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Venise sauvee ')? の成立 -E E - - a ' Y El - -EEEP JQ I - - - e . . ?a 4v j e Simone Weil が, ついに米完に終った戯山 <Venise 1940{f:. 7 刀初めから 8 月末にいたる 2 か月足らずの Vichy H5fEi わである ζ とは, すヘての伝記が明記するところである。たと えば,SimonePetrementは次のように立?く。 iC のイおも ,な かなか直らなかった。一家が借り受けた宿舎(プーノレ ボネ通り 3 落地〉にとじこもり, ほとんど終日 ,台所でスリーピング ・バッ グにもぐり乙んだまま , W 救われたヴェネツィア J の執怨にかかっていた J( I)。 Simone の母:tv Imc Weil は, パリ脱 出後の旅の聞に T!? きはじめたと証言している。乙の ZJJ 笑にもかかわらず, SimonePetrement は,パ リ 脱 出 よ り 以 前 で、あると 推 定 し て い るの K 注目し i 旅 の 問 , 彼女はノマ 1) 2 肢とそれらにあいまみえるととも確かでなかったので,いったんは管いた 部分ももう 1 皮記憶によって復原し,その上でこ の劇のつづきを皆乙うとし たとみるプ j ・がよいのではないかと思う 。 乙の推定は同じく, Vichy 滞留 !:i ,始終 Paris との間を公務で往復していた会計検査官 G.Guindey ζ un う依頼したものの,それがかなえられぬと判明した時,乙 の詩を記憶によっ て再的成している乙とでも裏付けられる ω SimoneWeil にと って ,南 仏 への逃避行の状況は,旧作の詩作品をもう一度見直し,完成 K 近づけ,でき るなら公表しておきたいという切実な願いをかきたてる,なにほどか厳しい 条件をはらんでいたとみられる。その条件の第 1 n: ,いうまでもなく,第二 次入;戦 の 勃 発 , す ぐ に 来 た ノマリ陥落 ,そ して身辺に迫る破局の予想があった。 現笑に祖国フランスは敗れ去っていた。君臨する力は, CSimone'Veil が乙 の時期はやくも,鋭く洞察していたよう κ) とめどもなく,暴 威をふるう。カは,力をいったん手にした者をも,もの i ζ 変え,非情な酔い (307 )

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~ Venise sauvee')?の成立

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Simone Weil が, ついに米完に終った戯山 <Venisesa u, vée> の執~fi

~c.熱中していたのが, 1940{f:. 7刀初めから 8月末にいたる 2か月足らずの

Vichy H5fEiわである ζ とは, すヘての伝記が明記するところである。たと

えば,Simone Petrementは次のように立?く。

iC…)μのイおも,なかなか直らなかった。一家が借り受けた宿舎(プーノレ

ボネ通り 3落地〉にとじこもり, ほとんど終日,台所でスリーピング ・バッ

グにもぐり乙んだまま ,W救われたヴェネツィアJの執怨にかかっていたJ(I)。

持;lL2在 Df'Jkhの n~iJUJ は不明であるが, Simoneの母 :tvImcWeilは, パリ脱

出後の旅の聞にT!?きはじめたと証言している。乙のZJJ笑にもかかわらず,

Simone Petrementは,パリ脱出より以前で、あると推定しているのK注目し

てお乙う 。~ i旅の問, 彼女はノマ 1)~こ書きも ののすべてを延長してきていたし,

2肢とそれらにあいまみえるととも確かでなかったので,いったんは管いた

部分ももう 1皮記憶によって復原し,その上でこ の劇のつづきを皆乙うとし

たとみるプj・がよいのではないかと思う。Jω乙の推定は同じく, Vichy 滞留

仁!:i,始終 Parisとの間を公務で往復していた会計検査官 G.Guindey ,ζ,

Paris の rl 宅 iζ残してきた詩 ~A un jOl~r~の原稿を探して届けてもらうよ

う依頼したものの,それがかなえられぬと判明した時,乙 の詩を記憶によっ

て再的成している乙とでも裏付けられるω。 SimoneWeilにと って,南仏

への逃避行の状況は,旧作の詩作品をもう一度見直し,完成K近づけ,でき

るなら公表しておきたいという切実な願いをかきたてる,なにほどか厳しい

条件をはらんでいたとみられる。その条件の第 1n:,いうまでもなく,第二

次入;戦の勃発,すぐに来たノマリ陥落,そ して身辺に迫る破局の予想があった。

現笑に祖国フランスは敗れ去っていた。君臨する力は,CSimone 'Veilが乙

の時期はやくも,鋭く洞察していたよう κ), 必然的~L , とめどもなく,暴• •

威をふるう。カは,力をいったん手にした者をも,ものiζ変え,非情な酔い

(307 )

