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3 広報ひろさき 2020.9.1 進行・休止・戻りの3種類があります。進行のかけ 声は「ヤーヤドー」で、戻りのかけ声は「ねーぷたの もんどりこ ヤーレヤレ ヤーレヤー」。太鼓、笛、 鉦(かね)で演奏されます。(鉦はもともと使われていなかったので、 使用しない団体もあります) 昭和 55 年に「弘前のねぷた」として、国の重要無形民俗文化財に指定さ れています。さらに、平成20 年に、弘前ねぷたの歴史と伝統を将来に保存・ 継承する手段の一つとして、「弘前ねぷた保存基準」が弘前ねぷた保存会に よって策定されました。現在の合同運行での弘前ねぷたまつりコンテストの審査基準も、この基準を参考 に作成されています。 由来については諸説ありますが、七夕などに行われた、人形や灯籠を川や 海に流して睡魔や穢(けが)れをはらう「眠り流し」などの行事が元になっ たといわれています。 ねぷたについての記録を見ると、享保7(1722)年、 『弘前藩庁日記』での五代藩主津軽信寿(のぶひさ) によるねぷた見物の記述が最古です。また、絵画資料としては、天明 8(1788)年、弘前藩士の比良野 貞彦(ひらのさだひこ)が描いた『奥民図彙(おうみんずい)』の「子(ね)ムタ祭之図」で、扇や草花 を飾り付けた角形の灯籠を大勢で担いでいる様子が描かれています。 江戸時代後期には、江戸や京都の町人文化隆盛の影響を受け、人形型の組ねぷたが作られるようになり ました。さらに明治維新の混乱期を経て、扇型の扇ねぷたが登場し、経費や手間がかからないなどの理由 で普及していきます。 由来と歴史 由来と歴史 伝統の保存 伝統の保存 囃子 囃子 扇ねぷた(扇形) 組ねぷた(人形型) ねぷたの構造 ねぷたの構造 袖絵 板隠 蛇腹 高欄 開き 人形 鏡 絵 開き 漢 雲 鏡絵…中国の三国志や水滸伝、 あるいは日本の武将や説話の奮 戦図・人情などが題材として多 く描かれる 開き…同寸の格子で割られた画 面に、弘前藩の家紋である牡丹 の花模様を描く 額(がく)…額の正面には天の 川を意味する「雲漢(うんかん)」 と右から文字を書き、両脇は進 行方向を向いた武者絵を、後方 には正面を向いた武者絵を描く 見送り絵…鏡絵に関連したもの で、美人画が多く描かれる 袖絵…見送り絵と関連した絵や 文字(熟語)を描く …上には町内会・団体名など を書く。下には大きな雲を描く 人形…歴史上の説話などに登場 する人物などの出来事や一場面 を立体的に表す 高欄…欄干の形を模したもの で、端に上向きの「角」が付く。 絵は、題材に関係したものや、 団体、町内会の印を描く 蛇腹…半円形の膨らみ。縁を赤 とし、ぼかし描きする 板隠(いたがくし)…四面とも 同じ絵でも、違った絵でも、好 きな絵を描く 城下町に集まる活気あふれるたくさんの人々、盛夏の夜を照らす勇ましく美しいねぷた、血が沸き立つ ような「ヤーヤドー」の掛け声と笛や太鼓が奏するねぷた囃子(ばやし)。 弘前ねぷたの運行は、各町内会や愛好会、職場団体などが主体となり行われ、製作や絵、囃子(はやし) などに携わる人々は、市内全域にわたっています。現在では、各町内会などで運行するほかに、「弘前ね ぷたまつり」として、毎年8月1日~7日に合同運行が行われ、多くの観光客でにぎわう弘前を代表する 夏のまつりとなっています。 この弘前に根付いた伝統文化は、熱意を持った多くの人々の手によって支えられ、受け継がれてきまし た。今年は残念ながら弘前ねぷたまつりが中止となり、寂しい夏となりましたが、今号は改めて『弘前ね ぷた』について特集します。 伝統文化 伝統文化 「弘前ねぷた」 「弘前ねぷた」 特集 特集 2

伝統文化「弘前ねぷた」 - city.hirosaki.aomori.jp · 太鼓、笛、 鉦(かね)で演奏されます。(鉦はもともと使われていなかったので、 使用しない団体もあります)

