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2014 年度 日本法哲学会 学術大会・総会 案内 日本法日本法哲学 2014 11 8 日(土)・9 日(日) 日本法日本法哲 京都大学 吉田キャンパス(本部構内)(京都市左京区) 法経本館 2 法経第 1 教室、法経第 9 教室、法経第 10 教室 受付:法経本館(西棟)2 日本法統一テーマ日本 「立法の法哲学 立法学の再定位 共催:京都大学大学院法学研究科 プログラム 1.1 第1日午前の部 <個別テーマ報告> 法経本館 2 法経第 10 教室 日本法 a 9:00 xya9:45 日本法内藤 法政大学 「平和追求の規範的相対性ホッブズを進化心理学で修正する :基本的自然法( 仮題 )」 日本法 a 9:50 xy10:35 日本法赤間 高知大学 R. アレクシーの法的議論、原理論及び裁量瑕疵論と原発訴訟論 行政事件訴訟法の法哲学的一断面」 日本法 10:40 xy11:25 日本堅田 研一 愛知学院大学 D. コーネルの脱構築的法哲学について――法における倫理性の問題」 11:30 x y12:15 髙橋 秀治 三重大学 「感情とのつきあい方 リベラリズムの観点から」 法経本館 2 法経第 9 教室 9:00 x ya9:45 日本法近藤 圭介 京都大学 「法理学の問題としての「グローバル化」 問題設定の試み(仮題)」 9:50 x10:35 本法太田 雅子 元お茶の水女子大学大学院博士課程 「自己欺瞞に責任を問えるか」 日本法 b 10:40 xy11:25 本法椎名 智彦 青森中央学院大学 「フラー解釈の新局面」 11:30 xy12:15 日本 宍戸 圭介 名古屋経済大学 「臓器移植法の遺族の法的役割に関する考察 憲法学的視点から」 1

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2 0 1 4 年度

日本法哲学会 学術大会・総会 案内

日本法日 時日本法哲学2014 年11 月8 日(土)・9 日(日)

日本法会 場日本法哲 京都大学 吉田キャンパス(本部構内)(京都市左京区)

法経本館 2階 法経第 1教室、法経第 9教室、法経第 10教室

受付:法経本館(西棟)2階

日本法統一テーマ日本 「立法の法哲学-立法学の再定位-」

共催:京都大学大学院法学研究科

1 プ ロ グ ラ ム

1.1 第1日 午 前 の 部 <個別テーマ報告>

|A 分 科 会 ( 法経本館2階 法経第10教室 )

日本法a9:00x~ya9:45日本法内藤 淳 ( 法政大学 )

「平和追求の規範的相対性-ホッブズを進化心理学で修正する

:基本的自然法( 仮題 )」

日本法a9:50x~y10:35日本法赤間 聡 ( 高知大学 )

「R. アレクシーの法的議論、原理論及び裁量瑕疵論と原発訴訟論

-行政事件訴訟法の法哲学的一断面」

日本法10:40x~y11:25日本法堅田 研一 ( 愛知学院大学 )

「D. コーネルの脱構築的法哲学について――法における倫理性の問題」

11:30x~y12:15 髙橋 秀治 ( 三重大学 ) 「感情とのつきあい方-リベラリズムの観点から」

|B 分 科 会 ( 法経本館2階 法経第 9教室 )

9:00x~ya9:45日本法近藤 圭介 ( 京都大学 )

「法理学の問題としての「グローバル化」- 問題設定の試み(仮題)」

9:50x~y10:35日 本法太田 雅子 ( 元お茶の水女子大学大学院博士課程 )

「自己欺瞞に責任を問えるか」

日本法b10:40x~y11:25日 本法椎名 智彦 ( 青森中央学院大学 )

「フラー解釈の新局面」

11:30x~y12:15日本 法宍戸 圭介 ( 名古屋経済大学 )

「臓器移植法の遺族の法的役割に関する考察-憲法学的視点から」

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1.2 第1日 午 後 の 部 <ワークショップ>

|Aワークショップ ( 法経本館2階 法経第 10教室 )

日本 13:30 ~ 15:10法哲A-1 「立法をめぐる法思想

-19世紀におけるドイツとイギリスを中心にして-」

開催責任者:村林 聖子 ( 愛知学泉大学 )

村林 聖子(愛知学泉大学)

「企画趣旨説明」

鈴木 康文(広島修道大学)

「19世紀ドイツの立法思想」

戒能 通弘(同志社大学)

「立法をめぐる近代イギリスの法思想-19世紀を中心に」

石部 雅亮(大阪市立大学名誉教授)

「特定質問」

15:10 ~ 15:20法哲休憩

日本法15:20 ~ 17:00 A-2 「へーゲルと市民法学・立憲主義・共和主義-「マルクス主義

市民法学」でもなく「近代主義市民法学」でもなく-」

開催責任者:酒匂 一郎 ( 九州大学 )

篠原 敏雄( 国士舘大学 )

「へーゲルと市民法学・立憲主義・共和主義-「マルクス主義

市民法学」でもなく「近代主義市民法学」でもなく」

永尾 孝雄( 熊本県立大学 )

「コメント」

高橋 文彦 ( 明治学院大学 )

「コメント」

|B ワ ー クシ ョ ップ ( 法経本館 2階 法経第 9教室 )

13:30a~a15:10法哲B - 1法「性風俗と法秩序」

開催責任者:陶久 利彦 ( 東北学院大学 )

陶久 利彦 ( 東北学院大学 )

「はじめに-企画趣旨説明」

宮川 基( 東北学院大学 )

「買春不処罰の立法史」

佐々木 くみ ( 東北学院大学 )

「売買春規制と尊厳」

荒木 修( 関西大学 )

「いわゆるラブホテルに対する立法による規制」

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新井 誠 ( 広島大学 )

「風営法によるダンス営業規制と憲法」

本法10:00x~y10:15日本

日本法15:10 ~ 15:20法哲休憩

日本法15:20 ~ 17:00法B - 2「熟議民主主義と現代日本政治」

日本法哲学会日本法哲学会日本法 学 開催責任者:大野 達司( 法政大学 )

日本法10:00x~y10:15日本法 鈴木 寛(東京大学・慶應義塾大学)

「熟議政治とその基盤-現代日本における実践成果と

発展の可能性」

松本 充郎(大阪大学)

「環境法における熟議-政治・行政・司法・専門家・

市民による熟議の制度化とその限界(仮題)」

旗手 俊彦(札幌医科大学)

「両報告へのコメント」

1.4 第1日 午 後 の 部 <総会> (法経本館 2階 法経第 1教室 )

17:10 ~ 17:40 IVR日本支部総会

(1) 会計・会務報告

(2) 第11回神戸記念レクチャーについて

(3) 第 27 回 以降のIVR 世界大会について

(4) IVR日本支部支部長・運営委員の再選について

(5) その他

日本法哲学会総会

(1) 会計・会務報告

(2) 2014年度法哲学年報編集について

(3) 2015年度学術大会について

(4) その他

日本法18:00 ~ 20:00法哲懇 親 会 (北部生協会館(吉田キャンパス北部構内)2階ホール)

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1.5 第 2 日午前の部 <統一テーマ報告> (法経本館 2階 法経第 1教室 )

日本法a9:00x~ a9:20 山田 八千子 ( 中央大学 )

「立法の法哲学-提題と展望」

本日法a9:20 ~ a9:55 横濱 竜也 ( 静岡大学 )

「議会主権の再生-規範的法実証主義の立法理論」

本日法a9:55 ~ 10:10 嶋津 格 ( 千葉大学名誉教授 )

「法の権威を立法の権威に解消することの愚かさについて

-横濱報告へのコメント」

日本法 10:10x~ 10:45 藤谷 武史( 東京大学 )

「統治における「立法」の位置-公法学の観点から」

10:45x~ 11:00日本 松尾 陽 ( 近畿大学 )

「ポスト行政国家時代の法哲学の可能性-藤谷報告へのコメント」

日本法11:00x~y11:15日本法休 憩

日本法11:15x~y11:50日本法松尾 弘 ( 慶應義塾大学 )

「開発における良い統治と立法 -正当性と正統性の法動態に着目して」 日本法11:50x~y12:05日本法濱 真一郎 ( 同志社大学 )

日本法日本法哲 「立法と司法の関係を把握するための視座-松尾報告へのコメント」

日 1.6 第 2 日午後の部 <統一テーマ報告およびシンポジウム>

(法経本館 2階 法経第 1教室 )

日本法13:20x~y13:55日本法大屋 雄裕( 名古屋大学 )

「立法の品質保証と民主的正統性」

日本法13:55x~y14:10日本法川崎 政司( 慶應義塾大学 )

日本法日本法哲 「法の質をめぐる「政治」と「法」-大屋報告へのコメント」

日本法14:10x~y14:35日本法井上 達夫 ( 東京大学 )

「総括コメント」

日本法14:35x~y15:05日本法休 憩

日本法15:05x~y17:00 シンポジウム「立法の法哲学-立法学の再定位-」

哲学会日本法司会 山田 八千子 ( 中央大学 )・ 村林 聖子( 愛知学泉大学 ) 日本法17:00 日本法閉会の辞 日本法哲学会理事長 亀本 洋

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2 会 費 納 入 の お 願 い

普通会員の年会費は6,000円(ただし『法哲学年報』の配布を希望しない場合は3,000円)となっており

ます。一昨年度のご請求より、会員の皆様への会費請求額は、この冊子を封入した封筒に貼付してある宛

名シールの下段に記載することとなりました。同封の「日本法哲学会2014年度会費のお支払いについて」

をご参照の上、ご確認ください。会費は、同封振込用紙にてお振り込みください。なお、学術大会・総会

にご出席になる場合には、会費の納入が確認できた会員には会場受付にて『法哲学年報』をお渡しするこ

とができます。(学術大会直前に会費を振り込まれた場合、事務局による会費納入の確認が間に合わないこ

ともありますので、会場受付にて『法哲学年報』をお受け取りになりたい場合は、振込を証明する書類を

学術大会受付にご持参ください。)