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- 2 ー

のけlへ引きずりこむ。 乙のとき, i破壊される生命は子どもに乙わされる玩

具のようなもので,どうでもよいものJとなるω。死が白日下,r.,白明の理

と化すのである。 乙の非情のときを前に, Simone Weilは「詩」にもう 1

度,いや,最終的に心を向けようとした。あたかも,i詩」だけが, 窒患を

強いる乙 の空気の中で,唯一の裂け目をっくり出しう るかのように〈5〉O 乙の

のち, ロンドンの客死の日まで, 3年間, 彼女は, たとい他の乙とにう わ

べの注意を向ける ことはあっても,心の奥底では,詩作品の完成だけをひた

すら希求してやまなかった。 <Venisesauvee> の原稿もまた, Vichyか

ら Toulouseを経て Marseilleヘ, さらには大西洋を越えて New York

ヘ, そして再び同じ海を横切って London へと持ち運ばれた (6)0 J acq ues

Cabaud の伝記は,Simone Weil が Vichy 滞在中に書いた劇作品~L , 乙

のあとの 3年間, たびたび手を入れていた乙とを注記している (7)。最後 の

London時代,父母にあてた手紙の 1通 (1943年 1月22日付〉の中で,自分

の詩作品に加えるべき訂正個所を指示したところでも, <Les Astres::?>

<Promethee> ~A un jour>とならんで,<Clzants de Violetta> が

あげられているのを見のがすまい。乙のうたは, <Venise sauvee>の現存

する手稿の最終部分に当る。「乙の乙とは別として, わたしは, 戯曲にかま

けている時聞がありません (いう こういう詩を全部,ど乙かに一度に発表す

る乙とができ たら,どんなにいいかと思いますJ(8)。 乙の手紙につづく 2月

1日付のものの末尾にも,i乙んどの, 新しい Violetta のテキス トは決定

的なものになろう と思います」という一文が見出せる。 1943年 2月といえば,

やがて くる半年後の死の予兆として,異様な疲れを覚えはじめていた時期で

ある。 ζ の頃,久々に SimoneW eil ~L会った一知人は, i彼女が別人のよ

うにな り,機惇しきっているJのを見た(10)。 乙のとき,詩作品は決定的に,

最後のメッセージを託するに足る,もっと も適切な表現媒体として彼女の自

に映っていた。当然ながら,乙の形態を通じて しか,自分の亡きあと人々に

践したいとねがう無二の証言内容は伝えきれぬとの確かな直観もあったにち

がいなし、。 <Venisesauvee>-はこのかぎり,Simone Weilの退作の 1つ,

芸術作品の形をとっての遺言の 1つであったと断じてもいい。

乙の戯曲の sourceが,Sain t-Real :、LaConju,ration des Esρagn,ols

contre la Rφublique de Venise en 1618~. (1618)である 乙とは既に指

摘されており , 私たちも~V enise sauvée~ と の比較対照の上で乙の作品を

読む SimoneWeilの心内での反応を以下の章で追ってみたいと考える。こ

(308 )

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<Venise sauvee,,>の成立 - 3-

の蓄に接 したのは,おそ らく 1938年 1月以降,頭痛のために休職を願い出て

からの期間と思われる。 乙の聞は ζれまでに比べて暇な時間も多くとれるよ

うになり,さま ざまな種類の読書に没頭した。 乙と に歴史書が多かったとい

う。開戦の切迫を予感していた乙 の危機的な時期に, 彼女は, I現代のもろ

もろの出来事を正しく判断できるために,過去の時代をふりかえって眺め,

適切な立場をさぐり求めよう としたJ(1l)。過去に生起した事件の真の原因や

その経過のメカ ニズムを正確に とらえることで,現在および近い未来に起り

うる事柄の予測を立て,自分の とるべき座標を見定めておきたいと願ったの

である。歴史を単に教訓として受けとる のではなく ,いわば歴史という縦の

軸に沿って自己を 「外」へおし出し,ふりかえって過去の出来事が自己の澄

んだ自に照ら しかえしてくる意味を「美しく曇りなき鏡J(12) として用いるこ

とを試みたのである。 ここでも,時間の垂直軸上にいくつも立ち現われてく

る「鏡」に同時代の像を正しく重ね合わせてみることができるためには,主

体の「眼識」が問題となるといえよう。それは, Simone Weilが, cllr6

d' Arsが「長い間の苦しい努力の期間Jを経てついに得たと語っていた,

あの 〈discernerrlentrnerveilieux〉 にひとしいものであった〈13〉。 SimOT1e

Petrementが乙の時期に読まれた書物のリス トにあげているものの中には,

Saint-Realのほかに, Herodote, Thucydite...以下の古代の歴史家となら

んで,<L'Iliade~.ゃくLa Cha11.son de la Croisade Albigeoise>が含まれ

ている 乙とにも目を留めたし、。 乙れらの文学書,詩作品がほどなく 書かれ,

Simone Weil, いな EmileNovisの栄光をなした諸論文の題材となったこ

とも想起しておこう。彼女が古代や中世の乙れらの詩作品から読みとってき

たいくつかの真実は,当然ながら同時期における一作品の創作に当り別な,

逆の関係、における動機 (Saint-Realの歴史書一→劇詩 <Venisesauvee">)

となって働きかけているとみなしうる。私たちは, Simone Weilの乙の未

完の戯曲をつらぬく主導テーマのいくつかを, 論文 ~L' Iliade, ou le

ρoeme de la force"> <L' Agonie d'zene civilisatz'on vue a travers un

ρodmedρtque〉〈14〉 を通じて拾いあげる こと もできょう。なお,<Venz.se

sauvee">の筋立て, 登場人物の性格などについてはすべて Saint-Realの著

書から多大の影響を受けた乙 とはそのとおりであるにせよ,乙の題名iζ関す

るかぎりは,同じく Saint-Real ~ζ触発されてー篇の戯曲を書き上げた

Thomas Otway (~Venice ρreserved"> 1682)の作品の名を意識していた

こと は間違いないとの。 Otwayとの関連を最初に示唆したのは, おそらく

(309 )

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J. Cabaudであるが,かれが戯曲の素材そのものまで Otway から採った

のではないかと記しているのは誤りである(16)0 Simone Weilは,友人 S.

