2 広報むろらん 2013年11月 3 広報むろらん 2013年11月 56 54 調9樋口游魚(本名・昭七 郎)。游 魚は俳号。期成会のリーダー 的存在として、文学館設立の ため奔走した。自身も俳句を たしなみ、初代港の文学館館 長を務めた。今年1月に死去。 享年84歳。 芥川賞作家である八木義德(右から2人目)は、期成会 の心の支えでもあった。八木と会の密な関係は、八木 が亡くなった後もなお、妻・正子を通して続いている。 昭和58年10月に桐屋(現在のイオン室蘭店)で行われ た、八木義德と北海道芥川賞作家展。自筆の生原稿や芥 川賞受賞記念の銀時計など、貴重な資料が展示された。 秀痴庵文庫に囲まれている田中秀雄。根っから の本好きで、同人雑誌を発刊したこともある。 室蘭に根差し花開いた文学の礎「港の文学館」。 文化不毛の地とまで言われた室蘭の文学に水を与え、花を咲かせるため、 文学館設立に奔走した者たちの努力の軌跡をたどる。 生まれ変わる 港の文学館

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2広報むろらん 2013年11月3 広報むろらん 2013年11月

らの文学碑などの資料が、多くの市民を

楽しませた。文化不毛の地とやゆされた

室蘭に、文学の風が吹き込まれたのだ。

 この文学碑展を通して、樋口らは室蘭

の文学風土の土壌の豊かさを痛切に感じ

ていた。しかし、収集した貴重な資料の

保管場所が無く、手放さざるをえなかっ

た。〝このままでは、室蘭の文学が途絶

えてしまうのではないか〞。資料の散逸

は室蘭から文学が消えてしまうことにつ

ながると感じた樋口らは、室蘭の文学資

料を後世に伝える決心を固めた。〝この

室蘭の地に「文学館」を造るのだ〞。

 かくして昭和56年、室蘭の文学発展を

目的に「室蘭文学館設立期成会」が結成

され、その年、図書館内に文学資料室が

誕生した。「文学のまち・室蘭」への第

一歩を踏み出したのである。

 かつて室蘭は、短歌や俳句をたしな

む士族が、屯田兵として入植したことな

どにより、短歌会や句会が一部の人の間

では盛んであった。しかし、それは世間

に広まるには至らなかった。

 周囲を海に囲まれた地、ここ室蘭は、

その自然がもたらした天然の良港を活用

し、鉄鋼業を中心とした工業都市として

栄えてきた。室蘭といえば「鉄のまち」

であり、「工場」「港」のイメージが大きく、

「文化不毛の地」ともやゆされた。昭和

54年、その室蘭に転機が訪れる。北海道

文学館の移動展「風土のなかの文学碑展」

が、札幌と小樽に続いて室蘭で開催され

ることとなったのだ。

 「風土のなかの文学碑展」とは、北海

道文学の先頭に立つ北海道文学館の地方

移動文学展である。当時の北海道文学館

事務局長である木原直彦から親交のあっ

た室蘭在住の作家・かなまるよしあきを

通して、室蘭文芸協会員の樋口游魚に、

同館の移動文学展を室蘭でという話が

あった。それを受け初めて開かれた本格

的な文学展は、資金や資料集め、会場の

警備などの準備で、経験者のいない中、

困難も多かったが無事成功に終わった。

室蘭文学の軌跡、並木凡平や長谷川正治

催する決意でいた期成会は後には引け

ず、「八木義德と北海道芥川賞作家展」

と内容を変え、企画展の準備を進めるこ

とにした。

 だが、一度断られた手前、八木には、

このことを話せないでいた。なんとして

も開催したい文学展であったが、言い出

せず悩む会員たち。そこに一筋の光が差

す。開期を間近に控えた期成会の元に、

なんと八木から展示のための資料が届い