3 担 当 校 か ら の ご 案 内

3.1 学術大会・総会会場

京都大学 吉田キャンパス(京都市左京区)

〒606-8501 京都市左京区吉田本町

受付: 法経本館(西棟) 2階

会場: 法経本館2階 法経第1教室、法経第9教室、法経第10教室

*会場へのアクセスについては、本案内末尾の地図をご覧下さい。

3.2 懇親会

日時:11月8日(土) 18:00 ~ 20:00 会場:北部生協会館2階ホール(京都大学吉田キャンパス 北部構内)

会費:会費5,000円(学生は4,000円)

3.3 昼食

昼食はご用意いたしません。大学周辺の飲食店を利用下さい。当日、飲食店マップを準備い

たします。

3.4 宿泊

各自でご手配下さい。京都は観光シーズンにあたりますので、早めに予約される方が安心か

と存じます。

4 お問い合わせ先

4.1 担当校

〒606-8501 京都市左京区吉田本町 京都大学大学院法学研究科

服部高宏 研究室 E-mail: [email protected] Tel: 075-753-3218 4.2 日本法哲学会事務局

〒602-8580 京都市上京区今出川通烏丸東入

同志社大学法学部 濱真一郎究室内 日本法哲学会

Tel:075-251-3555 Fax:075-251-3060 E-mail:[email protected] http://www.houtetsugaku.org/

5 資料コーナーについて

本学術大会では、会員のための資料コーナーを設けますので、資料の配付をご希望の会員は、日本法哲

学会事務局まで氏名と配布物を届けて下さい。なお、当該会員は、配布について全般的な責任を負うこと、

また、金銭の授受を行わないこととなっております。

学術大会・総会のご出欠、懇親会のご出欠について、同封の出欠葉書にて、

10月23日(木)までにお知らせ下さい。 5

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報 告 要 旨

<個別テーマ報告>

|A分科会

平和追求の規範的相対性

-ホッブズを進化心理学で修正する:基本的自然法(仮題)

内藤 淳( 法政大学 )

古代から現代まで、人類は至るところで戦争を繰り返しているが、一方で、戦争をすべきでない、平和

を求めるべきという規範は多くの人に支持されている。人間の自然な状態を「闘争」と捉えるホッブズで

さえ、「平和をもとめ、それにしたがえ」を「第一の基本的自然法」と位置づけて、その他の自然法諸規則

や国家の権限を導き出す根源としている。しかしながら、平和の追求は本当に「自然法」なのか。人間が

「すべき」こととして普遍性を持つのか。本報告では、ホッブズの論を対象に、それを進化心理学や歴史

学の研究例を踏まえて再検討することで、そこに普遍性は認められず、この「基本的自然法」が成立する

には社会経済的な条件が付くことを示したい。

検討にあたっては、そもそも自然状態が「闘争」になるか否かが重要な焦点となる。これについては進

化心理学や人類学の研究からさまざまな見解が提示されているが、そこでの論点を整理して検証すると、

ホッブズの見方が裏づけられるというのが報告者の考えである。しかし、その上で、自然状態を脱し自然

法に基づいて平和を求めることが(ホッブズの言うように)各人の自己保存のために必要で「正しい理」

であるか否かは疑問で、必ずしも「正しい」とは言えない。この点では進化心理学や歴史学での「暴力」

研究に有用な示唆があり、古代や中世など、生産力が低く交換経済が未発達な環境条件下では、他集団へ

の「襲撃」と「掠奪」が人々の資源獲得の重要な手段であり、各人の自己保存につながる方途であったこ

とが指摘されている。他者を「生かして交換する」ことで資源獲得が見込める状況においては、自身の生

命の保持のために平和をもとめる「べき」だが、「殺して奪う」ことが資源獲得につながる状況下ではむし

ろ戦う「べき」ことになる。ホッブズの言う「基本的自然法」は、社会経済的条件に左右されて成立する。

ここでの検討の背景には、規範の「普遍的な」妥当性をいかに示すのかという方法論的な問題関心がある。

本報告でホッブズを取り上げるのは、その主張が、無規範的な自然状態から各人の自己保存達成の手段と

して規範を導出するという点で、(一定の価値や規範の存在を前提とせずに)規範を「根本的」に正当化す

る有効な方法を示すものと考えるためである。ホッブズのこうした方法に即して上記の分析を行うことに

より――平和追求規範の相対性を示すと同時に――異なる社会環境条件の下で「正当な規範」が成立する

論理的モデルを探るのが、本報告のねらいである。

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R.アレクシーの法的議論、原理論及び裁量瑕疵論と原発訴訟論

-行政事件訴訟法の法哲学的一断面

赤間 聡( 高知大学 )

1.問題提起

東日本大震災を経て、ほとんどが稼働を停止していた原子力発電所も、原子力規制委員会の審査が行わ

れ、すでに一部は再稼働の見通しにある。一方で、福井地裁2014年5月21日判決では、原告である住民

側が勝訴し、稼働の差止めが認められ、その他原発についても裁判が係争中である。また、世論において

も再稼働については批判的な見解が多く、原発再稼働問題は今後どのような着地点をみるのかは、いまだ

不透明な状態にある。

ところで、法的にみると、原発の稼働は主として原子炉等規制法及び電気事業法に基づいてなされる複

数の公的決定の帰結として成立している。その意味で、法的な問題としては、まずはこうした公的決定の

合法性・法適合性の問題が重要になる。そして、こうした公的決定は行政決定であるという点において、

原発における法的問題はまずは行政法の問題に属するといえるが、判例学説でもっとも争われているのが

原発の安全性をめぐる司法審査の問題である。原発をめぐる行政裁判では、民事裁判あるいは刑事裁判の

ように、当事者が証拠を出し合って、裁判所が法的決定を導き出す、というスタイルではなく、法的決定

はすでに行政決定という形で一次的に出されており、司法決定は二次的な法適用という後追い型の法的決

定スタイルをとる。したがって、すでに行われた法的決定に対する二度目の法的決定はどのようにあるべ

きかという権限問題が表面化することになる。いわゆる行政裁量・行政裁判権をめぐる伝統的な問題であ

る。

この問題は、実定法上は、我が国においては行政事件訴訟法30条の解釈問題になるが、その内実は一法

規の解釈問題にとどまらず、法学方法論・法哲学の問題に深く結び付いている。ここには法適用とは何か、

行政法の法適用は法学方法論一般でいわれる法適用とは異なるのか、二次的な法適用としての裁量濫用審

査とはいったいどのようなものか、という根本的な問題が潜んでいるからである。実際、ドイツにおいて

は、我が国の行政事件訴訟法30条に該当する行政裁判所法114条の解釈をめぐってはしばしば法学方法論

が絡む議論が見受けられる。

2.報告の趣旨

以上のようにみると、原発訴訟をめぐる問題は行政裁量・行政裁判権に関する一般的な問題の延長線上

にあり、一方で、行政裁量・行政裁判権の問題の根底には法学方法論上の問題が潜んでいるという構図が

みてとれる。本報告ではこうした視座にたって、法学方法論の立場から裁量問題と原発訴訟問題を問い直

すというものであるが、その際、報告者はアレクシーの法学方法論、とりわけ彼の議論理論及び裁量瑕疵

論に依拠しながら議論を進める。アレクシーの裁量瑕疵論は行政法学でもしばしば引用される行政裁量の

基本文献に属するが、報告者はこれを法的議論、原理論、そして憲法裁判権論になどの彼のその他の議論

をも加味しながら読み解く。そして、「過程の瑕疵」、「論証の瑕疵」、「構造上の瑕疵」というアレクシーが

挙げるキーワードから裁量問題および原発訴訟問題への示唆を見出すものである。

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D. コーネルの脱構築的法哲学について-法における倫理性の問題

堅田 研一( 愛知学院大学 )

本報告は、ジャック・デリダの脱構築的哲学に決定的な影響を受けながら自らの法哲学を構想するドゥ

ルシラ・コーネルの法哲学の検討を中心にして、以下のような問題について考察を行いたい。

デリダは、論文「暴力と形而上学」(『エクリチュールと差異』、所収)において、ヘレニズムを代表する

エドムント・フッサールの観想主義と、それに潜む暴力性(他者を同一性の下に従属させる)を批判する、

ヘブライズムを代表するエマニュエル・レヴィナスの倫理的哲学とを詳細に検討しながら、レヴィナスの

倫理主義(他者の顔の迎え入れ)にも他者への別の形の暴力性が潜むことを明らかにする。そしてデリダ

は、「概念」(ギリシア形而上学の言葉)を用いて、その概念を越えたもの、つまり他者を理解しようとす

ること、つまり他者を理解するために概念を「脱構築する」ことこそが、他者を尊重すること、他者と和

解することであると主張する。

この構想が、デリダ自身も認めるように、後のデリダの法哲学(『法の力』に見られるような)につなが

っていくことになる。このように考える場合、法とは、概念を用いてそれを越えるものを理解しようとす

ること、他者を理解するために概念を脱構築することに由来する、ということになる。私は、デリダのこ

の示唆が、法の理解のためにきわめて重要だと考える。そこで本報告は、レヴィナス哲学の意義を十分に

踏まえながらデリダ的脱構築の法学的意義を探求するコーネルの法哲学を検討することを通じて、この問

題にアプローチする。

検討の中心に据えるのは、彼女の『限界の哲学』である。その中に次のような一節がある。「私〔コーネ

ル〕が提示したいのは次のことである。すなわち、デリダは確かに...

