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1. はじめに――遅い復旧、見えない復興
1995年1月17日に生じた阪神・淡路大震災。あの時の衝撃と恐怖は今でも忘れることはできないが、それから16年を経て2011年3月11日に起きた東日本大震災は、死者・行方不明者の数もさることながら、その衝撃も桁違いに大きなものとなった。そして現実に、その破壊力の大きさは、その後の遅々として進まない復興過程にも如実に表れている。
だが、このことは単に、破壊の衝撃が大きかったというだけにとどまらない。より複合的な事情が関わっており、そのことが災害支援のあり方にも大きく影響しているようだ。
ここでは阪神・淡路大震災時のボランティアによる支援活動の諸相とも比較しながら、約1年を直前に控えた現段階での東日本大震災の支援問題について、その背景整理を行うこととしたい1)。
95年阪神・淡路大震災の場合、その災害復旧過程は、大きく3月末までの緊急避難期と、4月以降の生活再建・復興期に区分されうるものであった。3月末には仮設住宅への移動が始まり、瓦礫の撤去も進んで再建の槌音が聞こえ始めていた。復興へと前に進み始めたのがおよそ3カ月後だということになる――むろん、そこには復興をめぐる様々な利権の展開や「復興ファシズム」と批判される動きも始まっていたのだが。3月11日に発生した東日本大震災では、同じ画期を、約半年後の8月末に設定できると思われる。仮設住宅の完成と避難所からの移動がほぼ完了したのがこの時期で
あった(さらに9月30日に緊急時避難準備区域が解除)。95年の阪神・淡路大震災の時と比べても、今回の東日本大震災の復旧・復興への進み具合は異様に遅く感じられる。
今回の震災で災害復旧過程の移行が遅れた背景には、むろん、被害の甚大さがある。また広域的な被災地の形成は、復旧に向けた資源導入にも支障をきたした。加えて、福島第一原子力発電所の事故が問題をきわめて難しくした。
とはいえ、こうした被害そのものの衝撃の大きさ・質とともに、被害を受けたわれわれの社会が持つ特徴にも、今回の復興の遅れの遠因がある。それはまた今回の支援の仕組みを考える際にも関わる論点になる。ここでは今回の災害を「広域システム災害」という視点で示し、ここから支援の議論に入ってみたい2)。
2. 広域システム災害と復旧・復興の課題
(1)広域システム災害現代日本社会における人間生活は、いまや広域
にわたる巨大システムによって成り立っている。電気・ガス・水道などのインフラ。高速交通網や、電話・インターネットなどの通信網の発達、全世界につながる商品流通と経済。半世紀前には考えられないほどの巨大なシステムを確立し、その中で、効率的・合理的に大量生産し、それを大量消費してわれわれは毎日の生活を営むようになった。
われわれは、このシステムによって、相当程度の豊かさを享受できる。そして、われわれの社会
東日本大震災の特徴と被災地支援の諸相――広域システム災害の生活再建期支援に向けて
山下 祐介(首都大学東京都市教養学部 准教授)
特集論文
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季刊 家計経済研究 93号
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はこのことによってきわめて安全な社会でもある。この大災害を前にして奇妙な言い方かもしれないが、少なくとも津波に関しては、明治三陸地震の津波と比べて今回の死者数は少ない。この間の人口の伸びを考えれば、さまざまな言われ方をしていても、とりあえず、防波堤と防災教育は、一定の成果を示したと言ってよい。このシステムは確かに、人の命を守る。平均寿命も驚くほど高くなった。われわれが生きるシステムは、有史以来もっとも人が死なないシステムである。
しかし、重要なことは次の点にある。このシステムは、いざ壊れてしまうと、その複雑さ・巨大さから、被災生活への影響・負担はこれまでになく大きなものとなる。システム崩壊後、生き延びた人々には、せっかく生き延びたにもかかわらず、多くの苦難が待っている。というのも、再び生活を取り戻すためには、このシステムを立て直さねばならないが、そこには膨大な労力と時間がかかるからである。
