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The Studies for Cultural Heritage 文化遺産学研究 No. 9 国士舘大学「文化遺産研究プロジェクト」 研究代表者 国士舘大学イラク古代文化研究所・教授 松本 健 ©CNES_2015, distribution Astrium Services / Spot Image S.A, France, all rights reserved Kokushikan University, The Institute of Cultural Studies Ancient IRAQ

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文化遺産学研究 

9The Studies for Cultural Heritage

文化遺産学研究No.9

国士舘大学「文化遺産研究プロジェクト」研究代表者 国士舘大学イラク古代文化研究所・教授 松本 健

©CNES_2015, distribution Astrium Services / Spot Image S.A, France, all rights reservedKokushikan University, The Institute of Cultural Studies Ancient IRAQ

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The Studies for Cultural Heritage

文化遺産学研究No.9

国士舘大学「文化遺産研究プロジェクト」

研究代表者 国士舘大学イラク古代文化研究所・教授 松本 健

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第一章 ペルー共和国マチュピチュ遺跡建造物の保存修復に関する調査研究 3Study on Conservation of Remaining Structure in Machu Picchu Site, Peru西浦 忠輝

第二章 �国士舘大学発掘調査団による�ヨルダン、ウム・カイス遺跡の初期ローマ市門地区H17地下室出土の土器分類の試み 15The classify of pottery from Grid-H17 (underground room) at near Early Roman Gate in Umm Qais, Jordan松本 健

第三章 Deities�and�Symbols�on�the�Coins�of�Gadara. 25Makoto Ezoe

第四章 古代遺跡のクレーンについての考察 35Consideration of Crane in Antiquities小野 勇

第五章 デカポリス“ガダラ”は、本当に749年パレスティナ大地震で壊滅したか 39Was Gadara of the Decapolis really destoryed in the great Palestine earthquake of AD 749 ?東郷正美・長谷川 均・後藤 智哉・石山 達也・今泉 俊文・松本 健

第六章 �衛星リモートセンシングによる文化遺産のモニタリング�-中東での遺跡破壊事例- 51Monitoring Cultural Heritages Using Satellite Remote Sensing Data. ― Case Study to Focus on Destructed Archaeological Site in Middle East ―後藤 智哉

第七章 東京都板橋区立三園小学校とヨルダン ウム・カイス中等女学校との交流- 8年間の記録- 53The Cultural Exchange between Umm Qais Secondary School and Misono Elementary School ― An 8-year record of this activity ― 富田 富喜夫

第八章 国士舘大学イラク古代文化研究所展示室の活動報告(2015年) 59The Activity Report on the Exhibition Hall and the Storage Room in the Institute for the Cultural Studies of Ancient Iraq, Kokushikan University, 2015相川 悠

目次

表紙写真:ニムルド遺跡(イラク)爆破後の衛星画像(2015年 4 月18日撮影)

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第一章 ペルー共和国マチュピチュ遺跡建造物の保存修復に関する調査研究

第一章 �ペルー共和国マチュピチュ遺跡建造物の保存修復に関する調査研究

Study on Conservation of Remaining Structure in Machu Picchu Site, Peru

研究代表者 西浦 忠輝*

Abstract “Temple of the Sun” is one of the most important remaining structures in Machu Picchu archaeological site which is one of the most famous World Heritages. It is only one important structure, of which stones

(granite) are extremely decayed, in the site. Besides stone decay, the structure suffer from becoming instable and glowing of microorganisms as many other structures. Thus, we conducted researches on the deterioration reasons, deterioration process and conservation measures of this important structure, in cooperation with Peruvian government.  As the results, it revealed that the severe deterioration of stones is caused by thunderbolt. We carried out many investigations and field experiments to make basic conservation measures, followed by making a manual for actual conservation work.

1 .研究開始の背景

 マチュピチュ(Machu Picchu)遺跡はペルーのウルバンバ谷に沿う高い山の尾根(標高約2400m)に位置する、よく遺されたインカ帝国(15世紀中頃)の遺跡である。山裾からはその存在を確認できず、「空中都市」とも呼ばれる。1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムによって発見され、発掘調査が行われてその全貌を現し、現在はペルー政府文化庁によって保護、管理されている。遺跡には 3 mずつ上がる段々畑が40段あり、3000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13km2で、約200の石造建造物遺構がある。熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいる。その特色ゆえに1983年にユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録された。いまだに多くの謎に包まれた遺跡でもあり、2007年に新・世界の七不思議の一つに選ばれている。遺跡の劣化と保存に関しては、山頂上部に建設されたという特異性から、遺跡地域全体の地質学的、土木工学的調査を中心に行われている。特に地すべり対策については、京都大学防災研究所の研究グループ(代表:佐々恭二教授)が本格的な調査を行っている(2002~2005インカの世界遺産マチュピチュ都市遺跡の地滑り危険度調査)。また、筑波技術大学の藤澤正視教授は1990年からリマの天野博物館と協力して、遺構の構造力学的調査を行っている。なお、文化人類学分野では国立民族学博物館・関雄二教授、山形大学・坂井正人助教授らの研究がよく知られている。しかしながら、花崗岩からなる個々の石造建造物遺構の具体的な保存、修復対策については、現地保護管理事務所による応急的対策が適宜行われているものの、本格的な調査、研究、事業はまだ行われていなかった。そこで、石造建造物遺構の劣化状態と具体的な保存、修復、整備対策について、日本の技術を十分に活かした調査、研究を行い、マチュピチュ遺跡の保護に貢献すべく、ペルー政府文化省クスコ地域支部ならびにマチュピチュ遺跡保護管理事務所と協議し、全面的

*国士舘大学イラク古代文化研究所

 

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な連携の下に、遺構の具体的な保存修復技法についての調査研究を開始することとした。

2 .研究の目的

 本プロジェクトは、日本の国内研究成果と日本が行ってきた世界の石造文化遺産の保存修復国際共同研究の成果を、南米ペルーの世界遺産・マチュピチュ遺跡に応用してその保護に役立てんとするもので、もって世界の文化遺産の保護技術の発展に資することを目的とするものである。特にマチュピチュ遺跡の石造建造物遺構の保存、修復を行うために必要な調査、研究を、ペルー政府文化庁との共同研究として行うところに意義がある。 前述のように、マチュピチュ遺跡の保存、修復については地域全体の地質学的、土木工学的な研究が中心で、個々の建造物遺構についての具体的な保存対策についての研究はほとんど行われていない。 本研究では、特に「太陽の神殿」遺構を対象にした詳細な調査を行い、具体的な保存、修復対策、すなわち構造補強方法、石材の強化保存処置、石積み目地の補修、地衣類の除去等を策定し、さらに現地実験施工を行って、実際的な施工マニュアルを作成する。これらの問題について本格的な国際共同研究として行う初めての例であり、その点から、特色ある独創的な研究ということができる。

3 .研究の方法

 本調査研究プロジェクトでは、マチュピチュ遺跡の石造建造物遺構の劣化原因、過程を明らかにし、その具体的な保存、修復対策を策定すべく、実際の処置実験を通した研究を行った。遺跡に遺された多くの遺構について調査したが、特に「太陽の神殿」についての詳細な調査を行った。「太陽の神殿」は最も重要な建造物遺構の一つであるが、同時に石材(花崗岩)の劣化が最も大きな遺構である。その原因は、雷が落ちたためとも、発掘調査時に灌木、樹木を遺構の内側で燃やしたためとも言われているが、いずれにしろ火熱によるものである。花崗岩は、その鉱物組成から熱に弱く、亀裂が多数入った状態となっているのである。また、発掘された時点で、石積みの目地がずれて隙間ができており、崩れやすい状態にある。さらに、近年になって地衣類の繁殖が増大し、変色等外観上の問題が生じている。この「太陽の神殿」について、その具体的な保存、修復対策を策定し、具体的な施工マニュアルを作成するべく研究を行った。

4 .研究組織

(1)研究代表者 西浦 忠輝:国士舘大学・イラク古代文化研究所・教授(総括・保存科学)

(2)研究分担者 西形 達明:関西大学・環境都市工学部・教授(土木工学) 藤田 晴啓:新潟国際情報大学・情報文化学部・教授(自然地理学) 伊藤 淳志:関西大学・環境都市工学部・教授(地盤工学) 岡田 保良:国士舘大学・イラク古代文化研究所・教授(建築史学)

(3)連携研究者 友田 正彦:東京文化財研究所・文化遺産国際協力センター・環境解析研究室・室長(保存計画) 朽津 信明:東京文化財研究所・保存修復科学センター・材料研究室・室長(地質学) 森井 順之:東京文化財研究所・保存修復科学センター・主任研究員(計測工学) 松井 敏也:筑波大学大学院・人間総合科学研究科・准教授(保存科学)

 

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第一章 ペルー共和国マチュピチュ遺跡建造物の保存修復に関する調査研究

(4)研究協力者 澤田 正昭:東北芸術工科大学・文化財保存修復研究センター・センター長(保存科学) 柴田 英明:国士舘大学・理工学部・教授(地盤工学) 小野  勇:国士舘大学・理工学部・職員(測量学) 吹田  浩:関西大学・国際文化財・文化研究センター・センター長・教授(文化財学) 海老澤孝雄:(株)ざ・えとす・社長(文化財保存修復技術)〈~2013.10〉 大西 良英:(株)ざ・えとす・技師(文化財保存修復技術)〈~2013.10〉 荒木 良祐:(株)葵文化・相談役(文化財保存修復設計)〈2014.1~〉 荒木祐一郎:(株)葵文化・社長(文化財保存修復設計)〈2014.1~〉 Alejandro MARTINEZ:東京大学・工学研究科・博士課程・学生(建築史学)〈2015.1~〉 Fernando ASTETE:ペルー文化省・マチュピチュ遺跡保護管理事務所・所長(考古学) Piedad CHAMPI:ペルー文化省・マチュピチュ遺跡保護管理事務所・保存部長(考古学・遺跡整備) Gladys FUALPARIMACHI:ペルー文化省・マチュピチュ遺跡保護管理事務所・保存部次長(生物学) Carlos CANO:クスコ芸術大学・教授(保存科学)

5 .研究成果

5 - 1  太陽の神殿 「太陽の神殿」は、数ある遺構の中でも最も重要なものの一つで、天然岩の上に建てられた見事な石組技術は、マチュピチュ遺跡で随一といわれる。陵墓の上が神殿となっており、東を向いたふたつの窓があって、ひとつの窓は冬至に、もうひとつの窓は夏至に太陽の光が差し込むようになっている。 しかし、「太陽の神殿」は、マチュピチュ遺跡で唯一、火熱が原因と思われる顕著な石材(花崗岩)の劣化が見られる遺構である。割断があり、亀裂が多数入った状態となっている。花崗岩は、その鉱物組成から火熱に弱い。さらに、他の多くの遺構と同様に、石組の目地がずれて隙間ができており、崩れやすい状態にあり、また、近年になって地衣類の繁殖が増大し、変色等外観上の問題が生じている。

図 1  「太陽の神殿」遠景

図 2  「太陽の神殿」近景

5 - 1 - 1   火熱の原因 火熱の原因については二説ある。一つは、発掘調査時に生い茂っていた灌木、樹木を切り払い、これらを神殿の内側で燃やしたため、その火熱で石材が劣化したというものである。確かに、この遺構は高い位置にあり、石積み壁で円形に囲まれていて、物を燃やすには格好の場所である。ここで物を燃やしたというのは地元で実際に伝聞されていることでもある。ただ、樹木燃焼火熱であればかなりの煤(黒い炭素)が石壁に付着するはずであるが、石材表面がそれほど黒くなっていない。 有力なのは落雷説で、マチュピチュ遺跡が放棄された後に、神殿に設置されていた青銅製の大きな鏡に雷が落ちたとするものである。鏡があったとされる場所の劣化が顕著であり、またその部分には鏡を固定するための石の加工痕跡が遺されているのが根拠である。ただし、落雷の原因となったとされる青銅製の大型の鏡は類例を含めて遺されていない。筆者らの調査結果は落雷説を支持している。

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5 - 1 - 2   残存状態 この遺構が、発掘以降に積み直し等の整備が行われたかについては,記録上は定かでないが、発掘直後の記録写真を見る限りにおいては、発掘直後と現状はほとんど変わっていないことから、当時の状態がそのままに残されていると判断される[図 3 , 4 ]。5 - 1 - 3   劣化状態1)北側開口部における顕著な劣化 神殿石積みの内側で石材の劣化が多くみられるが、特に北側の開口部周辺での劣化が顕著である。この開口部に青銅製の鏡が設置されていたと考えられている。石材が激しく割断、欠損している。また石材が移動しており、構造的にきわめて不安定となっている。本格的な補修、補強処置が必要である[図 5 ]。2 )石積壁湾曲部内側の表層剥離、亀裂 石積壁湾曲部内側の全面にわたって表層の亀裂と剥離がある。この劣化形態は花崗岩が高熱を受けた場合に生じる現象と一致する[図 6 ]。3 )積壁端部における欠損 石積壁の端部では亀裂の発生が原因と思われる石材角部の欠損が顕著にみられる[図 7 ]。4 )石材接触面での隙間の形成 インカの高度な石工技術によって密着して積まれていたはずの石材が、何らかの衝撃あるいは地震によって主に横方向にずれ、接ぎ目が拡大して、縦の隙間が形成されている。この隙間は発掘時にはすでに存在し、その後特に拡大している状況ではない。大きな隙間は幅 5 ㎝にも及ぶが、そのような箇所にはペルーの修復技術者による特殊粘土混合物による充填処置が施されている[図 8 ]。

図 3  上(発掘直後1915頃)、下(2013)

図 5  北側開口部の著しい劣化

図 4  左(発掘直後1915頃)、右(2013)

図 6  表層部の亀裂と剥離

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第一章 ペルー共和国マチュピチュ遺跡建造物の保存修復に関する調査研究

5 )天然岩基壇の割裂 黄金の像が置かれていたといわれる神殿内中心部の天然岩基壇には、数本の割裂がある。この割裂は岩を縦断しており、上部は裂離していることを確認した。現在は割裂面の空隙に特殊粘土混合物を充填して、形を保っている状態である[図 9 ]。6 )石材表面層の劣化 石材の表面層の粒状・粉状化現象はそれほど見られないが、石積壁外側で石材への地衣類の着生があり、変色(灰色化)の原因となっている。この現象は近年増進している[図10]。

5 - 2  保存修復方策5 - 2 - 1  基本方策 石積を解体して積み直しするのか、現状のまま固定するのかが、最大の基本的問題である。それぞれに長所、短所があるが、前述のように、この遺構は発見当時の状態を維持していると判断されることから、現状固定を基本方策としている。 もとより、世界遺産であるマチュピチュ遺跡の保存修復については、ユネスコならびに所有者(ペルー政府)の意向、世界の専門家、学識経験者の意見等々を総合的に検討して、決定すべきであり、種々の検討、協議を重ねているが、現状固定を基本とすることで、ほぼ集約されている。5 - 2 - 2  具体的方策1)石積部分の劣化石の強化、修復、補強 まずは、割断、表層剥離、亀裂等の劣化した石材の強化、修復、補強処置を行わなくてはならない。技術的には問題なく処置できる。ただし、解体せずに石積のままの状態で処置を行うとなると、かなりの工夫と長い工期が要求される。 著しく劣化した石材については、やむを得ず、部分的に取り外しての強化、修復処置が必要で、新材との取

