168
90-/-クど 判定合格 明治大学大学院 明治大学大学院 商学研究科 2 0 1 2 年度 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理論と方法論 The Theories and Methodologies of Service Innovation 学位請求者 近藤隆雄

博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

  • Upload
    others

  • View
    1

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

。90-/-クど

判定合格明治大学大学院~ ニ

明治大学大学院 商学研究科

2 0 1 2年度

博士学位請求論文

サービス・イノベーションの

理論と方法論

The Theories and Methodologies of

Service Innovation

学位請求者 近藤隆雄

Page 2: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

目次

序章

(頁)

3

第 1章サービスの理論

1 . サービスの内容と範囲

2. サービスの特徴についての再検討

3. サービスの商品化ーソリューションの発想

5

2

8

8

1

2

第 2章サービス・イノベーションの理論

1 . イノベーションとは何か 29

(1) イノベーションとはどんな現象か 29

(2)イノベーションの契機 30

(3)イノベーションの分類 33

(4)イノベーションに関する重要な概念とフレームワーク 38

2. サービス・イノベーションと組織学習 44

(1)サービス・イノベーションとは何か 44

(2)組織学習とはなにか 54

第 3章組織学習の方法論 62

1 . 経験的組織学習

(1)接客態度訓練 62

2 サービス・マネジメント理論による組織学習 68

(1)顧客満足とサービス品質 69

(2) 顧客ロイヤリティとサービス・プロフィット・チェーン 77

1)サービス・プロフィット・チェーン 78

2)顧客ロイヤリティ 79

3)顧客価値 8 1

4)従業員満足と内部サービス品質 84

5) エンパワメント 87

(3)組織文化 94

第4章 サービス・イノベーションの方法論

1サービス・イノベーションの領域と方法

(1)サービス・イノベーションの全体像

(2)サービス内容のデザインを中心とするアプローチ

105

107

Page 3: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

2. サービス・デザイン 108

(1)サービスの構成要素の組立と拡大されたサービス・オファー 108

1)サービス構成要素とその組立 1 0 8

2)拡大されたサービスオファー 1 1 1

(2)製造業のサービス戦略 1 1 5

1)モノとサービスの融合 1 1 5

2)製造業のサービス戦略 1 1 8

3)サービサイジング 1 2 5

(3)サービス・ドミナント・ロジックのアプローチ 129

1)条件整備アプローチ 1 3 0

2)共創的サービス・デザイン・アプローチ 1 3 3

(4)サービス・イノベーション・ニーズの発見 1 3 7

1)社会ー技術システム論 1 3 8

2) STSの方法 1 3 8

3)サービス生産システムヘの応用 1 4 1

4)変異性とイノベーション・ニーズの発見およびその適用 146

〔事例 1〕美容サービスの場合 1 4 8

〔事例 2〕信用金庫のサービス改善 154

〔事例 3〕生花卸し業の新サービス・システム 1 5 5

5) まとめ 1 5 7

6) STSアプローチを実施するための組織対応 1 5 7

第5章結論 1 6 4

2

Page 4: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

序章 ~ サービス・イノベーションの構図

現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

産(GDP)の約 7割(統計の取り方によって多少差があるりの生産を第3次産業(広義のサ

ービス産業)に属する企業や機関が担っていること、またそうした第 3次産業で働く人々

の割合が、全勤労者のこれも約 7割近くになっているという事実にある。つまり消費者と

しての個人と組織を一緒にすれば、われわれがお金を払って購入する商品のおおよそ 7割

がサービスであることを現している。(なお、欧米を中心とする経済先進諸国でもこうした

現象は共通して見られるものであるり。

このサービス経済化という現象の際だった特徴の一つは、その実体感のなさであろう。

統計的にはまぎれもない真実であるのだが、われわれがその現象を肌で実感する場面はあ

まり多くない。もしあるとすれば、当たり前に供給されていたサービスが急に利用できな

くなった状況においてである。もし、インターネットが作動しなくなったり、携帯電話が

使えなかったり、電車や飛行機といった公共交通機関が利用不能になったり、救急車がこ

なかったり、テレビが放映を中止したりした時にわれわれは何を感じるであろうか。たぶ

ん一時的には精神的パニックに近い状態になるであろう。

つまりサービスとは、われわれの生活に浸透し、われわれの日常生活をおおい、生活の

隅々にまで根をはっているというのが実態なのだ。だが、サービスそのものが、形のない

無形の活動であるというサービスの本質が、われわれの素朴な認識能力にベールをかぶせ

てしまっている。

しかしわれわれはそろそろ、目をおおっているベールをはずして、サービスを正面から

取り上げるべき時期に来ている。われわれの生産活動の 7割はすでにサービス関連の活動

であるなら、その事にいつまでも無視していることはできないし、配慮しないわけにはい

かない。

もう一つ最近顕著になりつつあることは、たんに社会的にサービス生産の相対的量が拡

大したことだけでなく、企業が顧客に提供している全体的提供内容(以降、オファーとい

う用語を使う)において、モノ製品とサービスの融合化が進んでいることである凡これは、

顧客の拡大する飽くなき欲求に応えるためと厳しい競争環境を背景として、企業がより魅

力的で、より価値のある製品や商品を提供しようとしのぎを削っていることが原因である。

モノ製品とサービスの融合の例としては、機械設備を納めている企業がその保守整備サー

ビスに力を入れるといった従来からある付加サービスの拡大・拡充といったものから、最

近の電子機器(例えば、 iPod,iPhon,iPad等)のように、機器のコア機能の提供においてサ

ービスと機器が融合している場合、また反対に、サービスの提供事業者が付加的なモノ製

品やサービスによって、便利さや使い勝手を向上している場合などがある。(例えば、小売

店のハウスカード、銀行の ATM、JR東日本の suicaなど)。

3

Page 5: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

つまり、今日、モノの製造業者であろうとサービス提供業者であろうと、顧客に提供し

ている商品のオファーにおいて、顧客にとって価値の高いサービスをなんらかの形で取り

込まなくては、競争力のある企業活動は行えなくなってきているのだ。

こうした傾向は、世界の巨大企業において、主力商品の重点が、モノ製品からサービスへ

切り替わってしまうという事態さえ起こしている。 IBMの2006年度の総売上額は 910億ド

ルで祖利益は 380億ドルであった。この内、ハードウェアーとソフトウェアーの割合は計

45%であり、残りの内、 IBMGlobal Serviceが52%を稼ぎ出している九 IBMは20世紀の

終わりまでは世界に冠たる製造業企業であったが、この 15年間で世界の主要なサービス業

企業へと転身した。しかしその変身は、経営陣の意思決定にもとづく突然の変化ではなく、

ダウンサイジングの衝撃の後、競争環境と顧客ニーズの変化に対応し続けた結果であった

(むろん、当時の経営者の環境を判断する能力と変革を導いたリーダーシップを無視する

わけではない)。 IBMはもともと保守点検などのサービスにおいては定評のある企業であっ

たが、現場における顧客のサービスに対する要求が、機械の故障の修理、据え付けといっ

た内容から、サービス自体の管理やプロジェクト・マネジメントヘと拡大するにつれて、

純粋に「モノまわり」の仕事から顧客の ITを利用する仕事の全体的支援サービスヘと発

展を続けた。つまり、この変化の中心は、企業の意志決定の基準を、会社が提供するモノ

製品から顧客の「求めるもの」へと基軸を移していった結果なのである。それは IBMが提

供している製品ポートフォリオの内容の変化として現れ、顧客企業のビジネス自体を支援

するコンサルティングやソリューション、 BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)の

提供といったサービス事業へ拡大していった凡

これらの変化は、生産している製品の種類や競争環境などによって異なるとしても、

GE,HPその他の世界的な企業においても同じように起きているのである。こうした動きは、

2004年に発表された「サービス・ドミナント・ロジック」(後述)が示唆する方向と一致し

ているようである。

さて、 IBMの変化は、継続的なサービス・イノベーションと組織学習の産物だと言える。

結果的には大きな変化を遂げているのだが、変化の過程自体は比較的長い時間をかけ、そ

の時点その時点での経営的な意思決定が積み重なったものなのである。(つまりラデイカ

ル・イノベーションというより、インクリメンタルなイノベーションの結果である。 6)

それでは、そうしたサービス・イノベーションや組織学習はどんな条件の下でどのよう

に可能となり、実行されていったのであろうか。またそうしたサービス・イノベーション

や組織学習を支える理論的な蓄積はどの程度進んでいるのだろうか。本論はそうした疑問

に応えようとするものである。

サービス・イノベーションの研究は、現在、端緒についたばかりである。モノのイノベ

ーション研究がシュンペータを出発点として 20世紀にはしつかりとした基盤を築いてきた

のに対して、サービス・イノベーション研究は、 1990年代に入ってから取り上げられ始め

4

Page 6: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

て、 90年代の終わりごろから理論的な研究が見られるようになった□大規模なプロジェク

トベースの調査がフランスで 1993年に開始され、続いて英国で KIBS(Knowledge Intensive

Business Services)の調査、デンマークでサンドボーらの調査が行われた。また 2000年に

入るとサービス・マーケティングやマネジメントの分野で、サービス・デザインというテ

ーマでサービス・イノベーションが取り上げられるようになった凡 2005年以降からはサー

ビス・サイエンスの議論が世界的に盛んになったが、この運動ではサービス・イノベーシ

ョンが基本的な問題意識である,。いずれにしてもサービス・イノベーションの研究は、や

っと黎明期に入ったのである。

本論は、一つには、サービス・イノベーションのこれまでの研究をレビューしたうえで、

その全体的な見取り図を示し、その本質を把握すること、第二には実際に応用可能なサー

ビス・イノベーションや組織学習の方法、つまりサービスの改善・改革のアプローチを実

際に利用できるように、整理し、提案することを目的としている。前者は、どちらかと言

えば研究的な視点から取り上げ、後者は現実の企業活動の現場で活用できる実務的な内容

となることを目指している。もち論、前者と後者の間は関係のないものではなく、前者の

理論的な検討が後者の方法論を支える構造になっている。

ここで本書におけるサービス・イノベーションの定義を明らかにしておこう。本書のさ

まざまな議論は、この定義を中心に展開されるからである。

サービス・イノベーションとは、企業のサービス・システム(サービス商品とサービ

ス生産システム)によって、顧客や企業および関係する諸機関にとっての新しい価値を生

み出す革新的試みであり、具体的にはサービス組織の効果性と効率性を著しく向上させる

活動である。そして、その成果の大きさと反復性によってたんなる組織学習と区別される。

第1章では、本論の論議の根幹であり、わが国ではいまだになにかと議論の多いサービ

スそのものの意味を確定したい。世界のサービス研究の現場では、サービスそのものの定

義についての議論は今日ほとんど行われていない。それはすでにある程度の共通理解が成

立しているからであり、サービス・ドミナント・ロジック (Service-dominant-logic) も

そうした共通理解に基づいた展開である。本章では、まずこのサービスの意味とその特徴

が与える具体的影響と課題について検討したい。サービスの内実を正確に理解しなくては、

企業の提供する全体的オファーに占めるサービスの要素を正確に把握することも、次なる

目的であるサービス・システム・デザインヘ移行することもできないからだ。

第2章では、サービス・イノベーションとは何かについて、その内容や範囲を明確にし

たい。また研究的にはサービス・イノベーションに先立つイノベーションそのものの理論

的な状況も俯廠する。またサービス・イノベーションは、イノベーションの対象であるサ

ービスの持つ特性から「組織学習」との関連性が深い。サービス・イノベーションと組織

5

Page 7: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

学習の区別や差異、また共に組織の効果性と効率性を高めるという意味では連続線上に位

置しているこの二つの内容を明らかにしたい。

第 3章では、サービス・イノベーションの具体的方法の検討を行いたい。まず初めに、

これまでのサービス・イノベーションの方法を組織学習的アプローチとサービス・イノベ

ーション・アプローチに分けて、本章では、組織学習を取り上げる。

最初に、経験的組織学習のアプローチとしてわが国で広く行われている「接客態度訓練」

を検討する。心構えやロールプレイングといったたんなる経験的なアプローチではなく、

接客サービスの構造を理論的に解明して、そのあるべき姿を提案する。

次に、サービス・マネジメント理論に基づく組織学習の観点から効果性、効率性を高め

るサービス理論として顧客満足、ロイヤリティ、サービス・プロフィット・チェーン、顧

客価値、従業員満足、エンパワメント、組織文化などの概念と理論の要点をまとめ、それ

らを組織学習として活用する手法として解説する。

第 4章では、サービス生産システムに構造的な変化をもたらすサービス・イノベーショ

ンのアプローチを取り上げたい。

最初に、イノベーション理論の中で、特にサービス・イノベーションに関連して考慮し

ておくべき概念をまとめ、次に、サービス・イノベーション方法論の体系的な整理を行う。

その上で、構造的な変化をもたらすサービス・イノベーションとして、サービスそのもの

のデザインに関わる 3つのアプローチを取り上げる。特に、 3番目のサービス・ソリューシ

ョンのデザインで検討する製造業のサービス化は、今後、製品のコモディティ化と競争の

激化を条件とする製造業においてますますその重要性を増し、喫緊の課題となっていくで

あろう。

サービス・デザインの後半では、新しいサービス理論として登場したサービス・ドミナ

ント・ロジックから見たサービス・デザインを取り上げる。顧客と企業の価値の共同創造

(ヴァリュー・コークリエイション)から見た新しいサービスの組み方が提案される。

第 4章の後半では、わが国で初めてサービス・デザインに社会=技術システムの概念を

応用した、 STSアプローチの詳細を説明する。それは、生産システムの定常状態を前提と

してプロセスに発生する変異性(バリアンス)を見つけ、それを検討することで、サービ

ス生産システムの改革必要点を発見する。つまりサービス生産システムにおいてイノベー

ションを起こすべきポイントを明確化することである。そして、その変異性をコントロー

ルするという視点から生産システムを組み直すことで、具体的なサービス・イノベーショ

ンの内容を導き出すことができる。各々のサービス生産現場の特性に基づき、顧客とサー

ビス提供者との相互作用の側面に注目する発想である。

結論の章では、サービス・イノベーションと深い関係にあるが、方法そのものの領域で

はないために先の章では触れなかった、サービス・イノベーションの目的に関連するエク

セレント・サービスと日本のホスピタリティ概念、顧客中心主義の価値銀などについて検

討し、もともと姿勢や心構えといった精神的な部分との関連が深いサービスの持つ文化的

6

Page 8: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

な側面についてまとめておきたい。

本論は基本的に理論的志向的な本である。今日、サービスの分野では啓蒙書としてケー

ス・スタディが全盛である。ケース・スタディとは、特定企業の事例を収録したもので、

ディズニーランド、リッツカールトン、サウスウェスト航空、帝国ホテル等々のサービス優

良企業に関するものが数多くある。ディズニーランドのように一つの企業で何冊ものケー

ス・スタディが出版されている場合もある。ケース・スタディは読んで面白く、納得させ

られる場合が多い。しかしそれらのケース・スタディの読者がそこからサービス提供に役

立つなんらかの原則や方法を発見しようとしているのなら、それは難しい困難な作業と言

わざるを得ない。少し考えればすぐ分かることだが、優れたサービス企業はおのおの非常

に個性的で特定の条件のもとにあり、その全体を構成しているシステムもさまざまな仕組

みからできていて、その内の一つをたとえ真似することができても、モデルが示している

水準には到達することはできず、結局は無駄な努力で終わるであろう。優れたサービス組

織は、それを構成しているさまざまな要因の全体的構成の組み合わせとして活動していて、

その全体的構成のもつ素晴らしさが、優れたサービスの源泉となっているからである。

優れたサービス組織を作りあげるには、サービスを理解し、技術を理解し、文化を理解

し、またなによりも人間を理解していなければならない。サービス・イノベーションはた

んに、製造業で行われている生産性向上の仕組みをサービス生産にも利用すれば良いとい

った単純な話ではないのである。

1 平成20年度国民経済計算確報によると第三次産業の名目 GDP比率は73.1%

2 例えば、英国の場合、 Officefor National Statisticsの "NationalStatistics : The UK

Service Sector" Dec.2000参照

3 この現象については多くの研究者が触れているが、ここでは ChristianGronroos

Service Management and Marketing 2007 West Sussex England: Wiley, p.vii参照

4Johnston R & Graham Clark Service Operations Management 2008 Sussex England :Prentice Hall p.19 5'レイス・ガースナー山岡、高遠訳『巨像も踊る』 169頁 日本経済新聞 2002年

Gerstner L V Jr. J:,Vho Says Elephants Can't Dance? 2002 New York:Harper Collins 6 A White Paper(based on Cambridge Service Science Symposium) July 2007 'Glossary p.16 University of Cambridge IBMの変革はインクリメンタル・イノヴェー

ションの例ではあるが、企業組織としてこうした大変革を成し遂げたのは、ルイス・ガース

ナーの強力なリーダーシップがあったからであろう。

7 Sundbo J''Innovation and Learning in Service -The involvement of Employee" p.133, Spath,D and K・P.Frahnrich (eds) Advances in Service Innovation 2006 Heidelberg:Springer

8 Edvardsson B, Gustafsson A, Johnson M, Sanden B New Service Development and Innovation in the New Economy 2000 Copenhagen :Lund

9 ベルンド・スタウス他(編)、近藤隆雄、日高一義、水田秀行(訳)『サービス・サイエ

ンスの展開』 p.v~vi2009年、生産性出版 B.Stauss (ed) Sen-ヮ~ce Science 2008 Heidelberg: Springer

7

Page 9: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

第 1章サービスの理論

1 . サービスの内容と範囲

まず、サービス・イノベーションの対象であるサービスとは何かについて検討してみた

い。イノベーションはなんらかの革新のための活動であるが、その働きかける対象を明確

にすることなしには出発できないからである。

サービスについては確定した定義がない、というのが今日のサービス研究者の共通する

理解である\しかしこのことは、サービスでは実体を捉えられないとか、それを認識の

対象とすることはできない、ということではない。サービスは、一般になんらかの働き(機

能)を表すが、概念があまりに一般的であるために、さまざまの視点からさまざまのとら

え方が可能であった。したがって、おのおのが自分の関心からサービスを定義してしまう

ために、一つにまとめることが難しいという状況を反映しているのである。

サービス概念は、それが対象とする範囲の大きさでいくつかのレベルに分けることがで

きる包まず、アダム・スミスやマルクス、マーシャルは、社会的レベルで、モノ製品の

生産との関連の中でサービスをとらえた又当時はモノ生産物が富であって、たとえ金銭

で購入するものであっても「生産と同時に消えてなくなるサービスやその他の財は財産と

は言えない」 (A.マーシャル) 4という見方が優勢であった。サービスは、必要ではあるが

付加的な存在意義をもつもので、形のあるモノではないために、社会全体(国富)の価値

を増やすものではないと考えられていた。この当時は、生産の結果は資本(富)の蓄積で

あって消費ではなかったのである凡

次の段階の考え方は、産業としてとらえる見方である。今日、コーリン・クラークの産

業分類にしたがって第 3次産業を広義のサービス産業と呼ぶのが一般的だが、クラークの

発想では、農鉱業生産物、製造業などモノ製品を生み出す経済活動の「残余」の活動がサ

ービスだと考えられていた凡つまり第 3次産業に含まれる、運輸、通信、金融、保険、

医療、教育、行政、レジャー、家事サービス等の産業がサービスだという見方である。現

在でも経済学や行政の分野ではこうした見方が有力である。

次の見方は、今日もっとも一般的であると思われるが、ある種の仕事のまとまりをサー

ビスと見なすものである。衣服のクリーニング、ガソリンスタンドでの給油、機械設備の

メンテナンス、ホテルのルームサービス、等々、世間には数多くのサービス業務が存在し、

人々はそれらをサービスと呼んでいる。企業内でサービスと呼んでいる作業のまとまり

(例えば、機械の保守管理)が、その企業の従業員にとって想定される「サービス」なの

である。

最後は、もっとも範囲の狭いサービス概念だが、サービス・マネジメント、サービス・

マーケティング、サービス工学などの分野で使われている活動を単位とする見方である。

この考え方は、特定の産業や仕事の内容に関係なく、サービス一般の定義を目指すもので、

今日、営利・非営利を問わず、経営的な場面でサービスを問題にする場合には、この考え

8

Page 10: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

方が使われている。本書もこの立場に立ったサービス概念を基礎としている。

このグループのサービス (service)概念を少し丹念に追ってみよう。まずサービスの基

礎的な単位として大部分の研究者に共通しているのは、「サービスは、活動、行為、パフ

ォーマンス(目的的な活動)」だという点である 7。活動や行為は単独では意味をなさない

から、目的を持った一連の活動がサービスであり、そのためサービスの定義に過程(プロ

セス)を含める研究者も多い。特にグルンルースは、サービス・マネジメントにおける関

係性の命題を導くために以下のようにこの点を強調している 8

サービスは、多かれ少なかれ無形の一連の活動から構成されるプロセス

である。また、常にではないが、顧客とサービス提供者、物的な資源や

モノ、またサービス提供者のシステムとの間の相互作用として発生し、

それは、顧客の問題のソリューションとして提供される。(グルンルース)

グルンルースでは、サービスの特質としてプロセス、相互作用、ソリューションが強調さ

れている。また、サービス・ドミナント・ロジックで有名なヴァーゴとラッシュは次のよ

うに定義している凡

(サービスは)行為、プロセス、パフォーマンスを通じて提供される

特別な能力(知識・技能)の適用であって、それは他の存在物のため、

またはその存在物自体のために行われる。(ヴァーゴとラッシュ)

この定義では、強調点が異なっている。ヴァーゴとラッシュの場合は、グルンルースの「ソ

リューション」の基盤となる技術的な側面を「特別な能力(コンピテンス)の適用」とし

ている。特別な能力としての知識や技能を対象に適用しその働きを得ること、つまり使用

価値の獲得がサービス生産の内容である。そしてそれは自分または他人のために行われる。

マーケティング研究者の上原征彦は次のように定義している 10 0

サービスとは、ある経済主体が、他の経済主体の欲求を充足するために、

市場取引をつうじて、他の経済主体そのものの位相、ないしは他の経済主体

が使用・消費するモノの位相を変化させる活動そのものである。(上原)

ここでは、サービスとは主体の欲求充足のために、市場取引を通じて、対象に変化を生む

活動そのものだとされている。

次に工学的な視点や「ものづくり」の視点からのサービスの定義を紹介しよう。東大人

工物研究センターの新井・下村は以下のように定義している 11 0

Page 11: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

(サービスとは)サービスの提供者が対価を伴って受容者が望む状態

変化を引き起こす行為(新井、下村)

新井、下村は工学系の研究者であるが、サービスの定義は上原のそれと実質的に同じで

ある。もう一人、アプローチの異なる藤本隆宏の定義を紹介しよう 12 0

サービスとは本質的に機能設計情報がエネルギー媒体に転写された無形

の人工物である。モノの消費は消費者自身による自分へのサービス、

モノの生産は作業者がモノに働きかけるサービスであり、その意味で

基本特性を共有している。(藤本)

この定義はいく分わかりにくいが、要は、サービスとは、設計情報という変換技術情報

が、エネルギー媒体(つまりこの場合、人、モノ、システムの活動)に転写(構造化)さ

れた人工物(意図的に作られたモノやシステム、仕組み)ということであり、これまで見

てきたいくつかの定義と同じく、サービスが対象を変換する働きであることを指摘してい

る。またモノの使用とモノの生産とは、共に変換技術情報を自分自身またはモノという対

象に転写するという点で共通していることを述べている。

このように近年になって、工学やもの作りというどちらかと言えば理系的な分野からの

サービスヘの接近が始まり、サービス現象につて、経営的な分野であるサービス・マネジ

メントやマーケテイグと結果的に同じような見方となっていることは興味深い。どんなア

プローチを取ろうとも、対象と現象がしつかり把握されていれば、本質は同じであること

を示している。

筆者の定義は次の通りであるが、包括性をもったものを目指している。

サービスとは、人、モノ、情報といった特定の対象に働きかける

価値生産的な変換の活動またはプロセスそのものである。(近藤)

「特定の対象にたいする」とは、それが主体によるサービス対象への目的をもった特別

な働きかけであることを表している。この対象には、自分で自分の髪を切る場合のように

自分自身も含まれると考えることができる。「価値生産な活動」とは変換の論理である一

定の技術に基づき、対象を変換することでサービス受容者のベネフィットを増進する活動、

つまり広い意味でのソリューションの創造である。「活動またはプロセス」としたのは、

目的性をもった活動は一回の活動ではなく連続性の中で展開するであろうし、そのプロセ

スではサービス提供者と受容者、およびサービス資源と受容者との間の相互作用が想定さ

10

Page 12: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

れているからである 13 0

さて、対象に働きかけてある変換をもた らす活動とい うことは、モノ製品の生産の場合

においてもそのまま当てはまる。つまりサービスもモノ 生産も同じ生産の論理を使ってい

る。第 1図はこのことを表している。

例えば、自動車やパンといったモノ製品を生産する場合、鉄やガラス、プラスティック 、

小麦粉、イースト菌、といった原材料を生産システム(機械、動力、 装置、人、 システム

など)にインプットして、それらを加工して、自動車やパンなどのモノ製品 としてアウト

プットする。サービスの場合も同じであって、例えば、対人サービス (理美容、医療、教

育その他)であれば、顧客自身が生産システムにインプットされ、同じく、人、機械、装

置、システムなどで構成される生産システムを通って、変換を受けてアウト プッ トとなる。

第 1図 サービス生産とモノ生産

生産システム

原材料

顧客

モノ製品

経験した顧客

生産システムを支配する原理はモノ製品であれ、サービスであれ、広い意味での技術〔変

換の論理〕である。

第2図は、サービス生産のインプッ トとアウトプットを例示したものである。

このように、モノの生産とサービスの生産は共通する原理に立っているが、 このことを明

確に意識したうえで、変換の機能そのもの(コ ンピテンスの適応)がサービスであるから、

サービスが経済単位生産の基本原理であると主張したのがサービス ・ドミナン ト・ロジッ

クである。

ヴァーゴとラッシュは、すべての資源をオペランド(働きかけられる資源)とオペラン

ト(働きかける資源)に二分して、サービスをオペラント(働きかける資源)とした 14 0

それは、 価値生産とは対象に対する変換活動だという基本認識があり、そこで資源を変換

される側と変換する側に分けたからである。モノ製品とは、働きかけられる資源(原材料)

をイップットとして、これに変換・加工を加えることによって(働きかける資源である)

知識を物理的形体の中に埋め込んだ中間生産物である。それは使用されることで使用者へ

のサービスを生産し、使用価値を生む。その意味で、モノ製品の交換は、結局、サービス

の交換なのである。 一方、サービスはオペラント(働きかける)資源であるが、これを購

入してインプット(例えば、自分自身や所有物)に適用することがサービスの消費なのだ。

11

Page 13: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

第 2図 サービス生産のインプットとアウトプットの例

(インプット)

病人

入学した学生

入場した

お客

• I

• I

( 変換 )

病院

医師、看護婦、

医療機器、病室

大学

教員、教室

図書館、事務

映画館

劇場、フィルム、

撮影機、技術者

..

