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セントルイスでの十週間 島田 充浩 マイコースプログラムで約十週間滞在したセントルイスの生活についてその 準備も含めて書きたいと思います。多少日本語のおかしいところもありますが、 軽い気持ちで読んでもらってだいたいの雰囲気をつかめてもらえばと思います。 きっかけは専門の授業を受けているうちに、良い教科書は英語のものが多く、 海外(特にアメリカ)の医学に触れてみたいと考え、学部生のうちにマイコー スプログラムの機会を利用して海外研修をしたいと思いを強くしていきました。 三回生の秋から遺伝薬理学のJournal clubに参加していたので、一月に武藤先 生にマイコースプログラム期間に海外で研修をしたいと相談しました。先生に 以前ラボにおられ現在ワシントン大学でポスドクとして働いておられる三好先 生を紹介していただきました。三好先生にメールをしたところPIStappenbeck は快諾だけれども、自己紹介とどんなことをやりたいなどを簡単に書いたメー ルを直接送るように言われ、CVと簡単なものですがEssayを書きStappenbeck に送りました。こういうものを英語で書くのは初めてだったので戸惑いました が武藤先生に助言をいただき仕上げました。そして簡単な質問とVisacoordinatorから連絡がいくからという返事をいただきました。(ここまでにおよ そ二ヶ月半かかりました)四月の中頃にVisa coordinatorDebbieからメールが ありそこからほぼ毎日のように連絡をして三ヶ月ほどかけてVisaの準備をしま した。 出発前で1番大変だったのがこのVisaの取得でした。 まず、学校から補助が出る場合、金額を含めた証明がいると言われたのです が、ちょうど今年からの採用された組織的若手要請プログラムの補助金の申請 が始まったばかりで、証明書の発行は五月の中旬になってしまいました。 Visa取得で大きなネックが保険でした。ワシントン大学にはVisa取得には大学 の保険に入るか一定の条件を満たす学外の保険に加入しなければならないとい うルールがあり、僕はワシントン大学からサラリーをもらわないので学外の保 険に入らなければなりませんでした。ところがその保険の条件の一つである既 往歴の免責の要項を満たす保険が見つからず、保険会社に詳しく聞いて見たと ころ日本国内では手に入らないとのことでした。Debbieに事情を連絡して日本 の保険で何とかならないかと頼みましたがこのルールは変えられないといわれ、 いくつかインターネットで加入可能アメリカの保険会社を紹介してもらいまし

た。その中の一つの - 京都大学rg4.rg.med.kyoto-u.ac.jp/voluntary/MS2011US.pdf · ルを直接送るように言われ、CVと簡単なものですがEssayを書きStappenbeck

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セントルイスでの十週間 島田 充浩 マイコースプログラムで約十週間滞在したセントルイスの生活についてその

準備も含めて書きたいと思います。多少日本語のおかしいところもありますが、

軽い気持ちで読んでもらってだいたいの雰囲気をつかめてもらえばと思います。 きっかけは専門の授業を受けているうちに、良い教科書は英語のものが多く、

海外(特にアメリカ)の医学に触れてみたいと考え、学部生のうちにマイコー

スプログラムの機会を利用して海外研修をしたいと思いを強くしていきました。 三回生の秋から遺伝薬理学のJournal clubに参加していたので、一月に武藤先生にマイコースプログラム期間に海外で研修をしたいと相談しました。先生に

以前ラボにおられ現在ワシントン大学でポスドクとして働いておられる三好先

生を紹介していただきました。三好先生にメールをしたところPIのStappenbeckは快諾だけれども、自己紹介とどんなことをやりたいなどを簡単に書いたメー

ルを直接送るように言われ、CVと簡単なものですがEssayを書きStappenbeckに送りました。こういうものを英語で書くのは初めてだったので戸惑いました

が武藤先生に助言をいただき仕上げました。そして簡単な質問とVisaのcoordinatorから連絡がいくからという返事をいただきました。(ここまでにおよそ二ヶ月半かかりました)四月の中頃にVisa coordinatorのDebbieからメールがありそこからほぼ毎日のように連絡をして三ヶ月ほどかけてVisaの準備をしました。 出発前で1番大変だったのがこのVisaの取得でした。 まず、学校から補助が出る場合、金額を含めた証明がいると言われたのです

が、ちょうど今年からの採用された組織的若手要請プログラムの補助金の申請

が始まったばかりで、証明書の発行は五月の中旬になってしまいました。 Visa取得で大きなネックが保険でした。ワシントン大学にはVisa取得には大学の保険に入るか一定の条件を満たす学外の保険に加入しなければならないとい