Petrement ~ζ対して , iOtwayその他の述中は, ~J affierを陰謀の告発に走

らせた動機の高貴さを理解していなかったj と語ったという(1九 Otwayの

タイトノレをそのまま借りることで, Simone Weilは,乙のエリザベス朝英

国の代表的劇作者に対してはっきり批判的立場をとる乙とを示したとみてい

い。乙の危機の時代に彼女をして唯一の劇作品の執筆をうながしたのは,後

述するどとく Saint-Realという歴史家の比類のない眼力の深さと現象を裁

断する独自の鋭い批評精神であることは疑えない。 Otway からは,Saint-

Real には登場しない, Jaffierの相手役となる若い女性の役柄の創造につ

いて ヒントを得たのにとどまる。むろん乙乙でも, Otwayがその女主人仏

Belvideraを Jaffierの恋人役に仕立てているのに対して, Simone Weil

における Violettaは, 単に人間的な愛の対象である乙とを超え,乙の戯曲

全体のテーマを一身にうつし出す象徴的存在にまで高められている。 Otway

の主人公は,現実の肉身の恋人を救いたい一心から陰謀の告発に走る(多彩

で感情に訴える情念の ドラ マを欲したシェクスピアの観客たちへの,思惑か

ら)のだが,Simone Weilの Jaffierはあくまでもヴェネツィ アの可憐な

少女 Violetta~ζ対して, 純で platonique な愛を寄せるに と どまるo ・乙乙

には,人間的な愛の受けとめ方に対する,作者の批判も乙められているとみ

られよう。

さらに私たちは,Homereやアノレ ビジョワ十字軍の歌から得た霊感が,哲

学者にふさわしく論文の形で理論化されたのに対し,スペイン陰謀の物語だ

けはなぜ劇作という形式,一一 いまだ一度も試みられた乙 とのない乙の形式

にまとめ上げられたのかにも着目してみる乙とができょう。 Otwayの戯曲

を読んで強いラ イバノレ意識をかきたてられたと考えてもよいのだが,乙の時

期,Simone Weil が Eschyle や Sophocle を再読していたとと もに,

Theophile de Viau, Agrippa d' Aubigneなどの17世紀前半の詩メ ・

劇作家に格別な興味を寄せ はじめていた事実をも ふりかえっておきたいo

Theophile にはほとんど完全な傾倒をみせ, Andre Gide ~C対してその作品

の再刊のために尽力して欲しいとの手紙を送ったりしている(18)0 r (Theo・

phileは〉 どんな種類の低劣さと も無線の人でした。かれは,生命と栄吉と

を失なうという罰を受けましたJ(乙乙にも,Jaffierの影がちらつく)0 1940

年初めに兄に送っ た手紙には, iこの17世紀初頭は, フランスにおいても,

( 310)

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• くVenisesaωee>の成立 -5-

スペインにおいても,英国においても,何かしら異様なまでの光を放ってい

ました。定義しようのない霊感がそのとき,最高点に達していたのですが,

それがいちどきに決定的に滅び去って,もはや決して 2皮とあらわれること

はなかったのです」という一節も見出せる(19)。乙の Theophileの時代の劇

的様式, baroque といわれる内的爆発の様式に, 彼女が心を寄せ, 自分で

も閉じ形で内に奔騰してきたものを作品化してみようと考えついたのは自然である (20)。

2

いくつかの内的動機の所在をもさぐっておかねばならなし、。 ~Vent'sesauvée~の,おそらくもっとも中心的な主題は, rJaffierの受難」という乙

とであろうが,乙の点については~Cahz'ers~に次のノ ート が記されている。「受難。受難のひとつの意味は,おそらく自分の周囲にふりまくまいとする

苦しみ,恥辱,死が,望まなかったのにもかかわらず,自分の上にふりかか

ってくるという乙とであろうJ(21)。

ととろで, ζ の自分の上にふりかかってくる恥辱というテーマについては,

既に1938年末以来, Simone vVeilの意識においである具体的な事件の機会

にかなり明確な形をとって受けとめられていたように恩われる。乙の年 9月

30日, ミュンヘン協定が結ばれた。欧州を再度の戦乱に巻き乙む乙とはなん

としてでも避けたいと思っていた彼女にとって,乙の結果は「ほっと心慰さ

む乙と」ではあったが,同時に抑えようのない悲しみと絶望感が心にわいて

くるのをどうしようもなかった。 乙の頃彼女が書いていた文章には, rぼろ

ぼろと崩れ落ちて行く希望J,r~深く傷つけられた安らかさの思いJ が吐露されている。その中に,~Ecrits historiques et ρotzt'Ìques~に収められた,次の文を含むー断片がある。

「私たちは, 国家的威信にしがみつく中でよりも,もっと深い屈辱を味わ

ったのだ。私たちのひとりひとりが,自分自身のけ!心部に,ありのままをい

えば,なにかしら屈辱の本質みたいなものを,事実のまえに思考がおとしめ

られるといった感じをきざみとまれたのだJ(22)。

との屈辱感乙そは, 1938-39年にいたる SimoneWeilの内的体験の変化

の重要なー要紫をなす。一般に, r平和主義の放棄」 といわれる, 彼友の内

面で大きく転換して行った思想的立場の変遷は,当の主体lζ相応の痛みをも

( 311)