I ~

(アウトプット)

全快した人

死亡した人

卒業した学生

退学した学生

映画を楽しん

だ観客

「顧客」は基本的にはオペラント(働きかける)資源だが、時々オペランド(働きかけら

れる)資源となるとしているのは、前者では顧客が主体となる共同生産(コ・プロダクシ

ョン)や価値の共同創造(ヴァリュー・コクリエイション)を、後者では、サービスが理

美容、医療、教育のように顧客を対象にして消費される場合を想定しているからである。

さて、ジョンストンとクラークは、次のような二つの図によって、サービス生産を含ん

だ一般的な生産とサービス生産を図示して、サービスそのものの働きを巧みに図示してい

る。 15

第3図は、サービス・オペレイションが表題となっているが、一般のモノ製品の生産で

も仕組みは同じである。ただアウトプットがモノ製品のみを想定していればモノ生産のシ

ステムとなる。サービスを中心とするオペレイションでは、レストランの場合のようにサ

ービスと料理(モノ)の両方が産出される場合もあるからである。原材料や設備・装置、

顧客や従業員および技術がプロセスヘのインプット要素となり、その内のある種の要素(例

えば、顧客や顧客の所有物)が変換対象となり、それがサービス生産プロセスにおいて、

変換を受けたアウトプットとなるのである。インプット ー トランスフォーメイション

ーアウトプットの図式である。

12

Page 14: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

第 3図 サービス・オペレイション

オペレイション(生産)

サービス・オペレイション

インプット

物質

装置

顧客

スタッフ

技術

設備

,-------: プロセス

:- ~ アウトプット

変換された対象、

(人、モノ)

(Johnston, R. & G. Clark Service Operetions Management 2008 Prencie-Hall,

Harlow England p.5)

次の第4図が図示しているのは、顧客が購入するサービス・プロダクトとは、二つの側面

つまり、結果とプロセスにおける経験から構成されることを示している。顧客はサービス・

プロダクトを得るために、金銭、時間、努力といった諸費用を払い、サービス提供プロセ

スでの経験を経て、さまざまな結果を享受する。レジャー・サービスの場合のように経験

自体が目的となる場合も、またサービス経験は結果を得るためのいわば必要悪(例えば、

医療サービス)の場合もある。しかしいずれにしても、サービスの生産の観点からす

第4図サービス

顧客インプット

時間

努力

費用

経験

I l 顧客アウトプッ

L..+ト(結果)

: ベネッフィト

感情• 曇—------- 判断(価値)

意図

サービス・プロダクト

顧客

(Johnston, R. & G. Clark Service Operetions Management 2008 Prencie-Hall,

Harlow England p. 7)

13

Page 15: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ると、顧客は、自分の時間、努力、費用を投入して、このサービス生産プロセスに入り、

第3図にあるサービス・オペレイションのインプット要素(スタッフ、設備その他)との相

互作用を経てアウトプットを生み出す。その意味でかならずなんらかの経験を経ることに

なる。(この経験は時間的には、コンピュータの情報検索サービスのように瞬時に済んでし

まう場合も、またレストランの食事や冠婚葬祭のように長い時間を要するものもある)。

サービスの特質として、このサービスの「経験と結果」を論じている研究者には、ジョ

ンストン等以外にも、グルンルース 16が、顧客が認知するサービス品質の二つの側面とし

て取り上げている。彼は、顧客がサービスの品質を認識するのは基本的に二つの側面につ

いてであり、一つは、「技術的または結果の側面」ともう一つは「機能的17または過程の側

面」だとしている。前者は、医療サービスにおけるガンの治癒率のように、そのサービス

の目的(What)の達成水準に関する事柄で、サービス提供が終了した時点で認知でき、その

品質評価を客観的に表すことができる場合が多い(結果品質)。後者は、サービス提供の過

程で顧客はどのようにそのプロセスを経験し、それをどう評価したか、についてである(過

程品質)。例えば、病院で、医師や看護師は丁寧で親切に対応してくれたか、病気から来る

痛みや苦しみにどのように対応してくれたか、といった側面である。この事は、治療によ

って病気が治ったかどうかとは直接的には関係ない。つまり結果品質とは別の側面なので

ある。つまり、顧客がサービスの品質について認知し、評価するのは結果と過程の二つの

側面だということである 18 0

このように顧客はサービスを消費することで過程と結果の二種類の経験をする。ジョン

ストン等 19が例示している顧客経験の中身としては、①相互作用の深さ、②サービス組織

の反応性の良さ、③顧客に接するスタッフの柔軟性、④従業員と顧客との親密度、⑤サー

ビス・スタッフや情報システムヘのアクセスの良さ、⑥組織からどれ程重視されているか

の感覚、⑦顧客に接するスタッフの能力と礼儀正しさ、⑧他の顧客との相互作用などであ

る。これらが過程品質の評価項目となる。

なお、サービス組織の宣伝等のマーケティング活動および他の既存顧客のロコミなどに

よって、実際にサービス・エンカウンターに入る前に、顧客はその組織のサービスについ

て一定の期待を形成するが、これも経験品質の項目に入れることができよう。

さて、顧客が獲得するもう一つの領域はサービス・プロダクトを購入したことの結果的

な側面である。結果的側面でもっとも重要な項目は、サービス提供によって生じる顧客二

ーズの充足(ベネッフィト)であり、顧客の主要な購買動機となるものである。

結果的側面の第二の項目は感情である。感情はサービス・プロセスにおける経験の過程

でどのようにサービス提供者に扱われたか、また、有形の生産物に対して抱く好意的な感

覚や欲求不満、喜びや怒りなどである。

第三の項目は、判断である。判断は、顧客の過程についての経験や結果についての個人

的な評価から生じる。結果についての満足感、ロイヤリティ、公平感、また認知した顧客

価値、などが判断の項目である。

14

Page 16: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

こうした判断は、最後の意図(インテンション)を生み出す。そのサービス商品につい

てどんな反応をするのか、再購入するのかしないのか、友人知人にそのサービスの良い点・

悪い点について話をするのか、またサービスの欠陥についての不満を組織側に連絡するか

どうか、といった行動的な側面への意図を表す。

なお、これらのサービス生産の経験と結果のアウトプットは顧客の視点からまとめたも

のである。これと裏腹の関係にあり、生産者にとって重要なのは、組織の視点からのアウ

トプットである。組織の定めた目標や基準にこれらのサービスが適合しているかどうか、

顧客の経験品質は組織が意図したものに合っているのか、経済的な目標に達しているか、

等々の実態と判断である。サービス・マネジメントの観点からは、こうした二つの視点か

らの情報を基に、バランスの良い最適な設計を実施し、経常的な活動についての意思決定

を行うことが重要な課題となる

2 サービスの特徴についての再検討

(1)従来の見方

前節ではサービスの定義について検討し、その本質について一定の結論を得た。しかし、

経営場面で具体的にサービスを分析するには、サービスの操作的(オペレイショナル)な

定義を行わなければならない。(操作的定義とは、例えば、「幸せ」を測定するのに、「生活

水準」を基準にするというように、具体的に対象を把握するための指標となるものを指す)。

サービスの操作的定義はこれまで主に、サービスの特徴を基にして行われてきた20 0

サービスの研究は 1970年ごろから 80年にかけて米国を中心に盛んになったが、当初は、

モノ製品の販売を中心とする従来のマーケティングに対して、モノとは違う特徴をもった

財としてサービスをとらえようとする傾向が強かった。モノと異なる特徴を明確にして、

そうした財を扱う独自のサービス・マーケティングが必要だという主張である。その結果、

サービス独自の特徴として、 IHIPというが概念が主張されるようになった。 IHIPとは

Intangibility (無形性),Heterogeneity (異質性), Inseparability (不可分性),

Perishability (消滅性)の四つの特徴をまとめたものである。この概念はサッサーのテキ

ストに 78年に登場して以来、今日まで広く使われ、多くのサービス・マーケティングやマ

ネジメントのテキストに記載されていて、長い間、サービスのパラダイムとしての正当性

を問われることはなかった21 0

しかし、 2002年のサービスの国際学会で、今日大きな広がりを見せているインターネッ

ト関連のサービスやセフル・サービスの技術は、従来のサービス概念で十分に扱うことが

できるのか、という疑問が提示されたことをきっかけに、この IHIPについての見直しが起

こり 22、続いていくつかの研究が発表されることになった23 0

サービスの特徴をどのように捉えるかは、サービス経営の要でもあるので、新たな研究

と著者の見解とをここで紹介してみたい。

IHIPの4つの特徴は、もともとは、古典主義や新古典主義の経済学者の発想から生まれ

15

Page 17: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

たもので、実証的な研究や先行研究からの演繹的な推論の結果から導かれたものではなく、

観察や逸話、実際的な経験から派生し、支持されてきたものである 24。各々の特徴を順次

検討してみよう。

① 無形性

サービスは機能または活動であるから、コトではあっても物理的なモノではない。そこ

でサービスの無形性はモノと区別されるもっとも大きな特徴として論じられてきた。無形

であるから、作り置きや在庫ができず、顧客に見せることも触らせることもできない。ま

た特許等で権利を保護することもできず、モノのように直接的な原材料がないことが多い

ので、価格設定も難しい25 0

ベイトソンは、無形性を二つの側面に区別している 26。一つは、物理的な無形性で、対

象に触ることができないという現象に対応し、二つ目は、心理的な無形性で、心理的に把

握することができない(対象を視覚化できず明確で具体的なイメージを描けない)、ことを

表している。経営的には、前者は在庫や流通ができないこと、また具体的に見せられない

ためにマーケティング・コミュニケーション上の問題をもつといった点があげられ、後者

の心理的な無形性では、具体的なイメージが描けないために、顧客は購買前に心理的不安

感を抱くことが多く、購買リスクを感じざるを得ないという問題点が指摘できる。特に、

事前にそのサービスについて購買経験がない初回の購入の場合にはこの顧客の感じるリス

クは大きいと予想され、それに対する対応は重要な経営的な課題となる。

しかし、こうした購入前の不安感は、実はサービスにだけ独特なものではない27。生鮮

食料品、薬品・化粧品、また、通信販売による商品や家具や衣類の注文生産品などモノ製

品の場合にも顧客は、特に初回購入の場合、かなりの購買リスクを感じるのが普通である。

また、サービスではあっても有形的な要素が品質の評価に重要な役割を占めるものもあ

る。この場合、レストランのようにサービスとモノとの組み合わせという点においてモノ

(例えば料理)の重要性を指摘する場合と、サービス自体が物的要素を含む場合がある。

後者では、理美容サービスでのヘアー・カットや手術(特に美容整形)、清掃、修理など顧

客の主要な目的が自分や自分の所有物等の物理的変化である場合などがある。

このように考えると無形性はサービスの重要で主要な特徴であることには違いないが、

その影響については、具体的なサービス対象や購入の時期(事前か、最中か、事後か)に

よってその影響の持つ意味が変わってくることを理解しておかねばならない。

なお、 eーサービスの場合には、サービス自体は無形であるが、ある種のサービス(例え

ばYouTube)では在庫もできるし、画面上で見ることもでき、権利を保護される場合もある

ように、 ITサービスでは一般のサービスの範疇から外れる特質を持つものがある。今後、

この種のサービスの拡大が予想されるので、検討と整理が必要となるだろう。

② 異質性

この特徴は、サービスでは常に均質のサービスを得ることは難しいことを表している。

モノ製品の場合には、顧客は同じ製品をいくつでも入手できる。しかし労働集約的なサー

16

Page 18: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ビスにおいて、とりわけ顧客との相互作用が起きる場合、同一のサービス企業であっても

提供者が異なると違ったアウトプットとなり、また同じ従業員であっても彼/彼女の気分や

状況によって違ったサービスが提供されることがある(朝、妻と喧嘩してから出勤した)。

したがって、この特徴が生む経営上の問題は、サービスの品質管理が難しいことである。

この課題に対して、これまでも、従業員の訓練、機械化の推進(サービスの工業化28) な

どが提案されてきた29 0

一方、サービスが装置産業的なもの(電話、電気、放送等)ではこの問題の重要性は低

くなる。またサービスのこうした特徴は、顧客と従業員との相互作用場面において、顧客

の要求への個別的な対応を可能にする基盤となり得る点については望ましい可能性として

指摘できる。

最近のサービスの IT化(インターネットを利用した eコマース、その他)と機械化(銀

行の ATM、商用データベース、航空会社、医療サービス等)の組み合わせは、顧客に広く均

質な内容のサービスを提供することを可能にしている。今後の広がりを考えると、かなり

広い範囲のサービスにおいて、異質性のもつ影響は下がっていく可能性がある。

③ 同時性(不可分性)

この特徴は、正確には「生産と消費の同時性」と呼ばれている。サービスは価値生産的

な活動であるが、そうした活動は受容者に直接、働きかけられる。その場合、サービスの

生産と消費は同時になる。予防注射を打っている医師は、医療サービスを生産しているが、

腕に注射されている子供は同時にそのサービスを消費している。つまり、同時性は、サー

ビスの提供者と受容者との間で相互作用が起きるインセパラプル(非分離的な)サービス

の場合に生じる。だから、モノの修理サービス、情報提供、金融サービス、衣服のクリー

ニング、モノの輸送、など場所的に分離ができるセパラブル・サービスでは同時性は生ま

れない。

サービスの提供者と受容者が相互作用をするというのは、受容者の方は、サービスを受

ける態勢を作らねばならないということだが、この点で顧客は共同生産(コ・プロダクシ

ョン)をしている、と考えることもできる。例えば、床屋のお客はなるべく頭を動かさな

いという仕方で床屋の散髪サービスの共同生産者になっている。

もう一つの重要な同時性の特質は、生産と消費が同時でなくてはならないために、サー

ビス生産に時間と場所の特定性が生じるということである。サービスはそれが生産される

場所に生産される時間に行かないと消費できないということだ。救急車が救急患者の受け

入れ先の病院をさがして走りまわるのは、医療サービスの生産が、原則として、特定の場

所で特定の時間にしか行われないためである。

同時性の特徴についてラブロックとガムッセンは、「顧客の共同生産といった重要な経営

的課題を提示しているが、サービスの共通する特徴とするには、例外として適用できない

セパラブルなサービスが多すぎる」と述べている 30 0

④ 消滅性

17

Page 19: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

サービスは活動であるから、貯めておくことができず、生産するそばから消滅してしま

う。これが消滅性という特徴である。この特徴が対応する経営問題は、サービス商品が在

庫できないという点である。モノのように、商品が在庫できれば、需要と供給の不一致の

問題についてのバッファーとなる可能性がある。サービスが在庫できないために、対人サ

ービス業では需要と供給の適合が重要な経営課題となっている。充たすことの出来ない供

給は無駄になり(航空機の空席)、供給を超える需要は機会損失となる。

在庫問題は、実はサービス生産だけではなく、製造業においても問題である。過剰に在

庫を持てば、保管費用や在庫経費の問題を抱えることになる。一方サービス業では生産要

素の保持費用だけが経費で、その他の費用は必要ない。

また、見方を変えると、サービス企業がサービス生産に利用するシステム、建物、機械、

知識、従業員はサービス生産能力を在庫しているとも言えよう。ホテルは部屋を在庫して

いるのだ。また顧客の記憶はそれまでのサービス経験の在庫であり、良い経験と悪い経験

についての記憶は将来のサービス購入に大きな影響を与える 31。なお情報関連のサービス

では、その特質から CDやメモリースティックに簡便に在庫を持つことができ、この問題と

は無関係である。また有形物への加工を行うサービスでは、その結果が有形物に物理的変

化として保存され、サービスは消滅せずそのモノの中に継続することになる。家電製品や

自動車の修理、また美容整形やその他手術などの医療サービスの結果も保持される。

(2)サービスの特徴と経営問題

以上 IHIPとしてまとめられている 4つのサービスの特徴を検討してきた。これらはサー

ビス研究の初期の時期に、モノとの違いを明確化するためにまとめられたサービスに共通

する特徴であった。しかし、これまでの研究レビューで明らかになったように、これらの

特徴は、サービスの種類(特に ITサービスの登場が枠から外れる大きな力となった)、や

顧客の状況によってその影響度は異なり、一般的に共通するサービスの特徴とは言えない。

図5. サービスの特徴(近藤)

①無形性

②生産と消費の同時性

③異質性

④結果と過程

⑤共同生産

18

Page 20: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

これらの特徴はまた、以上の検討からも明らかなように、サービスの提供者と受容者が

対面で相互作用を行う対人サービスの場合にもっとも適合的なものである。(われわれがサ

ービスという言葉を使う時、もっとも想起しやすいのはこうしたサービスである)。またエ

ドバードソンが指摘しているように32、IHIPはサービス生産の側面から生産者の立場に立

ってサービスの特徴をまとめたもので、顧客の立場から検討された特徴とは言えない。

それでは、 IHIPのさまざまな限界が明らかにされることで、こうしたサービスの特徴は、

サービス経営の立場から見てまったく無意味になったのであろうか。この点を検討する前

に、筆者がまとめた独自の組み合わせの「サービスの特徴」を紹介しよう。(図 5)

IHIPとの違いは、上のリストには「消滅性」がなく、新たに「結果と過程」、および「共

同生産」が付け加わって、合計 5つになっていることである。サービスの特徴として取り

上げるか否かを決めるうえで重要なのは、サービスの経営(マネジメントやマーケティン

グ)において、それらの特徴が顧客や企業にどんな影響を与え、その大きさはどの程度か、

という問題である。このリストはそうした観点からまとめてある。

消滅性を省いたのは、確かに消滅性から在庫が出来ないという重要な特性を導くが、消

滅性自体が、無形性から直接的に生まれた特徴だと考えられるからである。物理的形のな

い活動であるサービスは、その活動が終われば無形であるから機能も存在しなくなる。つ

まり消滅性は無形性から直接導かれ、したがって、消滅性の「在庫ができない」という特

質を、無形性の特質と考えてもなんら不都合はない。

また新しく加えた特徴の第ーである結果と過程は、サービスでは顧客の経験には「結果」

と「過程」のふたつの側面があり、その両方が顧客に重大な影響を与えるという事実を、

サービスの特徴として取り上げたのである。電車に乗って目的地に移動しようとしている

乗客にとっては、目的地に到着することが結果であるが、途中、電車にのっている間が過

程である。顧客にとってはその両方の経験の内容が関心事である。このことは、サービス・

プロダクトが顧客に与える効果を構成する二つの側面として前節において説明した。

なお、つけ加えれば、モノ製品の利用の場合にも結果と過程の二つの側面がある。例え

ば、自動車は、走って目的地に着くことが結果であり、走っている途中は過程である。し

たがってモノ製品の場合にも結果品質と過程品質が区別できる。この点についてのモノと

サービスとの決定的な違いは、サービスでは、その本質は機能そのものであるが、モノは

使われることで機能を発揮するという点である。サービスは使用価値そのものだが、モノ

の使用価値はその機能を所有者が使用するという意思が前提となって発揮される。車は走

らせなくても、家に置いておくだけで満足する人もいるかもしれない。したがって、サー

ビスではつねに結果と過程が問題となるが、モノでは特定の状況(使われている時)にお

いてのみ問題となる。

二番目に付け加えたの「共同生産」の特徴は、 IHIPの発想では同時性の派生的な特質と

して語られた。しかし、「共同生産(コ・プロダクション)」の発想は、同時性の場合のよ

うに、顧客が受け身でその顧客役割を遂行するという場面(例えば、床屋で頭を動かさな

19

Page 21: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

い)に限ってしまうとすれば、サービスにおける共同生産が本来持っている重要性を低く

見ることになる。

ノーマンは顧客の共同生産の内容として、次のような項目を挙げている 33 0

① サービス内容の決定

② セルフ・サービス

③ 品質管理

④ エトスの保持

⑤ 学習

⑥ マーケティング

①の「サービス内容の決定」は、購入前の顧客の役割であり、(床屋や寿司やのように)

対話をしながらサービス内容を決めていく場合と、決まったメニューの中から顧客が選択

する場合がある。②のセルフサービスは、銀行の ATMやコイン・ランドリー、駅の自動改

札のように、顧客が自ら作業をしてサービスの生産に参加すること。③ 「品質管理」は、

相互作用の中で顧客の存在が提供者への監視の意味を持って、結果的に品質管理になる側

面についてである。④の「エトスの保持」は、購入後の顧客のフィードバックが提供者の

次の仕事への動機付け(褒める場合)や、仕事についての価値観や組織文化の維持に役立

っという側面についてである。⑤の「学習」は、サービス提供者がお客からのフィードバ

ックによって学習するという側面に関係し、⑥の「マーケティング」は、顧客のロコミに

よって、潜在顧客への販売促進が行われる可能性を指している。

このように、サービスにおける共同生産には多様な形態があって、たんに同時性が生み

出す、サービス提供の場面での受け身的な参加だけではない。(購入前にも購入後にも顧客

の共同生産は起きている。そこで、同時性から分離して「共同生産」を特徴の一つに加え

ることにしたのである 34。サービス・ドミナント・ロジックでは受け身的な参加を「共同

生産(coproduction)」と呼び、積極的参加を「共同創造 (co-creation)」と区別している。

さてここで、上述のように、 IHIPとは別の組み合わせの「サービスの特徴」を提示した

わけだが、それが IHIPと重なる特徴を含んでいるために、 IHIPと同じような問題を引き継

ぐことになる。

IHIPの最大の問題点は、それがモノとの違いを強調するために、すべてのサービスにつ

いて、すべての状況で生まれるジェネリック(本来的)な特徴だと考えている点である。

これまでの検討でこの考え方は不適切なことが示された。サービスの種類や核となる技術

また、顧客の状況によって影響力は異なるのである。それでは、サービスの特徴が示唆し

ている、さまざまなサービスが持っている顧客への特質(影響)はすべて棄却されるべき

なのだろうか。この特質とは、サービスの特徴による顧客への影響が生み出す経営課題を

示唆している。例えば、サービスの無形性は、顧客に購買前の不安感を助長し、購買リス

クを増幅するという影響を及ぼす。サービス企業の経営者・管理者に対しては、こうした

現象を理解した上で、一定の対応策を検討し準備すべきだと勧告すべきであろう。

20

Page 22: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

われわれは、概念が適応される範囲やサービスの種類をキッチリと限定しながら、また

そうすることが有益で生産的である状況において、サービスの特徴が示唆する影響と対策

を検討していかねばならない。サービス自体が、その種類によって相互にさまざまに異な

った特質と形態を示しているからである 35 0

第 7図は、ここで取り上げたサービスの特徴と経営的な課題、顧客の反応および対応策を

まとめたものである。

第 1表 サービスの特徴とその結果と対応策

サ ー ビ ス の特 経営課題 顧客反応* 対応策

.徴 ,

① 無形性 l. 在庫できない 1. 物的な要素の強調(需要と供給の不一致) 購入前の不安感、 2. ロコミの活用

2. 見せられない 購買リスク 3. 強力な組織イメージの醸成3. 特許等で保護できな 品質評価の困難 4. サービス保障

し‘ 性 5. 原価計算による生産構造の4. 価格設定が難しい 理解

6. 需要変動への対応のエ夫

① 同時性 時間と場所の特定性* 入手コストが高 l. 複数の立地

接客従業員の訓練 し、 2. カスタ マイゼーションの推進

② 異質性 標準化と品質管理の困難 品質への不安感 l. 工業化の工夫

③ 結果と過程 結果への過度の集中

④ 共同生産* 1. 顧客の共同参加への

推進

2. 他の顧客の参加

2. 接客従業員の訓練

過程品質への無 l . 過程品質の改善

関心に対する不

顧客希望の反映 1. 顧客の訓練、←』

参加満足 2. 参加方法の工夫

(Zeithaml, V.,A. Parasuraman and L.Berry "Problems and Strategies in Service

Marketing" The Journal of Marketing Vol. 49, No. 2 1985 p. 36. この頁の 2つの図を

近藤が加筆、編集したものである。また*は近藤の追加部分)

この表の[経営課題]とは、提供側である企業が、提供しているサービス商品の各々の特徴

を検討した場合に表面化する経営上の課題をあげたものである。例えば、無形性からは、在

庫できない、見せられないといった問題があり、そのため顧客は購買前に商品について不安

感を抱き、結果として購買リスクが高くなる。(「顧客反応」)。それへの企業側の対応策には、

例えば、旅客航空サービスで、ビジネス・クラスやファースト・クラスでの快適性を、 18

21

Page 23: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

0度平らになる座席の写真を見せることで間接的に暗示する、というようにサービス生産に

利用する「物的な要素」の良さを強調するといった手法が利用される。その他、無形性に関

連する顧客反応には、「品質評価が難しい」といったものがあり、それに対する対応策として

はブランド(組織イメージの強化)の確立などが例示してある。

同時性では、「場所と時間の特定性」という経営課題があり、そのため顧客にとっては、入

手コストが高くなってしまう。対応策は、数多くの立地を確保することが考えられる。また、

同時性は相互作用を通じて、顧客が自分の希望を表明する機会を得ることができるので、

より個客化(カスタマイズ)した反応によって満足感を高めることが可能である。

異質性の特徴は経営課題として「標準化」や「品質管理」の困難性があげられ、顧客反応

としてはしたがって、「品質への不安感」があげられる。対応策としては、一つには、 IT化

や機械化によるサービスの工業化の推進と、従業員の訓練による品質の向上があげられる。

結果と過程の特徴では、企業がしばしば、生産者指向になって技術を重視するあまり、結

果を出すことのみに集中し過程を無視する傾向が指摘でき、これを企業が取り上げるべき経

営課題としてあげることができる。

これへの対応策は、企業のサービス生産への見方を変換して、顧客のサービス過程での経

験の質をあげることを重視しなければならない。これは全体的な顧客満足を大きく高める可

能性を持った重要な方法である。

共同生産は、顧客がサービスの生産になんらかの形で参加して(例えば、ビュッフェ・ス

タイルの食事で、お客が自分で料理を選んでテーブルに運ぶ)、業務の一部を顧客が担うので、

その分コストを引き下げることができること。また、顧客が自分で選択する場面で、自分の

好みや能力を使うという自己充足感が生まれることなどが指摘できる。また、共同生産の発

展形である共同創造では、顧客は企業の提供する経営資源を活用しながら、より自由に新し

い価値を共創していく 36。例えば iPod(録音再生機械)では、 iTuneという音楽配信サービ

スを使って、顧客が自ら自分の好きな楽曲の編集をして自分固有のアルバムを作ることがで

きる点が大きな価値になっている。この場合の編集能力の発揮はその顧客にとっての自己実

現欲求の充足機会となるに違いない。サービスにおける価値の共同生産(コ・プロダクショ

ン)と共同創造(コ・クリエーション)は、顧客の選択範囲と自己能力発揮の機会の拡大と

いう意味からも今後ますます重要視されていくであろう。

3 サービスの商品化ーソリューションの発想

さて、本節で行ってきたサービス概念の明確化は、イノベーションの対象としてのサービ

スの本質を明らかにすることが主眼であった。それは具体的には、サービスが価値生産をど

のように行うかという条件の明確化と経済的交換単位としてのサービスの内包を明らかにす

るということであった。これまでの議論でこの二つの目的にかなり近づいたと言えよう。

しかしサービスの価値生産に関連して、もう一つ残された問題は、サービスとモノ製品と

の関係である。この問題を取り上げることは、サービスを商品として顧客に渡し価値生産を

22

Page 24: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

図る場合、それに関係するすべての要素を網羅的に検討したか、という問いに応えることと

同じである。

これまでの検討で、サービスの生産とモノの生産は、価値の創造に関して対象変換の技術

という同じ論理を持っていること、モノ製品の機能の発揮はサービス生産と同じであること、

また最近はモノ製品とサービスの融合が進んでいることなどに触れてきた。

顧客への価値生産に関するモノとサービスについての関係は、リン・ショスタックが 1977

年にすでに明確にしている 37。彼女によれば、純粋のモノやサービスは存在せず、各々の商

品は、互いにハッキリと異なったモノとサービスの要素が組み合わさって構成している分子

(商品の分子モデル)のようなものである。分子の構成要素には、有形のものも無形のもの

もある。有形要素と無形要素のどちらがより優勢かで一直線上に並べた図が有名であるが、

これは、商品としての価値を生み出す際に、有形要素か無形要素のどちらが大きな影響力を

発揮するか、を表している。

つまり、商品が価値を生むには、商品の種類によって各々の影響力の大きさは異なるとし

ても、モノ要素とサービス要素の組み合わせが重要なのだと指摘しているのである。こうし

た見方はコトラー38や上原征彦39によっても紹介されている。ただし、両者ともモノ製品の

機能的補助としてのサービスを取り上げていて、対等の関係にはない。モノがその機能を十

全に発揮するには、付加的なサービスを必要とし、その組み合わせが優れた商品の基盤とな

る、という主張である。

このことは裏返せば、サービスを中心に捉えて、その補助としてのモノ製品を考えること

もできる、ということである。レストランは料理抜きでは成立しないし、シティホテルでも

部屋や調度、アメニティーなどのモノ製品が不可欠である。医療サービスでは薬品や病室・

診療室、検査機器、といったモノ製品によって、診断、治療という価値生産が支えられてい

る。

つまりすべての商品は、サービスとモノとの組み合わせであり、商品によって、どちらか

が相対的に優勢な機能を発揮していて、その結果、サービスと分類されたり、モノと分類さ

れたりしていると表現することができる。

それではそれら複合的商品の基本機能は何であろうか。サービス・ドミナント・ロジック

にしたがえばそれはサービスであるが、本書では紛らわしいので、そうしたサービスとモノ

の組み合わせで顧客の問題を解決する商品の機能を「ソリューション」と呼ぼう。もともと、

サービス商品であれ、モノ商品であれ、顧客の問題を解決するというソリューション機能を

備えているのだが、サービスとモノとの組み合わせによって、より深く、また広く顧客の問

題解決が可能となるのである。

ここで、サービスとモノによる複合的なソリューション機能を備えた商品のフレームワー

クを一つ紹介してみたい。

第6図は、ラストとオリバー40が、顧客のサービス商品に対する評価項目を一体としてま

とめたものである。ここでは、モノとサービスの組み合わせによるソリューション能力を備

23

Page 25: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

えた商品をデザインする場合の一つのフレームワークとして取り上げてみたい。

まず、①サービス・コンセプトがある。これは実際に顧客がその商品を消費する前に、

企業によって生産され提供される予定としてのサービス・プロダクトである。

つまり、顧客がサービス提供者から説明を受けて、どんなサービス・プロダクト(結果

と過程)を経験するかを予測し、それに基づき購買の意思決定を行う場合の情報である。

医療サービスで、例えば、盲腸の手術をするとすれば、医師が患者に説明する内容、つま

り手術はだれがどんな方法で行い、予後はどうなのか。何日間入院しなくてはならないか。

いつ頃完全に健康体に戻れるか、等々の情報(病院ではこうした治療の順序をクリニカル・

パスと呼んでいる)を提供し、そうした情報を患者は考慮検討して、当該病院で手術をす

るかどうか決定する。

図6 サービスとモノの複合商品の構成要素

(Rust, R. T. & R. L. Oliver Service Quality 1994 Sage Pub. Thousand Oak

USA, p. 11)

言わば、サービス企業のメニューに載っているサービス商品または、商談の際に示され

る提供予定のサービス内容である。その提案される内容はサービス企業の能力によって異

なってくる。顧客にとってはこのサービス・コンセプトが十分に魅力的でなくては購買の

意思決定はできない。サービス組織のマーケティング部門は普通、宣伝、広告、ブランド

戦略などによって、顧客に、サービス・コンセプトの魅力を売り込む活動をする。また、

サービス・コンセプトは取引が成立すれば、サービスの提供者と受容者の間の了解事項(約

束)であって、実際のサービス生産はこのコンセプトにしたがって進められることになる。

②サービス・デリバリー・システムとはサービスの生産システムのことである。(サービ

スは活動であるから、モノのように相手にgiveできないため、deliverという言葉を使う)。

サービスの生産システムは、作業スタッフ、原材料、施設、道具、技術、システム、など、

サービスの生産に直接影響する複数の要素を含む。また、サービスには生産と消費の同時

24

Page 26: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

性の特徴があるので、デリバリー・システムには顧客自身といわば環境として影響する他

の顧客も含まれる。

なお、①のサービス・コンセプトがサービスの期待値を表すとすれば、②のサービス・

デリバリー・システムは実際値を表す。つまり、顧客が実際にサービス提供を受けて経験

するサービス・プロダクトの「結果」と「プロセスでの経験」である。①と②の間には普

通ギャップが存在し、このギャップをなるべく僅差にすることが、サービス提供者の責任

と腕前であるが、実際にはその企業の業務遂行能力によってバラッキが発生してしまう。

この部分はサービス提供前にはデザインの領域だが、提供後には実際の経験となる。

③サービス環境は、サービスがそこで生産され顧客によって経験される「場」の物的な

側面を指す。経験的な側面が大切なサービスでは、特にこのサービス生産の場は重要であ

る。リゾート・ホテルは建物も景観もそれなりの雰囲気を備えたものが望ましい。日本旅

館や料亭はそれにふさわしい建物や部屋、調度が必要である。教育には教育に適した場所や

教室、備品などが求められる。どのような環境においてサービスが生産されるかは、顧客

の成果や経験に大きな影響を与える要素である。このようにサービス環境、特に物的な要

素がサービス生産に持つ役割は非常に大きい。例えばディズニーランドにおけるアトラク

ションと呼ばれる建物・装置は、顧客の非日常的な経験(スリル、興奮、恐怖等)を生み出

す直接的な仕組みである。また水族館や動物園での魚や動物をよりよく印象深く見せるエ

夫は、多くの物的な装置によって可能となっている。

ビットナーは「サービス・スケープ(servicescape)」という概念を作って、このサービ

スが生産される物理的な場の影響を分析した41。その一つは「感覚的パッケイジ」であり、

顧客の感情的な反応を引き出す要素、次は「促進機能」であって、顧客の行動に影響し、

効果的な活動の流れを作りだす。 3番目は「社会化機能」で、サービス生産の場で、顧客と

サービス提供者の社会関係を促進する側面を指す。例えば、十分に考えられたデープルや

椅子の配置は、そこでの人々の会話や人間関係の促進要素となる可能性を持つことを意味

している。最後は「差別化機能」で、競合他社の商品との差別化や顧客ターゲットヘのシ

グナル、また価格帯の異なる商品の差異の強調などの作用を担っている。

最後の④モノ・プロダクトはサービス生産において、顧客に提供され利用される物的な

要素をさしている。レストランの料理、病院の薬品、大学の履修要項、金融機関のカード

や通帳、証券などを例にあげることができる。

iPod iPad iPhoneなどは、それ自体はモノ製品ではあるが、インターネットを通じて提

供されるさまざまなサービスをそれらの機器によって利用するという関係にある。これら

は、サービスとモノの両方をその機能発揮(価値創造)のために不可欠な要素としている。

このように、サービス生産における物的な要素の持つ役割は 3つにまとめられる。第 1

は、サービス提供の場を作り上げることであり、第 2はサービス生産における価値創造の

道具となること、第 3は、サービス・スケープの概念が示しているように、サービスの品

質を暗示する手がかり(キュー)になって顧客への訴求力を発揮する、ということである。

25

Page 27: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

1 スタウス.B 「サービス研究の国際的現状、発展、およびサービス・サイエンスが登場し

た意義」スタウス監修,近藤隆雄(他)訳『サービス・サイエンスの展開』 88頁~89頁、

2009年、生産性出版

Stauss B (ed) Service Science 2008 Heidelberg: Springer 2 近藤隆雄「サービス概念の再検討」『経営・情報研究』 No.7(2003)3頁'"'-'10頁

3 サービス概念は、当然のことながら当初、経済学において取り上げられた。以下に

経済学でのサービス概念の特徴を簡単に学説史的にまとめてみた。

主な経済学者によるサービス概念の変遷

名前 時代 サービス概念の特徴

アダム・スミス 古典派経済学 ・アダム・スミスの関心は、社会・国家レベルでの富の生産であった。彼は人間の労働を国家の富の増加に寄

(1 8世紀) 与する「生産的労働」と国富の大きさに影響しない「不生産労働」に区分した。前者は蓄積可能で一定の価値を生じる耐久性のある商品を指し、後者は成果を生じるが耐久性がないので蓄積できない労働を意味している。アダム・スミスのサービス概念は、この不生産労働の発想が特徴である。またサービスは資本からではなく、(召使いのように)消費財として所得から支払われ、国富にとっては無駄だと考えている。

