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Studies on the Illustrations by Genjiro Yeto in KOTTÔ and Hokusai-Manga Saori Kiramura Abstract: The purpose of this study is to examine the relationship between the illustrations and the text in the first edition (1902) of KOTTÔ by Lafcadio Hearn. The illustrator was a Japanese painter, Genjiro Yeto, who had once stayed in the Cos Cob Art Colony, a colony of American artists in Cos Cob, a section of Greenwich, Connecticut. He studies there the Western style of oil painting, and let them know the Japanese art and culture. In this paper, I pointed out that most of his illustrations in KOTTÔ were more or less based on “ Hokusai-Manga ” by Katsushika Hokusai, a great ukiyoe painter in Edo period. The relationship between the text and the illustrations in KOTTÔ is far more complex than expected. It would also make it possible to read both the text and the illustration more interculturally and multilaterally. This paper is partly based on my previous studyHearn and Hokusai; An intercultural exchange in illustrations", Hearn, vol.49, Yakumo Society, 2012, and will be a major part of my master thesis I am going to submit to Kobe University in January 2013. Key words: Lafcadio Hearn, KOTTÔ, Genjiro Yeto, illustration, Hokusai-Manga.

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Studies on the Illustrations by Genjiro Yeto in KOTTÔ and Hokusai-Manga

Saori Kiramura

Abstract: The purpose of this study is to examine the relationship between the

illustrations and the text in the first edition (1902) of KOTTÔ by Lafcadio Hearn.

The illustrator was a Japanese painter, Genjiro Yeto, who had once stayed in the Cos

Cob Art Colony, a colony of American artists in Cos Cob, a section of Greenwich,

Connecticut. He studies there the Western style of oil painting, and let them know

the Japanese art and culture.

In this paper, I pointed out that most of his illustrations in KOTTÔ were more or

less based on “ Hokusai-Manga ” by Katsushika Hokusai, a great ukiyoe painter in

Edo period. The relationship between the text and the illustrations in KOTTÔ is far

more complex than expected. It would also make it possible to read both the text

and the illustration more interculturally and multilaterally.

This paper is partly based on my previous study“Hearn and Hokusai; An intercultural

exchange in illustrations", Hearn, vol.49, Yakumo Society, 2012, and will be a major

part of my master thesis I am going to submit to Kobe University in January 2013.

Key words: Lafcadio Hearn, KOTTÔ, Genjiro Yeto, illustration, Hokusai-Manga.

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1

本論では、明治三五年(

一九〇二)

年に刊行されたラフカディオ・ハーンの『骨董(KOTTÔ)

』に所収された作品について、ハーンのテクスト

とそれに添えられた挿絵の関係性について考察していくことが目的である。『骨董』の挿絵は、片岡源次郎という一人の日本人画家によって

描かれた。さらに、その絵が文化文政期に活躍した浮世絵の大家――葛飾北斎の『北斎漫画』を引用しているという事実が分かった。本論

は、これまで特に分析の対象にはならなかった『骨董』の初版に添えられた挿絵について、『北斎漫画』の引用の事実関係を例証すると共に、

挿絵とテクストを考察することで見えてくる「日本」の表象及び物語世界について読み直すことを試みる。そして、分析によって見えてき

たと絵と文字、イメージとテクストの間における表象の特徴を論じる。

挿絵と『北斎漫画』の関係については、すでに拙稿「ハーンと北斎――挿絵が繋いだ異文化交流」(

『へるん』四九号

八雲会

二〇一二

年六月)

で論じた。ただ、ここでは字数の関係で挿絵が『北斎漫画』を下地に描かれているという事実関係の指摘に留めた。本論はその続き

として、新たに挿絵と北斎絵の彼我照応と挿絵とテクストの分析を加えたものである。なお、今後はここから浮かびあがる問題、つまりテ

クストに対する絵の問題と、この引用が示す当時のジャポニズムの文脈における考察を加えたものを、平成二五年一月十七日提出予定の修

了レポートで論じるつもりである。

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ラフカディオ・

ハーン『骨董』と『北斎漫画』

――挿絵という、もうひとつの文化表象を読む――

北村

沙緒里

(

平成二四年十一月七日提出)

ラフカディオ・

ハーンは明治二三(

一八九〇)

年に横浜に来日した。松江、熊本、神戸、東京と、十四年間に渡る日本生活において、日本研

究及び作家としての創作活動を行った。日本に帰化後は小泉八雲と名乗り、一九〇四年にその生涯を終えた。日本についての作品を多く残

したが、本論では明治三五(

一九〇二)

年刊行の『骨董(KOTTÔ)

』を取り上げ、ハーンのテクストとそれに添えられた挿絵との関係性について

考察していく。

ハーンの作品の中で、テクストと挿絵の関係性が密接にあるのは、この『骨董』である。絵画的芸術性の高さから言えば、明治時代の出

版業にその名を残した、長谷川武次郎の弘文社から出版された「ちりめん本」五冊一

であるが、そもそも「ちりめん本」とは「クレープ状

の和紙に美しい挿絵と欧文の物語を印刷した小型和綴本二

」のことであるから、挿絵の存在感が『骨董』よりも勝るのは当然のことである。

絵画性の高いこの作品についても、文字作品と挿絵との関係性から見ていくのも興味深いが、その出版と販売形態からいえば、外国人に向

けたお土産物であり、『骨董』のような作品集ではない。したがって、ハーン作品の中で各篇に挿絵が添えられている例はこの『骨董』以外

にない。つまり、初版で全篇に挿絵が描かれているのは『骨董』だけということになるが、果たしてこれが『怪談(Kwaidan)

』を始めとする

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他の作品と『骨董』との間にどのような違いをもたらしているのだろうか。刊行当時すでに帝国大学文科大学講師を務め、多くの作品を世

に出し、社会的にもその地位と名声を手にしていたハーンが書いたテクストと、一方でその名が日本で知られることなどなかった一人の日

本人画家が書いた挿絵が、一体この『骨董』という作品の中でどのように共鳴し、或いは反発しあっているのだろうか。

本論の目的は以上の点である。本論は、この疑問から出発して、『骨董』に見られる新たな「日本」の表象を、テクストとイメージ(

挿絵)

の相関的な関係に求め、従来作品から切り離されてきた絵画としてのもう一つの物語――無名の画家が描いた別の文化表象――を読み直そ

うとするものである。

(一)

画家「YETO

GENJIRO

『骨董』は明治三五年にニューヨークのマクミラン社(Macmillan)

から出版された。ハーンが帝国大講師を務めていた時期である。

鳳凰の装飾絵が施された表紙を開くと、「KOTTÔ」と題字が書かれた口絵と各作品に一枚ずつ添えられている全ページ絵の挿絵がある。描

かれる画題は伝統的な読本に添えられる浮世絵版画のようなのに、その中にどこか西洋の近代画法も感じられる不思議な絵である。それが

ハーンの怪奇な異国趣味と奇妙な調和をかもしだしているようでもある。

銘に記されている「G.YETO

」という人物は、慶応三(

一八六七)年佐賀県西松浦郡有田に生まれた。本名を片岡源次郎という三

。源次郎は

明治二二年、二二歳の時に渡米し、アメリカのコネチカット州グリニッジにあるコスコブ・

アートコロニーで絵の勉強をする傍ら、当時ヨー

ロッパから遅れてやってきたアメリカにおけるジャポニズムの流行を体験し、源次郎自身が日本文化の発信者となった(

二六頁に肖像写真掲

載)

。アメリカ時代の源次郎について詳しいのが、フィラデルフィア美術館学芸員のスーザン・

ラーキンの論考である。彼女によれば、源次

郎がアート・

コロニーの中心人物であるトゥウォックマンに師事する一方で、当時のコスコブの印象画家たちは浮世絵を代表とするジャポニ

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ズムを熱烈に享受し、日本画の技法に多く影響を受けていた。

