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菩提横手遺跡
山田仁和(公益財団法人かながわ考古学財団)
1. はじめに
昨年、秦野市菩提横手遺跡で見つかった「中空土偶」は、ほぼ全体の
形が分かり整形や文様の施し方も丁寧で、私達に多くの情報を提供して
くれることが期待されます。この土偶の観察・分析を通じて、「何を見
たらよいのか」「そこから何が分かるのか」を考えていきます。
2.「中空土偶」の見方
観察のポイント
・大きさ 同時期の他の資料に比べて相対的な大小
・形 状 「筒形」(中空)の胴部と短い腕部、大きな脚部
・成形方法 壊れた部分や粘土のつなぎ目から外れた部分の観察。
製作の過程を推定
・整形方法 ほぼ形ができた後、表面や内面をどのように整えてい
るか。工具やその用いられ方
・文 様 特徴的なモチーフ(文様要素)は何なのか。土器に施
文される文様との共通点
3.類似資料との比較-―「中空」「大形」「自立」する土偶
県内類例
・上土棚南遺跡(綾瀬市)、王子ノ台遺跡(平塚市))の土偶:ヒト形を呈する(手足の表現)中空の胴部
・稲荷山貝塚(横浜市)、東正院遺跡(鎌倉市)出土の筒形土偶:ヒト形を呈さないが、上向きの顔、筒形の胴
部、胴部正面・側面の内部に貫通する孔は共通する特徴
・原出口遺跡(横浜市)20号住居址の事例:大きな土偶(筒形土偶)と小さな土偶(「やや雑な作りである。」
(石井1995))大きく丁寧に作られた土偶と小さく雑な作りの土偶の違いは何を表しているのか。
⇒用いられる祭祀の性格・参加集団の組織・規模を反映?
比較資料(ヒト形で大形・中空)
・中部高地(中ッ原遺跡(茅野市)、後田遺跡(韮崎市)、新町泉水遺跡(辰野町))の「仮面土偶」
4.出土状況について
・「住居跡の”覆土中”から、”壊れた”状態で出土」
住居の廃絶と土偶の捨てられた、もしくは置かれたサイクル
同一地点に何度も建て替えられる住居との関係
写真1 菩提横手遺跡出土 土偶
(神奈川県教育委員会所蔵)
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住居跡は石を多用する集落「配石集落」を構成
5.では「土偶とは何でしょう?」
問題の所在(ありか)
・女性像を表す = 生命を生み出す力、豊饒性に対する信仰(最大公約数的な解釈)
・「壊される土偶」 死と発生に関する神話的解釈(ハイヌウェレ型神話からの解釈(一例として))
⇔「壊されない土偶」についての論争(江坂1990、小野1984・2008、吉田 1976・1996、藤沼1997)
・土偶をめぐる祭祀を担った集団と土偶の大きさや加飾、作りの精粗との関係
6.まとめ
菩提横手遺跡出土の土偶は、頭部の作り方や胴部の形状等からは、南関東地方の筒形土偶(手足の表現されな
い土偶)の伝統を示しており、この系譜上に位置付けられます。また土偶に見られる、同時期の土器の突起や文
様との共通性は、両者が同じ集団によって製作されたものであることを示していると考えられます。一方、南関
東ではこの時期、手足の付いた大形の土偶は類例が少なく、この点に着目すれば他地域の影響を推定するべきで
す。
土偶の観察からは、製作方法についての情報を引き出すことができます。そして破損した部分や欠損部分から
は壊れやすい部位があることが分かります。しかしながら、菩提遺跡の土偶や中部高地で出土している類例の遺
存状態や出土状況からは、意図的な破壊(各部位を折り取るような行為)やそれをばら撒く行為があったように
は思われません。土偶祭祀の具体的な様子は不明ですが、「壊される土偶」と「壊されない土偶」があり、執り行
われる祭祀にも違いがあったものとも思われます。
また、土器と共通する文様や装飾をもつ丁寧に作られた大形の土偶という点に注目すれば、小形の雑な作りの
土偶と比較したとき、これを用いて祭祀や呪術を執り行っていた集団の性格や規模を反映しているものとの推定
が可能かもしれません。
〇菩提横手遺跡出土土偶に施文された文様と、同時期の浅鉢内面に施される文様の“親和性”については、
秋田かな子氏に資料を実見していただいた際、ご教示頂きました。感謝申し上げます。
写真2 原出口遺跡出土 土偶
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引用・参考文献
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査事業団
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吉田敦彦 1992『昔話の考古学 山姥と縄文の女神』中公新書
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