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一九五〇年代以降の 1-ピンナ・ルオッコ 地誌と国際理解 経済地理学と経済地誌 国際理解のための外国地誌 イタリア地誌にみる社会経済的地域構造 外国地誌の評価 イタリア南北の区分とその意味 工業開発と工業地域 文献・註 一、地誌と国際理解 経済地理学と経済地誌 成城大学は経済学のカリキこフムの中に経済地理学と経済地誌とをおいている の高見によるもので、前者においては、経済現象の空間的(場所的)理論を考察し、後者において、世界の諸

経済地理学と経済地誌 成城大学は経済学のカリキこ …経済地理学と経済地誌 成城大学は経済学のカリキこフムの中に経済地理学と経済地誌とをおいている。先学

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    一九五〇年代以降のイタリア地域構造の変化

       1-ピンナ・ルオッコ編イタリア地誌にみるー

                             木  内  信  蔵

     目  次                                                 一

   一 地誌と国際理解                                          ―

     経済地理学と経済地誌 国際理解のための外国地誌

   ニ イタリア地誌にみる社会経済的地域構造

     外国地誌の評価 イタリア南北の区分とその意味 工業開発と工業地域 二十世紀後半の農業の変化

   結 語 文献・註

     一、地誌と国際理解

 経済地理学と経済地誌 成城大学は経済学のカリキこフムの中に経済地理学と経済地誌とをおいている。先学

の高見によるもので、前者においては、経済現象の空間的(場所的)理論を考察し、後者において、世界の諸地域

についての経済活動の実質の解明に当る。前者は一般経済地理学(QaeLe(woμ(){一一`{c咬のo9aphy。

AllgemeineWirt-

schaftsgeographie)とも呼び、経済産業の種類別に農業経済地理学、工業経済地理学、商業(流通)経済地理学、

交通経済地理学、都市経済地理学等に分類され、立地論、中心地論、地域論、或は資源論、環境論などの理論を

立て、計量的方法をも採り入れて研究を進める。

 経済地誌は特殊経済地理学(regionaleconoロ:1[rzeoxrapry。Spezielle Wirtschaftsgeographie)とも呼び大陸、国・

地方などを単位とする経済の特質を調べ、生産、交易、輸送及びその背景となる人口・社会の構造と変化を説明

する。通例は、日本経済地誌、アメリカ経済地誌、ョーロッパ経済地誌等に分けて扱われる。英語のリジョナル

・ジオグラフィには、地誌と地域的研究の二つの意味があり、後者は一国内部の地域的性格の精細な研究から国

際的な総合研究として発達した地域研究(araast乱i)に拡がる。地誌(Lrdarkロnde)は、内外の地域を対象と

した研究の成果であって、位置、自然、人口民族、経済産業、政治等の諸要素に亘って総合的な視点から解明す

るものである。

 一般経済地理学が理論的研究であり、特殊経済地理学がその現実への適用の研究であるとの見解は、単純には

帰納と演繹の論理に分別されない。なぜならば、経済地理学は地上の具体的な事象から切離すことができないか

らである。例えば立地論には数学的思考を用うるが、「もの」の性質を避けることができず、地理学は土地空間

の不均質性の上に立論されるからである。

 一般経済地理学を、世界的(グローバル)な考察とし、特殊地理学を地方的(リージオナル)な変異と考えること

もできるであろう。しかし、世界的に通用する理論或は原則が必しも一般的なものとは脹らない。それは特殊の

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集合であり、或は強者の論理であり、或はまた限られた時間と環境にのみ適用されるものであるかも知れない。

これらの意味において、個々の国及び地域の経済の実態調査を基礎とする研究が収穫を確実にするであろう(以

上の参考文献は文献印)。

 国際理解のための外国地誌 地誌は現地研究を集積した成果としてまとめられる。その積上げる過程が地誌の

研究である。近代地理学の双祖の一人、カール・リッターの『エルドクンデ』(十九巻)は、延々とした地域の叙

述であった。フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンの『中国』五巻は、資源調査の目的から入って、広

く自然、人文にも亘り、体系的考察にかかっている。地理学を地誌科学(のroLo弘e)として定義付けたのはリヒ

トホーフェンであるが、叙述形式が定立したのは更に後のことである。二十世紀前半はドイツ・フランスを中心

  (4)

