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1 高インスリン血症と老化 南野 徹 はじめに 老化はすべての生物種において認められるがその形式は様々である。例えば、マウ スの寿命は 2-3 年であるが、リスは 20 年以上も生きることができる。出産とともに寿命 を全うする生物種も存在する一方で、ある種の魚やカメなどは、あたかも老化してい ないかのように見える。同一の生物種間、例えばヒトにおいても、その寿命の長さの 相違が明らかである。このような多様性の存在にも関わらず、老化の過程は無秩序 に生じるものであると考えられてきた。それに対して最近の研究では、老化は秩序あ る制御機構を持った生物学的な過程であることが明らかとなりつつある。例えば、た った一つの遺伝子の変異によって、ある生物の寿命を延長することができることがわ かっている。これまでいくつかの遺伝子が寿命と関連があると報告されているが、そ の中でも種を超えてその役割が保存され、最も研究が進んでいるシグナルがインスリ ンシグナル経路である。本稿では、インスリンやそれに関わる代謝と老化の関係につ いて考えてみたいと思う。 1. インスリンシグナルは様々な生物種の寿命に関与する a. インスリンシグナルと酵母・線虫・ハエの寿命(図 1インスリン/インスリン様増殖因子-1Insulin-like growth factor-1, IGF-1)経路がは じめて老化と関連があると考えられるようになったのは、インスリン/IGF-1 受容体で ある daf-2 遺伝子の変異によるシグナルの低下が線虫の寿命を約2倍に延長するこ とが発見されたからである 1 。その寿命の延長にはフォークヘッド転写因子である daf-16 の活性化が必須であった 2 。これらの発見以来、老化には秩序のある制御機 構が存在し、特に液性因子による調節が重要であると考えられるようになった。Daf-2 受容体からのシグナルは、phosphatidylinositol (PI)-3 キナーゼ/Akt シグナル経路を 活性化する。Akt はフォークヘッド転写因子ファミリーの Daf-16 をリン酸化することに よってその核移行を抑制し、その転写活性を負に制御している。Daf-16 に加えて Daf-2 変異体の寿命延長に重要な因子は、Heat-shock 転写因子-1Hsf-1)である 3 Hsf-1 はいくつかの heat-shock 分子の転写を誘導することによって寿命の延長に関わ っている。Daf-2 変異による寿命の延長には AMP キナーゼである AAK-2 の機能も 重要である。AMP キナーゼは哺乳類では代謝に関与する酵素や転写因子をリン酸

AAK-22 化することによって代謝の制御に関与する。AAK-2を過剰発現した線虫では寿命が 13%程度延長することが示されている4。 インスリン/IGF-1受容体の遺伝子変異はハエの寿命を80%まで延長しうることも

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Page 1: AAK-22 化することによって代謝の制御に関与する。AAK-2を過剰発現した線虫では寿命が 13%程度延長することが示されている4。 インスリン/IGF-1受容体の遺伝子変異はハエの寿命を80%まで延長しうることも

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高インスリン血症と老化

南野 徹

はじめに

老化はすべての生物種において認められるがその形式は様々である。例えば、マウ

スの寿命は2-3年であるが、リスは20年以上も生きることができる。出産とともに寿命

を全うする生物種も存在する一方で、ある種の魚やカメなどは、あたかも老化してい

ないかのように見える。同一の生物種間、例えばヒトにおいても、その寿命の長さの

相違が明らかである。このような多様性の存在にも関わらず、老化の過程は無秩序

に生じるものであると考えられてきた。それに対して最近の研究では、老化は秩序あ

る制御機構を持った生物学的な過程であることが明らかとなりつつある。例えば、た

った一つの遺伝子の変異によって、ある生物の寿命を延長することができることがわ

かっている。これまでいくつかの遺伝子が寿命と関連があると報告されているが、そ

の中でも種を超えてその役割が保存され、最も研究が進んでいるシグナルがインスリ

ンシグナル経路である。本稿では、インスリンやそれに関わる代謝と老化の関係につ

いて考えてみたいと思う。

1. インスリンシグナルは様々な生物種の寿命に関与する

a. インスリンシグナルと酵母・線虫・ハエの寿命(図 1)

