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正しい知識を 身につけよう! 知っておきたい 広島県医師会 薬物 乱用・依存 に関する 基礎知識

知っておきたい 薬物の 乱用・依存 に関する 基礎知識 · 「薬物乱用に関する基礎知識」をテーマとして取り上げ、 「知っておきたい薬物の乱用・依存に関する基礎知識~正しい

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正しい知識を身につけよう!

知っておきたい

広島県医師会

薬物の乱用・依存に関する基礎知識

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 広島県医師会は毎年、救急医療の一環として、一般の人々を

対象にいざという時のための知識を正しく理解していただき、

また、そのときどきのテーマに対する知識を深めていただく

ため、分かりやすい内容の小冊子を作成しております。

 今年度は、近年、薬物乱用などが問題になっていることから

「薬物乱用に関する基礎知識」をテーマとして取り上げ、

「知っておきたい薬物の乱用・依存に関する基礎知識~正しい

知識を身につけよう!」と題して、医療法人せのがわ KONUMA

記念広島薬物依存研究所 所長 小沼杏坪先生にご執筆

いただきました。

 飲酒・喫煙の危険性、そしてシンナーや不法薬物乱用に

対する正しい知識を理解し、身につけていただき、学校や

家庭において幅広くご活用いただければ幸いです。

広島県医師会 会長 平 松 恵 一平成25年9月

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も   く   じはじめに… ………………………………………………………………………………… 01

Ⅰ.「喫煙・飲酒・薬物乱用に関する全国中学生意識・実態調査」の結果から… … 02Ⅱ.薬物乱用によって奪われる若者の「自由」・「尊厳」・「信頼」  そして「未来」 … …………………………………………………………………… 03Ⅲ.薬物乱用の成り立ち………………………………………………………………… 04 1.薬物乱用の定義…… ………………………………………………………………… 04 2.薬物乱用の三要因…… ……………………………………………………………… 04 3.薬物乱用防止対策…… ……………………………………………………………… 05 4.主な依存性薬物と規制法…… ……………………………………………………… 05 5.薬物乱用・依存は育ち盛り・働き盛りの青少年を冒す病気…… ……………… 06 6.薬物乱用・依存の成り立ち~薬物乱用-薬物依存-薬物中毒の関係~…… … 06Ⅳ.薬物乱用予防に関する新しい健康教育の進め方… …………………………… 08Ⅴ.薬物乱用が心身の健康に及ぼす影響… ………………………………………… 10 1.喫煙の害(ニコチン、一酸化炭素、タール)…………………………………… 10 2.飲酒による害…… …………………………………………………………………… 12 3.有機溶剤が心身に及ぼす影響…… ………………………………………………… 13 4.ブタンガス吸引による害…… ……………………………………………………… 15 5.アヘン系麻薬依存にみられる禁断症状…… ……………………………………… 15 6.向精神薬の過量服薬(OD)による悪性症候群、横紋筋融解症、腎不全… … 17 7.大麻が心身に及ぼす影響…… ……………………………………………………… 17 8.違法ドラッグ乱用による問題…… ………………………………………………… 20 9.覚せい剤が心身に及ぼす影響…… ………………………………………………… 22 10.静脈注射による薬物乱用者にみられるHIV感染………………………………… 25

解 説 Ⅰ.薬物乱用の弊害……………………………………………………………………… 26 Ⅱ.わが国における最近の薬物乱用の概況………………………………………… 26 Ⅲ.薬物依存への理解を一層深めるために………………………………………… 28  1.薬物依存の形成過程…… ………………………………………………………… 28  2.薬物依存の生物学的理解…… …………………………………………………… 29  3.薬物への“とらわれ”の心理的解釈…… ……………………………………… 30 Ⅳ.薬物の乱用・依存が何故に若者の問題であるのか?………………………… 32 Ⅴ.薬物乱用予備軍を育む現代社会~青少年を取り巻く生活環境の変化~……… 33 Ⅵ.薬物乱用防止を目的とした健康教育…… ……………………………………… 34  1.薬物乱用に関わる要因…… ……………………………………………………… 34  2.薬物乱用防止に関するライフスキルを基盤とした指導方法…… …………… 35

おわりに……………………………………………………………………………………… 36

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はじめに わが国は1990年中頃から景気低迷の影響によって、現在まで大きな社会の構造変革を伴っております。仕事の分野では、男性であっても就職できない、非正規雇用にしか就けない、正社員のリストラなど、自分を必要とされず大切にされていない状況です。また、家族がそもそも形成し難く、今まで若者に安心を供給してきた「定職」、「家族」が不安定化し、若者が不安にさらされる度合いが大きい現状となっております。  若者の感じる「生きづらさ」は喫煙・飲酒・薬物乱用の重大な温床となります。大学入学・就職などで大都会に出る若者は、都市の病理現象である薬物乱用・依存の問題にさらされる機会が増大します。薬物の乱用にしても、何も最初から組織暴力団の人間や不正滞在する外国人と接触するのではなく、彼らが普段馴染んでいる友達や親戚の年長者から、たまたま使用場面に遭遇して誘われるのがほとんどであります。また、インターネットを通じて、非常に簡単にいわゆる脱法ドラッグ(違法ドラッグ)などの勧誘情報が無防備な若者に届けられています。 従って、若者を薬物乱用に手を出させない第一次予防のレベルにおいては、親や教師の意向が比較的浸透している小・中・高校時代に、≪薬物乱用の危険性≫に関する啓発・予防の教育がきちんと展開され、児童・生徒に十分理解されていることが望まれます。 薬物の乱用は確実に使用者自身の手を通りますので、インフルエンザなどの流行病よりは予防は確実です。誘われたときに「ハイ」といって手を出すか、「ノー」といって断るかで、その後の人生は大きく変わってくるのです。

 この度、広島県医師会からの要望で、「薬物乱用問題に関する基礎知識」の執筆の依頼がありました。 長年、精神科医師として薬物乱用・依存の問題に取組んできた筆者としては、薬物乱用が若者にもたらす健康被害について、できるだけ図表を多く使用した分かりやすいものとするように努力しました。特に、依存性薬物の乱用による身体的な被害は、乱用すれば必ず引き起こされるというわけではないのですが、引き起こされたら取り返しのつかない問題が多いものです。 少し難しい表現もあると思いますが、後半の解説の部を参考にしながら、教師・父兄と児童・生徒が共に学べるように、配慮した編集になっております。 最後になりましたが、苦しみながらも、自身の映像を提供していただいた協力者の皆様に心から感謝を申し上げます。

平成25年9月

医療法人せのがわ KONUMA 記念広島薬物依存研究所所長 小 沼 杏 坪

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 わが国における最近の薬物乱用の概況については、後半の解説の部を参考にしていただくとして、ここでは中学生の薬物乱用の状況を見てみましょう。 図表1は全国の中学生における喫煙・飲酒・薬物乱用の生涯経験率の推移状況を表しております。

 紫色の棒グラフは<喫煙>をこれまでに一度でも経験したことを示す生涯経験率です。青色の棒グラフは<一人で飲酒>の生涯経験率です。紺色の折れ線グラフは<シンナー乱用>の生涯経験率の推移を示しております。2000

年以降中学生における<喫煙>、<一人で飲酒>、<シンナー等有機溶剤の乱用>の生涯経験率は共に確実に減少傾向にあります。しかし、緑色折れ線グラフの<大麻乱用>の生涯経験率と赤色折れ線グラフの<覚せい剤乱用>の生涯経験率は2004年以後完全に重なり合っておりますが、共に横並びからわずかに減少傾向が窺える下げ止まりの状況です。加えて、2012年には、新

「喫煙・飲酒・薬物乱用に関する全国中学生意識・実態調査」の結果からⅠ

全国中学生における喫煙・飲酒・薬物乱用の生涯経験率の推移図表1.全国中学生における喫煙・飲酒・薬物乱用の生涯経験率の推移

(国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部)

1.3% 1.3%

1 2%

25.0%

1 2%

1.4%

グ1.1%

1.2%

1.1%20.0%喫煙

1.0%

1.2%

薬物

脱法ドラッグの乱用(0.2%)

0.9%

0.8%

0 7%0 7%

15.0%

煙・飲酒

0.8%

物乱用の

0.7%

0.5%

0.6%

0.7%

0 4%

0.5% 0.5%

0 4%0 4%

0.5%

0 4% 0 4%

0.5%

0 4%

10.0%

酒の経験

0 4%

0.6%の経験率0.4% 0.4%

0.3% 0.3%

0.2%

0.4% 0.4% 0.4% 0.4%

0.3% 0.3%

0.2%5.0%

験率

0.2%

0.4% 率

0.0%

1996 1998 2000 2002 2004 2006 2008 2010 2012

0.0%

2

1996 1998 2000 2002 2004 2006 2008 2010 2012

喫煙 一人で飲酒 シンナー乱用 大麻乱用 覚せい剤乱用

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規に≪脱法ドラッグの乱用≫が0.2%で登場しました。 この≪喫煙・飲酒・薬物乱用に関する全国中学生意識・実態調査≫では、中学生による<喫煙>、<大人の居ないところでの飲酒>、あるいは<一人で飲酒>は有機溶剤、さらに強力な<大麻><覚せい剤>の乱用への入門薬になっている、すなわち踏み石を踏むようにドンドンと強力な薬物の乱用へと進行しやすくなるという「踏み石理論」が証明されております。

 医療法人せのがわの所在する広島市安芸区には五つの中学校があります。長年にわたって薬物依存者を診療してきた立場から、私は安芸区保健センターからの依頼で、毎年一校ずつ薬物乱用防止教室の講師として、最初にこの図を提示し、実例を交えながら、直接中学生に語りかけてきました。 薬物の乱用は多くの場合、若者の問題です。首都圏の進学校の男女高校生を対象にした意識調査の結果では、11、12%はたとえ覚せい剤でも「一度位ならやってみたい」と思っているのです。ところが、一度、自由意志に基づく選択として、依存を引き起こす作用をもつこれらの≪依存性薬物の乱用≫を経験すると、比較的容易に≪薬物依存症≫の状態になって≪薬物摂取中心の生活≫を送ることになるのです。 さらにわが国で流行しているシンナー・大麻・覚せい剤は比較的高率に≪薬物精神病≫を引き起こして、幻覚・妄想等の病的体験に支配された≪病的人格≫となって、まともな判断ができなくなります。 <依存>というのは、依存的行動の学習ですから、自転車の運転や泳ぎのように一度覚えたら一生忘れないのと同様に、忘れ去ることはない一生もの

