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1 ASEAN 法をどう理解するか?国家法・地母慣習法・超国家法 報告原稿(未定稿)0624 修正 安田信之 [email protected] アジア国際法学会日本協会/アジア法学会 「アセアン地域統合の経済社会的側面」 東京大学駒場キャンパス 18 号館ホール 20160626 ASEAN(東南アジア地域協力機構)は、冷戦下の 1967 年に、フィリピン、インドネシア、 マレーシア、シンガポール及びタイという当時の東南アジアの反共 5 カ国の非公式の外相 会議として発足した。冷戦終結を経て、その組織は次第に制度化され、1984 年新しく独立 したブルネイが参加し、資本主義体制を共通項とする政治経済連合としての性格を強めた。 1990 年代に入りグローバリゼーションが加速するなかで。ベトナム、ラオス、ミャンマー 及びカンボジアという、それまで異なった体制を採用してきた 4 カ国(CLMV)が加盟す ることとなり、21 世紀初には、東南アジア全域に跨る 10 カ国が参加する連合体に拡大し た。このなかで、新しい組織原理を模索する必要に迫られ、2003 年には ASEAN は「共同 体(community )」に深化させることを明らかにし、2007 年にはその基本文書である ASEAN 憲章(ASEAN Charter)」が締結され、その組織機構が整備された。2015 年には、 「政治安全保障共同体(APSC)」、「経済共同体(AEC) 」及び「社会文化共同体(ASCC)」からな ASEAN 共同体(ASEAN Community)が発足している。このような状況を考えると、EU 法には遠く及ばないにしても、またそれとは異なる形であるとはいえ、この地域に共通す る「ASEAN 法」を構想することも可能となりつつあると思われる。 この報告では、ASEAN 地域内に存在する様々な「法」を、国家法、超国家法及び非国 家法(地母慣習法)に分けて整理し、その全体像を描いてみたい。 1 報告では、第一に、 ASEAN という国家を超える法現象の分析のために、これまで一国レベルでの「アジア法」 研究 2 の方法として提案してきた「国家法」と「非国家法」という基本的な枠組みを若干変更 し、これに新しく「超国家法」という概念を加えて、「国家法」、「超国家法」及び「地母慣習 法」という 3 つの法の枠組を設定する。「地母慣習法」という語は、後述するように、これ まで非国家法の実体部分として使用してきた「固有法」という概念を 21 世紀以降の東南ア ジアの法の多元的理解のために修正したものである。第二に、これらの 3 つ法を概観する ことにより、ASEAN 法の全体像を素描し、その将来を展望してみたい。なお、この報告 では、ASEAN 法を ASEAN 構成国ないし東南アジア地域にみられる「法」を総称する緩 1 この報告では「ASEAN 法」ないし「東南アジア法」という用語を厳密に定義せずに使 用している。各国の法史、憲法構造及び司法制度の概観については、少々古いが安田 (2000)、比較法学の視点からこれを取り上げた ものとして五十嵐(2010)246-260 及び木 (1999)参照。ASEAN を含むアジア法の概観については鮎京編(2009)がある。 2 アジア法の理解と研究方法についての報告者の考えについては安田(2006)(2008)参照。

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ASEAN 法をどう理解するか?国家法・地母慣習法・超国家法

報告原稿(未定稿)0624 修正

安田信之

[email protected]

アジア国際法学会日本協会/アジア法学会

「アセアン地域統合の経済社会的側面」

東京大学駒場キャンパス 18 号館ホール

20160626

ASEAN(東南アジア地域協力機構)は、冷戦下の 1967 年に、フィリピン、インドネシア、

マレーシア、シンガポール及びタイという当時の東南アジアの反共 5 カ国の非公式の外相

会議として発足した。冷戦終結を経て、その組織は次第に制度化され、1984 年新しく独立

したブルネイが参加し、資本主義体制を共通項とする政治経済連合としての性格を強めた。

1990 年代に入りグローバリゼーションが加速するなかで。ベトナム、ラオス、ミャンマー

及びカンボジアという、それまで異なった体制を採用してきた 4 カ国(CLMV)が加盟す

ることとなり、21 世紀初には、東南アジア全域に跨る 10 カ国が参加する連合体に拡大し

た。このなかで、新しい組織原理を模索する必要に迫られ、2003 年には ASEANは「共同

体(community)」に深化させることを明らかにし、2007 年にはその基本文書である

「ASEAN 憲章(ASEAN Charter)」が締結され、その組織機構が整備された。2015 年には、

「政治安全保障共同体(APSC)」、「経済共同体(AEC) 」及び「社会文化共同体(ASCC)」からな

るASEAN共同体(ASEAN Community)が発足している。このような状況を考えると、EU

法には遠く及ばないにしても、またそれとは異なる形であるとはいえ、この地域に共通す

る「ASEAN 法」を構想することも可能となりつつあると思われる。

この報告では、ASEAN 地域内に存在する様々な「法」を、国家法、超国家法及び非国

家法(地母慣習法)に分けて整理し、その全体像を描いてみたい。1 報告では、第一に、

ASEAN という国家を超える法現象の分析のために、これまで一国レベルでの「アジア法」

研究2の方法として提案してきた「国家法」と「非国家法」という基本的な枠組みを若干変更

し、これに新しく「超国家法」という概念を加えて、「国家法」、「超国家法」及び「地母慣習

法」という 3つの法の枠組を設定する。「地母慣習法」という語は、後述するように、これ

まで非国家法の実体部分として使用してきた「固有法」という概念を 21世紀以降の東南ア

ジアの法の多元的理解のために修正したものである。第二に、これらの 3 つ法を概観する

ことにより、ASEAN 法の全体像を素描し、その将来を展望してみたい。なお、この報告

では、ASEAN 法を ASEAN 構成国ないし東南アジア地域にみられる「法」を総称する緩

1 この報告では「ASEAN 法」ないし「東南アジア法」という用語を厳密に定義せずに使

用している。各国の法史、憲法構造及び司法制度の概観については、少々古いが安田

(2000)、比較法学の視点からこれを取り上げた ものとして五十嵐(2010)246-260 及び木

下(1999)参照。ASEAN を含むアジア法の概観については鮎京編(2009)がある。 2 アジア法の理解と研究方法についての報告者の考えについては安田(2006)、(2008)参照。

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やかな概念と考えておく。

1.ASEAN 法の分析枠組み:これまでの方法の修正

「ASEAN 法」とは、常識的には、構成する主権国家の「国家法」と、その多くが欧米

諸国から移植されたものであることを考えれば、これに対立しあるいは無関係に現地の

人々の慣習法からなる「非国家法」、及びASEANという国際組織をめぐる構成国間の諸条

約を中心とする「超国家法」という三種の法を想定できる。これらの概要については、次

節で検討することとして、ここでは、その前提として、報告者がこれまで考えてきた 3 つ

の法原理と社会相と法の三層構造について整理・修正し、「国家法」、「超国家法」及び「地

母慣習法」という概念を提案したい。

(1)3 つの法・社会原理・社会相

報告者は、これまで、東南アジアを含むアジアの法は、歴史的な経緯を考えると、第

一次的に「固有法」、「移入法」及び「開発法」という性質の異なる「法」に類型化できると

考え、そこから、各々を支える基本的な関係原理、すなわち人々の一体化を軸とする「共

同原理」、独立した主体の自由な取引を支える「市場原理」、及び支配と服従という権力関

係を軸とする「指令原理」という 3 つの社会関係原理(法理)を導き出し、各原理を軸とし

て展開される「共同」、「経済」及び「政治」という 3 つの「社会相」を設定することによ

り、アジア地域及び各国の法制度とその背景にある社会の理解をより明確にしようと努め

てきた。3

現在では、これらの 3 原理と社会相は、アジアのみならず全世界の法および社会を理解

するための普遍的な概念として、法のみならずそれを支える社会を理解し、さらにそこか

らあるべき法ないし社会を設計するための有効な概念であると考えている。現段階でこれ

を表示すると、以下のようなものとなる。

3 この方法は、安田(1987)、(1996)、(2000)及び(2005)など、一定の修正はあるもののほぼすべての

議論の基礎にあるといってよい。近代西欧由来の社会科学は、「市場」と「指令」の 2 原理を

軸としており、構成員の一体性を軸とする「共同原理」の重要を軽視してきたが、21 世紀

に入り「近代性」が反省を迫られている今、この原理の再検討は緊急の重要性を有している

と考える。

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この政治、経済及び共同社会という 3 つに社会相は、それを支える指令、市場及び共同

