8
牧口価値論とカ 近代西欧の哲学の主流をなすのは、R・デカルト(一五九六― A・ショーペンハウア(一七七八〜一八六〇)であったが、さらに 四〜一九〇〇)であり、生きる意味と価値を哲学の中に提起して 西 ビンデルバント(一八四八〜一九一五)とそれを受け継いだH・リ 先駆といえよう。I・カント(一八四八〜一九一五)をはじめとす 聖(ビンデルバンド)であるという価値論が広まった。 牧口価値諭とカント価値詒の比較研究 105

い に な 語 テ 近代西欧の哲学の主流をなすのは、R・デカル …...真 ・ 善 ・ 美 と す る 価 値 体 系 が 流 行 す る こ と に な っ た。こ

  • Upload
    others

  • View
    1

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: い に な 語 テ 近代西欧の哲学の主流をなすのは、R・デカル …...真 ・ 善 ・ 美 と す る 価 値 体 系 が 流 行 す る こ と に な っ た。こ

〈研

論文

9〉

牧口価値論とカント価値論の比較研究

一 

はじ

値の問題は、善や道徳として古代

ギリ

シャ以

来哲学

の中

心的

テー

マの一つと

されて

いたが、「価値」

という言葉が哲学上

の用

語として用

いられるよう

にな

ったの

は意外

に新しく、一

九世紀に

って

からのよ

うで

る。このこ

とは、価値

の哲学

を(合理

に)解決す

ることがい

かに難し

いものである

かを意味して

いる。

値の本質

を解明し、系統的

にまと

めあげた説を価値哲学または

値論と

いう。価値論が教育学や経済学の部門からも研

究されて

いたが、価値の本質につ

いて、価値と

は何

か、価値と事実との関

等の問題

につ

いて本格的な研究が行われたのは一

九世

紀末から

ある。

近代西欧の哲学の主流をなすのは、R・デカルト(一五九六―

渋 谷 仙 吉

一六五〇)以来の

合理

論思

想であ

ったが、このような合理

主義の

潮流

に対する反抗として、一九世

紀末から二〇世

紀にかけて、人

間的

生の非合理な働きを根源的なものとみる「生の哲学」が始ま

っている。「学」の哲学

から

「生」の哲学

への方向

を開

いたのは

A・ショーペンハウア(一七七八~一八六〇)であったが、さらに

っきりと生の原理

を打

ち出

したのはF

・W

・ニーチェ(一八四

四~一九〇〇)であり、生きる意味と価値を哲学の中に提起して

いる。

次いで、

カント派に属し、ドイツ西南学派

を創始したW・

ビンデルバント(一八四八~一九一五)とそれを受け継いだH・リ

ッケルト(一八六三~一九三六)などの「関係性」

への着目がその

先駆といえよう。I・カント(一八四八~一九一五)をはじめとす

るドイツ観念哲学

において、価値内容として、真

・善

・美または

聖(ビンデルバンド)であるという価値論が広まった。

牧口価値諭とカント価値詒の比較研究105

Page 2: い に な 語 テ 近代西欧の哲学の主流をなすのは、R・デカル …...真 ・ 善 ・ 美 と す る 価 値 体 系 が 流 行 す る こ と に な っ た。こ

アメリカにおいては、J・デューイ(一八五九~一九五二)が出

て、

ヨー

ロッパの「生の哲学」

に呼応して、「生き

る」こ

とを主

眼と

した行動的思

想に立ち、従来

の真

・善・美の価値体系に

メス

入れ、

特に「真」

に対して新

たな取り扱

い方をし

た。すなわち、

「真」

は善・美と

並列す

る価値内

容で

はなく、善や美を実現

する

ための「手段価値」であ

ると唱え

た。

日本で

は、ドイツ哲学

が早く

から

哲学界

の主流を占め、価値内

を真・善・美とする価値体系が流行すること

にな

った。これに

して

、中村元

は新カント派の価値哲学

に頑強

に抵抗し、独創的

な価値体系を樹立した牧口常三郎(一八七一~一九四四)を紹介し

ている(文献―)。彼は一九三一年その著「価値論」(文献2)に

いて、価

値は対象と評価主体との関係によ

って

発生す

るとの立

から価

値内容

から「典」を

はずし、

代わり

に人の

ためにな

「利」

を根底的な価

値と

して

加え

「美

・利

・善」を価値内容とす

る価

値体

系を提案し、五官が評価主体

の美の価値よりも個人が評

主体の利の価値がより大事であり、利の価値よりも社会が評

体の善の価値が最も大事とす

る価値判断の基準も明示

して

いる。

本論文ではまず、両価値論の価値内容を比較し、

カントは「真

理」

を価値内容として

いるが、利害を価値

から除外していること、

牧口

は真理を除外し「利害」を価値内容

に入れていることに注目

る。

次に、両論の価値内容が異な

るの

は。両者の客観的視座と主観

(仏

)、

(十

ニ 

って

(文

)。

西

(the thing

 in

 itself)」

(the

 thing

 for me)」

Page 3: い に な 語 テ 近代西欧の哲学の主流をなすのは、R・デカル …...真 ・ 善 ・ 美 と す る 価 値 体 系 が 流 行 す る こ と に な っ た。こ

