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(1)€¦ · 趣 旨 や 今 後 の 進 め 方 に つ い て は 、 本 号 掲 載 の 高 野 洋 委 員 の 報 圧 [(14 ペ ー ジ) を お 読 み い た だ き た い

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Page 1: (1)€¦ · 趣 旨 や 今 後 の 進 め 方 に つ い て は 、 本 号 掲 載 の 高 野 洋 委 員 の 報 圧 [(14 ペ ー ジ) を お 読 み い た だ き た い

昭和63年3月10日 第217号

(総務)

(施設)

新年度予算

・事業計画案も

日太丁記心省クラブ理事Aムは

一二月

日、理事

二人、監事

一人

の交代と、

これにともなう総務、施設運営両委

員長の交

代を承認した。

総務委

員長には犬漣康彦

理事

(共

同通儒社

専務理帯)が、

施設運営委

員長

には小池唯夫理事

(毎日新聞社富本共弗覚㍊ 員の記含こ署 呂

第217号

1988年

3月10日 発行

第134回 理事会

主筆

・東京本社編集局

長)が、それ

れ就任した。

㎜圧事

はまた、昭和山ハ十=一年度予

算案

よび事業計画案

を審議した。

両案

は三月二十二日の臨時総会にか

られ

る。詳細は次[・ゴで報告する。

「ク

ラブ賞」選考始

まる

一士刀、山ハ十=】年度

「門]本詣記者クラ

ブ賞

の選考が聞始され、まず推薦

委員会

が二月二十六、

二十九両口、

八候補

について個

々に詳

しく検討

た。推

曲薦委u貝会のメンバ

ーは昨年同様

委員

・青木彰(個人

D)、委員・緒方

(同)、五味三勇(同

)、

疋田桂

一郎

(名誉会

員)、村上孝止

(新聞協会審

東京都千代田区

内幸町

ニノニノ

日本ブ

レスセ

ソタービル

⑰㎜…

社団法人

日本記者クラブ

五〇

三ー

二七二二(代)

査室

長)、野崎茂

(民放連研究所長)

の計山ハ八筑昌以9

このあと四月十

一日、総務委員会

選考委藁会となり、推薦委員会

告をもとに審査し、同月二十五

の理事会で授賞者を決定、五月二十

口の総会で表彰、と

いう段取りと

っている。

新企画

「アジアと日本」

二月

のクラブ行事

としては、鈴木

二日経連会長、渡辺美智雄自民党

政調会長を招

いての昼食会をはじ

フォーゲ

ル西[独連邦参噸議院議長、宮

木顕治共産党中央委議

長の記者会見

があ

ったほか、新たな

シリーズ研究

「アジアと日木」が発足、その第

一回として鳥羽欽

一郎早大教授から

「ノ

・テウ政権

の課題」、第二回とし

て登山家

の今井通子さ

んから

「私

た北朝鮮」

について聞

いた。

「アジアと日本」

は、企画委員会

で大ま

かな方針

を決

め、小委員会

具体案を練

ってきた長期企画で、ま

ず身近な朝鮮

半島

の問題から取り上

ることにな

った。その趣旨

や今後

の進め方

ついては、本号掲載

の高

野洋委員の報圧[(14ページ)

お読

いただき

い。

前号でお約束

した

「経済見通

し」

の記録版配布

は、編集作業を

スピ

ドアヅプし、ニガ中

にすべて完了、

多くの会員

に噌骨ばれたu編集

の過

で、講師の方

々にもゲラを見

ていた

だくなど、

ご協

力を願

った。厚く

礼中しあげ

る。

会報委員会

は、五十九年四月以

来、毎号連載

てきた

「スタジ

オ訪

問」がほぼ

一巡

したのを機会

に、会

の内容構成

レイアウトを見直

てみては、

の話が持ち上が

って

る。会員各

のご意見、

アイデ

アを

いたい。

これに関連

して、会報の日玉

であ

「とっておき

の話」の筆者が途絶

えそうになり、編集子があわ

てる

とがある。会員

すべてに

一度

は登場

していただく方

針なので、まだ

の方

は奮ってご寄稿

をお願いす

るQ

(事務局長

下田

一)

(1)

