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476 159. cis-1,2-ジクロロエチレン 名:1,2-DCEcis-1,2- DCE PRTR 政令番号:1-159 (旧政令番号:1-118CAS 号:156-59-2 式: cis-1,2-ジクロロエチレンは、副生成物や分解物として生成され、この物質としての用途はないと考えら れます。 2010 年度の PRTR データでは、環境中への排出量は約 3.6 トンでした。すべてが事業所から排出され たもので、ほとんどが河川や海などへ排出されました。 ■用途 cis-1,2-ジクロロエチレンは、常温では無色透明の液体で、揮発性物質 です。かつては染料や香 料、熱可塑性の合成樹脂 などを製造する際の溶剤として使われたり、他の塩素系溶剤の原料とし て使われていましたが、現在は 1,1-ジクロロエチレンあるいはクロロエチレン製造時の副生成物 として生成されたり、他の物質の環境中などでの分解物として生成されますが、cis-1,2-ジクロロ エチレンとしての用途はないと考えられます。 なお、cis-1,2-ジクロロエチレンは 1,2-ジクロロエチレンのシス体ですが、トランス異性体 trans-1,2-ジクロロエチレンがあります。 ■排出・移動 2010 年度の PRTR データ によれば、わが国では 1 年間に約 3.6 トンが環境中へ排出されたと見 積もられています。すべてが下水道業などの事業所から排出されたもので、ほとんどが河川や海 などへ排出されました。この他、化学工業などの事業所から廃棄物として約 95 トン、下水道へ 0.002 トンが移動 されました。 ■環境中での動き 環境水中での動きについては報告がありませんが、化審法の分解度試験 では、cis-1,2-ジクロロ エチレンは微生物分解 はされにくいとされています 1 。生物への濃縮性 は低い物質です 1 。大気中 では主に化学反応によって分解され、1週間以内に半分の濃度になると計算されています 1 また、土壌中や地下水中では、酸素の少ない状態でトリクロロエチレンやテトラクロロエチレ ンが微生物により分解されることによって、cis-1,2-ジクロロエチレンが生成される可能性があり ます。土壌中や地下水中では、cis-1,2-ジクロロエチレンは揮発されにくく、酸素の少ない状態で

159. cis-1,2-ジクロロエチレン159.cis-1,2-ジクロロエチレン 477 微生物によってクロロエチレンに分解され、さらに分解されていきますが、その速度は場所によ

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Page 1: 159. cis-1,2-ジクロロエチレン159.cis-1,2-ジクロロエチレン 477 微生物によってクロロエチレンに分解され、さらに分解されていきますが、その速度は場所によ

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159. cis-1,2-ジクロロエチレン

別 名:1,2-DCE、cis-1,2- DCE

PRTR 政令番号:1-159 (旧政令番号:1-118)

C A S 番 号:156-59-2

構 造 式:

