4
335 映画るアジアのナショナリティのらぎ 334 殿Il Postino Pitman, Todd 2012 Burma Comedy Shows Changing Censorship Rules . Irrawaddy Magazine Online on May 2, 2012. http://www.irrawaddy.org/archives/3419 Smith, Martin 1995 Censorship Prevails: Political Deadlock and Economic Transition in Burma. London: Article 19. http://www.article19.org/data/files/pdfs/publications/ burma-censorship-prevails.pdf Yadana Htun 2012 Films beat ban rumours to take honours . Myanmar Times. Vol. 31, No. 609. http://www.mmtimes. com/index.php/national-news/yangon/1301-films-beat-ban- rumours-to-take-honours.html The Lady The Lady အဒအခနးမြတ Ban that Scene!!! You Tube Rambo 退မြနြာနရပအစညးအရး။ ၂၀၀၄။ မြနြာရပသြးစဉရတကာလ၊ မြနြာနရပအစညးအရး။ ၉၂၀ ၁၉၄၅ရနကHumayun Ahmed シネコンにベンガルムスリム南出和余 【バングラデシュ】

shin As ベンガルムスリム - Jcas.jp2013/02/28  · 337 映画に見るアジアのナシナリテの 揺ら 336 う。涙を誘う、いかにも「ベンガルらしい」文学作品といえよ情緒が入り混じり、最後には子どもへの同情から観る者のる。自然が織りなす文化と、生々しい人間の欲望と豊かな

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  • 335 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ 334

    生活をしている人々と交わることは、過去を再構成するのに

    必要な想像力を培わせてくれると考えています。

    ⑨所属学会……東南アジア学会、華僑華人学会。

    ⑩研究上の画期……つねにゆるやかに考えは変化しています

    が、大きな画期と言えるようなことはまだ経験していません。

    ⑪推薦図書……アミタヴ・ゴーシュ著『ガラスの宮殿』(小沢

    自然・小野正嗣訳、新潮社、二〇〇七年)。

    ⑫推薦する映画作品……『イル・ポスティーノ』(原題『Il

    Postino

    』、マイケル・ラドフォード監督、一九九四年、イタ

    リア、フランス、ベルギー)。

    ◉参考文献

    Pitman, T

    odd

    (2012

    )�Burm

    a Com

    edy Shows C

    hanging Censorship Rules

    �. Irrawaddy M

    agazine

    (Online

    )on May 2,

    2012. http://ww

    w.irraw

    addy.org/archives/3419

    (二〇一二年

    一二月二日)

    Smith, M

    artin(1995

    )Censorship Prevails: Political Deadlock

    and Econom

    ic Transition in B

    urma. London: A

    rticle 19. http://w

    ww

    .article19.org/data/files/pdfs/publications/burm

    a-censorship-prevails.pdf

    (二〇一二年一二月二日)

    Yadana H

    tun

    (2012

    )�Films beat ban rum

    ours to take honours

    �. M

    yanmar T

    imes. V

    ol. 31, No. 609. http://w

    ww

    .mm

    times.

    com/index.php/national-new

    s/yangon/1301-films-beat-ban-

    rumours-to-take-honours.htm

    l

    (二〇一二年一二月二日)

    ミャンマー映画協会(二〇〇四)『ミャンマー映画史:銀の時

    代一九二〇〜一九四五』ヤンゴン:ミャンマー映画協会。

    馬場公彦(二〇〇四)『『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史』法政

    大学出版局。

    原田正美(一九九七)「伝統芸能、映画、現代音楽――大衆文

    化」田村克己・根本敬編『ビルマ』(暮らしのわかるアジア

    読本)河出書房新社、二三二―二三九頁。

    レ・レ・ウィン(二〇〇三)「表現の奪還:植民地政権・軍事

    政権下のミャンマー映画」『表象文化論研究』第二巻、四四

    ―五九頁。

    映画リスト

    『The Lady

    アウンサンスーチー 

    ひき裂かれた愛』……①T

    he Lady

    、②リュック・ベッソン、③二〇一一年、④フランス、

    イギリス、⑤英語、ミャンマー語、⑥劇場公開(二〇一二)。

    『そのシーン、カット!』……①

    初校一一〇頁下段、参考文献

    ミャンマー映画協会(2004

    『ミャンマー映画史:銀の

    時代一九二〇~

    一九四五』ヤンゴン:

    ミャンマー映画協会

    の原語表記

    原語表記

    မြန်ြာနိုင်ငံရုပ်ရငှ်အစည်

    းအရုံး။

    ၂၀၀၄။ မြန်ြာ့ရုပ်ရငှ်သ

    ြိုင်းစဉ်၊ ငငွေရတ

    ုကာလ

    ၊ ၁၉၂၀−

    ၁၉၄၅။ ရန်ကု

    န်၊

    မြန်ြာနိုင်ငံရုပ်ရငှ်အစည်

    းအရုံး။

    翻字表記

    Myanm

    a Nainngan You’shin As îay

    ôun. 2004. Myanm

    a You’shin Thamâinz în: N

    gwei Yadù Kal à, 1920-1945 . Yangoun: M

    yanma N

    ainngan You’shin As îayôun

    (ミャンマー

    語).

    初校一一一頁上段、映画リスト

    『そのシーン、カット』原題

    原語表記

    အဲဒီ့အ

    ခန်းမြတ်

    翻字表記

    Ê Dì Ahkân H

    pya’

    (ミャンマー語)

    /Ban that Scene!!!

    ②トゥンゾォウィン(ウィン)、③二〇一一年、④ミャン

    マー、⑤ミャンマー語、⑥Y

    ou Tube

    (二〇一一)。

    『ビルマの竪琴』……①ビルマの竪琴、②市川崑、③一九五六

    年、④日本、⑤日本語、⑥劇場公開(一九五六)。

    『ビルマの竪琴』……①ビルマの竪琴、②市川崑、③一九八五

    年、④日本、⑤日本語、⑥劇場公開(一九八五)。

    『ランボー/最後の戦場』……①Ram

    bo

    、②シルベスター・スタ

    ローン、③二〇〇八年、④アメリカ、ドイツ、⑤英語、ミャ

    ンマー語、タイ語、⑥劇場公開(二〇〇八)。

    著者紹介

    ①氏名……長田紀之(おさだ・のりゆき)。

    ②所属・職名……慶應義塾大学文学部非常勤講師。

    ③生年・出身地……一九八〇年、東京都。

    ④専門分野・地域……ミャンマー近代史。

    ⑤学歴……東京大学大学院人文社会系研究科(アジア文化研究

    専攻)単位取得退学。

    ⑦現地滞在経験……ミャンマーのヤンゴン外国語大学に留学

    (二七〜二八歳)。

    ⑧研究手法……基本的には文献を主に用いた歴史研究を行って

    います。しかし、今ある風景を見ることや、現にその場所で

    初校一一〇頁下段、参考文献

    ミャンマー映画協会(2004

    『ミャンマー映画史:銀の

    時代一九二〇~

    一九四五』ヤンゴン: ミャンマー映画協会

    の原語表記

    原語表記

    မြန်ြာနိုင်ငံရုပ်ရငှ်အစည်

    းအရုံး။

    ၂၀၀၄။ မြန်ြာ့ရုပ်ရငှ်သ

    ြိုင်းစဉ်၊ ငငွေရတ

    ုကာလ

    ၊ ၁၉၂၀−

    ၁၉၄၅။ ရန်ကု

    န်၊

    မြန်ြာနိုင်ငံရုပ်ရငှ်အစည်

    းအရုံး။

    翻字表記

    Myanm

    a Nainngan You’shin As îay

    ôun. 2004. Myanm

    a You’shin Thamâinz în: N

    gwei Yadù Kal à, 1920-1945 . Yangoun: M

    yanma N

    ainngan You’shin As îayôun

    (ミャンマー

    語).

