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The Annual Report of Educational Psychology in Japan201₈, Vol. ₅7, 291-301

企画・司会  伊 藤 裕 子( 文 京 学 院 大 学)話 題 提 供  加 藤 悠 二( NPO 法人虹色ダイバーシティ)話 題 提 供  堀 江 有 里( 日本キリスト教団なか伝道所)話 題 提 供  東   優 子( 大 阪 府 立 大 学)指 定 討 論  湯 川 隆 子( 三 重 大 学)指 定 討 論  松 並 知 子( 武 庫 川 女 子 大 学)

問  題

 昨今,LGBT と盛んに言われ出し,脚光を集めるようになってきた。Lesbian, Gay, Bisexual, Transgenderの略で,性的少数者としてくくられる。日本では同性婚は法律的に認められていない。 しかし,上記はいずれも大人の話であるが,これらが顕著に現れてくるのは思春期で,すでに幼児期や学童期に「他の(同性の)友だちとは違う」ことが本人に認識されている場合も多い。その結果,学校現場でいじめにあったり不登校になったり,また,教師にも理解されないことが多く,さらに,自殺念慮がきわめて高く自尊感情も低いと言われる。 学校教育のなかで,保健体育,家庭科など,性教育や家族形成といったように,外見上の男女を前提に話が進められているが,性別二元性から来る問題と,実際に子どもたちが抱える問題を知り,何が問題で,どのような取り組みが可能かを考えていきたい。

大学における「LGBT 学生支援」

加藤悠二はじめに 大学における「LGBT 学生支援」は,近年大きな動きを見せている。筆者は 2010 年 4 月から 2012 年 3 月末の 2 年間は非常勤助手として,2012 年 4 月から 2017年 3 月末の ₅ 年間は嘱託職員として,国際基督教大学ジェンダー研究センター(以下「CGS」)に勤務した経験を持つ。CGS は研究機関であると同時に,大学内外に開かれたジェンダー・セクシュアリティに関するリ

研究委員会企画シンポジウム 3

今,教育現場で LGBT の子どもたちは

What Problems Do LGBT Children Have in School?

YUKO ITO, YUJI KATO, YURI HORIE, YUKO HIGASHI, TAKAKO YUKAWA AND TOMOKO MATSUNAMI

ソースセンター,コミュニケーションスペースとしても機能しており,LGBT 当事者の学生はもちろんのこと,LGBT に関して興味がある学生や一般の方々,他大学の教職員など,さまざまな方々と接する機会のある現場であった。本稿ではその経験も踏まえながら,大学における「LGBT 学生支援」の現状を,筆者の視点からまとめたい。対応事例 具体的な対応としては,学長・総長による声明(国

際基督教大学, 2017; 京都精華大学, 2016)や,対応に関するガイドライン(国立大学法人筑波大学, 2017; 大阪府立大学, 2017)

など,LGBT 学生への支援の意志や,差別の禁止を明文化する大学も出てきた。 学生課が,在学中の LGBT 学生と共同し,ダイバーシティ推進のための研究チームを設けるケース(京都精

華大学, 2016)や,ジェンダー・セクシュアリティに関するリソースセンターを設置するケース(早稲田大学 GS セ

ンター, 2017)など,既存の学生対応を拡充するケースも見受けられる。特に早稲田大学 GS センターは,大学の中長期計画策定に学生がコンペ形式で参画するプログラムで提案された「日本初! LGBT 学生センターを早稲田大学につくる」を元に実現されたものであり,当事者学生の声を反映させている点に新規性が見られる。 また,大学内の研究機関が,LGBT 学生向けのガイドブックを発行する(国際基督教大学ジェンダー研究セン

ター, 2012, 2016),啓発イベント週間を実施する(関西学院

大学人権問題研究所,2012; 国際基督教大学ジェンダー研究セン

ター, 2012)など,実質的に学生支援を担っている例も存在している。なお,CGS の発行するガイドブックは他大学による引用・閲覧も多く,学生団体が自らの所属する大学に関するガイドブックの制作にとりくむきっかけにもなっている(東京大学 TOPIA, 2017)。 専門性のあるカウンセラーを配備する大学(国際基督

教大学, 2013)や,全学構成員を対象とした実態調査を実

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施した大学(龍谷大学人権問題研究委員会, 2017)もあり,当事者の声の聞き集め方にもさまざまな工夫が見られるようになってきた。大学の取り組みの社会的背景 その背景には,近年メディア等において LGBT という言葉の認知が進んだこと,文部科学省が義務教育課程の教職員に対して「性同一性障害や性的指向・性自認に係る,児童生徒に対するきめ細かな対応等の実施について(教職員向け)」を 2016 年に配布したことなど,LGBT に関する社会的な認知・対応が広がりつつあることが考えられる。 また,大学に関しては,一橋大学法科大学院におけるアウティング(注 : 本人の意に反した暴露)事件(201₅ 年)

とそれを巡った裁判が行われていること(2016 年)にも象徴されるように,大学における人権・尊厳,いじめの問題として,LGBT の課題に真摯に取り組む必要性が浮き彫りになってきていると言えるであろう。当事者の実感 筆者が LGBT 当事者の学生との接触経験からもつ実感として,いわゆる「大学デビュー」に対して,大きな期待を抱いている者が少なくないように思われる。義務教育課程や高校までは,地域や実家に密着した人間関係が形成されがちであるが,大学進学はそれらから離れるきっかけとなるライフイベントのひとつである。これを契機に「『本当の自分』で過ごしたい」といった想いから,自らのセクシュアリティをカミングアウトする学生や,性別移行に踏み出す学生も少なくない。全員ではないにせよ,多くの学生が在学中に成人を迎えることも,そうした変化を後押しするものであろう。 また,大学生になることで,自由に使える時間が増えたり,行動範囲が広がったりする学生も多い。これまでは参加できなかった,LGBT 当事者のピアイベントなどに参加が可能になるなど,自分以外の LGBT の仲間に初めて出会う機会を得たのが大学進学後だったという経験談もよく耳にする。 そして,大学卒業後のキャリア選択も,LGBT 当事者の学生には大きな岐路となる。「小中高の先生はLGBT である自分を助けてくれなかった。自分は同じような境遇の子どもたちを助けられる先生になりたい」