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昭和63年3月10日 第217号

ζ、?てお:きσ~話

ャラウ

ェイ

「柳眉が逆立

つ」話

.一十

七年

二).….月

日付

の謝艦レ冗新聞

は、那…剃轟免北ハ

同電

として

「自

は現状

で十

縄米高

等,弁

務官

「..口明」

う記

を.一.段

で扱

って

いる。

同じ

共同電

を、

口経

はじめ地方

紙も

一.皿な

いし四

で扱

った。

「方

、朝

目新

…開は・〔社

「統

ワ掴

責任

て米

高等弁

務官

政簾

で強

、.U.一と同

様趣

の記事

を一.…段

で掲載

た.、

よう

[米

ら、

おそ

らくゾてれ

ほど大

騒ぎ

にな

ような記事

でも

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かし、

一九

二年

いえば

、安

騒動

で辞

た岸

の後

を受

て誕生

した池

田内

よう

やく

二年

に入り、

日本

の経済が

高度

長期

にさ

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ろ、米国

ネデ

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ュ:バ危機

に直

して

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の翌年

であ

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昌家

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ほぼ

一年目。も

ん、そ

のころ

の沖

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り、

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トで通

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の往復

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1,が

必要

酔町代

った。

一、ラ

ェで

高等弁

務官

う問

題発

一.ロウが

あ一った

のは、

二月

二十

日の現地

記者会見

の席

った。

当時

に特派員

いた

のは朝

毎、読、共

、N

HK

の六

社りま

だ、

外扱

いだ

った

でも本

ら来

人問

ナ.リ

(外

国人

)、沖

の人

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ュー

(琉

球人)

る差

"

され

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沖縄

には米

の民

府があ

り、

米軍呵令

のキ

ャラウ

ニイ陸軍中

将が兼務〃、

現地の琉球

μ有

政、司法

、立法

の各部門

に分

かれ

て.一.権分

の建前をと

っており、

主席には大

田政作氏が就任

てい

た。しかし、名は政府と

はいうも

のの誌坑球

政府

の権限は弱く、画夫権

は衆軍が握

っていた。疏球政府

なrごとを決定するにも、米民政

ウお伺

い?をたてねばならな

いと

いう

のが実情だ

った。

日本政

府も南方連

絡嘱務所という外交機

瑚を那.覇

に置

いてはいたが、

いわ

ば総領事館

に過ぎず、対米折衝

ほとんど

は、日本政府が東京

シント

ンで

「代行」していた。

のため被占

領下の沖縄

では自

治権

の拡大、本

土復帰が大きな課題と

って

いたQ

ザての折

のキ

レラウ

ニイ発

だけ

に、

[日頭

の記事が

口本

の国

や現

に与

コックは大き

った

ても

いい。記

には沖

縄現

の沖

タイ

ス、

新報

の記

おり

、両社

とも.この発

.肖

を掲

いた。

の反応

はまず

束京

から

った

Ω「国会

で野党が

、キ

ラウ

ェイ発

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り上げ

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にす

ると

って

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ー大

使

らも

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わせがあ

った。

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れば

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い」

であ

る。

とは

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の当方

には速

記録

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し、

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ーも現在

ほど

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「いず

民政府

の正式

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はず

らそ

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る」

と返

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いた。

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ン支

局か

も東

を通

て、

「米

政府

の日

は、

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のかと

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の連絡

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った

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った翌

[、

H

(2)

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昭和63年3月10日 第217号

と共同

の支

に対

して、

乗軍・の広

担当

の陸

人佐

から

「民

で出頭

い」

と電

で呼

しが

った)

ルソ

ンと

いう男

で、

ふだ

は愛想

いが

この

日ば

かり

口ぶりも

詰問

調

だ.、結

局、

「な

んな記

を書

いた

高等弁

はそん

こと...肖って

い」

「いや、..口った」

-二いう

りが

.時間

いて、

会談

はも

の別

とな

った

り.一日後

米民

ャラ

ェイ発...目の公式

を発表

たじ

こには

「沖

の自

治権

は現状

で十

「私

の権限

絶対

いう

心な

部分

は省

いた。

いま考

えれば

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いが

込め

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も、

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も残

って

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かし、

この記事

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いかど

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らな

いが、

の.記者会

など

で、

恥、ラ

イ中将

「過

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つ後

退

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のは事

であ

Q

沖縄

は歴

74令

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でも

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いわ

ラウ

ェイ氏

は現

退

、故郷

の米

で弁

士を

開業

を送

った

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い消

は知

らな

い。

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はが

らりと変.わる

って

おき

の話

がも

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てく

のは

ヤボ

ても

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い思

い出が

「女

るぺ

」-・}

いう話

であ

る。

昭和

十年

ら五十一..年

かけ

て、私

は本社

の文

化部

長を

経験

た。そ

の前

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文化的

った

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った、

った

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韻育

であ

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ころ

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い。

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化部

にな

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一月

ころ

ったと

Q文

化部

の新

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企画

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中年

対談

いう

のが

り、

司会

を務

こと

にな

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の某

、出席

は男

が藤

本義

一、

女が

田茉莉

いう顔

った.