カール・マルク マルクス経済 ・マルクスは古典派経済学の労働価値説を引き継いでいる。マルクスにとっては、労働は価値だけでなく剰余価値

ス 学 (19世紀) も生産しなければならない。したがって成果が非物質的なサービスでは価値も剰余価値も生産しないので、不生産労働に分類され、重視すべきではない、という見方。つまり彼にとっては商品の効用は、有形で、可視的な物質の支えが必須であり、そうでなければ、生産物と生産者の分離が起きず、余剰価値の資本家への帰属も生まれないからである。

シュンペータ 近代経済学 ・ドウロネ&ギャドレが『サービス経済学説史』で述べているように、 19世紀の末までに、スミスやマルクス等の

(1 9世紀末 不生産労働の発想は消滅し、サービスは財として認められ

以降)るようになった。シュンペーターの著書でもほとんど触れられていない。サービスは、商品として価値生産を行うが、無形の商品がサービスだ、という発想である。こうした見方は今日の経済学にも引き継がれている。

コーリン・クラ ・産業部門別統計の専門家であり、 GNPの概念を先駆的に使用し、生産の構造的編成を作った。また産業を自然から

ーク 商品を取り出す第一次産業と自然から取り出した原料を工業製品という生産物に変換する第二次産業、そして残りの主にサービス産業を含む部門を第三次産業と名付けた。サービス化社会の産業分類的な基礎を与えた。

J.C. ドウロネ&J.ギャドレ著渡邊雅男訳『サービス経済学説史』 2000年桜井書店

Delaunay, J-C & J Gadrey Services in Economic Thought, Three Centuries of Debate 1992 Boston:KJ.uwer Academic Publishers

4馬場啓之助訳『マーシャル経済学原理』東洋経済新報社 151頁 1967年

Marshall,A. Principles of Econo皿'cs(1890) 1955 New York:Cosimo 5Lovelock, C.& E. Gummesson "Whither Service Marketin'i'Journal of Service Research, 2004 vol. 7 p.25

26

Page 28: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

6 w伍tepaper on Service Science Symposium July 2007 University of Cambridge p.16

7Zeithaml, A.&M. J. Bitner 2003, その他、 Lovelock1911, Vargo and Lusch 2004, など

多くの研究者がサービスの定義の一部にこの事を含んでいる。

8 Gronroos,C. Service Management and Marketing 2007 England :wtley p.52 , Vargo, S. L. and R. F. Lusch''Evolving to a new dominant logic of marketing" Journal of Marketing vol.68 2004 p.2

1 0 上原征彦「サービス概念とマーケティング戦略」『経済研究』 76頁、第 87 1990年

明治学院大学

1 1 新井民夫、下村芳樹「サービス工学ー製造業製品のサービス化」『一橋ビジネスレビュ

ー』 AUT54 2006 p.52 1 2 藤本隆宏 「ものづくり視角によるサービス現場の分析」『組織科学』 Vol.42No.4,2009

p.64 旦筆者の従来のサービスの定義は、「個人や組織にベネッフィトをもたらす活動そのもの

で、市場取引の対象となるもの」(近藤隆雄『サービス・マネジメント入門(第 3版)』

2007, 生産性出版p.26)であった。「市場取引の対象となる」という制限条件は、経営の

対象となるサービスのみを取り上げるという意図であった。つまり外生化したフォーマ

ルな GDPに算入されるサービスのみを対象とするという事で、家事、育児のように自

家生産自家消費の内生化した活動をサービス範疇から外すという主旨であった。しかし、

インターナル・マーケティングやボランティア活動などノン・プロフィットの組織のサ

ービス、またサービスのバーターなどの現象を検討するためにはこの制限は障害となる

可能性があるので、今回、はずしてサービスの定義の範囲を拡大した。1 4 Vargo & Lusch, op.cit p.11 1 5 Johnston,R. and G. Clark Service Operations Management pp.5・7 2008 Essex

England :Prentice・Hall 16 Gronroos、 op.citp.74 口機能(function)」という言葉はいく分かりにくいが、社会学では「構造」と区別して社

会システムの働きを表す。つまり目的を遂行する技術的な側面に対してそれを助ける具体的な活動の側面を表す。

1 8 但し、技術的な結果の側面から見ると、過程は技術的な結果を得るために必要なステッ

プであって、過程の積み重ねが結果になるという見方が出来る。グロンロースが「機

能的な側面」としているのは、視点の違いを明確化するためであろう。1 9 Johnston and Clark op.cit p.8 2 0 Edvardsson,B.,A. Gustafsson,& I. Ross "Service portraits in service research: a

critical review" International Journal of Service Indust汀 Management2005 vol.16 no.l p.108

21 例えば、 Zeithaml,V. and M. J. Bitner Service Marketing 3rd ed. 2003, New York :McGraw・Hill

22 2002年にオランダのマースリヒト大学で開かれた Frontiersin Servicesの学会での

Gronroos、Lovelock等の発言。 Edvardssonop.cit p.108 2 3 Lovelock, C. and E. Gummesson , "W桓therService Marketing?" Journal of Service

Reseachvol.7 no.1, August 2004。この一人は、!HIP以外のサービス固有の特徴として、Ownershipの概念を提案している。 (p.34,) 日本でも一時、所有と使用の概念が取り上げられたが、モノとサービスを区別する概念として、確かに Ownershipの概念は例外のない基準だと言えよう。

2 4 Edvardsson, op.cit p.113 2 5 Zeithamal,V, A.Parasuraman and L.L.Berry''Problems and Strategies in Service

Marketing" The Journal of Marketingvol.49,no.2,1985 p.36 2 6 Edvardsson, op.cit. p.114 2 7 Lovelock & Gummesson op .cit.26

27

Page 29: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

28 セオドア・レビット「マーケティングの針路」 2008年 11月、 154頁、『Diamondハー

バード・ビジネス・レビュー』 ダイヤモンド社

Levitt T "All Sharing Marketing Mind" HBR 29 近藤隆雄訳『サービス・マネジメント』 NTT出版248頁 1993年

R.Normann Se元 'ceManagement 1991 Sussex:John Wiley & sons 3 0 Lovelock & Gummesson op.cit. p29 3 1 Edvardsson, op.cit p.114 3 2 Edvardsson, op.cit. p.115 33 ノーマンRop.cit., 邦訳 60頁

34 ヴァランタインとバレリーは、受け身的な共同生産と相互作用的な会話を基盤とする

自由なアイデアから生まれる共同創造(co・creation)を区別している。受け身的な共同

生産は、必要性が知られていてる資源の利用に関係するとしている。例えば、床屋で

髪を切っている間なるべく頭を動かさない、といったものである。 Ballantyne,D. & R. J. Varey "The Service-dominant Logic and the Future of Marketing" Journal of theAcademyofMarketingScience, vol.36 2008 p.3

35 藤川は、サービスの特徴を取り上げる立場を、サービスはモノとは違う特殊な特性を

持つとするグッズ・ドミナント・ロジックであると批判している(日経新聞「経済教室」

2010年 11月 18日)。サービス・ドミナント・ロジックは、サービスとモノとの本質機

能を同じと見なしているとしても、実際のサービス提供場面では、サービスの特徴がモ

ノと同じになるわけではない。サービス・ドミナント・ロジックの理論の適用範囲を予

め確定してから議論しない、大ざっばな二分論だと言わざるを得ない。

3 6 Ballangyne, D. & R. J. Varey op.cit p.3 3 7 Shostack G.L. 、'Breakingfree from product marketing", Journal of Marketing

vol.44 April 1977 p.75 38 フィリップ・コトラー&ゲーリー・アームストロング著、和田充夫監訳『マーケティン

グ原理』 349頁、 2003年 ダイヤモンド社

Kotler, P. &G. Armstrong Princilples of Marketing 2001 New York:Prentice・Hall 3 9 上原征彦『マーケティング戦略論』 1999年、 136頁、有斐閣

4 0Rust R. T.& R. L. Oliver Service Quality 1994 California:Sage Pub. p.11 4 1 Bitner, M. J. "Servicescape :the impact of physical surroundings on customer and

enployees" Journal ofMarketingvol.56, 1992 pp.57・71

28

Page 30: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

第 2章 サービス・イノベーションの理論

1 . イノベーションとは何か

本論は、サービス・イノベーションの理論と方法を検討することを目的にしているが、

サービス・イノベーションそのものを取り上げる前に、まずイノベーションについて概観

して、サービス・イノベーションの基盤となる部分を確認しておきたい。これまでイノベ

ーションとは「モノ製品のイノベーション」であった。サービス・イノベーションは、当

然ながらモノ・イノベーションと同じ部分と異なった部分を持っている 1。そうした対象を

異にする二つのイノベーションの差異を明らかにすることも本章の目的である。

さて今日、われわれは「イノベーション」という言葉をいたるところで目にしている。

産業界のリーダーはだれもがイノベーティブなリーダーシップを持つことを求められ、イ

ノベーションによって企業を成長させていくことが普遍的な戦略となっている。現代では、

企業の収益や生き残りは、市場が積極的に反応するような製品やサービスを、革新によっ

て作り出し提供できるかどうかの能力にかかっていると考えられている。

企業の革新性と業績の関係は、利益、 ROI、市場シェア、株価のどれを尺度として使おう

と、ハッキリとしている。顧客の満足は企業のコア・プロダクトに大きく依存し、それは

また競合他社との間で差別化されていなければならない。より質の良い、より大きな価値

を生む製品やサービスが求められているのだ凡

(1) イノベーションとはどんな現象か

イノベーションとはどんな現象を意味するのだろうか。イノベーションを論じる際には、

常にまず最初に取りあげられるシュンペーターは、イノベーションとは、経済活動の軌道

の修正(非連続的変化)の結果生じるもので、その非連続的変化は、生産要素の「新結合」

によって起こされるとしている凡創造的破壊である非連続的変化の例でシュンペーターが

挙げているのは、例えば、駅馬車から汽車への輸送手段の変化である。物資の移動という

目的では連続しているが、汽車は馬車に比べると、スピード、搬送量、安定性、などの効

率性、効果性において大きく進歩し、また蒸気機関といった従来とは全く異なった技術を

活用し結合している。(馬車を何台つらねても、汽車の能力には達しないという例で、変化

の非連続性を強調している)。

彼が生産要素の新結合の例としているのは、以下の 5つである。

1 新しい財貨(新商品)

2 新しい生産方式(未知の新生産方式)

3 新しい販路(新市場)

4 原材料あるいは半製品の新しい供給源

5 新しい組織(独占的地位の確立またはこれの打破)

シュンペーターは、 19世紀後半から 20世紀前半にかけて活躍した経済学者であるが、

29

Page 31: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

彼の発想がほとんどそのまま現代にも通用することがこれらの議論からも理解できる。

一方、 ドラッカーは、「イノベーションとは、人的、物的、社会的資源に対して、より大

きな富を生み出す新しい能力をもたらすこと」 4と述べている。また彼は、そうした新しい

能力によって、「より優れた、より経済的な財やサービスを作ること」がイノベーションだ

とも言っている凡この新しい能力とは新しい技術またはアイデアだと言えよう。そうした

新しい能力によって、既存の資源が新しい価値を生み出すような仕組みを作りあげること、

これがイノベーションだと言っているのである。

現代のイノベーション研究者達のイノベーション観も、この二人の先駆者の見方に沿っ

たものである。ジョン・サンドボーは「イノベーションとは、新しい要素か、古い要素の

新しい組み合わせによる過激な変革であり、この変革は企業に売り上げの拡大と利益の増

大をもたらす」と述べている凡ウッタバックは,イノベーションとはインベンション(発

明)が具体的に市場に製品を送り出すか、製造プロセスにおいて最初に利用され、結果と

して経済的なインパクトをともなったもの、と見ているバこの場合、インベンションとは、

ニーズや欲求についての情報とそれを充たす技術的方法についての情報を統合したオリジ

ナルなソリューションのことである。(なお、「インベンションは金(かね)をアイデアに

変えることで、イノベーションとは、アイデアを金に変えることだ」という説明もある。

確かに、発明には投資が必要である)凡

その他、チルキーとザオバーは、サンドボー等二人の主張の一部を強調して、イノベー

ションとは、顧客と市場の世界と科学と技術の世界を結びつけるものとしている凡

これらの議論をまとめるとイノベーションとは企業に新たな革新をもたらす活動である

が、次の 3つの特質をもったものであることが分かる。

① 新しい能カ・知識・技術を活用したもの

② 経済的成果をもたらすもの

③ 科学や技術の成果を市場や生活といった具体的な世界に転移したもの

つまり、イノベーションとは、新たなアイデアの活用によって、第一に、新しい生産物に

より顧客のニーズをより深く充足するか、いままで充足されなかったニーズを充足すると

いう点で、企業活動の効果性を高め、また第二に、それが企業により経済的な成果をもた

らすという点で効率性の向上を達成するような新たな革新のことである。

一言でいえば、企業に効果性と効率性の向上をもたらすような革新のことである。なお、

ドラッカー以外の論者では、モノ製品がイノベーションの成果の前提となっている。

(2) イノベーションの契機

それでは、こうしたイノベーションは何を契機として生まれるのであろうか。簡潔にこ

の問題にかかわる見方をまとめておこう。もっとも一般的なのは、テクノロジー・プッシ

ュとマーケット・プルの議論である 10 0

① テクノロジー・プッシュ (SuppI y push)

30

Page 32: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

初めに技術ありきの発想で、科学的な発明や技術的な進歩が新しい製品を生み出し、そ

れが経済的なインパクトを持ち得た場合である。多くの企業の総合研究所やその他の研究

機関は、これまでに存在しない科学的発明や技術的進歩を作りだし、新しい製品のシーズ

を生み出そうとして日夜努力をしている。こうしたシーズが新しい製品の製造につながっ

て、幸せな成功に結びついた例も数あることであろう。しかし同じように多数の実例がシ

ーズのすばらしさにも関わらず、企業の成功に結びつかなかったことも少なくない。例え

ば、コンピューターで現在普通に利用されているアイコンの考え方は、 1970年代にゼロッ

クスのパラアルト研究所で開発された。たが、それが実用化されたのは、後のマッキント

ッシュ・コンピューターにおいてである。シーズが当初は実用化に結びつかなかったのだ。

② マーケット・プル(Demandpu I I)

シーズが生まれてもそれが製品化されるには、市場のニーズや企業の状況等の条件が整

わなくてはならない。そこにもう一つの契機がある。マーケット・プルの見方で、まず市

場ありきの発想である。まだ充たされていない市場ニーズがあるから、それに応える製品

を作ろうという方向である。「必要は発明の母」である。こうした例は、 19世紀における英

国の一連の紡織機械の発明や AT&Tにおけるトランジスタの発明、また近年ではハイブリッ

ドカーや電気自動車の開発などにもみることができる。どれも市場または社会的なニーズ

への回答として生み出されたのである 11 0

しかし、技術も市場もイノベーションの必要条件ではあるが、それ単独では十分条件と

はならない。結局、技術も市場も必要なのであって、その間の相互作用が具体的な製品を

生み出して行くのである。

③ 製品ライフサイクル論

この見方の場合も市場が主要な基準である。ロジャースはイノベーションの普及とは「イ

ノベーションが時間をかけて社会システムのメンバーに伝わる過程」 12と述べているが、

いったんイノベーションの結果としての製品が行き渡れば、今度は撤退して、新しい製品

に取って変わられることになる可能性が高い。こうした市場周期のもつ有限性もイノベー

ションを引き起こす契機となる。この製品ライフサイクルは、商品によっては、近年どん

どんと短くなっていくようで、モノ製品コモディティ化の原因の一つと考えられている。

④ ボトルネック論

この見方はイノベーションの必要性の基盤となる条件について説明した組織論からの分

析である 13。複合的なシステムでは全体的パフォーマンスを高めようとしてシステムが成

長すると、ある時点で常に、より高度の目標達成上のボトルネックが顕在化してくる。そ

の場合、これを解消するような技術を探索しなければ次の成長の制約となるという議論で

ある。そうした新たな技術の開発が組織のイノベーションとなるわけである。モノ製品の

イノベーションだけでなく、サービス・イノベーションの発生にも適した見方であると考

えられる。例えば今日のような顧客重視の市場環境では、顧客志向のオペレイションヘの

改変が重要であるが、サービス企業の社会システムは、しばしば、技術志向、仕事志向で

31

Page 33: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

あり、そうしたボトルネックヘの対応が、顧客志向のオペレイションヘの変更を引き出す

ケースがしばしば見られるからである(伊丹十三監督の映画『スーパーの女』では、まさ

にこの事がテーマとして取り上げられていた)。

⑤ 定常状態と変異性の理論

本論では、これまでに述べた 4つのイノベーションの契機の議論に、定常状態と変異性

の理論を加えてみたい。この考え方は社会=技術システム論(Socio-technicalsystem)に

依拠している 140

ここでのシステムとは、環境から要素がインプットされ、それが変換過程を経てアウト

プットされるというオープン・システム理論を前提としている。すべてのシステムは目的

遂行活動が継続している限りにおいてオープン・システムである。組織は全体組織もその

部分組織も、また最小単位の組織である「職場」もまたオープン・システムである。

さて、モノの製造であれ、サービスの生産であれ、生産活動は、人、原材料、機械設備、

備品などを生産システムにインプットし、モノ・情報または人を対象に変換活動を行い、

これをアウトプットするという活動である。この場合、生産システムの環境が完全に安定

していれば、予定したインプットで、予定した変換活動が行われ、予定(規格)通りのア

ウトプットが生産される (J.D. Thompsonの Perfect-world-model15)。こうした安定して順

調な活動が続いている生産システムの状態を「定常状態」 (steadystate) と呼ぶ。

しかし、組織はオープン・システムであるために、現実にはさまざまな変異性要因が混

入してくる。モノであれば、規格外れの原材料、電気・ガス等の動力の変動、作業員の異

動、外気温の変化等々がある。サービス生産の場合にもさまざまの変異性要因がある。顧

客の予定外の要求、顧客の人数の変動、原材料の量や質の問題(レストラン・小売り)、機

械・設備の不調、サービス提供者の体調・気分、気候、等々である。モノの製造であれ、

サービス提供であれ、こうした変異性要因の侵入を食い止め、またはそれらを適切に処理

して定常状態を保つのが、生産システムにおける管理の主要な眼目である。

さて、モノ生産の場合にはこの定常状態の理屈は比較的わかりやすい。一般に安定操業

と言われるように、原材料の質が一定していて順調に機械・設備が稼働し、大きな故障が

発生してない状況である。サービス提供の場合も基本的な発想は同じである。しかし、サ

ービスが価値生産活動であって目に見えないために、諸要素が順調に稼働しているサービ

ス生産の定常状態を認知することができる関係者は、厳密には、直接のサービス提供者と

顧客のニグループである。個別のサービス授受の内容は、多くの場合、外部からは観察す

ることは難く、現実には直接その活動に関係する提供者と受容者によって感受され認識さ

れることになる。

一般にサービス提供の場合、サービス生産の定常状態のイメージは、サービス提供者の

頭に入っていて、これまでの経験から生まれ練り上げられた「成功裡におわるサービス提

供のシナリオ」から判断されることになる。つまりサービス提供者は自分なりのサービス

提供の標準的な手順をモデルまたは基準としてもっていて、それにしたがってサービス提

32

Page 34: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

供を行おうとする。ところが、現実にはさまざまな変異性、例えば、顧客がサービス・メ

ニューに存在しない内容のサービスを求めたり、想定している顧客層とはまったく異なる

顧客が来たり、といった問題が発生する。熟達したベテランのサービス提供者は、自分の

能力や関連する手段を総動員してそうした変異性を処理してゆく。そうした変異性の処理

作業が彼または彼女の仕事遂行能力を高める経験となっていく。

もしある種の変異性が繰り返し発生し、それが全体システムにとって重要な場合には、

そのサービス提供の標準的なスクリプト(手順)は変更されねばならない。これが前述し

たボトルネックの解消の例と考えることができる。ここに新しいサービス・イノベーショ

ンの契機を求めることができ、本書の第4章で説明するサービス・イノベーションのニー

ズを発見する新しい方法である STSアプローチの基盤となる。つまりこの新たなアプロー

チは、サービス提供における定常状態と変異性の理論を基礎としているのである。

(3) イノベーションの分類

イノベーション概念には、そのいくつかの側面の各々に焦点を当てた複数の分類が存在

する。最近では、企業の規模や産業の種類など細分化した分類も登場している 16が、ここ

では本書の後の分析に役立つような基本的な分類をいくつか取りあげたい。

① プロセス・イノベーションとプロダクト・イノベーション

技術は、大きく製品技術と生産技術に区分できる。前者は、モノ製品の場合、製品の原

材料において、一定の物理的、化学的構成を取ることで表現され、後者は、そうした製品

を作り出す機械的、化学処理的技術のことである。プロセス・イノベーションとは生産技

術に関連するイノベーションであり、プロダクト・イノベーションとは製品技術に関係す

るイノベーションである(サービス商品の場合は後に検討する)。

ウターバックとアバナシーのモデル17によれば、生産プロセスとは、製品やサービスを

生産するために使われるプロセスに関連する機械、労働力、職務規程、物的なインプット

そして仕事と情報の流れから構成される。それらはしばしば時間の経過と共に、特徴的な

イノベーションを実現し続ける。環境適応的なプロセス・イノベーションである。つまり、

より資本集約的になり、労働の分化と標準化が進み、仕事の流れが合理化され、製品のデ

ザインが標準化し、生産プロセスの規模が拡大する。その結果、アウトプットの生産性が

大きく改善され、また生産プロセス自体も著しく変化を遂げる。こうした生産プロセスの

変化と生産性の改善は、一般に組織の外部(例えば市場の変化)と内部要素変化の複合的

な要因が刺激し合うことによって生じる。

プロダクト・イノベーション 18とは新たな市場ニーズや消費者の要求に商業的に適合す

るように工夫された新たな技術や、技術の組み合わせの結果生作り出された製品のイノベ

ーションである。プロダクト・イノベーションはプロセス・イノベーションと同じく、一

般に、特徴的な進化を遂げる。それは、最初の段階では、新製品の性能が強調され、次に製

品の種類が拡張し、最後に製品の標準化とコストが指向されるイノベーションである。た

33

Page 35: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

だし、この種のイノベーションの多くは、生産現場からだけでなく、企業の研究所など製

品開発部門によって行われる場合が多い。榊原によれば、産業発展の初期には、プロダク

ト・イノベーションが頻繁に生まれ、その内の有効な製品概念がドミナント・デザインとな

り、それを効率良く生産するためにプロセス・イノベーションが活発化すると述べている 19 0

ウターバックとアバナシーによるこのイノベーションの類型は、インクリメンタルなイ

ノベーションの類型としては明確な概念だと言える。この二つのイノベーションの進化の

内容については、その理論への適合性を証明する追跡調査もいくつかある。しかし、どち

らかと言えば大量生産・大量消費時代のモノ製品の生産によりよく適合していると言えよ

う。

②コア・イノベーションとペリフェラル・イノベーション

モノまたはサービス商品の構成要素をコア(中心)とペリフェラル(周辺)に区分して、

どちらの領域におけるイノベーションであるか、という分類である 20。モノ製品のコアと

は、例えば自動車のエンジン、時計の振動装置のように製品の中心となる部分で、特にそ

れまでの主要な技術に関連するものであり、ペリフェラルとはコアの機能を補助するため

に設置される部分である。コア部分のイノベーションは、ペリフェラル部分の必要性を激

変してしまう可能性がある。例えば、ゼンマイとテンプがコア部分である機械式の時計の

振動装置をクォーツに換えてしまうと、関連する付属部分も大きく入れ替えなくてはなら

なくなる。また、コア・イノベーションは、あまり頻繁には起こらないが、起きると大き

なインパクトを製品にも市場にも与えることになる。それに対し、ペリフェラル・イノベ

ーションは、関係する部品の数が多いこともあり、比較的頻繁に発生する。

サービス商品の場合にも、コア・コンセプトに関わるコア技術と周辺的な活動を区別する

ことは可能である(コア・サービスとサブ・サービス)。理容サービスでは髪のカットがコ

アであり、他の洗髪やマッサージはペリフェラルである。どちらの領域でもイノベーショ

ンは可能だが、サービス商品の場合にはモノ製品のように、コア部分とペリフェラル部分

の関連性が緊密でなくシステムとしての一体性が低いという特徴がある。したがって、サ

ービスでは、全体的な製品を生産するうえでの、コア部分とペリフェラル部分のイノベー

ション速度の違いといった制約条件は低いと考えられる。

③ラディカル・イノベーションとインクリメンタル・イノペーション

これはイノベーションの効果やインパクトの大きさを基準にした分類である。先のプロ

セス・イノベーションの議論で見たように、イノベーションは現場から生まれてくる場合

も少なくない。それらはインクリメンタル・イノベーションの形を取ることが多い。イン

クリメンタル・イノベーションとは、ある種の改善が次ぎの改善につながっていくような

累積的な(インクリメンタルな)イノベーションである。現在利用している既存の技術に

基づき、その改良・改善から生まれる。企業資産の強化につながる場合が多い。

一方、企業の研究開発活動から生まれる新技術は、ある場合には市場に突然、大きな影

響を与え、また既存の技術体系に根本的な変革を及ぼすようなものもある。例えば、航空

34

Page 36: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

機、コンピューターの発明、ジェットエンジンの開発等は既存の市場を変革して新しい市

場を生み出した。こうしたモノ製品のイノベーションは、ラデイカル・イノベーションの

事例である。こうして新たに登場した製品は、次の段階では、今度は、その製品の新たな

生産性の向上を目指してインクリメンタルなイノベーションの対象となる。(このインクリ

メンタルなイノベーションは、生産性の向上を実現している限りにおいて、新たなラディ

カル・イノベーションの発生を抑制する可能性があるため、これをアバナシーは「生産性

のジレンマ」と呼んだ21。)

この二つのイノベーションは、それらを市場で展開していく上で、異なった組織能力を

必要とする。インクリメンタル・イノベーションは、既存の組織能力を強化する方向で働

き、ラディカル・イノベーションは、技術展開、市場展開の両方で複数の新しい課題に応

えなくてはならないので、既存組織能力の再編や革新を必要とするようになる 22 0

④持続的イノベーションと破壊的イノベーション

持続的イノベーションとは、企業が自分の製品や生産プロセスに関して持続的にイノベ

ーションを続けることで既存製品のパフォーマンスを高めることを目指している。前に触

れたインクリメンタルなイノベーションと似た発想である。破壊的イノベーションとはそ

うした持続的なイノベーションの成果を破壊してしまうような外部的なイノベーションで

ある。破壊的イノベーションによる製品は、実証済みの技術からできている場合が少なく

なく、しばしば、それ以前の主流製品に比べて、低価格、シンプル、小型で使い勝手がよ

い。そして新しい市場や小規模な市場に登場し、低価格であるため利益率も低い、そして

早晩主流市場で確立した製品に対抗しできる能力をつけるようになる。それまでの主流製

品を作る企業が関心を払わない間に、それらの製品を浸食し、置き換わるような破壊的な

力を持つようになる。具体例としては大型コピー機から卓上コピー機へ、ワークステーシ

ョンからパソコンヘ、固定電話から携帯電話へ、スーパーからコンビニヘ、総合証券から

オンライン証券へ、などが上げられている 23。クリステンセンの説明では、特に優良企業

は自社の顧客セグメントのニーズに応えようとして持続的なイノベーションを続けるのだ

が、その自律的な活動がいつのまにか顧客のニーズを越えて的外れになってしまい、その

間に外部の新興企業がより安価で異なった製品特徴をそなえた破壊的なイノベーションに

よって顧客を獲得し、優良企業は市場での地位を失ってしまうと分析しているバ。この事

をクリステンセンは「イノベーションのジレンマ」と呼んでいる。

⑤市場要因と技術要因を組み合わせた 4分類

次の分類は、イノベーションによって企業がどのような企業競争力を獲得するかという

視点から市場要因と技術要因を組み合わせて作成したものである 25 0

この図 7の縦軸は市場に関する軸で、上半分は新市場の創出につながるイノベーション

で、下半分は既存の市場を深耕するイノベーションである。横軸は技術の軸で、右半分は

既存技術を破壊するようなイノベーションで、左半分は既存技術を保守強化するイノベー

ションである。この組合わせにより 4つのセルができるが、 a.のセルは、既存の技術を破

35

Page 37: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

壊して、新しい技術がまったく新しい市場を作りだすイノベーションである。「構築的革新」

(アーキテクチュアル・イノベーション)となっているのは、このセルでのイノベーショ

ンは、製品と生産プロセス両方の基本的な構造を新たに再編し、それに基づいた新しいビ

ジネス・モデルを打ち出し、従来にないパターンの企業活動のルールを構築するからであ

る。前述の②の分類で言えば、ラディカル・イノベーションである。アバナシー等はその

例として T型フォード(1908)の製造・販売をあげている。いうまでもなく T型フォードの

生産システムは、自動車の大量生産を可能にして一般市民が購入できるような初めての仕

組みを作ったのであるが、重要なのはこうした仕組みが以降の自動車産業全体の発展のパ

ターンを決めているという点である。

b. のセルでは、 a.のセルの技術など既存の能力を利用してイノベーションを進め、市

場での新たな機会の開拓を目指すもので、「ニッチ創造」イノベーションと呼ばれる。ポー

タブル・ラジオ、ソニーのウォークマンなどが例としてあげられる。自動車ではフォード

が 20年ぶりに起死回生のモデルとして発表した A型フォード(1928)がある。 A型フォード

は、 T型に比べ、デザインも良く、スピードも乗り心地も改善され、コーディネイトされた

配色も特徴的であった。 A型は世間の話題を集め、中級乗用車を求めている顧客層をかなり

つかむことができた。しかし、そうした改善の技術はほとんど他の企業が開発したもの

図7.イノベーションの類型(アバナシーとクラーク)

I b. ニッチ創造 I 新 I a. 構築的革新 I市場創出

既存技術の保守・強化 既存技術の破壊

既存市場の深

IC. 通常的革新 I 耕 Id. 革命的革新 I

(Abernathy, W.J.&K.B.Clark "Innobation:Mapping the winds of

creative destruction" Research Policy 1985 vol. 14, p8)

を利用したもので、独自の技術は少なかった。そのため競合他社は容易にこれをコピーす

ることができ、 29年にはシボレーが A型よりより少し早く、より少し快適でデザインの良

36

Page 38: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

い車を開発して販売した。このように差別化水準の低さからフォードの競争優位性は簡単

に失われ、持続的な競争力を維持することができなかった。

C. のセルは、「通常的な革新」のイノベーション(レギュラー・イノベーション)であ

るが、ここでのイノベーションの事例そのものは耳目を集めるようなものは少ない。モノ

製品の場合で言えば、周辺的なサブ・システム技術の革新である。自動車産業のこの領域

での個々のイノベーションの例としてアバナシー等は、電動スターターや自動ペイントシ

ステムの導入をあげている。

しかし、だからといって重要でないわけではない。この領域でのイノベーションが生み

出す信頼性、機能、コストヘの累積的な効果は非常に大きいものである。例えば、 1908年

に 1200ドルだった T型フォードは 1926年には 290ドルに低下した。それは主に生産シス

テムにおける生産性の向上によってもたらされている 26。つまり、この領域での個別のイ

ノベーションは比較的小さいものであることが多いが、その生産プロセスでの累積的変化

は(主に機械化の進展によって)生産性を向上し、生産プロセスの能力を高め、規模の経

済を生み出す。また製品デザインが洗練され製品のバラエティも増加する。先の分類で言

えば、インクリメンタル・イノベーションに含まれる。

最後のセルは d.の「革命的な革新」(レボリューショナリー・イノベーション)領域であ

る。ここでのイノベーションは、既存の市場を対象としたものであるが、従来の技術と生

産能力を時代遅れにしてしまうインパクトをもち、その意味で革命的なインパクトを持つ

革新である。電子部品としての真空管、機械式計算機などは、この領域でのイノベーショ

ンによって、存在意義を失しなった製品の例である。

自動車産業について見ると、 1930年代は、産業の転換期であった。フォードの競争戦略

は、量産とコストの削減であったが、 GMその他の企業は自動車の新しい形を模索して、あ

らたなサスペンション、ボディ、 トランスミッションなどの開発に向かい、それは自動車

のコンセプトを再定義するものとなった。特に、鋼鉄製のクローズド・ボディの導入が革

命的な変化をもたらした。シボレーや GMはこのボディのために新しい生産方式を導入し、

それは自動車のデザインに新しい基準を持ち込んだ。結果的に運転者や同乗者の安全性や

快適性、室内の広さ、温度や換気システム等が著しく改善された。鋼鉄製のボディは、自

動車製造企業だけでなく関連する諸企業にも大きな変化を求め、そうした納入業者との新

たな関係性の構築、新しい機械の導入、新しい技能や労働者管理などを必要とすることに

なったのである。つまりクローズド・ボディの開発は、自動車というプロダクトのコア部分

のイノベーションとなり、それ以降の自動車のコンセプトを大きく変更するものであった。

アバナシー・とクラークのこの分類は、米国の自動車産業の発展を事例にしてイノベー

ションの分類を行ったものだが、この考え方は、他の産業のイノベーションを分析する場

合にも十分に説明能力をもっていると思われる。特に、イノベーションを分類する基準と

して、市場(顧客関係)と技術の二つの軸を設定することで、イノベーションの実現にと

って重要なこの二つの要因を媒介する分類となっている 27。(後にサービス・イノベーショ

37

Page 39: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ンの場合にこの分類を活用する)。

(4) イノベーションに関連する重要な概念とフレームワーク

イノベーション研究の重要な成果として、最近、いくつかの特徴的な概念が発表されて

いる(先の分類を検討した際に触れたものも含まれている)。その内、次の章以降のサービ

ス・イノベーションを検討するうえで関係すると思われる重要な概念のいくつかをここで

整理しておきたい。

① ユーザー・イノベーション

イノベーションの出発点となる新しいアイデアの源泉の一つとしてユーザーを含めると

いう考え方である。当然の発想とも言えるが、ある調査28による「日本企業の研究開発に

おける情報源」 (1994年)の順位を上げると、 1. 顧客、 2. 社内の生産・製造部門、 3.

