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はじめにはじめに 地籍とは、*一筆ごとの土地に関する記録(*地番・*地目・所有者・*地積)、いわば「土地に関する戸籍」であり、その情

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はじめに

地籍とは、*一筆ごとの土地に関する記録( *地番・ *地目・ 所有者・ *地積)、いわば「土地に関する戸籍」であり、その情報は様々な場面で活用されています。その地籍を明確化するために地籍調査を行います。

(1)地籍調査とは

災害復旧の迅速化土地境界の位置が地球上の座標値と結び付けられ、成果が数値的に管理される

・・・万一の災害時にも境界を正確に復元することができ迅速に復旧活動にとりかかることが可能

(2)地籍調査の効果の一例

土地境界をめぐるトラブルの未然防止

一筆ごとの土地の境界が土地所有者立会いの下で確認され、数値データにより記録・保存される

・・・ 境界紛争が未然に防げる

土地の有効利用の促進地籍が明確化されることにより、土地取引や開発事業の用地取得が円滑になる

・・・土地の流動化や有効利用を推進するための基礎ができる

「明治150年」を節目の機会としてとらえ、明治以降整備された我が国の地籍と地図の成り立ちやその作成方法等を顧みるとともに、今日の地籍調査との関わりなどについて整理することで、地籍調査への理解をより深めていただければと思います。

*一筆 ・・・ 土地の単位であり、土地登記簿における一個の土地

*地番 ・・・ 一筆の土地ごとに登記所が付する番号*地目 ・・・ 土地の用途による区分であり、23種類の

地目がある(宅地・山林・田等)*地積 ・・・ 一筆ごとの土地の面積

地籍調査で作成される成果(地籍図・地籍簿)・地籍図

土地の区画、地番を記載した図面・地籍簿

一筆ごとの土地について、所有者、地番、地目、面積を記載した簿冊

地籍調査で作成された成果(地籍図・地籍簿)は所定の手続きを経た後、法務局(登記所)へ写しが送付され、地籍図は地図として備え付けられ、地籍簿の内容で登記簿が更新されます。

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1.明治以前

我が国の地籍・地図の歴史は、古くは大化の改新にまでさかのぼるといわれています。

豊臣秀吉により、統一的な方法による全国的な規模の土地調査として「太閤検地」が行われ、江戸時代まで、それと同じ要領で土地の調査が行われました。

この検地によって作成された検地帳や絵図は、明治初期の「地租改正」の基礎資料として重要な役割を果たしました。

✍ 検地帳田畑・屋敷など地目ごとに面積、石高、名請人、等級

などがまとめられた帳簿。

図2

石神村古川新田の検地帳

【出典:新潟県立文書館ホームページ】

「古川」は地字名

「中田」は等級(上・中・下・下々など)

「拾三間半/七間」は縦横の長さ

「三畝四歩」は面積

「国田村平助」が名請人(年貢負担者)

図1

幕末期頃の作成とされている名東郡観音寺村

(

現在の徳島市国府町観音寺)

の縮尺六00分の一

の「検地絵図」【出典:徳島県立文書館ホームページ】

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図3 地券之証【出典:国税庁ホームページ】

図4 常安寺村地券取調絵図【出典:愛荘町立歴史文化博物館】

2.地券制度の創設(1)土地の私有制度と租税制度の変換

明治新政府が樹立されると、土地の自由な私的所有権が認められるようになり、租税制度が「年貢」中心から* 「地租」へと変わり、課税方法や税の負担者などが大きく変わりました。

(2)壬申地券(地券之証)の交付

明治5年、政府は田畑売買を解禁して作付けの自由を認めました。そして売買・譲渡による所有権の異動を明確にするため、「地券之証」が発行されました。壬申の年に制定されたので、「壬申地券」と称されています。

地券の発行に当たり、土地の位置の明示と一筆ごとの面積、地目、地価及び所有者の確認が必要であったため、地番の付与と土地調査が行われました。

土地調査は、所有者による申告と検地帳などにおける記載事項を基礎として行われ、所有者により申告された面積が検地帳などの記載面積より少ない場合のみ測量が行われました。

この地券制度によって、土地の所有権が公に証明されることとなり、その後の不動産登記制度へとつながっていきます。

*地租 ・・・ 土地に課せられる税

地租年貢

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図5 測量風景【出典:国税庁ホームページ】

図7 改正地券 【出典:国税庁ホームページ】

3.地租改正事業(1)改租事業

明治政府は、明治6年から14年頃にかけて、地租改正条例等に基づき、地租の課税対象となる土地と所有者を正確に把握し、土地の価格を一定の基準で査定するための調査として、「地租改正事業」(以下「改租事業」という。)を行いました。

