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S A N G A S A N G A 4 20 30 80 20 30 80 西 題字「組長 前田彰道」  献 立

SANGA SANGASANGA SANGA 今 回 の テ ー マ は 「 至 心 」 と い う こ と で す が 、 こ れ は 『 大 経 』 に 説 く と こ ろ の 阿 弥 陀 如 来 の

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Page 1: SANGA SANGASANGA SANGA 今 回 の テ ー マ は 「 至 心 」 と い う こ と で す が 、 こ れ は 『 大 経 』 に 説 く と こ ろ の 阿 弥 陀 如 来 の

S A N G AS A N G A

 今回のテーマは「至心」という

ことですが、これは『大経』に説

くところの阿弥陀如来の四十八の

本願の中の第十八願の「至心 信

楽 欲生我国」に誓われている言

葉です。

 親鸞聖人は我々人間には、本当

の意味で「至心」の心はなく、こ

れは仏の心であると味われたよう

です。ただし、人間には不完全で

あっても「至心」と言う心が大切

です。

 今回自民党が大敗し民主党政権

が誕生し、そのマニフェストが問

題になっていますが、そのマニフェ

ストを実現する為の人間としての

至心があればなぁと思う事です。

 釈尊は約束されなかったと聞い

ています。その約束を否定せずに

聞いていたということで、死によっ

て約束を守れなくなるかもしれな

いし、どういうことが起こって約

束が実行できないのかわからない

というのがその理由です。

 私は音楽が好きでよく聴きに行

きますが4ヶ月先の前売り券を買

いながら、生きている保障はない

のになぁと思う事で釈尊はすごい

なぁと思うことです。

 その釈尊がインド従来の存在の

説を打破されて、存在は「縁起」

によると智慧によって明らかにさ

れました。釈尊は「老・病・死」

の解決をめざして出家したと伝え

られていますが、覚りを開き仏と

なった時にその問題を解決したと

言っています。ところが伝記を読

んでみると、老いがあるし、病に

もなっています。また八十歳でお

亡くなりになっています。

 現実の人生には「老・病・死」

があるのに「私はそれを解決した」

と言っています。どのように解決

したのでしょうか。ものを考える

人間には2つの大きな問題があり

ました。その1つが「時間とは何

か」ということです。今日、哲学

者のベルグソンが「時間とは意識

の流れである」と言ってその問題

は解決したということで世界中こ

の線で「時間」が考えられていま

す。時間を考えてみますと、時間

には「自然の時」普通に考えられ

る物理的なもので釈尊の「老病死」

をうみだすものがこの「自然の時」

です。ただし人間にはベルグソン

が言うように「人間の時」があり

ます。それによって「自然の時」

を超えることができるのです。釈

尊が「私は老病死の問題を解決し

た」というのは「人間の時」で「自

然の時」老病死を超えたというこ

とです。

 私は多くの縁によって今存在す

る。縁起によって20歳であり、30

歳であり、80歳であるわけで、よ

く会話の中で「若いということは

いいねえ。年はとりたくないもの

だ」とよく聞きますが、釈尊は縁

起によって今ある私、言葉を変え

れば因縁熟して今ある私、因縁熟

して20歳であり30歳であり80歳で

ある、因縁熟して今あるとは最高

の状態である。ということで常に

最高の状態で生きてゆき「老病死」

を超えていったのが釈尊でした。

 「雲が動くように 水が流れるよ

うに 私は私の命の必然に随おう」

と宮崎童安は言っています。

「至心」

し しん

西條 

道孝

題字「組長 前田彰道」 

正善寺お斎について

 正善寺のお斎は、まだまだ歴史が

浅く、今年で二十一年目を迎えます。

かすみ草の会(正善寺女性の会の名

称)発足当初から報恩講のお斎つく

りは、会員の大切な取り組みとして、

今年はどのようなお斎にして、お参

りしてくださる皆様に喜んでいただ

こうかと、毎年話し合いながら決め

ています。煮物などは七種類の具材

を色あいよくと決めているのですが、

献立のひとつ、揚げ物はお楽しみのメ

ニューとして、毎年色々と変えてみて

います。たとえば(里芋コロッケ、かぼ

ちゃコロッケ、飛竜頭のあんかけ、野菜

のかき揚げ)など。昨年の献立を覚

えていて下さり、「今年はまた違いま

すね」と言っていただけると嬉しくな

ります。お斎と一緒にお出ししている

『卵酒』は、皆様が例年の楽しみの一つ

としていて下さり、口当たりのよさは

格別とお褒めの言葉をいただいてお

ります。大切なお斎を会員みんなで

心をこめて大切につくらせていただき、

召しあがってくださった方々が喜んで

下さることが、一年一年会員みんなの

宝物となっています。器は松花堂弁

当形式なので少しでも温かみと「よ

うこそ来てくださいました。」の会員

の心が伝わるようにと、器の上にお

手紙をそえています。お斎を通して、

参拝者の方々、仏婦の方々と尊いご縁

を結ばせて頂けることに感謝しなが

ら、これから先もみのりの輪を深めさ

せていただきたいと念じています。今

一つこれから先の

楽しみとして「多

くの子どもさん

方にもお斎の縁

にふれてもらい、

”子どもの時お

寺でご飯を食べ

たね。“と言って

いただきたい。」

と語る夢があ

りますので、そ

の夢の実現にむ

けてもみんなで

一歩一歩あるいて

行きたいと思っ

ています。正善

寺のお斎、ぜひ一

度、召し上がっ

て下さい。心よ

りお待ち申し