図 7  石積壁端部における欠損

図 9  自然岩基壇の割裂

図 8  石材接触面の隙間の拡大

図10 石材表面への地衣類の着生

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り替えもあり得る。2 )石積部分のキャッピング(雨水対策) 構造体全体の安定化のためには、上部からの雨水の侵入を防ぐことが基本である。そのためには上部に防水層を形成すること(キャッピング)が最も有効である。キャッピング材料としてはセメントが最も効果的かつ簡易であるが、不可逆性、すなわち後に取り除くことが困難であること、外観が遺構にマッチしないこと、可溶性塩類を含んでいて、新たな劣化の原因になり得ることなどから、適当ではない。そこで、上記の問題をクリヤーするキャッピング材料として粘土が考えられる。この場合、粘土は極めて良質であることが求められ、また耐久性、耐水性を上げるために石灰、撥水剤等を併用することも場合によっては必要となろう。マチュピチュ遺跡では、現地の技術者により調整された、耐久性に優れた特殊な粘土が亀裂部、欠損部、隙間の充填に用いられている。一般的に花崗岩の山からとれる粘土は良質であることが知られており、基本的に、マチュピチュ遺跡で伝統的に用いられているこの粘土を応用することとする。3 )石積の隙間の開いた目地の充填 石積の変形により、石と石の間(目地)が開いた状態になっている部分がかなりあり、その幅は最大で 5 ㎝に達するものもある。この空隙には、前述の通り、粘土が充填されており、現在のところ安定している。これらの隙間のある目地については、空隙の内部に強度、耐久性の優れた不可逆性の有機系樹脂を充填して安定させ、空隙の外より部分は上記の粘土で充填化粧して外観を整える方法が、ペルー側から提案されている。技術的には問題ないが、基本修理原則(修理哲学)に照らして、若干の問題があり、慎重に検討中である。4 )天然岩基壇石の保存修復 天然の岩からなる基壇石には大きな割れ目が入っており、上部は実質的に断裂していることが確認された。ただ、破断面の空隙への粘土の充填と、破断石の自重によって,現状、形は維持されている。しかしながら、破断面でずれが生じており、今後の劣化の進行を考えると、充填物除去(一時的には解体される形となる)してから、正確な位置に再接合する必要があろう。この作業を行うためには、重機を用いた、狭い空間での慎重な作業をこなせる技術者の参画が求められる。破断部は損傷していて、密着接着はできず、充填接着することになるが、この技術も併せて求められる。5 )地衣類の除去と表面層の強化、防水 石材自体の凝集力の低下はそれほどでもないので、岩石表面層の樹脂(シリコーン樹脂)含浸強化処置は必要不可欠ではないが、撥水性付与も含めた予防的保存処置として行うかはどうかについては、依然、検討事項である。 湾曲石積み壁外側における地衣類の着生については、地衣類除去剤(コレトレール®)の効果が確認されており、この除去剤の応用を基本としている。除去剤により、地衣類は死滅して自然に剥がれ落ちるが、それには 1 年程度を要する。この後をどうするか、すなわち強化撥水処置を施して地衣の再着生の防止を図るか、あるいはそのままの自然な状態を維持するかについても、重要な検討事項である。 以上はProtective Treatmentをどう位置づけるかという基本的な問題に関わる。

5 - 3  環境調査 マチュピチュ遺跡の「見張り小屋」から「インカ橋」に向かう途中の山腹に、気象観測ステーションが設置されており、温度、湿度、雨量、風向、風速、日照量等の計測が継続して行われている

[図11]。ここ数年のデータからの解析結果と、筆者らが現地滞在中に測定した「太陽の神殿」内における気象環境データの解析結果を以下に示す。5 - 3 - 1  気象ステーションデータの解析 1998年 9 月から2013年 8 月までの月ごとの値から解析を行った。図12は観測期間中の月最高気温・月最低気温の変化をグラフ化したものである。この地域では、雨期が11月から 3 月まで、乾期が 5 月から 8 月までいうことだが、雨期に気温差が小さく、乾期に大きくなる傾向があることが確認された。図13は月平均相対湿度の変化で 図11 気象観測ステーション

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第一章 ペルー共和国マチュピチュ遺跡建造物の保存修復に関する調査研究

あるが、図12と同様、雨期・乾期に応じた変化が見られるとともに、ほぼ80%以上と比較的高湿度であることが確認された。 図14は、各月の合計降水量について観測期間中の平均値を示したものである。観測地点の年間降水量は約2,150mmと比較的多く、その約70%が雨期に集中することが確認できた。このように、遺跡周辺は比較的高湿度であることが明らかとなったが、これは遺跡が山に囲まれていること、周辺植生の影響などが理由であると考えられる。また、雨期には多いときで月間降水量が300mmを超えることが珍しくないが、遺跡やバッファゾーンの斜面崩壊などのリスクがあることが再確認された5 - 3 - 2  「太陽の神殿」内部の微気象の解析 2013年 8 月に太陽の神殿内で精密な温湿度計測を行った。図15は直射日光による温度上昇と湿度の変化を確かめるため、太陽の神殿内の 2 か所で、 8 月12日の昼から13日の昼まで24時間測定を行った結果である。太陽の神殿周辺は植生など日射を遮るものがないため、直射日光が側壁にあたっているときは30℃以上まで気温が上昇すること、また日射のない夜間については、翌朝まで徐々に気温が低下してゆくこと、日没時は両地点で 3 ℃程度の差があったものが、 6 時間かけて同じ値へと漸近してゆくことが確認できた。また、相対湿度についても同様の結果が得られた。

5 - 4  計測、測量調査 「太陽の神殿の」現状(保存修復前の状態)を正確に計測、記録するために、トータルステーションによる三次元計測を行った[図16]。測量に先立ち、マチュピチュ遺跡に設置されている測量基準点を踏査し、利用可能な基準点から測量対象地点近傍に測点を増設した。この測点から「太陽の神殿」の周辺部を含めた電子平板測量を実施し、地形図を作成した。地形図の測量は、 3 次元データで記載され

図12 月の最高気温、最低気温の推移

図13 月の平均相対湿度の推移

図14 月の降水量

図15 「太陽の神殿」内の気温、相対湿度(2013.8.12~13)

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ており、写真測量とスキャニングを行うための測点も記録されている。 石組の劣化や亀裂の状態を把握することを目的に、写真測量による3D画像の作成を行った。図17に結果の一部を示す。外壁の隙間が広がっている部分の3D化を行ったもので、平面写真のように表現されているがパソコン画面に3D表示された状態のスクリーンコピーである。3D表現を行うことによって石組の大きさや隙間の量が測定でき全体の移動量も算出することが可能である。「太陽の神殿」の外周は、ひび割れや剥離もなく良好な状態であるが、内側はひび割れがかなり進行している石材もあることが確認できた。 模型の作製と変形の進行状況を把握するためにトータルステーションの3Dスキャナー機能を用いてスキャンを行った。スキャニングは、鉛直と水平の測定ピッチ角度を設定し実施するが、外側の測定は足場が無く遺構の下方から行うために均等な測定分布ではない。今後、遺構全体の模型を作成するために取り残しのないように測定する必要がある。視覚的に把握しやすいよう模型を作成することを試みた。模型は、3Dスキャニングにより得られたデータを元にコンピュータ上でポリゴンを作成し、紫外線硬化樹脂を使用し、3D造型機により作成した。

5 - 5  現場処置実験5 - 5 - 1   亀裂への樹脂注入 敷地内の自然石にあった幅0.6mmの亀裂に対して樹脂注入の実験を行った。樹脂の漏れを防ぐために、エチレン酢酸ビニル共重合体樹脂系エマルジョン型接着剤を亀裂に近い幅で塗布し、表面は同質石粉、石粒による、擬石処理を施した後、エポキシ樹脂(ボンドE-207 ゼリー状タイプ)を注射器で約100cc注入した[図18]。

図18 亀裂への樹脂注入試験

図19 地衣類除去剤の応用実験

5 - 5 - 2  地衣類除去剤塗布 2012年 8 月に遺跡内で地衣類の着生が顕著な天然石で、東西南北 4 面のそれぞれ 1 か所(0.1㎡程度)に地衣類除去剤(コレトレール®)を塗布した(約500g/㎡)[図19]。 1 年経過段階で顕著な効果が見られた。約3 年後の現在も,ほぼその状態を維持しているが、僅かながら地衣類の再着生が見られ始めている。

図17 石積壁の 3 次元画像

図16 トータルステーションによる 3 次元計測

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第一章 ペルー共和国マチュピチュ遺跡建造物の保存修復に関する調査研究

5 - 5 - 3  神殿基壇石の割断小片の再接合(修復) 天然の岩からなる神殿基壇の正面端部で、60㎝ほどの長さで脱落があり、脱落石片が残されていた(一部欠失)。これらの石片の再接合と欠失部の擬石による充填仕上げを試験的に行った。その仕様は以下に示すとおりであるが、技術的には特に問題なく処置することができた[図20]。1 )接合面を水洗し、付着土砂、着生地衣類を除去した。2 ) 割断部材の接合面にエポキシ樹脂(ボンドE-208 グリース状)を塗布し、基壇に木槌で叩きながら圧着を

した後、いったん引きはがし、基壇側に接着剤が万遍なく付着しているかを確認。付着してない部分があれば、そこに追加塗布した。

3 )再度圧着後、再び引きはがし、全面に接着剤の付着を確認し、圧着して完全硬化まで放置した。4 ) 基壇側と割断部材の接合線には、表層に僅な空隙が生じているので、擬石(エチレン酢ビと現地花崗岩の

細粒、粉末を混ぜたもの)を充填した。この際、消石灰を若干混合した。これによって硬化の促進と、より自然な石に近い品質が得られた。

5 - 6  関連調査� 「太陽の神殿」とならんでマチュピチュ遺跡を代表する重要な遺構である「インティワタナ(日時計)」の保存修復調査をペルー側から要請されている。インティワタナは遺跡の最高地点にある高さ1.8mの石造物で、日時計であったと推定されているが確定的ではない[図21]。歴史的にきわめて重要な記念物であることはいうまでもないが、パワースポットとして観光客でにぎわう人気スポットでもある。石の下部を横切るように幅1 ~ 2 ㎝の割れ目が走り、斜めにも幅 2 ~ 3 ㎜の亀裂が走っている。 我々の調査では、当面の危険性はないと判断したが、今後の良好な維持のための方策を種々の観点から検討している[図22]。

図21 インティワタナ

図22 割れ目の状態観察

図20 基壇石の割断小片の再接合

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5 - 7  公開シンポジウム 本調査研究の成果を踏まえて、マチュピチュ遺跡の保護の現状と対策について紹介する公開シンポを、2014年 3 月に新潟で、2015年2-3月に東京と大阪で開催した[図23~25]。 ペルーから共同研究者のチャンピ、グラディス両氏を招聘して講演をお願いした。本シンポジウムの内容については、ホームページを参照されたい。

6 .技術移転

 マチュピチュ遺跡保護管理事務所所属の保存修復技術者(主任クラス) 2 名と関連の職員に対して、破損した石材の修復技術、具体的には合成樹脂接着剤による割損石材の接着技術を実地指導することによって習得させた。この場合、単に技術を教えるだけでなく、なぜそのようにするのかわかりやすく説明し、理論と実践の両面から十分な説明と質疑応答を通して、十分に理解させるべく丁寧な指導を行った。 指導項目は下記の通りであるが、その技術内容は、 5 - 5 - 3 で述べたものとほぼ同じである。 ●接合面のクリーニング ●接着剤の調整 ●仮接合と密着度の確認 ●本接合 ●養生 彼らは熱心に学習し、現地研修としてはきわめて有効であった[図26]。

7 .主な発表論文等

〔雑誌論文〕① 西浦忠輝、マチュピチュ遺跡保存修復プロジェク

ト〔中間報告〕、文化遺産学研究、No.7、国士舘大学、2014

図23 2014.3シンポジウム(新潟)

図25 2015.3シンポジウム(大阪)

図24 2015.2シンポジウム(東京)

図26 技術移転(現地研修)

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第一章 ペルー共和国マチュピチュ遺跡建造物の保存修復に関する調査研究

② Conservation of the Machu-Picchu Archaeological Site ‒ Investigation and Experimental Restoration Works of “Temple of the Sun” ‒, T.Nishiura, Y.Okada, H.Shibata, I.Ono, M.Sawada, A.Ito, T.Nishigata, H. Fujita, M.Morii, et al., The Journal of Center for the Global Study of Cultural Heritage, and Culture, Vol.1, Kansai University, 2014

③ 西浦忠輝、海老澤孝雄、伊藤淳志、藤田晴啓、沢田正昭 他、ペルー、マチュピチュ遺跡の保存修復[Ⅱ]-太陽の神殿の保存修復に関する調査と試験施工、Semawy Menu、 vol.4,関西大学、2013

④ 西浦忠輝、藤田晴啓、フェルナンド・アステ-テ、カルロス・カノー、ペルー、マチュピチュ遺跡の保存修復[Ⅰ]-遺構の劣化と保存に関する現地調査-、Semawy Menu, vol.3、関西大学、2012

〔学会発表〕① 西浦忠輝、岡田保良、柴田英明、小野勇、伊藤淳志、西形達明、藤田晴啓、森井順之、荒木良祐、荒木祐一

郎 他、ペルーマチュピチュ遺跡の保存修復-「太陽の神殿」の劣化原因と保存修復方針-、文化財保存修復学会第37回大会、2015.6

② Conservation of Machu-Picchu Archaeological Site ‒ Investigation and Experimental Restoration Works of “Temple of the Sun” ‒, T.Nishiura, H.Shibata, I.Ono, M.Sawada, A.Ito, T.Nishigata, H. Fujita, M.Morii, et al., International Symposium on Conservation of Ancient Sites on the Silk Load in 2014, Dunhuang, China, 2014.10

③ 小野勇、西浦忠輝、柴田英明、西形達明、マチュピチュ遺跡「太陽の神殿」の保存修復-Ⅱ-、地盤工学会2014年大会、2014.7

④ 西浦忠輝、沢田正昭、岡田保良、柴田英明、小野勇、伊藤淳志、西形達明、藤田晴啓、森井順之 他、ペルーマチュピチュ遺跡の保存修復[Ⅲ]-「太陽の神殿」の劣化と保存修復に関する調査研究-、文化財保存修復学会第36回大会、2014.6

⑤ 西浦忠輝、藤田晴啓、小野勇、伊藤淳志、柴田英明、沢田正昭 他、ペルーマチュピチュ遺跡の保存修復[Ⅱ]-太陽の神殿の劣化と保存修復に関する調査および実験施工-、文化財保存修復学会第35回大会、2013.7

⑥ 小野勇、西浦忠輝、柴田英明、マチュピチュ遺跡「太陽の神殿」の保存修復,地盤工学会2013年大会、2013.7

〔ホームページ〕http://gbs.nuis.jp/machu-picchu/

8 .おわりに

 本調査研究成果を活かして、実際の保存修復事業を行うべく、資金計画を含めて検討、準備中である。2016年度は現地における調整、協議を行うことで計画している。 本調査研究事業は文科省科学研究費補助金(基盤研究B[海外]:課題番号24404001 研究代表者・西浦忠輝)を中心に、(公財)朝日新聞文化財団・文化財保護助成、(公財)住友財団・海外文化財維持修復事業助成ならびに関西大学国際文化財・文化研究センター研究費(文科省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業)に拠っている。 「マチュピチュ遺跡保存修復プロジェクト」に対するご支援に深く感謝申し上げるとともに、今後とも広くご支援を賜りたく、切にお願いするものである。

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第二章 国士舘大学発掘調査団によるヨルダン、ウム・カイス遺跡の初期ローマ市門地区H17地下室出土の土器分類の試み

第二章 �国士舘大学発掘調査団によるヨルダン、ウム・カイス遺跡の初期ローマ市門地区H17地下室出土の土器分類の試み

The classify of pottery from Grid-H17 (underground room) at near Early Roman Gate in Umm Qais, Jordan

松本 健*

Abstract Umm Qais, ancient name Gadara, has been excavated since 2005 by Kokushikan archaeological expedition to Jordan. There was a underground room(ca. 4m X 5m) under the floor of “Roman House” at Grid H17 ,from where many kind of objects, pottery, glass, animal bones, and etc., were found on 2010, and 2012. The underground room has been closed or blockaded after abandoned Roman House, so that these objects belong to a single age before abandoned Roman House. It seems to be 2nd ‒ 3rd century AD.