図表2. 薬物の乱用薬物の乱用によって奪われる若者の

「自由「自由 と「尊厳「尊厳 と「信頼「信頼 そ 「未来「未来

自由意志に基づく行動の選択 依存性薬物の乱用

「自由」「自由」と「尊厳」「尊厳」と「信頼」「信頼」そして「未来」「未来」

自由意志に基づく行動の選択; 依存性薬物の乱用

薬物摂取中心の生活; 薬 物 依 存 症(薬物使用の抑制不能・薬物探索行動・禁断症状・ケア引き出し行動)

病的人格; 薬 物 精 神 病アルコール精神病・有機溶剤精神病・覚せい剤精神病・大麻精神病

幻覚妄想に基づく病的な行動

薬物による捕らわれの人生; 薬 物 乱 用 人 生

幻覚妄想に基づく病的な行動

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薬物による捕らわれの人生; 薬 物 乱 用 人 生乱用による健康障害・社会的問題を経験しても、止められない薬物

(医療法人せのがわ KONUMA記念広島薬物依存研究所)医療法人せのがわ KONUMA記念広島薬物依存研究所

薬物乱用によって奪われる若者の「自由」・「尊厳」・「信頼」そして「未来」Ⅱ

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なのです。従って、乱用・依存による身体障害・精神障害、その他種々の社会的問題を経験しても、止められないのがこれらの依存性薬物であり、依存者の平均寿命は短いです。中には一生薬物にとらわれた人生を送るヒトだって居るので、私はそういう人のことを≪薬物乱用人生≫と呼んでおります。 「要するに、薬物の乱用によって若い皆さんの「自由」と、人間らしい「尊厳」、家族・仲間からの「信頼」、そして若者の本来持っている輝かしい「未来」までもが、奪われることにつながるのです。薬物乱用は必ず自分の手を通りますので、『ノー』といって断るか、『イエス』といって手を出すかで、将来が決まってしまうのですよ。」と実例を示しながら語りかけるのです。

1.薬物乱用の定義 <薬物乱用>とは、薬物を医学的常識、法規制あるいは社会的習慣に反した目的あるいは用法のもとに過剰に摂取する行為をいいます。より具体的には、医薬品を医療目的から逸脱した用量・用法や目的のもとに使用すること、あるいは有機溶剤・大麻のように医療目的のない薬物を不正に使用することをいいます。法律で規制されているシンナー・覚せい剤・大麻などの不正な使用は、たとえ一回の使用でも、「乱用」に当たります。

2.薬物乱用の三要因(図表3) 一般的にいって薬物の乱用・依存は、依存性を有する Agent要

因としての<薬物>と、薬物を使用する Host要因としての<ヒト>と、薬物の使用を取り巻くEnvironment要因としての<家族・仲間・環境>とが合わさったとこ

図表3.薬物乱用・依存の三要因

HOST(ヒト)(ヒト)

ENVIRONMENT(家族・仲間・環境)

AGENT(薬物)

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薬物乱用の成り立ちⅢ

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ろに、成り立つと考えられております。これらの条件が整うと、大流行も見られるのです。

3.薬物乱用防止対策 薬物乱用防止対策は<薬物乱用の三要因>のそれぞれに対して、同時に並行して行われるのが最も有効です。薬物乱用防止対策は薬物の供給と需要の削減を目標とするのですが、主に<薬物>に焦点を当てた対策は、薬物の密造・密輸・密売など不正な流通の取締りの強化と厳正な処罰であり、これは<薬物の供給の削減>に役立ちます。次いで、主に<ヒト>に焦点を当てた対策としては、刑事施設や医療施設における薬物乱用者・依存者の治療・処遇とリハビリテーションであり、これは現在使用中の当事者を減らす効果があるため、直接的に、<薬物の需要の削減>に役立ちます。最後に、主に<環境要因>に焦点を当てた対策は、薬物乱用を許さない社会環境を作るための学校などにおける予防教育や地域社会における啓発活動などの推進であり、間接的ではありますが、将来における<薬物の需要の削減>に役立ちます。さらに、薬物乱用の問題は SARSや AIDSのような感染症と同様に、国際的な種々の問題を含むため、上記の3分野における調査・研究を含めた<国際協力の推進>が是非必要ですので、WHOなどの国際機関が関わっております。

4.主な依存性薬物と規制法(図表4) 乱用される危険のある薬物は“こころ”すなわち精神に影響を与える作用をもっており、中枢神経系を興奮させたり抑制したりして、多幸感、爽快感、酩酊、不安の除去、知覚の変容、幻覚などをもたらす働きがあります。使用量によっては、急性中毒症状のために直接死につながる危険もありま

図表4.AGENT要因: 主な依存性薬物と規制法

•• 中枢神経系興奮薬中枢神経系興奮薬•• 中枢神経系興奮薬中枢神経系興奮薬たばこ(未成年者喫煙禁止法)

リタリン(麻薬及び向精神薬取締法)リタリン(麻薬及び向精神薬取締法)

メタンフェタミン(覚せい剤取締法)

MDMA コカイン LSD PCP(麻薬及び向精神薬取締法)MDMA・コカイン・LSD・PCP(麻薬及び向精神薬取締法)

•• 中枢神経系抑制薬中枢神経系抑制薬中枢神経系抑制薬中枢神経系抑制薬アルコール(未成年者飲酒禁止法)

シンナー・ボンド・トルエン等の有機溶剤(毒物及び劇物取締法)機

ハルシオン・ペンタゾシン(麻薬及び向精神薬取締法)

大麻(大麻取締法)

5ヘロイン・モルヒネ・コデイン(麻薬及び向精神薬取締法)

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すが、特に問題となるのは、これらの薬物のうち連用することにより<依存性>を有するものです。<依存性薬物>は依存形成物質、精神作用物質などとも呼ばれ、特に乱用が流行して社会的に問題になる薬物は、乱用薬物といわれます。依存性薬物の範疇に入る薬物は主要なものでも数百種類もあります。

5 .薬物乱用・依存は育ち盛り・働き盛りの青少年を冒す病気(図表5) 薬物事犯者の取締法別にみた年齢階級別の構成を「犯罪白書」から筆者が作図したグラフです。薬物事犯者のうち、7、8割は所持・使用違反者です。 シンナー等の有機溶剤乱用の最盛期には、19歳未満の未成年者が80%以上を占めていたのですが、最近ではかなり押さえ込まれておりますので、20歳を過ぎても有機溶剤依存から抜けきれない人たちが多くなっているため、未成年者の比率は40%以下となっております。大麻やMDMAでは育ち盛り・働き盛りの20歳代・30歳代が60%以上を占めております。覚せい剤になりますと、再犯を繰り返す人も多くなるため、40歳代の年齢も4分の1は含まれるようになります。 最下段には一般人口の構成比を表しておりますが、一般人口は高齢化が進んで、いまや50歳以上が40%を超えております。薬物の乱用依存はご覧のように、<薬物乱用・依存は育ち盛り・働き盛りの青少年を冒す病気である>と言えるでしょう。

6 .薬物乱用・依存の成り立ち~薬物乱用-薬物依存-薬物中毒の関係~  (図表6) ここでは先ず、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部長の和田 清先生から提供された図表6によって、用語のおさらいをし

法別薬物事犯者の年齢階級別構成(平成22年版警察白書より作成)

図表5.HOST要因: 法別薬物事犯者の年齢階級別構成(平成22年度警察白書より小沼作成)警

34.7% 20歳以上毒劇法

6.9% 54.0% 27.8% 8.2% 3.1%大麻法

劇法

3.8% 40.8% 31.7% 16.2% 7.5%麻向法

2.2% 20.5% 36.8% 26.4% 14.1%覚取法

18.7% 12.0% 14.8% 12.3% 42.3%一般人口

0% 20% 40% 60% 80% 100%

20歳未満 20~29歳 30~39歳 40~49歳 50歳以上

2<薬物乱用・依存は育ち盛り・働き盛りの青少年を冒す病気である。>

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ておきましょう。 「乱用」は薬物を社会的許容から逸脱した目的や方法で自己使用する行為を表しております。「急性中毒」は薬物乱用の結果、薬物の毒性によって直接引き起こされた緊急な治療を要する身体および精神の状態で、生命を落とす危険もあります。 「依存」は乱用を繰り返した結果、脳が変化を受けて「自己コントロール」ができず、止められない状態をいいます。依存には、<精神依存>と<身体依存>があります。タバコを切らすと、イライラして集中力を欠いてくるので、れっきとした紳士でも、友人からもらったり、灰皿からしけもくでも拾って吸ったりするのは<精神依存>の表れです。アルコール依存症ではアルコールが切れてくると、手が震えたり吐き気がしたり、けいれん発作を起こしたり、夜間眠らずに嫌な夢を多く見て、ひどいときには寝汗をびっしょりとかき、<せん妄状態>という意識レベルの低下状態に陥り、幻覚にもとづいてトンチンカンな言動を呈することもあります。これは<身体依存>の表れです。このように中枢神経系の抑制薬では、連続的な使用を中断すると、使用している薬物特有の<禁断症状(離脱症状)>が発現するため、自ら依存から脱却することは難しくなります。しかし、薬物依存の基本は精神依存であり、コカインやアンフェタミンでは身体依存はないと言われていますが、依存性は高いのです。 更に「慢性中毒」は依存にもとづく乱用の繰り返しの結果、薬物が持っている毒性によって、直接身体が障害されたり、精神が障害された状態を言います。 従って、薬物乱用者には、①乱用だけの乱用者、②依存が問題で、未だ慢性中毒のない乱用者、③慢性中毒にまで至った乱用者の三種類があります。他に④後遺症で悩んでいる元乱用者がいるのです。

乱用乱用(Abuse):薬物を社会的許容から逸脱した目的や方法で自己使用すること

急性中毒急性中毒(Acute Intoxication):乱用の結果

急性アルコール中毒・有機溶剤中毒・覚せい剤中毒・身体症状

依存依存(Dependence):自己コントロールができず,止められない状態 (乱用の繰り返しの結果)

乱用の繰り返し

身体依存身体依存 精神依存精神依存

断断 薬薬(耐 性 )

乱用の繰り返し渇望

身体依存身体依存 精神依存精神依存

退薬症状(離脱症状)

渇望

(耐 性 )

慢性中毒慢性中毒(Chronic Intoxication):依存にもとづく乱用の繰り返しの結果

薬物探索行動渇望

図表6.薬物乱用-薬物依存-薬物中毒の関係(和田清を参照)