たのである。旧制室蘭中学校時代の同窓

生が、八木と期成会の間に入ってくれた

のだ。その時の樋口らの感動は、とても

言葉にできないものであったという。そ

の上で、八木は「文学館の設立は想像以

上に大変で困難も多いと思うが、私もで

きるだけの協力をする」と申し出てくれ

た。こうして、室蘭の風土を愛する八木

は、期成会のメンバーにとって、会を支

えてくれる大きな存在となった。

 文学館を語る上で、もう一人欠かせな

い人物がいる。「最後の文士」と呼ばれ

る八木義德である。室蘭ゆかりの作家は

数多いが、本市初の芥川賞作家である八

木義德の存在は別格だった。期成会は、

風土のなかの文学碑展の際に、八木義德

に第三者を通じて、資料を借りた経緯が

あり、希薄ではあるが八木とのつながり

を持っていた。室蘭屈指の文士・八木義

德の文学展を開催し、八木文学を広く市

民に知ってもらいたい。期成会は、八木

の企画展を計画した。

 しかし、そう簡単に事は運ばなかった。

八木に打診すると「文学展というのは、

その作家が死んでから行うものだ」と断

わられてしまったのだ。なんとしても開

刊の「女性日本人」や、発禁本、漫画や

服飾、映画など、その内容は多岐に渡る。

これらは、戦前から戦後にかけての日本

の社会情勢を見る貴重な資料群でもあ

る。希少性の高い膨大なコレクションは、

文学関係者から田中の雅号にあやかり、

秀痴庵文庫と呼ばれていた。

 秀痴庵文庫の評判は、室蘭だけに留ま

らず道内全域におよび、噂を聞きつけた

北海道文学館や、道立美術館から、文庫

の寄贈を懇願されていた。それを知った

樋口は、なんとかその資料を室蘭の財産

として残せないか、これほどの資料が室

蘭から出ていってしまうことはなんとし

ても阻止しなければと考えた。だが同時

に、ノウハウを持たない我々が寄贈を依

頼して良いのだろうかという不安もあっ

た。田中の元へと赴くが、葛藤を抱えた

ままの樋口は、なかなか寄贈の依頼を言

い出せない。〝明日こそ、明日こそ…〞気

が付けば何日も通いつめていた。すると

ある日、田中のほうから、「私に頼みが

あると言っていたけど、その用件がまだ

出ていない」と救いの手を差し

伸べてくれたのだ。樋口らの情

熱を感じ取っていた田中は、「室

蘭のため、文学界のため」と約

6千冊の資料全てを室蘭に寄贈

してくれたのであった。これに

より後に「秀痴庵文庫展」が開

かれ、貴重な資料として日の目

を見た。一気に蔵書数を増やす

ことに成功した期成会は、よう

やく文学館設立の足がかりを得

ることができたのである。

  文学資料室が誕生し、順調なスタート

のように思われた。しかし、期成会の前

に大きな壁が立ちはだかる。樋口をはじ

め会のメンバーには、有り余る情熱は

あったが、文学館を開館するためのノウ

ハウは全くといっていいほど無かった。

文学館を開館させるためには、先の文学

碑展で得た資料だけでは足りない。どの

ようにしてその他の資料を集め、文学を

皆に伝えていけば良いのか、途方にくれ

る毎日…。そこで会のメンバーが救い

の手を求めたのは、文学碑展にも協力

してくれた田中秀雄という稀代の蒐集

家である。

 東京で新聞・雑誌記者の経験を持つ田

中は、本を通して時代を見つめ、同人誌

や雑誌、文芸誌、単行本を買い集めた。

刊行側の意図や雑誌の性格が強く出る創

刊号を中心に収集し、中には大正9年発

樋口游魚(本名・昭七郎)。游魚は俳号。期成会のリーダー的存在として、文学館設立のため奔走した。自身も俳句をたしなみ、初代港の文学館館長を務めた。今年1月に死去。享年84歳。