 ウム・カイスの発掘は2005年以後 5 年間、イラク人の文化遺産研修と平行して発掘調査が行われ、その後も国士舘大学文化遺産プロジェクトとして発掘調査を実施してきた。その中で2010年と2012年にこのH12地下室が発掘され、多くの貴重な遺物(土器、獣骨、ガラス片など)が出土した。この地下室は所謂ローマンハウスと呼んでいるバサルト製の敷石床とバサルト製のイオニア式円柱を持つ家屋の下に、設けられていたものである。それが破壊され、放棄される時に巨大な石灰石の切石が投げ込まれて、これらの地下室への階段や入り口が塞がれていたのである。我々がそれらの切石や土砂を取り除き、その中に掘り進むと中は広い地下室(約4 m× 5 m程)で高さ1.2m程であり、人が中腰で立つ程度であった。床には30cm̃50cmの堆積物があって、砕けた石灰質の瓦礫や、土器片などが表面に散乱していた。この地下室は当初岩盤に切り込まれた地下墓であったと思われるが、それがこのローマンハウスを建設する際に改造されて、地下室として利用されたと思われる。またその地下室内の堆積状況から、地下水槽として使用されていた可能性もある。それは土砂や遺物の堆積から推測されるのは水が貯まっては乾くことが繰り返され、その時々に土器など壊れた瓦礫が投げ入れられ、徐々に堆積したと思われる現象が見られる。そしてローマンハウスが破壊され放棄された時に閉ざされ、埋められてしまった。その上にモザイク床を持つ大建築物が建設された。その後2000年間程埋もれていたのが発掘されたのである。その意味では閉ざされて以後の新しい遺物が混じっていない遺物であり、ウム・カイス遺跡の編年上の標準遺物となり得る。即ち遺物や遺構の年代付けることができるという点で極めて重要である。今回の土器分析は最初の発掘時、2010年の地下水槽南壁沿い区域 1 m幅のトレンチ出土物を除く、2012年の発掘区域の出土物の土器片である。 分析の結果、ローマ帝国時代といわれる時期の土器であり、またその堆積物のC14年代測定から、同様の年代が得られた。 C14年代測定用サンプル,(株)地球科学研究所測定1 、Umm Qais3. Beta-371850, charred material, 1800±30BP,AD130 to 2602 、Umm Qais4. Beta-371851, charred material, 1870±30BP,AD70 to 230 3 、Umm Qais5. Beta-371852, charred material, 1800±30BP,AD130 to 260

 出土物はAfrican red slip ware含む多種多様にわたっており、地域産また北アフリカ産の土器などからローマ帝国時代の生活様式の多様化がこれらの土器形式からも伺える。またこの地下室に類似した地下水槽は同発掘区域からも他に発見されている。 尚、以下に示す土器片は2012年発掘のすべての土器片である。縮尺は不揃いであるが、中には 2 cmのスケールが付いているものもある。

*国士舘大学イラク古代文化研究所

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*方形の青色破線がH17の地下室

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第二章 国士舘大学発掘調査団によるヨルダン、ウム・カイス遺跡の初期ローマ市門地区H17地下室出土の土器分類の試み

Type1.large Jar with two handles on the body

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Type2.jar with two handles on the neck

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第二章 国士舘大学発掘調査団によるヨルダン、ウム・カイス遺跡の初期ローマ市門地区H17地下室出土の土器分類の試み

Type3.jugret with two handles on the neck

Type4.jugret with one or two handles on the neck

Type5.cooking pan with two small handles

Type6.cooking pan with two handles on the rim

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Type7.cooking pot with two handles on the neck

Type8.cooking pan with two handles on the neck

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第二章 国士舘大学発掘調査団によるヨルダン、ウム・カイス遺跡の初期ローマ市門地区H17地下室出土の土器分類の試み

Type9.fine ware (African red slip ware)

Type10.fine ware (African red slip ware)

Type 11.fine ware

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Type12.rims of fine ware

(African red slip ware)

Type13.small pot and ring base (African red slip ware)

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第二章 国士舘大学発掘調査団によるヨルダン、ウム・カイス遺跡の初期ローマ市門地区H17地下室出土の土器分類の試み

Type14.dish

Type15.deep bowl

Type16.deep bowl

Type17. small pot

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Type.18small pot

Type20.pipe

Type21.terracotta

Type22.lamp

Type23.incence burner, ring

Type24. roof tile

Type19.coarse ware

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第三章 Deities and Symbols on the Coins of Gadara.

第三章 �Deities�and�Symbols�on�the�Coins�of�Gadara.Makoto�Ezoe*

 Gadara was one of the most brilliant ancient Greco-Roman cities in Transjordan and situated on the key trading routes connecting Syria and Palestine. Gadara was permitted to mint its own coins by Roman administration from 63BCE to 241CE. Except reliefs of emperors and empresses, 33 types of deities and symbols can be identified in these coins. In this paper, I would like to organize types of deities and symbols on the coins in order to grasp thoughts of the Gadara people. Basically, these coin images are assembled from four previous studies (by Spijkerman 1978; Meshorer 1985; Lichtenberger 2003; Cohen 2011).

TYPES�OF�DEITIES�AND�SYMBOLS

1.�Heraklesa)�Bust�of�Herakles�left�(Obv.)

Bust of Herakles left, wearing lion’s skin headdress, holding club over left shoulderNo legendSymbols of Reverse: Ram of galley rightDate:LΑ 1=64/63BCEReference:Spijkerman 1; Meshorer 217; Cohen 533

b)�Bust�of�Herakles�right�(Rev.)Laureate bust of (Melkart-)Herakles right, lion’s skin tied at neck Types of Legends:ΓΑΔΑPEWN ΓKC / ΓΑΔΑPEWN ΔKC / ΓΑΔΑΡEWN EKC / ΓΑΔΑΡEWN ςKC / ΓΑΔΑΡEWN ΖKC / ΓΑΔΑ・ΡEWN EKC / ΠΟΜΓΑ・ΔΑΡ・EKC / ΓΑΔΑΡEWN ΓΜC / ΠΟΜ・ΓΑΔΑΡEWN ΓΜC / ΓΑΔΑΡEWN ΒΞC / ΠΟΜΠΗΕWΝ ΓΑΔΑΡEWN / ΓΑΔΑΡEWN ΕΠC

Emperors of Obverse: Antoninus Pius / Lucius Verus / Marcus Aurelius / Commodus / Septimius Severus / Caracalla

Date: ΓKC 223=159/160CE, ΔKC 224=160/161CE, EKC 225=161/162CE, ςKC 226=162/163CE, ΖKC 237=173/174CE, ΓΜC 243=179/180CE, ΒΞC 262=198/199CE, ΕΠC 285=221/222CE

Reference:Spijkerman 32, 37, 38, 39, 40, 41, 53, 54, 55, 56, 62, 68, 74, 81; Lichtenberger MZ36, 37, 38, 39; Meshorer 221

c)�Herakles�standing�right�(Rev.)Herakles, wearing short tunica and boots, lion’s skin at back, standing right, left hand resting on cista placed upon column from which emerge two serpents, unidentified object (hurling thunderbolt or club?) in raised right hand, at right a lion jumping up against the column; at left, small animal standing leftType of Legend: ΓΑΔΑΡEWN K・C・I・AV Β[ΠC]Emperor of Obverse:ElagabalusDate:ΒΠC 282=218/219CEReference:Spijkerman 80; Lichtenberger MZ40; Meshorer 226

*Co-researcher, The Institute for Cultural Studies of Ancient Iraq, Kokushikan University

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d)�Herakles�standing�right�(Rev.)Same type of (c), but whole within distyle templeType of Legend:ΓΑΔΑ ΒΠCEmperor of Obverse:ElagabalusDate:ΒΠC 282=218/219CEReference:Lichtenberger MZ41

e)�Bust�of�Herakles�right�(Rev.)Laureate bust of Melqart-Hercules right, with lion skin tied around neck, club to right, below, the Three Graces standing facing within wreath.Type of Legend:ΔHMAPX ЄΞ VΠA TO ΔEmperor of Obverse:CaracallaReference:Dvorjetski 2011, 96

2.�Athenaa)�Head�of�Athena�right�(Obv.)

Head of Athena right, draped, wearing crested helmetNo legendSymbols of Reverse:Aphlaston / Macedonian Helmet / Inverted AnchorDate:LΑ 1=64/63BCEReference:Spijkerman 2, 8; Meshorer 216, Lichtenberger MZ43; Cohen 534, 535

b)�Bust�of�Athena�right�(Rev.)Bust of Athena right, draped, wearing crested helmetType of Legends:ΓΑΔΑPEWN ΓKC / ΓΑΔΑPEWN ΔKC / ΓΑΔΑΡ ΓΜCEmperors of Obverse:Antoninus Pius / Lucius Verus / CommodusDate:ΓKC 223=159/160CE, ΔKC 224=160/161CE, ΓΜC 243=179/180CEReference:Spijkerman 34, 57, 64; Lichtenberger MZ42

3.�Tychea)�Bust�of�Tyche�right�(Obv.)

Bust of Tyche right, draped, wearing turreted crown and vail, palm-branch behindNo legendSymbols of Reverse: Winged Caduceus / CornucopiaDate:LIH 18=47/46BCE, LK 20=45/44BCE, KA 21=44/43BCE, LEK 25=40/39BCEReference:Spijkerman 3, 4, 5, 6, 7; Lichtenberger MZ29; Cohen 536, 537

b)�Bust�of�Tyche�right�(Rev.)Bust of Tyche right, draped, wearing turreted crown and vailType of Legends:ΓΑΔΑPEΙΣ LΛΔ / ΓΑΔΑPEC LЧΒ / ΓΑΔΑPEΙC LЧΒ / ΓΑΔΑPEΙC ΗΒ ΓΑΔ LЧΒ / ΓΑΔΑ ЧΒ / ΓΑΔΑ LЧΒ / ΓΑΔΑPΑ LΡΔ / ΓΑΔΑPΑ LΗΡ / ΓΑΔΑPΑ LΔΙΡ ΓΑΔΑPΑ LΑΛΡ / ΓΑΔΑPΑ LΕΛΡ/ ΓΑΔΑPΑ LΖΛΡEmperors of Obverse:Augustus / Tiberius / Caligula / Claudius / Nero / TitusDate:LΛΔ 34=31/30BCE, LЧΒ 92=28/29CE, LΡΔ 104=40/41CE, LΗΡ 108=44/45CE, LΔΙΡ 114=50/51CE, LΑΛΡ 131=67/68CE, LΕΛΡ 135=71/72CE, LΖΛΡ 137=73/74CE

Reference:Spijkerman 9, 11, 14, 16, 19, 24, 27, 29; Cohen 538

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第三章 Deities and Symbols on the Coins of Gadara.

c)�Tyche�standing�left�(Rev.)Tyche, wearing turreted crown and long chiton, standing left, holding wreath in extended right hand and cornucopia in left hand, palm-branch belowType of Legends:ΓΑΔΑPΑ LΑΛΡ / ΓΑΔΑPΑ LΕΛΡEmperors of Obverse:Nero / VespasianusDate:LΑΛΡ 131=67/68CE, LΕΛΡ 135=71/72CEReference:Spijkerman 22, 23, 26; Lichtenberger MZ30

d)�Tyche�standing�right�with�Nike�(Rev.)Tyche, wearing turreted crown, chiton and mantle, standing right, on half figure of river god; resting right hand on long sceptre, holding cornucopia in left hand, Nike standing left on column tending wreath to TycheType of Legend:ΓΑΔΑPEWN ΔKC / ΓΑΔΑPEWN ΓΜCEmperor of Obverse: Marcus Aurelius / CommodusDate:ΔKC 224=160/161CE, ΓΜC 243=179/180CEReference:Spijkerman 42, 65

e)�Tyche�standing�right�within�the�temple�(Rev.)Same type of (d), but whole within distyle templeType of Legends: ΓΑΔΑPEWN EKC / ΓΑΔΑP EKCEmperor of Obverse: Marcus AureliusDate:EKC 225=161/162CEReference:Spijkerman 43, 44; Lichtenberger MZ32

f)�Tyche�seated�right�within�the�temple�(Rev.)Tyche seated right on rock within tetrastyle temple, the river-god Orontes swimming beneath herType of Legends:ΠΟΜ ΓΑΔ ΤΚΑΤEmperor of Obverse:ElagabalusReference:Lichtenberger MZ34

g)�Tyche�standing�left�(Rev.)Tyche, wearing turreted crown, chiton and mantle, standing left, on half figure of river god; resting right hand on long sceptre, holding cornucopia in left hand, Nike standing left on column tending wreath to TycheType of Legends:ΓΑΔΑPEWN ΓKCEmperor of Obverse:Antoninus Pius / Lucius VerusDate:ΓKC 223=159/160CEReference:Spijkerman 50; Lichtenberger MZ31

h)�Tyche�standing�left�within�the�temple�(Rev.)Same type of (g), but whole within distyle temple Type of Legends:ΠΟΜ ΓΑΔ EKC / ΓΑΔΑPΑ ΕΤΗΟCEmperor of Obverse:Marcus Aurelius / Julia DomnaDate:EKC 225=161/162CE, ΗΟC 278=214/215CEReference:Spijkerman 45, 71; Lichtenberger MZ33

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i)�Cornucopia�(Rev.)CornucopiaType of Legends:ΓΑΔΑPEWN LIH / ΓΑΔΑPEWN LK / ΓΑΔΑPEWN KA / ΓΑΔΑPEWN LEKDeity of Obverse:TycheDate:LIH 18=47/46BCE, LK 20=45/44BCE, KA 21=44/43BCE, LEK 25=40/39BCEReference:Spijkerman 4, 5, 6, 7; Lichtenberger MZ29; Cohen 537

j)�Two�Cornucopiae�(Rev.)Two crossed cornucopiae in saltireType of Legends:ΓΑΔ LЧΒ / ΓΑΔΑ ЧΒ / ΓΑΔΑ LЧΒ / ΓΑΔΑPΑ HΡ / ΓΑΔΑPΑ ΔΙΡ ΓΑΔΑPΕΩΝ LΑΛΡ / ΓΑΔΑPΕΩΝLΕΛΡ / ΓΑΔΑPΕΩΝ LΖΛΡEmperors of Obverse:Tiberius / Claudius / Nero / TitusDate:LЧΒ 92=28/29CE, HΡ 108=44/45CE, ΔΙΡ 114=50/51CE, LΑΛΡ 131=67/68CE, LΕΛΡ 135=71/72CE, LΖΛΡ 137=73/74CE

Reference:Spijkerman 12, 17, 20, 25, 28, 30; Lichtenberger MZ29

k)�Winged�Caduceus�(Rev.)Winged CaduceusType of Legends:ΓΑΔΑPEWN LIHDeity of Obverse:Tyche Date:LIH 18=47/46BCEReference:Spijkerman 3; Cohen 536

l)�Caduceus�(Rev.)CaduceusType of Legends:ЧΒ / LЧΒ / HP / ΔΙΡ Emperors of Obverse:Tiberius / ClaudiusDate:LЧΒ 92=28/29CE, HΡ 108=44/45CE, ΔΙΡ 114=50/51CEReference:Spijkerman 13, 15, 18, 21,

4.�Zeus�a)�Zeus�seated�left�(Rev.)