天下

の大

に会

る、と

、いそ

いそ

と私が

に駆

つけ

こと

いうま

でも

い。

に着

いた

のは藤本

で、

田さ

は五

六分

て姿

た。

のあ

いさ

つと

りと

めも

い雑談

を交

した後

いよ

いよ

に人

る。

こで

の司会

の発言

まず

った。

は冗

った

つも

りだ

「き

ょう

は美

、美

に来

て頂

いて、中

の魅力

にっ

てお話

いた

い」

った

たん

田さ

の顔

たc

「中

なん

です

か。私

だ中

つも

りで

んく

対談

の趣旨

ら、私

は帰

せて頂

ます

」と

、突

った

のだ。

んあ

てた

こち

らだが

、藤

本氏

っく

した

い。

いの

で男

二人

も立

上が

り、

「まあ

そう

いわず

に」

田さ

んを

ひき

め、結

は私

「中年

」発

噂、口を

訂正

して、

よう

やく対談

が始

った。

人が

こと

「柳

眉を逆

る」と

いうが

のとき

の岡

の眉

ほん

つり上

って

いた。以

、気

のおけな

い女

に、

「中

年」

いう呼び

は私

のタブ

:と

った。当時

いえば

か岡

田さ

四卜

一、

.一歳

ころ

だ。藤

木氏

はず

。現

のよ

うな長

寿社

ム耳か

らみれば

だ若

い盛り

ろうが

女性

シの話

はオ

イ。

いま

マリさ

んに、

「実年

など

った

ら、

また柳

が逆

つだ

ろう

か。

一度

い気

もす

る。

.りも

り点

ヘハ賃

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.

.几年

16小

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認ロ院

た院炉肇

...年

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人杜

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ニ.局

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κ.

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へ出

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L

(3)

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昭和63年3月10日 第217号

,.ワー キ ン グ プ レ スハ マ コー 委 員 長 辞 任

国会

一週間近

くも揺るがした

「浜

田問題」は、浜

田幸

一代議士

の衆院予算委員長辞任

でようやく

決蒋

したo振

ば、浜田氏

が、強引な委員会

の議

事運営や質

問妨害と

いった、議

会制民主主義

ルール違反の責

任をと

っただけ

だ。に

もかかわらず

、最近では今回

の取材ほど深い疲労感

を覚えた事

はなか

ったよう

に思

う。政治記

にと

って政局、国会、政策

など

の取材

「夜討

ち、朝駆

け」

は口常茶飯事。肉体酌、精

神的疲労とは裏腹

に、

国政や

外交

のヤマ場を踏

で特ダネ

を狙うのは生きが

いである。

をほめちぎ

った。社会党

の山ロ書

長です

「辞任

は当然」としな

がらも

「態度

としては男

らしか

たと出心う」と気配

たo

「男らしい」

というのは

「国家

ため」♪一自ら

バラを切

った占韻だけ

でなく、

「浜

田氏が沈黙を守

った

ため」

(自民党幹部)という見方

一般的。

政界

の裏面

に通じた浜

田氏を、

見役

の金丸前副総理らが対野党

心し、最後

に自

ら提案者とな

て自民党が衆院本会議で委員長解

任決議案を提

出、

可決す

バラを

固めた。安倍氏も

「幹事長就任

来、最も骨が折れる仕事」と周辺

に漏らしたよう

に、取り扱いを誤

れば

ポスト竹下

の第

一人者として

の指導力を問

われるところ。そ

で都内

のホテ

ルに陣取

って浜

田氏

と極秘会談

を重

ねたが、報道陣が

安倍氏の私邸

で待ち受けているの

"政

治〃取材

は奥行

きが

いが

しかし、今回

は収拾しても苦

いが残

った。取

材現場である政

の体質が改めて問

だ。

「政策不在、

国民不在

のドタ

タ劇」を追うため、休刊日まで

上して党執行部

や浜

田氏

の動き

を取材するのは、

正直

ってウソ

リした。

「まことに男らし

い態度。立派

な出処進退だ

った」

(安倍幹事長)