江藤はトゥウォックマンを崇敬していました。皮肉な影響関係だけれども、彼は先生(

トゥウォックマン)

をまねる一方で、その様式と

いうのは日本美術に多くを借りたものでした。一九世紀末にヨーロッパ・

アメリカに広まったジャポニズムを熱狂的に共有していたコスコ

ブ・

アート・

コロニーは、江藤を西欧が長く称賛してきた日本文化の体現者として迎え入れたのでした四

当時のアメリカにおける画壇の傾向に、如何に日本の芸術や文化が大きな位置を占めていたかが伺える。また、そのような創作環境の中

に、一人の日本人が参入していったことは大変興味深いが、源次郎が渡米した経緯については、確たる資料が見つかっていない。有田町歴

史民俗資料館の尾崎葉子氏によれば、片岡家は赤絵(

絵付け)

屋の仕事をしていたようで、源次郎も幼少期から絵を描く環境にいたことが分

かる五

。源次郎が渡米したのも、当初は家業の有田焼販売が目的であっただろうと言われている六

。数少ない源次郎の調査は、在米中の活動

についてはラーキンによってアート・

コロニー内の日米関係を論じる上で進められ、また、出生については尾崎氏の仕事によって知ることが

出来る。羽田美也子の『ジャポニズム小説の世界』にもジャポニズム小説の挿絵画家として紹介されている七

。しかし、活動の経緯や帰国

後についてはほとんどが不明のままである。

このような状況の中で、日本で確認できる源次郎の絵は、源次郎の孫にあたる個人所有の肉筆画数点である。これらは妻(

エン)

宛てに源

次郎がアメリカから送ったものである。それは、妻子を描いた油絵二点と花の水彩画十一点である。油絵の肖像画は、源次郎がアメリカで

本格的に学んだ洋画の成果を語る

[

図1]

。一方で、絵画というよりは、和紙の上に鉛筆でスケッチしたものに彩色した花の水彩は、有田陶

器に描くような伸びやかな筆線と淡い色彩で日本の花々が描かれている

[図2]

。渡米前の源次郎はこのように陶器に描くような一筆描きの

優美な線で、柄のモチーフになる草花を多く描いていたのかもしれない。残された作品が少ない中で、源次郎の絵画活動を知る貴重なもの

であり、遠く離れた家族に自分の安否を伝えるために宛てた、源次郎の心遣いが微笑ましい。

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(二)

『北斎漫画』の引用

源次郎の出生と周辺環境については以上でとどめておくが、この謎多き日本人の画家は、どのような経緯かは不明であるが、ハーンの『骨

董』の挿絵にその名を確認出来るのである。源次郎が渡米したのが明治二二年から四四年だとすると、『骨董』の挿絵は源次郎在米中の仕事

となる八

。先ほど筆者は、彼の挿絵を日本的な画題を西洋の近代的な絵画手法で描いているようだと述べたが、日本の読本を意識した挿絵

の性格が強いのもまた事実である。さらに、この読本的性質を追求していくと、源次郎の挿絵が実は広く海外にまでその名を知らしめた浮

世絵の大家――葛飾北斎の『北斎漫画』を引用しているという事実に行きつくのである九

。源次郎の絵が『北斎漫画』を下地に描かれてい

るという点は、拙稿「ハーンと北斎――挿絵が繋いだ異文化交流――」(

『へるん』四九号

八雲会

二〇一二年六月)

で既に論じたが、こ

こでは挿絵画家の紹介と引用の事実関係を指摘するにとどめた。したがって、本論ではこの引用関係の照合をもとに、挿絵の表象が作品の

中で如何に作用しているかという挿絵とテクストの分析を行う。テクストとは異なる絵の表象に『北斎漫画』の引用がどのように影響して

いるかを考察する。引用の形態は、大きく分けて左のように分類できる。

1

全体をそのまま『北斎漫画』から引き写し・

転用したもの〔◎〕

2

部分的に引用して組み合わせたもの〔○〕

3

構図やモチーフ等を参考にしたと推定できるもの〔△〕

右の分類によって、挿絵を『北斎漫画』と照合・

考証した結果をまとめたものが〔表1〕である。なお、表に記載の貢数は、北斎絵につい

ては永田生慈監修の『北斎漫画十

』、源次郎の絵については『KOTTÔ

』のリプリント版十一

の貢数を記載した。

『北斎漫画』は文化十一年に初編が刊行されてから、北斎の死後三十年の明治十一年に十五編を以って完結した。源次郎が『北斎漫画』

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のどの版をどこで入手したのかは分からない。故郷の有田において絵付け師たちが北斎の絵手本を使用していた時に源次郎も愛読していた

のか、あるいは、渡米後のアメリカでジャポニズムにおける『北斎漫画』の流行を知り、みずからも勉強の素材とするとともに、アメリカ

人画家へもお手本として勧めていたのかもしれない。今となっては挿絵と『北斎漫画』を見比べながら、推測をめぐらすしかない。

このように、源次郎と『北斎漫画』の出会いを具体的に論証できる資料はない。しかし、ハーンが北斎から受けた影響、或いは彼の北斎

を始めとする浮世絵芸術への傾倒があったことは、すでに先行研究で論じられている。

例えば、ハーンの美術論の形成を論じているものに高成玲子の論考十二

がある。高成は「日本美術における顔について」で浮世絵師の「暗

示力」と日本の絵が持つ「想像力」についてハーンが西洋の画家と日本の浮世絵師を比較して論じる点に、アリ・

ルナンの美術論の影響を受

けていることを指摘する。ルナンと言えば、サミュエル・

ビングの『芸術の日本』(

一八八八)

で『北斎漫画』についての論考をⅠとⅡにわた

って担当している十三

。高成はハーンがルナンのどの論文を指しているのかは特定できないとするが、ハーンが日本の絵の特質に「ムーブメ

ント」を挙げている点は、ルナンが「北斎《漫画》」で万物の「運動」に着目している点と共通すると述べる。

また、精神内科医の古谷博和は、『怪談』に登場する怪奇現象を神経内科的視点から分析すると、江戸時代において神経学的徴候のモデル

が物語化したものをハーンが忠実に採集していることを指摘する十四

。その中で、古谷は一種の体感幻覚から来る江戸期の妖怪観をしばしば

『北斎漫画』の挿絵から、ろくろ首や狢などのイメージを借りて参照している。しかし、ここでの北斎の引用は、いずれもハーンの作品に

直接的に影響があったというものではなく、ハーンが『怪談』で表現した怪奇的特質を探る手掛りに北斎を用いたに過ぎない。

ハーンの作品に具体的に北斎や広重などの浮世絵の影響を見ようとしたものには、永田雄次郎の論考十五

がある。永田は『仏領西インド諸

島の二年間(TwoYears

intheFrench

WestIndies)

』所収「ペレー山」に「富嶽百景」の記述があることから、来日前にすでにハーンは北

斎を知り、またその絵画的特質を来日後の著書で描く日本の中に見ることが出来ると指摘する。明治の終わりにも近い日本に降り立ったハ

ーンが、すでに失われていく旧日本の面影、美しい江戸の幻影を、作品の中で浮世絵の如く蘇らせている。永田はハーンが横浜に降り立っ

た時の印象記である『知られぬ日本の面影(Glimpses

ofUnfamiliar

Japan)

』所収「東洋の第一日(My

FirstDayintheOrient)

」を読ん

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で、ハーンの文章の中に『北斎漫画』に描かれた人物たちを見る。

