17
伊藤宏之:重商主義者としてのジョン・ロック 1 重商主義者としてのジョン・ロック 最近のロック研究への批判的評価(2) 1 はじめに ここで検討するのは、J.タリーの『政治哲学 への一つのアプローチ:前後関係の中でのロック』 (James Tully,An Aρρ名。α6h’o Po1漉。α1盈ilosひ ρhy二Lo漉8初oon‘召x孟s,Cambridge,1993)である。 1980年に公刊の『所有権論:ジョン・ロックとそ の論敵たち』(、4ゴfs6餓rs8碗餌。餌πyJohnLoo々ε 召nゴhおα4泥応or勿&Cambridge)以後のタリーの ロック研究を集成した本書〔1)は、r初期近代にお けるジョン・ロックの政治思想とその位置の双方 の複雑さをよりょく理解」し、「20世紀後半期の 読者にとって、ロック解釈の決定的重要性と興味 深さを明示すること」を意図している(p.2)。タ リーは自ら、J、ダン、M.フーコー、J.ポー コック、Q.スキナー、C。テイラーらと共に、 「通説的なロックやリベラリズム解釈に挑戦し、 そのことによって、近代性modemityについて の見方を転換しよう」(p.2)という研究動向と協調 しようというのである。 この研究動向は、いわゆる「シヴィク・ヒュー マニズム・パラダイム」あるいは、rケンブリッ ジ・パラダイム」と呼ばれているものである。タ リーによれば、現代のこの研究動向は、20世紀の 4つの困難な問題、すなわち、2度の世界大戦や 1945年以降の戦争や軍国主義一「グローバルな 軍事・科学・産業的複合体」(p.262)r環境の 汚染と破壊、第3世界の飢餓、それに失業や政治 腐敗・暴力及びガン・精神病などの疾病、等の拡 大を目の当りにして、ヨーロッパ啓蒙の進歩史観 への深い懐疑を根底に持っている(pp.262-3)。 危機の現代において、その突破の可能性をさぐ ること、それは、マキアヴェルリ以降の政治思想 史をアングロ・アメリカ共和主義の展開として読 み変えることによって可能となる、というのが、 この研究動向の基調である{2)。 タリーは、ロックをこうしたシヴィク・ヒュー マニズム・パラダイムによって解釈し直そうとい うのである。本書未収録の論文「『統治論』の位 置づけPlacingthe“Tz〃。 T〆ε観説s”」(in Poli!’ 1溶oo記名sθ 〃¢ 動雇y 〃042r” Bプi彪f毎, ed. N. Phillipson and Q.Skinner,Cambrid おいて、タリーは、『統治論』についてのr神話」 がポーコックらによって取除かれたと説く.その 「ロック神話」とは (1)1688年革命についての主流的なウイッグ的 弁証 (2)1680年代初めのウィッグ政治思想の総合 (3)急進的ウィッグの典型及び18世紀「国家共 同体commonwealth」の要求と一般的言語 (4)18世紀ブリテンの支配的な政治思想形態 rD678 初期資本主義のイデオロギー リベラリズムの基本的なテキスト アメリカ革命の唯一のイデオロギー 合衆国の不可欠の政治思想 である。 rロック神話」解体後にポーコックらが見い出 すものは、古来の基本法とハリントン的共和主義、 徳と商業社会・議院官職の腐敗との多面的なr弁 証」、作法・洗練・高雅・礼儀・同感それに社交 性についてのリベラルな言語、そしてアメリカに おける「共和主義の総合」である. タリーはこうした研究動向に沿いつつ、自らの ロック研究の基調を次のようにしるす

重商主義者としてのジョン・ロック · 伊藤宏之1重商主義者としてのジョン・ロック 3 のである。 タリーは具体的には、政治権力の定義、政治権

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Page 1: 重商主義者としてのジョン・ロック · 伊藤宏之1重商主義者としてのジョン・ロック 3 のである。 タリーは具体的には、政治権力の定義、政治権

伊藤宏之:重商主義者としてのジョン・ロック 1

重商主義者としてのジョン・ロック   最近のロック研究への批判的評価(2)

伊 藤 宏 之

1 はじめに

 ここで検討するのは、J.タリーの『政治哲学

への一つのアプローチ:前後関係の中でのロック』

(James Tully,An Aρρ名。α6h’o Po1漉。α1盈ilosひ

ρhy二Lo漉8初oon‘召x孟s,Cambridge,1993)である。

1980年に公刊の『所有権論:ジョン・ロックとそ

の論敵たち』(、4ゴfs6餓rs8碗餌。餌πyJohnLoo々ε

召nゴhおα4泥応or勿&Cambridge)以後のタリーの

ロック研究を集成した本書〔1)は、r初期近代にお

けるジョン・ロックの政治思想とその位置の双方

の複雑さをよりょく理解」し、「20世紀後半期の

読者にとって、ロック解釈の決定的重要性と興味

深さを明示すること」を意図している(p.2)。タ

リーは自ら、J、ダン、M.フーコー、J.ポー

コック、Q.スキナー、C。テイラーらと共に、

「通説的なロックやリベラリズム解釈に挑戦し、

そのことによって、近代性modemityについて

の見方を転換しよう」(p.2)という研究動向と協調

しようというのである。

 この研究動向は、いわゆる「シヴィク・ヒュー

マニズム・パラダイム」あるいは、rケンブリッ

ジ・パラダイム」と呼ばれているものである。タ

リーによれば、現代のこの研究動向は、20世紀の

4つの困難な問題、すなわち、2度の世界大戦や

1945年以降の戦争や軍国主義一「グローバルな

軍事・科学・産業的複合体」(p.262)r環境の

汚染と破壊、第3世界の飢餓、それに失業や政治

腐敗・暴力及びガン・精神病などの疾病、等の拡

大を目の当りにして、ヨーロッパ啓蒙の進歩史観

への深い懐疑を根底に持っている(pp.262-3)。

 危機の現代において、その突破の可能性をさぐ

ること、それは、マキアヴェルリ以降の政治思想

史をアングロ・アメリカ共和主義の展開として読

み変えることによって可能となる、というのが、

この研究動向の基調である{2)。

 タリーは、ロックをこうしたシヴィク・ヒュー

マニズム・パラダイムによって解釈し直そうとい

うのである。本書未収録の論文「『統治論』の位

置づけPlacingthe“Tz〃。 T〆ε観説s”」(in Poli!’6α1

1溶oo記名sθ 〃¢ 動雇y 〃042r” Bプi彪f毎, ed. N.

Phillipson and Q.Skinner,Cambridge,1993)に

おいて、タリーは、『統治論』についてのr神話」

がポーコックらによって取除かれたと説く.その

「ロック神話」とは

 (1)1688年革命についての主流的なウイッグ的

  弁証

 (2)1680年代初めのウィッグ政治思想の総合

 (3)急進的ウィッグの典型及び18世紀「国家共

  同体commonwealth」の要求と一般的言語

 (4)18世紀ブリテンの支配的な政治思想形態

rD678

初期資本主義のイデオロギー

リベラリズムの基本的なテキスト

アメリカ革命の唯一のイデオロギー

合衆国の不可欠の政治思想

である。

 rロック神話」解体後にポーコックらが見い出

すものは、古来の基本法とハリントン的共和主義、

徳と商業社会・議院官職の腐敗との多面的なr弁

証」、作法・洗練・高雅・礼儀・同感それに社交

性についてのリベラルな言語、そしてアメリカに

おける「共和主義の総合」である.

 タリーはこうした研究動向に沿いつつ、自らの

ロック研究の基調を次のようにしるす

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2 福島大学教育学部論集第60号

 r私はいたるところで、ロックと共和主義的著

作家たちとが、〔支配者と自由な市民との統治関

係を条件的で相互依存的なゲームとしてとらえる〕

という点で、そして、絶対主義に特徴的な受動的

服従に対する周知の対抗という点で、同一ではな

いが、より近接している、ということを示してい

る。」(p.3。〔……〕内は原文の意を汲んで引用者

そう入。以下同じ)

 以下、順次タリーの所説を検討していきたい。

・王

‘,’

