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2011.54

●ニュージーランド

●ブルネイ

●日本

●ベトナム

●マレーシア

●オーストラリア

●アメリカ

●シンガポール

●カナダ

●メキシコ

●ペルー

●チリ

グローバル化の推進がめざましい中で、最近話題にのぼっているのが「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」である。ここ数年、マスコミなどでも取り上げられてきたが、昨年、日本政府が参加の検討を本格化したことから、国内での注目度が一気に高まった。現在TPPへの参加をめぐっては、活発な議論が交わされている。今回は、TPPに関する基礎知識と参加による影響等について解説する。

TPPの基礎知識 TPPとは「環太平洋戦略的経済連携協定(Trans-Pacific PartnershipあるいはTrans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)」のこと。これは、太平洋周辺の国々が手を組んで、ヒト・モノ・カネの流れを活発化させようという国家・地域間交渉の枠組みだ。物品の関税は、例外なくほぼ100%撤廃するのが原則。また、参加各国が参入規制の撤廃や法律の改正を行い、自由で公正な貿易の実現を

域協定として存在感が増した。その他の国では、韓国は様子見の段階で、中国は参加に消極的だ。 こうした動きを受けて、日本政府は、2010年10月の新成長戦略実現会議からTPP参加に関して本格的な検討を始めた。自由化で輸出に弾みをつけたい、日本の自動車や機械のメーカ等を中心に参加を支持する声は大きい。その一方で、米などの農水産物の関税が撤廃されることにより、国内の農林水産業にマイナスの影響が出ることを懸念する声もある。

図ることを目的としている。 2006年5月にチリ、シンガポール、ニュージーランド、ブルネイの4カ国による経済連携協定の発効により、TPPはスタートした。その後、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアの5カ国が相次いで参加を表明し、今年11月 に ハ ワ イ で 開 催 さ れ るAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議までの妥結に向けて9カ国による交渉が進められている。アメリカの参加により、アジア太平洋地域を包括する大規模な地

拡大するTPP

TPPの動向

2006年5月チリ、シンガポール、ニュージーランド、ブルネイによる経済連携協定の発効

2010年3月アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナムを加えて第1回目の政府間交渉開始

2010年10月マレーシアが交渉に参加。日本の参加に菅首相が意欲を示す

2011年11月アメリカで行われるAPEC首脳会議までに交渉妥結を目指す

● TPP発効時の加盟国

● TPP発効後に参加表明をした国

● 参加の意向・検討中の主な国

日本の産業はどう変わる!?自由貿易「TPP」が与える影響とは

今月の特集

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EU 28カ国

アメリカ 14カ国

日本 11カ国

中国 9カ国

韓国 8カ国

 また、TPP交渉では、工業製品、農産物、繊維・衣料品等の関税に関する分野が注目されがちだ。しかし、実際は24の作業部会で非関税障壁の撤廃など関税以外の自由化についても話し合われている。例えば、労働、金融や電気通信、政府調達、知的財産権といった幅広い分野で、自由化に向けた統一ルールを取り決め、それに基づいて各国が参入規制の撤廃や法律の改正などを実施する。それが実現すれば、国境を越えて人やサービスが移動すると言われている。

環太平洋地域における多国間のFTA・EPAと位置づけられている。通常のFTA・EPAと比べるとより広い分野で、迅速な貿易自由化が求められる。

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)

EPA(経済連携協定)FTAを柱に、人の移動や投資、政府調達、知的財産権、2カ国間協力など関税以外の広範な分野も対象にしている。

2カ国以上の国や地域が、関税や数量制限などの貿易を制限する措置を撤廃、または削減することを定められている。

FTA(自由貿易協定)

※GCC(湾岸協力理事会):中東・ペルシャ湾岸地域における地域協力機構。サウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェート、バーレーン、オマーン、カタールの6カ国が加盟。

FTA・EPA・TPPの位置づけ 主要国・地域のEPA締結状況

発効済みASEAN・フィリピン・ベトナム・ブルネイ・インドネシア・マレーシア・タイ・シンガポール・スイス・メキシコ・チリ

交渉段階GCC・オーストラリア・韓国

合意・署名済みインド・ペルー

出典:WTO「Trade profiles」各国の主な平均実行関税率(%)TPP対象分野ごとの分類

20

50

10

15

0

5

韓 国

12.1

48.6

6.6

日 本

4.9

21.0

2.5

中 国

9.6

15.6

8.7

米 国

3.54.7

3.3

E U

5.3

13.5

4.0

全品目農産物非農産物

日本の貿易をめぐる状況 TPPに関してはまだ検討段階の日本だが、貿易の自由化には、色々な面から活発に取り組んでいる。その核となっているのがEPAという協定で、日本はすでに11カ国と締結。また、インドやペルーとは交渉を終えており、オーストラリアやGCC(湾岸協力理事会)※等とは交渉中だ。TPPは、この協定の拡大版ともいうべき多国間協定である。 肝心な日本の関税率を見てみると、農産物の単純平均は21%とな

