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”本の音声読上げ” が歩いた道のり 株式会社ボイジャー 萩野正昭 ■提携が拓いた道 電子書籍ドットブック(.book)*が視覚障碍者にもアクセスできるようになり、市販のドット ブックをそのまま音声読上げして読書を支援することになりました。 かねてから読上げ対応に積極的だった講談社、グーテンベルク21、二十一世紀戯曲文庫(日本 劇作家協会)、広汎なインディーズ作品などに加えて、このたび新潮社、角川書店がいちはやく参 加を表明しました。読上げ対応のドットブックは今後作品数を大幅に増加していくことになりま す。これらのドットブックは健常者が読むものとまったく同一のものです。同じ価格であり、販売 されるものであるかぎり読上げに特別な申請や許諾を受ける必要もありません。版元側でドット ブックの読上げ許諾をチェックしてさえいれば、これを読上げるエンジンを装備することで視覚障 碍者の読書が可能になります。 全国で視覚障碍者は30数万人いるといわれます。弱視を含め極度の視力の衰えに悩む人たちを 含めるとその数は100万人を越えます。視覚障碍者のあいだではスクリーンリーダーといわれるパ ソコン上での読上げソフトが普及しており、30数万人の約13%がパソコンを使っているといわれ ます。この方たちの間で使われているスクリーンリーダーのひとつに株式会社高知システム開発の 「PC-Talker」があります。 今回の視覚障碍者の読書支援は、高知システム開発*とボイジャーが提携することで道を拓くこ とができました。高知システム開発は、1998年にスクリーンリーダーである「PC-Talker」を導入 し、この分野におけるトップシェアを占めています。その後さまざまな製品を開発され、今回デジ タル化された書籍を簡単操作で楽しめる読書システム「MyBook(マイブック)」を完成しまし た。My Bookがあれば、デイジー図書、青空文庫、点字図書に加えて、一般図書といえるAdobe PDF形式そしてドットブックが読上げ対応可能となったのです。 高知システム開発の二つの製品 スクリーンリーダーの「PC-Talker」 電子書籍リーダー「My Book」 詳細→ http://www.aok-net.com/products/mybook.htm/ ■読上げ読書支援の経緯 どのようにして視覚障碍者の読書支援が実現したのか、その経緯をお話することにします。

”本の音声読上げ” が歩いた道のり · 2017. 2. 21. · りました。集まりの席上で視覚障碍者が強く出版物のテキストデータでの提供を要求したのです。

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”本の音声読上げ” が歩いた道のり

株式会社ボイジャー 萩野正昭

■提携が拓いた道 電子書籍ドットブック(.book)*が視覚障碍者にもアクセスできるようになり、市販のドットブックをそのまま音声読上げして読書を支援することになりました。 かねてから読上げ対応に積極的だった講談社、グーテンベルク21、二十一世紀戯曲文庫(日本劇作家協会)、広汎なインディーズ作品などに加えて、このたび新潮社、角川書店がいちはやく参加を表明しました。読上げ対応のドットブックは今後作品数を大幅に増加していくことになります。これらのドットブックは健常者が読むものとまったく同一のものです。同じ価格であり、販売されるものであるかぎり読上げに特別な申請や許諾を受ける必要もありません。版元側でドットブックの読上げ許諾をチェックしてさえいれば、これを読上げるエンジンを装備することで視覚障碍者の読書が可能になります。

 全国で視覚障碍者は30数万人いるといわれます。弱視を含め極度の視力の衰えに悩む人たちを含めるとその数は100万人を越えます。視覚障碍者のあいだではスクリーンリーダーといわれるパソコン上での読上げソフトが普及しており、30数万人の約13%がパソコンを使っているといわれます。この方たちの間で使われているスクリーンリーダーのひとつに株式会社高知システム開発の「PC-Talker」があります。 今回の視覚障碍者の読書支援は、高知システム開発*とボイジャーが提携することで道を拓くことができました。高知システム開発は、1998年にスクリーンリーダーである「PC-Talker」を導入し、この分野におけるトップシェアを占めています。その後さまざまな製品を開発され、今回デジタル化された書籍を簡単操作で楽しめる読書システム「MyBook(マイブック)」を完成しました。My Bookがあれば、デイジー図書、青空文庫、点字図書に加えて、一般図書といえるAdobe PDF形式そしてドットブックが読上げ対応可能となったのです。

