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取税人ザアカイの回心 - 1 - Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. ルカによる福音 74 取税人ザアカイの回心 ルカ 19110 取税人と言いますのは、当時のローマ総督府が取り立てた関税とか地租や 人頭税を取り立てる権利を入札で手に入れていたガメツイ人たちで、当然仲 間のユダヤ人からは白い眼で見られたものです。ある意味では占領軍の権威 を笠に着た特権階級、けれども実際にはどこでも地域社会から村八分を食っ た除け者のグループでした。 昔の朝鮮の人たちが日本の朝鮮総督府に対してどんな感情を抱いたか、私 は中学生時代に釜山と新義州の間を汽車で一往復しただけで、何も知ったよ うな顔はできませんけれども、やはり当時総督府と利権でつながっていた人 たちに対しては、朝鮮の人たちも激しい憎しみをぶつけたでしょうね。 私が北京で過ごした六年間というのは、あれは実権は北支派遣軍が握って いまして、そり下に汪兆銘の政府というものを形だけ造って日本が動かして いたのですが、その頃の中国の住民からの徴税なんかどうなっていたのかな と思います。もちろんユダヤのように入札で税金を集めさせるような方法は 日本軍は使わなかったと思いますけれど、やはり占領軍や汪政府とつながっ て利権を持っていた中国人は白眼視されたに違いないと思います。中国人は そういう人たちを呼ぶ名前を持っていまして、漢字、漢文の「漢」という字 と女偏に干物の「干」を書いた「漢奸」という語がありました。私共の前で は絶対使わなかった言葉ですけれど、 ha1 njia6 n と言いました。 「奴は ha1 njia6 n だ」 「他是漢奸!」と言う時の中国人は、本当に軽蔑と憎しみを込めて、噛んで 吐き出すように言ったと思うのです。ユダヤやガリラヤの住民にとっての「取 税人」という語も同じような響きを持っていたことでしょう。 「取税人、罪人のやから」と言ったのだそうです。

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取税人ザアカイの回心

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ルカによる福音 74

取税人ザアカイの回心

ルカ 19:1-10

取税人と言いますのは、当時のローマ総督府が取り立てた関税とか地租や

人頭税を取り立てる権利を入札で手に入れていたガメツイ人たちで、当然仲

間のユダヤ人からは白い眼で見られたものです。ある意味では占領軍の権威

を笠に着た特権階級、けれども実際にはどこでも地域社会から村八分を食っ

た除け者のグループでした。

昔の朝鮮の人たちが日本の朝鮮総督府に対してどんな感情を抱いたか、私

は中学生時代に釜山と新義州の間を汽車で一往復しただけで、何も知ったよ

うな顔はできませんけれども、やはり当時総督府と利権でつながっていた人

たちに対しては、朝鮮の人たちも激しい憎しみをぶつけたでしょうね。

私が北京で過ごした六年間というのは、あれは実権は北支派遣軍が握って

いまして、そり下に汪兆銘の政府というものを形だけ造って日本が動かして

いたのですが、その頃の中国の住民からの徴税なんかどうなっていたのかな

と思います。もちろんユダヤのように入札で税金を集めさせるような方法は

日本軍は使わなかったと思いますけれど、やはり占領軍や汪政府とつながっ

て利権を持っていた中国人は白眼視されたに違いないと思います。中国人は

そういう人たちを呼ぶ名前を持っていまして、漢字、漢文の「漢」という字

と女偏に干物の「干」を書いた「漢奸」という語がありました。私共の前で

は絶対使わなかった言葉ですけれど、ha1njia6nと言いました。「奴は ha1njia6nだ」

「他是漢奸!」と言う時の中国人は、本当に軽蔑と憎しみを込めて、噛んで

吐き出すように言ったと思うのです。ユダヤやガリラヤの住民にとっての「取

税人」という語も同じような響きを持っていたことでしょう。

「取税人、罪人のやから」と言ったのだそうです。

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取税人ザアカイの回心

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「憎しみには憎しみを」で取税人の方でも随分ひどい取り立て方をして、