「自分は LGBT 非当事者だが,カミングアウトしてくれたトランスジェンダーの友人に対して,適切な対応を取れなかったことを今も悔やんでいる。ホームルームの時間などできちんと対応ができる先生になりたい」など,自らの経験をバネに,教職課程を志す学生,

「LGBT(の人)が病院にかかりづらい現状を変えたい」と,医療現場を目指す学生など,免許・免状の取得を目指す動機にセクシュアリティが関連する学生たちがいる。また,就職活動において,「履歴書の性別欄をどう記載すればいいのか」「男女別のリクルートスーツが着られない」「LGBT に関するボランティア経験や,卒業論文の内容を,面接の場で話しても大丈夫なのかが分からない/話した結果,次の面接に進めなかった」

「トランスジェンダーであることを話した結果,内定を取り消された」など,セクシュアリティをめぐった困難事例は枚挙にいとまがない。 こうした LGBT 当事者の大学生たちの実感から逆に照射されるのは,大学以前の教育課程や地域社会におけるサポートがない現状や,将来のキャリアの選択肢が LGBT に対しても公正であるとは言い難い実情ではないだろうか。こうした現状に対して,LGBT 当事者の学生が平等な学修機会やキャリア選択のサポートを得られるようにすることは,全ての大学・大学構成員にとって急務であるといえるだろう。結語 今後の「LGBT 学生支援」において根本的に必要なのは,ジェンダー・セクシュアリティに基づく差別がないキャンパス環境を創出し続けていくことであろう。これは,「LGBT 学生」という特定の弱者を救済する,というスタンスで成すことはできない。また,学生向けの支援にとどまらず,教職員のダイバーシティにも目を向け,教職員もカミングアウトしやすい環境・カミングアウトしなくても働きやすい環境を構築していくことが必要である。「LGBT 学生支援」の質は,

「ジェンダー・セクシュアリティをめぐる人権課題として位置づけることができているかどうか」によって問われるべきであろう。

異性愛主義と性別二元論が生み出す差別 ―排除の主体は誰なのか

堀江有里はじめに 昨今,国連においても SOGI(sexual orientation and

gender identity; 性的指向と性自認)をめぐる人権課題が取り沙汰されている。日本においても LGBT(レズビアン,ゲ

イ,バイセクシュアル,トランスジェンダー)という言葉が報道等でもみられるようになり,行政も人権施策のなかで言及するようになった。このようななか,わたしたちの社会には,多様な性をもつ人びとが生きていることを認識できる機会は多くなったとはいえる。これま

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で不可視であった存在が可視化されることは良いことであろう。しかし,そこでとりこぼされている問題もあるのではないだろうか。 本稿では,学校現場の LGBT をめぐる状況を考えるにあたり,これまで性的マイノリティをめぐる相談業務に従事してきた立場から,排除や差別を生み出すマジョリティ規範の問題について検討することを試みたい。性にかかわるマジョリティ規範には,性別二元論と異性愛主義がある。前者は,生物学的にも社会的にも完全に二分することなど不可能な性別を「女」と

「男」という 2 つのカテゴリーに権力関係を介在させて振り分ける規範である。また後者は,振り分けられた2 つのカテゴリーから個々人が一対になることを当たり前とする規範である。 結論を先取りすれば,性的マイノリティの排除や差別を生み出すこれらの規範を問わずに社会的に包摂しようとする姿勢は,いわゆる「対症療法」にすぎず,根本的な問題解決には至らないであろうというのが本稿の主張の根幹にある。この点を問題提起的に検討していきたい。性の多様性をめぐる 2 つの問題 性の多様性が称揚される状況のなかでとりこぼされる問題を大別すると以下の 2 点を挙げることができる。一点目には LGBT という言葉が人口に膾炙することによって,このカテゴリーに含まれる人びとがまるでひとつのまとまりであるかのように錯覚されていることである。とりわけ,性的指向による差別(レズビアン,ゲ

イ,バイセクシュアルに向けられるもの)と性自認をめぐる差別(トランスジェンダーに向けられるもの)が混同されるなかで生じているのは,性的マイノリティの一部のみの可視化であることに注意を向けておく必要があるだろう。そこで生じる大きな問題点は,これまでに差別や排除を生み出してきたマジョリティの規範が問われていないことである。問われていないというよりは,むしろ,可視化は,「市場」(マーケット)や「家族」をキーワードとして,資本主義社会におけるマジョリティの規範への同化を促進する方向で推移してきているのではないだろうか(堀江, 2017)。 二点目として,LGBT という言葉が可視化されることに伴い,日本社会においても,トランスジェンダーをはじめ,性別違和をもったり,性別を移行して生きようとする人びとに対する差別意識(トランスフォビア)

や,同性間パートナーシップを育もうとする人びとに対する差別意識(ホモフォビア)がより一層顕在化してきている状況にあることがあげられる。SNS などイン

ターネット上での言動のみならず,政治家をはじめとした公人による差別的な発言は後を絶たない。性の多様性が表面的には受け入れられつつあるようにみえても,一般的に,実際には身近なところに存在する性的マイノリティに対して嫌悪感や差別意識が強くなる傾向も調査結果として報告されている(釜野・石田・風間・