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- 6ー

たらさずにはなしとげられぬものであった。昨日の臼分の状態をもはや発見

できぬと乙ろヘ追いつめられるとと , 臼分の望みや窓志とは別 ~C , なんらか

の回復不可能な不動の事実が生じてしまう乙と,屈辱のなんたるかは乙うい

う乙となのだと彼火はいう。 ノー トの中には,I ,J affier の哀願と絶望の中

で,かれに応じてくる<沈黙>を,さらにもっと強調すべきかJとの一文が

見られる (23)0 r~人間的な一切の願いが拒否され,屈辱と孤独の中に個人がた

たずむと ζ ろに,乙の<沈黙>が支配するO ミュンヘン以後,Jaffier を取

りてきく<沈黙>の冷たさの予感は,作者その人にもはやー沫のおそろしさを

もって実感されていたのは間違いない。

加えて, 1938年という年は SimoneWeilの頭痛がこ とに激しかった乙 と

も注記してお乙う。脳に腫湯でもできているのではなし、かと心配して,外科

医の治療を受けに行ったこともある。自分が廃人になるのではないかとの脅

迫感にもとらえられ,そのために苦しみが堪えられなくなってJ条件つきの

予定された死の決意」によって辛うじて平静さを取り戻した程であった(24)。

乙のときの彼女も, ,自分自身に対して, 軽蔑と憎しみと嫌悪の入りまじっ

たJ感情を覚えていた。屈辱感は,尋常でないこの個人的条件とあいまって,

増幅され,倍加されていたと思われるo P会rePerrinや JOeBousquet ~C

告白するように,彼女は 乙の屈辱の条件をわが身に受け忍ぶという,つらく

苦しい訓練を経て,ょうやくあの稀有の経験に到達したのである。「たとえ,

乙の私がすっかり泥の身とかえられてしまっても,どうか何ひとつ汚さずに

すみますように,私の思いにおいても ,何ひとつ汚さずにすみますようにJ(25)。

もちろん, Jaffier がまわりを占めた<沈黙>のただ中でひとりかみしめて

いた辱しめと苦痛の深さを,重い実質感を乙めて作品中に構造化しえた想'安

力は,乙の祈りに支えられていたのである。

そして,,苦痛なしには離脱 (detachement)はなく J,,離脱のみが,もの

ごとの赤裸なすがたを見る乙とを可能にするJ(26) 0 ~V e1'zise sauvée~ の第

2幕の終り で, Jaffier ~r はすべてが見えてくる。すなわち J現実 (réatitめ

がかれの中に入ってくる瞬間」であるO

「第 2幕,Jaffierの後じさりを超自然的なものと感じさせねばならぬJ(27)。

乙のノート の一節は, ~L' Iliade, ou leρOe1Jle de la force~ におい

て,ブJの歯車装置から まぬがれさせて くれる,,人力を越えた, 稀な, 精神

のノJJと述べられた働き とあい応じる (28)0 J affier の超克を可能にするもοが,乙 ういう 「一種の奇跡、」であるのならば,作者その人は この時点ではや

(312 )

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<Venise sauvee>の成立 -7-

空見くも確かに,超自然の臨在をとらえていたのであろうか。 iSimoneWeilの

神秘的体験Jについて論じるのは,今その場所ではない。ただ,乙の激しい

頭痛の発作の中で, 詩 <.Love~ を吟請していたとき , 突如としてある現存

をさし示されたと, Pere Perrin にうち明けていたとと〈293, その時期はお

そらく, 1938年末に相当する乙とだけを乙乙では思い起しておきたい。

「わたしはただ,最愛の人の顔に浮ぶ微笑のrt~r読みとれる変とよく 似た

愛の現存を,苦しみを通して感じとっ ただけで したJ(3ヘPere Perrin, Joe Bousquet という, 選ばれた 2人の人にだけ内密にゆj

かしたとの秘かな体験が根底にあった乙とを想定しなし、かぎり ,Jaffierの

(表面的には,不条理とも唐突ともみえる)行動の真の動機が作者の内側の

どとから生み出されてきたのかに思いいたることはできないであろう。ノー

トには,iこの世の事柄に関しでも, 信じて行なうようにさせるま乙との助

機は,超自然的な愛である」と記されている (31)。 そして,乙の趨自然的な

愛は,iヴェネツィアが存在している (Veniseexiste)と, Jaffierが気づく

瞬間からJ動き出す(32)。私たちの周囲に見出されるおよそすべての人間的

な事象(人間存在自体,人間の作り出す集団,作品などを含めて)は,それ

が現存するというそれだけの乙 とで, 私たちのからだが描き出す動作のひと

つびとつを停止させ,抑制し,変化させる力をもっ(33)。ととで,Jaffierに

あの超自然的な決意をとらせるまでにいたったヴェネツィアの存在感の確か

さ,一一すなわち, iヴェネツィアの美 しさJの由来をさぐってみる必要が

あろう。

Simone Weilが,i世界の美しさ (beautedu monde)J ~r対して格別の

熱い関心を寄せ, i神への暗黙的な愛」の一通路となると考えていた乙とは

周知の通りであ る。彼女が幼年時より,自然の美しさに対して特別に鋭敏な

感受性を示してきた乙とは既に指摘されたが〈34〉, ζ とでは, それならばな

ぜ,ヴェネツィアが乙の「世界の美しさ」を他に絶 してあらわす特権的な都

市としてえらばれたのかを問うてみる 乙とができょう。決して,ヴェネツ ィ

アが歴史的に保持してきた数々 の栄光の地位によるのでもなく ,広 く人々を

誘引する神秘の魅力さえもたたえた芸術的価値のためでもない。私たちは,

スペイン戦争参加の次の年1937年4月から6月にかけてと,翌38年 5月から

6月にかけての 2度,彼女がイタリア旅行をしている乙とに思いを返してみ

なくてはならないであろう。

乙とに第 2のイタリア旅行が,第 1回のときに見ずじまいだったヴェネツ

( 313)

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- 8 ー

ィアを訪問するために計函されたものであった乙とに注窓しよう。イタリア

の諸都市のうち,Simone Weilの心をとらえたのは,友人 ・知己への手紙,

手記などによるならば,まず第 1~ζ フィレンツェとア ッ シジであり,ヴェオ

ツィアはこれらの都市が彼女に与えたあまりにも大きい感動の後では,い〆

らか呪縛力を弱めてしまった感じがする。 (Posternak への手紙には, i私

は,ヴェネツィアを愛するには,心が自由ではありませんo たって,フィレ

ンツェが心をつかんでしまったのですからJとある)(35)。 しかじ,たとえ二

次的な位置であれ,ヴェネツィアもまた, Simone Weilの内面lζおいて,

「人間の集団をはぐくむ糧を象徴する町 (la citta simbolo del nutrimento

di un gruppo umano)J として, つねに美しいイメ ージをともなって浮カ

び上っていたことは確かである。乙の表現は, Simone V¥T eilのイタリアノ

研究者 Gabriel1aFiori 女史による〈36〉。 Fiori 女史の新著~Stn20ne Weit,

biografz'a di un ρensìero~ の第13章, <L' Italia, 0 della bellezza>は

たぐいなく美しい叙述で綴られた一章である。女史は, Simone v¥'" eilにと

ってイタリアが, I精神的な糧としての様相 (unafase di nutrimento.