冷酷無残だったことは、我が国の一時のサラ金も顔負けだったらしいのです。

恐らくそうでないと取税人は務まらなかったし、そのことに有能な人だけが

徴税業で産をなしたわけです。ちょうどこのザアカイがそうでした。彼は「取

税人のかしらで金持ちであった」と言います。エリコは関税や物品税の集中

した町でしたから、そのエリコ全体の徴税を請け負っていたとすれば、これ

は大変な事業です。歌劇トスカのセリフをもじって言えば、「この男の前に

エリコ中が憎しみに震えた」のです。その取税人のかしらザアカイが、イエ

スを見るために木に登ったという所、福音書は人間の恨みや憎しみの暗い背

景の中に、ちょっぴりユーモアも漂わせております。

1.ザアカイ、イエスを見るために木に登る :1-4.

1.さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。 2.とこ

ろが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金

持であった。 3.彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低か

ったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。 4.それでイエスを

見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通ら

れるところだったからである。

いちじく桑の木は日本では見られませんけれど、ユダヤ人が昔からシクマ

ーと呼んできたもので、ヨルダンの低地に特有のもので、エジプトにも見ら

れるそうです。木は桑に似ており、実はいちじくに似ているのですが、本物

のいちじくに比べると味が落ちます。それでも預言者アモスのように、この

木をわざわざ栽培して手入れしていた人もいる位ですから、やはり食用に使

ったのですね。

ザアカイは初めから木に登るつもりはなかったのでしょう。誰もが彼を無

視して道をあけてくれないのでイライラしていた所へ、道端のいちじく桑が

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目に入ったのです。太い枝が横に広がるタイプの木なので、登り易かったの

だと思います。子供なら枝に何人かすずなりに座れる木で、野球場の外野の

外なんかには植えられない木です。

でも、子供ならまだしも、大の男でそれもエリコ中の人が直接間接に知っ

ているような金持ちの取税人が上に登っている図は、やはり異様に映ったと

思います。ここでザアカイという人物の心中描写とか、何故そこまでしてイ

エスを見たかったかその理由とか、小説家ならかなり詳しく書くところ、福

音書記者は全部省略して読者の想像に委ねます。

その代わり、それまでに取税人の家でも恐れずに入って一緒に食事なさっ

たイエス様を、ルカは何度も描いているんですね。5 章のレビの話がそうで

した。「どうしてあなた方は取税人や罪人などと飲食を共にするのか?」フ

ァリサイ派と律法学者の避難も、ここの伏線になっています。そのイエスが

どんな方か自分の眼で確かめたい。本当に本気で我々を大事に思ってくれる

のか、ただのジェスチュアか。もし本当ならばどうしてもその人を知りたい。

考えてみると、取税人という職業もローマによる属領支配という現実が生

み出した社会の必然だったかも知れません。もちろんそれはザアカイの冷酷

さや不正の言い訳にはなりませんけれども、ある意味では社会が生み出した

不幸です。そういう意味では、取税人や罪人や娼婦を同じ人格として遇した

イエスのなさり方は、これらを忌避して軽蔑したファリサイ人と鋭い対立を

見ます。ライ病人やサマリア人についても同じです。

一方では、それは近づいてはいけない人、接触すれば汚れが身に移って神

の前に出られなくなる―という考えの宗教人に対して、「そうじゃない。

そういう職業、そういう状況に置かれた人の中にも、心の暗闇と悲しみがあ

る。何より罪と死がある。そういう人にこそつかえねば……」というイエス

様のお考えが、正面から対立します。さてそのイエスとザアカイの出会いで

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すが……。

2.イエス、ザアカイ家に入り込んで来られる。 :5-7.