土地の面積は課税のために重要であったことから、この時の調査は、全て測量することにより確認されました。

府県庁(現在の都道府県)に提出された成果は、「地券台帳」と「地図」として備えられ、これが後の「登記簿」と「公図」のルーツとなります。

また、所有者には面積と地価を記載した地券(改正地券)が交付されました。

図6 地券台帳雛形(明治9年)【出典:公図と境界(新井克美)】

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(2)改租事業における地図の作成

3.地租改正事業

改租事業における土地の測量や地図(一筆図(いっぴつず)、字図(あざず)、全村図(ぜんそんず))の作成は、原則として村民自身の手で行いました。

改租事業での測量・面積の求め方は、主に「十字法」で行われていましたが、旧来の検地の慣例と各地の慣習とを参酌するとされており、地域によって異なっていました。

地図は、改租事業で作成されたため、「改租図(かいそず)」と呼ばれますが、「野取絵図(のとりえず)・字限図・字切図(共にあざきりず)・字図・地引絵図(じびきえず)」などとも称されることがあります。 図8 測量に用いられた種々の道具

【出典:新版日本の地籍その歴史と展望(鮫島信行)】

✍ 十字法

図9 十字法測量風景【出典:国税庁ホームページ】

不整形の土地を直角矩形(長方形)の形になぞらえて、縦・横の長さを乗じて面積を求める方法。

・土地の形状をみて、屈曲した境界線からなる土地の面積が等しくなるように目算して、屈曲した境界線を一直線に見通して想定した長四角形を作る。・想定した長四角形の四隅に細見竹を立て、各辺の中間に梵天竹を立てる。

・さらに、梵天竹の間に水縄を縦と横に張り、その交叉する中央に十(十字木)をあてて直交するようにする。※図中、○印は細見竹、△印は梵天竹、真中は十字(十字木)。

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(3)改租図

3.地租改正事業

地目の凡例 地番:143番地目:山林

地番:142番地目:宅地課税の等級:四等丙

地番:141番イ号

【分筆によりイ、ロ、ハの支号を記載】

図10 改租図(字図)【出典:横浜地方法務局】

赤色は道

青色は川

・ 一筆図と字図の縮尺は1間1分(1/600)が一般的で、全村図は10間1分(1/6,000)、5間1分(1/3,000)、3間1分(1/1,800) など地域によって多様でした。

・ 小さい村は村単位、大きな村は字単位で、一筆の土地ごとに番号を付し、土地の重複や脱落を防止しました。この番号が、地番のルーツです。

・ 地図の表現形式は、すべての地目に関して色分けし、田畑の地位等級(四等丙など)、地目・合計面積の記載などがみられます。

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4.全国地押調査事業(1)全国地押(じおし)調査事業

図11 「地租ニ関スル諸帳簿様式」で定められた「土地台帳」 の様式【出典:公図と境界(新井克美)】

「改租事業」の完了を受け、明治政府は明治17年3月に「地租条例」を公布、また、同年12月には「地租ニ関スル諸帳簿様式」を定め、新たに「土地台帳」を編成して戸長役場(こちょうやくば=現在の市町村役場)に備え置くこととしました。

土地台帳の作成においては、地券台帳と改租図を基礎としましたが、慣れない人々の手で短期間で作成されたため不正確なものも多く、現地と整合しないばかりか、脱落地や重複地等もあって、地租徴収への支障が生じました。

そこで、改租事業における脱落・誤謬の補訂、改租事業当時以降の変動を整理するために実地調査を行うことにしました。明治18年2月、「地押調査ノ件」を各府県に訓令し、測量・面積の求め方は、主に「三斜法」により、再調査を行いました。

左:図12 明治15年大蔵卿松方正義から太政大臣三条実美への「地租改正報告書」にある三斜丈量ノ図上:図13 明治17年「地租条例取扱心得書」で示された三斜法を用いた野取絵図の雛形

✍三斜法図のように多くの三角形

に分割し、それぞれの三角形の面積を合計して一筆地所の面積を求めるもの。

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4.全国地押調査事業(2)地押調査における地図の修正

再調査においても、測量及び地図作成に関して従来の方法が踏襲され、粗雑な地図が出来上がりつつあったため、明治20年6月に「地図更正ノ件」が通達され、 * 「町村地図調製式及更正手続」と* 「町村製図略法」の基準により、地図を修正(字ごとの地形を描いた町村図、一筆ごとの地形を描いた字図を作成)することになりました。