(2)広域避難と家族・職域ネットワークの拡大化ところでこの広域システムは、これを物理面だ
けで考えるのでは十分ではない。これはどうも、インフラや経済だけでなく、人間関係のシステムにも表れている。
今回の震災に関してとくに目立つ現象に避難の広域性がある。とくに福島第一原発事故の避難者のそれが顕著である。2011年10月20日現在で福島県が発表した避難者のデータを見ると、約15万人の避難者のうち、5万8千人が県外避難をし、しかも北海道から沖縄まで、満遍なく離散している
(『福島民報』2011年11月10日付)。そしてこれは、家族や親族の絆を頼ってのことであったり、あるいはまた、働く場があったことをも指す。急にこんな絆や移動が可能になるわけはなく、すでに、もともとから、福島県民は全国各地と姻戚関係があり、仕事上の関係があり、社会的ネットワークが全国につながっていたことを示している。
そして津波被災地でも、同様に破壊された町を離れ、自らのネットワークで危急の場をしのいでいる人も多い。多くの人が、自らの社会的資源を
頼りに避難をしており、そのために避難所や仮設の数も間に合い、目に見える流浪の民の集団を今のところは出さずにすんでいると言えそうである。
しかしまた、こうした避難の広域化は、取り返しのつかないような破壊的作用をもたらしうる。というのも、いったん分散してしまった人々が、元の場所に戻るのは非常に困難になることが予想されるからである。復旧が難しいところほど、避難は長期化し、避難が長期化するほど、復興は難しくなろう。このまま流出先で人口が定着してしまうと、集落の消失、都市の解体、地方自治体の規模縮小ないしは再編統合さえ起きる可能性がある。
ここに、ボランティアや市民活動団体を含めた幅広い支援が必要とされる意義もある。広域で高度なシステム社会は、高度な広域支援システムを必要とする。
(3)地方自治体および地域経済の再生課題今回の被災地は、戦後に生じた災害の中でもこ
れまでの被災地とは違うということを十分に念頭に置くべきである。三陸の被災地のうち、大槌町、陸前高田市、南三陸町、女川町は、被害規模が大きく、自治体や地域経済そのものに大きなダメージが生じている。広域システムと個人のくらしをつなぐものが自治体と地域経済であるわけだから、その再建は急務である。しかしそこには非常に大きな困難が立ちはだかっている。ましてその背後には、平成の合併で消えた自治体で同じように大きな被害を受けたところがあり、宮古市田老町、石巻市北上町などでは、自治体がないということが復興に向けてのさらに大きな障害となる可能性がある。
こうして考えてくれば、原子力発電所の事故もまた、広域システム災害の特徴をよく表している。広域システムの形成は、システムを大きくすることで効率性を追求し、豊かさを享受するというものであった。しかし、広域システムはハイリスクでもある。ハイリスク・ハイリターンの追求が、広域システム形成の本質にはあり、原子力発電は、リスクを一部地域に押しつけておくとともに、そこに経済効果を約束して別の利益で相殺するとい
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う形がとられていた。リスク分担の広域システムといえるわけだが、このシステムは、かかえているリスクが現実化しない前提で成立していた。今日そのリスクが現実のものとなるに至って、収拾のつかない事態が生じている。原発災害は、たんに東京電力という一企業の起こした事故ということでおさまるものではなく、われわれの生きる近代日本社会のシステム破綻を象徴する出来事である。そしてここでも、長期避難と放射能汚染の中で、この地にあった自治体・地域経済とともに、その歴史や文化までもが重大な危機に瀕している。
(4)領域を超えて、時間を見通してこうしたシステム形成は、人間が有史以来続け
てきたことの積み重ねでもあるが、近代社会はそれをとくに徹底的に追求してきた。東日本大震災は、そうした意味で、近代文明の特徴を色濃くもった近代文明災である。この災害に向き合うためには、次の二つを意識しておく必要がある。