文化不毛の地・室蘭

室蘭に文学館を

稀代の蒐集家

田中秀雄

八木義德の慈愛

芥川賞作家である八木義德(右から2人目)は、期成会の心の支えでもあった。八木と会の密な関係は、八木が亡くなった後もなお、妻・正子を通して続いている。

昭和58年10月に桐屋(現在のイオン室蘭店)で行われた、八木義德と北海道芥川賞作家展。自筆の生原稿や芥川賞受賞記念の銀時計など、貴重な資料が展示された。

秀痴庵文庫に囲まれている田中秀雄。根っからの本好きで、同人雑誌を発刊したこともある。

しゅうちあん

しゅう

室蘭に根差し花開いた文学の礎「港の文学館」。文化不毛の地とまで言われた室蘭の文学に水を与え、花を咲かせるため、文学館設立に奔走した者たちの努力の軌跡をたどる。

生まれ変わる港の文学館

ゆう

与謝野鉄幹

4広報むろらん 2013年11月5 広報むろらん 2013年11月

 近年、室蘭の街並みは、撮影のロ

ケ地として注目されている。かねて

より、ここを訪れた作家やこの土地

で暮らした文筆家たちも、大黒島や

測量山、地球岬などの自然とそれに

対比する港・船・工場群に心を動か

され、文字にしている。

「ボコイの浜なす」から

 錆びた屋根、大きな煙突、鉄の山。

いま、巨大なその煙突から、濛々と

出る赤茶けた煙が、風をうけて下方

へ乱れ散っている。むかしはまだ海

だった所もすっかり埋めつくされ

て、うらぶれた光景はいっそう荒れ

てみえる。

「噴火湾(ノクターン)」から

 噴火湾のこの黎明の水明り/

室蘭

通ひの汽船には/

二つの赤い灯がと

もり/

東の天末は濁った孔雀石の縞

/黒く立つものは樺の木と楊の木

駒ヶ岳駒ヶ岳/

暗い金属の雲をか

ぶって立ってゐる

若葉みちただ一と筋に友とゆく

地球岬はまだまだといふ

燈台の霧笛ひびきて淋しけれ

即涼山の木の下の路

我立てる即涼山の頂の

草のみ青き霧の上かな

「海霧」から

 その日も地球岬灯台の警笛は朝か

ら鳴きつづけてゐた。痛ましい程の

濃霧なので、沖を通ふ船に呼びかけ

るものだ。この地方では海霧と呼ん

でゐる。毎年春から初夏にかけて、

太平洋の向うから押し寄せては文字

どおり咫尺を弁ぜずという体であ

る。 室

蘭文学

散歩

水上

 勉

宮沢賢治

料を守るべく雨漏りと格闘する事態に見

舞われるようになった。強い風の日には、

天井が吹き飛ぶのではと危惧した。新た

な施設に移転し、資料を風雨から守ると

いうのは、ボランティアをはじめとする

皆の願いであった。

 その思いがついにかなう。旧ビアレス

トラン・プロヴィデンスに移転すること

が決まったのだ。建物を所有する室蘭か

ら起業した「株式会社カナモト」の協力

の下、無償で建物を使用できることに

なった。同社の名誉会長で、文学を愛し、

詩人でもある金本太中が、申し出てくれ

たのだ。

 「プロヴィデンス」は、かつて室蘭に

来航した英国海軍の探検船だ。海と港の

歴史を感じさせる名を持つこの建物に、

新生・港の文学館が誕生することは、室

蘭市民にとって、とても意義深い。市民

が作り育てた文学館は、新たな歴史を刻

む。港まち室蘭で花開いた文学は、さら

なる発展の旅に船出していく。

民との関わりだ。市民コーナーを設け、

短歌や俳句、随筆や小説など市内で活動

する団体の著作などを展示している。室

蘭の文化土壌の豊かさを実感できるコー

ナーである。また、毎年さまざまなイベ

ントも行っている。「あなたの、あなたに

よる、あなたのための」と題し、音楽を

交えた市民参加の朗読会、小・中学生の「八

木義德自由作文賞」、市内の文学碑を子ど

もたちが巡る「子ども文学館」などである。

会員たち皆が「市民に根差した文化を」

という思いを胸に活動している。

 長年、市民に愛されてきた文学館だが、

時の経過とともに施設が老朽化し、雨天

