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Title 蟬の詩に見る詩の轉變 Author(s) 川合, 康三 Citation 中國文學報 (1998), 57: 27-55 Issue Date 1998-10 URL https://doi.org/10.14989/177824 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

Title 蟬の詩に見る詩の轉變 中國文學報 (1998), 57: 27-55 ......輝の詩に見る詩の轄奨 川 合 三康 京都 大学 一蝉のかたち セミの彫刻的契機はその全髄のまとま-のいい事に

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  • Title 蟬の詩に見る詩の轉變

    Author(s) 川合, 康三

    Citation 中國文學報 (1998), 57: 27-55

    Issue Date 1998-10

    URL https://doi.org/10.14989/177824

    Right

    Type Departmental Bulletin Paper

    Textversion publisher

    Kyoto University

  • 輝の詩に見る詩の轄奨

    京都

    大学

    セミの彫刻的契機はその全髄のまとま-のいい事に

    ある。部分は複雑であるが'それが二枚の大きな麹に

    よって統

    一され'しかも頭の南端の複眼の突出と胸部

    との関係が脆弱でな-'胸部が甲胃のやうに堅固で'

    殊に中胸背部の末端にある敏巽の意匠が面白い彫刻的

    の形態と肉合ひとを持ち'裏の腹部がうま-麹の中に

    納ま-、六本の肢もあまり長-はな-'前肢には強い

    腕があり、口吻が又賓に比例よ-膿の中央に針を垂れ'

    線膿に単純化し易-、面に無駄が出ない。セミの美し

    きの最も微妙なところは、横から麹を見た時の麹の山

    蝉の詩に見る詩の輯牽

    (川合)

    の形をした線にある。頭から胸背部へかけて小さな圃

    味を持つところへ'麹の上線がずつと上へ立ち上-、

    一つの頂鮎を作って再び波をうつて上の方へなだれる

    ・やうに低ま-'

    一寸又立ち上って終ってゐる工合が他

    の何物にも無いセミ特有の線である。麹の上線の波形

    と下縁の単

    一な曲線との野照が美しい.セミの持つ線

    の美の極致と言へる。--

    (高村光太郎

    「蝉の美と造形」)

    蝉という昆晶の形態は'日本近代の彫刻家を強-惹きつ

    けるものをもっていたようだ。高村光太郎は言葉を壷して

    その形を零し取-、蝉へのオマージ

    ュを捧げている。彼に

    「蝉を彫る」と題する詩や蝉を唱った短歌ものこってい

    ②る。

    まるで金属でこしらえられたかのような'硬質で精妙

    なその形は'造物主の手になる彫刻を思わせたことだろう。

    蝉の形をそのように見た高村光太郎の目は'おそら-西欧

    に学んだものである。英猫価ではその風土のせいか'蝉の

    表象は必ずしも豊かでないようだが'ギリシア'ローマと

    27

  • 中国文学報

    第五十七冊

    いう地中海を取り巻く西欧古代では'ギリシャ神話やイソ

    ップ物語によ-登場するように'昆晶のなかでもと-わけ

    注臼を集めている。高村光太郎は先の随筆のなかで

    「古代

    ギリシャ人は美と幸福と平和の象徴として好んでセミの小

    彫刻を作

    って装身具などの装飾にした」とも記している。

    中国においても、装身具に仕立てられた蝉の場合'蝉の

    形状がも

    つ濁特の精妙さが致果を蓉揮していたに違いない。

    玉で作られた蝉は今でも見ることができるが、次の詩にい

    うように

    「金蝉」というものもあ

    った。

    周週六曲抱銀蘭

    六曲を周過して銀蘭を抱きなげ

    解髪鏡上掛金蝉

    髪を鏡上に解きて金蝉を衡

    李賀

    「犀風曲」(『文苑英華』巻三四七による)

    女性の髪飾-として、晩唐の艶詩にはほかにも見える。

    李商隠

    「燕墓」四首之四に'

    破髪矯堕凌朝寒

    破髪の倭堕

    朝寒を凌ぐ

    白玉燕叙黄金蝉

    白玉の燕欽

    黄金の蝉

    韓優

    「春闘偶成十二韻」詩に'

    酵後金蝉重

    酔後

    金蝉重-

    かたむ

    歓飴玉燕款

    歓飴

    玉燕軟

    黄金を施されたこの髪飾りは'蝉の形状を思案に模した

    級密な工蛮品であ

    ったことだろう。

    女性の艶麗さを

    一層際だたせる華麗な装身具とは別に'

    官位を示す冠にも蝉の飾-が用いられていた。冠の種類を

    鮭系的に記した

    『後漢書』輿服志下の

    「武冠」の候に'

    「侍中

    ・中常侍は責金環を加え、蝉を附して文と為し'紹

    尾を飾と為し、之を趨恵文冠と謂う」と見え、それに績け

    なら

    「胡廉説きて日-'趨武塵王は胡服に致い'金環を以て

    首を飾-'前に紹尾を括Lt貴職と為すo秦

    超を滅ぼし'

    其の君の冠を以て近臣に賜うtと」と由来を記している。

    さらにその李賢の注ではなぜ蝉を用いるかについて

    「蝉は

    其の清高なるを取る'露を飲みて食わず」という理由を記

    しているが'それはあとから付加された意義であろう。女

    性の装飾品にしても'冠の飾-にしても'天然の蝉が備え

    る精微精巧な形状こそ'蝉が選ばれたゆえんではなか

    った

    か。も

    っとも蝉を高潔の象徴とするのは'後述するように

    中国の蝉の中心的なシンボリズムとして機能し積けるけれ

  • どもrI

    蝉の形状への関心は'このように服飾品としての蝉に生

    き績けるが、文学のなかでは蝉の形にことさらに注目した

    例は多-ない。たとえば西育

    ・博玄の

    「蝉賦」に'

    含精粋之貞気骨

    精粋の貞気を含み

    膿自然之妙形

    自然の妙形を鰹す

    という二句が含まれるなど'蝉の形への言及もないでは

    ないが'高村光太郎のように形だけ取-上げてもっぱらそ

    れを唱うという例は見られない。

    蝉は'考えてみればもともと豊かな意味を含んだ生き物

    である。上に述べた形そのものの視覚的なおもしろさ以外

    にも'地中に長-潜んで'外に出たあとはわずかな時間し

    か生きないというはかない生涯'抜け殻をのこして羽化す

    るその紳秘的な生態、いかにも文学的なモチーフにふさわ

    し特徴を数多-備えているかに見える。それらは中国にお

    ける言速のなかでも早-から着目されている。短命の代表

    としては'『荘子』遼遠遊篤の

    「朝菌は晦朔を知らず、焼

    蛤は春秋を知らず」。『経典揮文』の引-司馬彪の注に

    「煉

    蝉の詩に見る詩の樽髪

    (川合)

    姑は寒蝉な-0--

    春生じて夏死Lt夏生じて秋死す」。

    羽化については、

    『准南子』説林訓に'「蝉は飲みて食らわ

    ず'三十日にして焼す」という。「蝉娩」'「蝉脱」は比倫

    的な用法が定着しているほど熟した語である。

    ところがtのちの中国の文学のなかで有力に意味を馨挿

    し績けるのは'蝉が露しか口にしない清らかな生き物であ

    (と考えられていた)こと'秋の時節に鳴くこと'ほぼそ

    の二鮎に集約され、それ以外の特性は言及されることがな

    いではないにしても'目立たない。我々にはすぐ連想され

    うつせみ

    る「室

    などは'中国では定着していないのだ。これに

    は彼我の文学の基本的な性質の違いが関わっている。「う

    つせみ」も'『常葉集』においては軍に

    「この世」「この世

    の人」を意味していたのが'平安朝以後'儒教思想が贋ま

    るとともに

    「空蝉」「虚蝉」の表記が

    「はかない」という

    意味を伴うことになったというが

    'この世をはかないもの

    とする観念は悌敦に由来するにしても'日本ではそれが文

    学の中心的なテーマとして浸透Lt享受されたからであろ

    う.蝉の毒命の短さや羽化の生態が中国で多-言及されな

    1 29-

  • 中国文筆報

    第五十七筋

    いのは'

    この世のはかなさを唱うことが中国の文学の基本

    的な性質でないことと関わっている。「推移の悲哀」を唱

    う拝情は中国にもあるにしてもtLかしそれは中国の文学

    の中心をなすものではない。人の生をはかないものと認識

    しながらも、それに抗して生きようとする意志を唱うとこ

    ろにこそ、中国の文学の濁自性がある。はかない生き物と

    して蝉を捉えるよりも'露しか飲まない高潔さが文学のな

    かの蝉の主要な特性となっているのは'中国の文学が士大

    夫の精神の表明であるからである。

    蝉が露しか飲まないということは'『准南子』には上に

    引いた説林訓のほか'墜形訓にも

    「蝉は飲みて食らわず」'

    『呉越春秋』夫差内借には

    「夫れ秋蝉は高樹に登り'清露

    ゆれう()

    を飲む。風に随いて

    、長吟悲鳴す」'『孔子家語』執

    轡に

    「蝉は飲みて食らわず」、などなど。それは

    『荘子』

    遥遠遊篤の和人の姿とも重な-合って'世俗の汚濁から免

    とあ

    こや

    れた清らかさを伴う。「衆

    の山に細入の居る有-0

    肌膚は氷雪の若く'淳約たること虚子の若-'五穀を食ら

    ヽヽヽヽ

    わず'風を吸い露を飲み'霊気に乗-て飛龍を御LtE]海

    の外に遊ぶ」。ちなみに'西欧の博承でも蝉は露しか口に

    しないと信じられていたという

    蝉の鳴き聾については'『碓記』月令'孟夏に

    「蝉始め

    て鳴-」とあり'孟秋に

    「涼風至-'白露降り、寒蝉鳴

    -」と'秋の自然現象のしるLとして挙げられている。

    「悲秋」の文学の定着とともに'秋の景物を代表するもの

    として、蝉の鳴き聾が取-上げられてい-。その聾は秋の

    季節感と結びついて物悲しい情感を誘うものとされるが、

    時にはたとえば韓愈の

    「薦士詩」のように'鳴き聾のかし

    ましさを言う場合もある。南朝後期の文学を否定する叙述

    さわ

    として、「斉梁よ-陳情に及びては'衆作

    蝉の

    に等

    し」。いずれにしても'蝉はその鳴き聾が他の身膿的特徴

    を堕して真っ先に取-上げられるのである.

