13
Title [蘭]學創始以前長崎に於ける萌芽期の[近]世地理學 Author(s) 岩根, 保重 Citation 地球 (1935), 24(1): 33-44 Issue Date 1935-07-01 URL http://hdl.handle.net/2433/184442 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Title [蘭]學創始以前長崎に於ける萌芽期の[近]世地理學

Author(s) 岩根, 保重

Citation 地球 (1935), 24(1): 33-44

Issue Date 1935-07-01

URL http://hdl.handle.net/2433/184442

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

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に放

る萌

芽期

の近

理学

文化元年(1'八〇四)露西並の修好使節として

派遣せられたレザノフを輩じ'我が漂流民を迭

(1)

還して長崎に凍航した

クルクゼンシュテルンの世

界用航記を讃Uと'

一七二九年刊行の巴旦アカ

ブミイの紀要を引用して、一六一二年十一月入日

即ち慶長十七年十月十

六日の月蝕が換門及び長

崎の両地で観測せられ、その初膳の時差が恰も

1時間であったことにょ~,h、両地経度の差が十

五度に普る乙とが報告されてゐることを運べ'

之が長崎に於での産皮測定の最初の出凍蔀であ

らうとしでゐる。乙の観測並びにをの意義に閑

伽鮮創輪以前長崎に於ける鵬井期

の近北仙北塔

(りこ

しではテレキの日本地岡沿革史の中にも解介せ

られてゐるが、それ等ほよると換門での観測者

は後に「職方外紀」を著してゐる文儒略即ちジュ

-アス・アレニ等であわ'長幅での観測者はク

ラヅセの日本函数史に殉数的食後を俺

へられて

ゐるシャアル・スビノラで、後者は後脚の時刻の

報告が覆

いので完各夜ものとは云へを

いが、恐

ら-之が我鯛に於で行はれた最初の天測に基

5'

て行はれカ経度の測定であっ光らし5'。尤も乙

の観測は外人の手によって覆され光ものであっ

カから、後年文政の頃に至って育地林宗によタ、

乙のクルクゼンシュテルンの紀行記の

一部が「奉

三三

三三

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二十田雀

使日本紀行」として禰鐸せられた迄は、その結果

も常時のH本人の地理知識には何等加

へる所は

在かつカか79知れ粕。しかし兎に角、慶長元利

の頃に天文地即に鏑する知識素養を有した外囲

宣教師や般海老が長橋に在留してゐたことは乙

の土地の日本人の知識碁に盆然触影響であった

(5=)

とは考

へられ老

い。かの葡荷牙人

ユマヌエル・

ゴンザ

ロに就

いて航海に必要なる天測やその他

数紺地排に観した知識を習得Lp今日

「元利航

海記」

と栴せられてゐる

1番を遺してゐる池肘

好運の

如きが乙の地に在った乙とはrJの想像の

革質なる乙と互選脊するものと云へやう.

駄①

Krusenstern,Adam

JohannYon;・Reiseum

die

W

ettindenlahren180371804,)805undi806auf

B

efehtSeinerKajseTl.

MajestEtAl

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Schiffen

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nterdemCom

mandsdesCapitansYondell

Kaisert.缶a1・ine

A

.∫.von

Rrusenstern.3Bde.

St.Petei・Sburg

1810-)2.

本憩

は路譜版と同時

に川版されてゐる。羽仁五郎帯

11班

三四

クルウゼン

g

シテアルン日本紀行」として朔開講背中

に収錬'同署

上怨二四六許以下参隅o

Teteki,P.G.1Attas

zur

Geschichteder

Karto・

graphie

der

3.apan

ischen

Inseln・1909・

Kapitel

XItI.

