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4.青森りんごの歴史...4 5. なんとかして作り続けたいと思っていました。でも、青森県ではりんごはやっぱり素晴らしい果物なんだ!手間がかかるりんご栽培を他の県ではやめていきました。それはもう気の遠くなるような作業ですから、りんごの木を一本一本洗ったりしていたんです。

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Page 1: 4.青森りんごの歴史...4 5. なんとかして作り続けたいと思っていました。でも、青森県ではりんごはやっぱり素晴らしい果物なんだ!手間がかかるりんご栽培を他の県ではやめていきました。それはもう気の遠くなるような作業ですから、りんごの木を一本一本洗ったりしていたんです。

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2.はじまりは三本の苗木

今、皆さんが普段食べているりんごは

正式には「西洋りんご」と言います。

「西洋」とは外国という意味です。私たちが食べている

りんごのご先祖様は外国からやってきました。

西洋りんごのご先祖様が日本にやってきたのは、明治時代です。

江戸時代から明治時代に変わったとき、

日本の国を豊かにしようと、

国は外国から色んなものを取り入れました。

その中にはりんごをはじめとする果物の苗木もありました。

りんごの苗木は全国に配られ、

青森県にも明治8年3本の苗木が配られ、

青森県庁に植えられたのが始まりです。

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3.武士が作った青森りんご

ちょうどそのころ、

江戸時代に武士だった人たちが明治時代になり

仕事をなくしていました。

そこで、武士だった人たちに仕事を与えようということで、

その人たちを中心にりんご作りがはじまったのです。

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4.青森りんごの開祖

もちろん、全国各地でもりんご栽培は始まりました。

では、なぜ青森県がりんご産地として定着したのでしょう?

それには、「青森りんごの開祖」と言われる

一人の男の人の存在があります。

元武士で青森県庁の職員

菊池楯衛(きくちたてえ)さんです。

「青森りんごの開祖」とは分かりやすく言うと

「青森りんごのお父さん」のような人です。

菊池さんは、青森県の気候が

りんごの栽培に適していることを確かめ、

りんごの栽培技術を広めました。

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開祖かいそ

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5.病気や虫との闘い

そうした中、大問題が発生します。

人間も風邪をひいたり、病気になったりしますが、

そんな時は薬を飲んだりしてなおしますよね?

りんごも生き物ですから病気になったり

虫に葉っぱを食べられてしまったりします。

でも当時はりんご用の薬、農薬がありませんでした。

そのため、農家の人たちは虫を一匹一匹手でとったり、

枝を棒でたたいて虫を地面に落とし、

それを拾って処分してしたり、

りんごの木を一本一本洗ったりしていたんです。

それはもう気の遠くなるような作業ですから、

手間がかかるりんご栽培を他の県ではやめていきました。

でも、青森県ではりんごはやっぱり素晴らしい果物なんだ!

なんとかして作り続けたいと思っていました。

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6.青森りんごの神様

そんな青森りんごの大ピンチを救った人がいます。

のちに「青森りんごの神様」とも呼ばれた

外崎嘉七(とのさきかしち)さんです。

外崎さんはそれまでのりんご栽培になかった

新しいことにチャレンジしました。

外崎さんが広めたことは3つあります。

①虫からりんごの実を守るための袋かけ

袋かけは現在でもありますが、今は病害虫から実を守るほかに、

赤いキレイな色をつけるためや、長期保存ができる

りんごを作るために欠かせないものです。

②病気からりんごを守るための農薬の試験

この頃はまだ農家の人は農薬のことがよく分からず、

使おうとしませんでした。でも、そうしている間にも

りんごの木がどんどん弱っていきます。

そこで、外崎さんは自分の畑で実験しながら、

農薬が安全であること、病気や虫に効くことを確かめ、

農家の人に広めました。

③作業しやすい木の形

りんごの木は放っておくと

どれくらいの高さになると思いますか?