一八一四年刊、「北斎漫画」初編を開いてみよう。赤ん坊を負い、下駄を履いた母親がいる。蓑、笠、草履の男たちが見える。これらの

人々が写実的に描かれた姿をハーンは、現実として日本で見たのに違いなかろう。その文章による表現もまた北斎の絵画に劣らず写実的

で生き生きとしている十六

このように、これまでの研究では、ハーンの作品に北斎を代表とする浮世絵や日本美術に対する彼の関心や影響が論じられてはきたが、

ハーンの作品そのものと北斎が結びつくことはなかった。まして、源次郎の挿絵がハーンのテクスト以上に検討されることもなく、前述し

たように、挿絵はテクストと切り離されて、専らテクストの分析が盛んに行われてきた。

そこで、今一度本論の目的を確認する必要がある。本論では、テクストと共に収められた挿絵を取り上げ、イメージをテクストの二次的

表象として評価するのではなく、両者の相関的な立場から読み直すことを目的としたい。そのためには、ここで、源次郎の挿絵が文化文政

期に活躍した浮世絵師・

葛飾北斎の『北斎漫画』を借りていることを明らかにしておく必要がある。なぜならば、これまでハーンと北斎の比

較検討が行われてきたにも拘わらず、この貸借の関係が見落とされてきたのは、テクストに対して二次的表象としての挿絵の評価の低さを

物語っている。今回挿絵と北斎の事実関係を例証することが、挿絵をテクストと相関的な立場から論じることで、新しいテクストの読みを

可能にする一助となれば幸いである。

(三)

描かれた手――「幽霊滝の伝説」

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「幽霊滝の伝説」(The

LegendofYurei-Daki)

は『文藝倶楽部』第七巻十一号に収録の「幽霊瀧」が下地となっている十七

。ハーン版の

大まかなあらすじは次の通りである。

ある日、麻取り場の女たちが夜な夜な幽霊話に興じていた。女たちはふざけて、近くの滝大明神に祀ってある賽銭箱を取ってきたらど

うだろうという老婆の提案にのる。夜に一人で滝へ行くなんて恐ろしい。けれども、それをやってのける者があるのならば、そいつには

今日こさえた麻は全てやろうじゃないか。そこに、名乗りを上げた一人の女、お勝は夜の滝へと我が子をおぶって一人滝へと向かう。お

勝は肝の据わった女である。お勝は滝大明神につくと迷わず賽銭箱に手を掛けようとした、その時。「おい!お勝」と滝の中から声がした。

さすがのお勝も恐ろしく感じ、賽銭箱をひったくり、麻取り場に続く道を急いで戻った。無事に麻取り場へ戻ったお勝は、仲間たちから

その勇気を称賛された。なんて勇敢なお勝さん。さあさあ、さぞ寒かったことでしょう、背中の坊やも寒かっただろうね、こんなに半纏

も濡れちまって。半纏を取ると、そこには首をもぎ取られた赤ん坊がいた。

ハーンの再話作品の中では、これは比較的原話に忠実に語り直されているほうで、登場人物やプロットの構成、結末も同じである。しか

し、そこにはハーン独自のエッセンスが散りばめられており、冒頭の変更が後に原話と再話の構成する要素に大きな歪みを生じさせている

が、その歪みこそが作家の意図である。その意図とは、加筆された教訓性と母性の提示だと筆者は考えるが、それについて原話と比較しな

がらテクストを見ていく。

まず、出だしの部分でも物語のニュアンスは異なる。原話では物語は「二歳になる子供」は滝に連れて行ってはならないという由来とし

語られるが、ハーンの再話では「滝大明神」に置かれる「賽銭箱にまつわる話」として話は始まる。また、再話はその滝が「幽霊滝」と呼

ばれる由縁は不明であり、幽霊の存在は不確かなままである。つまり、再話の冒頭が示唆するのは、物語の暗示的役割を担う「賽銭箱」を

どうすると何が起こるのか、という点である。次に、ハーンが原話と大きく変えているのが、「お勝」という名前である。原話では主人公の

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女の名前は語られず、「大工の女房」とだけある。固有の名前を与えることでより怪談的な恐怖の増長が加わるが、さらにここでは「おい、

お勝さん」と呼ぶ声の存在が原話と再話では大きく異なる。

Oi!O-Katsu-San!

suddenlycalled

awarning

voiceabove

thecrash

ofthewater.

O-Katsustood

motionless,

――stupefied

byterror.

Oi!O-Katsu-San!

againpealed

thevoice,

――thistime

withmore

ofmenace

initstone.

十八

原話では「ヲイおかっさん」と滝の中から聞こえる声に女房は恐怖して賽銭箱を抱えて帰る。この場面にハーンが「お勝つ」という名前

に加えて、「戒め(warning)

」と「威嚇(menace)

」のニュアンスを強調したのは、この滝に住まう神からの警告を物語に加えるためだと考え

られる。すると、原話の幽霊話にハーンが手を加えたことによって、作品は村人たちの信心によって集められた「賽銭箱」を盗もうとする

お勝に与えられた神の裁きの話として読むことが出来ないだろうか。ハーンの「お勝さん」は、麻(

金)

に取り憑かれた結果、我が子を悲惨

な形で亡くすという皮肉な母性像の象徴になっている。

「幽霊滝の伝説」の挿絵は、お勝が賽銭箱を抱えて逃げ帰る場面を描いている

[

図3]

。この挿絵では、源次郎は『北斎漫画』からの直接

的な引き写しは行っていない。影響が見られる点を指摘しておくと、子供を背負う女の姿

[

図4]

と石灯籠

[

図5]

の形を参考にしたと考

えられるくらいで、いずれも素材を借りてきて組み合わせたという程度である。この挿絵では、むしろハーンの物語世界をより視覚化しよ

うという臨場感が大切にされており、背景が細密に描かれ、他の作品の挿絵で見られるような空間描写の曖昧さが克服されている。お勝の

不安げな表情、風にざわめく木立、滝から伸びる手は、物語のそら恐ろしい情景をよく表しており、躍動的である。

この呼びかけの場面は、物語の最後にあたる子供の死よりもぞっとする、物語の怪談的主題の最も強い場面であると筆者は考えている。

それは、子供の頭がもぎ取られていたというのは確かに究極的に悲惨であるが、怪談としての力点はそこではなく、得体の知れない声が「お

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勝」と呼びかける怪奇現象の場面であり、ハーンが物語に与えた教訓性を最もよく表現した「冒涜」の場面なのである。その点を踏まえる

と、挿絵は作家の意図を適切に汲み取って場面選択がなされたと言える。

しかし、テクストと挿絵で大きく違うのは、テクストに明確に現れていない「声の主」の存在を挿絵では「手」によってイメージ化して

いる点である。子供を背負うお勝の後ろにはごうっと音が聞こえてきそうな滝がある。その流れの中に鋭い爪の大きな手が上からぬっと伸

びてきて、無防備に上を向いて眠る赤ん坊の頭をもぎ取ろうとしているところを源次郎は明確にイメージ化したのである。その功は怪談的

な不気味さと絵画的な迫力を挿絵に加えている点だが、一方で欠点は物語の臨場感を追求するあまりに作家の意図を超えた画家の解釈が介

入している点である。

先にも述べたように、再話は不義を働こうとするお勝に神(

滝大明神と推察される)

が一度思い止まらせるチャンスを与えたにも拘らず、

お勝はその静止を振り切った結果、神の加護を失ったという所により教訓性を与えていると読み取れる。滝の声の主は誰なのかという問い

を残すことで、この物語の不気味さや信仰の破綻の意味は強まるのだが、露骨に視覚化してしまった挿絵によってその物語に残された余白

というものが小さくなってしまっている。

今にも子供の頭に掛かりそうな鋭利な爪は、神の警告というよりはむしろ禍々しささえ感じる。この手はお勝の不義を制止しようとした

声の主とは別の、そこに棲みつく魔性の何かなのだろうか。それとも、時に神は凶暴な存在であるという意味なのだろうか。いずれにして

も、直接的な描写によって挿絵は独立の物語表現として完成されたが、テクストの意味生産の場を限定してしまっている。

(四)