インスリン/インスリン様増殖因子-1(Insulin-like growth factor-1, IGF-1)経路がは

じめて老化と関連があると考えられるようになったのは、インスリン/IGF-1 受容体で

ある daf-2 遺伝子の変異によるシグナルの低下が線虫の寿命を約2倍に延長するこ

とが発見されたからである 1。その寿命の延長にはフォークヘッド転写因子である

daf-16 の活性化が必須であった 2。これらの発見以来、老化には秩序のある制御機

構が存在し、特に液性因子による調節が重要であると考えられるようになった。Daf-2

受容体からのシグナルは、phosphatidylinositol (PI)-3 キナーゼ/Akt シグナル経路を

活性化する。Akt はフォークヘッド転写因子ファミリーの Daf-16 をリン酸化することに

よってその核移行を抑制し、その転写活性を負に制御している。Daf-16 に加えて

Daf-2 変異体の寿命延長に重要な因子は、Heat-shock 転写因子-1(Hsf-1)である 3。

Hsf-1 はいくつかの heat-shock 分子の転写を誘導することによって寿命の延長に関わ

っている。Daf-2 変異による寿命の延長には AMP キナーゼである AAK-2 の機能も

重要である。AMP キナーゼは哺乳類では代謝に関与する酵素や転写因子をリン酸

Page 2: AAK-22 化することによって代謝の制御に関与する。AAK-2を過剰発現した線虫では寿命が 13%程度延長することが示されている4。 インスリン/IGF-1受容体の遺伝子変異はハエの寿命を80%まで延長しうることも

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化することによって代謝の制御に関与する。AAK-2 を過剰発現した線虫では寿命が

13%程度延長することが示されている 4。

インスリン/IGF-1 受容体の遺伝子変異はハエの寿命を 80%まで延長しうることも

示されている。インスリン受容体基質(insulin receptor substrate, IRS)様分子の変異に

よっても寿命の延長がみられる 5。インスリン/IGF-1 受容体変異による寿命の延長

には、フォークヘッド転写因子の活性化が関与していると考えられている。実際フォー

クヘッド転写因子の発現を亢進させると寿命が延長すること 6, 7、フォークヘッド転写因

子によって転写を制御される遺伝子の多くが寿命の延長に関与していることなどが示

されている 8。また、インスリン/IGF-1 受容体シグナル経路は酵母の寿命にも関与し

ている。酵母の Akt である Sch9 の変異では、寿命(非分裂)が延長することが示され

た 9。

b. インスリンシグナルカスケードと老化

インスリン/IGF-1 受容体の遺伝子変異による寿命の延長は、細胞非自立性の機

序が関与する。すなわち、ある細胞でのインスリンシグナルの低下が、他の野生型の

細胞に影響を及ぼすことによってその個体の寿命を延長することができるのである。

それではどの組織が寿命の延長に重要なのであろうか?一つの候補は、脂肪組織

である。後述するようにマウスの寿命において、脂肪組織のインスリンシグナルの低

下の重要性が示唆されており 10, 11、ハエにおいても Fat body(脂肪組織)におけるフォ

ークヘッド転写因子活性の上昇(すなわち、インスリンシグナルの低下)は寿命を延長

することが報告されている 6, 7(図1)。線虫でも腸(脂肪組織に相当する組織)におい

てフォークヘッド転写因子すなわち、Daf-16 の活性化を誘導することによって寿命を

延長することができる 12(図1)。一部否定的な報告もあるが、Daf-2 変異体の寿命延

長の少なくとも一部は神経組織におけるインスリンシグナルの低下が関与していると

も考えられている 12, 13。面白いことに、線虫では腸における Daf-16 の活性化によって、

他の組織の Daf-16 活性化を誘導することができる。その機序の一つとして、Daf-16

は Daf-2 のリガンドであるインスリン様分子 Ins-7 の発現を低下させることによって他

の組織における Daf-16 活性の低下を抑制し、寿命の延長を促進している 12, 14。また

Daf-16 変異体において、腸における Daf-16 の活性化は寿命を延長することができる

ことから、Daf-16 非依存性の機序も腸以外の組織における遺伝子誘導に関与してい

ると考えられる 12。Hsf-1 の寿命延長効果も細胞非自立的な機序も関与していること

が報告されているので、細胞自立的な heat-shock 分子の発現誘導以外の機序が関

Page 3: AAK-22 化することによって代謝の制御に関与する。AAK-2を過剰発現した線虫では寿命が 13%程度延長することが示されている4。 インスリン/IGF-1受容体の遺伝子変異はハエの寿命を80%まで延長しうることも