Within tetrastyle temple with pediment, Zeus seated left, holding Nike(?) on right hand, left hand resteing on long sceptreType of Legends:ΠΟ・ΓΑΔΑΡ Ι・Α・Α・Γ Κ・CΥ ΓΚC / ΠΟΜΓΑΔΑΡ ΙΑΑΓ ΚCΥΡ ΕΚC / ΠΟΜΓΑΔΑΡ ΙΑΑΓ ΚCVΡ ςΚC / ΠΟΜΓΑΔΑΡ ΙΑΑΓ ΔΚC / ΠΟΓΑΔΑPWN ΙΑΑΓ ΚCΥΡ ΕΚC / ΠΟΓΑΔΑPΕWN ΙΑΑΓ ΚCΥΡ ΕΚC / ΠΟΓΑΔΑ ΙΕ・ΑC Α・Γ・Κ・C ΒΜC / ΠΟΓΑΔ ΙΕ・ΑC ΑΓΚC ΓΜC / ΠΟΜΠΗ ΙΓΑΔΑ ΡΕWΝ ΒΞC / ΠΟΜ ΓΑΔΑ ΡΕ ΚCV ΗΟC / ΠΟΜ ΓΑΔΑΡ ΕWΝ ΚCV ΗΟC / ΠΟΜΓΑΔ ΙΑΑΓ ΚCVΡ ΑΠC / ΓΑΔΑ CΒΠΕ / ΠΟ ΜΠ ΓΑΔΑΡ ΕWN ΓΤEmperors of Obverse:Antoninus Pius / Lucius Verus / Marcus Aurelius / Commodus / Septimius Severus / Caracalla / Geta / Elagabalus / Gordianus III

Date:ΓKC 223=159/160CE, ΔKC 224=160/161CE, EKC 225=161/162CE, ςKC 226=162/163CE, ΖKC 237=173/174CE, ΒΜC 242=178/179CE, ΓΜC 243=179/180CE, ΒΞC 262=198/199CE, ΗΟC 278=214/215CE, ΑΠC 281=217/218CE, ΒΠC 282=218/219CE, ΕΠC 285=221/222CE,

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第三章 Deities and Symbols on the Coins of Gadara.

ΓΤ 303=239/240CEReference:Spijkerman 31, 35, 36, 46, 47, 48, 51, 52, 60, 61, 72, 73, 76, 77, 78, 79, 90; Lichtenberger MZ44, 45; Meshorer 220

b)�Bust�of�Zeus�right�(Rev.)Laureate and draped bust of Zeus rightType of Legends:ΓΑΔΑPΕWN・EKC / ΓΑΔΑΡ ΕWN ΓΜCEmpresses of Obverse:Faustina Minor / CrispinaDate:EKC 225=161/162CE, ΓΜC 243=179/180CEReference:Spijkerman 49, 67; Lichtenberger MZ46

5.�Three�Graces�(Rev.)The Three Graces standing, the centre one with her back to the viewer, her arms around the shoulders of the othersType of Legends:ΓΑΔΑ ΡΕWΝ Κ CVΡ ΑΠC / ΠΟΜΠ ΓΑΔΑ ΡΕWN ΓΤ / ΠΟΜΠ ΓΑΔΑ ΡΕWN ΔΤ

Emperors of Obverse:Elagabalus / Gordianus IIIDate:ΑΠC 281=217/218CE, ΓΤ 303=239/240CE, ΔΤ 304=240/241CEReference:Spijkerman 82, 83, 91, 92; Lichtenberger MZ51; Meshorer 225

6.�Galleya)�Ram�of�Galley�(Rev.)

Ram of galley rightType of Legends:LΑ ΡΩΜΗΣ / LΑ ΡΩΜΗDeity of Obverse:HeraklesDate:LΑ 1=64/63BCEReference:Spijkerman 1; Meshorer 217; Cohen 533

b)�Aphlaston�(Rev.)Aphlaston (decoration on galley’s stern)Type of Legend:LΑ ΡΩΜΗDeity of Obverse:AthenaDate:LΑ 1=64/63BCEReference:Spijkerman 2; Meshorer 216; Cohen 534

c)�Galley�sailing�left�(Rev.)Galley equipped with ramming prow, sailing left, rowed by oarsmen, one steerman holding on standard on the bow, another steerman seated on the sternType of Legends:ΓΑΔΑ ΡΕWN ΝΑΥΜΑ ΔΚC / ΓΑΔΑ ΡΕWN ΤΗCΚΑΤΑΙΓΥ ΝΑΥΜΑ ΔΚC / ΠΟΜΠΗΙΕWΝ ΓΑΔΑ ΡΕWN Ε・Τ・ΓΜC / ΠΟΜΠΗΙΕWΝ ΓΑΔΑ ΡΕWN ΕΤΒΞC / ΠΟΜΠΗΙΕWΝ ΓΑΔΑ ΡΕWN ΕΤΗΟC / ΠΟΜΠΗΙΕWΝ ΓΑΔΑ ΡΕWN ΓΠC

Emperors of Obverse:Antoninus Pius / Marcus Aurelius / Commodus / Septimius Severus / Caracalla / Elagabalus

Date:ΔKC 224=160/161CE, ΓΜC 243=179/180CE, ΒΞC 262=198/199CE, ΗΟC 278=214/215CE, ΓΠC 283=219/220CE

Reference:Spijkerman 66, 69, 70, 75; Lichtenberger MZ48, 49, 50; Meshorer 218, 219, 223

29

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d)�Galley�sailing�left�(Rev.)Same type of (g), but below galley two dolphinsType of Legends:ΠΟΜΠ ΓΑΔΑ ΡΕWN ΑΠC / ΠΟΜΠ ΓΑΔΑ ΡΕWN ΒΠCEmperor of Obverse:ElagabalusDate:ΑΠC 281=217/218CE, ΒΠC 282=218/219CEReference:Spijkerman 84, 85, 86, 88; Meshorer 224

e)�Galley�sailing�left�(Rev.)Same type of (g), but whole within laurel-wreath, tied below, medallion at topType of Legends:ΠΟΜΠ ΓΑΔΑ ΡΕWN ΒΠC / ΠΟΜΠ ΓΑΔΑ ΡΕWN ΓΠCEmperor of Obverse:ElagabalusDate:ΒΠC 282=218/219CE, ΓΠC 283=219/220CEReference:Spijkerman 87, 89

f)�Galley�sailing�right�(Rev.)Galley equipped with ramming prow, sailing right, rowed by oarsmen, one steerman holding on standard on the bow, another steerman seated on the sternType of Legend:ΠΟΜΠ ΓΑΔΑ ΡΕWN ΓΤDate:ΓΤ 303=239/240CEEmperor of Obverse:Gordianus IIIReference:Spijkerman 93, 94, 95, 96

7.�Youth�Male�(Rev.)Bare-headed young male bust rightType of Legend:ΓΑΔΑPEWN・ΓKC / ΓΑΔΑPEWN ΔKC / ΓΑΔΑPEWN EKC ΓΑΔΑPEWN ΓΜCEmperors of Obverse:Antoninus Pius / Lucius Verus / CommodusDate:ΓKC 223=159/160CE, ΔKC 224=160/161CE, EKC 225=161/162CE, ΓΜC 243=179/180CE Reference:Spijkerman 33, 58, 59, 63; Lichtenberger MZ47

8.�Inverted�Anchor�(Rev.)Inverted Anchor Type of Legend:Γ ΑDeity of Obverse:AthenaReference:Spijkerman 8; Lichtenberger MZ43

9.�Club�(Rev.)Club, uprightType of Legend:Γ ΑEmperor of Obverse:AugustusReference:Spijkerman 10; Lichtenberger MZ35

30

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第三章 Deities and Symbols on the Coins of Gadara.

10.�Macedonian�helmet�(Rev.)Macedonian helmet Type of Legend:LΑ ΡΩΜΗDeity of Obverse:AthenaDate:LΑ 1=64/63BCEReference:Cohen 535

11.�Eagle�(Rev.)Eagle standing facing, head and tail left, with wings displayed, holding wreath in beak; between legs three Graces within a wreathType of Legend:ΔHMA PX EΞ VΠA T / ΔHMA PX EΞ VΠA TO Δ / ΔHMAPXEΞVΠA TΟCΠ

Emperors of Obverse:Caracalla / MacriusReference:Spijkerman 97, 98; Meshorer 222

DISCUSSION

 Types of deities and symbols can be roughly divided into three phases (see Table 1.):(1)�The�first�year�coin�(64BCE) Three kinds of coins minted with the legend of the first year (LΑ ΡΩΜΗ) after Pompey’s reconstruction of the city. These three symbols (Ram of galley, Aphlaston, Macedonian Helmet) only appear on the coins in this phase.(2)�From�47BCE�to�74CE From the late Republican period to the days of Titus, the only deity minted on the coins was Tyche. Cornucopia and caduceus were the attributes of Tyche, denoting plenty and fertility. Tyche was the goddess of fortune and responsible for the protection of the city. It would appear that Gadara people prayed Tyche for prosperity and safety of the city under an uncertain situation caused by the Herodian kingship and the First Jewish War.(3)�From�159CE�to�241CE Zeus constantly appears on the coins from the days of Antoninus Pius to Gordian III as the chief deity of the classical pantheon. But bust of Zeus only minted on the coins the Empress. In the Roman world, many hot springs were dedicated to Herakles. Therefore Herakles was one of the important deities in the pantheon of Gadara associated with Hammat-Gader (Dvorjetski 2011, 82). Herakles also appears on the coins constantly like Zeus in this phase. Tyche is shown on the coins within the temple or with Nike, but there are far fewer coins than coins of Herakles and Zeus. Gadara people inscribed nautical symbols such as Roman galley on the city’s coins. Meshorer has suggested that the galley symbolized Pompey’s conquest of the country after his victories over the pirates controlling the east coast of the Mediterranean basin

(Meshore 1985, 82; Dvorjetski 2007, 362). The statue of Three Graces appears on the coins in the days of Elagabal and Gordian III. During the region of Caracalla and Macrius, the provincial Roman silver tetradrachms were minted in Gadara. The Three Graces within a wreath appears between the claws of an eagle as the mintmark of Gadara on these silver coins. Dvorjetski mentioned that a cult of the Three Graces was apparently practiced in Gadara, likely associated with that of Herakles (Dvorjetski 2011, 97). It seems that Gadara people exhibited a relationship with Roman Empire and tradition of their own city through inscribing these deities and symbols on the city’s coins.

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第三章 Deities and Symbols on the Coins of Gadara.

BIBLIOGRAPHY

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第四章 古代遺跡のクレーンについての考察

第四章 �古代遺跡のクレーンについての考察Consideration of Crane in Antiquities

小野 勇*

1 、古代ローマのクレーン

 古代ローマにおいて遺跡の建造を行う場合、相当な重量物を高所へ設置する作業が頻繁に行われた。重量物は主に石材であるが、列柱や神殿を見ても大規模なもので20t程度のものを10m以上の高所へ設置している。アンマン城のヘラクレス神殿の柱を写真 1 に示す。柱は直径が1.6m程度あり、 6 個のドラムで構成されており最上段のドラムは地上から15mの上空に設置されている。更に、柱の上部には、梁であるエンタプラチュアが設置されており、30t程度の重量である。このような遺構の造営手法としては、 1 段目のドラムを設置した時点で周囲を土砂で埋め、次の部材を斜路に沿って持ち上げて組み立てる手法も考えられる。しかし、この工法では大量の土砂と人手、時間が必要であり、クレーンを駆使すれば容易に組み立てることが可能である。柱頭(キャピタル)を写真 2 に示す。ヘラクレス神殿のキャピタルは、上下に 2 分割されており、重量が軽減されている。 クレーンを駆使した根拠としては、本遺跡の説明書きにクレーンの解説が掲示されており、写真 3 に示す。写真 4 に、掲示板の元になった模型を示す。大まかな構造は、強固な木材の柱を 2 本用いてA字型に上部を連

*理工学部 職員

写真 3  アンマン城のクレーン写真

写真 1  アンマン城のヘラクレス神殿

写真 4  クレーン模型(出展:http://www.art-and-archaeology.com/jordan/amman/ac03.html)

写真 2  アンマン城のヘラクレス神殿(柱頭)

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結し、下部を水平方向に動かないよう固定する。下部は固定するが、前後の回転を行えるようになっており、上部に固定したロープを操作することにより前後の傾きを変えることが可能である。 2 本の柱は横木によって連結されており、連結を行うことにより構造体の強度を増すことが可能である。長い木材に荷重がかかった場合、座屈によって柱は破損するが、これを防ぐためには、柱の断面積を増加させることや、強度の高い材料を使用することが有効であるが、このような処置は巨木を必要とするので現実的ではない。したがって、前述したように 2 本の柱を横部材により連結することにより座屈を防ぐことが重要である。巻き揚げ器の能力を検証してみると、人力によって10tの石材を吊上げる場合、人の体重が65kgと仮定すると154人の体重と釣り合うことになり定滑車を反して吊揚げようとすると多数の人が必要になる。この点を改良すべく少人数で作業を行うためには、ロープの巻き取り器と動滑車を用いる。図 1 に巻き取り器を示す。ロープを巻き取る軸の直径を0.2mとし、軸を回す棒の長さを1.5mと仮定し、これを片側 2 人、両側で 4 人が操作するとロープには3.9tの張力が作用する。これでは10tの石材は吊るせないが、 3 連の動滑車を用いることにより3.9tの張力は11.7tとなり、軸の摩擦等によるロスを勘案しても10tの石材を持ち上げることが可能である。ここで、巻き取り器の能力は十分であることが確認できるが、 3 連の滑車の性能が重要であり、模型では金属製の滑車を使用しているが木製の滑車でも十分な強度を確保することが可能であると考えられる。また、ロープの強度もクレーンを構成するうえで重要な要因であり、麻やヤシ類の植物繊維を用いて製造されたものと考えられる。滑車や巻き揚げ器の軸受け部分には、潤滑のためのオイルが必要になるが、オリーブオイルがその役割を担っていた。絞りたてのオリーブオイルは、粘性が低くオイルの粘度が低いため、撹拌して酸化を促進し、現在で言うところのグリースを製造することにより安価な潤滑剤を確保した。この模型では確認できないが、巻き上げ器の部分には、逆転をしないようストッパーが装備されており、巻き揚げているときに事故を防ぐ役割も担っている。 クレーンの柱を傾斜させるロープについて考察を行う。荷物を吊上げている途中の様子を図 2 に、設置するときの様子を図 3 に示す。クレーンは、柱を傾斜させることにより吊り込む位置から設置する位置へ荷物を移

図 1  巻き取り器

図 2  クレーンの模式図(つり込み途中)