競合企業、 4.大学であった。これまで一般的には、特にモノ製品の場合、社内の研究開

発部門が主要なイノベーションの情報発信源だと見なされていたが、実際は、顧客がイノ

ベーションの重要なアイデアの発生源であったことが分かる。特に産業財の製造では、納

入製品にともなう修理や保守サービスの提供を通じて顧客との関係が長期にわたり、顧客

との相互作用の中で顧客の要望に応えるという形でのアイデアの吸収や革新的な発想の共

同開発が行われることが予想できる。フォン・ピッペルの調査でもユーザーが(産業ごと

に割合は異なるが)、イノベーションに重要な役割を演じていることが示されている 29。こ

の場合ユーザーとは、いわゆるリード・ユーザーと言われる企業に取ってなんならかの意

味で重要度の高い顧客のことと考えるべきである。

サービス提供では、一般消費者への対応であっても、提供者と受容者は相互作用関係に

入る場合が多く、その場合、顧客の要求に提供者が応えるという中で、提供者が、受容者

の表明したニーズをアイデアとして新たなイノベーションにつなげていくという出来事は

よく起きる事例である。アイデアが明確化された後は、提供側と顧客側が相互作用を続け

ながらイノベーションを進展させる場合もあり、また提供側が顧客側の発想を取得して、

その後は、提供側が独自に検討をすすめる形もある。こうした形でイノベーションに発展

していく場合もユーザー・イノベーションの一種と考えることができる 30 0

② オープン・イノベーション

この発想もイノベーションのアイデアをどこに求めるかという議論に関係している。従

来、イノベーションのきっかけとなるアイデアは、それが企業のイノベーションであれば、

その企業での成功を確実にするために、企業内を中心にアイデアの収集や成熟化、具体化

が実施されてきた。アイデアや知識はコントロールされ、製品も販売も企業が管理する方

式で、いわば企業内にクローズドの状態でイノベーションが進められてきたのである。こ

のクローズド・イノベーションに対して、チェスブローは、企業が自分たちの技術を発展

させようと思うならば、内部的なアイデアだけでなく外部的なアイデアも活用すべきだと

主張して、そうした動きをオープン・イノベーションと呼んだ31 0

38

Page 40: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

現代社会では、知識は広く行き渡っていて、企業は自社の研究開発にだけ依存している

わけには行かない。そのかわりに他の必要な知識を有している企業から特許を購入したり、

ジョイント・ベンチャーを作ったり、吸収・合併などの手段によって必要な知的資源を入

手し、また逆に、利用していない知的な資源は外部に放出すべきだ、という考え方である。

こうした発想の背景には、知的な労働者の移動が激しくなったこと、ベンチャー・キャヒ°

タル・マーケットが拡大したこと、情報化によって外部の知識を利用する機会が拡大した

こと、企業の外部関係者(さまざまのサプライヤー)の能力が高まったことなどが上げら

れる。また思想的にはコンピューター・ソフトのオープン・ソース化の運動、また経済の

サービス化による企業業務のアウトソーシングの進展なども大きな影響を与えている。ま

た先に述べた、ユーザー・イノベーションの進展もオープン・イノベーションの一種の形

態だと考えることができる。

③ イノベーション・ジレンマ

この概念はすでに、「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」の所で触れた

が、当初優れた特徴をもつ商品を生産・販売している企業が、その主要顧客セグメントの

ニーズに集中し、持続的イノベーションを続けていくと、その自己運動が主要顧客のニー

ズからも外れて、結局、外部の安価な、品質は低いが特徴をもった製品の破壊的イノベー

ションに負けてしまうというクリステンセンの概念である。優良企業は自社の持続的イノ

ベーションを続けなくてはならず、それが結局、破壊的イノベーションを呼び込むという

のがここでのジレンマの内容である。

この発想は、サービス・イノベーションにも示唆を与える。サービスはその本質が活動

であるために、特に人的なサービスの場合、サービス提供者はある期間のあいだにルーチ

ン化した行動に陥りやすい。それは自分の活動を定型化した方が、効率性が高まるからで

ある。しかし、そうすることで、モノ製品の場合のように製品を対象化して吟味すること

が難しくなる。つまり持続的なイノベーションは起きやすいが、それがいったん作業スク

リプトに固定化されると、従来の作業パターンを壊すのが困難になり、新しいパターンの

活動システムを受け入れ難くなるという傾向があるからだ。つまり、サービスではイノベ

ーション・ジレンマを本来、引き起こしやすい条件をもっているということになる。

④情報の粘着性

「情報の粘着性」とは、局所的に生成される情報をその生成場所から移転するのに、ど

れだけコストがかかるかを表す概念である 32。もともとはフォン・ピッペルが作った概念

だが、小川がこの概念を基礎にしてコンビニエンス・ストアのイノベーションを分析して

その有効性を立証した33 0

さて、成功するイノベーションには、顧客のニーズ情報とモノ製品またはサービス商品

を生み出す生産技術情報の両方が不可欠である。これまでのイノベーション論は新しい技

術情報をどんな条件でいかに生み出すかにという技術の側面に集中してきた。情報の粘着

性理論は、粘着性の高い情報(例えば、顧客ニーズ情報)が問題解決(イノベーション)

39

Page 41: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

に必要になる場合、そうした問題解決は、その粘着性の高い情報の生成場所から生まれる

可能性が高くなることを示唆している。つまりコンビニエンス・ストアのように、「欲しい

モノを、いつでも」のコンセプト 34に応えることを基にして、つぎつぎに進化する顧客の

ニーズ情報に反応し続けることが主要なイノベーションである場合、イノベーションは現

場から生まれてくるということである。

サービスのニーズ情報は現場にあり、生産情報も現場で展開している。典型的な接客サ

ービスでは、サービス提供者と受容者の間でこのニーズ情報と生産情報が相互作用的に行

き来していると言える。またこの 2種類の情報の内ニーズ情報については、(基本的なパタ

ーンはサービス・メニューに載っているとしても)個別の具体的なニーズは千差万別で、

それ自体の粘着性が高い。また生産情報もある程度は標準化されているとしても、実際の

作業内容はきめの細かい複雑なものであり、これも情報の粘着性が高い。このように情報

の粘着性概念とサービス提供プロセスを対応させると、サービス・イノベーションは現場

で起きる可能性が高いので、それに適した仕組み作りが大切だということになる。

⑤サービス・ドミナント・ロジック

2004年にラッシュとヴァーゴによる最初の論文35が発表されて以降、現在のサービス現

象を説明する統一的な理論的な枠組みとしてサービス・ドミナント・ロジック (SDロジッ

クと略称)は急速な広がりをみせ、かつその正当性を確立しつつある。 SDロジックは、ヴァ

ーゴによると「理論でなく、ロジック、アプローチ レ/スであって、理論の基礎として

使われるべき発想」 36、である。つまり個々の具体的事象の因果関連を解説する理論では

なく、関連事象を統一的に説明する理論的フレームワークだということである。サービス・

イノベーションはしたがって、 SDロジックによって解釈され、説明され、より理論との整

合性を高めるものでなければならない。それはサービス・イノベーションに新しい視点を

提供し、またその発展を促進するであろう。

その特徴と発想を、 SDロジックとこれまで経済社会が前提としていたモノ中心のロジッ

ク(グッズ・ドミナント・ロジック、 GDロジックと略称)とを対比した次の第 2表によっ

て説明してみよう。

SDロジックは、有形(モノ)であれ無形(サービス)であれ、われわれがなぜ資源を求

めるのか、という問いから出発する。それは求める資源が何らかの意味で、自分にとって

役に立つ(ベネフィトまたは価値がある)からである。「役に立つ」という効果は資源があ

る機能を持つということである。この機能が他から区別され求められるには、そこに対象

を固有の仕方で状態を位相変化する能力(コンピテンス)が必要となる(例えば、自動車

は人を乗せて空間移動を実現するために走行する。また算盤塾で算盤の使い方を学ぶこと

で、素早く正確に計算に利用することができるようになる)。この位相変化機能はサービス

と同義であり、そこで、すべての財の交換はこのサービスの機能を基盤としているという

意味でサービス・ドミナント・ロジックという名称を用いているのである。

表 2では、左側が従来のモノ中心の発想つまり GDーロジックであり、右側が新しい SDーロ

40

Page 42: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ジックの見方である。まず、従来の GDロジックでは、 (a.の欄)モノが経済的交換の基本的

単位であった。なぜならモノはそれ自体で価値を持つと見なされていたからだ。(交換価値

を持つ)しかし本当は、それは「働きかけられる」ことで価値を生むオペランド資源である。

つまりモノ製品は使用されることでその効果を発揮するのだ(自動車は運転することで走

行する)。

表 2 グッズ・ドミナント・ロジックとサービス・ドミナント・ロジック

伝統的モノ中心の論理(GDロジック) 新しいサービス中心の論理(SDロジック)

a. 経済的交換の単位 モノが交換の中心。(モノはオペラン コンピテンス(知識、技能)の適用つまり

ド<慟きかけられる>資源。) サービスをベネフィットの獲得のために交

換する。(知識や技能はオペラントく働きか

ける>自働の資源。)

b. モノの役割 モノはオペランド資源で最終生産 モノはオペラント資源(埋め込まれた知識)

物。マーケッターは、モノの形態、 の入れ物。顧客(オペラント資源)によっ

場所、時間や所有を変化させる。 て価値生産過程で装置として使用される中

間的な生産物。

C. 顧客の役割 顧客はモノの受容者。マーケッター 顧客は、サービスの共同創造者。マーケテ

は、顧客をセグメントし、配給し、 ィングは、顧客との相互作用の中で、実行

プロモートする。顧客はオペランド される。顧客は基本的にはオペラント資源

資源。 だが、場合に応じてオペランド資源となる。

d. 価値の意味と定養 価値は生産者が決定する。それはオ 価値は顧客によって、使用価値において認

ペランド資源に組み込まれ、交換価 識され定義される。価値はオペラント資源

値によって定義される。 の利用から生じるが、それは時にはオペラ

ンド資源から転送される。企業は価値の提

案を行うにすぎない。

e. 企業と顧客の関係 顧客はオペランド資源である。顧客 顧客は基本的にオペラント資源である。顧

は資源の交換を行う。 客は共同生産および関係的交換の積極的参

(顧客は価値の受け手) 加者である。

f. 経済成長の源 冨は、モノなど有形資源の余剰から 冨は、特化した知識や技能の交換から生ま

生まれる。冨は、オペランド資源の れる。それはオペラント資源の将来的使用

所有、管理、生産から構成される。 の権利を表している。

(R.F.Lusch & S.L. Vargo "Evolving to a new dominant logic for marketing"

The Service Dominant Logic of Marketing :Dialog, Debate and Directionsp.11

2006, M.E.Sharpe)

それに対し、 SDロジックではサービスやコンピテンス(「働きかける」オペラント資源)

41

Page 43: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

が交換の単位となる。モノはコンピテンスが埋め込まれているという意味で、オペラント

資源の「入れ物」であり、使用されることで価値を生む価値可能態37である。したがって

モノを入手することは二重の意味で、サービスやコンピテンスを入手することと同じであ

る。なぜなら、まずモノの生産にはサービスやコンピテンスが必要で、入手したモノは、

次にそれを使用することでサービスが発揮されるからである。山の農民と海の漁師が米と

魚を交換すれば、それは本質的には米を栽培する能力と魚を釣り上げる能力を交換したこ

とと同じである。また米と魚は、例えば宴会に供されることで使用され(モノのサービス機

能の発揮)、人々に喜びを与えることができる(文脈価値の創造)。しかし社会が効率性を

求めスキルの分業が発達し、貨幣経済が発達し、組織が発達することで、スキルとスキル

の交換は、貨幣との交換、スキルが包含されたモノとの交換に変化した。富の表現が蓄積

できる貨幣で行われるようになってモノ中心の経済が発達したのである。

(b. の欄)モノはこのように価値の生産で装置として利用される中間的な生産物だという

ことになる。従来は、モノは企業のつくる最終生産物で、それは (d.の欄)どれだけの価

格で販売できるかという交換価値で計られるものであった。

(c. の欄)顧客の役割は、従来は、モノの受容者であり、モノを購入することが消費であ

った。しかし SDロジックでの顧客にはもっと積極的な役割が求められる。まず、サービス

の共同生産者であり、次にはサービスをその文脈において利用することで文脈価値の共同

創造者(コ・クリエイター)となる 38。例えば、恋人と彼女の誕生日をレストランで祝っ

ている状況を考えてみよう。彼はレストランに誕生日にふさわしい料理を指定し注文する

(コ・プロダクション)。そしてその料理を静かで豪華なレストランの雰囲気の中で、二人

で適切な会話をしながら賞味していく。これがレストラン・サービスの文脈価値のコ・ク

リエーションである。したがって、資源としての顧客は、 GDロジックでは、働きかけられ

るオペランド資源であるが、 SDロジックでは働きかけるオペラント資源である。しかし同

時に顧客はサービス過程での変換対象ともなるので(例えば、美容院でのお客)、時にはオ

ペランド資源にもなるという二重性をもっている。

(d. の欄) GDロジックにおける価値の中心は交換価値である。つまり高い価格で販売でき

る高品質の商品を生み出すことが重要なのだ。それに対し SDロジックでは、価値は顧客に

よって使用価値において認知される。つまりモノであれ、サービスであれ顧客によってそ

れが使われ具体的な効果を生むことで、価値が生まれる。そしてそれ等の資源は、顧客の具

体的な時、場所、意図などのコンテクストにおいて使用されることで生産と消費が一体化

した文脈価値に昇華する。

(e. の欄)企業と顧客の関係についてみると、 GDロジックでは、顧客は企業から働きかけら

れるオペランド資源である。顧客は自分のオペランド資源(お金)モノと交換し、受け取

ったオペランド資源の価値の受容者となる。一方、 SDロジックにおいては、顧客は基本的

に自身がオペラント資源であって、企業と企業の提供する資源との間に構造を作り出し、

それらの資源を統合し、価値のコ・プロダクション、そしてコ・クリエイションを行う。

42

Page 44: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

(f. の欄) GDロジックでは、冨は蓄積されねばならないので、モノなど有形の資源の余剰

から生まれる。つまり冨はオペランド資源の所有、管理、生産から創成される。それに対

表3 サービス・ドミナント・ロジックの基本的前提(改訂版)

FPs 基本的前提(Foundati ona I Premise) 説明・コメント

1 サービスが基本的な交換の基礎 他者の便益のためのオペラント資源(知識と技能)

(basis)である。 の適用が、 SO ロジックにおける「サービス

(Service)」であり、それは交換の基礎である。サ

ービスはサービスのために交換される。

2 間接的な交換が、基本的な交換の サービスは、モノ、貨幣、組織などが作る複雑な

基礎を見えなくしている。 組合せから提供されるので、サービスを基礎とす

る交換が見え難くなっている。

3 モノはサービス提供の配給機構 モノ(耐久財、非耐久財に関わらず)は,その使用

(di str i but ion mechanism) であ から価値を生み出す。それはモノが提供するサー

る。 ビスである。

4 オペラント資源は、競争優位性を 望ましい変化を生み出す、比較可能な能力が、競

生み出す基本的源泉である。 争の主要因である。

5 すべての経済はサービス経済であ サービス化は、進展する専門化やアウトソーシン

る。 グによって、より鮮明になっている。

6 顧客はつねに価値の共同創造者 価値の創造は、顧客と、企業の提供する経営資源

(Co-creator)である。 (人、モノ、システム、情報)との相互作用

(interaction)によって行われる。

7 企業は価値の提案 (Value 企業は単独で価値を創造し提供することはできな

proposition)はできるが、提供す い。価値の提案が受け入れられた後に、資源を価

ることはできない。 値創造のために提供し、顧客との相互作用通じて

価値を共同創造する。

8 サービス中心の見方は本来、顧客 サービスは、顧客が決定する便益を、顧客と共同

志向であり、関係志向的である。 創造することが、その定義であるので、本来、顧

客志向であり関係志向的である。, すべての社会的・経済的活動主体 価値創造の文脈(context)は資源ネットワークの

は資源の結合者(integrator)であ ネットワーク(資源のインテグレーター)で構成

る。 される。

10 価値は、つねに、受益者によって、 価値は、文脈的で経験的、かつそれ自体特異であ

ユニークかつ現象学的に判断され り、意味が重複したものである。

(S. L. Vargo & R. F. Lusch "Journal of Academy of船rketi ng Science'2008 vo I . 36)

43

Page 45: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

し、 SDロジックでは、特化した知識や技術の交換から価値が生まれるのだから、冨とはオ

ペラント資源の将来使用の権利の保有のこととなる。

ラッシュとバーゴは、サービス・ドミナント・ロジックについての最初の論文(2004年)

において、この理論の基本的前提(Foundationalpremises :FP)を発表し、それを理論的骨

格とした。表 2は、その内容を元にしたものである。(伝統的見方と新しいサービス・ドミ

ナント・ロジックの見方を対比し、分かりやすいので引用した。)しかし、その後、 2008年

にいくつかの用語を変えた新しい基本的前提を発表している。表 3が新しい基本的前提と

その簡単な説明である。

サービス・ドミナント・ロジックが、サービス・イノベーションについて示唆するポイ

ントは重要である。まず、サービス・イノベーションの目的は、顧客と企業の双方向的・

協働的関係によってサービスのコ・プロダクションとコ・クリエイションを可能にする効

率的・効果的な新しい仕組みを作りあげることにある。そこでは商品の交換価値を高める

ことよりも、顧客と企業が共にサービスの使用価値と文脈価値を高めることが基準となる。

そして、イノベーションとは、オペランド資源(モノ)とオペラント資源(人やサービス)

の組み合わせにおいて資源のネットワークの活用を目指す、より効果的で効率的な新しい

仕組みやシステムを工夫しデザインすることである。

2. サービス・イノベーションと組織学習

(1)サービス・イノベーションとはなにか

サービス・イノベーションは文字通り、サービス商品のイノベーションである。イノベ

ーションは先に触れたように、これまで製造業の事例を中心に研究されてきた。

サービス・イノベーション研究が始まったのは 1990年代の終わりからであり、したがっ

て理論的な検討と整備が始まってまだ 10数年しか経っていない。当初は、フランスにおい

て、産業構造研究的な視点からプロジェクト・ベースで比較的大規模な調査が 1993年に行

われ、続いて、 94年に英国で KIBS(KnowledgeIntensive Business Services)と呼ばれる

知識創造企業を対象とする調査が行われた。またほぼ同じ時期に、サンドボーを中心とし

て、デンマークのサービス企業の調査が実施されている。これらの調査研究がサービス産

業研究の最初のグループであった。また 2000年の始め頃からサービス・マーケティングや

サービス・マネジメントの分野においてサービス・デザインというテーマでイノベーショ

ン関連の研究が行われるようになった39。2005年以降には、 IBMが中心となって、サービ

ス・サイエンスの研究を広く呼びかけた結果、欧米を中心にサービス・サイエンスをテー

マとする研究機関ができ、この関連の学会もたびたび開かれることになった。サービス・

サイエンス研究の特徴は、問題意識として基本的にサービス・イノベーションを志向して

いることであり、また、経営系の研究者だけでなく、理工系の研究者が数多く参加してい

ることである。

サービス・イノベーションの理論的研究の初期では、主要な関心は、製造業におけるイ

44

Page 46: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ノベーションの理論がどの程度サービスにおいて適用可能かという点にあった。その結論

は、製造業のイノベーション研究における概念はかなり利用できるが、サービスの場合に

はその独自性ゆえに、変更の必要性や適応できない概念も少なくないという言わば、当然

の結論であった。例えば、イノベーションの発展の仕方や従業員の役割の違いといった点

についてである(後述) 40。また、初期のサービス・イノベーション研究では、金融サー

ビス産業が主要な研究対象であった。

それでは、まず、サービス・イノベーションとモノ製品のイノベーションとはどのよう

に異なるのであろうか。その差異と重なりの中にサービス・イノベーションの特徴を明ら

かにしてみよう。

1)サービス・イノベーションとモノ・イノベーションとの違い

① 対象の違い

単純化して表現すれば、従来のイノベーションは主にモノ製品を対象にし、サービス・

イノベーションはサービスを対象にしている。サービスとモノとの違いや特徴については

第 1章で検討した。両者はともに機能的な活動が核となる点において同じであるが、商品

の特徴や物理的構造において異なっており、サービスをデザインするには、そうした構造

や特徴を考慮しなければならない。

まず、サービスそのものの持つ特質からサービス・プロダクトまたはサービス・プロセ

スのデザインで特に考慮すべき要素は、サービスの有する無形性、異質性、共同生産の 3

つの特徴である 41 0

a. 無形性

サービスは物理的形を取らないので、モノ製品のようにそのものを図面で表現すること

はできない。表現できるのは、目的、コンセプト、必要な資源、作業手順などを使って間

接的に表現される部分だけである。このために、新サービスはモノ製品のように試作品や

見本を作って事前に示して顧客の反応をテストすることが難しく、また特許等によって法

律的にその独自性を保護することも難しい。サービス・イノベーションの難しさの大部分

はこの特徴から生まれるといっても過言ではない。

b. 異質性

異質性は、同一のサービス生産システムであってもサービス生産の品質や量が一定しな

いという特徴を意味している。つまりデザイン段階というよりも、オペレイション上の問

題ではあるが、事前にこの問題への対応をデザインヘ組み込むことが、ある水準で可能で

ある。つまり、サービスの工業化(機械化、システム化)の推進や情報化の推進である。人

間が介在する限り、質の不安定性などは完全には排除できないが、工業化の推進である程

度、アウトプットの安定性が確保できる。装置産業的なサービスはこの点で有利である。

C. 共同生産

この特徴は、ユーザー・イノベーションの基盤となってイノベーションや組織学習を進

45

Page 47: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

める上で大きな役割を果たす。しかし、たんにサービス・ニーズの表明とそれに対するサ

ービス提供という相互作用の側面に注目するだけでなく、相互作用場面でサービス提供者

が積極的に顧客の潜在的ニーズを察知して、それを記録し、検討し、工夫して共同創造の

場面にまで昇華していくための仕組みが必要である。(この仕組みについては第 4章で検討

する)。

こうしたサービスの持つ基本的な特徴は、第 1章の第 1表で示したように、顧客の特別

な反応を引き出し、その事がサービスの経営に特別の課題を課することになる。例えば、

無形性では、サービス商品を「見せられない」ということのために、顧客はその商品に一定

の「購買リスク」を感じざるを得ない。そうした購買不安に対応するためには、強力な組織

イメージ(つまりコーポレイト・プランド)を形成して、提供者としての信用を高めるとい

った対応策が必要になる、といった関連性である。サービス・イノベーションはこうした

サービスの特徴から派生する関連性を前提として進めることが必要である。

②プロダクトの要素とその関係性の違い

イノベーションが生み出す製品は、その製品を構成するコンポーネントそのものとコン

ポーネント間の関係性の二つに区別して考えることができる。モノ製品の場合、その部品

であるコンポーネントとその関係性の組み合わせは緊密である。わが国では「擦り合わせ」

といった発想が有力であるが、それは多種類の部品とその関係を、その製品独特のものに

する 42。それに対し、最近は効率性の追求から部品のモデュール化が進んでいて、モノ製

品のコモデイティ化を広げる一つの要因になっている。モノ製品では部品間の組み合わせ

が緊密な場合、効果性と効率性の基準を前提とすると、選択できる範囲はかなり狭くなり、

それが設計情報に反映されて、コンポーネントとその関係のあり方が規定されてくるから

である。

さてサービス商品では、その技術的コンポーネントとその関係性は、モノ製品の場合よ

りも一般にルースである(緊密性が低い)。例えば、一般の寿司屋と回転寿司店を比べると、

顧客に寿司を提供するというサービス・コンセプトは同じであり、技術的コンポーネントも

近似しているが、コンポーネント間の関係、特に、顧客とサービス提供者との関係はまっ

たく異なったものである。

つまりサービス商品では、そのサービス・コンセプトとサービスを構成する活動内容があ

る程度明確でも、コンセプト(機能)を達成する活動間の関係は、いつも一定であるわけ

ではない。サービスの場合、その設計情報には製品アーキテクチャー43が明確には規定さ

れていないことが多いのである。例えば、理容サービスでは、そのコンセプトと活動内容

はある程度決まっているが、その手順は店やスタッフによってさまざまである。こうした

特質がサービスの異質性(Heterogenety)の原因となっていると考えられる。 QBハウスやマ

クドナルドは、こうしたサービス手順までを標準化することで、サービス活動の均一性を

確保し、効率性を高めることでイノベーションを達成している。

46

Page 48: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

③サービス・イノベーションは、計画的な施策であるよりも日常業務における偶然や思い

つきから生まれる場合が多い。

この事実は、いつくかの国際的な調査や研究が指摘している 44。モノ製品のイノベーシ

ョンの場合、あるものは、製造現場からの発案やリード・ユーザーからの情報によってイ

ノベーションが生じたとしても、その大部分は、企業の R&D部門の研究開発プロセスを経

て実用化されることになる。それに対して新サービスの大部分はそのアイデア形成が「計

画的な過程によるのではなく、偶然に起こった」 45ことが示されている。

つまりこれまでのサービス・イノベーションの多くは、企業がアイデア形成の当初から

計画的に管理していたのではなく、現場の日常業務の中からアイデアが発生し、組織学習

がおこり、それについての戦略的な検討や経営的視点からの意思決定が後に続くことで、

イノベーションにつながったのである。

④顧客訴求の困難性

サービス・イノベーションはその領域がプロダクトであれプロセスであれ、新しい商品

は無形の活動のまとまりとして存在するので、モノ製品のように見せることも触ることも

できず、顧客にとっては分かりにくい。特にそれが新しいものであればあるほど、顧客に

とって、イメージが形成しにくいことになる。顧客がその新サービスを理解し購入するに

は、そのサービスが持つ新しい効果や利用手順をあらかじめ理解しなければならないから

である。そこで多くの場合、なんらかの形の顧客教育が最初のマーケティング活動となら

ざるを得ない。駅の自動改札が、当初使い方になれない顧客によって故障が起きたように、

利用者に知識が行き渡り、サービス利用に慣れるが生じるまでには時間が必要となる。

⑤コピーされる危険性

先の無形性の部分で触れたように、サービス・イノベーションは法的にそのオリジナリ

ティを保護することが難しい。そのため外から仕組みの見えやすいサービスの場合、それ

の顧客訴求力が高ければ高いほど真似されやすいことになる 46。航空会社の FFP(マイレー

ジ制)は、アメリカン航空が 81年に導入したのが最初だが、数年の間に米国の主要な航空

会社のほとんどがこの制度を採用している。この競合企業による真似のされやすさが、サ

ービス企業のイノベーションの広がりを阻害しているという研究もある。またそれ故に、

サービス企業は継続的なイノベーション能力が重要で、常に模倣者である競合他社の先を

行かねばならないという指摘もある 47 0

サービスのイノベーションは、その内容にサービス内容である活動の仕組みだけでなく、

組織的な工夫を組み込むと外から分かりにくくなる。例えば、新サービス商品の市場への

提供と同時に、関係するスタッフの報酬・昇進などのインセンティブ・システムを一新した

り、新しい営業システムで独創的な顧客アプローチを導入したり(例えば、かってのスタ

ッフ・サービスが実施した営業方法)すれば、新サービスの内容は外部から理解できても、

47

Page 49: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

内部的な制度変更は見えにくいために、新しいシステムを完全には理解できないように隠

すことができる。一般に技術的なイノベーションは真似しやすいが、組織的な変革は見え

にくいので真似しにくい。

⑥イノベーションヘの圧力の低さと惰性への傾斜

モノ製品の場合には、プロダクト・ライフサイクルや消費者の飽き、マーケティング上

の差別化といった点から、一定期間を経る間に、新製品を上市する必要性がかならず発生

してくる。サービスの場合には、商品が活動そのものであるために商品そのものが見えに

くく、モノ製品が有するこうした問題の影響は比較的少ない。しかし、サービス商品の場

合、関係者の関心が、常々その内容改善へ向かうというよりも、現在のやり方が当たり前

と受け取られやすく、その意味で改善へのプレッシャーが弱いと言えよう。また、イノベ

ーションの抵抗要素となるそれまでの職場慣行や消費慣行など社会的文脈からの変化への

抵抗を受ける可能性もある。 L.ベリーは、革新を続ける医療組織であるメイヨー・クリニ

ックを取り上げた研究において、次のように述べている。「労働集約的なサービス組織は、

年を経るにしたがい、その効率が下がっていくものである。より官僚的になり、規則に縛

られ、柔軟性と機敏さを失い、ハングリーでなくなる」。「従業員は活力を失いがちであり、

サービスにもう一歩磨きをかける努力を怠りがちになる」 48。この意味でサービス・イノベ

ーションでは、「改革や革新」を持続するために、(メイヨー・クリニックで行われたように、)