に多くの優れた地誌が刊行された時代である。その目的は学術上の興味であり、学位取得のための力作もあっ

た。いずれが目的であるにせよ、世界の諸地域について真実を探求することにょって研究者に対してのみでな

く、一般市民の知識を豊かにした。

、地誌はまた人間形成の役割を分担する。学校及び家庭において読まれる地誌が古くからあったし、そのほか一

般社会人が教養または趣味として読む旅行記や風土記がある。これらは教育的地誌として分類される。

 内外の地理教科書を調査した別技篤彦教授によると、外国の記述には誤りが多く、それは古いデータが訂正さ

れていないと言う技術的な問題だけではなく、固定した地理観が改めにくいこと、正しい知識の不足からくる場

合が多い。これらは、地理教育者が正していかなければならないことである。その基礎は地理研究者がまとめる

地誌におかれる。‐

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 地誌は単なる地名づくしではなく、また統計の羅列でもない。土地を介して息を通わせている人と人の関係を

明かにすることである。それは地域ごとに、国により違っている。その違いがいかにあるか、なぜ発生したかを

考えることが必要である。優れた地誌にはこの疑問を解く鍵が示されている。例えば、中国の人口が多いこと

は、十億人の数にあるのみではなく、その国土の大半が山地か乾燥地で住みにくい土地であることにも係わって

いる。クレッシイ教授は「中国には山地が多い」と指摘し、日本人が北シナ平野や東北(満州)平野を広いとみ

る観念を改めてくれた。このような比較による考察は比較地誌学の重要な課題である。

      ニ イタリア地誌にみる社会経済地域構造

 外国地誌の評価 『イタリア・地理学的研究』は、マリオ・ピンノ(ピザ)及びドメニコ・ルオッコ(ジェノバ)

両教授の編集と、各章節を分担執筆した多くのイタリア地理学者によって完成された。英文で書かれ、総合的構

成を持ち、一九八〇年秋日本において開催された第二十四回国際地理学会議を期して出版された。その目的はイ

タリア地理学の進歩を国際的に示すこと、イタリアの国土及び地域の最新の情報を伝え、世界各国の学者教育者

のI理解を通して各国民との国際交流を促進することにあったと考えられる。

 イタリアの地理及び地理学については、それ程多くが日本人には知られていない。わが国の地理学者の中でイ

タリアに精通しているのは竹内啓一教授(一橋大学)であるが、筆者は若干の雑誌論文を垣間みた程度であっ

た。イタリアの自然・歴史・文化・経済に関する興味にも拘らず、イタリア語がフランス語ほど普及していない

こともあって、直接の地域調査も間接の文献研究も活溌ではなかった。幸いにも一九八一年にランジェッリ教授

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 (ナポリ大学)の来日を期として日伊二国間の地理学会議が、既に会を重ねている日独、日仏それぞれの地理学会

議につづいて計画された。学術研究においても応用的な分野の地域開発においても共通の話題があって、比較考

察が期待される。

 ここに紹介する『イタリア』地誌の計画は、碩学ロベルト・アルマジア教授をはじめ、イタリア地理学会の方

々にょって推進され、イタリア学術会議の協力を得て、一九七八年に具体化した。編者の一人、ルオッコ教授に

は、国際地理学連合の「世界人口百万分一図作成の委員会」でお目にかかったことがある。(『経済研究』一九八二年

七十六号木内の論文中、「一点の価値」参照)、今回の『イタリア』には、人口密度図、中心地及び影響圈図、無業土

地利用形式図など二五〇万分一の別業多色刷図6枚が付せられ、高い地理学的水準と美しい製版印刷の効果を示

している。

  『イタリア』は右の経緯によって成立したΛ研究的地誌Vであって、而も著者達の母国を研究し、外国人のため

に情報を提供するΛ教育的地誌Vの性格をも持っている、多くの研究者の協力にょって完成された総合的著述で

あり、編集の苦労が多大であったと推察される。B4版五六八頁の大冊で、別葉図のほかに多数の組込み地図、

図表を用いて説明を助けている。各章ごとに集められた主要な文献と共に本書はイタリア研究に欠かすことので

きない基礎的文献である。

 本書には見返しに、イタリア半島を含む地中海域の宇宙写真(単色)が一枚使われているほか写真が全くない。

実景の描図は少数のブロックダイアグラムのみである。構成上の問題としては、定型的な地誌が、一般部門(全

土に亘る項目別記述)と特殊部門(地域区分に基く小地域ごとの記述l処誌と呼んだ)とより成るのに対して、本書では

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後者を欠くことである。イタリアのように、地域差が著しい国においては、特殊部門に期待が大きかったが省か