哲学ではむしろ

権利問題

を扱

うのだと宣言している。カ

ントのこ

うした区別をよりはっきりした形で述べたのがR・H・ロッツェ

(一八一七

~一八八一)で

ある。彼は「価値

は存在す

るので

はなく

当す

るのであ

る」と当為と存在を厳しく区別した。彼の弟子

あるW

・ヴィンデルバントも

単なる判断と価値判断を区

別し新カ

ント学派

の価値哲

学の出発

点とした。

ヴィンデルバントは、真

・善

・美の価値体系にそれぞれ「純粋

理性批判」(第一版一七八一)。「実践理性批判」(一七八八)、そし

「判断力

批判」(一七九〇)が対応し、論理学、倫

理学、美学の

三基

本学が規

範科学

とし

て定立され

ている

と記して

いる

(文

4)。

生の哲学とプラ

グマテ

ィズ

‥合理的科学思想の支配

的傾向に

んの疑問も

いだ

かな

かった一九世紀。生の躍動を根源的なもの

とす

るニーチ

ェは、事物

それ自体に価値はなく、我々が事物を解

釈す

ることが価値であり、価値評価は事物にたいする遠近法のよ

なも

ので我々が価

値定立者であ

るとしている

(文献5)。ロゴ

スの働きよりも生の躍動を根源的なものとみ

る「生の哲学」によ

って打ち出された後、

フラ

ンスではベルクソンの哲学に、ドイツ

はディル

タイ、

ジン

メル等、生の哲学者

を輩出

した。

プラ

グマティズ

ムは、「生の哲学」

の影響を受け

ていると

考え

られるが、

ヨー

ロッパ大陸の哲学からのアメリカ哲学の独

立を意

味するだろう。ギリ

シヤ語のプラグマ(行動)に由来し、「行動」

を思惟

に優先

させ、観念や真理は行動の帰結であり成果であると

する経験論的立場をとっている。C・S・パース(一八三九~一九

一四)にはじまり、これを継承したW

・ジ

ェー

ムズが一九〇七年

に「

プラグマティズ

ム」を刊行して

から広く世に普及

した。さら

に、J

・デューイ

は、思考は行動す

るた

めの道具であるという道

具主義

を発展

させ

た。彼の制度等より人間変革を第一とする思想

は、教育学に応用されるなど、牧口にも影響をあたえている。

ラグマテ

ィズムは、ドイツ観念哲学

に対して、実生活上の体

験を上位

において

、経験主義、相対主義の立場をとるとともに、

ギリ

ス経験論に対して人間の主体性を導入す

る。

生活

のなかで

有益であ

ると確認

されたものが真なる概念で

あるとし、観念の内

容や体系で

はなく

、観念に到達する過程の方法論を重

視し、概念

形成の過程

に価値判断を導入し、真理と価値、真理認

識と価値判

断とのあ

いだに区別

を認めない独特の論理を生み

出し

た。ただし、

プラ

グマテ

ィズムは一つの体系化

された思想で

はなく、パース、

ジェームズ、

ヂューイのあいだにも

かなりの差異がある。

三 

牧口常三郎(一八七一~一九四四)は半生を教育界に捧げ、その

間、自然物ならび

に自然現象と人間の社会生活

の相互関係を研

し、それ

らの間

に原因結果

の法則

を求

めた「人生地理学」(文

6)を一九〇三年

に出版して

いる。その後も牧口

は、激職の傍ら、

牧口価値論とカソト価値論の比較研究107

Page 4: い に な 語 テ 近代西欧の哲学の主流をなすのは、R・デカル …...真 ・ 善 ・ 美 と す る 価 値 体 系 が 流 行 す る こ と に な っ た。こ

寸暇

を惜し

んで教育現象を科学的

に考察し。教育目的として価値

観を

考察し、真・善・美の価値論

を批判し。真理と価値を峻別し

「創価教育学体系」(文

献7)