ザアカイの家にというよりも、ザアカイの心の中へいきなりずかずかと入

ってこられたのです。誰もが『近づかない方がいい。あれは不浄のやからだ。

人間の心を持たない人非人だから、地獄へ落ちるまで放っておけ。あれは我々

アブラハムの子孫とは無縁、呪われた者だ』と、そう考えた取税人ザアカイ

を一人の人間として見る方がおられたのです。

5.イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカ

イよ、急いで下りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まらねばならぬ」。

英語で言うと“I must stay in your house today.”という感じです。I MUST

とおっしゃった! 6.そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエ

スを迎え入れた。 7.人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家には

いって客となった」と言った。

そんな世間の非難や批判を少しも意に介しないで、その誰もが避けて通っ

た取税人の家へ喜んで客として訪れたのです。……

この場合……ファリサイ人ならどうしたでしょう。もしファリサイ人や宗

教家がザアカイ家の敷居をまたぐことがあったとしてですが……。それは恐

らく、ザアカイが取税人という憎むべき職業を先ずやめてからのことでしょ

う。ゆめて、雄羊の犠牲を捧げて不浄の清めを果たして、不正で人にかけた

損害をキチンと賠償して、それで初めて人を家に迎えることも許される。心

の広い宗教家なら、その場合はザアカイの家の客となろうが、その場合でも

一人前に扱ってもらったら、ありがたき幸せと感謝しなければならない。そ

ういったもんです。

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ところが、イエスの場合はそんなことがまだ何にも起こっていないのに、

そしてこの人の生き方も何も変わってもいないのに、「私はあなたの家に、

今日、泊まらねばならぬ」と宣言して、取税人のままのザアカイの家へ、そ

して罪ある人としての彼の心の中へ進んで乗り込んで来られたのです。「ザ

アカイよ、お前はそのままで私にとって大事なんだ」と……

ある意味で、これはイエスにしかできない奇跡ですが、ライ病人の体を捕

まえて、逆にライ病人をライ病人でなくしたり、死人の手をグイと掴んで、

自分が汚れるどころか死人が生命のショックで生きてしまったりと同じで、

この方は、ザアカイのように喜んでお迎えするという人の家も変え心も変え

てしまうのです。

3.ザアカイが変身し始める。 :8.

8.ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半

分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、

それを四倍にして返します」。

この言葉は、多分ザアカイがイエスを一晩お泊めした後で、朝お出かけに

なる時に、思い切って申し上げたのだろうと想像する人もいます。そうかも

知れないし、そうでないかも知れません。木の上にいたザアカイの目をじっ

と見て「ザアカイよ」とお声をかけて下さった瞬間から、彼のイエスに対す

る信頼と敬愛は始まったのかも知れません。弟子たちと一緒に家にお迎えし

て、家族ともども食卓についた時に俄然この思いが溢れたのかも知れません。

いずれにせよ、これはザアカイの心底から出た本気の告白でした。

「四倍にして弁償」というのは、旧約聖書の前例では、羊泥棒をして殺し

て食べてしまった場合など、一頭を四頭にして償うべしとありますが、普通

は大体弁償は二割増しとか、せいぜい倍額を規定しているだけです。とする

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と、この決心と告白はどこまでもこの人のやむにやまれぬ気持から出た決断

です。「私の財産の半分は、必要とする人に与えます。これは主のものとし

てお使いください。不正は四倍にして償います」

ここに今までの生き方とは違う人が生まれたのです。ある方が自分を知っ

て下さったから、この私を大事なものとして本気で尊重して下さったから、

それがこの新しい人を生んだのです。もちろんこれは、本当は後に十字架の

贖いが生み出すものですが、ザアカイの変身はこの時に起こることの鮮明な

写真のように、強烈な予告編のように、罪の贖いを受けた人の誕生を象徴し

ております。

ちょうど 1 頁ほど前に「人には不可能なことも、神には可能となる」とい

うお言葉がありましたが、いうなれば今、ラクダが針の穴を通り始めたわけ

です。富める者が神の支配に入るのは、何とむずかしいことよ……と言われ

たその至難事が、弟子たちの前で本当に始まった。この人が何かに触れたか

らです。

4.不可能事は何故可能になったか。イエスご自身の説明。 :9,10.