慢性中毒慢性中毒(Chronic Intoxication) 依存にもと く乱用の繰り返しの結果アルコール精神病・有機溶剤精神病・大麻精神病・覚せい剤精神病・身体症状

薬物乱用者には,①乱用だけの乱用者,②依存が問題で,未だ慢性中毒のない乱用者,③慢性中毒にまで至った乱用者の三種類がある。他に乱用・依存の治まった④後遺症がある。

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 薬物の乱用・依存は、主に青少年が罹患する生物的・心理的・社会的疾患とされております。WHOの疾患予防のレベルを、薬物の乱用・依存に適用すると、【第1次予防】は依存性物質に手を出さないための学校における乱用防止教育、地域における啓発活動があげられ、【第2次予防】は症状の重症化を防ぐための早期発見・早期治療、【第3次予防】は治療後の再発予防となります。 従来の薬物乱用防止教育は、注射器やガイコツなどのポスターで児童・生徒の恐怖心に訴えかける対応が多かったのです。 青少年の飲酒・薬物乱用は、岐阜薬科大学学長の勝野眞吾先生から提供された図表7に示すように、① 故意または不慮の事故に関する行動、② 喫煙、③飲酒・薬物乱用、④望まない妊娠、HIVを含む性感染症に関係する性行動、⑤不健康な食生活、⑥運動不足という、相互に関連性が強い<六つの危険行動>の一つであり、青少年期に確立され、大人になるにつれて固定化し、進行すると捉えられております。 従って新しい健康教育は児童・生徒が自らの健康を守るようにライフスキルを高める包括的な対応が必要とされております。ライフスキルは中央教育審議会が用いた「生きる力」に近い概念ですが、友人からの薬物のすすめを拒否できる態度、広告などから勧誘のテクニックを分析する力、コミュニケーションや意志決定能力、ストレス対処などに関する方法の習得、セルフエスティーム(健全な自尊心)を維持する力などが含まれます。ちなみに広島市では、平成22年度から「命の大切さを伝える教育推進プログラム」として、性感染症などと並んで薬物乱用防止を取り上げ、保健体育の教科指導だけで

図表7.健康に関連する青少年の6つの危険行動

1. 故意または不慮の事故に関する行動

2 喫煙2. 喫煙

3. 飲酒および薬物乱用

4. 望まない妊娠,HIVを含む性感染症に関係す

る性行動る性行動

5. 不健康な食生活

6 運動不足6. 運動不足

・ 6つの危険行動は相互に関連性が強い・ 6つの危険行動は相互に関連性が強い。・ 6つの危険行動は青少年期に確立され,大人になるにつれて固定化し 進行するにつれて固定化し,進行する。

Kann L,Kolbel J, Collons JL, eds. “Measuring the health behavior of adolescents: The Youth Risk Behavior Surveillance System.”, Public Health Rep.19933 108 (Suppl 1)より,勝野訳.

薬物乱用予防に関する新しい健康教育の進め方Ⅳ

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なく、学級担任がホームルーム活動の中で正しい知識の普及・啓発を推進する先駆的な取組みが整備されております。 図表8では、米国で1975年から2012年までの38年間における大麻(マリファナ)の入手しやすさは、ご覧のように90%前後でほぼ一定です。このような条件下で、1970年代後半のように<薬物乱用の危険性の認識度>が低いと、<現在乱用中(過去1ヶ月間に薬物の乱用経験を有すること)の比率>は1978年のように40%近い値まで上昇しますが、きちんと学校教育の現場や地域における啓発活動の推進によって、<乱用の危険性の認識度>が高まっていくと、現在乱用中の者の比率は1991、92年のように10%近くまで押さえ込むことができることが分かります。図表7と図表8のグラフは岐阜薬科大学学長の勝野眞吾先生から提供されました。

 現在のところ、学校現場における薬物乱用問題はかつてのシンナー等有機溶剤の乱用のような大流行は見られないものの、昨今のいわゆる脱法ドラッグ(違法ドラッグ)の乱用や睡眠薬や精神安定剤など医療上処方される向精

過去30日間の大麻乱用

大麻危険性の認識と入手のしやすさ

L.D.Johnston et al. Monitoring the Future National Results on Drug Use 2012 Overview より勝野作図

50

40

30

20

10

0

100

90

80

70

60

50

40

30

20

10

0

% %

1975 1977 1979 1981 1983 1985 1987 1989 1991 1993 1995 1997 1999 2001 2003 2005 2007 2009 2011

図表8.米国高校生における大麻乱用の危険に対する     認識

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神薬の乱用問題など、けっして見逃せない問題がくすぶっているので、火事がなくてもいつでも消防署が必要なように、薬物乱用の危険性については、今後とも気を緩めずに、基本的な知識に関して、たゆまず教育し続けることの大切さを教えてくれています。

 紙面に限りがありますので、この冊子では青少年に特に関係がありそうな項目に限って、図表を提示しながら、説明していきたいと思います。

1.喫煙の害(ニコチン、一酸化炭素、タール) タバコの煙は気管・気管支の粘膜を刺激しますので、30年後の肺気腫などの COPD(慢性閉塞性肺疾患)の原因になります。またタバコの煙には、ニコチン、一酸化炭素、タールが含まれております。 ニコチンは血管を収縮する作用と依存を形成する作用が強いので、血圧上昇、心臓への負担を増大し、虚血性心疾患やクモ膜下出血を誘発します。 一酸化炭素はヘモグロビンとの結合力が高いため、肺胞での酸素とヘモグロビンの結合力を弱め、全身への酸素の運搬を妨害しますし、心臓への負担を増大する作用があります。運動する場合、息切れ、持久力の低下などをもたらしますので、特に青少年の成長を妨げます。 タールは、発がん性物質を多く含み、がんの発生の増大および加速をします。肺胞に沈着するため、喫煙者の肺(右下)は非喫煙者の肺(左上)と比べて汚い色をしています(図表9)。 タバコはほとんどすべてのがんや各種疾患に関与しており、非喫煙者に比べ喫煙者の方が死亡リス

図表409.非喫

40年間×喫

煙者の

×タバコの

肺(左

コ30本を左

上)と

を喫煙しした人のの肺(右右下)

薬物乱用が心身の健康に及ぼす影響Ⅴ

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クが非常に高いことも明らかになっています。その他、煙に含まれるベンツピレンなどの発がん物質が多く含まれているため、咽頭癌/喉頭がんや肺がんの他、血行を通して全身にばら蒔かれますので、直接タバコの煙に接触しない身体各部の発がん性を高めることが証明されています(図表10)。

 「受動喫煙」とは、非喫煙者が自らの意思に反して喫煙者のタバコの煙にさらされることをいい、それによって病気にかかるリスクが上がることが明らかになっています。図表11では、家庭内喫煙者と幼児(3歳児)の喘息様気管支炎の有病率を表しておりますが、家庭内喫煙者なしの場合の1.7人に比べて、父親や他の家族の喫煙は喘息様気管支炎の有病率は3人ですが、母

図表表10.非非喫煙

喫煙煙

者(

煙者の(

一・〇

の死亡〇

)と

亡率

比較ししたCopyright (C) 2003 Kinen Shido Kenkyu-Kai

図表11.受 動 喫 煙家庭内喫煙者と幼児(3歳児)の喘息様気管支炎の有病率家庭内喫煙者と幼児(3歳児)の喘息様気管支炎の有病率

Copyright (C) 2003 Kinen Shido Kenkyu-Kai

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親が喫煙する場合は、母親と一緒に居る時間が長いので、その分4.9人と有病率が増すのです。

2.飲酒による害1)急性アルコール中毒の問題   若年のアルコール依存症の問題もありますが、急性アルコール中毒で救急搬送された人を年代別に見てみると、男女とも20

歳代の人数が多いことが分かります(図表12)。理由として、グループで盛り上がって飲酒する機会が多いこと、また経験の浅さから自分の適量が分からず、無謀な飲酒をしてしまうことなどが考えられます。特にアルコールを分解できない体質の人では、比較的多くない摂取量でも死亡することがあります。一緒に飲んでいる周りの人も、節度ある飲酒について注意を払うことが重要です。   平均的な日本人では、1合の日本酒(純アルコール20g)を完全に分解するのに4、5時間かかるので、宴会を夜間12時過ぎても切り上げないでいると、朝出勤時の運転は飲酒運転・人身事故につながりやすいことに注意が必要です。

2)胎児性アルコール症候群   妊娠している女性は赤ちゃんへの影響を考えて、眠れないときでも、睡眠薬を服用することは控えるのが普通です。しかし、飲酒習慣を有する女性が妊娠中に眠れないと、飲酒に頼ることがあります。特に受精卵が子宮

年代別の急性アルコール中毒による救急搬送人員(平成22年 東京消防庁)

図表12.年代別のアルコール急性中毒による救急搬送人員(平成22年 東京消防庁管内)(平成22年、東京消防庁)(平成22年,東京消防庁管内)

4 000

5,000

女性4,392

3 000

4,000女性

男性

2 000

3,000

1 702

1,000

2,000

551

1,702

918596

1,012

0

, 551 596

20代未満 20代 30代 40代 50代 60代以上

図表13.胎児性アルコール症候群(FAS; Fetal Alcohol Syndrome)(FAS; Fetal Alcohol Syndrome)

① 出生時および出生後の成長遅滞・発育障害① 出生時および出生後の成長遅滞 発育障害

(低身長・低体重)

② 中枢神経系の障害(神経学的異常・発達

遅滞・知的障害)遅滞・知的障害)

③ 特有の顔面の形成不全(小眼球・短い眼瞼

裂・薄い上口唇)

胎生期のアルコール曝露による中等度から高度

の身体的 行動的 感情的 社会的機能障害の身体的・行動的・感情的・社会的機能障害

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壁に着床して細胞分裂が進み臓器に分化していく妊娠の初期に飲酒した場合には、それほど大量の飲酒量でなくても、胎生期のアルコール曝露によって、①から③に例示するような中等度から高度の身体的・行動的・感情的・社会的機能障害を胎児に引き起こすことが知られております(図表13)。