第一に問題の幅、領域性を広くとっておくことである。一方で、被災地となった村や町、都市の、物理的なシステム回復の問題がある。しかしこの災害は他方で、その背後にあった、行政システム、経済システムをも破壊し、さらに広域避難によって、家族や地域社会、様々な人間関係のネットワークをも分散・解体させた。こうした多層な面でのシステムの破壊は、今後、文化や心、倫理や道徳にまで及ぶのではないかと危惧される。これまでの災害からの復旧・復興はハード面にのみ関心が向けられ、そこにいかに投資していくかの経済効果しか考えられてこなかったが、これまではとりあえずそれでやってこれた。しかし、今回は文字通り総合的な復興計画が必要とされる。
そしてこうした多層に展開する問題は、時間の中で派生し、連鎖し、大きく拡大展開していく可能性がある。第二には時間性を意識しておくことである。なかでも緊急避難期を超えて、生活再建・復興期に入った現段階は非常に注意すべき時期にある。生活再建と復旧・復興が、ここでどのような形で推移していくのか。今回の震災はこの点でこれまでにない、不透明な側面を持っているとい
わざるをえない。東日本大震災における支援活動は、こうした状
況認識の下に行われる必要がある。とはいえ、この肝心の支援体制のうちにもまた、同じくシステム化の影が見える。それが今回、阪神・淡路大震災の時と比べてもっとも気になる点になる。
3. 支援の諸相――緊急避難期に見えたもの
(1)蓄積され、生かされた1995年以来の経験今回の災害復旧過程を上記のように、発災から
約半年後までの緊急避難期と、半年後からの生活再建期に区分するなら、まず緊急避難期の被災者支援に関しては、95年の阪神・淡路大震災の時に比べて格段の進歩が見られたと言えよう。
もっとも目立ったのは自衛隊の活用だが、95年の当時は、自衛隊に限らず、各種行政機関でも被災自治体の要請なしに動けず、なかなか被災地入りを果たせなかった。これに比べて、今回は各自の判断で災害対応が行えるようになっており、95年を教訓とした広域応援態勢づくりが16年を経て成長したと言えそうである。首都圏や東海の自治体ではいち早く現地入りし、中でも関西広域連合では複数県で被災地を分担して支援に入っていたことが特筆される。
ボランティアや市民活動の領域でも、95年以来積み上げられてきたさまざまなネットワークが、この東日本大震災で大きく活用された。まず一方で、社会福祉協議会によるボランティアセンターの立ち上げが行われ、3月中にはほとんどの被災地でセンターが設置されていた。
また、いわゆる市民活動系のボランティアでも、これまでに構築されてきたネットワークがすぐに発動し、4月には全国的な連絡組織として、東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)3)などが設立されていた。またこうした市民活動は、政府(内閣府震災ボランティア連携室など)や企業の社会貢献セクション、財団などとも密接な関わりを持ち、95年の時に、現地で、ボランティアをするのがはじめての一般市民が集まり、手探りで仕組みを作っていたのと比べて隔世の感をもつものであ
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る。そもそもNPO(民間非営利団体)が多数存在していることが、阪神・淡路大震災の時との大きな違いであり、1998年のNPO法(特定非営利活動促進法)が阪神・淡路の経験を一つのきっかけとして生まれていることからも、16年前の経験は、今回の震災にとって支援の大きな力になっていることは疑いない。
これはまた、例えば、主要な大学に設置されたボランティアセンターの動きなどにも見られるものである。被災地外に作られたボランティア募集・養成センターが現地とのつなぎ役になる仕組みもまた95年の時に発達したものだが、現在では学生たちに早くから単位互換などの恩恵も与えられて、すでに多くの人々が現地入りを果たしている。阪神の時の工夫――ボランティア・コーディネート・セクションの設立――が今回は効率よく展開して、多くの人を現地につないだ。首都圏や関西圏からは距離のある今回の被災地だったが、4月下旬にはボランティアバスが通い始め、ボランティアは、全社協の集計だけで総計82万人(2011年10月末まで)が現地で活動したという4)。
とはいえ、今回の被災地でのボランティア活動も、現実に行ったその体系的で整備された活動の背後に、阪神・淡路の時と比べ、非常に気になる点も表れていた。ここではそれを2点拾っておきたい。
(2)活動内容のパターン化まず第一に、活動の内容に明確なパターン化が
