10 1400m20124 20 9 30 5 西19 20 5 5 1005 1 2 8 16 18 稿大学の本館 学内はどこも緑でいっぱい タウンシップ このような建物が見渡す限り広 がっている キリン 足元にスプリングボックも 大学のすぐそばにこのような風景 が広がっている 研究室の皆さんと(筆者は前列右端、 珍しく雪が降ったので記念撮影した) ローガン湖ショッピングモール 後ろにワールドカップの開かれたスタジアム 南アフリカってどんなところ? 小島 信彦 農学部専任講師 水利施設工学、農業水利学、水資源工学 1967年生まれ 東京都出身 19953月 明治大学大学院農学研究科博士 課程修了 19954月 明治大学農学部専任助手を経て、 現在同学部専任講師 著書(教科書)「農学系の水理学」理工図書、 2010年(共著) 主要論文「バースクリーン型渓流取水工の設 計と維持管理」農業農村工学会誌、 2009Michihiko Kojima prole Sekai no Machikado kara Vol.54 世界の街角から Vol.54 South Africa 53 THE QUARTERLY MEIJI 52 THE QUARTERLY MEIJI

Vol.54 South Africa...South Africa 53 THE QUARTERLY MEIJI 52 Title 明治vol59.indb Created Date 7/8/2013 9:48:36 AM

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Page 1: Vol.54 South Africa...South Africa 53 THE QUARTERLY MEIJI 52 Title 明治vol59.indb Created Date 7/8/2013 9:48:36 AM

 昨年10月の帰国後、少なく

ない方から「全然、焼けてな

いね」と声を掛けられました。

アフリカは灼熱の太陽が照り

つけているというのが一般的

なイメージなのでしょうが、

私は南半球の冬を過ごして帰

国したのでちょっと愕然とし

ました。それではアフリカに

は他にどのようなイメージが

あるでしょう。貧困と飢餓の

大陸、危険、サファリ、経済

成長の著しい大陸、といった

ところでしょうか。私の滞在

した南アフリカ共和国はアフ

リカ大陸随一の経済大国です

が、先に示したそれぞれの面を持っ

ていました。ヨハネスブルグやケー

プタウンのようには知られていない、

南アフリカのちょうど真ん中に位置

する標高約1400mの高原の町を

ご紹介します。

花咲く泉という名の町

 筆者は2012年4月20日より9

月30日までの5か月余り、南アフリ

カ共和国のフリー・ステート州の州都

ブルームフォンテーンにあるフリー・

ステート大学で研究をしてきました。

 

ブルームフォンテーンはアフリ

カーナー(オランダ系を中心とした

白人いわゆるボーア人)が英国支配

を嫌って内陸部へ移動して建設した

町で、アフリカーンス語で花咲く泉

という名前です。現地の言葉ではマ

ンガングといい、チーターのいる所

という意味があります。南アフリカ

共和国の司法の首都であり、大学の

町でもあります。日本がサッカーの

ワールドカップでカメルーンに勝ち、

ラグビーのワールドカップでは

ニュージーランドに記録的な大敗を

喫した町でもあります。

 名前の由来にもなった湖が町の中

心にあり、緑の公園とショッピング

モールに囲まれています。湖の西側

には大学地区が広がり、湖のすぐ東

側に官庁街、さらに東に下町が広

がっています。官庁街は19世紀後半

から20世紀初頭の歴史的建造物が残

る美しい町です。商工業都市ではな

く、また、高層ビルがないのも景観

保持に一役買っています。

野生動物とタウンシップ

 町の中心部から北へ車で5分も行

けば、野生のキリンやシマウマ、ダ

チョウなどに会えます。チーターは

絶滅したとのことですが、あまりに

あっさり(キリンは若干難しい)と

会えてしまうことに喜びよりも呆然

というか、拍子抜けしてしまいまし

た。野生の王国アフリカがすぐそば

にありました。

 一方、南に車で5分行くとタウン

シップ(旧黒人居住区)が広がってい

ます。政府は無料で住居を提供して

いるのですが、十分には行き届いてお

らず、整備水準もまちまちで昔のま

まのトタンの小屋もたくさん残ってい

ます。そして、アパルトヘイト時代の

タウンシップの外側には不法滞在者に

よるスラムが拡大しており、衝撃的

で強烈な印象が残っています。美し

い街並みとタウンシップが隣接してい

るのがこの国なのでしょう。

美しいキャンパスと

品行方正な毎日

 フリー・ステート大学は100年

を超す歴史がある大学です。本館を

はじめ歴史ある校舎が数多く残って

いる美しいキャンパスです。私は大

学内のゲストハウスに滞在して、毎

朝このような光景を見ながら徒歩5

分で研究室に通っておりました。

 最初、大学に到着したとき「暗く

なったら1人で出歩くな」「車で出か

ける時も必ず2人以上で行動しなさ

い」とくぎを刺されました。構内にも

多くの警備員がおりますし、研究室

もゲストハウスも二重扉です。やはり

安全ではないのかもしれません。そこ

で朝8時にゲ

ストハウスを

出て16時半に

は帰宅という

毎日です。18

時過ぎには夕

食が終わり、

これから夜遊

び?といきた

いところです

がそうはいきません。たまに大学の先

生や院生と外食や映画、ラグビー観

戦などにも行きましたが、まさに早寝

早起きの生活でした。夜やることがな

いので研究が進んだかについては聞か

ないでください。

高い言葉の壁

 言葉の壁が高いといっても、私の

英語力のつたなさの話ではありませ

ん。研究室では毎朝お茶をしながら

ミーティングをします。ほとんどの

場合、会話はアフリカーンス語です。

地域によって異なるのかもしれませ

んが、少なくとも私の居た町では、

英語だけでなくアフリカーンス語が

話せる必要があるようです。フ

リー・ステート大学では未だに両方

の言語が教授言語です。したがって

どちらかが苦手な学生は不

利を被ることが懸念されま

した。就職するうえでも影

響があるようです。この国

では、制度上の差別はなく

なっていますが、誤解を恐

れずに言えば、言語により

差別が残っているようです。

再訪を期して

 行かない方がいいと言われた下町

にも行ってみました(もちろん昼間)

が、幸いなことに危険な目に合うこ

ともなく、地元の人々(黒人)の人

懐っこさや明るさに触れることがで

きました。

 この国には危険もあり、貧富の差

が拡大しているのも事実でしょう。

アパルトヘイト廃止後の国民の融和

は道半ばです。ある白人の方が

「我々はヨーロッパ人ではなく南アフ

リカ人である」と言っていたのが印

象的でした。明るい未来を信じて本

稿を締めたいと思います。

大学の本館 学内はどこも緑でいっぱい

タウンシップ このような建物が見渡す限り広がっている

キリン 足元にスプリングボックも 大学のすぐそばにこのような風景が広がっている

研究室の皆さんと(筆者は前列右端、珍しく雪が降ったので記念撮影した)

ローガン湖ショッピングモール 後ろにワールドカップの開かれたスタジアム

南アフリカってどんなところ?小島 信彦

農学部専任講師水利施設工学、農業水利学、水資源工学1967年生まれ 東京都出身1995年3月 明治大学大学院農学研究科博士課程修了1995年4月 明治大学農学部専任助手を経て、現在同学部専任講師著書(教科書)「農学系の水理学」理工図書、2010年(共著)主要論文「バースクリーン型渓流取水工の設計と維持管理」農業農村工学会誌、2009年

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世界の街角からVol.54

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