継続的革新へ向かうエネルギーを注入する組織文化や風士の影響がより重要となる 49 D

⑦ニーズ情報と生産情報の同時観察

対人サービスなどの場合、サービスの生産と消費の同時性という特徴のために、詳しい

ニーズ情報は、サービス消費現場でもっとも良く観察できる。またサービス提供のための

知識や技能は、もともとサービス提供者の頭の中に内在化している場合が多いので、現実

のサービス提供場面においてのみ、このふたつが実際に観察可能となる。つまりサービス

提供現場においてニーズ情報と生産情報の双方がもっともハッキリと表現されるのである。

サービスではその現実の提供場面において、サービス・イノベーションに必要な情報が揃

うということである。モノ製品のイノベーションのように、ある段階では、現場に必ずし

も近接していない場所で R&Dのプロセスを通るのと対照的である。

2) サービス・イノベーションの種類

次にサービス・イノベーションの種類を概観してみよう。サービス・イノベーションの

種類には、 2項対立的に示したものやマトリックスを作るものなど、複数あるが、どれも

固有の視点からの分類となっており、サービス・イノベーションそのものの構造やその広

がりを理解するうえで非常に有用である。

①プロダクト・イノペーションとプロセス・イノベーション

48

Page 50: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

先にモノ製品を念頭においたイノベーションの分類のところでプロダクトとプロセスの

イノベーションを区別した。モノ・イノベーションの場合には、前者には製品技術が関係

し、後者は生産技術が関係する。原理的にはこの区別はそのままサービス・イノベーショ

ンの場合にも適用できる。ただし、サービスの場合には、生産と消費の同時性の特徴から、

サービス生産現場で、製品技術と生産技術を明示的には区別できないという問題がある。

サービスでは、もたらされた結果(顧客のベネフィット、感情、判断、意図)とその結果

を生み出すサービス生産過程での経験の両方がプロダクトだとも言えるからである。例え

ば、乳がんの摘出手術の場合、がん細胞を完全に摘出するために乳房を切除する。これが

結果でありプロダクトの内容である。この医療サービスのプロセスでは、検査、麻酔、乳

房の摘出、縫合等の後処理、入院による回復、検査などがさまざまな医療活動が連続する。

顧客の視点から見ると、これらサービス・プロセスは、がん細胞の摘出という望ましい結

果を得るために患者が順次経験する変換過程である。これは例えば、 iPodの製品技術と生

産技術のように、二つを時間的にも、場所的にも、内容的にも完全に分離でき、各々につ

いてイノベーションを検討できるモノ生産の状況とは異なったプロセスなのである。

サービスの場合、プロセスは結果を作り出す途中経過である。しかしサービス・イノベ

ーションの立場からは、この一体である結果と過程のどちらに改革の対象を設定するかと

いう違いがあり得る。特に、顧客視点を導入すると、結果と過程は別の側面として浮かび

上がる。電車が正確に目的の駅に到着するのが結果であるとすると、乗客が電車に乗って

移動している間、どんな経験をするかがプロセスの側面である。外の気温が寒くても、車

内は快適な温度で、さほど混んでもいず、座席に座って移動できる、こうした条件を作る

ことで、乗客の過程品質を高めることができる。他方、事故や遅れが生じないように車両

や路線等システムの保守管理をしっかり行うことが結果品質を高める手段となる。

プロダクト・イノベーションは、そのサービス商品が顧客に約束している結果を、正確

に信頼感を与えるように実現するためのイノベーションであり、顧客がそのサービスに求

めている効用を最大化することが目的である。プロセス・イノベーションは、顧客に、快

適にスピーディーに(サービスによってはユックリと)、礼儀正しく、顧客の立場に立った

快適なサービス提供ができるように変革することである。接客態度の向上、顧客の金銭的・

時間的・精神的コストの削減などがプロセス・イノベーションの内容である。この二つの

イノベーションは、サービスのどちらの側面に注目して改革を計るのか、という視点の違

いによって区別される。

②サービス・イノベーションの社会的インパクトによる分類

先にアバナシーとクラークによるイノベーションの分類を検討した。それは市場と技術

の二つの変数によって、イノベーションが産業へ与えるインパクトによって分類したもの

であった。このマトリックスでサービス商品の分類を試みてみよう。(図 8)

まず、新技術によって新市場を作り出し、産業のルールを変えてしまうような a.構築的

49

Page 51: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

革新には「インターネット」 「ク クル」「e-mail」など情報関連の新サービスが入ってい

る。 IT技術は既存の技術を無意味なものに変えて、新しい市場を作り出し、われわれの生

活を大きく変化させた。

既存技術を活用して新市場を作り出した b.ニッチ創造では「宅配便」、「アスクル」、「デ

イズニーランド」、「人間ドック」などが含まれる。「宅配便」の場合、出発は既存技術を使

って新市場へ進出したのだが、定着するにつれて、次の段階に移り、 c.通常的革新の段階

に入った。現在では、流通産業全体に大きな変革を持ち込むようになって、 d.革命的革新

の領域に入りサービス内容の革新を続けることによって、ますます広範な市場を獲得しよ

うとしているように見える。登場は少し古いが「人間ドック」も当初、新市場へ入ってき

たが、現在では c.の通常的革新の領域に入り、検査に訪れた顧客の快適性など過程品質の

向上に努力している。

C. 通常的革新は、既存の技術を活用して既存市場へ食い込んだサービス・イノベーショ

である。「QBハウス」は技術も市場も新しくはないのだが、それまでにないビジネス・モデ

ルで理美容業界の風雲児となっている。スーパーやコンビニは最近、個人顧客への「宅配」

を始め、業績に貢献している。「インターネット大学」は、既存市場に既存技術で乗り込ん

できたわけだが、どれだけ教育業界にインパクトを与えられるかはいまだ未知数である。

図8サービス・イノベーションの分類

I b. ニッチ創造 I新

I a. 構築的革新 I宅配便 市

アスクル 鷹インターネット

ディズニーランド 出グーグル

人間ドックe・mail

既存技術の維持・強化 既存技術の破壊

既QBハウス 存 携帯電話

インターネット大学 市 su1ca 場

スーパーの宅配 の 機械警備

深耕

C 通常的革新 I Id. 革命的革新 1

(Abernathy, W. J. &K. B. Clark "Innobation:Mapping the winds of

creative destruction" Research Policy 1985 vol. 14, p8, 著者一部修正)

50

Page 52: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

最後の既存市場へ新しい技術で入り、 d.革命的革新と言えるようなインパクトを与えて

いる革新の代表は、「携帯電話」であろう。今日われわれの生活は携帯電話なしには考えら

れない。「suica」やセコムの「機械警備」も既存の業界に革命的なインパクトを与えて業

界の地図を大きく塗り替えた。

このマトリックスで理解できるように、革新的なサービス・イノベーションは、当初、

新技術の開発によって構築的革新の領域から出発しても、社会に浸透するにつれて、新技

術は既存技術になり、新市場の開拓は既存市場の深耕へと変化していくことが分かる。ま

たそうした発展を経ることで、しつかりと社会に根付くことになるのである。当初は小規

模なイノベーションであったものが、そのコンセプトの新規性によって次第に社会に受け

入れられ、広がりをみせるとともに、改善が加えられまた新たな段階に入り、結果として

産業のルールに変革をもたらすような大きな変革を生み出すものもある。イノベーション

は進化を続けるのである。

例えば、アスクルは良く知られているように、当初、従業員 30人未満の事業所とター

ゲットとして文房具品の宅配を翌日に行うという、それまでにない流通革新を行う企業と

して出発した。宅配便という新たな流通技術を使うという意味で、「構築的革新」領域から

出発して「ニッチ創造」を行ったのである。この時点でのサービス・コンセプト(技術要素)

は、①ワン・ストップ・ショッピング、②明日配達するという約束、③低価格の 3つであ

った。しかしアスクルは革新を続け、インターネットの利用、親会社以外の他社製品の取

り扱い、また文房具だけでなくインスタント食品、菓子、飲料等への商品の拡大、 PB商品

への進出、ターゲット顧客の拡大、顧客データ・ベースの構築による付加サービスの充実

やサプライ・チェーンの構築など数々の革新を実行した(「通常的革新」領域)。これら一つ

ひとつは小さなイノベーションであるが、それらの累積効果によって、今日まで躍進を続

け、従業員約 350名で売上高 1616億円という企業に成長したのである 50 0

③サービス商品の構造や機能を基にした分類

ラプロックとライト 51はサービス・マネジメントの視点からサービス商品の構造と機能

を基にしてサービス・イノベーションの階層を発表している。それは次のようなものであ

る。

a. 主要なサービス・イノベーション(Majorservice innovation)

市場に、いままでにない新しいコア・プロダクトを提供するもの。通常、新しいサービ

スの特徴と新しいプロセスを備えている。 1971年に登場したフェデラル・エクスプレスや

ニュース専門の放送局である CNN,またオークション・サービスを提供するイーベイ、また

検索サービスのグーグルなどが例としてあげられる。これまでに存在しないプロダクトで

新たな顧客ニーズを充足していることがポイントである。(先の②の分類で言えば、 a.部門

の新市場へ新技術の活用による参入である)。

b. 主要なサービス・プロセス・イノベーション(Majorprocess innovation)

51

Page 53: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

既存のコア・プロダクトを新しいプロセス、つまり新しい方法で提供しているもの。結

果的に付加的なベネフィットも生んでいる。例えば、インターネットによる大学教育を提

供しているフェニックス大学などがある。キャンパスを持たず、学生はオンラインで提供

されるコースを受講する。一般的な大学と同じ大卒の学位を約半分の時間と低額な費用で

受けることができる。インターネット技術はまた、 eーショッピングなど多くの新しいタイ

プの小売業モデルを創業することを可能にして顧客の時間とコストを削減している。また、

こうした情報技術は、商品のカスタマイゼーションの可能性を拡大し、結果として顧客の

選択可能性を拡大した。シルクド・ソレイユは新しいタイプのサーカスで観客の喝采をは

くしている。メイヨー・クリニックは医学の最先端領域を走って、成果をあげているのみ

ならず、患者に対する最善のサービスを提供していることでも知られている。またサウス

ウェスト航空は航空業界という厳しい競争環境の中にあって、短距離旅客航空という商品

を安価に便利に提供して顧客の絶大な支持を得ている。(先の②の分類でいえば、新しいマ

ーケティング手法により新技術で既存市場の深耕を計ったものである)。

C. プロダクト・ラインの拡大 (ProductI i ne extensions)

既存のプロダクト・ラインに新しい商品を加えること。普通、最初にこうした試みを行

った企業はイノベーターと見なされるが、追従する企業はそうではない。新しいサービス

は、既存顧客のより広いニーズに応え、また新しい顧客の新たなニーズに応えることを狙

っている。例えば、コーヒー店であるスターバックスが、新たに軽いランチを提供する、

といったことである。主要なコンピューター・メイカーであるコンパック、ヒューレット・

パッカーズ、 IBMなどは、旧来の彼らのビジネスの定義を越えて、コンサルティングや個客

化したサービスを統合した "eーソリューション”を提供し始めている。ケーブル・テレビ

局がインターネット接続サービスを提供し、多くの銀行が既存顧客とのより深い関係を求

めて保険商品を販売することなども同じ発想である。(既存の技術で新しい市場へ)。

d. プロセス・ラインの拡大 (ProcessI ine extensions)

これは、 2)のプロセス・イノベーションほどには革新的ではない。しかし、しばしば、

伝統的な方法では飽き足らない新しい顧客や既存顧客を引きつけるために、より便利なサ

ービスやいままでとは違った経験を提供している。よくあるタイプとしては、従来のハイ・

コンタクトのサービスに付加して、ロー・コンタクトのサービスを提供するパターンであ

る。金融サービス機関が電話やインターネットをチャネルとして利用したり、小売店が従

来の方法にくわえて、カタログやウェブサイトを使って販売を試みるアプローチもある。

日本の紀伊国屋書店もオンラインによる書籍の販売で業績を伸ばしている。 (c.既存の技術

で既存の市場へ。「通常的革新」)

e. 付加的なサービスのイノベーション (Supplementaryservice innovations)

これは既存のコア・サービスに対して、新しい付加サービスを加えるか、既存の付加サ

ービスを十分に改善するといったアプローチである。技術的にはとりわけ水準の高くない

この種のイノベーションとしては、小売店が新たに駐車場を設けるとか、顧客が購入した

52

Page 54: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

商品の返品を受け付けるといった付加サービスの導入がある。同じコア・サービスの周辺

への付加的なサービスであっても、さまざまな改善が顧客にとって新しい経験となり得る。

例えば、テーマ・レストランのレイン・フォレスト・カフェは、テーブルのそばの水槽に

魚を泳がせ、話をするオウムを木にとまらせ、滝を作り、ファイバーグラスでできたモン

キーや話をする木などを配置するなどのさまざまな工夫で客を喜ばせている。(「通常的革

新」)

f. サービスの改善(Serviceimprovements)

もっとも一般的なタイプのイノベーションである。コア・サービスや付加サービスには

変更をくわえない控え目な革新である。映画館で人間工学的にデザインされた椅子を設置

して観客の疲労を軽減するといったことや、航空機のビジネス・クラスの座席にインター

ネット用のソケットを備えるといった改善などである。欧米の空港にはいたる所にコイン

式のインターネット用のコンピューターが設置してあるがこれもこのタイプのイノベーシ

ョンと言えよう。(「通常的革新」)

g. スタイル・チェインジ (Stylechange)

サービス・イノベーションのもっとも素朴なタイプである。普通、サービス・プロセス

も顧客経験にも大きな変化はない。しかし、しばしば良く目立ち、変わったという感覚を

顧客に与える。例えば、小売店の外装を新たにする、従業員ユニフォームを変更する、航

空機や電車の車両の塗装の色やデザインを変更するなどである。顧客の感じる感覚的な好

ましさを増進し、結果的にコーポレイト・ブランドの価値向上に役立つ。福岡・羽田間を

就航しているスカイフライヤー社の航空機や機内備品、受付カウンターなどは、すべて黒

色で統一してあり、この点で特色を打ち出すことに成功している。(「通常的革新」)

以上は、サービス商品のイノベーションが、顧客にどんな意味と影響をもたらすか、特

にサービス・コンセプトの革新や改善によって新サービスを提供する、という視点からサー

ビス・イノベーションを分類したものである。顧客の新しいニーズの充足に関係するもの

から、嗜好・好み、選択肢の拡大、顧客コストの削減など幅広い項目があげられている。

顧客の高度化する多様な欲求に応える形で、サービスについてさまざまな工夫を行い、そ

れが結果としていろいろなレベルのイノベーションとなっていることがわかる。

結論的に述べれば、サービス・イノベーションとは、企業のサービス・システム52 (サ

ービス商品、サービス生産システム)を対象にして、顧客や企業および関係する諸機関に

とっての新しい価値を生み出す革新であり、具体的にはサービス組織の効果性と効率性を

著しく向上させる活動である。そして、その成果の大きさと反復性によってたんなる組織

学習と区別される。

この場合、効果性とは目標達成能力のことであり、サービス・システムの場合、具体的

には、顧客のニーズを充たす能力(効用)の大きさ、サービス品質の高さ、顧客満足度な

どによって表現される項目で、顧客に対する誘因力を拡大し、結果的に再購入を促し、売

53

Page 55: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

上高と利益率を向上することに関連する項目である。効率性とは変換システムとしてのサ

ービス・システムに必要なインプット要因とアウトプット要因の比率で表現される。イン

プットが少なく、アウトプットが大きければ効率性が高いと判断される。労働力、資本、

機械設備、時間、等の資源がインプット要因で、サービス活動の量がアウトプットである。

アウトプットに品質や顧客満足といった定性的要因を含める考え方もあるが、ここではそ

れらは効果性の領域と考える。効率性が高いということは、インプット要因の“働き"が良

いということで、生産単位当たりのコストが低いということと同じである。この両方の評

価基準が非常に高いということは、そのサービス組織が卓越した(エクセレント)な組織

であることを意味している。また片方だけの基準の評価が高い場合、そうしたサービス組

織は長期的には存続できないであろう。企業組織の効果性と効率性が高いことは、企業の

収益性も高いことを予測させる。

次にサービス・イノベーションの範囲を明確化する上で、非常に大きな意味を持ってい

る組織学習とサービス・イノベーションの関係を検討して、本書が取り組もうとする領域

と内容を明かにしてみたい。

(2)組織学習とは何か

組織学習 (Organizationallearning) とは、組織の成員が、外的・内的環境にあって必

要な活動していく中で、自ら学習したことを組織活動に反映させ、より良い結果を達成し

ていくことである。一般にサービス・ビジネスは、個別の状況の中で個人顧客との間で生

起する小さな変化の連続と考えられているが、この場面で起きる新たな学習機会を組織学

習と呼ぶことができよう 53。組織はこうしたさまざまな個別の小さな変化を処理していく

ことで、そこで生まれた経験と知識を蓄積し成長し能力を高めていく。

それでは、組織学習とイノベーションとはどのように区別されるのだろうか。先に見た

アバナシーとウタバーグのモデルにおいてプロセス・イノベーションに関して想定した一

般的な成長の説明は、たとえ各成長段階で戦略的な意思決定があったとしても、それはイ

ノベーションと分類するよりも自然発生的な組織学習によって行われることを示すもので

あった。またインクリメンタルなイノベーションと組織学習の違いについても必ずしも明

確ではない。

この問題について実証的な研究を行ったサンドボーによれば、組織学習とサービス・イ

ノベーションとは、程度の違いはあっても同じ連続線上に位置している(図 9) と述べて

いる。彼は、 1)個別の組織学習、 2)組織全体に波及するような全体的組織学習、 3)

小規模のインクリメンタル・イノベーション、 4) 大規模なインクリメンタル・イノベー

ション、 5) ラディカルなイノベーションを一直線上に並べて、個々の組織学習や小規模

なインクリメンタルなイノベーションは断絶なく連続しており、ある部分では重なり合っ

ていると述べている 54。つまり、イノベーションと組織学習は、新たなアイデアを活用し

て、結果としてサービス組織の効果性と効率性の向上を生み出すという点では共通してお

54

Page 56: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

り、その意味で両方共にサービスの改善・改革の手段であるといえる。

図9 イノベーションと組織学習

ラディカ 大規模なイ 小規模のイ

ル・イノ ンクリメン ンクリメン 全体的組 個別の組

ベーショ タル・イノ タル・イノ 織学習 織学習

ン ベーション ベーション

しかし同時に組織学習とイノベーションは以下の点で異なっている。 55

イノベーション:

a. ある時点でジャンプ(急に効果や影響力が向上すること)する。

b. 反復性があり真似ができる。

c. 比較的大きな影響を及ぼす。

他方、組織学習については、

a. なだらかな変化を生み出す。

b. その場限りの一回で終わるものが多い。

c. 影響は小さいものから比較的大きいものまである。

さらに、イノベーションの場合、反復性という特徴を持つのだから革新のための仕組みが

構造化されていなければならないことになる。そうでなければくり返すことができないか

らである。それに対して組織学習は、自然発生的であるか、意図的なアプローチであるか

は別にして、組織活動に関する意思決定の基盤となるものの見方や考え方のより優れた方

向への変化が、新たなアイデアや経験によって生み出されることが基本となっている。つ

まり、業務遂行場面での意思決定をより適切で優れた内容にするアイデア、工夫、思いつ

きなどの暗黙知的なものから、それが外部化して形式知化したものに至るまで、なんらか

の意味で経験から学習した、サービス生産の改善・改革の原因となるアイデアや知識などソ

フトの獲得が組織学習の内実である。

その結果、同じサービスの改善・改革のアプローチであっても、イノベーションでは仕

組みが構造化されているために、その効果は比較的長く持続し、繰り返し実施することが

できる。それに対し、組織学習では従業員が実際に仕事を続ける中で、個人がその経験か

ら学習したことを出発点としている。つまり個人が仕事遂行上経験したある種の効果を認

知することから起きた自然学習である。そして条件にめぐまれれば、その学習結果は、個

人から仲間へ、そして職場全体へ、知識が広まって効果を拡大していくかもしれない。ま

た、こうした自然発生的なアプローチとは別に、外部からの知識の導入によって政策的ま

たは戦略的に職場集団に訓練や研修として新しい知識が導入され、それが活用される場面

55

Page 57: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

も想定することができ、それらの新しい知識を基盤とする変革も組織学習と考えることが

できる。

そこで、本論では、サービス内容のデザインやその流れの設計などに関して、結果とし

て構造的な変革を生み出すアプローチをサービス・イノベーションとし、サービス生産の

日常業務における意思決定に影響するアイデア、工夫、知識などを動員して業務の遂行に

影響を与える、言わば仕事のソフトな側面に対するフレームワークの革新を組織学習とし

て区別したい。

さて、本章では以上にように、サービス・イノベーションと組織学習を区別してサービス

生産組織の効果性と効率性を高めるアプローチの一般的特徴を検討してきた。次章以下で、

各々の具体的なアプローチを取り上げる前に、そうしたサービス・システムの改善・改革

のアプローチは、どこからどのように始まるのか、について考えてみたい。

イノベーションはサービス・プロダクトやサービス・プロセスに関する新しいアイデア

の創出から始まる。先に、サービス・イノベーションがどのように社会的なインパクトを

与えたかという視点から、既存のサービス・イノベーション事例を分類した図を示した(図

8)。そこでは、新技術によって市場の構造を一新してしまったインターネットのような「構

築的革新」から、新技術で既存市場を深耕する「革命的革新」、既存技術によって新市場を

創出した「ニッチ創造」、そして既存技術で既存市場を深耕する「通常的革新」の 4つに分

類した。

この図における最大の説明変数は技術、例えば情報通信技術である。しかしアイデアは

初めからイノベーションになったわけではない。(天から降ってきたわけではないのだ)。

それは市場において強力なイノベーションとなるための発展のステップを経ているのであ

る。技術は市場に求められるニーズがあってはじめて具体的な提供物として利用され、活

かされる。だから、まずサービス・システムのプロセスにおける周辺的な(ペリフェラル)

な革新として導入され、実績が評価されるにつれて、だんだんにコア・プロダクトとして

採用され、普及していくという過程を経る事例が多い。

日本のコンビニエンス・ストアはイノベーションの宝庫である。 73年にセブン・イレ

ブンが第一号店を開いてから、現在のように売上高で小売業第二位の業態に成長するまで、

情報化を梃子とする数々のイノベーションが続いた 56。最初のキッカケは店舗発注システ

ムの革新であったが、これは「狭い店舗スペースを効率的に活用するためには売筋商品を

高回転させ、死筋商品を迅速にカットしていかねばならない」というコンビニが宿命的に

持つ条件を克服するためのイノベーションであった(ボトル・ネッックの解消) 57。ここ

で大切なのは、発注システムであれ、 POSシステムであれ、こうしたイノベーションが現場

で感知された具体的なニーズ(課題)に対応してアイデアが生まれ、情報技術の助けを得る

ことで、具体的なイノベーションになり、それが、組織全体に大きな影響力を持つように

なったという点である。

サービス・イノベーションは、サービスの現場で、個人的な思いつきや発想(アイデア)

56

Page 58: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

が組織学習として成果をあげることから始まる。それは「情報の粘着性」の発想からも当

然のことである。もしかすると顧客との相互作用の中で、「文脈価値」を高めるという意図

から始まることもあろう(アスクルの小企業への注目)。その意味で、サービス・イノベー

ションは大部分、きっかけはどの領域から始まっているにしても「通常的革新」から始ま

りそこで揉まれることによって発展し、各進化の段階でその効果が認められたものが、じ

ょじょに他の領域に発展することで、最終的に大きな社会的影響力を持ちうるようになっ

たのである。アスクルは、当初、文房具を通販で販売するというアイデアから出発した。

それが小企業をターゲットにするという新市場のアイデアを得て、次いで電話やインター

ネットといった技術を使い、そうしたコンセプトの重なり合いが効果を生んで、革命的革

新の段階から市場をどんどん拡大していった。そして現在ではアスクル型の流通パターン

として、構築的な革新の段階に入っている。つまりイノベーションは進化を続けて、大き

な力を得るようになるのである。

したがって、サービス・イノベーション研究では、サービス現場で、どのようにイノベ

ーションに進化するアイデアを捕捉し、それを育てていくかという問題が、最も重要な課

題として浮かび上がるのである。

なお、本論で取り上げる具体的な組織学習とサービス・イノベーションの改善・改革の

アプローチは以下の通りである。

A. 組織学習

l. 経験的組織学習

① 接客態度訓練

2. サービス・マネジメント理論に関連する組織学習

① 顧客満足

② 顧客ロイヤリティとサービス・プロフィット・チェーン

③ 顧客価値

④ 従業員満足と内部サービス品質

⑤ エンパワメント

⑥ 顧客志向の組織文化

B. サービス・イノベーション

l. サービス・デザインからのアプローチ

①サービスの構成要素のデザインと拡大したサービス・オファー

②モノとサービスの融合~

1)製造業のサービス・デザイン

2) サービサイジング

④ SDロジック・アプローチ

57

Page 59: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

2. 新しいサービス・イノベーション・ニーズの発見 "'--' STSメッソッド

以上 10のアプローチにつて順次検討する。

なお、本章の最後に、イノベーションと組織学習の違いについて、筆者が偶然に体験し

たエピソードを一つご紹介してみたい。題して、「SASの改革はなぜ失敗に終わったか」

である。

1 5年ほど前にスウェーデンで開催されたサービスの国際学会に参加した時の

話である(「QUIS6」という学会)。開会式の際に企業を代表して基調演説をしたのは、

有名な「真実の瞬間」のイノベーションを実施したスカンジナビア航空の社長であっ

た。もちろん彼は、 81年に 800万ドルの赤字を計上した SASを、 1年間で 7100万

ドルの黒字にして一躍有名になった改革の立役者ヤン・カールソンではない。改革か

らすでに 10年以上が過ぎた時点の 19 9 0年代の社長である。

彼の第一声は、 SASは今年から TQMに取り組む予定だ、という内容であった。

SASはヤン・カールソンの改革以来、ヨーロッパの航空業界では優良会社のトップを

走っているとばかり思っていた私は、隣に座っていた友人のドイツ人研究者に、「SAS

は優良企業なんだろう。なぜ今頃 TQMなんだ?」と尋ねた。すると彼は、「いや、

SASが優良企業だったのはカールソンがいた数年間で、その後は評判も業績もガタ

落ちで、今や、ヨーロッパでは下から数えた方が早い会社だよ」という答えであっ

た。その時は、組織改革とは長続きしないものなのだな、という感想をもったが、

後で、よく考えてみると、このことは非常に示唆的な出来事だという気がした。

SASの改革のポイントは主に二つであって、一つは、ビジネスマンを優遇するター

ゲット・マーケティングの実践として、他の航空各社に先駆けて「ビジネス・クラス

の導入」をしたことと、もう一つは「真実の瞬間」という言葉が示している、サービス・

エンカウンター場面での従業員の顧客志向の接客対応の実践であった。 SASの導入した

新サービス商品の「ビジネス・クラス」は大当たりを取って、業績は急回復したのだ

が、例によって他の航空会社がこぞって真似をして、「ビジネス・クラス」を導入し、

ほどなく SASのこの点での競争優位性は失われたのだった。もう一方の「真実の瞬間」

発想の基本は顧客中心主義の見方に基づく態度訓練である。しかし、こうした従業員の

行動パターンを維持していくには、組織文化の定着を確実にする評価や報酬制度などの

システム的な支えが必要である。一時的は成功したこうした改革も構造的な仕組みの支

え無くしては長続きはしないのである。

「ビジネス・クラス」の導入は明らかにプロダクト・イノベーションであったが、

他社による同様のシステムの導入によって競争優位性を失った。「真実の瞬間」の発

想は、顧客理解に基づく態度訓練であり組織学習の領域に入る。そしてこうした組織

能力の持続には支えとなる継続的・組織的な努力が不可欠である。 SASはカリスマ経営者

58

Page 60: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

を失って、この領域でも後退してしまった。

二つの競争優位性が失われてしまった理由は、このように異なったものであった。

サービス・イノベーションも自然学習も、もしかすると最初の実行段階よりもその

維持継続の方が困難な課題なのかもしれない。

1 Sundbo,J. "Innovation and Learning in Service -The involvement of Employee" p.133, Spath, D. and K-P Frahnrich (eds) Advances in Se訂 iceInnovation 2006 Heidelberg :Springer

2 Gatignon, H.、'Editor'sIntroduction" Gatignon, H. (ed) New Products and Services Development p.xviiii 2011 California :Sage Publications

3 シュンペーター 塩野谷佑ー(他)新訳『経済発展の理論』(上) 1993年、東洋経済新報

社 171・184頁

Shumpeter, J.A. The TheoryofEconomicDevelopment 1912 4 ピーター・ドラッカー著上田惇生訳ドラッカー名著集『マネジメント』 2008年 101頁

ダイヤモンド社

Drucker, P. F. The Essential Drucker 2008 New York:Haper Collins 5 ピーター・ドラッカー著上田惇生訳『(新訳)現代の経営』 1996年39頁 ダイヤモンド

Drucker, P. F. Management, Task, Responsib出ty 1993 New York: Harper and Row

6 Sundbo,J. " Management oflnnovation in Services" The Service lndust丘'esJournal vol.17 no.3 1997 p.437

7Utterback, J."The Process of Technological Innovation Within the Firm" Academy of Management Journal 1976 vol.53 p. 77

8 Wikipedia "innovation'' 9 ヒューゴ・チルキー、テイム・ザオバー著、佐藤亮(他)訳『イノベーション・アーキテク

チャー』 2009年、同友館 p.2 Tschirky, H., Sauber ,T. Structured Creativity Formation and Innovation Strategy 2006 New York:Palgrave MacMillan

1 0 一橋イノベーション研究センター編『イノベーション・マネジメント入門』 2001年

75頁、日本経済新聞社

1 1 ibid. 1 2 Rogers, E. M. Diffusion of Innovation 5th ed. 2003 New York: Free Press p.11 1 3 国領二郎 「組織と混沌」組織科学 vol.43,no. l 2009年 39頁

1 4 Taylor, J.C. & D. F.Felten Performance by Design 1993 New York:Prentice・Hall Davis, L. E. & J. C. Taylor(eds) Des培nof Jobs 1972 London:Penguin Books 近藤隆雄監訳『仕事の設計』昭和 53年 建 吊 社

1 5 Thompson,J.D. OrganizationsinAction 1967 New York: McGrow・Hill 1 6 例えば Vence,X.&A.Trigo "D" 1versity of innovation patterns m service

The Service Indust丘'esJournal vol.29,issue12 2009 1 7 Utterback, J.M. & W. J Abernathy "A Dynamic Model of Process and Product

Innovation " OMEGA The International Journal of Management Science vol.3, no.6 1975 Oxford England: Pergamon Press p.641

1 8 ibid. p.642 1 9 榊原清則『イノベーションの収益化』 45頁、 2005年、有斐閣

59

Page 61: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

2 0 ibid. 46頁、および Gatignon,H., M. L. Tushman, W. Smith, and P. Anderson "A Structural Approach to Assessing Innovation Construct Development of Innovation Locus Type, and Characteristics" Management Science vol.48,no.2 2002 pp.1103-1122 なお、ガテイグノンは、イノベーションの技術的側面の分類として、 1.