(1)本書収録の論文はそれぞれ、1979年から1992

 年にかけて執筆・公表されたものに加筆された

 ものである。

(2)シヴィク・ヒューマニズム・パラダイムそれ

 自体については、ポーコックを始めとする多数

 の研究を一括し、別稿にて検討する予定である。

II政治権力論

 まず、タリーは、ロックの政治思想が、17世紀

のすべての主要なヨー・ッパ思想家が直面した4

つの問題群への解答であったとし、その問題群を、

r16・17世紀の宗教戦争と内乱、有効な統治単位

としての近代ヨー・ッパ諸国家の統一の生成、諸

国家間の軍事的・商業的拮抗を伴うバランス・オ

ブ・パワーと交易制度の形成、それに非ヨーロッ

パ地域の住民及び資源の征服・支配・収奪をめぐ

るヨーロッパの帝国的闘争」(p.10)ととらえてい

る。そして、この「ヨーロッパの苦境」際して、

過去500年間支配的であった知への革新によって、

これらの問題を、r統治と政治権力の理論的性格、

政治に対する宗教の関係、統治の実際の技術、そ

れに宗教と政治上の理論及び実践とに含まれる知

識の諸類型」(p.9)としてとりまとめあげたのが、

ロックだというのである。これによって、ロック

は、r啓蒙の基礎」(p.10)たりえた、とタリーはみ

る。

 論点の第1は統治と政治権力についてである。

1996-6

ここでタリーがテキスト上の根拠とするのは、

『統治論』1-106である。

 rいずれの時代であれ、人類を混乱させ、都市

の崩壊、一国人口の減少、世界平和の乱れといっ

た災禍の最大部分をもたらした源である一大問題

は、この世に権力があるか否かや、どこから権力

は派生するかということではなく、誰が権力を持

つべきかwhoshouldhaveitということである。

この点を解決することは、君主の安全や領土・王

国の平和と福祉に劣らぬ重要な事柄であるから、

政治の改革者はこれを確かなものとして非常に明

白にすべきであると思う。この点が不明確なまま

残されるならば、その他のことはすべてほとんど

空しくなる。権力を持つ権利を誰が持っているか

を示すことなく、すべての光輝と魅惑をもって権

力を飾りたてる技巧によって権力の絶対性が増大

するならば、もともと強烈な人間の生まれながら

の野心に、より大きな刃を与えるのに資するのみ

であろう。これでは、ただ人々をますます熱心に

権力の奪い合いにかりたてて、統治の仕事であり

人間社会の目的でもある平和と安寧のかわりに絶

え間ない競争と無秩序endless contention and

disorderのための強固で永続的な基礎をすえる以

外の何ができようか。」

 タリーは、ここに、イングランドのみならずヨ

ーロッパ諸国の問題状況を、そしてとくに、rイ

ングランドの内紛がそれ自体、より広くヨーロッ

パ的脈絡の一部であった」(p.13)ことを看取して

いる。すなわち、『統治論』は、フランスヘのイ

ングランドの従属的結合を阻止し、1688-9年の

オレンジ公ウィリアムの即位によるヨーロッパの

対仏9年戦争(アウクスブルグ同盟戦争1689-1697

年)へのイングランドの参入を目的としている、

とタリーはいうのである(1)(p.13)。そして、タリ

ーはロックの「紳士の読書と研究に関する考察

So耀 肌oz48h応 Coη‘ε御fη91~θα4∫犯g oηゴS置π4タ

ノb〆θG召η〃召㎜π』(1703年)を援用して、『統治

論』をrロックの世代及びそれ以前の60年にわた

る政治権力についての実際の抗争と理論的論争」

(p.13)という直接的な脈絡の中において読み取る

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伊藤宏之1重商主義者としてのジョン・ロック 3

のである。

 タリーは具体的には、政治権力の定義、政治権

力の起源、政治権力がそれに従って行使される権

利の規則、国民の同意による政府への政治権力の

条件付き信託、政治権力の三部門が政府によって

行使され法と革命によって制限されるその方法、

という5段階で考究している。

 (1)政治権力の定義

 立法権、執行権、連合権の三つから成る政治権

力の目的が「公共の福祉」とされていることにつ

いて、タリーは、これがr通商委員会のメンバー

として熟知の初期近代の重商主義国家の現実的な

要求と実践に密接な政府の権力についてのロック

の力強い思考」であり、又、ロックの同時代人に

とってはr通例」のことであった、と受け取って

いる(pp.14-5)。

 (2)政治権力の起源

 タリーは、自然状態での個人の自然法執行権を

もとに、ロックの中に「政治的個人主義Political

lndividualism」(p.15)という概念を析出し、それ

がもつr新奇さs加ηgε」(◎II-9、cf.II-13)に

注目する。ロックの「政治的個人主義」は、「自然

的服従」と「自然的自由」という「伝統」的思想

と対比される時、r初期近代政治思想における主要

概念上の革新の一つone of the major conceptual

innovations」(p.15)である、とタリーは説く。

 自然的服従論とは、いうまでもなく、R.フィ

ルマーに代表されるもので、r1670-80年代のプ

ロテスタント絶対主義者や英国国教会の聖職者」

(p.17)に認められるものであり、ロックは家父長

主義、王権神授説それにr事実上4θ血。∫o」の君

主論(◎1-4・5,II-175~196)にそれを見

い出している。

 他方、自然的自由論は、個人の生まれながらの

自由と、同意や契約・信託それに協定といった約

束事による政治的服従を説くものである。この学

説は、個人の自然的自由の君主への放棄と例外的

状況としての圧政に対する自己防衛を認めるもの

である。この自己防衛が抵抗権に連なるとして、

フィルマーがバークレー、グロティウス、ホッブ

ズ、プーフェンドルフなどのその学説の自然的自

由を批判したのに対し、ロックは、バークレーへ

の批判に見られるように、その学説の自然的自由

の脆弱さを指摘するのである。これをうけてタ

リーは、この自然的自由論を「絶対主義につい

ての自然的自由理論natural freedom theories of

absolutism」と呼ぶ(p.18)。

 ロックが「自然的自由」を作り直して、「政治

的個人主義」に至ったことに関わり、r絶対主義

についての自然的自由理論」の問題点をタリーは

5点にまとめあげている。第1はr自己及び財産

の防衛権を政治権力としては描いていなかった」

(p.18)こと、第2はr国民が制度的な政府を樹立

することに同意した時に、政治権力が存在するよ

うになると説かれたこと」(p.18)、第3はr政治

権力は本来団体としての国民に属するのであって、

個人に属するのではない」(p.19)とされたこと、第

4は「国民は全体としては政治権力を決して行使

できない」(p.19)とされたこと、最後は、r圧政へ

の正統的な抵抗の場合、国民は個人ないしは彼ら

の自然な代表〔例えば、ロウスンのように40州の

ジェントリーが代表とされる〕を通じて行動する

団体のいずれも、攻撃から自ら又は彼らの共同社

会を守る自然権を行使する」のであって、「政治

的行為として概念的に把握されていなかった」

(p.19)ということである。つまり、「政治権力は、

ロック以前の自然的自由の伝統にあっては、制度

化された政治団体又は支配者の所有物として概念

化されていたのであって、国民は生まれながらに

自由であっても、この自然的自由は非政治的non-

politica1なものであった」(p.19)とタリーはいう。

タリーによれば、このことは、G.ブキャナン、

G.ロウスン、R.オーバートン、A.シドニー

らの自然的自由論のr最も急進的な理論家」(p.19)

にとっても当てはまることである。タリーは、こ

うして、ロックを次のように位置づける一

 「国民が個人又は団体として自ら政治権力を行

使する資格を持っているとは誰れもが認めよう

としなかった。個人の民衆的な主権を据えるこ

とによって、ロックは500年にわたるエリートの

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4 福島大学教育学部論集第60号

政治的全体論を否認して、政治権力の起源を急進

的な民衆主義の形で再把握したのである。」(p.19)

 さらにタリーは、ロックがr政治的個人主義」

の立場をとったことの実践的な理由として、第1

に、議会を通じての寛容の獲得が失敗した後の、

ディセンターの実力での反抗を正当化することの

必要性と、第2に、圧政のもとでの少数派の支援

における武装した抵抗の正当化、及び、13世紀以

前からの刑事制度にかかわる議会と君主との起源

論争をあげている(p.22)。そして、タリーは、こ

れらに加えて、r1681-83年の革命の組織化及び

1685年のモンマスの反乱へのロックの連座」(p.22

-3)をあげている。

 (3)政治権力行使の権利についての規則

 タリーは、政治権力がロックにおいて自然法二

r公共の福祉」によって行使されるよう規則化さ

れており、しかも、グロティウスらと異なり、「ロ

ックがこの点での革新を、基本的な自然法が自己

保存のみでなく、人類の保存(◎II-135)であ

ると論じている」(p.26)点に見い出している。

 この点は、より具体的に、政治権力と「労働権

又は生産力labour power or productive power」

(◎II-129・130)に関してのロック独自の意味

づけに関わることになるとしてタリーはいう

 「重要なことは、労働と財産を、保存のために

又は公共の福祉のために規制することが政治権力

の本来の機能である、とロックが論じていること

である。これは初期近代国家の重商主義制度にお

ける労働人口の広範な規制と規律化のための正当

化をもたらす。」(p.28)

 (4)信  託

 ロックの信託理論が、譲渡理論を批判する理由

として、タリーは、三つをあげている。第1は、

譲渡理論では主権者が法に従属しないので、定義

上政治社会の外に立権者がいることになるという

こと(p.30)、第2は、それは政府が圧政となるこ

とを阻めないこと、第3のそして主要な理由はそ

れが個人を非政治化するが故にr受け入れられな

い」ことである(pp.30-1)。

 (5)抵抗=革命権

1996-6

 タリーは、ロックの信託理論が「統治について

の相互関係的実際」(p.38)をとらえているとした

上で、自然状態論がr革命の導入のためにおかれ

た階梯」(p.41)とし、ロックと同時代のJ.ティ

レルやW.アトウッドらのロック批判的を引用

しつつ、「ロックの抵抗理論は、初期近代の政治

思想における最も独創的な所説であり、普通の人

々が政治権力を掌握し統治を改革することを含む

政治的抗争として反逆を把握する最初のものであ

る」(p.42-3)とのべる。むろん、抵抗二革命につ

いてのロックの保守的言説をふまえた上で、タリ

ーはロックの所説を次のように要約する

 r革命は政治において最悪のことではない。最

悪なのは、圧政である。圧政にならない唯一の保証

は、革命の原理のみならずその実践そのものである。

 ・・圧政への抵抗の正当性、これが『統治論』の

主題である。それがいかに新奇に聞えようとも、

それは内乱への解決策でもある。」(pp.46-7)以上が

ロックの政治権力についてのタリーの理解である。

 ところで、ロックの政治権力論は、政治と宗教

の関係にも関連している。これがタリーの第2の

論点である。タリーは、『寛容論』(1667年)を境

にしてロックが寛容擁護論に転換したことと、

「権利としての民衆の主権と寛容との結合」(p.15)