を出

版して

いる。その第

二巻が

創価

教育学体系の中核的哲学として一九三〇年に出版されている。

の中で、人生地理学

の対象も価値で

あり、創価教育学も難解な

価値問題

に没頭し

なければなら

ない因縁は牧口の学問対象が常

生活

を離れないからで

あろ

うと述懐して

いる。牧口の学問に対

る姿勢

は。「第一

に生活

から学

問へ、次に学問から生

活へ」即

ち、概念の遊戯を捨て経験的立場から実生活に即して思索し、真

の姿を把握す

ることで

あった。

牧口価値

論の要

’牧口価値

論に関する研究著書は、すでに宮

田著

「牧口常三郎

はカントを超え

たか」(文献8)、村尾著「牧口

常三郎の『価値論』を読む」(文献9)等ありますので、本稿で

は牧口

価値論の特徴と

その必要

な要

点をまと

める。牧口はまず、

真理は認識主体によ

って対象

が認識されたものであり、価値は評

価主体によって対

象が評

価されたものであ

るとして、行為主体の

境涯を明確にして価値内容、価値の種類を分類し、統一的に説明

したところに牧口

価値論の独創性が光って

いる。

従来、「もの」自体に価値があるとして、「もの」が価値を決定

するとの唯物的な価値説、主体の「心」

がもとで、主体が価値を

決定するとの唯心的な価値説の二通りがあったが、どちらも正し

くないとして斥けている。価値は欲望を充足す

るもので、評価主

体と対

象との間

に生ずる、吸引、反発の情的関係性・関係力

のこ

とで

あるから最高

の満足感

から最低の不快感に至るまで

の無数

段階があるとして

いる。同一評価主体が種

々の対象に望む時だけ

でなく、同一対象でも時、環境そして評価主体の境涯の変化で価

値の相違が生ず

る。

牧口は評価主体

の違いを明記して価値の内容を分類して

いる。

すな

わち、評

価主

体が五

官で感情的評価す

るとき

の価

値内容

「美醜」で

あり、個人

が評価主体で評価する価値内容が

「利

害」

であり、社

会が評価

主体で評価する価値内容が「善悪

」で

あると

分類して

いる。

さら

に、好き嫌

いにとらわれて利害を忘れるのは

愚かで

あると美

の価値よりも利の価値が大事であるとし、損得に

とらわれて善悪を無視す

るのは悪で

あるとして利の価値よりも善

の価

値がより大事で

あると

いう価値判定の基準をも設定して

いる

ことに注目す

べき

だろ

う。この価値判定の基準を生活指導原

理と

して

幸福な人間

を育

成す

る創価教育の根本として応用

している。

すなわち、人生

の目

的は幸福の追求であり、価値

は幸福の内

容と

なり要

素で

あるとして

いる。価値

にも大・善、中・利、小・美の

価値とランクがあり

、美

・利の個人的価値より社会を評価主体と

する善の価値を積む

大善

生活こ

そ人生最大の目的で、至幸至福へ

の道であるとして

、独創的な価値論に基づいた幸福論をも展開し

ている。

Page 5: い に な 語 テ 近代西欧の哲学の主流をなすのは、R・デカル …...真 ・ 善 ・ 美 と す る 価 値 体 系 が 流 行 す る こ と に な っ た。こ

