幸福度は出生率に影響を与えるか
長倉大輔研究会
熊谷臣介
平野竜一
山岸明日翔
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要旨
▪ 本論では都道府県別のクロスセクションデータを利用し、人々の主観
的幸福度が出生率にどのような影響を与えるかを調査した。
▪ 主観幸福度は内生性が疑われるため、通常の最小二乗法に加えて
操作変数法を使って分析を行った。
▪ 結果、幸福度と出生率の間に有意な線形関係は見られなかった。し
かし今回の分析には内生性、サンプルサイズに問題があり、直ちに
両者の無相関を主張するのは早計であると考える。
▪ 今後の展望として、非線形関係を調査するためにサポートベクターマ
シンの利用をしたり、サンプルサイズを大きくするためにミクロデータ
を用いたりすることを考えている。
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問題提起
▪ 出生率の高低を様々な経済変数によって説明しようとする論文は多数あるが、説明変数として人々の幸福度に着目した論文は少ない。ここで、以下の一節を読んで欲しい。
▪ 「人は、みずから一度よく考えて見るべきだ。子を産ませる動作が、生理的な欲求でなく、快楽をともなうものでもなく、純粋に理性的な熟慮を要すべき問題であったとしたならば、その場合にも、けだし、人類は、なお存続するであろうか?おそらくは、すべての人が、来るべき世代─生れてくるであろう子女─に、生存の重荷を、むしろ負わせまいとする、ただ、そ
れだけの同情心をも起さぬ・というようなことはないであろう。或いは、少なくとも、その重荷を冷酷にも生れてくるであろう子女に負わせることを、わが身にひきくらべて、考えても見ずにすませられようか?──」
ショーペンハウエル著「自殺について」より
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問題提起
▪ ショーペンハウエルによる記述はかなりの極論だが、ここで示唆され
る「幸福感の低い人間が子供を産むことを躊躇う可能性」には一考
の価値があると考える。
▪ ユニセフが2020年に公開したReport-Card-16-Worlds-of-
Influence-child-wellbeingに依れば、日本の子供の精神的幸福度は
調査対象の先進国38ヵ国中37位と極めて低い。もし上の仮説が真
であり、今の子供たちが低い幸福感のまま再生産年齢に達したらど
うなるだろうか。出生率は幸福度を考慮せずに算出した予測よりも低
い値をとることになるだろう。出生率の予測は年金積立制度にも利用
されており、最悪の場合、将来財政が立ち行かなる危険もある。
▪ 従って、本論において出生率と幸福度の関係性を調査することには
社会的意義がある。
z 先行研究紹介
▪ 都道府県別のクロスセクションデータを用いた少子化分析の先行研
究の中では、田辺・鈴木(2016)が網羅的である。人口,住居,経済,
医療,福祉,教育,生活分野から選択した68種もの説明変数をサ
ポートベクターマシンにより分析し、婚姻率、女性喫煙率、デキ婚率、
男性失業率など13の変数が出生率への寄与度が高いとした。ただ
し、主観幸福度は68種の説明変数に含まれていなかった。
▪ 出生行動の説明変数として主観的幸福度を用いた先行研究には、
樋口・深堀(2011)がある。樋口・深堀は日本の既婚女性を追跡調
査したパネルデータをサバイバル分析し、幸福度に関する変数は第
1子出産、第2子以降出産のいずれにも有意でないとした。本論では
対象を既婚女性に限定せずに分析をする点で、樋口・深堀と差別化
を図っている。
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主要データ源
▪ 出生率
2010年の都道府県別出生率(平成22年度人口動態統計特殊報告)
▪ 主観幸福度
鈴木・田辺(2016)の作成した主観幸福度指標(1978年から2012年
の間に調査された主観的幸福度のデータ5種類の偏差値の平均をとっ
て作成された得点表)
および、そのもととなったデータのうちサンプルサイズが10000を超
える2種(文部科学省「地域の生活環境と幸福感についてのアンケート
調査」(2010),大阪大学21世紀COE「くらしの好みと満足度について
のアンケート調査」(2003-2006) )
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分析① 標準化回帰
▪ 標準化回帰は重回帰分析のように、説明変数が1単位増加したこと
による被説明変数の限界増加量を知ることは出来ない。
▪ 一方、説明変数同士の係数を比較する事よって単位に関わらず寄
与率の大きさを比較できる利点がある。
▪ 本論では幸福度が出生率に影響を与えるか否かのみではなく、与え
る影響の大きさにも興味があるので標準化回帰を採用した。
▪ モデル式
▪ 出生率=𝑎 + 𝛽1幸福度指標+σ𝛽𝑖その他の外生変数
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標準化回帰分析結果
推定式a 推定式b 推定式c
係数 t値 係数 t値 係数 t値
定数項 0.0000 0.000 0.0000 0.000 0.0000 0.000
主観的幸福度(総合) 0.0128 0.113
主観的幸福度(文科省) -0.0409 -0.418