の 3 原理とともに、ASEAN 法の全体構造を概観するためにも有用である。しかし、

ASEAN という国家を超える法の概観を行う前に、これまで一国法分析の方法として考え

てきたもう一つの枠組みである「法の三層構造」を補強し、その基礎としてきた「国家法」

と「非国家法」4の概念に新しく「超国家法」という枠組みを加え、これとともに、これまで

の「非国家法」に替えて、「地母慣習法」という概念を提案したい。

(2) (一国)法の三層構造

これらの諸国の法制度がこれまで直面してきた大きな問題は以下のように要約できる。

すなわち、植民地化ないし近代化の過程で西欧から移植された近代法(「移植法」)が、独

立当初は、実体法の主要部分から司法・訴訟制度にいたるまで「国家法」の中核を形成し

てきた。しかし、これらの諸国では、それ以前の伝統社会に起源を有する様々な「固有法」

は、植民地政府により導入された「移植国家法」により、単なる慣習ないし「非国家法」

へと貶められながらも、人々の実際の生活を強く規律している状況が一般化していた。そ

の結果として、「国家法」と「非国家法」という異質な 2つの「法制度」が国内において並

存し、互いに対立する状況が常態化していた。

この問題は、法人類学者が法的多元主義(多元的法体制論)(Legal Pluralism)の問題と

して議論するところであり、また 1960 年代に登場した「開発法学(Law and

Development Studies)」が目指したものも、つまるところ、両者の間の対立ないし相克を

調整ないし統合して、いかに整合的な法システムとして構築するか、ということであった。

1990 年代以降、比較法学の分野で大きな議論となっている「法の移植可能性」の問題もこ

れと深く関係する。5

「法の三層構造」論は、この「国家法」と「非国家法」の乖離という状況を動態的に把

4 報告者は、国家法と非国家法(state/non-state law)を公式法と非公式法(formal/informal

law)の対比とほぼ同意味で使用している。 5 「法多元主義(多元的法体制論)」及び「開発法学」については様々なところで論じられて

いるが、とりあえず安田(2013)を参照。なお「法の移植可能性」については次注参照。

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握し、これをめぐる政策的課題を検討することを可能ならしめるために提案されたもので

ある。その背景として、アジア諸国の独立後すでに半世紀以上が経過し、その国家形成が

達成されるにつれて、各国の法制度は、それなりに「国家法化」が進行しつつあるという

認識があった。この結果、単純に国家法と非国家法の対立と並列的な枠組みで分析する従

来の法的多元主義の方法は不十分となりつつあり、むしろ「国家法」を中心に据え、それ

がいまだ根強く存在している「非国家法」との接触しながら、どのような法制度を形成し

つつあるか視点から分析することのほうが、その問題点と改革の方向を理解する「政策支

店」からは有効ではないか、と考えられたからである。6

「法の三層構造論」は、一国の法制度を、下図のように、「規範としての法」、「制度と

しての法」及び「文化としての法」という三層からなる複合的な全体構造として理解する。

「規範としての法」とは国家機関により制定された実定法規範を意味する。それは現代で

は立法機関により制定され、また裁判所により意味を確定された法を意味するが、この段

階での法は、単なる言語的メッセージであり、一般的ないし抽象的な強制力を有するにす

ぎずない。これが「国家法」としての個別的・具体的な強制力を獲得するのは、「制度と

しての法」という段階においてである。この段階で、「規範としての法」は、人々の現実

の生活における様々な意識すなわち「文化としての法」と接触してこれと相克しながら、

具体的な強制力を伴った「法」として専門家により「解釈」されるのである。この 2 つの段

階における法を厳密な意味での「国家法(公式法)」として定義できる。7

しかし、特に西欧諸国から近代法制度を移植しているアジア(非西洋)諸国の場合、「規範」

と「制度」という 2 つのレベルだけで法を理解することは不十分である。これらの基礎あ

るいは外延には、人々の間の固有の文化に根ざした法(法意識)すなわち「文化としての

法」が機能していることを無視することになり、そうである限り、その国の現実に機能し

ている「法」を理解したことにはならないと考える。ここでいう「文化としての法」は、

人々の文化や伝統を基礎とするものであり、独自の「非国家法」として「国家法」に厳し

く対立する場合もあれば、あるいは単なる法意識としてそれを支えあるいはこれから逸脱

6 法の三層構造論は、1990 年代に法の移植可能性をめぐって争われた Legrand/Watson 論

争(これは EU 法統合を対象としていた)に対する私なりの解答であり(安田<2005>20-

34)、今では、従来のアジア法研究の主要視点であった固有/非国家法と移植/国家法の 2 項

対立的認識を、両者の間に「制度としての法」というチャネル(通路)を設定することによ

り克服できるのではないかと考えている。なお、「…としての法」という語は、本文のよ

うにある法の側面ないし要素を意味するものと考えているが、これらを別個の法概念と誤

解されるおそれもある。(例えば「文化としての法」を「固有法」と同視する金山<2015

>)。このような誤解を避ける意味からも、各々法の「規範的位相」、「制度的位相」及び「文

化的位相」と替えたほうがいいかもしれないと考えるが、この報告ではこれまでの用語法

を踏襲する。 7 Hartのいう一次規範と二次規範を備えているという意味でこの 2つの段階のレベルでの

法を厳密な意味での「法」ということができる。本文で述べるとおり、特に西欧諸国から

法制度そのものを移植しているアジア諸国の場合、この 2概念だけで法を理解することは

不十分であり、それを受容しあるいはそれと対立する人々の間に存在する固有の法(法意

識)すなわち「文化としての法」を組み入れることが不可欠である。

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する場合もある。

法制度が有効に機能しているということは、この 3 つの段階での「法」の相互間にスム

ーズなチャネルが確立されており、相互間の齟齬が最小限に抑えられていることである。

アジア/非西洋諸国でこのチャネルが大きく妨げられてきた最大の理由は、繰り返すよう

に、西欧移植法を基礎とする「規範としての法」とその地の歴史や伝統に根ざす「文化と

しての法」との間の乖離が大きく、この結果、移植法を基礎とする国家行政や司法の場で

は、両者を調整・統合する「制度としての法」が十分に機能する余地が存在しなかった、

あるいは大きく限られていたことによるといえよう。

しかし、特に 20世紀末から加速化したグローバリゼーションの結果、これらの諸国の国

家法制度は、一方では、「規範」と「制度」の面では、国際機関や先進国政府の「法制度支

援」を得て、急速に「改革」/拡充され、かつその領域を拡大しつつあり、他方では、これ

らと「文化としての法」とのチャネルの接合についても、最近の「開発法学」が、「非公式正

義(non-state/informal justice) 」構築への関心の増大を示していること(安田<2012>)に

みるように、3 つの「法」のチャネルの連結強化の動きも積極化している。

しかし、グローバリゼーション下の ASEAN 諸国の法の全体的理解に対しては、法の三

層構造論が一国法分析モデルであることを考えれば、何らかの修正を行う必要がある。以

下、その前提であった「国家法」と「非国家法」に加えて、「超国家法」の概念を検討し、これ

に伴う「非国家法」概念の修正を行う。

(3)「超国家法」の概念と「非国家法」概念の修正

ⅰ.「超国家法」の概念

「超国家法」という概念は、「国際法」と密接に関係するが、これと必ずしもこれと一

致するものではない。国際法は、一般に国家間の法とされ、その主体は国家ないしそれに

準ずる機構とされるとともに、独自の法律学分野としての長い歴史を有している。これに

対して、「超国家法」という概念は、国家法と非国家法の対比の延長上の概念であり、国

家という領域を超えて人々の生活を規律する何らかの「法」を意味するにすぎず、それは、

これまで国際私法が「法の抵触」として準拠法を決定する際の対象とされた様々な関係や

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活動領域を実体化したものということもできる。8

この領域は、国際私法の一分野として発展してきたと推測されるが、20 世紀末からのグ

ローバリゼーションの進行とともに、国家を超える企業や人々の活動がますます拡大され

ている。この状況を反映して「グローバル法多元主義(Global Legal Pluralism)(GLP)」が

提唱され、これら(たとえば Berman <2012>)は、国家を超え人々や企業の様々な活動に対

する主権国家による法の管轄すなわち「法の抵触」問題が常態化しており、その技術的調整

の問題(法の抵触)を超えて、そこに形成されるハード及びソフトの「法」をどう理解するか

が課題としている。9

これらは、報告の課題である ASEAN にそくしていえば、ASEAN 加盟国間で締結され

た様々な公式国際文書をどう理解するかに直接関係するが、ASEAN 組織自体の非公式的

性格を前提とすれば、公式の国際法というよりはソフトローとしての性格が大きい。また、

その組織化の推進目標として掲げられる「経済統合」理念もこれを反映して、後述のように

民間・非政府部門の活動に大きく依拠するところが大きいことを考えれば、このレベルで

のソフトローの果たすところが大きいことも推測される。いずれにしてもこの現象を総合

的に理解する視点は不可欠であろう。

ⅱ.「非国家法」概念の修正:地母慣習法

「超国家法」は、国家法と非国家法という二元論の立場から言えば、「非国家法」とい

うことになるが、これは非国家法の実体を固有法として考えるこれまでの立場と矛盾する。

そこで非国家法の再定義が不可欠となる。それは各地域の伝統や文化と結合した固有法を

実体としているが、その主要なものは宗教と関係する家族法や相続法の領域に関する「属

人法」に関わるものであったが、次節で検討するように、この領域の大半は、現在では立

法というかたちで「国家法」化されており、これを単純に非国家法とすることはできない。

むしろかなりの部分が国家法内部の「規範」と「文化」の対立と考えられるのである。

しかし、過去半世紀のこれらの地域の「開発」の結果として、新たな「非国家法」の存在

が浮上している。東南アジアの辺境地域は、世界のなかでも「先住民」(indigenous

peoples)ないしエスニック・マイノリティ(ethnic minority)が多く居住していることで知

られているが、これらの人々(Glenn<2014>に従って地母民<chthonic people>と呼ぶ)は、

20 世紀末以降この地域に開発が及ぶにつれて、「国家法」と彼らの法・生活様式(「地母慣習

法」)との接触領域は拡大し、この間の衝突も増大している。この問題は、後述するように

ASEAN 全域に及びつつあり、彼らの多様な法は、それが ASEAN 諸国の「非国家法」の主

要部門を占めていることを考えれば、これを「地母慣習法」として認知することは、

ASEAN 法の理解にとっても有益であると考える。

8 この意味では、それは「国際法」に対する「世界法」という概念により対比されるかもしれない。 9 これらの議論を受けて Tamanaha(2008)は、①公式法システム、②慣習/文化規範システ