DieKartographieStidjapansirnXVZIJahrhun・

dert.und

ihreQuellen.静順o

川路元次郎

氏「粍史的

研究」'梅

表装怒飾三穆新村博士

竹越等参照。

昏時渡魂の宜教師に布教の手段とし

て天文そ

の他の学術は銅する造詣が要求せられ

てゐたrJ

(I)

とは、我岡は初めて渡凍しわ耶蘇骨の宣教師ザ

ビエルの沓筒にょつても明かであ与、慶長三年

以釆有

馬や天草にあった天主教撃林の主在るも

のは長崎は移されたと云ふから、天主教の教義

や他の撃塾と共に彼等の天文地排散79乙の撃林

を中心として邦人の間に樽

へられてゐカrJとは

殆んど疑以の覆

い所である。「南轡運衆論」の評

('])

著者韓野忠庵即ちク

リス

トファン・フ

ェレイ

ラが

宣教師として渡凍し

たの

は慶

長十六年頃の

jTド=-t

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で被が我園に在任四十年にも及べる間に.敏の

天文仙川に観する知識がどの程度に長崎の草間(1・.)

界に影響する所があったかは不明であるが、正

保三年南野流天文撃を修め光る故を以て輔

へら

れ獄死LAJ長橋の談天森林青石肺門の如き捧野

忠庵はついで之を聴いた

一人であるらしい。

「南塑運気論」の所説を向井玄栓が明麿年中長

崎に於で支那流儀説を混接として挿駁批評を加

へたものが「乾坤揮散」四巷で、玄枚の議論は多

-取るほ足らぬものであるが、支那でも督時既

に渡裸の宣数師にょ-両群漁の天文地排散が体

へられできてゐLJのであるから、之等間数に基

ける班謬天文他州事も長崎には入ってqJでゐた

筈で.鑑永禁音以後と経も之等新撃凪の興起を

根絶する乙とは不叶能であったに違払な

いC「乾

坤耕訟」に於ける玄松の序に、「世人天文地排之

龍蟹撃を至れ-と;・3ふrJと久し」とあるに見て

もrJの乙とは明かである。か-てrJの地の撃聞

邪には「先民倖」に見ゆる林音着衛門以下、小林

樹撰創始以前長崎に於ける桃井判の虹世地

刑蜘

課月'鹿革僚'底革紬等儒者傑人にし

て南野撃

派の系統を引-西洋流の天文撃を修め

之を講ず

るものが和ついで出てきてゐるのである。小林

謙q'には「二儀略散

1名

一輪論」の著があゎ'本

音は上梓に至ってゐ覆

いが'尊中の

「世淋菌問

地球間」

は後に賓永五年、門人稲垣光朗によっ

て大阪で

刊行されてむら'之は利鞘牽世界園の

傍固たる極投影固二つを其まJ捕寄したもので

ある。

之等直接には宣教師等にょみ、間接には浅帯

藩によって伴

へられたる常時の西洋天文地坪説

(4)

は聾にも述べた乙とのあるやうに.歓羅巴中世

に於ける羅馬法皇允許のアリストテレス宇宙論

を根幹とした天動地園の説で、地動説の如きは

荷は肯定ruる迄には至ってゐな

いのである。し

かし之等も督時の邦人にとつては極めて新奇を

ものであったほ追払夜-'長崎の撃問界は最も

さ時代に於で之等の尊説に接してゐ允葦で、

保五年刊行西川如兄の「

長嶋夜話軍L中の長臓

三混

三五

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土産

パ7{

I

-J

二十円怨

コン

物の僕は「

天文道具色

々。日八

・駕八。囲

ハ7{

L・i与′つ

揮天儀

。英の間

・地球間」夜どとあ

るに見ても.蘭撃

創始以前この他に早-閣伴流

の天文乃至数班地5'に摘する知識が成長してゐ

ねFJとが推壊せられるのである。

O

Coleridge一HIJ

.-LifeandLettersofSt・Francis

Xavier.)890

び増井戊八郎喝.艶、でbんせすこ

。ぎ

べリよ怨摘記

」(桝的甘凹坤)二五

一群六二六㍍容鰯。

押野小心俺は改拭純化の後、鵜拭吟味の日付となり'長

仰木

:<粍町に任した。

;・j

.新

掛中盤」

による。

el剃桐「我閥に於

ての懲明期の教

則地

興」(地球二二ノ

六)