    初校一一一頁上段、映画リスト

    『そのシーン、カット』原題

    原語表記

    အဲဒီ့အ

    ခန်းမြတ်

    翻字表記

    Ê Dì Ahkân H

    pya’

    (ミャンマー語)

    初校一一〇頁下段、参考文献

    ミャンマー映画協会(2004

    『ミャンマー映画史:銀の

    時代一九二〇~一九四五』ヤンゴン:

    ミャンマー映画協会

    の原語表記

    原語表記

    မြန်ြာနိုင်ငံရုပ်ရငှ်အစည်

    းအရုံး။

    ၂၀၀၄။ မြန်ြာ့ရုပ်ရငှ်သ

    ြိုင်းစဉ်၊ ငငွေရတ

    ုကာလ

    ၊ ၁၉၂၀−

    ၁၉၄၅။ ရန်ကု

    န်၊

    မြန်ြာနိုင်ငံရုပ်ရငှ်အစည်

    းအရုံး။

    翻字表記

    Myanm

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    ôun. 2004. Myanm

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    (ミャンマー

    語).

    初校一一一頁上段、映画リスト

    『そのシーン、カット』原題

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    ခန်းမြတ်

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    Ê Dì Ahkân H

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    (ミャンマー語)

    初校一一〇頁下段、参考文献

    ミャンマー映画協会(2004

    『ミャンマー映画史:銀の

    時代一九二〇~

    一九四五』ヤンゴン:

    ミャンマー映画協会

    の原語表記

    原語表記

    မြန်ြာနိုင်ငံရုပ်ရငှ်အစည်

    းအရုံး။

    ၂၀၀၄။ မြန်ြာ့ရုပ်ရငှ်သ

    ြိုင်းစဉ်၊ ငငွေရတ

    ုကာလ

    ၊ ၁၉၂၀−

    ၁၉၄၅။ ရန်ကု

    န်၊

    မြန်ြာနိုင်ငံရုပ်ရငှ်အစည်

    းအရုံး။

    翻字表記

    Myanm

    a Nainngan You’shin As îay

    ôun. 2004. Myanm

    a You’shin Thamâinz în: N

    gwei Yadù Kal à, 1920-1945 . Yangoun: M

    yanma N

    ainngan You’shin As îayôun

    (ミャンマー

    語).

    初校一一一頁上段、映画リスト

    『そのシーン、カット』原題

    原語表記

    အဲဒီ့အ

    ခန်းမြတ်

    翻字表記

    Ê Dì Ahkân H

    pya’

    (ミャンマー語)