1

自民党執行部

は浜田氏の決断

折衝など

「重宝な人材」として

活用してきた。浜田氏は説得に努

めた安倍幹事長ら党幹部に

「辞

ても

いいが、野党幹

部も道速れに

る」と野党対策をめぐる

スキャ

ソダ

ル暴露を

ちら

つか

う。さらに竹下政権

を揺るがしか

ねない話を表ざた

にする、と開き

ったという情報も流れたほど。

安倍氏は浜

田氏

の口を封じたま

ま自発的辞任

に踏

み切らせるよう

を察知、そ

の夜

は帰宅

なか

った。

「解任も辞さず」との

安倍氏の決意が伝わり、

浜田氏も

ついに折れた。

安倍氏

は幹事長の面目を

ち、カブを上げた。竹下首相も

胸をなでおろし

たはずだ。浜田氏

は沈黙を守

って辞めたことで、政

府自民党首

に貸しを作

ったとも

曇.口える。

だが、同時

に対野党

工作

の裏舞

など真相も

ヤミに隠れ、開き

ったフタも閉じられた。与野党

関係者が貝にな

れば、

不明朗な国

運営の実態を暴く

のは難しい。

ロッキード事件

とは

スケールこそ

違うが、報道す

る側

は粘り強

く取

材活動を継続す

べきだろう。

義理人情

に訴

え、浜田氏を

「国

士」に祭

り上げ

ての決着

は、

いか

にも自民党的な政治手法。そ

で、浜田氏

の委員長就任を強く

した金丸氏と、

これを認

めざ

を得なかった首相

は無原則な人事

の報いを受けた格好だ。超安定多

にあぐ

らを

かく自民党

のタガの

るみを浮き彫

にもしたQ

政治取材

は奥行きが深

い。そ

だけ

に記者

の原点を踏まえ、心を

引き締

めて報道

に当たる。今回

事件を機

にこ

の原則を改めて確認

したのは私だけではあるま

い。

あきやま

てると氏

一九ヒ三年日本経済新聞入

社ヒ五年から政泊部

八八年三月に国際一部へ

「お 世話鵡 廷 りま した、 困会を出 る浜 田氏

く2.12)写 真 日本経 済新聞

(4)

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昭和63年3月10日 第217号

ワ ー キ ング プ レス政府税 調 地方公聴会

型問接

税絡

の税

制改革問

で、既41手

は全国

の耳

口を集

める

ュー

ス震源

の宿

背負

ってし

ったようだ

一.月十一二臼、山石f

宜口守村

公聴会

に出

政府税制調

の小倉武

一会

.長

は、記者会見

[EC隅什

が理想」「生

必辞脇

よ低税

課税も検討

る」と発

.、口G

「例

を設けな

い」

いる政

民党

と食

い違

いを

みせ、各

日朝

.斉

撮道

した。

ょうど

.年

院岩r

区補

は、

ヒ税

で戦

った社

の小川

一氏が

圧勝、

に反売

の考

えがあ

のか

いし

地方紙記

っては、国

一般

の関心事

にも

かかわ

レベ

ルで

が進

む、新

接税問題

に取村

でき

諏.ンスであ

る。

さな山村

聴会

を開く

のは、実

ことだ

った⊆

まず

意見発

。売上税

の聴.

よう

にイ

スか

ーを答え

いいが

は1ーバ体案

"岩

ョック

"