・cis-1,2-ジクロロエチレンは、副生成物や分解物として生成され、この物質としての用途はないと考えら

れます。

・2010 年度の PRTR データでは、環境中への排出量は約 3.6 トンでした。すべてが事業所から排出され

たもので、ほとんどが河川や海などへ排出されました。

■用途 cis-1,2-ジクロロエチレンは、常温では無色透明の液体で、揮発性物質です。かつては染料や香

料、熱可塑性の合成樹脂などを製造する際の溶剤として使われたり、他の塩素系溶剤の原料とし

て使われていましたが、現在は 1,1-ジクロロエチレンあるいはクロロエチレン製造時の副生成物

として生成されたり、他の物質の環境中などでの分解物として生成されますが、cis-1,2-ジクロロ

エチレンとしての用途はないと考えられます。

なお、cis-1,2-ジクロロエチレンは 1,2-ジクロロエチレンのシス体ですが、トランス異性体に

trans-1,2-ジクロロエチレンがあります。

■排出・移動 2010 年度の PRTR データによれば、わが国では 1 年間に約 3.6 トンが環境中へ排出されたと見

積もられています。すべてが下水道業などの事業所から排出されたもので、ほとんどが河川や海

などへ排出されました。この他、化学工業などの事業所から廃棄物として約 95 トン、下水道へ

0.002 トンが移動されました。

■環境中での動き 環境水中での動きについては報告がありませんが、化審法の分解度試験では、cis-1,2-ジクロロ

エチレンは微生物分解はされにくいとされています1)。生物への濃縮性は低い物質です1)。大気中

では主に化学反応によって分解され、1週間以内に半分の濃度になると計算されています1)。

また、土壌中や地下水中では、酸素の少ない状態でトリクロロエチレンやテトラクロロエチレ

ンが微生物により分解されることによって、cis-1,2-ジクロロエチレンが生成される可能性があり

ます。土壌中や地下水中では、cis-1,2-ジクロロエチレンは揮発されにくく、酸素の少ない状態で

Page 2: 159. cis-1,2-ジクロロエチレン159.cis-1,2-ジクロロエチレン 477 微生物によってクロロエチレンに分解され、さらに分解されていきますが、その速度は場所によ

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微生物によってクロロエチレンに分解され、さらに分解されていきますが、その速度は場所によ

って異なります。

■健康影響 毒 性 cis-1,2-ジクロロエチレンは、マウスの骨髄細胞を使った染色体の異常を調べる試験など

で、陽性を示したと報告されています1)2)。これに関して、(独)製品評価技術基盤機構及び(財)

