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独裁とはなにか -現代における使用法とその課題- 防衛大学校紀要(社会科学分冊) 113輯(28.9)別刷

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独裁とはなにか

-現代における使用法とその課題-

大 澤  傑

防衛大学校紀要(社会科学分冊) 第113輯(28.9)別刷

-137-

独裁とはなにか

―現代における使用法とその課題―

大澤 傑

はじめに

 

 独裁という言葉は、日々生活している社会の中にも根付いている。しかしな

がら、フランツ・ノイマンが言うように独裁に関する体系的な研究はなされて

おらず 1、どのような基準で独裁を判断するかは論者によって異なるという状

態が現代にまで続いている。このように一般化されていない言葉は時間ととも

に形を変え、新たな意味を持つことがよくある。その結果、同じ言葉でもいく

つかの意味を包含するようになり、その共通理解が図られないまま行われる議

論は堂々巡りに陥る。独裁という言葉もまさにこのような状況に置かれている

といえよう。例えば、日本においてもしばしば独裁政権や独裁者という言葉が

政権や支配者に対して民主主義への冒涜性を強調するために使用される 2。こ

の背景には、使用者にとって独裁=悪玉という感覚が根付いているからだとい

えよう。高畠によれば、日本において独裁が最悪の政治体制と認識されるのは、

独裁を封建社会や古代国家での専制政治や、天皇制のような神権政治などと明

確に区別して用いる習慣がないため、日本語における「デモクラシー」が、下

剋上という出世民主主義や、言いたい放題の圧力民主主義の慣習と結びつき、

統治の原理として深められていないためであるという 3。つまり、議論が深ま

らないまま教義化された「デモクラシー」の対立軸として独裁という言葉が利

用されているのである。しかしながら、そもそも民主的に選出された支配者が

-138-

決定する事項は、代議制民主主義の手続きに準じており民主主義の理念から逸

脱するものではないはずである。それゆえ、民主主義と独裁を二項対立で考え

ることは正しいのだろうか。

 以上のような課題と疑問から、本稿では「独裁とは何か」という初歩的な問

いに答えることを目指し、現代における独裁という言葉の使用法と特徴を政治

学の視点から明らかにする。そして、それらがどのような課題を抱えているの

かについて、先行研究を体系的にレヴューすることを通して示唆する。その手

順は以下の通りである。第一に、独裁という概念について先行研究を紐解きな

がら、本来はどのような意味を持ち、どのように理解が深められてきたのかを

分析する。権力の状況概念として支配の形態を示す独裁は、政治学において制

度的概念に置き換えられ、「独裁体制」として政治体制論における一形態とし

て語られることが多い。政治体制とは、政治権力が社会内で広範な服従を確保

し、安定した支配を持続するときそれを形作る制度や政治組織の総体のことで

あり、制度や文化等を包含した用語である 4。それゆえ、ここでは独裁という

概念の先行研究と、政治体制論における独裁体制に関する先行研究を整理する

ことで独裁の特徴を掴む。

 第二に、独裁と銘打った政治体制の下位分類に関する論争を俯瞰する。多く

の論者が、実際の独裁体制は一つではなく、広義の独裁体制の下位分類として

様々な形態の独裁体制を提案してきた。事実、独裁体制下における支配者が行

う意思決定は常にフリーハンドで行えるわけではなく、支配者を取り巻く環境

に依存し、異なる様相を見せる。そのため、本稿では独裁体制の下位分類につ

いて多様な視点から論争が繰り広げられている先行研究を捉えることで、論争

の現状と課題について新たな示唆を加えたい。

 第三に、独裁の効果に関する先行研究をレヴューすることにより、独裁がど

のような特徴を持つのかを見ていく。その結果、近年盛んとなっている独裁の

効果に関する研究の特徴とその課題について言及する。

 第四に、冒頭で述べた通り、独裁は民主主義との対立軸としてイデオロギー

論争においても用いられていることから、事前に独裁の概念を捉えなおしたこ

-139-

とを踏まえ、独裁という概念をイデオロギー論争の一道具として利用すること

の問題点を検討する。

1.基本概念

 ここでは、独裁の概念に関する先行研究をレヴューし、用語本来の意味を探

る。

 独裁とは、ごく単純な定義として「個人または少数者に権力が集中している

状況」であると共通理解がなされている5。つまり独裁は状況概念なのである。

政治学においては、先述の通り、その状況概念を最もよく表している政治体制

論に援用するのが一般的である。英語にするとどちらも“dictatorship”であり、

これは独裁が状況概念であると同時に、制度的概念であることを表していると

いえよう。以下では独裁を独裁体制、つまり個人または少数者による国家権力

の支配と了解し、議論を進めていく。まず初めに独裁が持つ基本的な特徴から

見てみよう。

 政治体制においてどれだけの人数が支配に参加しているかに着目したアリス

トテレスは、その中で支配者の徳を基準とし、良い体制を、人数が少ない順に

王政、貴族政、良民政、悪い体制を僭主制、寡頭制、民主制とした6。その内、

独裁とされるのは王政と僭主制である。同様に、ラスウェルも独裁とは権力の

集中による支配であるとし、立法、行政、司法といった権力を持ちうる機関が

分散している均衡支配と区別している7。これらは先述した定義のうち、特に「個

人または少数者」の部分を表している。

 独裁に関わるアクターに関して、指導者のみならず、運動幹部や、大衆にま

で分析範囲を広げ、その履行の特徴について分析した研究として、シグマンド・

ノイマンは、独裁の目的は革命を制度化し恒久化することであり、そのために

人々の心に不安を与えるあらゆる要素を利用し、かつ不要となった暁にはそれ

を捨て去るのに手段を選ばないとしている。全体主義を前提とした彼は、独裁

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が党機構を生命線として国民のメンタリティに深く介入することによって成り