実は8メートルにもなります。

そこで、外崎さんは農家の人が作業しやすく、

またお日様が良くあたるように木の形を整える方法を

編み出しました。

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7.戦争からの復興

その後、明治  

年から日本一のりんご生産県となった

青森県ですが、2回ほど日本一の座から落ちたことがあります。

それは、今から 

年ほど前、第二次世界大戦という

大きな戦争があった後です。

戦争が終わった時、りんご畑は荒れ放題で、

戦争前のようにたくさんのりんごをとることが

できませんでした。

農家もりんごを作る意欲を失いかけていた時、

先頭になって立ち上がった人がいました。

澁川傅次郎(しぶかわでんじろう)さんです。

澁川さんは「青森県りんご協会」という

りんご農家の集団を作り、りんご栽培の学校や勉強会など、

りんごを作る「人づくり」に力を注ぎました。

そうした努力が実り、青森県のりんごは見事に復活。

昭和 

年以降生産量日本一の座を守り続けています。

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8.山川市場(やまかわしじょう)

昭和に入ってからも青森りんごには数々の苦難がありました。

昭和 

年、バナナなどの甘い果物の輸入が増えたり、

食べる人の好みが変わったりして、

当時青森県で多く作られていた「国光」「紅玉」という

りんごが売れなくなってしまったのです。

市場に出しても売れないりんごは行き場を失い、

泣く泣く農家の人たちは山や川にりんごを捨てました。

これが「山川市場」と後に呼ばれている出来事です。

でも、こんな悲しい出来事にも

青森県のりんご農家は負けませんでした。

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9.青森りんごのエース「ふじ」

青森県では、この辛い経験からより食べる人の好みに合った

りんごを作ることに一層の努力をし、

その結果皆さんも良く知っている「ふじ」が

多く作られるようになったのです。

ふじは、昭和 

年青森県の藤崎町で誕生した品種です。

名前の由来は、藤崎町の「ふじ」からつけたとか、

富士山のように日本一の品種に成長してほしいと願ってつけた

とも言われています。

その願いのとおり甘くて、果汁が多く美味しい「ふじ」は、

今に至るまで青森りんごの不動のエースです。

現在、青森県で作られているりんごの半分以上が

「ふじ」なんですよ。

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10.台風 

平成に入ってからの一番の危機は平成3年に

青森県を直撃した台風 

号、別名「りんご台風」の被害です。

台風が来たのは9月 

日。 

月に収穫する「ふじ」をはじめ、

たくさんのりんごが木になったままでした。

猛烈な風はりんごの枝を激しくゆらし、

りんごは次々と地面に落とされました。

その量は三十八万八千トン。丸裸になった木の下に

赤いじゅうたんのように敷き詰められたりんごを見た時、

多くの農家は絶望しました。

でも、そんな青森りんごのピンチを救ってくれたのが

全国の青森りんごファンの方々からの励ましでした。

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11.青森りんごの次世代エース

全国の青森りんごファンに美味しいりんごを届けるため、

青森県では今も新しい品種が誕生しています。

その中でも、黄色いりんごの

次世代のエースと言われているのが「トキ」という品種です。

両親が「王林」と「ふじ」というりんご界のサラブレットです。

ここ数年生産量が増えていますので、

皆さんもスーパーなどで目にする機会もあるかと思います。

スーパーに並ぶ時期は 

月~ 

月くらいです。

今までりんごと言えば赤というイメージが

強かったかもしれませんが、

今青森県ではこの「トキ」をはじめとする

黄色いりんごを大々的に売り出し中です。

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12.世界が認めた青森りんご

今から百四十年ほど前、たった3本の苗木からはじまった

青森りんごは今、台湾や香港など海外でも

売られるようになりました。

大きくて色や形もよく、美味しい青森りんごは海外でも大人気。

特に台湾では「青森りんご」という言葉が

一つのブランドになっているくらい品質の高さが

評価されています。

これからも、青森県では皆さんに安心して

美味しく食べてもらえるりんごを作るため、

一生懸命りんご作りに励みます。

たくさんの人の愛情がいっぱい詰まった青森りんご、

これからもたくさん食べてくださいね。

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1.青森りんごの歴史

青森県は日本一のりんご生産量をほこるりんご王国です。

しかし、ここまで至る道のりにはたくさんの困難がありました。

そのたびに、たくさんの人の努力で乗り越えてきたのです。

今日は、なぜ青森県が今のようなりんご王国になれたのか、

青森りんごの歴史を勉強してみましょう!