吉仲・河口, 2016)。 これらの問題点を踏まえると,性的マイノリティの可視化を単に人権問題の一歩前進とみるという認識には問題があることがわかる。すなわち,性的マイノリティというカテゴリーのなかに分断状況が生み出されていると把握することもできるだろう。性的マイノリティの〈生きがたさ〉―業務の事例から では,分断が生み出されている性的マイノリティのうち,可視化や顕在化の「恩恵」に含みこまれない人びとはどのような状況にあるのだろうか。性的マイノリティの置かれた状況はさまざまな場面であきらかになってきている。そのひとつに〈生きがたさ〉がある。ここでは筆者が従事してきた「信仰とセクシュアリティを考えるキリスト者の会(ECQA)」における相談業務の事例から簡単に整理しておきたい。相談として寄せられる内容を分析すると以下の 4 つの類型となる(堀

江, 201₅)。 (a) 孤立:「周囲に相談する人/大人がいない」 (b) 身体的・精神的暴力:「カミングアウトしたこ

とにより,親からの暴力を受けることになった」,「家から出て行けと言われた」

 (c) 信仰的葛藤:「なぜ生きなければならないのか」,「神はわたしに生きろと命じているのか」

 (d) 宗教という場への期待:「真面目な話をする場所がほしい」

 まず,(a)「孤立」について。ECQA の設立(1₉₉4 年)

へと至る発端は,日本社会において同性愛者の人権運動が隆盛になった頃にある。人びとが集まる動機には点在する個々人の「孤立」があった。20 余年を経た現在,匿名性をもって交流のできるインターネットの世界でも情報交換は可能であるし,都市部であれば,性的マイノリティのさまざまなコミュニティは多く存在する。しかし,インターネットについてはアクセス・ツールを利用できない人びとも存在するし,また,コミュニティについては地域格差が大きく横たわっているのも現実である。そのため,「孤立」状態にある人びとは依然として存在する。 また,周囲に自身のセクシュアリティについて話ができる人たちがいたとしても,同年代のみの均一なコ

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ミュニティにおいては,人生経験を自分よりも多く積んでいると相談者が判断する多様な世代の人たちと出会う機会がないというケースもある。このような状況も「孤立」の感覚として語られることがある。 つぎに,(b)「身体的・精神的暴力」について。世代が異なる人びと,とくに家族のなかで葛藤が起こるケースもけっして少なくはない。性的マイノリティであるとカミングアウト(表明)した後,家族や友人・知人などから身体的に,あるいは精神的に暴力を受けているケースも存在する。 さらに,(c)「信仰的葛藤」について。これはキリスト教関連の NGO に特徴的であるが,暴力が引き起こされる直接的原因として聖書テクストが引用され,キリスト教信仰と性的マイノリティであることとが相容れないものとして,後者が否定されたり,拒絶されたりする場合もある。実際には,古代文書のなかに現代社会を生きる性的マイノリティを直接的に断罪するテクストは存在しないが,解釈がそうさせるケースである。また,そのような解釈は,他者から信仰的理由による否定や拒絶を惹起するのみならず,自身の信仰とアイデンティティが相容れないがゆえに強い葛藤を起こしているケースも少なくはない。ときにはこのような「信仰的葛藤」によって自己否定へと追いやられ,自ら命を絶つ,あるいは絶とうとする状況に追いこまれる場合もあるので深刻な問題だといえる。 そして,(d)「宗教という場への期待」については,

(c)がキリスト教を背景としてもつ人びとのケースであることと比して,“一般社会”(宗教集団以外)の性的マイノリティのコミュニティに参加してみたものの,そこで求められるコミュニケーションがポジティブなストーリーであり,なかなかネガティブな内容を分かち合うことができなかったという経験をした人びとのケースである。もちろん,場やそこに参加している人びととの相性の良し悪しやタイミングについては個人差があることは否めない。かれらにみられるのは,宗教者であれば,ネガティブな,暗い話であっても,真剣に話を聞いてくれるであろうという期待感である。 これらの事例は ECQA の活動の一部であり,一般化することはできないかもしれない。ただ,注意しておくべきことは,孤立状態にある人びとの多くは,そのほかの生活困難の要素―精神的な病・障害,貧困,家族関係,など―を重複して抱えており,日常生活のなかにセイフティ・ネットが存在していないということである。この点については“一般社会”との共通点がみられるであろう。

行政施策をめぐる光と影 このような〈生きがたさ〉への解決に向けて,2000年代に入り,行政もさまざまな動きを生み出してきた

(谷口・石田・釜野・河口・堀江, 2017)。もちろん,行政が主導で動きを生み出したというよりは,その背景に性的マイノリティ当事者を中心とした活動の積み重ねがあることは言うまでもない。 たとえば,大阪市淀川区「LGBT 支援宣言」(2013 年

₉ 月)や沖縄県那覇市「『性の多様性を尊重する都市・なは』宣言」(レインボーなは宣言,201₅ 年 7 月)のように性的マイノリティの人権に関する文書を発行するケースもあれば,条例制定(東京都渋谷区)や要項作成(東京