見られたことがある。阪神・淡路大震災時のボランティア活動で目
立っていたのは、その場その場の状況に合わせた、新たな活動領域の形成であった。筆者らはそれをボランティアの開発的機能として特徴づけておいた(山下・菅 2002)。この時の活動に比べると、今回の震災ボランティアでは、物資の配達、食事提供、瓦礫撤去といった内容に活動がしばしばとどまっており、ボランティアによる開発的機能の発揮が弱かったように思われる5)。とくに評価が難しいのが、各地で行われた「足湯」の活動である。被災者と支援者が直接ふれあえるこの活動は、
もともと2004年10月の新潟県中越地震で開発されたものであり、今回の震災で広く取り入れられ、コミュニケーション・ツールとして有効に機能した。とはいえこの活動は、被災者からの生の声を聞くことから、さらに新たな活動を開発するためのものでもあったわけだが、この活動を超えて、この震災特有の領域開発はまだ見られていない。
活動のパターン化が生じた背後に何があるのか。まず考えられることは、あまりの被災地の被害の大きさにどう向き合ってよいかわからず、まずは確実なことから手がけようということであったと思われる。また95年は先行するものがなかった。すべて試行錯誤であり、混乱もあったが、そこで考えられたものはすべて現場のオリジナルであった。これに対して今回までには、災害ボランティア活動のメニュー化、マニュアル化が進み、
「こういう時にはこうする」というものが多くなり、このことによりかえって現場で新しく考え、進めていくことが減っていたように思われる。
これはまた今回、社協やNPO法人、大学などのボランティアセンターによる組織的な動きがボランティア動員の中心となっていたこととも関係しよう。ボランティア領域の集団化・組織化・制度化が進み、このことによって、ボランティア個々人の自主性・自発性が弱まったことも考えられる。阪神の時にはまず個人が動き、個人が集団化して現地で組織化が行われたことに比べると、今回は集団・組織が引っ張る動きの方が強かった。むろん、組織化のマニュアルが存在したことで、多くの組織が立ち上がり、多くの人を動員したということもできる。人材・資源の豊富な首都圏や関西圏から東北は物理的にも遠く、道路は寸断されガソリンもない中で、被災地の多くが交通不便な場所となっており、個人で現地に行くことは難しかったのだから、組織化によってはじめて活動ができたと言える。が、他方で、個々の自発性が背面に隠れてしまい、統一性・画一性がより強く表れたとも言えそうである6)。
(3)支援をめぐる中心―周辺関係もっとも、阪神・淡路大震災の際にも活動がマ
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ス化するに従って、同様に活動のパターン化が見られた面もあり、また今回の震災では広域にわたる事例を検討できたわけでもないので、以上の論述には今後とも検証が必要だろう。むしろ東日本大震災では、5月のゴールデンウィークのボランティア・ブーム到来後も、夏休み期間を経て現在まで多くのボランティアが活動をつづけており、被災地の非常事態の長期化に対して、支援活動もシステム化を通じて長期的に行われてきたことを強調すべきだろう。
とはいえ、この活動のパターン化とともに、この後に論じる問題にも関連して、第二に次の点にもふれておく必要がある。それは、ボランティア活動領域に限らず、支援の組織的行動一般に現れているものであり、ここではそれを中心−周辺問題としてまとめておきたい。
日本社会は首都圏への一極集中が進み、産業や経済の面で地方との間に大きな格差が生じてしまっている。またこの関係には、地方の町村部や中小都市に対する県庁所在都市の優位性、さらには地方に対する中央(首都圏・関西圏)の優位性という上位下位関係が強く作用しており、こうした中心−周辺、中央−地方関係は、支援するボランティアや市民活動の局面にも観察された。