左:図14 測量時写真【出典:国税庁ホームページ】

右:図15 当時使用された測量器具(原名 アリダート:在来の板分見の

器械に類するもの)と附属品【出典:公図と境界(新井克美)】

* 【町村地図調製式及更正手続】♦地図の調製は、原則として下記の「町村製図略法」によること。♦地図は、毎字の地形を描いた町村図と毎筆の地形を描いた字図の二種を作製。♦町村図は1部、字図は正副各1部を府県庁及び戸長役場に備え付けること。

* 【町村製図略法】♦使用すべき測量器具及び製図用具を図示。♦使用する測量器具は、板分間器や分間略器に代えてアリダード等近代的測量機械を、間竿・間縄に代えて

巻尺等を、梵天竿に代えて紅白又は黒白に塗られたポールを使用。♦製図用具は、コンパス、比例両脚規、三角定規など、測量は平板測量の方法による。

「地押調査」は、全ての地域を対象に調査したものではなく、改租事業で不備があった地域や、改租事業後に開墾などで土地に変動が生じた地域について実施されました。この調査で作成された地図は「更正図(地押調査図ともいう。)」と呼ばれています。現在、登記所に保管されている公図の多くは、改租事業又は地押調査により作成された地図であるとされています。

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・ 町村図の縮尺は「五間ヲ以テ曲尺一分」(1/3,000)、字図の縮尺は「一間ヲ以テ曲尺一分」(1/600)で作り、用紙は美濃紙を使用しました。

・ 地図調製後に土地の売買等の異動があると字図の副図に、その都度、貼紙を以て修正しました。・ 道路・河川の位置の変更など、地図の修正では支障があるときには、地図を再製しました。・ 地図は、10年毎に調製することとし、調製年月日と製図者の記名捺印をしました。

図16 町村地図調製式及更正手続で示された地図の雛形

【出典:公図と境界(新井克美)】

4.全国地押調査事業

(3)更正図

調製年月日を記載

製図者の記名捺印

図17 更正図 【出典:高松法務局】

≪更正図の特徴≫調製年月日・製図者の氏名の記載がある。

この公図は図16の中段と同様式の字図となる。

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(1)地券台帳から土地台帳へ

✍シャウプ勧告昭和24年に、日本における長期的・安定的な税

制と税務行政の確立を図るため、シャウプ使節団が全国を精力的に視察した結果を基に、提出した勧告書。この勧告書の基本原則は、同25年の税制改正に反映され、より現状に即した調整が加えられ、国税と地方税にわたる税制の合理化と負担の適正化が図られた。

✍ 登記法土地及び建物等に関する売買譲渡等については、

戸長役場において、この事務量が増え、体制が追いつかなくなったことや公証制度の不備などに加え、幕末に締結した外国との不平等条約破棄のために欧米の法律制度の導入が必要であったことから、明治19年8月に「プロイセンの法」に倣って法律第1号で「登記法」が制定された。

その後、民法(明治29年法律第89号)、不動産登記法(明治32年法律第24号)が制定されたことから、登記法は廃止となった。

5.土地台帳・同附属地図の沿革

(2)土地台帳・附属地図の税務署から登記所への移管

図18 商店主と税金について語るシャウプ博士【出典:国税庁ホームページ】

明治22年3月「土地台帳規則」が制定され、地券制度が廃止されたことにより地租に関する記録は、すべて土地台帳に一本化され、「市の土地台帳」は府県庁の収税部、「町村の土地台帳」は島庁郡役所(現在の市町村役場)の収税部に備えて事務が行われることになりました。

また、明治29年11月には、大蔵省のもとに税務署が発足し、税務行政は国が統一的に行うようになりました。以降、土地台帳は税務署が管理することとなりました。

なお、明治19年には「登記法」が制定され、登記所が所有権移転及び質入の登記をした際には、土地台帳所管庁(現在の税務署)に通知することにより、情報共有が図られるようになりました。

戦後になると日本国憲法に、地方自治の理念が掲げられたため、地方財政の自主性確立を目指し、昭和22年に「土地台帳法」が制定されたことにより、 「地租法」が廃止され、地租は国税から都道府県税に移されましたが、課税の均衡を図る必要性から、土地台帳は国の機関である税務署が引き続き管理しました。

