできる半 農半漁の島として発展してきた。 だが、1950年頃7,000人近くに上った人口は年々 減少し続け、2004年には約2,500人にまで落ち込んだ。 若者の島外流出に歯止めがかからず、急進展する過 疎化・少子高齢化に町は活力を失っていた。 平成に入ってからは、国の経済対策に呼応する形 で公共事業に投資し、社会資本整備を進めた。これ 海士を代表する景観、名勝「三郎岩」 (写真提供:海士町)

地域資源を活用した商品開発で、 「島まるごとブランド化」 …「島まるごとブランド化」を図る 隠岐諸島に属する離島のまち、島根県海士町は、過疎化と地財ショックに

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Page 1: 地域資源を活用した商品開発で、 「島まるごとブランド化」 …「島まるごとブランド化」を図る 隠岐諸島に属する離島のまち、島根県海士町は、過疎化と地財ショックに

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海士町

地域資源を活用した商品開発で、「島まるごとブランド化」を図る

隠岐諸島に属する離島のまち、島根県海士町は、過疎化と地財ショックに立ち向かい、島の生き残りを図っていくため、「自立促進プラン」を策定した。それに基づき、大幅な人件費カットによる行財政改革とともに、積極的な人口定住策や島の資源を活用した新たな産業創出を進めている。商品開発研修生やUIターン者の力を借りて島の資源を磨き、商品開発に結びつけているのが特徴だ。その中からは岩ガキや隠岐牛、天然塩など、全国版の商品も誕生した。町はそれら商品の価値を高めるため、「島まるごとブランド化」をめざしている。

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島根県海士町

公共事業で生き、生かされてきた島

 海士町は、島根半島の沖合約60㎞の日本海に浮かぶ隠岐諸島のひとつ、中ノ島を町域にした周囲89.1㎞、面積33.46㎢の離島の町である。 島の歴史は古く、干しアワビなどを献上していたことを示す木簡が平城京跡から発見されるなど、海産物の宝庫として「御食つ國」に位置づけられていた。鎌倉時代には承久の乱に敗れた後鳥羽上皇が配流され、一生を終えた島として知られている。数多くの

文化遺産や史跡、伝承が残され、自然・景観に優れた中ノ島は、大山隠岐国立公園に指定されている。対馬暖流が育む海の幸に恵まれ、自給自足のできる半農半漁の島として発展してきた。 だが、1950年頃7,000人近くに上った人口は年々減少し続け、2004年には約2,500人にまで落ち込んだ。若者の島外流出に歯止めがかからず、急進展する過疎化・少子高齢化に町は活力を失っていた。 平成に入ってからは、国の経済対策に呼応する形で公共事業に投資し、社会資本整備を進めた。これ

海士を代表する景観、名勝「三郎岩」(写真提供:海士町)

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島根県海士町

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といった産業のなかった町は、“公共事業で生き、生かされてきた”という。公共事業によって港 湾、 道 路、 下 水道、福祉施設、観光施設などの整備が進み、町民の暮らしは向上したが、一方

で地方債は膨らみ続け、1999年度には累積で101億円を超えた。同年度の中期財政計画では、毎年度約2億円の財源が不足し、基金でそれを補うと2002年度には底をついて財政再建団体転落の危険があると予測された。 そのため町は、1999年度に行財政改革「やるぞ計画」を策定し、人件費や補助金などを削減。2002年度に約1億9,000万円の支出削減を図り、財政再建団体転落と起債発行の制限の危機は回避した。また、1999年度には「第3次海士町総合振興計画―キンニャモニャの変」を策定し、自立に向けて人づくり、モノづくり、健康づくりを柱とした産業振興と意識改革に着手した。「キンニャモニャ」とは島に受け継がれてきた民謡で、歌詞には美しい自然への想いや島民の豊かな人情が込められている。その海士の心のもとに、町民・行政がひとつとなってまちづくりを進めていこうというのがねらいだ。 だが、厳しい行財政運営はその後も続き、町を変え

なければ生き残れないとの危機意識が町民の中に高まっていった。その町民の思いを受けて町政の舵取り役を担ったのが、2002年5月の町長選で初当選した山内道雄氏だった。町は新町長のリーダーシップのもと、新たな島おこしを開始した。