っており、アメリカやEUに比べてかなり高い。しかし、全品目で見ると決して高いとはいえない。鉱工業等の非農業部門では、日本は主要国の中でも最も低い数字であり、輸送機械や一般機械は全品目が無関税となっている。全体として考えると、すでに日本は「貿易の自由化=開国」しているといえるだろう。 TPPは日本にどのような影響を与えるのか、参加不参加を考える時にどのようなポイントがあるのか、考えてみよう。

非関税分野

関税分野

農業工業 繊維・衣料品

金融労働 電気通信

知的財産権政府調達 他16分野

2011年3月現在※EPA締結国の多い順

※左からEPA締結国の多い順

TPP

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農産物の生産減少額※ 4兆1千億円程度

食料自給率(供給熱量ベース)40% ↓14%程度

農業の多面的機能の喪失額 3兆7千億円程度

国内総生産(GDP)減少額 7兆9千億円程度

就業機会の減少数 340万人程度

TPPへの参加は、日本の産業に大きな影響を与えるといわれる。はたして、その影響はどのようなものなのか。これは立場によって見解がかなり異なる。経済産業省や農林水産省、内閣府が発表している各種の試算の一例から考察してみよう。

農産物分野 (農林水産省試算)

 日本がTPPに参加すれば、農林水産業に深刻なダメージを与えると予想している。他国からの安い農産物が大量に輸入されれば、価格競争で劣る日本の農産物は不利となる。特に米や乳製品など高関税により保護されてきた農産物にその影響は顕著だろう。また、その影響は農作物のみならず、農薬や肥料、輸送などの関連産業、洪水や土壌崩壊の防止、水質浄化、気候緩和等農業によって支えられていた農業の多面的価値にも及び、GDPの減少額は、7.9兆円に達すると予想される。

(試算の前提)米、小麦、甘味資源作物、牛乳乳製品、牛肉、豚肉、鶏肉、鶏卵等、19品目を対象として試算。 ※国産農産物を原料とする一次加工品(小麦粉等)の生産減少額を含める。

(出所:内閣府 「EPAに関する各種試算」)

(試算の前提)金額は2008年度名目GDPより算出。分析にはGTAPモデルを使用。参加は、100%自由化が行われた場合。不参加は、日本がTPPに参加せず、EU・EPA、日中・EPAも締結されない中で、韓国が米国、EU、中国とそれぞれFTAを締結し、TPPが8カ国(韓国未加入)で発効された場合。

(出所:内閣府 「EPAに関する各種試算」)

TPPが与える影響

全体の経済効果 (内閣府試算)

 日本がTPPに参加して完全自由化が行われると、GDPが現状よりも2.4~3.2兆円増加し、経済成長率を0.48~0.65%押し上げる。さらに、TPP参加に加えて中国とEUとEPAを結び、それぞれで自由化を100%行うことができれば、GDPは6.1~6.9兆円増え、経済成長率は1.23~1.39%まで伸びる。しかし、日本がTPPに不参加で、韓国が米国やEU、中国とFTAを締結した場合には、0.13%マイナスになるという。

工業製品分野 (経済産業省試算)

 日本がTPPに参加せず、中国やEUとEPAも締結しない場合には、アメリカやEUなどと独自に自由貿易協定を結んだ韓国が競争力を高めて躍進する。その結果、2020年時点での日本の自動車、機械産業、電気電子の輸出額は、アメリカ、EU、中国の総計で8.6兆円と現在より2割以上もダウンし、GDPが10.5兆円も減少するとしている。また、多くの失業者が生まれると予想される。

2020年の輸出額

米国 EU 中国 3地域合計

輸出総額(兆円) 12.2 8.6 17.8 38.6

輸出減少額・試算(兆円) ▲1.5 ▲2.0 ▲5.1 ▲8.6

経済波及効果・産業連関分析(兆円) ▲3.7 ▲5.0 ▲11.9 ▲20.7

GDP換算(兆円) ▲1.9 ▲2.6 ▲6.1 ▲10.5

雇用者(万人) ▲13.7 ▲18.4 ▲49.1 ▲81.2

(試算の前提)日本がTPPに不参加のままではEU・中国とのFTAも遅延すると仮定。日本がTPP、EUと中国のFTAいずれも締結せず、韓国が米国・EU・中国とFTAを締結した場合、自動車、電気電子、機械産業の3業種(3市場向け輸出の5割相当)について、2020年に日本製品が米国・EU・中国で市場シェアを失うことによる関連産業を含めた影響を試算。

(出所:内閣府 「EPAに関する各種試算」)

TPP不参加が与える影響

TPPがGDPに与える影響TPP参加が与える影響

-0.2-0.4 0 0.2 0.4 0.6 0.8 1.0 1.2 1.4 1.6 1.8(%)

