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道衛研所報 第44集(1994) コトンラットの自然発生胃癌からの培養癌細胞株樹立 の試みについて Establishment of Cultured Cell Line D from a Cotton Rat Gastric Carcinom 奥井 登代 川瀬 史郎 Toyo Okui and Shiroh kawase 川瀬らは当衛生研究所実験動物施設において繁殖してい るコトンラット雄222匹および雌227匹のうち雌の52匹 (22.9%)の胃に肥厚を認め、病理組織的にそれらが主と して高分化型腺癌であることを見いだした1)。この胃癌は 遺伝的に発生することが考えられることから、現在選抜交 配を行い、胃癌コトンラットの系統を樹立中である。実験 動物における胃癌の自然発生に関する報告はほとんどな く、胃癌コトンラットの系統が樹立できれば消化器癌モデ ル動物としてその有用性が期待される。特にこの胃癌は雌 に頻発すること、また胃以外の臓器への転移が認められな いことが特徴である。これらの機構を明らかにするために は胃癌発生のメカニズムあるいは癌遺伝子の解明が必須と なる。そのためには培養癌細胞を用いることが有効である と考えられる。そこで著者らはこの胃癌の研究を進めるた めに胃癌細胞株の樹立を試みたので報告する。 胃癌を発生したコトンラットの腫瘍部を細切し、培養用 プラスチックシャーレに張り付けた後、10%牛胎仔血清を 含む培養液(MEM)を加えて炭酸ガス培養器(5%炭酸ガ ス)中で培養した。培養開始後3~7日から組織片周囲に 線維芽細胞および癌細胞と考えられる細胞等の増殖が確認 された。線維芽細胞の混入をできるだけ避けるために倒立 顕微鏡下で形態的に癌細胞と思われる細胞を選択し、同条 件にて継代培養した。プライマリーの細胞では凝集して盛 り上がり、ブドウの房状の細胞塊を作ったが、継代すると 単層の敷石状を示すようになった。この細胞をCGC-5と 名付けた。線維芽細胞などの混入も考えられるため、 CGC-5が癌細胞であることの確認を行った。確認方法と して(1)細胞の形態観察(2)細胞の軟寒天内コロニー形成能(3) 染色体の観察(4)ヌードマウス造腫瘍性について検討した。 1.細胞の形態観察 CGC-5を細胞診染色のための染色法であるへマトシ リン液を用いたパパニコロウ染色を行い鏡検した。その結 果、癌細胞に特有な核異形、核小体の増加などが観察され、 CGC-5が癌細胞であることが示唆された。 2.軟寒天内コロニー形成能 10cmプラスチックシャーレに10%牛胎仔血清を含む MEM培養液に溶解した0.5%寒天上に、CGC-5細胞を 加えた10%牛胎仔血清を含むMEM培養液に溶解した0.3 %寒天を重層した。炭酸ガス培養器中(37℃)で1~2週 間培養し、コロニーの形成を観察した。その結果、図1に 示すようなコロニーの形成が確認された。コロニー形成率 は1/10000以下であった。線維芽細胞などの正常細胞は軟 寒天中では増殖することができないが、癌細胞は軟寒天中 においてコロニー形成能を有することが知られている。本 実験の結果、CGC-5はコロニー形成率は低いものの、コ ロニー形成が認められたことから癌細胞であることが示唆 された。 図1 軟寒天中に形成されたCGC-5細胞のコロニー

奥井 登代 川瀬 史郎...3.染色体の観察 細胞は、0.05μg/mlコルセミッドを加えたMEM培養 液中で、2時間培養した後、トリプシンによるシャーレか

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Page 1: 奥井 登代 川瀬 史郎...3.染色体の観察 細胞は、0.05μg/mlコルセミッドを加えたMEM培養 液中で、2時間培養した後、トリプシンによるシャーレか

道衛研所報

第44集(1994)

コトンラットの自然発生胃癌からの培養癌細胞株樹立

の試みについて

Establishment of Cultured Cell Line Derived

from a Cotton Rat Gastric Carcinoma

奥井 登代  川瀬 史郎

Toyo Okui and Shiroh kawase

川瀬らは当衛生研究所実験動物施設において繁殖してい

るコトンラット雄222匹および雌227匹のうち雌の52匹

(22.9%)の胃に肥厚を認め、病理組織的にそれらが主と

して高分化型腺癌であることを見いだした1)。この胃癌は

遺伝的に発生することが考えられることから、現在選抜交

配を行い、胃癌コトンラットの系統を樹立中である。実験

動物における胃癌の自然発生に関する報告はほとんどな

く、胃癌コトンラットの系統が樹立できれば消化器癌モデ

ル動物としてその有用性が期待される。特にこの胃癌は雌

に頻発すること、また胃以外の臓器への転移が認められな

いことが特徴である。これらの機構を明らかにするために

は胃癌発生のメカニズムあるいは癌遺伝子の解明が必須と

なる。そのためには培養癌細胞を用いることが有効である

と考えられる。そこで著者らはこの胃癌の研究を進めるた

めに胃癌細胞株の樹立を試みたので報告する。

胃癌を発生したコトンラットの腫瘍部を細切し、培養用

プラスチックシャーレに張り付けた後、10%牛胎仔血清を

含む培養液(MEM)を加えて炭酸ガス培養器(5%炭酸ガ

ス)中で培養した。培養開始後3~7日から組織片周囲に

線維芽細胞および癌細胞と考えられる細胞等の増殖が確認

された。線維芽細胞の混入をできるだけ避けるために倒立

顕微鏡下で形態的に癌細胞と思われる細胞を選択し、同条

件にて継代培養した。プライマリーの細胞では凝集して盛

り上がり、ブドウの房状の細胞塊を作ったが、継代すると

単層の敷石状を示すようになった。この細胞をCGC-5と

名付けた。線維芽細胞などの混入も考えられるため、

CGC-5が癌細胞であることの確認を行った。確認方法と

して(1)細胞の形態観察(2)細胞の軟寒天内コロニー形成能(3)

