11
邪知上佑:「エミリーへのパラ」解釈の推移 45 「エミリーへのバラ」解釈の推移 一E〕ゆ絢π餓r誌上論争を中心に一 那知上 I WilliamFaul㎞erの“ARoGeForEmny”に 関してCleanth BrooksとRobert P.Warrenが こ肋4顔面,雌塚勘云伽3の中で示した解釈りが 一つの契機になって,この作品の解釈に関する一 連の論争が丁馳働砒如r誌上で展開された。 必ずしも単一の論点での論争ではなくて,Emi】y の性格分析,作品のテーマ,題名考察,r髪の毛」 問題等多岐にわたっている。 従ってこの小論では,BrooksとWarrenの解 釈をも含めて丁加鋤焼磁併に載ったすべて の評論からそれぞれの論点別に問題点を整理し, この作品の解釈の推移を調査し,私見も加えなが ら現在までの作品理解の到達点を把握するのが目 的である。 先づ,上述の諸評論を発表年代順に列記すると 次の通りである。 1)C.Brook8&R.P.Warfen,“INTERPRE・ TATION,”σ”伽如”ゐ惚勘灘枷(1943), pp.3駆354. 2)C.W.M.Jo㎞son,“Faul㎞ゲs A Rose For Emily,”丁勧E比砒4伽,Vo1.6,No.7 (May1948),ite皿45. 3) 地y B. West, Jr」, “Faulkner,s A Rose For Em丑y,” 鰍,Vo1.7,No.1 (Oct」 1948),item,8. 4)W皿iam T.(沁ing,“Faulkneゴs A Rose For Emily,”乃畝.,Vo1.16,No.5(Feb. 1958),item27. 5)Elmo Howe11,“Faulkneゼs A Rose For Emily,”」㎜.シVo1.19,No.4 (Ja瓜 1961), item26. 6)A曲肛L Clements,“Fau1㎞eジs A Roge For Emily,,,乃鼠,VoL 20,No.2 (May 1962),item78. 7)Sister Mary Bride,0.P.,“Fau1㎞er’s A Rose For Emny,”鰍,Vo1.20艶No.2 (May1962),item78.2} 8) John V」 Hagqpねn Mar嚇n Dolch “Fau1㎞er’s A Rose For Emily,” 鰍. Vo1.22,No.8(Ap飢1964),item68. 9)エF.Kobler,“Faul㎞efs A Ros Emily!’砺匡,Vol.32,Nα8(Ap司1974) item65. 10)Gil Mu11er,“Faulkner’s A R Emily・”倣」・,VoL33,No・9(May 1975 item79. この他に,作品のプロット及び事件の時間的順序 等の理解の為に Paul D.McGlynn,“Th Chronology of‘A Rose For Emily’ ‘”S舳雌F文飾”,Vo1.6,No.4(1969),pp.461- 462.を参考にし,原作はCo1㍑鰯S㎞⑳夢 濡鷹召餌動影漁耀,Random House,NewYor 1950,pp.119-130.を使用した。 (1)B血Uyの性格分析 (i)Brook8とWarrenの分析 先づMissEmilyの奇怪な行為とその動機を探 るに際し,Faul㎞erが物語の終局のために伏線 として周到に準備した第一の特徴として,甑 Emilyが現実と幻想との区別が明確でなくなっ た人物であると次のように述べている。 Miss Emily,it b㏄omes obvious earlyinthest・尋,is・ne・fth・se forwhomthbdistinctionbe and illusion has blurred out.(P.351 この実例として,彼女が納税を拒否し続け,市長 の要請があっても市長を市長と認めず Colonel Sartorisのところに行って聞いてくれという例 をあげている。つまり,Colonel Sa丘。貞sは十 年前に死んだ人なのに彼女にとっては明らかにま だ生きているのである。もう一つの実例として, 彼女の父が死んだ時,彼女が三日間町の人達に対

「エミリーへのバラ」解釈の推移...邪知上佑:「エミリーへのパラ」解釈の推移 45 「エミリーへのバラ」解釈の推移 一E〕ゆ絢π餓r誌上論争を中心に一

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邪知上佑:「エミリーへのパラ」解釈の推移 45

「エミリーへのバラ」解釈の推移

一E〕ゆ絢π餓r誌上論争を中心に一

那知上

    I

 WilliamFaul㎞erの“ARoGeForEmny”に関してCleanth BrooksとRobert P.Warrenが

こ肋4顔面,雌塚勘云伽3の中で示した解釈りが

一つの契機になって,この作品の解釈に関する一

連の論争が丁馳働砒如r誌上で展開された。

必ずしも単一の論点での論争ではなくて,Emi】y

の性格分析,作品のテーマ,題名考察,r髪の毛」

問題等多岐にわたっている。

 従ってこの小論では,BrooksとWarrenの解

釈をも含めて丁加鋤焼磁併に載ったすべての評論からそれぞれの論点別に問題点を整理し,

この作品の解釈の推移を調査し,私見も加えなが

ら現在までの作品理解の到達点を把握するのが目

的である。

 先づ,上述の諸評論を発表年代順に列記すると

次の通りである。

1)C.Brook8&R.P.Warfen,“INTERPRE・

 TATION,”σ”伽如”ゐ惚勘灘枷(1943),

 pp.3駆354.

2)C.W.M.Jo㎞son,“Faul㎞ゲs A Rose

 For Emily,”丁勧E比砒4伽,Vo1.6,No.7

 (May1948),ite皿45.

3) 地y  B. West, Jr」, “Faulkner,s A  Rose

 For Em丑y,” 鰍,Vo1.7,No.1 (Oct」

 1948),item,8.

4)W皿iam T.(沁ing,“Faulkneゴs A Rose

 For Emily,”乃畝.,Vo1.16,No.5(Feb.

 1958),item27.

5)Elmo Howe11,“Faulkneゼs A Rose For

 Emily,”」㎜.シVo1.19,No.4 (Ja瓜 1961),

 item26.

6)A曲肛L Clements,“Fau1㎞eジs A Roge

 For Emily,,,乃鼠,VoL 20,No.2 (May

 1962),item78.

7)Sister Mary Bride,0.P.,“Fau1㎞er’s A

 Rose For Emny,”鰍,Vo1.20艶No.2

 (May1962),item78.2}

8) John  V」 Hagqpねn  &  Mar嚇n  Dolch,

 “Fau1㎞er’s A Rose For Emily,” 鰍.,

 Vo1.22,No.8(Ap飢1964),item68.