うルールがあり、僕はワシントン大学からサラリーをもらわないので学外の保

険に入らなければなりませんでした。ところがその保険の条件の一つである既

往歴の免責の要項を満たす保険が見つからず、保険会社に詳しく聞いて見たと

ころ日本国内では手に入らないとのことでした。Debbieに事情を連絡して日本の保険で何とかならないかと頼みましたがこのルールは変えられないといわれ、

いくつかインターネットで加入可能アメリカの保険会社を紹介してもらいまし

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た。その中の一つのISOの保険が短期で契約でき要件も満たしていたので購入し、その証明書と学校からの証明書などと共に郵送しました。お互いの確認ミスも

あったのですが、その金額が二ヶ月分の滞在に必要な金額に届かず、郵便貯金

の残高証明を後で送ることになりました。結局DS-2019が届いたのは六月の終わり頃でそれからインターネットでDS-160を作り、領事館での面接の予約を取りました。面接は夏休み前の混雑時期だったので、約二週間後の7月12日、

Visaはスムーズに発行されて二日後に届きました。出発の予定が7月27日だったので書類などに不備が会った場合は間に合わなかったかもしれません。 往復の飛行機は五月の中頃に旅行会社に行き予約しました。セントルイスま

での便は日本からはあまりなく、往復30万円以上するものばかりでした。ち

ょうど三好先生がシカゴの日本領事館に用事があるのでついでにシカゴまで迎

えに来ていただけるということだったので、シカゴ行きの便も選択肢に入れて

探しました。結局、20万円弱で最安だったのと日程の変更ギリギリでも出来

るということでシカゴ行きの大韓航空を購入しました。 ISOの保険は健康保険で事故などのトラブルは保証していなかったので、組み替えできる旅行保険に加入し必要分をカバーしました。 もう一つ問題だったのがセントルイスでの滞在先でした。もともとサマース

チューデントを募集しているところではないところに無理矢理ねじ込んでもら

ったので、自前で住むところを準備する必要がありました。セントルイスは非

常に治安の悪い都市で、郊外に住み車で通学するか比較的治安のいい大学周辺

に住むという二つの選択肢がありました。 ただ、滞在期間の問題(向こうは九月から新学年が始まる)もあり短期で貸

してくれる部屋はほとんどなく、また日本からでは雰囲気もいまいち分からな

かったのでセントルイスに着いてから住居は決めることにしました。車で通学

する可能性もあったので免許試験場で国際免許証も取りました(結局運転はし

ませんでしたが)。 現金は念のため日本で500ドル用意していきました。スーパーなどの買い

物はクレジットカードを使いましたが、大学の売店や自販機で飲み物を買った

りするときに重宝しました。それと、一度しか使わなかったのですが、新生銀

行のキャッシュカードは国際キャッシュカードとしての機能がついているので

念のために作っていきました。

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向こうでの連絡手段として、KDDI Mobileの携帯を短期契約しました。費用は一番安い機種で5000円くらい、月額基本料は$25くらいでした。値段も安く、出国までに手元に届き、向こうに着いたらすぐ使えるのでおすすめです。 荷物は選んだ航空会社が安かったせいもあり、預けられる荷物はスーツケー

ス一個、上限20kgまででした。一週間分の着替え(Tシャツ、長袖Tシャツ、ジーンズ、下着etc.)に加えてジャケット一枚とパーカーを一着、サングラス(向こうでは必須です)靴はスニーカーとサンダル、ランニングシューズを持って

いきました。迷いましたが、念のためジャケットを持って行きました。これは

正解でした。他にはノートパソコン、iPad、iPod、携帯、英会話の本を一冊(結局使いませんでした)、洗面用具一式、常備薬を持っていきました。持ってい

ったものはほとんど使いましたが、大概のものは向こうで買えるので、パソコ

ンや携帯、パスポート、財布などさえ忘れなければ大丈夫です。みそ汁や梅干

し日本茶は必要ありません(欲しければアメリカでも手に入ります)。 出発は7月27日。ソウルでトランジットして二時間ばかり遅れました無事

シカゴに到着しました。長時間フライトではアイマスクと首に巻く枕がとても

役に立ちました。ちょっとしたことですが馬鹿にできません。空港では特にト

ラブルもなく入国もでき、空港で三好先生にもすぐに会えました。そのまま近

くのモーテルで一泊し、翌朝セントルイスに車で向かいました。 約六時間でセントルイスに到着し、その足でラボに行きそこにいたメンバー

と挨拶をしました。三好先生がPhD studentのNickに前もって住むところのあたりを付けるよう頼んでくれていて、彼が候補の場所に連れて行ってくれました。 行った場所は学校から徒歩15分くらいの三階建てのシェアハウスでした。