の端緒をロックの論文とされる「田舎の友人への

貴人の書簡、4」ε飽〆〃。吻α餌だ。ηφg襯!め’∫oh奮

加セnゴ∫η’h召60観勿』(1675年)に認めた上で、

『寛容に関する書簡』に集約されるロック寛容論

を結論的に次のようにまとめている

 「民衆の政治的主権と同じように、民衆の宗教

的主権が、統治の問題への解決である。」(p.62)

 こうして、タリーは「寛容に関する書簡』が、

『統治論』と同じくイングランドを含む「150年に

わたるヨーロッパ規模の宗教戦争という危機に向

けられている」(p.48)ことを強調している。

 タリーによるロック政治権力理解での枢要点は、

絶対主義についての自然的服従論と自然的自由論

との双方に対して、ロックが自然的自由論を批判

的に継承し「政治的個人主義」を説いたこと、

そしてこれこそがロックが自説をr新奇な原理

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伊藤宏之二重商主義者としてのジョン・ロック 5

StrangeDoctrine」とのべた意味である、との解

釈を示したことである。

 タリーが「政治的個人主義」という典拠はロッ

クの次の言説である

 r自然状態においては自然法の執行は各人の手

に委ねられている。それによって各人は、自然法

の違反者をその違反を防止する程度に処罰する権

力を持っている。」(⑥II-7。傍点は原文イタリ

ック、以下同じ)

 ところでこの自然法執行権は、ロックの言葉が

示しているように自然法=r平和と全人類の保存

を願う自然法」という目的の達成のための手段であ

る。タリーはこの自然法執行権と区別して、個人が

自然状態において「労働権Iabour power」という

もう一つの自然権を持つとロックがのべている、

という.この典拠としてタリーは、ロックの次の

言葉を引用している一

 「自然法の許す範囲内で、自分自身と他人の保

存のために適当と思うことは何でもしてよい。」

(◎II-128)

 これも自然法実現のための手段である。この労

働権」に続いて、ロックは同じ128節でも自然法

執行権二「自然法に背いて犯された罪への処罰権」

をあげ、「以上の二つの権力は、いわば各自の又

は個別的な政治社会に加わり、また他の人々から

別れて別個の国家共同体をつくる場合には、委ね

られるのである」とのべている。これがr共同社

会Community」ニ「国民people」の形成である。

 ここで注目すべきは、タリーが自然法執行権と

してr政治的個人主義」を析出したことと共に、

r労働権」をそれと区別したことの意味づけにつ

いてである。次節でも見るように、タリーは自然

状態での個人の「労働権」がマクファースンの解

釈のように「資本家階級」に「譲渡二委任」(p.85)

されるのではなく、国家共同体においては政府に

よる「規制」をうけることがロックの意味すると

ころである、と受け取る。

 こうして、タリーによれば、ロックの「労働権

又は生産力」は、政治権力との関係、端的にいえ

ばr重商主義戦略」において位置づけられている

と読まれねばならない、ということになるのであ

る。このタリーの論点は次節で検討したい。

 検討1。

 タリーはロックの自然状態における個人の自然

権をr自己保存権」とし、それが自然法執行権と

労働権であることを指摘した上で、これらが個人

の同意によって政府にr信託」されるという。そ

こでは、「多数者の決定に個々人を拘束する」(p.

33)ことから、タリーは次のようにいう一

 rロックは本来的な政治的個人主義者であるけ

れども、同意は個人をして、政治権力を具体化し

多数者に従って行為する共同体の臣民にするのだ

から、ロックは協定に従った政治的全体論者a

conventionalpoliticalholistである.」(p.33)

 タリーはこのように多数者支配をもってr全体

論者」ロックという表現をしている。しかし、こ

れは首肯できない。タリーのロック政治権力論理

解は、すでに紹介したものであり、r政治的個人

主義」をロックの革新としていることに照せば、

r全体論者」ロックという表現はタリーの自己矛

盾という他ない。r国家状態」における多数決原

理の優位をロックが語っていることを理由にr多

数者支配majority mle」を強調する例としてケ

ンダル(3)がいるが、タリーはこれを援用してはい

ない。タリーの表現が意図していることは判然と

しないが、あるいは重商主義論と関連しているの

かもしれない。しかし、この点はタリーの叙述か

ら明確に読みとることはできない。

 タリーのロック政治権力論の中心論点は、とく

に17世紀の政治権力をめぐるr実際の抗争と理論

的論争」(p.13)の中でのロックの位置づけであ

る。そして、タリーの解釈で検討すべきは、絶対

主義との対抗においてロックが用意したr政治的

個人主義」が、r公共の福祉」=重商主義国家の

中で持つ意義である。タリーの解釈のうち、絶対

主義批判としてのr政治的個人主義」については

異論はない。問題は、このr政治的個人主義」=

「民衆の政治的主権」がタリーのいうロック重商

主義国家論の中でいかなる性格を持つか、という

ことである.いいかえれば、タリーは、「統治の

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6 福島大学教育学部論集第60号

哲学が「統治論』の中心である。支配者と自由な

市民との間の統治関係は、絶対主義者の伝統の中

でのような主権者と臣民ではなく、相互が法の支

配に他方を従属させることによって他方を統治す

るという、条件的かつ相互的な従属ゲームである。

この論争的な統治像agonistic picture of govem-

mentこそ、現代政治思想へのロックに特有で持

続的な貢献である」(p.3)と説いているが、r条件的

かつ相互的な従属ゲーム」としての「統治関係」

の歴史的性格をタリーがどのように把握している

かが重要な問題である。

 この点に留意しつつ、さらにタリーの所説に耳

をかたむけていこう。

(1}タリーは、この典拠として、James Farr and

 C.Roberts,John Locke and the Glorious

 Revolution:a rediscovered document,7洗召

 E澹’o万‘α1∫oμrη0428-2,1985,pp、385-98を

 あげている。(この邦訳として、拙著「イギリス

 重商主義の政治学  ジョン・ロック研究  』、

 50-7頁がある.)しかもこの対仏坑争のr重心

 はアメリカであり、そこでのイギリス植民地は、

 インディアン部族とのフランスの毛皮交易ルー

 トと軍事同盟に包囲されていた」とタリーは正

 しく見ている(p.165)。

(2)タリーは、J.ティレルのB∫δ1∫o∫hε‘α加1漉。α

 (1727)での政治権力は代表団体又はr最高会議

 greatcouncils」が持つのであって、国民はこ

 れを持ちえない、というロック批判と、W.ア

 トウッドの71肋血短4α耀加配‘o郷だ’㍑∫foηφfhε

 E冗8・傭hgo∂8rn規8班(1690)での「絶対的アナ

 ーキー」、とのロック批判を例証としている。

(3)Kenda11,W、,/0h麗しoo々8α雇∫h840伽π8φ

 ”昭ノbrガ砂耀」8,1941.

III所有権論

 タリーは、前著作と同様、C.B.マクファー

ソンのロック所有権論解釈を強く意識して、これ

を批判すると共に、自説の展開につとめている。

1996-6

 (1)タリーはまず、マクファーソンの「所有的

個人主義テーゼ」よりもrより複雑でより広範な

一連の政治的問題」(p.72)を初期近代の政治思想

が扱っていたことを、ポーコックなどの研究を援

用しつつ指摘する。すなわち、「当時の中心問題は

政治(経済ではない)権力の本質」(p.79)に他な

らない、とタリーはいう。そして、17世紀のr自

己所有権self-proprietorship」の概念は、ローマ

法に由来し、奴隷との対比で主人を表わすもので

あって、経済的な用法ではなかった、とタリーは

いう(pp.81-2)。ロックにおいても、同様であ

って、それが政治権力から独立して、資本家階級

のr経済権力」に移るのは、スミスからマルクス

にかけてである、とタリーはいう(p.84)。

 そしてタリーによれば、ホッブズやロックは、

マクファーソンのr所有的市場社会」よりも、ス

ミスのいう「重商主義体制」によってよりょく理

解できるのであって、生産的な労働行為は、ロレ

ンス・ストーンのいう r福祉二軍事国家の重商主

義的戦略」(pp、85-6)によってr規制」される

ものであり、ロックはこれを主張した、というこ

とになる(p.86)。

 さらに、タリーは、17世紀に見られた所有的個

人主義が18世紀に支持されたというマクファーソ

ンの解釈を、主にポーコックに依拠しつつ、18世

紀のとくにスコットランド経済学は、r市場社会」

に対して両義的に見ていたのであったとして、結

局のところ、マクファーソンの解釈を退ける。

 (2)タリーは、次に、ロックの所有権概念の特

異性を描こうとする。これによって、私的所有か

共同所有かという対立する従来のロック所有論解

釈史  タリーは、ロック主義的社会主義者、ラ

ーキンなどの自由主義者、それにマクファーソン

などをあげている(pp.96-7)  のr共通な

方法論的前提」、つまり「ウィッグ史観」(p.97)