立つことを示している8。

 ドイツの法学者でナチ党を支えたとされるカール・シュミットは独裁を委任

的独裁と主権的独裁に二分することにより、国家を取り巻く状況の違いから概

念の精緻化を図った。委任的独裁とは立憲的独裁とも言われ、起源はローマ共

和国時代にさかのぼる。民主的な政治体制を維持していた当時のローマ共和国

では、戦争等の国家非常事態が予見される際には、通常の二名の執政官では意

思決定が遅れていくことを問題視し、独裁官(ディクタトル、dictator)を選

出し、任期中(6か月間)は独裁官に全ての行政権を委任した。このことから

もわかるように、委任的独裁は、民主的に選出された者が人々の承認を得て権

力を独占するものであり、ヒトラーのナチ党が例として挙げられる。一方、主

権的独裁は革命独裁とも言われ、革命等で新たに国家権力を手中に収めた者が、

それを独占するものである。例としてはフランス革命やロシア革命が挙げられ

るが、アフリカの国家で頻繁に発生している軍事クーデターの後に誕生する政

治体制の多くはこれに分類される。シュミットは、独裁は両タイプとも「具体

的例外性」とし、どちらも非常時における特例的な制度であり、通常時に用い

られるものでないとしている9。

 一方、フランツ・ノイマンは、シュミットのいう独裁は単に危機政府(crisis

government)であるとし、独裁という言葉の語源がローマ共和国に由来する

ことを否定することに留意しながらも、その権力の範囲が限定的であることや

持続期間が制限されていることから、政治体制論における独裁体制と混同する

ことに警鐘を鳴らしている。彼はまた、君主制と独裁体制の区別を留保し、君

主制の中でも絶対君主制は独裁体制に含まれるとした上で、独裁を実力による

政治権力の掌握であると定義している。彼は、支配者が独占する政治権力の範

囲に注目し、独裁のタイプを軍・警察・官僚・司法等の圧政手段を少数者が支

配する「単純独裁」、それに加えて大衆をカリスマ的に支配する「カエサル的

独裁」、カエサル的かつ市民の私生活を直接的に支配する「全体主義的独裁」

の三つに区別し、独裁を委任や授権によるものではなく、合法的かつ正当性を

-141-

持たないものとしている10。

 コバンは、独裁における統治の手法について、支配者の地位が世襲であるか

どうかや、その権力獲得の手法が力によるものか同意によるものかといった側

面は関係がないとし、あくまで政治権力を個人が一元的に握っていることが重

要であるとした。彼の主張は、支配者の権力に際限はなく、任期もないとして

いる点で、シュミットの考え方を否定したフランツ・ノイマンに近い。加えて、

彼は独裁について倫理的価値の視点を考慮するアリストテレスの手法に対し、

独裁を理解するためには、倫理的な説明よりも政府のタイプを区別した上で、

どのように政府が権力を獲得するか、あるいは広げるか、権力行使の手法はど

のようなものかに注目する必要があるとした11。

 ガンディーは独裁の構造的脆弱性として、独裁がどのような形態であれ特定

少数の支配者が軍や警察などの治安維持機構を手中に収めていることを挙げて

いる 12。この点は多くの論者が認めているところであり、独裁体制の多くが軍

事クーデターや支配者の死によって体制変動が起きていることを鑑みると、反

対勢力の封じ込めが重要となるためである13。

 これまで見てきた論者の研究は、独裁を支配者側から捉え、権力行使の手段

や手法として見てきているのに対し、支配や生起の基盤に注目したハルガルテ

ンは、独裁を社会構造の変化に伴い、旧来の支配体制が危機にさらされたこと

による現象として、社会的対抗関係を重視した上で、四つの歴史的事象を挙げ

ている 14。それは、①貨幣経済興隆期において、伝統的君主や貴族の支配に抗

する新興支配層の運動の中で生まれたカエサル、クロムウェル、ナポレオンな

どの「古典独裁」、②産業社会の構造文化が生み出す大衆蜂起を背景とし、社

会革命を目指して委員会による強力支配を行うジャコバンやボリシェヴィキな

どの「超革命独裁」、③古典独裁への対抗として、支配階層が組織するスラや

フランコなどの「反革命独裁」、④超革命独裁の脅威にさらされて、支配階層

や伝統的な生活にしがみつく中産階級が、大衆を組織して独裁体制をつくる

ファシズムやナチズムなどの「疑似革命独裁」である。彼によれば、独裁とは

社会構造と体制との間における歪みを背景として生起する現象なのである。

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 日本においても、高畠がいくつかの先行研究を整理した上で、独裁を、①行