れていて残念である。索引や図表のリストを欠くことと共に、ぺIジ数の制限があったためと思うが、本書の利

用をやや不便にしている。それにも拘らず、考察の内容は総合的であり、各地域の特色は、一般部門の中の随所

に説明されている。それを掘起して検討することが本稿の目的の一つである。

 地誌を地的画布(tQrr医a↑(gva已にたとえたのは、E・ハンティントン(アメリカの地理学者、『文明と気候』の

著者)であった。それは鋭い観察に基く旅行記をデッサンとしてまとめ、油絵具を積重ねて完成される絵画のよ

うなものである。近付いて見るとそれは何を現わすか分からない。やや離れて眺めることによって、画き出す対

象や雰囲気(人間と環境)が読みとれる。地誌は世界の諸地方についての科学的な分析に裏付けられた客観的な説

明に当るが、また、その構成と表現において、国土の自然、住民の人間性、社会活動等の活きいきした姿を示す

ものでなければならない。適確な主題の選択に基く自然から人文社会に亘る総合的理解のためには、対象地域に

住みついて細部の調査を重ね、ときどきは離れて全体を見渡すことが必要であって、地誌はライフワークとして

はじめて完成される。

 一国の地誌をその国の学者がまとめることは、言葉や人間関係から有利であるが、細部に目がつきすぎて全体

を見失う不利もある。また、自分たちは分かっている積りで、読者には理解し難いことも出てくる。本地誌には

それらの大きな欠点は無いが、皆無ではない。例えば北と南の対照をどこでどのように区画するかをまとめて表

示しておくことが望ましかった。‘

 紹介する『イタリア』は次の四部十三章より構成され、更に各章は二ないし十節に分けて詳説されている。そ

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のう・ち経済産業は合計二三四ぺIジ、全体の約四一%を占めている。本稿が志すのは、経済産業の地域的特性に

焦点をあてての紹介である。充分に引用する余裕に乏しかったが、強調する点は、一九五〇Iハ○年間の一・二

次産業の発展と、地域的特性との連関、及びその基礎をなす自然、人口、集落との関係である。

 環境と人間

  地質及び地形史 気候条件 陸水 自然植生 自然保護と人文化景観

 人口と集落

  人口 村落及び都市

 経済と交通

  イタリア経済の基礎 第一次産業 第二次産業 第三次産業

 世界の中のイタリア

  国際政治経済におけるイタリアの役割 八十年代のイタリア

 イタリア南北の区分とその意味 イタリア半島はアペニン皺曲山脈を主軸とする地形単位である。ベスビオ

ス、エトナ、ストロンボリ等の火山活動は地学的意味は別として、南北の対照には係ってない。サルジェアの古

生層も同様である。アペニンの山地と谷に拡がる耕地・牧場・村落・都市等に対するのは、アルプスの山地及び

その山麓にひろがるロンバルジア平原である。いはば丁形をした国土の上辺(北側)の一と下辺(南側)のー部と

の差違である。上辺の一は更に北西部(Northwest)と北東部(No「tra降」とに分けられ、自然条件も恵まれ、経

済活動の中核となってきた。

-9-

一九五〇年代以降のイタリア地域構造の変化

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 人口・経済等の多くの指標を眺めると、半島は南下するほど後進的な性格を示している。アペニン山脈の北部

を占める本書で言う・中央地域(のen{ra})は、先進と後進の中間位置にある。南部地域(Joロtどはチレニア海側で

はローマとナポリの間に始まる。

 近代都市は経済活動力と人口の大さにほぼ比例したポテンシァルを持ち、その大小による広狭の影響圈を拡げ

ている。古代帝国の首都ローマは辺境の位置を占めていて、近代経済活動の中心とならなかった。経済的中核で

あるミラノ・トリノ・ジェノバ三角帯からの距離は、識字率(二〇二ぺIジ第六・九図)、幼児死亡率などとの相関

性が高い。

  〔所得格差〕 多くの指標がイタリアの南北(厳密に言えば北西と南東)の格差を示す。州民一人当り平均所得

分布図(三四三ぺIジ第八1十二図)は、所得額を3階級別に分類したコロプフレス図である。aは年九九・八万l一

四一・六万リラ、bは六五・八万l九九。八万リラ、cは四六・二万I六五・八万リラを示す。最低のc階級に

属する州は、ローマ・ナポリ間のガエータ海岸から、モリーゼ州の北西辺をアドリア海に到る線によって画され

る。この線より南の州は一九州がc、ハ州がbであり、以北では、cは四州のみで、大多数はbまたはaであ

る。(一〇ぺIジ地図)