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Page 1: 伝統文化「弘前ねぷた」 - city.hirosaki.aomori.jp · 太鼓、笛、 鉦(かね)で演奏されます。(鉦はもともと使われていなかったので、 使用しない団体もあります)

3広報ひろさき 2020.9.1

 進行・休止・戻りの3種類があります。進行のかけ声は「ヤーヤドー」で、戻りのかけ声は「ねーぷたのもんどりこ ヤーレヤレ ヤーレヤー」。太鼓、笛、

鉦(かね)で演奏されます。(鉦はもともと使われていなかったので、使用しない団体もあります)

 昭和 55 年に「弘前のねぷた」として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。さらに、平成 20 年に、弘前ねぷたの歴史と伝統を将来に保存・継承する手段の一つとして、「弘前ねぷた保存基準」が弘前ねぷた保存会に

よって策定されました。現在の合同運行での弘前ねぷたまつりコンテストの審査基準も、この基準を参考に作成されています。

 由来については諸説ありますが、七夕などに行われた、人形や灯籠を川や海に流して睡魔や穢(けが)れをはらう「眠り流し」などの行事が元になったといわれています。

 ねぷたについての記録を見ると、享保 7(1722)年、『弘前藩庁日記』での五代藩主津軽信寿(のぶひさ)によるねぷた見物の記述が最古です。また、絵画資料としては、天明 8(1788)年、弘前藩士の比良野貞彦(ひらのさだひこ)が描いた『奥民図彙(おうみんずい)』の「子(ね)ムタ祭之図」で、扇や草花を飾り付けた角形の灯籠を大勢で担いでいる様子が描かれています。 江戸時代後期には、江戸や京都の町人文化隆盛の影響を受け、人形型の組ねぷたが作られるようになりました。さらに明治維新の混乱期を経て、扇型の扇ねぷたが登場し、経費や手間がかからないなどの理由で普及していきます。

由来と歴史由来と歴史

伝統の保存伝統の保存

囃子囃子

 扇ねぷた(扇形)

 組ねぷた(人形型)ねぷたの構造ねぷたの構造

見送り絵

袖絵

板隠蛇腹

高欄

開き

人形

鏡 絵

開き

額漢 雲

袖絵

見送り絵

袖絵

鏡絵…中国の三国志や水滸伝、あるいは日本の武将や説話の奮戦図・人情などが題材として多く描かれる開き…同寸の格子で割られた画面に、弘前藩の家紋である牡丹の花模様を描く額(がく)…額の正面には天の川を意味する「雲漢(うんかん)」と右から文字を書き、両脇は進

行方向を向いた武者絵を、後方には正面を向いた武者絵を描く見送り絵…鏡絵に関連したもので、美人画が多く描かれる袖絵…見送り絵と関連した絵や文字(熟語)を描く肩…上には町内会・団体名などを書く。下には大きな雲を描く人形…歴史上の説話などに登場する人物などの出来事や一場面

を立体的に表す高欄…欄干の形を模したもので、端に上向きの「角」が付く。絵は、題材に関係したものや、団体、町内会の印を描く蛇腹…半円形の膨らみ。縁を赤とし、ぼかし描きする板隠(いたがくし)…四面とも同じ絵でも、違った絵でも、好きな絵を描く

 城下町に集まる活気あふれるたくさんの人々、盛夏の夜を照らす勇ましく美しいねぷた、血が沸き立つような「ヤーヤドー」の掛け声と笛や太鼓が奏するねぷた囃子(ばやし)。 弘前ねぷたの運行は、各町内会や愛好会、職場団体などが主体となり行われ、製作や絵、囃子(はやし)などに携わる人々は、市内全域にわたっています。現在では、各町内会などで運行するほかに、「弘前ねぷたまつり」として、毎年8月1日~7日に合同運行が行われ、多くの観光客でにぎわう弘前を代表する夏のまつりとなっています。 この弘前に根付いた伝統文化は、熱意を持った多くの人々の手によって支えられ、受け継がれてきました。今年は残念ながら弘前ねぷたまつりが中止となり、寂しい夏となりましたが、今号は改めて『弘前ねぷた』について特集します。

伝統文化伝統文化「弘前ねぷた」「弘前ねぷた」特集特集

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