政・立法・司法・軍事などの諸権力が身分的支配者や君主ではないところの一

人または少数のグループに実質的に集中することであり、②それは現行法体系

を停止あるいは無視することによって成立し、③その結果、市民的自由権は大

幅に否認され、④諸権力手段は専制的に使用され、⑤政治的決定は、イデオロ

ギーや使命感によって迅速かつ強迫的になされやすいという政治的支配の形態

であると定義した15。

 加えて、猪木は特に一党独裁体制に注目しながら、ある政治権力の枠内にお

ける受任的な権力の集中としての受任的独裁と、政治権力の変革過程に登場す

る主権的独裁は具体的例外性の有無から区別しなければならないとし、現代の

代表的な独裁をとらえるためには、政治権力の変革過程に登場する主権的独裁

が一番適するとしている。また、彼は独裁自身が持つ政治理論が故に、独裁は

僭主制または暴政に変質・転換せざるを得ないため、独裁を僭主制や暴政と区

別することを無視することは許されるとしている16。

 以上のように、整理されてきた独裁であるが、その定義は各論者により若干

異なるものの、個人や少数者への権力集中というシンプルな共通理解について

相違はない。ここまで見てきた基本的概念に関する研究では「個人または少数

者」がどのように権力を獲得し、行使しているかという点の特徴を理解するこ

とができても、どのように「権力の集中」が起きているかということを示すま

でには至っていない。そのため、次に「権力の集中」とは一体どのような状況

を指すのかについて検討する必要がある。なぜなら、単に「権力の集中」といっ

ても、これは独裁体制に限った特徴ではないからである。民主的なプロセスに

よりリーダーが選出される国家においても、政治権力は常に政治エリートに「集

中」している。そのため、民主制と独裁体制を区別するためには支配のプロセ

スに政治エリートを除く人間が参加できるか否かということが重要となってく

る。実際、多元的な社会では市民が支配者の意思決定に影響を与えることが許

容される。一方、独裁体制では市民社会と政治社会が分断され、市民による政

治参加が許容されない。ただし、独裁体制においても権力の集中の様相は異な

-143-

ることを留意しなければならない。権力を誰がどのように握っているのか、権

力を握る者は一枚岩なのかなどといった点は独裁をより精緻に分析していくた

めに重要な視点である上、この点を理解しなければ真に「独裁とは何か」に答

えることができない。このような体制内の動向に切り込んだ論者としてはオド

ンネルとシュミッターが著名である 17。一般に、独裁体制では市民による政治

的自由が制限されており、意思決定は支配者とその取り巻きによってなされる。

市民社会からや国外からの圧力があったとしても実際の体制変動には政治エリー

トの決断が必要である。彼らの研究は権威主義体制の体制変動過程において、

政治エリート内部における力学を分析することの重要性を示唆している。この

ことは、独裁体制において「権力の集中」は単に政治エリートを一括りとして

起きているのではなく、政治エリート内部においても「権力の集中」の濃淡は

各事例により異なることを示している。実際、独裁体制下においても、あくま

で体制の保持を支持する体制内タカ派、体制の緩やかな変革を要請する体制内

ハト派、体制変革を望む反体制派、反体制内派というように、政治エリートの

中にも様々な選好を持つアクターが存在し、彼らが体制の命運を握るのであ

る18。

 以上の流れから、支配に参加できる人数は量的に測られ、独裁の概念理解に

齟齬をきたすものではないため、独裁の概念における「個人または少数者」と

いう部分については一定の合意が得られていると考えられる一方、「権力の集中」

がどのような状態にあるのかは多様であり、この点については独裁と政治体制

を結び付けて分析されている。これらの研究は、独裁体制を敷く支配者を取り

巻く政治環境が体制にどのような影響を与えているかを証明するため、あらゆ

る角度から独裁体制の下位分類を提供し、論争を繰り広げている。

2.独裁体制の下位分類に関する論争

 冷戦終結に伴い、消滅して行くかに思われていた独裁体制は未だ多く持続し

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ており、コルナーとカイリッツの研究では、世界の国家や領域が約4分の1、

人口の約3分の1が独裁体制にあるという 19。その結果、1990年代後期か

ら独裁体制研究(権威主義体制研究)が盛んになってきた。一般に、政治体制

の下位概念の分類は、リンスによる民主主義体制、全体主義体制、権威主義体

制に基づく20。この中で、独裁体制は全体主義体制と権威主義体制を包含するが、

多元主義・イデオロギー・動員において極端で一様な特徴を持つ全体主義体制

の分類化が困難であることから、独裁体制の下位分類は主として権威主義体制

の範囲において行われる 21。それゆえ、ここではスヴォリックにならい、独裁

体制と権威主義体制を非民主制の総称として互換可能な用語として用いる22。

 例えば、エズロウとフランツ、ゲデスは、政治的権力へのアクセスと政策操

作が個人、政党、軍部のどの部門で行われているかに注目して、個人支配 23、

一党支配、軍部支配の三種類に分類し、それぞれの持続性や経済パフォーマン

ス等を分析した 24。両者の研究は政治的権力へのアクセスという点に注目し、

独裁体制の下位分類を創出した点で意義がある。この分類方法はあくまで支配

者側から見た権力基盤について分析したものであるが、逆からみれば体制移行

に与える影響について、限定的な多元主義を構成する政治勢力が、どのように

政治権力へのアクセスを受容されたり排除されたりするかが重要であるとする

リンスの主張にもつながる 25。このような下位分類が提示されたことにより、

権力がどの機関に集中しているか理解した上で、それに伴う独裁体制の差異を

分析することができるようになった。一方、ゲデスは個人支配者が軍部出身と

いうしばしば見られるケースをハイブリッドな体制であるとし、政治体制が単

純に区別できないことを指摘している26。

 彼女の研究に対し、ハデニウスとテオレルは王政と選挙が行われる独裁体制

を省略しているとし、その分類を拡大した。彼らは王政を王族が伝統的に権力

を引き継ぐ点で個人支配体制と異なるとした上で、新たな視点として選挙が行

われる独裁体制について無政党、一党制、多党制を分類した 27。近年では彼ら

の研究をはじめとして、選挙や議会の存在を承認し、複数政党制による競争的

選挙を実施する独裁体制、いわゆる競争的独裁の研究が盛んになっている。こ

-145-

れらの研究は、独裁体制が選挙や議会などの「民主的制度」をあえて導入する

ことによって反体制派の取り込みや自らの正統性の向上を意図した行動が、体

制の持続性にどのような影響を与えるか分析するものである 28。このような研

究が盛んとなっていることは、従来の独裁体制と民主制との区別では説明でき

ない境界が曖昧な事例が多数存在することを示している 29。そのため、山田は

選挙の在り方に注目し、競争的独裁のさらに下位分類として、現職が著しく優

位な競争的権威主義体制、実質的に野党が競争から除外され、市民の政治的権

利や人権が抑圧され、事実上の一党支配体制である覇権的権威主義体制、複数

政党制と競争的選挙が存在しない閉鎖的独裁の下位概念として共産党独裁体制、

軍事独裁体制、王制を分類している30。

 他にも、ブルッカーは権力行使の手法に注目し、王政を伝統的王政と代表的

王政により細分化し、代表的王政をヒトラーやスターリンといった政党よりも

個人に力がある状態とし、伝統的王政をハイチや北朝鮮などのように支配者の

神格化やシンボルによって統治するとともに、権力の継承が行われている状態

であるとした31。

 チェイバブ、ガンディー及びブリーランドはゲデスに変わる独裁体制の型と

して、支配の形態を王政、軍部支配体制、市民支配体制に分類し、とりわけそ

の聖所(inner sanctum)に注目した。聖所とは制度的な権力の在処ではなく、

実際の支配と支配者を指す。彼らの研究では新たに、市民支配体制という分類

を持ち込んだが、ここでいう市民支配体制とは王政と軍部支配体制以外を指し

ており、その定義が曖昧であるという課題がある。また、彼らは個人支配体制

と王政に関する論争について、両者は多くの部分で重なっており、分類する必

要はないとした32。

 リンスは個人支配体制をスルタン主義、コウディリスモ、カシキスモに分類

した 33。スルタン主義体制はウェーバーのいう伝統的支配の一類型としての家

産制支配体制から発展したものであり、支配者が伝統性に拘束されず恣意的な

領域で動く体制をいう 34。この体制は、基本的に伝統的支配が発達するときに

出現する傾向にあり、そこでは支配者の個人的な道具として行政や軍部が利用

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される。この体制下では、法の支配が存在せず、制度化の程度も低い。支配者