9)エF.Kobler,“Faul㎞efs A Rose For

 Emily!’砺匡,Vol.32,Nα8(Ap司1974),

 item65.

10)Gil Mu11er,“Faulkner’s A Rose For

 Emily・”倣」・,VoL33,No・9(May 1975),

 item79.

この他に,作品のプロット及び事件の時間的順序

等の理解の為に Paul D.McGlynn,“TheChronology of‘A Rose For Emily’,”枷4伽

‘”S舳雌F文飾”,Vo1.6,No.4(1969),pp.461-

462.を参考にし,原作はCo1㍑鰯S㎞⑳夢濡鷹召餌動影漁耀,Random House,NewYork艶

1950,pp.119-130.を使用した。

    皿

(1)B血Uyの性格分析

(i)Brook8とWarrenの分析

 先づMissEmilyの奇怪な行為とその動機を探

るに際し,Faul㎞erが物語の終局のために伏線

として周到に準備した第一の特徴として,甑

Emilyが現実と幻想との区別が明確でなくなっ

た人物であると次のように述べている。

  Miss Emily,it b㏄omes obvious fairly

earlyinthest・尋,is・ne・fth・sepersons

forwhomthbdistinctionbetw㏄nrea駈tyand illusion has blurred out.(P.351)

この実例として,彼女が納税を拒否し続け,市長

の要請があっても市長を市長と認めず Colonel

Sartorisのところに行って聞いてくれという例

をあげている。つまり,Colonel Sa丘。貞sは十

年前に死んだ人なのに彼女にとっては明らかにま

だ生きているのである。もう一つの実例として,

彼女の父が死んだ時,彼女が三日間町の人達に対

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46 福島大学教育学部論集34号

して父は死んだのではないと主張し,町の人達が

法律と規制力を行使しようとした時ようやく彼女

は折れてでたので,人々は急いで彼女の父を埋葬

した例をあげている。

 確かに彼女が毒殺した恋人Homer Bamnの死体を二階の一室に保存し続けたことは,彼女に

とっては,死んだ恋人がある意味で生き続けてい

るという点で,現実と幻想が融合していると考え

られることから,一つの病理学的症例とも考えら

れるが,BrooksとWarrcnはこの点に関して.

はこの物語を単にずつの恐るしい病歴の物語とは

考えずレ何か倫理的な意味があるに違いないと考

え,更に分析を進崎て次のよう栢言っている。

  She蛤obvi(輿sly a woman of tremendous

firmness of wilL_.And yet this fセ甲一

ness of will and th嬉 ㎞on pride have not

kept her from being thwarted and hurt.(352)

穫かに税金の問題の時彼女は気違いじみてはいる

けれども自分を見失っている状態ではない。充分

に平静であり,訪れた町当局の人達を圧倒してい

る。毒薬を買う時も店の主人を威圧していて買う

理由は全く述べていないり彼女には意志の強固さ

と鉄のようなプライドがあって何ものにも決して

妨げられることはない。彼女のプライドは恋人の

Barronと二人で馬車で町をドライゴする時の気

位の高さにも見られる。これらのことは地域社会

のものの見方・考え方に対する彼女の挑戦であ

り,自分の意志と対立する外部の意志や道術律等

の誇り高い拒否となり.自分を裏切ろうとした恋

人の意志ばかりでなく死の法則や腐敗の法則をも

無視しようとしているものであると次のように述

べている。

  And it is her proud refusal to admit an

external set of codes, or conventionS, or

other wills which contradict her own wi皿,

which makes her capableβt the en(10f keep-

ing her lover from goingαway.Confronted

with his jnt血g  her, she hries tq over-

ride not only his wi皿 an(1 the oph丘on of

other peoPle, but the『laws of death and

d㏄ay themselves.(352)

 しかし,Elnilyの性格分析ができたからといっ

て作品の意味が理解できたわけではない。従らて

次にジ彼女の思考や行動と地域社会の正常な生活

とを関連づけて,その間に何らかの関係を見出さ

1982-12

なければならない。

 物語の語り手が彼女を描写している語句の中に

“deaτ,inescapable,impervious,tranqun, and

perverse’~がある。地域社会の人々が彼女をそう

見ているということ,及びそのような社会の中で

彼女が孤独であり更には他人の意見を容れないと

いう強情な性格であることが正に彼女がその地域

社会の一員であることを意味している。彼女の顔

の表情は燈台守の表情に喰えられている。暗闇を

見つめてはいる瀞燈台の光が社会的な機能を持っ

ていることのmetaphorである。.また彼女は教

会のステンド・グラスの中の天使に似ているとも

描写されている。それは超現世的な一種の平静さ

威厳を示唆すると考えられす。従って彼女は地域

社会にとってidolであると同時『にscapegoat

でもある。つまり,一方で社会の人々は彼女に賞

賛や畏敬の気持をもち・他方で彼女と彼女が代表

する過去に対して優等感をもっているのである。

このような意味で・彼女が社会に対して完全に

超然としていることが実は彼女の行動をして社

会に特殊な意味を与えているのである。’以’上が

BrooksとWa∬enの主張するE血ilyの性格分析と地域社会との関連の考察の要旨である。

(ii)c.w.MJohn80nの意見

 BmoksとWarrenがEmilyの性格として彼女をr現実と幻想との区別が卿虐でなくなった」

人物とし,r外部の道徳律等の誇り高い拒否」と

述べた点を取りあげて,二人がそこで留まって

しまってより一層深い分析をしなかったことを

Johnsonは批判している。

 彼によれば,Em皿yの性格の難点は彼女が変

化の必然性を頑固に拒否したことであると考えれ

ば彼女の行動の動機をより一層効果的に把握でき

ると次のように述べている。

  But we ca葺tackle the proble血of Miss

Emily’s motivation more eff㏄tively if we

say  at once that the.一trouble with her is

her obst㎞te refus31to s蹴b血t tO, or even

to coincede,the inevitability of chaPge.