    二〇一二年九月、バングラデシュの首都ダッカの中心部

    にあるシネマコンプレックス(以下、シネコン)で、バン

    グラデシュを代表する作家であり映画監督のフマユン・ア

    フメッド(H

    umayun A

    hmed

    、一九四八―二〇一二)の遺

    作『逸楽の少年 

    コモラ』が上映された。この作品は、領

    主ジョミンダールが、雨季で農作業ができない数か月の暇

    つぶしに、まだ一〇歳にも満たない男児が女装して踊る楽

    団を家に抱え込むという古い文化を題材に、そこで起こる

    悲劇を描いたものである。アフメッド自身の原作映画であ

    シネコンに集う「ベンガルムスリム」

    南出和余

    【バングラデシュ】

  • 337 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ 336

    る。自然が織りなす文化と、生々しい人間の欲望と豊かな

    情緒が入り混じり、最後には子どもへの同情から観る者の

    涙を誘う、いかにも「ベンガルらしい」文学作品といえよ

    う。バ

    ングラデシュ唯一のシネコンであるこの映画館は、三

    つのスクリーンを有しており、いつも満席だ。三つのスク

    リーンのうちの一つは常にバングラデシュ映画を上映して

    いて、残りの二つではハリウッド映画を中心に外国映画が

    上映されている。ショッピングモール(ボションドラシ

    ティ)の八階にある映画館の入り口にはポップコーンや

    ホットドック、ソフトドリンクが売られていて、日本のシ

    ネコンと何ら変わらない。出たところにはフードコートも

    完備されていて、映画の前後に食事をする家族連れやカッ

    プルも少なくない。

    このダッカのシネコンをめぐる状況は、現代のバングラ

    デシュのミドルクラスの急成長を如実に示している。本稿

    では、バングラデシュの現在を代表するアート系映画監督

    を概観しながら、バングラデシュにおける「映画文化」の

    変容について考えてみたい。

    「ベンガルムスリム」アイデンティティと映画

    冒頭で紹介したフマユン・アフメッドは、映画監督であ

    ると同時に作家でありシナリオライターでもあり、ラビー

    ンドロナート・タゴール(Rabindranath T

    agore

    )やカジ・

    ノズルル・イスラム(K

    azi Nazrul Islam

    )といったベンガ

    ルを代表する作家に次ぐベンガル文学の巨匠と称され、イ

    ンド西ベンガルが中心とされがちなベンガル文化を東ベン

    ガル(現バングラデシュ)から国内外に発信した、バング

    ラデシュが誇る作家である。アフメッド作品には、自然が

    織りなす文化や人間味の他に、おばけや呪術など超自然的

    な力も登場する。彼の小説やテレビドラマは、後述する娯

    楽映画とアート系映画の隔たりを超えて、都市でも農村で

    も人気があり、さらに「ヒンドゥー文化を内包するイス

    ラーム文化」とでも呼ぶべきベンガルムスリムの豊かさを

    描き出している。残念なことに、アフメッド監督は二〇一

    二年七月、病のため滞在先のニューヨークで亡くなった。

    バングラデシュ映画界では最近不幸が続いている。アフ

    メッド監督死去の一年前、二〇一一年八月には、バングラ

    デシュを代表するもう一人の映画監督タレク・マスゥド

    (Tareque M

    asud

    、一九五六―二〇一一)が交通事故で亡く

    なっている。マスゥド監督の代表作『マティル 

    モイナ』

    は、二〇〇二年カンヌ映画祭で批評家連盟賞を受賞した、

    バングラデシュ映画史上、最高受賞作品である。東パキス

    タン(現バングラデシュ)が政情不安定であった一九六〇

    年代から一九七一年の独立直前のバングラデシュ農村を舞

    台に、マドラサ(イスラーム学校)に通う男児オヌの目線

    を通して、イスラームの教えや社会情勢、そのなかで「生

    きる道」を問うた傑作である。この映画は数々の国際映画

    祭で上映されながら、イスラームを批判的に描いている側

    面があるとされ、バングラデシュ国内では当時政権与党連

    合を組んでいたバングラデシュイスラーム協会などから上

    映を制限された。

    独立戦争は、バングラデシュのアート系映画の主要テー

    マである。マスゥド監督以外にも、モルシェドゥル・イス

    ラム監督(M

    orshedul Islam

    、一九五八―)やタンヴィル・

    モカメル監督(T

    anvir Mokam

    mel

    、一九五五―)もまた、

    数々の独立戦争の記憶を描いている。イスラム監督作品の

    多くはアジアフォーカス・福岡国際映画祭で上映されてお

    り、今年(二〇一二年九月)の同映画祭で上映された『わ

    が友ラシェド』は、一三、四歳の少年たちが独立戦争をど

    のように見て、いかに関わったかを描いている。

    タレク・マスゥド、モルシェドゥル・イスラム、タン