、レヴィナスの企図が存在論的言語に

不可避的に依存することを示してはいるが、それは倫理的関係というレヴィナスの概念に抵抗するためで

はなく、むしろ、他性の哲学が警戒するはずの他者性に対する暴力に堕落してしまう潜在的可能性から、

その概念を救うためなのである、と」(The Philosophy of the Limit, Routledge, 1992, p. 64. 仲正昌樹監

訳『限界の哲学』、126 頁)(強調は原文。〔 〕は堅田による補足)。つまり、コーネルは、デリダが、レ

ヴィナスの他性の哲学が暴力に堕落することを避けながらレヴィナスの倫理的構想を活かそうとしている

と解釈するのであり、このようなデリダ解釈に依拠しながらコーネルは自らの法哲学を展開しようとする

のである。彼女のこのような法哲学の意義、及び彼女のこの企てにとってなぜ「法」が重要になるのか、

言い換えると、なぜ彼女は「法」哲学として自らの思想を展開するのか、について検討しながら、先に述

べた問題に取り組みたい。

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感情とのつきあい方―リベラリズムの観点から

髙橋 秀治( 三重大学 )

本報告では法と感情との関係について取り上げる。ここでいう感情は、英語の emotion の訳語であり、

哲学の用語で「情動」とも言われる。これまで、とくに英語圏の哲学では、合理性に欠け、荒々しいまで

の激しさを示すこともある感情は、ヒューム以来の伝統はあるものの、主要な研究対象だとは言えなかっ

た。しかし近年、心理学や脳科学、進化生物学などでの感情をテーマにした研究の進展もあって、感情を

めぐる哲学的議論も活発になっている。たとえば、感情にも合理的な面があると論じられたり、さらには、

情動を司るとされる前頭前野腹内側部を損傷した人が、知的な理解力・判断力は完全に保持しているが、

実際の決断・実行ができなくなったという症例から、合理的に振る舞うためには感情が不可欠であるとの

主張もなされる。

感情は人生を生きていく上で重要な役割を果たすと改めて論じられることもある。不安や緊張を解消し

たり、望ましい感情を生み出すために、精神障害治療薬が服用されることがある。これは、スポーツでの

ドーピングなどをエンハンスメントと称するのに倣って、情動のエンハンスメントと呼ばれるが、このよ

うな仕方で、自分の感情であって、自分の感情でないという状態を作り出すことは、ドーピングと同様に、

自らの人生から真正性、「自分らしさ」を失わせることだと批判される。感情は、当人の人生に意味を与え、

当人をその当人たらしめる機能を有するというのである。

以上のような感情についての知見の刷新に対応して、行動経済学を筆頭に社会科学の諸分野において、

感情に関する研究が進み、感情を実務の中で活用する試みも盛んになった。しかし法学では、共同体論に

おいて、愛着や忠誠といった感情への参照がある以外、日本の例では刑事法において、一部の犯罪の厳罰

化や被害者参加制度の形で、被害者感情への配慮が散見される程度で、法に感情を取り込む動きは一般的

でなく、場合によってはそれすら歓迎されていないように思われる。ただ最近では、扇情的な言説によっ

て人々が駆り立てられるといった事態があったり、関連してヘイトクライムやヘイトスピーチへの対処が

課題になってきているほか、さまざまな面で人々の不安が広まっているという社会現象もある。こういっ

た問題に法学の観点から対応するためには、単に理性的に訴えかけるだけでは限界があると考え、感情を

考慮に入れた理論を組み立てることも選択肢となりうるであろうし、感情を適度に織り込んだ言説で対抗

する必要すら想定されるが、しかし他方では、そのような対応をすることに躊躇が残るのも事実である。

報告では、以上の状況を前提にして、法は感情をどのように扱ってきたのか、感情とどのようにつき合

っていけばよいのか、について、リベラリズムの立場から、ジョン・ロールズ『正義論改訂版』(1999年)、

ロナルド・ドゥオーキン『ハリネズミのための正義』(2011年)、マーサ・ヌスバウム『感情と法』(2004

年)、『政治的情動』(2013年)などでの関連する議論を辿りつつ、予備的に若干の考察を試みたい。

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|B分科会

法理学の問題としての「グローバル化」-問題設定の試み(仮題)

近藤 圭介( 京都大学 )

「グローバル化(Globalization)」を巡っては、その扱いにつき正義論の領域では膨大な研究の蓄積がみ

られるのに対して、法概念論の領域では、若干の例外を除いて、それほど研究の進展がみられないのが現

状である。その原因は、この現象が法実践ならびに実定法学上の議論にどのような変容をもたらしている

か、そして、この変容が法概念をめぐる我々の探求にいかなる意味をもつのか、といった点について十分

な理解が不足しているところに見出されるように思われる。本報告の目的は、これらの点を幾分か明らか

にすることで、法概念をめぐる議論の更新を試みるものである。

初めに、グローバル化の影響が色濃く出ていると目される法実践ならびに実定法学上の議論を概観する。

本報告では、前者につき、国境を越えた課題への対応に向けて形成されたガバナンスの枠組の内部で生成

する規律の構造に着目し、幾つかの事例を用いて説明する。また、後者につき、クム(Mattias Kumm)、キ

ングスブリー(Benedict Kingsbury)、そしてクリシュ(Nico Krisch)という三人の公法学者による、以上の

実践を踏まえたうえで規範的な観点から提示される独自の秩序構想を取り上げる。

続いて、法概念をめぐる探求にとって重要となる要素を、これらの実践ならびに議論から抽出する。本

報告では、この要素を、「国家法と非国家法(主として国際法)のあいだの境界の流動化、両者の相互浸透

と対抗可能性、そして、上下関係なき並存」という状態ならびにその認識に求める。なお、この認識が、

主として国際法学において論じられてきた「一元論(Monism)」および「二元論(Dualism)」と異なるもの

であるということを明確にするため、暫定的に「全体論(Holism)」という名称を用いる。

そして、法概念をめぐる探求における、この全体論の意義を考察する。本報告では、法概念をめぐるこ

れまでの主だった議論が「二元論」を前提にし、さらに国家法を自足的かつ排他的な単位として扱うこと

で展開されてきたことを指摘したうえで、「全体論」はそれとは別様の法概念を求めるものであると主張す

る。そのうえで、その把捉に資すると思われるものとして、バーバー(Nicholas Barber)およびカーヴァー

=ジュディチェ(Keith Culver=Michael Giudice)による近時の提案に検討を加える。

最後に、法概念をめぐる探求にとって、グローバル化という事態はいかなる位置づけも持たないとする

見解に触れる。本報告では、このような立場からの反論に応答することを通じて、自らの主張をより明確

なものとすることを試みる。

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自己欺瞞に責任を問えるか

太田 雅子( 元お茶の水女子大学大学院博士課程 )

「自己欺瞞」は、その実行者が同時に犠牲者にもなり、なおかつほとんどの場合において非難の対象と

なる。非難される理由のひとつには「欺瞞」という行為自体の不正があり、もうひとつには、人間の信念

はおおむね整合し合理的関連をもつべきだとする「合理性の要請」への違反がある。しかし、自己欺瞞は

通常の「騙し」の対象を他者から自己へ置き換えただけのものではなく、欺瞞の不正をそのまま自己欺瞞

にも適用するのは困難である。また、行為や信念に対して合理性の要請が絶対的な効力をもつかどうかは

未だ論争中の段階である。欺瞞の不正も合理性の要請違反も自己欺瞞者への責任追及の根拠として十分で

はなければ自己欺瞞者は何によって責任を負うのか。本発表では、自己欺瞞者の責任の所在を当人の信念

のコントロール能力に位置づけたN・リーヴィの考察を批判的に検討し、彼が主張する信念の「誘導コン

トロール」能力の欠如をもってしても自己欺瞞者の免責の決定的な根拠にはなりえないことを示し、自己

欺瞞者の責任のあり方を探る。

自己欺瞞者が自らの信念に責任を持つことができるのは、「誘導コントロール」を行使できること、すな

わち「自己欺瞞を自分自身の信念として導くことができる」場合である。そのためには、信じたくないこ

とを信じないようにさせる信念のメカニズムに当人が気づいていなければならない。しかし、自分自身の

行動や性格についてですら確実に理解されているとはいえず、不安や疑念を払拭する目的での自己欺瞞が

それらをもたらす信念の存在に気づかずとも行われる事例があることから、リーヴィは信念の「同定問題」

を指摘し、この問題を抱えることが誘導コントロールの行使を妨げ、自己欺瞞者の信念に関する責任能力

を失わせていると主張する。

リーヴィの主張に対し、本発表では問題点を3つ挙げる。第一に、自己欺瞞者は闇雲に信じたくないこ

とを回避しているのではなく、それを実行するために証拠の解釈の歪曲を行う。自分の信念が証拠に基づ

いたものであることを主張できるほどには冷静であり、リーヴィが指摘する誘導コントールを欠如にも疑

問が残る。第二に、リーヴィは証拠や信念の歪曲は意図的であるものの自己欺瞞的信念状態は意図的では

ないと述べているが、自己欺瞞という出来事を証拠の歪曲から信念の獲得までの長いスパンで捉えた場合

には、自己欺瞞はそのままで意図的行為であると見なすことができ、通常の責任追及と同様の手続きをも

って自己欺瞞にも責任を帰属させることができるかもしれない。そして第三に、自己欺瞞者の責任を問う

以上はそれによってもたらされるトラブルや害などリーヴィが扱わなかった外的要因を無視するわけには

いかない。自己欺瞞に責任が問われるのは、信じたくないこと、および本来ならば証拠づけられていない

ことを信じることで自己欺瞞者の信念や行動に対する周囲の理解にひずみが生じ、それがきっかけとなっ

て現実的・可能的な害の存在が想定されるからではないか、というのが、本発表で提案される自己欺瞞者

の責任の捉え方である。

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フラー解釈の新局面

椎名 智彦( 青森中央大学 )