都世田谷区,三重県伊賀市,兵庫県宝塚市,北海道札幌市,沖縄

県那覇市)によって「同性パートナーシップ証明」を行政が発行するケースもある。 とくに東京都渋谷区の条例策定(「男女平等及び多様性

を尊重する社会を推進する条例」201₅ 年)についてはマスコミ等でも広く取り上げられ,話題となった。この条例は「男女の人権の尊重」と同時に「性的少数者の人権の尊重」を掲げており,性的マイノリティを施策の対象として定めた画期的なものではある。しかし,同性パートナーシップ証明の発行のみが過大に注目された結果,①報道と現実とのギャップ,②他施策との「齟齬」が批判されることとなった。前者については,法的効力がなく,公正証書の提出義務があるために金銭的コストがかかるにもかかわらず,「結婚相当」などの報道がなされたことで,ミスリーディングが誘発されることとなった。また,後者については,条例提案者の長谷部健区議会議員(後に区長)がかかわっていた区内の公園管理をめぐる施策とのあいだに差異があると指摘されるに至った。企業に公園管理を委託することにより,そこで生活している野宿者を排除する,また野宿者たちに食糧を提供していた支援者団体の炊き出しをも追放するという手段をとったためである。まさに生存の問題であるとの批判の声が性的マイノリティの団体からも挙がることとなった。ここでもまた,性的マイノリティの分断状況が生じたのである。 元来,野宿者の人権と,性的マイノリティの人権とは別の課題であるとの指摘がなされることもある。しかし,当然のことながら,野宿者のなかにも性的マイノリティは存在する。領域横断的な人権課題の考察が必要であろう(堀江, 2017)。おわりに―諸課題の架橋にむけて 本稿では,性の多様性が称揚されるなかで取りこぼされていくもの,忘却されていくものに焦点を絞り,

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いくつかの事例をみてきた。ここで立ち返るべき問いは,不可視化されるものではなく,不可視化している側に向けられるべきであろう。すなわち,少数者を排除して来たのは誰か,もしくは何かという問いである。 性的マイノリティに限らず,少数者をめぐる人権課題の多くは,当事者が声をあげること,すなわち,クローゼットから出ること(coming out of the closet)によって問題の俎上に載せられてきた。性別二元論と異性愛主義という規範は,性的マイノリティのみならず,男女一対の生き方を選択しない,あるいは選択できない人びとをも排除や差別の対象にしてきたことに思いを馳せておきたい。たとえば,シングルマザーや離婚経験者,DV 被害のただなかにありながらも加害者から離れることのできない人びととも,課題は共有できるはずである。フェミニストの法哲学者ドゥルシラ・コーネルは,考えることすら奪われていたものを取り戻す回路を見出す可能性を論じ,「イマジナリーな領域」を取り戻すことの必要性を論じた(Cornell, 1₉₉₅,

1₉₉₈ 石岡他訳 2001)。貧困や格差の広がる現代社会のなかで,負のスティグマを貼られた人びとや,〈生きがたさ〉を抱えた人びとが共通点を見出し,規範を問いつづけることが必要とされている。どのように架橋することができるのか,理論と実践を追求するなかで具体的に考察しつづけることが,今後の筆者の課題である。

SOGI/E の多様性と学校教育

東 優子はじめに 21 世紀は「人権の世紀」だと言われる。未曾有の悲劇と破壊をもたらした第二次世界大戦の経験と反省を踏まえた「世界人権宣言」(1₉4₈ 年)にはじまり,人種差別,女性の人権,子どもの人権など,人権保障の基盤となる国際人権法の分野は急速な発展を遂げてきた。性的マイノリティ/LGBT の人権に関する議論はしかし,異なる宗教・文化をもっぱらの背景として,「国連のタブー」とも言われてきた。こうした長い沈黙を破ったのは,2007 年の国連人権理事会で公表された「ジョグジャカルタ原則」(正式名称:性的指向とジェンダー・アイデ

ンティティに関連した国際人権法の適用上ジョグジャカルタ原則)

である。近年の国連はこれまでにない高い関心を注ぎ,具体的な取り組みをさまざまに展開している。 日本の動向が劇的に変化したのも,最近のことである。1₉₉0 年代に起こった「府中青年の家」事件と,その原告となった同性愛者の団体 OCCUR(アカー)がほぼ全面勝訴した裁判で重要な教訓が示されながら,性

的マイノリティ/LGBT の人権に関する公の議論については,やはり長い沈黙が続いてきた。「性同一性障害」をめぐる医療・法律が整備され,学校や職場で具体的な対応が要請されるようになったことから徐々に,性的マイノリティ/LGBT の人権問題へと関心が広がっていった。用語の変遷とスティグマ・差別・偏見の歴史 SOGI と は,性 指 向(sexual orientation)と ジ ェ ンダー・アイデンティティ(gender identity)の頭文字を組み合わせたもので,「ジョグジャカルタ原則」以降に使用されるようになった用語である。これにジェンダー表現(expression)を加えて SOGI/E,あるいはインターセックスなどの性的特徴(sexual characteristics)を加えてSOGISC と表記されることもある。「性的マイノリティ/ LGBT」が「誰」を指す用語であるのに対して,「何」に焦点化したもので,アイデンティティをめぐる政治を排除したところで議論できることもあり,国際社会での使用頻度が高まっている。 レズビアン(lesbian),ゲイ(gay),バイセクシュアル

(bisexual),トランスジェンダー(transgender)の頭文字を組み合わせた LGBT は,当事者運動から生まれた用語である。国連の刊行物や国際的な議論の場で,「性的マイノリティ」にかえて頻用されている。4 つの集団に限らず,「LGBT など」という意味で使用されており,インターセックス(intersex)やクィア(queer),クェスチョニング(questioning),エイセクシュアル(asexual),パンセクシュアル(pansexual)などの頭文字が追加されることもある。国内のマスメディアに登場するようになったのは,2013 年前後のことである。 日本では,行政用語でもある「性的マイノリティ」が使われることのほうが多い。この語は,「性的倒錯者」などに込められたスティグマを払拭する意味を込めて,1₉60 年代に造語された。 こうした用語の変遷には,「性的マイノリティ」に付与されたスティグマ,差別・偏見の歴史が刻まれている。昨今は盛んに「多様性の尊重」や「みんな違って,みんないい」と言われるが,実際に議論している対象範囲は実は狭い。活かされなかった「府中青年の家」の教訓 冒頭に登場する東京都の公共宿泊施設「府中青年の家」で起こった事件とその教訓というのは,同性愛者の団体が他の利用者から差別的言動を受けたことに端を発し,当時の所長や東京都教育委員会が「その職務を行うにつき過失があった」ことを明らかにしたものである。1₉₉7 年の東京高裁の主文では,次のように述