それは一言で言うと、イエスご自身がその取税人のままの、罪あるままの

人間をしっかり掴まえて、シンまで清めてしまう力を持ってこられたからで

す。私やあなたの罪を全部身に引き受けて、十字架で神の裁きを受けて罪を

取り除く方として来られたからです。

9.イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラ

ハムの子なのだから。 10.人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救

うためである」。

最後の言葉には、以前学んだ一匹の羊のテーマが響いております。百匹の

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羊のうち一匹がいなくなった時、九十九匹を野に残してでも、いなくなった

一匹を見つけるまでは捜し歩かないだろうか! そして見つかったら、喜んで

それを自分の肩にのせて帰ってくる。家に帰れば、友人や隣り人を呼び集め

て言うだろう、「一緒に喜んでくれ、なくした羊を見つけたのだ!」

それは天の父のお心だとその時イエスは言われましたが、人の子はその神

のお心の現れとしてここに来ていることを知れ。そして、このザアカイはそ

の見つかった羊なのだ。

「アブラハムの子」というのは、神の祝福を受ける大事な者、貴重な魂を

指すユダヤ人特有の言い回しでした。元々アブラハムの血筋を引く我らの同

胞という意味からですが、でも「こんな取税人のザアカイが『アブラハムの

子』である筈はない」と誰もが考えました。「汚れた者、呪われるべき者、

何が確かと言ってこの人が『アブラハムの子』でないことほど確かなことは

ない!」

ところが、イエスはおっしゃったのです。「この人もアブラハムの子だ。

私がこの家に入った限り、この人は誰にも劣らぬだけ祝福を受ける。取税人

ザアカイはこのままで救いを受けたし、その恵は彼の家族にも及ぶ。私が保

証する」……主はそう言われたのです。

《 結 び 》

私は時々想像するのですが、こういうイエス様に触れて変わり始めた取税

人は、その後どんな道を歩んだか……ということです。

少なくとも取税人の職業をやめただろう……というのは誰もが想像できる

でしょう。……そうかも知れません。

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たとえばカペナウムの収税所で机に向かって計算をしていた時にイエスか

らお声をかけられて、すぐ従ったという取税人レビがありました。レビの場

合は「彼はいっさいを捨てて立ち上がり、イエスに従った」と言います。彼

はその汚い職業を放棄したのではなくて、イエスから直接指名されて新しい

使命を受けたもので、後に使徒マタイとなったのがこの人だと言います。

でも主が食卓を共にされた取税人は、すべてがすべて取税人の職業をやめ

て弟子たちの群れに加わったわけではありません。もちろん中には農業や漁

業に仕事変えした人もいたでしょうし、行商人になって汗水流した人もいた

でしょう。けれども大多数はそのまま取税人の職業を続けたのではないか…

…そんなことをふと考えてみました。イエス自身は取税人の職業を卑しめな

かったのです。

考えてみると、われわれ現代人の職業というものも、その大半が取税人の

職業と似たものかも知れません。つまり汚い方法を用いて人を騙したり傷つ

けたりしてでも、ローマ帝国の利益のために奉仕することを強いられる。そ

してそういう技術と能率の優れた者が自分の富をも残すことができる仕組み

になっています。

そういう仕事の中で、主に知って頂いた人、主に捕えられた人はいったい

どうなりましょうか? 中にはより良心的な仕事に変わる人もないとは言え

ません。でも大多数の人は、元の取税人のまま、その矛盾した職業に留まる

のではないでしょうか。ただし、勇気を持ってその中でその人なりに、取税

人の社会の機構と取税人の生き方からはみ出した新しい生き方を始める筈で

す。確かにそれは苦痛と犠牲を伴いますし、まわりへの波紋も少なくありま

せん。でもそこで、イエス様に知って頂いた人として、主を家に迎えた人と

して、彼は勇気を持ち始めるのではありませんか。「ザアカイよ、急いでお

りて来い」と言って下さった方に仕えるために、もはや普通の取税人ではな

い取税人がそこに生まれるのではありませんか。

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ザアカイと同じだけの決心ができる人は少ないかも知れません。「半分は