は個人の裁量で権力を無制限に行使し、官僚行政の規範や利害関係は支配者個

人の独断により覆される。一方、コウディリスモは軍部、カシキスモは伝統的

階層によく見られる体制である。両者の体制は珍しいが、小規模農業経済国家

によく見られるとしている。ブルッカーは最後の二分類について、実際にリン

スが証明しようとした19世紀のラテン・アメリカの状況において弱い相関し

か持たないと批判している35。

 軍部独裁の細分化を試みた研究としては、ファイナーの研究がある。彼は軍

部独裁を①完全間接的軍事支配、②軍部に操作されながらも文民統制が完全に

行き届いている限定的間接的軍事支配、③市民と軍部の同盟による統治二元的

軍事支配、④軍事政権や軍部による傀儡政権を指す直接的軍事支配、⑤半市民

化体制の五つに分類し、軍部独裁がどのように支配の正統性を獲得しているか

を分析した36。

 ここまでは、独裁体制に踏み込んで研究を試みる論者の分類方法についてレ

ヴューしてきたが、民主制か独裁制かという二項対立に関心を持つ定量研究者

の多くは、独裁体制を非民主制として簡略化してとらえている。しかしながら、

この分類方法で定量研究を行うと、先述の競争的独裁体制は独裁ではないと判

定されてしまう37。研究の目的にもよるが、独裁体制が様々な形で細分化され、

それにより独裁の形態や特徴が異なるとすれば、簡略化した独裁体制を扱うこ

とは問題の本質を捉えるためには不十分であるだろう38。

 以上のように、多くの論者が独裁体制の下位概念を分類してきた。ほとんど

の論者は、それらを独裁の効果を詳細に分析するための手段として扱っている。

次節では、本節と重複する部分もあるが、独裁の効果について、どのような研

究がなされているのかをレヴューする。

3.独裁の効果に関する論争

-147-

 近年では独裁がどのような体制か、その効果について定量研究が盛んになっ

ている。このような研究の多くは、先述のとおり独裁体制を非民主制として簡

略化して捉えた上で分析しているものや、下位分類化の後、分析を行うにして

もその分類の線引きが曖昧であるものが多いが、独裁体制が持つ効果を大まか

に理解することに有益であることには変わりがない。そこで、本節では独裁の

効果に関する研究を、①体制側から捉えたもの、②国内の社会構造から捉えた

もの、③外的要因から捉えたもの、④時間からとらえたもの四つに分けて先行

研究をレヴューする 39。これらの研究は、独裁体制が政治、経済、社会にどの

ような影響を及ぼすかという研究と、独裁体制の持続性に関する研究が中心と

なっている。

 第一に体制側から捉えたものとして、まずは、制度化が独裁を持続させるの

か否かという論争がある。古くは、独裁の制度化はその体制の持続に寄与する

としたハンチントンによる研究がある40。また、この視点からの研究の重要性は、

スヴォリックが1946年から2008年の間に存在した独裁者316人の内、

3分の2以上が、体制内部の人間によりその座を奪われているとしていること

からもわかる 41。彼はなぜ独裁者が本来であれば体制を危険にさらす可能性が

ある議会や政党の存在を容認するのかに注目し、その中でそれらがコミットメ

ント問題を解決する場として重要であるためであるとした。例えば、議会など

の協議の場が設定されていれば、反対勢力はその場を通じて独裁者の行動を監

視することができる。つまり、議会などの民主的制度の存在は独裁者の意思決

定過程について透明性を担保することにつながるのであり、その結果、独裁者

は体制の持続性を高めるのである。ガンディーも独裁体制における体制への脅

威は体制外部のみならず体制内エリートから生じることを前提におきながらス

ヴォリックと同様の視点で分析を行っている。彼女によれば、民主的制度の存

在により、独裁者は反対勢力の選好を把握することができるとともに、反対勢

力にとっても限定的ではあっても自らの影響力を及ぼすことができる場が存在

するという事実が、彼らを体制への参加、つまり取り込み(co-opt)へと導き、

-148-

その結果としてその体制を持続するためのコストが下がるのである。しかしな

がら、その一方で、彼女は結果として国民の市民権が拡大することを補足し、

制度と独裁体制の持続性には相関がないと論じている 42。これは、彼女とルス

ト=オカーがいうように、民主的制度の導入は政治エリートを取り込み、反対

派のリスクを抑え込む効果がある一方で、独裁体制を民主的に配慮が必要な体

制としてしまうためである 43。つまり、独裁の制度化は体制内に安定性をもた

らすが、体制外に権力へのアクセスする権限を与えることになるのである。同

様に、ガンディー、ライトとエスクリバ=フォルチ、テオレルとハデニウスら

が言うように、制度化された独裁体制はそうでない体制よりも暴力を減少させ、

かえって民主化を促すという研究も存在する 44。これらの研究は先述の競争的

独裁に注目したものである。

 次に、体制のサイズについて分析したものとして、ブエノ・デ・メスキータ

とスミスの研究が挙げられる。彼らは独裁者が権力保持し続けるためには盟友

集団(winning coalition)のサイズが重要であるとし、パトロネジの分配が小

さくて済むためそのサイズは小さいほど良いとした 45。これは、権力にアクセ

ス可能な政治エリートが増えることにより、体制内派が拡大し体制の転覆を企

てるアクターが増大する可能性を未然に防ぐためである。

 他にも、前節で確認した独裁体制の分類に基づいて研究したものも多く、例

えばブラウリーによる軍部独裁の方が一党独裁よりも民主化する可能性が高い

という研究など、各体制の持続性について分析した研究も多くみられる 46。こ

のような下位概念に基づいた効果に関する研究は下位分類化の論争と並行して

おり、議論はいまだ収束していない。以上のように、独裁を体制側から捉えた

先行研究は、独裁体制の変動や影響力の行使は体制内から起こるということを

前提としている議論が一般的であることがわかった。この分野における研究が

多いことは、より精緻に独裁体制を理解するためには体制内における権力の集

中の様相を重視する必要性があることの裏付けとなるだろう。

 第二に、国内の社会構造から捉えた研究は、ムーアがいうところの独裁が国

内社会のバランスオブパワーによって生起することを示すものである47。これは、

-149-

オドンネルとシュミッターが近代化により政治と経済エリートの部分的同盟が

生まれるとした点に類似している 48。このような国内社会と独裁に関する研究

については、とりわけ経済、社会階層、宗教等の側面から分析がなされている。

フランツ・ノイマンの研究でも独裁体制の社会的機能について、経済的、社会

的、及び心理的な要因が絡み合うことが主張されている 49。彼は、独裁体制は

①権利をはく奪された不可逆的な社会階級が、政治権力保有者が認めるのを拒

む彼らの利益の承認を要求し、②没落におびえ、その地位と権力を維持するの

に懸命な社会階級の意図するものであり、③社会経済的状況を急激に変革し、

それを逆転し、そして自分たちのかつての優越的地位を回復するような政治体

制を据える運命を担っている階級の意図として生起するとしている。

 経済と独裁体制の関係性に関する研究も数多く存在する。まず、第一に経済

と独裁体制の持続性に関する研究として、例えば、プシェヴォルスキらは、経

済危機は独裁制への移行に影響はあるが、維持には影響を及ぼさないことを示

した 50。これは、多くの独裁体制が経済危機を契機に崩壊する中、北朝鮮など

の一部の国家が独裁体制を維持している点を証明しているといえる。他にも、

ボイクスは重税等による格差社会が支配エリートの民主化への意思を妨げると

し、貧困国における所得の平準化が民主化を促すとした 51。この点も、単純な

格差が民主化を促さない点で経済成長と独裁体制の崩壊について分析した研究

に反証するものである。また、ロスは天然資源が民主化を妨げる要因であると

した 52。これは、天然資源の存在が独裁体制における支配者によるバラマキを

可能とし、それにより政治的課題が社会で顕在化しにくいからである。レンティ

ア国家に独裁体制が多いこともこのためであるだろう。次に、独裁体制と経済

成長や国内における経済状況に関する研究を見てみよう。例えば、先述のプシェ

ヴォルスキらは、経済成長が政治体制と無関係なことや、独裁体制における経

済成長は資本ストックの効率性に依存していることを示している 53。他にもア

スモグルとロビンソンは、民主制では課税によって再分配がなされる一方、独

裁体制では課税の水準が低くそれがなされない結果、独裁国家においては貧富

の格差が増大するとしている54。

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 社会階層や社会形態に注目した研究として、ライトの研究では、個人支配体