(…) Nutrimento a妊ectivo)Jを持っていたといい, I魂の島 (un' isola

dell' anima)Jであったという〈37〉O Poster-flak への手紙にも,Iイタリア

を思うときの私の気持は,ただく郷愁> (Heimweh) という語でしかいい

あらわせません」 という熱い表明が見出される (38)。 開戦直前のしばしの安

らぎの時期,アノレプスのかなたの国で直々肌に接したこの「詩と祝祭の雰囲

気」は,彼女の心にまるで美しくたなびく淡紅色の霧のような印象を残した

といえるのだろう。それ乙そは,I束の間のもろい幸福, 偶然の幸福o リン

ゴの花Jである (39)。 しかし, ζ こでもはや「花ざかりの果樹から花びらが

落ちるJ円が近いとの痛切な予感が彼女をおそったのに違いなL、(40)0 Iヴェ

ネツィアJは,この上なく貴重なものとして,それゆえに乙の上なく傷つき

やすいものとして彼女の心に刻み乙まれた。 イタリア旅行から戻ったtrl:;ご

は,友人 S.Petrement ~こもくりかえし, フィレンツェの 「星降る夜J に

見た MonteverdiのくIncoronazionedi POρρω、の感激を語り,その中

での Seneque の死の場面を朗唱して聞かせたそうである (41)。

「死ぬな,死ぬな,セネカ,いけない。私なら死にはしない,この世はあ• • • • • • • まりにも夫ししい.(q uesta vi ta e dolce troppo...) J

あすは,ヴェネツィアの町lζ戦火がくだり,乙の夫しさが破壊と凌辱にさ

らされると知りながら,ひとり暗い丘の上にたたずむ Jaffierの心の奥から

(314 )

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-

ーー・.

-

.. ー

くVenisesauvee>の成立 - 9 一

も, ~Non mOI廿e! ~の叫びは次第に大きく圧倒的にひびいてきたはずであ

る。ドイ ツ軍の真黒い機甲部隊が既に祖国の土を採閥しはじめている1940年

の夏,Vichyの夜, 滅びにさらされているフランスをひとり歩 おののきを

ζ めて幻の中で見つめながらペンをとっていた SimoneWeilその人の心中

にも同じく高鳴っていた乙とはいうまでもない。

3

~Le pauvre abbe de Saint-Real、(Racine と Boileauの評語)と

は, 古典文学の全盛期に生きて何冊かの著作を世に送りながら, 以来300年

余ほ とんど忘れられた存在であった (1643-92)。 単なる歴史家であるにと

どまらず, Turinの宮廷で暗躍した政治家, 手腕のある外交官, そして稀

代の人間通であり,禁欲主義からギャラントリーの粋までを心得ていた愛欲

道の達人, 凶念の探求者であった。 くDonCarlos、(1672), くLaCon-

juration...> (1674)の 2著は,歴史書というよりむしろ歴史小説であ り,

史上の実在のに杓,現実の事件を題材lこして,精密なデータの提供,情勢の

進展の論理的記述をしているばかりでなく,随所に男交関係、の色模様を折 り

まぜ, 驚くほどに的確な主要人物の性格描写,心理分析を添え,また, 状況

の転変に際しては,鋭いモラリスト的観察と批判の言葉をはさみ乙む乙と伊

忘れない。歴史は, lSaint-Real にとって「狂気と愛と死のテーマJによっ

て折りなされている人間のドラマと受けとられていたとみなし うる。いきい

きした, かなり具体的なヴィジョンにまで高められた諸場面を含む Saint-

Realの乙の一番をひもといていたとき,Simone Weilは自分の内側に抱い

ていた諸関心を刺激するいくつかの部分を発見したのに相違なし、。 ~La

Conjuration.. .}>と くVentse sauvée~'の精細な比較研究については,いず

れ稿を改めて別の機会に取り上げたいが,乙乙では,特に SimoneWeilの

自にとまったはずの数節を拾い出してコメン トをイサけてみたいと考える (43)。

歴史家がとくに著作の前半で詳細に述へている,当時のヴェ ネツィア共和

国の政治的境位,陰謀にいたるまでの各主要人物の動き,役割分担,刻々の

情勢の変化…といったノレボルタージュ的要素は,ほとんど SimoneWeilの

戯曲には取り入れられていない。それよりもむしろ,彼女は,首謀者である

スペイン大使 Nlarquisde Bedemarが「強力な天才,危険な精神Jの持主

のひとりであり ,iひとつの企ての結果」を見ぬく乙とのできる 「独特の才

能」を有し, i人の心に巧みに食い入る, 愛忽のよいブ5"法」を心得えていて

(315 )

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- 10-

「どんなに蹴しい人の心」の秘密をも開いてみせる術を知っていたとの描写

や〈44〉,乙 の Bedemarがたくらんでいる革命への誘いが,怨恨と不おを内に

はらんだ「小人ども」 の耳にどれほど快くひひいて行ったかの叙述(45) に興

味をそそられたであろうと思われるo さらに,乙 の企ての主な推進者となっ

た Nicolasde Renault (フランスから追放されヴェネツィア !こ亡命中の旧

貴族)が,1"極端な貧困」の中に生きて, 1"徳よりも栄光J~r心を寄せ, r個人の功業が国家の迩命を決した時代を愛惜」し,残る余生をむだもこ悲し〈す

ごすよりも, 1"その名を不朽のものにするために賭ける」乙とよ用いたい と

願っていたと説明されるに及び〈46〉, 彼女はここで, すべての革命家 ・陰謀

友の心底に宿る権利回復と報復の動機lζ思い至ったのに違いない。イVenise

SGuude〉第 1幕第 2場における Renault-Renaudの演λの前lζ付された注

記は,乙の考察か ら出てきたのであ るO

くFaire apparaitre dans ce discours, et reparaitre sans cesse

comme un theme sous-jacent, des allusions a la biographie anterieure

des conjures.>(47)

