へブル語のアラカルト
わたしは「わたしはある」という者である
No.8
【新改訳2017】出エジプト記3章13〜14節13 モーセは神に⾔った。「今、私がイスラエルの⼦らのところに⾏き、『あなたがたの⽗祖の神が、あなたがたのもとに私を遣わされた』と⾔えば、彼らは『その名は何か』と私に聞くでしょう。私は彼らに何と答えればよいのでしょうか。」14 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの⼦らに、こう⾔わなければならない。『わたしはある』という⽅が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」
わたしは「わたしはある」という者である
ֶאְהֶיה ֲאֶׁשר ֶאְהֶיהI am that I am
わたしは「わたしはある」という者である
これはモーセに対して語った神の名前です。旧約聖書には出エジプト記3章14節の⼀箇所にしか出てきません。なぜ!!
さて、この神の名前を何と読むのでしょうか。それぞれ思うところを、下に書いてみてください。
〔 〕
ֶאְהֶיה ֲאֶׁשר ֶאְהֶיה
(1) エヘイェ アシェル エヘイェ(2) エヒイェ アシェル エヒイェ(3) エーイェ アシェル エーイェ(4) エフイェ アシェル エフイェ(5) エイェ アシェル エイェ
ֶאְהֶיה ֲאֶׁשר ֶאְהֶיה
ֶאְהֶיה ֲאֶׁשר ֶאְהֶיהI am that I am
Ἐγώ εἰμι
わたしは「わたしはある」という者である
イェシュアが⾃分のことを「わたしはある」と⾔っています。
【新改訳2017】ヨハネの福⾳書 8章58節イエスは彼らに⾔われた。
「まことに、まことに、あなたがたに⾔います。アブラハムが⽣まれる前から、『わたしはある』なのです。」
※他に、ヨハネの福⾳書の8章24, 28節、13章19節を確認してみよう。「わたしはある」という名前はイェシュアの名前だったことがわかります。
イェシュアは「わたしは〇〇である」と⾔っています。
I am 〇〇〇〇Ἐγώ εἰμι 〇〇〇〇
●これは、「わたしは・・であった」でも、「わたしは・・になるであろう」でもなく、永遠に「わたしは・・である」という意味で、変わらないのです。
イェシュアも「わたしは〇〇である」と⾔っています。
①「わたしは天から下って来たパンです」(ヨハ 6:41)②「わたしは です」(ヨハ 6:48 )③「わたしは です」(ヨハ 8:12) ④「わたしは です」(ヨハ 10:9)⑤「わたしは です」(ヨハ 10:11)⑥「わたしは です」(ヨハ 11:25)
イェシュアも「わたしは〇〇である」と⾔っています。
①「わたしは天から下って来たパンです」(ヨハ 6:41)②「わたしはいのちのパンです」(ヨハ 6:48 )③「わたしは世の光です」(ヨハ 8:12) ④「わたしは⾨です」(ヨハ10:9)⑤「わたしは良い牧者です」(ヨハ 10:11)⑥「わたしはよみがえりです。いのちです」(ヨハ 11:25)
イェシュアも「わたしは〇〇である」と⾔っています。
⑦「わたしが道であり、真理であり、いのちです」(ヨハ14:6)
⑧「わたしは です」(ヨハ 15:1)⑨「わたしは である」(黙 1:8 )⑩「わたしは である」(黙 1:17 )⑪「わたしは である」(黙22:13)
イェシュアも「わたしは・・である」と⾔っています。
⑦「わたしが道であり、真理であり、いのちです」(ヨハ14:6)
⑧「わたしはまことのぶどうの⽊です」(ヨハ 15:1)⑨「わたしはアルファであり、オメガである」(黙 1:8 )⑩「わたしは初めであり、終わりである」(黙 1:17 )⑪「わたしは最初であり、最後である」(黙22:13)
エイェ アシェル エイェ
「わたしはある」という名前は旧約では隠されてきましたが、それがイェシュア⾃⾝の名前であることを、イェシュアが啓⽰(=明らかにすることを)されたのです。
ֶאְהֶיה ֲאֶׁשר ֶאְהֶיה