の誤まりを指摘する一方で、rロック思想を理解

することは、我々が通常所有権について考えてい

るその仕方の限界を知ることに役立つであろう」

(p.96)とタリーは述べる。

Page 7: 重商主義者としてのジョン・ロック · 伊藤宏之1重商主義者としてのジョン・ロック 3 のである。 タリーは具体的には、政治権力の定義、政治権

伊藤宏之:重商主義者としてのジョン・ロック 7

 まずタリーは、r説明と理解explanationand

understanding」の区別がウィッグ史観ではあい

まいになっていると指摘する。そしてタリーは

r理解」の立場をとるという

 r理解というのは、説明とちがって、有効な慣

習や仮定の光の中でテキストを読むことによって、

著者が伝えようと意図した意味を取り戻そうとす

ることである。」(p.99)

 さて、タリーは、ロックの所有権論を、スアレ

ス、グロティウス、それにプーフェンドルフの所

説と比較して、次のように読み取る一

 「グロティウスにとってと同じく、プーフェン

ドルフにとっても、『共有 common』というの

は、それが誰にも属していず、すべての人の私有

に開かれているということを意味する。スアレス

にとっては、『共有』というのは、その対象物が

すべての人に属していて、各人がその要求を実現

できるように個別化されねばならない、というこ

とを意味する。」(p.109)

 タリーは、グロティウスやプーフェンドルフの

所有権をr排他的権利 exclusive right」と見倣

し、その限りでフィルマーと同質という(p.110)。

これに対して、スアレスの所有権論を、r包含的

権利inclusive right」と見倣し、ロックと同一と

いい(p.111)、タリーはロック所有権論につい

て、次のようにまとめている

 「ロックの議論は、カール・ポラソニーやケー

ス・トリブによって慎重に再構成された大きな家

庭と同じく、(言ってみれば)、経済についての間

主観的な仮定の中で「訳がわかる』‘make sence’

within the intersublective assumption of the

economy。」(pp.116-7)

 こうしてタリーによれば、ロック所有権論は、

r土地所有が、利用μsεに条件づけられているし、

より広く分配されるという要求」と見るべきもの

であり、rレベラーズやディセンターそれに急進

的ウィッグ」によって提示されたものの継承であ

った、というのである(p.129)。つまり、タリー

によれば、ロックは、r『公共の福祉』のために政

治権力が(土地と労働を含む)所有権を規制し維

持するという重商主義者の常識を繰り返えしてい

るのであって、マクファーソンらによって定義さ

れたような資本主義とは両立しない」(p.131)

ものなのである。したがって、「他の重商主義国

と競争するのに十分に強力な国家を創るために統

治によって規制され方向づけられる囲い込みや改

良は、『公共の利益』であり、また「神のごとき

もの』(◎II-42)でさえある」(p.131)から、

マクファーソンのいうr自由な労働市場」は成り

立たない、とタリーはいう。

 検討2。

 ここではタリーは、スアレスの「法について

加Z4δκsα〇五セ。 Jεg鰯厩。箔2』(1612年)を典拠

にして、スアレスの所有権(40痂鰍切論が、共

有物に対する個人の「利用要求権a claim to its

use」であること、そしてこうして分配された所

有権に対してもr慈善charity」が求められるこ

と、したがってスアレスにあっては、r私的所有

と共有は、相互に排他的概念ではなく、相互依存

的である」(p.107)ことを強調する。そして、『統

治論』第1論文第40-42節を典拠に、ロックの所

有権論がスアレスのそれと同一であり、さらに

「トマス理論の再確認」(p.114)である、とタ

リーはいう。タリーによれば、「統治論』第2論

文第5章でのロックの発言は、「私的所有の正当

化」ではなく、「共有物の個別化」についてのもの

なのであり(p.115)、rロックの枠組は、排他的権

利に限定を付す」(p.115)ものである。ロックの

「~への所有権a property in」という用法は、

ラテン語のrノ欝痂刎の翻訳であって、rもし

個人が他の人々の要求権の行使から他の人々を排

除するほどに物への所有権を持つに至れば、その場

合、その個人の余剰は所有権でなくなる」(p.115)

とタリーはいう。

 そして、タリーはロック所有権論について、結

論的に次のように述べている一

 r広範な一致を受ける自然法概念に訴えながら、

自然法と一致する共同所有の枠組の中で、所有権

ないしは排他的権利概念に到達すべく、ロックは

わずかに自然法を変更し、よってフィルマーの批

Page 8: 重商主義者としてのジョン・ロック · 伊藤宏之1重商主義者としてのジョン・ロック 3 のである。 タリーは具体的には、政治権力の定義、政治権

8 福島大学教育学部論集第60号

判に答える。これによって、ロックは、民衆的な

主権理論を明確に表現するという彼の主要な営為

のための前提条件として機能する権利理論を確立

する.ここでの関心は資本家的蓄積とは無関係で

ある。」(p.117)

 タリーの論点の核心は、ロック所有権論がトマ

スやスアレスと同じく「包含的権利」ということ

にある.ロックの所有権論がフィルマーによるア

ダムの排他的独占的私的所有権論二r無制限な私

的所有権」への批判であったことは、タリーの主張

のとおりである。しかし、タリーのいうr自然法」

基準による「所有権」の「規制」の内実は、すで

に見たようにr経済についての間主観的仮定の中

で「訳がわかる』」というものであったり、他方、

重商主義的規制であったり、またr排他的権利概

念に到達すべく、わずかに自然法を変更する」とい

うものであって、必ずしも明確ではない。だがし

かし、タリーの次の発言は、タリーの真意をさぐ

るのに役立つ一

 r各人はロックの要求権を法制度において保持

した。教区の権威は、たんに地区の労働貧民に福

祉を提供するだけでなく、労働貧民がパンを作る

等々をし自らとその家族を保存することができる

ような手段を提供する義務を持っていた。各人は

法制上の権利と労働する法制上の義務を持った。」

(p.116)

 結局のところ、慈善の義務を伴う重商主義的所

有権をタリーは、ロックの中に見い出している、

といえるであろう。この所有権は個別的=私的性

格を持たざるをえない.しかし、タリーは、ロッ

ク所有権の重商主義的規制の性格を歴史=具体的

に考究することなく、国民の同意に基づく政府に

よる所有権規制一般に、あるいはr統治の技術」

一般に解消しているように思われる。タリーの次

の発言は、このことを物語っている

 r政府の所有権決定の権利は、現在の所有関係

の正当化ではありえない。というのは、(ロックが

計画したように)もし革命があれば、国民が

その多数者が  良いと考えるように法制度を改

変する権利を持とうとするからである。現在の所

1996-6

有関係は基本法上の修正に開かれている。u〕」(p.

131)

 こうして、さきの検討1でのタリーの問題点は、

この検討2でのタリーのロック所有権論において

も再出している、ということができる。

 検討3。

 「公共の福祉」による所有権規制のうち、タリ

ーが特に注目しているのは、「土地と労働」であ

る。つまり「重商主義戦略」による土地所有権と

労働権の規制である。この規制をロックが求めて

いることを根拠として、資本主義確立期以後の

r労働力の商品化」ニr自由な労働市場」はロッ

クには見られないといって、タリーがマクファーソ

ンを批判するのは正しい。問題は、この規制をい

かに描くかにある。

 まず土地所有権への規制について。

 タリーはロックの土地所有権論を、一方では、

「土地所有が利用に条件づけられているし、より

広く分配される・という要求」であるとしつつも、

他方では、r囲い込みや改良」を強力な重商主義

国家創設のために是認するもの、と読み取ってい

る。これは、旧型封建的地主制を解体し自由な農

民層を創出しながら、土地利用を積極的に推進す

るのがロックの立場だということである。タリー

は前著作ではロックにおける「囲い込み」はない

としていたが、本書ではこの点を修正している。

しかし、これがr資本家的蓄積とは無関係」(p.