怪談的要素の欠落――「茶碗の中」

「茶碗の中」(In

aCupofTea)

は『新著聞集』巻五第十奇怪篇「茶店の水碗若年の面を現す」を下地にしている。ハーンは物語を理由不

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明のまま未完に終わった日本の古い話を紹介するとして始める。冒頭では、暗闇に突き当たった時や断崖絶壁に立たされた時に感じる感情

的価値について論評し、物語の唐突な終わりと心許ない不足感を喩えている。

しかし、ハーンが未完だとする原話は、実際のところストーリーは完結していないが、文章の途中で途切れてしまったわけではなく、執

筆活動が中断したと断定できるわけでもない。むしろ、未完としたのはハーンが再話の過程で物語の結末を「誰かの頭にあったはずだが、

それは百年以上も前に塵と化してしまった」話に仕立て、結末を読者の想像に委ねた創作である。年号が天和四年から一年前の天和三年に

改められているくらいで、あらすじは、「幽霊滝の伝説」と同様に人物やあらすじに大きな変更はない。ハーン版の大まかなあらすじは次の

通りである。

中川佐渡守の家臣である関内は、新年の挨拶に赴く道中に立ち寄った茶屋で不思議な現象に遭遇する。湯のみ茶碗に口をつけようとす

るとその時、茶碗の中に美しい男の顔が浮かんでいた。驚いた関内は何度も茶碗を点検するが、茶碗に変わった所もないが、幾度もその

顔は現れた。その端正な男は慌てる関内を嘲るような笑みを浮かべている。関内は「騙されるものか」と意地になって映っている顔ごと

茶を一気に飲み干した。

その晩、当直だった関内の元になんと昼間の茶碗の中の男が現れた。かの者は式部平内と名乗り、昼間と同じく微笑み、けれど挑戦的

で侮辱的な視線を関内に向けた。怒った関内は「存ぜぬ」を通すが、「存ぜぬはずはない。今朝茶屋で手ひどい危害を加えたくせに」と訴

える式部平内を堪らず短刀で切りつけた。しかし、手応えはなく、式部平内は壁をすり抜けて消えた。

あくる晩、関内の元に三人の侍が訪ねてきた。男たちは式部平内が家臣の松岡文五、土橋文五、岡村平六という。「主人、加えられた危

害に対し必ずや然るべく報復いたす」と敵討ちの予告をしに来た彼らにまたも関内は刀で切りかかった。しかし、三人の男は人間とは思

えぬ動きで隣の壁に飛び、影のように舞い上がっていった。そして……。

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話はここで途切れ、「霊魂を飲み込んだ男」の結末を読者の考えにまかせるという作者(

ハーン)

の独白で物語は終わる。先にも述べたよう

に、「そして」で終わるハーンの再話とは違って、原話は「逃げた男たちはその後再びやって来ることはなかった」と結んでおり、怪奇に見

舞われた関内の安否をぼかしたのはハーンの創作である。

また、ハーンが加えた点は、怪奇現象の中心となる式部平内を「嘲るような笑み」を浮かべ、「挑戦的」で「侮辱」を含んだ目をしている

男にしたことだ。どこか人を小馬鹿にしたような冷徹さを感じる雰囲気は、浮世離れをした存在に思われ、より怪談的な要素に近づけられ

たものと考えられる。

しかし、単に怪談的な不敵さを強調するためだけにハーンは式部平内に「嘲り」「挑戦的」「侮辱」の要素を加えたのだろうか。確かに、

原話の式部平内は美人顔以外では説明の不足した人物で、至極平凡な存在として感じられる。そもそも、原話は式部平内が幽霊や非現実の

存在であるとは一言も触れていない。そのため、原話では式部平内やその家臣を問答無用に切りつける関内の短気が目立つように感じ、三

人の家臣たちも「思ひよりてまいりしものをいたハるまてこそなくとも手を負せるハいかゝぞや」と関内の理不尽さを責める。どうやら原

話の式部平内は何か伝えたい想いがあって関内の前に現れたようで、関内はその用件も無下にして切りつけた非情な男ということになる。

では、原話の式部平内が茶碗の中にまで現れて伝えたかった想いとは何だったのか。

この点について牧野陽子は、原話は恋い慕って(

思いよりて)

茶碗の中に現れた恋慕の情を持った若侍と関内の関係がストーリーの焦点で

あり、江戸時代の衆道をテーマにした通俗話を、ハーンが再話の過程で西洋読者に対する倫理的配慮から、式部平内の人物象と怪談のテー

マを加えたと述べる十九

。このように、何か想いがあって一人の男の情念が現れたと読める原話と比べて、再話の式部平内はどこまでも迫っ

て来る得体の知れない恐怖の象徴として描かれていると言えよう。

「茶碗の中」の挿絵は、『北斎漫画』からの引き写しと推定されるところはない。よって、源次郎がいかにテクストを読み込んで描写した

かが考察の焦点となる。挿絵は茶屋で関内が飲もうとした湯のみ茶碗の中に眉目秀麗な男の顔が現れた場面である

[

図6]

。背景に「白山茶

屋」と書かれた看板が描かれ、物語の情報を反映している点から、源次郎は挿絵を描く前にはテクストに目を通していたと考えていいだろ

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13

う。茶碗を片手に左手を挙げて驚く関内だが、その顔つきは精悍で、キリリとした眉に鋭く吊り上った目で茶碗を凝視する姿は、武士の動

じない強さのようなものを感じる。そして、茶碗の中を示す左上の丸い小窓のような所から湯のみの中の式部平内が顔を覗かせている。「幽

霊滝の伝説」のような絵画的な立体感はなく、漫画のコマ割のような構図である。これは、浮世絵版画の伝統的な暗示絵の手法である二十

先ほど式部平内の「嘲り」「挑戦的」「侮辱」を挙げて、ハーンが作品に怪談的な緊迫感や不気味さを加えた点を述べた。さらに、ハーン

が従来の衆道的テーマから怪談話として創作した可能性もあるらしい。しかし、挿絵からはそれらの要素は皆無に感じる。驚きつつも鋭い

顔つきの男らしい関内からは、むしろ恐怖というよりは、「怪しいやつ、この関内を化かそうとは無礼千万」と今にも切りつけてしまいそう

な気迫さえ感じ、どちらかと言えば挿絵は原話の気性の荒い関内に近いかもしれない。挿絵の式部平内はというと、テクストにあるような

関内を挑発し動揺させる不穏さはなく、同じように関内が現れたことに驚いているように見えなくもない。

表情の曖昧さや驚きと恐怖の欠如は画家の意図か、或いは力量なのかは判断し兼ねる。しかし、作家がテクストに加えた、追い払えども

迫ってくる怪奇の恐怖からは離れたものを挿絵には感じる。

(五)

英雄的な猟師像――「常識」

「常識」(CommonSense)