ム、③宗教/文化規範システム、④経済/資本主義規範システム、⑤機能的(functional) 、⑥

共同体/文化規範システムという、6 種の社会分野別の規範秩序システムとして、これに基

づき法/規範の多元性を分析することを主張している。

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2.国家法、超国家法及び地母慣習法

この節では、ASEAN 法を各国「国家法」、「地母慣習法」及び ASEAN「超国家法」に

分けて、これらの現状を瞥見することにより、その全体像を素描する、

(1) 各国国家法:その多元化

いうまでもなく、ASEAN 各国の「国家法」は、独立後半世紀の国家形成の中で、大幅

に拡充・強化され、憲法典を頂点として、規範・制度・文化という三層構造を形づくって

いるということができる。しかし、独立後の法発展の中で、東南アジアの地域の特性(「文

化としての法」)を制度・規範化していく過程で、国家法自体の多元化が進行しつつある、

ということもできよう。以下、まず各国国家法の発展を概観し、続いて、この地域(特に島

嶼部)で人口の多くが占めるムスリムと密接に関連するイスラム法を例にとり、その多元化

の現況を考えてみる。

ⅰ.各国国家法の発展

ASEAN 諸国の法制度の発展をみるとき、その司法制度を含む統治システムや基本的な

実体法という「国家法」の大半は、国により程度の差があるとはいえ、独立の時点では、宗

主国ないし西欧諸国から導入された「西欧移植法」により構成されていた。10 これらの法

は、独立国であったタイとスペイン及びアメリカの2国の植民地支配を経験しているフィ

リピンを除き、イギリス(ビルマ<ミャンマー>、シンガポール、マレーシア及びブルネ

イ)、オランダ(インドネシア)及びフランス(ベトナム、ラオス及びカンボジア)の植民地で

あり、地域により相違のあるものの、基本的にはこれら宗主国の法を移植したものであっ

た。

独立後、ベトナム、ラオス及びカンボジアのインドシナ3国は、社会主義圏に移行し、

その国家法は「社会主義法系」という他の ASEAN 諸国とは異なった政治優位の法体制を

採用し、イギリスから独立したビルマも、しばらくして社会主義に類似した閉鎖的制度に

移行した。1967 年 ASEAN 結成当初は、インドシナ3国は、「社会主義陣営」に属し、フィ

リピン、インドネシア、マレーシア、シンガポール及びタイという原加盟国とは敵対関係

にあった。

原加盟国の国家法制度は、1980 年代からの冷戦の終結とグローバリゼーションの進行の

なかで、それまでの「国家建設の手段としての法」から「自由な市場と社会を規律する法」

へと次第に変化していく。

<経済面>においては、これらの諸国は程度の差はあれ市場経済(資本主義)型であり、

外国資本の導入に積極的であったところから、外資規制を中心に法制が整備され、これが

国内経済法制全般に浸透していった。これらの諸国は、1980 年代を通じて順調な発展を遂

げた。しかし 1997-8 年の「アジア経済危機」に直面し、以降、IMF など国際機関や先進

10 周知のようにタイは植民地化されることはなかったが、日本と同じく、外国人法律顧問

の援助により 19世紀末から「法典編纂」を行ったが、この過程で英仏を中心とする西欧法

が全面的に導入されている。

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諸国政府の支援の下に金融・企業法から司法制度にいたるまでの大幅な改革が行われてい

る。この過程で、それまで大陸法系であったタイやインドネシアでも当時世界標準とされ

た英米型市場関連法が積極的に導入され、また各国間での法の比較研究も積極化している。

11 1990 年代に新しく CLMV 諸国が加盟するが、これらの諸国は市場システムになじん

でおらず、経済的に「後進」国であったので、ASEAN 内での経済力格差の是正が課題とな

っている。

<政治面>においては、1970 年代までは、憲法上の規定はともかく、すべての諸国が権

威主義体制ないし強権体制を採用していたが、1987 年のフィリピンのアキノ革命を契機に

地域での「民主化」運動が積極化した。特に上記の経済危機を契機にタイ(1997 年憲法)とイ

ンドネシア(1999-2002 憲法改正)に顕著にみられるように、民主的な憲法が成立している。

12 しかし、「民主主義」も 2014 年以降のタイの軍政にみるように必ずしも安定したもので

はなく、CLVC 諸国の「民主化」の課題とともに、ASEAN の政治体制を特徴付けるものと

なっている。

<社会面>においては、この期間多くの国で家族法の法典化が行われたことは重要であ

ろう。家族法は、それまで宗教や固有の慣習と密接に関係しているところから、属人法と

されてきたが、特にイスラム教に関する国家法化は限られていた。この期間、マレーシア

やインドネシアでは、後述するように、イスラム法の国家法化が進行している。

なお、インドシナ3国は、ミャンマー(ビルマ)とともに 30 年後に ASEAN に加入する

13が、その政治経済(社会)体制は、30 年間で市場型の発展を遂げた原加盟国とはかなり異

なるものとなっており、各国の協力に際してもこの調整は大きな課題となっている。

ASEAN 諸国の法の発展と憲法体制を比較すると下記のような表となろう。(この詳細につ

いては安田<2000>参照)

11 このなかで 1979 年に設立された ASEAN Law Association は大きな役割を果たしてい

るように思われる。その活動内容と成果については以下の HP 参照。

http://www.aseanlawassociation.org/ 12 なかでも憲法審査制度の拡充は注目に値する。この制度はアメリカ憲法を導入したフィ

リピンでは最高裁では独立当初から採用されており、シンガポールやマレーシアでもイギ

リス法の枠内で限定的に認められていたが、1990 年代からタイとインドネシアでは独立の

憲法裁判所が設置されている。またこれとともに、人権面でもほぼすべての国で人権委員

会が設置され、これを基礎に 2008 年 ASEAN レベルの政府間の人権機構が設置されてい

る。ただ政治システムとしての「民主化」は 2014 のタイの軍事クーデタにみるようにいま

だ流動的といえるのかもしれない。 13 1995 年ベトナム、1997 年ミャンマーとラオス、1999年にカンボジアが加盟した。

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ⅱ.国家法の多元化:イスラム法の国家法化を例として

独立後の政治、経済及び社会の改革は、すべての国において、何らかのかたちでの立法

を伴うものであり、この結果として各領域での「国家法化」の進行と、「非国家法」領域の縮

減という現象がみられる。この動きは、特に 1980 年代以降のグローバリゼーション下の

法制改革において各国が最先端モデルの導入しようした結果、それまで単一の旧宗主国法

モデルの法制度はこのレベルでも多元化していく。さらに、導入された「規範としての法」

と人々の固有の「文化としての法」を繋ぐチャネルを拡充するものとして、和解や調停制度

(ADR) の拡大、家庭裁判所など特別の裁判所の創設や、民衆レベルの非公式の紛争解決制

度の拡充が行われた14が、このような制度改革も、直接、間接に国家法の拡大と多様化に

寄与したということができる。

なかでも ASEAN 全域で多くの人口を占めるムスリムに直接関わる「イスラム法」15の

国家法化の動きは、西欧から移植された近代法を核としたこれらの諸国の国家法の多元化

の重要な要素の一つとして位置づけることができる。

ASEAN 諸国のうちでイスラム法の国家法化を最も体系的に推し進めてきたのはマレー

シアであろう。人口の大半を占めるマレー人は基本的にムスリムであり、各州は、スルタ

ン国家の時代からイスラム法制を「国制」としており、イギリスの支配下でもそれにもとづ

く独自の法制度を維持していた。161957 年憲法は、イスラム教を連邦の宗教としたが、宗

14 後者の典型的な例は、1970年代に開始されたフィリピンのバランガイ正義制度であろう。 15 東南アジアのイスラム法は、シャリーアとされる宗教規範と密接に関連するもののほか