染色体の観察(4)ヌードマウス造腫瘍性について検討した。

1.細胞の形態観察

CGC-5を細胞診染色のための染色法であるへマトシ

リン液を用いたパパニコロウ染色を行い鏡検した。その結

果、癌細胞に特有な核異形、核小体の増加などが観察され、

CGC-5が癌細胞であることが示唆された。

2.軟寒天内コロニー形成能

10cmプラスチックシャーレに10%牛胎仔血清を含む

MEM培養液に溶解した0.5%寒天上に、CGC-5細胞を

加えた10%牛胎仔血清を含むMEM培養液に溶解した0.3

%寒天を重層した。炭酸ガス培養器中(37℃)で1~2週

間培養し、コロニーの形成を観察した。その結果、図1に

示すようなコロニーの形成が確認された。コロニー形成率

は1/10000以下であった。線維芽細胞などの正常細胞は軟

寒天中では増殖することができないが、癌細胞は軟寒天中

においてコロニー形成能を有することが知られている。本

実験の結果、CGC-5はコロニー形成率は低いものの、コ

ロニー形成が認められたことから癌細胞であることが示唆

された。

図1 軟寒天中に形成されたCGC-5細胞のコロニー

Page 2: 奥井 登代 川瀬 史郎...3.染色体の観察 細胞は、0.05μg/mlコルセミッドを加えたMEM培養 液中で、2時間培養した後、トリプシンによるシャーレか

3.染色体の観察

細胞は、0.05μg/mlコルセミッドを加えたMEM培養

液中で、2時間培養した後、トリプシンによるシャーレか

ら剥離した。0.075%KClによる低張処理を行った後、カル

ノア(メタノール:酢酸=3:1)で固定し、染色体標本

を作製した。染色体標本はトリプシン法によるG分染を行

い鏡検した。癌細胞の染色体は正常細胞と異なり、染色体

数の異常、構造異常などを有することが知られている2)。特

にヒトの癌細胞ではいくつかの癌に特有の染色体異常が見

つかっている3)。

コトンラット細胞の染色体数は図2-Aに示すように通

常52本であり、染色体の形態はX染色体では動原体が染色

体の末端よりにあるサブテロセントリック型を示し、その

他は動原体が染色体の一方の末端にあるテロセントリック

型である。しかし、CGC-5の染色体は図2-Bに示すよ

うに染色体数が増加していた。その染色体モードは90~105

であった(図3)。また、正常な細胞には見られない動原体

が染色体の中央にあるメタセントリック型あるいはテロメ

タセントりック型の染色体の存在も認められた(図4)。し

かし、明らかなマーカー染色体は認められなかった。

図2 コトンラットおよびCGC-5細胞の染色体

図3 CGC-5細胞の染色体モードの頻度

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4.ヌードマウス造腫瘍性

106~7個/0.2mlの培養細胞懸濁液を5~6週齢のヌー

ドマウス4匹の背部皮下に移植した。2~3日後から移植

部位の腫瘍が見られ、1週間後に最大1×0.7cmの腫瘤が

認められた(図5)が、その後次第に収縮し、1か月後に

は認められなくなった。

ヌードマウス造腫瘍性は観察されなかったが他の実験結

果から今回樹立した胃癌コトンラットの胃腫瘍由来の培養

細胞CGC-5は株化した癌細胞であることが示唆された。

培養細胞が腺組織構造をとらないことやヌードマウス造腫

瘍性が陰性であったことなどからCGC-5は悪性度の低

い高分化型癌細胞であること考えられる。

ヒト胃癌細胞株は1970年代後半に樹立され、我国では現

在まで約30株の樹立報告があり4)、癌研究に大きな役割を

果たしてきた。コトンラット胃癌においても株化した癌細

胞は胃癌の特性や癌遺伝子の解明あるいは治療の研究など

多方面において有用となることが期待される。特に発癌が

雌に頻発することから性ホルモンと癌発生の関係の解明や

X染色体の遺伝子について検討する予定である。

本報告にあたり、細胞診断について助言をいただいた北

大医学部附属動物実験施設小内山努主任技師に深謝いたし

ます。

文     献

1)川瀬史郎他:第41回日本実験動物学会総会要旨集,

(1994)

2) Mitelman,F.et al : Cytogenet.Cell Genet.,36, 5

(1983)

3) Sasaki,M. : Cancer Genet. Cytogenet., 5 , 153(1982)

4)関白守正他:Human Cell, 3, 76 (1990)

図4 CGC細胞で観察された異常染色体

図5 CGC-5細胞を移植したヌードマウス(移植後l遇間)