は『教科書適用

宇治拾遺物語抄』の「猟師、佛を射る事」を下地にしている。ハーン版の大まかなあらすじは

次の通りである。

京都近くの愛宕山に日々仏法に勤める僧侶がいた。寺を訪れた一人の猟師に僧侶は、毎夜象に乗って普賢菩薩が降臨することを打ち明

け、今宵は寺に留まって菩薩の御姿を拝むことを勧める。猟師はその申し出を有難く受けるが、内心はその不思議な現象に疑念を抱いて

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14

いた。果たしてそんな奇蹟が起こるだろうか。真相を確かめるべく、猟師は寺に留まり、僧侶はいつものように菩薩を迎える準備をする。

ついにその晩、東の方角から光が射し、普賢菩薩が白い象に乗ってやって来た。熱心に念仏を唱える僧侶の側で、猟師は光輝く菩薩に矢

を放ち、菩薩も轟音と共に一瞬のうちに消え去った。猟師の所業に僧侶は「人でなし」と詰るが、猟師は穏やかな様子で応える。「日々の

暮らしのために獣を殺す者がどうして仏の御姿を目のあたりに拝めるのでございますか」と、とどのつまり、僧侶が見たのは菩薩に化け

た妖怪変化の類であると猟師は指摘した。翌朝、菩薩の流した血を辿ると大きな狸が一匹死んでいた。

この話では、仏教僧と猟師の二項対立が象徴的である。常に修行に身を置く高い学識と教養を備えた僧と殺生を生業とする無学な猟師は、

知識と常識という点で相反するものである。知識が学問によって養われる根拠に基づく認識であるなら、常識は生まれた時から身に付く心

の働き――「生来の知恵」――と言える。また、進化論的に言えば、前者の方が進歩的かつ高尚で、後者の方は原始的だろう。そこで、この

話では、最後にこの構図が逆転し、魔性に騙され真実を見誤った僧と生来の知恵によって魔を破った猟師という教訓的な仏教説話のような

結末になっている。

しかし、これが単なる教訓的な日本の昔話に留まっていないのが、ハーンの再話によって作り出された別世界としての「常識」である。

この話も比較的原話に忠実に書かれたものだが、原話との違いは、原話では菩薩に対する猟師の疑念の理由が先に漏らされるが、再話では

菩薩を射た後に語られるために、猟師が菩薩を射たことの意外性と異常性が際立つ点にあるという二十一

。確かに、原話と比べてハーン版の

方では猟師の矢を放つ行為が唐突に訪れ、読者はたちまち「あ!」と驚くだろうが、一変して猟師が語る論理的な説明によって、猟師の「生

来の知恵」――即ち「常識」――が際立って貴きものに見え始める。つまり、ここでは聖人と野蛮人、僧と無学者の対比を強く押し出すハー

ンの意図が隠されているものと考えられる。それを示すように、ハーンは猟師が僧侶に弁明する場面を大幅に加筆している。そこでは猟師

は自身の無学、無信仰を強調し、非常に謙虚な人物像になっている。猟師の無学者としての立場を明確にすることで、逆転の構図になった

時に、より生来の知恵の勝利に価値が置かれ、知識よりも本能的な記憶としての知恵が象徴的に描かれたと言える。「常識」にあるのは、生

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15

来より備わった知恵が知識を制し、それによって人々が生かされているという原始的な極東「日本」の異境のヴィジョンが投影されている

のではないだろうか。

この挿絵は、普賢菩薩の姿で人を誑かしてきた狸の化かしを、猟師が「生来の知恵」によって見破るというシーンを描いたものである

[

7]

。識者でありながら、菩薩を盲信するあまりに、本来見極めるべき正邪の境を見落としてしまった僧が、弓の後に情けなさそうな表情で

描かれている。『北斎漫画』六編で人間が弓を引く瞬間をあらゆる角度と動きから描いている頁

[

図8]

から、源次郎がその一つを選んで猟

師のポーズをそのまま真似ている。猟師以外は、源次郎がテクストに沿って僧や木魚などを付け加え、背景には菩薩を射た瞬間に放たれた

光を描いて挿絵を仕上げている。異なるのは、北斎の人物の顔が簡潔で素朴な描写であるのに対し、源次郎の猟師は凛々しい顔つきで、ま

るで歌舞伎の役者が見得を切った瞬間のようではないか。この猟師の表情は、身分の低い猟師とはかけ離れていて、どこか英雄譚に出てき

そうな雄々しい姿である。ハーンが再話する際に、卑しい身分の猟師を生来の「知恵」によって悪を暴いた理想的人物として描いたことが、

この挿絵によってより強調されているように思う。このことから、源次郎が北斎の構図を借りながらも、ハーンの作品に少しでも忠実に描

こうとしていることが伺える。

一方で、挿絵だけを見れば、正義のヒーローが神々しい光の矢を放って悪を退治、弱き僧侶を救うという英雄的な観に偏ってしまったと

指摘できるかもしれない。猟師の表情にはテクストにあるような「私どもは無学で足らぬ者」と自身を貶める猟師の謙虚さはない。挿絵が

付くことで、ハーンの「Common

Sense

」は英雄譚に完成されていると言えるかもしれない。

(六)

女の正体を描く――「忠五郎の話」

「忠五郎の話」(The

StoryofCHUGORO)

は『文藝倶楽部』第七第十一号に収録の「蝦蟇の怪」が下地になっている。ハーン版の大まかな

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あらすじは以下の通りである。

旗本鈴木家の足軽、忠五郎は毎晩屋敷を抜け出してどこかへ行っていた。怪しんだ同僚の足軽たちは忠五郎を問い詰めると、忠五郎

は懇ろになった女の話をし始める。聞くと、女は忠五郎を水中へ誘い、向かう先は昔話に出てくる竜宮と見紛うばかりの立派な屋敷で

ある。忠五郎と女は毎晩そこで逢瀬を重ねるが、女は「結婚のことは内密」にするようにと忠五郎に言った。しかし、その約束を破っ

てしまった忠五郎の前から女は姿を消し、忠五郎は途端に臥せるようになる。診察した医師は施す手はないと告げ、忠五郎は死ぬ。な

ぜなら、その女の正体は橋の下に棲む蛙で、夜な夜な忠五郎の血を奪っていたのだった。

ハーンの再話が原話と大きく違うのは、加筆された忠五郎の複雑な心理描写と女の持つ二重性である。ハーンが忠五郎に加えたのは、原

話の忠五郎が持つ「物欲」からは程遠い、「品行方正(conducting

himselfsowell)

」で「感じのよい(amiable)

」良心的な性格である。日

ごろから真人間である忠五郎が毎夜女の元に通うには、魔性にとり憑かれただけではない忠五郎自身の心的芽生え――「love-affair

」――

への自覚がある。この忠五郎の「人の良さ」が女の元に通う行為の中に留めようのない「情」を生み、女の持つ矛盾を自覚させながらも、

忠五郎を水中へと誘うのである。

けれども、忠五郎は単純に女に惹かれているわけではない。ハーンが加えた女の二重性、美しさと恐怖が混在した違和感に忠五郎は気づ

いている。それに対して、原話の忠五郎は非常に物欲主義で、初めから女の美貌に「

心思

こうこつ

恍惚」の状態である。さらに、女に誘われてやっ

て来た竜宮城も斯くやという夢のような場所で、遊戯的な快楽を楽しみ、「小金一枚」を与えられて帰るといった具合である。それ故原話の

結末では、放蕩の末の自業自得、女にうつつを抜かす男の享楽の結果とでも言いたげな背筋の寒さを感じる。では、この辺りを再話ではど

のように描かれているかを見てみる。以下は柔らかな声と微笑みを湛えて女が忠五郎に求愛をして水中へと誘う場面である。

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17

Asweneared

thebridge,

shepulled

mesleeve

again,andledmedown

thebank

tothevery

edgeoftheriver.

Comeinwith

me,shewhispered,

andpulled

metoward

thewater.

Itisdeep

there,asyouknow;

andIbecame

allatonce

afraidofher,

andtired

toturn

back.Shesmiled,

andcaught

mebythewrist,

andsaid,

Oh,youmust

neverbeafraid

withme!

And,somehow,

atthetouch

ofherhand,

Ibecame

morehelpless

thanachild.