に、後述の地母法に関連する各種の慣習法(一般に「アダット(Adat)」と称される)の存在を

認めており、両者は混交して理解される傾向にあったが、近年イスラム法の国家法化の流

れの中で、両者の差異が顕在化しつつあることが想像される。 16 イギリスの植民地支配は、それがイギリスの基本的価値(たとえば「正義、良心及び衡

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10

教の自由を認め(憲法 3①、11①)、またイスラム宗教管轄を州に属するものとしている(同

74 及び第 9 附則, ListⅡ)。この規定により各州は、個別に州元首を宗教上の長として、属

人的ではあるとはいえシャリーア裁判所の設置を含む包括的なイスラム法制17を有するこ

とが認められた。しかし、それは、連邦の市民裁判所(Civil Court)の監督に服するものと

されるものであり、これにより、連邦レベルでのシャリーア法の調整が図られるとともに、

(世俗的な)憲法秩序に服するものとされた。18

1980 年代、当時の UMNO のマハティール政権下で、連邦の主導の下で比較的リベラル

なかたちでのイスラム法の統合が図られたが、反対党の PAS や保守的州の側の反対もあっ

て、この動きは頓挫し、逆に 1988 年の憲法改正により連邦の(民事)裁判所のシャリーア裁

判所への管轄権を廃止した。(同 121①A)この結果イスラム法は、属人法(一部刑法を含む)

に関してではあるとはいえ、全面的に国家法の地位を占めたということができる。19

同じくイスラム教徒が多数を占めるインドネシアでは、独立後の国家建設特にスハルト

の開発独裁体制下においては、イスラムの国家法化は抑制され、この動きが積極化するの

は、20 世紀末の経済危機下で同政権が崩壊した後である。その後の民主化の積極化のなか

で、この動きは民主化/分権化のなかで進行し、独立運動を展開していたアチェ州は、イン

ドネシア内にとどまること引き換えに、イスラム原理を軸とする大幅な自治を獲得してい

る。20 フィリピンではイスラム法の国家法化は、1977 年のマルコス政権下で試みられた

が、近年では南部ミンダナオ地区の広範な自治権付与と連動しながら進められているよう

平」)に反しない限り現地の慣習を認め、それを普通裁判所のコモンローの中に統合してい

くというものであり、身分法の領域には属人法(personal law)として原住民の属する宗教

や慣習が認められた。 17 それはムスリムの家族や相続に関する属人法(personal law)を中心とするものであるが、一定

の制限のあるもののイスラム刑法を含んでいる。なお、中国人及びインド人(ヒンドウ教徒)には彼ら

の家族法(属人法)が適用されるものとされたが、独立後これらについては急速に世俗化(近代化)

が進んでいる。 18 この過程でイスラム法がイギリス・コモンロー原則に従って解釈され、さらに固有のア

ダットも効力を認められた結果、三者が融合する傾向があったことについては

Horowitz(1994)参照。 19 憲法の人権規定を含む世俗的価値とイスラムの宗教的価値をめぐる問題については、こ

の憲法改正の正確な意味はまだ確定していないとされる(Faruqui<2011>17 以下)が、この

結果、シャリーア裁判所と連邦(世俗)裁判所とは相互に独立した同格の存在となったこと

は重要である。このことはこの裁判所の専門化(同 29)とともに、イスラム法が連邦憲法の

定める世俗法秩序とは独立した「国家法」として認められたと解することもできるからで

ある。なおマレーシアのイスラム法システム全般については Faruqui(2011)、女性問題/

家族法問題との関連については桑原(2015)参照。 20 インドネシアのイスラムと国家の問題については小林(2008)、アチェ州の法改革とシャ

リーア法制については UNDP Indonesia (? )参照。アチェでは、イスラムと次節で検討す

る地母法たるアダットが密接に関係しており、同州の自治の拡大はイスラム法とともに地

母法たるアダットの「準国法化」とも考えることができる。

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11

である。21 同様の動きはタイのムスリム集住地域南部4県についても見られる。22

以上 ASEAN 主要国の中で、程度の差はあれ、イスラム法が単なる慣習非国家法として

ではなく、西欧移植法と並ぶ国家法として認知されつつある状況をみることができよう。

この現象は、憲法という近代的西欧型国家法に「統合」されているとはいえ、実質的にはそ

れとは異質なイスラム法も国家法として認知され、その領域を拡大しつつあると見ること

ができる。このことは、制度レベルはもとより、憲法を頂点とする規範レベルでの多元化

も含意しているように思われる。

それが、さらに超国家法としてどのような地位を占めるかについては、さらに検討さる

べきであるが、現在のイスラムの普遍化の動きをみるとき、ASEAN の枠組内であると否

とを問わず、何らかの動きがあるかもしれない。

ⅲ.混合法(Mix Legal System)体制

このように、1980 年代のグローバリゼーションの開始に伴い。既存の西欧型国家法自体

の多元化とともに、前項でイスラム法の「国家法化」により、その多元化が進んでいる。こ

の結果、伝統的比較法学の厳密な法系(Legal Family)論から、近年混合法体制への関心

が高まっているのは、このような状況を反映しているのかもしれない。23 以下の図は、

混合法体制の世界比較を行っている University of Ottawa の JuriGlobe からとったもので

ある。

東南アジア(混合)法系

http://www.juriglobe.ca/eng/rep-geo/cartes/asie-sud-est.php

21 1977年大統領(PD 1083) として包括的なムスリム属人法」が制定されている。最近の

動きを含めて森(2013)を参照。

22 南部のイスラム司法の導入は、国家レベルの県裁判所の枠内で導入されているようであ

り、単純にイスラム法の国家法化とはいえないかもしれない。今泉(2003)参照。 23 混合法体制論は、もともとは EU統合をめぐって議論されたようであるが、最近ではグ

ローバリゼーション下の法の「移植」問題を理解する枠組みとして注目されている。Orutu,

Attwooll and Coyle (ed.) (1996)及び Plessis (2012)参照。

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12

上図ではヴェトナム、ラオスとカンボジア及びタイを市民法(Civil Law)系単独のものと

している24が、これらの諸国を含めて ASEAN の地域の大半に慣習法(customary law)散在

していることは明らかである(次項地図を参照)。

(2)「非国家法」・「地母慣習法」・「先住民の権利」

以上述べたところから理解されるように、「国家法」領域の拡大とともに、国内レベルで

の「国家法」と「非国家法」対立という伝統的な法多元主義の構図は、国家法内部の「規

範」と「文化」対立とそれをつなぐ「制度」の不全の問題(法社会学的にいえば「国家法」

と「生ける法」の対立)に転化しつつあるように思われる。しかし、このことは、ASEAN

諸国の法制度のなかで「非国家法」領域が無視しうるものとなったことを意味しない。第

一に、グローバル法多元主義(GLP)が明らかにしているように、各国がグローバリゼーシ

ョンの波に巻き込まれるとともに、政治、経済及び社会の全分野で、これに伴う新しい問

題群が生じつつある。そこでは、「国家法」と連動しあるいはこれと対抗しながら、国家

法とは異なる様々な新しい規範が生成されつつある、と考えられるからである。この問題

は次項で検討する「超国家法」に関わる問題である。

第二に、この問題に関連するが、独立後の開発に伴い国家法が拡大するなかで、それま

でこれとはほぼ無関係に、人々の生活の中に連綿と生き続けてきた辺境地域の「固有(慣

習)法」との接触面が拡大するとともに、両者の衝突が顕在化しつつある。25 この問題は、

今世紀に入り2007年の「国連先住民権利宣言(UN Declaration of the Rights of Indigenous

People)(UNDRIP) 」の採択にみるように世界的な問題となっているが、東南アジアのほぼ

全域の山地や島嶼部でもこの問題は顕在化している。26 ここでは、彼らの多様な法を、

Glenn に倣って「地母(chthonic )(慣習)法」と名づけ、東南アジアにおけるこの問題の

構図を概観しておきたい。

ⅰ.東南アジアの地母民:先住民

Glenn は、その著書(2014)の中で世界の 7 つの主要法伝統(Legal Traditions)について検

討している27が、地母法伝統(Chthonic Legal Tradition)はその最初に取り扱わっているも

のである。それは、自然と一体化して「大地」と緊密に調和しながら生活している、人間社

会のいわば最古層に位置する人々の間で息づいている法伝 統として、現在でも世界の各

24 中国南西部からミャンマーに及ぶこの地域は、スコット(2012)や IWGIP(2016)が指摘す

るように、ゾミア(山岳民が多数住んでいる地域)でもある。 25 世界の先住民の現況については、IWGIA(2016)参照。 26 アジア各国の先住民の状況については、IWGIA(International Work Group for

Indigenous Affairs)の以下の HP を参照。http://www.iwgia.org/regions/asia 27 彼のいう主要 7 伝統とは、①地母法、②タルムード法、③市民法、④コモンロー、⑤イ