  【農業人ロ】 全国には、三六五万人の農業人口がいるが、その約半数一八四万人が南部に所在する。地帯別

にみた農業人口比率は、北西部(八・五%)、北東部(一八・四%)、中央部(一六・一%)、南部及び島部(三一・○%)

であって、所得の低い地帯は農業人口率が高い。

  〔気候・水文〕 農業は土埃・水煙・気候及び起伏の自然条件の上に成り立つ。いま相対日添量を採って比較

一一11-

すると、年間では北に少なく南に多い傾向を示している。即ち、北部四八%、中央部五三%、南部五五%、シチ

リア六二%である。輝く日と碧い空はゲよアならずとも北歌人のあこがれの的であったが、日照星のみでは農業

の生産性は決まらない。次に降水量流出星からみた水資源量の配分をみると、五三%が北部、一九%が中央、二

一%が南部、七%が島部となっている。濯漑施設の発達も合せて生産力の地域的評価を加えなければならない。

 以上のほかにも、多くのデータが人口、自然、経済産業に亘って提示される。これらを比較して、地域構造を

総合的に判断する資料とすることができる。

 工業開発と工業地域 約五七〇〇万人の人口を持ちながら、石油資源を欠くイタリアの工業化の道は厳しい。

嘗ては半失業状態の農村人口が、アメリカ、西ヨーロッパヘと流出したが、現在では、移民数の制限が強化さ

れ、一方では国内経済の発展から、国際的な人口のUターン現象がみられる。

 産業別人ロ率(一九七八年)は、第一次産業一四。二%、建設・鉱業を含む第二次産業三五。0%、第三次産業

四三・四%であって、このほかに、新規求職者三・七%、失業者三・六%が加わる。失業者の実数は七八万人で

ある。(別の資料では約一五〇万人とも算えられている)

 イタリアの工業開発と都市化は一九五〇年以降急速に進み、これに伴って農業人口の減少、土地利用の変化が

進んだ。しかし先進的な工業部門と後進的な農業部門との格差は大きく、産業間の格差は地域間のアンバランス

となり、歴史的な南北の対照はなお顕著である。工業化の影響の受け方は、既存の社会の性格によっても異なっ

ており、その複雑なパターンは当『地誌』の各章から読みとられる。

 近代国家としてのイタリアは、国際政治経済との関係、中でもECの一員としての濃い影響を受けている。第

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二次世界大戦後はアメリカの援助を受けて、経済的奇跡をなしとげ、貿易の拡大を背景に国内的には南部への投