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べられた。「平成 2 年当時は,一般国民も行政当局も,同性愛ないし同性愛者については無関心であって,正確な知識もなかったものと考えられる。しかし,一般国民はともかくとして,都教育委員会を含む行政当局としては,その職務を行うについて,少数者である同性愛者をも視野に入れた,肌理の細かな配慮が必要であり,同性愛者の権利,利益を十分に擁護することが要請されているものというべきであって,無関心であったり知識がないということは公権力の行使に当たる者として許されないことである。このことは,現在ではもちろん,平成 2 年当時においても同様である」。 2002 年に閣議決定された「人権教育・啓発に関する基本計画」には,同性愛者への差別といった性的指向に係る問題の解決に資する施策の検討を行うことが盛り込まれた。またこれを受けて,法務省人権擁護局が

「性的指向を理由とする差別」を人権課題の重点項目のひとつに加えた。「性同一性障害」への社会的認知が高まり,2004 年に戸籍上の性別変更を可能とする「特例法」が施行されてなお,「問題」は医療や司法という狭い領域内に留まり続け,学校や地域社会ではほとんど何も取り組みがなされてこなかった。国内の動向 事態が大きく変化したのは,2010 年に文科省が性同一性障害への対応徹底を求める事務連絡を発出した頃からである。2012 年に閣議決定された「自殺総合対策大綱」では,「自殺念慮の割合等が高いことが指摘されている性的マイノリティについて,無理解や偏見等がその背景にある社会的要因の一つであると捉えて,教職員の理解を促進する」と明記された。2013 年に

「LGBT 宣言」を発表した大阪市淀川区など,地方自治体の取り組みも始まった。201₅ 年 11 月には,日本で初めて,渋谷区と世田谷区が同性同士のカップルが

「結婚に相当する関係」にあることを認める証明書を交付した。この「同性パートナーシップ制度」の導入は,三重県伊賀市,兵庫県宝塚市,那覇市,札幌市など,複数の自治体に広がっている。さらに,2013 年交付の厚労省「男女雇用機会均等法」指針には,同性間の言動もセクシュアル・ハラスメントになることが盛り込まれ,2016 年に人事院が発令した規則は,これよりさらに明確に「性的指向若しくは性自認に関する偏見に基づく言動」が国家公務員におけるセクシュアル・ハラスメントに含まれることを明記している。201₅ 年には,超党派による「性的少数者問題を考える国会議員連盟」が発足し,LGBT の人権に関する包括的な法律の制定に関する検討も始まった。

「対応事例」の功罪 一連の動向において,教育現場に最も大きな影響力を与えたのは,201₅ 年に文科省が発出した通知である。これは,翌年に発表された冊子『性同一性障害や性的指向・性自認に係る,児童生徒に対するきめ細かな対応等の実施について(教職員向け)』のタイトルにも明らかなように,同性愛者など性的マイノリティに言及して,きめ細やかな配慮を要請するもので,性同一性障害に係る具体的な対応事例も紹介した内容となっている(事例は,2014 年に実施された初の全国調査の結果を踏まえた

ものである)。 日高庸晴・宝塚大学看護学部教授らの調査によれば,2016 年末までに性的マイノリティ/LGBT をテーマとした教員研修や人権研修が実施した全国の教育委員会は,₉ 割を超えるという。同様の研修や講演会を開催する企業も急増しているところである。 文科省の通知は,画一的な対応を求めるものではなく,むしろ個別の事例における学校や家庭の状況に応じ,学校内外のサポートチームなどを通じて実施していくものを要請する内容だったが,実際には,対応事例に倣った画一的な対応によって,児童生徒が新たな問題に直面しているという声も聞く。 例えば,男女別のトイレについては,職員用や多目的トイレの使用を「許可する」と事例が紹介されており,ほとんどの学校がこれに倣っている。(未成年者なの

で戸籍上の性別変更もできないため)出生時の外性器に基づいて割り当てられた戸籍上の性別と異なる男女別トイレの使用は認められない。しかし,「許可する」というのは,合理的配慮を要請した本人の選択肢が増えることを意味しない。 本人にとってはむしろ,望む男女別トイレが教室のすぐ側にあったとしても,その使用が禁じられている状態に置かれることになる(注 : 多目的

トイレは使用できても,自分が望む性別のトイレは使用できない)。 こうした対応において重視されるのは,「周囲の理解・周囲への配慮」である。戸籍上の男子・男性が女子トイレ・更衣室を使用できるようにすることでいたずらやハラスメント(一般社会では性犯罪)が起こることへの不安と懸念,あるいは他の生徒たちが精神的負担を被らないようにするための配慮が重視される。 かつて,同性愛についても同じようなことが「排除」を正当化する理由として主張されてきた。前述の「府中青年の家」裁判でのことである。「同性愛という性的指向を,性的自己決定能力を十分にもたない小学生や青少年に知らせ混乱をもたらすこと自体が問題である」と東京都は主張したが,敗訴した。