    高潔な生き物'そしてまた秋の景物を代表する鳴き聾と

    いった'中国の文学に用いられる蝉の特徴は'かなり早い

    時期に固定Ltそれが文学的因襲のなかで強固に持積して

    用いられてい-。時代の襲蓬のなかで'新たに蝉に付興さ

    れる意味というものはほとんどない。しかし詩が用いる蝉

    30

  • の意味は

    〓疋しているにもかかわらず'それを用いた詩自

    僅はやは-時代に磨じて奨わってい-。小論では蝉を唱っ

    た中鰭の詩を通して'詩というものが'時代を通して詩の

    因襲を継承してい-面'時代につれて創新されてい-面'

    その撃方を含みながら展開してい-あ-さまの

    一端を見て

    いきたい。二

    セミにあたる字は'蝉

    一字に限らない。『爾雅』ではそ

    「揮轟」の'疏に

    「此れは蝉の大小及び方言の同じから

    ざるの名を耕ず」とまとめられる箇所に'「鯛、蚊明、塘

    鯛'数は晴晴'毛は茅鯛、緬は馬鯛、蚊は寒鯛、挺妹、燦

    地」などの字が並べられている。

    揚雄

    『方言』巻

    一一では'「蝉は'楚は之を鯛と請い'

    ・衛の閲は之を糖鯛と謂い'陳

    ・郷の閲は之を蚊鯛と謂

    い'秦

    ・晋の閲は之を蝉と謂い'海岱の間は之を崎と請い'

    其の大なる物は之を蛸と謂い'或いは之を蛎馬と謂い'其

    の小なる者は之を番数と謂い'文有る者は之を晴晴と請い'

    蝉の詩に見る詩の韓襲

    (川合)

    その雌晴は之を疋と謂い'大にして黒き者は之を蟻と請い'

    黒-して赤き者は之を脱と謂い'明蛸は之を蓋鯛と謂いう

    塵は之を寒鯛と謂い'寒鯛は培鯛な-」という。

    このように蝉は地方による名稀の違い'蝉の種類の違い

    から様々な呼び名'またそれに封磨した字をも

    っていただ

    ろうが'文学のなかでは'「蝉」'「糖」'「鯛」の三字以外

    はほとんど使われることはな-'それも時代が下るにつれ

    「蝉」

    1字に収赦してい-0

    ただし'『詩経』のなかには

    「蝉」の字は見えず'「榛」

    「鯛」「糖」などの字が用いられている。このことは

    『詩

    経』の基盤が後代の文学と異質であることの

    一つとして'

    別に考察されるべき問題であろう。

    歯如瓢犀

    歯は瓢犀の如-

    榛首蛾眉

    蝶の首

    蛾の眉

    (「衛風

    ・碩人」)

    美し

    い女性の容

    姿を述べた部

    分。「蝶首」

    とは毛侍によ

    ひたい

    しかく

    れば

    「顛廉くして

    方」なるを

    いう。

    よ・つ

    四月秀萎

    四月

    婁秀いで

    31

    五月鳴鯛

    五月

    鯛鳴-

    (「幽風

    ・七月」)

  • 中国文筆報

    第五十七冊

    季節を月ごとに分節し、

    それぞれの時期を代表するもの

    を列挙したなかで'「五月」、すなわち盛夏の風物としては

    「鯛」の鳴き聾が挙げられている。ただし'以後の中国の

    文学のなかで'蝉の季節は

    1般には秋である。日本ではた

    とえば俳句で夏の季語とされているように'夏の風物とし

    て捉えられていることと、これも彼我の相違を示す。

    苑彼柳斯

    苑たる彼の柳

    けいけい

    鳴鯛喝噂

    鳴鯛

    喝た-

    (「小雅・小輯」)

    轟は自足しているのに人の心は不安定であるTと積-

    「興」である。

    如明如糖

    鯛の如-糖の如-

    如沸加美

    沸-が如-美の如し

    (「小雅・蕩」)

    文王の目から見た股の混乱'擾乱のさまをたとえる。

    セミによって季節をあらわすこと'セミの鳴き聾を

    「堕

    嘩」という語であらわすこと'やかまし-鳴きたてるセミ

    を混乱の比倫に用いること'いずれも後の時代に引き継が

    れてい-が、しかし後代、蝉を詠じた文学の中心となる'

    個人の身を蝉になぞらえることは、『詩経』にはまだ見ら

    れない。『楚齢』においても'セミはその羽が軽いものの

    代表として、或いはまた秋の季節をあらわすものとして挙

    げられるに過ぎない。

    世潤濁而不活

    世は潤濁して清からず

    蝉巽をすら重しと為し

    千釣をすら軽Lと為す

    「卜居」)

    燕励励其節婦今

    燕は廟廟として其れ辞し締り

    蝉寂漠而無聾

    蝉は寂漠として聾無

    (「九拝」)

    たのし

    歳暮今不日御

    歳暮れて自ら聯まず

    煉蛤鳴今

    秋秋

    蟻姑鳴きて秋秋た-

    ~~~.-■-招隠士」)

    - 32-

    ・王褒

    「九懐」に至って'

    林不容今

    鳴明

    林は鳴鯛を容れず

    余何留今中州

    何ぞ中州に留まらんや

    (「九懐」危俊)

    と'世に容れられない賢人の比倫としてセミがあらわれる。

    これは不遇の士人を蝉にたとえる後世の類型の、最も早い

    例といえようか。とはいえ'蝉が士大夫の形象として定着

    するのは'後漠以後まで待たねばならない。

  • 魂育以後の蝉の賦

    後漠から観音南北朝を通じて'蝉を主題とした賊がかな

    -のこされている。今見られる早い作品に'後漠

    ・寮監の

    「蝉賦」'班昭の

    「蝉賦」があるが、いずれも類書に敷句

    ずつしか録されていないので'ここではまとまって見るこ

    とのできる曹植

    「蝉賦」を挙げよう。以後に書かれる蝉の

    賦も'おおむねはこの曹椎の作を原型としている。

    惟夫蝉之清素今'滞欧類乎太陰。在盛陽之仲夏今'始

    遊確乎芳林。賛涯泊而寡欲今'猫伯楽而長吟。聾倣轍

    而摘腐骨'似貞士之介心。内含和而弗食今'輿衆物而

    無求。棲高枝而仰首今'淑朝露之清流。隠柔桑之相葉

    今'快閉居而遁暑。苦黄雀之作害今、患蛙蚊之勤斧。

    巽瓢朔而遠托今'毒蜘昧之綱吉.欲降身而卑蛮骨、催

    草義之襲予。免衆難而弗獲今、造遷集乎宮字。依名果

    之茂陰今、托修幹以静庭。有崩御之牧童今'歩容輿於

    園固。鰹離朱之聴視今、姿才捷於禰猿。候同業而不挽

    今'樹無味而不縁。緊軽躯而奮進今、脆側足以自閑。

    埠の詩に見る詩の緒襲

    (川合)

    恐余身之驚骸骨'精曾呪両目連。持柔竿之再再今'蓮

    徴鮎而我纏。欲翻飛而途滞今'知性命之長指。委蕨鰹

    於庖夫'職炎炭而就燐。秋霜紛以宵下、農風烈其過庭。

    気惜但而薄躯、足撃木而失萱。吟噺唖以狙敗、状枯稿

    以喪形。

    乱日'詩歎鳴鯛'聾嘩喝今.盛陽則来、太陰逝今。岐

    暖貞素、倖夷節今。帝臣是戴'倫其潔今。

    (丁暴

    言白集鎗評』巻三による)

    いったい蝉は晴らかなもので、その類は地中に潜ん

    でいる。陽気盛んな最夏になると、はじめて樹林に遊

    ぶのである。まことに淡泊で無欲'ひとり喜んで鳴き

    頼けている。聾は高らかでいよいよ激し-なり、高士

    の操堅い心に似ている。心の中はおだやかで何も食べ

    ず、寓物とともにあって求めることをしない。高い木

    を住みかとして頭をもたげ、朝露の清らかな水をすす

    っている。柔らかな桑の密集した葉のなかに隠れて'