敏郎地排撃閥係の知識に於けると同様、異邦

に鞠する地理知識の基積も亦督然乙の地に於で

に顕著在るものがあった。

永碓十年天主数の布教が長崎に開始せらるる

ほ及んで元鵜元年には初めて葡萄牙船の入港が

あゎ、爾凍曹-rJの土地は耶蘇骨箱数並に口葡

貿易の粗接地として'天j八年の頃には

一時そ

の地上槽は散骨の手中に据してゐね滞であるか

ら.宣教師や商人等の渡来在任する者が少-衣

かった。如月が正徳二年著の「

天文義論」

の中は

於で

「戎塑紅毛の類は武家商家の差別を

-寄寓

閲に通路するを以て功業とすp此故に行舟の術

HLJ鍛錬し商舶HLJ基

へ園海を祉来し羅雑の法を窮

めで他罪の大草不到と云所在し是故は能-薗問

の地5'を知ら大海を東酉に

一周して大地固形に

て商閉園属せるの義を知れみ。其却百五十年

衆の義にして巾は焼-基凍せし事額-し者也

別世界陣地の閲を果し大地

一周の皮分を極めた

わ'其閲唐土円本にも俸みて今逼-民間に有で

云々」と述べてゐるがp南轡人渡米の初期に於

で早-世界岡や地銀儀の瓶が我問に新木せられ

てゐたことは今日LJ,停はる彼我皆時の記錐によ

っても確賓で、か-て商業上並に宗教上彼等と

の接触交渉の最も多かった長崎の知識界に西欧

人既知の地理知識が比較的急激に流入してきて

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ゐねであらうFJとは疑以な

い所である。

かJる受動的世堺知識の膝大があった他方は

放て慶

長元卸時代乙の地は所謂朱印船貿易の中

心地であったから'邦人航海者や貿易家の賓際

の見聞に基

いでも南洋方面の血

珊知識は飴轟確

寛になってきて居み'乙のFJとは昔時彼等の使

用してゐね海関や前述の「元和航海記」或は天竺

璃其綿の「渡天物語」などの記述に見て

も明瞭で

ある。しかし撃糊としての地排撃が末だ捷誕し

てゐね評ではな

いから'常時敏等の地理知識を

基成せる他州番たる成昔がⅢでゐな

いのは脅然

として、こ㌧ほ朱印船貿易盛時の海外知識は基

dlJ記載せられたと考

へられる7Pので'主とし

彼等の柄動範囲LJらし南海講港

への長崎よ少の

距離並びにそれ等渚港との間は於ける主婁貿易

‖仰目を胡げ

一種の地州背的記述)<LJをせる文背の

存在し、之が長崎に於で製作せられたらし

いと

云ふrJとはrJの地に於ける地理撃凝連の跡を辿

る土は於て典味少しとしな

い.

側軸創始以

前長

崎に於

ける

舶#糊

氾北他州蜘

rJの稽文事で今日に知られてゐるものは

.i、

内相銀減博士が史林第二馨第二淡に於で述べら

れてゐる

「異聞渡海贈賄ノ積り、一名祥記」二、

機登囲鳳至郡絶持寺別院朗減ほかJる甫膝部世

罪同幅

所載

「日本長崎典圃波梅之港船路

精」三、申出久四郎博士がその著「

史撃及東洋

史の研究」中に記載せられてゐる長晒古賀常囲

聞所載の「

日本長崎

ヨリ共闘江渡海之湊ロマデ

船路積」四、水月彰考舘所減にかゝる日本典開

通賓等所載の

「日本従長崎異聞江渡海之港口迄

船路積L五、藤田元春先生が

「歴史と地即し第

三十

一巻第

一紙に於で焔介せられてゐる石橋五

郎博士所減世静間所載の

「日本長崎

ヨ-輿囲江

渡渥之湊口迄船路精」

六、近藤正新著並娠港紀

略索引邦の

「日本長崎

ヨ-異岡

へ渡海之演目マ

テ船路鵜」

七、枚野宿之助氏が大阪朝日新聞配

「開閉文

化」所願軒氏諭文中にて瑠介せられ

てゐる鷹見泉石模審世界閲幅所城の綱車など多

三七

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飾二十四容

赦に上る。之等の中で二と四及び玉には軍記な

きも.三と七には

「此絶間寛永十四年丁丑八月

於長崎港之」、

1と六には

「蒐永十四年八月朔

('l)

日」の奥歯がある由で、岩壁成

1数按は三の中

村久

四郎博士所減の79のを除ける他の諸本につ

きPそれ等詞藩の内容を比較研究せられ'之等

文藩が大髄同

一系統のもので、その箪寓年代は

別とするも之等詞藩の原本が作製せられたのは

寛永三年肘班牙の壷轡占領の年以後寛永十四年

迄の約十年間であらうと考定せられてゐる。し

かして乙の詞藩原本の作製地が長崎である乙と

は里程の起鮎が長崎に在ってゐる乙とのほか.