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与していることが予想される 15。

フォークヘッド転写因子のターゲット分子については、RNAi や変異体を用いた網羅

的遺伝子解析、クロマチン沈降を用いたスクリーニングによって同定されている 14, 16。

寿命に影響を与えると考えられている分子は、superoxide dismutaseや catalaseなどの

抗酸化分子、アポリポタンパクやアミノ酸合成分解に関わる代謝分子、heat-shock 分

子などのシャペロン分子などがある。オートファジーは飢餓時に細胞小器官のターン

オーバーを制御する機構であるが、Daf-2 変異体でそれに関連する分子の発現が亢

進しており、それらの分子の発現を低下させると寿命が短縮することが知られている17。

c. インスリンシグナルとマウスの寿命(図 1)

マウスにおいてはインスリンと IGF-1 は別々の受容体を持っている。IGF-1 のヘテロ

ノックアウトマウスは 30%程度の寿命の延長がみられる。その延長は、メスにおいて

有意であるが、オスにおいては 16%の延長にとどまっていた 10。脂肪組織においてイ

ンスリン受容体を欠失したマウスでは 18%程度の寿命延長が観察された 11。インスリ

ンや IGF-1 の上流シグナルの低下によっても寿命の延長が認められる。例えば、成

長因子は IGF-1 の産生を促すが、その変異マウスでは寿命が延長する 18。遺伝的に

下垂体機能を欠失したマウスでは成長因子や IGF-1レベルが低下し、長寿を示す 19。

これらの長寿マウスの形質にフォークヘッド転写因子の活性化が必須であるかどうか

は不明である。長寿の形質を示すマウスは数少ないが、その一つに p66shc のノック

アウトマウスがある。本マウスの寿命は 30%程度まで延長し、酸化ストレスに対して

抵抗性を持つ 20。p66shc はインスリン受容体を含む様々な受容体のアダプタータンパ

クとして機能する。p66shc のノックアウトマウスから得られた細胞では、ベースの活性

酸素レベルは低く、酸化ストレにも抵抗性があった。その機序の一部は、フォークヘッ

ド転写因子活性化による抗酸化分子の発現誘導が関与している 21。

2. インスリンのシグナルはヒトの細胞の寿命に関与する

ヒトにおいてインスリン/PI-3K キナーゼ/Akt シグナル経路は、代謝の制御に重

要であるばかりでなく細胞増殖を促進し癌化にも関与することが示唆されていたが、

老化に対する作用については知られていなかった。これらに対して最近我々は、Akt

の活性がヒト血管内皮細胞の寿命の制御に重要な役割を果たしていることを明らか

にした 22。Akt の活性は、血管内皮細胞の老化に伴い増加したが、この増加を抑制型

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Akt の導入により阻害すると細胞の寿命は延長した(図 2a)。逆に活性型 Akt の導入