    ヴィル・モカメル各監督の作品に共通する視点として、ザ

    キルは、「ベンガル」と「イスラーム」の二分化と、さら

    に「ベンガルムスリム」としてのアイデンティティの強調

    を指摘する(Zakir 2008

    )。まさにバングラデシュの歴史そ

    のものがそうであるように、ムスリムとしてのヒンドゥー

    との差異化、ベンガルとしてのパキスタンとの差異化が合

    わさったところに「ベンガルムスリム」のアイデンティ

    ティが示される。マスゥド監督の『マティル 

    モイナ』に

    描かれるマドラサは、イスラームの教えを決して否定する

    わけではなく、生きることを救う道は何かを問おうとして

    いる(写真)。また、モカメル監督作品『ラロン』は、ムス

    リムでもヒンドゥーでもない「バウル」文化を伝えるラロ

    ン・フォキルの生涯を描く。ザキルはこの三人の映画監督

    を「文化モダニスト」(Cultural M

    odernists

    )と呼び、バン

    グラデシュの「現代国家文化アイデンティティ」の発展に

    寄与していると述べる(Zakir 2008

    )。

    三人の監督はみな一九五〇年代後半の生まれで、年齢を

    写真『マティル モイナ』の1シーン

  • 339 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ 338

    ほぼ同じくする。一九七一年の独立戦争当時、彼らは一

    四、五歳で、『マティル 

    モイナ』にしても『わが友ラ

    シェド』にしても、独立戦争を少年の視点から描いている

    のは、まさに、監督たち自身が経験した世界そのものなの

    である。イスラム監督は、『わが友ラシェド』を制作する

    にあたって、自らが目にして経験した戦争を描きたかった

    と語る*1。イスラム監督が映画制作に従事するようになった

    動機そのものが、バングラデシュの独立を語り継ぐことに

    あったという。

    シネコン人気と地方映画館の減少

    アート系映画を中心としたシネコン人気とは裏腹に、バ

    ングラデシュ全体の年間映画制作数は減少傾向にある。五、

    六年前には年間一〇〇本程度であったが、現在は三〇から

    四〇本程度だという。本稿で紹介してきたようなアート系

    映画をバングラデシュの人びとは「国際映画」(International

    Cinema

    )と呼び、それ以外の商業娯楽映画(通称「バング

    ラ映画(Bangla Cinem

    a

    )」)と区別する。バングラ映画には、

    ヒーローと悪役がはっきりと示されるアクション系や、家

    族のいざこざと絆を描いた人情系の映画が多い。映画全体

    に占める割合としてはバングラ映画の方が多いが、そのバ

    ングラ映画が今減っている。

    映画制作減少の背景には映画館の減少がある。著しい経

    済成長とインフレにあるバングラデシュでは、ダッカだけ

    でなく地方都市にもショッピングモールが急増している。

    映画館はそうした商業施設に建て替えられる。ショッピン

    グモールの急増は、消費活動の活性化と女性の社会進出を

    示す。そもそもダッカでも地方都市でも、冒頭に紹介した

    シネコン以外の映画館に女性が足を運ぶことはほとんどな

    い。筆者が見学のために映画館に行こうとしても、周囲の

    人びとから反対され、未だ足を運んだことがない。通常の

    映画館は音響システムも悪く、痴漢も多くて女性が行くべ

    きところではないという。ダッカのシネコン以外で女性が

    映画を見る機会は、図書館や文化館など公共施設の「オウ

    ディトリウム」で上映される場合か、テレビ放映やDVD

    である。

    さらに、南アジアに位置するバングラデシュにとって、

    映画大国である隣国インドの存在を無視することはできな

    い。映画館や公共施設での映画の商業上映は、両国政府間

    協議によって互いに禁止されている。にもかかわらず、テ

    レビの普及にともなってケーブル回線やDVDでバングラ

    デシュの人びとがインド映画を観る機会は急増している。

    とくに、インド西ベンガルで生産される「コルカタバング

    ラ映画」(K

    olkata Bangla Cinema

    )は、言語を同じくする

    ことから人気が高く、農村でもDVDが出回っている。ア

    クション系の多いバングラ映画に比べて物語性の強いコル

    カタバングラ映画は、村人たちの間でも「良質」とされ好

    まれる。これに加えて、近年、インドのケーブルテレビを

    受信するようになると、ヒンディー映画を観る機会も増

    し、若い世代を中心に人気を博している。ボリウッド映画

    によるヒーロー像はバングラデシュの人びとにも少なから

    ず影響を与え、バングラ映画の人気がなくなりつつある原

    因にもなっている。

    インド映画の影響をバングラデシュの映画監督たちはど

    のように見ているのだろうか。前述のイスラム監督によれ

    ば、近年、インド映画の人気が高まるにつれて、また映画