と乙ろで,乙の Renaudの演説であるが,Simone Weilでは, ヨーロ ッ

パのキリスト教的統一と支配をめざす Habsburg 家の光 kある事業lζ背反

しようとする勢力の駆逐を説き,そのために企てられる都市の掠奪がきわめ

て血胆い残酷なものとなる 乙とを描き出している 2ページ (原書〉にと どま

っているのだが, Saint-Realにおいては, 10ページにわたる長口舌うまうつ

されており〈48〉, その雄弁調は迫力にみち,予想される破壊の場面も精彩iこ

富み,baroque的凄惨さをすら感じさせる。 SimoneWeil が戯曲の執筆,こ

かかっていたと き,手もとに Saint-Realの原蓄を持たなかったため,もし

くは,演説の細部にいたるまで文体を練り上げる余裕がなかったためと推定

できるが,それでも彼女は, 少し以前lにζ読んだ<LαCOl何'zjuratμiO0何凡P

のj場易面の緊迫感をよく 記憶していて'その中心部分を自分の作品の中Kも要

約して取り込んでいるといえるであろ う。 Renaultが,1"およそ地上に存在

するもので,天の加設にあたいするものがあるとすれば,今われわれのなそ

うとしている乙と以外に何がある のか」と叫び(49),iわれわれは,自然も忌

み嫌う悪徳にけがれはてた人間どもの中でも,だれよりも罰を乏~t るに足 る

やつらを罰しようとする(…)不信仰の君臨する この王宮が火({:,フミの大(こ

焼きつくされるさまを凡ょうではなし、かJ(50) と訴えたこの調べを, Sinlone

Weilはみごとに, 1"永続する苔のために,これは一時の悪にすぎぬJと要約

(316 )

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する(51)0 I片手に剣を,片手によE火をかざしつつ,これらのあわれな者ども

を皆殺しにする 乙とをおそれるまい〈…〉兵士どもにしたい放題を しつ くさせ

る乙とで,世にあらんかぎりのおそろしい光景がそこ乙乙に展開しようJ(52)

との Renaultの言葉を読んだときの戦傑感が,Iわれわれの企てが実行され

るとき,それは必然的におそろしいものとならずにすむまい」とのノートと

なって記しとどめられたのである〈53〉O しかし,乙乙でもはや SimoneWeil

k固有のテーマとして <themede l'impulsion de la necessite> が強調

されている乙とは見のがしてはならない。彼女においては,力を持っている

者をも,力は「非情に酔わせる」のである (54)。

乙の演説を聞いているときに Jaffier の顔に思わず心の乱れが走る。

Saint-Realは乙のあたりを次のように描き出す。

<Toutefois Renault, qui avait observe les visages, remarqua que

Jaffier, l'un des meilleurs Amis du Capitaine, avait passe tout d'un

coup d'une attention extreme dans une inquietude qu'il s'efforcait en

vain de cacher, et qu'il lui restait encore dans les yeux un air d' eton-

nement et de tristesse, qui marquait une ame saisie d' horreur...>(55)

そして,乙の状景を SimoneWeilは次のようにうつしとる。

<Pierre fe1icite Renaud apres son discours. Le voit soucieux,

demande pourquoi? Tout va bien, pourtant. Renaud, apres avoir fait

quelque difficulte pour le dire, explique qu'en parlant il a vu le

visage de Jaffier, qui ecoutait, palir et se decomposer. 11 craint tout

d'une telle defaillance.. .>(56)

<V enise sauvée~ が劇作品であるかぎり , 歴史家が客観的に述べたと

乙ろを,第三者 (乙乙では Pierre)を介在させて Renaud自身にその不安

感を直接言いあらわさせようとしている。 Saint-Realは, Renaultの心を

よぎった乙のー沫の影をも, I人の心のもっとも秘かな動き」の因果関係を

知りつくしていた乙の人の畑眼のゆえと説明し,すべては Jaffierの心にき

ざしたおそれのためと解釈させる。しかし, : Simone Weil は,乙の一節に

ふと書きとめられた「…いそいで隠そうとしたのに,外にあらわれてしまっ

た不安J,I自のrいになおもただよっている矯き と悲しみの様子」といった表

現に立ちどまる,おそらくは歴史家が予測していなかった心の深みを,乙の

「不安」と「悲しみ」の背後に,卓抜な眼識がさぐり 出すのである。乙乙か

ら彼女の詩的必像ノJが働き出す,そして, J affier ~ζ(他の人々にはほ とん

( 317)

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ど「ありえない乙とJと思われていた〉あの大胆で,超自然的な決断をとら