資、自動車高速路の建設、住宅建設等を進めた。輸出の増大は、イタリアの労賃が安かったこと、新しい技術、

斬新なデザイン等によって助けられた。メタンガス田の開発や臨海工業地区の建設も進んだ。

 やがて工業の発展に伴う負の効果も目立つようになった。ポー平野における地盤沈下、ミラノを中心とする大

気汚染、河川及び沿岸水域の汚れ等が顕著となり、本『地誌』に図示されている。

 一九六〇年より七五年にかけては経済成長が下降をたどり、労賃が高騰し、財政困難を迎えた。石油価格の高

騰はイタリアの工業と貿易に打撃を与えた。これに対して、国はパンドルフィ計画と呼ぶ短期(三か年)計画を樹

てた。その重点はまたしても南部であったが、発展途上国の農業及び工業製品の追上げに対抗する助成など、細

かい配慮のほかに鉄道・高速路、メッシナ海峡架橋等の建設プロジェクトを策定し、一九五九年以来の平衡的地

域開発政策に代えて、発展核(グロス・ポール)の波及効果を期待する開発計画をも進めた。

  〔工業分布〕 イタリアの工業は北西部、ミラノ・トリノ・ジェノバを結ぶ三角地帯が核心となって全国的に

拡っている。工場数の三〇・一%(労働者数の四八・一%)が北西部に、工場数の二一・四%(労働者数の二一・九

%)が北東部にある(一九七一年)。両者を合せて労働者の七割を占め、その発達はこれらの地区の先進的地位と、

資本及び労働力供給の豊かなことに由来している。

 イタリアは伝統的に中小企業の国である。六〇五、五七七の工業事業所が五三〇万人の人々を使用し、一企業

当りは僅か、八~七人である。既にフィレンツェには十三世紀から、ミラノには十六世紀半ばから繊維工業が興

っていた。彼等は多方面の業種に創造性に富む能力を発揮し、時代の変化に適応して今日に到った。その力は、

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第二次大戦後の工業発展にも役立った。

 発達の時期、大企業と中小企業、業種などによって、工業地域の型式を分けると次のようになる。

㈲ 高度工業化地区 ロンバルジアとピエモンテ。工業製品出荷の四〇%、工業製品輸出の五〇%を占める。

㈲ 工業化地区 トスカーナ、ベーネトなど中小企業を主とする地域であるが、またリグーリア、ウンブリアの

 よう・な大工場を含む州もある。

C 新に工業化しつつある地区 中小企業が多いが、政府出資の大工場もある。カンパーェア、プーリアなどの

 諸州。

卯 低開発地区 南部の諸州である。

 第二次大戦後の基礎的工業である製鉄業の復興には、原料輸入と地域的配分を考慮して、ジェノバ、トリノに

近い北部(コルニリアノ)、エルバ島対岸(ピオンビーノ)、ナポリに近いバニョリを選んだ。以上の合計年産粗鋼量

は三四〇万トンである。更に、IRI(工業復興計画)によって、南部のタラント(一九七九年産七五〇万トン)を

立地させた。以上の鉄鋼一貫工場のほかにブレーシア、トリノ、ミラノに約五〇〇万トンの民営製鉄工場があ

る。

 二十世紀後半の農業の変化 農業従事者は▽九五一年の八六四万人から一九七六年の二九〇万人へと大量の減

少を示した。この減少は工業化と人口の都市集中によるものであったが、減少は時期によって傾向が異なり、地

域によって差異を示している。一九五六年と一九六四年を境に従事者の地位別の差をもっている。一九五一丿六

年は農業従属者の減少。一九五六-六三年の国民経済成長期には分益小作と農業労働者が減少して、家族従業者

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が増し、一九六四年l七年期には、小作人・小地主が減少をみた。一九五一l七二平間を通してみると、自作農