他の住人二人はいなかったのですが、キッチンはぐちゃぐちゃで部屋には酒の

空き瓶が転がっていって、なぜか大きな犬と猫が家中を走り回っているという

ひどいところでした。家賃はひと月$750でした。着いたばかりでまだ周りの雰囲気もつかめていない状態だったけれどもこれは良くないだろうと思い断りま

した。今考えても信じられないほどひどいところでした。 ただ、前にも書いた通り滞在時期の問題があり短期で貸してくれるところは

他にはありませんでした。 そこでNickがラボにいる別のインド人のPhD studentのKhushbuのボーイフレンドがルームシェアをしているのだけれども、そのボーイフレンド(インド人)

が彼女の部屋に同棲状態でほとんど家に帰らないので、そこに住まわせてもら

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わせてはどうかと提案してくれました。事情を話すと二ヶ月半で$1000、九月の頭にインドのお祭りがあり家族が来るからその間数日外泊するという条件で快

諾してもらいました。結局その日の夕方に彼の部屋に転がり込みました。三好

先生は用事があり別行動だったのでいきさつを話すとかなり驚かれましたが、

とりあえず住むところが決まって一安心でした。 ぼろぼろなアパートでしたが、入り口とそれぞれの部屋に鍵があり一応セキ

ュリティーはしっかりしていました。ただ、僕の借りた合鍵の調子が悪く、正

面玄関の鍵が開けられず毎回Back doorから入らなければなりませんでした。表の道は大きめの普通の通りでしたが、裏側はほとんど人通りもなく、ゴミが散

乱してホームレスがうろうろしているというちょっと通りたくないようなとこ

ろでした。 一緒に住んだのはインド人で彼も学生のようでした。あまり朝も起きてこず

よく深夜に出て行ったりしていて結局一緒に住んでいてもあまり話をしたりす

ることはありませんでした。用事があって話したりするときは英語を使いまし

た。彼は長くアメリカにいたそうでインドなまりはあるものの英語には問題あ

りませんでした。 住むところが決まった翌日に三好さんに買い物に連れて行ってもらい一通り

必要な生活用品と食料を購入しました。生活用品はシーツと布団一式、シャン

プー、バスタオル、洗剤などで食器や調理用具は部屋にあるものを借りて使い

ました。ちなみに洗濯はアパートにコインランドリーがあり、そこで週にⅠ、

2回で済みます。基本的に乾燥機で乾燥させるのですごい勢いで服は傷んでい

きます。 夜に人を連れてきて騒ぐなど、多少問題はありましたが基本的に同居人は親

切で迷惑をかけなければお互い干渉をしないというスタンスで特に問題もなく

生活できました。ただ、シャワーが設定のせいか生温いお湯しか出なかったの

でクーラーの効いた部屋だったので大変でした。クーラーはどこに行っても日

本と比べ物にならないくらい効いているので真夏であっても羽織るものは必須

です。 着いた翌日にはInternational studentのオフィスに行ったり、IDを発行してもらったりして学校の方の手続きをしました。医学部キャンパスはとても広くて

迷ったりしましたが、こちらの方はスムーズに進みました。

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同じ日に僕が携わる研究の話があるからということで別のDepartmentへmeetingに行きました。(僕のラボはImmunology & Pathologyでした)Thad(Stappenbeck)はせっかく遠くから来たのだから思い切りやってほしいということで誰かの手伝いという形ではなくその共同研究を完全に独立という形で任

せてもらいました。かなりプレッシャーもあったのですが、やりがいもあり研

究の楽しさも実感できて本当に充実した時間を過ごせました。研究はマウスの

大腸にstem cellを移植するというもので、詳しい内容は別のレポートに提出しているので興味のある方は読んでみてください。 ワシントン大学は1853年創立の古い大学でワシントン州のUniversity of WashingtonやワシントンDCのGeorge Washington Universityなどと区別をするために、Washington University in St. Louisと最後に町の名前が入っています。校内ではWUSLTと表記されることや、略してWash U(ワッシュー)と呼ぶ人が多いです。京都大学を京大と呼ぶ感じでしょうか。学校のレベルはとても高