0.48~0.65%増(2.4~3.2兆円増)0.48~0.65%増(2.4~3.2兆円増)TPP参加

0.36%増(1.8兆円増)0.36%増(1.8兆円増)日米EPA締結

0.13%減(0.6兆円減)0.13%減(0.6兆円減)TPP不参加TPP不参加

0.66%増(3.3兆円増)0.66%増(3.3兆円増)日中EPA締結

1.23~1.39%増(6.1~6.9兆円増)1.23~1.39%増(6.1~6.9兆円増)TPP参加+中国・EUとEPA締結

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1958年生まれ。東京大学法学部卒業後、ウィスコンシン大学で経済学博士号取得、ニューヨーク州立大学オルバニー校助教授を経て、2000年から現職。ASEAN+6の政策研究を担う国際機関

「ERIA」に参加。著書に『国際経済学入門』(日本評論社)など。

木村 福成氏

慶應義塾大学 経済学部教授

1958年三重県生まれ。東大農学部卒業後、農林水産省入省。九州大学教授などを経て2006年から現職。農協共済総合研究所客員研究員を務める。政府の食料・農業・農村政策審議会委員も務めた。著書に『現代の食料・農業問題』(創森社)など。

鈴木 宣弘氏

東京大学大学院 農学生命科学研究科教授

識者に聞くTPPのポイント様々な観点があるTPPについて、識者の考えを伺った。

TPPの意義は「仲間作り」「ルール作り」「貿易自由化」 TPPは、日本にとって3つの意義があります。1つは「仲間作り」です。中国をはじめ新興国の台頭を背景に、もう一度アメリカとの結びつきを強め、東アジアとのバランスをとりながら多面的な国際関係を築くことが求められています。そのための重要な布石であるTPPに参加すれば、日本の交渉力が高まり、経済外交の自由度が増すことになります。 2つめの意義は「ルール作り」。TPPでは、24の作業部会でさまざまなルール作りが行われています。それは中国をはじめとする新興国の目標となるべき国際ルールであり、日本にとって厳しいルールではありません。特に電気通信サービス、金融サービス等の分野では、日本の自由化はかなり進んでいます。TPP参加によって追加的な変革を迫られる分野は、限定的だと考えられ

ます。 3つめの意義は「貿易自由化」。TPPでは物品の関税は例外なく、10年以内にほぼ100%撤廃するのが原則。関税撤廃により、日本の農業に大きな打撃を受けると一部でいわれます。しかし、すでに野菜や果物等多くの品目の関税率は低く、国際競争の中で十分競争できています。また、現在高関税に守られている米などは、国内的に補助金などでカバーすれば問題はないと考えます。農家の所得減少を全部補償したとしても、現在消費者が高価格によって負担している保護コストよりは小さくなります。 アジアにおける日本の経済的地位は低下しています。TPPというソフトパワーを活用すれば、日本の新たな経済外交の基盤を築き、再び存在感を発揮することができるはずです。

TPP参加で危惧される地域経済の崩壊 日本の農業はすでに「開国」状態にあります。約9割の品目には10%を切る低い関税しか設定されておらず、高関税が維持されているのは米、小麦、大豆、乳製品等1割程度の品目だけです。その1割はいわば日本の食料の最後の砦。TPPに参加して、その砦まで開放すれば、カロリーベースで約40%しかない食料自給率は更に低下するでしょう。それによって水田が減少し、農村が衰退し、地域経済やコミュニティーの崩壊を招くと考えられます。また、輸入牛肉などの食品の安全基準の緩和や、遺伝子組み換え食品の表示義務の撤廃なども予想されることから、日本の食料事情は大きく変わります。 関税を撤廃しても補助金等で補償すれば、農業は衰退しないという議論があります。しかし、1俵あたり約1万4,000円の日

本の米の生産費と、輸入米の価格約3,000円との差額を補填するとなれば、莫大な財源を捻出しなければいけません。関税撤廃によって1兆円近い関税財源が喪失することもあわせて考えれば、これはかなり困難です。 TPPでは非関税障壁の撤廃も求められることから、公的医療保険の崩壊や医療格差の拡大、外国人雇用の増大など、国民生活の根幹に関わる大きな変化がもたらされる可能性もあります。 こうしたことから、TPP参加・不参加を拙速に決めるのではなく、時間をかけて議論すべきだと思います。今後の日本にとって重要なのはアジア市場であり、TPPにこだわるよりも、アジアを中心とした柔軟な自由貿易協定を追求するほうが現実的ではないでしょうか。

政府はTPPへの参加意欲を表明しているが、まだ見通しは不透明だ。参加のメリット・デメリットは識者の間でも意見が分かれ、参加の是非についても賛否両論が渦巻いている。だが、今後も世界の自由貿易の流れが加速することは間違いない。すでに国境をまたいだビジネスは当たり前になっており、それにふさわしい環境作りは各国にとって避けて通れない。それだけに、どんな業界にとってもTPPは他人事ではない。TPPに関心を持ち、今のうちから十分な情報収集に努めておこう。

TPP


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