ζ.こから彼女の納税拒否等があるのであ弘手続

きが一旦決まればずっと継続しなければならない

と彼女は考えているのである。

 そして,彼女が“i㎎per樋興s”一なのは、彼女が

変化に抵抗するという意味でであり,,かつまたそ

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那知上佑:「エミリーヘのパラ」解釈の推移 4

の意味でこそあの二度使われた偶像の暗喩が適切

なのであると次のように述べている。

  It  is  in  the  sen忌巳  that’ 曲e  resists

change 廿1at M油 Emily is ‘‘impe面ou亀”

and that the twice-used metaphor of the

idol is悌t廷i6d.

 Jolmsonの言う“impervious”の解釈,つま

りr変化への抵抗」は次にRay.B.West,Jr.に

より「時の経過への抵抗“she resists the pas・

sage of time”」という見解で乗り越えられるこ

とになる。

 物語の語り手がEmilyを“impervious”である

と描写した文脈で考えるならば,陶器の絵付けの

レッスンを終えてから玄関の扉を永遠に閉ざし・

郵便受け箱の設置を拒み続けて決して町当局の説

得には応じなかったこと,継続的にきている納税

督促を無視し続けていること,時折り一階の窓辺

に見かけるEmilyの姿があたかも壁龕の偶像の          の                        ロ            

ようで窓外を見ているのか見ていないのか区別が

づかなかったこと,等々から考えるならば,直接        じ

的には,外部社会の意見や価値観を受けいれない

ばかりでなく関心さえも示さない完全に自分だけ

の世界に閉じこもっていることを表現している。

またもう少し前の時期,つまりBaぼonとご人で

馬車を乗り回してヤた時にも“impefviousness”

と名詞で表現されている。これも文脈から考えれ

ば,町の婦人達が没落したEmilyを“PoorEm・

ny”と同情するのに対して,その程度の俗世間的

な人々に対して,Em紅yが貴族の末裔としての

威厳と独自性の主張を表明しているものと考えら

れる。

 一方外部社会の意見や価値観は,社会状態(近

代化,郵便制度,etヒ)や経済状態(資産階級め

交代,Emilyに対する税制の変更,etc・)に見ら

れるように,時の経過とともに変化している。従

って,総合的には,Johmson,の言う「変化への

抵抗」もWestの言うr時の経過への抵抗」も表

現の違いはあつでも実質的には同じ内容を意味し

てv・ると考えられる。たセWestの方がFaul㎞er

がこの作品で意図した「時間」に関する考え方を

より正確に把握していると言うことができる。な

おr時間」の論点は次節(作品のテーマ)で詳述

する。

(血)Ray B.We鴫Jr.の意見

Johnso血の意見に大筋で賛意を表明してから,

Emilyの性格に関して一部修正意見を出し,

Johnsonの結論(テーマに関する叙述のため後

述)にも修正意見を出してゼる。

先づデEmUyがいつも必ず変化に抵抗していたわけではなく,一 ゙女にも年頃の時代があって父さ

えなければ正常な社会的活動に参加しようと思え

ばしえたし,若者達に受けいれられたかもしれな

い時代があったこと,その頃は彼女は“mo加・

ment”ではなくて“a slenderfiguPe in white”

だったと指摘してから次のように述べている。

  She{i㏄s not fesist change completdy

(she40¢5allowherfather’tobe・buded)until she kas kno㎜two separate bet∫a泣ぬ

thefifstbyherfather一(traditionald㏄o‘

rum),thes㏄ondbyl{omerBarron(mod㎝illd㏄onlm).

 南部貴族の末裔として父の極端な監視下にあ

り,女としての幸福をついに得ることのできなか

ったEmnyは父に対して確かにWestの言うよう

に父に裏切られた気持もあったと考えられるし,

Homer Barronの場合は,彼自身“not ama汀y・

ing manl’と口にしたのを町の人達に聞かれてい

たり,Elks’Clubでの若v・男性との交遊関係もあ

り,Westの言う第二の裏切りも理解できる。そ

してこの二つの裏切りがあってからEm狂yは完

全に変化に抵抗するようになったのであろう。

 しかしEm丑yにとって父の場合もBarronの場

合も「裏切られた」のは結果である。父が死んだ

時には“...with nothing left,きhe woula

have to cling to that which had robbed heビ,

と描写されているように父を頼りにしていた面も

あったし,Barronの場合は,彼との結婚の為に

H.一B.のイニシャルを入れた男物化粧品一式や衣

服一揃を購入した事実から,Emilyは真剣に彼と

の愛と結婚を考えていたと判断できる。従って,

とくにBarronとの場合,「裏切り」と意識し毒

殺へと移行する過程では当然のことながら彼女の

心の中ではambivalentな葛藤が存在したと考え

られる。Westの表現ではそのことは“betraya1”

という言葉の中に込められているにすぎない。こ

の葛藤が父の死後の長わずらいを経てから彼女に

天使のような表情(“tragic and serene”)をもた

らし,B訂mnの毒殺後では彼女の髪の毛が灰色

に変化する程の精神的苦悩だったのである。そし

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48 福島大学教育学部論集34号

てこのような苦悩を経てから,自分の意志で,丁

度Barronと町をドライブしていた時のように頭

を高くそびやかして貴族としての誇りと威厳を維

持するかのように,自分の行動を決定し実行した

点ではBrooksとWarrenの言う“tζeme面ousf㎞mess of wi11”と“iron priae”は誰も否定

し得ないし,事実誰もこの点を批判している者は

いない。

 ところで,人間の精神的苦悩に関して,Faulk・

nerは翫㏄聡holmでのノーベル賞受賞演説の中で相剋葛藤する人間精神の諸問題に言及して次

のように述べたのは有名である。

.,.the yomg man or woman writing to・day

ha8forgottentheproblemsofthehumanheart in conflict with itse廷whidh alone can

makegoodwriti亘9㎞useonlythatisworth whting about,wo丘h the agony and

the sweat.

Faulknerはこの葛藤する心の問題こそ書くに値

すると明言した。まさにそこにこそFaulkncr文

学の真髄があると考えられる。なおこの論点への

言及が比較的に少ないのは残念であるが,S.M.

Brideが試みているのを次節で紹介する。

(2)作品のテーマ

(i)Broo幅とWεロenの場合

 二人は“Interpretation”の最後の文節で従来か

ら言われているr悲劇」の定義を次のように述べ

ている。

  It has been suggested by ma豊y critics

that旋agedy implies a hero w1めis complete-

ly himseHi,who h面sts on m㏄ting the

world on1髄s own terms,who wants some・

thing  so’h}tensely, or Hves so  htenSely,

that he cannota㏄ept any compmmise.(354)

そして前節で紹介した彼等の性格分析の結果から

この物語には上記の悲劇の定義に照らして基本的

に同質の要素が認められると述べてから次のよう一

に補足している。

  Certainly,Miss Em餌y’s pride,igolation,

and indep㎝de㏄e remind one of factors in

the ch町acter of the typical tragic hero.