筆者が今回、観察していて気になった点は、例えば次のようなことである。震災当初は、人材は少ないながらも、被災地のまわりで、被害を受けなかった人たちや、学校が休みになってしまった中高生を中心に、地元発の自主的自発的なボランティア活動は細々とだが行われていた。社協のボランティアセンターはその受け皿でもあった。こうした初期の東北内の自主活動が、時間の経過の中でしぼんでいったようにも見えるのである。被災地でのボランティア活動が、外部から/遠方からの組織的で高度なボランティア集団が到着するに従って、徐々に現地での自主活動が影を潜めていった。むろん、大きな打撃を受けた被災地では人材が足りなかったのだから、外からのボランティアがそれを大きくカバーしたのではある。しかしそのことで災害ボランティアの中心が、外から来る人々になり、地元地域の自主性・主体性から遠
いものに置き換わった可能性も否定できない。こうした中心(外)−周辺(被災地)の関係は、
一概に被災地の外と内の間だけでなく、被災地の外から来ていた団体の間にも現れていた。今回は、NPOや市民団体がすでに大量に存在していたから、寄付金は日本赤十字社に限定されずに様々な水路で流れた。しかし、資金のある団体があるとともに、ない団体もあり、そこには資金面のみならず様々な資源動員を通じた力の格差が現出した。そして、東北各地はそうした団体活動の弱い地域だったから、首都圏などから来た遠方の団体が、しばしば資金面でも、知識も人材もつねに豊富であって、資源の豊富な中心集団に対する、地元の小集団の遠慮や萎縮も見られた7)。東北社会がボランティア=NPOの面で全国的なシステムの中の周辺にあったことが、今回の震災でも自主的な市民活動領域の弱さとして現れていた嫌いがあり、このことは今後の復興をめぐる東北被災地支援のあり方にもつながる可能性がある。
(4)二重の意味でのパターナリズム以上をまとめて言えば、今回の東日本大震災の
市民ボランティア活動は、良い意味でも悪い意味でも、パターナリズム(paternalism)が強く現れたと言えそうである。ここでいうパターナリズムには、次の二つの意味を含ませている。
第一には、中心に対する周辺の上位下位関係である。これはボランティア領域に限らず、この震災では多方面に強く現れたことを強調しておきたい。そしてこのことによって非常に効率的に支援活動が進んだ反面、参加する個人や、被災地周辺の小さな活動が、周辺化してしまった可能性がある。
第二には、活動のパターン化である。先に述べたことに追加するなら、首都圏や関西圏などから来て、現場で活動していた多くのボランティアたちは大都市出身者であった。そのため地方の生活、農山漁村や地方都市の生活を知らない者が多く、さらに被害の大きさは、現場の人とのコミュニケーションを阻害した。今回ほど、被災の現場へ行くことへの怖れ、被災者と呼ばれる人たちと
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コミュニケートすることへのためらいが大きく表現された災害もないだろう。被災地と交流するよりは、まずは確実に役立つことをしようという思考法が働いたことも、活動のパターン化に強く働いたと思われる。
ここで考えるべきことは、こうしたパターナリズムが生じていたことが悪いというのではなく、こうした特徴をつくりだしていた構造、すなわちもとから生じていた人材や財力など資源の地域的偏在そのものを問い直すことであり、そしてこのことが被災地の今後を考えていくにあたっても非常に重要なことになる可能性があるという点である。そしてこのことはボランティア領域に限ったことではなく、例えば自治体と国との間には切り離しがたい支配従属関係があり、それはとくに東北地方で顕著であった。さらにはそれと密接に関係して、国民の側での中央社会と地方社会の間の、やはり対称的ではない関係が存在する。また産業構造上でも東北地方は首都圏に対してきわめて従属的なものをもっていた。そして東北地方は首都圏や関西圏などに比べて市民活動もまた低調な地であった。震災後の支援活動では、東北社会のこうした周辺性を大都市圏の中央の力でカバーしていたと言えるが、これから進むべき復興過程においては、被災地やその近辺における人々の主体的な取り組みが重要だから、この力のアンバランスは今後において、非常に大きな問題になりうる8)。次に、生活再建・復興期の課題を整理してみることにしよう。
4. 生活再建・復興期における支援の課題
(1)復興への道筋は見えるか災害に際し、緊急に避難した人々の仮設住宅へ
の移動が完了すれば、支援はおのずから次の二方面の活動へと振り向けられることになる。