スラム法、⑥ヒンドウ法及び⑦儒教法である(第 5 版)が、なかでも、東南アジア法特にア

ダットと日本の神道は、地母法に近いものと位置づけられている。

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13

地に散在するものとしている。28 彼らの「生き方」は、地域により多様であるにしても、

基本的に人間が自然を所有するという「近代の生き方」とは対極に位置した、自分たちが自

然により所有されているという世界観を基礎としていた。彼らは、自然と密接に関係しな

がら、自分たちの生活共同体を形成し、これを反映した様々な神話や伝承により生み出さ

れた、共同体の「口承の法≒生き方」に従って生活しており、そこでは近代的な「(個人的)

所有」の観念は存在せず、彼らの間での紛争は、上記の柔軟な「口承法」にもとづく共同体

内での話し合いと合意により解決された。これらの「地母法伝統」は、「個人所有権」を基礎

とする明確な「成文法」(規範)にもとづき、国家が独占する「裁判所」(制度)で運営される

「西洋法伝統」の対極にあるものといえる。アジアでも、植民地や近代化の過程で移植され

た「西洋法伝統」は、独立後も「国家法」としてますます拡大し、その結果「地母法伝統」は、

これに吸収されるか、周縁領域に追いやられた。

スコット(2013)やリード(2003)が詳細に検討するように、中国とインド代文明圏の狭間

にあった東南アジアでは、興亡を繰返した「国家」により周縁に追いやられながらも、地

母民(Chthonic Peoples)は、これに抵抗する自治的共同体として執拗に生き残ってきた。

(下記地図を参照)29

タイのような独立国はもとより、植民地国家における政府も、多様なエスニック・グル

ープ(ethnic groups)の人々 が居住する多様かつ広大な地域を一元的に統治することは不可

能であり、地方の統治(おおむね県レベル以下)については、地方の首長を長とする原住民

の「自治」に委ねる傾向にあった。オランダのインドネシア統治はその最も徹底した例であ

る。そこでは、オランダ人を中心とする西洋人とインドネシア原住民の適用される法は厳

格に区別され、前者にはオランダ法が、後者には各地域の地母慣習法たるアダットが適用

された。そこには植民地国家型の 2 元ないし多元的な法制度が形成されたのである。30

28 彼は、一般に使われているアボリジン、ネイティブや先住民(indigenous peoples)という

語をヨーロッパ人の入植以前の(野蛮な)原住民という意味で植民地主義的であり(ヨーロッ

パ人の入植が支配的でなかったアジアではこの語は使われない)として、これらの人々が

「大地」の中で自然環境に親和的な生活を営んでいるという点に注目して、Goldsmith

(1992)によりながら、この語を採用している。Glenn (2014)61-62、特に注6。東南アジア

の場合、スコット(2013)やリードが明らかにしているように、先住性は関係なく、むしろ

山岳民(ゾミア)や島嶼民のように「国家からの避難民」とされることを考えれば、彼が指摘

するとおり、「先住民」という語は語義上正確とはいえないが、ここでは、「地母民」と

「先住民」という語は互換的に使用する。アジア(地母)法とヨーロッパの中世初期のゲル

マン部族法との類似性についてはバーマン(2011) 59-110 参照。なお、彼は地母民と国家と

の関係を①ラ米やオーストラリアのような入植西欧人の伝統を受け継いでいる国家と②ア

ジアやアフリカのように独立後それが駆逐され地母民の延長上に形成された国家を区別し

て論じている(Glenn 同 85-89) が、法という視点からみればこの報告で主張するように

西欧型の近代国家システムが世界を覆っており、グローバリゼーション下での「国家の後

退」を考える上でも、これに対抗する地母システムの存在が顕在化したという方が正確で

あるように思われる。 29 世界の 3 億 7000 万の先住民のうち 9300 万から 1 億 2400 万が東南アジアに居住してい

る、といわれる。AIPP(2015)3 30 これほど厳格ではなくとも、マレーやビルマなどイギリスの植民地でも、身分法領域で

は、植民地住民(ヒンドウ、中国人や原住民)についてはその属する法(属人法:personal

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14

(AIPPet.al< 2010>4-5)

ⅱ. 独立後の地母慣習法と国家法:インドネシアの例を中心に

独立後の「近代」国家建設をめざした東南アジア諸国の多くは、地母民が国家(nation)の

レベルの「統合」にたいして分離主義的傾向を持っていたこともあって、最近に至るまでこ

の存在を否定する姿勢を取り続けてきた。1989 年「ILO 先住民及び部族民協定」(ILO

Convention Concerning Indigenous and Tribal Peoples, 1989 (No. 169)や 2007 年「国連先

住民の権利宣言」にたいする東南アジア諸国政府の消極的な姿勢がこれを物語る。31

独立当初、インドネシアは、自国の法の多元性を統一し、異質な法を統合した新しい

「国民法(Fukum Nasional)」を創設する民族主義的な法政策を採用した。32 1960年代後半

からスハルト体制下で開発独裁が本格化するにつれて、アダットのもとで原住民の共有と

された村の土地を、一方では国家土地所有(国有化)に、他方では個人の私的所有に転化す

るという土地制度の「近代化」政策が強行された。この結果、アダット共同体による共同的

土地制度は次第に浸食を受け、おそらく大都市中枢部では、この制度は形骸化したようで

ある。

law)が適用され、さらに、ボルネオ植民地では、特に原住民裁判所(native courts)が設置

され、土地法をめぐっては地母法たるアダットが大々的に適用されている。 31 前者については ASEAN には批准国はなく、後者の議論に際しても、先住民の存在につ

いても「国民すべてが先住民である」という主張が行われたことについては AIPP et

al(2010)6。なお、2012 年 ASEAN 人権宣言が自決権と先住民の権利についての規定を欠

いていることを同様の理由によるとするものとして Renshaw(2013)がある。 32 その典型的な例が 1965 年の土地基本法の制定。

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15

1980 年代を通じて、インドネシアの開発は、地理的にジャワからスマトラやカリマンタ

ンいう外島に拡大し、これらの地域に鉱山やプランテーションやダム開発などをめざす資

本や移民が進出し、これらの辺境地で固有の地母法の下で暮らしてきた人々との間で軋轢

が増大した。33 その多くは彼らのアダット共有土地をめぐるものであり、それをめぐる

様々な抗議行動は社会問題となりつつあった。この最中の 1998 年にスハルト体制は崩壊

し、彼らの権利をいかに保護するかは、その後の民主化の大きな課題となった。34

この課題は、アチェ自治州の創設に見られるように、大幅に地方に権限を委譲するとい

う分権化により達成されつつある。1999 年の地方政府法以降、州、県/市、郡レベルの各

レベルでの自治の拡大が図られているが、これとともにアダット土地所有の基層である村

レベルでも紛争処理権限の付与を含む改革が進行しつつあるといわれる。35

もっとも、Glenn も指摘するように、地母法たるアダットは基本的には村共同体民の間

で口承される慣習≒規範よりなるもので、それを国家法レベルで成文化することは不可能

に近く、せいぜいのところ植民地期のオランダ政府が行ったように、それを(法としてでは

なく)一般的に記述する段階にとどまらざるをえない。実際にもこれをめぐる紛争は、たと

えば、政府の村共同体へ付与された土地権限や共同体(首長)とかつて開発企業の間の利権

契約の内容の解釈などをめぐって、裁判所で争われるというかたちのようである36が、共

同体内の地母法が明確に確定できない性質のものである以上、そこから確定的ないし法的

な解決(判決)を得ることは著しく困難であり、これがまた裁判外での抗議活動を生み出す

という回路をとっているように思われる。

ⅲ.国家法と地母法の接合?

先住民≒地母民運動が活発化するに伴い、それまでこの運動にたいして消極的であった

諸国でも、当時から発言力を増しつつあった国際的 NGO の影響もあって、その政策に変

化がみられる。いくつかの憲法はその権利の保護を謳う規定を設けはじめている。37

マルコス独裁体制を倒したアキノ革命下で制定された 1987 年のフィリピン憲法は、そ

の国策宣言のなかで「国家の統一と発展を害しない限り、固有の文化共同体の諸権利を保

障する」と定め(2条 22節)、少数民族が集住しているムスリム・ミンダナオとコルデレラに

彼らに大幅な自治を与える「自治区」の設定を規定している(10 条 15 節)。この規定を受け

33 これらはインドネシアに限ったことではなくフィリピンやタイでも頻発しており、最近

ではベトナム、ラオス、カンボジアやミャンマーでも深刻化しているといわれ、(最近の状

況については AIPP et al(2010), AIPP(2011) 及び IWGIP(2016)の各国情報を参照)、世界

的なレベルでのこのような問題の顕在化が 2007 年の国連「先住民の権利宣言」の策定を推

し進めたともいえる。 34 この過程をアダット、イスラム及び国家の三者関係の中で分析したものとして Benda-

Beckman(2006). 35 同法については新谷(2001)、なおその紛争処理機能を含む村レベルの統治改革について

は WBI(2004)、その実際と国家司法との結合に関しては WBI(2008)参照。(後者について

は安田<2012>で紹介検討している。) 36 西スマトラの事例について高野(2015)。 37 なお歴史的な事情からマレーシア連邦憲法は制定当初よりサバ、サラワクについての特