貧しい人たちのために捧げます。今までの不正は四倍にして返します」これ

は誰にでも言える言葉ではないかも知れません。仮にそうでなくても「主よ、

私の財産はあなたからお預かりしたものです。自分だけのためでないことを

知って、神聖なものとして畏れを持って使います。今四倍にして返しました

ら、私自身立ち行きませんし仕事も成り立ちませんが、今からは人のために

謙遜に正直に、誠実にどこまでやれるかやってみます。主よ憐れみたまえ」

「そんなの、甘い甘い……」と言いますか? 「そんなことでは取税人の職

業は成り立たない」という考えもあるでしょう。しかし一方で、「いゃ、そ

れで一応取税人をやっています。主よ、お助け下さい!」という人もいると

思うのです。

ザアカイの話に戻りますが、この人が取税人をやめてエリコで塩問屋の暖

簾を出したと考えてもいい。主が復活されてから、この人の家が最初のエリ

コの教会の集会所になったと想像するのも面白いですね。パウロやバルナバ

のような伝道者になって海を超えるというのも痛快です。しかし、ザアカイ

が相も変らぬ取税人としてユダヤ人からは差別されて、ローマ総督府の会計

役からはお小言を食いながら、この人なりに必死で良心的にエリコで取税人

をやっているというのも、私たちには一つの励ましになりませんか……?

そう言えばルカの筆は、ザアカイがその後どうなったかを何も語らず、た

だ、その彼の人生を変えてしまったその方のお言葉だけを記して、そこで終

わりにしています。

きょう、救いがこの家に来た。この人もアブラハムの子だ。人の子が来た

のは、失われたものを尋ね出して救うためである。

(1984/07/08)

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《付録》1979 年交野集会……「主イエスの中に真の知己を得たザアカイ」

―抜 粋―

……この時イエスの目が木の上を見上げてザアカイの目を捕えるという所

を考えると、必ず思い出す場面があります。ギリシャ語屋という商売柄、考

えることがついあちらの方へ行くのですが、ホメロスの叙事詩「オテュッセ

イア」の一部です。

乞食の老人の姿で帰還したオデュッセウスが、豚飼いのエウマイオスの案

内で話しながら、懐かしい自分の邸に近づくところです。ちょうどそこに寝

そべっていた年老いた犬が頭と尾を持ち上げた……という文書で始まります。

それはアルゴスという名の名犬で、オデュッセウスが昔自分で育てて狩りに

連れて行った愛犬なんです。今は全く誰も顧みないので、玄関の横にロバや

牛が落としていった汚物の中で力尽き果てて起き上がれないでいるのです。

犬ジラミをいっぱいつけて悲惨な姿で寝ていたその犬が、変わり果てた主人

を誰も気が付かないのにその犬だけが気づいて、そっとオデュッセウスを見

上げています。弱々しく尻尾を振って、両方の耳を下にたらすのですが、も

はや主人にすり寄っていくだけの体力もないのです。

身分を明かせないオデュッセウスは、ただそれを横目に見て、涙をそっと

エウマイオスに気づかれぬように拭った……これはホメロスの詩の中でも有

名な所です。昔の主人と愛犬が 20年ぶりに視線をかわす劇的一瞬です。……

オデュッセウスは気づかれぬように、しかし思いやりを込めて「エウマイオ

スさん、こいつは全く素晴らしいもんだ。汚穢の中に寝てはいるが、見事な

ものですぞ」と言います。そのあとエウマイオスが「いや昔は名犬の誉れが

高かったが、ご主人がよそで亡くなられてからは、女たちもこの犬を構いつ

けず世話もしない。ひどいもんだ。人間だって同じでね、奴隷に身を落とし

て一日でも過ごしたら、ゼウス様はそやつの値打ちの半分は削り取っておし

まいになるでさぁ」……とこれは西洋文学で何度も引用され諺になっていま

す。こう言って二人が邸内の広間に消えると、名犬アルゴスは 20年ぶりに主

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人に会って、主人の目で見つめてもらった満足をもって息絶えるのです。「か

くしてアルゴスは黒い死の運命を受けたのである」と結ばれます。

今晩はギリシャ語の話をするのではなく、イエスとザアカイの出会いなん

ですが、ザアカイはいわば誰も顧みる者もなく、ロバの糞の間に力なく横た

わるアルゴスと似ているように思うのです。もう誰も構ってくれる者はない、

それだけの価値がないのです。主人も私を去った……と思ったそのアルゴス

を主人が認めます。これは汚い捨て犬ではない。私の大事な名犬アルゴスだ!

