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花の縁 030405 1 1 5)スズカケノキ=鈴懸の木 スズカケノキ科の落葉高木で高さは 30m に達し、幹には樹皮の剥げたあとが 残り、不規則な斑状となる。葉は大きくて掌状となり先端はとがる。雌雄異花で、 春に頭状の別々な花序を出して雌花、雄花をつける。果実は緑色の球状果で 34 個が垂れ下がる。和名の由来はこの球状果が鈴に似ているからとも、山伏の着る篠懸 についている鈴に似ているからともいわれている。学名は『 Platanus orientalis 』で、 属名のプラタナスの意味は葉が大きいことで、この仲間の総称としてプラタナスとも 呼んでいる。この科は 1 1 科で南ヨーロッパからインド、マレー方面と北アメリカ の南部からメキシコにかけて合計 6 種が分布している。我が国に渡来したのは明治 の初めごろで、東京の新宿御苑や、小石川の植物園などに植えられた。また明治 37 (1904 )には新橋の田村町の交差点付近に街路樹として初めて植えられ、 以後あちこちに広まった。プラタナスは北海道から沖縄までどこでも良く育つ。 東京の池袋駅から立教大学にかけてはこの木の並木道があり、『鈴懸の径』という歌 が大流行した。友と語らん/鈴懸の径/通いなれたる/学校 ( マナビヤ) の街/やさしさ の小鈴/葉かげに鳴れば/夢はかえるよ/鈴懸の径/というもので、佐伯孝夫 作詞、灰田晴彦作曲による美しい歌で、日本中がまだ戦争直後の貧しい時代だった。 しかし鈴懸の木は風害を受けて倒れやすいため、最近ではクスノキや、カツラ、ナツ ツバキ、サルスベリ、エンジュなどの並木にとって変わる傾向がある。 古代ギリシャではアテネの町にはプラタナスの並木があり、木の下ではプラトン やデモステネスなどの哲学者や雄弁家が、いわゆる辻説法を行なったともいわれ ている。このためにプラタナスの木は天才の象徴ともなり、花言葉も「天才」である。 古代ペルシャのクセルクセス1 ( 在位BC486465 ) は、小アジアからエジプト、 カスピ海、インドに及ぶ大帝国を築いた後、第 3 回ギリシャ遠征の途中、ダーダネルス 海峡を渡った際、この木の美しさに魅了されたといわれている。この遠征は紀元前 500 年から 479 年に戦われた『ペルシャ戦争』のひとこまで、『テルモピレーの戦』 (BC480 )ではスパルタ王レオニダスは戦死し、アテネの町は火に包まれたと 伝えられている。その後『サラミスの海戦』でクセルクセスは退却せざるをえなく なり、BC 479 年の『プラテーエーの戦』につぐ『ミカレの海戦』ではギリシャ軍 が大勝し、ヘレニズム世界を守ったことは特に有名である。ともあれこの戦争は 有史以来初めてアジア世界とヨーロッパ世界が互角に戦ったたわけで、歴史的に 大きな意味を持っていた。この戦いにより、ギリシャではアテネの力が大きくなり、 デロス同盟を通して覇権を握ることになる。そしてアテネの指導者ペリクレスの 時代には、ギリシャは全盛を迎えるのだが、 BC431 404 年になると今度はギリシャ とスパルタとの間に『ペロポンネソス戦争』が勃発し、その後 100 年に及ぶ混乱 に乗じて、再び東からアレクサンダー大王が登場することになるのである。

kakashi.sakura.ne.jpkakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/030405suzukake.pdf(BC480 年)ではスパルタ王レオニダスは戦死し、アテネの町は火に包まれたと 伝えられている。その後『サラミスの海戦』でクセルクセスは退却せざるをえなく

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5)スズカケノキ=鈴懸の木 スズカケノキ科の落葉高木で高さは 30m に達し、幹には樹皮の剥げたあとが