一つは、仮設住宅における、仮の生活に対する支援活動である。阪神・淡路大震災の時には、とくに仮設居住者の孤立化防止の課題が大きかったが、今回もこれが一つの大きな目標になろう。とくに賃貸アパート等をみなし仮設とする制度は、
個人情報保護とも絡まって、どこに要支援者がいるのか見えなくなることにもつながっており、すでに支援の大きな足かせとなりつつある9)。新たな手法で要支援者を吸い上げていく手法が求められる。とくに、高齢者や子供に対して見落とされがちな中壮年男性が要注意であることを指摘しておこう。
二つ目に、生活再建の裏側で同時に進めねばならない被災地の復旧・復興がある。阪神・淡路の際の生活再建期にも、復興まちづくりは市民による支援の大きな活動領域になったが、今回はとくに重要なものとなろう。先述のように集落・都市の壊滅被害がいくつかある。しかもその他に被災地が拡がっていて、被害の全体像さえまだ十分に把握されてはいない。というのも、被害はハードの壊れ方を見ただけではわかりにくく、その町や村の生態、産業や家族構造、影響の深さ(避難行動の経緯や波の衝撃度、行方不明者の捜索状況など)にも関係しているが、それらはまだ十分に解明されていないからである。
被災地では今後、①ハードとしての町の再生のみならず、②自治体・行政機構の回復状況、③地域経済の回復状況、④地域社会・コミュニティ・家族・くらしの回復状況を、総合的に収集し、復興への道筋について判断していかねばならない。しかし今動いている復興計画はハードのみである。だが、ハードをそろえれば自動的に町が再生するかのどうか。本当にくらし・町・都市・自治体は再生するのか。再生するために何が必要なのか。支援者の深い関与が求められる。生活再建期に入ってあらためて、被害状況の再確認、そこからの復興に向けた、個別の/総合的な診断が必要であり、そこから復興論をスタートさせる必要がある。
(2)自治体の再生という課題ところで、地域社会学的観点から見てなにより
重要なのは、それぞれの自治体の存続と復興である。津波被災地では自治体そのものに大きな被害が生じたところがあるが、これらの自治体が自治体として本来の機能を取り戻しうるかどうか。こ
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東日本大震災の特徴と被災地支援の諸相
れはとくに、原発避難自治体にも深く関わっている問題である。もちろん自治体が残ればよいということではなく、住民がいて、地域経済があってはじめて自治体は存在しうるものである。しかしまた行政・自治体のない地域社会もなく、それが機能しなくなった場合に代わりのものがそれを担ったとしたら、それは植民地になってしまうだろう。今回の災害は、まさに地域社会の存続が問われているのである。
ところでこの問題については国の支援には限界があり、とくに福島の問題に関しては、東京電力が間に介在するにしても、国は加害者の一部になるから、地方自治体やそこに所属する住民との関係はいびつなものになりうる。第三者的な立場からの関わりが不可欠である。また津波被災地に対しても、各自治体の維持存続に、これまで市町村合併を推し進めてきた国が関心を持つ理由は存在せず、利害が対立する可能性も考えられる。
実質的な支援のためには、市民運動や政治家、弁護士、科学者・専門家などによる法的・制度的・学術的支援のあり方を早急に詰めていく必要がある。また、国民全体による、被災地住民への支えもなくてはならないものであり、復興増税や電気料金による負担に国民の関与が限定されて議論されているが、人々による世論形成の動向こそが、今後の被災地を大きく左右することも忘れてはならない。
(3)対たい
口こう
支援と地方自治の可能性 被災地支援に向けた体制づくり
自治体の維持存続可能性の問題がもつ深刻さをもっともよく理解しうるのは、ボランティアのような市民活動よりは、本来は同じ地方自治体である。自治体による被災自治体支援は、「対口支援論」10)などの形で震災当初その必要性が注目されたが、残念ながら大きく展開されることはなかった。とはいえ、例えば岩手県の被災地に対しては、自治体で行っている長期にわたる支援の動きがあり、私自身も関わってきた弘前市、北上市などの事例をあげることができる。また、首都圏や関西圏からの長期にわたる職員派遣もあった11)。