昭和25年、「シャウプ勧告」に基づいた税制改正により、地租が廃止され、市町村税である固定資産税になりました。これにより土地台帳は税金と切り離され、税務署で管理されていた「土地台帳とその附属地図」は、不動産登記の事務を司る登記所に移管されました。

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✍登記所に備え付けられている地図や図面・不動産登記法第14条第1項(旧不動産登記法17条)の地図

「一筆又は二筆以上の土地ごとに作成し、各土地の区画を明確にし、地番を表示するものとする」

・不動産登記法第14条第4項の地図に準ずる図面(公図)

「登記所には、第14条第1項の規定により地図が備え付けられるまでの間、これに代えて、地図に準ずる図面を備え付けることができる」「土地の位置、形状及び地番を表示するもの」

5.土地台帳・同附属地図の沿革(3)登記簿と土地台帳の一元化

昭和35年4月「不動産登記法」が改正され、表示に関する登記制度が新設されるとともに、新たに、登記所に地図を備え付ける旨が規定され、これに伴い、「土地台帳法」が廃止されました。

それまで、不動産の権利関係(所有権・抵当権等)を明らかにする「不動産登記制度」と、土地の状況(地番・地目・地積等)を明らかにする「土地台帳制度」が並立的に存在していました。この両制度はその性格上、密接不可分の関係にあり、重複する部分が多く、しかも両者の事務は同一の登記所において取り扱われていたため、両制度が統合一元化されました 。

公図は、昭和25年に、登記所に移管されてからわずか10年で、登記所に備え付けるべき図面としての法的根拠を失うことになりました。公図は、距離・角度・方位・地積(面積)といった面については信頼性に欠けるものの、隣接地との位置関係や筆界が直線か曲線かという面においては、かなり信用できるものであったため、その後も登記所の内部資料として保管され、一般の閲覧等にも供されるなど、不動産取引や登記事務にとって極めて重要な機能を担ってきました。

このため、平成5年に、不動産登記法が一部改正され、地図が整備されるまでの間、「地図に準ずる図面」として備え付けられることとなり、法的な位置付けが与えられました。

図19 土地台帳と登記簿の一元化

左:土地台帳 中:登記簿右:一元化により改製された

登記簿の表題部

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6.国土調査法に基づく地籍調査

(1)地籍調査開始の経緯

✍ 「国土調査法」の制定経緯・昭和22年、経済安定本部(旧経済企画庁の前身)に設置された

資源委員会で、国土の調査に関する検討がなされ、昭和24年に取りまとめられた「土地調査に関する勧告」で、土地について科学的な調査を行う必要性が高いことが示された。

・国会においても、昭和24年に「全国統一的土地調査に関する決議」が採決され、同年10月に「国土総合調査に関する閣議決定」がなされた。

・昭和25年5月に経済安定本部に土地調査準備会が設置されると国土調査実施に向けての準備作業が開始され、翌年5月に「国土調査法」が可決、成立した。

(2)地籍調査の推進体制の整備

敗戦により疲弊した日本を再建するためには、残された国土資源を最大限に活用し、国民経済の基盤を充実させる必要がありました。

地籍調査が始まった当初の地籍図は、土地の境界だけではなく、河川等の地形や農作物の種類なども記載された土地利用図的色彩が強く、誤差の限度の区分の考え方も現在とは異なる不完全なものであり、規程類も不十分でした。

そのため、昭和32年に「国土調査法」が改正され、法の目的として地籍の明確化が位置付けられるとともに、緊急的に地籍調査を実施すべき地域について、国と地方公共団体が協議の上作成する特定計画制度の導入、経費負担の明確化などの規定が追加されると同時に、規程類も改められ、事業の骨格が整うこととなります。

それでもなお、事業の進捗が十分ではなかったため、昭和37年の「国土調査促進特別措置法」の成立により、昭和38年には「国土調査事業十箇年計画」が閣議決定され、以降十箇年方式により地籍調査を推進していくこととなりました。

しかし、国土がどのような状態にあるのか、ほとんど把握されていなかったことから、国土の実態を正確に把握することが強く求められることになります。特に、昭和22年より開始された農地改革では、国が農地を買い上げ、小作人に譲渡しましたが、登記簿上の面積や土地台帳附属地図の位置表示が不正確であったため、配分に混乱が生じ、地籍の明確化が求められていました。