本報告は、KRISTEN RUNDLE, FORMS LIBERATE: RECLAIMING THE JURISPRUDENCE OF

LON L. FULLER (2012) で示された、フラー理論の眼目に関する新しい解釈について検討する。手順と

しては、従来のフラー理解を瞥見した上で、RUNDLE が提示するフラー法学のイメージを紹介し、最後

にそのような新解釈が現代的コンテクストにおいて持ちうる意義について問題提起する。

法の内在道徳 (the internal morality of law) という言葉が、彼の代名詞のように広く人口に膾炙してい

る事実とは裏腹に、フラーがそのような立場を展開した真意については、目下のところよく整理された説

明はなされておらず、知られてもいない。例えばこの理論は、現在では法の支配の要件を示すものとして

読み替えられることが少なくない (PETER CANE (ed.), THE HART=FULLER DEBATE IN THE

TWENTY-FIRST CENTURY (2010) 所収の諸論稿)。そして一般には、法の支配とは形式的・制度的・

手続的な性格を本質とするものだと理解されている (BRIAN Z. TAMANAHA, ON THE RULE OF

LAW: HISTORY, POLITICS, THEORY (2004))。それにも拘らず、法システムの成立と稼動に関する8

つの条件を、道徳という実体的かつ規範的な言葉でフラーが呼ぼうとしたのはなぜなのか。いうまでもな

く、これは論敵であったハートが「矛盾」だと批判した点でもある。また、フラー法学の性格を概括的に指

称する手続的自然法 (procedural natural law) という表現にも、同じような「謎」が付きまとってきた。

これに対する答えを、RUNDLE は、法の適用対象たる一般市民が備える行為主体性 (agency) に求め

る。彼女によれば、フラーが重視したのは、lawgiver (為政者) と協働して法システムを成立させようと意

欲し、行動する subject (主体的市民) が有する自己決定であるという。統治の諸ルールが人々にとって理

解可能な内容をもつとともに、それらが安定的に運用される限り、市民はそのシステムの下で自らの行動

を選択する自由を保障され、その意味において尊厳を認められる。この構図の下では、統治の形式 (内在

道徳の 8 要件・裁判における「参加」等) と人間の行為主体性は相互に不可分であり、このような方法で形

成される秩序をフラーは法と呼び、他の統治形式と区別した。フラーによるこの立論を支配するのは、法

を適用される側の視点であり、これが欠落しているという点こそ、彼が法実証主義を最も厳しく批判した

ポイントであった。

人間の行為主体性という視角から新たに読み解かれたフラー法学は、現在われわれが直面する諸問題の

解決について、いかなる示唆を与えるか。最後に、法の支配移植プログラムの失敗の問題と、人間の行為

主体性との相関関係について考えてみたい。

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臓器移植法の遺族の法的役割に関する考察-憲法学的視点から

宍戸 圭介( 名古屋経済大学 )

1. 本報告の目的、問題関心

近年、目覚ましい発達を見せている生命科学技術は、その研究開発や臨床応用に際して、人体の一部(な

いし人体由来資料)を利用する。その機会は、年々拡大しているように見受けられる。はたして人体の利

用はどこまで許されるか、そこにはどのような法的枠組みが必要であるのか。こうした「人体資源化」の

問題に関しては、法哲学のみならず様々な領域から検討が行われているところである。

本報告は、このような問題関心から、人体を扱う古典的なテーマとして臓器移植を採り上げるものであ

る。具体的には、わが国の臓器移植法における遺族の法的役割について、憲法学的な視点から考察を試み

る。

2. 臓器移植法における遺族の役割

臓器移植法は、死体(脳死した者の身体を含む)からの臓器摘出に際して、①本人の意思表示と②遺族

の意思表示に関わる法的要件を置いている(臓器移植法第6条)。

同法に関しては、従来、刑法学からの検討が、非常に多くなされてきたところである。また、そこでは、

臓器移植法上の本人の意思表示を憲法上の自己決定権に結びつける主張も、しばしば見受けられた。

しかし、臓器移植法は、本人が生前に明示の同意をしていたとしても、遺族がこれを覆す(臓器提供を

拒否する)ことを明文で認めている。つまり、遺族には、強力な臓器摘出「拒否権」が認められているの

である。

もし、臓器移植法上の本人の同意を憲法上の人権に基礎づけて理解するならば、これを覆す遺族の「拒

否権」も相応の根拠を求められるはずである。しかしながら、とりわけ憲法学においては、この遺族の「拒

否権」に関する理論的考察は(本人の同意の問題に比して)検討が少なかったように思われる。

さらに、平成 21 年の改正を経た現行の臓器移植法の下では、本人が意思表示をしていない場合には、

遺族の承諾により臓器摘出が可能となっている。ここでは、いわば臓器摘出「承諾権」が遺族に与えられ

ている。

このように強く、広い、遺族の法的役割を、本人の同意権との関係で如何に理解すべきかであろうか。

本報告では、この問題を考察の中心とする。

3. 考察にあたって

本報告では、①移植法・解剖法に関する法制史的検討、②移植法における遺族の法的役割に関する比較

法的検討(フランス法を対象とする)、③臓器摘出に関する自己決定権論の検討を行う。これらの検討から

得られた知見を基に、わが国の臓器移植法の枠組みにおいて、遺族がどのように法的に位置づけられる(べ

き)かについて考察を行う。

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< ワ ー ク シ ョ ッ プ >

|Aワークショップ

立法をめぐる法思想

-19世紀におけるドイツとイギリスを中心にして-

開催責任者:村林 聖子( 愛知学泉大学 )

立法の哲学を分析・検討するには、法のシステムのみならず判例形成の在り方も含めて機能すべき領域

の境界を考える必要がある。本ワークショップでは制定法国家としてのドイツと判例法国家としてのイギ

リス双方につき、19世紀における論争や状況を扱う。

ドイツに関しては、鈴木康文会員(広島修道大学)に「法典論争」(1810年代)から過渡期を経てドイ

ツ民法典編纂の準備委員会が設置されるまで(1870年代)の期間を中心に、立法の状況や立法に関する学

者・実務家の見解についてご報告いただく(25 分)。鈴木報告は、自然法思想にもとづいた法典編纂、法

統一を提案したティボー(1772-1840)と、法典編纂に反対し、法曹(法)による法統一を期待したサヴ

ィニー(1779-1861)との間の「法典論争」が、法は人為的につくられるものであるという認識(創る法)

と、法は自然になるものであるという認識(成る法)との対立であったことを明らかにする。また、法実

務家でありプロイセン一般ラント法の代表的な注釈者である F.ボルネマン(1798-1864)の、現代的慣用

およびそれにもとづく一般ラント法、19世紀前半プロイセンの法改正、ドイツ一般手形法などへの評価を

取り上げ、法律と判例の関係とともに、彼の立法を重視する姿勢を示す。

イギリスに関しては、戒能通弘会員(同志社大学)に、コモン・ローの伝統における立法・法典化をめ

ぐる法思想についてご報告いただく(25 分)。戒能報告は、コモン・ローを批判し功利の原理に基づく普

遍的な法典の構築を目指したベンサム(1748-1832)、裁判における救済を通じた法形成が立法に優位する

とし、コモン・ロー法律家による法の形式の改善や法典化が必要であるとしたオースティン(1790-1859)、

そして、コモン・ローも十分な成文法(well written law)に転換されねばならないと論じながら、法と社会

の関係に焦点を当て、「成る法」の重要性をとりわけ強調したメイン(1822-1888)、それぞれの思想を示

す。また19世紀後半のアメリカの歴史法学者のカーター(1827-1905)が、イギリスのコモン・ロー法律

家たちの立法への懐疑を明示的また体系的に記述し、法典化を批判し、「成る法」に基づく典型的なコモン・

ロー擁護論を展開していることを紹介する。

以上の報告の後、石部雅亮氏(大阪市立大学名誉教授)に指定質問をいただき、さらにフロアを含めた

質疑応答を行うこととしたい。

本ワークショップでは「創る法」/「成る法」という区別をしている。これは統一テーマ報告で用いられ

ている立法モデルであるが、ドイツとイギリス双方を対象として、法と社会との関係、法の正統性また普

遍性について論じる際に有用であると考えている。

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へーゲルと市民法学・立憲主義・共和主義

-「マルクス主義市民法学」でもなく「近代主義市民法学」でもなく-

開催責任者: 酒匂 一郎( 九州大学 )

本ワークショップでは、へーゲルの観点から市民法学のもう一つの可能なあり方を探ることを目的とし、

篠原敏雄会員の報告、永尾孝雄会員及び高橋文彦会員のコメント並びに質疑応答からなる。篠原会員の報

告趣旨は次の通りである。

法学という学問領域は大別して法解釈学と基礎法学に分かれる。法解釈学は現実世界において発生する

法的紛争を解決することに資する分野であり、ここでは真理の探求は主たる目的ではない。基礎法学は、

それに対して、法の基礎である思想、理念、概念、歴史等を探求する学であり、法解釈学に指針、歴史観

等を供給する。法哲学はまさにこの領域に属する。

本ワークショップの全体テーマにある「市民法学」は以上の二つの領域を持つが、今回の報告では、基

礎法学に即する視座から、へーゲル、立憲主義、共和主義に関して検討を加える。

この検討にあたって、その理論基準となる「市民法学」とは何かを、まず明らかにする。

次に、現代の法学界(法解釈学も含む)における潮流、すなわち「戦後法学」の特徴を、「マルクス主義市

民法学」、「近代主義市民法学」への批判的検討を通じて、明らかにする。その批判的検討において重要な

基軸となる概念は「立憲主義」及び「共和主義」である。この二つのうち、後者は法哲学において多く語

られてきた。

そこで第三に、「共和主義」に関して、ルソー、カントの所説に触れ、それを踏まえてへーゲルの思想に

ついて検討を加える。「市民法学」の視点からは、へーゲルにおいて「立憲主義」と「共和主義」の二つの

原理的柱の不可欠的重要性及び相互関連性がよく伺われるのである。

以上を踏まえて、第四に、再度、「戦後法学」の総括を行う。ここでは、その総括の作業は戦前からの日本

の歴史全体の理論的総括に関連することから、これに関しても触れることになろう。

「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である」と語られることは多いが、この理論的・

実践的精神を体現して、今ここにある現実世界を理論的に全体的に把握することは簡単ではない。本報告

が、そのための一助となれば幸いである。

以上のような趣旨の報告に対して、へーゲル法思想研究の観点から永尾会員が、戦後法学に関する観点

から高橋会員がコメントする。質疑応答を含め、活発な議論を展開したい。

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|Bワークショップ

性風俗と法秩序

開催責任者: 陶久 利彦 ( 東北学院大学 )