ノ㎞d it can be pohlted out that,just as the

hor∬or of her d副1ies6utside the-ordina呼

1ife of the oommunity,白。 the m㎎nif虻e血ce

1982-12

of her hldepende紅ce Hes outside i‡s ordh町

virtues.(354)

悲劇的特徴をもつ主人公Emily.が外部社会と隔

絶し,外部社会の価値には拘束されない彼女の独

自性の偉大さ及び恐怖すべき行為を通して・二人

は明確には表現していないけれども,この作品は

悲劇であり『,そのテーマはEmilyの人生の悲劇

性であると結論したがったようである。もちろ

ん,悲劇として高名な五勘%』犀やK∫㎎伽とは比肩しうべくもないが,この作品独自のもつ

悲劇性があることは明確に表現している。

(冠)Jo血ngonの場合

 彼はこの物語を成功の物語,つまり維持できそ

うにない地位を維持するのに成功した物語と考え

ている点でBrookSとWarr㎝の考察とは本質的に異っている。そして前節で述べた「変化への

抵抗」を基礎にこの作品のテーマを次のように述

べている。

  The theme of the story can be statea:

“If one resists c㎞ge,he must love→{md

live with death,”and in this theme it is

difficult not to s㏄an impUed criticism of

the Sout1L

r変化に抵抗すれば愛も生活も死と同居しなけれ

ばならない」一一これがこの作品にJohnsonが見

いだしたテーマであるが,注目すべき点はむしろ

補足的に述べられたこと,つまりr暗示された南

部批判を読みとることは困難なことではない」と

v・う点である。この点に関してはR B.Westが

次に見るように批判的修正意見を出している。

(轍)R.B.We8~Jr.の場合                     彼はrこの作品の主題は人間と時間との関係で

ある (The subj㏄t of the story is man,s

relation・to Time.)」とやや抽象的包括的に前置

きしてから時間に関する分析を始める。Emilyは

時の経過に抵抗する時,彼女の家と同様に奇怪に

なるし,BrooksとWarrenの二人と同じく,この作品が悲劇であることを認めている。そして

この作品はEmilyが正常の時間の世界から死を

無視する迄に時間を否定する世界へと入って行っ

た物語である。従ってFaulknerが提示するテー

マは“paradox”であり,時間に関する次の二つ

の対立する見解の形をとっているとする。

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那知上佑:「エミリーへのパラ」解釈φ推移 49

  Faul㎞er,s theme i8sほ99ested as a par・

adox in tke two confEcting views of Time

仙ich he p鯉nts:(1)T㎞e as a h㎎e

meadow which no wint玩e▼er quite touchesl

(2)Time as a m㏄h血cal progres前on in

which the past is a4im如shing road.

この二つの見解はともに社会批判を示唆している

が,Joh㎜の言うように南部批判のみを意味し

ているのではなく,北部批判をも意味している。

従ってJohh画on流に表現するならば次のように

なると述べている。

  To pa卑phmse気血r. Johnson: here it 蛤

d剥釜icult not to see an imp1ied critic嬉m 6f

the North.

 さて(1)の見解が示唆する社会批判はE面1y

をはじめGri㎝son家や老南軍兵士達に代表され

る南部批判であり,(2)の場合はHomer Bar釜on

や現代的でより若い世代に代表される北部批判で

あるとWestは述べる。

 それでは社会批判に比重が重くかかった作品か

との疑問が出そうであるが,WeStの解釈では社

会批判だけではなく現代のジレンマが描かれてい

るとして次のように述べている。

  Here is dcpicted the dilemma of oar age,

1めtoftkeSouthalone,nofoftheNorthd㎝e;itisthefidionalp㈲yalofthiscon倣twhichisenactedinEm皿y’8ro6e・tinted room abovesta丘s.

つまりこの現代のジレンやの相剋があの二階φパ

ラ色の部屋で演じられたと考えるのである。

一方,死に関するWest‘b分析を見ると,死は

時の経過の最終標識である。Emilyは納税通知を

無視したと同じように死が存在しないふりをして

いる。彼女が死を否定するのは極めて不自然であ

り奇怪でさえある。また,Barmnが社会的礼

儀という伝統的義務(過去)を否定して時間はす

べて現在のみであるかのように行動したのは死ん

で当然の運命だったと見ている。そしてEmilyの

抵抗は究極的には効果がなくてもBa紅OEの抵抗

よりもより一層“11emic”であるから,EmHyの

抵抗の方がましであると述べている。

 以上のようにテーマに関わる分析をしてから,

Westは彼自身のこの作品のテーマを次のように

提示している。

  IfonemusthaVeastatementoftheme,

I wouU proposel ‘‘One must neither res嬉t

nor who皿y accept change,for to do e油er

語敏⊃Hve as though one wie艶 never 叙》die;