の時には新聞紙やバケツ、雑巾などで資

  悲願の文学館設立を成し遂げた会員た

ち。〝ここが室蘭の文学の礎となる〞。誰

もがそう思い、達成感は大きかった。期

成会はその後も港の文学館を基軸として、

室蘭ゆかりの文学者たちの企画展などを

数多く開催。本市出身でありながら埋も

れていた作家たちを数多く発掘してきた。

 常設展では、八木義德や三浦清宏、長

嶋有などの芥川賞作家やその他のゆかり

のある著名な作家たちを紹介。彼らの生

い立ちや年表などを展示し、いつでも室

蘭の文学に触れられる空間ができた。そ

して平成16年、愛称から「室蘭市港の文

学館」が、正式名称となった。

 港の文学館の特徴はなんといっても市

文学を伝えて

新生・文学館

 田中秀雄や八木義德の寄贈した資料を

もとに、その後も、期成会は数々の企画

展をボランティアなどの尽力により開催し

た。その活動は、室蘭市を動かすことと

なる。

 昭和63年、市立室蘭図書館附属文学

資料館として、文学碑展開催から9年、

悲願の文学館が開設することとなった。

場所は、船員の福利厚生施設だった旧海

員会館。当時、札幌・小樽に次ぐ北海

道で三番目の文学館であった。この素晴ら

しい文学館に愛称をと考えたメンバーの一人

から、「室蘭の歴史観から『港の文学館』に」

との声が上がった。かくして「港の文学館」

が、室蘭の地に誕生した。

を掘り起こし、資料収集を一貫として続

けた。その過程で、作家とつながる別の

作家へと収集の輪を広げ、地道に資料を

増やしていったのである。

 現在も文学館では、市民ボランティア

団体である「室蘭文学館の会」が市と協

力して文学館の運営、資料の整理や展示、

企画などの仕事を担っている。この方式

は、全国でも珍しく、道内では初めての

試みであり、今では旭川市が室蘭を参考

にこの運営方法を取り入れている。

 市民ボランティア「文学館の会」を見

守る中からも助っ人は現れた。中でも設

立当初から同会の寝食を忘れての活動に

心を打たれ立ち上げられたのが「港の文

学館支援チャリティーバザーの会」であ

る。昭和59年から、会員が手作りした品々

を販売し、売り上げの一部を、文学館の

運営資金として、協力している。

  「秀痴庵文庫展」「八木義德と北海道芥

川賞作家展」を成功させ、文学館を設立

するための十分な資料が集まったこと

で、自信を持った期成会は、より開かれ

た会にしようという志のもと、「室蘭文

学館の会」へと転身。期成会の発展形と

して、メンバーの横のつながりで大幅に

参加者が増えた。会員は、皆、無償で活

動するボランティアだ。メンバーの人柄

や、熱意に引きつけられ参加した人も多

く、横のつながりだからこその〝和〞が

あった。

 資料収集、整理、設置など文学館を開

館させるために必要不可欠な活動は、全

てボランティアが中心となって行われ

た。ときには、文学資料があると聞き、

リヤカーを引いて受け取りにはせ参じた

こともあるという。地元に関わった作家

ボランティアとともに

文学館の誕生

このまちに文学館をという熱い思いが市民にも伝わり、毎年チャリティーバザーには大勢の人が訪れる。

今年4月から、ボランティア総出で引っ越し作業が行われた。そのダンボールの数は約3800個。延べ4万5000点の資料数だ。

気軽に立ち寄れる文学館に港の文学館 館長 三村 美代子

 期成会を立ち上げるきっかけとなった文学碑展の開催は、かれこれ30年前になります。暗中模索の中、資料を集めるのは、大変でしたが、文学碑展が成功を収めた時は本当にうれしかったです。 資料を集めてみると、個人で活動している人や、室蘭ゆかりの文学者がとても多いことが分かり、“この地から生まれた文学を後世に伝えたい”という思いが、より一層強くなりました。 八木先生をはじめ、さまざまな方が資料を提供してくださり、それらの資料は、港の文学館でしか