    静かな暮らしを禦しんで暑さを避けていた。(しかし)

    責雀が害をなすのに苦しめられ、かまき-の強い斧に

    - 33-

  • 中国文筆報

    第五十七冊

    悩まされる。室を朔けて遠-へ身を寄せたいと願って

    みても'蜘珠の網が恐ろしい。舞い降-て低い場所に

    隠れようとすれば'草の中の晶が襲って-る心配があ

    る。様々な難儀を避けようとしても詮方な-'蓮か遠

    -宮殿に移ってきた。めずらかな果樹の影に身を寄せ'

    高い樹木に付いて静かに暮らそうとした。(ところが)

    生意気な悪童が'ぶら-と庭園にやってきた。離朱

    (離婁)のような視力を備え、猿のような敏捷な様子

    である。枝には葉がなければ引-こともできず'木に

    は幹がなければ寄ることもできない。身軽な鰹を隠し

    て突進し'つま先立ちに歩きながら身を隠す。我が身

    が脅かされることを恐れて、目を凝らしてじっと見つ

    めると'しなやかな竿を手にして'わずかなモチを操

    って私を-つつけた。飛び立とうとしたが動けず'命

    はここまでと知った。身を料理人にゆだね'燃えさか

    る火のなかで焼かれたのである。秋の霜が夜のうちに

    下-、朝の風が庭を吹き過ぎてい-。怯える思いが鮭

    に迫-'足は木によじ登ろうとして足場を失う。鳴き

    頼ける聾も途切れ'姿も枯れ細って形もくずれた。

    乱にいう'詩篇では

    「嘩嘩」と鳴-セミを嘆いてい

    る。真夏に現れて、冬には去-ゆ-。輝かしい徳はt

    かの伯夷の操にもかなう。皇帝の家臣は冠に戴き'そ

    の高潔さを尊ぶ。

    蝉は露しか口にしない清潔な生き物であるという特性が'

    この賦全膿の基調とな-、淡泊'無欲なその性格が'「貞

    士の介心」に比擬されている。蝉の諸々の特徴のなかから

    高潔さを取り上げて'それを士人、或いは士人たる自己に

    なぞらえるのは'以後の蝉の文学の基本となる。晋

    ・侍玄'

    孫楚の

    「蝉賦」'郭瑛

    「蝉賛」'陸雲、宋

    ・顔延之の

    「寒蝉

    賦」'梁

    ・粛統

    「蝉賦」・「蝉賛」--'その流れは粛穎士

    「早蝉を聴-賦」、欧陽修

    「鳴蝉賦」など'唐末にも及ん

    でいる。

    蝉をこのように形象化した朕が'後漠後期から観音にか

    けての時期に出現し'それが後の時代にも引き継がれてい

    -ことは'士大夫という概念が定着してい-過程と並行し

    ているといえよう。蝉の高潔な生き方というものを描-こ

    - 34-

  • とによって、そこに士大夫の精神のあ-かたを表している

    のである。

    曹植は高潔な資質を備えた蝉を措-にとどまらず'見落

    としてならないのは'その蝉が高潔なるがゆえに虐げられ

    る弱者であるということだ。寓話のようなストーリー性を

    もつその朕のなかで'蝉は野外にあ

    っては

    「黄雀」「蛙娘」

    「蜘昧」「草晶」の攻撃にさらされ'宮中に逃げ込んでは

    「牧童」のモチ網にからめ取られて料理されてしまう。以

    後の蝉の賦'ないし蝉を唱

    った詩においても'蝉に己れの

    姿を寓した場合には'ただに高潔であるのみならず'高潔

    であることによって虐げられざるをえないという敗者の悲

    哀、嵯嘆が必ず伴う。士大夫たちは蝉の清らかでありつつ

    弱々しいその姿に'己れを投影Ltそうすることによって

    慰撫を得たのであろう。高潔さと併せて弱い存在であると

    いう蝉の形象は'曹椿の

    「蝉賦」のなかですでに固ま

    って

    いるのである。

    南朝宮廷の詠物詩と北朝の蝉の詩

    南朝の宮廷文筆において'蝉は詠物詩の封象として登場

    する。宮廷の詠物詩の題材はかなり狭い範囲に限定され'

    王侯貴族の邸宅内外の華やかな品々'とりわけ室内を彩る

    華麗な調度品'女性の身を飾る服飾品'さらには女性その

    ものが唱われ、自然物としてはせいぜい庭園のなかに見ら

    れる物に限られる。そうした詠物詩の世界で'蝉は庭園の

    小動物として選ばれる教少ない題材の

    一つである。詠物詩

    としての蝉の詩には'上述のような士大夫を形象化した'

    高潔でありながら不幸な境遇にあるという蝉の姿は希薄で

    ある。たとえば陳

    ・江絶

    「詠蝉詩」にいう'

    35

    白露涼風吹

    未明落照移

    鳴催暁林柳

    流響遍墓地

    付聾如易得

    尋忽却難知

    白露

    涼風吹き

    未明

    落照移る

    鳴燦

    林柳曝し-

    流響

    董池に過し

    はか

    聾を付れば得易きが如きも

    尋ぬ

    れば忽として却って知り難し

    蝉の詩に見る詩の轄愛

    (川合)

  • 中国文筆報

    第五十七筋

    (大意

    ‥秋のしるしの白露が降り、冷たい風が吹-秋がや

    ってきて'夏のしるしの太陽は西へ傾いた。枝が音をたて'

    林の柳の木に騒がし-響いている。流れ出た響きは憂

    ・池'

    一面に贋がる。肇から推し量るとどこにいるかすぐ分かり

    そうなのに、その姿を探そうとすると、ふいに今度はどこに

    いるか分からな-なってしまう。)

    この詩では'蝉は秋の季節を代表するものとして'そし

    てまたその耳につ-鳴き聾が捉えられ'それ以外の意味は

    使われていない。秋になって蝉が鳴き立て'その聾は聞こ

    えるのに姿はなかなか見つからないという、生活のなかで

    遭遇した

    一つの小さな驚き'それが詩の核とな

    っている。

    蝉はその鳴き聾は顕著なのに'姿を見定めようとするとな

    かなか見つからないということは'ほかの詠物詩にも唱わ

    れている。梁

    ・沈君牧

    「陸廷尉の早蝉に驚-に同ず」詩の

    なかの'

    望枝疑敷庭

    枝を望んで教虞を疑い

    尋室定

    一聾

    室を尋ねて

    一撃を定む

    という二句も、木のなかで鳴いているのは何匹かのようで、

    空中を飛ぶところを接して

    一匹を目に捉えたことをいう。

    江線の

    「詠蝉詩」が蝉の鳴き聾を耳にしながらその姿は見

    付けられないという'日常のなかで起こりうるこのような

    経験を詩句に捉えたものとすれば'生活の中に人がみつけ

    る小さな尊兄'驚き'それを詩の核として唱っているもの

    である。

    最後の二句は寓意として解樺する可能性もある。しかし

    それが何を寓意しているかは追跡できない。それはこの詩

    が作られた場においてのみ'その場に居合わせた人々の閲

    でのみ'理解可能なことである。想像すれば'たとえば歌

    妓のような、歌聾は聞かせるものの姿は見せないような存

    在をからかったものであろうか。寓意が何であるにせよ'

    それは遊びの世界に屠しているものであろう。作者個人の

    深刻な自己表白ではないし'士大夫の精神を表明したもの

    でもない。寓意があるとしても、遊戯的な性格から脱する

    ことはない。

    寓意が分からない今、このまま宮廷の暮らしの中のちょ

    っとした驚きを詩に取-上げたものとしても十分に謹める。

    36

  • 蝉という小動物のもっている

    一面、それを見付けて詩にす

    るという鮎で'この詩は宮廷の詠物詩た-えている。南朝

    の蝉を封象とした詠物詩は'おおむねこのような範囲のな

    かの詩である。

    南朝で蝉を詠物詩の封象の

    一つとして唱っていたのと同

    じ時期に'北朝では蝉に鮪馨されて自己の感慨を唱うとい

    う'先の

    「蝉の賦」に連な-'次の唐代の蝉の詩に引き継

    がれる詩が生まれていた。『障害』巻五七'慮思道博にい

    う、「周の武帝

    斉を平らぐるや'儀同三司を授けられ'

    迫って長安に赴-。同輩の陽休之等数人と蝉の鳴-を聴-

    、ト

    篤を作る。思道の為る所'詞意清切にして、時人の重んず

    あまね

    もろ

    る所と為る。新野の庚信

    -

    ろの同作の者を覚て'

    探-之を歎美す」。すなわち北周

    ・武帝の建徳六年

    (五七

    七)'北斉を滅ぼして北方統

    一を果たした際'北斉王朝に

    仕えていた慮思道'顔延之'陽休之'李徳林'啓道衡ら十

    八人が、長安に移されて北周の官を授けられた

    (『北賛書』

    巻四二、陽休之俸)時に、彼らの間で蝉の詩が作られたとい

    蝉の詩に見る詩の特筆

    (川合)

    うのである。この状況からも'そこには征服王朝に粒致さ

    れた遺臣の不如意な思いが託されているであろうことが隷

    測できる。今見ることのできるのは'顔之推の三十四句の

    (不完全か)と'慮思道

    (主≡

    l?-五八三?)の四十句

    の詩である。庚信が最も賞賛したという慮思造

    「鳴蝉を聴

    -篇」から、蝉の鳴き聾に燭登されて郷恩を催すに至る前

    半部を奉げれば'