上げております。

献 立

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S A N G A

第七回・【この人に聞きたい】

S A N G A

※「さんが小倉」紙面に於

いて、小倉組の御縁のある方々

にインタビューをしていき

ます。前回までは各教化団

体の代表者の方々でしたが、

第七回目は小倉組連続研修(以

下、連研)第一期修了者で

ある四名の方々です。

 ※注連研とは、「十二の問い」

をテーマにして、十二回(月

一回、一年間)にわたって

少人数(八名〜十名)の班

に分かれて話し合う〈話し

合い法座〉のことです。

慈光寺門徒 中尾幹男さん

 以下・中尾

永照寺門徒 吉田憲二さん

 以下・吉田

西宗寺門徒 村上芳範さん

 以下・村上

善行寺門徒 武田美和さん

 以下・武田

「さんが小倉」編集長日野真人

 以下・日野

日野・今日はようこそおいで

くださいました。そして、連

研ではお世話になりました。

一同・お久しぶりです。こち

らこそお世話になりました。

日野・では早速、質問に入ら

せていただきます。

中尾・おっ、早いですね。い

きなり難しい話に入るより、

みなさんがどうして連研を受

ける気になったかを、まず話

してみませんか?

日野・いいですね。では、ト

ップバッターは中尾さんとい

うことで(笑)

中尾・私は、所属寺のご住職

さんに勧められたのがきっか

けです。二つ返事で参加を了

承しました。

日野・おおっ、素晴らしい。

尻込みしたりはしなかったの

ですね。

中尾・もともと仏教に興味が

あったものですから、何か学

ぶ場はないかと探していたん

です。

吉田・じつは、私も何か新し

い活動はないかとさがしてい

たところ、連研が始まると聞

きました。三年ほど前のこと

です。そして、自分からご住

職に連研に参加したいと申し

出たのです。

日野・私が思っている以上に、

皆さん方は浄土真宗を学ぼう

とする情熱がおありだったの

ですね。

吉田・情熱というよりも、浄

土真宗に対して期待している

部分が大きかったですね。そ

して期待に応えてくれるので

はとも。

村上・わたしは定年を迎える

にあたって、人生の方向性を

みつけたかったから、浄土真

宗を学びたくて連研に参加さ

せてもらいました。それにい

ろんな方に出会って新しい友

達を作りたかったのです。

日野・みつかりましたか?

村上・浄土真宗のみ教えにも

出会えましたが、それ以上に、

人に出会えましたね。これが

嬉しかったです。

武田・みなさんすごいですね。

わたしはご住職さんと坊守さ

んのお二人から勧誘されて、

断り切れなくて参加しました。

ですから正直申し上げて、み

なさん方のような熱意みたい

なものはありませんでした(笑)

日野・参加してみてどうでし

たか?

武田・三回目には、もうはま

っていましたね(笑)なんて

楽しい所だろうって。だって、

たくさんおしゃべりしていても、

他人の悪口や陰口がまったく

出ないのです。なんて優しい

人たちばかりなのだろう、っ

て嬉しくなりました。

村上・わたしも話し合いに参

加していくうちに、自分の心

の中を素直に相手に投げかけ

れば、相手からも同じように

心の内からの答えが返ってく

ることを知りました。

吉田・わたしは両親を早くに

亡くしていて、若いうちから

お寺に足を運ぶ機会が多かっ

たのです。そしてお寺にお参

りに行くようになって思った

のが、寺友(てらとも・お寺

を通じて出来た友人の意)が

もっと欲しいな、ということ

でした。そう言う意味で、連

研に参加させてもらって本当

に良かったです。

日野・たくさんの寺友ができ

ましたか?

吉田・お寺の研修会や連研な

どで知り合った方々といまだ

に交流が続き、「みんなで阿

修羅展(2009九州国立博

物館)に行こうか」、などと

話が出るようになりました。

日野・ずいぶんと多くの寺友

ができたのですね。

中尾・わたしは、連研を通じて、

自分が興味をもった西洋哲学(ハ

イデッガー)や東洋哲学(仏

教など)を語り合える仲間に

会えたことが嬉しかったですね。

話をしていても幼なじみのよ

うな気安さで話すことができ

るのですよ。

日野・連研に参加することで、

自分の所属寺内にも仲間が増

えてきたりしませんか?みな

さんは第一期連研参加者ですが、

現在連研は、第三期が開講さ

れています。所属寺からの参

加者も増えているのではあり

ませんか。

中尾・お寺って、最初は堅苦

しいイメージがありました。

しかし、連研に参加し話し合

っていく中で、それまで以上

に素直に、お寺や御門徒さん

方と接することができるよう

になりました。

吉田・うちのご住職さんや副

住職さんを始めとする寺族の方々

や御門徒さん方はとてもフレ

ンドリーな方たちばかりです。

じつは今から二十年ほど前、

まだ私が四十代だった頃、お

寺で「話し合い法座」が開か

れており、参加しておりました。

一同・ええっ!

吉田・当時は、仏教用語とい

うんですか、言葉が難しく感

じられていました。ですが今

にして思うと、あの頃、わか

らないなりに聞いていた話が、

自分の根幹の部分を作ってく

れていたようにも思うのです。

村上・じつはわたしも若い頃、

所属寺の「話し合い法座」に

参加しておりました。五十年

ほど前、まだ私が十代だった

頃です。

一同・それはまた若いですね……。

以下次号に続く

 インタビュー日時

  平成二十一年七月十五日

  西宗寺門徒会館にて

  文責

   「さんが小倉」編集長

         日野真人

連研修了者・前編

なかお みきお

よしだ けんじ

むらかみよしのり

たけだ みわ ひ

の まこと