Ifelt

likeaperson

inadream

whotries

torun,

andcannot

movehand

orfoot.(p.40)

Inthesame

moment,Iremembered

thestory

ofUrashima;

andIimagined

thatshemight

bethedaughter

ofagod;

butIfeared

toaskheranyquestions

……

(p.41)

女の美しさに惹かれながらも、真面目で賢い忠五郎は美しさの後ろに潜む女の影、得体の知れない威圧感を敏感に感じ取っている。ハー

ン版で恐ろしいのは、原話にあるような単純明快な女の強引さではなく、魅惑的な微笑みと優しげな声の後ろに見え隠れする女の「正体」

であり、忠五郎が感じるアンビバレントな心理――相反するものが並立することの恐怖である。常にそれは忠五郎の袖を握っており、獲物

を離すまいとしている。しかし、忠五郎の自覚も空しく、幾度か女に疑念を向けるが、常に女の微笑と言葉に打ち消されるのだった。芥川

龍之介が「アグニの神」で醜い占い師の老婆と美しい処女のコントラストを意図的に配置した二十二

のなら、この場合のハーンの「女」はそ

の醜さと美しさを一つにしたものだと言える。

忠五郎が矛盾した感情を自覚していたとはいえ、忠五郎は毎夜女の元に通い、結果として死んでしまうのは原話と同じである。しかし、

先に述べたように、ハーンは原話の物質的な「娯楽」と「金」によって結ばれる関係を省略し、代わりに忠五郎と女の間に与えたのは複雑

な心的描写によって描かれる「情愛」の芽生えではなかっただろうか。最初、忠五郎は唐突な求愛に戸惑い、時折見せる女の違和感に恐怖

しながらも、次第に女への想いを募らせる。以下は自分を待っているだろう女への忠五郎の想いを同僚に話す場面である。

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To-nightshewill

certainlybewaiting

forme,andIwould

ratherdiethan

disappointher:

thereforeImust

go

…Butletme

againentreat

you,myfriend,

nevertospeak

toanyoneabout

whatIhave

toldyou.

(p.42)

「彼女を悲しませるくらいなら死んだほうがいい」「行かなければ」――その言葉が忠五郎の実直な人間性と相まって、純粋に精神的な情

念(

プラトニック・ラブ)

の形になる。そして、忠五郎は心配する同僚の忠告にも微笑みで返すのだ。それはまるで全てを理解して受け入れ

ているという忠五郎の覚悟にも感じられる。

Chugoroonly

smiledattheoldman

swarning,

andhastened

away.(p.43)

以上で述べたように、ハーンが再話で加えた素材に、日本の近代文学に明確な影響を与えた「恋愛」の発見二十三

が見られるならば、日本

の怪奇談である「蝦蟇の怪」に西洋的な近代小説の枠組が加えられたことになる。ハーンはしばしば女性や弱きものへの理解と賞賛を作品

で示しているが、ここでもハーンはこの近代小説的な枠組に加えて、恐ろしい吸血の妖怪を恋人に裏切られ取り残された一人の女として見

ようとする彼特有の視線を残している。以下は女が姿を消した途端に遂に床に臥してしまった忠五郎の死の間際に医師が診察をする場面で

ある。

Why,themanhasnoblood!

exclaimedthedoctor,

afteracareful

examination;

thereisnothing

butwater

inhisveins!

Itwill

bevery

difficulttosave

him

…Whatmaleficence

isthis?

(pp.43-44)

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次に、医師に一連の出来事の仔細を話した同僚たちが、忠五郎の命を奪った女の正体を問い詰める。

Whoisshe?

―orwhat

isshe?

theashigaru

asked

aFox-Woman?

No;shehasbeen

hauntingthis

riverfrom

ancienttime.

Sheloves

theblood

oftheyoung...

ASerpent-Woman?

―ADragon-Woman?

No,no!Ifyouwere

toseeherunder

thatbridge

bydaylight,

shewould

appeartoyouavery

loathsomecreature.

Butwhat

kindofacreature?

SimplyaFrog

―agreat

andugly

Frog!(p.44)

ここでハーンが「蝦蟇」をToad

ではなくFrog

と訳したのは何故だろうか。ハーンが原話を語り聞いた中で、語り手が「蝦蟇」に別段気

を留めることなくハーンに説明したとも考えられるが、意図的にハーンがFrog

に変えたのだとしたら理由は次のように考えられる。一つは、

女は仮の姿だったにしても、忠五郎が想いを寄せた美しい女の姿にはToad

はあまりにも醜悪な言葉として響いたという点。二つは、「恋愛」

という枠組の中でハーンが描いてみせた男女の関係において、女は怪異の原因であっても、必ずしも悪の象徴としては描いていないという

点である。つまり、Toad

と女を結び付けなかった理由には、慕っていた男に約束を破られて一人残されてしまった女へのハーンの同情的な

視線が含まれているということである。それを示すかのように、原話にある浦島の比喩が再話で詳細に加筆されているのは、おそらくハー

ンが『夏の日の夢』で浦島の帰りを待つ乙姫に向けた、残された者への哀れみと無関係ではないはずだ。

私はまた浦島のことを考えた。綺羅を尽くして飾られた竜宮城で、空しく夫の帰りを待っている乙姫の姿が浮かんできた――そこへつ

れなくも雲が帰って来て、一部始終を告げる――立派な礼服に身を包んだ、心優しい形怪しき海の生物たちが何とかして乙姫を慰めよう

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と心を砕く。しかし実際の物語にはこんなことは一切書かれていない。人々の同情は挙げて浦島の上に集まっているように思われる二十四

「忠五郎のはなし」の挿絵は、『北斎漫画』十編の「殷の妲妃」[

図9]

と十二編の蛙

[

10]

の構図を組み合わせたものと考えられる。

場面としては、忠五郎を誘惑するために蛙が女の姿形をとるという、物語では直接描かれていないシーンである

[

11]

。先に述べたよう

に、ハーンの再話で特徴的だったのは、原話にはない男女の機微を両義的な心理描写によって描く点であった。ならば、その話の趣意に沿

うに相応しいと言えるのは、忠五郎と女の出会い、或いは水中への誘いのシーンを描くことではないのかと筆者は考えるのだが、源次郎は

そうはしなかった。では、なぜ源次郎は物語られていない変身の場面を選んだのだろうか。この場面が描かれたことで、テクストと挿絵の

間に何が生まれたのだろうか。

まず、場面選択の理由として考えられるのは、醜いもの

(

蛙)

と美しいもの

(

女)

が並立してあることの恐ろしさを語ることに、物語の

究極の「怪奇」があると判断したという点である。美しく、神秘的で、甘美な存在の正体は醜く恐ろしい化け物であるという皮肉、ここに

源次郎の視線は向いており、忠五郎の複雑な恋愛感情よりも、描くべきなのは冷やかな現実の正体にあったのかもしれない。すると、この

場面選択及び挿絵によってテクストにもたらされたものと考えられるのは、ハーンが再話で創作した「人間の情愛」から、挿絵は再び原話

の「怪」により近づく形で還元されたという点が言えるのかもしれない。挿絵に描かれた女のポーズは、『北斎漫画』の中国の美と悪の象徴

である「妲妃」の絵を参照していることを指摘したが、それ故描かれた女の姿にもどこか遊女を思わせる色香が感じられ、悪の権化とまで

は言わないが、魔性の象徴としての女を描いていると言えよう。そこには、「恋愛」やハーンの話にあるような切なさは含まれていない。

また、ハーンは物語の最後まで女の「正体」は何であるかという問いを引っ張りに引っ張って、話のオチを付けたわけだが、挿絵を並べ

ることでその物語の構成を無残にも打ち砕いてしまっている。読者は物語に描かれない部分を挿絵によって知ることになる。読者は変身の

舞台裏を挿絵によって覗くことで、忠五郎が想いを募らせている相手は醜い蛙であるという滑稽さを早い段階で感じたかもしれない。する

と、忠五郎の最後の微笑みに感じる切なさや、女の正体が明かされる驚きも失われ、作者の創作的意図を阻害することになる。つまり、挿

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絵と並置されたテクストを読むことで、挿絵家の解釈とイメージの引用が、ハーンの原話と再話の二重化の上に更にテクストと挿絵の間に