    晩風朝露賛多宜

    秋日高鳴濁見知

    一枝

    鳴蝉を聴-

    此を聴けば悲しみ極まり無し

    肇が-噺-

    玉樹の裏

    過-暁ぐ

    金門の側

    長風

    腕章を送り

    清露

    朝食を供す

    晩風も朝露も賓に宜しきこと多-

    秋日高鳴

    濁-知らる

    軽身

    敷葉に蔽われ

    哀鳴

    一枝を抱く

    流乱

    罷みて遼た績き

    37

  • 中国文筆報

    第五十七冊

    鴬聴別人心即断

    絶聞客子涙先垂

    一朝

    酸傷

    いて更に離る

    覧-聴けば

    別人

    心即ち断たる

    娩かに聞けば

    客子

    涙先ず垂る

    故郷

    己に超忽た-

    正に蕪没たらん

    夕復た

    1朝

    坐して見る

    秋月涼しきを

    (大意

    ‥蝉の鳴き聾を聞く。これを聞けば悲しみは果てな

    い。宮廷の木々のなかで群れになって鳴き'宮門のまわ-を

    巡りながら鳴-。遠くから風が日暮れの鳴き聾を送り届け'

    清らかな露が朝の食事として供される。日暮れの風'朝の露

    はまことにけっこうではあるが'秋の日に高い木の上で鳴い

    ている姿ばかりが目にとまる。軽い身を数枚の木の葉に覆わ

    れ、

    1本の木の枝を抱きながら哀し-鳴いている。あてどな

    い流浪は終わったと思えばまた績き、悲痛な思いは胸にわだ

    かまったり離れたり。その蝉の聾をしばし聞けば'故郷を離

    れた人の心は絶えなんばかりとなり、耳にしたとたんに異土

    にさすらう人は涙がこぼれる。ふるさとはもはや造かに隔た

    り'人もない庭は荒れ果てていることだろう。

    一日

    一日と過

    ぎ去っていき'なすすべもな-涼やかに澄む秋の月を眺める。

    ‥-・」

    以下

    '詩は華やかな長安の都で高

    い官位を輿えられても

    満たされな

    い思い'いよいよ痛切に迫る締遠の願いを綴る。

    全編を貫-基調は、庚信の

    「哀江南賦」など、南朝文人が

    北朝に身を移して望郷の思いを唱

    ったのと牽わらな

    い。

    そうした情感が蝉の鳴き聾に鯛馨されて起こるところが

    南朝詠物詩の蝉と異な

    っている。ここでは蝉はもはや南朝

    宮廷詩のように'宮廷生活に彩りを添える愛玩の封象では

    い。自己の痛切な思いを誘うものとして登場するのであ

    る。そして蝉のこうした役割は次の唐代

    へと連な

    ってい-0

    の詠

    唐王朝

    の初期は'南朝そして晴に用いられた文人がその

    まま登用され'主導的な役割を換

    った'そのため唐初の宮

    廷文学は南朝の遺風がのこっているtと

    いわれてきた。蝉

    38

  • の詠物詩に限

    ってみても'たしかに唐初にも

    一見'南朝と

    同じような作品が作られている。しかしその中身を見てみ

    ると'すでに南朝のそれとは同じでない。唐初の宮廷文壇

    を代表する虞世南

    (五五八-六三八)の詩を奉げよう。虞世

    南は徐陵に認められて詩名を揚げ'陳

    ・晴を経て唐に入

    て太宗に重用された、唐初宮廷詩の中心的存在であ

    った。

    その

    「蝉」の詩

    (『全唐詩L巻三六)にはいう'

    垂楼飲清露

    重縁

    清露を飲み

    流響出疏桐

    流響

    疏桐より出ず

    居高聾白蓮

    居ること高ければ聾は自ずから達し

    非是籍秋風

    是れ秋風に籍るに非ず

    詩題に

    「詠」の字はないが'詠物詩の作法通-に'本文

    のなかで蝉と

    いわずに蝉を唱う。「績」はもともと冠を結

    んだひもが下へ垂れたのをいう。『薩記』内則'「冠接伴」

    かた

    「疏」に

    「樺を領の下に結び'以て冠を

    。結びの鎗

    れる者は'散じて下に垂る。之を接と謂う」。それによ

    て蝉の長い-ちばLを比倫するのは'すでに

    『薩記』檀弓

    はち

    下に

    「苑は則ち冠し蝉は績有り」と見え'蝉を詠じた詩に

    蝉の詩に見る詩の韓襲

    (川合)

    も'たとえば梁

    ・苑雲

    「早蝉を詠ず詩」に

    「端綾

    香液を

    抱Lt飛音

    露の活きを承-」などと頻見する。

    この詩は'長い-ちばLという形態の特徴'露しか口に

    しないと俸えられる食性'そしてその耳に付-鳴き聾、そ

    うした蝉の特性が綴られている。

    しかしこの詩を軍に蝉を詠じたものとして讃むことはで

    きない。

    一二

    一句はまだしも'三

    ・四句に至ると'そこに

    寓意性を感取せざるをえない。なぜなら'蝉の聾は秋風に

    たよらなくても、高い木の上にいるためにおのずと遠くま

    で響きわたるということは'蝉について述べているよ-も'

    それとは別のよ-重要な意味を含んでいるかに思われるか

    らである。

    寓意性を含んだ詩として謹み直してみると'この詩は初

    めから二重の意味をも

    っているかことが分かる。すなわち

    ①蝉の意味系列'②高士の意味系列である。

    1

    垂績飲酒露

    長い-ちばLという蝉の形態の特徴的部分

    - 39-

  • 中国文筆報

    第五十七冊

    だけを飲むという蝉の食性

    冠の紐=官位に着いている者

    清らかな精神

    2

    流響出疏桐

    蝉の鳴き聾が桐の木から響きわたる。

    名聾が桐という高潔な木から贋がる。

    3

    居高聾白蓮

    蝉は高い木の上にいるので'遠-まで鳴き聾が響

    く○

    高連な精神をも

    っているために、名聾はおのずと

    遠-まで博わる。

    4

    非是籍秋風

    秋風の力を借-て鳴き聾が運ばれるわけではない。

    他の媒介手段

    (風聞'噂、世評といった外部の別の

    力)によって名聾が遠-まで博わるというわけではな

    ■ヽ0

    >

    このように詩句のいずれもが二重の意味'蝉の描第と高

    潔な人士との二重性を帯び'撃方を含むかたちで詩が構成

    されている。寓意性はこのようにして機能を費揮している。

    高潔な人士というもう

    一つの意味系列が浮かび上がって-

    るのは'儒家のイデオロギーを根幹とする中国士大夫の詩

    において、高潔な人士という理念が'確固たる型に定着し

    てすでに用意されているからである。その理念が讃み手に

    も共有されているために、それに合致する意味が字面の蝉

    の叙述を透かして'

    一句ごとに浮かび上がる。そして二つ

    の意味系列はどちらか

    一方だけでも十分に詩を成立させて

    いるのである。すなわち詩の寓意性とは'詩がAとBとの

    二つの意味系列を含み'いずれもそれだけで詩の意味を

    鷹成-立たせること'且つAとBとはあ-までも重ね合わ

    された

    「二つ」の意味系列であ

    って'両者が解け合って

    つの意味を生むことはないこと'そうした構成によって成

    立していることがわかる。

    詩にこのような寓意性を謹みとることは'中国の古典詩

    の文学環境においてはご-普通のことであ

    った。なぜ表層

    の意味の下に作者が言いたい別のことを込めるのか、直接

    言わないのか。すぐ思いつ-のは、直接公言することがは

    40

  • ばかられるような内容を表明するためにこうした二重構造

    が仕組まれるという考え方である。しかしそうした現賓の

    レベル'詩の外側のレベルに理由をすべて求めるよりも'

    詩の内部に理由があるだろう。

    一つは中国の古典詩は士大

    夫が拾うために、士大夫としての理念の表明であることを

    要求される。しかしそれを直叙することは'詩の文嚢とし

    ての性格にそぐわない。それゆえにもう

    一つの意味系列

    (表層の意味)をも

    つのである。蝉の朕が常に

    「賦」の文

    膿によっていたことも同じ理由によるだろう。蝉の厳にこ

    める主張を表明するためだけならば'「論」などの文鰹を

    用いた方がよ-直裁であろうが、「賦」というよ-文嚢的

    ジャンルが'蝉に託して己れを表現する器として有数なの

    である。

    虞世南の蝉の詩がどのような寓意をもち、それがどのよ

    うに受け取られたか'理解を助ける資料はないが'初唐期

    における他の寓意詩によって'類推は可能である。虞世南

    と同じ時期の李義府

    「詠烏」(『全唐詩』巻三五)にいう'

    日裏薦朝彩

    日裏

    朝彩に髄がり

    蝉の詩に見る詩の韓壁

    (川合)