職員の意識改革と組織改革を実施

 山内町長が真っ先に取り組んだのは、職員の意識改革だった。「自立・挑戦・交流~そして限りなき前進~」を町政の経営指針に掲げ、「やってやる」から「やらせていただく」行政への転換を図った。 民間企業出身の山内町長は、年功序列の人事を見直し、「適材適所」の徹底を図るとともに、課長と係長に「推薦制」を導入した。課長・係長への昇進を各課の課長が推薦するという試みだ。その結果、能力とやる気のある職員の登用が進んだ。 組織改革も行い、総務など管理部門の職員を減らし、産業振興や定住対策などの担当を強化。観光と定住を担う「交流促進課」、第1次産業の振興を図る

「地産地商課」、新たな産業創出をめざす「産業創出課」を新設した。そして、島の玄関口である菱浦港に2002年3月に開設された「承久海道キンニャモニャセンター」などに3課を移した。 「キンニャモニャセンターは港のターミナルに当たり、観光案内所や農漁産物直売所、地域の食材を使ったレストランなどが設置されている。観光客が最初に訪れ、多くの町民が行き交う現場に職場を置くことで、観光客や町民のニーズや声を肌で感じ、施

写真上:菱浦港に接岸するフェリー写真下:本土と隠岐諸島60kmを結ぶフェリー

島特産のイカの干物づくり(写真提供:海士町)

海士町の玄関口・菱浦港(写真提供:海士町)

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策や事業に生かしていくのがねらいだった」と山内町長は振り返る。 町は独自の島おこしを進める一方で、平成大合併の流れの中、海士町、西ノ島町、知夫村の3町村からなる隠岐島前地域での合併に向けた検討作業にも取り組んだ。2002年11月には隠岐島前任意合併協議会を設置し協議を重ねたが、一島一町村という地理的条件や「自分たちの島は自分たちで守ろう」という町民の強い愛郷心によって単独町制を選択。自立の道を歩むことになった。 だがその後、三位一体改革に伴う「地財ショック」が町を襲った。地方交付税及び臨時財政対策債の見直しにより、2004年度の地方交付税と臨時財政対策債は合せて1億9,000万円の減額となったのだ。それは1年間の町税額に相当する金額だった。自主財源に乏しい町は、存続すら危ぶまれる危機的状況に直面した。 その打開に向け、町は町民代表や町議会とともに島の生き残り策について検討。2004年3月に「海士町自立促進プラン」を策定した。

「守り」と「攻め」の戦略で自立をめざす

 「自立促進プラン」は、①短期戦略(行財政改革)、②中期戦略(人口施策)、③長期戦略

(産業施策)からなる。行財政改革によって「守り」を固めるとともに、新たな産業創出を強力に推進する「攻め」の戦略の実践を打ち出したのが特徴だ。 まず行財政改革は、2004年度、2005年度を対象に、単年度の絶対削減額1億5,000万円を目標とした。 2004年度は収入役を廃止するとともに、町長の給与を30%カット。さらに、助役をはじめ職員や町議会、教育委員などから自主減額の提案を受け、人件費1億1,440万円の削減を実現した。2005年度はカット率をさらに上げ、町長50%、助役・教育長・議員・教育委員40%、職員16 ~ 30%とし、区長報酬も10%カットした。その結果、2億1,450万円の削減効果を挙げ、ラスパイレス指数は72.4で全国最下位となった。2006年度も同じ給与カット率を続行、2007年度は収支バランスが改善に向かったことから、

職員給与のカット率を5%復元した。 一方、給与カットで得た財源の一部は、未来への投資に振り向けた。「海士町すこやか子育て支援に関する条例」を制定し、結婚や出産の祝金、保育奨励金を支給するなど、町の未来に向けて子育てしやすい環境づくりに活用している。

定住対策、島のブランド化に力を注ぐ交流促進課長の青山富寿生さん

観光案内所や物産直売所、レストランなどが入った「キンニャモニャセンター」

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島根県海士町

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 中期戦略では、2005年10月の国勢調査実施時の目標人口を2,600人とし、定住対策に全力を挙げた。 「自然減や流出により年間50人減り続け、当時の人口は約2,500人だった。それを1年半後までに100人増やすことを目標に掲げた」と定住対策に取り組んだ交流促進課長の青山富寿生さんは話す。 町は、職員でローテーションを組み、定住等の問い