が二九・七%より四五。四%増え、農業労働者も三二・二%より四〇・五%に増加した。後者の傾向は南部にお

いて著しかった。また女性労働者が三三%に達し、高令者が二三%を占め、兼業化が進むなど、農業の停滞性を

示す傾向が強くなっている。

  〔分益小作〕  (me~dsa) イタリア中央部(トスカーナ、ウムブリア、マルケ、ラーチオ)に特色を持つ分益

小作は、嘗ては五一。三%を占めたが、七一年には九・七%へと激減した。中部はその土地の大半が丘陵または

山地で、封建的所有が僧院、貴族、町の富裕者、一部は中産階級によって続いてきた地方である。耕地は口頭又

は文書の契約で二〇―三〇ヘクタール宛に分割されて小作者によって経営され、収穫の利益(プロフィト)を折

半した。日本にあった刈分け小作と違う・のは、経営の規模が大きいこと、濯漑水路・道路・土壌流失の防止等の

改善が進んだことなどである。戦後は農業人口の流出と農地の自作化にょって、農地は細分化し、一部は賃かせ

ぎの耕作に任かされることになった。

 全国的にみて、農業従事者が減少し、一人当りの農地面積が一〇ヘクタール平均と約三倍に増えたために、過

剰となった農地は短期で貸すか、或は放置される。農民の心理として、土地の保有を統けるために、放置した農

地が全国で四〇〇―五〇〇万ヘクタール、全農地の約六分の一に達している。特に山地、丘陵の傾斜地は従来と

も飼料作や牧畜に使用されてきたが、荒れたままになり、土壌侵食を広く起している。しかし、土地条件のよい

所、市場出荷に便利な谷底の土地は様々な型式の農業・園芸やブドウ園等として利用されている。

 土地利用は土地の自然条件と社会条件とによって細かい地域的適応を示す。ここでは主要な十二型式をあげて

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おもな分布地を例示するに止める。

㈲ 野菜畑 主として南部の海岸に帯状に分布する。

㈲ 果実・花の裁培、苗木畑 リグーリア海岸、ローマ郊外などに点在する。

㈲ オレンジ類の農園 シチリアの斜面などに点在する。

㈲ 果樹地 シチリアに点在 ボローニャ付近に集団する。

㈲ ブドウ園 フィレンツエ、ローマ近郊を含み、北はリビエラ沿岸から南は半島の南端まで集団をなして分布

 フランスのワインとの競争があり、生食用と赤ワインに力を入れる。

印 オリーヴ林 北はプレアルプの谷から、南は半島の南端シチリア島まで、大小の集団をなして分布する。

㈲ 水稲 トリノ・ミラノ間の低地で耕作される。

㈲ 穀物及び工芸作 ポー中下流の平野、ナポリ付近の海岸平野などに集団的に分布する。

田 穀物及び飼料作 水利のよい士地、ミラノ南部よりベネチアに亘って拡がる。

印 穀物及び飼料作 乾燥した土地、アペニン山麓、シチリアなど広く全国的に分布する。

㈲ 牧草樹林混在 アルプス・アペニン、サルジュアの傾斜地を被う。

田 森林・牧草地・牧場 山地を占め、谷底は耕地、果樹園となる。

 〔村落及び家屋形態〕 農業経営及び土地利用の大小種別に対応して、村落形態、家屋の機能の特色が現われ

る。村落形態については、R・ビアスティ教授が集村、中間型、散村を大別した。集村は三亜型に、散村は二亜

型に、中間型はミラノ付近のコルティ(Qort。)、ローマ付近のカサリ(caL‘)等七亜形に分類されている。

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 以上のほかに、都市に分類されている農業日傭人町と農業中心町(南部形式と北部形式=例えばラベンナ)を加え

る必要がある。

 L・ガムビ教授による農家の機能構造の諸型式(11種)は、土地利用分類とかなりな整合性を示す。おもな型

式を示せば、

印 広い内庭(コートヤード)を持つ企業的農家。農場とは別に所在。ポー川中渡部ミラノ付近に分布する。

㈲ 二・三階建の一家族居住、納屋及び厩舎が直角に接統。印㈲の分布地を除く北部平野の大半を占め、土地利

 用はjkを主としfを含む。

㈲ 二・三階建て一家族居住。納屋厩舎と住居部が独立する。土地利用はポー川デルタのhを主とする。

㈲ 一家族居住、二・三階建て。飼料舎が住居と厩舎との間に股けられる。フィレンツエよりローマ北部まで広

くアベニン山地に分布。土地利用はjk。

雨 マセリエ(maSer-e)集村を作り囲壁を持つ場合もある。南部の大型のマセリエには、多数の家族が集住す

 る。土地利用はefhjkなど。

㈱ 一家族平家二室。

m サルジュアの一家族住居。内庭あり。

㈲ 山地にある季節小屋、乳加工室を持つ。林業小屋の利用もある。

      結 語

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 以上きわめて限られた範囲であるが、イタリア地誌の一面を紹介し、その中から、イタリアの持つ社会経済的

な地域的特性を画き出した。ここに主としてとりあげた南北性の対照のほかにも、平野と山地、大都市と農村な

どのさまざまな対照がみられる。ロンバルジア平野の中にも、土地利用と居住様式の複雑な模様があって、それ

らを調べることは興味深い。また、半島国の政治経済的分離の関係を朝鮮、インドシナ等と比較する視点は後に

保留しよう。

 本稿で言う・地域構造は、均等的性格によって区分される各地域間の関係として用いた。その単位は統計的には

州。市・或は地方である。北西部を経済の中核として半島の南東へと向って変化する大きな地域性の整序が地域

構造として示される。それは自然の上に歴史的に形成された社会のイナーシアであって、二十世紀後半には大き

く変化をとげたが、相対的な地域特性は総統している。各州・各市町村及び集落内部の産業経済的、人口社会的

な結付きが自然的諸要因とも相待ってなお堅いためと考えられる。

 地誌は地理学的研究の花であるが、ここに試みたのは、地誌から地域的性格を解読することであった。『イタ

リア』地誌の豊富にして重厚な成果が可能ならしめたものである。平均的な統計や記述ではなく、地域間の変化

が時間的にも空間的にも示されていて、はじめて地誌が国際理解に貢献することができる。改めて、原著者各位

に敬意を捧げる。

    文 献

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