見ることのできない、まさに“室蘭の宝”です。また、協力してくださったボランティアの皆さんには、本当に感謝しています。 新しい文学館は、文学に興味の無い人も気軽に立ち寄れるような施設にして、文学と人が、人と人とが隣り合わせになる場所にしていきたいですね。

文学の輪を広めたい室蘭文学館の会 会長 横田 挺一

 文学館の会は、現在130人の会員がいて、展示や資料整理など、ほぼ全ての企画と運営をボランティアで行っています。会に携わって約10年になりますが、皆、室蘭を盛り上げたいという郷土愛から参加していて、市民が作り上げている文学館です。 今の文学館において、大切なのは文学を広め、人が集う場所にしていくことです。作品を前面に出す展示を心掛け、文学に親しみのない人でも楽しめるよう見せ方を工夫しています。こうした文学館は、全国においてもまれな施設だと思います。 文学館が新しくなるこの機に、より多くの人に足を運んでもらい、文学に触れてもらえるとうれしい。これからも“文学を運ぶ船との出会い”を演出する文学館として、ボランティアのメンバーとともに室蘭の文学を発信し、文学の輪を広めていきたいです。

しんじつ さっか

板東三百

与謝野晶子

並木凡平

もうもう

 す

しせき

6広報むろらん 2013年11月7 広報むろらん 2013年11月

「橋」から

 虹のような橋をくぐって未知の世

界に飛び込んで行こうとする気持ち

は、今もある。過去三回にわたって、

大洗からフェリーに乗り、白鳥大橋

をくぐって室蘭に来た時も、橋をく

ぐる瞬間には、それまでとは違った

世界に入る気がした。

「室蘭まで」から

 室蘭は小雨であった。S埠頭には

すでに倉庫の前に青山丸を迎えるた

めの人夫がちらほらと集っていた。

スロー・エンジンになり、ホーサー

(繫留大索)が出される。会社の支

店の男が事務長を呼ぶ声がして、船

は全く機関を停止した。「

潮霧」から

 來た方を振り返ると大黑島の燈

台の灯だけが、聖者の涅槃のやう

な光景の中に、小賢しくも消えた

り光つたりしてゐる。室蘭はもう

見えない。

「鴨猟」から

 室蘭の港は、馬蹄形に、緑の木

立に高く覆れて、その下に薄黒く

街が這つてゐた。港の水は、まる

で燐光でも放つ様に銀色に光つて

ゐた。無数の鱈や鯖の子が游いで

ゐた。その鱗に日が当つて銀色に

光るのだつた。

「帰郷」から

 十七年ぶりの帰郷だった。

 私は室蘭駅の改札口を抜け出ると、

町の高台にある八幡神社をめざして、

まっすぐ歩き出した。それは私の意

志というよりは、脚自身が勝手にそ

の方向へむかって歩き出したという

に近かった。何か眼に見えぬものに

曳かれて行く。そんな感じだった。

 文学作品の中の室蘭は、いつもの

見慣れた風景とは違った姿を伝えて

くれる。作品を読んで、室蘭の魅力

を再発見するのも楽しい。

 このほかにも室蘭を描写している

たくさんの作品がある。港の文学館

で、あなたの知らない室蘭に触れて

みませんか。 八

木義德

三浦清宏

曾野綾子

有島武郎

葉山嘉樹

けいりゅうだいさく

が す

ねはん

およ

港の文学館館内マップ

1F

2F

 室蘭市には、本市出身の八木義德と三

浦清宏、本市ゆかりの長嶋有の3人の芥

川賞作家がいる。戦前から現代へと時を

つなぐ3人もの受賞者を

輩出しているのは、室蘭

の文学土壌の豊かさを表

している。

 小説の生原稿、初版本をはじめ、八木

の生い立ちから作家生活の様子、交流の