四 

値論

の比

両価値論の相違点:古来、人間は客観的、主観的、または心理

や境涯

の側面等

からさまざま

に定義されて

きた。仏教は、生命自

体が内より感じている境地、生命感に注目し、それを客観的に状

態とか、境涯とか、変化相などとして10のグループに分類して

いる。これ

を仏

教で

は「十界論」として説いている。具体的には。

地獄界、餓鬼界

、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、

菩薩界、そして仏界の十種類である。このような十種の境涯はそ

れぞれ縁

によ

って生じ、心身を支配

しているのが我々の生命の実

体であるとして

いる。十界のうちの地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、

天をまと

めて六道とし迷

いの凡夫・衆生が輪廻する動物的人間と

みな

され、四聖

(声聞・縁覚・菩薩・仏)と区別される。空理

つきつ

めて

煩悩

を断ち切ろうと努め修行する声聞と一分の理を縁

によ

って悟

った者とされ

る縁覚をまとめて

二乗ともよび、理性的

人間

に対応する

だろう。

んだ鏡

には、すべてが歪んで映るように、人間は同

じ現象で

っても、どのよ

うな境涯でそれを見るかによ

って全く異なって

見え

る。

カント学派

は理性的人間、真理探究者として価値を評価

し、研究して

いる

ので、仏教からすれば二乗

の境涯で評価して

るとみなされる。したが

って、カント学派

は「真理」。「論理の正

しさ」は大事な価値内容であると評

価したと推論される。一方、

牧口

は生活者

の立場すなわち仏教で

の六道の境涯で価値判断をす

ると

。不変

の真理

は生ぎるための欲望を満たすために価値と評価

されず

、経済活動などの「利

・害」が大事な価値内容となると評

価し

たと推

論され

る。このように、両価値論の違いは評価主体が

のよ

うな境涯で価値を評価した

かに依存すると推論される。

両価値論の論理的類似点:カント学派と牧口は評価主体の境涯

の違

いによ

る価値評価に依存す

るが、論理的に「価値」を二値論

理に基

づいて価値判断をして

いることは基本的に類似している。

カント学派が理性的人間像

の立場で普遍的価値、客観的価値に重

点を墅き、個別的な経済的利害などを価値内容としな

かったのは

客観と主観の二値論理で判断して

いるからと考え

られる。牧口も

生活者

(欲望

的人間像)の立場

から経済的利害を価値内容とし真

理を価

値内容としな

かったのは、真理と価値の二値論理で判断

たためと考えられ

る。

た、純客

観的

に真理を把握し、真理を非価値とし

たM・ウェ

ーバーの没価値性もこの二値論理に基づいた真理観であり、論理

に牧口と類似して

いるとみなされ

る。牧口は価値から真理を追

放し、

ウェーバーは真理から価値を追放して価値と真理は全く別

であ

ることを二値論理に基

づいて主張している。

両価値論を三値論理で位置付ける

‥二値論理で

は、有と無、主

観と客観、真理と価値等相反する概念、現象だけで表現して

いる。

って、二値論理

に基づく価値判断はその二値の択一となり、

牧口価値論とカント 価値論の比較 研究109

Page 6: い に な 語 テ 近代西欧の哲学の主流をなすのは、R・デカル …...真 ・ 善 ・ 美 と す る 価 値 体 系 が 流 行 す る こ と に な っ た。こ

の価

値論

は概念

的な価値

哲学

の枠

にとどまり、真理と価値

は概念

に分離

されてしまう。

カント学派

の価

値論と

牧口価値論の相違は、評価主体の境涯の

いによ

る価値評

価の違

いとして説明できるが、両価値論

を総合

的に位置付け

るこ

とはでき

ない。両論

の位置付けを統一的

に行う

ためには、

二値論理・二次元

を超え

る三値論理・三次元、すなわ

ち、行為

の次元

や生命の次元

・世界で

の論理

に基づ

いて両価値論

を考察す

る必要

がある。

華経で

は、生命を空諦(心)・仮諦

(色)・中諦

(生命)の三

側面

から説明して

いるので三値

論理

に基づ

いてい

る。天台大師の

華玄義

に説

かれて

いる空・仮

・中

の円融三諦と十界互具

の法理

応用

して

(仮

諦)、価

(空

諦)

二値

論理

でな

く生

(中諦)の視座

から両

価値論を位置付け

ることを試み

る。十界互

とは、

生命が地

獄界

より仏界

にいた

る十界のおの

おの

に十界を

具足しているという法理である。例えば、人界が現れているその

一瞬の生命にも、十界

のすべて

が「冥伏」して

いる事実

を示して

いる。人間は親、兄

弟等を人なみ

に思

いや

る平ら

かな生命

状態の

人界を基調とした生命傾向性をもつが、研究室等

の縁

によ

って真

理探究者として

声聞界

の境涯に変転す

ると「人界所具

の声聞界」

と表現され、人界から声聞界に境涯

が転換し

たこと

を意味する。

この「十界互具」の原

理に則れば、机等の縁

に触れれば

、人界

ら二乗界

へ、ま

た商売

等別の縁

に触れれ

ば二乗界

・学者

から人

。生活者

へと境涯

の変換

が可能になる。

信念

や目

的によ

って「行」を起こす世界・中諦の次元で

は、行

為主体

が目的

を達

成す

るためにある行動・手段を選択する時、認

識作用

だけで

なく評

価作用も働かせ価値判断し手段や行動を連統

して選

択す

るので

、認識作用と評価作用

は結合し、価値判断と認

識も

リンク(結合)

することにも注意す

る。

牧口

の主張する「生活

から学問・価値論

へ」

は、人界(六道)

から二乗界

(学者)