旋風

を巻

き起

こし

た。

公聴会

は、

この小川氏

の傍聴者

一入

として出席

∪税

改革論議

ク反売-に税

ニラ

ミをき

かすー

と、

これだけ

でも話題性

は十

分だ

った。

守村

は北

に抱

かれた人

口六LI二訂

の過

ロ純

提村

地世胃

とし

て開催地

に決

ったが

、税

調

には岩

の間

レルギ

ー反

h応

のワての後

の経

.断

した

い、

の財源をU的

に、私らからも税金

を取る新型間接税

には反対だLc厳

しい農業環境

を背景

に、農民の側

から税の不公平是

正を求める声が

満ちた。

小倉会長から

「食料品

〔新

間接税をぜ課税す

ることはどうで

か」と水を向け

られたのにも、

「生き

るため

]にしなければな

い物まで二

律課税というのは反

対」とキヅパリ.、閉ムム後の一記者くム

されていな

い。

「税金問題

で弁

つ人なんて

いな

スよ」と、役

の苦悩が伝わ

ってきた∪結局、

村議、婦人

ループ代

び、県農協中央会

の税務職員を呼

んでの農業課税勉強

会も行

って、

音心見発表

に備え

た。

公聴会

の意見発表

者五人のうち

三人が農業従事

者。

「農畜産物

価格が低迷し、

税を納めるほど

所得がない」

「サラリー

マソ減税

で小倉会長に

[,非課

検討L発言させた

のは、

山あ一いの村

に生き

る農

の悲

痛な訴えが、導火線

にな

った

のではないかと

思う。

「EC型付

値税

で、ほか

は喰

たも

のだ」「も

う決

って

は時間稼

「 本

に絞

って

出す

と反発

を招

ので一.、一一.案

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小倉

会長

の言

は、追

っかけ

.取材

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にも衝撃

った。

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の発、一.口は

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の話だが

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り。

これ

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...一口で、

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い」

と申

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った。

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る。

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昭和63年3月10日 第217号

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り、

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る。

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い」

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る。

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から、

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の人

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一%以

上も増

やしたことにな

る。

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たり三千

ルとしても

レビだけ

で三百万ド

ルは落ちる。

このほか

新聞記者、週刊誌記者、外

圏特派

員など二千人が詰めかけ

から、

四年

一度

の大統領選

ニュー

ンプ

シャー州

一千万

ル産業で

ある。

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のドール上院

院内総

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は続くというg

んな

にカネを

つぎ

んでペイ

るのか、などと心配

は無用。日

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ット広告を

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できる。

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がアイオワ州

の民主党

党員集

でトップを占

める

ことが

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のは、

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で四万八千ド

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しようと、ベ

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ド市

の長老派教会で待

た。小高

い教会

の入口で、

はるか

彼方を見

ると長蛇の車

の列。近づ

いてくれば

、なんのこと

はな

いド

ール氏とそ

の運動員、

これ

を追う

報道陣

の車

った。「いつか

らドー

ル氏と行動

を共にして

いる

の」と

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のカメラマソにき

いたら、

「もう三週間になる」との答

えだ

た。ドー

ル氏が破れるま

で彼

らの

コンピ

ューターが

日本で

二倍もする。関税障壁の

せいだ」との

スポ

ヅト広

で人気を博し

たためと

言われている。

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領選で、雨屯波

に消える

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い。

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八日記)

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治齢を経て八四年外前離

八五年からワシノトγ

特派員

LII:論 凋 陛.、『カ、,ブカ・,)し なはb・ 」rノ⊂い と い う教 、訓 ウ・'■≠

ん だ 日 」 且位 蓮 爆 の ブ,・ ン ユ 候 補12461写 真WWP

(6)

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昭和63年3月{0圓 第217号

ワ ー キ ン グ プ レズ大韓機事件 薗際論論韓

・日

マスコミの

「由具由羊ハフィ

ーバ

ー」が続く大韓航空機事件

発生

から三か月余りがた

ち、韓国

による捜査結果発表と朝鮮

民主土

義人民共和国(北朝鮮)の反論も再

三行

われ、事件

に対する殴界各国

の見方もほぼ定着

したよう

にみら

れる。容疑者、金賢姫

の詳細な供

述以外

に具体的な物証が

とぼ

しい

だけ

に、西ドイツやイタリ

アのよ

に、事件

の調査が不十

である

とし

て慎

な態

を表

した

(国

安保

理)と

ころも

、主要

の論調

を見

朝鮮

の緊密

の度

が如

に表

いる.)

に中

国、

ソ連

は、

とも

表など、事実関係は比較的細かく

フォ

ローしながら、どちら

一方

への肩

入れは注意深く

た、韓

国当局

の捜査結果発表と金

賢娩

のテレビ記者会

見が行

われた

翌日の

一月十六日、北京放送

は北

朝鮮が発表した「事件

とは無関係」

との声

明や中国駐在

の北朝鮮臨時

大使

の否定会見を報

じる

=カで、

中国外交部

「いかな

る国際

.アp

にも反対」

「論評す

つもりはな

示唆

な中

、ソ

の対

北朝鮮

の南北統

一政策

やπ輪

の南

北共催案

を支持し

つつ、九

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ル五輪参加を決めた点

では

一致

しなが

ら、大韓機事件

ついては

際立

った違

いを昆せており、極

て示唆的だc

中国

のこの事件

に対す

る報道姿

は、積極的

でありなが

ら慎重そ

のも

のであるc事件

の翌

口には北

京放送が事件発生を報じ

たのをは

め、その後

の南北双方

の声明発

18

北京放送)。

これ

に対し、ソ連

は昨

年十二月

十四

目の時点で既

「韓国はすべ

てを北朝鮮

の罪にしようとしてい

るQ北

への挑発はA唱大中氏ら致事

や金浦空港爆破

でも

行われたが

事実無根だ

った」(モスクワ放送

)