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 また,合理的配慮を求めている本人以外によるいたずらやハラスメントが懸念されるからといって,施設利用を禁止あるいは制限するということが許されるのだろうか(学校内施設とそれ以外の公共施設を同列に語ること

にも問題を指摘することができる)。特定の人種・民族における犯罪率が高いことを理由に,同じ属性をもつ(が,

しかし犯罪とは関係のない)個人の施設利用を制限するようなことがあれば,「差別」として糾弾されるはずである。 別の角度からも,「配慮事例」のありかたについて検討する必要がある。他の生徒と異なる制服を指定される,異なる行動を取らなければならない状況に置かれた LGBT の児童生徒たちが他の周囲の好奇心にさらされることは容易に想像できる。そのことがアウティングにつながることもある。おわりに 「ダイバーシティ&インクルージョン」は,現代社会のキーワードである。ここで重要なのは,多様でかけがえのない個人が平等・公平に情報・機会にアクセスできるよう,環境の調整を図ることである。同時に,マジョリティにとっての「常識」を見つめ直し,文化や態度・価値のありようを問い直すことである。 様々な研修・講演で「LGBT についての正しい知識・理解」が重要だと強調されるが,LGBT や性的マイノリティに関する「正しい知識」などは存在しない。ステレオタイプ化された知識を普及するより,「性の多様性」の意味を再確認することから始めたほうがよい。

指定討論

LGBT はつくられる―発達心理学の観点から湯川隆子

はじめに LGBT に代表される性的マイノリティについては,マスコミやメディアですでに多くの注目を集め,公共の場や教育現場での周知も進み,多くの提言や施策も実施され始めている。 現代社会のキーワードである多様性に関わる「ダイバーシティ&インクルージョン」の議論も活発化している。東報告は,多様でかけがえのない個人が平等・公平に情報・機会にアクセスできるよう環境の調整を図ることと同時に,マジョリティにとっての「常識」を見つめ直し,文化や態度・価値のありようを問い直すことが重要であると指摘している。堀江報告も同様に,性的マイノリティの置かれている状況,すなわち,マジョリティからの差別や排除,性的マイノリティの

中での多様性と分断状況,マイノリティ性差別と貧困,家族,精神的困難などが連動して生起している現況を実践活動から指摘し,警鐘を鳴らしている。 このような現実が存在するにもかかわらず,LGBTを含む人間の性に関わるこれまでの発達研究は,こうした課題に本格的に取り組む姿勢や研究的準備をまだ整えられていないと言わざるを得ない。 本論でははじめに,LGBT などに対する差別の解消運動や支援活動について意見を述べ,次いで,LGBTを含む性に関わる差別問題について,発達の立場から新たな理論構築の必要性を提案したい。LGBT に対する差別解消運動や支援活動について―運動的・理論的に系統性,統合性をもった柔軟で継続性のあるプログラムやプロジェクトを作成することの必要性 LGBT がすでに幼少期からみられる現象であることは周知の知見であり(湯川, 2012),幼稚園,保育園,小・中学校の現場では様々な対応や取り組みがなされてきているが,今回大学における,例えば加藤の活動報告に際し,進展の遅さがあらためて痛感される。また,対応や取り組みには様々な変化が出てきてはいるが,それらには,知識や認識の不十分さがみられ,かつ,LGBT の多様性や個別性へのきめ細やかな対応には程遠く,一定性や画一性が求められがちであると東報告や堀江報告から指摘がなされている。 LGBT などが幼少期から出現する発達現象であることを明確に認識するなら,発達の主体である幼児や児童,青年,成人,老人など個々人の発達段階や状況,個人差に応じた一貫性や系統性,統合性をもった柔軟で継続性のあるプログラムやプロジェクトの作成がぜひとも必要である。大学時代に限定されたものではあるが,加藤報告の取り組みは発達を視野にいれたプログラムの 1 事例とみなせよう。差別解消のために性に関わる発達理論を再構築することの必要性 マイノリティとされる LGBT に対する差別解消運動や支援活動を契機として,性差別解消のための理論的バックグラウンドとして,マイノリティだけでなく,メジャーとされていた性に関わる発達理論そのものを再構築することが是非とも必要と考える。意図的にせよ無意図的にせよ,発達理論の多くは,現実の人間の成長や発達の姿を描くとともに,人間のあるべき発達の姿や理想像を提示するという価値観や目標を必然的に内包している。性に関わる発達理論も,これまで積極的に性に関わる価値観や規範を人々や社会に提示し

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てきたといえる。従来の性に関わる発達理論は,人間は男か女かのどちらかという「性別二元性」に則って,政治,経済,法律,歴史,宗教,イデオロギーなどの社会・文化的体制や伝統的規範や慣習に基づいて男女差別を是認した発達像を一般的・普遍的法則,つまり,マジョリティの理論として定式化してきた。これらは子育てや家族,教育の「理念」「目的」「常識」の一つとしても強力に機能してきた。 LGBT に限らず,LGBT も含めて性に関わる全ての差別解消のためには,性差別構造を内包している従来の性の発達理論を変革し,新たな発達観に立った理論の構築が是非とも必要である。 性に関わる発達を「個人差」として捉える上での前提条件 本論では,発達科学の立場に立って,性に関わる発達を「個人差」として捉えることを提案したい

(湯川, 201₅)。性に関わる発達を,性別二元性(男女)のカテゴリの中での個人差としてではなく,性を人間の諸特徴の一つと捉え,個々人の主体的な自己の中に統合されていくという発想・発達観を主眼に理論化するものである。この理論仮説を構成する基本的前提条件は次の 3 点である。(a)生涯発達の視点から性に関わる発達を捉える。(b)セクシュアリティを性に関わる概念の中核におく。(c)性同一性の概念を再考し,自己(我)同一性概念の中に吸収する。(a)生涯発達の視点から性に関わる発達の理論化を