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第四章 古代遺跡のクレーンについての考察

動することができる仕組みとなっている。吊揚げる位置で柱傾斜用ロープをクレーン台の桟木に縛り付けておき、巻き揚げ機を操作することにより設置する高さへ揚げる。その後、柱の傾斜を増加させ、設置する位置まで移動する。その際に、柱を立ち上げる場合を想定すると相当な巻き揚げ能力を必要とするが、逆に傾斜させる場合は一斉にロープを緩めることで設置位置に移動することが可能である。

2 、再現された古代のクレーン

 写真 3 に、アンマン城の案内板に掲示されていた古代のクレーンを示したが、他の種類のクレーンを写真 5 に示す。このクレーンは、写真 6 に示すような、クレーンを参考に作成されたもので、巻き揚げ器にフォイールを使用した仕様となっている。写真5 のクレーンは、ドイツのボンに設置されている古代のクレーンである。吊荷を揚げる高さはそれほどではないが、重量物を揚げることが可能な構造となっている。ブームの傾斜を変えるためのロープは地盤に固定された梁に結束されており、クレーンを移動することは不可能である。巻き揚げ器は、軸に棒を差し込んだものではなく、軸にフォイール(ドラム)が取り付けられたものであり、複雑な構造になっている。

図 3  クレーンの模式図(設置作業時)

写真 5  ドイツ、ボンの古代クレーン(出典:https://en.wikipedia.org/wiki/File:KranIBN.JPG)

写真 6  神殿造営の様子(出典:http://www.histarmar.com.ar/InfGral-6/Cranes.htm)

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3 、ウムカイス円形劇場修復

 本報告では、古代におけるクレーンの考察を行ったが、これはウムカイスの円形劇場の修復を行う際にクレーンを使用することから、円形劇場等の古代建造物を建造する際にクレーンの役割を検証するとともに、クレーンを使用しなかった場合の建造期間が相当伸びたであろうことが推測される。

4 、まとめ

 今後の計画としては、古代のクレーンを再現する。最初に 1 /10程度のクレーン模型を作成し、強度や機能の検証を行う。その後、20m程度の高所まで2tの重量物を揚げることが可能なクレーンを作成する。20mの高さを、柱が60°の角度で立ち上げるとすると25mの木材が必要になり、 1 本もので調達することが不可能であり、 3 本の木材を接合することになる。断面寸法も相当大きなものとなり20cm×40cm程度の寸法になる。これを接合するためには金属製のプレートで補強を行い、ボルトでの結合を行うことは困難であるので釘(当時も使われていた)を用いた接合を考えている。

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第五章 デカポリス“ガダラ”は、本当に749年パレスティナ大地震で壊滅したか

第五章 �デカポリス“ガダラ”は、本当に749年パレスティナ大地震で壊滅したか

Was Gadara of the Decapolis really destoryed in the great Palestine earthquake of AD 749 ?

東郷 正美*1長谷川 均*2後藤 智哉*3石山 達也*4今泉 俊文*5松本 健*6

Masami�TOGO*1Hitoshi�HASEGAWA*2

Tomoya�GOTO*3Tatsuya�ISHIYAMA*4�Toshifumi�IMAIZUMI*5Ken�MATSUMOTO*6

Abstract It is commonly accepted that the ancient city Gadara, one of the Decapolis, was destroyed in the great Palestine earthquake of AD 749; however, evidence for this remains unclear. Therefore, an investigation was carried out at the Gadara historical site in Umm Qais, northwest Jordan, revealing the following:  1 )  Although there are numerous fallen columns at the Gadara site, they are inconsistently aligned

(Fig.4). This suggests that the collapsing event was not necessarily by a powerful earthquake.  2 )  Most fallen columns lay on sediment covering Gadara’s ground surface and are covered by a thick

layer of rubble, including many wreckages of column (Photo 2 and 6).  3 )  Results of radiocarbon dating showed that the sediment and rubble layer were formed ca.1740 to

1720 years BP (Table 2).  4 )  As suggested by 2) above, Gadara had already closed before the column collapsing event, likely in

the period before the 3rd or 4th century AD, as suggested by 3). These data indicate decidedly that the ending of Gadara occurred far before the great Palestine earthquake of AD 749.

1 .まえがき

 ウム・カイスUmm Qaisの起源となった古代都市“ガダラGadara”は、デカポリスの一員として栄えたが、749年パレスティナ大地震で壊滅し、以後再建されることはなかったとされる。ウム・カイスの西に広がるガダラ遺跡の入口にはそのことを明記した案内板が建っている(写真 1 )。同内容を記述したガダラ関連文献にもしばしば接し、また、ガダラ遺跡で認めた事象を749年パレスティナ大地震と結びつけて解釈した報文なども少なくない(例えばNur & Burgess, 2008;El-Gohary & Al-Naddaf,

*1 法政大学 Hosei Univ.*2 国士舘大学 Kokushikan Univ.*3 グリーン航業(株) Green Ko-gyo Co.,Ltd.*4 東京大学地震研究所 Earthquake Research Inst., Univ. of Tokyo*5 東北大学,Tohoku Univ.*6 国士舘大学イラク文化研究所 Inst. for Cultural Studies of Ancient Iraq, Kokushikan Univ.

写真 1  ガダラ遺跡の案内看板Photo 1 A guideboard found in the remains of Gadara

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2009;Books LLC, 2010;Al-Azzam, 2012;El-Khouri & Omoush, 2015;Kraushaar et al., 2015など)。しかし、749年パレスティナ大地震に関する古地震学的研究では、ガダラに関する記述が登場することはない(Russell, 1985;Tsafrir & Forester, 1992;Amiran et al., 1994;Marco et al., 2003;Karez, 2004;Ambraseys, 2009)。また、19c末のガダラ遺跡の様子を伝えるMathews(1897)や、その発掘調査開始初期の状況報告の 1 つ、De Vries & Bikai

(1993)などでも、ガダラ大震災に関する記載は含まれていない。ガダラ壊滅の原因を749年パレスティナ大地震とした経緯・根拠、そして、証拠となる事実については、それを提示したものが見当たらず、明らかでない。 ガダラ遺跡では、コラム(石積み円柱)やその構成円柱石類(ドラムなど)が数多く出土し、また、地表にも散乱する。上記の「大地震によるガダラ壊滅説」の登場は、これらがほぼ決まって横倒し状態で見つかることと深く関わっているように思われる

(写真 2 )。そこで、これらコラムの倒壊状態や倒壊時期を精査し、その結果をもってひろく流布する仮説(通説?)の正当性を改めて吟味することとした。

2 .倒壊コラムとその方向性

1)コラム調査の視点 ガダラを壊滅させたとされる749年パレスティナ大地震の震源は、死海トランス・フォーム活断層系中部、ヨルダン・ヴァレー断層帯(JVF)の活動と見られている(Marco et al., 2003)。ガダラは、JVFから 5 kmほど東に離れて位置しているので(図1 ;東郷, 2012)、この地の構造物がその断層運動に直接関係して著しく変位・変形することは考えにくい。ガダラが大地震で被災したとすれば、考えられるその原因は地震動のみとみてよいであろう。地震動による強い揺れは、直接的に災害に結びつくが、地すべり・崖崩れなどの急激な地形変化を引き起こすことで、さらに新たな災害を生む側面をももつ。ガダラは、標高300~350mに広がる平坦な高原面

(基盤岩を覆って生じた玄武岩質溶岩原)上に位置しているので、地盤の質的条件上の問題性は持ち合わせていないと見なせる。この高原面は、比高500mに達する急崖で取り囲まれており、ヤルムーク川に臨むその北斜面には大地すべり地が形成されているが、このような重力性地形変動がガダラ市街地にまで及んだ形跡は、空中写真詳細判読を試みたが、認められない。ガダラに関しては、震害は強い揺れによる構造物の破壊とその二次災害に限られると思われる。 歴史時代の倒壊物については、実見聞記録などでもない限り、震害物か否かの判定を個々にする有効な手立てはない。しかし一方で、日本では、大地震で倒れた墓石群には一定の方向性が認められることが多いので、発生した地震の初動方向を確認するために、墓石の倒壊方向調査がしばしば試みられる(例えば池田ほか,

写真 2  倒壊コラムの一例Photo 2 One of the fallen columns in Gadara

図 1  Gadara (Umm Qais)の位置   東郷(2012)を一部改変・補足.Fig. 1 Map showing the location of Gadara (Umm Qais)

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第五章 デカポリス“ガダラ”は、本当に749年パレスティナ大地震で壊滅したか

1995)。ローマ建築を特徴づけるものの 1 つ、コラムは、素材・構造面で、墓石に類する存在と思われる。ガダラ遺跡では、多数みつかるコラムやその構成物の倒壊方向に関する情報に、大地震の関与を知る唯一の手がかりが残されている可能性がある。そこで本調査では、横倒しされたコラムの性状把握に主眼をおくことにした。

2 )ガダラ遺跡におけるコラムの現状 ガダラ遺跡のコラム類については、地表に広範囲にわたり多数露出しているうえ、近年、考古発掘調査で掘り出されたものの数も増えているので、調査対象にできるものは多い。それらはすべて倒壊物であり、建設当時の姿を留めるものはない。材質的には石灰岩製を主とするが、玄武岩製や花崗岩製・変成岩製のものも混じる。目にするドラムの大きさについては、直径数10cm~ 1 m余、長さは数10cmのものから 5 m余までと様々である。 写真 2 では、コラムを構成する 4 コ組みのドラムが、台座から、頂部に位置した冠飾りを伴い一列状をなして倒れている。このような事例は、倒壊直後の姿を留めるものとして注目されるが、頻繁に見いだされるわけではない。大部分は、いずれのコラム構成物かが不明な単体のドラムとして登場する。 ガダラ遺跡でみつかるドラムには、底面縁の角が欠損しているものが多い(写真 3 )。このような“角の欠け”は、コラムが倒れる時、支点となり、全荷重が回転を伴ってそこに集中することにより破損した跡と思われる。したがって、このような“欠け”の存在は、倒れた経験をもつコラムか否かを見分ける 1 つの指標とし

写真 3  ドラム底縁の欠け事例(No.45)Photo 3 Damage of the drum bottom edge (No.45)

写真 4  溶食帯が形成されているコラムPhoto 4 Column with traces of chemical erosion

図 2  溶食帯をもつコラムの断面 u:上部、m:中部、l:下部Fig. 2 Cross sections of some columns with traces of chemical erosion

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て注目に値しよう。 コラムには、その表面に、荒れて不規則な凹凸が目立つ帯が発達するものも多い(写真 4 )。このような帯は、決まって柱軸方向に延びているので、コラムが横倒しされた後、長期にわたって風雨にさらされ続けた結果、頂部から溶食が進行して形成されたものと推定され、横倒しされたことのあるコラムしか持ち得ない特徴の 1 つと考えられる。図 2 は、F12、F16、F24と名付けられたドラム(それぞれ調査No.29, 30, 31コラムの一部)について、それぞれの上・中・下部断面を、真弧を用いて測定して作成した溶食帯断面図である。いずれにおいても頂部に沿って幅広く溶食帯が発達し、ここでは溶食で失われた表面物質の厚さが20~30mm余に達していることが分かる。写真 4 や図 2 のように、ガダラ遺跡では、溶食帯がコラム現頂部に認められる事例が大勢を占めるが、現在、コラムの頂部にあたらない位置に溶食帯が形成されているものや溶食帯が複数発達するものも存在する。後二者は、倒壊後にコラムがさらに再動して、上面の向きを変えたことを意味するものとして注目される。

3 )コラム調査とその結果 倒壊したコラム(ドラム)の転倒方向を測定するにあたり、本調査では、測定対象をコラム最下部構成ドラムに限ることとした。最下位に置かれるドラムは、その下端部に転倒防止用のリング状出っ張りを伴うので

(写真 3 )、見分けがつき、直立時の下位置が明確であるがゆえ倒れた向きまで特定できるものとして有用である。方向の測定とともに、上述のように、コラムの倒壊実態やその後の変遷に関し有用な情報をもつ底面縁の欠けや表面溶食帯の発達状態をも観察・記載することとした。ガダラ遺跡において調査したドラムの分布位置を図 3 、それぞれの写真と調査結果を写真 5 、表 1 にまとめて示す。これらには、当地に散乱するコラム(ドラム)の一般性状把握のため、合わせて試みた直立コラムに関する調査結果も含めてある。調査地点は、ガダラの中心を東西に貫く大通りDecumanus Maximus沿いに散らばっており、その両側約100mの幅をもって約1200mのびる区域が調査範囲となっている。 観察したコラム(ドラム)総数は、表 1 の通り70である。そのうちの64については、底面縁に欠けが生じているので、倒壊を経験していると思われる。残り 6 つうちで、欠けが明らかに認められないものは 1 つ

[No.15]だけ、他の 5 つ[No.9, 38, 40, 42, 48]は、ドラムの一部が埋没により観察できないケースにあたり、欠けが存在する余地を残すものである。そこで、明らかにカケを伴わないものを除いた69ドラムのうち、横倒

図 3  調査コラムの位置分布  基図はRJGC1992年撮影空中写真R114-4139の一部.Fig. 3 Map showing the location of surveyed columns

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第五章 デカポリス“ガダラ”は、本当に749年パレスティナ大地震で壊滅したか

表 1  コラム調査の結果Table 1 Results of the column investigation in Gadara

No 長さ cm

直径 cm ①材質 ②状態 ③Gadara生活

 面との関係④最近の  移動形跡

底面縁の欠けの数 ⑤溶食帯 倒壊方向 備  考

1  163+  83 Ls A 堆積物 1 U S40°E2  141+  77 Ls B 不明 1 13  131+  92 Ls B 不明 1 04   77+  87 Ls B 不明 1 15   51+  46 Ba B 不明 1 16 108  66 Ba A 堆積物 1 0 ? S70°W7   61+  51 Ls B 不明 1 18 125  57 Ls A 直接? 1 U S 5°E9 276  58 Gr A 堆積物 ? 0 ? W 折れた構造保持10 228  61 Ls A 堆積物? 1 U+ 1 S80°W11 193  66 Ls A 堆積物 1 U E12 140  65 Ls A 堆積物 2 nU S85°E13 119  77 Ls B 不明 1 0 直立復元?14 153  68 Ls B 不明 1 1 直立復元?15 146  64 Ls B 不明 0 1 直立復元?16 107  63 Ls B 不明 1 1 直立復元?17 140  70 Ls B 不明 1 1 直立復元?18 132  66 Ls B 不明 1 0 直立復元?19 192  60 Ls A 堆積物 ○ 1 U S80°W 野積みもの?20 253  56 Ls B 不明 ○ 1 1 直立復元21 126  64 Ls A 堆積物? 1 U N65°E22 220 102 Ls A 堆積物? 2 nU N80°E23 550  75 Ls B 堆積物 ○ 1 1 直立復元24 161  66 Ls A 直接? 1 U N10°E25 274  91 Ls A 堆積物 3 U S 2 連もの26  90  63 Ls B 直接? ○ 1 0 直立復元27  87  60 Ls B 不明 ○ 1 1 直立復元28 320  67 Ls A 堆積物 ○? 1 0 ? S75°W 2 連もの29 158  74 Ls A 堆積物 1 U S 8°E 4 連もの30 143  73 Ls A 堆積物 1 U S10°E 4 連もの31 150  74 Ls A 堆積物 1 U S12°E 4 連もの32 149  63 Ls A 堆積物 1 U S 5°E 4 連もの33 134  72 Ls A 堆積物 1 U S10°W34 154  75 Ls A 堆積物 1 0 ? S80°W 2 連もの35 165  71 Ls A 直接? 1 0 ? N80°W36 126  73 Ls A 堆積物 1 U S78°W 2 連もの37 170  75 Ls A 堆積物 1 U S50°W38 138  66 Ls A 堆積物 ? U S40°W39 119  67 Ls A 堆積物 1 0 ? S40 110  59 Ls A 堆積物 ? 0 ? S80°W41 115  60 Ls A 堆積物 1 U N38°E42 178  62 Ls A 堆積物 ? U S80°E43 106  54 Ls B 不明 ○ 2 1 +? 直立復元44 131  61 Ls A 堆積物 1 nU N18°E45 178  61 Ls A 堆積物 1 U N 3°E46 133  63 Ls A 堆積物 1 U N38°W47 100  57 Ls A 堆積物 ○ 1 U - 野積みもの48 143  60 Ls A 堆積物 ○ ? U - 野積みもの?49 126  67 Ls A 堆積物 2 U S 5°W 4 連もの50 151  76 Ls A 堆積物 2 U N40°E51 198  62 Ls A 直接? 2 0 ? W52 133  70 Ls B 不明 ○ 1 1 直立復元53 156  70 Ls B 不明 ○ 1 2 直立復元54 131  63 Ls B 堆積物 ○ 1 1 直立復元55 156  74 Ls A 堆積物 1 nU N56 164  61 Ls A 堆積物 1 nU N12°E57 148  55 Ls B 不明 ○ 1 2 直立復元58 107  60 Ls B 不明 ○? 1 159 105  53 Ls A 堆積物 ○ 2 U+ 1 野積みもの?60 195  63 Ls B 不明 ○ 1 1 直立復元61 153  57 Ls B 不明 ○ 1 1 直立復元62 163  58 Ls B 不明 ○ 1 1 直立復元63 164  55 Ls B 不明 ○ 2 1 直立復元64 243  65 Ls B 堆積物 ○ 1 1 直立復元65 197  50 Ls B 不明 ○ 1 2 直立復元66 177  61 Ls A 堆積物 1 U S28°E67 223  70 Ls B 不明 ○ 1 1 直立復元68 370  63 Ls B 不明 ○ 1 1 直立復元69 213  66 Ls B 不明 ○ 1 1 直立復元70 280  64 Ls B 堆積物 ○ 1 1 直立復元