への評価主体の境涯

の転換であり、学者

の境

涯で価

値論を構築する作業過程で

あり、こ

のような価値論にはカ

ント学派の価

値論が対応すると推論される。「学問・価値論

から

生活

へ」

の過

程は二乗界

から人界

への境涯の転換であり行為

が伴

う過

程であり、欲望

をもつ人間が価値論を築くというより価値論

を応用す

る過

程で

あり、牧口価値論がこの応用的過程で

有用な価

値論

に対応

すると

推論され

る。

このように、二乗界・学者から人界・生活者へ境涯が転換し

場合は牧口

価値論、またその逆に、人界

から二乗界へ転換した場

合は、カント学派

の価値論が対応すると推論

され

るので、全体的

人間観即ち円

融三

諦の生命観に基づく「十界互具と

いう法理」

応用

すると、両価値論は論理的に位置付け

ることが可能

になる。

五 

牧口価値論とカント学派

の価値論の価

値内容

の違

いに注目して

llO

Page 7: い に な 語 テ 近代西欧の哲学の主流をなすのは、R・デカル …...真 ・ 善 ・ 美 と す る 価 値 体 系 が 流 行 す る こ と に な っ た。こ

比較考察した結果は、以下

のようにまとめられる。

1.

カント学派は、研

究者(理性的人間)の立場で

主として

客観

的価値を評価し追究したので「真理」を価値内容とし、「利害」

を価値内容から除いたと推論される。

2.牧口は、生活者(欲

望的人間)

の立場で

主として主観的価

を評価し追究したので

「利

害」

を価値内

容とし、真理を価値内

容から除いたと推論

され

る。

さらに、牧口

は評価主体と価値内

容を対応させ、美・利

・善

の価値判断

の基

準を明示し、彼の価

値論を教育や幸福論

に応用す

るこ

とも試みて

いる。

3.

牧口が「真理」を価値内容

に入れ

なかった理由は生活者(教

員)の立場

に立ち、実用主義思想の影響を受けて、教育的真理

探究は学者に任せ、現場の教員にとって実用的でないと判断し

たためで

、真理

の価値を軽視した

からで

はな

かった。

4.行為

または生命の次元で

の仏法十界互具の法理に基づくと、

一人

の人

間が縁・

条件によ

り研究

者・声聞

界の境

涯から生

者・餓鬼界

など六道の境涯に変化するし、また逆に別

の縁・条

件によ

り生活者

から研究者への境涯

に変化することが可

能で

り、日常

的にも経験するところであ

る。この法理によ

れば、カ

ント価値

論は理性的境涯・研究者が評価主体で

ある場

合の客

的価値として位置付けられ、牧口価値論は欲望的境涯・生活者

が評価主体である場

合の主観的価値論として統一

的に位置付け

られる。

。主に二

値論理

に基づく西洋哲学的潮流の中で認識主体を立て

観的価値

を追究して

きたカント学派の価値論と、生の哲学の

流の中で評価主体を立て

主観的価値を追究してきた牧口価値

とが、仏法の生命次元で十界互具の法理に基づく三値論理で

統一的に位置付けられたこと

は、従来までの二大価値研究の潮

流も価値の両側面の研

究として統一される可

能性を示したもの

と考えられる。

参考文献

(1) 中村元

『比較思想

の軌跡』東京書籍、一九九三年、四

九九一

五〇

〇頁

(2) 牧口常三郎『価値論』(一九三一年、冨山房)、第三文明社、一九

七九年。

(3) 渋谷 久『カント哲学の人間的研究』西田書店、一九九四年。

(4) W・ヴィンデルバント『哲学とは何か』河東絹訳、岩波書店、一

九三〇

年。

(5)「価値の転換1ニーチェ」原 佑、所収『価値』、粟田・上山編、

岩波書店、一九六九年。

(6) 牧口常三郎『人生地理学』(上、下)(『牧口常三郎全集第一、二

巻』)、第三文明社、一九八三年(初版本一九〇

三年)。

(7) 牧口常三郎『創価教育学体系』(全四巻)(『牧口常三郎全集第五、

六巻』)、第三文明社、一九八二年(初版本一九三〇年)。

(8) 宮田幸一『牧口常三郎はカントを超えたか』第三文明社、一九九

七年。

(9) 村尾行一『牧口常三郎の「価値論」を読む』潮出版社、一九九

牧口価値諭とカント価値論の比較研究111

Page 8: い に な 語 テ 近代西欧の哲学の主流をなすのは、R・デカル …...真 ・ 善 ・ 美 と す る 価 値 体 系 が 流 行 す る こ と に な っ た。こ

八年。

(しぶや・せんきち、対話的観測論。

人間

然学

112