    琴中件夜噂

    琴中

    夜噂に伴う

    上林如許樹

    上林

    か-ばか-の樹あるも

    不借

    一枝栖

    一枝の栖むをすら借さず

    (大意‥太陽の中にあっては朝日の光を浴びて舞い上がり

    ((太陽の中に烏がいるという博承》'琴の中にあっては烏夜

    噂の歌の伴奏をする《楽府

    「烏夜時」》。天子の上林苑には

    か-も多くの樹木があるというのに、住むための枝は一枝す

    ら貸して-れない。)

    この詠物詩も烏の意味系列と'もう

    7つの寓意的な意味

    系列が重な-あっているかに見えるが'それに関して次の

    ような逸話がある。『隔唐嘉話』巻中に、「李義府始めて召

    見され'太宗試みに鳥を詠ぜしむ。其の末句に云う、上林

    あまた

    の樹'

    一枝の棲むを借きずtと。帝日-'吾

    全樹を

    もつ

    汝に借さん'豊に惟だ

    一枝のみならんや」。この話は

    『唐詩紀事』にも見える。それらによってこの詩が作られ

    た周囲の状況というものが浮かび上がってくる。すなわち

    李義府が朝廷にポストのない不満とそれを得たいという期

    待を含めたものであ-'太宗がそれを察知して

    1枝どころ

    ー 41-

  • 中国文撃報

    第五十七冊

    か全部の木を貸してあげようと答えたというのである。烏

    が枝を借りることを君主のもとに仕官することの比倫とす

    るのも俸枕的なもので'曹操

    「短歌行」の後半に、「月明

    らかにして星稀れな-'烏鶴南に飛ぶ。樹を練ること三匝、

    何の枝か依るべき。山は高きを厭わず、海は深きを厭わず。

    周公晴を吐き'天下心を蹄す」と'烏が枝に依ることによ

    って家臣が自分に掃屠することを比倫している。

    李義府の

    「烏」の詩のように詩の周囲の状況が記録され

    ているのはごく希であって'それがない詩の場合、寓意性

    があるのは察知されても何を寓意しているのかまで理解で

    きないことが多いが、李義府のこの詩と逸話から'初唐の

    まさに太宗の朝廷で詠物詩がこのように寓意性をこめて作

    られていたことがわかる。太宗の詩の師であった虞世南の

    蝉の詩も首然そのような寓意がこめられていたであろう。

    初唐、太宗の時代であるという文学史的事賓が詩の讃解を

    助けるのである。

    虞世南は周知のとお-'南朝宮廷の文学環境のなかから

    出現した詩人であるが、唐初の宮廷で重用された彼は'南

    朝宮廷詩と同じものを作っていたわけではない。南朝の詠

    物詩を引き樟ぎながらも'そこに如上のような寓意性をこ

    めるという撃貌を遂げていたのである。

    六自己表白としての詠物詩

    -

    酪賓王

    「在獄詠蝉」

    酪寅王の

    「在獄詠蝉井序」詩が作られた経緯は、ふつう

    以下のように説明されている。高宗の儀鳳三年

    (六七八)'

    侍御史であった騒賓王は上疏した文が武則天の逆鱗に腐れ'

    収賄容疑の誕告を受けて逮捕された。獄中に囚われの身と

    なった酪賓王は'蝉の鳴き聾に託して菟罪の悲哀を詠ったt

    と。その序にいう'

    余禁所'禁垣西'是法曹廟事也。有古根教株蔦。錐

    生意可知'同股仲文之枯樹。而聴訟斯在'即周部伯之

    甘栗。毎至夕照低陰'秋蝉疏引'登聾幽息'有切嘗聞。

    豊人心異於嚢時'勝島響悲乎前聴。鳴乎'聾以動容、

    徳以象賢。故潔其身也'棄達人君子之高行。蛇其皮也'

    有仙都羽毛之産婆。侯時而来、順陰陽之敷。磨節馬奨'

    42

  • 審戒用之機。右目斯開、不以道昏而昧其覗。有翼自薄、

    不以俗厚而易其異。吟喬樹之微風'韻資天縦。飲高秋

    之墜露'活畏人知。僕失路敷虞'遭時徽纏。不哀傷両

    目怨'未揺落而先表。聞蝉姑之流聾'悟平反之巳奏。

    見蛤蝦之抱影、怯危機之未安。感而綴詩'飴諸知己。

    庶情沿物療'哀弱羽之親零。道寄人知'偶除草之寂実'

    非謂文墨'取代幽憂云耳。

    私の獄舎は'宮城の西にあり'法曹の廟舎である。

    えんじゅの古木が教本あ-'生気があることは分かる

    が'失墜した晋の段伸文が府廟の前の老視を見て

    「復

    た生意無し」と嘆いたのと同じような古木である。訴

    訟の場であるここは、かの周の召伯が甘栗の木の下で

    訴訟を判決した

    (『詩経』甘菓)というのと同じである。

    毎日'夕日が日影を低-垂れ込める頃になると'秋の

    蝉がかすかな聾を引-。聾を馨しては低-消えてい-

    のは'以前に聞いた時よりも胸に切な-響-。聞-人

    の心が昔と違うのだろうか'それとも轟の響きが前に

    聞いたのより悲しいのだろうか。ああ'その聾は聞く

    蝉の詩に見る詩の輯襲

    (川合)

    人のかんばせを動かし'その徳は賢者に似ている。そ

    れゆえその身を高潔にするのは'達人君子の高連な行

    動を生まれながらに持っているものである。その脱皮

    するのは'仙人の国へ羽化登仙する神秘な姿がある。

    季節を伺ってやって-るのは'陰陽の秩序に従い'季

    節に磨じて撃化するのは、出虞進退の機微をわきまえ

    ているのである。目はしっか-開いて'道が暗いから

    といって親野を暗-することはない。薄い羽があって、

    俗が厚いからといってその貞節さを襲えることはしな

    い。高い木の微風を受けて吟じ、その調べは天寅欄漫

    そのものである。秋の高い室から落ちた露を飲んで'

    その清らかさは人に知られることを畏れている。私は

    道に迷って難儀を重ね'罪人を繋ぐ黒い純に掛かって

    しまった。悲しむよ-も自分が恨めし-'木々が枯れ

    落ちるよ-先に自分の身が衰えた。寿命の短い蝉の聾

    を聞いて、再審がすでに上奏されたことを知-'かま

    きりが影を抱-のを見て'危険がまだ去っていないの

    におびえている。感ずるところがあって詩を作-'こ

    - 43-

  • 中国文学報

    第五十七射

    れを友人に送る。

    どうか、人の感情が外物に沿

    って反

    癒し'弱い羽が風に舞うのを憐れんで-れることを'

    自分の正しさを人に届けて理解してもらい、残

    った聾

    の寂しさを憐れんで-れることを願う。文学がどうこ

    うというのではない'ただ深い憂愁に取って代えるま

    でのことである。

    西陸蝉馨唱

    南冠客思俊

    那堪玄賓影

    来封白頭吟

    露重飛難進

    風多響易沈

    無人信高潔

    誰為表予心

    西陸

    蝉聾唱い

    南冠

    客思侵す

    那ぞ堪えん

    玄賓の影の

    莱-て白頭の吟に封するに

    露は重くして飛ぶも進み難-

    風は多-して響きも沈み易し

    人の高潔を信ずる無し

    誰か馬に予が心を表さん

    (大意

    ‥太陽が西陸を行-秋の季節'蝉がしき-に歌って

    いる。春秋

    ・楚の錘儀は晋の捕虜になっても南方楚の園の冠

    をかぶ-頼けたというが

    《『左俸』成公九年》、蝉の鳴き聾を

    聞くと南の閲から来て囚われの身となっている身には異土に

    ある悲しみに胸が痛む。黒い髪をもった蝉の影がやってきて、

    白髪の人の歌啓に向かい合う'それがなんともせつない。露

    が重く降りて飛ぼうにも進みにくいLt風が強-吹いて鳴き

    聾も低-沈んでしまいがちだ。身の高潔を信じて-れる人は

    いない。いったい誰が私の心を外に明らかにして-れるのだ

    ろうか。)

    この詩を蝉と詩人との関わ-という鮎から讃み直してみ

    よう。

    一・二句では、秋の季節にふさわしい蝉の聾'それ

    を聞くことによって'異土に囚われの身とな

    っている自分

    の悲哀がいっそう深まるという。蝉の聾は詩人の悲しみを

    埼長させるものではあるが'両者はまだ別々の存在である。

    ・四句では蝉と自分とが

    「玄肇」「白頭」の色の封比

    によって封略し'悲哀は耐え難いまでに高まる。両者の関

    係は

    「来封」という動詞によ

    って示されているように'向

    かい合う別の存在であるが、色の対比とともに共通性によ

    っても両者は結びついている。蝉の悲痛な鳴き聾の奥にあ

    るであろう心情と、詩人の内面の痛切な思いとが共通し'

    通じ合うからこそ

    「那堪」'耐え難

    いものとなる。封比の

    44

  • 基盤となるこの共通性が、次の聯の蝉と自分との

    一腰感を

    導き出す。

    ・六句は表層においては蝉が秋深まり'露や風がつの

    るという冷たい状況のなかで'飛ぶ'鳴-という蝉本来の

    行動が妨げられることを言うが'それは同時に詩人が厳し

    い状況'具膿的には武則天の権力から歴力を受けている苦

    しい状況を重ね合わせている。ここに至ると'蝉は表面に'