せるに至るのである。

Saint-Real において,乙の転換点を記録した部分はそんなに長くなし、。

友人 Pierreが後事を一切 Jaffier~L託して船に采って行ったあと , Renault

が演説の最後に述べた鋒起の-佼の描写が Jaffierの心を再ひとらえ出す。人

関心理の洞察に長けた歴史家は,ただひと乙と, rかれの想像力は, 乙の描

写以上のことを語るのだったJ との注釈を補う〈57〉0 乙の瞬間から,かれの

耳にはもはやただ,兵士どもの泥靴に踏みつけにされる子どもたちの泣き叫

ぶ声,首を切られる老人たちの苦しいうめき,辱しめられる女たちのわめき

いだけしか聞えて乙ない。そして,その自には燃え落ちる王宮,火を放たれ

た教会,血の流れる聖所・・・が見えてくる。「悲しいヴェネツィア, あわれな

ヴェネツィアのすがたが,いたる所でかれの自に映じてきた(…)灰燈と鉄

鎖と, そして住民たちの流す血の中に沈んで行くヴェネツィアが…J(58) わ

ずか 2ページながら Saint-Realがくりひろげる乙の baroque的な迫真の

地獄図絵を読んでいた SimoneWeilは,当然魂も動転する思いであったに

違いない,そして,その恕像力は,乙れ以上の乙 とを読み取って行ったはず

である。 <L'Iliade~の トロイアや, ~La Chanson de la Croisade al-

bigeoise}'> における南仏諸都市の陥落の場面の描写に接したときと,おそ

らくそれは同質の激動であった。戦争を描いたま乙との叙事詩の「美しさJ,

おそろしい「美しさ」が乙乙にも露呈していた。時代はことなっても,

世界のど乙においても,人聞が 「力」の走狗と化して,狂乱の「夢に酔う」

とき,乙うした血みどろの場面は,いつでも,どとでも出現する。 ~Vellise

sauvee> 第 2幕第 6場,ょ うやく何かに動かされつつあった Jaffier を前

~r. ,乙 の夢に酔うた Renaudをして, Simone Weilは7ページにわたり乙

の非現実のおそろしさをたたえた夢の物語を語らせる (59)0 iわれわれの企て

の夜が祭の前夜であり,祭の日の夜明けとなったに迷いない二時けが,やつ

らの廃埴の上に明けて行くというのは,なんとすばらしいことではないか…」

乙の恐怖の言は,現実にフランスの夜のうちに鳴りひびき出していたのでは

なかったか。 Saint-Real ~L は Violetta は登山しない(ただ,陰謀をおし

進めさせるのに裏側で強い影響力を及ぼした,ギリシア _,\t~ 世話。存在が設定

されただけである)0 Simone Weilは, í不幸なヴェネツィア\~こちの,何

も知らぬ洛ち着きょう,みなの楽しそうな様子」という歴史文の短し,、ノート

から〈60〉,ヴェネツィアの 無垢の幸福を象倣するi若い少女を造型した。そし

(318 )

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くVenisesauvee">の成立 - 13-

て,乙 のヴェネツィアの純な楽しさを見て,iJaffierの同情は倍加された」

との Saint-Realの陸自すべき小さな添え書(61)を見のがさなかった。「同情

(同苦)Jとは<com passion >である。乙の決定的な 1語が自に触れたと

き,ヴェネツィ ア共和国に対するスペイン人の反乱のこの歴史的事件はまさ

しく , Simone Weilの本質にかなう主題として大きく浮かび上ってきたの

である。

Saint-Realでは ζ のあと直ちに,ヴェネツィア十人会に Jaffier が陰謀

のうち明けに行く記事がつらなる。 ~Venise sauvee> は第 2幕第16場,

暮れなずむヴェネツィアを見おろして Jaffierがもらす悲痛な独自,韻文体

の30行がはさみ乙まれる。 <compassion>の動きを乙の詩的形式をもって,

荘重に,痛切にうつし上げた乙の一場面乙そは,戯曲全体の山場であり,作

者が ~L' Iliade> を評した言を借りるならば,i胸をえぐる痛ましさ」に

みちている (62)0 ~Venise sauvee> が完成されたならば,Simone Weil

もまた,Homereの乙の傑作に比肩しうる卓絶した「力の詩」を生み出す乙

とができたであろうに。

物語はかくて, 十人会の動揺, 陰謀の中心人物の逮捕 . 処河邦~J,

えられた辱しめ,追放といつた結末iにζむかつて,念急、迷iにζ展開する。 Saint-

Realは,さし出された報酬の金を拒み,ヴェネツィアを去った Jaffierが,

なお Bresseで少数の反乱軍が抵抗をつづ、けているのを知って,その先頭iζ

立ち,捕えられて,再びヴェネ ツィアに連れ戻されて溺死させられる最期ま

でを描きつくすが,~ Venise sauvee> の今残されている草稿は Violetta

の歌で終る。恥辱と悲惨の境涯につきおとされてひとり町を離れて行った

Jaffierの後姿がまだ消えぬうちに,i ~海の上にのぼる朝の光J を嬉々として

うたう少女のうた声で幕はおろされる。 <compassion> とは過ぎ去って行

く乙の世のはかない美と,一切の汚辱をになっても乙れを守ろうとする超自

然的な愛との聞にかけられた「虹」であるのなら〈63〉, 乙の終幕は Simone

Weil のテーマにとってきわめてふさわしく ,効果的であったといえよう。

「憐れみ (Misericorde)は, ふさわしくも神の属性である。人聞による

憐れみなどというものはない。憐れみは,無限の距離を包みこむ。人は近い

ものには,compassionを持たない。ジ ャフィ エ。J(64)

乙の次には,<Venise sauvee">をも とに, Simone Weil の乙の基本思

想を学ぶという課題が私たちを待ち受けている。乙の未完戯曲の geneseを

問うてき た小さな試みは このあたり で閉じなくてはならない。

(319 )

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(1) Simone Petrement: La Vie de Simone Weil, 11, 1934-1943, Artheme

Fayard, 1973 (拙訳による,動草書房, 1978, p. 221).

(2) ibid. (p. 203)

(3) ibid., (p. 224)

(4 ) じ 11iade,ou leρoeme de la force, in <_La Source grecquei;>, Gallimard,

1953, p. 28.

(5) 小論 「シモーヌ ・ヴェイユの詩についてJ,rさいどのシモーヌ ・ヴェイユj, 御茶

の水書房,1984, p. 60.

(6) 現在p 手書きの初稿を書きとめた 1冊のノート,タイ プされた第2稿が2部〈兄

Andre VvT

eilが保存), Gi1 bert Kahn lC託された第3稿の存在が確かめられてい

る (cf.Andree Mansau : Venise sauvee; Simone Weil, auteur de theatre,

in Association pour l' Etude de 1a Pensee de Simone Wei1, <_Bulletini;> nO

7, 1977)。異稿の比較による,原稿の修正過程の研究は今後の一課題となろう 。

(7) Jacques Cabaud : L' Exρerience vecue de Simone Weil, P10n, 1957 (邦訳,

みすず書房,1974, p. 235).