合わせや相談に対応する窓口を365日オープンさせた。国や島根県の補助事業も導入してIターン者を受け入れる住宅の整備や空き家のリニューアルを推進。「島暮らし体験ツアー」なども実施し、ニーズの掘り起こしや情報発信に努めた。さらに、島での就職や起業の支援を行った結果、2004年~ 2006年の3年間に78世帯・145人のIターン者が定住し、2005

—島おこしの背景と経緯は?私は2002年の町長選で当選した

が、その背景には歯止めのかからない

人口減少、悪化する町の財政などに対

する町民の危機感があった。公共事業

頼みでは島は立ち行かなくなる、町を

変えなければならないという強い思い

が、それまでの地縁・血縁による選挙

を否定した町民の選択につながったの

だと思う。「自立・挑戦・交流~そし

て限りなき前進~」を町政の経営指針

に掲げ、様々な改革に着手した。

―具体的にはどのような改革に取

り組んだのですか?まず職員の意識改革を図った。「適

材適所主義」の徹底と「推薦制」の導入

により、年功序列ではなく、能力とやる

気のある若手を登用するようにした。

また、産業創出、地産地商、交流促進な

どの課を新設し、モノづくりの担い手

や観光客などの顔が見える現場に近い

ところに職場を移した。町民や観光客

などのニーズを肌で感じ、「やってや

る」から「やらせていただく」行政への

転換を図るのがねらいだ。

そして、一島一町の単独町制による

生き残りをかけ、守りと攻めの戦略を

柱にした「自立促進プラン」を策定し実

行した。守りの戦略では、徹底した行

財政改革を断行し、町長の給与50%

カットをはじめ、大幅な人件費カット

を行った。一方、攻めの戦略では、

100人の人口増を目標にした定住対

策と、島に産業を創って外貨を獲得す

る一点突破型産業振興策を打ち出し

た。「海」「潮風」「塩」をキーワード

に、地域再生計画等の導入やあらゆる

支援措置を駆使して地域資源を有効活

用し、第1次産業の再生・活性化を図

った。

―取り組みの成果、手応えは?職員の給与カットで当時、“日本一

ラスパイレス指数の低い自治体”とな

ったが、“未来への先行投資”という意

識の変化につながった。それが第一の

成果。職員のモチベーションは日本一

高くなったと思っている。

産業振興面では、先行していた「さざ

えカレー」や岩ガキに続き、CASによ

る旬感冷凍「活きイカ」や隠岐牛、「海

士乃塩」などの産品が続々誕生した。

それら島の産品をまるごと売り出す

「海士デパートメントストアプラン」を

推進し、島のブランド化をめざしてい

く。これら産業振興や交流促進の取り

組みの結果、2004年からの3年間で

145人のIターン者が定住するなど、

手応えを感じている。

―今後の課題と抱負を。産業おこしでは、確実に数字を上げ

ていくことが大事。これまでの取り組

みを着実に進め、成果に結びつけたい。

また、島の将来を考えれば、人づくり

が何よりも重要だ。「人間力推進プロ

ジェクト」を進め、「人間力溢れる海士

人」の育成を図っていきたい。

INTERVIEW 山内 道雄 町長に聞く

守りと攻めの戦略で   持続可能な島をめざす

やまうち・みちお1938年海士町生まれ。NTT通信機器営業支店長、㈱海士総支配人を経て、95年に海士町議会議員、同議員2期目に議長に就任。2002年海士町長に当選。現在2期目。第三セクター㈱ふるさと海士社長も務める。

守りと攻めの戦略で   持続可能な島をめざす

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間3万5,000食を販売するヒット商品となった。 2001年には岩ガキのブランド化を図り、「春香」の名で販売を開始した。UIターン者と地元漁師が協力して設立した海士いわがき生産組合㈱が養殖に成功し、春から初夏限定の岩ガキとして築地市場などに出荷している。現在20万個を養殖しており、島根県のブランド5品目にも認定された。 全国に先駆けCASを導入し、旬の魚介類の商品化も図っている。CAS(Cells Alive System)とは、磁場エネルギーによって細胞を振動させることで、細胞を破壊することなく凍結できる画期的なシステムだ。解凍してもドリップ現象が起こらず、獲れたて

年10月の国勢調査では2,581人に回復した。 「Iターンを真剣に考えている人は、それまでの生活をリセットしようと考えている。それに真剣に応えることが何よりも大事」と青山さんは話す。 長期戦略では、①キンニャモニャセンターを核に地産・地商と交流人口の拡大をめざす、②全国展開