 発達科学の視点に立つ生涯発達とは,誕生から死までの一生涯にわたる変化を発達と捉える考え方である。発達は遺伝(遺伝子,ホルモン),環境(社会構造,文化,教

育),心理学的自己(人格,自己)の 3 つの規定因によって進むとする(高橋・湯川・安藤・秋山, 2012)。この立場からは,性に関わる発達も他の諸特徴の発達と同様,遺伝や環境および個々人の人格や自己といった心理学的自己が大きく関わると考える。つまり,ある人の心理学的自己がその人自身の性や性意識の発達を主体的に方向づけ,規定するとみる(湯川, 2012)。(b)セクシュアリティを性に関わる概念の中核に

 現在,性に関わる発達研究の主要な概念,用語に,生物学的性を意味するセックス(sex),社会・文化・心理的性を意味するジェンダー(gender),性的指向性を意味するセクシュアリティ(sexuality)の 3 つがある。現在それぞれの概念は発展しつつ変容しており,重複する部分も少なくない。これらの概念や用語をどう捉え,関係づけるかが発達研究でも課題となっている。これに関して本論では,セクシュアリティの概念を性に関わる発達の中核に置くことを提案したい。

 セクシュアリティは,性的欲求に基づいた性殖や性行為を含めた性的な指向性を表す用語であるが,それと同時に,性別二元性に即した異性愛を是とする社会・文化的体制や法律・宗教,規範によって厳しく規定されてきた(e.g., フロイト)という社会・歴史的経緯をもつ。 セクシュアリティが,生物学的性と社会・文化的および心理的性の両方に深く関わる特質であることを考えるなら,セックスあるいはジェンダーに対比する形で狭義に用いられてきたセクシュアリティの概念をより広く「性に関わる欲望と観念の集合」(加藤, 1₉₉₈; 小倉,

2001)と定義し,これを性に関わる発達の中核概念に置くことが妥当と考える。心理学的にいえば,思考,観念,意識,感情,欲望および性的指向と対象選択などの性に関わる集合体であり,発達の進展に伴って形成され,変容していく性に関わる人格の総体として個人の中に統合されるべきものといえるであろう。(c )「性同一性」の概念を「自己(我)同一性」の概

念に吸収を 性に関わる発達理論では「性同一性」の形成が最重要視されてきた。性同一性とは,性自認および性対象に関する自己内での首尾一貫した認識をさし,異性愛が基本とされた。性別二元性の下で,生物学的性であるセックスと心理学的性のジェンダーの両者を一致させ結びつける自己認識で,普遍的で永続性をもち不変とされた。しかし,性・性意識の発達を個々人の自己の一部に位置づける本論の立場からは,性別二元性の原理を取り払うとともに,性同一性の概念そのものを再考することが必要と考える。 ちなみに,性同一性は,「自己(我)同一性」の中核をなす重要な特質と位置付けられてきた。自己(我)同一性の概念は従来,普遍的で永続性をもった不変の自己の統合的認識であるとされていた。しかし,最近の生涯発達の視点からの研究では,人間が遺伝,環境,心理学的自己の 3 つの要因によって,乳幼児期,児童期,青年期,成人期,老年期へと絶え間なく発達し続ける中で,自己(我)同一性も発達段階の節目節目で修正と再構成を繰り返しながら生涯にわたり変容することが確認されてきている(伊藤, 2012; 岡本, 1₉₉7)。 そうであるとすれば,自己(我)同一性の重要な一環をなすとされてきた性同一性も,普遍的,永続的なものではなく,自己(我)同一性の変容に伴って変容すると考えるのが妥当であろう。自己(我)同一性から切り離して,性同一性のみの普遍性,永続性を唱える理論的根拠は乏しい。性同一性の概念を再考し,自己(我)

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同一性の概念に吸収することを提案したい。 個人差としての性・性意識の発達の基本仮説 上記3 つの前提条件に立脚した個人差としての性・性意識に関わる発達の具体的な基本仮説は次のようである。

(a)自身で性・性のあり方を認知,評価し(性の自己認

知・評価),(b)それに基づいて表現し,行動する(性の

自己表現),(c)それを他者が認めること(他者からの承

認・受容)から構成される。具体的には以下のような内容となる。(a)性の自己認知・評価とは,主体としての自己に他の諸特徴と連関し統合しうる形で自身の性のあり方を認知し,決定することである。セクシュアリティの自己決定であり,肯定的に捉えていることが必須である。どのような性の自己認知をもつかについての制限はない。いわゆる典型とされてきた女・男という様態でも,SOGI/E いずれも選択可能である。この自己認知・評価が性別二元性に囚われないこと,発達の進展に伴って変容することが前提である。(b)性の表出行動とは,自身で決定し,選択した性のあり方に基づいて,実際の言動などで表現することであり,セクシュアリティの具体的な表出行動である。この表出行動は(a)に連動しておのずから変容するものであり,(a)(b)が一貫していることが必須である。(c)他者からの承認・受容とは,(a)(b)における個人の性・性意識のあり方を他者が認め受容することである。個を認めることとは,自他ともにお互いの個を認めることであり生涯発達の根幹思想である。この基本仮説は(a)(b)(c)の 3 つの要件が矛盾なく一貫することが個々人の性・性意識の発達を保証し促していく。 以上,本論で提案した性に関わる発達を個人差として捉えるという理論仮説は,最近の LGBT あるいはSOGI/E の研究で指摘され,提起されている多様な性同一性のあり方(佐々木, 2017),あるいは,性同一性の揺らぎなどの現象や知見と符合し,これを支持するものとなろう。 最後に,さらなる LGBT などマイノリティへの支援活動の進展に資する具体的なプログラムやプロジェクトの作成に,本仮説が役立つことを期待したい。