    詩人は裏面にというかたちで'重ね合わされている。

    一つ

    の表現が二重の意味

    (秋風のなかで痛めつけられている輝と酷

    薄な政治状況のなかで行動を妨げられている自分)をも

    つtと

    いう鮎で、この二句は寓意性をもつ。

    ・八句は蝉の特性の

    一つ'高潔さを述べることによっ

    て蝉の意味系列にも連なるが'表面に出て-るのは詩人の

    方である。獄中にあって潔白を主張しながらも自分の高潔

    さを明らかにしてくれる人がいない嘆き。

    すなわち、この詩では秋の風物としての蝉、それを獄中

    で耳にする詩人という'二つの存在で始ま-'それが封比

    されつつも

    一つに重ね合わされ'その重な-から蝉を表に

    蝉の詩に見る詩の緒襲

    (川合)

    述べつつ詩人の境遇を唱い'さらに詩人を表に返して自己

    の表白に終結するというかたちをと

    っている。

    酪賓王のこの詩は寓意詩といえるだろうか。寓意詩は二

    重の意味を含み'それぞれが完結した意味系列として機能

    していなければならなかった。虞世南の詩も李義府の詩も

    いずれも蝉

    ・烏の詩として蝉

    ・烏についての意味系列が

    1

    貫して最後まで働いている。蝉

    ・烏の詩としても讃めるの

    である。ところが酪賓王の詩の場合'蝉と囚人とを別々の

    意味系列として切-離すことはできない。蝉だけの詩'な

    いし囚人としての悲嘆を歌う詩、いずれか

    一つとして讃む

    ことはできない。初め'蝉と自分との出合いから出番した

    のが'蝉の中に作者は自分自身の投影を見て'やがて

    一つ

    に化し、両者が融合したところに感慨を催しているのであ

    る。ここでは寓意ではな-て'融合、

    一腰化なのだ。この

    場合'詩人の心情は蝉に誘馨されて起こるという自然な流

    れが添えられ'また蝉自膿の形象も具膿性を帯びることに

    なる。

    蝉を題材とした詩が'南朝の宮廷詩においては江線の詩

    45

  • 中国文学報

    第五十七冊

    に見られたように'

    もう

    一つの意味を伴わない'或いは伴

    うとしてもせいぜいその場の座興に供する程度の軽い意味

    の、軍に蝉を詠じた詩であったのが、初唐の最も初期の'

    南朝の遺風ののこる太宗の時期における虞世南'李義府'

    彼らの時代においては詠物が寓意として展開されることと

    な-'初唐も四傑と稀される、盛唐に向かって

    1歩近づい

    た酪賓王になると'寓意を離れて封象と自己との融合が詩

    に結賓されるTという詩の撃化があとづけられたと思う。

    酪賓王の詠蝉の詩は、蝉に寄せて人の心を唱う際の'蝉

    と人の関係を表現する手法の遠いよ-も'さらに大きな差

    異をもつ。すなわち罪な-して囚われた自分の痛恨、怨み

    を唱うという深刻な内容'その思いの強烈さである。菟罪

    を嵯嘆するテーマは'中国古典文学の博続の中ではまず屈

    原の離騒など

    『楚節』の

    一連の作品が最初に位置して'中

    国詩の歌うべきテーマの

    一つとしての博続を形成している。

    それはふつうには世間に認められない自分'世に容れられ

    ない悲哀、といった不遇の人士の思いを歌う型として機能

    するが'酪賓王の場合は牢獄に捕らえられたという状況が

    屈原の菟罪テーマをよ-尖鋸なかたちで直接に表明してい

    る。同じ蝉の詩でも、蝉に重ねられて唱われる心情が、そ

    れまでの詠物詩とはまるで異なる'切賓な思いの表白にな

    っているのである。それは

    「序」のなかで酪賓王自身が'

    「文墨を謂うに非ず'取-て幽憂に代うとしかいう」とい

    うのにも'これが文学のための文学でな-'心中の憂愁か

    ら吐き出さざるをえないtやむにやまれぬ思いの表白であ

    ることを語っている。話題は軍に

    「詠蝉」に作るテキスー

    もあるが、通行している

    「在獄詠蝉」という話題は'それ

    が作者自身の手になるか否かはともか-として'「詠蝉」

    という詩題が喚起する南朝貴族的な雰囲気を

    「在獄」'そ

    れとまった-封極にある場とを結びつけた逆説的な意味を

    帯びることになる。詩の内容も

    「詠蝉」という俸続的な型

    を襲いながら、それを優雅な貴族の遊びとしてでなく'命

    をも危う-される危機的な状況の中に移したという新しい

    詩に奨わっている。この賛容はまさに南朝詩が唐詩に愛容

    する面をあらわしているもので'南朝では優雅な遊びとし

    ての美文撃が'唐詩では最剣な人間の精神の馨露として詩

    46

  • に精神性を盛-込むものとなってい-のである。

    ただ'こうした悲壮な情調をたぎらせた詩は'作者のそ

    のような心情に同感し、

    一腹化して謹む場のなかでのみ機

    能しうるということも付け加えておきたい。たとえば'騒

    賓王にはこれもまた人口に捨象した

    「易水迭別」の詩があ

    る。

    此地別燕丹

    此の地

    燕丹に別る

    壮士髪衝冠

    壮士

    冠を衝-

    昔時人巳没

    昔時

    人巳に浸し

    今日水猶寒

    水猶お寒し

    いうまでもな-'

    燕の太子丹が秦王政を暗殺すべ-'刑

    軒を見送

    った

    『史記』刺客列侍の故事を唱

    ったもので'

    『史記』に引かれた刑軒の歌'「風青煮として易水寒-'

    壮士

    1たび去って復た還らず」、その雰囲気を再現しっつ'

    それに同化して酪賓王自身の悲壮な決意を表明したもので

    ある。この詩も初唐詩がすでに南朝の美文撃から脱皮して

    雄滞な方向へ動き出していることを示しているだろう。

    ところが輿謝蕪村は同じ剤軒の故事を用いて、その悲劇

    蝉の詩に見る詩の特筆

    (川合)

    性を茶化してしまう句を作っている。

    易水にねぶか流るる寒さかな

    ねぶか

    (ネギ)の白い色が寒さという感覚に繋がってい

    るが'易水という歴史的な悲劇の場とねぶかという日常的

    野菜とを取り合わせた面白さ'ねぶかがぷかぷか流れて-

    る映像のもたらす滑稽さ'そうした工夫が悲劇として受け

    止められてきた認識の枠組みを笑い飛ばし'無化してしま

    うのである。悲劇は位相をずらせば容易に喜劇にす-かわ

    ってしまう。優美な遊戯文学から'自己の切賓で悲壮な思

    いの表白

    へと詩が樽換したのは'確かに

    一つの奨化ではあ

    るが'自分の思いが切賓である作品だけが優れた文学にな

    るというわけではない。蕪村のようなもう

    一つの文学も可

    能なのである。

    ここまで見てきた蝉の詩は'寓意性の程度に違いはあり

    ながらも'蝉という最に封して人間的な

    「意味」を付興しう

    その

    「意味」をめぐって蝉を唱ってきたものであった。蝉

    47

  • 中国文筆報

    第五十七冊

    が樹液を食物としていることを我々は知

    っているけれども'

    過去の中国では蝉は露しか飲まないと考えられ'そのこと

    から清潔'高潔という

    「意味」が輿えられてきたのだ

    った。

    秋の景物の

    一つとして蝉を唱

    っている時には、そうした意

    味性が希薄で、自然の害悪に即しているかに見えるけれど

    も'その場合でも日本では夏の最とされている蝉が'中開

    では基本的に秋をその季節とするというように'やは-文

    化の俸続のなかに組み込まれて認識されていることは免れ

    ない。秋の季節に屠するがために、蝉の鳴き聾を聞-こと

    によって客遊の悲哀'望郷の思いが湧き起こる、というか

    たちの拝情は'唐代の蝉を唱った詩にことに多-見える。

    1例を挙げれば'晩唐の干武陵

    (名は都、字が通行.生卒年

    不詳)の

    「客中

    早蝉を聞-」詩

    (『文苑英華山雀三三〇)に

    、江頭

    一聾起

    芳歳巳難留

    聴此高林上

    進知故国秋

    江頭

    1聾起こり

    芳歳

    巳に留め難し

    此れを高林の上に聴けば

    遥かに知る

    故国秋なるを

    雁催風落葉

    鷹に催すべし

    風の葉を落とすを

    似勧客回舟

    勧むるに似た-

    客の舟を回らすを

    不是新蝉苦

    是れ新蝉の苦しむるにあらず

    年年自可愁

    年年

    自ずから愁うべし

    尾聯にいうように'愁苦は詩人の内にもともと戒されて

    いるものであるが、それを鯛尊するのが蝉である。蝉の鳴

    き聾から秋の気配を察し'凋落の秋の季節から放愁'郷愁

    を尊するのである。

    杜甫の

    「秦州難詩」其四は'連境の見知らぬ城市の秋の

    日暮れ時'鼓角の不気味な音が響きわたるのを耳にしなが

    ら不安をつのらせる心情を唱うもので'直接蝉を詠じた詩

    ではないが'蝉は鳥とともに秋の景物として描き出され'