主観的幸福度(大阪大) -0.0706 -0.677
婚姻率 0.3278** 2.051 0.3322** 2.112 0.3497** 2.199
女性喫煙率 -0.4349*** -3.64 -0.4991*** -3.753 -0.5066*** -3.807
デキ婚率 0.7881*** 4.737 0.7646*** 4.499 0.8036*** 4.876
男性失業率 -0.2018 -1.425 -0.193 -1.352 -0.2251 -1.567
病床数 0.2345 1.583 0.2424 1.633 0.2426 1.647
女性管理職率 -0.2089* -1.777 -0.223* -1.897 -0.2389* -1.978
犯罪率 -0.1888 -1.472 -0.2018 -1.576 -0.1803 -1.428
気温 0.1179 0.709 0.1159 0.699 0.1214 0.735
非正規労働者割合 -0.0572 -0.396 -0.0581 -0.405 -0.0594 -0.415
30代女性就労率 -0.1469 -0.705 -0.1762 -0.857 -0.1839 -0.925
児童福祉費 -0.0072 -0.065 -0.0057 -0.051 -0.0028 -0.025
消費支出 -0.0964 -0.762 -0.105 -0.866 -0.111 -0.915
妻育児時間 0.1896 1.705 0.1949* 1.761 0.1666 1.441
z①標準化回帰_分析結果
▪ 標準化回帰分析の結果、3種類の主観幸福度のデータのどれを説明変数に用い
た場合でも、主観的幸福度と出生率の間に有意な関係は見られなかった。
▪ その他の変数に関しては、婚姻率、女性喫煙率、デキ婚率、女性管理職率が全
てのモデルで有意な相関を示した。
▪ 妻育児時間は文科省の主観的幸福度を用いたモデルb でのみ有意な相関を示
した。
▪ 係数を比較するとデキ婚率の正の影響が最も大きく、次いで女性喫煙率の負の
影響、婚姻率の正の影響の順で大きかった。
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分析② 操作変数法
▪ 出生率と幸福度は双方向に影響を与えている可能性があり、説明変数
と誤差項が相関する内生性の問題が生じている可能性がある。
▪ 内生性の問題は推定結果にバイアスを生じる。説明変数と強く相関し、
誤差項と無相関であるような操作変数を組み込む操作変数法を用いる
ことで、一致性を確保することが出来る。
▪ 今回は操作変数として、1000人当たり自殺者数と精神科外来来院者数
を用いた。これらはいずれも主観的幸福度との有意な相関が認められ
た。
▪ また、OLSで無相関とされた係数は説明変数から排除した。
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②操作変数法_分析結果
自殺割合モデル 精神科外来モデル
係数 p値 係数 p値
定数項 -0.2779 0.9368 8.4439 0.7153
主観的幸福度 0.0252 0.7041 -0.1403 0.749
婚姻率 -0.0157 0.9572 0.7094 0.7132
女性喫煙率 -3.1511 0.3973 -12.0449 0.6175
デキ婚率 0.0286 0.2154 -0.0275 0.8545
女性管理職率 0.0019 0.9694 -0.1153 0.7161
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②操作変数法_分析結果
▪ 操作変数法の結果、全ての説明変数のt値は著しく減少し、有意な相
関が認められるものは一つもなくなった。
▪ 操作変数法は一致性はあるが効率的ではないため、今回のサンプ
ルサイズn=47では少なすぎたのが問題と考えられる。
▪ 対策としてはパネルデータを利用することが考えられるが、主観的幸
福度を長期にわたって同じ方法で収集したデータは存在しないため、
実現不可能である。
zまとめ
▪ OLS及び2SLSの結果、主観的幸福度と出生率には有意な線形関係は認
められなかった。
▪ しかし、OLSの推定結果は内生性の問題があるので信頼に足らず、2SLS
の推定結果はサンプルサイズの小ささが故に満足できるものでは無い。今
回の分析結果より、人々の幸福度と出生率に関係が無いと結論付けるの
は性急である。
▪ 今後は非線形関係を調査するためにサポートベクターマシンの利用をした
り、サンプルサイズを大きくするためにミクロデータを用いたりして、幸福度
と出生率とが本当に無関係なのか調査を進めたい。
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参考文献
▪ 田辺和俊・鈴木孝弘『出生率の都道府県格差の分析』 2016a
▪ 鈴木孝弘・田辺和俊『幸福度の都道府県間格差の統計分析』 2016b
▪ 樋口美雄・深堀遼太郎『女性の幸福度・満足度は出産行動に影響を
与えるのか』2011
▪ ショーペンハウエル、石井立訳『自殺について』 角川学芸出版
(kindle版)、 2013、位置No.2233
▪ Unicef 『Report-Card-16-Worlds-of-Influence-child-wellbeing』
2020