(外貨獲得)をめざした大規模な付加価値商品づくり―を強化軸に「島まるごとブランド化」を図る戦略を打ち出した。「海」「潮風」「塩」の3つの地域資源を活用し、農林水産業の新たな展開を図るのがねらいだ。 その一環として、「海士デパートメントストアプラン」と名づけた地域再生計画を策定し、2004年6月と2005年7月に認定を受けた。島全体をデパート階層に見立て、島の味覚や魅力を詰め込んで全国に発送しようという試みである。島根県のリーディングプロジェクトにも指定されており、あらゆる支援措置を活用し、第1次産業再生による先駆的な産業おこしに取り組んでいるところだ。

島の資源を活かした商品が続々誕生

 「島まるごとブランド化」では商品開発がカギを握るが、町では全国展開が可能な商品が続々と誕生している。第1弾となったのは、特産のさざえを使ったレトルトカレー「島じゃ常識! さざえカレー」である。1996年から開発を開始し、2000年に発売。年

「海士乃塩」を使った梅干しづくり(写真提供:海士町)

写真左上:ブランド化第1号となったレトルトカレー「島じゃ常識! さざえカレー」(写真提供:海士町)/写真左下:岩ガキ「春香」(写真提供:海士町)写真右:肉質の良さで高い評価を受けた隠岐牛(写真提供:海士町)

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年齢などを問わず募集している。 採用された研修生は、町の担当課に配属され、特産品開発や観光資源の掘り起こし、イベント企画などに挑む。何に取り組むかは自由で、本人のやる気に委ねている。月15万円の給与を支給し、契約は1年だが更新も可能。随時募集しており、これまでに70人近くが参加した。その中からは、「さざえカレー」

「海士乃塩」などのヒット商品が誕生したり、キンニャモニャセンターのレストランのメニューが開発されるなど、大きな成果が挙がっている。起業したり、定住した研修生も少なくない。 2007年度は3人の研修生が活動している。後藤隆志さんもそのひとりで、2005年5月1日に研修生に採用された。今年3年目を迎え、現在、モノづくりプロデューサーとして、地産地商課で新しい商品開発に携わっている。 「大学院で住民参加論を研究し、過疎地のコミュニティに興味を持っていた。『島の宝探しをしてみませんか』というキャッチフレーズに惹かれ、思い切って応募した」と後藤さんは参加の動機を話す。 1年目は町の一員という意識で様々な場に顔を出して町民との関係づくりに力を入れ、2年目は生産者グループに加わり商品開発を進めた。その中で目をつけたのが「ふくぎ茶」だった。高級爪楊枝に使われるクロモジの枝や葉を乾燥させてお茶にしたもので、島では自家製で飲まれているものだった。 後藤さんは島に自生しているクロモジを採取し、

の味が楽しめるのが最大の利点。市場到着までに時間と費用がかかり、鮮度も落ちるという離島のハンディは見事に克服された。町は農林水産省の新山村振興等農林漁業特別対策事業を活用して2005年3月に「CAS凍結センター」を整備し、CASで凍結した白いかや岩ガキなどの出荷を開始した。運営は第三セクターの㈱ふるさと海士が行い、新たな雇用の場として定住対策にも貢献している。 隠岐牛ブランド化の取り組みも注目される。島は良質な黒毛和種の産地として知られていたが、子牛の生産にとどまっていた。それを繁殖から肥育まで一貫して取り組むことで、隠岐牛ブランドを確立しようという試みである。公共事業の減少に伴い受注が減っていた建設業者が、会社存続と島の生き残りをかけてチャレンジ。町が「潮風農業特区」を申請し、2004年3月に認定を受けて建設業から農業への参入が可能となったことから、建設会社が設立した「隠岐潮風ファーム」が事業に着手した。潮風でミネラルをたっぷり含んだ牧草で育った隠岐牛は肉質も良く、2006年3月の東京食肉市場初出荷ではA5に格付けされ、松阪牛にも劣らない評価を受けた。 また、昔ながらの塩炊きによる天然塩づくりを復活させ、「海士乃塩」を商品化した。農林水産省の補助事業を導入して伝統製法による製塩施設「海士御塩司所」を整備し、2005年4月から本格生産を開始。㈱ふるさと海士が管理・運営に当たっている。この