Locus on innovation (core/peripheral),2.Type of innovation (architectural/generational), 3.Characterics of innovation(competence enhancing/competence destroying)の3つをあげている。

2 1 一橋イノベーション・研究センター op.cit., 5 9頁

2 2 Henderson,R. M. & K .B. Clark'、ArchitecturalInnovation : Reconfiguration of the Existing Product Technologies and the Failure of Established Frims" Administrative Science Quarterlyvol.35,no.l p.87

23 榊原 op.cit.,5 1頁

24玉田俊平太監修 『イノベーションのジレンマ』 32頁 翔泳社、 2001年

Christensen, C.M. The Innovator's Dilemma 1977 Boston :Harvard Business School Press

2 5 Abernathy, W. J. &K. B. Clark "Innovation:Mapping the winds of creative

destruction" Research PoHcy 1985 vol.14, p.8 2 6 ibid. p.12 27 ヘンダーソンとクラークは、先の文献 (20)で、技術に特化した 2軸の分類を提案し

ている。技術のコア・コンセプトを強化するか、変更するか、またコア・コンセプト

と他のコンポーネントの関係を変更するか維持するかの 2軸である。非常に説明力の

ある分類である。

28 一橋イノベーション・研究センター、 op.cit.,77頁

2 9 小川進『イノベーションの発生論理』 2007年、千倉書房、 22頁

3 0 ユーザー・イノベーションの例として、モノ製品ではあるが、東レの「トレシー」があ

る。もともと東レが開発した「超極細繊維の織編構造」を応用した布によって油膜など

を拭き取る工業製品として製造されただが、メガネ拭きに適している事に気づいてメ

ガネ拭きの「トレシー」として販売された。ところがトレシーを洗顔用に使うと、ミ

クロの泡と繊維で毛穴の汚れや古い角質をきれいに取り除けることを発見したユーザ

ーが連絡してきたことによって、洗顔用の「“トレシース”キンケアシリーズ」が登場

した。

3 1 大前恵一朗訳『OpenInnovation』2004年 6頁 産業能率大学出版部

Chesrough, H. Open Innovation 2003 Boston: Harvard Business School Press, 32 小川進 op.cit., 3頁3 3 ibid. 34 碓井誠『セブン・イレプン流サービス・イノベーションの条件』 2009年、日経BP社

163頁

3 5 Vargo,S.L.and RF.Lush "Evolving to New Dominant Logic of Marketing," 2004

Joumal of Marketing, vol.68 no.I 3 6 Vargo, S. L. Presentation to Frontiers in Service Conference (July 1, 2006)

"Service Dominant Logic* Clarifications and Elaborations" 3 7 井関利明の造語

38 井上崇通&村松潤一『サービス・ドミナント・ロジック』 38頁、平成22年

同文館出版

3 9 Sundbo.J.,(2006) op.cit. p.133 4 0 ibid. 2 9 無形性については、 Stauss,B."Service Innovation :Relevance & Theoretical

Discussion "2008 Meiji・daigaku Service Innovation Center p. 6、

60

Page 62: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

共同生産については Spohrer が以下の論文で触れている。 "ServiceSciences, and Engineergin (SSME) and Its Relations to Academic Dischiplines" p.14 Stauss, B.(ed) Service Science 2008 Heidelberg:Springer

42 藤本隆宏『ものづくり経営学』 22・23頁 2007年 光文社

4 3 ibid., 44 例えば、英国産業省の調査。 TheCommunity Innovation Survey, 1995,

Scheuing,E. E. and Johnson E. M. (Eds.) "A Proposed Model for New Service Development", Journal of Service Marketing, 1989 vol. 3, no. 2, pp. 25・34.

4 5 Sundbo J''Management of Innovation in Services" The Sen如eIndustries Journal July 1997 vol 33,no.3 p.432 Kelly, D. and Storey C., の英国企業の調査では、調査対象企業の半数が何らかの開発部

門を有していたが、実際の変革事例では、アイデア生成の大部分がアドホック・ベー

スで行われていた。 "New service development: Initiation Strategies", International Journal of Service Industzy Management, 2000 vol. 11, no. 1, pp. 45・62.

4 6 Stauss op.cit 2008 p. 6、4 7 Sundbo op.cit. p.435 48 古川奈々子訳『すべてのサービスは患者のために』 35頁、マグロウヒル・エデュケー

ション 2009年

Berry, L.&K. D. Seltman Management Lessons From Mayo Clinic 2008 NewYork :McGraw-Hill

4 9 Stauss op.cit., p.13 5 0 "マネジメント・フォーラム:岩田彰一郎”『一橋ビジネスレビュー』 196頁、 2006年、

秋号5 1 ラブロック&ライト著小宮路雅博(監訳)『サービス・マーケティング原理』 2008年

195頁

Lovelock, C. & L. Wright Principles of Service Marketing and Management 2001 New Jersey: Prentice-Hall

5 2 Langeard, E. "La strategie marketing des services aux entreprises" L'action Marketing des Entreprises Indust丘'elles 1981 Paris:ADETEM サービス・システムという概念を最初に提案したのはランジャードであったが、

サービス・サイエンス活動の広がりとともに、 JimSpohrerがこの概念の普及に

力があった。 StaussB(ed) Service Science 2008 Heidelberg:Springer

ジム・スポラー「サービス・サイエンス、マネジメント エンンニア)/グ(SSME)と

他の学問領域との関連」 B.スタウス(他)編『サービス・サイエンスの展開』 2009年

生産性出版

5 3 Sundbo op.cit. p.437 5 4 ibid.p.439 55 碓井誠 op.cit.56小川進 op.cit53~86頁

61

Page 63: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

第3章組織学習の方法論

1 . 経験的組織学習

本論は、「はじめに」で述べているように、サービスの改善・改革のアプローチを数多く

紹介することを目的の一つにしている。第 III部からはその作業に入るが、そのうち、ま

ず経験的な組織学習のアプローチから初めてみたい。

組織学習は態度的な変化であると述べたが、それでは態度とは何であろうか。態度は特

定の対象に対するその人固有の反応だと考えられている。また態度を構成するのは、「認知」、

「感情」、「行動」の 3つ要素であり、その組合せが特定の反応を形づくる。例えば、「原爆」

について、日本人の多くはそれが、ウランやプルトニウムなどの原子核が起こす核分裂に

よって爆発させる核兵器であること、爆発すると大きな被害を与えること、第二次大戦で

広島と長崎に世界で初めて投下されたことなどを知っている(認知)。そうした原爆に対し

て好意的な印象を持っている人は少ないだろう(感情)。それでは原爆についてどんな具体

的な行動を取るか。これは同じ日本人でもさまざまである。積極的に核兵器の廃絶運動に

参加する人もいるし、そうした行動と距離を置く人もいる(行動)。このように、特定の対

象に対する態度は、認知、感情、行動の 3要素の組合せによってさまざまな具体的な様相

を示すのである。

組織学習は、偶然によるキッカケか、それとも計画的に始められたかは別にして、この

3つの要素の一つが変化することを原因にして、他の要素が変化することによって達成さ

れる。仕事上のある工夫が業務の効率をいちじるしく向上することを発見した(認知)あ

る従業員は、それに喜びを感じ動機付けられて(感情)、仕事の上でその発見を頻繁に活用

するかもしれない(行動)。またそのことを仲間や職場集団に話をし、もし職場で広がりを

もてばより大きな効果を生むことになる。(この段階で個人の暗黙知から集団の形式知への

変換が起こったことになる)。

さて、最初に取り上げる組織学習によるサービスの改善・革新アプローチは、接客態度

訓練である。ここでは、従業員の個人の組織学習ではなく、組織的、政策的に決定され、

主に集合訓練の形で複数の従業員に提供されるものについて検討する。サービス関係の改

善・革新のアプローチとしては、わが国では最も広く一般的に実施されており、それはお

辞儀の仕方といったレベルから、業務の遂行においてどのように顧客に対応し、その要求

を充たし、満足を引き出すかといった仕事の遂行能力向上を前提とするものまで広く存在

する。なお、わが国で言う「接客態度」とは先に説明した、認知、感情、行動の要素を含む

統合的行動のモデルとしての態度ではなく、もっぱら外から観察できる表情、身振り、言

葉などで、それが心身の構え(例えば、顧客への尊敬)を表すものと考えられている。変換活

動という目的をもったサービスからすると、この接客態度は、衣服のようにそのコア・サ

ービスを包む装いである\つまりサービス提供での態度要素は、価値生産活動であるサー

ビスに媒介変数としては影響を与えるが、価値生産そのものの中核を構成して対象の変換

62

Page 64: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

に関与する要素ではない、ということである。

(1)接客態度訓練

1) 文化から見た接客態度訓練

わが国ではさまざまのサービス業における「接客訓練」が盛況である。しかし欧米諸国

ではそうではない。ホテルマン教育において世界でトップの教育機関であるスイスのレロ

ッシュ大学2やグリオン大学3またはコーネル大学のホテル経営学部の履修内容を見ても、

日本の接客訓練に当たるものは見あたらない。つまり接客が非常に重要と思われるホテル

業の場合においてもそうなのである。

これは、サービスやホスピタリティの概念とも共通するが、「接客態度」そのものを教育

できると考えている日本と、サービスやホスピタリティは機能または役割であって、接客

態度はその役割を遂行する時の個人的な表現だと見なしている欧米との違いであろう。し

たがって、役割遂行の方法や考え方は教育しても、接客態度そのものは個人の表現にまか

されているのである。

ハーバードのケースでユーロ・ディズニー(現在ではディズニーランド・リゾート・パ

リと呼ぶ)を取り上げたものがあるが、その中に一つのエピソードが入っている。アメリ

力から来たトレーナーが、キャスト(接客従業員)予定者に対して、「ゲストに対するとき

はいつも笑顔で接しなければなりません。さあ、笑顔を見せてください」と言った。する

と若い女性のキャスト予定者の一人が手を挙げてこう答えたという。「よろこんで笑います

よ。でも私を笑わして下さい」。これは本心からでない表面だけの笑顔は偽りだ、という価

値銀の主張である。そもそも「本音と建前」という言葉さえもたない欧米人には表面だけ

をつくろうという発想は難いのだ。その意味で、顧客に接する表面だけの態度を取り上げ

て、それを良くしようという考え方はない。外に現れる態度の下にあり、その表面的な態

度を動かす、ものの見方や価値観といった態度を支える構造的な側面の教育の方が重要だ

と考えているのだと

2)態度訓練と「形式陶冶」の理論

日本の態度教育も表面の形(かたち)だけの教育でいいのか、という批判が予想される

が、日本の態度教育には伝統的な「形式陶冶」の発想が色濃く残っているし、そこに一定

の効果を見る人も少なくない。形式陶冶の理論とは「かたちから心に入る」という発想で

ある。日本の茶道や武道などでは、その意味を教えずに一定のかたちを取得することをま

ず教える。かたちが整って自然に振る舞えるようになれば、おのずからその意味が理解さ

れると考えるのである。この主張にもまったく真実がないとは言えないであろう。特にお

客に対する敬語の使い方などは、日本では対等なレベルでの話し言葉とは大きく離れてい

るので、学習が不可欠である。これも敬語と対等語の差がわが国より少ない英仏語などと

は異なっている。

63

Page 65: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

このような理由からロールプレイングを伴った接客態度訓練など集合訓練の効果は小さ

くないと思われる。しかし、ここでは接客態度訓練を支える基本部分の学習について検討

する。形だけ身につける形式陶冶ではなく、一定の態度を取ることの必要性や正当性を理

解し、できれば価値銀にまで深化させて、自らそれが正しいと思える接客態度を取ること

ができるようになることを目指す組織学習である。

3)接客態度を構成する二重構造

まず、具体的に外にあらわれる表面的な表現上の態度(行動)とそれを支える構造的な

態度(認知と感情)の二つを区別しなければならないり表面的な態度の基底となる望まし

い構造的な態度を、従業員がどのように自分のものにし、内面化することを手助けができ

るかがテーマである。この下部を構成する望ましい構造的な態度が、どのように表面的態

度を支え影響を与えるか、を検討しなければならない。

さて、サービス提供場面で、表現上の態度を作りあげるコミュニケーションの働きを検

討しておこう。そうした働きを前提に接客態度が形成されるからである。

図10 サービス・エンカウンターにおけるコミュニケーションの仕組み

/ふ

I事実に関する記号I1感情に関する記号 1

•—• /

記号変換・解釈フィル

ター

サービス提供者の顧客へのサービス提供場面であるサービス・エンカウンターでは、

2種類の意味情報が相互作用の中味として往復している(単純化するために一対一のダイ

アドの関係を想定する)。(第 10図参照)

64

Page 66: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

一つは、具体的なサービスの授受の内容に関する「事実情報」であり、二つ目はそのサ

ービスの授受にともなう「感情的な意味をもつ情報」である。この二つの情報の量や割合

は、サービス・エンカウンターに機械的な技術がどの程度介入しているかによって異なる。

例えば、インターネットを使った e-ショッピングでは、事実情報が大部分で、感情情報は

少ないであろう。

反対に生身の一対一の対人サービスでは、感情的な情報量は拡大する。例えば、デパー

トに靴を買いに行く場合、値段、デザイン、サイズ、メーカー、色などの事実情報と共に、

従業員のその顧客への暗黙の評価(年齢の推測、性別、得意客か否か、職業などについて

の推測)に基づく感情的な情報も発せられ、それに対して顧客からもその特定の従業員に

対する評価をベースにした感情的な情報が発信される(もっと親切に話せないのかしら、

知識はありそうだけど説明が上手くないわ、この人新入社員かしら、偉ぶってイヤな人ね、

等々)。これら感情的情報は具体的なバーバルな言葉だけでなく、いわゆるパラ言語、つま

り話し方、表情、イントネーションなどでも表現される。つまりこれらが表現上の態度で

ある。なお、表現上の態度は、それが意識されているかどうかは別にして、完全に表現者

のコントロールのもとにあり、相手に対する評価を基礎とする意図を反映する。したがっ

て、同じ事実であっても人によって異なった態度で伝えることができる。例えば、癌の告

知をする場合、医師は、淡々と事務的に述べることもできるし、同情心の溢れた態度で伝

えることもできるのだ。

4) サービス・エンカウンターでの「事実に関する記号」と「感情に関する記号」

第 10図はこうしたサービス・エンカウンターでのサービス提供者と顧客とのやり取り

をコミニュケーション過程として表している。例えば、顧客はデパートの靴売り場で、店

員に声をかけ、自分の欲しい靴を見つけてくれるように頼む。この場合、この顧客の具体

的なニーズは、自分の欲しい靴についての事実的意味情報として存在する。それを顧客は

言葉や身振りなどの記号に変換して店員に伝える(「事実に関する記号))。同時に顧客は相

手についての感情的意味を記号に変えて発信する(「感情に関する記号」)。一方店員は、顧

客が発信した 2種類の記号を受けてこれを解釈し、自分の評価システムの中にインプット

したうえで、今度は顧客の事実的意味に反応して、情報を記号に変えて「事実に関する記

号」を発信する。その中味は、店員の提供できるサービス内容(どんな種類とプランドの

靴があるか、デザインはどうか、サイズはどうか、価格はどうか、等)と意見やアドバイ

スなどなど、ビジネスに関する情報である。

また、店員は顧客の発する「感情に関する記号」に反応しながら、店員の顧客に対する

評価(好みがハッキリしている人だ。センスが良い。感じの良い人だ。価格には厳しい人

だ。上得意になりそうだ。嫌みな人だ、等々)から、まとまりのある感情的な意味を構成

し、それを「感情に関する記号」として発信する。これがいわゆる表現上の「接客態度」

である。この「感情に関する記号」である接客態度は先に述べたように、サービス提供者

65

Page 67: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

の評価と意図によってコントロールされている。

このようにサービス・エンカウンターでは、各々の発信者、受容者から二種類の情報(「事

実に関する記号」と「感情に関する記号」)が発信、受容され、やり取りされることになる。

「事実に関する記号」はサービスそのものの授受(取引)に関係し、「感情に関する記号」

は「事実に関する記号」の発信に付帯して発信されるのだ。この感情的な記号のまとまり

である接客態度は、サービスの授受に付帯してはいるが、別の原理に支配される独立した

心理的活動なのである。

5)接客態度を支配する原理

サービス提供者の表現する接客態度は、感情に関する記号として顧客に示される。顧客

はこの記号を受け取ってそれを変換・解釈フィルターによって解釈し、「感情的意味」とし

て顧客の評価システムに取り込んで、顧客反応を引き起こす。この顧客反応がサービス提

供企業にとって望ましいものでなくてはならない。そうした望ましい顧客反応を引き出せ

る接客態度を常に表現できるようにすること、これが接客態度訓練の目標である。それで

は企業にとって好ましい顧客反応とはどんなものであろうか。

一言でいえばそれは、顧客がその従業員の接客態度に対して好感を生じ、顧客満足を高

め、ひいては顧客ロイヤリティを高めるような反応である。

シュナイダーとボウエンは、サービスの授受の相互作用に影響する顧客側の要因を期待、

欲求、能力の 3つに分けて検討している尺顧客の期待とは「意識的、特定的、表面的、短

期的」であり、顧客が具体的に望む「サービス内容」に対応する(事実に関する情報)。そ

れに対し欲求とは「無意識的、一般的、深層的、長期的」で、生活のなかで人が人間とし

て充たすべき基本的な欲求を指している。(なお最後の能力とは、サービス生産への参加場

面・共同生産における能力を指している)。従業員の接客態度が関係する顧客側の要因は「欲

求」である。この人間としての基本的欲求を接客態度によって充たすことができれば、顧

客の好意と満足感およびロイヤリティを向上させる可能性が生まれる。

シュナイダーとボウエンは、人間として充たすべき基本的な欲求として、次の 3つをあ

げている 70

①安全の欲求

②自尊の欲求

③公平の欲求

サービス提供場面でなぜ安全の欲求が大切なのだろうか。「安全の欲求」とは身体的、心

理的、経済的膏威に脅かされないことであるが、この場合、心理的なものが最も重要であ

る。心理的に安全の欲求が充たされていると、人間はこころが安定し、自分らしく居られ、

無理をすることなしに自分をフルに発揮できる。もし安全の欲求が酋かされる状態にあれ

ば、人間は防衛的になり、萎縮し、自分を発揮できない。通常、サービス・エンカウンタ

ー場面では、顧客は自分の期待通りのサービスが受けられるかどうか多少の不安を抱く。

66

Page 68: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

それはサービスの特徴から来る当然の反応である。初めて入る床屋や外国のレストランで

まったく平静に振る舞える人は少ないだろう。自然に生まれてくる緊張感を克服しようと

努めるにちがいない。顧客のそうした状態に対して、提供側が、暖かく共感的で、親しみ

のある態度を示せば、顧客の不安は大きく低減する。これは顧客との基本的なラポール(絆)

を架ける作業なのだ。

「自尊の欲求」は、適切に充たすことができれば、顧客の前向きな姿勢を引き出すこと

ができる。しかし自尊心を傷つければ、顧客は決定的に敵対的になる。時としてわれわれ

は忘れがちになるが、この自尊心はだれもが持っている。たとえ小さな子供でも、親が理

不尽に怒ったりすると、徹底的に反抗する。

お客がたとえ無知であったり、失敗をしてもそれを直接的に指摘するべきではない。そ

の意味でお客と議論をしてはならない。顧客が知らなかったり、不適切な行動を取った場

合の対応は高度の人間関係能力が求められる。教える姿勢は事態を悪化するから、顧客の

主張をいったん受け入れて、事実を簡潔に伝えて、判断をお客に任せる態度が求められる。

基本原則は、顧客を大勢の客の一人として扱うのではなく、一人の大切な個人として対応

するのである。こうした気持ちが伝われば、自尊心の関係する難しい局面でも打開できる。

三番目の「公平の欲求」も人間関係では基本的なものである。公平感はサービスの評価

に大きく影響する。例えば、解決が難しいことの多い苦情対応の場面でも公平感は媒介変

数として作用し、企業による苦情の処理が、苦情を申し立てた顧客にとって公平だと感じ

られると解決は早い尺たとえ結果が期待通りでなくて十分な満足が得られなくても、企業

の対応活動が公平なら納得が得られる場合が多いのだ。反対に他の顧客に比べ自分への対

応が不十分で、結果が思わしくなければ、大きな不満を生じるであろう。不公平な扱いは

客の自尊心もまた傷つけることになる。

公平な扱いについて留意しなければならないのは、上得意客を他の顧客の前でどう扱う

かという問題である。上得意客であれば、ある程度の特別扱いが必要な場面もあるだろう

が、他の客の前でのあからさまな特別扱いは下品だし、他の顧客の不快感を生む可能性が

ある。だから得意客の名前を呼んで対応するというぐらいの区別が丁度良い。名前を呼ぶ

ことで、他の客にも得意客なのだな、という情報が提供されるからである。

こうした 3つの基本的な欲求の充足に加えて、あと二つ基本的と思われる接客態度につ

いて触れてみたい尺

④顧客の立場に立って、顧客の視点から考えて接する。

⑤礼儀正しく、ていねいな言葉使いをする。

「顧客の立場に立つ」というのは、「顧客志向(Customerfocus)の態度」の姿勢である。

その特定の顧客の気持ちを大事にし、その人の固有のユニークな欲求構造に応えることで

ある。こうした態度は他の 4つの基本的な態度の基盤をなすものである。このような態度

に必要な能力は、他人への共感性と想像力であろう。本当にその顧客の立場に立てること、

これは究極のサービスのあり方である。

67

Page 69: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

最後は「礼儀と言葉使い」についてである。サービスの授受関係はそれがビジネスであ

れ、行政サービスの提供であれ、言わば、受容する権利のある人に対する提供であるから

ていねいな言葉使いは当然である。したがって顧客に対して友達または目下の者に対する

ような言葉使いはどんな場合でも避けねばならない。(現在でも、医師の一部にはこうした

時代錯誤の人が残っている)。最悪でも相手と同じ、対等な言葉使いに改めるべきだ。

ただこの点で誤解すべきでないのは、サービス提供者はべつに身分的に下位者ではない

ということだ。かって、サービスという言葉が誕生した時代には、社会が階層化されてい

て、社会的慣習としてそうした上下関係が成立していた。しかし現代は、言わばビジネス

上のウィンウィンの取引関係(商品を提供し、代金を受け取る)であって、なにも身分的

に下なのではない。サービスの提供と受容は対等な役割関係なのだ10。対等ではあるが、

愛顧を示して購入してくれる決定権を持つ者への敬意を表すために丁寧な言葉を使うとい

う社会慣習に基づくものだ。(欧米では、小売店や飲食店で、お客の方も軽くお礼の言葉を

述べるのが普通に見かける習慣である)。

サービス提供における言葉使いについてもう一つ加えるべきなのは、業界用語について

である。業界用語は業界内の特別な言葉使いであるから、絶対に顧客に対して使ってはな

らない。業界用語を使って専門家ぶって顧客に話すのは、品位がないとしか言えない。客

の知らない専門用語を使って優位に立ちたいというのは愚かな発想である。また専門用語

を使われて意味がわからない顧客は自尊心を傷つけられることになる。

ここで述べたサービス提供者の姿勢や顧客欲求への対応が望ましい接客態度である。な

お、接客態度訓練で提供されるのは体系だった知識や技能ではない。それは、どちらかと

言えば、理解、理念、価値観といった、顧客との相互作用において表現されるもの価値で

ある。つまり、内実は「顧客第一主義」の文化である。

望ましい接客態度の原理は、(順番を変えて)もう一度列挙すれば、

①顧客の立場に立って、顧客視点から考え、接する。

②礼儀正しい、ていねいな言葉を使う。

③顧客の安心感を高める。

④顧客の自尊心を尊重する。

⑤どの顧客にも公平に接する。

の5つである。顧客にこうした態度で接することで、顧客の基本的な欲求が充たされ、顧

客とサービス提供者との間に良い関係がつくられ、そうした士台が整備されることで、顧

客は本来の目的であるサービスの購入と受容という活動に十全な態勢で向かうことができ

る。望ましい接客態度とはビジネスの前提となる土台作りなのだ。

2 サービス・マネジメント理論による組織学習

次はサービス・マネジメント理論に基づく組織学習である。ここでの目標は、サービス

68

Page 70: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

の機能や働きをより深く理解することによって、適切なサービス商品のデザイン、サービ

ス提供のシステムや仕組みのデザイン、またサービスの生産と消費に関連するより適切な

経営的意思決定を、主に中間管理者層以上の人々が行うことによって、サービス経営の効

果性と効率性を高めることである。

(1) 顧客満足とサービス品質

1)顧客満足はなぜ重要か

そもそもサービス・ビジネスにおいて、顧客を満足させることを目指すのは当然のこと

である。顧客は、提供されたサービスの質が自分の要求や好みに合っているかどうかの判

断をし、その支持が長期的なビジネスの成功を左右するからである。それ故、企業経営者

は、顧客の期待とサービスの生産を一致させ、顧客を満足させる努力を続けなければなら

ない。これまでも、顧客の望むものを充たす、という前提で製品がつくられ、また盛んに

調査も行われた。だが、そうした活動は必ずしも成功を収めてこなかった。

しかし最近の研究によれば、顧客満足に対して、かなりの程度、企業側の努力によって

影響を与えることができるし、サービス生産についての認知や期待についてもコントロー

ルできることが分かってきている 11。そうであるならば、顧客満足について十分に理解し、

それを高める仕組みやシステムを工夫することは非常に重要な課題である。

2) 満足の構造

一般的に「顧客満足」とは特定の欲求が充たされた状態を指す。購買行動のように目的

がハッキリしている場合には、顧客は、活性化された欲求が充たされることを望み、その

目的の実現した状態を予測して行動することになる。この願望と予測が混じったものが「期

待」である。こうした、期待が意識されている目的的行動における満足感は、期待が評価

基準となって、現実に実現した成果についての知覚と対比されることで形成される。

つまり、サービスにおける顧客満足とは、サービスの受容者が、そのサービス生産に関

する実際の認知と、サービス提供についての事前期待とを対比して得た評価結果である 12 0

第 11図顧客満足の構図 13

期待ー→~サービス生産ー→ 知覚ー→満足

‘‘ `

一一一------一一一

ヽ;

対比

ここで、サービス生産における実際の経験についての知覚と事前期待を対比して、期待

と知覚が一致すれば、顧客は満足を感じる。もし知覚が期待を越えれば、満足感はデライ

69

Page 71: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ト(喜びや大満足)となり、期待と一致せずそれを下回れば不満足を感じることになる。

さて、この顧客満足の仕組みの背景にあって、関係する要因に影響を与えるのはサービ

ス品質である。サービス品質では、企業のマーケティング活動、ロコミ、また顧客の前回

の経験などさまざまなルートを通って期待が形成され、またサービス生産の結果が評価さ

れることで、直接、顧客のサービス品質の実際値の知覚が形成される。

3)サービス品質と満足感

サービス品質は、消費者が抱くそのサービスについての相対的な優位性や劣位性につい

ての全体的な印象である 14。それは顧客の期待やサービスの知覚の形成に影響を与えるが、

提供されたサービスに対する評価という点で顧客満足と近接した概念である。最近の実証

的研究によってその差異や機能が明らかになっているが 15、それらをまとめると次の通り

である。

①サービス品質とサービス満足は別個の顧客反応である。

②サービス品質の判断はサービスの特定の側面(例えば提供の迅速さ)に基礎を置く

が、サービス満足は全体的な印象である。

③品質についての期待は、顧客がいだいている理想やあるべき基準に基づくが、満足感

はもっとさまざまな複合的な要因(例えば感情や利害)が影響する。

④満足感は具体的な経験に基づくが、品質はより論理的、理性的判断である。

特定のサービス経験の後に、品質の判断が満足感に先行するか、それとも満足感が先な

のかについては議論が分かれている。上で引用したテイラー等の研究では、共に影響し合

うが、どちらが原因なのかという関係にはないという結論である 16。また重要な事実は、

共に 2回目以降の購買意欲の形成に強く影響するということである。いずれにしても、サ

ービス品質が満足感とこのような関係にあるなら、顧客満足を高めるために取り組むべき

課題はまず、サービス品質の向上だということになる。

4)期待と知覚の間のミスマッチ

サービスについての顧客の期待や事後の知覚を理解することは、顧客の求めるサービス

商品の内容を適切に決定し、望ましいサービス品質を計画し、サービスを適切なコストで

生産するために不可欠な情報である。

このように、経営者や管理者は、顧客の期待についての知覚とサービス生産の実体を把

握する必要があるが、図 12は期待や知覚、サービス生産の間に起こりうるミスマッチを

説明している。

経営者や管理者は顧客の期待を正確に理解し、期待に応えるサービス生産を行わなく

てはならない。しかし図 12が示すようなギャップが生じて、悪い影響を与える可能性が

ある。ギャップ 1は、いくつかの理由で起きる。まずサービスが適切にデザインされてい

ない。これは顧客の期待を管理者が正確に把握していないからである。また、適切なサー

ビス生産に必要な資源が十分に得られないからかもしれない(資金や調達の問題)。また顧

客が不適切な期待を抱いているからかもしれない(マーケティングの不適切さや過去の貧

70

Page 72: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

弱なサービス提供の結果) 1 7 0

ギャップ2は、不適切なサービス生産か、顧客の不適切な知覚から生じることになる。

不適切なサービス生産は、資源が十分でなかったり、従業員のモチベーションが低すぎた

りすることから起きる(調達や人的資源管理の問題)。顧客の不適切な知覚は、不適切なマ

ーケティング活動で顧客が高すぎる期待を抱いたり、顧客がその人独自の不合理な方法で

図 12 期待や知覚との間のミスマッチ 18

ギャップ 1 ギャップ2

, ----ヽ/,-----、 ,ヽ,,/'

期待ー→ サービス生産ー→ 知覚一→ 満足

--------------------------------------------------

ミスマッチ

評価することの結果であるかもしれない。顧客は自分自身の経験のフィルターを通して判

断するために、自分が関心を持つことを優先して観察したり、自分の信念や偏見から情報

を集めたりする。(しかし一方、サービス組織では、「顧客が知覚したものが真実である」

という原則があることも忘れてはならない。)サービス品質の向上に努力し、愚直に質の高

いサービスの提供を続けることが長期的な成功の基礎である。

5)顧客の期待

先に見たように、期待がサービス生産の水準にちょうど一致するか、生産が期待を少し

越えるようにコントロールすることは、サービス組織の経営者や管理者にとっての重大な

挑戦である。そのためには顧客期待の構造と機能を理解する必要がある。

期待は、これから提供される特定のサービス内容についての主観的な予想であるが、そ

れは以下の「理想的(ideal)」なものから「耐えられない (intolerable)」まで 6つのレベ

ルで考えることができる 19 0

①理想的 (ideal): 条件なしに最上の水準

②可能な範囲で理想的 (idealfeasible) : ある価格帯や特定の業種・業態において実

現されるべき最上の水準

③望ましい (desirable): 顧客が受容したいと望む標準的水準

④受容すべき (deserved): ある価格帯で、顧客が受けるべきだと考えている水準

⑤最低限耐えられる (minimumtolerable) : 受け入れられる最低限の水準

⑥耐えられない (intolerable): 受容すべきでない劣悪水準

71

Page 73: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

期待は、普通、ある幅で存在するが、通常の期待の幅とは顧客がこれまでの経験や情報

から「起きるべきだ(should)」と考えている水準と実際に「起こるかもしれない (will)」

と思っている水準が持つ幅である。

この幅をもった期待の範囲を「許容できる範囲」と呼ぶ20。それは上の連続線上では、

③の「望ましい水準」の下から⑤の「最低限耐えられる水準」の上までの範囲で、④の「受

容すべき範囲」を主な内容とするものであると考えられる。

通常、顧客は、特定のサービス商品の購入を計画したり決定したりすると、そのサービ

スについての「許容できる範囲」を期待の内容とする。それはくり返せば、その特定のサ

ービスの具体的予測水準(will水準)を下位線とし、起こるべきだという願望の水準(should

水準)を上位線とする「当然受けるべき範囲」だからである。また先に触れたように、これ

らは顧客が主銀的に判断するものであるから、同じサービス商品であっても状況や条件に

よって、その幅や主銀的評価の 6つのレベルのどこに位置付けられるかが変化する(例え

ば、急いでいる時には電車の遅れが気になって、そのため許容できる範囲の幅は狭まる)。

図 13 許容できる範囲

I当然起こるべきだという水準」以上の範囲

受け入れら

れない範囲

理想水準

受容すべき水準

(shouldとwil1の間)