(8) Ecrits de Londres et dernieres lettres, Gallimard, 1957 (拙訳による,勤草書

房, 1969, p. 287.)

(9) ibid. (p. 291)

ωS. Petrement, 0ρ. cit. (p. 402)

(11) ibid. (p. 174)

(12) La Source grecque, 0ρ. cit., p. 1.

(13) Attente de Dieu, Fayard, 1966, p. 88.

ω in <Cahiers du Sud>, Le Genie d' Oc et 1'Homme mediterraneen, mars

1941, pp. 99--107.

ωThomas Otway : Venice ρreserved, in ttThe Works of TIz. Otway," ¥"01.

3, London (T. Turner), 1813, pp. 1-96.

(16) J. Cabaud, 0ρ. cit. (p. 485注〉

(1カ S.Petrement, 0ρ. cit. (p. 202)

Ú~ ibid. (p. 183)

~W ibid. (p. 210)

側 さらに,1937年,イ タリア旅行から帰ってすぐ, J. Giraudoux: Electre の上演

を見に行った感激もあず、かっていると思われる。友人への手紙には,rわたしにはど

うして数個の人生が与えられていないのでしょう。そのうちのひとつを演劇のため

にささげる乙ともできるでしょうにJとある (cit.in. S. Petrement, 0ρ. cit., p.

132).

(320 )

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くVenisesauvee)>の成立 - 15-

ωPoemes suivis de Venise sauvee..., Gallimard, 1968, p. 44.

例 Fragment,in <Ecrits historiques etρolitiques)>, Gallimard, 1960, p. 293.

ω Poemes..., 0ρ. ci t . , p. 49 .

似o Corresρondance de Joe Bousquet avec S. Weil, in <Cahiers du Sud>

(anthologie) 1981, p. 87.

(幼 La Pesanteur et la Grace, Plon,1960 (拙訳による,講談社文庫, 1974, P.15).

附 Poemes...,0ρ. cit., p. 46.

制 ibid.

倒 LaSource grecque, 0ρ. cit" p. 26.

倒 Attentede Dieu, 0ρ. cit., p. 45.

側 ibid.

(31) P oemes . . . , 0ρ. cit., p. 48.

(32) ibid.

(幼 LaSource grecque, 0,ρ. cit" p. 15.

例小著『さいどのシモーヌ ・ヴェイユj),前出, pp. 70-72.

(幼 S.Petrement, 0ρ. cit. (p. 158)

(36) Gabriel1a Fiori : Simone Weil, bz'ografia di unρensz'ero, Garzanti, 1981,

p. 192.

。ヵ ibid.,p. 187.

側 S.Petrement, 0ρ・ cit. (p. 131)

ω~ Poemes,.., 0ρ. cit., p. 48. I

仰~ La Pesanteur et la Grace, 0ρ. cit. (p. 176)

ωS. Petrement, 0ρ・ cit. (p. 131)

働くVenisesauvee)> (Gallimard, 0ρ・ cit., fp. 68) には第2幕第3場の終りに,

r (Monteverdi) Jという注が出ている。最近発見された未完のノー ト (FO 186 du

manuscrit de 50p.)によれば,乙乙には <untableau souriant, printanier>

に代えてヴ、ェネツィアの職人たちによるコーラス (Monteverdiのマドリガノレの一

節〉が舞台裏からひびいてくるように指示されている。

<Cite }:Our qui j'ai perdu ma vie, Cite pour qui je perds la mort meme,

Recois sur toi l' eclat de 1'aurore, Reste sereine et claire au couchant.)>

(cf. Andree Mansau: Simone Weil et quelques asρects de la ρolitique

italienne, in <Cahiers Simone Wei1>, Tome VIII-N03, Sept. 1984, p.

253) .

仰) 以上Saint-Real の評伝および以下に引用する texte については,Saint-Real:

La Conjuration des Esρagnols contre la Reρublique de Venise, introduction

et no tes par Andr・eeMansau, Lib. Droz, 1977によ る。

( 321)

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- 16ー

例 LaConjuration..., ~ρ . cit., pp. 23-27.

倒 ibid.,pp. 40, 44.

ω ibid., pp. 70-73.

納 Poemes...,0ρ. cit., p. 58.

側 La'Conjuration..., ~ρ . cit., pp. 199-208.

(49) ibid., p. 254.

(50) ibid., pp. 255, 256.

(51) P oemes . . ., o.ρ. cit., p. 59.

側 LaConjuration..., ~ρ . cit., pp. 255, 256.

倒 Poemes...,0ρ. cit., p. 59.

ωLa Source grecque, ~ρ . ci t ., p. 19.

倒 LaConjuration..., ~ρ . cit., p. 258.

倒 Poemes,0ρ. cit., pp. 59, 60.

制 LaConjuration..., ~ρ . cit., p. 279.

(58) ibid., pp. 281, 282.

側 Poemes...,0ρ. cit., pp. 73-79.

(60) La Conjuration..., ~ρ . cit., p. 288.

(61) ibid.

制 <poignant>. cf. La Source grecque, o.ρ. CtI., p. 12. なお,本論では分析を

進める余裕はなかったが, Simone Weilは くVenisesauvee>において用いるべ

き詩形についても考察を深めており,11綴,13綴といった奇数脚に格別の興味を示

している乙と,また 「郷置Jの効果 (<L'Iliade>研究との関連において)にも着

目している乙となどから,詩の外形構造と意味内容の危機性とをからみあわせて別

種の度近を試みてみる価値があるといえよう。

制 La connaissance surnaturelle, Gallimard, 1950 (拙訳による,勤草書房,1976,

p. 60).

例 ibid.(p.43)

(le 8 septembre 1985)

(322 )