3.有機溶剤が心身に及ぼす影響 有機溶剤が心身に及ぼす影響は、シンナー等の有機溶剤を吸ってすぐ現われる「急性効果」と長期に吸っていると現われる「慢性効果」に分けられます。1)急性効果   急性効果としては、有機溶剤の中枢神経系に対する抑制作用によって、酩酊から麻酔に至る種々の段階の意識レベルの低下がもたらされます。いわゆるラリった状態となって、「幸せな気分になる、調子良く怖いものなし、フラフラ動きだしたくなる」などの発揚的、多幸的ないし易刺激的な酔いをもたらします。有機溶剤を強迫的に吸引する乱用者では、喉の乾きや空腹の感覚さえも麻痺して、急激に脱水症状や栄養失調を呈して緊急入院を要することもあるのです。また自動車の中など狭くて換気の悪い場所で吸っていて、酸欠状態となって呼吸麻痺を起こして死亡したり、タバコに火をつけて大火傷をすることもあります。   さらに、有機溶剤には知覚異常や幻覚の発現作用もあるので、ラリっている最中に、色のついた曲線紋様の変化や自分の空想する情景が夢のように目の前に展開する幻覚(夢想症)などを経験することがあります。時には、仲間と校舎の屋上で吸引していて、空を飛べるような妄想をいだいて、次々と集団で転落死する事件もあったのです。

2)慢性効果   10年近いシンナー乱用歴のある20代半ばの女性の手足です(図表14)。筋肉が萎縮したふくらはぎや母指球・子指球ののっぺりした状態、手袋状・靴下状の感覚麻痺・運動麻痺の発現が特徴の多発神経炎の事例です。   図表15は私が経験した事例で、高等学校の保健体育の教科書に載ってお

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ります。左図の私が書いた渦巻きを真似て書いてもらったのです。「動作時ミオクローヌス」といって、じっとしているときには目立たないのですが、何かやろうとすると、途端に手がけいれんして上手く描けません。水を飲むにも、こぼしてしまうのです。   左がこの患者の頭部 CT像です。右の健常人のと比べて、前頭部の大脳皮質の萎縮や脳室の拡大が著しいのです(図表16)。

   青少年が人格形成の大切な時期に、一度、有機溶剤乱用・依存の悪循環に取り込まれると、現実社会の人間関係の複雑さを回避し、安直に自分の求める効果を与える薬物を唯一の友達のようにして、薬物を摂取することを生き甲斐としていくのです。その結果、意欲面・情動面の障害をもった性格変化が助長されてしまい、なかなか社会での適応能力が鍛えられないのです。また、20歳を過ぎてもなお、有機溶剤の乱用・依存から脱却できないで、精神病院を受診する有機溶剤依存者の中には、幻視・幻聴等を有する「有機溶剤精神病」を発症しているものも少なくありませんでした。

16図表14.シンナー依存による足と手の麻痺(多発神経炎)

図表15.渦巻き図形を描く際に見られる手のけいれん(動作時ミオクロ ヌス)(動作時ミオクローヌス)

17

医療法人せのがわ KONUMA記念広島薬物依存研究所

図表16.頭部CTスキャン像(シンナー乱用による脳の萎縮)

健常人(右)シンナ 乱用者(左)

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健常人(右)シンナー乱用者(左)

医療法人せのがわ KONUMA記念広島薬物依存研究所

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4.ブタンガス吸引による害 最近では、シンナー等有機溶剤の乱用流行が治まるにつれて、使用規制のかかっていない卓上コンロやガスライター用の≪ブタンガスの乱用≫が時々見られるようになりました。ブタンガスを吸引していわゆるラリった状態で、自宅の階段から転落して、頭部外傷のため脳外科で手術を受けた事例もあります。

5. アヘン系麻薬依存にみられる禁断症状1)モルヒネによる身体依存形成後の禁断症状の発現経過   日本猿にモルヒネを毎日6 mg/kg皮下注射して14日間経つと、モルヒネに対する身体依存が形成されます。モルヒネを注射した直後には、ゆったりとして平常の状態ですが、12時間経過して血中のモルヒネ濃度の低下に伴って、モルヒネの「禁断症状」が発現してきます。全身の毛が立ち瞳孔が散大して牙をむき出しイライラ感が高まってきます。そして、下痢・腹痛・嘔吐でグロッキー気味となります。24時間後には禁断症状は更に進行して、皮膚の中を虫がムズムズ動き回るような異常感覚がつのって非常に苦しい思いをします。人の場合も全く同じで、頭を壁にぶつけたり、苦しい思いを訴えて、モルヒネの注射を懇願する状態となります。このような禁断症状も48時間目が一番のピークです。この後は急速に回復して、食欲もでて夜間も眠れるようになります。しかし、今度は無性に「渇望感」が増してきます。   入院中のモルヒネ依存の患者さんの場合ですと、48時間目までは身動きすら大変であっても、この後は動けるので、色々な理由を付けて外出を要求してくるのです。要求が通らないとなると、時には病棟の天窓のガラスをはずして外出した患者も居るくらいで、自ら止め続けることは非常な困難が伴うものです。   モルヒネは「がん疼痛」に対する治療薬として有用なものであり、WHO

が推奨する<がん疼痛治療法(三段階鎮痛薬選択順序)>を遵守していれば、薬理学的に乱用に至ることはないことが証明されておりますので、安

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心して比較的早期から利用して≪生活の質(QOL)≫を高めることができるのです。

2)ヘロイン依存の母親から生まれた新生児にみられる禁断症状(図表17)   薬物乱用による健康障害は次世代にも影響をもたらします。欧米ではヘロインという強力な麻薬の乱用が流行しておりますが、「ヘロイン依存」の女性は入手するための金欲しさに、平気で売春行為もします。そして、予期せぬ妊娠もあるのですが、ヘロイン依存の母親から生まれた新生児は母親と一緒にヘロイン依存になっているのです。出生と同時に、母体からの臍帯を経由するヘロインの供給が断たれることになるので、生後48時間以内に禁断症状を表します。図表17はヘロイン依存の母親から生まれた新生児にみられる新生児離脱症候群として報告された315例のまとめです。ふるえ、多動、嘔吐、金切りの泣き声などが多く認められております。   ヘロインの入手とその効果追及だけしか考えられないヘロイン依存の母親は、新生児に対して母親らしい愛情すら示すことなく、養育も満足に出来ないため、米国では「乳幼児虐待」と認定され、母親の親権は停止され、新生児は乳児院に預けられることなります。ヘロイン依存の母親から生まれた子供は、母親から親身の愛情を注がれないばかりか、ヘロインの禁断症状にまで悩まされるのです。母親の親権はヘロイン依存の治療をきちんと受けて、回復したという医師からの証明をもらってから、ようやく復活するのです。

図表17.ヘロイン依存の母体から出生した新生児離脱症候群:文献上報告された315例のまとめ

Stimmel B. “HEROIN DEPENDENCY, MEDICAL, ECONOMIC AND SOCIAL ASPECTS”,StrattonIntercontinental Medical Book Corporation, New York, 1975を参照

症  状 人数 %

多動 181 57.4

ふるえ 252 80.0

腱反射亢進 64 20.3

けいれん発作 8 2.5

嘔吐 127 40.3

金切りの泣き声 96 30.4金切りの泣き声 96 30.4

くしゃみ・あくび・しゃっくり 94 29.8

呼吸困難 45 14.2

下痢 41 13 0下痢 41 13.0

発汗異常 18 5.7

粘液分泌過多 15 4.7

血管運動神経の不安定 12 3 8血管運動神経の不安定 12 3.8

過剰形成 11 3.4

発熱 6 1.9

黄疸 5 1.5

唾液分泌 2 0.6

低血糖 2 0.6

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6 .向精神薬の過量服薬(OD)による悪性症候群、横紋筋融解症、腎不全 図表18は睡眠薬の≪OD(Over

Dose,過量服薬)≫による「横紋筋融解症」の例です。高校時代に体操部で鍛えた立派な筋肉なのですが、睡眠薬を過量に服用した結果、悪性症候群となり、横紋筋に含まれている蛋白質のミオグロビンが血液中に溶け出して、その分子量が大きいので腎臓の糸球体に引っ掛かって腎不全になるのを予防するために、大腿部の内側と外側4本の痛めた筋肉を切除した結果、リハビリに取り組んでいるのです。 向精神薬の過量服薬によって、このような危険のあることを薬物乱用防止教室などで知らせるため、ご本人に許可を得て撮影させてもらいました。

7.大麻が心身に及ぼす影響1)大麻の主成分 THC による動物実験でみられる行動変化   大麻の動物実験に関する図表は、福岡大学名誉教授の藤原道弘先生から提供されたものです。   大麻の主成分である THCをラットの腹腔内に注射する動物実験で見られた行動変化を見てまいりましょう。   集団飼育されているラットではほとんど見られないのですが、特に単独飼育条件のラットに THCを注射しますと、全例が激しい攻撃性を発現します。割り箸に噛みついたり、マウスを入れるとムリサイドといってマウスを噛み殺し、跡形残らず食べてしまうそうです。ヒトにおける大麻精神病でも、非常に攻撃性が強くなります。        一方、集団飼育されたラットに THCを注射すると、ラット同士が体を寄せ合い静かにしております。また外から刺激を与えるまでは、不自然な姿勢をいつまでも取り続けることもみられます。これらは大麻乱用者にしば

図表18.睡眠薬のOD(過量服薬)による横紋筋融解症透析と筋切除術により回復,リハビリに取り組む事例透析と筋切除術により回復,リハビリに取り組む事例

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しば認められる、何かやろうとする意欲をそがれた「無動機症候群」のモデルと見なされます。   次に、図表19の右下に示すようなプラスチック製の8方向の

放射状迷路の装置の各コーナーに餌を置いてラットを訓練しますと、比較的短期間に上左側の軌跡のごとく、非常に効率よく餌をとるように空間認知が完成します。この状態で、大麻主成分の THCを注射しますと、学習したはずの空間認知が乱されて、何度も同じところに行ったり来たりする失敗をして、全部の餌を食べきるのに、上右側の軌跡のように非常に時間が掛かります。これは大麻を乱用する学生にみられる「学習障害」のモデルと考えられております。

2)大麻のヒトに対する影響 ①急性効果

    大麻が心身に及ぼす影響は、「急性効果」と「慢性効果」に分けられます。大麻を吸って現われる急性効果のうち、身体に及ぼす作用はまちまちですが、心拍数の増加、結膜の充血、食欲の亢進などは共通して見られる症状です。

    一方、精神に及ぼす影響ですが、大麻は幻覚剤の一つで、使用すると<トリップ (trip)>といって、感覚・知覚・気分・思考・自我体験などの上で、日常の自分とは異なった主観的体験をするのです。大麻使用時の<セット(set:使用者の心構え、疲労など身体内状況)>と<セッティング(setting:使用を取り巻く環境的状況)>によって大麻の作用は大きく違います。普段の使い慣れた状況においては、陶酔的な快感を伴うgood tripを経験していても、例えばその場に見慣れないヒトがいて心配