により血管内皮細胞の寿命は短縮し、様々な老化の形質、すなわち、細胞分裂能の

低下、SA β gal 活性の増加、p53 や p21 などの細胞分裂抑制因子の誘導などが認め

られた(図 2a)。Akt の活性化は p21 の mRNA レベルを増加させるが、タンパクの半

減期には影響を与えなかった。p21 プロモーターを用いたアッセイにより Akt による

p21 の発現亢進には p53 の転写活性の増加が重要であることが明らかとなった。また、

p21 あるいは p53 を欠失した細胞では、Akt による細胞老化がみとめられなかったこと

から、Aktによる細胞老化の誘導にはp53/p21の活性化が重要な役割を果たしている

と考えられた(図 2a)。ヒト血管内皮細胞においても Akt の活性化は Forkhead 転写因

子のリン酸化を促進することによってその活性を抑制した。その結果、Mn superoxide

dismutase の発現は低下し細胞内活性酸素の増加を誘導した。Akt による p53 や p21

などの細胞分裂抑制因子の誘導は、細胞内活性酸素の増加を阻害することによって

抑制された。さらに、Akt による細胞老化は活性型の Forkhead 転写因子を導入すると

免れたことから、そのシグナル経路には Forkhead 転写因子活性低下により引き起こ

される細胞内活性酸素の増加とそれによって誘導される p53 の活性化が重要である

ことが明らかとなった(図 3)。従ってこれらの結果は、線虫においてみられる老化制

御シグナル経路がヒト血管内皮細胞にも保存されていることを示唆する。Akt によっ

て老化した血管内皮細胞は様々な機能障害の形質、例えば血管新生能の低下、炎

症性分子の発現亢進などを示した(図 2b, c)。さらに、高インスリン血症を伴う 2 型糖

尿病マウスの動脈やヒト冠動脈硬化巣においても Akt の活性化を認めたことから、

Akt による細胞老化の促進は糖尿病などに伴う動脈硬化に関与している可能性があ

る。

3. カロリー制限は様々な生物種の寿命に関与する

a. カロリー制限とインスリンシグナル

カロリー制限は多くの生物種においてその寿命を延長し、老化に伴う疾患の発症を

抑制する。カロリー制限はインスリンレベルを低下させるので、容易にインスリンシグ

ナル経路の関与が示唆される。実際インスリン/IGF-1 変異のあるハエにおいては、

カロリー制限が更なる寿命の延長をもたらすことはできないことからも、その関与が

示唆される 23。しかし、線虫においては、その関与は否定的である。Daf-16 の活性化

はインスリン/IGF-1 変異による寿命の延長には必須であるが、カロリー制限による

効果には必要なかった 24。マウスにおけるカロリー制限の寿命延長効果にインスリン

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シグナルが関与するかどうかはまだわかっていない。

カロリー制限によって脂肪の燃焼が促進されるので、脂肪の蓄積が寿命に影響して

いる可能性がある。実際、脂肪組織においてインスリン受容体を欠失したマウスや白

色脂肪細胞を代謝の活発な褐色脂肪細胞に変異させたマウスでは、ともに寿命の延

長と脂肪蓄積の抑制がみられる 11, 25。しかし、下垂体機能異常の長寿マウスやイン

スリン/IGF-1 変異のあるハエや線虫では、寿命の延長とともに脂肪を蓄積する形質

を持つことから、直接の因果関係はないと考えられる 19。

インスリンシグナルの下流には栄養のセンサーとして機能する Tor というプロテイン

キナーゼが存在する。Tor は Akt によって正に AMPK によって負に制御されており、

リボゾーム S6 キナーゼや eukaryotic initiation factor 4E 結合タンパクをリン酸化する

ことによって細胞増殖を促す。Tor 活性の低下を誘導する変異は、酵母、ハエや線虫

の寿命を延長する 26, 27。特に Tor 変異のハエの場合、カロリー制限による更なる寿命

の延長がないことから、Tor の活性低下がカロリー制限による寿命の延長に関与して

いることが示唆される。

b. カロリー制限と Sir2 (図 4)

カロリー制限の寿命に対する影響は、酵母においてよく研究されている。酵母にお

けるカロリー制限の寿命延長には、NAD 依存性のヒストン脱アセチル化酵素である

Sir2 の活性化が重要であると考えられている 28。NAD/NADH 比はカロリー制限に

より増加するので、Sir2はTorと同様に、エネルギー代謝のセンサーとして機能してい

る可能性がある。酵母では Sir2 非依存性の寿命延長の機序も関与することが報告さ

れている 29。Sir2 の過剰発現は、酵母だけでなく線虫やハエの寿命も延長することか

ら、生物種を超えて保存された機構であることがわかる 30, 31。線虫では、Sir2 の過剰

発現による寿命の延長は Daf-16 依存性であるのに対して、カロリー制限による効果

は Daf-16 非依存性であることから、カロリー制限による線虫の寿命の延長には Sir2

活性は関与していないものと考えられている 24。

マウスにおいて Sir2 関連遺伝子は Sirt1-7 まで存在するが、最も類縁の Sirt1 の研

究が進められている。Sirt1 はカロリー制限によってその発現が誘導され、DNA 修復

に関わる因子や代謝に関与する転写因子などの活性制御を行っていることが報告さ

れている 32。例えば、Sirt1 は p53 を脱アセチル化することによってその活性を負に制

御し、細胞老化やアポトーシスに対する作用を抑制している。Sirt1 は DNA 修復に重

要な因子 Ku70 を脱アセチル化することによってアポトーシス促進因子 Bax との結合

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を増強し、アポトーシスを抑制している。また Sirt1 は、フォークヘッド転写因子を脱ア