化学物質評価研究機構の「化学物質の初期リスク評価書」は、試験管内の多くの試験では陰性を

示していることなどから、cis-1,2-ジクロロエチレンの変異原性の有無については判断できないと

しています1)。

シス体であるcis-1,2-ジクロロエチレンの慢性毒性に関する実験の報告は多くありません。トラ

ンス体については、マウスにtrans-1,2-ジクロロエチレンを90日間、飲み水に混ぜて与えた実験で

は、雄にアルカリフォスファターゼ(ALP、リン酸化合物を分解する働きをもつ酵素)の増加が、

雌に胸腺重量の減少が認められ、この実験結果から求められる口から取り込んだ場合のNOAEL

(無毒性量)は、体重1 kg当たり1日17 mgでした3)4)5)。

このトランス体の実験結果から、cis-1,2-ジクロロエチレンのTDI(耐容一日摂取量)は体重1 kg

当たり1日0.017 mgと算出され3)、水道水質基準、水質環境基準や地下水環境基準が設定されまし

た。

その後、2008年に食品安全委員会は、同じ実験結果に基づいて1,2-ジクロロエチレン(シス体

及びトランス体の和)のTDIを体重1 kg当たり1日0.017 mgと再評価しました5)。これに基づき、

cis-1,2-ジクロロエチレンの水道水質基準は、cis-1,2-ジクロロエチレン及びtrans-1,2-ジクロロエチ

レンの水道水質基準に変更されました。基準値は0.04 mg/Lで、従来の値と同じです6)。

環境基準については、2009年9月の中央環境審議会の答申において、地下水では、シス体、トラ

ンス体とも0.04 mg/Lを超える濃度が検出されていることから、シス体単独ではなく、1,2-ジクロ

ロエチレン(シス体及びトランス体の和)として、地下水環境基準が設定されました7)。一方、河

川などの公共用水域では、二つの異性体とも0.04 mg/Lを超える濃度は検出されていませんが、シ

ス体では基準値の10%(0.004 mg/L)を超える濃度が検出されているため、従来どおりcis-1,2-ジ

クロロエチレンは水質環境基準として基準値が、trans-1,2-ジクロロエチレンは要監視項目として

指針値が設定されました7)。

体内への吸収と排出 人が cis-1,2-ジクロロエチレンを体内に取り込む可能性があるのは、飲み水

や呼吸によると考えられます。体内に取り込まれた場合は、代謝物に変化し、24~72 時間以内に

尿に含まれて排せつされると考えられます 2)。

影 響 水道浄水や河川からは水道水質基準や水質環境基準を超える濃度の cis-1,2-ジクロロエチ

レンは検出されていませんが、水道水の原水では水道水質基準を超える濃度が一例、地下水から

は環境基準を超える濃度が一部で検出されています。このような汚染された水を長期間飲用する

ような場合を除いて、飲み水を通じて口から取り込むことによる人の健康への影響は小さいと考

えられます。

これまでの測定では、cis-1,2-ジクロロエチレンは大気中からも検出されたことがありますが、

呼吸によって取り込んだ場合の人の健康への影響を評価できる情報は、現在のところ報告されて

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いません。

■生態影響 現在のところ、わが国では水生生物に対する信頼できる PNEC(予測無影響濃度)は算定され

ていません。 なお、(独)製品評価技術基盤機構及び(財)化学物質評価研究機構の「化学物質の初期リスク

評価書」では、ミジンコの繁殖を指標として、河川水中濃度の推計値を用いて水生生物に対する

影響について評価を行っており、現時点では環境中の水生生物へ悪影響を及ぼすことはないと判

断しています 1)。

性 状 無色透明の液体 揮発性物質

生産量

(2010 年)

国内生産量:-

排出・移動量

(2010 年度

PRTR データ)

環境排出量:約 3.6 トン 排出源の内訳[推計値](%) 排出先の内訳[推計値](%)

事業所(届出) 100 大気 5

事業所(届出外) - 公共用水域 95

非対象業種 - 土壌 0

移動体 - 埋立 0

家庭 - (届出以外の排出量も含む)

事業所(届出)における

排出量:約 3.6 トン

業種別構成比(上位 5 業種、%)

下水道業 82

化学工業 6

一般廃棄物処理業(ごみ処分業に限る。) 5

パルプ・紙・紙加工品製造業 4

非鉄金属製造業 2

事業所(届出)における

移動量:約 95 トン

移動先の内訳(%)

廃棄物への移動 100 下水道への移動 0

業種別構成比(上位 5 業種、%) 化学工業 100 下水道業 0 産業廃棄物処分業(特別管理産業廃棄物処分業を含む。) 0 - -

- -

PRTR 対象

選定理由

変異原性,経口慢性毒性

環境データ 大気

・大気汚染物質モニタリング調査(1,2-ジクロロエチレンとして,一般環境大気):測定地点数 1

地点,検体数12検体,最小濃度0.0000073 mg/m3未満,最大濃度0.000080 mg/m3;[2009

年度,環境省]8)

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159.cis-1,2-ジクロロエチレン

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・化学物質環境実態調査:検出数 19/73 検体,最大濃度 0.00016 mg/m3;[1987 年度,

環境省]9)

水道水

・原水・浄水水質試験:(シス及びトランス-1,2-ジクロロエチレンとして)水道水質基準超

過数;原水1/5101地点,浄水0/5624地点;[2009年度,日本水道協会]10)11)

公共用水域

・公共用水域水質測定:環境基準超過数 0/3507 地点;[2010 年度,環境省]12)

・化学物質環境実態調査:検出数 24/66 検体,最大濃度 0.00054 mg/L;[1987 年度,

環境省]9)

地下水

・地下水質測定:環境基準超過数;概況調査 2/3217 本,汚染井戸周辺地区調査 9/281

本,継続監視調査 169/1839 本;[2009 年度,環境省] 13)

底質

・化学物質環境実態調査:検出数 1/69 検体,最大濃度 0.00033 mg/kg;[1987 年度,環

境省] 9)

土壌

・土壌汚染調査:環境基準超過数(1991~2009 年度累積)528 事例/10251 調査事例;

[2009 年度,環境省]14)

適用法令等 ・大気汚染防止法:揮発性有機化合物(VOC)として測定される可能性がある物質

・水道法:水道水質基準値 0.04 mg/L 以下(シス及びトランス-1,2-ジクロロエチレンとし

て)

・水質環境基準値(健康項目):0.04 mg/L 以下(シス -1,2-ジクロロエチレンとして)

・地下水環境基準:0.04 mg/L 以下(シス体及びトランス体の和として)