今後の復興過程での支援活動には、こうした自治体間の連携が有効に機能することが望ましく、仙台や盛岡、あるいは福島県では福島や郡山、いわきといった主要都市が、どのように被災地の復興に関われるのかが問われるだろう。こうした被災地帯への近隣都市社会の被災地支援がスムーズに進むのなら、東北という地をいかに新しくデザインするのか、東北社会全体の復興像を明確化することにもつながる。
今後の日本社会をより良い方向へと設計するためには、国や県といった上位機関と自治体(市町村)との非対称の関係を超えて、被災自治体間の、あるいは被災地自治体を支える自治体同士の、横につながる支援関係構築が不可欠であり、対口支援は一つの大きな切り口になったはずであった。が、上記のような例を除いては、被災地への公的セクションでの支援活動は国→県→市町村という上意下達の命令系統で行われていることが多く、各地の地方自治体も、自分たち自身が「自治体」であるという自覚はまだまだ低いように見える。
とはいえ、この震災が問うているのはまさに自治体の自治体性であり、それは被災地の自治体に限らず、すべての自治体に投げかけられている問題である。というのも、今回の非常事態でも現れたのはやはり、緊急時における各自治体の足腰の強さ(弱さ)であり、また被災した場合には近隣の、あるいは友好関係のある市町村との日頃のつきあいが重要な意味合いを持っていたからである。住民にとっても結局は、国や県ではなく、徒歩で行ける距離にある領域の行政機関がもっとも頼りになる存在であり、緊急時には、その良し悪しが、くらしや命を左右する。そしてこれは復興過程においてとくに大きく問われることなのである。
こうして考えていくと、ボランティア・市民活動を含む、支援する側の方でも、今後の支援体制のあり方を十分に問うていく必要がある。1995年の阪神・淡路大震災以降、これまでは市民活動領域の拡大・定着が大きな目標であった。そして、少なくとも災害領域では、今回の震災で一定の成果を示したと言える。
しかしながら、ボランティアや市民活動ででき
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ることは限られる。とくに大規模災害時の復旧や復興を考える場合には、現地・外部の行政機関や多種多様な専門家との連携が必要となる。しかもその際、国は地方自治の推進とは利害があわないことがあるから、国とは一線を画した市民活動も考えていく必要がある。
すでに津波被災地では復興まちづくりが始まっている。そしてこれらは、意図せずともハード中心であり、予算がつけばどんどん進んでいく。どうやってソフト面も含めながら再生を進め、以前よりもよりよい村や町を再生・復興できるか。被災地では長期避難の結果、家族、村落、町、都市、自治体の解体が生じており、当然ながら、まずはその再生が問われねばならない。これらの問題に向き合うためにも、これまでの中心−周辺関係を脱した、新たな社会関係の構築を進めねばならず、そして目をこらせば、この震災の中にこそ、その芽のいくつかを見いだすことができるはずなのである。
5. おわりに ――誰のための支援、何に向けての復興
被災地の復興は、いったい誰のためのものなのだろうか。
むろん、被害を受けた人々のためであることは間違いない。
とはいえ、この災害には、さらにこの先の拡がりが予想されており、これだけで終わるものでもないようである。放射能被害のさらなる拡大、地方地域社会・地方経済破綻の可能性が否定できない。さらに今後起きることについては様々な破局予言が複数提起されており、首都直下型地震・東海地震・東南海地震・南海地震の危険性は、この震災後さらに高まっているといわれている。日本人の多くにとって、この震災が今後どう収束していくのかは決して他人事ではないはずである。「事前復興」という考え方がある。災害が起き
る前に、起きた後のことを考えて準備を始めておこうというものである。今回の震災・原発事故からの復興は、例えば今後必ずくると言われる東海