高知システム開発の二つの製品

スクリーンリーダーの「PC-Talker」 電子書籍リーダー「My Book」

詳細→ http://www.aok-net.com/products/mybook.htm/

■読上げ読書支援の経緯 どのようにして視覚障碍者の読書支援が実現したのか、その経緯をお話することにします。

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 私たちボイジャーは、2006年はじめにドットブックの文字拡大機能を強化し、弱視の方を含む視力低下をきたした高齢者などにむけてサービスを加えました。そして同年10月、ドットブックの音声読上げ対応を、株式会社アルファシステムズの「電子かたりべ」プレーヤーの協力を得て提供いたしました。これらの対応は読書に支障をきたす方々を対象としたもので、まったく視力を失った方達を対象とはしていませんでした。私たちはロービジョン対応という言い方をしていました。ロービジョンとは、高齢化により視力が低下している人びとをふくんだ広い意味での視覚障碍の世界を総称してつかわれています。 しかし、視力を失った方たちにとっては、画面のすべてを音によってしか確認することはできません。そのためには可視化という文字拡大の対応を越えてドットブックの音声読上げを強化する必要がありました。ボイジャーは、多くの視覚障碍者の方たちからその要請を受けてきたのです。

 出版ユニバーサルデザイン(UD)の集まりなどを何回も経験してきましたが、こんなことがありました。集まりの席上で視覚障碍者が強く出版物のテキストデータでの提供を要求したのです。テキストデータさえ提供されるなら、視覚障碍者に普及するスクリーンリーダーによってそれを読むことが可能だったからです。 私はそこで、発言する方たちに出版社がテキストデータで提供できない理由を説明しました。一般に本とは文字情報の連なりによってなされた作品=著作物です。電子出版にとって著作物を保護するということは非常に大事な仕事です。作品として一定の完成された形を持つ情報は、単なる文字情報の固まり=テキストデータとして加工・改ざんされうる状態になっていたり、あるいはその状態に戻されたりするわけにはいかないのです。ほとんどの場合、すべてをシンプルなテキスト情報として把握して、スクリーンリーダーの「エンジン」に渡していくというのが普通です。この方法では改ざんやデータの抜取りが可能になってしまいます。読上げのために原データを書出したり、あるいは原データをそのまま販売・配布することは著作権の保護上多くの問題をかかえています。 そこにいる出版社の誰もが黙っていたので、しかたなく替わって発言したようなものでしたが、終わるやいなや総攻撃を受けたのです。視覚障碍者にとって出版された本をいち早く読みたい気持ちはごく自然なことです。テキストデータさえ提供されるなら普及するスクリーンリーダーでそれが読める、素朴に本を読みたいだけなのだ、読めるのになぜそれを阻止するのか、読むことができないままに放置されているもどかしさこそ、視覚障碍者にとって大きな嘆きであり怒りであったわけです。もっともらしい理由をつけて出版社の代弁をしたかのような私の発言が反発をうけたのは当然だったかもしれません。 「私たちにとって本は単にすべすべした紙を束ねたものに過ぎません。私たちはこれを読めません。でもみなさんがお作りになっている電子本は私たちにとってあなたたちと同様に本なのです……もし読上げを許可してくださるならば」。これは全盲の人が発した言葉です。視覚障碍者の切実な読書への希望を私たちはあまりにも軽く感じていたとおもわざるをえませんでした。