この場合、オテュッセウスは事情があってはっきりとは言いませんが、エウ

マイオスさんも見てごらん。こいつぁ大変ないちもつだ! ……と。アルゴス

は主人の目とその一語で安んじて、黒い運命に身を委ねるのです。

私は多分ザアカイがイエスの愛に触れて生き方を変えたと思います。後に

使徒たちから十字架の物語を聞いて、この人は私のために死んだと知ったで

しょう。この人が死から復活したのはこの私のためだと悟ったでしょう。聖

霊を受けたザアカイは、ここで告白した何倍ものことをして主に仕え、人に

仕えたかも知れません。

しかし、もしそうでなかったとしても構わないのです。祈って何度も努力

をして、主よお助け下さい……と言いながら一生懸命生きて、その結果が「あ

ぁ、俺は失敗作だったなぁ」と思えたとしても。ザアカイを見つめた人の目

に込められていたものは変わらないし、「今日お前の家に泊まる」と言われ

た方は、その言葉を決して後悔されないのです。私たちが安心してキリスト

にお仕えできるのは、そのためです。

私は思います。私の主である方が私に目をとめて下さった以上、私は何一

つ立派なことができなくて、アルゴスのようにこのまま黒い死の運命を受け

てもよい。ザアカイの公約が半分以上空手形に終わるかも知れないような不

成績の生涯でもよい。ただ、できれば私に目を注いでくださって「お前は大

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事だ」と言って下さった方のために、自分なりに一生懸命生きたいのです。

結局、私たちを支えているものは、ザアカイの成績ではなく、ザアカイに声

をかけた方、「今日お前の所に泊まるぞ」と言われたその人の愛なのです。

(1979/06/10交野)

《研究者のための注》

1. ザアカイという名前は、旧約聖書では二つの箇所に出ます。エズラ記 2:9とネヘミヤ

記 7:14 に出るザッカイですが、この人はバビロン捕囚から帰った人たちの族長の一

人として記載されています。もちろん時代も違い全くの別人ですが、この名前がユダ

ヤ人の名として普通の名であったことを裏書します。意味は「義人」「義者」という

感じですが、ルカは別にこの名の語源を強調する意図はないと思います。

2. 教父アレクサンドリアのクレメンスは、ザアカイが後にカイザリアの主教になったと

いう伝承を記していますが、他に証拠はなく、MacLean Gilmore は dubius testimony

(疑わしい証言)だと言っています。

3. ザアカイが全く新しくされて、取税人でない取税人として同じ職業を続けた可能性と

いうのは全く私の想像によるものですが、日本の多くの職場に存在する矛盾や不誠実

への圧力ということを考える時、ザアカイがそこから飛び出さないで、自分なりに誠

実に取税人の職務を果たす戦いも考えてみる価値があるのではないかと思ったわけで

す。

4. 8節の「四倍にして償います」と関連して、人を欺いて損害を与えた場合について民数

記 5:7 やレビ記 6:5 は、損害額に 5 分の 1 を加えて償うことを規定しています。出

エジプト記 22:8によると、預かった金銭・物品の保管が悪くて盗難にあった場合は、

二倍にして弁償となっています。特殊な場合としてサムエル記上 12:5 でダビデが小

羊を四倍にして償わせよと命じていますが、これは出エジプト記 22:1 に基づいたも

のでしょう。ヨセフスの古代史にもヘロデが犯罪防止のため法を極端に厳しく変更し、

押し込み強盗は奴隷として国外へ売ると規定したことに言及して、本来律法では四倍

額の弁償でいい筈であるのにと書いています。「ユダヤ古代史」16:1-3です。律法

による最高罰則の限界をヨセフスが指摘したのでしょうが、以上のことを考えると、

ザアカイは自己の行為を強盗の罪と同じくらい重いものと見、その最高の罰則を自分

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取税人ザアカイの回心

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で自分に課していることになります。

5. 同じザアカイの回心記事について、1979年 6月交野集会で語った「ザアカイを見るイ

エス」という題の私のスピーチがあります。「主イエスの中に真の知己を得たザアカ

イ」という角度から話したものです。その中でホメロスの「オデュッセイア」の一場

面と結び付けて話している部分があり、これをこの録音の後につけました。