117)といって、ロックの土地所有権論を「重商

主義的規制」として把握している(2}。

 ロックが重商主義列強への対抗戦略として、農

業の改良を重視したことは、タリーの説くとおり

である。これは農業生産力の上昇を求めるもので

ある。「労働こそが富を生む」という認識を基本

にして、したがって労働投下のない「荒蕪地」の

不生産性を強調しているロックにおいては、「囲

い込み」はまさに土地改良二耕作を促すかぎりに

おいて是認されている。この改良の主体は、借地

農や自作農、それに農業労働者である。土地所有

支配の打破という点で「レベラーズ」と共同戦

線を組みつつ、それに止まらないという意味でロ

Page 9: 重商主義者としてのジョン・ロック · 伊藤宏之1重商主義者としてのジョン・ロック 3 のである。 タリーは具体的には、政治権力の定義、政治権

伊藤宏之二重商主義者としてのジョン・ロック 9

ックは「改良」を追求している。この点の意義解

明がタリーにおいて看過されているといわざるを

えない。

 タリーは、アダム・スミスのいう「重商主義体

制」によってこそロックがよりょく理解されると

いって、マクファーソンのr所有的市場社会」と

いう分析枠組を批判している。しかし、スミスの

いう「重商主義体制mercantile system」は、産

業規制のみならず、とくにイギリス型重商主義で

は自由な農民層の創出とそれを前提とする農業資

本主義の形成を意味している。タリーが重商主義

者としてロックを規定する場合、この産業規制の

みが強調されている。しかし、「国内市場発展の

基礎としての資本制農業の発展が、絶対主義に対

立する本来的重商主義のかくされた魂である」(内

田義彦)(3)。この点を看過することによって、タ

リーのいう 「重商主義」は、産業規制一般に拡散

されてしまう傾向を持つ、といわざるをえない。

 次は労働権への規制についてではあるが、タリ

ーはロックの自己労働に基づく所有権の主体とし

ての労働主体を次のように意義づける

 「この労働主体は、開発の技術にとっての資源

としてではなく、全体としてその活動を規制する

法に対して、自己の労働行為についての権利を持

った自己統治の担い手として、法に向い合う者で

ある。……自己の労働行為においてさえ、受動で

素直な能力を持った容器のように、政治的主体を

扱うことへのこのような拒絶は、支配者が全体

として社会の労働行為を統御する仕方をロックが

提示する描写にもあらわれている。支配者はすで

にトレイドによって組織されている職人の複雑な

集合を外側から整合しようとしている。」(pp.251

-2)

 タリーがここでロックの「描写」というのは、

r一つ一つの塊のパンがわれわれの口に入る前に、

それのために勤労が用意し使用した非常に多くの

物品一覧表」(◎II-43)である。これは、社会

的分業の総生産物である。したがって、ロックの

労働権への法的規制論は、タリーによれば、社会

的分業の重商主義的規制論であって、工場内分業

についてのものではないことはいうまでもないば

かりか、この社会的分業への重商主義的規制も、

労働主体の政治的自立性を否定するもC∋もない。

 タリーは、「親方一奉公人master-servant」関

係について、奉公人がr前近代」二資本主義確立

期以前の存在といい、r手仕事作業場、ギルド、

問屋制度、農場」での労働者であり、「自己の知識

と熟練を持って完全なサービスないしは自己の指

揮による仕事を売る」(p.123)のであって、賃

金労働者ではない、という理解を示す。そして

タリーは現代の「技術者や管理者engineer and

manager」に近い、という(p.124)。だが、タリー

も、r親方が奉公人に仕事においてではなく、仕

事をするように指揮するdirecting him to work」

(p.124)ことは認めている。しかし、こうした

形態での親方二資本の計画性=意思こそ、確立期

以前の資本主義の基本的形態である。この点の意

味を解明することなく、タリーは奉公人のr独立

性」を主張している。

 こうしてタリーによれば、ロックの労働権も土

地所有権と同じく、自然法二「人類の自己保存」

のための「分配的正義」(p.300)の対象となる。

「自己保存手段、つまり所有関係を規制する積極

的義務が政府に信託されている」と考えているロ

ックは、タリーによれば、「アキナスやスアレス

の後継者であり、今日ではジョン・ロールズの

『正義論』に代表される自由主義の一種や民主社

会主義の先行者」ということになる(p.300)。

(1) タリーは、この点で『統治論」の同時代の読

 者が、r恐怖」を持ったことの例証として、W.ア

 トウッドのThεルπ4α規2躍α’ooηs醒㍑∫∫oκげ!h召

 Eng傭hgo泥rn規εn!(1690)をあげ、これをも

 って、「ロックの政治哲学の受益者と想定されて

 いる富裕な地主が「統治論』を読まなかったか

 又は明白に嫌悪したかの理由の説明に役立つ」

 と述べている(pp.131-2)。

(2)タリーは、こうして17世紀=重商主義と18世

 紀二資本主義を切断する。

Page 10: 重商主義者としてのジョン・ロック · 伊藤宏之1重商主義者としてのジョン・ロック 3 のである。 タリーは具体的には、政治権力の定義、政治権

10 福島大学教育学部論集第60号

(3)内田義彦『日本資本主義の思想像』,180頁、

 1967年。

 (3)次にタリーは、こうしたロックの重商主

義的所有権論のもつ「アメリカ・インディアン

Amerindians」への波及効果を注視する。タリー

によれば、ロックはアメリカ先住民族を農業や勤

労の改善の進展したヨーロッパと比較して、後者

の「優位」(p.129)をはっきり認めており、「ア

メリカ・インディアンのはく奪・その生活様式の

破壊・改良に基づくヨーロッパの農業及び産業の

強制を正当化」(p.129)しているという。タリー

は『統治論』のもっこの一側面に留意を促すこと

によって、ロックを資本主義か社会主義かという

従来の「狭い我々の論争」から解放することを求

めるのである。すなわち、タリーによれば資本主

義も社会主義も、ロックのように、「アメリカ・

インディアンの土地利用方式に対する「改良』の

優位を当然視してきたのであって」(p.129)、

rもし我々が400年間の『改良』の環境破壊がもた

らしたものを英明に考えようと望むのであれば、

そのはじまりの第一歩は、こうした初期のもっとも

らしい正当化とそれとは別のものを研究すること

である。」(pp.129-30)

 r密接に関係する先住民族の自己統治と生態学

の問題」(P.138)を、所有権論という視点から

タリーは検討する.タリーによれば、rアメリカ

は自然状態にある」というロックの前提は二つの

問題を持つ.第1は、アメリカ二自然状態論では、

侵害者は「野生の凶暴な動物wild savage Beasts」

であって、「ライオンや虎のように殺してもよい」

(◎II-11)ということで、自然法を侵犯する

「インディアン」を「イングランド、フランス、

オランダ」の統治が処罰できる(◎II-9)とい

うことになる。第2は、「土地の私有が、〔インデ

ィアンの〕同意なしに生ずる」ということになる.

タリーは、ロックのアメリカ二自然状態論が持つ

こうした問題性は、ロック以前に、サミュエル・

パーカスSamuel Purchasをはじめとし多数にみ

1996-6

とめられるのであって由、ロックは、それをrこ

じつけたsophisticated」(p.149)のである、との

理解を示す。しかもこれにとどまらずタリーは、

ロックがアメリカを「自然状態の後期の段階」(p.

151)とみていたという.その典拠は以下のロッ

クの言明である

 r我々が見る今日のアメリカは、アジアとヨー

ロッパの初期の時代、すなわち、その国土に比し

住民がきわめて少なく、人口は不足し貨幣も乏し

かったため、人々が所有地を広げたり、もっと広

い面積の土地を争ったりしょうという気持を起さ

なかった時代の見本なのであるが、このアメリカ

のインディアンの族長κ加gsというのは、彼ら

の軍隊の将軍・G召麗瓶Zsげfhθfれ4〆吻嬬とほとん

ど変りない。つまり将軍は戦時には絶対的な命令

権をふるうけれども、国内で平和なときにはほと

んど支配権を行使するものではなく、きわめて穏

健な主権を持つにすぎず、講和や宣戦の決定権は

通常人民か評議会の手中にある.」(⑥II-108)

 タリーは、この発言とロックのr政治社会」の

定義(◎II-144-148)をふまえて、アメリカ・

インディアン社会は「ヨーロッパの制度」を欠い

ていると見ていた、という(pp.151-2)。これに

対してタリーは、インディアンが家族ないしは部

族所有の観念を持っていたことを指摘しつつ、イ

ンディアンからみればこうしたロック的なr同意

なしの私有」論は成り立たない、と説く(p.154)。

しかも、ロックにおいては、r先住民族が抵抗す

れば、正当な征服」として見倣されていた、とい

う(p.154。cf.◎II-184)。さらに、この点では、

イングランドとフランスとでは差異があったのであ

り、フランスはインディアンと生産物のr交易」

のみを行い、イングランドのように入植していな

かった、とタリーはしるす(p.158,pp.164-6)。

 こうして、タリーは、ロックのアメリカ=自然

状態論の問題性を次のように要約する

 rアメリカ・インディアンは土地を『荒蕪地化』

したのではない。彼らはそれを〔イングランドと

は〕異った、そして多くの点でより生態学的に温

和な仕方で利用した。……改良の精神は『人類の

Page 11: 重商主義者としてのジョン・ロック · 伊藤宏之1重商主義者としてのジョン・ロック 3 のである。 タリーは具体的には、政治権力の定義、政治権

伊藤宏之:重商主義者としてのジョン・・ック 11

よりよい便益』という名目で自然に対して搾取す

るという姿勢をとり、それ以外の姿勢に荒蕪なも

のと汚名をきせている。」(pp.163-4)

 rアメリカ・インディアンは市場向けの所有権

というダイナミックな制度を欠いていたが故に、

それを規制する政治社会の制度化の必要がなかっ

たし、統治を持たなかったのである。」(p.164)