Le。to li▽e”渤工㎞th痢t㎞t㎞w血9iし”〔イタリックは原文のまま〕

 r人間は変化に抵抗してはならないし変化を完

 全に受けいれてもならない。何故ならばそのど

 ちらか一方を選ぶことは人間が決して死なない

 かのように生きること,つまり,死を認識する                    

 ことなく死と同居して生きることになるからで

 ある。」

 テーマに関する論議はこの後も多少続くけれど

も,以上のWsetの見解が最も包括的なものと考

えられる。

(i▼)S.M.Bτ記e,0.P.の場合

 彼女はrこの作品に大変明確な一つのパターン

はEmUyと旧南部と間の類比である(One畑t・

tem that is most evident t㎞oughoロt伽

story is the一細al㎎y betwe㎝Em紅y and the

Old So賦1L)∫と解釈する。また, Fahnmerの

南部に対する態度にはアイルランド人作家Shaw,

Joyce,αCasey等のアイルランドに対する態

度と同質のものがあると推測する。つまり,彼等

はアイルランドで生活ほできないがアイルデン

ド無しでは生きてはゆけない。アイルランドに

“bitter satire”の鞭は振うけれども彼等の鋭い

怒りは大きな愛の屈折したものである。彼等の精

神的苦悩はあるべき理想のアイルランドと現実の

アイルランドとの差異を考えるこ・とにその源があ

ると考え,Faul㎞erも彼の全作品を通して,彼

等と同質の南部に対する“amb短alence”を示し

ていて,この“A R6se For Emily’,に於ては特

にその要素が最も巧妙に要約されていると主張し

てから次のように述べている。

  Thewhole-textureofthe story iswro口9ht of tMs白mbi冊1ence of love and

hate,respectandoontempし

 そしてこの愛と憎悪,敬意と軽蔑の相剋は人

間世界にばしばしばあるものであづて,それを

Faulknerが具体的に提示したものであると,ド

ミ井ゴ会員らしく翫Paulの教えを用いて次の

ように述べてV}るが,これが彼女の読みとったテ

ーマである。      ∫

  ‘..一語eha▽eo直emoretri・mphofart一・

Page 6: 「エミリーへのバラ」解釈の推移...邪知上佑:「エミリーへのパラ」解釈の推移 45 「エミリーへのバラ」解釈の推移 一E〕ゆ絢π餓r誌上論争を中心に一

50 福島大学教育学部論集調号

theco㏄re愈epresentatめn,ina皿itspar・ado翼ic謡compkシxity,of the human situatiα障,

which,・aS SしPaul teUs u亀 is oftβn 血pel層

led to■e蜘ct-what it loves and embra㏄

whatithates.Or,皿oreaptlyinthiscase,

todes帥oybothitselfandwhatiHovesinits{症σrt to exorcise what it hates.

 Brideの出したテーマは「愛と憎悪の相剋」と

いう点で特色があり,十数年前にWestが提示し

たテーマに付加して考慮する価値のあるものと考

えられる。ただし,Brideの見解はその前年(19

61)に石ゆ幽8σ飯誌に載ったEhnoHowenの見解に対する批判であるためか,十数年前のWest

の見解には全然触れていないのは不満である。

(▼)G皿M砥皿e靴の場合iシ 一1・ 『∫

 Brideから更に十数年たって1975年にMdner

が特異な見解を発表した。グロテスクの美学を基

礎にしたものである。彼は先づ,一五章からなるこ

の作品のどの章にも芸術的im雛yが含まれて

いて,Em弧yはグロテスク美学の専門家であると

見る。彫塑,建築,書法∫水彩画法をはじめ沢山

言及されている。そして,結論を先に言えば・

Faul㎞erはパラ色で不滅な芸術の領繍と一人の

女性一芸術の世界と実存の世界を融合しようと

試みた女性一を追求したのであると次のように

述べている。

  丁「㎜ughout tk愁3story,Faul㎞er hlvesti.

gates wi‡h oonsummate skm  an a掴C

realm which i8rose・oo㎞ed and immortal

anaawoman’w㎞htem∬yat伽ptstofusetheworldsofartandexiste㏄e.

rバラ色で不滅な芸術の領域」と言うのは,彼の

言う文脈から判断すれば,作品の最後の章のあの

閉ざされた二階の部屋の中のものであり,それは

Emnyの芸術の“mas師㏄♂である。そしてそれはグロテスク芸術の作品であると同時に芸術三

家Emilyの内面性を顕示したものである。

 一方,r芸術の世界と実存の世界を融合する試

み」に照合ナる言葉としては次のMuHerの表現

を考えてみる。

 一Emny p㎜㏄ love by removhlg it

fmm 逝α She Savo路 ha『10verお ㎞

petrifies and gnldua皿y b㏄omes an a貢

object.An4hera慮isrevea㎞9,㎞use

1982-12

t1鳩emotio鵬of a lifetime紅e s㏄n-iロher

handiwork. She jb the artistic ∬ebd who

pu工雛es the absolute with an hlteus【ty.一価

is sロbH皿¢aa且perv鰍。

愛を永遠にするには生あるものから愛だけを取り

出せばよい。しかしそれは具体的には恋人を殺し,

化石化してゆく死体を芸術品として鑑賞すること

にほかならない。しかもその芸術品には生きてい

た時の諸々の態情が見てわかる形で残っているか

らこそ,Em避yの芸術は‘ヤevealing{7だと言うの

である。そして今迄になかったそのような芸術品

を創造した彼女は前衛的と言うか芸術的叛逆者で

あ蛎追究するものに絶対的なものr(th¢abs61髄¢1

であると言う。従ってこのr絶対的なもの」は彼

女の考える絶対的なもののことであり,r芸術の

世界と実存の世界の徽合」に照合する。

 Mu11erの言うテーマr芸術の世界と実存の世

界の顧合を試みた女性の物語」に対する批判,見

解等は且ゆ砒磁07誌上に関する限りまだ登場し

ていない。南部や北部の歴史,地域性,及び現代

の社会状況等をふ襲えたRB.Wes婁の説,愛と憎

悪の相剋という人間関係からのSM,Brideの説

と対比した場合,Mu皿erの依拠しているのは「グ

ロテスクの美学」や「グロテスク芸術」なるもので

ある。しかし私にはそれらの基本概念が充分に把

握できないので言及する資格はない。一ただテ冒マ

に関する一つの見解としで紹介するのみである6

(3)作品の臓鳶1e考察

(i)Wm地斑■.(遡ngの場合

 彼は比転的明白に示唆されていると考える二つ

とその他二つで合計四つの示唆された意味を考察

している。

 ⑥先づ第一に,Kea鵡の“OdeonaGrecian

U血”に登場する恋人達と同様に,EmHyは自分

の愛の追求に於て時間と場所を超越しようとした

が故にバラを受けるに値するという意味に考え

る。Homer Barronに関しては,Hαfm鋤tha1

がDerRogen聡aマalierに捧げた歌劇の中で㎞

Och8が昔のVie皿aの貴族の慣習にならって自

分の将来の花嫁に愛の印として“a s伽er r㏄e’}

を持って行く使者を探して彼女にプレゼントした

のと同様に,Homer Barron1もE血ilyにバラを

捧げるべきだったのだが,彼はそれ程立派な振舞

いをしなかっ把ので,語り手蔓‘w6”が轍1eの中

Page 7: 「エミリーへのバラ」解釈の推移...邪知上佑:「エミリーへのパラ」解釈の推移 45 「エミリーへのバラ」解釈の推移 一E〕ゆ絢π餓r誌上論争を中心に一