    心ならずもこの地に身を寄せる詩人の思いと結びついては

    いる。が'この詩は蝉の鳴き聾から蹄心を誘饗されるとい

    った類型的な行情に収まりきらない。

    鼓角縁遠郡

    鼓角

    縁遠の郡

    川原欲夜時

    川原

    夜ならんと欲する時

    ふる

    秋聴股地番

    秋に聴けば地を段わして馨し

    4g

  • 風散人雲悲

    抱棄寒蝉静

    韓山猫鳥遅

    寓方聾

    一概

    書道尭何之

    風に散じて雲に入-て悲し

    葉を抱きて寒蝉静かに

    山に韓-て濁鳥遅し

    寓方

    一概

    吾が道

    意に何こにか之く

    「葉を抱-」蝉は'曹植

    「秋思賦」に

    「野草禦色骨董葉

    稀'鳴鯛抱木骨雁南飛

    (野草色を撃え重葉稀れな-'鳴鯛木を

    抱きて雁は南へ飛ぶ)」(言目集鎗評』巻

    一)と見え'それは

    早-

    蒜疋節』九拝に

    「燕廟励其節婦今'蝉寂漠而無聾。雁

    廠鹿而南遊今'鶴鶏咽噺而悲鳴。(燕は励廟として其れ新し

    締り'蝉は寂漠として聾無し。雁は廠廓として南に遊び'鶴鶏は

    とうたつ

    咽噺として悲しみ鳴-)」というのに連なっている。杜甫の

    「抱菓寒蝉静」の句を用いた蘇拭

    「寿星院寒碧軒」詩では

    「日高山蝉抱菓響'人静翠羽穿林飛.(日高-して山蝉は葉

    を砲きて響き、人静かにして翠羽は林を穿ちて飛ぶ)」と'葉を

    抱いた蝉も鳴き聾を響かせているが

    '

    杜甫の蝉はひっそ-

    と聾を潜めている。本来けたたまし-鳴-はずの蝉がすで

    に聾を揚げる力もな-'ましてや飛ぶ力もな-、菓にじっ

    蝉の詩に見る詩の緒愛

    (川合)

    とへば-ついたまま死を待っている、そうした姿が描きだ

    されているのである。下旬の

    「蹄山猫鳥遅」-

    夕暮れに

    ねぐらに締る鳥は'陶淵明の

    「山気日夕任、飛鳥相輿蓮」

    をはじめとして頻繁に唱われてきた光景であるが、ここで

    はその鳥の飛び方が

    「遅」い。まるで空中に静止するかの

    ように奇妙に遅い鳥の飛期が'詩人を包む周囲の不気味な

    情感と

    一致しているのである。粛源非はこの二句について'

    「蝉が葉を抱-のも'鳥が山へ締るのも、ともにそれぞれ

    が所を得ていること、それとは逆に自分には身を落ち着か⑥

    せる場所もないことを興す」という解樺を提起しているが

    '

    納得しがたい。本来はつがいで'或いは群れを成して飛朔

    するはずの鳥がここでは

    l羽のはぐれ鳥であり'もともと

    にぎやかに鳴-蝉が静ま-かえ

    っている。「寒」「猫」とい

    った形容詞'「静」「遅」という述語、いずれも

    「蝉」「鳥」

    が本来あるべき状態にないことを示している。鳴-ことを

    新著な属性としてきた蝉が'ここでは鳴かずに木の葉にへ

    ば-ついてじっとしていることによって'生命力の低下し

    た、音のない不気味な世界を思わせるのである。

    - 49-

  • 中国文筆報

    第五十七冊

    蝉が登場する詩句の系譜のなかで'杜甫のこの句はいか

    にも異質である。秋の景物の

    一つとして'蝉はたしかに唱

    われできた。しかしここでは季節が秋であることを俸蓮す

    るために蝉を描いているだけはないし'悲秋の情感を醸し

    出すというだけでも収まらない。そしてまた詩人の心情を

    仮託しているとも単純に言い切れない。蝉を詠じた詠物詩

    が単純に蝉-

    詩人という圏式を備えていたのに射して'作

    者の意を反映しつつも'それだけではすまされないものを

    含んでいる。我々が惹きつけられるのは'この句が描き出

    す極めて具鰹的'現賓的であ-ながらも'同時にまた象徴

    的な情景である。象徴というほかないのは'蝉が現賓の何

    を表しているのか比定できないからであ-'それよ-も親

    書とは別のもう

    一つの確かな世界をことばによって出現さ

    せ'それが強い賓在感を生み出しているのである。下旬の

    鳥も'日暮れ時に掃

    ってい-鳥はおなじみの風景ではある。

    しかしここでは

    「遅」の

    一字が、そうした類型的な景観を

    破壊し'どこか非現章的な'「もう

    一つの世界」を創出し

    ている。蝉の詩の系譜のなかで杜甫のこの詩ははなはだ特

    異なものであるけれども'中国の詩の展開のなかでこれを

    映かすことはできない。

    もう

    一つの自己表白-

    李商隠

    「蝉」

    蝉の詩の饗連の最後に'晩唐

    ・李商隙

    (八l二-八五八)

    の詩を見よう。そこでは高潔な生き方をするものとして己

    れと重ね合わされているという鮎では'これまでの蝉の詩

    に連積しているのだがtLかしその際の自己の捉え方には

    質的な大きな埜化が生じているように見える。五言律詩

    「蝉」にいう、

    JO

    本以高難飽

    徒努恨費聾

    五更錬欲噺

    一樹碧無情

    薄昏梗猶汎

    故固蕪巳平

    煩君最相警

    我亦翠家清

    本ともと高きを以て飽き難-

    徒らに努す

    恨みて聾を費やすを

    五更

    疎にして断えんとし

    一樹

    碧にして情無し

    ・つ

    薄昏

    梗猶お汎かび

    蕪れて己に平らかなり

    いまし

    君を煩わす

    最も相い警むるを

    我も亦た家を奉げて清し

  • (大意

    ‥もともと高い木の上で露しか飲まないので'いつ

    も室きっ腹を抱えたまま。満たされない思いを聾に尊してむ

    なし-鳴き頼ける。

    夜通し鳴き績けて朝が近づいた時分、鳴き聾も聞達になっ

    て今にも途絶えそうだが'そんなに鳴き積けても樹木は無情

    にも緑のまま'表情も襲えない。

    下っ端役人の自分は'水に流れ行-木彫-の人形さながら'

    行き着-先も知れずに漂い績けている。締ることもできない

    故郷では荒れ果ててもう草が一面に生えていることだろう。

    君にはご苦努だが'誰よりも私に向かって警告を覆しても

    らおう。私もまた君と同様'一族を奉げて清らかそのものな

    のだ。)

    詩題に

    「蝉」と記されたあと'詩の本文にはいっさい蝉

    という言葉は出さずに蝉を唱うという鮎で、博続的な詠物

    詩の手法に従

    っている。

    前半四句は'蝉について述べている。そこで用いられて

    いる蝉の意味要素は'露を飲むだけの清らかな生き物であ

    ること'そして己むことな-鳴き頼けることである。蝉の

    蝉の詩に見る詩の輯襲

    (川合)

    っこの二つは'これまで見てきたとおり'蝉の因襲のな

    かで受け裾がれてきたものであ

    って'そのかぎ-では従来

    の詩と奨わるところはない。意味を抽出してしまえば襲わ

    るところはな-てもtLかしこの措辞には異なる色合いも

    帯びているように見える。

    まず第

    1句。「高」い所に暮らしていることは必ずしも

    直接

    「難飽」に結び

    つ-わけではないが'「高」は露しか

    飲まない蝉の崇高'孤高さをも表すものであり'それはま

    た自分の精細の清らかさをも響かせ'そこまでは従来の蝉

    の詩に連なる。しかし

    「本以高難飽」というこの言い方は'

    露しか口にしないという蝉の生態'ないし主催的な選樺に

    焦鮎を首てているのではな-、食物を食べないために空腹

    を鎗儀な-されているという結果の方に重心がある。露し

    か飲まないことを中心に述べれば'その清廉な態度が債値

    づけられるのに射して'ここでは食欲を充足できない不本

    意な結果'食べるという生の基本を輿えられない蝉の不幸

    が照らし出されている。

    冒頭の

    「本」にも作者の判断が含まれている。蝉は本来、

    - 51-

  • 中国文学報

    第五十七冊

    生得的にそういうものである'選揮肢のなかからみずから

    選んでいるのではなくて、それがいわば宿命である'従っ

    「難飽」という結果も首然といえば菖然のことだtとい

    う判断。ならば'不本意な結果は本人にも周囲の人にも改

    めるすべはないtやむをえない必然であるという認識が含

    まれ、

    一首全膿に流れる諦観'自噺を帯びることになる。

    本来'蝉はそういうものであるのに'にもかかわらず'

    無駄な鳴き聾を費やしていると述べる第二句'ここには不

    幸が必然であるのに'なお鳴き績けることを愚かしい、空

    しい行為であるとみなす判断を帯びている。蝉

    (=詩人)