三と七には長崎にて之を沓寄せる旨の奥番があ

-、二は長臓浩義幸よ-総持寺別院に寄進せら

れたる由の寺樽の存するfJと在どはまみて殆ん

ど疑ひない。

之等ほ記載せられてゐる地域は南京両州捧州

天川以下大部分南洋方面の諮港で、之に

「いん

げれす」及び「Aoらん

だ」の二閲を加へ72る二十

1批

三八

叉は二十

一箇所ばか-

に過ぎないが、兎に角簡

(=?)

箪なが

業地誌とも見得らるJ記述をなした

事が既は寛永年代に長崎は放て作製せられて

ゐるのである0

誹①牧野信之

助氏

「世外聞北に街娼人波雑相即風に就

いてL

・:耐蝕成

ti托「市棉悼+房

施せ外相咋代考」(雁史地和犬

]ノー)

石綿博士併耕問併収の嗣啓条文は、藤川兜飴が

「願出

と地沌三1ノ一」及び「人情地靴

1J均しに於て紹介せ

られてゐるD中村久四郎博士所蔵問併載のものも之と

大同小鞘であるが'その二三を摘記してこの珊文萌

大要を窺ふことゝする。

日本長崎

ヨリ湘

絢江波脂之湊ロマデ

船路桁

仙三於六町

一地

大明陶之内

..==:=iZ・;:…・:?I.i.:・'[.:.:%・.:[叩

.T

・・.・・==・

彼地ヨ-ノ船年々日本江夢中倣

い此所

ヨリ白糸給

手折細砂練南京段子弟外食物

色々皿茶腕抑米州翰之知犯人何

lLチモ乎之偽

物・E砂糖茶托之加背鉢拝水中舵

1日本

ヨ-絞地

へ液中椀物細部跳水凪E・=

1稲州

か同前

一此地ヨリ雑物南京同前毛淡水鎚持雑巾倣

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1犬川

布同前

tt此所を南軍入梅皆之ために船かゝりの沌をか

り住宅仕大明之物を日本..d筑氷又其身之槻

も駅渡し中位日本江男衆供物印千日糸段子の

激さやち

りめん給子締珍紅糸自まがひ糸毛跳

ひろうと自認木紺鮫水鎚とうたん針併ノ土光

明先輩柵色々潜香川節水は-まこ-まLや-

ま皿恭腕砂抑教科之和典外南軍牌天竺吻挿水

中倣南蟹人と申帝は幽々江南班に参巾倣故地

細之物何にても貿水中倣

一日本よ-彼地に持氷り供物銅所符之道具補給

之如'銅之道具鮮夙盛ぬひ鞘弛之小袖

(中略)

1いんげれ

話同前

ll胡千七甘盟

一㌢りんだ図

解同前

1溺千九甘朗

.i此耐桝より参巾放物狐々及雛砂はあのらせい

へるさい。ごろきいほろけんLやOあるみ

さい。ゑけれたますこらにや何れも毛おりの

勅ひいとろの朔粥胡脚

上に述べた嗣昔七例の中、二p三、五、七は地

同耐蝕白に記載せられてゐるのであるが、之等

閥戟創幼以前長崎に於ける鵬井期の近倣地靴壌

地図の原本もやはみ長橋に於で之等詞藩と晴々

同年代に作製せられたものと考

へで誤-覆いで

あらう。即ち長橋では西洋舶載の地図や航海固

或は支那謬せられたる世堺国などに日の梱るJ

機骨も他の⊥山地に此して多からしことは疑以孜

-、従って地同に関する知識の如

きも相常夜る

進歩を遮げでゐねであらう。か-て解団後十年

を出でざる正保年間に至るとrJの地で我囲最初

の刊本世界固光る「高岡組閣」が開校せられて教

わtrJの団は利氏の「坤輿寓問金閣」に大鯉

一致

してゐるので之を典接としたもの・Jやうに79恩

(1)