制及び王政は石油等の天然資源に依存している一方で、国内に対する投資と負

の相関を持っており、王政の方がより民族の断絶が強く、とりわけイスラムに

よる統治が中心であるとした。一方で軍部支配体制では石油による統治や民族

の断絶はなく、この体制は一党独裁体制より一般的であるとした 55。宗教に関

して分析した研究としては、アンカーがイスラムと仏教は民主主義的価値を受

容できないため、独裁体制を持続させる傾向があるとした56。

 第三に、外的要因から独裁体制を分析したものがある。例えば、オラウリン

ら、スター、スターとリンドボーグは、政治体制は地政学におけるクラスター

に依存するとし、独裁体制の国家が近接している国家は独裁体制であるとし

た 57。これは、ブリンクスとコペッジが分析した近接国の政治体制が類似する

という点と同様、独裁体制は多くの民主主義国家が存在している地域では持続

し得えないというのである 58。また、アンブロシオは、地政学的だけではなく

政治経済的なリンケージも同様に重要であるとした 59。他にもグリディッシュ

やウェナートは、民主主義国家が持続するためには地域的国際的な民主主義の

普及が重要であるとしている 60。これらの研究は、独裁体制が少なからず外的

要因に依存しその形態を確立させていることを示している。ただし、これらの

研究のほとんどが定量的研究であるという点を考慮すると、外的要因が独裁体

制を成立又は退廃させるということの因果関係は明確になっていないといわざ

るを得ない。

 第四に、時間的経過から独裁体制を捉えたものとして、スヴォリックは、長

期にわたって定着していない民主主義は再び独裁化するリスクがあることを示

唆した61。

 以上から独裁体制とはどのような効果を持つか様々な角度から分析されてい

ることがわかった。次に、本稿の冒頭で提示した独裁をイデオロギーとして捉

えることについての問題点について整理する。

4.イデオロギーに関する論争

-151-

 第1節において独裁の基本概念をレヴューしたが、そこでは独裁は状況概念、

あるいは独裁体制として制度的概念として捉えられていることがわかった。し

かしながら、この概念は民主主義とのイデオロギー論争の対立軸として語られ

ることも多い。そこで本節では、独裁がどのように生起し、持続するのかを分

析することにより、この概念をイデオロギー論争の道具として利用することの

問題点を浮き彫りにする。

 これまで見てきたように、独裁は、政治的権利と市民的自由を制限する。し

かしながら、そのことが民主主義というイデオロギーと直接的に対立すること

にはならない。追って、独裁が生起する経緯を見てみよう。民主主義とは何か

という議論はあるものの、ここでは民主主義とはシュンペーターの議論に基づ

き、複数政党制で競争的な選挙が行われている国家の体制を指すこととす

る 62。そのような国家では、国民の投票行動の結果、特定の政党に権力が集中

することがある。例えば、我が国においては2005年の郵政選挙後の自民党

がそうである。当時の自民党は衆参共に3分の2以上の議席を獲得しており、

制度的にはあらゆる法案を通すことが可能であった。また、大統領制をとる多

くの国では、大統領に絶大なる意思決定権が与えられている。しかしながら、

これまで見てきたように民主主義体制における支配者は独裁の要件を兼ね備え

ていない。事実、民主主義体制下で叫ばれている「独裁」の実権は議会にしか

及んでいない。裏を返せば、それ以外の場では「独裁者」の意思決定を制限す

ることが可能なのである。このことは第2節において先行研究における独裁体

制の下位分類の設定が政治社会に限定されていたことからも明らかである。一

方、非民主主義体制では、独裁者あるいは独裁を行う集団が立法を担う議会の

みならず、治安維持部門である軍部や司法・行政の実権を握るとともに市民社

会の活動も制限しており、文字通り権力を集中させているのである。また、中

東の国家のように民主主義が定着していなくても、市民が自らの権益を守るた

めに独裁者を選択することもあり得る63。

 フランツ・ノイマンも自由民主主義と独裁体制を対立させる手法は支持でき

-152-

ないとしている。彼によれば、独裁体制とはデモクラシーの実践形態であ

る64。同じく、シグマンド・ノイマンも全体主義における独裁は、デモクラシー

の産物であり、この体制に見られる扇動的指導法、政党機構、宣伝技術、社会・

経済計画などは、デモクラシーにおいても回避しえぬ課題であるとしてい

る 65。実際、ドイツのヒトラーは民主的に選出され、全体主義体制を築いた。

この体制は、指導者とそれを支える政治エリート、政治エリートと大衆をつな

ぐ政党機構、その他の大衆的基盤が完全に組織化されている。とすると、この

体制は民主主義と真逆に位置するため、支配者の意思決定に全くの制約はなかっ

たのだろうか。民主的に選出されているという経緯を踏まえれば、支配者は大

衆の要求を完全に無視することはできない。それゆえ、ヒトラーは積極的な失

業対策を導入することにより支持を得ていたのである。つまり、ヒトラーをは

じめとする独裁者と呼ばれる支配者の多くは一時的に独裁を先鋭化させていた

(いる)のであり、それ以外では独裁者と呼び得る権限を保持していなかった(い

ない)のである。常に彼が独裁者であったという考え方は状況概念かつ制度的

概念を恒久的なイデオロギー概念である民主主義と同じ土俵で論じようとする

ことによって生じる。高畠も、独裁が直接対立するのは、権力行使の範囲を限

定し、民衆に対して政治的自由権を保障する政治的な自由主義、あるいは、自

由主義をうちに含んだ自由民主主義の政治体制集中を批判する政治的自由主義

のイデオロギーであって、必ずしも民主主義ではないとしている66。