く、特に医学部は全米トップ3に入ります。医学部キャンパスはとても広くて

すべての建物は空中通路のようなものでつながっており至る所にラウンジがあ

ります。校内にはMetro linkという電車の駅もあります(小さいものですが)。歴代ノーベル賞受賞者の肖像が飾ってあるところもあったりして規模の大きさ、

歴史の深さに驚きました。 所属したラボは研究棟のひとつ、CSRB(Clinical Science Research Building)のNorth Towerの10階にありました。部屋自体は狭く、十数人のメンバーでいっぱいいっぱいという感じです。実験設備などは充実しているという訳ではなく、

他のラボと共同で使うというものが多かったです。Cell hoodもラボに一つしかなくGmailで予約して使っていました。みんなの実験が重なるときは大変でしたが、早めに終わったら譲り合ったりして何とかやりくりしていました。 ラボのメンバーはボスのThadと大学院生が5人、ポスドクが3人、テクニシャンが2人、フェローが1人の12人。一番日本と大きく違うと感じたのは女

性が多いことでした。全体的に見ても一対一くらいの割合で、所属したラボは

12人中7人が女性でした。バックグラウンドも様々でいわゆるアメリカ人は

4人、ヨーロッパ系(オランダだったと思います)、中国系アメリカ人、中国

系カナダ人、韓国系、インド系アメリカ人、インド人、メキシコ人、日本人、

という感じです。中国人とインド人は医学部内でも非常に多く、日本人はほと

んど見かけませんでした。

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雰囲気は和気あいあいとしていてメンバーが若いせいもあってすごくとけ込

みやすかったです。朝は決まった時間ではなく自分の実験の都合に合わせて来

るという感じで、あまり早くはないです。9時頃に行くと誰もいないというこ

ともよくありました。僕も10時頃にラボに行き、実験をするというのんびり

とした生活を送りました。 英語は特に日本で勉強していきませんでした。どちらかと言えばしゃべる方

より聞く方が大変でした。はじめはみんなの話していることの三分の一くらい

しか聞き取れませんでしたが馴れてくるとだいたいは分かるようになります。

インドなまりやメキシコなまりの英語を聞き取るのはさらに大変でしたがこれ

にも自然と耳が馴れてきます。向こうで学校の行き帰りに英語のリスニングを

したのが思いのほか効果的でした。しゃべる方は、ゆっくりしゃべっても聞い

てくれるので意思疎通には困りませんでした。それと、教科書を英語のものを

使っていたのがとても役に立ちました。専門用語などの単語のストックが頭の

中にあるとないとではラボでの会話の理解度が大違いです。 近くに気軽に行けるスーパーがなかったので、週に一回三好さんと一緒に車

で買い物に出かけて一週間分の食料を買っていました。一度に使う金額はせい

ぜい$100で円高のせいもあり生活費はそれほどかかりませんでした。Global marketという世界中の食材を売っているスーパーに行くと多少日本のものも手に入りましたが、セントルイスは中西部ということもあって日本料理を作るよ

うな食材を買うのは難しいです。ただ僕自身は日本食を食べなくても平気な方

なので特に気になりませんでした。 スーパーなどで買う食材はとても安いのですが、レストランでの食事やカフ

ェテリアのランチなど人の手がかかると、とたんに値段が跳ね上がります。昼

食ははじめはカフェテリアなどで買っていましたがお金がかかるので家から簡

単なものを作って持っていくようにしました。 前にも少し触れましたがセントルイスは非常に治安の悪い都市です。ミズー

リ州のイリノイ州との境、ミシシッピ川のほとりにあり、イリノイ側をイース

トセントルイスと呼びます。特にイーストセントルイスは治安が悪く普通の人

は行くことはありません。学校周辺は比較的治安いいのですが(あくまで比較

的です)北へ1.5kmほど行ったDelmar Blvdを越えるととたんに危険になるので車でも行かない、行ってしまったら赤信号でも停まっては危ないと聞きました。

ラボにいるメキシコ人ポスドクが以前学校の近くに住んでいて徒歩で帰宅中に

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強盗に襲われたそうで、2、3年済むと必ず1回は犯罪に合うそうです。町中

で変な人に声をかけられることは何度もありましたが、僕自身は怖い目には遭

いませんでした。一度校内で大麻を持ってないかと黒人の女の人に聞かれたこ

ともありました。そういうのは日常茶飯事だそうです。そういう理由もあって

ラボには出来るだけ手ぶらで来るようにと言われました。何か荷物を持ってい

ると目をつけられやすいからだそうです。 町にはこれといって娯楽もありません。研究に没頭するには都合のいい場所

かもしれません。日本から家族で来ているポスドクの方では家にいている奥さ

んが日中行くところがなく、ストレスが溜まって大変だということは聞きまし

た。僕は土日の午前中には近所のスターバックスに行って本を読んだりして、

昼頃から食料品を買いにいったりラボに行ったりして適当に時間を使っていま

した。そこのスターバックスは古い建物を改装した独特な雰囲気で客がドアを

蹴っ飛ばして開けるたりしていました。店内は狭くテラス席がほとんどでした

が、古いカフェみたいで過ごしやすい場所でした。 九月のはじめの連休に約束通り荷物をまとめ、部屋を出ました。Khushbuが彼女もボーイフレンドの家に泊まるから、その間彼女の部屋を使っていいと言