残り、不規則な斑状となる。葉は大きくて掌状となり先端はとがる。雌雄異花で、

春に頭状の別々な花序を出して雌花、雄花をつける。果実は緑色の球状果で 3~4

個が垂れ下がる。和名の由来はこの球状果が鈴に似ているからとも、山伏の着る篠懸

についている鈴に似ているからともいわれている。学名は『Platanus orientalis』で、

属名のプラタナスの意味は葉が大きいことで、この仲間の総称としてプラタナスとも

呼んでいる。この科は1属1科で南ヨーロッパからインド、マレー方面と北アメリカ

の南部からメキシコにかけて合計 6 種が分布している。我が国に渡来したのは明治

の初めごろで、東京の新宿御苑や、小石川の植物園などに植えられた。また明治

37 年(1904 年)には新橋の田村町の交差点付近に街路樹として初めて植えられ、

以後あちこちに広まった。プラタナスは北海道から沖縄までどこでも良く育つ。

東京の池袋駅から立教大学にかけてはこの木の並木道があり、『鈴懸の径』という歌

が大流行した。友と語らん/鈴懸の径/通いなれたる/学校(マナビヤ)の街/やさしさ

の小鈴/葉かげに鳴れば/夢はかえるよ/鈴懸の径/というもので、佐伯孝夫

作詞、灰田晴彦作曲による美しい歌で、日本中がまだ戦争直後の貧しい時代だった。

しかし鈴懸の木は風害を受けて倒れやすいため、最近ではクスノキや、カツラ、ナツ

ツバキ、サルスベリ、エンジュなどの並木にとって変わる傾向がある。

古代ギリシャではアテネの町にはプラタナスの並木があり、木の下ではプラトン

やデモステネスなどの哲学者や雄弁家が、いわゆる辻説法を行なったともいわれ

ている。このためにプラタナスの木は天才の象徴ともなり、花言葉も「天才」である。

古代ペルシャのクセルクセス1世(在位BC486~465年)は、小アジアからエジプト、

カスピ海、インドに及ぶ大帝国を築いた後、第3回ギリシャ遠征の途中、ダーダネルス

海峡を渡った際、この木の美しさに魅了されたといわれている。この遠征は紀元前

500 年から 479 年に戦われた『ペルシャ戦争』のひとこまで、『テルモピレーの戦』

(BC480 年)ではスパルタ王レオニダスは戦死し、アテネの町は火に包まれたと

伝えられている。その後『サラミスの海戦』でクセルクセスは退却せざるをえなく

なり、BC 479 年の『プラテーエーの戦』につぐ『ミカレの海戦』ではギリシャ軍

が大勝し、ヘレニズム世界を守ったことは特に有名である。ともあれこの戦争は

有史以来初めてアジア世界とヨーロッパ世界が互角に戦ったたわけで、歴史的に

大きな意味を持っていた。この戦いにより、ギリシャではアテネの力が大きくなり、

デロス同盟を通して覇権を握ることになる。そしてアテネの指導者ペリクレスの

時代には、ギリシャは全盛を迎えるのだが、BC431~404年になると今度はギリシャ

とスパルタとの間に『ペロポンネソス戦争』が勃発し、その後 100 年に及ぶ混乱

に乗じて、再び東からアレクサンダー大王が登場することになるのである。

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学習院初等科前の公園に植えられたスズカケの新緑(東京都千代田区)。

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さいたま市の芝川沿いに聳えるスズカケの木、芝川沿いではよく見られる(さいたま市緑区)。

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スズカケの木の見事な巨木。もともとスズカケの木は大きくなる木だが風で倒れやすく巨木

にはなりにくい。これほどのものは珍しく都内では屈指のものであろう(東京都野川公園)。

よく見ると寄植えになっており株は 5 本ある。台風などで倒れやすい木であるから、ここ

まで大きくなったのは幸運ともいえようか。寄植えだったことが幸いしたのかもしれない。

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異国情緒に満ちたスズカケの並木道、もう冬は近い(東京都新宿御苑)。

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スズカケノキの若い果実(さいたま市中央区与野公園) 目次に戻る