    館復興のために、映画館でインド映画を上映することの是

    非が議論されているという。しかし、映画監督の大半はこ

    れに反対であり、その理由は、バングラデシュ映画衰退の

    危惧だけでなく、ベンガル語の衰退への危惧がある。現

    在、ケーブルテレビでヒンディー映画や日本アニメのヒン

    ディー語吹き替え版等を好んで観る子どもたち、さらに英

    語教育指向にあるミドルクラスの子どもたちの、ベンガル

    語能力の衰退が危惧されているのである。イスラム監督を

    はじめとする映画監督たちの映画への思いが国家アイデン

    ティティにあり、さらにベンガル語が独立の旗印であった

    ことを考えれば、ヒンディー映画の文化への影響を危惧す

    ることも理解できよう。しかし、言語という点において

    は、コルカタバングラ映画に限って公共上映を開放しても

    よいのではないかとイスラム監督は語る。

    このように、バングラデシュの人びとは、「バングラ映

    画(商業娯楽映画)」「国際映画(バングラデシュアート系

    映画)」「コルカタバングラ映画(インド西ベンガル映画)」

    と区別する。農村の人びとがどれを好むかといえば、筆者

    が農村の一家庭に滞在してフィールドワークをしてきた経

    験からは、商業娯楽映画かコルカタバングラ映画が多く、

    意外にもアート系映画の人気は限られる。フマユン・アフ

    メッド監督のテレビドラマは農村でも人気が高いにもかか

    わらず、アート系映画はなぜ受け入れられないのか。村の

    人びとは、「モルシェドゥル・イスラムの映画は観ていて

    辛い」という。社会のリアリティや苦悩を描き、娯楽映画

    のようなハッピーエンドとはいかず、ときに悲劇で終わる

    映画は、そのリアリティが人びとには辛いのだという。

    ザキルは、前述のバングラデシュを代表する三人の映画

    監督たちを「視点が西欧化されたモダニスト」と指摘する

    が、その意図は、彼らがバングラデシュという国家や社会

    を客観的に描く視点を有しているからである(Zakir

    2008

    )。しかし、外国人である筆者は、彼らの映画は単に

    客観的であるだけでなく、「内側の自覚」が含まれてお

    り、そこにバングラデシュという大地と人びとが発する強

    いメッセージがあるように見ている。

  • 341 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ 340

    娯楽大衆映画から教養映画へ

    以上、本稿では、アート系映画を中心にバングラデシュ

    映画の現状を概観しながら、作り手と視聴者の双方がもた

    らす「映画文化」の変容について検討してきた。商業娯楽

    映画の詳細については言及できなかったが、筆者の知識が

    及んでいないところであり、今後の課題としたい。また、

    ドキュメンタリー映画については紙面の制限上、別の機会

    を待つ。

    アート系映画は、農村では未だ受容に限界があることも

    事実であるが、ダッカのシネコンではいつも満席になる人

    気である。さらに、映画館が衰退するなかで、ダッカだけ

    でなく地方都市においても公共施設のオウディトリウムで

    アート系映画が上映される機会は増えつつあり、そうした

    映画上映会には多くの人が集まる。そこに来る観客は、い

    わゆる近代高等教育を受けたミドルクラスである。教育に

    よって人びとは、自らの社会を批判的に概観する目を養

    う。ここに紹介した映画監督たちはみなダッカ大学を卒業

    し、基本的にバングラデシュに腰を下ろして映画制作に取

    り組んでいる。国と社会を愛し、そこで生きる人びとのリ

    アリティを描く。その姿勢は、ドキュメンタリーでも劇映

    画でも変わらない。だからこそ、そのリアリティを突きつ

    けられる人びとの心を「辛すぎる」と思わせるほどに動か

    す。彼らのアート系映画の浸透は、すでに一部に見られる

    ように、教育の浸透とミドルクラスによる映画文化の再解

    釈にかかっているのかもしれない。次なる課題は、バング

    ラデシュの大地と社会に深く根ざす彼らの映画が海外で、

    バングラデシュを知らない者たちにも広く受け入れられる

    ようになるために、彼らの映画がもつ「自覚」が人間社会

    に普遍的なテーマとして発せられるかという点にかかって

    いるといえよう。

    ◉注

    筆者による監督へのインタビューより(二〇一二年八

    月、ダッカにて)。現地インタビューおよび映像資料収集に

    おいては、二〇一二年度桃山学院大学特定個人研究費による

    援助を受けた。

    ◉参考文献

    Zakir Hossain Raju

    (2008

    )�Madrasa and Muslim

    Identity on Screen: N

    ation, Islam and Bangladeshi A

    rt Cinema on the

    Global Stage

    �. Jamal M

    alik

    (ed.