電子書籍読上げの推進者、 松井進さんと盲導犬ロミオ

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■視覚障碍者の描くイメージ 読みたいと思ってくださることこそ本が売れていく根本にあるものでしょう。問題はテキストデータの提供をする、しないではなく、本そのものが誰でも読める対応をすることであり、デジタル化を推進する私たちにとって、それをいかにデジタルで一刻も早くできるのか具体的に示すことだったのです。もしこれが可能になるのなら、健常者が読む本も視覚障碍者が読む本もまったくおなじものでよいことになります。読みたいとおもう人が明らかに増えることであり、本はさらに顧客を獲得できることになり何冊も多く本が売れることにつながるわけです。 ドットブックは著作物の同一性を保持し、不正なコピー防止の措置がとられています。ドットブックを閲覧させるT-Time/ドットブックがスクリーンリーダーへ情報を伝え、その過程で不正行為が防止されるスマートな仕組みさえできれば、結果として著作物を保護した有償市販の電子書籍がそのまま読上げ機能を基準として備えることができるようになります。この考えを現実のものにする最短距離の一つは、スクリーンリーダーを開発する高知システム開発とボイジャーが手を組むことでした。両社の橋渡しをしたのは、視覚障碍者自身でした。 ドットブックを利用する出版社は多数存在します。日本の代表的な出版社がドットブックをつくっているのです。ベストセラーを含む多くの出版物を世に送る出版社が採用する電子書籍形式ならば、それら本の出版と同時に視覚障碍者が読書を楽しむことができるであろう、視覚障碍者が願ったことの本質はここにありました。視覚障碍者の切実さが厳然としてあると同時に、そこには私たちの努力によって到達できる世界があきらかに映しだされていました。まさにラストワンマイルの頑張りによって完成できる視覚障碍者への読書支援であったわけです。 ボイジャーはT-Time/ドットブックの技術情報を高知システム開発へ開示し、高知システム開発は圧倒的に普及するスクリーンリーダー「PC-Talker」に連動する電子書籍読上げ専用アプリケーションとして「My Book」を開発し、可読の対象にドットブックを加えました。 ボイジャーはドットブックの機能を細分化し、独立して「読上げ」の設定をあらたに準備しました。これによって出版社は「読上げ」指定をチェックするだけで自社の発行するドットブックの読上げ対応を完了できます。少なくとも新規に発行するドットブックについては負荷作業もなくこれをスムーズに実行できる状態となったのです。

ドットブックをMy Bookで読上げる画面※『まぼろしの邪馬台国』宮崎康平 著/講談社

■ソフトの排他性を乗越えて 高知システム開発のMy BookとボイジャーのT-Time/ドットブックは、昨日までは全く別の場所で、全く別の目的で活動していました。二つの会社のもてる力を合わせることによって新しい何かが生まれることをいち早く察知したのは、そこに生まれるサービスをイメージできた視覚障碍者でした。読上げ機能と電子書籍との橋渡しをすることで一般図書を視覚障碍者も読めるように

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できることを理解していたのです。彼らの呼びかけによって、はじめて相互に話し合い、持てる力を出し合い、そこに今まで両社が培ってきた力を少し注ぐだけで新しいサービスが生まれていったのです。効率を発揮し、投じられる開発時間は大きく短縮されました。  さらにつけ加えるならば、それぞれのソフトウェアは自由な立場を保持しています。My Bookは音声読上げソフトとして独立しており、T-Time/ドットブックとは関係なしに全く別のビジネスに対応することができます。My BookはT-Time/ドットブック以外の電子書籍ビューアに対応することも可能なのです。 ドットブックはどうかといえば、一つの基準として読上げ機能を備えているということであり、その意味ではMy Book以外の読上げソフトを包含することもできるわけです。こうした柔軟な協力の仕方がソフトウェアの排他性を押し出すのではなく、競争相手も含んだ広く開かれた基準を示そうとしているのです。

■読上げ専門書店 電子書籍の音声読上げに理解を示し、あらたに新潮社、角川書店などつぎつぎ参加する出版社があらわれいます。これらの出版社はすでに多くのドットブックを発行していますので、一挙にすべての既刊本を読上げ対応にすることは困難です。ですから原則新刊からはすべて読上げ対応とし、既刊については順次遡及対応していくことになります。しばらくの間、市場にはどうしても対応・非対応のドットブックが存在することになり混乱が予想されます。 そこで、ボイジャーのネット書店『理想書店』は、ここで販売されるドットブックのすべてを読上げ対応としました。『理想書店』へくれば、読上げできる本かそうでないかを悩む必要はありません。読上げ対応している電子書籍しか売っていないのです。

 『理想書店』は、11月22日(土)よりリニューアルスタートしています。視覚障碍者の方たちが安心して電子書籍を購入いただくバリア・フリーのサービス向上をはかってまいります。

『理想書店』のトップ画面http://www.dotbook.jp/dotbook/

■本当の美談はこれからだ さて、私は美しすぎる話をし続けてきました。書かれている文脈の先にあるものは視覚障碍者にたいする読書支援の新しい輪がつぎつぎひろがっていく世界です。だれもがそう信じて疑わなかったことでしょう。 電子的な出版に備わってきたかずかずのパワーが本を読上げるという形で視覚障碍者へのサービスを包含し、健常者のそれとシームレスに一体化することになった、視覚障碍者自身が橋渡しをし、ソフトウェアの開発者、電子書籍フォーマットの開発者、そして出版社の協力関係が成立った、たしかに美しい話です。そうだったなら、なぜすべての出版社がこれに賛同しないのか、