はれるが'記載の地名が利喝質の漢鐸地名とは

全然選って酉揮流の葡方に在ってゐる朗が少-

い乙と在どからすると、両群直輸入の新らし

さ世界知識が之は加ってゐると絡めてよ-'長

崎に於でrJを皆時か-の如き比較的進歩したる

地同の作製が

覆され穆ねと考へられるのであ

る.本圃に遅るJrJと六十年の貿永五年に江月

ほて悶粧せられたる石川流宜の「寓図線界固」が

三九

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二十四啓

その地形及び地名の訓竃に於

てrJのiE保長崎板

の「菌囲強固L

に此し著しき遵色があるのも

一つ

には江戸及び

長岡両地に於ける地排上知識の相

違か二印すものと云ふてよ5,であらう。また貿永

三年大阪で刊行せられた馬場侶武の

「初撃天文

指南」在る事があるが、この藩でもその本文並

びに挿入の「山海輿地金固

」に放て欺雁巴在る文

字にオランダと訓してあ

るなど、同時代は出た

西川如鬼の「華夷通商考」の如きに比べてその地

排上知識の著しき不足を示してゐるのも同じや

う在郷由に於

で首肯し程られる朗である。

乙の正保長崎薮常図線園には屡々之は附随し

て「四十問人物固」在る木版筆彩の人物風俗周が

北ハ存するが、寛文十

一年にも同系統の人物周が

地図と北ハほ

一枚刷は横行せられて居占、之等は

亨保五年刊如兄

の「四十二閉人物固説」の源流と

見得らる!もので、我閥に於ける創始期地理撃

の記念的布衣と里

方ふべき之等世界園並に人物

間が長崎に於て早-も版行せられてゐるのはあ

一班

凹C

在がち理由のをいことではな

い。

計①

(ば刺状脚では欝紫岬が大粒

山となってゐるのに.i;