那知上佑:「エミリーへのパラJ解釈の推移 51

で償っているのだと主張する。

 この意味での理解.はFaulknerカ:日本の長野セ

ミナーで述べた言葉に非常に近いものである。し

か』しFau1㎞erのその言葉は1956年,つまり

Goingのこの意見の二年前に公表されたのであ

るが,Goingがその言葉に目を通していたか否

かは確定できない。

 (b》比較的明白に示唆されている第二点は次の

通りである。Em皿yは皮肉にもパラで象徴される

ことになってしまったという意味に考える。この

場合のパラには前軍の老兵士達の大事な思い出の

意味と;より後の世代の常識的で好奇心の強い人

達の道徳的非難のまとという意味の二重性があ

る。そしてGoingはFaulknerの曽祖父の作品丁毒8隔砿8Rosε0『八鹿”ψゐ」3(1882)を引き

合いに出してEmilylは“ro6e of Jeffersoバに

なったのであると述べている。

 (o)第三の意味として,Faul㎞erがバラを象

徴的に使用している背後にRb㎜σπ4ノ瀦∫以の

有名な次の語句が潜んでいると考えている。

What’s in a name~That which we call a rα鵠

By any other name would sme皿as sweet.4)

この意味が潜んでいる根拠は作品の中での臭い

(odoτs)の微妙で気味の悪い扱V・方であるとして

いる。

 伺)第四の意味は,Faul㎏の詩の一節に由

来する最も興味ある推論であると述べ次の詩を引

用している。

 1適y me not the rose for lovers,

 Lay me not the bay for fame;

 Butsomethingwhichnosymbolcovers, So皿e simple shape no sage can㎜e。

1932年夏号の鋤4惚2㎞一㎝1に載ったA.Wig・

fall Gr㏄n氏のレポートによれば,この詩は丁勧

G%㎝∫㎎動㎎あという詩集に入っていたがこ

の詩集はFaulknerが小説に専念していたために

出版されなかったということである。その一年後

に」4G形㎝伽g池が公表されたが,この詩は

その中に収められてはいない。ともあれ現在のと

ころ,Gr㏄n氏の報告の中のこの詩から“thero6e

for Iovels”というFaulkperの象徴的言葉がこ

の作品“ARoseF¢EmUプ’のtitleに関する彼

の間接的言及であるとGoi㎎は受けとめている。

(髄)El皿o Howe皿の場合

 彼の評論の骨子は後述するようにUonelT田・

H㎎の見解に対する反論であり,題名考察につ

いては次のように簡単に述べているだけである。

  In comme虻hlg on the title of the story

du血g his r㏄ent visit in Ja卿,Fau1㎞er

says:

  The meaning was,kem wasawomanwho

had a tragedy,an hTevocable tragedy and

nσd血g could be done about it,and l pitied

herandthiswasasalute,justasifyouwere to make a gesture,a salute,と。 anyone;

to a woman you would hand a rose,as you

would Eft a cup of詔加to a man.5)

Fau1㎞erはこの物語をどうにも避けられない

悲劇を背負った女の物語であり,そんな彼女に同

情して花を捧げたのだと述べている。彼自身もこ

の引用文の直前で言っているが,Emilyが“rαse”

を意味するのではなく,上述のようなallegorica1

な意味で使ったのである。従って前述のGoingの

第一見解とはほぼ同じ意味であると理解できる。

(出)」.F.Koblerの場合

 彼の評論はEmny(}煮ersonの名称が“M歯

Emily”“Poor Em辺y”“Emily”と三通りあり,

それぞれニュアンスの異なる意味で呼称されてい

ることを論じている。前二者については後節で述

べるが,ここではtitleとの関わりで最後の“Emi-

ly”の呼称に関する彼の主張を紹介する。単に

“E:m皿y”と呼ばれるのはtitleの中だけだから

である。

 町の人達は,物語の最後でBarro且の朽ち果て

た死体を発見した時,Emilyが彼と交際していた

頃の態度を思いおこし,“Poor Emny”とか或

いはもっと悪い呼称を使ったかもしれないが,

Faul㎞erはそうは描写せずに,題名,葬式の場

面,及び墓地の描写で敬意と謙遜の姿勢を貫いて

いるとKoblerは述べでから次のように言ってい

る。

  The presence of “Rose,, in the 廿Ue

indicates the resped血1side-of the coh1,but

the droppiロg of the“Misげ’means two

things:Eコ血y Grierson has been proven to

be somethhlg other than a true ㎜iden

lady and is no lo㎎er deserving of this

pardcahr apPellation; she has also been

Page 8: 「エミリーへのバラ」解釈の推移...邪知上佑:「エミリーへのパラ」解釈の推移 45 「エミリーへのバラ」解釈の推移 一E〕ゆ絢π餓r誌上論争を中心に一

52 福島大学教育学部論集34号

completely  human囲 and brought downtoearthoutofhernichetothelevelofanother cit㎞s of l Jefferson.  T1コerefore, she

捻now,and v曲remahl to future generations,

just plain Emily。 Surely her tombstone

reads“Emily Grierson.”

硬貨には表裏二面あり表が敬意を払うべき面であ

る。この物語の題名に“Rose”があることは硬

貨で言えばその表面を示唆すると考えられるが,

“Miss”が付けられていなv・のは次の二つの意味

がある:(8)Emilyが真の意味での未婚の婦人

どは異なる人間となり,もはやこの特定の名称

(Miss)に値しなくなったという意味と,㈲彼女

は死んでからは完全に人並に考えられ,つまり偶

像視されていたあの壁龕から降ろされJeffergoo

のすべての住民と同様に地中に埋葬されたとい

う意味である。従って彼女は現在も将来も単に

“Emily”のままであり,多分墓石には“Emily

G憾erson”ど刻されているであろうとKoblerは

推論する。

 Faulknerの長野での言葉から考えれば,哀れ

みと同情からa皿egodcalな意味でつけられた題

名であることは前述の通りであるが,南部」6f-

ferson(実名は(》xford,M蜘PPi)の言語感

覚から分析した’Koblerの主張には我々外国人の

知りえないニュアンスが明確に論述されており,

上の引用文から読みとれるように,“Miss”がつ

けられていないことによりFa田㎞erのEmily

に対する同情を含んだ敬意と偶像視ではなく一人

の人間として扱った謙遜の姿勢を我々も理解する

ことができる。Faulkner自身の言葉で終着点に

達したと考えられていたtitle考察に補足的1こ付

加されたKoblerの意見は以上の意味で我々に

とって有益である。

(4)「髪の毛」論争

 物語の結末にある“alongstrandofiron・gmy

hahr”と死体の側の枕の凹みが意味するものにつ

いての論争はElmo Howe11の評論から始まる。

(i)皿mo Howellの場合

 この作品をr恋人を殺しその朽ちゆく死体のそ

ばに長年添寝した女の物語で単なる恐怖小説」と

するLionel Trillingの見解6)に対する Howell

の反論が助砒石如r誌に載った。彼は先づ次のように主張する。

1982-12

  The long strand of iron・gray h血...