 以上から、本来、状況概念、制度的概念である独裁を民主主義というイデオ

ロギーと対立させて論じることには問題があるのである。

おわりに ―新たな視点の提示―

 ここまで独裁の基本概念と、それが援用される政治体制、独裁の効果及びイ

デオロギーに関する論争をレヴューしてきた。その結果明らかになったことは

以下の通りである。

-153-

 第一に、政治体制論の文脈においては、独裁は個人または少数者への権力の

集中という状況概念である独裁を類似した制度を持つ非民主主義国家に落とし

込むことにより、それらが持つ特徴を表現する手段として用いられていること

である。この使用法は本来の独裁が持つ意味を妨げるものではないため差支え

ないだろう。この点を踏まえて、独裁研究を発展させていくためには独裁が制

度化される過程についても分析する必要がある。また、政治体制論を深めるた

めに独裁の概念を援用する反面、独裁の「権力の集中」の様相を表すために政

治体制論の概念を持ちだすことは、権力の所在や状況を明らかにすることを目

指す政治学として正当化されるべきであろう。

 第二に、政治体制論における独裁の概念は、権力の集中の差異に注目し、多

くの論者が類型化を試みていることがわかった。これらの研究が多くなされて

いることは、繰り返しになるが、独裁という状況が一つではないことを示して

おり、その状況も独裁を行う者を取り巻く環境により異なることを示している。

それゆえ、今後も独裁体制に関する分類はより精緻化していく必要性がある。

しかしながら、選挙を伴う権威主義体制を分析している宇山は、権威主義体制

の下位分類に関する研究が進んだことを評価しながらも二点について再考すべ

きであると論じている。第一に、権威主義体制の類型化とはいえ、その多くが

権威主義体制を民主主義体制からの逸脱ととらえていることである。第二に、

類似性の多い国の間に無理に競争的か否かの線を引くことで、近接比較を放棄

していることである。その上で彼は、中国やロシアなどの多くの国がかなり限

定的な競争性しか備えていないことを考えると、競争的などの形容詞にはこだ

わらず、権威主義体制全般を再度考察する必要があると主張した 67。山田も、

下位分類化が進むことによって権威主義体制研究が発展したことにより、体制

の持続性に関する研究も進んだ側面は否定できないとしながらも、その一方で

近接比較が行われず、共産党独裁体制研究等の近接事例の比較研究がさほど発

展しなかったと主張している。また、彼は下位分類化された知見が独裁体制に

「安易に」適用されるケースが見られることを指摘している 68。また、これら

の分類論争についてブルッカーは全ての国家の体制が常に理論化できるわけで

-154-

はない点を留保している69。確かに下位分類の乱立は読者を混乱させると同時に、

それらを道具的に適用させてしまう可能性を孕む。

 以上のような課題を踏まえた上で独裁体制の下位分類化論争に一石投じるた

めに、ここで二つの視点を提示したい。まず、独裁体制を分類する際に、独裁

と同列で扱われる専制(autocracy)という概念を盛り込むことである。高畠

の整理では独裁の概念の中に専制性が盛り込まれているが、それが固定化して

いるかどうかにより単なる独裁か、永続的な専制かが異なるとする。専制とは、

統治が権力者の恣意的な決定に従って行われる政治を指し、主権が個人に保有

されているような古代国家や封建社会においてしばしばみられる政治形態であ

る 70。シュミットも独裁が具体的結果を実現するための例外的手段であること

から、規範的観念を照応せず気ままに権力を乱用することを専制としてい

る 71。砕いていえば、専制とは権力の私的利用であるといえよう。本稿では専

制について独裁との混同を避けるため極力言及することを避けてきた。同様に、

独裁と専制の結びつきやすさから両者を明確に区別しない論者が存在すること

もまた事実である。しかしながら、ここまで見てきたように支配者の権力基盤

がどの機関に属するかで独裁体制から表出される意思は異なる。独裁が権力の

在り方に注目する概念である以上、その権力行使のされ方、つまり意思決定過

程に注目する必要があり、その上で専制は鍵となる概念である。専制が独裁と

結びつきやすいとしても、専制を伴わない独裁にはどのような力学が働いてい

るのか。どのような時に権力の私的利用が許容されるのか。どのような過程を

経て独裁と専制の結びつきが制度化された究極の独裁体制、いわゆる個人支配

体制が誕生するのか。その権力基盤はどこにあるのか。これは専制を独裁と組

合せることによって明らかにすることが可能となるはずである。また、独裁と

専制の関係性、独裁体制において専制が制度化される過程を明らかにすること

により、これまで境界線が曖昧だった独裁と専制の差異を明確化することがで

き、これによってより精緻な独裁体制の下位概念の構築に寄与することができ

るだろう。

 同様に、現在まで発表されてきた独裁体制の下位分類の多くは支配者が権力

-155-

基盤を置く政党、軍部といったアクターの種類を大まかに区別したものである

が、独裁体制の持続性について研究するのであれば、それらのアクター内の権

力分有についても踏み込む必要があるだろう。類似の型を持つ独裁体制におけ

る体制の持続性に関する決定要因を分析していくことによる近接事例の比較に

伴い、より整理された下位概念を提示することができるだろう。

 第三に、近年注目されている独裁の効果に関する先行研究も取り上げた。今

まさに隆盛を迎えつつあるこれらの研究は、今後もより深まっていくだろう。

本稿でも独裁が持つ様々な効果に関する先行研究を取り上げることができたが、

ここで留意すべき点は、これらの先行研究のほとんどが未だ論争が終結してい