図表19.八方向放射状迷路におけるラットの餌取り行動に及ぼすTHCの影響(藤原 2005)餌取り行動に及ぼすTHCの影響(藤原,2005)八方向放射状迷路内の線はラットの移動の

軌跡を示している。

7

軌跡を示して る。上左図:空間認知が完成したラット上右図:THC6mg/kg腹腔内投与の1時間後

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したりしていると、bad tripといって、急激に錯覚・幻覚、不安感・恐怖感を伴う妄想が発現して、異常な興奮・錯乱状態を呈する強い反応が治まらないで、「急性精神病」として、緊急に警察に保護されたり、友人に伴われて精神科病院に受診したりするのです。   

 ②慢性効果    大麻による<慢性の身体障害>としては、煙の刺激による慢性の喉頭炎・気管支炎、精子の減少、月経異常のほか、白血球減少に伴う免疫力の低下などが報告されています。また、男性の大麻乱用者の場合、図表20のように、精子の構造やその運動性に明確な異

常がみられたり、男性ホルモンであるテストステロン含有の低下をみとめることがあります。

    一方、<慢性の精神障害>としては幻視、幻聴や妄想など精神病症状が大麻を使用していない時にも持続して見られる「大麻精神病」が重要です。海外留学中にかなり濃厚に使用した場合には、学業から落ちこぼれて、ほとんど普通の会話も成り立たないような病的状態で帰国する例も見られます。このような場合には、治療によって幻覚や妄想が治まっても、その後に感情の平板化、関心・自発性の減退、思考内容の貧困化などの<無動機症候群(amotivational syndrome)>を長期にわたって呈する「人格変化」が特徴的です。

    図表21は大麻を乱用した患者が治療によって幻覚妄想が治まった時点で書かされた反省文です。高校とデザイン学校を卒業しているのに、漢字が全くみられないです。また簡単な文章しか書けず、「知的障害」を引き起こしているのがよく分かります。今は亡き徳井達司先生のお話では、ある乱用者の親によると、「本当にあれっと思うくらい幼稚で、漢字で全

右下図:大麻常習者より得られた異常(非卵形)および未熟な形の

左上図:タバコ喫煙し,少量のアル

異常(非卵形)および未熟な形の精子

左上図 タ 喫煙し,少量のアルコールも摂取するヒトより得られた正常な形の精子

29図表20.大麻吸煙のヒト精子に及ぼす影響(山本,2005)

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然書かない。仮名ばかり書いてある。まるで小学校1年か2年みたいだ」とか、「複雑な話をしても、込み入ると全然理解できないようだ」という訴えがあったそうです。この症例は親が訴えた例ではないのですが、大分時間が経ってくると、漢字が増えてきたそうです。

8.違法ドラッグ乱用による問題 首都圏では法規制の網を逃れる目的で、バスソルトやお香として販売されている脱法ハーブの喫煙が流行している時期に、平成23年頃から広島では脱法ドラッグとして MDPV(通称メリーさん)の他、規制の網を逃れた脱法新薬が販売・乱用され、一時は取締りが追い付かない状況にあったのです。1 )違法ドラッグ関連精神疾患の症状の概要   広島県・市から精神科救急医療センターとして指定を受けている医療法人せのがわ瀬野川病院においては、既に平成23年10月から違法ドラッグ関連精神障害の入院を認めました。平成24(2012)年1年間になると、合計20名もの入院患者を数えました。その主な特徴を列記しますと、①過去に

図表21.大麻乱用患者(29歳男性,高校・デザイン学校を卒業した人)が書いた反省文(知的障害:漢字がほとんどみられない文章)(知的障害:漢字がほとんどみられない文章)反省文(知的障害:漢字がほとんどみられない文章)(知的障害:漢字がほとんどみられない文章)

徳井達司:大麻精神病~大麻の精神作用とその影響~.依存性薬物情報シリーズNo.9「大麻乱用による健康障害」;pp83-112,(1998),依存性薬物情報研究班(班長 加藤伸勝)編集,京文社印刷 を参照

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大麻や LSD、MDMA、覚せい剤など多剤乱用経験を有している者が多く、8割を占めること、②使用後、比較的短期間に、急性中毒による錯乱状態あるいは激しい興奮状態などのため、110番通報・保護される事例が多いこと、③そのため措置入院の比率が30%と高いこと、④記憶不明確、ないし疎通性不良の者が20例中13例(65.0%)と多いこと、⑤「赤い光線が見える」、「床から手が10本見えた」などの幻視体験、「アダルトビデオの写真が妻である」など人物誤認が多いこと、⑥受診時に被刺激性・易怒性の亢進している者が多いこと、⑦顔面・脳の違和感や激しい頭痛を訴える者が多いこと、⑧横紋筋融解症1名、踵骨骨折2名や上肢・胸部の傷痕などの外傷を有する事例が多いことなど、があげられます。   このように違法ドラッグの乱用者では、乱用の初期段階で依存状態になる以前から激しい精神錯乱状態を呈する事例が多いので、覚せい剤よりも使用者にもたらす影響が強烈であるといえると思います。

2)いわゆる脱法ハーブの有する神経毒性について   マウスの脳は薄い切片にして適当な培養液の中に浸しておくと、神経細胞と神経線維のネットワークを保持した生きたままの状態で、生理学的な実験に使用できるのです。ところが、その培養液の中に脱法ハーブの成分を添加すると、2時間後には右の写真のように神経細胞が破壊されてしまうくらいの激しい細胞毒性を表します(図表22)。   医薬品を開発する場合には、このような強い神経毒性が認められれば、その時点で医薬品としての使用は到底考えられないのですが、密売組織は安全性を全く無視し、類似の幻覚作用のあるこのような違法ドラッグを浴用剤やお香などとして平気で販売しているのです。

図表22.脱法ハーブの神経毒性

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9.覚せい剤が心身に及ぼす影響1)覚せい剤急性中毒による脳内出血死   覚せい剤(メタンフェタミン)には、交感神経系の刺激作用があるため、急性効果として、瞳孔散大、心拍数の増加、末梢血管の収縮、四肢冷感、血圧上昇、立毛感などを来たします。図表23はもともと脳内に動静脈瘤などを有していた者が覚せい剤を使用した結果、血圧が急劇に上昇したため動静脈瘤が破裂して、その結果死亡した事例の脳前頭断面の写真です。

2 )覚せい剤依存症の周期的使用でみられる三相構造(図表24)   覚せい剤に依存した状態では、第1相の「連用の時期」、第2相の「つぶれの時期」、第3相の「薬物渇望期」という三相構造が認められるようになります。第1相の「連用の時期」には2、3日間、覚せい剤を連用します。その間、覚せい剤のもつ強力な作用のため、殆ど眠らないし、食べません。最初のうちは目立たないのですが、覚せい剤を打った直後には、「常同行動」といって、つまらないことに熱中することが見られます。鼻歌交じりであてもなく街中をドライブしたり、掃除をしたり、パチンコなどのゲームに熱中したりします。3、4時間して、作用が切れてくると周囲のなんでもない物音などに気を回して疑い深くなるのです。でも、

覚せい剤依存症の周期的使用で見られる三相構造

図表24.覚せい剤依存症の周期的使用で見られる三相構造覚せい剤依存症の周期的使用で見られる三相構造

特徴的状態

見られる三相構造

*不眠,食欲減退*不眠,食欲減退*薬効時の常同行動(ドライブ,掃除,*薬効時の常同行動(ドライブ,掃除,ニキビつぶし,パチンコなどのゲーム,電ニキビつぶし,パチンコなどのゲーム,電キビつぶし,パチンコなどのゲ ム,電キビつぶし,パチンコなどのゲ ム,電気製品の分解などへの熱中,さらに盗聴気製品の分解などへの熱中,さらに盗聴器・隠しカメラなど疑った事への詮索熱中,器・隠しカメラなど疑った事への詮索熱中,

嫉妬妄想に基づく強迫的折檻)嫉妬妄想に基づく強迫的折檻)嫉妬妄想に基 く強迫的折檻)嫉妬妄想に基 く強迫的折檻)*薬効消退時の猜疑的・易怒的状態*薬効消退時の猜疑的・易怒的状態

*脱力・倦怠感,無気力,無為*脱力・倦怠感,無気力,無為*長時間の睡眠*長時間の睡眠*長時間の睡眠*長時間の睡眠*意欲減退状態*意欲減退状態

*食欲亢進,薬物探索行動*食欲亢進,薬物探索行動薬物渇望に基づく焦燥的 易怒的薬物渇望に基づく焦燥的 易怒的*薬物渇望に基づく焦燥的・易怒的*薬物渇望に基づく焦燥的・易怒的状態状態

◎◎薬効時の常同行動は覚せい剤精神病の前駆状態

図表23.覚せい剤急性中毒による脳内出血死

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覚せい剤を入れれば、ケロリとして、「常同行動」に熱中します。   このような「常同行動」が発現すると、幻覚・妄想状態も直に発現してしまうのです。自分の行動が監視されていると言って隠しカメラを探したり、盗聴されていると言っては電波探知機で盗聴器を探そうとしたり、付き合っている女性が浮気をしていると言って、常同行動によるものすごく酷い折檻をしたりするようになるのです。ですから、薬効時にこのような「常同行動」が認められるようになったときには、<覚せい剤精神病の前駆状態>とみなすことができます。

3)急性覚せい剤精神病にみられる幻覚妄想状態の例~包囲襲来状況~   これから示す一連の写真(図表25、26)は、患者の保護に立ち会ったお巡りさんから状況説明のために提供されたものです。   5月の連休前にたまたま、まとまった量の覚せい剤を手に入れて、日に5回以上強迫的に覚せい剤を注射して、その結果、≪包囲襲来状況≫というのですが、切迫した幻覚妄想状態になって、警察官数人によって保護されて入院してきたのです。≪借金が溜まっているので、暴

力団が自分に多額の保険金を掛

けて、殺し屋を頼んで大勢で家

の周囲を取囲んで、ザワザワし

ている≫という非常に切迫した

幻覚妄想状態です。自分がトイレの方に行こうとすると、軒先から「今そっ

(写真1) (写真2)

図表25.覚せい剤精神病の幻覚・妄想状態(暴力団が自分に多額の保険金を掛けて,大勢で自分を殺しに来ている)(暴力団が自分に多額の保険金を掛けて,大勢で自分を殺しに来ている)