このような背景の下、昭和26年に「国土調査法」が制定され、「地籍調査」が開始されました。

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6.国土調査法に基づく地籍調査(3) 地籍調査成果「地籍図・地籍簿」の不動産登記での取扱い変化

地籍図は、地籍調査後に登記所に送付されることとしか定められておらず、位置付けが曖昧でした。その後、地籍図の精度が向上したこともあり、不動産登記での取扱いが徐々に明確化されていきました。

地籍簿は、国土調査が開始された当初、 土地台帳に反映されることとなっていましたが、土地台帳と登記簿が一元化されたため、登記簿に直接反映されることになりました。

地籍調査後、「地籍図・地籍簿」を登記所へ送付

昭和26年~国土調査法では登記所に送付されることしか定められていなかった

昭和32年~「土地台帳附属地図として差し支えない」

昭和37年~「不動産登記法に規定する地図とすることができる」

昭和46年~「原則として地図として備え付けるものとする」

昭和52年~「特別な事情がない限り、地図として備え付けること」

昭和26年~土地台帳を訂正(登記簿は訂正されず)

昭和32年~土地台帳を訂正した場合には、登記簿もそれに合わせ訂正

昭和35年~

土地台帳と登記簿の一元化が実施され、地籍簿は登記簿に直接反映(「土地台帳法」廃止)

地籍図 地籍簿

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・ 登記簿 (地籍簿の内容が、登記簿に反映される)

不動産番号

地図番号

所   在

② 地 目

 畑

 宅地 57

 表 題 部 (土地の表示) 調製  余 白 123456789012

E¹53-3 筆界特定  余 白

○○市○○町  余 白

① 地 番   ③ 地  積          ㎡ 原因及びその日付〔登記の日付〕

218番 120  余 白

135 ①平成2年7月8日地目変更③錯誤国土調査による成果

6.国土調査法に基づく地籍調査(4) 地籍調査成果「地籍図・地籍簿」による不動産登記への反映

←変更前(下線部分は変更箇所)

←変更後の内容

公図(地籍調査前) 地籍図(地籍調査後)

右の地籍図が、登記所に地図として備え付けられる

・ 地籍簿 (左:地籍調査前の登記簿の内容、右:地籍調査後の変更箇所のみ記載)

㎡ ㎡

〇〇市〇〇町

218 畑 120○○市○○町52番地山田 花子

宅地 135 57平成2年7月8日地目変更地積錯誤

E153-3

地積 所 有 者 の 住 所 及 び氏 名 又 は 名 称

原因及びその日付地 図番 号

地 籍 調 査 前 の 土 地 の 表 示 地 籍 調 査 後 の 土 地 の 表 示

字名 地番 地目地積 所 有 者 の 住 所 及 び

氏 名 又 は 名 称字名 地番 地目

地籍調査後、「公図」が「地籍図」となり、「正確な地図」として登記所に備え付けられ、「地籍簿」が「登記簿」に反映されます。

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(5)地籍調査の流れ

①住民への説明会調査に先立ち、住民への説明会

を実施します。

②一筆地調査土地所有者等の立会により、境

界等の確認をします。

③地籍測量地球上の座標値と結びつけた、

一筆ごとの正確な測量を行います。

⑥登記所への送付登記所では、登記簿が書き改

められ、地籍図が備え付けられます。

⑤成果の閲覧・確認地籍簿と地籍図の案を閲覧にかけ、

誤り等を訂正する機会を設けます。

④地積測定・地籍図等作成各筆の筆界点をもとに、正確な

地図を作り、面積を測定します。

6.国土調査法に基づく地籍調査

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国土調査法制定

明治元年

7.地籍・地図の歴史(まとめ)

明治6年 明治14年 明治17年 明治19年 昭和25年 昭和26年 昭和32年 昭和35年 昭和52年 平成5年

不動産登記制度が開始

(税務部局備付)

・登記所に地図を備え付ける規定創設・土地台帳法廃止・土地台帳と登記簿の一元化

土地台帳

附属地図

登記簿

準ずる図面土地台帳

土地台帳附属地図

登記簿

登記所備付地図(現14条1項地図)

準ずる図面(現14条4項図面)

地租改正

調査完了

「準ずる図面」を不動産登記法上

位置付け

土地台帳及び

附属地図の移管

土地台帳及び

附属地図の整備

地租改正

調査開始

昭和37年

地籍図の登記所での取扱いの変化・昭和32年「土地台帳附属地図として差し支えない。」・昭和37年「不動産登記法に規定する地図とすることができる。」・昭和46年「原則として地図として備え付けるものとする。」・昭和52年「特別な事情がない限り、地図として備え付けること。」