別規定を有し、原住民についての規定を有している。

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16

て、「1997 年先住民権利法(Indigenous Peoples Rights Act of 1997<IPRA>)が制定されて

いる。同法は、先住民の祖先地にたいする権利(4-12)、自治にたいする権利(13-20)、国際

人権規約等に掲げる社会正義と人権(21-28)及び文化統合(29-37 などの「集団的権利」を定

め、先住民の認定、登録、保護機関として「国家先住民委員会(NCIP)」の設置について

定める。38

同じく多様な山岳民を抱えるタイでも、経済危機の最中の民主化の最中の1997年に制定

された憲法は、第3章「タイ人の自由と権利」に関する66条に「共同体を構成する人々、地

域共同体又は伝統地域共同体は、地域及び民族の善良な慣習、伝統的知識、もしくは芸

術・文化を保護または復興し、自然資源及び環境、生物多様性の調和的かつ持続的な管

理、保護及び利用に参加する権利を有する」と定め、続く67条はこれらの人々の開発プロ

ジェクトへの参加権を保障している。39 これらの規定は2007年憲法にもほぼそのまま採

用されていたが、現代軍事政権下で進められている新憲法制定に際しては削除の動きもあ

ると伝えられている。

インドネシア憲法は1947年制定時から民族主義的要素が強かったが、民主化の最中の

2000年に行われた憲法改正により挿入された包括的人権のひとつとして「文化の固有性及

び伝統的共同体の権利は,時代及び文明の発展に調和して尊重される」という(28I 条<3>)

が設けられ、そこには先住民=地母民へ配慮がみられる。

憲法上の配慮規定が存在するにもかかわらず、先住民の自治(self-determination)な

いし彼らの集団の権利(collective rights)をめぐる「国家法化」の動きは限られている。こ

の理由は、地母=先住民法が、近代法の個人の権利中心の法システムの中で実体規定とし

て明確化することの困難であることとともに、その基本理念が近代国家という国民的枠組

みと対立しこれを超える問題(可能性)を内包していることを示しているようにも思われ

る。40

現在国際先住民運動を牽引しているAIPPやIGWIPの最近の活動を瞥見するだけでも、

それが東南アジアないし世界全域を視野においていることは明らかであり、そこには地母

=先住民法が、天然資源と地球環境保護を中心に超国家法領域へと拡大していく可能性も

予見させる。地母法が、いまや緊急課題となりつつある地球環境問題ばかりでなく、近代

化≒都市化に伴う犯罪の増加や人々の孤立化など先進社会が抱えるさまざまな問題に対し

38 同法の概要とその運用の実態については Corput (2011)参照。 39 この規定は国家の開発政策をめぐる土地、天然資源及び環境の保護義務に関する 85 条

と連動している。なお、共同体の権利規定は、当時大きな議論を呼んでいた森林法の改正

に際して共同体森林(community forest)の概念に関連して提出されたといわれる。もっと

も、この立法化は遅れ、今日では開発にたいする市民の環境評価参加などの根拠づけに使

われているようである。 40 このことが、かれらをめぐる紛争が、司法裁判所よりも、よりインフォーマルな正義の

場である人権委員会のような機関で取り扱われる理由であろう。西澤(2011)によれば、タ

イ国家人権委員会への申立の多くが共同体の権利に関するものである。人権委員会の機能

が、国家による(裁判所の)「法的正義」を超える人々の「社会正義」を達成することにあると

(安田<2008B >すれば、このような機関は、現在のところこれをめぐる内外の紛争を調停

する機関として大きな役割を果たすものと考えられる。

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17

て何らかの回答を暗示するものとすれば、その「非公式性」のあり方を含めて、そこから

学ぶことも多いのではないかと考えられる。41

(3) (ASEAN) 超国家法

「超国家法」とは、上記の通り国家を超える法を意味し、その内容は法の定義とも関係し

て多義的たらざるをえない。もっとも、この報告では、ASEAN をめぐる超国家法を対象

とするところから、その範囲はある程度限定されるはずである。ASEAN は、21 世紀に入

り、ASEAN 共同体(ASEAN Community)の創設を目指して、機構の整備を進めており、

2007 年には「ASEAN 憲章(ASEAN Charter)」が締結され、その下で「政治」、「経済」及

び「社会文化」という 3 部門での共同体(community)の構築が謳われている。現在それに向

けての制度作りが行われている。(憲章の概要は以下の通り)

以下、まず憲章に沿って ASEANの組織・機構を概観し、続いて、2015年から開始さ

れ 2025 年を目標に策定された①政治安全保障共同体(APAC) 、②ASEAN 経済共同体

(AEC)及び③ASEAN 社会文化共同体(ASCC)という 3 つの共同体について、その発足に関

する「ASEAN2025: Forging Ahead Together に関するクアラ・ルンプール首脳会議宣言」、

「ASEAN Community Vision 2025」及び各共同体の Blueprint 2025 という基本文書の検

討を通じて、ASEAN(超国家)法が直面している課題を考えてみたい。42

41 Glenn(2014)92-97は、西欧社会における、個人所有権の見直し、次世代の権利の観念や修

復的司法などの様々な動きのなかにその影響を見出している。なお、彼の著書の副題である

“Sustainable Diversity in Law’は、第 3章地母法の副題である‘Recycling World’とともに、同

書に彼がこめている意味を物語っているように思われる 。 42 これらすべては ASEAN Secretariat(2015)に収録されている。

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18

ⅰ.ASEAN の組織・機構

ASEAN 憲章は、ASEAN 結成 40 周年に当たる 2007 年に加盟 10 カ国間で締結されたも

ので、1967 年の結成以降徐々に作られてきた ASEAN の組織の原理と機構を整合的にまと

めたものであり、その意味では「憲法」とも呼べるものである。もっとも、ASEAN 組織の

性格は、創設時からの様式であった意思決定が加盟国間の多数決ではなく全員一致

(consensus)によりなされることを原則とするなど「ASEAN 流儀(ASEAN Way)」を受け

継ぐものであり、いまだに「非公式」性が強いことが指摘されている。43

最高の政策・意思決定機関として各国首脳からなる年に 2 回開催される「ASEAN 首脳

会議(ASEAN Summit)」がおかれている(7)。この下に、その補佐機関として、設立当初正

規の決定機関であった加盟国外相より構成される「ASEAN 調整理事会 (ASEAN

Coordination Council)」がおかれている(8)。この下に、政治安全保障(Political Security)、

経済(Economic)及び社会文化(Socio Cultural)という 3 つの共同体理事会(Community

Councils)がおかれ、このメンバーは各加盟国が指名する閣僚により構成される(9)。さら

にこの下に 3 つの共同体別にグループ化された各国担当閣僚により構成される部門別閣僚

会議(Sectoral Ministerial Bodes)が設けられている44。したがって、政治的意思決定機構

としては、首脳会議を頂点として三層よりなる各国閣僚からなる合議体が存在していると

いえる。

興味深いのは、これらの合議体の決定方法である。それは、上記のように、ASEAN 流

儀に従い「協議とコンセンサス」を原則とするが、首脳会議は全員一致に達しない場合に

は別の決定方法を決定することができ、また重大な憲章違反がある場合には、首脳会議に

決定のために付託されると定めており、この面では様式化の方向をみることができる。45

なお、ASEAN 事務総長は、首脳会議が加盟国のアルファベット順で閣僚級の者が任命

され、その任期 5 年され、事務部門を総括するとともに首脳会議他の会議に集積する権限

を有する。彼は、自己が推薦し、調整理事会が任命する副閣僚級の 4 人の副事務総長によ

り補佐される(11)。さらに、事務組織として各国から ASEAN 本部に派遣される大使級に

より構成される常駐代表委員会(Committee of Permanent Representative)(12)と、各国に

おかれ ASEAN とのリエゾンの役割を果たす ASEAN 国家事務局(ASEAN National

43 Levitar(2010)161は、「ASEAN流儀」を①非公式の外交的協議を通じて公的会合の場で

「コンセンサス」に導く意思決定の強調と、②1976 年友好協力条約に定める国家主権の

尊重、外部干渉からの自由、平和的紛争解決、武力行使の放棄及び協力という 6 原則

からなるものとし話し合い重視の非公式性を特徴としている。2007年の ASEAN憲章

は、規則重視の国際組織へある程度は推し進めたが、その準備を行った賢人会議

(EPG)の提案より後退しているが、彼は、この理由として、原加盟国とベトナム、ラ

オス、ミャンマー及びカンボジアという新加盟国(CLMV)との政治的差異や経済格

差などを指摘している。

44 部門別閣僚会議については、付則に掲げられており、その数は政治・安全保障 6、経済

14、社会文化 17 となっている。 45 もっとも、現在のところ、少なくとも首脳会議レベルではコンセンサス以外での意思決

定は行われていないようである。

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Secretariat) (13)についての規定がおかれている、このように事務総局の規模と権能も大

幅に強化拡大されている。(ASEAN 組織図は以下のとおり)

(グーグルより)