has 】bd readers genera皿y to beHeve that

Miss Emily kept the b6dy of her dead lover

for morbid pロ職 but there 蛤 臓。畑・

de且ce in the story that she lay in the bed

with Homer Barron after the night she

murdered him.

物語の中でEmilyが死体と添寝をした証拠はな

いと言うのである。二階には四十年間誰も見たこ

とのない部屋があって,無理にこじ開けた時部屋

中は一面に広がる埃で満ちていたとあることか

ら,四十年前Barronの死後この部屋を閉鎖して

以来Emilyも含めて誰も入らなかったの、であ

り・こじ開けてみても彼女が時々入ったことを暗

示するものは何もない。

 しかし枕の上にr髪の毛」があったのも事実で

ある。この点に関して彼は次のように推論する。

  It may reagonably be assllmed that her

hair 眺 gτay血g dur㎏ the a丘a血r 刃丙th

Homer Baπon,and that the“onelong strand”

found in his bed was left there the night

she murdered him.

Barronを殺害した夜にそこに残されたものだと

推測するのである‘そして結論で再度繰り返して

Howellは次のように添寝を否定する。

  However abnormal her mental pr㏄ess

血ay be,there蛤no basis for the assumption

that Emily spends the last forty years of

her life cohabiting with a corpse.

(ii)A煎hmr L Clement8の場合

 彼はL Trillingへの反論の主旨と「Emilyが

死体と添寝して最後の四十年間を過ごしたと考え

る根拠は何もない」とするHowenの結論には賛

成しながらも,「物語の中でEmilyが死体と添

寝をした証拠はない」と言うのは間違いであり,

次のように理解すべきであると主張する。

  ._the evidence in the story- in par・

ticular,the“pervading dust,,and the “10且9

strand of iron.9τay hair”一seem to sロ99est

that though Emily did not enter her dead

16ver,s room for many years before her own

death she did lie with him months and per・

haps years after she murdered him.

彼女自身が死ぬまでの長年ではなくて・彼を殺し

Page 9: 「エミリーへのバラ」解釈の推移...邪知上佑:「エミリーへのパラ」解釈の推移 45 「エミリーへのバラ」解釈の推移 一E〕ゆ絢π餓r誌上論争を中心に一

那加上佑:「エミリーヘのバラ」解釈の捨移 53

た後の数ケ月か数年は添寝をしたと考えるのであ

る。

 また,How611の主張の中にr髪の毛は殺害し

た夜にそこに残された」とあるけれども,作中に

それを正当化する根拠は何もない。むしろBar・

ronと知り合う少し前に彼女の父が死亡し彼女は

髪を短く切っているのが事実である。髪が長くな

るには数ケ月を要するし,かなり長いということ

であれば数年はかかると考えられる。

 しかしそれ以上に重要なごとは,Howe皿の推論書こ “her haセr was graying dur血g the af血止

with HOmer Barr6n”とあるのは解せなv・。Baf・

ronとの交際中に変色が始まったとの描写はな

い。日曜日毎の二人のドライブ,Baptist min遍・

terの忠告,’ サしてその後もドライブは続き,男

物の化粧道具や衣類の購入,それから殺害があ

り,その後町会議員達が彼女の家の外回りを臭い

のことで調査し窓辺の彼女を見ている。そこまで

は髪の毛の変色のことは何も言及されていない。

殺害後六ケ月たってはじめて彼女が町に姿を見せ

た時に人々は変色しはじめているのに気づき,そ

の後数年間ますます灰色が強まって一様な“pep-

per-and-salt iron・gmy”になって変色が止って

いる。そして物語の結末の言葉も“a血惚strand

of i責}n-gmy haiβ’(イタリックはClements)

である。これらの事実からE血ilyは死体と添寝

したと推測できるし,他方あの“pervadingaust”

からは彼女が死ぬまでの相当年数は添寝をしなか

ったことも推測できる。おの二階の一室を閉鎖し

たりは陶器の絵付けのレッスンを止め玄関を永遠

に閉ざした頃と考えられることから,このr髪の

毛」問題に関してClements・は次のように結論する。

  That“no one had s㏄血[the room]in fbrty

years”co“1d㎜n no onc of the town騨}Ple

had seen it,or,even廿 we read “no one”

as including Emny,it is still possible for

her to have lain with Barron for some

months or years after1丘s death,b㏄ause

she died at seventy・four and murdered her’