    ), Madrasas in South A

    sia: T

    eaching Terror. London: Routledge, pp. 125-141.

    映画リスト

    『逸楽の少年コモラ』……①

    /Pleasure Boy Komola

    ②フマユン・アフメッド、③二〇一二年、④バングラデシュ、

    ⑤ベンガル語、⑥未公開。

    『マティル モイナ』……①

    〔泥の鳥〕/The Clay Bird

    ②タレク・マスゥド、③二〇〇二年、④バングラデシュ、⑤

    ベンガル語、⑥輸入DVD販売。

    『ラロン』……①

    /Lalon

    、②タンヴィル・モカメル、③二

    〇〇四年、④バングラデシュ、⑤ベンガル語、⑥アジアフォー

    カス・福岡国際映画祭(二〇〇九)。

    『わが友ラシェド』……①

    /My Friend Rashed

    ②モルシェドゥル・イスラム、③二〇一一年、④バングラデ

    シュ、⑤ベンガル語、⑥アジアフォーカス・福岡国際映画祭

    (二〇一二)。

    著者紹介

    ①氏名……南出和余(みなみで・かずよ)。

    ②所属・職名……桃山学院大学国際教養学部・講師。

    ③生年・出身地……一九七五年、大阪府。

    ④専門分野・地域……文化人類学・バングラデシュ。

    ⑤学歴……神戸女学院大学文学部英文学科卒、総合研究大学院

    大学文化科学研究科博士後期課程修了。

    ⑥職歴……日本学術振興会特別研究員(受入機関:京都大学地

    域研究統合情報センター)を経て、二〇一〇年から桃山学院

    大学国際教養学部講師(現職)。

    ⑦現地滞在経験……二〇〇〇年(一〇か月)、二〇〇三〜二〇

    〇四年(計一年)、二〇〇八年〜二〇〇九年(六か月)、バン

    グラデシュ農村でフィールドワーク(ダッカ大学人類学部受

    入)。二〇〇九年(四か月)、米国ニューヨーク大学人類学部

    にてResearch Fellow

    として映像人類学を研究。

    ⑧研究手法……フィールドワーク(参与観察)および映像制作。

    ⑨所属学会……日本文化人類学会、日本南アジア学会、日本子

    ども社会学会など。

    ⑩研究上の画期……一九九〇年タイのジョムティエンで開催さ

    れた「Education For A

    ll

    (万人のための教育)世界会議」に

    よって、開発教育への機運が一機に高まり、ことにバングラ

    デシュNGOによるノンフォーマル教育普及活動が注目を集

    めた。一九七一年の独立以来、バングラデシュが抱える貧

    困・開発の問題は当該地域研究の主要課題であるだけでな

    く、国際開発全体の側から見てもバングラデシュは主要地域

    とされる。ノンフォーマル教育やマイクロクレジットの取り

    組みはその関心をさらに助長し、研究と実践の融合(実践型

    地域研究)モデルとなっている。しかし、この関心が強すぎ

    るあまりに当該地域の固有の文化的側面への関心が脇に追い

    やられがちなのは残念である。

    ⑪推薦図書……W

    illis, Paul, 1977 Learning to Labor: How W

    orking Class K

    ids Get W

    orking Class Jobs, Columbia U

    P.

    (熊沢誠・

    山田潤訳)、『ハマータウンの野郎ども』(筑摩書房、一九九

    六年)。

    ⑫推薦する映画作品……『プロミス』(原題『Prom

    ises

    』、ジャス

    ティーン・シャピロ、B.Z.ゴールドバーグ監督、二〇〇

    一年、アメリカ)。