ⅱ.政治(安全保障)共同体(APSC) と 超国家法

1978 年 ASEAN 協和宣言で具体化された「ASEAN 流儀」は各国の主権を重視し、内政

不干渉を軸とするものであったが、ASEAN は、グローバリゼーション下の 21 世紀に旧社

会主義体制に属した新加盟国を迎えて、新しい共同理念を明らかにする必要があった。こ

れが憲章前文に「民主主義、法の支配及び良い統治、人権の尊重ならびに基本的自由」を謳

い、その目的に「民衆主導の(people-oriented ASEAN)の促進」(1-13)を掲げ、「法の支配、

良い統治、民主主義と立憲政府」、「基本的自由の尊重、人権の促進と保護及び社会正義の

促進」とともに「国連憲章その他の国際法の重視」を組織原則(2<h-j>)として掲げている理

由であろう。

原加盟国は、結成後 40 年の歴史のなかでそれなりに民主化を達成しているとはいえ、

後発 4 カ国(CLMV)はいまだ一党独裁的な政治体制の影響を色濃く残している。この政

治体制の違いが、上記のような政治理念を全体として実現することを困難としており、こ

のことが、内政不干渉や意思決定におけるコンセンサス重視という「ASEAN 流儀」とい

う非公式性を維持している理由でもある。加盟後のミャンマーの民主化をめぐって

ASEAN 内加盟国間で意見の相違が生じたと伝えられるが、ASEAN 流儀に従い非公式な

協議が続けられたが、結局は公式的決定や介入はなかった。46

46 2003 年以降のこの過程については Levitar(2015)183-187 に詳しい。彼は、これを

CLMV の主張する「内政不干渉」という ASEAN 流儀の典型的な例としているようだが、イ

ンドネシアなど「民主国」による非公式の説得がその後のミャンマーの民主化に影響を及ぼ

したことも考えられる。

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このなかで、地域の人権保障をどう構築するかは重要な課題とされており、関連規定が

ASEAN 憲章にも盛り込まれている。これについて整理しておこう。憲章 14 条は

「ASEAN 人権機構(ASEAN Human Rights Body)」の創設を定め、ASEAN 外相会議(調

整理事会)がこれに関する付託事項(Terms of Reference)(TF)を定めるよう規定している。

47 この規定にもとづき、2009 年、外相会議はこの機関である「ASEAN 政府間人権機構

(ASEAN Intergovernmental Commission on Human Rights)(AICHR)」の TF を決定し、

政府間機関としての AICHR が発足した。もっとも、現在のところ、ASEAN 内の人権政

策の調整機関の色彩が強く、各国人権委員会と異なり、地域内の人権問題に直接関与する

権限は限られている。48

これに続き、2012年のプノンペン首脳会議で「ASEAN人権宣言(ASEAN Human Rights

Declaration)」が採択された。この宣言は、憲章にいう「人権及び基本的自由への尊敬及び

その促進と保護並びに民主主義の原理、法の支配及び良い統治に対する支持」を再確認し

た後、「市民的及び政治的権利」、「経済的、社会的及び文化的権利」と並んで、国際社会

で途上国が主張してきた「発展の権利」及び「平和に対する権利」について詳細な規定をおき、

その達成のための国際協力を謳っている。49

現在のところ、AICHR の活動は、それが調整機関という色彩が強いということもあっ

て、ASEAN の人権保障のために主要な役割を果たしているとはいえない。2015 年の少数

民族ロヒンギャにたいするミャンマー政府・軍による抑圧にたいしても、それが内政干渉

となるという理由から、ほとんど具体的な対応策を打つことができなかったことが指摘さ

れている(首藤〈2016〉)。もっとも、最近では、人権に関する市民組織との連携も試みて

いるようであり50、かつて各国の政府人権委員会がそうであったように、このような交流

が深まることにより、域内の人権保障機構としての役割を高めることは十分に予測される。

各国の政治体制の多様性を考慮すれば、統治システムの統合はおろか、調整すら困難で

47 この背景には 21 世紀に入り国際的な人権保障要求の高まりとともに、1987 年憲法によ

り設置されたフィリピン人権委員会を嚆矢とするタイ、インドネシア及びマレーシアの人

権委員会とこれらに集う国際・国内の人権 NGO の働きが大きかった。 48 付託された 24 の権限のうち独自の調査に関するものは 2 であるとされる。

AIPP(2015)15 参照、この翻訳は勝間(2011)に収録されている。また、加盟国は AICHR

への代表者をいつでも交代させることができるとされており、その独立性もきわめて弱

い。 49 同宣言の翻訳解説については渡辺(2014)参照。当時から重要な人権問題となりつつあっ

た「先住民の権利」にたいする言及はない。なお、ASEAN では、人権一般に関する

AICHR とは別に、2007 年「ASEAN 移民労働者の権利の保護及び促進に関する宣言

(ASEAN Declaration on the Protection and Promotion of the Rights of Migrant

Workers) による AEAN Committee On Emigrant Workers(ACMW)と女性と子どもの権

利をめぐって 2011 年に設立された ASEAN Commission on the Rights of Women and

Children が存在する。 50 AICHR の HP によれば、2015 年 2 月 11 日付で、Guidelines on the AICHR’s

Relations with Civil Society Organizations を発出し、NGO との協働体制を構築しよう

としているようである。

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あるといわねばならない。2015 年クアラ・ルンプール首脳会議で署名された ASEAN

Community Vision 2025 は、「政治安全保障共同体」に関しては、安全保障システムにつ

いて様々な強化を提案するとともに、統治体制としては「規則準拠、民衆主導、民衆中心

の共同体」(ⅡA)の構築を掲げ、そのなかで「加盟国間の政治及び法制度、文化並びに歴史

の理解と適用の促進」として加盟国間の共通性と多様性の研究を奨励している。(A.1.6)。

個別的には、腐敗防止(A.2.3)や法的インフラの整備協力(A.2.4) が謳われ、人権について

は AICHR の機能強化(A.2.5)が掲げられている。これらについては法務閣僚会議や協力組

織である ASEAN 法協会などでの域内の協力が続けられているようだが、既に経験を積み

つつある先行諸国との協力の中で憲法裁判制度や人権保障メカニズムについて加盟国間で

の何らかの調整の動きも出てこよう。

ⅲ.経済共同体(AEC)と超国家法

経済協力は、1990 年以降 ASEAN 協力の中心に位置しており、1992 年の関税に関する

「ASEAN 自由貿易地域(AFTA)」創設以降、サービス貿易や民間投資の自由化などに

ついての様々な枠組みを構築してきた。2015 年の KL 宣言は、経済共同体を、2025 年ま

でに、「高度に統合されかつ整合的な、競争的、革新的ならびにダイナミックなものとし;

部門間の連結性(connectivity)と協力を強化し;より強靭で、包括的で、民衆主導で民衆中

心の共同体であって、グローバル経済と統合されたものとする」ことを謳い(7)、その 25

年に向けてのブループリントでは、「A.高度に統合された経済」、「B.競争的、革新的かつ

ダイナミックな ASEAN」、「C. 強化された連結性と部門間協力」、「D.強靭で、包括的、

民衆主導かつ民衆中心の ASEAN 」及び「E.グローバル ASEAN」の項目の下に、およそす

べての分野における経済社会目標を詳細に掲げている。なかでも 競争法、消費者法、知

的財産法などについては ASEAN 内での法の調整も具体的な検討対象とされているようで

ある。

このなかで日本政府も協力した ASEAN 連結性強化のためのマスタープランのチャート

は以下の通りである。

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ここでは、以下、ASEAN 紛争解決メカニズム(DSM)について簡単に触れておこう。

憲章第 8 章「紛争解決」として、加盟国間の紛争解決原則を定めるとともに、ASEAN 協力

のすべての分野でのDSMという紛争解決機構を設置する旨規定し(22)、その形式について

斡旋(good office)、和解(conciliation)及び調停(mediation)について定める(23)。この章の

DSM は、ASEAN 加盟国間の一切の紛争解決に関するものであり、必ずしも「経済」関係

に限定されているわけではない。しかし、24条(3)は、経済協定にかかわる紛争については、

2004 年に締結された「ASEAN 紛争解決強化メカニズムについてのプロトコール(ASEAN

Protocol on Enhanced Disputes Settlement Mechanism)」に従うものと規定している。

このプロトコールは、1992 年に締結された「ASEAN 経済協力強化協定」に始まる

ASEANのDSM制度を数次にわたって改良を加えたもので、その付則にはこれまで加盟国

間で締結された 46 の ASEAN 協定を対象としており、ASEAN の関係の紛争についても基

本的手続きを定めるものとなっている。このプロトコールは、上級官僚会議(SEOM)が

管理するものとし、その下に、WTO などと同じくパネルと上訴機関(Appellate Body)