二重の意味生産の場を作っていることが分かるのである。

(七)

不気味な母猫――「病理上のこと」

『骨董』には、九篇の怪談の他に十一篇の随筆が収録されている。「病理上のこと」(Pathological)

は、所謂ハーンの再話文学とは別系統

の随筆に当たる。この話では、ハーンが愛猫のタマを観察して、猫の行動に幾万年と生物に蓄積されてきた本質的な記憶(the

organicmemory

oftheanimal)

について論じている。母親になったタマの日常行動は、生物学的に見れば何ら違和感のない当然の習性と言えばそうだが、

ハーンの目にかかればそれらの行動は全て、連綿と受け継がれてきた魂の記憶(the

memoryofaccumulated

throughcountless

billionsof

lives)

という極めて哲学的な話になる。

ハーンが単に大の猫好きであったということは措くにしても、ハーンの視線は常に現実の生物行動を超えた心理の方に向かっている。子

猫のために玩具となる蛙や野鼠や草履を持って来たり、子供の死を理解せずに家中を探し回る母猫の行動に、ハーンは誰から教わるでもな

い母性や遺伝的な習性を動物が持っていることを見るのである。

タマは自分の子供の死んだことをはっきりとおぼえていない。子供はある筈だということだけ知っている。であるから、自分の子供が

庭に埋められてから大ぶ後まで、方々さがしまわったり呼びまわったりしていた。友達にもいろいろ愚痴をこぼしていた。わたくしにも

押入れだの戸棚だのを、仔猫は家にいないということを見せてやるために、何遍となく開けさせたが、そのうちにとうとう、もうこれ以

上探しても駄目だということがやっと自分にも納得がついてきた。そのかわり、タマは今では夢の中で自分の子どもと戯れている。それ

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であんなにやさしい声を出すのである。タマはその夢の中で、子どものためにいろんな小さなまぼろしを捕まえてやるのだ。ひょっとす

ると、遠い記憶の中のどこかの薄ぼけた小窓から、まぼろしの藁草履をさえも持って来ることがあるかもしれない二十五

挿絵は『北斎漫画』十四編の「猫」[

12]

を引き写したものである。その構図といい、猫のポーズや種類といい、ほぼ同じである。北

斎の猫を借りて、背景の木戸を変更して、猫の前に玩具類を加えたくらいである

[

13]

。挿絵だけを見ると、北斎の猫の表情そのままな

ので、やけに大きく奇妙に歪んだ片目が不気味である。鋭い爪と牙で捕えた鼠も咥えているので、一見すると普通の猫ではなく、化け猫染

みた気配すら感じるかもしれない。しかし、この絵が添えられている話は、先述したようにハーンが愛猫の「タマ」を題材に、動物の遺伝

的に受け継がれる母性の神秘を綴ったものである。挿絵とテクストを較べると、このシーンはちょうど「タマ」が子猫のために外から玩具

を持って帰ってきた所であろう。テクストでは、猫親子の微笑ましい生活を見守る作者ハーンの視線があるのだが、挿絵のみではそのよう

な微笑ましさは露ほどない。むしろ源次郎の「タマ」は怪異的であろう。このように、挿絵とテクストの間には奇妙なズレが生じている。

それは、すでに出来上がったイメージを源次郎がテクストの挿絵に選んでいるために当然起こる歪みと言えよう。ただし、北斎の猫と源次

郎の猫で異なるのは、前者は短く切れた日本の古い猫の典型的な尾であるのに対し、源次郎の猫は細長くひょろりとした尾である。この点

だけは北斎を忠実に模写しなかったのは、「タマ」が外来種の交ざった美しい優美な体つきをしているというハーンの描写に、源次郎がせめ

て沿おうとした結果だろう。しかしながら、いずれも既存のイメージを引用することで、ここでもテクストと挿絵の間に歪みが生じている

のは否めない。

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ここまでで、従来作品から切り離されて読まれてきた挿絵とテクストを考察することで、作品が表象する「日本」の画像及び物語世界に