セチル化することによってストレス抵抗性遺伝子に対する転写活性を誘導する。

Peroxisome proliferator-activated receptor (PPAR) γ は脂肪の分化に重要な転写因

子であるが、Sirt1と相互作用することによってその活性が負に制御され、脂肪の分解

が促進されると報告されている。PPAR γ coactivator (PGC)-1αは、Sirt1 による脱アセ

チル化によって肝臓における糖新生系酵素の発現を誘導する。膵臓においてSirt1は、

Uncoupling protein (UCP)-2 の転写を負に制御することによって ATP の産生を低下さ

せ、インスリンの分泌能力を促進していることが示された。

Sirt1 欠失マウスのホモの多くは生後間もなく死亡するが、一部は成人期まで生存

する。これらのマウスでは、カロリー制限による運動機能の増強が認められなかった

が、IGF-1 や血糖レベルは野生型と同様に低下した 33。脱アセチル化活性よりむしろ

ADP ribosyl 化活性の強い Sirt6 の欠失マウスでは、老化の形質を呈することが最近

報告されている 34。これまでの研究から、Sirt1 の活性化がカロリー制限に対する適応

性を誘導していることは明らかであるが、マウスの寿命を延長しうるかどうかはまだ

わかっていない。

4. 高インスリン血症と老化

インスリンや IGF-1 はあらゆる生物種にとって必須の因子であり、エネルギーの蓄

積や成長に深く関与している。それではどうしてそのシグナルの低下が寿命の延長を

もたらすのであろうか?一つの理由としては、インスリンシグナルの低下によって誘

導される抗ストレス因子の発現があげられるであろう。また、成長のシグナルは過剰

になれば、老化を促進しうる。

インスリン抵抗性は 2 型糖尿病の基本病態であるのに、インスリンシグナルの低下

が寿命の延長を誘導するのはどうしてであろうか?その答えの一つとしては、組織特

異的なシグナルの変化が重要であると考えられる。例えば、脂肪特異的なインスリン

受容体の欠失は糖代謝の改善や寿命の延長をもたらすのに対して、肝臓特異的なイ

ンスリン受容体の欠失は糖尿病を発症させる 11, 35, 36。すなわち、インスリン受容体の

欠失した脂肪組織が、個体レベルの抗老化シグナルに関与することを示唆する。ま

た肝臓や骨格筋におけるインスリン抵抗性は、高インスリン血症を誘導することによ

って他の組織における過剰なインスリンシグナルをもたらし、2 型糖尿病の合併症な

どに関与している可能性がある。線虫やハエにおいては受容体の変異だけでなく、リ

ガンド(すなわちインスリン)のレベルの低下が寿命を延長させうることが示されてい

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る。実際ヒトにおいても血中インスリンレベルの低下は良好なインスリン感受性を示

唆し、寿命の延長をもたらすと考えられている。今後解決すべきは、インスリンレベル

の低下が良い結果をもたらすのに、インスリン感受性の低下が悪い形質をもたらすの

はなぜかということであろう。

おわりに

最近の老化研究の進展により、インスリンシグナルが老化に深く関与していること

が明らかとなった。その後もいくつかの老化関連因子が同定されているが、いずれも

代謝調節に深く関与している分子が多い。過剰なカロリー摂取は 2 型糖尿病を誘導

するのに対して、カロリー制限は寿命を延長することから、2 型糖尿病はインスリンな

どを老化シグナルとした一種の早老症候群としてとらえることができる。カロリー制限

がヒトの寿命を延長させることができるかどうかはまだ明らかではないが、少なくとも

老化の形質の一部を抑制することが報告されている 37。今後、カロリー制限を模倣し

うるシグナルの同定やインスリンシグナルの低下による寿命の延長機構の解明を進

めることによって、糖尿病を含めた老化に伴う様々な疾患の治療法を開発することが

可能となるであろう。

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Page 12: AAK-22 化することによって代謝の制御に関与する。AAK-2を過剰発現した線虫では寿命が 13%程度延長することが示されている4。 インスリン/IGF-1受容体の遺伝子変異はハエの寿命を80%まで延長しうることも

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Figures

図 1 インスリンシグナルと老化

本文参照。FOXO:フォークヘッド転写因子、GH:成長因子。

Page 13: AAK-22 化することによって代謝の制御に関与する。AAK-2を過剰発現した線虫では寿命が 13%程度延長することが示されている4。 インスリン/IGF-1受容体の遺伝子変異はハエの寿命を80%まで延長しうることも

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図 2 Akt による血管内皮細胞の老化

a 持続的なAktの活性化(AktCA)は老化を促進するのに対して、Akt活性を抑制す

る(AktDN)と寿命の延長がみられた。

b, c 持続的な Akt の活性化は管腔の形成低下や接着因子(ICAM-1)の発現亢進

などの内皮機能障害をもたらした。

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図 3 ヒト細胞におけるインスリン誘導性老化シグナル経路

本文参照。FOXO:フォークヘッド転写因子、Anti-oxidants:抗酸化分子、ROS:活性

酸素種。

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図 4 Sirt1 の標的分子

本文参照。FOXO:フォークヘッド転写因子、PPAR:Peroxisome proliferator-activated

receptor、PGC:PPAR γ co-activator、UCP:Uncoupling protein。