※ ①Ls:石灰岩, Ba:玄武岩, Gr:花崗岩 ②A:横倒れ, B:直立   ③直接:ガダラ生活面と直接, 堆積物:それとの間に堆積物有り ④○:形跡有り   ⑤U:現頂部にあり, nU:現頂部以外にあり, 数字は溶食帯の数

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写真 5  観察対象となったコラム一覧(1)Photo 5 Surveyed columns (1)

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第五章 デカポリス“ガダラ”は、本当に749年パレスティナ大地震で壊滅したか

写真 5  観察対象となったコラム一覧(2)Photo 5 Surveyed columns (2)

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れ状態で見つかるもの39(実際は人為による最近の移動形跡が明らかな 4 つ[No.19, 47, 48, 59]を除いた35)について、転倒方位別出現数を求め、グラフ化すると図 4 のようになる。この図は、西と南の 2方向で出現頻度が高く、東と北向きのものもそれらに準じてやや多く出現する傾向があることを示している。この結果は、東西系と南北系が卓越すると総括できるものでもあり、少なくとも一方向のみに収斂することはないことを表している。 コラム表面に発生する溶食帯が上述のように形成されたものとすると、このような溶食帯が、位置を違えて複数認められるものやドラムの現頂部以外の位置にあるものは、倒壊ののち今日までの間に、頂部にあたる部位が変化したものであり、新たに動かされた経験を持っていると考えられる。そこでこれに該当する 6 コラム[10, 12, 22, 44, 55, 56]を除外し、残り29例に限ってそれらの方向性を点検してみた。その結果、南北系と東西系でともに 3 事例省かれることになるが、それよって図 4 で示された方向別出現頻度分布の大勢が著しく変化することはない。

写真 5  観察対象となったコラム一覧(3)Photo 5 Surveyed columns (3)

図 4  コラムの倒壊方向別出現頻度分布Fig. 4  Rose diagram showing the predominant direction of

fallen columns

写真 6  フォラム東縁部における瓦礫層Photo 6 Rubble layer exposed along the eastern edge of Forum

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第五章 デカポリス“ガダラ”は、本当に749年パレスティナ大地震で壊滅したか

 すでに触れたように観察コラムの中には、写真 2 のような倒壊直後の姿を留めていると思われるものが、No.9, 25, 29, 30, 31, 32, 34, 36, 49, 50とやや不確かなものも含めて10例ある。これらの中で、西向き倒れのNo.9、34、36、北東向きのNo.50を除いた残り 6 例はすべて南方に倒れている。南向きに倒れたこの 6 例のうちNo.29~32の 4 例は、フォルムForum跡とされる大広場(松本ほか, 2011)の北縁東端部のごく狭い範囲に集中して存する(図 3 )。

3 .�転倒コラム群を包含する堆積層とその年代測定結果

1)転倒コラム群包含堆積物とその性状 写真 2 を見ると、きれいに敷き詰められた石畳面がガダラの生活面にあたるが、これと倒壊時の姿を留めるコラムとの間に砂礫主体の堆積物が存在することが分かる。下位に堆積物があってガダラ生活面とは直接していないこのような倒壊コラム

(ドラム)は、表 1 に示したとおり、観察コラムの大部分を占め、本遺跡では決して例外的存在とは言えない。 写真 2 奥の切土面には、これら倒壊コラムをさらに覆う厚さが 4 mにも達する堆積物の一部が露出している。この切土面の右手部を、背後(南)から見たものが写真 6 である。ここでは、ガダラの石畳面を覆う堆積物がその面上で整列するコラム台座列をも埋め込んでいる。そして、この台座頂部より上の層位にコラム部材集中帯があり、ここに様々な向きもってドラムが散在する。コラム部材集中帯の下位には、連続性がある顕著な焼土層も認められる(写真 7 -A)。 フォルムの東・南・西縁部では、写真 2 、 6 でみた堆積物の続きが断続的に露出しており、この様子から、この種の堆積物は、広いフォルムのすべてを埋め尽くすものとして存在することがうかがえる。同層中の焼土層も、東縁沿いや南縁、西縁南部(写真 7 -E)でもその存在を確認できるので、広域にわたって分布するものと考えられる。

2 )年代測定結果 フォルムの北東角付近で並んで南に倒壊しているコラム群の直下・直上、同東縁切土面に露出する堆積物(瓦礫層)の上層部、同東縁北部と西縁南部で見出される焼土層それぞれで炭化物片を見出したので(写真 7 )、それらを採取し、14C年代測定に供した。表 2 はその結果である。  5 つの測定試料は、採取場所・層位を違えているにもかかわらず、表 2 の通り、すべてほぼ同じ年代値を示すこととなった。この結果からガダラの生活面をおおう堆積物は、1730yBPを前後する時代に形成されたと考えられる。

写真 7  年代測定試料の採取場所とその年代値Photo 7 Sampling points for radiocarbon dating

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4 .�749年パレスティナ大地震の関与に関する考察

1)ガダラにおける地震被災痕跡 ガダラの市街地を構成した建造物は、ほぼすべて倒壊している。その倒壊原因として大地震が関与したか否かを知る手がかりを求めて、倒壊コラムの方向性について調査し、上記 2 章 3 )の資料を得た。それを集約した図 4 は、東西方向と南北方向に倒れたものが多いことを表しており、ガダラのコラム群が向きを同じくして一様に倒れたことを示すものとはなっていない。 写真 2 のような倒壊直後の姿を留めていると思われるコラム事例は、不確かなものも含めても僅か10例しか見つからなかったが、上記のようにそのなかで南向きに倒れたものは 6 例もあり、その出現比率が目立って高いことが注目される。しかし一方、 6 例の中の 4 例がごく狭く限られた区域(フォルム北縁東端部)内に集中して存することにも注意を払う必要がある。すなわち、これらには局所的原因の関与が考えられるとして特別視し、除外すると、南向きの卓越性は評価に値しないものとなる。 写真 8 は、写真 2 のコラムを含む列柱が一斉に南向きに倒れているフォルム北縁東端部の様子を示す。ここでの南向きとは、「絶対方位としての南」に加えて、「東西方向の列柱列に対する直交方向でその広場側向き」という意味合いをももつことが理解できよう。写真 9 は列柱群が一斉南北性倒壊した今ひとつの事例である。ローマ大通りに面したプロビュライア(松本ほか,2011)の入口にあたるここでは、北向きにコラム群が倒れている。倒れた方向は写真 7 と同じ南北であるが、向きは北向きでそれらとは逆となっている。一方、ここでの北向きとは、道路側を意味し、空き地に向かう方向と受け取れば、写真 8 との共通点を確認することもできる。ガダラの町並みは、ローマ大通りを中心におき、東西・南北を基線として区割りされていたと考えられる。従って、コラムの多くは、東西・南北方向の列柱を構成していたに違いない。図 4 は、コラムがそれぞれ属していた列柱列の外側に向けて倒れたことを強く示唆するものとなっている。 写真 8 や 9 には、大地震によるコラムの一斉倒壊の結果を思わせるところがあるが、上述の諸点を考慮するなら、これらをもって俄に大地震による被災痕跡とすることはできない。ガダラが地震で被災したとする積極的な証拠は存在しないと思われる。

2 )ガダラ終焉と大地震の関係 ガダラ遺跡においては、倒壊コラム類は、どこでもガダラの生活面に直接せず、両者は堆積物で隔てられている。この事実は、ガダラが、「コラムの一斉倒壊事変」に先だって堆積物の全面的侵入を許していたことを意味し、ガダラは、「コラムの一斉倒壊事変」をもってではなく、それ以前にすでに都市維持機能を失っていたことを示している。「コラムの一斉倒壊事変」が仮に大地震を原因としたものであったとしても、これは後世の出来事で、ガダラ終焉原因とはなり得ない。ガダラが大地震の打撃で滅亡したとする仮説は、これをもってその根拠を失い、成立しないと思われる。 ガダラの生活面を広範囲に覆う厚い堆積物は、砂礫質層で、コラム類・大小の方形石材などを多数まじえ、瓦礫層の様相を呈する。高原頂部に位置するガダラ遺跡では、巨大なドラムはもとより砂礫を運搬し得る自然営力は存在しないので、これらは基本的に人為による産物と見なければならない。写真 6 に再び注目すると、ここでは、上述のように堆積物中部にコラム部材集中帯が認められ、これに含まれるドラムの 1 つがガダラの生活面上に残るコラムの台座部を埋め、かつ、覆った堆積部の上に位置している。このドラムは、同層位に

表 2  年代測定結果Table 2 Results of radiocarbon dating

Sample Name Lab. Code Material δ13C(‰)

AMS 14C Age (yrBP ± 1σ)

Calibrated Age (2σ)cal. BP(AD)

J08-UQ-1 Beta-272380 charcoal -21.9 1760±40 1810 - 1560(AD 140 - 390)J08-UQ-3 Beta-272575 charcoal -22.1 1740±40 1730 - 1550(AD 220 - 400)J08-UQ-6 Beta-272576 charcoal -20.9 1730±40 1720 - 1540(AD 230 - 410)J08-UQ-7 Beta-272577 charcoal -21.9 1870±40 1890 - 1710(AD  60 - 240)2011UQ2 Beta-426027 charcoal -24.7 1740±30 1715 - 1565(AD 235 - 385)2014UQ Beta-426028 charcoal -23.7 1720±30 1710 - 1555(AD 240 - 395)

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第五章 デカポリス“ガダラ”は、本当に749年パレスティナ大地震で壊滅したか

あって冠飾りを伴い縦並びするドラム群の一部であり、下方に存する台座の東側に立っていた別のコラムの構成物と思われる。下方の台座上に積み上げられてコラムを形作っていたドラム類は、堆積物による埋積が少なくとも台座の頂部に及ぶ前に倒され、倒れ落ちたと思われる台座周辺部にその姿がないので、それらは、比較的短い時間内に他所へと移動したと考えねばならない。以上から、ガダラにおけるコラムの倒壊は時期を 1 つに限って一斉に生じたものではないことが理解でき、この知見は、大地震によるコラム一斉倒壊説の成立をなお難しくする。

3 )749年パレスティナ大地震の関与 以上 1 )、 2 )の考察結果は、大地震がガダラの終焉に関与したことを積極的に裏付ける事実・証拠が存在しないことを示している。よって、749年パレスティナ大地震との関係をさらに問う必然性もないが、念のため、両者の時代的整合性についても確認しておく。 表 2 によって明らかなように、ガダラの生活面を、倒壊コラム類を包含して広く埋積する堆積物は、1730yBPを前後する時代に形成された。従って、ガダラはAD 3~ 4 世紀頃に先立つ時代にすでに終焉期を迎えていたことになる。 8 世紀中頃に発生したパレスティナ大地震は“生きたガダラ”と関係を持ちようが無かったはずである。

5 .あとがき

 デカポリスの 1 つ、ガダラは、749年パレスティナ大地震で壊滅したとされてきたが、本調査研究の結果、ガダラ遺跡には、ガダラが大地震で被災したとする明確な証拠はなく、また、ガダラの終焉は、 3 ~ 4 世紀以前の時代に遡る出来事であり、コラム類の大量倒壊が示唆する異変期とは一致せず、さらに749年パレスティナ大地震の発生期はこれらと全く時代を異にすることが明らかとなった。Lucke et al.(2005)は、本稿と同様に、倒壊コラムとガダラ生活面の間に堆積物が存することをもって、ガダラの終焉にコラムの倒壊事変は関係していないとした。しかし、コラムの倒壊事変については749年パレスティナ大地震によるとする見解をとっている。大地震・749年パレスティナ大地震によるガダラ壊滅説が成立する余地は全く無く、また、大地

写真 8  フォラム北縁東端部におけるコラム群の一斉倒壊Photo 8 Fallen columns near the northeast corner of Forum

写真 9   ローマ大通り沿いのプロビュライア付近におけるコラム倒壊景

Photo 9  Fallen columns in front of a propylaea along the Decumanus Maximus

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震でガダラ建造物が破壊されたとする明確な証拠もないと考えられる。

 本稿は、国士舘大学イラク古代文化研究所ウム・カイス遺跡発掘調査研究グループの招きに応じて2008年 2~ 3 月に実施した現地調査の成果を中心にし、2011年11月と2014年 8 月に試みた補足調査、2015年12月における追加年代測定による知見をも加えてまとめたものであり、その骨子は、2010年度日本地理学会秋季大会、2013年度法政大学地理学術大会において発表した。本研究遂行にあたり、2011年度科研費補助金(基盤研究C)

[課題番号:21501007]および2015年度科学研究助成金(基盤研究C)[課題番号:15K01173]、2015年度私学振興財団学術研究振興資金(国士舘大学)の一部を使用した。

【参考文献】池田安隆・東郷正美・澤 祥・加藤茂弘・隈元 崇(1995), 墓石のずれから推定される初動分布と伏在地震断層の挙動. 陶野郁

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第六章 衛星リモートセンシングによる文化遺産のモニタリング -中東での遺跡破壊事例-

第六章 �衛星リモートセンシングによる文化遺産のモニタリング��-中東での遺跡破壊事例-

Monitoring Cultural Heritages Using Satellite Remote Sensing Data.― Case Study to Focus on Destructed Archaeological Site in Middle East ―

後藤 智哉*

Abstract It is the valuable point of Satelite Remote Sensing that enables to monitor the land cover without the field works. It was reported that grave-robbing and destruction of archaeological sites have been caused by the deterioration of Middle East situation. Under this situation, it is difficult to conduct a field survey for damages of ruins. Therefore, this paper reports on the case with Satelite Remote Sensing to figure out the damages of destructed archaeological site in Middle East.