ついて読み直す試みをした。そうすることで見えてきたと絵と文字、イメージとテクストの間に見られる表象の特徴を次のようにまとめる

ことが出来る。

一つ目は、テクストでは語られない「空白」を描くことで、画家の解釈を介入させたテクストの二重化が起こる場合である。これは「幽

霊滝」と「忠五郎の話」が当てはまる。いずれも『北斎漫画』からの借用は部分的なものに止まるが、その代わりに画家のテクストに対す

る解釈と描写が加わるので、読者はあたかも挿絵によって物語の舞台裏を見ているような錯覚に陥る。この場合、挿絵は比較的テクストの

縛りから開放されており、画家の自由な創作によって一つの完成された図像として構成される。しかし、作者の構成する物語からは離れ、

テクストとイメージの間に少なからず乖離を引き起こすのがこの事例である。

二つ目は、先の乖離の事例と同様の性質を持つのが「茶碗の中」や「病理上のこと」に見られるテクスト含まれる要素の欠落である。こ

れについては、二つの作品の間にさらなる違いが見られた。「茶碗の中」では全く北斎からの引用は見られず、画家の創作によって描かれた

と推定するが、その描かれたイメージからはハーンが原話より変更した怪談的性質が専ら失われていた。その点「病理上のこと」は北斎の

完全な模倣であり、その構図も猫の表情もそのままである。よってテクストにあるような生物の母性行動に神秘的な魂の記憶を重ねてみる

ハーンのロマンチックな文学表現や愛猫への温かい視線は失われ、むしろテクストと大きく乖離したものとなっている。つまり、一つ目の

事例のように、イメージに画家の解釈が介入する場合――あえて「描く」とは逆の方法――「描かない」ことで新たに別の表象を可能にし

た。さらに同時に、北斎というもう一つの下地となる画像を引用する場合、それは時にテクストと真逆の表象をすることになるということ

である。既成の図を引用するのだから真逆の表象になるのは至極当然だと思うが、画家によってなぜその方法が選択されたかを考えること

に、挿絵の表象が意味する点を探る手掛かりがあると考える。源次郎はハーンの「タマ」を描くよりも北斎の猫を描くことがテクストの神

秘的な物語の世界観を演出するに相応しいと考えたのではないだろうか。必ずしも読者が挿絵に『北斎漫画』からの引用を認めていたとは

言えないが、源次郎が渡米した時代のアメリカの芸術と文学において日本が如何にその様式的にも題材的にも流行していたかを考えれば不

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24

思議ではない。ハーンの理想主義的な日本の愛好読者のために、コスコブの画壇で熱烈なジャポニズムを体験しながら、彼自身日本文化の

発信者となった源次郎の、「北斎」を借りて日本を表現しようとした苦心が伺える。

テクストと挿絵の乖離の場合とは反対に、三つ目は、「常識」のようにテクストの表象に挿絵が適合している場合もある。作者が物語の中

で強調する点を今度は画家が挿絵によってその意図を強調しようとする例である。この場合は、「病理上のこと」とは異なって、今度は北斎

を引用しながら画家が表象する図像的心理はテクスト及び作者の心理に寄り添おうとしているものであり、それによって一致する挿絵とテ

クストの表象はより完成度の高い物語になっていたと言える。

以上、本論で取り上げた『骨董』の作品の挿絵とテクストの分析から、作家がテクストで表現するものと異なるイメージの表象が見えて

きた。それは物語世界に色を添える生産的な広がりになる場合も、時に意味生産の場を限定してしまう歪みとなる場合もあると分かった。

そして、テクストとイメージの間に生じる溝の原因には、テクストに対する画家の解釈に加えて、『北斎漫画』という既成の図像を用いた点

にあった。筆者は先ほど北斎の引用を西洋読者のために選んだ画家の苦心と述べたが、ハーンが東洋の幻影としての日本を紹介する時には

常に視線の先にはそれを期待する西洋読者がいたように、源次郎もまた当時のアメリカ美術界で「日本」に求められるものをよく理解し、

「ラフカディオ・

ハーニアと呼ばれる精霊の作り出した悪戯二十六

」を喜んで嗜好する文学界の読者層のことを捉えた上で挿絵を入れたと考え

る。本論では「北斎」からモチーフを借りた『骨董』の挿絵がテクストとの間にどのような表象の違いを生んでいるかを考察したが、「北斎」

或いは日本の芸術・文学からある様式及び題材を借りる時、それが小説の中でどのような役割を果たしているかについて、また、源次郎の

『骨董』における『北斎漫画』の引用は当時のアメリカのジャポニズムという文脈の中でどう位置付けられるべきかということを論じるこ

とはしなかった。今後はこの引用が異なる表象を構築し、その文化表象が作品の中で――浮世絵が海外に流出してから浮世絵の「巨匠二十七

と評された北斎芸術が様々な用途に取り入れられた経緯を含む――どのような歴史的文脈において語られているかを考究することが課題で

ある。

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表1 『北斎漫画』と挿絵の照合表

(頁数) kotto 収録作品 源次郎挿絵(頁数) (頁数)

初編 子を背負う女 32 The Legend of Yurei-Daki 親子 2 △

昆虫 40,41 Gaki 虫 180 ◎二編 燈籠 88 The Legend of Yurei-Daki 燈籠 2 ○

「白澤」 120 The Eater of Dreams* 白澤 244 ◎三編 鳥 175 Story of pheasant 鳥 64 △四編 鳥 196,198 Story of pheasant 鳥 64 △

船 233 Heike-gani 船 128 ○花 202 In the Dead of the Night 花 226 △

五編 ― ― ― ―六編 弓引く人 12 Common Sense 猟師 20 ○七編 ― ― ― ―八編 「ながはた」 144,145 Story of pheasant 機織り機 64 △

九編「近江國貝津ノ里傀儡

女金子カ力量」196,197 Story of a Fly 女と蠅の構図 56 △

十編 「殷の妲妃」 250,251 The Story of Chugoro 女 72 △十一編 ― ― ― ―十二編 蛙 89 The Story of Chugoro 蛙 72 ○十三編 ― ― ― ―十四編 「猫」 216 Pathological 猫 218 ◎

「犬」 232 A Matter of Custom 犬 202 ○十五編 「其四」 258,259 Heike-gani 武者 128 ◎

「風」 285 A Matter of Custom 僧 202 △◎…断定できるもの○…ほぼ確実△…可能性が疑われる

『北斎漫画』

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図1 妻と子(個人所蔵) 図 2 朝顔 (個人所蔵)

源次郎の肖像写真 (個人所

蔵)

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図 3 「幽霊滝の伝説」

図 4 子を背負う

女(初篇)

図 5 燈籠(二編)

図 6 「茶碗の中」

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図 7 「常識」

図 8 弓引く人(六編)

図 9 殷の妲妃(十編)

図 10 蛙(十二篇)

図 11 「忠五郎の話」

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図 12 猫(十四編) 図 13 「病理上のこと」

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30

ハーンのちりめん本は富山大学付属図書館のヘルン文庫にてデジタル版が閲覧可能。

(http://www.lib.u-toyama.ac.jp/chuo/hearn/chirimen/index.html)

石澤小枝子『ちりめん本のすべて――明治の欧文挿絵本』三弥井書店

二〇〇四年

一頁。

尾崎葉子「幻の画家片岡源次郎」季刊『皿山』通巻四五号

二〇〇三年。

(http://www47.tok2.com/home/yakimono/onna-sarayama/sara25.htm)

G.Larkin,

Susan.TheCosCobArtColony:

ImpressionistsontheConnecticut

Shore.Yale

UniversityPress.

2001,39.

一九九二年二月にサガテレビへの依頼で有田町歴史民俗資料館の尾崎葉子氏と共に源次郎の足跡を求める調査が開始した。二〇〇〇年四

月一二日には、第九回FNS

ドキュメンタリー大賞ノミネート作品として調査ドキュメンタリー『ゲンジロウへの旅』(

サガテレビ)

が放

された。

羽田美也子『ジャポニズム小説の世界――アメリカ編』彩流社

二〇〇五年

二四四頁。

同右、二四二―二五〇頁。

源次郎の渡米は明治二四年という説もあるが、本論では官費での渡航許可証の裏付けから明治二二年としている羽田の説に習う。

北斎漫画の引用については、拙稿「ハーンと北斎――挿絵が繋いだ異文化交流」(

『へるん』四九号

八雲会

二〇一二年六月)

で論じた。

永田生慈監修『北斎漫画』全三巻

岩崎美術社

(

一九九〇年版を使用)

十一

Hearn,Lafcadio.

KOTTO,MacmillanCo.,

1902.(ReprintedbyYushodo

in1982)

十二

高成玲子「ハーンは浮世絵に何を見たか」『富山国際大学現代社会部紀要』(

一)

二〇〇九年。

十三

ビング、サミュエル

大島清次・瀬木慎一・芳賀徹・池上忠治訳『芸術の日本』美術公論社

一九八一年

一〇一―一二〇頁。

十四

古谷博和「Lafcadio

Hearn

のKwaidan

と神経内科疾患――その一」『神経内科』(

六四)

科学評論社

二〇〇六年。

十五

永田雄次郎「ラフカディオ・

ハーンと浮世絵――江戸時代へのあこがれ」『美学論究』

二〇〇六年。

十六

同右、八頁。

十七

小泉八雲

平川祐弘編『怪談・奇談』講談社学術文庫

一九九〇年。以下、作品の日本語訳と原拠は本書より参照する。

十八

Hearn,Lafcadio.

TheWriting

ofLafcadio

Hearn,vol.

XI.Boston:Houghton

MifflinCo.,

1922,5.

以下、本書よりの引用は本文

中に頁数のみを記す。

十九

牧野陽子「ラフカディオ・

ハーン『茶碗の中』について」『成城大学経済研究』

一九八八年。

二十

近藤市太郎『浮世絵』至文堂

一九五九年

七〇頁。

二十一

平川祐弘編『怪談・奇談』三五〇頁。

二十二

鶴田欣也『越境者が読んだ近代文学』新曜社

一九九〇年

二二二―二二三頁。

二十三

キーン、ドナルド

徳岡孝夫訳『日本文学の歴史』近代・現代篇Ⅰ

中央公論社、一九九五年

十四―十五頁。

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31

二十四

小泉八雲

平川祐弘編『日本の心』講談社学術文庫

一九九〇年

三二頁。

二十五

ハーン、ラフカディオ

平井呈一訳『骨董』岩波文庫

一九五〇年

一六六―一六七頁。

二十六

マイナー、アール

深瀬基寛・村上至孝・大浦幸男訳『西洋文学の日本発見』筑摩書房

一九五九年

五七頁。

二十七

「もし北斎を、自由で暗示的な芸術家のエリートのうちに加えて差し支えないと認めるなら、彼には西欧芸術の巨匠の中でも最も霊感

に富んだ者たちと共通する性格を発見することができるだろう。」(

ルナン、アリ「北斎『漫画』」『芸術の日本』に所収)一〇二頁。