本ワークショップは、これまで学問的に顧みられることの少なかった性風俗産業について、実定法学と法哲学との

共同研究を模索する。意図しているのは、性風俗産業に対して法がどのようにかかわりうるのか、その根拠は何か、を

実定法学・法哲学双方から検討することである。 「性風俗産業」には、接待による飲食業(例、キャバクラ、ホストクラブ)、性的サービスを提供する業態(例、フ

ァッションヘルス、ストリップ興行)、性的サービスのための施設を提供する業態(例、ラブホテル)、性的サービスの

仲介(例、デリヘル)など、多様なものがある。これらの産業は人間特に男性の性的欲望に応えるべく発生してくるも

のともいえるが、その法的取り扱いは微妙である。「不健全ではあるが、社会的需要を否定し難いもの」ないし「必要

悪」への対処法の一例とも言える。実際の行為は密室に閉じ込められることが多いため、法的介入の手法や領域が限定

されるという特徴も、その「微妙さ」を増幅させる。 本ワークショップでは、報告者達の当面の関心に合わせ、(イ)売春防止法と(ロ)「風営法」という二つの法律にか

かわる問題を扱う。当該領域に関しては、民事・刑事・行政等の別はあるものの法は様々な規制を及ぼしてきた。以下

の5つの報告は、その法的対応の可能性と意味とを歴史的・原理的視点から探ろうとする。(1)がいわば総論を担当

し、(2)と(3)が売春防止法、(4)と(5)が「風営法」に関わっている。

(1)「はじめに―企画趣旨説明―」(陶久利彦、東北学院大学、法哲学) 性風俗産業特に売買春に関する法規制を題材にし、法的介入のあり方を検討する。それによって、学会統一テーマの

「立法学」を特定領域から照射することも目指す。(10分) (2)「買春不処罰の立法史」(宮川基、東北学院大学、刑法) わが国の売春防止法は、買春を不処罰にしている。ところが、法が成立する以前には、類似の条例に買春行為の処罰

規定があっただけではなく、売春防止法案には買春処罰規定が盛り込まれていた。それがなぜ、国会審議の結果、現行

法の形になったのか。立法史を振り返ることから、現行の売春防止法理解を深化させる。(20分) (3)「売買春規制と尊厳」(佐々木くみ、東北学院大学、憲法) 現行売春防止法は、売春が「人の尊厳」に抵触することを明言している。では、そもそも人間の尊厳とは何か。それ

が、どのように売買春への法的規制に影響を及ぼすのだろうか。権利論との関連で、憲法学的視点からこの問いにアプ

ローチする。(20分) (4)「いわゆるラブホテルに対する立法による規制」(荒木修、関西大学、行政法) いわゆるラブホテルに対する法的規制を題材にして、立法者が行政法的規制を講じようとするとき何を念頭において

いるのかを検討する。そのために、法的規制の歴史を振り返ってみたい。注目すべき視点は、規制の目的・主体・要素、

法律不遡及の原則、損失補償である。些か細かい行政法的規制の話しに終始する予定ではあるが、立法のあり方を検討

する素材になりうるような、有益な情報が提供される筈である。(20分) (4)「風営法によるダンス営業規制と憲法」(新井誠、広島大学、憲法) ダンス営業規制については、本年4月に大阪地裁で判決が出る一方、議員立法の動きも報じられている。本報告では、

風営法がダンス営業規制に対し、歴史的にどのようにかかわってきたのかをまずは振り返り、次いで現行法の憲法上の

諸問題を検討する。(20分)

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熟議民主主義と現代日本政治

開催責任者: 大野 達司( 法政大学 )

民主主義はいうまでもなく意思決定のシステムだが、その決定の質を確保することはいかにして可能な

のか。決定の質を高めるために民主主義と「熟議」とを結びつける熟議民主主義は 1980 年代から既に法

哲学・政治哲学の理論動向、リベラリズム・共同体論の論争を相克する試みの一つとして注目され、日本

の学界にも影響を与えてきた。それは近年では日本の政治実践に対しても影響を及ぼしつつあり、特に、

民主党政権下ではその政治理念を示すキー・タームの一つとして「熟議」という言葉が頻用され、部分的

にせよ熟議民主主義を志向する国政改革の試みも行われた。

他方で民主主義は決定(決断)の必要性とも緊張関係にある。民主党政権の挫折とともに、「熟議」を「決

められない政治」の代名詞のように受け止める傾向があり、自民党大勝後の安倍政権下では、為政者の強

力な決断力の必要性というスローガンの下に、憲法 96 条先行改正の試みや特定秘密法案強行採決など、

熟議民主主義の理念とは逆行する動向も強まってきている。

本ワークショップでは、民主主義の原理的問題に関わるこのような現代日本の政治状況、そしてその背

後にある社会状況や政治文化を念頭に、熟議民主主義の哲学的・理論的基礎、それを実現するための制度

装置、それを支える市民的実践のあり方等を再検討し、現実政治が突き付ける批判や懐疑から熟議民主主

義の理念を救済し擁護することがいかにして可能か、そして、日本の政治実践に熟議民主主義の理念を生

かすためには何が必要かを考察する。

報告者、コメンテータは、こうした問題を、政策形成、立法過程、裁判、あるいは教育の現場に関する

素材をもとに論ずる。鈴木会員は、民主党政権下で試みられた熟議による政策形成、コミュティ・スクー

ル運動などで、何が行われ、どのような成果があがったか、それらが現在どのような状況にあるかを、熟

議を行う当事者性をもった市民の参画や育成といった観点から、分析・紹介し、日本政治と社会との現況

を批判的に検討する。松本会員は、行政法学の立場から、環境法の分野の事例を分析し、原子力規制など

に見られる、立法・行政・裁判、国民・住民・利害関係者と専門家、さらに、分野の異なる専門家間にお

ける熟議 と相互関係に焦点を合わせ、個別の問題解決の手続、そしてシステム全体としての熟議を促進す

るための制度設計を議論する。旗手会員は、二人の報告に対して、正義論の文脈における論争状況の変化

を意識しながら、札幌での熟議の成功・失敗の例と社会的背景をとりあげ、特定地域の現状から熟議の制

度と基盤の関連を具体的に検討・補足する。

このように、共通の論点として、①「熟議の(非)実践例」を日本政治や日々の実践に求め、それに教

育の場面などを加えて、②「熟議の前提」としての制度面の問題と、③「熟議はいかにして育成されるか」

という制度を動かす要因を検討する。そして、民主制を熟議と結びつける意義、つまり④「なぜ熟議をす

るといいのか、何が変わるのか」を個別の決定の向上から、世論形成、政治文化の成熟にいたるさまざま

な側面に対する意義など多角的に考え、議論することを予定している。

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<統一テーマ報告>

統一テーマ「立法の法哲学 -立 法 学 の 再 定 位」

山田 八千子( 中央大学 )

1. 近時、我が国では、立法の質・量共に著しい増加現象が見られると同時に、立法過程における専門

家の役割の変化など、立法現象の大幅な変容がみられる。前者については、たとえば、刑事法、民事法、

行政法等の各領域の重要で抜本的な改正やいわゆる基本法の増加などが挙げられる。後者については、専

門家としての法制審議会の役割の低下が典型的である。こうした我が国における立法現象をふまえた上で

立法システム全体のあるべき姿を構想する学としての「立法学」の確立が求める動きが加速化している。

そこで、本年度の学術大会統一テーマにおいては、法哲学の視点から、立法をめぐる原理的で根元的な検

討をおこない、立法学の再定位を試みたい。

従来、立法現象を扱う立法学は、一般に立法過程・立法政策・立法執務等に分類され、政治学、法学、

経済学などの交錯する学問領域として位置づけられてきた。日本における立法の規範理論を構築しようと

いう動きについては、古くは末廣厳太郎の実用法学における解釈法学と立法学との区分提示、先駆的業績

としての平井宣雄の法政策学、近時の政策法学などが挙げられる。しかし、総体的には、そういう動きは

一般化されてこなかったと言えよう。他方、法概念論の領域に目を向けると、1990年代頃から、規範的法

実証主義の論者たちから、社会秩序形成における立法の役割への検討へと繋がる重大な問題提起がなされ

ている。さらに、最近の立法に関する規範理論構築の動きとしては、国際的にはレジスプルーデンス

(legisprudence)運動が挙げられ、日本国内でも、レジスプルーデンス運動に対応し、あるいは日本政治

の現状を受けて、民主社会におけるより良き立法システムの構築に向けての動きが加速化している。

以上のような状況の中で、立法に関する規範的な理論構築という、いわば立法の哲学の領域で、法哲学

がなすべきことは多い。しかし、立法をめぐる問題状況は日本法哲学会全体に十分に共有されているとは

言えないだろう。そこで、2014年度の大会においては、規範理論としての立法学、立法の法哲学としての

立法学の可能性を探究し、法哲学がなすべき問題群を拾い上げて検討することで、法哲学が、立法の哲学

としての立法学の構築にとって今後なすべきことの豊かさを提示したい。この際、日本の立法実践に定位

するものの、個別立法自体の立法政策としての正当性や立法過程・立法実務の実証的分析には留まらない

形での規範理論の在り方を探ることとする。

2. 本シンポジウムにおける各報告・コメントの位置付けを確認しておきたい。前述したように、従来

の立法学の領域は立法過程・立法政策・立法執務等に分かれており、本大会では、より原理的なアプロー

チをするものの、こうした領域区分にも一定の配慮をして報告を配置した。まず、横濱第一報告とこれに

対する嶋津コメントは、統一テーマ全体の総論となる報告・コメントである。規範的法実証主義の立場か

らの整合的で有意な立法優位論を展開しようと試みる横濱報告に対し、嶋津コメントは、立法優位論の基

本的立場である、立法を用いて社会を設計するという立論自体への疑問をまさに多種多様な視点から提起

する。藤谷第二報告は、公法学の視点から、統治過程における立法の位置を探究する報告であるが、藤谷

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報告もまた、嶋津コメントとは異なる角度から、横濱報告の立法優位論・議会優位論への批判を含んでい