と北

への肩入れを明ら

かにし、金

賢姫会見後の

一月二十

日、タス通

の政治評論[貝が

「南…の挑発的宣

ャンベーンであ.り、北

の.乎和

いL

との中

立的立場を

っきりと

伝えた。

た国連安保理

について

は、各

の演説内容を伝え、中

国が

「事

により朝鮮半島

(緊張)情勢

エスカレートさせな

む」

との中立的立場ととも

に、南

北対話や統

一問題に

ついて、北の

「建設的提案に積極的

に呼応する

よう希望する」と北朝鮮支持

の立

場を演説

で表明したと報じた(2・

ニシ

アチ

から注意

そらす

ため

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ている」と述

、完

に北

朝鮮

主張

に同

調

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の後も北支持

の姿勢

一貫して

おり、韓

・日・米の主.張

は伝えず、

の主張

のみを報道

して

いる。

この対照的な中

ソの違

いは、最

の朝

ソの軍事

・政治的緊密さと

韓中急接近、特

に中国

禰矩

アジ

ア大会開催

など

での韓国

への期待感

の現れとみられ、興味

い。

一方

、西側諸国

の論調

「また

しても

ロを行

った北朝鮮は国際

一層

孤立

L

のト

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通し

ている

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や金

見など

にか

の紙面

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した。

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かせて

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昭和63年3月10日 第217号

「沖縄の声」の

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三次

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にな

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における住民

「集

団自決-が大ぎな

争点にな

った。集

団自決は、国側が主張するような犠牲者

「数-の問題ではなく、

「なぜ起き

か」と

いうことを問題

にしなければなら

い.冒日本軍

に追

つめられ

o自決

クであり、そ

の背景には

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一があ

った9

皇民化教育では、.口語をはじめ沖縄

'七'』 ・亭・.ノ.=1[駈i「1ヒ 「;1乱;1レ『)メU受.kf=・L9

の伝統…文化

が抑圧され、

口本

化と軍国

E義教育が徹・底して行

われた.岬ての結墨が集団自決

ひめゆり学徒などの悲劇を生.ん

だ》

-口の丸

・君

が代

」の強制

に多くの県民

が反発する

のも、

こに皇

民化

教育のにお

いをか

》,」とるからである。

沖縄戦

では、沖縄が本土防爾

「捨て石」

にされたが、戦後

は目本の独

と引き換えに、三

十年近くも米

国の統治下に置か

の米

%

の強

で、

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昭和63年3月10日 第217号

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昭和63年3月10日 第217号

鈴木

永二

日経連会長

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、定

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に対

って

いる

γ

結果でも顕著なので、そう

いう見通しを

述べた

のだと

 .口う。

しかし、年功中心

の賃金体系

のドで、

能力給的要素をどう反映させるかが十分

に確定

し得

ていない現状

で、

「定昇を中

心に考

える」という

ことは、客観的

にみ

コ定昇抑

え込み論しととられ

ても仕方

がな

いのではないかリ

「人間中

心主義」が日本的経営

の神髄

と、..口う、会長

の記念署名は

「不易流行

Ω

仏教 の.…口葉

で、物事

には変わらざーる本質

的部分

と時

とともに変わる付帯的部分が

り、

それを見誤

ってはならな

いという

意味

のようだ

、芭燕も

「奥の細道

の旅

の終わり近く、貧し

い弟子

「俳句

のし

とは?