地震や首都直下地震の際の復興モデルにもなるべきものである。東海・首都圏の事前復興としての東日本大震災へ。これはおそらく日本社会の再設計にもつながる作業になる。今回の復興を、次世代に向けた社会づくりの先行モデルにするつもりで、今のうちに被災地に学んで、新しいシステム・新しい社会のあり方を本気で模索しておくこと。これが例えば首都圏に暮らす者にとっても大切なことになる。そしてそれはおそらく、津波被災地の復興や、原発事故地での除染などという問題を超えて、脱原発と再生可能エネルギー、過疎高齢化に対するふるさと回帰や都市農村交流、首都機能分散と本当の意味での地方自治の確立などの問題と強く絡めて議論すべきものでもある。災害支援を、防災まちづくりや商店街再建などといったことにとどめず、十分に視野を広げておくことが大切である。そしてまた、ここであげた検討すべき事柄が、実はほとんど震災前から必要だと言われてきたことにも留意すべきであろう。きたるべきリスクに対する構えができていなかったのは、原子力発電所の現場だけではないのかもしれないのである。
注1) 阪神・淡路大震災時のボランティア活動については、山
下・菅(2002)の分析をもとにしている。詳しくはこちらを参照のこと。
2) 「広域システム」の問題については、山下(2011)にも述べた。また、以下の論述については山下他(2008)も参照されたい。
3) 2011年11月9日現在で675団体が参加。4) この数値は、阪神・淡路大震災時の130万人という数値
からすると小さく見える。またしばしばそのようにもいわれている。しかし、阪神・淡路大震災時のカウントはダブルカウントも平気で行っていたのに対して、今回は現場間の移動が少ないため、実態に近く、決して小さくないのではないかとも思われる。
5) 「モノと瓦礫の相手ばかりで、人とふれあえないボランティア活動」という言い方も、現場ではなされていた。
6) この点で社協の役割についてもふれておく必要があろう。95年の際の現地社協は多くのところでほぼ機能しておらず、各地に集まった人々で自主的に活動が始まっていた。しかし、そうした組織が立ち上がらなかった地域もあり、そこに全社協が入ってカバーしたという経緯がある(神戸市兵庫区)。今回は逆に、社協が全体を覆った。そこに順に各種の個人・集団ボランティアが入っていった。ボランティアと社協の役割が逆転したわけだが、
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東日本大震災の特徴と被災地支援の諸相
ここにもメリット・デメリットがあったように思われる。例えば、センターを設置しても、現地社協も被災している場合が多く、制度的に対応できる能力は決して高くはなかったから、現場では外から来るボランティアを、宿泊場所まで確保して受け入れる余裕はなかった。そこでしばしば「地元のボランティアのみ募集」となっていたのだが、これが報道されると「外からのボランティアは来るな」という情報として解釈されてしまっていた。だが現地では自己完結型の人であればどんな形でも役に立ったのである。
7) 他方で、制度面での中心は、公共機関と結びついた社協にあったから、地域によってはさらに複雑な様相を呈してもいた。
8) 筆者はこれを別のところで、「東北の主体性」の問題として広くとらえ提示した。山下(2011)参照。
9) この点については、現在準備中の山下祐介・開沼博編『原発避難(仮)』(明石書店)所収の高木竜輔氏の論文も参照されたい。
10)対口支援とは2008年5月の中国四川大地震で行われた被災地支援の手法で、広域な被災地を、被災しなかった地域で分担し、復興を担当するものである。
11)『朝日新聞』2011年11月13日付夕刊に、その全体像が詳しく取り上げられている。
文献菅磨志保・山下祐介・渥美公秀編,2008,『災害ボランティ
ア論入門』弘文堂.山下祐介,2011,「東北発の震災論へ」『季刊 東北学』28:
172-182.――――・菅磨志保,2002,『震災ボランティアの社会学――
阪神・淡路大震災から〈ボランティア=NPO社会〉へ』ミネルヴァ書房.
吉井忠寛・大矢根淳・浦野正樹編,2007,『復興コミュニティ論入門』弘文堂.
やました・ゆうすけ 首都大学東京都市教養学部 准教授。主な著書に『リスク・コミュニティ論――環境社会史序説』(弘文堂,2008)。都市社会学・地域社会学・環境社会学専攻。([email protected])
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季刊 家計経済研究 93号
R88P
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