耐えられない水準

6)「許容できる範囲(Zoneof to I erance)」の影響

「許容できる範囲」の持つ重要性は、顧客はこの範囲にはいるサービスについては、そ

のまま受け入れて、たとえ品質がこの幅の範囲内で上下しようともほとんど認知しない、

(気がつかない)ということである。顧客が認知し問題にするのは、提供されるサービス

品質がこの範囲を上回ったり(満足)、下回ったり(不満)する場合である。われわれの日

常生活では、利用するサービスについて、とりわけ満足したり不満をもったりすることは

少ないが、その理由は日常のサービス消費がこの許容できる範囲に入っていて、意識に上

がってこないからである。

この許容できる範囲の幅は、利用しているサービスに対して顧客がどの程度、関心を払

72

Page 74: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

いコミットしているかによって変化する。筆者が現在籍をおいている大学院は専門職大学

院であるが、大部分の学生は社会人として仕事を持っており、週日の夜間と土曜日に授業

を受ける。仕事の忙しい合間を縫っての授業であり授業料もかなり高額なので、学生達の

授業に向かう姿勢は真剣である。つまり学生達の授業への心理的関与(インボルプメント)

とコミットメントは高く、教師も適当に授業することは許されない。つまり学生にとって

大学院授業の許容できる範囲はかなり狭いということになる。つまり許容できる範囲の幅

は、顧客のそのサービスに与えている重要度や必要なコストの高さが影響するのである。

7)期待に影響する要因

顧客の期待に影響する要因にはさまざまある。しかしそうした要因には、企業が働きか

けられるものと、まったく働きかけられないものとがある。働きかけられる要因について

は、企業は、自社が設定している顧客ターゲットとサービス商品に適合的な期待を顧客が

抱くことができるように、各要因の特徴を踏まえた対策を立案すべきである。

A. 企業が働きかけられる要因

a価格:価格が高ければ、「理想」を最上位とする連続線上の上位の方向に期待が高

まる。期待に影響する要因の内、最も影響力の強い重要な要因。

b. マーケティング:サービスのイメージやプランド作り、また宣伝やキャンペーンに

よって、期待の高さにかなり影響することができる。しかしコストがかかる

ので企業が望む適切な期待水準に誘導するのはなかなか難しい。

c過去の経験:過去の経験は次回の経験への期待をかなり明確に形づくることが

できる。その意味で、最初のサービス経験の質を高めることができれば、正

確で高い期待の形成に役立たせることができる。

d顧客の企業への印象や態度:顧客の企業ついての印象や態度が良好なものならば、

期待はまず、比較的広い「許容される範囲」内に位置付けられよう。しかし

印象や態度が非好意的なものなら、「許容される範囲」の幅は狭まり、かつ

高まるかもしれない。

B. 企業が働きかけにくい要因

e. ロコミ:顧客の期待に大きな影響を与える重要な要因である。企業は良いロコミ

が確保できるような日常的努力を怠るべきではない。

f他の利用可能なサービス:他の組織で同種のサービス経験すると、それがわが社の

サービス商品の期待形成に影響を与えることが多い。

8)期待の具体的内容を把握する

それでは、経営者や管理者は、自社のサービス商品を計画する場合、どのように顧客の

期待の具体的内容に関する情報を得たらよいのだろうか。近年、この側面に関する研究は

進んできているが、一つの方法は、サーブクアル (SERVQUAL2 1) を始めとする顧客によ

るサービス品質調査の内容から顧客の期待するサービス品質内容を特定する方法である。

よく知られているように、サーブクアルのサービス品質項目は、信頼性、確信性、反応

73

Page 75: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

性、共感性、物的要素の 5つであり、それらが総合的サービスを構成する要素と考えられ

ている。実際に特定のサービス産業を調査すれば、こうした 5つの項目に属する具体的な

要素も明らかにすることができるが、調査項目がたった 5つでは、抽象度が高くなって、

操作的な定義を作り上げるのがむずかしい。サービス品質の項目とは、ある特定の水準で

顧客に提供される必要のあるサービスの特徴であって、顧客の期待はそうした各々の特徴

表4 サービス品質要素

1) アクセス:サービス提供場所・機会へ接近しやすいこと。

2)美的な要素:サービスを構成する要素の外観、状況、雰囲気などが感覚的に好まし

いこと。(施設、備品、人材、環境などについて)

3) 注意と援助:顧客に関心と注意を払い、援助に積極的なこと

4)利用可能性:人材や物的備品などが質・量ともに十分なこと。

5)世話(ケア):顧客への配慮、共感性、忍耐など対応が感情的に快適なこと。

6)清潔:サービス施設や環境、設備、人材などが清潔なこと。

7)安楽性:物的なサービス環境や施設が快適なこと。

8)熱意:サービス提供スタッフが熱心に仕事へ取り組んでいること。

9) コミュニケーション:顧客との対話、書面での情報提供などのコミュニケーション

について、分かりやすく、迅速明快で、正確なこと。

1 0)能力:従業員が技術、知識などサービスの遂行にかんして高い能力と専門性を持

ていること。

1 1)礼儀:顧客に対し丁重で、礼儀にかなった対応ができること。

1 2)柔軟性:顧客のニーズに応えるために、サービスや製品の内容が変更でき、柔軟に

対応できること。

1 3)友好性:温かく、近づきやすい姿勢で、顧客を歓迎している態度。

1 4)機能性:サービスの目的にそくした人的対応と物的施設や道具の質の高さ

1 5)統一性:サービス組織が顧客に示す正義、正直、公正、信頼など道義性の高さ。

1 6)信頼性:サービス人材、施設、道具などの信頼性と一貫性。時間的な正確さや

顧客との約束の履行などサービスの結果への信頼。

1 7)反応性:サービス提供の迅速性やタイミングの良さ。待たせず必要な時に。

1 8)安全性:サービス提供時の顧客の個人的な安全性の確保。プライバシーの保護。

(Johnston,B. "The determinants of service quality:satisfiers and disatisfiers" International

Journals of Service Industry Management 1995 vol.6 no.5 p.14)

に対して構成されるからである。

そこで、経営者や管理者にとってもう少し具体的で利用しやすいサービス品質項目(サ

74

Page 76: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ービス品質要素)として、ジョンストンは表4のように 18のサービス品質要素をまとめ

ている 22。(これらはいわば、サーブクアルの 5つの品質項目をより細目に分解したもので

ある)。

個々のサービス提供場面でのこうしたサービス品質要素の重要性や影響の大きさは、個

別のサービスの種類、顧客の特徴、サービスやサービス組織のイメージなどによって異な

ってくる。しかし、くり返せば、経営者や管理者が、自分たちが提供しているサービスに

ついて、こうした品質要素について、顧客がどのような期待を作り上げているのかを知る

ことは非常に重要である。こうした情報を理解することが、第 11図で示した期待とサー

ビス生産とのギャップ 1を埋めることにつながり、また生産と知覚との間のギャップ2に

ついてもより正確な見通しを立てることができるからである。

9)サービス品質要素のなかの衛生要因と満足度要因

さて、ジョンストンの研究によれば、こうしたサービス品質要素は、その特徴によって、

顧客満足に関して異なった反応を起こすことが分かっている 23 0

人や組織によって異なることはあるが、多くの場合、これらのサービス品質要素は、顧

客を喜ばせたり、不満を感じさせたりすることにおいて異なった能力を持っているのだ。

図13 2 4はその能力の違いをまとめたものである。

①衛生要因:そうした品質要素が存在すれば、顧客の満足感を許容の範囲に置くが、

もし存在しなければ不満を生む要素。例えば、特定の銀行に安全性や統一

性、確実性が存在しなければ、顧客の大きな不満の原因となるだろう。し

かし、安全性や統一性が高いからといって、大きな満足感は生まない(衛

生要因という名称は、衛生状態が悪ければ問題だが、良くても当たり前で、

特に大きな満足にはつながらない、というところから来ている。元は F.ハ

ーツバグが動機付けの研究で使った言葉25)。

②満足要因:存在すれば、顧客を満足させるが、存在しなくてもとりわけ大きな不満

要素とはならないもの。例えば、銀行員の心のこもった親切な対応は、顧

客を喜ばせる(ディライト)であろうが、それが無いからといって顧客は

とわけ大きな不満を感じることはない。

③両義性要因:顧客を満足させたり不満を感じさせたりする要因。両方の可能性をも

つもの。銀行員の反応性、能力やコミュニケーションの良好さは、もし、

それが、許容できる範囲に入っていれば不満の原因にはならない。しかし、

もしその範囲を超えるものなら大きな満足を生み、下回れば不満の原因と

なる。

④中立要因:大きな満足感にも強い不満感にもつながらない。許容できる範囲に

入っていれば、それらの項目を使って顧客満足の向上を図る必要の

ない要因。

経営者・管理者は、「衛生要因」に属するサービス品質要素については、顧客の許容でき

75

Page 77: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

る範囲を下回らないことが重要である。もし下回れば、それが顧客の不満を引き起こし、

ネガティブな態度を取らせる可能性があるからである。「満足要因」については、このグル

ープに属するすべての要因について大きな改善を求める必要はない。この内の一つか二つ

の要因について、特に高い品質を確保することで顧客の大きなディライトを獲得できるか

らである。

また「両義性要因」については対応に注意が必要である。まず、どの項目についても許

容できる範囲に入っていなければならない。その上で、特定項目の高度化を図るのが良い

戦略であろう。「中立要因」については前に触れたように、許容できる範囲に入れておくこ

とが重要である。

図 14 サービス品質要素の特徴

菖い

不満足を生む可能性

低い

(衛生要因) (両義性要因)

•利用可能性 ・反応性・信頼性 ・コミュニケーション・統一性 ・能力・機能性•安全性

(中立要因) (満足要因)

•安楽性 ・注意と援助・美的な要素 ・世話(ケア)

・友好性・礼儀・柔軟性

ディライトを生む

可能性

(Johnston,B. "The determinants of service quality:satisfiers and disatisfiers"

International Journals of Service Industry Management

低い 富い

1995 vol.6 no.5 p.15)

1 0)全体的満足と個別満足

顧客満足はサービス提供の個別の段階に関するものと、そのサービス提供全体に関する

ものを区別しなければならない。例えば、出張でホテルに一泊した場合、その全体的な経

験についての評価とホテルにおける個別の経験、(レセプション、部屋、周囲の環境、

76

Page 78: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ホテルのレストラン、等々)についての評価の両方がある。経営者・管理者は、個別の経

験での満足感の確保に配慮する(サービス生産過程での満足)と共に、そうした個別の経

験の集積としての総合的満足感の両方に配慮しなくてはならない。顧客からすると、前者

はそのホテルに滞在中のさまざまの個々の経験に関する満足感であり、後者はその全体的

なサービス商品が今回の購入ではどう評価できるかという問題である。個別の経験の満足

感、は顧客がそれに与える重要度が掛け合わされたうえで、集計されて総合満足感になる。

1 1)顧客満足度情報の活用

経営者・管理者は、図 11で触れた二つのギャップ、つまり顧客の期待とサービス生産

とのギャップおよびサービス生産と顧客知覚とのギャップの二つを可能なかぎり埋める努

力をしなければならない。顧客満足度情報はそのための貴重な情報である。(なお、産業界

では、全体組織を対象とする満足度調査を行ってはいるが、個別のサービス商品やサービ

ス過程の調査を行っていない場合が多いようである。これはまったく経費の無駄遣いであ

って、調査のための調査としか言いようがない。具体的なサービス過程の情報を抜きにし

てはサービス品質の改善情報とすることは不可能だからである)。

大規模で定期的な顧客満足度調査を実施するか、または表 1の18のサービス品質要素

に基づく簡単な質問紙調査を行うかは別にして、顧客と提供しているサービスの実態につ

いての情報を確保しなければならない。なぜならそうした情報を抜きにしては、現在位置

を知らずに航海している船のようなもので、目的地に到着することもできない。(なお、こ

こでのサービスの実態は、顧客の目に映った実態であって、客観的なものではない。顧客

の評価するものが真実である。あくまで顧客視点に基づく評価を基盤にすべきである。)

例えば、戦略を立てて顧客ターゲットと提供するサービス品質を定めている場合、もし大

部分の顧客を満足させ、適当なリヒ°ート率でビジネスを広く展開しようと思えば、衛生要

因で失敗しないようにサービス生産に注意しなければならない。満足要因はとりわけ必要

ではなく、顧客が許容できる範囲をなるべく広く設定できるように、顧客の期待を適切な

マーケティング(ほどほどの価格、中位の品質、安定した供給)で誘導し、サービス生産

過程が安定するように監視することになる。

また顧客がディライト(大満足)を経験することを狙う組織(例えば、有名なホテル、

料亭、テーマパークなど)では、許容できる範囲をなるべく狭くして、サービス経験がそ

うした範囲を超える可能性を高める戦略をとることになる。

期待の形成にはさまざまなキュー(手がかり)を顧客に提供することが大切である。フ

ァースト・フッドのレストランでは、プラスティックの椅子や単純や装飾で機能性を訴え

る。他方、高級なレストランでは、テーブルに白いクロスをかけ、ろうそくに火をつけて

雰囲気を強調する。こうした物的なキューを、顧客がサービス品質の手がかりとして使う

ことは広く行われている。これらも期待と許容できる範囲の高さと幅を決めることに役立

からである。

77

Page 79: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

(2) カスタマー・ロイヤリティとサービス・プロフィット・チェーン

顧客満足の考え方は、顧客満足そのものをどう捉えるかは別にして、マーケティング研

究の発展の過程で中心的な位置を占めてきた 26。またサービス品質の研究もサービス・マ

ーケティング研究における中心的なテーマであった27。しかし長い間、顧客満足もサービ

ス品質もそれらを向上することが重要だと当然のように受け取られていて、それらの向上

が実務的な具体的な成果(例えば企業収益)とどのように関連するかが今ひとつ明確でな

く、隔靴掻痒の感が否めなかった。しかし、ここ 10年ほどの間に理論と実務的な成果と

の関係についても研究が進すみ、説明力のある議論が行われるようになってきている。本

論は、サービス組織の効果性と効率性を高めるサービスの改善・改革のアプローチに焦点

をあてている。したがって、顧客満足の向上が企業の収益の拡大やコスト削減にどのよう

につながっていくのかは重大な検討課題である。

1)サービス・プロフィット・チェーン

サービス・マーケティングの研究領域で、顧客満足とその他の組織要因をつなげて、最

終的な成果としての売上高や利益率までの関連性を検討した最初のモデルはハーバードの

サービス研究グループが提案したサービス・プロフィット・チェーン28の考え方であった。

図 15 サービス・プロフィット・チェーン

サーピス・プロフィットの連鎖 (ServiceProfit Chain)

内部

サービ

ス品質

・職場設計・職務設計

従業員

満足

・従業員の選考と訓練・従業員報酬と認知・顧客サービスの支援

従業員

ロイヤ

リティ

従業員

モチ

ベー

ション

外部

サービ

ス価値

サービス・コンセブト(顧客に

顧客

満足

顧客

-> Iロイヤ

リティ

・顧客保持率・くり返される取

・くちコミ

とって 狙った霞客層のの結果) 欲求を充たす

サービスの

デザインと生産

売上額の

増加

,1.L.Heskeはandothe1-s, Puはingthe Se1-vice・Profit Chain to WorkHBR M紅 ch-April,1994)

78

Page 80: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

サービス・プロフィット・チェーンは、図 15のような枠組みをもっている。左から右

への原因一結果の因果関連の中で影響が伝播し、最終的に売上額の増加と利益率の向上へ

到達するように図示されている。四角で囲まれているのが取り上げる組織要因である。矢

印が因果関連を表しているから、各々の矢印の関係が本当にそれらの結果を生じるかどう

かについて検証が必要となる。

まず、最初に顧客満足と顧客ロイヤリティ、および経済的成果との関連性を検討してみ

よう。

2)顧客ロイヤリティ

顧客ロイヤリティの概念は、「市場シェア第一主義」が疑われ始めてから登場することに

なった。「市場シェア」とは、企業の商品が、その商品カテゴリーの市場での総販売量に占

める割合のことだが、一定以上のシェアを獲得すると、規模の経済と経験効果からコスト

が下がり競争力が増大する。この考え方は、 1960年代以降の経済の高度成長期には適した

戦略であり、 PIMSの研究成果29の支持もあって、多くの信奉者を得た重要な戦略的な発想

であった。しかし、経済の拡張期が終わると、過剰設備と過当競争の問題が発生し市場シ

ェアの発想は終わりを告げた。

替わって登場したのが「財布シェア」の発想である 30。これは個人の財布の中味のシェ

アを問題にする。つまりある人の財布の中身の総額に対して、特定の商品に使われた金額

の割合(シェア)である。もしある人が何度も同じ商品を購入すれば、一定期間でのその

商品につての財布シェアは高くなる。つまり、財布シェアの拡大を重視することはリヒ°—

ト購入の重視と同じである。

この発想の前提には、「同じ一回の取引でも、初回と再購入は利益率が違う」という研究

結果がある 31。その根拠は、二回目以降の購入では、宣伝、説明、取引費用、顧客データ

などが不要になることで、コストが下がるということだ。つまり新規顧客では費用がかか

り、リピート客はコストが低い分だけ有利になるということである。フォーラム・コーポ

レイションの調査によると顧客維持の費用は新規顧客獲得費用の 5分の 1にすぎない、と

いうことだ。

結局、顧客の継続購買を確保することが企業の経済的成果の向上につながる道だという

主張であり、その継続購買を行う顧客の態度的特性が顧客ロイヤリティである。顧客ロイ

ャリティとは、同一のサービス企業から a.リピート購入を行い、そのサービス企業へ b.好

意的な態度的指向性を保持し、 c当該サービスの購入の必要性が生じた時に、その企業のサ

ービス商品を唯一の、または最初の購買選択肢とするという態度的傾向のことである 32 0

顧客は、特定の商品に対して、非常に高いロイヤリティからほとんどロイヤリティを感じ

ない場合までさまざまの水準のロイヤリティを示す。

また、この顧客ロイヤリティは, a顧客満足度が高い場合、 b.スイッチング・コストが高

い場合、および C社会的絆が関係者の間に作られている場合にしつかりと形成される 33 0

79

Page 81: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

「スイッチング・コスト」とは、取引企業を変更しなければならない場合に生じる、金銭

的、時間的、精神的コストのことで、例えば、特定企業の提供してくれる資材が特殊で必

要不可欠であるために、たとえ他の理由でその企業から離れたくても離脱できない状況の

説明などに使われる。この場合には、スイッチング・コストが高すぎて離れられないとい

うことになる。

ビジネスにおける「社会的絆」の重要性はしばしば強調されてきた。しかし、それがど

の程度影響力を発揮するかは、その環境となる社会の人間関係に関する文化的な条件を反

映するであろう。日本ではかって社会的絆が非常に重視され、接待が横行していたが、職

場や家族といった周辺の文化的インフラが個人化の方向へ変化するにつれて影響力が低下

しているように思われる。

顧客ロイヤリティの形成に最も強い影響力をもつのは顧客満足度である。その二つの関

係はなだらかな相関関係ではなく、満足度にかなりの強度がある場合に初めて影響力が発

生する。ゼロックスの顧客満足についての 5段階スケールを使った意識調査において、 5

をつけた顧客グループと 4をつけた顧客グループの再購入率の差が 6倍であったという事

実はよく知られている 34 0

経済的成果との強い関係を示すことのできる顧客ロイヤリティの調査方法をライクヘル

ドが以下のように提案している 35 0

図 16 顧客ロイヤリティの測定

究極の質問: 「友人や同僚にこのサービスの利用を勧めますか?」

Detractor Promoter

/ 1-2一 3一 4一 5―6―7―8一 9―10

「まったくしない」 「必ずする」

公式: ネット・プロモータ・スコア (NPS) = Promoterの%ー Detractorの%

この顧客ロイヤリティの公式は、基本的にはゼロックスの調査結果で示されたものと同

じ主旨のものである。ライクヘルドの公式では、「友人や同僚にこのサービスを勧めます

か?」という質問に対する回答を 10段階調査で行い、その 9と10だけをプロモーター

とし、 6以下をデトラクターと呼んでいる。このプロモーターが占める割合からデトラク

ターの占める割合を差し引いて、これをネット・プロモーター・スコアと名付け、このス

コアが顧客ロイヤリティを計る究極の指標だとしている。

要するに当該企業の顧客の内、極端に高いロイヤリティを示した顧客の割合を指標とし

80

Page 82: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ているのだ。ライクヘルドはこの調査を十数業種400社の顧客 1万から 1.5万人について

四半期ごと 2年間にわたって調査している。その結果、このネットプロモーター・スコア

が各業界で高い企業は例外なく成長率もトップであることが示された。イーベイ、アマゾ

ン・コム、 USAAなどは NPSが75%~80%の数字を示したという。実際の利益率はその時

の景気やイノベーションヘの取組み効果なども影響するが、結局、顧客ロイヤリティは経

済的成果を達成するための必要条件だと主張しているわけである。

3)顧客価値

これまで、企業の収益に直接影響を与える顧客側の条件として顧客ロイヤリティを検討

し、その先行要因である顧客満足とその基盤であるサービス品質を取り上げた。次は、サ

ービス・プロフィット・チェーンにおいて、顧客満足に先立つ意思決定の条件である顧客価

値についてである。人は製品やサービス商品の購入を決定する場合、その商品の顧客価値

について検討する。顧客価値とは、その商品のもつ魅力と、それを入手するために払わね

ばならぬコストとの対比で決まってくる。購入希望者の資源利用可能性を考慮したその商

品の魅力の大きさである。

世界一周クルーズで有名な飛鳥 IIは、 2011年のクルーズを 4月3日横浜港の出港から開

始した。 7月 14日に横浜に帰港し全部で 10 3日間の船旅である。費用は、三百九十万

円から二千二百五十万円まで客室のタイプによって異なり、寄港する国は 20カ国にのぼ

る(なお 2012年度から価格と期間は変更になった)。

さて、今年、ある中堅企業の役員を辞めるつもりの A氏は、飛鳥の世界一周クルーズで、

世界遺産を効率よく見て回るのが、この数年温めてきた夢だった。彼は今、来年の飛鳥の

クルーズに乗るための予約をするかどうかで迷っている。

突き詰めれば、この旅行が彼にとって本当に価値があるものかどうかが判断基準であろ

う。その価値はどう判断されるのか検討してみよう。

まず費用の問題がある。 A氏の夢ではあっても一人で参加するのは寂しいし、奥さんにこ

の際、長年の苦労への感謝の気持ちを表す機会ともなるだろうから二人で参加することに

する。費用はかなり高額だが、この先必要となる大きな出費の予定もないので、せめて中

間程度の広さの客室で余裕のある航海をしたい。そこでちょうど真ん中のランクの一人六

百二十万の客室にする。二人で計千二百四十万円である。次に 10 3日間も日本を留守に

するという問題がある。役員を辞めるとしてもまだ何かと処理すべき用事が出てくる可能

性がなきにしもあらずだからである。

さて、こうした個別の検討要素はどのように組合わされてその総合的価値を算出するこ

とになるのであろうか。

サービス商品の顧客価値を把握するための必要な検討項目は以下の顧客価値の公式36

に表されている。

各項目の内容は次の通りである。

結果品質 :そのサービスがもたらす結果の内容の質の高さ。効用、ベネフィット。

81

Page 83: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

(A氏の場合、念願の多くの世界遺産が見られること。一度に 20カ国も訪れ

ることができること。奥さん孝行ができること、等)

第 17図顧客価値の公式

結果品質 + 過程品質

顧客価値

料金 + 入手コスト

(Heskett, J. L., Sasser Jr. W. E., Schlesinger L. A The Service Profit Chain 1997

島田陽介訳『カスタマーロイヤリティの経営』日経新聞社 54頁、著者一部変更)

過程品質 :そのサービスの提供過程での品質、例えば、サービス従業員から十分な援

助と世話を受けたか、礼儀正しかったか、信頼感がもてたか、タイミング

良く対応し、待たせなかったか、等々がある。

(A氏の場合、 10 3日間の豪華客船での航海中、快適に安心して退屈せずに

すごすことができるか、等)

料金 :そのサービスにかかる金銭的費用。

(A氏の場合、二人で千二百四十万円)

入手コスト:そのサービスを入手するために必要な料金以外のすべてのコストで、金銭

的、肉体的、時間的、精神的なコストを指す。例えば、デパートで買い物

をするには、電車賃、その場所まで歩いたり、見て回る労力、かかった時

間、人混みに行くことや店員を相手にする精神コストなどがある。

(A氏の場合、 10 3日間、日本を留守にすることから生じるさまざまな仕事

に関連した、またその他発生する不都合などが入手コストと考えられる)

この 4つの項目を勘案して結果を導くことになる。この公式では割り算になっているが、

要は、分子である全体的なベネフィットと分母である料金や入手コストなど払う可能性の

ある犠牲の総計との対比で価値が決まってくることを意味している。なお、この公式は一

応数学的な方程式になっているが、個々の項目に数字を当てはめて実際に計算することは

できない。考え方を表す公式と考えるべきである。(なぜなら、分子は質的なものであり、

分母は量と質の混合であるからである)。

顧客価値は、自分が得たい効用とそれを得るために必要な犠牲(金銭等)との対比で決まる

ということだ。人は普通、どんな欲しいものであっても直ぐに購入することはない。まず、

財布と相談して決めるものだからである。

その商品の魅力度が高ければ高いほど、顧客価値は高まることになる。それでは、ある

商品の顧客価値の大きさを、提供者は左右することができるのだろうか。その答えは前出

82

Page 84: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

の顧客価値の公式の中にある。分子がそのサービスの効用で分母がそのために支払う犠牲

だから、分子を大きくするか、分母を小さくするか、またはその両方を行えば、価値は拡

大するという理屈である。サービス商品を公式にある 4つの項目に分解し、各々の項目に

ついての顧客の主観的な評価を推測できれば、後は各項目をどのように変化させることが

できるか、が知恵の見せ所である。

分子の「結果品質」の向上には、先の A氏の旅行の場合には、例えば、少し内陸に入っ

たものでも世界遺産の見学のためのオプショナル・ツアーの数を増やすといったことが考

えられる。

過程品質の向上は、サービス提供過程の快適度をますことで得られるので、例えば、従

業員の接客態度を向上させて信頼感や安心感を高めるということや、情報アクセスを可能

にして使い勝手を向上させるといった方法がある。 A氏の場合には、例えば、船室の設備を

最新のものに改善して部屋や備品を使いやすいものにするなどが考えられる。

次に分母であるが、まず料金については慎重に対応すべきである。価格は品質の代替指

標ともなり、プランド価値の構成要素でもあるからだ。料金設定が適切かどうかをさまざ

まな要素から検討しなければならない。例えば、先の例では世界一周旅行の金額として一

人当たり六百二十万円は、潜在顧客にどう受け取られるか、という判断である。まず、想

定顧客ターゲット・グループの収入と可処分所得を考慮すると、クルーズ市場では必ずし

も価格弾力性が高いとは言えないだろう。また 103日間の世界一周旅行では、顧客による

品質確認も容易ではない。(こうした高額で手間のかかる商品では、認知不協和理論も働き

やすいので、顧客は購買の失敗を認めたがらず、品質についての評価はおおむね高くなる

ことが予想される)。もちろん競合他社の料金があれば、それも参考にしなければならない。

要は、料金については必ずしも安価だから価値が高まるというわけではない、という点を

理解しなければならない。(もちろん、他の 3つの要素が固定されていれば、料金の引き下

げは全体的な価値を高めることになる)。

さて、最後の項目の「入手コスト」であるが、この項目はサービスの改善・改革のアプ

ローチの一つである組織学習の中でも重要なものである。その理由は、サービス生産の仕

組みの中で、どのサービス項目が入手コストに関係するか理解できれば、そのコストを引

き下げる工夫をすることで、比較的簡単に顧客価値を高めることができるからである。

入手コストとは、要は、特定のサービス商品を入手するための手間のことであるが、先

に触れたように、金銭的、肉体的、時間的、精神的なコストが考えられる。例えば、個人

の投資家による有価証券の取引は、最近では 50%以上がインターネットによる e-トレイ

ド(電子商取引)によって行われている。個人の投資家が自分のコンピューターを使って、自

分の時間に好きな場所で、インターネットから提供される情報を活用して株や投資信託の

売買を行うのである。従来、個人投資家は、特定の証券会社に口座をもって、担当の証券

マンからの電話連絡に対応しながら実際に証券会社の窓口に出かけなくてはならなかった。

自分の場所で好きな時間に自分でコンピューターのキーボードを叩いて売買を行うのとは

83

Page 85: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

大きな違いである。 eートレイドが投資家のさまざまな手間(出かける肉体的コスト、時間的

コスト、現金を用意する手間等)を省いて、大きく入手コストを引き下げたことが分かる。

品物のショッピングや旅行関係のインターネットのよる e-コマースの隆盛も同じように

入手コストの削減効果から説明できる。また、リアル店舗の場合には、便利な立地場所へ

の出店、入りやすく広い駐車場の設置、 24時間営業、見つけやすい品揃え、時間のかから

ない支払い、探索情報の提供、またセルフ・サービスの導入なども、入手コストの削減効

果を生み、顧客価値を引き上げる効果をもっている。

先の世界一周旅行を検討している A氏の場合であるが、彼の世界一周旅行についての入

手コストの主要な内容は、 103日間日本を留守にすることから発生するかもしれない仕事上

の不都合であった。飛鳥にはコンピュータ・プラザと呼ばれるインターネットを使える場

所が用意されている。自分の船室ではないのだが、インターネットと携帯電話を利用すれ

ば、 100パーセントとは言えないが、仕事上の突発的な緊急事態への対応も可能なのではな

いだろうか。もともとの主旨からすれば、クルーズの期間中は仕事から解放されることが

大切であろうが、もしこのことが参加への障害となるなら、飛鳥はこうした問題への対応

も用意していることになる。

顧客価値の発想の基本は、このようにサービスの効用(分子部分)を高めたり、入手コスト

(分母部分)を削減したりするデザインによって、その商品の主観的価値を高めて購入に踏み

切らせる、ということにある。サービス・プロフィット・チェーンに即して述べれば、顧客

価値についての高い主観的な評価は、高い顧客満足の形成に貢献し、それが強固な顧客ロ

イヤリティを生んで、購入の決定に至るという関連性になる。なお、ここで検討した顧客

価値の発想は、購買の初めの段階においても一定の影響力を発揮すると考えられる。

4)従業員満足と内部サービス品質(インターナル・マーケティング)