が構成される、と定め、各手続きについて詳細な規定をおいている。51

なお、憲章 25 条は、憲章その他の文書の解釈又は適用のために、仲裁を含む適切な

DSM の創設について規定しているが、この規定は、調停から一歩進んだ仲裁機能を想定

している点で、法的機構への脱皮を意図していると解することもできる。今のところこの

ような機関は設置されていないようである。もっとも、これらの紛争の最終決定権は首脳

会議に委ねられている(26)という点で、DSM の「司法化」はいまだ達成されていない。ただ、

事務総長はこれらの機関の決定の実施について首脳会議に報告できる(27)ものとされ、間

接的な履行強制が図られているようである。

経済統合が市場統合を前提としている以上、そして市場が「規則」を軸に展開する以上、

ASEAN 経済共同体を基礎づける「法制度」の整備は不可欠であり、関係政府機関や

ASEAN 法律協会(ALA)など、さらに先進国法整備支援機関の援助を得て、その統合/調整

の努力が続けられているようであり、この分野は最も「法化」が進んでいると推測するこ

とができる。

ⅳ. 社会文化共同体(ASCC) と超国家法

社会文化共同体は、KL 宣言によれば、民衆の利益となり、包摂的、持続可能な、強靭

な、ダイナミックなものを目指し、具体的には、①参加的、社会応答型の共同体、②生活

の質と公平を促進する包摂的共同体、③社会、環境発展を目指す持続可能共同体、④経済

的脆弱性や災害に対応する強靭な共同体、④アイデンティティ、文化や伝統に誇りを持ち

ながら地球共同体に貢献できる能力を有するダイナミックでかつ調和のとれた共同体が目

標とされる。

これをさらに具体化した 2025 年までのブループリントは、これをブレークダウンし多

詳細な項目について定めているが、その内容は、他の共同体と同じく、これらは多岐にわ

51 Leviter(2010)178-9 は、このメカニズムを、SEOM が最終的決定権を有しており、それ

がコンセンサスにもとづき行われる可能性があるところから、この手続きは、いまだ法的

なルールベースのものではなく、ASEAN 流儀にもとづく関係重視のものであるとする。

もっとも、彼によれば、このメカニズムが利用された例はないという。

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たり、およそ社会開発全般に及ぶということができるが、①については民衆の参加とエン

パワーメントが課題とされ、これには地方自治の強化やジェンダー平等などの達成が含ま

れる。②の包摂については、社会的バリアの除去と衡平のための貧困削減が謳われ、さら

に人権保護として、ASEAN 人権宣言の実現とともに子どもと女性の人権、移民の人権の

保護や人身売買の禁止など域内の人権問題の克服を謳い、③持続可能性については、生物

自然資源の保護と持続可能な管理、都市環境の整備、環境保護に加えて持続可能な消費と

生産を掲げている。④の強靭性については、生物、化学や核災害を含む災害リスクに対応

し、社会的安全網の確保や、薬物(drug)から自由な社会の達成などが謳われ、⑤ダイナミ

ックな共同体については、グローバル社会に向けて開放的で適応的な社会、創造的、革新

的、応答的な社会として教育や IPの保護、企業化文化の育成などが謳われている。

このような目標が総花的になることは仕方がないにしても、一方では、先行加盟国で顕

在化の兆しのある都市化や高齢化の問題やグローバル化がもたらしつつある貧困格差の問

題というグローバルな問題群とともに、他方では、前節で検討した先住民≒地母民問題な

どにみられる、文化の固有性やアイデンティティという人々の「共同性」の問題の検討が

不可欠となりつつある状況を考えれば、「ダイナミックな共同体」に盛り込まれた理念は、

あまりに近代化志向で楽観的すぎるように思われる。52

ⅴ.ASEAN 共同体と超国家法

現在、ASEAN共同体は、年 2回、首脳会議と調整理事会、3つの共同体理事会、さらに

はその下の部門別閣僚会議が開催され、「2025 年 ASEAN 共同体ヴィジョン」の実現に向

けて ASEAN の政治、経済及び社会のほぼすべての問題について検討が行われている。こ

のなかで大量の協定や合意文書が作成されつつ、これらの多くは、ASEAN 流儀に象徴さ

れるASEANの「非公式」的性格から、厳格な意味で「国際法」とはいえないにしても、いわ

ゆるソフトローとして加盟国政府を中心とする様々なアクターの行動に何らかの形で影響

を及ぼし、これらをめぐる紛争の解決のためのメカニズムも、不十分であるとはいえ生成

されつつある。さらに、憲章の第 2 付則に定めるように、各国議会、多数のシンクタンク/

研究機関、市民組織などのステークホルダーが、そこでの政策決定に何らかの形で関与し

ていることを考えれば、ASEAN 共同体をめぐっては、膨大な量の規範的情報が集積され

つつあると考えられる。これらの多くは、政府や人々の間の単なる合意や了解であるとし

ても、それが何らかの規範を生み出しつつあるとすれば、そこに少なくとも「ASEAN 法」

の萌芽をみることができよう。しかし、これらが、ASEAN 流儀の伝統を受け継いだ関係

性を重視する「非公式な」ものであり続けるのか、憲章にいう「法の支配」や「良い統治」に理

念化されたより規則重視の「公式的な」ものへと移行するのかは定かではない。53

52 首藤(2015)は、この内容を社会福祉、教育及び災害対策の3トピックに整理し、その限

界として、ロヒンギャ問題にたいする ASEAN の無力さを指摘している。 53 これらの文書を検討した The Habibie Center (2016)は、それが ASEAN 流儀を完全に

脱皮することができず「規則主導型」のものとなっていないと批判している。なお、

ASEAN 内での司法職の訓練とその協力については、HRRC(2014) 参照。

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24

以上、ASEAN 法を国家法、地母法及び超国家法に分けて分析する視点を提案し、各レ

ベルの ASEAN 法の現状について概観してきた。その中核である国家法は、独立後半世紀

の経過の中で、旧宗主国に準拠した植民地型近代法制から、一方では、20 世紀末から進行

したグローバリゼーション下での「法改革」のなかで、特に経済法制についてはよりユニ

バーサルなレベルでの「現代化」を達成しつつあり、他方では、この間のイスラム法の「国

家法化」にみられるように、人々の生活と密接に関係する家族・相続法の分野を中心に、

固有の文化や社会意識による「多元化」も進行しつつある (イスラム法の国家法化)。これ

らの「経済」と「社会」という領域は、ある程度の「棲み分け」が可能であるにしても、前者

を支える自由と競争という「市場原理」は、後者の基礎である一体化と連帯という「共同

原理」は基本的に互いに対立する存在であることを考えれば、その間の調整は必ずしも容

易ではないにしても、現実にはそれをいかに達成していくかが国家法領域の課題となろう。

地母法≒先住民法は、上記の対比からいえば、最も純粋に共同原理を体現するものであ

り、国家法としての宗教家族法分野もその延長上に位置づけられるものといえよう。しか

し、地母法は、地母社会が近代国家社会に対抗する社会であるように、構造的にも国家法

に対立するものであり(たとえば「口承性」と「非公式性」)、この意味では国家法を支える「法

意識」と通底するところがあるにしても、国家法そのものには原理的に対立する存在であ

る。それゆえに国家法と地母法の接続は困難であり、ADR や修復的司法制度のように、国

家法の「非公式化」を不可避なものとするように思われる。先住民の権利をめぐる紛争が、

世紀の司法裁判所によってではなく、人権委員会などの非公式紛争処理機関で解決される

傾向があることはこの事情を物語っている。そこで問われる正義(法的正義にたいする社会

的≒人間的正義)は、Glenn も例示するように、国家法を超える普遍性を有している。

超国家法は、国家法の延長上に国家間の法である国際法と、他方では、国家法により規

律されていた様々な規範関係の越境現象ともいうべき国際私法の対象領域(世界法)の 2 つ

の領域からなる。それは当然に ASEAN 地域を超えるグローバリゼーション下での普遍的

な現象であるが、この動きは、2015 年に開始された ASEAN共同体の枠組みのなかでは、

その政治、経済及び社会の全面での組織原理は、ASEAN の結成以来の「コンセンサス」、

「関係性」及び「非公式性」重視にみられる「ASEAN 流儀」型と、グローバリゼーションが

要求する「多数決」、「規則性」及び「公式性」重視にみられる「法の支配」型という 2 つの原理

の間をゆれ動きながら、これらの混交した新しい原理を模索することになるように思われ

る。

グローバリゼーション下の地母法、国家法及び超国家法の関係については、Colchester,

Marcus & Sophie Chao (eds.) (2011)38 が、第三世代の人権との関係で興味深い対比を行

っている。(彼のいう慣習法(customary law)は地母法に、国家法(national law) は国家法に、

国際法(international law) は超国家法に相当すると考えてよいだろう。)彼によれば、第一

世代と第二世代の人権を基礎とする西欧近代社会では、国家法と国際法は、土地市場(私的

所有権)と資本へのアクセスを相互に強化することにより、慣習法に対抗していたのにたい

して、(グローバリゼーション下の)第三世代の人権パラダイムにおいては、国際法と慣

習法は、自決(self-determination)と領域の不可譲渡性( inalienability territories)とい

う面で共同しながら、国家法に対抗しているとする。以下これを引用しておこう。

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