あった川端康成を始めとする作家からの手

紙なども展示されている。館内に保管さ

れている八木の資料は約7000点にも

上り、「最後の文士」と呼ばれた八木の全

てを知ることができる。

八木義德

1911年〜1999年

 室蘭市生まれ。旧制室蘭中学校(現室

蘭栄高等学校)に在学中、有島武郎の小

説に感銘し、文学に目覚める。北海道大

学を中退後、作家を志し早稲田大学仏文

学部に入学。「私の文学は血と土とそして

海の風から生まれる」と語り、私小説一

筋に歩み続けた。昭和19年に、当時

勤務していた会社から満州に派遣さ

れ、そこで出会った実在の中国人労

働者をモデルに描いた「劉廣福(リュ

ウカンフウ)」で第19回芥川賞を受賞。

代表作は「私のソーニャ」「風祭」、

長編小説「海明け」など。平成11年

に肺炎のため死去。享年88歳。

八木義德記念室

 常設展示室には、2人の芥川賞作家、

三浦清宏と長嶋有の展示コーナーがある。

三浦清宏

1930年〜

 室蘭市生まれ。静岡県熱海市在住。東

京大学文学部を中退後、渡米し、サンノゼ

州立大学で歴史を、アイオワ大学で詩の創

作を学ぶ。明治大学で英語を教える傍ら、

執筆をする。昭和63年に私小説「長男の出

家」で第98回芥川賞を受賞。著書は「摩天

楼のインディアン」「近代スピリチュアリ

ズムの歴史」、室蘭を舞台にある家族とひ

とりの青年をめぐる長編小説「海洞

アフ

ンルパロの物語」(日本文芸大賞受賞)な

ど多数。

取材や文学講演会のため室蘭を幾

度となく訪れ、

室蘭の文学と縁が深い。

長嶋有

1972年〜

 埼玉県生まれ。東京都在住。幼・少年

期を室蘭で過ごし、室蘭港南中学校、室

蘭清水丘高等学校を経て、東洋大学二部

文学部を卒業。平成13年に「サイドカー

に犬」で第92回文学界新人賞、平成14年

に第126回芥川賞を受賞した「猛スピード

で母は」には、港南町の情景描写が多数

出てくる。ブルボン小林をペンネームに、

コラムニストとしても活躍する。

三浦清宏・長嶋有コーナー

開館時間 10:00~17:00休館日 月曜日・祝日の翌日・年末年始入館料 無料

JR室蘭駅

●交番郵便局●

↑白鳥大橋

☆港の文学館

サッポロドラッグストア

プロヴィデンスホール

給湯室

物品庫

ボランティア交流室

カナモトメモリアルホール

館長室

会議室資料室

W.C.

吹き抜け

カフェ プロヴィデンス

市民展示室カフェ プロヴィデンス

プロヴィデンスホール

俳句、短歌、詩、児童文学、随筆、創作などを団体ごとに、写真や展示資料などで紹介している。

秀痴庵文庫同人誌や雑誌の創刊号など、貴重な資料が約4000点並ぶ。実際に手に取り、読む事ができるのも魅力の一つだ。

コーヒーなどを飲みながら、館内の図書を読むことができる。

イベント用のスペース。朗読会やミニコンサートなどが開かれる。

港の文学館移転リニューアルオープン

11月16日(土)13:00~15:00

あなたの、あなたによる、あなたのための朗読会

無 料【1部】

金太中作品(詩)ミニコンサート(ソプラノ、ピアノ)

【2部】自由作品

市民展示室

棟方志功板画碑常設展示室

図書室

八木義德記念室

秀痴庵文庫

W.C.

閲覧コーナー

正面入口

受付

三浦清宏コーナー

長嶋有コーナー

海岸町1ー1ー9☎22ー1501

3人もの芥川賞作家を輩出

室蘭はすごいまち!

11月1日(金)は、13時から入館できます。