 この典拠は、『統治論j II-30,50である。

 さらにこうしたロックの農業改革と制定法を持

つ政治社会のみが国際社会において独立の単位

となるという思考は、1758年のエマーリック・

デ・ヴァッテルEmericdeVatte1の『国際法と自

然法の原理』(L84プof!4㏄gθns,餓ρ万noゆεsZα10f

麗!麗〃φに継承され、しかもそれがr1902年に

国際法の古典に選ばれ、現代世界の国際法の権威

のある拠り所となった」(p.169)と、タリーは指

摘している。

 しかし、他方でタリーは、これとは異なるロ

ックからの継承として、サミュエル・ワートン

Samuel Whartonの『明白な事実 P伽n血。孟&

わ召ガngαnε加ηzガκβ麗。,¢ガn∫o‘hε万gh孟sφ!hε∫η4ガon

翩々。郷 αf/1耀ガ6α ‘o ’h召Jr〆2s餌6距∂召 ooκη〃ゴ8$

α雇α∂加漉oo∫ゴ。ηげ∫hε8・箔。班ノbプ飾石S㍑U痂∫θ4

ぬ∫foη3..』(1781)においてアメリカ先住民は

自己保存のためにその領域への絶対的排他的権利

を持つとされ、その権利は自己労働によるもので

あり、それは譲渡できるものであるとのロックの

言説が典拠とされていること、したがって同意に

基づかないアメリカヘの英国植民者の所有権に対

抗して、rインディアンの族長との個人的な協定

による同意に基づく英国植民者の所有権を有効と

認めんがために、先住民の所有権を擁護するよう

に「統治論』が使用されている」(p.170)、としる

す。

 さらに、タリーは、アメリカの土地への非先住

民の権原が植民地議会の承認のもとに、したがっ

て、r先住民とは無関係か又は先住民との協定の

結果として」(pp.170-1)、譲渡されるという形

態があったとし、ジョン・オティスJohnOtis

の『主張され承認された英国民の権利1~忽hおげ

fh召βnl’なh ooloηをs鰯θπε4αnゴρプ。∂θゴ』 (1764)

がロックを典拠としている、と引いている。

 こうして、タリーはロックのアメリカ=自然状

態論のもつr非国家とりわけアメリカ・インディ

アンの社会における所有権と統治の性格について

の誤まり」(p.175)を指摘するとともに他方で、

インディアンの自己統治を認めるならばrインデ

ィアンが不正に対抗して必要ならば力によって自

らと所有権を守る権利を持つということが、『統

治論』の中心理論から出てくる」(p.175)ことに

も留意を求める。タリーはこの後者の点で『統治

論』の現代的意義を強調するのである。

 検討4。

 このところのロック研究において、アメリカ

論あるいは植民地論の重要性が指摘されてきてい

るところであるが、タリーの研究はこれに取組ん

だ先駆的なものの一つであり、ロック研究への多

大な貢献として評価すべきものである(2〕.

 タリーは、ロックが所有権論においてヨーロッ

パの優位性を前提としたが故に、r先住民族の自

己統治と生態学の問題」を看過したこと、そして

このことがその後のヨーロッパ主導の国際関係論

の展開を生んだこと、しかしにもかかわらず、ロ

ックの所説の中に民族自決権の可能性があること

を説いている。これは、ロック「統治論』の論理

構造の中に、植民地主義を読みとるものであり、

ロックを重商主義者として規定しつつも、他方で

そのロックの中からシヴィク・ヒューマニズムを

現代に生きるものとして汲みとろうとするもので

ある。いいかえれば、r条件的かつ相互的な従属

ゲーム」として統治関係を描いたロックが、ここ

アメリカ植民地論では大きく後退しながらも、な

おそれへの回復の萌芽を持つことを、タリーは主

張している。

 しかし、ロックにおいては、タリーも認めると

おり、植民地主義が主軸をなしている。この植民

地主義とヨーロッパ、とりわけイングランドの統

治関係論との関連の分析がタリーには弱い。つま

りイングランド重商主義国家が植民地主義を招来

する必然性については、タリーの説明は及んでい

Page 12: 重商主義者としてのジョン・ロック · 伊藤宏之1重商主義者としてのジョン・ロック 3 のである。 タリーは具体的には、政治権力の定義、政治権

12 福島大学教育学部論集第60号

ないのである。

(1) S.パーカスの磁々1妙∫薦Pos’h観!欝。若角斧

 6h薦h応ρf㎏ガ吻εs,1625をはじめとして、タリー

 はJohn White,Robert Cushman,Francis Hig・

 ginson,John Cotton,John Winthrop,などをあ

 げている(p.149)。

(2) タリーは、ロックのアメリカ論への着目の先例

 として、R.Ashcraft,Politicaltheoryandpolit-

 ical reform:John Locke’s essay on Virginia,

 Th8恥s’8rηPoJ〃foo1Q昭η18■1男22-4,1969;

 John Dunn,The politics of Locke in England

 and America in the eighteenth century,∫ohn

 Loo々θ∫ Proδ1ε硲 8nゴ 距だ匁’∫∂εs, ed. John

 Yolton,1969;Peter Laslett,John Locke,the

 great recoinage,and the origins of the board

 of trade:16954698,∫わ劾Herman Lebovics,

 The use of America in Locke’s Second

 Treatise of govemment,/0κr襯!φ∫hθh∫s∫oη

 φ鵡8礁47,1986をあげている(p.139)。

N 政治主体論

 次に、タリーはロックからr統治の裁き方 the

juridical way of goveming」(p.183)を取り出

す。

 タリーによれば、r『悟性論』の中心的な目標は

「信託trust』の把握にあった」(p、189)のであ

って、生得原理や神性原理それに第一原理と呼ば

れているものがr検証から絶縁され、「信託』や

『権威』として人気をえている」(p.189)状況に

対して、ロックが「停止と検証」を対置したこと

は、r宗教改革の知的要求」(p.191)に沿うもの

であり、「蓋然性という概念が『悟性論』を支配

している」(p.195)のである.そしてこの推論方

法は、r証拠の公平な判断として、陪審について

の近代的で半ば異端審問的見解への移行期」におけ

る転換に樟さすものであり、このことは、法律家

G.ギルバート男爵GeoffreyGilbert(1674-

1726)が『悟性論』を典拠としたことやR.バー

1996-6

ソッジ Richard Buthoggeがrロックの蓋然的

推論を「司法上の同意 judicialassent』とい

い、ロックがそれについて「明察に訴える証明

、4讐μ規ε班κ御記勉4∫6躍規』と言及している」(p.

197)ことから明らかである、とタリーはいう。

 タリーは、こうしたロックの思考方法がガッサ

ンディを承けたものであって、このr知的自由な

いし思想の自由の基礎づけ」が「啓蒙の理想」で

あると評している(p.198)。

 このロックの営為は17世紀における「主意主義

と快楽主義 voluntarismandhedonism」とい

う強力な伝統へのrジンテーゼとしての刑罰主義

penalism」として展開されている、とタリーは

読み取る(p.201)。

 こうしてタリーは、ロックが三つの「裁きの装

置juridicalapparatus」としてまとめられるも

のを提示している、と説く。

 第1はr摂理の装置 providential apparatus」

であり、第2は、「法律の装置 legal apparatus」

であり、第3は、r『人間主義的な』裁きの装置

‘humanist’juridicalapparatus」である。

 (1)摂理の装置

 タリーによれば、ロックはr摂理主義 provid・

entalism」を社会秩序の必要条件と考えていたけ

れども、それが宗教戦争のようにr社会混乱の主

要な原因」(p.209)とも見ていた。宗教戦争に対

して、ロックは「寛容に関する書簡』において、

r礼拝方式の多様性を神が認めていること」と

「信仰は武力ではなく説得によって広められるべ

きである」と説くことによって解決を図ろうとし

た、とタリーはいう(p.205)。

 (2)法律の装置

 タリーによれば、r権力が法律を通じて主権に

よって、そして一定の行為をもたらすように賞罰

によって、行使される」(p.210)という形でロッ

クが政治社会のr基本法」を把握している、と読

み取る。

 (3)人間主義的な裁きの装置

 タリーによれば、ロックはr世論、流行又は世

評の法」が「信念や行為の最も有効な事実上の支

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伊藤宏之:重商主義者としてのジョン・ロック 13

配者」(p.211)であると考えていた。しかし、こ

の考えは、J.ロード JamesLowde(後の第

3代シャフツベリー卿)が批判するような「道徳

上の相対主義 relativism」を意味しない、とタ

リーはのべ、ロックの「悟性論』第2版でのロー

ドヘの反論に見られるように、ロックにとっての

「道徳の真の基準は神法であった」(p.213)と述

べる。

 タリーによれば、これら三つのr裁きの装置」

二倫理体系はさきの主意主義と快楽主義と合わせ

て、r包括的な刑罰主義 a comprehensive pen-

alism」(p.214)を帰結するのであり、それは、

ロック「悟性論』の次の言説に表われている一

 「人々が約定を守るべきであるということは、

絶対確実に道徳の大きな否定できない規則である。

とはいえ、あの世の幸不幸を思いめぐらすキリス

ト教徒に、なぜ人は約束を守らなければならない

かと問えば、永遠の生と死の力能をもちたもう神

が私たちに要求されるからだという理由をあげよ

う。しかし、ホッブズ主義者になぜかと問えば、

人々が要求し、もし守らなければリヴァイアサン

が罰するだろうからだと、答えよう。また昔の異

教哲学者の一人に問うたとしたら、そうしないこ

とは不誠実で人間の尊厳に欠け人間本性の最高完

成である徳に反するからだと、答えただろう。」

(⑪1-3-5)

 タリーによれば、ロックは戦争や統治不能それ

に正統性の危機に直面して、人間の思考や行為を制

御している要因として、何よりも、「習慣habit」

ないしは「慣習 custom」に着目し、「この三つ

の裁きの装置、とりわけ人間主義なそれによって、

慣習形成の過程が支配される」(pp.224-225)こ

とを発見したのであって、rこれと並ぶような17

世紀の顕著な概念上の革新はない」(p.213)とい

うことになる。

 以上三つの装置は、ロックの諸著作において、

実践的に説かれている、とタリーは指摘する。

 第1の「摂理の装置」は、「キリスト教の合理

性』において見られ、啓示の真実を理性が判断す

るというロックの主張は、r古い権威や熱狂」と

rトーランドや急進的な理神論」をともにくつが

えすものであった、とタリーは評している。(pp.