る。藤谷報告への松尾陽コメントは、藤谷報告の問題提起を受けて、法哲学の立場から統治システムや民

主政論の再構築を試みる。民法学・開発法学を専門とする松尾弘報告は、開発プロセスにおける立法実践・

立法政策を素材とはしているが、正当性と正統性の法動態に着目して、グローバル化の中での良い統治の

あり方と立法との関係を検討するものであり、 進行中の債権法改正にも言及する。濱コメントは、松尾弘

報告を受けて、法哲学の立場から、立法府・司法府との関係や立法における integrityについて再構成を試

みる。この濱コメントおよび松尾陽コメントは、各主報告へのコメントであると同時に、横濱報告の立法

優位論を基礎づける規範的法実証主義に向けての各自の法哲学的な立場からの批判も含んでいる。大屋報

告は、議会への法案提出前の審議・調整過程までも視野に入れて立法の品質管理の問題を論じ、民主的正

統性と立法の品質管理との緊張関係を示した上で、立法過程における内閣法制局などの「専門家」の意義

や限界を問う。この大屋報告もまた、横濱報告の立法基盤の民主的正統化の限界を確認し、さらに補完し

うる報告である。対する川崎コメントは、立法の品質保証が要請される現状とその実現の困難性を実践的

な観点から明らかにする。最後の井上達夫総括コメントは、立法の法哲学構築を目指す本シンポジウムの

試みについて、立法の哲学を再定位するという視点からおこなわれる。なお、時間の制約上「立法をめぐ

る法思想」が統一テーマ報告で扱えなかったため、関連ワークショップとして、「立法をめぐる法思想―

19世紀におけるドイツとイギリスを中心にして―」を企画委員であり統一テーマシンポジウムの司会でも

ある村林聖子会員に企画していただき、緊密な連携をとりあった。また、立法過程に関わるテーマの一つ

である熟議民主主義についても大野達司会員によるワークショップが開催される。

3. さて、このように各報告・コメントのアプローチの仕方や扱う領域は異なっているが、共通する重

要な問題関心がある。一つは、多様な対立している正義構想のうちいずれが正しいかについての「正当性」

の問題とは区別される、ある法の「正当性」を認めない人々に対しても法への「忠誠」を要求できるよう

な「正統性」の次元への関心である。もう一つは、我が国の議会民主政における〈法的なもの〉と〈政治

的なもの〉との相剋の中での〈法的なもの〉の意義の検討である。これは、「立法ないし立法過程とは統治

構造の中でどのように位置付けられるべきか」あるいは「立法における専門的知の役割とは何か」という

論点として、各報告の中に現れている。

4. 以上のように各報告・コメントは、いずれも、何らかの形で立法システム全体の在るべき姿を構想

するという点を共有しているものの、この在るべき姿には、実は、議会民主政を軸としての集合的な秩序

形成によって新たな法を創ることができるという立法モデル(「創る法」)自体を批判するという立場も包

含する。制定法すなわち legislationとしての立法には、民法、刑法のような社会における基本的な法律か

ら、近時ますます増加している基本法にいたるまで、性格も成り立ちも異なる多種多様なものが含まれる

が、この立場によれば、法の基本モデルである私法(たとえば債権法のような)の定立領域では、法とは

市場を中心に自生的に発生し裁判を通じて確立されるものであり、法は社会の中から成るという立法モデ

ル(「成る法」)こそが「創る法」モデルより優位するべきだと主張される。そして、実は、この立場は、

前述した「立法学」の動き自体を否定することにつながる破壊的な契機さえ含んでいると言えよう。本シ

ンポジウムでは、こうした「立法学」自体の意義までを根元的に問い直すような立場も含めて、多様な視

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点や立場から、立法の法哲学構築へ向けて活発な討論がなされるようにできればと願っている。

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議会主権の再生 -規範的法実証主義の立法理論

横濱 竜也( 静岡大学 )

本報告の目的は、二つである。第一に、「立法の法哲学」すなわちよき立法のための制度構想を論じる哲

学的議論への関心を、法概念論において復権させた規範的法実証主義を概観することである。第二に、規

範的法実証主義に棹差す形で、議会主権を擁護し、違憲審査制や議会から行政への過度な委任を斥けるこ

とである。

Ⅰ 規範的法実証主義とは何か

規範的法実証主義の基本的主張内容をまとめれば、大要次の通りである。(1) 「法が存在し拘束力を持

つようになる」という事態は、事実としてそうであるものではなく、「法が、人々から、存在し拘束力を持

つものとして扱われるに値する」という《規範的条件》を満たして、初めて成立するものである。(2) 規

範的法実証主義において、この《規範的条件》とは、「法内容が正義構想に適っているか否か」ではなく、

「法内容が良いか悪いかに無関心(=内容独立的)な一定の手続に則っているか否か」である。そして、

「一定の手続」とは、「民主的立法プロセス」、すなわち社会の成員が平等に参加する選挙と、そこで選出

された代議士が議会で討論して行う多数決というプロセスである。この考え方を真正面から受け取るなら

ば、法内容を最終的に決定する権限は、議会に与えられるべきこととなる(議会主権)。(3) (1)および(2)

の主張の根拠について、規範的法実証主義は以下のように考える。「何が正義か」をめぐる不合意すなわち

正義構想をめぐる不合意は極めて深刻で、社会の成員全員が受容可能な何らかの合意を形成することは非

常に困難である(「政治の状況」)。そうである以上、「法内容が正義構想に適合しているか否か」でなく、

「法定立手続―具体的事案にあてはめられるべき法の内容を確定する手続―が、成員相互の不合意にいか

に配慮しうるか」で、法が正統性を有するか否かが決まる、と考えるほうが有望であろう。そして議会主

権の擁護は、議会が法内容の最終的決定権を有する政治体制が、「不合意への配慮」において秀でている所

以を明らかにすることにより可能となる。

Ⅱ 議会主権の擁護

それでは規範的法実証主義は議会主権をいかにして擁護するか。その根拠は次の通りである。(1) 正義

構想をめぐる意見対立が極めて深刻であるところでは、成員一人一人の正義判断における自己決定を平等

に尊重することでしか、法は正統性を持ちえない。そして自己決定の平等な尊重に最も適するのは、成員

の意見を平等にカウントし、多数決で法内容を決める民主的プロセスにより、法に正統性を与えることで

ある。(2) 行政府や裁判所に「政治の状況」を解決する法定立を期待することには、それぞれの統治部門

としての特性に照らして困難がある。行政府は、行政は日々成員の利害を調整することには長けているが、

その能力が安定的に発揮しうるのは、利害調整の仕組み自体に対する批判や論争を解決する役割を議会が

引き受ける場合においてである。裁判所の第一の任務は、既存の法の解釈に則って、個別の紛争を具体的

に妥当な形で解決することである。他方で「政治の状況」においては、裁判所の判断根拠である既存の法

およびその解釈自体が論争的であらざるをえない。裁判所が「政治の状況」を解決しようとすれば、既存

の法と法解釈を完全に捨て去って、正義判断を行うことも避けられなくなるが、それは上記の裁判所の任

務との間で先鋭な緊張をもたらすことになる。(3) 民主的立法過程に法定立権限を独占させることで、「政

治の状況」の解決の負担を、立法の場面に集約し、行政や司法の負担を軽減できる。

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法の権威を立法の権威に解消することの愚かさについて -横濱報告へのコメント

嶋津 格( 千葉大学名誉教授a) 【法の権威】

・長い西洋法の伝統の中で、法とは基本的に民事法(とこれを可能にする刑事法など)のことであった。

以下でも、これを前提に議論したい。そのモデルは、「法は各個人に、いかにすれば自分の決定がそのまま

社会的決定となるか、を教えるルールのシステムだ」といったものである。

・ 古代を別にすれば、民事法典はナポレオン法典(これは「制定」とは考えられず「編纂」された)から

始まるから、当然それまでは立法は存在しない。しかし法は存在し裁判も行われた。アメリカ独立に際し

ても、コモンローをイギリスから(ルイジアナ州法はフランスから)引き継ぐについて、政治的討議も決

定もされていない。(英語の「選択」がないのに似て)あまりにも当然のことと考えられたからであろう。

・ 「神は人間が作った」と神の存在を信じる人は言わない。類似の関係が、「存在する法」についてもあ

るのではないか。権威とは、それを権威として受け取る人間がいる場合に成立する(しかしそれは彼が「作

った」ものではない)ものである。

【多様性と正統性】

・「内容上の正義と無関係に(民主主義の)手続きのみによって正統な法を特定し、それの遵守を社会の全

員に要求する」というのは、一つの正義の conception ではないか。少なくとも正義を「社会の全成員に

同意と無関係に遵守が要求されるルール(についての regulative idea)」と定義するならそうなるが。

・上記の<正統=正義>主義は、一見あらゆる実体的正義に関する対立を超越する。しかしこれは過剰(宇

宙人との共存まで考える必要はなく、現実に生じる正義をめぐる対立は無限ではない)であるとともに不

足(民主主義的権威を認めない者は現在地球上に少なくとも十億人以上いると思われる)ではないか。

・(集合的)多様性に対する他の対応策は分離独立である。どの部分が独立すべきか、の判定は、そこに住

む人間の多様性の逆数(均質性)によってしか決まらないのでは。

【代表制民主主義は「自律」なのか】

・議会が立法権をもつというなら、それを決める権限=特権をもつのは議員である。われわれが数年に一

度その選出手続きに関わることが「自律」なのだろうか。上記の「法律行為」との差、つまり「契約した

のだから履行しろ」と「参加(投票すらしていない者も含めて)したのだから民主主義的決定に従え」の

差を考えるべきだろう。集団的自立は個人の自律とは似て非なるものではないか。

【民主的決定を通した社会革命】

・人々がもつ正義感覚を信頼して法の運用を行う立場(「信頼アプローチ」)とそれを危険視して法をそれ

から切り離そうとする立場(「不信アプローチ」≒法実証主義)がある。どちらが適切かは場合によるだろ

うが、特に既存の社会意識全体を変革して何らかの革命をもたらそうとするリーダー達は不信アプローチ

に依らざるをえない。明治政府の立法者たちもそうだったかもしれない。横濱の(類似の立場をとる他の

論者の)規範的法実証主義には、この種のもくろみは伴っていないのか。

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統治における「立法」の位置-公 法 学 の 観 点 か ら