昭和46年

廃藩置県(明治4年)

歴史的な

出来事

日清戦争(明治27年)内閣制度発足

(明治18年)

第二次世界大戦終戦

(昭和20年) サンフランシスコ平和条約締結(昭和26年)

日ソ共同宣言(昭和31年)

日中平和友好条約(昭和53年)

阪神淡路大震災(平成7年)

関東大震災(大正12年)

国土調査

1873年(約139年前)

8年

政府は土地の私有を認めた

・ 地租は所有者負担であり、金納・ 地租は地価の3%・ 地租改正の事務局は大蔵省租税寮

(現在の財務省主税局)

地籍簿で土地台帳を訂正

地籍簿で土地台帳と登記簿を訂正

登記所備付地図

国土調査法改正

(法務省運用改正)

原則、「地籍図」を地図として活用

東京オリンピック(昭和39年)

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明治政府は近代的産業を発展させ、少しでも早く先進資本主義国に追いつくことを目指しました。しかし、殖産興業に力を入れようとした広範な場面で、地図という基本的な情報基盤は整備されていませんでした。現在では、道半ばではありますが、登記所に一定以上の正確な地図が備え付けられている、その背景には、時代や社会の制約を受けつつも、多くの人々が努力を重ねてきた歴史と成果があります。

地籍調査は、現在「第6次国土調査事業十箇年計画(平成22年度~平成31年度)」の後半期にあります。大規模な災害が想定される地域や、特に進捗の遅れがみられる都市部等において重点的に実施するとともに、地籍調査を効果的かつ迅速に実施するため、新技術の活用等による効率的な手法の導入など、各種の推進方策に取り組んでいます。

図20 登記所備付地図の現状

測量機器(GNSS測量機)

測量機器(トータルステーション)での観測風景

8.おわりに

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☝ 未踏の高山を目指した明治期測量隊①

明治時代の山上は、地形図が整備されておらず、地理情報不足だったため、現地を熟知していた登山講を案内する者、狩猟や採集で生計を立てる者のガイドが必要でしたが、雇おうとしても断られることもありました。理由は諸説ありますが、「登った事のない危険な山ですから、如何に高い給料を出して遣るからといっても・・・」、 「道案内できる者はいるが、秘伝として、みだりに人に伝えない。」という理由で断られていたと言われます。

当時は、ガイドを雇用することも容易ではなかったようです。

☝ アラビア数字の覚え方

明治初期の技術者の中には、漢数字しか見たことがない者が多く、アラビア数字を覚えられなかったため、数え歌のようにして覚えたと言われています。「1=棒、2=のん、3=耳、4=ケ、5=ち、6=鼻、7=鍵、8=瓢、9=のし」

のん

のし

2= =のん

9= =のし

【出典:地図をつくった男たち(明治の地図の物語) (山岡光治)】

☝ 未踏の高山を目指した明治期測量隊②

高山地での観測の際には、標石(総重量100㎏以上)・測量機器(約50㎏)・雑器具箱・宿営機材、さらには最低でも2週間もの期間を要したため、山上生活に必要十分な食料を確保するとなると、かなりの重量になったと考えられます。

これだけ重量のあるものを山上へ運ぶのは容易ではなかったので、「強力(ごうりき)」、「荷背負(にしょい)」などと呼ばれる、その土地の屈強な運び手を雇用したと言われています。

図21 測量機器を運搬する測量隊写真

付録.明治時代の測量苦労話

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・公図読図の基礎 (古今書院) 佐藤 甚次郎

・明治期作成の地籍図(古今書院)佐藤 甚次郎

・新版日本の地籍その歴史と展望(古今書院)鮫島 信行

・公図と境界 (テイハン) 新井 克美

・縣治要略(青蛙房)安藤 博

・地図をつくった男たち(明治の地図の物語)(原書房)山岡 光治

・「土地の境界と公図・土地台帳の沿革」 新井 克美

・法務省、国税庁ホームページ

・横浜地方法務局、高松法務局

・徳島県立文書館ホームページ

・新潟県立文書館ホームページ

・愛荘町立歴史文化博物館

・公益社団法人全国国土調査協会・機関紙≪国土調査≫

引用・参考文献

作成: 国土交通省 土地・建設産業局 地籍整備課