体側ではカポポハエスぺランシャとしてある如きその

.L例であるO

上越した「異聞渡海船路積」の如

き文事の作製

せられた寛永年代よ-三十飴年を鮭たる寛文十

年ほかの樺野忠庵並びに向井玄舷の「乾坤酔龍」

成稿に際し之は観係を有したと云はるる長橋の

通事西富兵衛の撰したる「渚問土産沓」在る

一番

が今日に遭ってゐる。本音は未見のためその内

容を詳榊に知ることが田楽覆

いが、佐相八郎氏

の問脊解題散歩看するは西洋諮問の物産の晶類

及び産地等を記せるものもあって、しか~,Lとせ

ば「共闘渡海舶肪積」

も物産貿易晶日を主として

記載してあゎ、之等

ほ次いで元稚八年に出たる

我囲最初の刊本世界地誌とも云はるべき如兄の

「華夷通商考」も亦物産並に通商鞠係の記事が中

心と在ってゐるrJと夜どを以てするは、長崎に

放ける西洋地排撃の種子はか-の如き商業地誌

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的賓州知織を視床として芽生えてゐねものと云

ふてよい。

我圃洋撃の槽輿と云はるJ新井白石以前に於

て夙に新撃の先駆をなし、特に天文並に地排撃

の領域に創閥の功少からざる両川如鬼が長崎の

地に出力のもをの特殊をる環境から見て決して

偶然ではな

い.如鬼は名を忠英と云ひ、泡箱は

次郎宥和門'求林藤と挑し慶安三年長崎に産れ

た。幼ほしで父を喪ふたが二十歳にして撃に志

し、偶々長崎に凍遷しお茶都の儒者南部州詩の

門に入-撃ぶ所があわ'生凍天文暦数の撃を好

み虞藩暦象俗解、教義膳談'天文義論、天文精

要、天文和歌狂.気運論七両儀典訟'刺洗運気

指南編p天文五行僻.七曜着旋群論、運世年卦

考'怪異押断等天文暦学'教訓自然地坪閥係の

寄越が甚だ多-、特に厭撃の造謂ほよ-甘㍑保三

年江14に召ruれて賂軍吉宗の諮問に鷹じてゐる

如きは天文尊家としての被の名邸の尋常をらざ

るfJとを推知するに足カるものである。

甜蝉創始以前長崎に於ける舶芽期

の妃僻地経験

如児の説は先民俸(麗千旦撰文化二年刊)に

又講於天文膳数由古里蟹背腹先儒諸説並戎轡故

老之新体多所敏明」とあるやうに支那流の嘗天

文説は昏睡の西洋新説を79探-入れたもので'

彼は天地は世堺南開

一天地な

る故は日月五盈も

共に

一健、道排も亦

一群にして両者重

光凍は二

っには非ず、たヾ常子は之にょつて道徳性命の

桝を窮めんとし戎轡は之によって苗圃は行舟し

以て利を収めAとするもので天撃そのものには

華夷の別春せずとなしてゐる。試みに正徳四年

序の

「爾儀集散」を見るほ巻

一ほ天機、地球附

玉砕'黄赤二道'南北二極、子年規並に卯酉の

規、地平規、十二官次並に三十六禽'九天次第

高下、天行左旋七曜石麓、忠二にH月髄象並は

大小、日月右旋行監並に盈舗過渡、月行九遺並

は交朗、日月食朔望弦晦、巷三に豊夜長類、四季

八季並に裳潜の不同p暦法大意並に外囲の暦、

古今の暦押並に暦差、歳差、巷四に五盈伏見行

庇、列宿鹿足の名数、怨瓦に敦盛鼻、客嘉、五

四1

J.

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二十四番

炭塵異並に雁計気撃'日月の軍、巷六に風雲雨

露霜雪並に霧霞、雷電天開天明並に地震地裂地

燃、怨七は潮汐昨p五行産兜群、風束三部散、

行舟指南大意、食入に訪日図式等を細説してあ

-p之にょつても天文撃豪乃至数珊自然地坪聾

者としての彼の面目の大要を窺ふことが出水や

。しかしてをの撃説の内容は勿論督時の携帯

天文地排事故は我問に放ける商轡系天文母家の

所説以上に出たものでは在かつカが、向井玄於

「乾坤粋説」

に於ける所論の如きは比較すれ

ば著し-進歩し

たものであった。しかしてか-

の如き数抑自炊…地排撃の芳宙のみ在らず、彼の

名によ旦刀穐八年京都の事聯梅村滞典門古川三

郎兵衛が上梓してゐる

「華夷通商考」二巷二相

があって海外に囲する知識の普及未だ充分怒ら

ざみしその督時この事が世人を啓教した・C,し所

は蓋し僅少ではなかったJJ恩ふ。光も本番は繋

永五年刊行の「槍補輩夷通商考」の自記作例はよ

ると彼自らの意旨によ-~・て出版せられたもので

一錐

E11

は芝

ことになってゐ.るが之翫肝醒文撃士の指

適せられてゐる如く革質は彼自らの著作する新

であったかも知れぬ。要するに初版刊行後十三

年にし

て「槍補華菟通商考」正客五仰木を公けほ

しヱ別者の親身を正し敏を補ふてを与、乾は享

保五年には「四十二囲人物閲読」を著しでゐる夜

ど、啓蒙期邦人の地理知識横大は彼が貢献し

ゐる朗は甚だ大で.我囲最初の西洋地珊尊者

る地位は知見に占められてゐると種するも敢て

過言ではあるまい。

彼にはこれ等のほか、

「日

本水土考」「雨域人数考」「長崎夜話草」の如き

地排は開係ある著述もあわ、少-とも草創期我

閑地排撃界の第

l入着と云ふべきであった。

靴e)鮎滞信太郎氏「文備略の織方外紀に就いて」(地球二三

ノ五)