10ver when she was about thirt】ん

(i髄)H㎏ophnとD61chの場合

彼等はClementsのHowe11に対する反論のうち「髪の毛」が殺害の夜そこに残されたとする

Howe皿の推論の否定は正しいし,長さと色から

考えて殺害後少くとも数年後のものであること,

またr埃」は死体肇見前の長年の閉鎖を示唆して

いることも正しいと判断している。

 しかし Clem6ntsが“facts of the 就αry

concer血g gray ha丘implythat Em虹y did lie

beside the4㏄ayhlg corpse of her bvげ, と

主張しているのは性急な判断であるとし,この点

に関しては次のように述べている。

  The faOt馳at Homer,s body sti皿shows

“the-attitude of an embm㏄” and that

there蛤“the inde血tation of a head,’on the

s㏄ond pillow merely demoostねte that

Emily・had hin beside the living - or

dying-HomerBarmn.つまり死体のr抱擁の姿勢」や枕の凹みの示唆す

るのはEmilyが生きているか或いは死ぬ直前の

Barronのそばに寝たというこどにすぎないと主

張する。そしてこの問題にはもっと合理的な意味

があると次のように新説を提示する。

  Apparently“a strand of llaiゼ,must be

read as “a 1㏄k of hair,” sklce a s㎞ple

9ごay hak wouM probably not be d厩erned

under that“ev㎝coathg of the patient and

abiding duSt’,that lay on Homef B餅on鍾s

corpse and upon the pi皿ow beside h血

rr本の髪の毛」ではなくて「一房の髪の毛」と

読みとらなければならないのであり,“a stmnd

requires deliberate㎝tting”と述べて自然に

抜け落ちた数本の毛の房でもないと主張する。

 以前にも父の死後彼女は髪を短く切った事実が

あり・意識的に再びげ房の髪を切ってあの部屋を

閉鎖した日’にそれを枕の上に置いたと推測すれば

満足できる説明が可能になるとして次のような古

代ギリシャの儀式的慣習を引用する。

  The act of cutting off one’s ha丘 (or

1㏄ks of it)was,among the ancient Gτeeks,

a rittlal gesture of gτief and farewell or

remembrance at the corpse or grave of a

beloved person甑

愛した人の死体か墓地の所で悲しさと別離と思い

出を込めた儀式的意志表示の行為と考えるのであ

る。さらに彼等はEmilyの恋人Homerの名前

からもギリシア的なものが暗示されているし,

“The Bear”のSam Fatherの死に関する

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54 福島大学教育学部論集34号

Fau1㎞erの言葉τ)には明らかに古典的知識力;見

られるし,Emilyは十九世紀南部貴族の一人とし

てギリシャ古典に接していたと考えられること,

などから,彼女が一房の髪を枕の上に置いたこと

の意味は悲しみと別離の意志表示であると結論

し,死体との添寝というような次元の問題ではな

く,Emilyの絶望に古典的威厳と気品を与えてい

ると次のように述べている。

...the placing of a strand of haヒ near the

c・rpseofal・ved o鵬cle肛藁y dgnalssomet1血g other than a revelation of

necroph皿h.  It  lends  a  dimension  of

chssic dign虻y and  grace, hl a㏄ordance

with Faulkner,s title,to EmUy,s despa鳩

 r髪の毛」論争は助勧4伽誌上に関する限り,このHagopianとDolchの説以降に新説の登場はない。現時点での最有力な説と考えら

れるし,この論点に関しては定説になったものと

判断される。

(5)Emilyの呼称について Emily Griers(》nの呼称はMiss Emily,Poor

E皿ily,Emilyの三通りある。叙述中も会話中も

彼女はMiss Emilyと呼ばれている。ただしHomer Barronとの交際中だけ五回PoorE皿ily

が使用されている。単にEmUyとなっているの

はtitk}の中だけである。

 J.F.Koblerはこれらの呼称から彼女に対す

るJdfersonの人々の態度が読みとれると主張

した。以下はその要約紹介である。

 (i)M㎞E皿nyについて この場合には二つの相反する感情が込められて

いる。昔からよく使われる例で言えば,黒人の召

使が白人の子供を“Mf.BobbyJ㏄”とか“Miss

Faye”と呼ぶ。そこには先づ身分の低い黒人が

身分の高い白人に払う敬意の意味があり,もう一

つは姓名の姓ではなく名の方を使うことで相手が

白人ではあってもまだ子供であり大人の黒人より

は何らかの意味で劣っているという意味が込めら

れている。Jeffersonの人々が彼女をMissEmny

と呼ぶ時も同様に考えられると次のように言う。

  Thus the cit漉ns of Jefferson by ca皿一

1982-12

ing her“Miss Emily”give her the fe醐

due a Gherson and at the same time血dicate

that they consider her infe“or to them

becausesheisp㏄uhar,perhapseven、吻血thei】「eyes.

 (値)Poor Emi1げについて

 Emilyが日傭い労働者の北部人に求愛されてい

るからPoorEmUyと呼ばれたのであり,五回そう呼ばれたうち最も効果的な使用例として

“」㎞d aεsoon as the old peoPle said, ‘Poor

Emily,’・the wh㈱g begIm”をあげている。

社会的にしっかりした人達が彼女にPoorをつけ

て呼ぶことで彼女の没落とそれに対する彼等の心

情を表明した。従って大文字のP㏄rが当然であ

ると主張する。結局身から出た錆で未嬬の貴族婦

人としての敬意が払われなくなり,Poor Emily

へと呼称が変ったため身分の低い人々もEmily

の噂をしゃすくなったと述べている。

 (i髄)EmUyについて

 Title考察の画で詳述したのでここでは省略す

る。

   註

1)C.Broo1聡&R P.Wia∬e恥㎜ERPRETA・

 TION,”ひ蜘血胸Fi轍(1943),但し引用

 文の頁の参照は1959年版によった。

2)S.M.Bridc,0.P.の評論はA.LClem㎝tsの

 評論と同じitem番号のもとで併蔵されている。

3)R.B.Wesち」.,“A白血osphere and Theme 血

 Faun【ner,s ‘A Ro肥 for Em劃げ,” ππ1㎞

 癒紹」㎞r:7㎞D惚幽{ザ礪f㎞(1954)

 でもほぼ同主旨のテーマが述べられている。なお

 それは1949年夏号のP鵜f動8誌に発表された

 ものの再戦である0

4)Cf.㎞4嘱み勧f,H,簸1t4騰5)C£ Robe比 A.JdH丘e (●d.), F勧㎞ 4’

 ハ砂卿,Kα止y鵬ha,Tokyo.1956,p.7L

6)Cf.Lio且el T曲g,“Mr.Faulkロer’8World,”

 ハ履jo館,No▼ember4レ1931,VoL1…臥一

7)Cf・F・L Gwynn & J[L Blot鵬r (ed8・)・           ゴ  F㎞㎞伽妨8U冠08質蕊砂,a Vhtage Book,

 P.47.

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那知上佑:「エミリーへのパラ」解釈の推移 55

THE INTERPRETATIONAL TRANSITION OF FAULKNER’S             “A ROSE FOR EL皿LY”

一〇n the arg且ments that have apPeared in痂8働ど。σ云07一

Tasuku NACHIGAMI

  Brooks&Warren’s INTERPRETATION of Faulkner’s“A Rose For Emily”caused

Johnson to propose his own 血terpre㌻ation 血 ま漉 1動どσ4妨. After that about ten

critics have a∫gue(1concerning several contentions. TMs襲3a study of the hlterpreta.

tional transition of all the arguments that have appα虹ed i11漁8助互偲館.