(写真3)

図表26.覚せい剤精神病の幻覚・妄想状態(包囲襲来状況)(包囲襲来状況)

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ちに行くぞ。隠れろ」という互いに連絡・相談しあう声がありありと聴こえるので、軒先にまで相手が隠れていると思い込んで、「やられる前にやってやる」と、軒先を鉄パイプでつついて穴を開けています。ちょうどその当時、雨戸の戸袋の中にスズメが巣をつくってチュンチュン騒々しかったのですが、そのスズメのチュンチュンいう鳴き声からも、自分を殺しに来ている連中の話し合いの声を幻聴として聴き取っていたのです。   室内を見ると、ちょうど雨戸の戸袋の辺りに、つるはしが突き立っております(図表26)。「やられる前にやってしまえ」というわけです。うまい具合に警察官に早めに保護されたから良かったのですが、このような包囲襲来状況に陥っているときに、偶然に新聞の集金人でもきたら、その人間までもが自分を殺しに来た暴力団員と思い込んで、傷つけていたかも知れないのです。

4)覚せい剤精神病の発病と再燃の経過の模式図(図表27)   図表27は覚せい剤による幻覚・妄想などの病的症状の発現と再燃の様子を表した模式図です。覚せい剤精神病は発病後、早期に治療すれば比較的容易に治るのですが、すぐ治療に結びつかないで長期間放置されてしまうと、幻覚などが慢性化・固定化してしまい、完全に治すのは非常に困難となります。また、早期に治療して治った場合でも、図表27に示すように、覚せい剤の反復使用による脳内の変化は持続しており、症状再燃の準備性は長期に保持されるものなのです。これを「逆耐性現象」といいます。   覚せい剤精神病の幻覚・妄想などの病的症状は、普通、最初発現するまでには、覚せい剤を最低でも2、3ヵ月間、周期的に打ち続けないと出ない

図表27.覚せい剤精神病の発病と再燃の経過の模式図

36覚せい剤精神病は再燃の度に発現しやすくなり、治まりにくくなる

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のですが、一度発現してしまうと、その後は再燃の度に発現しやすくなり、治まりにくくなるのです。良くあるのは、「退院祝いだ。一回くらいなら大丈夫だろう」と誘われて仲間と1、2回打っただけで、入院前と同じように激しい幻覚妄想が再燃してしまい、再入院してくるのです。繰り返しているうちに、覚せい剤を使わなくても、大酒を飲んだとか、極度の疲労などが原因で、症状が再燃します。そのうち<心理的なストレス>が負荷されただけでも、≪フラッシュバック現象≫と言って、同様の激しい症状が再燃してしまうことも見られるのです。

10.静脈注射による薬物乱用者にみられる HIV 感染(図表28) 静脈注射による薬物乱用が HIV感染のハイリスク・ファクターであることは、よく知られています(図表28)。 わが国においては、報告された AIDS患者のうち静脈注射による薬物乱用によるものが0.4%(61人/13,704人中)、HIV感染者のうち静脈薬物乱用によるものが0.7%(47人/6,272人)であり、静脈注射による薬物乱用が感染原因になっているものの割合は比較的低いです。しかし、静脈注射による使用が主体である覚せい剤患者においては、HBs抗体陽性者および HCV抗体陽性者がそれぞれ26.8%、68.3%という高率に認められることが報告されております。従って、一旦覚せい剤依存者の中に HIV感染者が出ると、その個人を源にして HIV感染が急速に彼等の中に伝染して広がる危険性があるので、今後も注意深くその動向を見守っていく必要があります。

図表28.感染経路別HIV感染者・AIDS患者数(2011年末現在)

男 女 男 女異性間の性的接触 2,261 629 361 797 4,048同性間の性的接触 1 6 986 3 405 1 7 395

診断区分 感染経路 計外国国籍日本国籍

同性間の性的接触*1 6,986 3 405 1 7,395静注薬物使用 31 2 25 3 61母子感染 14 9 5 8 36その他*2 228 37 48 25 338

HIVその他*2 228 37 48 25 338不明 849 97 351 529 1,826HIV合計 10,369 777 1,195 1,363 13,704異性間の性的接触 1,716 202 263 203 2,384異性間の性的接触 1,716 202 263 203 2,384同性間の性的接触*1 2,072 3 119 2 2,196静注薬物使用 20 3 23 1 47母子感染 9 3 1 4 17AIDSその他*2 143 20 23 13 199不明 892 75 323 139 1,429AIDS合計*3 4,852 306 752 362 6,272

1 421 18 1 439凝固因子製剤による感染者*4 1,421 18 - - 1,439*1 両性間性的接触を含む。*2 輸血などに伴う感染例や推定される感染経路が複数ある例を含む。*3 平成11年3月31日までの病状変化に伴うエイズ患者報告数154件を含む

凝固因子製剤による感染者*4

37

*3 平成11年3月31日までの病状変化に伴うエイズ患者報告数154件を含む。*4「血液凝固異常症全国調査」による2011年5月31日現在の凝固因子製剤による感染者数(資料)厚生労働省エイズ動向委員会「エイズ発生動向報告」

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 薬物乱用によってもたらされる弊害は乱用の当事者の<個人レベルの問題>と<社会的レベルの問題>に分けられます。

 図表2は薬物事犯検挙人員の年次別推移を示した図です。上段の「覚せい剤取締法」と「毒物及び劇物取締法」の検挙者が、下段の「麻薬及び向精神薬取締法」・「あへん法」・「大麻取締法」の検挙者数に比較して10倍多いので、上下2つのグラフで表しております。

解 説

図表1.薬物乱用の弊害

薬物の乱用薬物の乱用A. 急性中毒 a. 急性中毒死

b 交通事故

個人

薬物の乱用薬物の乱用 b. 交通事故c. 反社会的行動

人のレベル

B. 薬物依存 a. 薬物探索行動b. 耐性の上昇c. 連続的使用d 離脱症候群

F. 後遺症a. 性格変化b. 人格形成不全

バ ク 象ル d. 離脱症候群C. 慢性中毒による身体の障害D. 慢性中毒による精神の障害E. 社会生活上の問題(怠学・怠業,

離婚 借金 事故 事件など)

c. フラッシュバック現象d. 痴呆

社G. 社会的影響 3. 社会経済的損失

H. 次の世代への影響a. 家庭内暴力b. 親の養育放棄

離婚,借金,事故,事件など)

社会的レベル

G. 社会的影響 3. 社会経済的損失1. 薬物関連犯罪 a. 生産性の低下a. 取引をめぐるもの b. 労働力の減少b. 入手目的によるもの c. 犯罪被害の拡大c. 薬理作用によるもの d. 乱用者の更生等の

c. 子供の薬物乱用d. 生下時禁断症状e. 先天奇形f. アダルト・チルドレン

ルc. 薬理作用によるもの d. 乱用者の更生等の

2. 社会治安の悪化 社会福祉費用の増大

医療法人せのがわ KONUMA記念広島薬物依存研究所

薬物乱用の弊害Ⅰ (図表1)

わが国における最近の薬物乱用の概況Ⅱ (図表2)

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 ≪第一次覚せい剤乱用期≫の昭和29(1954)年には「覚せい剤取締法」によって約5万5千人が検挙されていますが、一人が検挙されると、その周辺に検挙されていない10人近い乱用仲間がいると考えてよいと思われます。 ここで、わが国における最近の薬物乱用状況について見てみましょう。 従来、わが国においては、大麻は覚せい剤と並んでハードドラッグの位置にあったと思われます。上段のピンク色の矩形で表示してある「毒物および劇物取締法」の検挙者数がみるみる減少していって、2004年から下段のグラフにも表示してありますが、平成18(2006)年になると、大麻事犯検挙者数が毒劇法事犯検挙者数を初めて上回ったのです。従って2006年は大麻がタバコ・アルコールに次いで≪第3の入門薬≫になる契機となった年と思われます。というのは、大麻はシンナー・覚せい剤と異なって、その依存性・精神毒性が比較的弱い分、大麻乱用者の中には、学業・仕事についている者も多く、大麻の信奉者として、周囲の人間に大麻使用を勧めていくことにより、今後わが国でも大麻優位の≪欧米型の薬物乱用状況≫が浸透していくものと思わ

60,000

図表2.薬物事犯検挙人員の年次別推移第1次乱用期 第2次覚せい剤乱用期 第3次覚せい剤乱用期

30 000

40,000

50,000

60,000

覚取法:12,083人有機溶剤の乱用

厚生省麻薬課併任・厚生科学研究

10,000

20,000

30,000

0

1951

1952

1953

1954

1955

1956

1957

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1980

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1999

2000

2001

2002

2003

2004

2005

2006

2007

2008

2009

2010

2011

覚取法 毒劇法 *向精神薬乱用

4,000

5,000

覚取法 毒劇法 *向精神薬乱用*脱法ドラッグ乱用

毒劇法:2,398人

2,000

3,000

4,000大麻法:2,423人ヘロイン乱用

0

1,000

1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1

40

195

195

195

195

195

195

195

195

195

196

196

196

196

196

196

196

196

196

196

197

197

197

197

197

197

197

197

197

197

198

198

198

198

198

198

198

198

198

198

199

199

199

199

199

199

199

199

199

199

200

200

200

200

200

200

200

200

200

200

201

201

麻向法 あへん法 大麻法 毒劇法4040

MDMA乱用40

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れていたからです。 ところが一昨年から、過去に大麻を中心とする LSD・コカイン・MDMAなど多剤乱用傾向のある人たちが主体ですが、所持・使用しても逮捕されない≪いわゆる脱法ドラッグ(違法ドラッグ)≫の大流行が見られたのです。なお、しばらくは違法ドラッグの流行は後を引くと思われますが、筆者は平成24年末に実施された≪包括指定による規制の強化≫が浸透していって、将来的にはやはり、大麻乱用が復活していくだろうと予想しております。現在は、別にもう一つ、医療機関で処方される睡眠薬・安定剤などの≪向精神薬の乱用・依存≫が大きな問題になると考えられます。

1.薬物依存の形成過程(図表3) 薬物を初めて使用して、なんの効果もなかったり、かえって激しい頭痛などの苦痛を伴う副作用を強く経験すると、普通はその薬物をさらに使用したいとは思わないものです。ところが、薬物を使用して、身体の芯からうずくような「快体験」や、これまで感じたこともない満足感をもたらしたり(正の強化効果)、これまで悩みに思っていた不安や苦痛からすっと解放してくれたり(負の強化効果)、あるいは現実世界からトリップして、幻覚の世界へと精神を展開させてくれるというような経験を持つと、ヒトはその薬物をまた