    「高」である以上、「難飽」は常然であると認識してい

    ると同時に、むなし-鳴き績ける愚かな存在でもある。愚

    かな行馬であるのは自明であるのに'それでも鳴き頼けざ

    るをえないところにtより深い不幸があることを詩は語る。

    「五更疎欲断」、は夜の聞むなし-鳴き積けて'鳴き疲

    れ'聾が消え入りそうになっていることをいう。賛際には

    蝉は夜明け近い時間になって鳥に先んじて鳴き出すもので

    はある。清

    ・李家瑞

    『停雲閣詩話』に

    「以余孝之、蝉不夜

    鳴'況五更正吸露之辰'非鼓翼之候'別所云疏欲断者'日

    展臆想之誤」。(「私の考えでは'蝉は夜鳴-ものではない。ま

    してや五更は露を吸っている時間であって'羽を振るわせる時刻

    ではない。だから

    『疏にして断えんと欲す』というのは'臆断の

    誤-である」

    。)

    しかしそうした事案との馳齢にこだわるこ

    とは無用であろう。この句は夜の更けてい-につれて途切

    れがちになる蝉の聾とtか-まで鳴き積ける

    「徒努」がも

    たらす重い疲努感を感取すれば十分なのだ。

    それほどに鳴き績けても'蝉が付着している樹木は

    「碧」なるままであ-'蝉になんの同情も示さない。「碧」

    という色と

    「無情」という感情の閲には、ほかの色の場合

    よ-も密接な冷たい繋が-があるだろう。「一樹」はむろ

    ん'「五更」の封語ではあるが'さらに詮索を加えれば'

    詩人の寄るべき'ないし寄ろうとしていた'かけがえのな

    い特定の

    1本の樹木といった意味を帯びうるかも知れない。

    このように四句は表面上は蝉のことをいいながら'すで

    にそこに詩人の形象をたっぷ-だぶらせている。紀的が

    「前半は蝉を寓すも'即ち自ら愉う」というとお-である。

    J2

  • 前半が蝉と詩人を重ね合わせていることが自明であるので、

    五'六句に至って詩人の事態を直叙することが唐突な縛換

    であることを免れ、轄換とともに連積性が輿えられている。

    詩人の不如意は'下級の宮人のために地方を韓々として'

    故郷に締ることもできないみじめな暮らしへの嘆きである

    ことが明らかにされる。そしてこの二句が詩人だけについ

    て述べていることが'前半で重なっていた蝉と詩人とを分

    離させ、最後の二句に億-0

    七'八句では蝉は

    「君」、詩人は

    「我」と稀されること

    によって'封峠する二つの存在となる。そして

    「君」は我

    が身の不如意を鳴き績ける行為によって

    「我」に警告を尊

    して-れる。「君」「我」ということによって、蝉と詩人の

    閲には同じ境遇に置かれた者どうしの連帯感が生まれる。

    蝉と詩人は互いに照らし合うことを通して、己れの不如意

    をよ-痛切に知覚し'且つ同じ境遇にあるもう

    一つの存在

    を知ることによって封象に封する同情と自分に封する慰撫

    とが生まれる。この二句の言い方は、蝉と自分との相照ら

    し合う関係をよく表している。蝉が鳴-ことは自分に封す

    埠の詩に見る詩の樽襲

    (川合)

    る警告である

    (と受け止める)。警告と受け取った自分は蝉

    に封して、他の誰よりも自分に射して警告を費して-れる

    ように頼む。蝉からの警告を受け取ることによって'自分

    も蝉と同じ-

    「清」なるあ-さまであることが自覚される

    ・--蝉から自分へ'自分から蝉へという往復が、両者のい

    わば同病相哀れむ状態を浮き彫りにする。そしてまた蝉と

    自分との往復運動を設定することによって'自己をも封象

    化することになる。

    この詩における蝉と詩人の関係は'騒賓王のそれとは異

    なっている。酪賓王の場合は'蝉と詩人が別々に登場した

    あと、両者が融合し、

    一つの存在として溶け合うことに韓

    著したのだが'ここでは逆に封象と圭倍とは分離している。

    分離することによって両者の

    一腰感を尖鋭にさせるのであ

    る。蝉

    と詩人の関係よ-もさらに大きな違いが'酪賓王と李

    南陽の閲にはある。それは自分自身の捉え方の相違である。

    騎賓王の場合'蝉=

    詩人は獄中にあっても己れの潔白は揺

    るぎな-自身によって確信されている。自分をそのような

    53

  • 中国文筆報

    第五十七冊

    状態に陥れた外部が悪いのであって'自分の胸中には

    一瓢

    の労りもない。そして謹み手もその作者の確信のなかに入

    -込むことを強要される。作者の正しさを自明とすること

    によって'詩は成立している。

    それに封して李商際の詩では'不幸な境遇にある自分が

    シニカルな目で捉えられ、蝉の惨めさがよ-分かるように

    詩人も蝉と同じように惨めな'さらにいえば滑稽なくらい

    惨めなありさまであるということが'作者自身の目を通し

    て描き出されているのである。食えないことは自明である

    のに蝉は鳴き績け'夜明けに近づいてその鳴き馨すら消え

    そうになっているみじめな存在であるように'自分もいか

    に苦境を訴えても同情して-れる人もない、哀れな存在で

    あることを唱うのである。「翠家清」には、酪賓王の詩で

    あったならば'犯すべからざる精神的債値として高らかに

    主張したであろうが、李商際の場合には

    「清」であるから

    には被らざるをえない不遇を首然の結果として受け入れて

    しまい'不遇に沈む自分とそうした自分を寂し-噴う自分

    との撃方が

    1篇の詩のなかに含まれている。自分の高潔さ

    を'もはや酪賓王のように明快に主張できないのである。

    このように屈折した自己の把握'自欄を帯びた'ないし自

    虐的な自己認識は'やは-杜甫を経過してこそ生じたもの

    であ

    って

    (杜甫に見られる自己認識の特徴については別稿を用

    意)'ここにも文学史的な展開のあとを確認することがで

    きよう。蝉の詩の系譜についていえば'酪賓王に至って特

    別な状況のなかに押し込められた'代替不能な自己という

    ものが蝉と重ね合わせて表現されたが'李南陽に至るとそ

    の自己もか-分解するに至るのである。

    *

    蝉を唱った文学の展開を建安から晩唐に至るまで通覧し

    てきた。蝉に付興されたどのような意味を用いるかに関し

    ては、かな-早い時期に固定して'それがそのまま継承さ

    れてい-のだが'蝉の同じ意味を用いながらも詩そのもの

    はやはり時代によって奨化してい-過程を確認することが

    できた。このあとも蝉は中国の詩文のなかで生き積け'

    「寒蝉」は寂実たる心象を零し出す景物として定着Lt蝉

    に自分をなぞらえて唱う詩も途絶えることはないがtLか

    511

  • し景物としての蝉の形象においては杜甫'蝉の姿に自己を

    投影する系譜においては李商陰'その二人が到達した高み

    、後代の詩文はついに及ぶことがないのではな

    いかQ

    証①

    初出は

    一九四〇年。冒同村光太郎選集』第四巻

    (1九八

    槍訂版'春秋社)所収。

    詩は

    一九四〇年の作へ『選集」第四巻に所収。短歌は

    一九

    二四年の作'「工房よ-Ⅱ

    (抄)」(「選集』第三巻所収)に見

    える。

    大野晋

    「『うつせみ』の語義について」(r文学h第

    一五巻

    第二鍍'

    1九四七)。大谷雅夫'中島貴奈氏の教示による。

    ジャン・ポール・

    クレベール著'竹内信夫ほか詳

    『動物シ

    ンボル事典」(一九八九㌧大修館)の

    「せみ」の項に

    「ギリ

    シアに停わる話では'昔'粘土から作られた人間のある者た

    ちは'歌うことに熱中するあまり食べることを忘れ'そのた

    めに死んだそうだ。ムーサたちはそれに感謝の気持ちを表わ

    すために'細々に頼んで彼らを蝉に襲えて貰ったという。蝉

    は姦しか口にしないと長い間信じられていた」。

    王文語輯注

    『蘇拭詩集し(1九八二、中華書局)巻三二〇

    葉を抱-蝉を蘇珠は

    「御史董稔

    ・挽

    ・竹

    ・相四首」其二の

    「税」詩

    (同'巻

    一九)のなかでも

    「高根錐驚秋'晩蝉猶柏

    葉」と唱っている。ここでは明言されてはいないが'蝉は鳴

    蝉の詩に見る詩の韓襲

    (川合)

    いていないだろう。

    斎源非

    『杜甫詩選注し(1九七九'人民文筆出版社)

    l二

    三頁に、「蝉抱葉'鳥蹄山'倶各得共析'反輿自己的無慶安

    身.書法以鵠日比'恐非」。

    ・施補筆

    『呪傭説話』(『清詩話』所収)は'すでに李商

    腰の

    「埠」詩を蝉の詩の系譜のなかに置いてそれぞれの特徴

    を指摘しているo「三百篇比興烏多'唐人猶得此意O同

    1詠

    ママ

    蝉'虞世南

    『居高聾日蓮'端不籍秋風Lt是清華人語。酪賓

    『露重飛難進'風多響易沈』'是患難人語。李南陽

    『本以

    高難飽'徒努恨費聾』'是牢騒人語。比輿不同如此」。

    附記

    ‥本稿は平成十年度文部省科挙研究費による共同研究

    「中

    園における文学史観の形成と展開」(代表'筆者)によ

    る成果の一部である。