225-6)。

 第2の「法律の装置」は、『救貧法制度改革の

ための通商植民委員会への報告』(1697年)に見

られ、とくにr労働貧民の子弟」の教育制度に止 一

目すべきである、とタリーはしるす(pp.234-7)。

 第3のr人間主義的な裁きの装置」は、『教育論

 So耀Thoz4gh孟s60ηoθrη∫㎎Eゴμoo!∫oη』と「悟

性指導論 0η∫h8Co”伽6’α!hεUη吻窟研漉n幽

で展開されている、とタリーはいう(pp.231-4)。

 そして、タリーは、ロックの「ピーターバラー

伯爵夫人宛書簡草稿」(1697年)でのr真の政治

学は、人間が社会において正しく行為し隣人との

共同社会を支える術以外の何ものでもない道徳哲

学の一分野である、と私は考えています」という

言明や、『教育論』第116節でのルネサンス・ヒュ

ーマニストの戦争賛美や軍人的英雄論への批判、

いいかえればロックの「より規律があり統率のとれ

た軍事訓練」(p.239)の主張を有意味的に強調す

るのである。

 こうして、タリーは、以上のまとめとして、

「悟性論』第2版への「人格同一性 personal

identity」の増補が、三つの装置によって導かれ

たr神の創造した自己という種」(p.240)を端的

に示すものとの理解を示す。タリーはそれをr法

的処罰の対象とされた自己 penalized self」と

呼ぶ(pp.239-40)。

 こうして、タリーによれば、ロックの所有権論

は「統治の技術」という視点からの構成、すなわ

ち重商主義的規制論であり、この点でロックの政

治主体論と連動して、絶対主義への逆動をr政治

的個人主義」でもって阻止し強力な重商主義国家

としてのイングランド創造を企図している、とい

うことになる。

 タリーによれば、r独立の主権国家群のバランス・

オブ・パワーと交易制度」は1648年のウエストフ

ァリア条約で承認されたものであり、この学説的

表現が17世紀においては、「政治経済学又は政治算

術politicaleconomyorpoliticalarithmetic」

Page 14: 重商主義者としてのジョン・ロック · 伊藤宏之1重商主義者としてのジョン・ロック 3 のである。 タリーは具体的には、政治権力の定義、政治権

14 福島大学教育学部論集第60号

と呼ばれたものに他ならない(p.63)。

 タリーは、ロックがシャフツベリーの秘書とし

てまた二度にわたる通商委員会委員として、重商

主義政策のr中枢」(p.63)におり、r国内及び国

際交易、マニュファクチュア、労働貧民の雇傭、

それに植民地の商業的開発と管理や海軍」という

課題については、『統治論』での国王大権論とし

て展開しているという。そしてロックの次の言説

をロックのr重商主義戦略の綱要」として引用し

ている

 「このこと〔労働こそが富を生むのであって自

然=土地の働きはきわめて小さい〕から明らな

ことは、領土の大きさよりも人口の多いことの

ほうがいかに望ましいかということ、そして耕地

の増加と人々の適切な就業〔1)が重要な統治の技

術 art of govemmentであるということ、また

世の君主であって、確立された自由の法により強

国の圧迫や党派の偏狭をしりぞけ、人類の誠実な

勤労を保護し奨励しようとする賢明にして神のご

とき者は、たちまち隣国にとってまことに手ごわ

い君主になるだろうということ、である。」(◎II

-42)

 タリーはこのロックの言説が具体的には、『統治

論』においてではなく、その他の著作一「カロ

ライナ基本法」(1668年)、『利子・貨幣論』(1692

年、1695年)、『救貧法制度改革のための通商委員

会への報告』(1697年)のみならず、『教育論』

(1693年)や「悟性行為論』(1706年)一におい

て展開されているという(p.64)。

 しかも注目すべきは、ロックが「教育論』での

ジェントリー教育の中心をr勤労と徳industry

and virture」におき、労働貧民の労働力能の陶冶

を国力充実という視点から説いていることについ

てのタリーの次の指摘である一

 r社会科学としての政治経済学は、こうした手

法〔人口を陶冶する「ストイック』な手法〕と連

合して発展し、また、古典的にはロックの『人間

悟性論』において提示されている新種の蓋然性を

持った推論と知識を利用しているということであ

る。この領域の最近の研究では十分に強調されて

1996-6

いないが、とくにロックの場合に明白なことは、

軍事的商業的緊張において国家を『強力化する』

ことへのこれらの政策のあらゆる方面での統合で

ある。……ロックはフランスに対抗するプロテス

タント同盟において、意見の不一致を鎮めウィリ

アム王とともに結束する必要性を強調している。」

(pp.66-7)

 そして、タリーは、r有徳な習慣を形成するた

めの賞罰の三つの手法」がロックにおいてr教会、

ワークハウスそれに教育制度」に具体的に構想さ

れ、『統治論』にのべられている人間像に応当し

ている、と解く(p.67).こうして、これらの手

法によって、「ヨーロッパの荒廃をもたらした旧

い思想と行動の習慣を断り切り、寛容、勤勉それ

に軍事的充溢という新しい習慣を形作る」(p.67)