「海士乃塩」を活用した梅干しや塩辛、干しナマコなどの加工品づくりも始まり、「塩」を核にした商品開発は広がりをみせている。

商品開発研修生制度で「島の宝探し」

 商品開発では、積極的に島外の人材を活用しているのが特徴といえる。具体的には、「商品開発研修生制度」を導入し、海士にある地域資源を活用した商品化、地域活性化に挑戦してもらっている。 「島には資源や素材が豊富にあるが、技術がない。そこに商品開発研修生を導入するヒントがあった。よそ者の視点や発想で“島の宝探し”をしてもらおうという試み」と青山さんは趣旨を話す。 1998年度からスタートし、当初は女性をターゲットに「島っ娘大募集」と銘打って全国公募した。3年目からは「求む! 島の助っ人」との位置づけで性別、

商品開発研修生として「ふくぎ茶」の商品開発に取り組んだ後藤隆志さん

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の愛郷心が育まれ、町の将来を担う人材の育成につながればと期待されている。 面白い試みとしては、地域通貨の導入が挙げられる。2005年度の地域再生計画に基づき、地域通貨の実証実験の支援措置を受けて実施したものだ。内需拡大や外貨(円)獲得をめざし、紙幣方式の地域通貨「ハーン」を発行した。島をひとつの外国と見立て、観光客に外国為替と同じ感覚で円と地域通貨を交換し利用してもらう仕掛けも考えられる。離島のハンディを逆手に取った、遊び心をくすぐる取り組みに発展すれば、地域

通貨の新たな活用事例として注目を浴びるだろう。 町ではいま、CAS凍結魚介類や隠岐牛、天然塩など、全国版の商品が芽を出している。それらは海士の大地と海から生まれたものだ。それだけに、島の自然環境や風土をバックボーンにしたブランド化の仕掛けづくりが必要だと青山さんはみている。 「島には、量は少ないが、磨かれた商品が豊富に揃っている。それが海士のブランドを形成する。情報発信を行う上では、そのブランドの柱をどう位置づけるかが大事。島が与えてくれる恵みを磨き、活かしていくことを段階的に進めていく必要がある。それをプロデュースするのが行政職員の役割だ。将来的には、首都圏などをターゲットにした海士ブランド商品の販売促進会社も考えいきたい」と青山さんは抱負を語る。 現在は、それぞれの事業主体が生産から営業までを単体で行っている。しかし、コアになるところが島の全アイテムを把握して営業を推進すれば、より一層の売込み効果が期待できる。島全体のブランド化によって、個々の商品の付加価値も高まっていく。それは海士だけでなく、全国でも展開可能なビジネスモデルともなる。「そのモデルを構築し、全国に発信したい」と青山さんは意欲を燃やしている。

□市町村アカデミーでは、本文中でご紹介しました青山氏に、平成19年8月の「ふるさと回帰と地域間交流」研修において、『自治体等事例―離島が取り組む定住対策と人的交流の拡大―』の講義をいただいております。

乾燥して販売する工程を研究し、商品化にこぎつけた。それを町の福祉作業所の人たちと取り組んだ。2007年度は100万円の売上が目標だ。独特の味わいは東京のハーブティー業界に好評で、ブランド化も夢ではないが、「まずは福祉作業所を支える収入源の柱にしたい」と後藤さん。今後については、「いつかは実家に戻らなければならないが、自分が設定した目標を達成し、島とのつながりを持った上で帰りたい。海士のモノを自分なりに扱える場に身を置き、海士の物語を多くの人に届けたい。島に残るだけでなく、海士のことを外で語る人、応援する人など、いろいろな人がいていいはず。その意味で研修生制度の意義は大きい。海士での経験を自分の故郷のまちづくりにも活かしたい。研修生制度は他の自治体にも広がってほしい」と話す。

海士版ビジネスモデルを発信する

 一方、外部の力に頼るだけでなく、島内の人材育成にも力を入れている。2005年度には「人間力推進プロジェクト」を立ち上げた。人間力溢れる海士人の育成をめざし、子どもや若者などを対象にした交流事業や体験事業を展開している。一橋大学との交流では、海士中学校の生徒が修学旅行で同大学を訪れ、大学生を相手に海士のまちづくりなどを講義した。新宿日本語学校と連携し、外国人向けサマースクールも開催している。これら都市との交流や国際交流によって海士ファンが増えるとともに、子どもたち