藤谷 武史( 東京大学 )

国家の諸活動を法の制御下に置くことを主要な使命としてきた公法学にとって、「立法の質と正統性」を

問う立法学の問題提起に呼応することは、実は容易な企てではない。本報告は、公法学の観点から、「統治

における立法の位置」を問うことを通じて、立法学の課題設定自体を主題化することを試みる。

実定法学としての公法学において、「立法」は、統治作用の大部分すなわち行政を法の制御下に置く「法

律による行政の原理」の前提を成す一方、立法の民主的正統性は所与視され、その質(実質面)を法的に

問うことも困難である。憲法規範も、立法の指導原理というよりはむしろその限界づけに関わり、「立法の

質と正統性」に直結するものではない。ただし、近年の憲法判例・学説において、民主的議会の立法裁量

を前提としつつ立法判断内在的な論理を通じて統制を及ぼす様々な手法(比例原則、判断過程統制、法制

度の整合性の要請等)が登場しつつあり、立法の合理性や答責性の確保に貢献する可能性があることも紹

介したい。

以上の理論状況を確認した上で、本報告では、統治における立法の位置をめぐり、以下の3点を指摘し、

立法学の議論の深化のための素材を提供したい。

第1に、統治における「立法」の位置という観点からは、少なくとも以下の3類型を区別する必要があ

ると思われる。(1)峻烈な政治的対立争点に対する政治的決断としての「立法」― 司法審査と議会の民

主的正統性の緊張関係は、主にこの類型で問題となる。(2)社会の基本原則を構成する分野(端的には民

法)における「立法」― ここでは「政治的決定」と市民社会における実践との関係が問われよう。(3)

行政活動の法的基礎となる「立法」― 上記の「法律による行政の原理」が想定するのはこの類型であり、

「法律」数としては圧倒的大多数を占めるが、ここではむしろ「法」は「行政」と対置され、立法府と司

法府は協働関係に立ちうる。

第2に、特に行政国家における「立法」は、「間歇的に」具現化する政治的決定というよりも、後続する

委任立法や行政裁量を前提とした、連続的な「公益の発見・調整・実現」過程の起点としての性格を強く

帯びる。「立法の質と正統化」の問題が、透明・公正な行政過程において利害/情報の適切な入力/反映を

担保する(広義の)行政手続の問題へと拡散する一方で、それでもなお「立法に留保されるべき決定とは

何か」が問われる。例えば、決定の透明性が理由提示(reason-giving)を通じた合理性確保をもたらすとす

れば、委任立法を統制する公法法理は、立法学の有用な道具となり得る。

第3に、統治作用の市場化・グローバル化といったポスト行政国家の諸現象に対応した「立法」像の検

討が必要と思われる。これら変化は、国家機関たる議会の「立法」が法秩序・統治過程に占める地位をも

相対化させるものである(例えば、国際条約上の義務を前提とした国内実施法律の制定)。近年の公法学が

注目するこうした「統治の変容」は、「立法」概念の位置づけをも相対化しうるものであるが、かかる現象

を、「立法の質と正統性」を問う立法学はいかに評価し、応答するのか。このような問いは、「立法学」の

議論の対象・射程を問い直すとともに、公法学との互恵的な対話の場へと誘う契機を提供することが期待

される。

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ポスト行政国家時代の法哲学の可能性-藤谷報告へのコメント

松尾 陽( 近畿大学 )

公法学は、伝統的に、政府による恣意的な権力行使の抑制をその課題としてきた。恣意性を排除するべ

く、議会は一般的な法の制定、行政は制定された法の執行を任務とするという役割分担が理想とされた(法

律による行政の原理)。しかし、個人の権利を実質的に保障するべく、国家任務が社会経済政策へと大きく

広がり、行政は専門的な知識を背景にして立法案の作成に大きく関与し、また、議会は専門的な知識を有

する行政に法律を具体化するルールを策定する権限を大幅に認めた。これにより、その役割分担は大きく

崩れ、政官の関係は大きく変化した(行政国家化)。しかし、1980 年代以降、一方で、規制緩和・改革が

進められ、政官の関係に民の論理・力が組み込まれ始め、他方で、政治主導・行政の民主化の名のもとに、

行政に民主的な統制を働きかける動きが強まり、そうした行政国家も曲がり角を迎えている。本コメント

では、このような曲がり角の後の動きを、「ポスト行政国家(化)」と呼ぶ。

このような現状認識を前提として、本コメントでは、「現代行政国家における良き立法の制度論的な基礎」

への問いを考察する。まず、行政国家が登場し、個人の権利の実質的保障が課題となれば、「良き立法」で

あるか否かは、権利を実質的に保障しているか否か、現実の社会の中で機能しているか否かという基準で

判定されることになるだろう(参照、Martin Loughlin による「公法学における機能主義的思考」)。この

ような機能主義的思考と伝統的公法学の相性の悪さを勘案しつつ、本コメントでは、そのような意味での

「良いパフォーマンス」につながる「制度論的な基礎」の枠組みを政官関係の枠組みのことだと捉えたう

えで検討を進める。

良いパフォーマンスを産出するための政官関係のあり方を考える一つの鍵として、知識や情報の役割が

重要となるだろう。政策を実現していくうえで、国民の価値観はどのように動いているのか、科学技術の

変化が国民の生命や健康にどのような影響をもたらすのかなどについての知識や情報は重要となる。政策

を実現して言う制度論的な基礎としては、どの部門が、どのような情報や知識を保有しているのか、ある

いは、それらに最もアクセスしやすい立場にいるのかなどの制度能力が勘案されなければならない(参照、

松尾陽「法解釈方法論における制度論的転回」民商法雑誌140 巻1 号・2 号)。

行政国家においては、専門知に基づいて政策形成を行うことが望ましいことだとされ、立法への官僚の

関与が増大した。しかし、ポスト行政国家において反省されたのは、専門知が過剰に信仰され、専門知が

その妥当性境界をはみ出していた点、また、一般的な専門的知識では対処できない「時と場所の特殊事情」

(F. Hayek)も政策を実現していく際には重要となる点である。さらには、政策が機能するかどうかは実

施してみないとわからないことが多く、実施した後も実施の状況を反省して政策を再編成していくという

フィードバックも重要となる(実験の必要性と政策の動態性)。これらの問題がポスト行政国家の課題だろ

う。

立法学が注目される政治哲学的背景の一つとしては、司法の過剰を抑制し、議会主権を回復させるとい

う一つの民主政論がある(横濱報告参照)。本コメントでは、ポスト行政国家の課題へと一つの民主政論的

な回答を与えた「民主的実験主義」(M. Dorf & C. Sabel)の観点から、議会・行政・裁判所の役割、ひい

てはガバナンスの在り方を再考する。

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開発における良い統治と立法-正当性と正統性の法動態に着目して

松尾 弘(a慶 應 義 塾 大 学a)

開発(development)という観点から立法をみると独自の問題群が浮かび上がってくる。なぜなら、開発

プロセスでは市場・企業、政府および市民社会が分化し、政府内で立法・行政・司法の権力が分立した国

家の存在を前提にして立法の役割や機能改善を問題とする以前に、政府自体を(再)編成して国家を(再)

構築し、開発政策を実施して経済成長・民主化等を促し、さらにはグローバル化の衝撃に対応するという

国家統治の動態の中で、立法の方法や内容が問題になるからである。本報告は開発における良い統治の構

築というコンテクストで立法が直面する問題を明らかにすることに主眼を置きつつ、それが立法(理)学

(legisprudence)および法哲学に何を問いかけるかについて若干の考察を行う。

本報告では、①国づくり、②経済成長等の推進、③グローバル化への対応という局面に着目し、各局面

において良い統治の実現という視点から立法が直面する問題を取り上げる。すなわち、①国づくりにおい

て不可欠な立憲的秩序の構築は、統治を支える政治権力の中央集権化と不可分の関係にあり、憲法制定は

新秩序に承認を与える一方で、既存の政治構造に照らして旧秩序との連続性も考慮に入れた正統性の確保

が極めて重要な問題になる。②国家の(再)構築後は、政府が主導して開発を進め、比較的短期間のうち

に経済的・政治的・社会的発展の目標を実現する手段として、戦略的立法が重要な役割を果たす。しかし、

それは時には、農地改革立法のように、既存の権利帰属秩序をラディカルに変更する等、合憲性が問題に

なる内容も含みうることから、その正当性の確保がとくに問題になる。③法秩序が構築され、開発が進ん

だ国家においても、グローバル化の中ではいわゆる国際標準を踏まえて国内法をどのように改正すべきか

が不断に問われる。この場面では、民法(債権関係)の改正作業にもみられるように、改正内容の正当性

と、それに対して多様な評価と利害関係をもつ国民の意思を反映した改正経緯の正統性を確保することが

一層困難になることから、異なる要素を調整不能なままに取り込んだパッチワーク的立法の弊害への対処

が不可避となる。そして、何れの場面でも、法の正統性を確保し、かつその正当性を確認すべく、政府と

国民の間、および立法部と司法部・行政部の間での緊張を伴うコミュニケーションの形成と維持が決定的

に重要になる。

このような開発における立法の問題は、いわゆる先進国・途上国を問わず、国家における法の生成・変

動の動態に関する一般理論へとわれわれの関心を引き戻す。そして、開発という一連のプロセスは、法の

正統性と正当性が二重螺旋のように絡み合いながら展開する法の動態にほかならないことを再認識させる。

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立法と司法の関係を把握するための視座-松尾報告へのコメント