1 .はじめに

 衛星リモートセンシングの利点として、対象地を上空から繰り返し観測できる点が挙げられる。紛争地のような現地に赴くことが困難な地域の土地被覆調査では有効な手法となる。 ヨルダンの情勢は周辺国に比べ安定しているが、広域に分布している遺跡のすべてを管理することは難しい現状がある。図 1 は2012年にヨルダン南部の遺跡盗掘状況を調査した際の写真で、画面中に見えるすべての穴が盗掘痕である。 平時でも盗掘の被害を受ける可能性がある遺跡であるが、戦時下ではより危険性が高まる。中東地域では2003年のイラク戦争や2010年からのアラブの春の周辺国への波及により情勢は悪化し、文化遺産である考古遺跡の盗掘や破壊などの被害が報告されている。 本稿では衛星リモートセンシングによる中東地域の考古遺跡破壊事例について紹介する。

2 .イラクNimrud遺跡の破壊例

 図 2 と図 3 に爆破されたイラク北部のNimrud遺跡の破壊前後の状況を示す。 2015年の 2 月10日撮影画像には判読できた北西宮殿が、 4 月18日撮影画像では破壊されている。

*イラク古代文化研究所共同研究員

図 1  ヨルダン南部の遺跡盗掘状況(2012年 7 月撮影)

図 2  イラクNimrud遺跡破壊前2015年 2 月10日撮影

図 3  イラクNimrud遺跡破壊後2015年 4 月18日撮影

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3 .シリアPalmyra遺跡の破壊例

 図 4 と図 5 にシリア中部のPalmyra遺跡が破壊された前後の画像を示す。2015年6 月29日 時 点 の 画 像 で はバール・シャミン神殿が撮影されているが、 2 か月後の 8 月29日撮影画像では破壊されている。遺跡への侵入路入口には幅 3 m長さ 6~ 8 m程度の軍用と思われる車両も判読できる。

4 .広域のモニタリング

 遺跡破壊事例の紹介で利用したのは、解像度0.5m観測幅20㎞ のPleiades衛 星 で ある。このような高解像度衛星は目視判読で遺跡の破壊状況を抽出できる利点があるが、観測幅が狭い欠点がある。そのため高解像度衛星のみを利用して広域をモニタリングするには、多くのデータを入手する必要がでる。 図 6 はイラクUmma遺跡の盗掘状況を、解像度2.5m観測幅70㎞のALOS衛星(2011年運用終了)と、解像度0.6m観 測 幅16.5 kmのQuickBird衛星で判読した結果である。解像度2.5mの性能では一辺が 5 m程度の盗掘跡の抽出が可能であった。また、 2時期のALOS衛星を利用することで、自動的に盗掘の可能性がある箇所を抽出できた。 広域かつ定期的に中東地域の考古遺跡をモニタリングするには、観測幅が広い衛星を活用していく必要がある。

 ALOSデータとRPC情報はJAXA第 2 回ALOS研究公募「メソポタミア地域での遺跡ベースマップの整備と活用」(JAXA PI-418:松本健)によるJAXA EROCで作成した高次成果物を使用した。

図 4  シリアPalmyra遺跡破壊前2015年 6 月29日

図 5  シリアPalmyra遺跡破壊後2015年 8 月29日

図 6  イラクUmma遺跡盗掘状況

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第七章 東京都板橋区立三園小学校とヨルダン ウム・カイス中等女学校との交流-8年間の記録-

第七章 �東京都板橋区立三園小学校とヨルダン ウム・カイス中等女学校との交流- 8年間の記録-

The Cultural Exchange between Umm Qais Secondary School and Misono Elementary School ― An 8-year record of this activity ―

富田 富喜夫*

Abstract The cultural exchange between Misono Elementary School in Itabashi, Tokyo, and Umm Qais Secondary School, Jordan, began in 2007, and it marks the 8th year of the cultural exchange program in 2015. In terms of education for international understanding promoted by Japan's Ministry of Education, the global personnel development is imperative for Japanese people to conversant with the international community.  From this point of view, the excavation project in Umm Qais has provided attractive opportunities for exchange events in the Jordanian local school. Unfortunately, we could not hold the interactive events from the various reasons in 2015. Therefore, this paper summarizes the activity of cultural exchange in Umm Qais for eight years. I hope this paper to use for reference of international exchange program in the future.

1 、はじめに

 現在、文部科学省の推進する、国際理解教育、中でもグローバル人材育成は、国際社会の中で生き抜く日本にとっては不可欠である。その意味からも、国士舘大学のヨルダン ウム・カイスでの発掘に参加できたことは、日本とヨルダンの学校交流というよい機会を与えてくれた。 しかし、三園小学校からは、2013年の第 6 回交流会の後、様々な意見が出されており、交流会の見直しに入るところだった。その後、2015年の 1 月、過激派組織ISが、シリアで日本人二人を殺害するという事件が起き、残念ながらシリアの隣国であるヨルダンのウム・カイスでの発掘調査を中断せざるを得なくなった。それに伴い、ウム・カイス中等女学校と東京都板橋区立三園小学校との交流も中止のやむなきにいたった。 そこで今年は、この 8 年間の取り組みをまとめ、交流会の開始から今回の中止にいたるまでを、これから、学校間の国際交流を考えている皆さんの一助になればとまとめてみた。今後、日本の国際化は、ますます重要になってくるに違いないと確信している。 スカイプを使った直接の交流会は、普段の授業では得られない緊張と感動、達成感があり、子供たちの将来に大きな糧になると思っている。 この交流の詳しい内容については、各年度の国士舘大学発行の「文化遺産学研究 No.1~No.7」に記述されているのでぜひ参考にしてほしい。

*ボランティア

写真 1  民族衣装の発表のリハーサル

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2 、�各年度の交流会実施日(各年度の詳細は、研究紀要および楓門祭報告に記述)

2007年8 月 イルビット県ベニ・カナナ地区の教育委員会より、地元学校との交流会の許可が下りた。12月 東京都板橋区立三園小学校に取り組みの承諾を得た。

2008年 12月 4 日(木) 第 1 回交流会を実施。(文化遺産学研究 № 1 に報告)2009年 10月15日(木) 第 2 回交流会を実施。(文化遺産学研究 № 3 に報告)2010年 9月 2 日(木) 第 3 回交流会を実施。(楓門祭発表・原稿に報告)2011年 10月 3 日(木) 第 4 回交流会を実施。(文化遺産学研究 № 5 に報告)2012年 10月11日(木) 第 5 回交流会を実施。(文化遺産学研究 № 6 に報告)2013年 10月10日(木) 第 6 回交流会を実施。(文化遺産学研究 №7 に報告)2014年 ― ビデオ、絵画、習字、折り紙、手紙の交換をした。2015年 ― 交流自体が実施できなかった。

3 、成果と課題

(1)交流会実施のための条件。 ①交流会を希望する学校がある。 ②校長先生はじめ教職員、職員方にやる気がある。 ③各学校の所属する教育委員会の協力が得られる。 ④インターネットなど通信の手段が確かである。 ⑤学校の内情をよく知っていて、両学校の橋渡しができる人がいる。 ⑥保護者の理解が得られる。 ⑦できれば、多くの予算(後援組織)がある。 これだけの条件がそろえば後は交流会に向けて動き出すことである。

(2)年間指導計画作成 各年度の指導計画は、学習を確かなものにするためにも大変重要である。三園小学校では、総合的な学習の時間(三園タイム)に、国際理解教育として20数時間を設定した。単元名は、「広い世界に目を向けて」~ヨルダンの人々との交流を通して~、(文化遺産学研究No1)、または、「ひとつの地球、いろいろな国」(文化遺産学研究 No.5)である。交流会だけを位置づけるのに比べて、学校として、交流会を大事に扱おうという現れである。

(3)通信機器の問題 2008年度の第 1 回交流会の時に、スカイプによる交流会が、中ほどまで進んだときに突然通信がとだえた。第 2 回は、初めの数秒だけしか繋がらなかった。原因はヨルダン側の機器の不備であった。回を重ねるごとにマイクやスピーカー、スクリーン等、機器の改善を図ってきた結果、第 4 回から第 6 回は、しっかり繋がった。しかしまだ不安が残る。引き続き改善の余地がある。

(4)関わるスタッフ 東京都の教員は、同じ学校に原則 6 年しか在籍できない。そのため本交流会も経験のある教員が常に異動の可能性があった。そして、第 6 回交流会の時それが現実に起きた。校長以下 6 年担任が全員入れ替わってしまった。先生方には、積み重ねがない分負担が大きくなってしまった感がある。それでも第 6 回交流会は、先生方の努力で大成功であった。 これまでに、大学関係、三園小学校関係、ウムカイス中等女学校関係、通訳等、50名以上の多くの皆様のご協力をいただいてきた。詳しくは各年度の研究誌をご覧ください。携わっていただいた皆様方に、厚くお礼を申し上げます。

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第七章 東京都板橋区立三園小学校とヨルダン ウム・カイス中等女学校との交流-8年間の記録-

(5)治安の問題 ヨルダン周辺を見るとシリアの内戦、イスラエルとアラブ諸国の対立、ISの台頭など、不安要素が数多く存在する。それでもヨルダンの治安は、比較的安定している。 その中で、大学からヨルダンへの渡航禁止の通達があり、実質ウム・カイスでの発掘調査は難しくなった。大学からすればやむを得ない処置であろう。それに伴い交流会も中止せざるを得なくなった。この渡航禁止の処置は、今後中東情勢が落ち着くまで解除されることは難しい情勢である。

(6)通訳と原稿 第 1 回と第 2 回交流会は、アラビア語から日本語への通訳が見つけられなかったため、英語を介することになり時間が倍かかってしまった。そのため通訳を見つけるのが一つの課題であった。 第 3 回交流会はマーゼン・アブダーリ(写真 2 )さん、第 4 回交流会は岡田總さんにお願いした。大変スムーズに進行し子供たちにも臨場感が伝わった。第 5 回には、原稿類を事前に入手、翻訳し、岡田さんの通訳と相伴い、交流会が充実した。来賓の挨拶のみ英語を介した通訳になった。 しかし第 6 回には、また通訳が見つからず、ほとんどの原稿を事前に集め翻訳しておくことで対応した。安定した通訳は今後も大きな課題である。

(7)交流会次第(プログラム) 交流会の時間は 1 時間以内とし、堅苦しい内容にならないよう、また、練習などに時間をとり過ぎないように普段の授業の内容を披露できるようにと考えた。① 第 2 回交流会からの、ウム・カイス中等女学校に

よる、イルビット地方の民族衣装の紹介(写真1 )は、異文化理解の学習として、三園小学校の子供たちにとっても印象深かったようであり、すばらしい発表であった。ただ、時間が延びてしまった。

② 歌の交換は理屈のいらない、相手の心に訴える交流である。特別の練習をしなくてもよいようにと配慮し、学校で習う歌を取り上げた。(写真 3・4 )

③ クイズは、途中からなるべく文化遺産に関する内容を取り上げるようにした。答は 3 択にし、全員が参加できるようにした。多くの子供たちが手を挙げ、盛りあがった。ヨルダンの世界遺産もクイズになった。(写真 5 )

④ 挨拶は、交流会の時間を確保するため、両校校長、来賓代表、国士舘大学の松本教授のみとし

写真 2  通訳のマーゼンさん

写真 3  三園小学校合唱

写真 4  ウム・カイス学校の合唱

写真 5  クイズ、日本一の山は?

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た。さらには、短時間にとお願いした。

(8)ウム・カイス遺跡の清掃活動 ウム・カイスの住民は遺跡の上に生活しているといってもよい。現在発掘しているところも以前は住民が住んでいて、移住させられている。その発掘している場所から、新しい洞窟などが見つかると、すぐに入り口などを塞がないと、次の朝にはもう盗掘の憂き目に会う。生活優先の前に自分たちの文化遺産を守ろうとする意識は、特に大人に、高いとは言えない現状がある。 ウム・カイス中等女学校では、生徒たちが、遺跡内の樹木や草花の調査を行い、あわせて清掃活動も行うようになった。大切な遺跡を少しずつではあるが守ろうとする意識の現われであろう。 遺跡の中は、例年春と秋には家族連れで賑わい、華やかになる。反面、遺跡中がお菓子の空き袋などで汚されてしまう。ヨルダンでは、公共の場所は、汚してもよいとの意識がある。今の若い人たちには、盗掘の問題も含めて、清掃活動が将来遺跡を保護し保存する心につながってほしいと思う。

(9)保護者の理解 毎年交流会を始める前に、三園小学校の先生方には保護者会等で交流会の実施と、その際の氏名および写真の使用について許可を得るよう話し、確認を取っていただいている。  日本の学校は個人情報の取り扱いに厳しく、保護者や本人の許可なく氏名や顔写真が使えない。 第 2 回交流会以降は、集合写真の使用は可能になった。第 3 回以降は写真の使用の問題はなくなった。それでも毎年、保護者の理解を得ておくことは必須である。

(10)資料集め・図書 子供たちの学習のためには資料が多いにこしたことはない。しかし、中東・アラブ関係の書籍はわずかであり、集めようとしても難しい。板橋区の図書館では学校の学習の場合には、40日間50冊の図書の貸し出しが可能である。しかし、関連書籍がどこの図書館も少ないのが現状である。国士舘大学では図書を購入し、三園小学校に貸し出し、支援している。(貸し出した図書名;文化遺産学No.7)

(11)記録と保存 交流会の貴重な写真や映像を可能な限り残しておきたいものである。しかし、三園小学校では、第 5 回交流会以降個人用のパソコンやカメラ等は、一切持込が禁止になった。個人情報の流出事故等を考えると、教育委員会の処置も理解できる。しかし、交流会のスムーズな運営には、ひとつの障壁に思えた。第 5 回交流会以降の映像資料等は、三園小学校から提供を受けた。許可を受けてレポート等に使用している。

(12)時差と始業日・終業日 日本との時差が夏時間は 6 時間、冬時間は 7 時間ある。そのため、ヨルダンの夏時間では、午前 9 時が、日本の午後 3 時である。つまり日本では下校近くの時刻になってしまう。第 1 回交流会は12月に行ったが、ヨルダンでは冬時程で時差が 7 時間であった。三園小学校の子供たちは交流会が終わった時には、すでに真っ暗であった。そこで、 2 回目以降は10月に、 9 月にと、いろいろ移してみた。 さらに気をつけることは、ヨルダンの新学年が 9 月であり、また、三園小学校では運動会が 9 月の下旬である。その上、移動教室などが重なったりする。いろいろ差し障りがあり、一番よい月日、時間を未だに模索中である。

(13)大使館の支援 ヨルダンと日本の学校との直接交流は、初めてのことであった。この交流会は、在日ヨルダン大使館と在ヨルダン日本大使館にも報告している。そして在ヨルダン日本大使館からは、支援の話も出るようになってきた。その間際の中止であった。

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第七章 東京都板橋区立三園小学校とヨルダン ウム・カイス中等女学校との交流-8年間の記録-

(14)広報活動 第 3 回交流会の時、ヨルダンのベニ・カナナ教育新聞に交流会の紹介があった。第 4 回の時は、日本の一般紙(産経新聞都内版と東京新聞)に掲載された。板橋区からは、報道発表があった。 三園小学校としては、学校便りや校長室便りとして、保護者や地域へ発信し、交流会の紹介や周知・理解につながっている。三園小学校の児童は、「 6 年生になったらヨルダンとの交流会があるんだよ」と言う児童も出始めていた。交流ができないことは、大変残念である。