初版並に槍補華夷通商考両替に於ける外閣外

夷の記事が幕府の和蘭人通商観係の調藩の如き

もの、或は長橋は於での和蘭人や支那人につい

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ての使用に基ける79のであるrJとはー「樽柿華夷

通商考」怨之糊は

「石外囲外薬玉十五値鞘於長

崎閉俸

ル鹿ヲ記スル者旭Lt懲之韮外乗物附錬日

次の終に

「右ノ諸岡

u中

略)唐人紅毛ノ諸説

依テ紀之着地」とあることや、初版下食に

「石

和蘭人強付テ江府

へ指上グクル寓也、其外数年

従妹之異囲人

1r桐尋番記ス者也」とあるなどに

ょって明かである。晃永の楽藩命によカ西洋地

坪の藩は勿論、摸鐸西洋地即藩もすべて輸入を

禁ぜられてゐねのであるから、之等を典櫨とし

た西洋地排番が公刊せらるるに至らず'確聞を

基とした「華夷通商考」の如き地班的交番が編纂

せられてゐるのは皆然と見てよいであらう。し

かし「華夷通商考」と錐もその巷之五外英樹附妹

(1)

の部は鮎樺氏が幣に注意せられ/しゐる如-職芳

外配の制帯と説むべ

き所多-、享保十六年fJの

藩桐焚以前班に長崎

の葦問罪には潜行的に新地

排撃の浸潤は止む所が夜かつね79のらしい。

「匪ー音解題」に正徳元年第本の奥番を有する

湖壌創始以前長峰に於ける桃井糊の妃壮地租喫

「異聞産物記」在る藩をあげて

「上巻に晴間十式

省の建置方角道程時運人物戸口北極度数其他を

記し'下巻を外夷とし朝鮮琉球大塩東京公既等

の土地風俗道程人物等の事を記す'遷して産物

記と5,ふ79寧ろ産物以外の革を記し光み'巻末

に右外問夷五十五囲於長嶋以開俸鷹記之者也と

あみ、沓中の記事には貞事四年の乙とむ敢近の

ものとせか」との意味の解題がしてあるが、本

番はをの題名から察するは物産観係の記事を王

としわる校本があって、之から物産以外の記事

を抄出しわるもの在るべ-tLか-とせばその

他の渚鮎では殆んど金-初版「華夷通商考」もし

-は「噂補華夷通商考」巷之四迄の内容と相

一致

してゐるやうにm心はれる。か-考へるとこの英

樹産物記在る寄本の原本は「華寅通商考」か、し

からずんば'「興研産物記」が「肇夷通商考」の脱

稿かも知れない。

兎に角寛永の「典開披海船路積」

の如き文番に

いで寛文には西富兵衛にょ-「諸

岡土産番」が

EL7T三

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二十四番

出て居ろ.先後は不明であるが、如月の時代は

至ってこの「異聞産物記」や「華夷通商考」がある

などp物産乃東通軸組係の記載を主とせ

る地誌

的文藤が朝次いでrJの土地に於で撰述せられて

ゐるのは普代唯

一の海外貿易濯たわし長崎の環(りこ

境の反映は外ならぬと見てよい。されば既は

穐以前和蘭よ-天地園の舶載があ-p元文年間

には南轡撃派の天文革む虜革紬は準正でゐた長

崎の儒珪北島見信に

一七〇〇年都蘭出版のヨア

ンネス

へへ-クス編天地二間の榊説たる

「郁謬

天地二

面資説」の薯があるなど安永天明の蘭撃

創始以前p早-も紅毛撃沈の天文撃地排撃の種

子が長浦の地に蒔かれてゐるのであって'をの

..舵

四四

siSi

後寛政三年この地は本木仁太夫の

「天地二球用

法」'寛政十年志筑忠雄の「暦象新車」などの獅

評が出るほ及び、射撃の

一般的興隆と共に地排

撃も漸-本格的に成立するに寅ってゐる。か-

で文化文政以後、我問

1故に的欄たる地排撃隆

盛時代を現出し、藩に西洋の地排撃堺に封する

若しきハンデキャップを韮服して地相撃の世界

的水準は迄近づき村でゐるのであるが、之7Pil

に長崎の土地斉温床として育生せられてきてゐ

た近世地排撃の晋芽が、をの花を開いたのほ外

在ら軸と云ふてよいであらう。(

完)

鮎摺

信大郎氏前納論文。

池航

一児参照O