」の問

いに、

「千歳不易

「時流

行」と答

えているとか。すなわ

ち、俳句

の心は真実

とか生命を把握す

ことで、

それは変

わらな

いが、それだけ

では俳句

にならず、そ

の時々の白然や断

の中の移

り変わりを織り込んではじめて生きた具

体的麦現

になるu

口本的経営者にふさわし

い座右銘であ

るoが、国際化の進

展にともなう新しい

社会的、経

請と、

「人間中心室

」を支えた年功敵税の賃金体系や終身

などの中から、何をど

のよう

にいつ取捨選択

は、秀句をひね

るよりはるかに至難

だ∪

誉.月八日

ーー

広醐一郎委員

嵩席

ヒ山、人】

渡辺美智雄

自民党政調会長

「NTT株売却益

と税収

の好調

で、新年

度↓3,符が案

では二Q%㎝増

の公娠ハい賢業費を計

上でき

たが、国債費

の規継はすでに社会

保障費

をヒ団って

おり、財政官情が急

、笛くな

っているわげ

では■ない」

瀞木国経済が健巖を同韻俣するのに相当時

間がか

かりそうな

ので、日木の内需拡大

策も五、

六年続けざ

るを得な

いか・もしれ

い.

.方、琶齢化社会も猛

スビ:ドで

ってくるりそれら

に対応するための財

湘仙をどうするのかロ・もう僻旧金

できーな

い冒法人税も所得税も

タ{旨誰が考え

も消費税

で広く薄く

みんなで負担するし

かな

いではないか、とたたみかける)

しかし、

「誰が考えて・1・消費税しかな

一だけ

で、有権者

は納得す

か9政権交代のな

い政治状況下で、自民

党が間接税導入を柱

にした税制改革を訴

えるなら、旧熊依然

の予算配分のあり方

に自ら

{スを人れる態度

が必要なのでは

いか9

[広く薄

い負、相ごに対応して、固

定西爪には結びつきず

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昭和63年3月10日 第217号

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昭和63年3月10日 第217号

4日▽民報協記者研修会

スト

渡辺

美智雄自民党政調会長

「関年

政治経済

はこうな

る」

土井たか子社会党委員長

「今、なぜ

護憲か1社会党

の今後」

(N

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河合公八郎会員)

6

日▽

ロンド

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OB会

ロンド

ン特派員経験者

の集

(共同

柴田純

一会員)

10日▽

社会部

OB会

(日経

占野光久会員)▽

日本婦人放送者懇談会sJ賞授賞

パーテ

ィー

(NHK

後藤美代子会員)

12日

▽カメラ記

者クラブ懇話会

(朝

木原

昌三会員)

15日▽早大政治学会OB会

(朝日

伊波新之助会員)▽共同外信O

B会

(大塚喬

重会員)

18

日▽日本林政

ジャ…ナリストの会総会

・懇親会

(朝日

大谷健会員∀

19日▽日本外交協会研究

講師

田公郎外務省

アジ

ア局長▽

豪口牛肉交渉

に関する記老発表

スチュ

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事官

(豪州大使館

武田吉朗会

員)

22日▽JNN編成部長

(TBS

磯崎洋三会員)▽ζ需=

準窃の

ζ㊦簿

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∋稀三2(FPC

村欣

二会員)

23日▽全国郷土紙連合社

長会

・懇親会

(陸奥

川越淳弘会員)

29日▽第

一回中国記者団歓迎

レセプ

ショ

(FPC

安延久夫会員)

(難艀

滞織繍哩婿聖擁没)

(12)

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日本新聞社

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(常務取締役

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制作担当)

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四国新聞社

(新)

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(取締役東京更社長)

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(新)

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のため抵去されまし

た9謹んでご冥福

をお祈り申し

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一四四社

基本会員

六一.二人

価人会員

】、三九七人

法人

・個人賛助会員

七五

二四〇人

特別賛助会員

七四人

名誉会員

六人

一九社

二、

一.一四九人

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14日

(月)午後

3時

30分~5時

研究会

「,ウすー

ルストリートから見たアメリカ」

澤芳男野村証券取締役副社長

15日

(火)正↑

~午後2時

デビ

ッド

・ヤンゲ英

貿易産業相昼食会

午後

3時~

4時30分

東京ドーム見学

16日

(水)午後

3時~4時30分

シリーズ研究会

[.アジアと口本L(配)

田公郎外務

省アジア局長

餌日

(木〕↑卜後

2時~3時30分

シリ!ズ研鷹九ム圏

「ソ連

その実態と意図

」(XW)

川和男ソ連東欧貿易会主任

研究員

会報委員長11深川

委員11林

利隆

三好崇

松井

東郷茂彦

連絡11長谷川

河野

(事務局)五〇

三-

二七二二

(16)