(15)�2014年度の交流会と2015年度

 2013年度の交流会後の反省会において、「子供たちの顔が見えない」「交流の形を変えたい」「子供たち同士で何か出来ないか?」との声があった。

(文化遺産学研究 No.7) そして、2014年度、作品やビデオ、手紙の交換(写真 6 ・ 7 )で交流を実施した。交流会は見送られた。2015年度は、大学からの渡航禁止の通達もあり、三園小学校からの交流会の実施の話はなかった。

4 、その他、特記すべきこと

(1 )ヨルダンは 9 月新学期のため、学年は 1 年ずれているが年齢は一部重なっている。

(2 )ウム・カイス中等女学校の玄関に「三園小学校紹介」のコーナーが設置されている。(文化遺産学研究 No6)

(3 )三園小学校の調べ学習「ヨルダン新聞」  (文化遺産学研究 No5) 児童一人ひとりがヨルダンのことを調べ、新聞にして発表(写真 8 )した。また、別の年度ではグループ発表(写真 9 )を行った。

(4)ヨルダンについて知っていることの調査(文化遺産学研究 NO.6) アンケートによる学習前と学習後の比較をした。ヨルダン理解に繋がっていることが明確になった。

(5) 習字教室(写真10)(文化遺産学研究No.7) 日本の文化の紹介として、日本の習字教室を開講した。大学生たちの応援もあり、楽しく実施できた。ヨルダンの生徒や先生方も積極的に参加していた。

(6)写真提供 国士舘大学教授・ウム・カイス発掘調査隊隊長 松本健教授、大学院生 平山優さん、学生 石原康司さん、三園小学校から受けることができた。ありがとう

写真 6  三園小学校からの手紙 写真 7  ヨルダンからの手紙

写真 8  学習のまとめ・ヨルダン新聞

写真10 習字教室写真 9  学習発表・ヨルダンの仕事

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ございました。(7)学生たちと交流会① 三園小学校の児童から預かった手紙を渡す際、 国士

舘大学のアラビア語学研修生に、アラビア語に翻訳をしてもらった。(文化遺産学研究 No.1)三園小学校へのお返しは、ジャファーさんに英語に訳してもらった。

② 三園小学校で、導入授業の講師をお願いした。 若い学生たちに子供たちは大喜びだった。 (文化遺産学研究 No.1、No.3)③ 交流会の機器の準備  ウム・カイス中等女学校、三園小学校ともに、立ち上

げから終了まで準備と操作を手伝ってくれた。(8)教科書の交換 (文化遺産学研究 No.3) 日本から理科 3 ~ 6 学年用、図工 1 ~ 6 学年用の教科書を渡した。ヨルダンからは、中学 1 年生用の理科と図工、各 1 冊を、三園小学校に渡した。ヨルダンの教科書の入手が難しく、この後手に入れることを断念した。

(9)三園小学校の日本文化の紹介 (文化遺産学研究 No.7) 日本の着物(浴衣、空手着、剣道着など)の紹介と、空手の演技が披露された。

(10)ジャファーさんの日本招聘と三園小学校訪問 (文化遺産学研究 No.6) ヨルダン人が三園小学校に来校したのは、二人であった。マーゼンさんは通訳として、ジャファーさんは、大学に招聘され来日し、その機会に三園小学校の 6 年生と交流した(写真11)。中東からのお客様に子供たちは大喜びであった。

5 、終わりに

 昨年度から実質、交流は出来ない状態に陥ってしまった。第 5 回と第 6 回の成功から見るとまことに惜しい気がする。私からすればこれが軌道に乗ればと言う気持ちであった。 第 6 回交流会の時の三園小学校の先生方の反応に、深く耳を傾けるべきであったと反省している。携わる先生方が異動により入れ替わり、経験者がいない状態で第 6 回交流会が行われた。私の説明不足もあり、先生方には負担に感じる気持ちが増していったのだろうと思う。大変だっただろうと容易に想像できたのに。 それでも曲がりなりにも 6 年間実施できたことは、私にとって大きな喜びである。今後は再度ヨルダンに行けるようになった時、日本文化の紹介など、別の形で私なりの貢献を考えて行きたい。そして幸いにも交流が再開できたら、交流会をまた是非実施したい。 日本の学校教育における国際化、グローバル化は、英語教育に特化された感があり、外国との学校間交流の実態は、10年前と何も変わっていない。英語教育においては、先日の新聞の記事によると、高校卒業時の英語の習得率は、文部科学省が目標にしている 3 割には、ほど遠いという。 しかし、三園小学校とウム・カイス中等女学校との学校交流を経験した子供たちには、一生心に残る交流だったろう。第 1 回交流会のときの子供たちは、今年20歳前後、大学や社会人の年齢である。これまで交流会を作ってくださった皆様に感謝申し上げます。 最後に松本先生の原稿の一部分からいただきました。考古学への思いと、子供たちへの期待が書かれています。

   『発掘、そして守り手渡すべきもの』    -子どもたちに未来を託す- 「いま私は、ヨルダンと日本の小学校生の交流のお手伝いをしている。絵画や習字(ちなみにアラビア習字というものもある)の交換、インターネットによる自国の歌の披露などであるが、互いに自分たちの文化に誇りを持ち、相手の文化に関心を持つという異文化理解の一歩となることを願っている。……             …彼らは日本との架け橋になってくれるにちがいない。」

写真11 ジャファーさん、三園小学校訪問

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第八章 国士舘大学イラク古代文化研究所展示室の活動報告(2015年)

第八章 国士舘大学イラク古代文化研究所展示室の活動報告(2015年)The Activity Report on the Exhibition Hall and the Storage Room in the Institute for the Cultural Studies of Ancient Iraq, Kokushikan University ,2015

相川 悠*

Abstract The exhibition hall of the Institute for Cultural Studies of Ancient Iraq, Kokushikan University, including a storeroom and a work area besides the exhibition hall, is kept open to visiting researchers and students. Major activities are semiannual exhibitions and the management and operation of facilities and the storeroom. At the exhibition hall, semiannual exhibition were held. In spring term, the exhibition was held to introduce the lithic artifacts which were excavated from Tar Jamal in Iraq. In autumn term, the exhibition was featured about recent destructions at the archaeological sites and museums in Iraq.  Ongoing activities of the institute also include an air environment study and temperature and humidity monitoring of the exhibition hall and the storeroom, and the data thus obtained are being used to improve environmental conditions. This paper reports on these activities.

1 .展示室活動

(1)企画展「イラク西南沙漠(シリア沙漠)タール・ジャマル遺跡の旧石器資料展」  (展示期間:2015年 5 月11日~ 7月24日) 国士舘大学が1973年度及び1975 年度の 2 度に渡って石器分布調査を行ったタール・ジャマル遺跡(イラクの西南沙漠)から発掘された貴重な旧石器を展示した。発掘された旧石器は今から 7 ~ 8 万年前の中期旧石器時代のものであり、ルヴァロワ石核やルヴァロワ剥片など大変貴重な旧石器資料を紹介した(写真 1 )。また、本学の大沼克彦名誉教授が製作した精巧なレプリカ(写真 2 )も展示し、好評を頂いた展示である。

*国士舘大学イラク古代文化研究所

写真 2  展示の様子上段 2 点:ルヴァロワ剥片の制作  下段 2 点:ルヴァロワポイントの制作

写真 1  展示の様子タール・ジャマル遺跡から発掘された旧石器

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(2)企画展「危機迫る中東の文化遺産-イラク編-」�  (展示期間:2015年 9 月25日~12月22日) イラクでは長年の戦火による混乱が続き、昨今では過激派組織ISによる遺跡や博物館における文化財の破壊という痛ましい事件が起きた。破壊された遺跡の中には、世界遺産に登録された大変貴重な遺跡も含まれていた。 そこで、一人でも多くの方々にイラクの文化遺産の状況を伝えるため、今回の展示では、イラクのニムルド遺跡、ハトラ遺跡、ニネヴェ遺跡、モスル博物館を取り上げた。展示資料の中には過去に撮影した遺跡の写真やニムルド遺跡の爆破前と爆破後の衛星画像を展示した。文化遺産の保護とはどうあるべきなのか改めて考えるきっかけとなったことを願う。

(3)�「危機迫る中東の文化遺産 -イラク編-」特別イベント-ギャラリートーク- 企画展の特別イベントとして、ギャラリートークを行った。第 1 回目(2015年11月10日)は本研究所・文化遺産研究プロジェクト代表の松本健教授が行い(写真 3 )、第 2 回目(2015年12月 3 日)は本研究所所長の岡田保良教授が行ったが(写真 4 )、両日共に学生や一般の方が参加し、非常に関心が高いことが窺えた。イラクの歴史や現状の話について真剣に耳を傾けており、来室者も交えて意見を交換する場面も見られた。来室者からは一刻も早いイラクにおける文化遺産の復興を願う声が多かった。

2 .空気環境調査

 2006年度の調査開始以来、 1 年に 1 回のペースを継続してパッシブインジケータ®法(註 1 )による有機酸及びアンモニアの気中濃度半定量分析(濃度を数値ではなく、段階で表す方法)を行っている。今回の調査期

写真 3  第 1 回ギャラリートークの様子

図 1  展示会及びイベントの案内

写真 4  第 2 回ギャラリートークの様子

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第八章 国士舘大学イラク古代文化研究所展示室の活動報告(2015年)

間は有機酸を 7 日間(2016/1/18-1/25) と ア ン モ ニ ア を 4 日 間

(2016/1/18-1/22)である。今回の調査結果については表 1 に示す

(調査方法及び過去の調査結果については『文化遺産学研究』No.1-8を参照)。また、パッシブインジケータ測色計による色の評価は行っていないが、図 2 に色の変化を示す(図 2 )。2010年から有機酸とアンモニア共に判定が基準以下に安定しはじめ、2015年 1月の調査では全ての測定箇所において微量以下の結果となり良好に思われた。しかし、今回の調査結果では全体的にアンモニアの濃度が高く、 5 段階評価で「汚染」又は「要対策」という結果となった。これまで検出されていなかった展示室や収蔵庫内において基準値以上のアンモニアが検出されていることから建物又は空調機に要因があるのではないかと考える。今後は原因を解明し、環境改善のための対策を行いたい。 また、桐タンスの有機酸については昨年より大幅に濃度が高くなり、測定箇所全てにおいて「要対策」の結果となった。これまでは桐タンスに収蔵されていた織物資料自体から原因となる物質が出ている可能性も考えられていたが、資料が収蔵されていない段からも検出されていることから他の要因についても視野に入れて原因を追求していきたい。 今後も継続して経過観察を行い、原因を解明すると共に、展示ケースや桐タンスにこれまでにも行ってきた吸着シート(エアチューンシート)(註 2 )による展示ケースや桐タンス内のアンモニア及び有機酸の除去を行っていきたい。

註 1  商品名「パッシブインジケータ」、製造(株)ガステック、販売(株)太平洋マテリアル

註 2  商品名「エアチューンシート」、製造 大阪ガスケミカル株式会社、販売(株)太平洋マテリアル

3 .温湿度環境

 2015年 4 月 1 日から2016年 1 月31日までの状況を報告する。現在、毛髪計とデータロガーで継続的に温湿度を記録しており、毛髪計は展示室と収蔵庫に1 台ずつ、データロガーは展示室、展示ケース内、収蔵庫前室、収蔵庫、収蔵庫内桐タンスに 1 台ずつ設置している。 展示室(図 3 )では展示期間中(2015年 5 月11日~ 7 月24日、2015年 9 月25日~12月22日)は、常時エアコンを稼働させていた。また、展示ケース内(図 4 )については2015年 4 月から 8 月の間は展示室にて旧石器資

表 1  有機酸及びアンモニアに 気中濃度判定料測定結果

2015年 1 月測定 2016年 1 月測定有機酸 アンモニア 有機酸 アンモニア

展示室 - - - +++

展示ケース

立ちケース + (+) - +行灯ケース 1 - (+) - +行灯ケース 2 - (+) - ++覗き小 1 - (+) - ++覗き小 2 - (+) - +++覗き小 3 * - - - ++覗き小 4 * - - - ++覗き大 1 - (+) - ++覗き大 2 - - - ++

収蔵庫 - - - +++桐たんす上段B1 - - +++ +++桐たんす 下段B7* + + +++ +桐たんす 下段C7 - - +++ +5 段階評価 -:検出限界以下 (+):ごく微量 +:微量 ++:汚染      +++:要対策(基準値以上残留)*資料有り

2016年 1 月18日(設置 1 日目)

2016年 1 月22日(設置 4 日目)

2016年 1 月25日(設置 7 日目)

図 2  パッシブインジケータの変化左:アンモニア 右:有機酸

設置場所:桐タンス(B列 7 段目)

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料を入れた状態だった。自然循環型のケースのため、外気に比べて湿度の変化が少ないが、今後は織物資料など温湿度が安定した環境が必要な資料を展示する際にはより気密性が高い環境が必要である。 一方、収蔵庫内(図 5 )は24時間空調を稼働させており、温度18.5~20℃と湿度55~60RH%になるように設定している。収蔵庫には 2 台の空調機が設置されており、これまで主に 1 台を継続して使用していたが、空調機の負荷を軽減するために 2 台の空調機を季節ごとに交互に使用することにした。夏季( 4 月~ 9 月)は2012年度から設置した新機を使用し、冬季(10月~ 3 月)は2011年度以前まで使用していた旧機を稼働させる。しかし、図 4 の結果から旧機に切り替えた後は温湿度の変動が大きいため、空調機のメンテナンスや新機との定期的な切り替えを行って経過を観察する必要がある。収蔵庫桐タンス(図 6 )については桐タンスの調湿効果によって安定した環境が保たれていることが分かる。

3 .まとめ

 今年度はイラクに関する展示を 2 回開催した。春の「イラク西南沙漠(シリア沙漠)タール・ジャマル遺跡の旧石器資料展」では、これまでの発掘の成果を紹介し、秋の「危機迫る中東の文化遺産-イラク編」では、イラクの文化遺産を取り上げた。共に非常に関心が高く、昨今のイラクにおける文化遺産の境遇を受けてか、過去に中東に携わっていた方の観覧が多かった。今後も、中東の文化遺産の情報を積極的に行っていきたい。 空気環境調査については、アンモニア及び有機酸の発生源の特定及び改善に向けて吸着シートの利用を工夫するなど対策を試みたい。

図 5  収蔵庫の温湿度グラフ

図 3  展示室の温湿度グラフ

図 6  桐タンス内の温湿度グラフ

図 4  展示ケース内の温湿度グラフ

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裏表紙写真:C-ID11156のコイン・幸運の女神テュケーの頭像

The Studies for Cultural Heritage No.9

文化遺産学研究 No. 9

2016年 3 月発行編集者・発行者:国士舘大学「文化遺産研究プロジェクト」        (研究代表者 国士舘大学イラク古代文化研究所・教授 松本 健)        〒154-0022 東京都世田谷区梅丘2-8-17        地域交流文化センター 2 F        TEL 03-5451-1926 / FAX 03-5451-1927        E-MAIL [email protected]     印刷:ヨシダ印刷株式会社

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文化遺産学研究 

9The Studies for Cultural Heritage

文化遺産学研究No.9

国士舘大学「文化遺産研究プロジェクト」研究代表者 国士舘大学イラク古代文化研究所・教授 松本 健

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