ってくれたので僕が彼女のアパートに移動しました。そこで、お祭りが終わっ

た後に戻るのも大変だからこのまま僕が彼女の家を使って彼女とボーイフレン

ドが僕の前住んでいたところで生活しようということになりました。こういう

いきさつで後半の一ヶ月ほど彼女のアパートで暮らしました。 移り住んだところは学校のすぐそばで、たまたまなのですが三好さんの住ん

でいるのと同じアパートでした。昔ホテルだったのを改装してアパートとして

使っていて、よくよく見るとその面影は残っていました。とても古いビルでエ

レベーターは映画に出てくるような自分で開け閉めする鉄の格子の扉のタイプ

でした。部屋はとても広く、キッチンとリビング、ベッドルーム、バスルーム、

ウォークインローゼットまで付いていて一人暮らしには快適でした。キッチン

のコンロがとても古く、常に中で種火を維持しており、たまにそれが消えてガ

ス漏れが起こるからガス臭いときはすぐに連絡するように言われて驚きました。

こういうことが月に一回くらいどこかの部屋で起こるそうです。 連休を利用してカリフォルニアのOrange countyに住んでいるいとこの家に遊びにいきました。そこはアメリカで一番治安のいい場所で気候も常に20℃

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位。同じ国とは思えないほど環境の違うところでした。アメリカのいろいろな

面を見られて良かったと思います。 セントルイス行った観光ですが、九月の終わり頃にCardinalsのゲームを観戦に行きました。スタジアムは大学から電車に乗って15分くらいのところで、

仕事帰りに気軽に行ける感じです。とても根強い地元ファンがいて、九割以上

の観客がユニフォームやキャップを身につけていました。あまり野球に興味の

あるほうではないのですがそれでもとても楽しむことが出来ました。同じ頃セ

ントルイスの(おそらく唯一の)観光名所、Archにも行きました。ここにも電車に乗って20分くらいで行けます。セントルイスで遊びに行くところはこれ

くらいですね。 実験の方は、途中なかなか結果が出ず苦労する場面もありました。最後には

結果が出てThadも三好さんにもここまで出来るとは思わなかったといってもらいました。特にThadには本当に喜んでくれました。 帰国まで数日というときにラボのメンバーに、もう日本に帰るのだから最後

にプレゼンをしていってよと言われ、急遽時間をとってプレゼンをすることに

なりました。突然だったので二日しか準備期間がなく、共同研究者への説明の

ために用意していたおおよそのデータを組み合わせてパワーポイントでスライ

ドを作りました。こういうプレゼンをするのは初めてだったので(しかも英語

だったので)緊張しましたが、メンバーが冗談を言ったりして場を和ませてく

れ、無事終えることが出来ました。評判も上々で、ほんとうにいい経験になり

ました。 日本に帰る日の直前に、たまたまですがラボメンバーの家ではBBQパーティーがあり参加しました。3時間ほど参加した後、その足で三好さんとメキシコ

人ポスドクと車でシカゴに行きました。もともと三人でシカゴ観光をする予定

でした。シカゴで一泊し翌日にミシガン湖やシカゴミュージアムなどに行きま

した。二人はその日の夕方にセントルイスに戻り、僕はもう一泊して翌日の昼

の飛行機で日本に帰りました。 向こうに行く前は、十週間はとても長いだろうと思っていましたが、振り返

ってみるとあっという間でした。実験も一通りうまくいって、これからさらに

やりたいというタイミングで心残りでした。 全体として感じたことは、こちらからアプローチしていけば向こうも答えて

くれる、こちらから何もしなければ何も起こらないということです。Thadが独

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立した研究を任せてくれたのもSummer studentsを募集していないところに踏み込んでいった心意気を買ってくれたからそうです。そのせいで準備や住むと

ころに苦労したりもしましたが、それもいい経験になりました。 最後に紹介していただいた武藤先生、受け入れてくれたThad、お世話になった三好先生、部屋を貸してくれたKhushbu、よく食事に行ったGerard、VInny、実験手技を教えてくれたNick、ラボメンバーたちに感謝を述べたいと思います。