ない独裁体制の下位概念を用いるか、あるいは単に非民主主義体制を独裁体制

として分析を行っているという点である。異なるレンズを使って同じものを見

てもその結果が違って見えるように、このような手法では限定的な解しか得る

ことができない。現状の独裁の効果に関する研究は、まさにこの状況にあると

いっても過言ではない。そのため、これらの研究をより一般化し、世間に提示

していくためにはまずは効果分析の前提となる独裁の下位分類の確立を行って

いく必要性がある。

 第四に、独裁を民主主義というイデオロギーの対立軸として用いることは、

独裁という概念が状況概念かつ制度的概念であるため、誤りであることがわかっ

た。

 以上のように、独裁をあらゆる先行研究をレヴューし、「独裁とは何か」を

問うことを目指した本稿であるが、独裁という概念は、一義的に理解されてい

ても、その言葉であらゆる事象を広範に説明することが可能である結果、論者

によりその理解が異なっていることがわかった。そして、現代ではこの言葉自

体が、安易にその効果を示すためやイデオロギーを主張するための道具として

良いように形を変えて利用されているのである。そのため、一見古いこの言葉

に対しても、今後も引き続き理論と事例との対話を積み重ねることによって、

より体系的な概念の構築を目指していく必要がある。

-156-

1 Neumann, F., The Democratic and the Authoritarian State, New York: Free Press of Glencoe, 1957.

2 先般の安保関連法制に関しても社会運動体やメディア等の各方面で、安倍政権に対し

て「独裁」というレッテルを貼り批判をする様子が多くみられる。3 高畠通敏『政治学への道案内』講談社文庫、2012年、398頁。4 山口定『政治体制』東京大学出版会、1989年、5頁。5 高畠前掲書、398頁、Neumann, F., op, cit.6 アリストテレス、山本光雄訳『政治学』岩波書店、1961年。7 Laswell, H and Kaplan, A., Power and Society, New Haven: Yale University Press,

1950.8 シグマンド・ノイマン『大衆国家と独裁―恒久の革命』岩永健吉郎・岡義達・高木誠

訳、みすず書房、1960年。9 カール・シュミット『独裁―近代主権論の起源からプロレタリア階級闘争まで』田中

浩・原田武雄訳、未來社、1991年。10 Neumann, F., op, cit.11 Cobban A., Dictatorship “Its History and Theory”, London: Haskell House Pub,

1939.12 Gandhi, J., Political Institutions Under Dictatorship, Cambridge: Cambridge

University Press, 2008, pp.111,112.13 福富満久『中東・北アフリカの体制崩壊と民主化――MENA市民革命のゆくえ』、岩

波書店、2011年、67,68頁。14 ジョージ・ハルガルテン『独裁者―紀元前600年以降の圧政の原因と形態』西川正雄訳、

岩波書店、1967年。15 高畠前掲書、401,402頁。16 猪木正道『独裁の政治思想』創文社、1984年、24頁。17 シュミッター、オドンネル『民主化の比較政治学:権威主義支配以後の政治世界』真

柄秀子・井戸正伸訳、未来社、1986年。18 武田康裕『民主化の比較政治―東アジア諸国の体制変動過程―』ミネルヴァ書房、

2001年。19 Köllner, P, and Kailitz, S., Comparing Autocracies: Theoretical Issues and

Empirical Analyses, Democratization 20(1), 2013, pp.1-12.20 Linz, J. Juan, Totalitarian and Authoritarian Regimes: With a Major New Intro-

duction, Boulder: Lynne Rienner Publishers, 2000. この概念は政治体制研究で最も

用いられる分類法の一つであるものの、それらの分類は全体主義から派生した帰納的

なものであり、不十分であるという批判を受け続けている。21 全体主義とは権力の一元化、独占的かつ独裁的イデオロギーの政策への影響、市民の

動員、一党制を兼ね備えた体制であり、政治的自由が完全に制限され、積極的な大衆

動員が行われる体制である。権威主義と全体主義の決定的な違いは、前者の場合、市

民は「沈黙を守れば迫害を免れる」のに対し、後者は「常に体制への同意を積極的に

表明しなければならない」点である。全体主義については、Fredrich, C and Brzezinski, Z., 1956, Totalitarian Dictatorship and Autocracy, Cambridge: Harverd University Press, 1956, Arendt, H., The Origins of Totalitarianism, San Diego: Harcourt, 1951, and Linz, op. cit.を参照。

22 Svolik, J., The Politics of Authoritarian Rule, New York: Cambridge University Press, 2012.

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23 ここでいう個人支配体制とは、個人に権力が集中している体制である。その権力行使