濱 真 一 郎(a同志社大学a)

松尾弘会員は、「開発における良い統治と立法」について報告する際に、J. ラズおよび A. マーモーの

法理論を参照している。本コメントは、その両者の法理論を検討することを通じて、松尾報告の法哲学的

含意を提示することを目的とする。

松尾会員によると、①開発プロセスにおいて立法部がラディカルな制度変更を試みた場合は、司法部は

立法部の改革に対して時にはお墨付きを与え、時には抑制する。すなわち、ラズも示唆するように、司法

部が民主的な立法部の権能との間にきめ細かな均衡を確保し、法の支配の漸次的な実現に寄与すると考え

られる 。さらに、②開発の観点からは、立法部と司法部の間の緊張関係を前提にしつつも、各国固有の開

発目標および開発段階というコンテクストに適合した司法部と立法部の関係形成、とりわけマーモーの言

う「戦略的コミュニケーション」のあり方を探求することが現実的かつ有用であると考えられる 。

次に、法哲学における立法と司法をめぐる議論を確認する。法実証主義に批判的なR. ドゥオーキンは、

裁判所(司法)を中心に据えた法理論を提示している。マーモーの理解に従えば、ドゥオーキンが「法の

統合性(integrity in law)」について論じる時、それは裁定理論と関連している。すなわち、裁判官は、「立

法の統合性(legislative integrity)」の理想を踏まえて法が制定されたと、想定すべきである(マーモーは

「立法の統合性」という用語を、ドゥオーキンの議論を踏まえて用いている)。さらに、裁判官は、立法者

がその理想に従って立法することに失敗したとしても、司法的解釈を通じて、立法に最大限の整合性を付

与すべきなのである。

それに対して、法実証主義の法理論を擁護するT. キャンベルやJ. ウォルドロンは、立法を中心とした

法理論を提示し、立法部は司法部に優位すべきであるという規範的な主張をしている。(彼らの「規範的法

実証主義」は横濱会員の第一報告で詳しく論じられている。)

ラズおよびマーモーも、法実証主義の法理論を擁護する。しかしながら、キャンベルやウォルドロンが、

立法部は司法部に優位すべきであるという規範的な主張をしているのに対して、ラズおよびマーモーは、

立法と司法の関係を把握するための視座を提供しようと試みている。

ラズによると、法が機能するための中核をなすのは、一方の、立法者およびその他の(立法的)権威と、

もう一方の、法規範について権威的解釈をなすことを委ねられている裁判所のあいだの、相互作用である。

さらに、法の支配の原理は、一方で、司法部およびその他の法機関(警察、検察官、行政府)に向けられ

ている。その原理は、それらの機関に対して、誠実かつ公然と、さらに原則に基づく方法で、法を適用す

るように命じる。法の支配の原理は、その一方で、立法部にも向けられていて、誠実に適用できるような

法を創造すべきだと命じている。次に、マーモーは、J. ロールズの「穏当な多元性の事実」という認識を

踏まえた上で、多元的な諸価値のあいだの妥協を目指す議会と、制定法を解釈する裁判所のあいだには、

「戦略的コミュニケーション」が存すると説明している。

本コメントを通じて、「開発における良い統治と立法」について論じる際には、立法と司法の関係を把握

するための視座が欠かせないことを、示したい。

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立法の品質保証と民主的正統性

大屋 雄裕(a名古屋大学a)

近時いくつかの議員立法について、現実的な強制可能性を欠くとか、人権保護・規制の副作用に対する

配慮が足りないなど、法的な適切性・「スジの良さ」の観点からの批判が向けられている。他方、民主政と

の関係からは議員立法が本来望ましいはずだとの指摘もあり、立法の正当性と正統性のあいだで一種のジ

レンマ状況が生じていると見ることができる。同様の指摘は、非嫡出子の相続分に関する違憲判決(平成

25年9月4日最高裁大法廷)にも向けることができる。同判決を「司法の暴走」と位置付けるような政治

家の発言に法律家の多くは反感を覚えるだろうが、彼らが人民の手によって選ばれた代表としての正統性

を持っていることも事実である。ここでは司法・立法の対立が問題となっているが、より大きく見れば憲

法や既存の法体系との整合性といった法制度の品質保証に係る観点と、「人民の意思」を背負った立法府の

政治的観点が対立する構造がクローズアップされていると見ることができよう。

こうした問題状況を示す素材として、2012年の著作権法改正を取り上げる予定である。同改正において

は、(1) いわゆる「日本版フェアユース」(30 条の 2~30 条の 4)が導入されたが、内閣法制局審査を経

た結果として適用範囲が極めて限定されるとともに複雑怪奇な条文となり、導入を求めた側からの不満が

多く聞かれる一方、(2) 文化庁側では改正案に盛り込むことを見送った「違法ダウンロード犯罪化」(119

条3項)が、権利者団体側によるロビイングの結果野党提出の修正案として審議され、成立する事態とな

った。

ここから我々としては、(1) 利害関係者の brute な要求が「政治主導」の名のもとに直接に政治過程へ

と入力されることにより、従来官庁内で取られてきた慎重な審議・調整過程がバイパスされる傾向、(2) ね

じれ国会などの機能不全により、政治過程も直接の政策要求を十分に審議・調整できる状態にはないとい

う問題、(3) 一方で内閣法制局を鍵とする従来の立法過程も当事者たちの要求に応えきれていない傾向、

などを読み取ることができよう。この点を題材として、現在の立法過程が抱えている問題を分析するとと

もに、あるべき過程についても一定程度検討したい。

具体的には、(1)従来通り内閣法制局という直接の政治的対立からは距離を置いた・しかし本質的には与

党率いる内閣に属する行政機関に品質保証機能を委ねることを是とした上でその一定の改革を考慮すべき

か、(2) 立法府内にあって専門性・合理性を担い得る機関としての両院法制局に期待し、現在の内閣法制

局が有している程度とまでは言わないものの一定の拒否権(議案提出前の意見表明・審査・承認)を与え

るといった制度を構想すべきなのか、あるいは(3) 民主的正統性論からの「本筋」として、議員たち自身

による審議・熟議を通じた品質確保の可能性をあくまで追求すべきなのか、といったことが検討の範囲と

なろう。

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立法の質をめぐる「政治」と「法」-大屋報告へのコメント

川﨑 政司(a慶 應 義 塾 大 学a)

1990年代以降、変革期にあるとされる日本において、立法をめぐる変化として挙げられるのは、政治の

前面化であり、それに伴って、官僚による立案・調整過程を中心とした立法の構図にも変化がみられる。

また、そのことは、しばしば、民主的正統性と法的なもの・専門性との相克として姿を現すとともに、立

法の質を問う声も聞かれる。ただ、そこでの民主的正統性、法的なもの・専門性それ自体が不確かな面が

あるだけなく、揺らぎなどもみられ、それらが歪んだ形でぶつかり合っているところもあるようにみえる。

すなわち、立法をめぐる問題状況は、政治的なものの強まりだけでなく、官僚の機能低下、法的なもの・

専門性の動揺とそれらに対する懐疑の強まりなども相まって生じてきているのであり、政治によって官僚

主導の打破が持ち出されたころには、官僚中心のシステムは変質が進み、一部で機能不全も起こしていた。

立法の品質保証システムと目されてきた内閣法制局の審査も、最高裁の違憲判決の少なさに結び付けられ

ることもあったが、過度の形式主義・前例踏襲主義や保守的傾向に陥っていた面がある。裁判所の立法に

与える影響も限定的であり、政治との間でそれぞれ一方通行的な状況が続いてきた。

他方、民主的正統性を強調する政治の側も、政治主導をめぐり迷走するとともに、選挙至上主義に陥り、

逆に答責性を低下させている。従来から総合性・計画性・透明性・アカウンタビリティなどの不足を指摘

されてきた立法プロセスに改善の兆しはみられず、アドホックな対応、政治的思惑、個別的利益の混入、

法的なものや専門性の軽視などにより、法律の道具化・象徴化・希薄化・断片化・不整合などが拡大して

いる状況にある。そもそも、価値観の多様化、社会の複雑化、不確実性の拡大、グローバル化などによっ

て政府や政治の有効性は低下してきているにもかかわらず、国の対応に対する国民の依存意識などもあっ

て、その役割を過大視する傾向がみられ、それがそのような問題状況につながっているところもある。

政治主導か官僚主導かといった議論が既に意味を失いつつある中で、民主的正統性との折り合いをつけ

ながら立法の質をどう確保していくのかが問われている。

この点、政治の力や統制が強まる状況に対し、立法システムにおける複数性(異なる使命や行動原理を

もつ機関の競合・協働)と法的なもの・専門性の確保の必要性について、それぞれの機関の役割やあり方

を改めて問いつつ確認するとともに、内容・分野に応じた立法のあり方といった視点も取り入れる必要が

ある。また、立法の不完全性や多元性を前提に「立法者」や「立法」の意味・射程を相対化し、国会・行

政機関・裁判所の相互作用などに目を向けることも重要である。ただし、裁判所がこれまでより立法の品

質保証の役割を果たすべきとはいえ、その統制や補完に大きくシフトすることは、原理的な問題よりも、

その立ち位置、政治に巻き込まれることの危うさ、可視性・法的安定性などから、慎重に考えざるを得な

いところがある。そして、総合的な視点・構想の必要を確認しつつ、立法システムに視線を戻せば、説明

責任・情報の多様性・議論の確保、形式的合法性も取り込んだ立法に関する約束事・作法・枠の共有化、

立法のフォローアップの確保など、取り組むべき課題は少なくない。特効薬はないものの、民主主義ある

いは司法の強化が語られることはあっても、立法の質も視野に入れた「立法改革」が等閑視されてきた状

況に目を向け、そのための理論・実践の双方にわたる議論を展開していくことが必要といえるだろう。

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