3 つの話題提供を聞いて

松並知子はじめに 今や「性の多様性」は自明のこととされており,心理学会においても性別二元論を問題視するような議論が散見される。それにもかかわらず,未だに多くの心理学研究では明確な目的もなく,まず男女差を検討す

る場合が多い(湯川, 1₉₉₅)。またジェンダー研究などでは,男女を比較することで男女の非対称性を明らかにし,女性への差別や男性の生き苦しさをあぶり出すことが重要な研究目的とされているが,そのために性自認が男性でも女性でもない人々の声はかき消されてしまっているのではないだろうか。 同様のことが教育現場を含む,社会の多くの場面で見られる。たとえば,保育者は男女平等の進展を願い,男女を分け隔てなく扱うのが良いと考えているにもかかわらず,実際には男女児に対し異なる働きかけをしたり,男女別にカテゴリー化するなど,ステレオタイプや性差を助長するような態度が多く見られた(青野,

2012)。保育現場は子どもにとって人生初期の重要な居場所だと考えられるが,そこでも性別二元論からはみ出す人々はもう不可視化されているのである。 本シンポジウムで 3 つの話題提供を聞き,性別二元論や異性愛主義を前提にした社会がいかに差別的であるのかという現実や多様な人々の声をすくい上げることの重要性を再認識した。また,3 つの報告に共通していたことは,制度や支援体制は拡充しつつあるが,その一方で取り残されている,あるいは制度などが進んだからこそ,新たに出てきた深刻な問題に関する警告である。大学における多様性と人権問題 加藤報告では,相談窓口の設置や対応ガイドラインの設定など,制度の改善や支援体制の充実が複数の大学で実施されていることや,学長・総長による声明が発表されるなど,意識の上でも改革の兆しが見られることが述べられた。しかし,セクシュアリティに関する授業が実施されている大学は多くはなく,知識や理解を促す取り組みが十分にされているとは言い難い。また性別記載の削除や通称名使用などの書類上の問題にも対処している大学はまだ少なく,多くの学生に対し当たり前にされることが,性的指向や性自認が非典型な学生には未だにされておらず,大学間格差も大きい(河嶋, 2017)。 また,加藤報告では,「LGBT 学生支援」はきちんと人権課題として位置付けられているのかという点に疑問を呈している。大学には多様なセクシュアリティ,多様な国籍・人種,多様な年齢,多様な障害をもった学生と教職員が存在しており,LGBT はその 1 つにすぎない。特定の弱者を救済するというスタンスではなく,すべての多様な学生や教職員にとって学びやすく働きやすい環境を構築するという視点がなければ,質の高い「支援」は実現できない。

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排除と差別の主体は誰か? 堀江報告では,長年,相談業務に携わってきた経験から,LGBT であるがゆえに家族から非難され排除された相談者や「受容しなければならない」と思いつつも葛藤する LGBT の家族の姿を紹介し,その背景には性別二元論と異性愛主義があることを指摘した。また,そこには受容する側の「マジョリティ」と受容される側の「マイノリティ」という権力構造があることを,堀江報告では強く意識している。 また,昨今,行政が同性パートナーシップ条例を施行するなど,性の多様性が可視化されるのに伴い,LGBT に対する嫌悪感や差別意識はより強くなっているという。「マジョリティ」は自らと無関係だと思われる場合は,「マイノリティ」を客観的に認め受け入れることに寛容でいられるのであろう。しかし,自明視している既得権が侵害されるという恐怖が呼び起される

(堀江, 2006)場合には差別意識をむき出しにするのではないか。 行政やマスコミで人権擁護や差別の禁止について言及されることが多くなっている一方,排除し差別している「マジョリティ」の側の規範や人々を「マジョリティ」と「マイノリティ」に分断している権力構造が問われることがない昨今の風潮は非常に危うい。学校現場における SOGI/E の多様性 東報告では,小中高校に関する文部科学省の取り組みについての説明がなされた。201₅ 年の「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細やかな対応の実施について」という通知には「画一的ではなく,一人一人の状況に応じた取り組みを進める」と明記されている。しかし,その一方で「職員トイレや多目的トイレの使用を認める」,「修学旅行などの際,1 人部屋の使用を認める」などを配慮事例として掲載しており,さながら「正しい取り扱い方法」を教えるマニュアルのようである。「正しさ」を追求する学校現場で,この「マニュアル」が遵守されているであろうことは想像に難くないが,このような支援は,生徒のプライバシーを公けにし,その生徒を「特殊な存在」にしてしまう危険性を孕む。 本来,「困っている」生徒に対しては,なぜ困っているのかを本人に訊き,本人の意思を尊重しつつ,個々の問題に応じた対応をするのが教職員の役目であるにもかかわらず,そのような当たり前の対応ができなくなっているのではないだろうか。また,そもそもなぜ性別で分かれた規範があるのかを問うべき問題であるが(渡辺, 2017),そのような議論がなされている教育現

場はどれだけあるのだろうか。おわりに 「マジョリティ」とは誰なのか? 異性愛主義を信奉する人々や女性・男性を自認する人たちがマジョリティなのだろうか。教育現場を含む,現代の日本社会では,「マジョリティ」が「マイノリティ」を受け入れ,適切に対応すべきであるという構図があるように思われる。しかし SOGI/E の考え方から見れば,すべての人は多様であり分類されたり線引きされたりということはあり得ないはずである。すべての人が尊重され,すべての人の人権が保障される社会を実現するためには,まずは多様性を自覚し認めることが必要である。

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