は専制的に行われるため、制度的経路を通じないまま意思決定が行われる体制のこと

である。24 Ezrow, N and Frantz, E, Dictators and Dictatorships: Understanding Authori-

tarian Regimes and their Leaders, New York: Continuum, 2011.25 Linz, op. cit.26 Geddes, B., What Do We Know About Democratization After Twenty Years? Annu-

al Review of Political Science 2, 1999, pp.115-144.27 Hadenius, A and Teorell, J., Pathways from Authoritarianism, Journal of Democ-

racy 18, 2007, pp.143-157.28 例えば、Gandhi, op.cit, Svolik, op. cit.29 久保慶一・河野勝「歴史的転換点に立つ民主化研究」久保慶一・河野勝編・田中愛治

監修『民主化と選挙の比較政治学―変換期の制度形成とその帰結―』勁草書房、2013年、

1-16頁。30 山田紀彦「独裁体制における議会と正当性」『独裁体制における議会と正当性』アジ

ア経済研究所、2015年、3-34頁。31 Brooker, P., Non-Democratic Regimes: Theory, Government and Politics, New

York: St. Martin’s Press, 2014.32 Cheibub, J, Gandhi, J and Vreeland, J., Democracy and Dictatorship Revisited,

Public Choice 143, 2010, pp.67-101.33 Linz, op. cit.34 ウェーバー『支配の諸類型(経済と社会)』世良晃志郎訳、創文社、1970年、46-47頁。35 Brooker, op. cit.36 Finer, S., The Man on Horseback: the Role of the Military in Politics, London: Pall

Mall Press, 1962.37 この点については前掲のGandhiの研究に詳しい。彼女は見かけ民主主義的な独裁体

制について、議会の諮問機関化や制限的選挙について述べ、議会の有無は独裁性の持

続性と無関係であるとしている。38 同様に民主制についてもより精緻化した分類が求められる。39 この分類法は、Lidén, G., Theories of Dictatorships : Sub-Types and Explanations,

Studies of Transition States and Societies, vol. 6: 1, 2014, pp. 50-67.を修正したも

のである。40 Huntington, S., Political Order in Changing Societies, New York: Yale University

Press, 2005.41 Svolik, op. cit., pp.4-5.42 Gandhi, J., Political Institutions Under Dictatorship, Cambridge: Cambridge

University Press, 2008.43 Gandhi, J and Lust-Okar, E., Elections Under Authoritarianism, Annual Review

of Political Science 12, 2009, pp.403-422.44 Gandhi, op.cit, Wright, J and Escriba-Folch, Authoritarian Institutions and

Regime Survival: Transitions to Democracy and Subsequent Autocracy, British Journal of Political Science 42, 2008, pp.283-309, and Teorell, J and Hadenius, A., Elections as Levers of Democratization: A Global Inquiry, in Democratization by Elections, ed., by Lindberg, S, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2009.

45 ブエノ・デ・メスキータ・ブルース、スミス・アラスター『独裁者のためのハンドブッ

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ク』四本健二、浅野宜之訳、亜紀書房、2013年。46 Brownlee, J., Authoritarianism in an Age of Democratization, Cambridge:

Cambridge University Press, 2007.47 バリントン・ムーア『独裁と民主政治の社会的起源―近代世界形成過程における領主

と農民』宮崎隆次、高橋直樹、森山茂徳訳、岩波書店、1987年。48 シュミッター、オドンネル、前掲書。49 Neumann, F., op, cit., 50 Prezeworski, A, Alvarez, M, Cheibub, J and Limongi, F., Democracy and Develop-

ment: Political Institutions and Well-Being in the World, 1950-1990, Cambridge: Cambridge University Press.

51 Boix, C., Democracy and Redistribution, Cambridge: Cambridge University Press, 2003.

52 Ross, M, Does Oil Hinder Democracy? World Politics 53, 2001, pp. 325-361.53 Prezeworski, A, Alvarez, M, Cheibub, J and Limongi, F., op. cit.54 Acemoglu, D, and Robinson, J., Economic Origins of Dictatorship and Democra-

cy, Cambridge: Cambridge University Press, 2009.55 Wright, op.cit.56 Anckar, C., Reli gi on and Democra cy: Worl dwi d e Compar i son , London:

Routledge, 2012.57 O’loughin, J, Ward, M, Lofdahl, C, Cohen, J, Brown, D, Reilly, D, Gleditsch, K and

Shin, M., The Diffusion of Democracy, 1946-1994, Annuals of the Association of American Geographers 88, 1998, pp.545-574, Starr, H., Democratic Dominoes Diffusion Approaches to the Spread of Democracy in the International System, Journal of Conflict Resolution 35, 1991, pp.356-381, and Starr, H and Lindborg, C., Democratic Dominoes Revisited The Hazards of Governmental Transitions, 1974-1996, Journal of Conflict Resolution 47, 2003, pp.490-519.

58 Brinks, D and Coppedge, M,, Diffusion Is No Illusion Neighbor Emulation in the Third Wave of Democracy, Comparative Political Studies 39, 2006, pp.463-489.

59 Ambrosio, T., Constructing a Framework of Authoritarian Diffusion: Concepts, Dynamics, and Future Research, International Studies Perspectives 11, 2010, pp.375-392.

60 Gleditsch, S., All International Politics Is Local: The Diffusion and the International Context of Democratization, International Organization 60, 2002, pp.911-933, and Wejnert, B., Diffusion, Development, and Democracy, 1800-1999, American Sociological Review 70, 2005, pp.53-81.

61 Svolik, M., Authoritarian Reversals and Democratic Consolidation, American Po-litical Science Review 102, 2008, pp.153-168.

62 ジョセフ・A・シュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義 中巻』中山伊一郎、

東畑精一訳、東洋経済新報社、1962年、448-503頁。63 福富前掲書、247,248頁。64 Neumann, F., op, cit.65 シグムンド・ノイマン、前掲書、4頁。66 高畠前掲書、403頁。67 宇山智彦「権威主義体制論の新展開に向けて―旧ソ連地域研究からの視角―」日本比

較政治学会編『体制転換/非転換の比較政治』ミネルヴァ書房、2014年、1-25頁。

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68 山田前掲書。69 Brooker, op. cit.70 高畠前掲書、398頁。71 シュミット、前掲書。