図表3.薬物依存の形成過程

薬物依存への理解を一層深めるためにⅢ

薬物依存の形成過程(2)

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経験したいと思い、薬物を求める(薬物探索行動)ことになります。このように、薬物の乱用者は薬物がもたらす<正の強化効果>や<負の強化効果>を求めて、薬物の使用を繰り返すことになります。薬物依存の形成に関する基本的概念を示したのが図表3です。 薬物を反復使用していると、その効果が徐々に減弱し、初期の効果を期待するためには、1回の使用量や使用回数を増やす必要があります。この現象を<耐性>といいます。後に述べる「身体依存」には必ず耐性を伴いますが、耐性を生ずる薬物がすべて依存を形成するとは限りません。依存の第一段階は<精神依存>とよばれる内側のサイクルから始まります。依存は悪循環で、連用するにつれて薬物に対する欲求(渇望感)は激しくなり、<強迫的な使用>へと拍車がかけられていくのです。薬物の種類や条件によっては精神依存のサイクルに留まりますが、中枢神経系に対して抑制的な作用を有する薬物では、さらに<身体依存>の悪循環に入ることがあります。この場合、連用中の薬物を中断すると、連用していた薬物に特有な<禁断症状>とよばれる身体的・精神的な異常症状が出現します。この禁断症状は連用していた薬物、あるいはそれと類似の作用を有する薬物を使用するとピタリとおさまるので、薬物依存者は禁断症状がもたらす苦痛を回避しようとして、更に薬物の使用を続けるため、自力で薬物の使用を断ち切り、薬物依存から脱却することはなかなか困難となります。禁断症状と同様の症状は薬物を完全に禁断しなくても、薬物の血中濃度が急速に減少した時にもみられるので、<離脱症状>あるいは<退薬症状>とも呼ばれます。 薬物依存とは、このように<薬物の使用とその効果追求に対して過剰に動機づけられた状態>といえます。薬物依存の状態においては、自らの健康はもとより、家庭生活、職業生活などは放置され、薬物を使用することだけが≪生活の中心事≫となることも、しばしば見られるのです。

2.薬物依存の生物学的理解 中枢神経系は機能的に上位の方から、<大脳皮質系>、<大脳辺縁系>、<脳幹-脊髄系>の3層に区分されます。大脳皮質系は新皮質、大脳基底核、

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視床からなり、「うまく」、「よく」生きるように、適応行動や創造活動を司っています。大脳辺縁系は海馬、扁桃核、視床下部などからなり、「たくましく」生きるように、本能行動や情動行動を司っています。また、脳幹-脊髄系は脳幹、脊髄からなり、「生きている姿」をささえる呼吸、睡眠、排尿、排便などの反射、調節を司っています。 さて、「摂食行動」や「性行動」などの<本能行動>は、動物にとってその自己保存や種族保存に重要です。ところが、食物を摂取している場面、性の伴侶を得て雄が雌にマウントしている場面は、スキがあって外敵に襲われる危険が強いものであり、動物は本来、このような危険には、身をさらさないのが常なのです。ところが、本能行動が発現するために、身体には次のような仕組みが備わっているのです。すなわち、例えば血糖値が低下し、木の実が落ちる秋になると、森のリスの運動量は急激に増加します。動き回っているうちに、落ちているドングリに巡り合い、摂食行動が発現します。体内の性ホルモン量が高まり、性の伴侶が目の前に現われれば、他の雄と格闘してでも手に入れて、交尾が成立するのです。自然界ではこのようにして汗水流して本能行動が完了すると、<大脳辺縁系にある報酬系>が刺激され、非常な快感を伴うのです。一度、本能行動に伴う「快感」を味わうと、次には多少の危険を冒してでも、一層容易に本能行動の衝動が引き起こされ、次々と、この回路は強化されていくのです。 このように本能行動の発現を引き出す快感をもたらす身体内の仕組みは、薬物乱用においても働くのです。汗水を流す努力もなく、覚せい剤やコカインを静脈内に注射すると、同じ報酬系によって、非常に短絡的に同様の快感がもたらされます。依存形成物質はこの報酬糸に対して、直接ないし間接的に作用するため、安直に快感をもたらすためにはまり込んでいき、薬物依存の状態が成立していくと考えればよいと思われます。

3.薬物への“とらわれ”の心理的解釈(図表4) 普通の大人の人間関係は「私」と「あなた」という1対1の二者関係であり、これを合わせて「2.0の関係」としますと、その特徴は<一方が王様で、他方

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が奴隷>というような関係ではなく、相互に依存する関係であって、主に言葉によってコミュニケーションを図っているのです。 ところが、ここに女の子がいて、母親の留守に「○○ちゃん、お腹すいたでしょう、すぐママがご飯を作ってあげるからね」とお人形ごっこをしている女の子と人形の関係を見てみましょう。あるいは、ファミコンゲームに凝っている中学生とファミコンとの関係を見てみましょう。「人形」や「ファミコン」は本来、人格ゼロの品物であるけれども、淋しさを紛らしてくれる<0.5くらいの対象>にはなっていると考えられます。「私」の1と、この対象の0.5を合わせて「1.5

の関係」とします。この「1.5の関係」は「2.0の関係」と比較して、以下の特徴をもっております。すなわち、①「私」を中心とした一方向の関係であること、②常に、変わらない効果を与えてくれること、③人間的な配慮が一切不要であること、の3点です。「1.5の関係」に人間的な配慮がいらないのは、母親が帰ってくれば、女の子は今まで熱中していたお人形を放り出して、「お母さん、おみやげ」と母親にすがりつくことや、中学生がファミコンゲームに熱中していても、飽きてしまえばスイッチを切ってしまうことで、理解できるでしょう。 「1.5の関係」は言うなれば、依存的関係であり、「私」はスーパーマンになった気分となり、「全能感」や<自己愛の充足>を感じるため、このような関係には夢中となって、はまり込んでいきます。夏休み期間中、夜間寝ないでファミコンゲームに凝っていた中学生が夏休みが終わっても、朝起きられず、学校をサボってファミコンゲームをやりだすと、これは単なる遊びではなく、「ファミコン狂」となっているのです。「遊び」というのは「遊び」と「現実の生活」との切り返しが可能な場合に言えるのです。 「1.5の関係」において、「0.5の対象」のところに「シンナー等の薬物」を

図表4.薬物への “とらわれ”の心理学的解釈

1. 人間関係(2.0の関係)「私」と「あなた」 1対1の二者関係「私」と「あなた」,1対1の二者関係相互性(Mutuality),言葉によるコミュニケーション

2. 1.5の関係(依存的関係):全能感,自己愛の充足

「人形」

「私」 「ファミコン」(スーパーマン)

「薬物」(0.5の関係)

① 一方向性,自己中心性② 安定性,恒常性,決して裏切られない効果③ 人間的な配慮が不要

「遊び」と「現実の生活」 ⇒ ⇒ 「○○狂」へと変化

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当てはめてみると、薬物依存者と薬物との関係がよく理解出来ると思います。最初は「シンナー遊び」であったものが、「シンナー狂」、すなわちシンナー依存者になってしまう。乱用者、依存者にとって、薬物は「0.5の対象」であり、面倒な人間的配慮なしに、自分が求める時に薬物を体内に入れさえすれば、非常に安直に自分の求める効果が期待通りに得られる。孤独感から解放され、心が慰められ、自分本位の時間を過ごすことが可能となるのです。薬物依存の状態では、この一時的な「遊び」の世界に没頭してしまい、現実の世界に立ち戻るための<セルフ・コントロールの能力>が衰えてしまっていると考えられます。 薬物依存の生活を続けていると、何かやろうとする意欲がそがれたり、自分の思い通りにならないと直ぐにイライラしたり怒りっぽくなったりと、<性格変化>が出てまいります。薬物乱用が小学生時代から始まると、時には<人格形成不全>と言う状態になってしまいます。このような状態では、普通の人間関係が取れなくなり、孤独に悩み、一層薬物依存症からの回復が難しい状態になるのです。

 青年期には、人生上の2つの「人格発達課題」をこなす必要があります。健康な大人になるためには、①<社会化>:社会の成員としての行動様式、規範を習得する過程と、②<個性化>:自己同一性を確立し、自己実現する過程をこなす必要があります。「個性豊かに」といっても、大麻などを平気で所持・使用するなど法律を無視しては、健康な大人にはなれないのです。先ず、社会のルールを遵守して、その中で個性を発揮する必要があるのです。青年

青年期の精神構造と問題行動青年期の精神構造と問題行動健康な大人

図表5.青年期の精神構造と問題行動

青年期の人格発達課題

健康な大人問題行動

① 父性(切る機能):社会化(社会の成員としての行動様式、規範を習得する)を促進

② 母性(受容する機能):個性化(自己同一性を確立し 自己実現する)を促進

青年期の人格発達課題

② 母性(受容する機能):個性化(自己同 性を確立し、自己実現する)を促進

自我収縮的 反社会的行動自我拡張的非社会的行動 葛藤状態

喫煙 飲酒

怠学、非行、

校内暴力、薬物

乱用 家出時的な

不登校、摂食障害、

怠学、家庭内暴力、

家出 自殺 薬物

一次的、二次的

欲求(食欲 性的

冒険 冒険

など

 喫煙・飲酒の

  試行

の乱用、家出、一時的な

疾病逃避・さぼり

家出、自殺、薬物

の乱用、精神障害

など

欲求・集団欲など)

欲求(食欲・性的

性的逸脱行為

45

など

超自我コントロールが緩み、自我理想コントロールが強まる青年期

など

薬物の乱用・依存が何故に若者の問題であるのか?Ⅳ (図表5)

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期はこのような人生上の課題と、<内から生ずる本能的欲求>との狭間で葛藤状態におかれている≪人生上の疾風怒濤の時期≫であり、心理的に不安定な存在なのです。 幼児期には親の言うことを聞いていたのですが、青年期は自我が芽生え、親や社会が「ダメ、危険だから」と禁止していることにも、自分で試してみなくては、なかなか納得できない冒険心に富む年代です。そういう中から色々な発明や発見もなされるのです。青年期の冒険には、一時的な疾病逃避、さぼりといった<自我収縮的冒険>もあれば、喫煙、飲酒など<自我拡張的冒険>もあります。これらの冒険が進行して病理的な段階では、非社会的あるいは反社会的行動として、何らかの治療的対応が必要となります。種々の薬物乱用は<自我収縮的な非社会的行動>としても、<自我拡張的な反社会的行動>としても、見られるものです。社会では、非社会的行動には比較的同情をもって対応することが一般的ですが、普段多くの若者と接している筆者からすれば、反社会的行動にも同じく、もっと愛情をもって対応して欲しいものです。