ことが可能となった、とタリーは評している。

 検討5。

 タリーによれば、ロックは、絶対主義への反動を

阻止し強力な重商主義国家イングランドの担い手

たる政治主体論をr三つの裁きの装置」によって

導かれたr神の創造した自己という種」、つまり

「法的処罰の対象とされた自己」の形成として、

構成している。「三つの裁きの装置」とは神法、

市民法、世論ないし世評の法であり、これによっ

て人は「寛容、勤勉それに軍事的充溢」を習慣と

することができる、とロックがみていた、とタリ

ーは読み取るのである。そして、タリーは、さき

に引用の「統治論』II-42の中にロックの「重商

主義戦略の綱要」を見い出している。

 このタリーのロックについてのそれぞれの理解

はその典拠を含めて首肯しうるものである。そし

てロック思想の総体的把握に迫るものとして貴重

である.問題は、タリーがロックから祈出した

r統治主体goveming subjects」の諸要素がロッ

ク思想構造の中で占める位置が十分に測定されて

いるかどうかということである。このことは、前

節まで検討のタリーへの問題、すなわちr条件的か

つ相互的な従属ゲーム」としてのr支配者と自由な

市民との間の統治関係」の歴史的性格規定、国民

の同意に基づく政府による所有権規制(とりわけ

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伊藤宏之=重商主義者としてのジョン・ロック 15

土地所有権と労働権への規制)の歴史的性格規定、

及び重商主義国家が植民地主義を招来する必然性

に関連している。したがってタリーがロックを重

商主義者と規定するそのまさに重商主義の内容理

解(2)が問われねばならい。いいかえれば、ロッ

クの重商主義国家において、民衆個々人の政治的

主権、宗教的主権、それに所有権や植民地主義が

持つ歴史的意義の解明がタリーによって果されて

いるかどうかが問題である。

(1)タリーは、theincreaseoflandsをtheincreace

 of handsの誤植ではないかという(p・63)。

 なおこれに続くtheright imployingofthemは、

 従来、「耕地の正しい利用」と解されてきている

 が、タリーは、これを「人々の適切な就業」と

 いう意味で理解している(pp.63-4)。

(2) 日本での重商主義研究は、特に大塚久雄氏を

 中心にして、絶対王政の採る前期的重商主義と

 市民革命を画期としたその後の本来的重商主義

 とを区別する有力な見解を提示している。これ

 に対する批判もあるが、欧米においては、こう

 した区別は傾向としてとられていないように思

 われる。ロック理解にこの点が重要というのが

 私見である。

  内田義彦(『著作集』第1巻、157-60頁)は

 イギリス型重商主義(二原始的蓄積国家段階の

 議会制重商主義)の経済構造を貿易構造の視点か

 ら次のように描いている。ロック理解にも不可

 欠なものとして要約しておきたい(但し、r前期的

 要素を強調しすぎている」と内田氏ものべている)。

  この議会制重商主義の貿易構造は、イギリス

 の羊毛工業製品を主軸とする国内産業の輸出貿

 易の他に、それと直接的に絡み合う植民地物産

 の仲継貿易を不可欠とする環から成り立ってい

 る、これは近代地主=商人主導の羊毛工業を主

 軸とする農工の産業資本の強力的育成である。

  (i)18世紀中葉まで、輸出向の毛織物の生産

 的地盤はイングランドの南方である。そこでは

 weaver=織工が経営主体であり、この富裕と独

 立性がイギリス型重商主義の特色を物語るが、

 他方では、その手工業的性格は、北方と対比す

 れば機械の導入の制約となり、又賃労働者とし

ての包摂を困難たらしめたのであり、資本の要

求は暴力的形態を必至とする。

 (ii)例えばイギリスからアフリカヘの毛織物

の輸出は、アフリカから西インドおよび南部ア

メリカヘの奴隷貿易によって媒介されねばなら

ず、後者は後者で西インド、南部アメリカの砂

糖と煙草のプランテーション、仲継貿易と連絡

されねばならない等々といった形態での、つま

り、植民地支配と仲継貿易を含む組織的な植民

制度=商業独占体制の維持によって、産業資本

の市場が確保されている。ここにおいては、価値

の実現=姿態転換のみでなく、奴隷制的経営と、

独占機構による流通からの前期的利潤の抽出によ

る価値の増大が見られる.この本質は植民地の原

始的収奪であり、その収奪の独占をめぐるフラン

ス、オランダとの対立はその現象形態である。

 (ln)この組織的二体制的な植民地収奪が、産

業資本の利害に直接従属させられており.収奪

された価値が、仲継貿易資本としての独自の環

を形成する方向をも内包しながらも・たえず国

内に流入して産業資本の循環を媒介し、産業資

本と生産力の急速な形成を媒介してゆくという

ところに、イギリス型重商主義の本質がある。

そして、それは、原蓄のイギリス型を根底にお

いて規定する土地制度変革の徹底性=独立自営

農民層の創出と分解と対応して、このような原

蓄体制の急速な揚棄の条件を内蔵しているが、

しかし、逆に、かかる体制に媒介されてのみ産

業資本の発展がありえたというところに、この

段階での産業資本の発展の低位が現われている。

したがって、この段階では、商業資本家への巨

大な独占利潤の流入と、市場争奪戦での国家支

出の増大とが構造的に必然化されている。

 (iv)この尨大な国庫支出は、公債と租税(と

くに間接税と地租)によってまかなわれる。注

目すべきは、地租負担が穀物価格のつり上げ(輸

出奨励金及び後の輸出入関税)である。これは、

貧農の没落と資本家的借地農形成の槓杆として

働くのみならず、他方で穀物高価格=生活費の

増大こそが  土地の直接的収奪=エンクロー

ジャーと相並並んで  工業部門での小生産者

の従属を強化し、逆に低賃銀=長時間労働への

強力として働く。

 (V)こうして、イギリス型重商主義は、農工

の小生産者の創出とその純経済的分解による農

Page 16: 重商主義者としてのジョン・ロック · 伊藤宏之1重商主義者としてのジョン・ロック 3 のである。 タリーは具体的には、政治権力の定義、政治権

16 福島大学教育学部論集第60号

工の産業資本の形成を強力的に保護推進するも

のとして、尨大な国庫支出=戦費確保と植民地

収奪による独占的高利潤とが、その対極たる低

賃銀の暴力的形態とともに、構造的に不可避と

される。

V 小 括

 これまでの検討をまとめておこう。

 タリーがロック理解によって有意味的に見い出

したものは、r政治的個人立義」を基軸にしたr包

含的権利」としての所有権であり、これはr条件

的かつ相互的な従属ゲームとしての統治関係」に

おいて具体的に確定されるものに他ならず、この

ゲームの主体=政治主体は、「法的処罰の対象と

された自己」といえるものである、と要約するこ

とができる.そしてこれがタリーの重商主義者ロ

ック像であり、こうしたロック像をタリーはシヴ

ィク・ヒューマニズムに親近性を持つものとして

評価する。しかし、タリーもロックの植民地主義

(先住民の自己統治と生態学の問題)を認めざる

をえない.タリーは植民地主義者ロックの他に、

民族自決主義の可能性をロックの中に見い出して

いて、これこそシヴィク・ヒューマニズムが現代

において継承すべきものとして評価する。

 たしかに、タリーのロック評価は、シヴィク・

ヒューマニズムというかどうかは別にしても、現代

の我々が継承すべきものを摘出している。しかし、

ロックにおいてタリーのいうr政治的個人主義」

が他ならぬ植民地主義を合わせ持っているという

ことの理由をタリーは解明していない。ロックの

「政治的個人主義」が植民地主義を持つ必然性が

解明されないままで、「政治的個人主義」を現代

において直接的に継承することには我々は組みし

えない。いいかえれば、ロックのr政治的個人主

義」が植民地主義に展開することを阻止すること、

つまり、r政治的個人主義」への限定が追求され

るべきであろう。r政治的個人主義」が民族自決

主義と両立とすることこそ、現代の我々の希求す

るものである。

1996-6

 こうして、タリーのロック理解の基本問題は、

r包含的権利」としての所有権を求めるロックの

r政治的個人主義」が、何故に植民地主義を随伴

するのか、ということである。「包含的権利」と

しての所有権は、タリーによれば、排他的権利と

しての資本家的所有や絶対主義的私的所有とは異

なり、他者の要求権を受け入れるものである。こ

のr包含的権利」としての所有権の内実が何であ

るかは定かではないことはすでに検討したところ

であるが、少なくとも、それは、他者を排斥する

ものでないであろう。にもかかわらず、ロックが

rヨーロッパ農業」の優位を前提にしていたが故

に、植民地主義を持った、とタリーはいう。では

何故、ロックはr包含的権利」としての所有権を

アメリカ先住民に適用しようとしなかったのか。

あるいは、また、アメリカに適用したrヨーロッ

パ農業」とは歴史具体的には何か。あるいは、こ

の場合、「ヨーロッパ農業」と「包含的権利」と

しての所有権とは、いかなる関連にあるのか。

 タリーは、これらに応えていない。植民地主義

をロックから切り離せば済むというものではない.

 こうして、タリーのいうロックの「政治的個人

主義」を基軸とするr包含的権利」としての所有

権という理解それ自体への疑問が生ずる。はたし

て、ロックは、所有権を「包含的権利」として提

示しているであろうか。

 私はタリーの前著書『所有権論  ジョン・ロ

ックとその論敵たち一一』への論評山において、

ロック所有権論へのタリーの理解がマクファーソ

ン批判としては妥当なものでありながら、絶対主

義二前期的重商主義と区別されたイギリスの本来

的重商主義者としてのロックを見失っているとの

見解を提示している。これは本書についてもあて

はまる曲。純経済的分解をはらむ農工の「中産

的生産者層」(二幼弱な産業資本)を基軸に旧型

土地所有や前期的商業資本の逆動を抑止しつつ、

特にr利子率」の法的規制によって農工の生産力

展開を図り、植民地を含む国際市場争奪において

強国フランスに対抗する名誉革命体制こそ、ロッ

クの希求するものとの見解がそれである。そこに

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伊藤宏之:重商主義者としてのジョン・ロック 17

おいては、所有権の「公共の福祉」二自然法によ

る法的規制の意味するものは、農工のr中産的生

産者層」の蓄積=再生産にとって必要不可欠な法

定利子率をはじめとし、労働力陶冶や販路(市場)

の拡大であったというものである。

 ロックの重商主義は、したがって、チャールズ

2世=ジェームズ2世の対仏従属的再版絶対主義

路線に対抗して、プロテスタントを保全しつつイ

ングランドの独立と経済的自立を求めるものであ

り、又新大陸アメリカ市場の制覇を随伴するもの

であったのである.タリーのいうロックの「政治

的個人主義」と重商主義的規制二r分配的正義」

が意味するものは、こうしたロック思想の歴史的

性格であり、それは植民地主義を必然化するし、

又こうした展開を担うべき行為主体に対して、r寛

容、勤勉それに軍事的充溢」がr教会、ワークハ

ウス、教育制度」によって習慣づけられることが

要請されるということになろう.

(1)拙著、前掲書、239-68頁。

(2)タリーは、本書においても、例えば、269-70

 ページに見られるように、リシュリー以後のフ

 ランスのr啓蒙的絶対主義」とイギリスの重商

 主義が、共に、r包括的な改革と改良としての合

 理的統制」を持っていたとして、同一視してい

 る。又、66ページに見られるように、「ロックの

 自己保存の権利義務は、救貧法が具体化した17

 世紀の法的権利義務に非常に近い」といって、

 エリザベス1世、ジェームズ1世、それにチャ

 ールズ2世治下の救貧法をあげている。

(1996年4月10目受理)

John Locke as a Mercantilist

一A critical assessment into the recent studies on John Locke(2)一

Hiroyuki ITOH

  In this paper,I assess Jame Tully’s・4n妙か。α6hオoρ01漉6α’ρh’10soρhッニLo盈8in oon’ε寛な

1993.

  Tully finds‘political individualism’,‘inclusive right’and‘penalized self’in the thought of John

Locke.Acording to Tully,Locke and republican writers are closer,but not identica1,than the

conventional distinction.And Tully suggest that Locke is a distinctive and enduring contributor

to modem political thought in this regard.

  But,in my view,Tully overlooks the historical character of Locke’s Thought.Though Tully

understands Locke totally as a mercantilist,he does not distinguish absolutistic mercantilism from

Locke’s parliamentary mercantilism.