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限られた出版社の名前しかここに明記されていないのはどうしてなのか、素朴な疑問が生じたのではないかとおもいます。いくつかの問題が横たわっています。 賛同しないと明言する出版社はありません。しかし、明確にやろうとも言わない現実があります。もちろんさまざまな理由があるだろうことは理解できます。事情に耳を傾け納得することは多々あります。ただ一方で、作家がこれに同意しないとか、作家の同意をとるのに時間がかかるということが進まない大きな理由だとする根強い考えがあります。作家は本当に視覚障碍者の音声読上げに反対しているのでしょうか? ある作家が自作を電子化しないという考えをお持ちだということは理解できなくはありませんが、電子化を許諾している作家が視覚障碍者への音声読上げを拒絶する理由とは一体なんでしょう。新しい機能の追加に対して手続きが必要になる問題は大いにあるでしょう。しかしそれと作家が拒絶することはまったく次元が異なります。時間のかかることはわかります。時間がかかることと、やらないこととは意味が違います。少なくともやることを表明することにいささかの躊躇の理由など見当たらないのではないでしょうか。

 出版不況がかまびすしく叫ばれています。一方でケータイ小説、携帯マンガがアクセス数、市場売上ともに大きな実績を導きだし出版の未来をリアルに浮かび上がらせてきました。出版のデジタルへの傾斜は明らかです。折しも国際雑誌連合と日本雑誌協会が主催する「アジア太平洋デジタル雑誌会議」という国際会議が開催されましたが、じつに多くの出版社が参加しています。そこには何のためのデジタルかが語られることはまれであり、今そこにある危機を回避する手段としてデジタルの我田引水が飛び交っているようにさえみえます。 電子出版は少なくともこの日本に約20年の歴史を持っていいます。そしてその間、出版の全盛のなかでデジタル化にたいしてこれといった大きな役割を演じることなく今日を迎えてきたのは、日本の出版社であったと言わざるをえません。方針転換の舵を取り、一挙にデジタルへとなだれ込んできている動きのなかで、出版のデジタル化における忘れてはならないことについて、出版社こそがリーダーショップをとり、何度も問いかけをしていく必要があるようにおもいます。

* 注:株式会社ボイジャーについて株式会社ボイジャーは、1992年10月設立、電子書籍ビューア『T-Time』を開発、TTXというHTMLベースのタグ体系の電子書籍ソースファイルをもち、商業的配布に対してはドットブック(.book)という出版フォーマット化を実現させた。ドットブック(.book)ファイルから、あらゆる液晶デバイスにデータを流し込み本とする仕組みを追求している。詳細は、http://www.voyager.co.jp/company/index.html

* 注:株式会社高知システム開発について株式会社高知システム開発は、1983年7月設立、幅広いコンピュータ技術を持つシステムハウスとして誕生。1983年に視覚障碍者用ワープロの開発に着手し、翌年日本初の「AOK・点字入力・音声出力ワープロ」を完成させた。以来、「視覚障碍者の生活支援、社会参加支援」を目的に、高度情報化社会の環境に対応する視覚障碍者向け各種ソフトウエアの開発、販売、アフターサービスを行っている。詳細は、http://www.aok-net.com/index.htm

* 注:ドットブック(.book)について2000年に商用に電子本を販売することを目的としてボイジャーが開発した電子書籍フォーマット。『T-Time』をビュアーとし、縦書き文庫本スタイルで可読する。インターネット上で全文が立ち読みでき、かつ不正コピーの防止等ができる。講談社、集英社、角川書店、新潮社、文藝春秋、筑摩書房などがすでに採用している。ドットブック作品を販売する「理想書店」等で立ち読みが可能。詳細は、http://www.voyager.co.jp/dotbook/dotbook.html

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* 注:スクリーンリーダーについて画面に表示された情報を音声で読上げるソフトウェア。視覚障碍者は画面を見ながらマウス操作をすることは困難なため、画面の読上げだけでなく、操作を読上げる性能も含めて「スクリーンリーダー」としている。