・水質汚濁防止法:有害物質,排出基準 0.4 mg/L 以下

・土壌環境基準:0.04 mg/L 以下

・土壌汚染対策法:特定有害物質,土壌溶出量基準 0.04 mg/L 以下

・廃棄物処理法:特定有害産業廃棄物,金属等を含む産業廃棄物に係る判定基準(汚

泥)0.4 mg/L 以下

・日本産業衛生学会勧告:作業環境許容濃度 590 mg/m3(150 ppm)(cis 体,trans 体,

sym 体として)

注)排出・移動量の項目中、「-」は排出量がないこと、「0」は排出量はあるが少ないことを表しています。

■ 引用・参考文献 1)(独)製品評価技術基盤機構・(財)化学物質評価研究機構「化学物質の初期リスク評価書 Ver.1.0」

((独)新エネルギー・産業技術総合開発機構 委託事業、2008 年公表) http://www.safe.nite.go.jp/risk/files/pdf_hyoukasyo/118riskdoc.pdf

2)薬事・食品衛生審議会薬事分科会化学物質安全対策部会 PRTR 対象物質調査会、化学物質審議会管

理部会、中央環境審議会環境保健部会 PRTR 対象物質等専門委員会合同会合(第 4 回)「参考資料

4:候補物質ごとの有害性・暴露に関する詳細情報」

http://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/law/information/yakuji/pdf/4th_sankoshiryo04.pdf

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3)WHO「Background document for development of WHO Guidelines for Drinking-water Quality」 http://www.who.int/water_sanitation_health/dwq/1,2-Dichloroethene.pdf

4)厚生労働省「水質基準の見直しにおける検討概要」シス-1,2-ジクロロエチレン http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/suido/kijun/dl/k16.pdf

5)食品安全委員会「清涼飲料水評価書:1,2-ジクロロエチレン(シス体及びトランス体) http://www.fsc.go.jp/hyouka/hy/hy-tuuchi-12dce150703.pdf

6)厚生労働省「水道水質基準について:水質基準省令の改正等について」 http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/suido/kijun/suishitsu.html

7)中央環境審議会「水質汚濁に係る人の健康の保護に関する環境基準等の見直しについて(第2次答申)

http://www.env.go.jp/council/toshin/t09-h2104/t09-h2104.pdf 8)環境省「平成 21 年度大気汚染状況について(有害大気汚染物質モニタリング調査結果)(資料編)」

その他の物質 http://www.env.go.jp/air/osen/monitoring/mon_h21/data.html

9)環境省「平成 22 年度(2010 年度版)化学物質と環境」(化学物質環境実態調査)化学物質環境調査結果概要

一覧表 http://www.env.go.jp/chemi/kurohon/2010/shosai/4_2.xls

10) (社)日本水道協会「水道水質データベース」平成 21 年(2009 年)水質分布表・原水 http://www.jwwa.or.jp/mizu/pdf/2009-b-01gen-02avg.pdf

11)(社)日本水道協会「水道水質データベース」平成 21 年(2009 年)水質分布表・浄水(給水栓水等) http://www.jwwa.or.jp/mizu/pdf/2009-b-04Jyo-02avg.pdf

12)環境省「平成 22 年度公共用水域水質測定結果 (表 2) 」

http://www.env.go.jp/water/suiiki/h22/full.pdf 13)環境省「平成 21 年度地下水質測定結果(参考資料 4(参考))」

http://www.env.go.jp/water/report/h22-01/01-ref.pdf 14)環境省「平成 21 年度土壌汚染対策法の施行状況及び土壌汚染調査・対策事例等に関する調査結果の

概要」Ⅱ.調査結果;(1)年度別の土壌汚染調査・対策事例数;(2)物質別の超過事例数 http://www.env.go.jp/water/report/h22-02/02.pdf

■ 用途に関する参考文献

・(独)製品評価技術基盤機構・(財)化学物質評価研究機構「化学物質の初期リスク評価書 Ver.1.0」((独)

新エネルギー・産業技術総合開発機構 委託事業、2008 年公表) http://www.safe.nite.go.jp/risk/files/pdf_hyoukasyo/118riskdoc.pdf

・国土交通省北陸地方整備局「水質調査」健康項目;シス-1,2-ジクロロエチレン http://www.hrr.mlit.go.jp/hokugi/01/river/pdf/glossary1-3.pdf