 現在、わが国では覚せい剤や大麻、違法ドラッグの乱用が、厳しい取締りや処罰の強化に対しても、抵抗性を示し長期化する傾向がうかがわれます。その理由としては、これらの薬物の入手可能性が高いことも一因ですが、やはり「都市化現象」など、<現代社会の持つ病理性>が大きな背景になっていると思われます。 わが国においては、1960年代の高度経済成長の影響による、生活水準の向上、都市化現象など、社会の構造的変化が指摘されております。特に、次代を担う青少年の成育・生活環境においては、図表6に示すように大きな変化がもたらされているのです。これらの変化が青少年に≪生きづらさ≫をもたらしていると思われます。 これまでの二世代にわたる≪暖衣飽食の時代≫の後に襲ってきた不景気に

薬物乱用予備軍を育む現代社会~青少年を取り巻く生活環境の変化~Ⅴ

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よって、わが国は社会構造の大転換が進行してきました。国内総生産が伸び悩み、1991年バブルの崩壊後、産業構造の著しい変化を受けて、驚異的に低かったわが国の完全失業率が1995年以後3.0%を超え、急増してまいります。企業は生き残りを賭けて安価な労働力を求めて海外に生産拠点を移しております。そのため、男性であっても、正規雇用が困難な時代に突入し、非正規雇用率が40%近くなろうとしております。従来、若者に安心感を与えていた「仕事」と「家庭」が入手の困難な状況にあるのです。未曾有の超高齢化社会の進展と共に、若者にとっての≪生きづらさ≫は青少年を薬物の乱用や非行へと結び付ける温床になっていると思われます。 オーストリアの精神病理学者であるフォン・ゲープザッテル先生は『薬物の乱用・依存は「からだの痛み」、「こころの痛み」に堪えず、生きている実感を得るために示す自己確認・自己治療の努力がその契機となっている。』と述べておりますが、非常に当を得た表現と思われます。

 この項は(財)日本学校保健会発行の「薬物乱用防止教室マニュアル」を引用します。1.薬物乱用に関わる要因(図表7) 喫煙、飲酒、薬物乱用などの危険行動にかかわる要因は三つのカテゴリーに整理できます。<第一のカテゴリー(先行因子)>は、行動の動機付けにかかわる要因であり、本人の知識、態度、信念、価値観などが含まれます。<第二のカテゴリー(促進因子)>は、動機を実際の行動へと結びつける要因であり、具体的には友人からの薬物のすすめを拒否できる態度、CMなどの勧誘

図表6.青少年を取り巻く生活環境の変化

A 社会・経済状況の変化

所得水準の向上 産業構造の変化 都市化・所得水準の向上 ・産業構造の変化 ・都市化

・高学歴化 ・情報化 ・国際化

B 家庭の変化

・父親の物理的 心理的不在

C 学校現場の変化

・偏差値重視・父親の物理的,心理的不在

・女性の社会進出

・核家族化・少子化

・偏差値重視

・校則の強化による管理的体制

・仲間によるしかと・いじめ核家族化 少子化

・過保護,過剰干渉

・生活共同性の低下

仲間によるしかと いじめ

D地域社会の変化生活共同性の低下

・養育・教育機能の低下

早すぎる社会参加早すぎる社会参加(3歳から受験勉強)

・自然環境からの隔離

・子供の遊び場の減少早すぎる社会参加早すぎる社会参加(3歳から受験勉強)

「群れ遊ぶ」仲間・時間・空間の縮小「群れ遊ぶ」仲間・時間・空間の縮小・社会的連帯感の希薄化

薬物乱用防止を目的とした健康教育Ⅵ (図表7)

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のテクニックを分析する力、コミュニケーションや意志決定能力、ストレス対処などに関する方法の習得、セルフエスティーム(健全な自尊心)を維持する力などのライフスキルが含まれます。 ライフスキルとは中央教育審議会が用いた「生きる力」に近い概念です。<第三のカテゴリー(強化因子)>は、行動の継続にかかわる要因であり、保護者、友人、教師など周囲の人々の態度や行動、あるいは地域や社会全体の許容度、雰囲気などが含まれます。<薬物乱用などの危険行動>は、これら三つのカテゴリーの要因の全ての影響を受けています。従って、薬物乱用防止に関する指導においては、児童生徒に薬物乱用の危険についての正しい知識を与えるとともに、これらの要因への具体的な対応が必要となります.薬物乱用防止教育において<ライフスキルの指導>が重視され、家庭・地域社会との連携が不可欠と考えられるようになったのはこのためです。

2.薬物乱用防止に関するライフスキルを基盤とした指導方法 ライフスキルを基盤とした健康教育の手法は、薬物乱用防止に関する指導において有効な方法のひとつです。ライススキルを基盤とした健康教育では、児童生徒参加型の指導が重要であり、指導者はフィールドワーク、ブレインストーミング、デイベート、ケーススタディ、ロールプレイングなどを用いた指導方法を熟知している必要があります。 薬物乱用防止教室においてライフスキルを基盤とした健康教育手法を導入する場合、ライフスキル教育を熟知した外部から招く専門家による指導やその手法に関する研修を受けた教師と外部から招く専門家とのチーム・ティーチングによる指導形態等が考えられます。具体的な方法に関しては、㈶日本学校保健会発行の「薬物乱用防止教室マニュアル」を参考にして下さい。

図表7.青少年の薬物乱用行動に関わる要因

1. 動機付けにかかわる因子(先行因子)

*知識 *態度 *信念 *価値観

2. 動機を行動へと結びつける因子(促進因子)

*友人からの薬物のすすめなどに対する具体的対処スキルイメ ジを利用 た巧妙な「危険かく 健康問題

薬物乱用健康教育

*イメージを利用した巧妙な「危険かくし」のテクニックを分析するスキル

*セルフエスティーム維持、コミュニケー

健康問題の防止・解決

薬物乱用等の危険行動をさける育

ション、意思決定、ストレスマネジメントなどのライフスキル

3. 行動の継続にかかわる要因(強化因子)

*友人の行動や態度 *教師の行動や態度*保護者の行動や態度 *地域社会全体の雰囲気

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おわりに

 わが国の薬物乱用・依存の状況は欧米諸国と比較してみると、

<第一次予防(薬物の乱用・依存の防止)>に関しては、現在まで

のところ、比較的首尾よく展開しているのですが、<第二次予防

(早期発見・早期治療による重症化防止)>と<第三次予防(治療

後の再発防止)>のレベルでの対策は非常に立ち遅れております。

 今後は一般市民の薬物乱用・依存に関する無理解・偏見・差別

を打破して、薬物乱用者・依存者に対しては、<罪を憎んでヒト

を憎まず>の精神で、<社会的排除>から<社会的包摂>への流

れを強力に支援・推進していくことが是非必要であると思われま

す。そのためにも、この冊子が皆様の<薬物乱用・依存に関する

問題>の理解を深め、ひいては少しでも薬物乱用者・依存者や家

族の置かれている立場と彼らの抱えている困難に対する理解を深

め、薬物乱用者・依存者に対する<社会的包摂>が実現すること

を祈念してやみません。

平成25年9月

医療法人せのがわ KONUMA 記念広島薬物依存研究所所長 小 沼 杏 坪

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謝 辞

 小沼杏坪先生、「知っておきたい薬物の乱用・依存に関する

基礎知識~正しい知識を身につけよう !」をご執筆いただき大

変ありがとうございました。近年増加している薬物依存の問題

を、その成り立ちから昨今の状況、健康に及ぼす影響や弊害を

分かりやすく解説していただき、家庭や教育現場にて利用でき

る冊子として完成しました。図表や写真も多く、大変なご苦労

があったであろうと拝察いたします。広報委員会一同、心より

厚くお礼申し上げますとともに、県民の皆さまに救急小冊子を

ご活用いただきまして、健康増進に役立てていただけるように

願っております。

広島県医師会広報委員会一同

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発行日:執 筆:

編集者:

発行人:印 刷:

平成25年9月9日医療法人せのがわ KONUMA 記念広島薬物依存研究所                     所長 小沼 杏坪生田 隆穂、豊田 紳敬、小園 亮次、佐々木龍司、豊田 章宏中尾三和子、奈良井章人、林谷 道子、檜山 桂子、茗荷 浩志吉田 良順、小笠原英敬、水野 正晴、岩崎 泰政広島県医師会レタープレス株式会社〒739-1752 広島市安佐北区上深川町809番地の5TEL:(082)844-7500

知っておきたい薬物の乱用・依存に関する基礎知識正しい知識を身につけよう!

(非売品)

・P7 図表6 和田 清著「依存性薬物と乱用・依存・中毒」(星和書店, 2000)の3頁                     〈図1 乱用・依存・中毒の関係〉 和田 清:医療モデルの違いとしての精神作用物質依存症治療. 精神科治療学                         19 (11): 1281-1287, 2004・P8 図表7 Kann L., KolbeLJ, Collons JL, eds. Measuring the health behavior of adolescents:  The Youth Risk Behavior Surveillance System. Public Health Rep. 19933 108 (Suppl1) より、勝野訳・P9 図表8 L.D.Johnston et al. Monitoring the Future National Results on Drug Use 2012   Overview より勝野作図・P10 図表9 広島県医師会発行「禁煙指導アトラス2003」・P14 図表14、P22 図表23 日本教育新聞社発行「依存性薬物シリーズ3 Don’t Do! Drugs」・P14 図表15、P28 図表3、P31 図表4、P32 図表5 財団法人 麻薬・覚せい剤乱用防止センター発行「薬物乱用防止教育指導者読本」・P16 図表17 Stimmel B.“HEROIN DEPENDENCY, MEDICAL, ECONOMIC AND SOCIAL ASPECTS” Stratton Intercontinental Medical Book Corporation, New York, 1975 ISBN 0-913258-20-2・P19 図表20 薬事日報社発行「健康とくすりシリーズ マリファナは怖い ~乱用薬物~」・P20 図表21 徳井達司:大麻精神病~大麻の精神作用とその影響~.       依存性薬物情報シリーズNo.9「大麻乱用による健康障害」; pp83-112, (1998),      依存性薬物情報研究班(班長 加藤伸勝)編集, 京文社印刷を参照

〈引用資料〉