サービス・プロフィット・チェーンというモデルの最大の特徴は、図 14に見られるよ

うに、因果関連の変数の出発点を従業員満足においているという点である。高い従業員満

足が、従業員の「強いモチベーション」と「組織に対する高いロイヤリティ」を生んで、

それが高いサービス品質や顧客志向の態度が作りあげる強力な顧客価値を形成するという

関連性が想定されている 37 0

もう一つの特徴は、顧客の高い満足感、ロイヤリティ、顧客価値また高い再購入率など

の好ましい顧客反応が、サービス・プロフィット・チェーンの出発点である従業員満足に

プラスの影響を与えるという逆の方向での因果関連の主張である。ヘスケット等は、これ

をサティスファクション・ミラーと呼んでいる 38。つまり従業員の対応によって顧客が満足

すれば、そのことが跳ね返って、従業員にも満足を与えるという発想であって、対人サー

ビスでの心理的相互作用を考えれば、納得できる主張である。実際、対人サービス従事者

の仕事における喜びの主要な源泉の一つは、対面している顧客を満足させ喜ばせる体験そ

のものであろうし、それが仕事へのモチベーションやロイヤリティを高めているであろう

ことは想像に難くない39 0

84

Page 86: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

従業員満足が、従業員のモチベーションの原因になるという主張には、産業心理学の分

野からの否定的な見解も存在する。しかし高いモチベーションを持つ従業員の多くは職務

満足感も高いことが知られている 40。満足感とモチベーションやロイヤリティの関係をス

タティックに見るのではなく、具体的なサービス・エンカウンター場面で、顧客満足度が

高まるようなダイナミックな相互作用が生起すると、従業員の仕事満足感の高まりに対応

してモチベーションやロイヤリティも高まると考えるべきであろう。ヘスケット等はまた、

顧客満足感と従業員満足感の相互依存的関係を支持する複数の企業のデータを一覧にして

示している 41 0

企業へのロイヤルティが高い従業員が顧客にとって効果的なのは、その従業員がその仕

事においてベテランで職務遂行能力も高く、仕事への愛着も強い可能性が高いからである。

対人サービスでは、優れた従業員は高いサービス品質の指標でもあるからだ。

それでは、従業員が組織へ高いロイヤリティを感じ、その職務へ強いモチベーションを

抱けるような従業員満足を形成する条件とは何でなんであろうか。サービス・プロフィッ

ト・チェーンでは「内部サービス品質」となっているが、これは、サービス生産システム

における「サービス・デリバリー・システム」と「サービス・オペレイション・システム」部分の

問題である 42 0

つまりサービス商品を生産し、顧客に提供(デリバー)するためのサービス要素を具体

的に構成する部分である。サービスの特徴からサービスの生産と消費が同時であるので、

顧客はサービス生産システムと接触していなければならない。この場合、顧客が直接影響

を受ける顧客の見える範囲を「サービス・デリバリー・システム」と呼び、顧客が見えない

部分(例えば、レストランでの厨房、機械設備の稼働や顧客に接しない部分での準備作業

等つまりバックヤード部分)を含んで、サービス商品の組立に関係する部分を「サービス・

オペレイション・システム」と呼ぶ。

サービス生産システムのこの部分の第一の課題は、顧客に渡すサービス商品の効果性(サ

ービス品質の高い、高い満足感を生む商品の生産)と効率性(低いコストでの生産)の二

つを実現することである。つまりどのように生産技術と製品技術を組み合わせ、 ITを活用

し、個々の仕事内容を決定し、それをプロセス化した仕事の流れを組み上げ、リソースを

配分するかという生産システムデザインの問題である。こうしたサービス組織の内部での

サービス商品の質に注目した見方が、「内部サービス品質」であり、もっぱらサービス生産

の技術的側面“が重要となる。この側面での革新的アプローチとしては、 IE(インダスト

リアル・エンジニアリング)、 BPR(ビジネス・プロセス・エンジニアリング)、 TPS(トヨ

タ生産システム)、プルー・プリンティングおよび STS(社会=技術システム)アプローチ

などをあげることができる。

ここでの第一の課題が、サービス生産システムの全体的構造的な側面に関して設定され

るのに対し、第二の課題は、サービス従業員の仕事内容をどのように組み立てるかに重点

をおきながらも、そのアウトプットをモチベーションやロイヤリティのような態度的な側

85

Page 87: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

面に求めるものである。第ーも第二も共に、サービスのデザインの基礎は顧客志向なのだ

が、第二のアプローチでは、適切な仕事のデザインや仕事の配分、環境の改善や人材管理

の方法などを通じて、従業員の態度的側面の向上を達成し、それによってパフォーマンス

レベルを高めることを志向する。

こうした経営管理的なアプローチにはさまざまな種類があるが、最も代表的奈アプロー

チは、「インターナル・マーケティング」 44の発想であろう。

インターナル・マーケティングは、エクスターナル・マーケティングつまり通常のマー

ケティング活動が外部の顧客を対象としているのに対し、内部の従業員を対象とするマー

ケティングである。従業員を対象とするのは、複数のアプローチを使って従業員に働きか

けることによって、従業員のやる気をかき立て、職務遂行能力を高め、顧客志向の態度を

保持することで、長期的には外部サービスの質を高めることを狙っているからだ45。イン

ターナル・マーケティングのもう一つの特徴は、従業員を内部顧客と見ることで、従業員

が組織内で生産する他の関連部門へのサービスについても顧客志向で高品質のサービス生

産を目指すことにある。そうして組織内部の全体的な顧客関係の質を高め、それによって

外部へのサービス生産の質を高めようとしている点である。グルンルースは次のように述

べている 46 0

内部市楊の顧客(従業貨)は、すべての活動やプロセスが、内部的にアク

ティブでマーケティング的に統合された自的志殉的なアプローチによって、

サービス指周で顕客中心的な活動に、最も強力に動機づけられる。このよ

うな方法によって、人々の閤やさまざ史のプロセス、また部戸1J!IJJの内的な

閤係性が‘顧客との外的閉係に伺かって高度化し、方伺付けられるのだ;

グルンルースは、従業員を顧客と考えるという発想から、従業員をたんに命令を受ける

下位者としてではなく、ウィンウィンの関係にあるパートナーとして考え、彼らが発揮す

る優れた業績に対する報酬として、成長の機会や技術、情報へのアクセス、援助的な仕事

環境などを享受する仕組作りを重視する。そこで、態度とコミュニケーションの管理を柱

とする訓練や情報提供、報酬システムなどの諸手段を通じて、組織内従業員を対象とする

マーケティングを行うべきだと主張しているのである 47 0

インターナル・マーケティングという用語は使ってはいないが、従業員の態度的側面を

十分に開発することで、顧客(患者)に対する高いサービス品質を実現し、社会的にも比

類無き評判を獲得しているのがメイヨー・クリニックである 48 0

現在、米国のロチェスター、ジャクソンビル、スコッツデールの 3つの都市に病院を開設

していて、約4万人の従業員、 2,700人の医師を擁し、毎月 135,000人の入院患者を抱えて

いる。この病院の素晴らしさは、一方で、全米でトップの医療水準を維持して、多くの患

者から「最後の切り札」 49 (destination hospital: これ以上の治療は他では望めない病院)と

86

Page 88: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

見なされていると同時に、「患者のニーズを最優先する」 50という患者第一主義の理念を

ずっと維持し、患者サービスの素睛らしさでも非常に高い評判を得ている点である。

こうしたアウトプットを実現するためにこの組織は、組織の「顧客第一主義」の価値観

を医師も他のスタッフも心からそれを共有し、その組織文化にしたがって医療活動を行う

ことに基盤を置いている。世界でもっとも個人主義的な職業である医師51も、職業的卓越

性の志向、チーム制、固定給制度、などのシステムによって具体的に表現されているメイ

ヨー・クリニックの価値観に引きつけられ、ほとんどの医師が生涯この組織に止まり、医師

の自己都合離職率は 2.5%に留まっている。それは他のスタッフの場合も同じであって、こ

この組織文化に合わない少数の人は、数年でクリニックを離れるが、 5年以上働き続ける従

業員は、家庭の事情などの理由以外は、生涯この病院で働くことが多く、平均退職率は約

5,...._,1 0%であって、病院のある地域の三分の一以下であり、経営陣も従業員をいったん

雇用すると、彼または彼女は一生ここに止まるものと考えている 52 0

顧客のニーズを最優先するという理念は、現実の業務、方針、意思決定、リソースの配

分などに活かされているが、他の優れたサービス組織同様、さまざまの数多くのエピソー

ドや神話を生んでいる 53。看護師やスタッフの業務を越えた患者への配慮や医師達の患者

への心からのケアや卓越した技術、それらが患者やスタッフのロコミによって世間に伝播

することで、ますます素晴らしいブランドを作りあげているのだ。医療組織というある意

味でもっとも統合の難しい組織を、組織理念とその具体的展開のなかで統一的有機的に動

かしていくメイヨー・クリニックは、もっとも素晴らしいサービス組織の例の一つといって

よい。

2007年の米国の全国調査で、「医療保険上、または経済上の問題がないとしたら、自分ま

たは家族が、ガンの治療、心臓手術、脳手術といった重大な医学的問題のために医療機関

を選ぶとしたらどこを選択するか」という調査で、メイヨー・クリニックは回答者の 16%

以上から選ばれ、二位の 2.5倍の人々に支持されるという結果を得ている”。

5) エンパワメント

インターナル・マーケティングと同じく、一方で従業員の成長や満足感の向上を目的と

しているが、よりいっそう仕事の領域に集中しているのがエンパワメントの考え方である。

エンパワメントは、さまざまの問題を解決するというサービスの仕事の担い手に注目して

5 5、従業員により大きな自由裁量を与え意思決定を促すプログラムである 56。エンパワメ

ントは、従業員の態度的側面を主に取り上げているが、サービス・プロフィット・チェーン

やインターナル・マーケティングと同じく、サービス・オペレイション・システムやサービ

ス・デリバリー・システムの領域の課題であり、従業員の自由裁量の大きさ(つまり権限)

を問題としているために構造的な側面にも関係している。

コンジャーとカヌンゴ57は、エンパワメントのアプローチを関係志向的な論理構成

(relational construct)を持つタイプと動機志向的な論理構成 (motivationalconstruct)を持

つタイプに分けている。しかし、この二分類はたんに重点の置き方の問題であって、二者

87

Page 89: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

択ー的なものではない。どちらのアプローチを取ろうとも、結局は、個人の自由裁量の大

きさがまず仕事の働きがいやモチベーションに影響し、また次いで、組織内のサービスの

授受である内的仕事関係と外部顧客との関係の両方の条件に影響を与えることになるから

である。

さて、ボーエンとローラーは、エンパワメントを企業施策としてのプログラムとしてで

はなく、従業員が、以下の 4つの組織要素をどの程度分担しているかという組織状況レベ

ルの問題と考えている 58 0

a. 組織業績についての情報

b. 組織業績に基づく報酬

C. 組織業績を理解し、貢献することを可能にする技能・知識

d. 組織の方向性や業績に影響を与えられる意思決定の権限

このように考えると、この 4つの組織要素の分担の水準(ボーエンとローラーはこのレベ

ルをインボルブメント<Involvement〉と呼んでいる)の高さで職場を分類できることになる59

図 18 エンパワメントのレベル

インボルブメント志向

コントロール志向

・ハイ・インポルブメント

・ジョブ・インボルブメ

ント

・サジェッション・イン

ポルブメント

・プロダクト・ライン

Bowen, D.E.&E.E.Lawler Ill " The Empowerment of Service Workers:What,Why

How and When" MIT Sloan Management Review vol.33,no3 1992 (Baron,S.

p.209)

ハイ・インボブルメントの職場では、組織全体の業績が意識され、業務情報が共有され、

(特に下位階層の職場では)ビジネス遂行上の問題解決や技能をチームとして発達させる

ことが多い。またストック・オプションなどの利益共有制度が実施され、従業員の自社株所

有制度も推進される。下位階層までこのアプローチを実行する場合、起こりうる問題は訓

練その他の費用が大きくなる点と、経営的な手法や考え方が十分に理解されない恐れがあ

88

Page 90: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

るということである。しかし、フェデラル・エクスプレス社では、メンフィスの事業所にお

いて約 1000人の事務職員を 5~10人のグループに分けて、権限を付与し経営的な訓練を実

施した。これにより、 1989年には間違った請求書や荷物の紛失などのサービス問題を 13

パーセント削減することに成功した60ということである。

ジョブ・インボルブメントの職場では、職務(ジョブ)の再設計が行われ、従業員の仕

事内容は単機能から複数の技能を必要とするように変更される。従業員は仕事がもつ意義

や意味を感じ、意思決定においてある程度の自由裁量を持つことができ、仕事の成果につ

いてフィードバックを得ることができる。結果として従業員は高い仕事満足を得て、同時

により質の高い仕事が志向されるようになる。 ジョブ・インボルブメントではしばしば、

チーム制が活用される。病院や旅客航空といった仕事では、一人の従業員が顧客サービス

を始めから終わりまで担当することが難しいためである。(一人が担当する職務を再設計す

るのは職務設計<Jobdesign>であるが、職場全体または職場内のグループの仕事を再設計す

ることを職場設計<Groupdesign>と呼ぶ。社会=技術システム論の重要な手法の一つであ

る61。)また、このアプローチでは職場の第一線監督者の役割が重要となる。たんに仕事の

遂行を命令するだけでなく、拡大された仕事内容の技能訓練や支援が不可欠だからである。

しかし、このレベルでは全体組織に及ぶような意思決定や報酬の配分については限定的で

ある。それらはより上級レベルの管理者の役割だからである。

サジェッション・インボルブメントのレベルは、内容的にコントロール志向のプロダク

ション・ライン・アプローチからさほど離れてはいない。従業員は、提案制度やクオリティ・

サークルなどでアイデアを提案することが駕められる。しかし、日々の仕事内容には大き

な充実感はない。また提案内容を実施するかどうかの決定権は経営層が保持している。こ

のアプローチは、仕事の進め方やシステムをほとんど変更することなく、多少のインボル

ブメントを従業員に経験させることができる。例えば、マクドナルドは、このレベルのイ

ンボルブメントを実施しているが、ビッグマックやエッグマフィンは従業員の提案から生

まれた新商品である 62 0

最後のプロダクション・ラインのアプローチは、サービス・イノベーションの視点からも

重要な示唆を持っている。

サービス商品は、元来、機能または効用そのものであるために、モノ製品のように効用

を生み出す仕組みを物理的または化学的に構成するという必要性が低い。そのため、特に

対人サービスでは、ややもするとどのようにサービスを提供するかの組織化を検討せずに、

品質を度外視してどのような形であれサービスを顧客に提供すること自体が強調されて、

サービス提供の組織化は後回しにされる傾向がある。そこで、サービス担当者はたしかに

居るのだが、具体的な提供内容はその担当に任されて、サービス品質の低い内容のないも

のになってしまう可能性がある。特にわが国のサービス職場では、サービス概念理解の不

徹底さや構造化の低さのために効果的ではないサービス提供が行われているケースが見ら

れることがある。サービス自体のデザインが欠落しているのである。

89

Page 91: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

これに対して、経営的な発想から、最初に一石を投じたのは、セオドア・リービットであ

る。彼は上述のような発想を「われわれが受け継いだ麻痺した遺産」 63として、サービス

の効率化のために、製造業の論理を活用することを勧め、以下のような提案をしている 64 0

a仕事の単純化、

b. 明確な仕事の分業

C設備と従業員システムによる代替

d従業員への制限された自由裁量

こうしたサービス生産の構造化のアプローチを、リービットは「サービスの工業化」 65と

呼んだ。つまりテイラーの「科学的管理法」のサービス版である。

こうしたアプローチは 70年代のアメリカでは正鵠を射たものであろうし、今日でもわが

国の多くのサービス組織のごとく、経営的な技術が未発達な組織では重要なアプローチで

ある。例えば、マクドナルドはこのアプローチを活用して成功している。マクドナルドで

は、従業員は、どのように顧客に挨拶し、注文を取り、追加の商品を勧めるかが訓練され

る。また、どのように注文された製品を用意し、 トレーに並べ、 トレーを取りやすい位置

に置くか。次いで代金を受け取り、おつりを渡す手順も決まっており、最後に感謝を伝え

て、再来店を促すメッセイジを伝える。こうしたスクリプトにしたがった対応の長所は、

顧客にいつも安定した同じ印象を与え、従業員の管理も難しくないこと。また従業員は簡

単に迅速に訓練され、短時間で実際の仕事に就かせることができるといった点である。

このアプローチによって、高い効率性と低コストを達成し、大量のサービス・オペレイ

ションを機械的に消化し、顧客は期待通りの満足感を得ることを可能にするサービス生産

システムを構築することができる 66。ヨーロッパにおけるサービス・マネジメントの始祖

と考えられるリチャード・ノーマンは、マクドナルドの誕生を、「このシステムが始まった

時点をもって、サービスビジネス・マネジメントの歴史的転換点とさえ言えよう」と述べ

ている 67 0

以上のように、サービス生産システムは、ハイ・インボルブメントからプロダクション・

ラインアプローチまで、従業員のエンパワメントに関して、さまざまなレベルを取り得る

ことになる。では、どのような条件の時にどのレベルのエンパワメントを採用したらよい

のであろうか。ボーエンとローラーは、この課題に対してエンパワメントの利点と欠点を

整理し、エンパワメントのコンティンジェンシー・モデルを提案している。

ボーエン等は、次のようにエンパワメントの利点と欠点を整理している 68 0

利点

a. 顧客のニーズに対してより迅速な反応が可能になる。

規則に縛られた官僚的な組織では、顧客が何かの都合で規則からはずれた要求をしても

満足できる反応は期待できない。「それはルールにはありません」とか「上司に確認しな

くては」といった反応が返ってくる。顧客接点にいる従業員が自分で判断できる権限が

与えられていなければ、客を待たせて上司に確認することになり、適切なタイミングが

90

Page 92: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

失われてしまう。

b. サービスの失敗が起きた時に迅速なリカバリーが可能になる。

良いサービスとは何かについては、顧客によって見方の異なる可能性があるが、サービ

ス提供が不完全な場合は、すべての顧客がただちにその不完全性の回復を望むものだ。

失敗が生じたその時、その場で回復が行われれば、顧客は(失敗の不都合にもかかわら

ず)満足し、ロイヤリティを高める場合もある。そのためには、サービス提供者がその

時、その場で回復を実行できる権限を持っていなければならない。

C. 従業員が自分の仕事と自分自身に対して好意的な評価を行う。

従業員が自分の仕事をコントロールすることが可能なら、仕事への当事者意識と責任感

が生まれ、自分の仕事を意味あるものと感じるようになる。また満足感も高まり、欠勤

率もさがり、離職の可能性も下がることになる。

d, 従業員の顧客への対応がより熱意に溢れ温かいものとなる。

顧客は、自分の期待に、従業員が真剣にかつ熱心に対応してくれることを望むものだが、

その場合、顧客のサービス評価は高くなる。また、従業員が自分の仕事に満足している

と、それは顧客のサービス評価に反映 (spillover) して、好意的な反応を生みだすこ

とになる 69。サービスがモノを媒介とせず、従業員の態度が顧客満足とサービス評価に

影響する銀行業などでは、従業員の仕事の質を高めることは顧客満足を高める重要なア

プローチである 70 0

e. エンパワーされた従業員は、業務についての良きアイデアの源泉となる。

仕事が充実している従業員は、顧客対応に熱心になるので、サービス自体や顧客につい

て理解が深まり、改善のアイデアなどが出やすくなる。

f. ロコミの促進と顧客保持の可能性。

顧客への優れた対応によって満足した顧客は、ロコミを広め、強いロイヤリティを保持

する傾向が生まれる。

欠点

a. 従業員の選抜や訓練には費用がかかる。

たんにエンパワメントの仕組みを作ったからといって、自然にうまく行くわけではない。

適切な人材を選択し、訓練しなければならない。上司の役割も重要なので、中間管理層

への訓練も必要となる。特に、小売り、銀行、百貨店など労働集約的な業種では従業員

訓練が重要な課題となる。

b. 高い労働コスト

アルバイトなどの短期就労者には、エンパワメントの訓練を行っても効果がでるまで留

まっているとは限らない。それゆえ、エンパワメントの対象となる従業員はフルタイム

の正規従業員に限られることになり、労働コストは高いものとなる。

C. ュックリした、または一定しないサービス提供

91

Page 93: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

顧客はしばしばスピードがあり、期待通りの安定したサービスを評価するものだ。プロ

ダクション・ラインのアプローチは顧客に信頼感のあるサービスを提供する場合がある。

エンパワメントは各々の顧客に十分に対応するためにスピードが遅く、個別的対応をす

るためにサービス提供内容が一定しないことが多い。

d. 公平感の侵害

顧客が、従業員の対応がフェアではないと感じるのは、顧客によって対応が異なる場合

である。エンパワメントは、顧客によってカスタマイズした対応を行うので、公平性の

基準を侵害しているという印象を与える可能性がある。

e. 顧客に譲歩しすぎる場合がある。

エンパワーされた接客従業員が、顧客の要求に十分に対応してロイヤリティを高め、素

晴らしいサービスのエピソードとなるのは PR的には良い効果だが、「与え過ぎてはい

ないか」、という点も検討すべきである。多くの経営者がエンパワメントに否定的にな

るのはこの問題に関連してである。適切性について事後の見直しのシステムが必要とな

る。

以上、エンパワメントの利点と欠点を検討したわけであるが、これはプロダクション・

ライン・アプローチの利点と欠点の裏返しであることが分かる。したがって、サーピス組

織の場合、ターゲット顧客のニーズ、サービス生産システムの技術、事業環境などの条

件によって、エンパワメントが常に正しいアプローチでもなく、またプロダクション・ラ

イン・アプローチが常に間違っているわけではないということである。適切なアプローチ

は状況によって変化するということである。そこでボーエンとローラーは、下図のよう

なエンパワメントの状況適応理論を提案している(表 5) 7 1 0

表 5 エンパワメントの状況適応性

A. 状況 B. プロダクション・ライ C. 評価 D. エンパワメント

ン・アプローチ

①基本的事業戦略 低コスト、大量の扱い 1, 2, 3, 4, 5 個人化、顧客化、分化

②顧客との絆 取引、短期間の関係 1, 2, 3, 4, 5 関係性、長期の関係

③技術 ルーチン、単純化 1, 2, 3, 4, 5 非ルーチン、複雑化

④事業環境 予測可能、急な変化なし 1, 2, 3, 4, 5 予測不可能、急な変化あ

⑤従業員のタイプ x理論型のタイプ* 1, 2, 3, 4, 5 Y理論型のタイプ**

(*低い成長欲求、低い社会的欲求、貧弱な対人関係能力を持つタイプの従業員)

(**高い成長欲求、高い社会的欲求、上手な対人関係能力を持ったタイプの従業員)

Bowen, D.E.&E.E.Lawler Ill "The Empowerment of Service Workers:What,Why

How and When" MIT Sloan Management Review vol.33,no3 1992 (Baron,S.

92

Page 94: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

p.211)

ボーエンとローラーが提起している変数は以下の 5つである 72 0

a. 基本的事業戦略

ターゲットとしている顧客はどんなサービスを求めているのか。顧客は何に対して支払

いをするのか。スピーディで安定した安価なサービスなのか、値段は高くても顧客のニー

ズに個別にカスタマイズしたサービスなのか、といった問題である。生産側からすると、

低コストで大量の生産を提供しようとするのか、費用はかかっても高品質のサービスを提

供するのか、の選択である。また、そのサービス生産は労働集約的で、パートの非正規従

業員を多く雇用する必要のある業種の場合にはどうすべきか、ということも影響する。

b. 顧客との関係

顧客との間で、その場限りの短期的な取引関係でなく、長期的な関係性の構築を望むな

ら従業員のエンパワメントが適切である。柔軟で顧客ごとに適応したサービスが望ましい

からである。地中海クラプでは、 GOと呼ばれるスポーツ・インストラクター兼世話係が、

施設を訪れた顧客の滞在中一緒に過ごし、 GOは自発的にさまざまな関係性を取り結ぶ、そ

れに対し、デイズニーランドでは、顧客との間で、何千という短時間の接触が行なわれ、

そのやり方はマニュアルに細かく決められている。ディスニーランドのサービスは、細切

れで短時間の間に、顧客の喜ぶ面白い体験を提供することから成り立っているからである。

したがって地中海クラブはエンパワメント・アプローチが適しているが、ディズニーランド

ではプロダクション・ライン・アプローチの方に分類されよう。(ディズニーランドでは、仕

事は細切れであるにもかかわらず、従業員(キャスト)は高いモチベーションで仕事をし

ていることが知られている。その理由は、キャストが主に知的水準はある程度高く、かつ

ナイーブな学生であることや、理念の強調といった従業員管理システムが巧みなことであ

る)。

G. 技術

変換の論理である技術は、顧客とサービス従業員との間の関係を大きく規定する。した

がって技術の種類によっては、従業員の動機付けや仕事の意味の発見が難しくなる。そう

した場合、管理者が仕事の意味の説明をすることが助けになることがある。また、組織の

ビジョンや価値観が従業員に浸透している場合は、比較的単純な作業を従業員が生き生き

と喜んで行うこともある。

d. 事業環境

従業員が仕事を行う環境が安定せず、起こりうる状況が予測不可能な場合には、エンパ

ワメントのアプローチが適切である。航空機の客室乗務員は、悪天候、機械の故障、競争

企業の新サービス、顧客の特別注文など幅広い変化に対応することを求められる。これに

対し、ファーズト・フッドでは、作業は安定した環境で行われ、顧客の期待は単純で予想可

能である。この様な場合、プロダクション・ライン・アプローチがより適切である。

e. 人材の特徴

93

Page 95: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

エンパワメントもプロダクション・ラインも違ったタイプの管理者とリーダーシップが

適合する。エンパワメントの状況では、従業員が向上心を持ち、自分で判断することを好

むY理論型の見方をする管理者が求められる。それに対し、プロダクション・ラインでは、

上司が厳しく監督することによって始めて部下は、しつかり正確な仕事をするという見方

のX理論型の管理者が合っていると言えよう。

この 5つの状況を個別のサービス事業に照らし合わせ、評価することができる。エンパ

ワメントの状況適応性の表 5では C.の「評価」の項が 1から 5までの段階で、各々の状況

に対応する適合性を評価できるようになっている。 1に近いほどコントロール志向のアプロ

ーチの適合性が高く、 5に近いほどエンパワメント・アプローチが適している。

ホフマンとベイトソンは、総合点を判断するガイドラインを紹介している 73が、彼らに

よれば、 5-10のレベルではプロダクション・ライン・アプローチが適しており、 11-

1 5は、サジェッション・インボルプメント、 16-20はジョプ・インボルブメント、

21-25はハイ・インボルブメントのエンパワメントが適しているということである。

(3)顧客志向の組織文化

適切な組織文化の醸成が、なぜサービス企業の改革・改善のアプローチとなるのであろう

か。まず第一に、従業員個人の精神に内面化された適切な組織文化は、従業員の行動を、

組織が暗黙または明示的な前提とする望ましい方向へ導くからである。例えば、顧客志向

(カスタマー・オリエンテーション)の態度を身につけた従業員の顧客対応は、そうした

態度をもたない従業員よりも、顧客の期待に即した好ましい行動となろう。

第二に、すべての組織はその社会システムの一部として価値システム(望ましいものか、

そうでないものかは別にして)を組織文化としてもっている。そして、それらは、ノーマ

ンが指摘しているように、一般にかなり安定しているのだが、にもかかわらず、ビジネス

組織においては、文化は変容させることができ、適切な環境のもとではかなり効果的にその

変容を行うことができるからである 74。つまり組織文化は、組織がその成員を自ら望まし

いと見なしている方向へ向かって行動を制御する装置の内の一つとして機能するのだ。

a. 組織文化とは何か

組織文化は、‘‘そこでは物事がどう行われるか"7 5を示す見えない台本みたいなものであ

る。ちょうど、人の場合、パーソナリティが環境からの刺激に反応して、その人固有の行

動パターンを決定するように、組織文化は、その組織成員が話したり行動したりする内容

に影響する。ただ、組織文化は多くの場合、人々の活動の下層に隠れていて、組織成員の

無意識のレベルで影響力を発揮する。

メイーヨー・クリニックでは、チーム・ワークがメンバーの重要な行動基準となっ

ている 76。それはたんに、チームで作業をするといった仕事の組み合わせ方の問題では

なく、例えば、患者についての治療上の判断や意思決定について、(具体的にはそれが

94

Page 96: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ある場面における個人の医師の判断であっても)、他の専門医の意見を求めることが奨

励され、医師ならだれでも見ることのできる電子化された診療記録にその治療内容が載

ることで、他の多くの医師がレビューすることになる。メイヨーでは「患者を診るのは

たったひとりの医師ではない。患者はいってみれば、く組織全体>に診てもらうのである」

7 7。医師はもともと個人主義的で自分の判断に責任を持ち、その判断を他人から評価さ

れることを嫌う専門職業人である。日本でも行われている「主治医」の制度は、その医師

だけが自分の患者の治療内容を決定し、他からの批判を許さない。こうした制度の生み

出す行動パターンは、メイヨー・クリニックのそれとは対極的なものとなる。それは制

度の違いというよりその制度の背景にある価値観の違いであって、そのため、チームワ

ークの組織文化は、メイヨー・クリニックの他のさまざまな活動のバックボーンとなっ

ている(例えば医師の教育) 78。(ベリー&セルトマン著『メイヨー・クリニック:奇跡

のサービス・マネジメント』)

b組織文化の構造

シェインは組織文化(Organizationalculture)を次の三つのレベルに分けて分析してい

る79 0

図 19 組織文化の 3つのレベル

人工物

表明された

価値観

基本的な底流

にある前提

( 具体例 )

・サービス・スケープ(建物、部屋、調度)

・組織構造、報酬制度

・ミッション・ステートメント、

・組織理念、,, ,,,

・ヒソヨン

・「利益の源は品質」

・「細かく監督しなければ人は怠ける」

(Schein ,E.H., Organizational Culture and Leadership 3rd ed. 2004 Peiffer Wiley p.122)

この 3つのレベルは矢印が示すように、下が上のレベルの基礎となり、上のレベルは下

に影響を与える関係として作りあげられていく。

人工物(artifacts)は、組織が持つ目に見える構造やプロセスを表している。建物、部屋、

95

Page 97: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

調度などいわゆるサービス・スケープや組織図や仕事のフロー図、また賃金や昇進など報酬

制度などがその例である。これらは、その組織の価値観を暗黙裏に表明する装置である。

上品で懐かしく使い勝手の良い道具が用意されている旅館は、宿泊客を家庭的で温かく迎

えようとする発想をその調度で表している。また白と黒の色彩の現代的で機能的な家具を

備えたホテルでは、お客をキビキビとしたスピーディなサービスによって対応しようとし

ていることが分かる。また企業の報酬制度は、その組織が従業員に何を期待し、どのよう

な人間像をもっているかを理解する良い情報源である。成果主義の企業は、組織へのロイ

ャリティよりも仕事上の貢献で従業員を評価する。このように、サービス企業におけるデ

ザインされた人工物は、顧客に、そのサービス組織が顧客をどのように扱い、どう見てい

るかの情報を発信するという点で重要なコミュニケーション手段なのである。

表明された価値観とは、その組織の経営理念、ミッションやビジョンなど組織が戦略的

に定めた組織目標や信念・哲学などを公式に表現したものである。組織がそうなりたい、実

現したいと考えている価値であって、現実にそうであるというわけではない。

アメリカのアウトドア衣料品の製造販売企業であるパタゴニアは、「環境の保護」などの

理念を掲げてその実践に真面目に努力している珍しい会社だが、その内の一つの「コア・

ヴァリュー」には、 Quality(製品や業務の質), Environmentalism(環境主義), Integrity

(誠実さ), Notbound by convention (これまでのやり方に囚われない)の 4つがあげられ

ている 80。これらが表明された価値観の例である。

最後の基本的な底流にある前提とは、上の 2つと異なり、人々の意識の底にあるため、外

からは目立たないが、最も重要な組織文化である。普通は取り上げて意識的に検討される

こともないが、暗黙裏に保持され、あまり変化することもない。過去の成功体験から生ま

れた秘訣など、昔から続く信念であったりする。かならずしも体系だった思想ではなく、

当然の発想として受け継がれている。

例えば、「部下にはなるべく情報を与えない方がよい」とか、「部下は監督しなければ怠

ける」といったリーダーシップの性悪説的なものから、反対に「部下を信じることで危機

が打開できる」とか「人はかならず成長する」といった見方もある。また「利益の源はコ

ストカットから」といったものや「得意客をつくることが利益につながる」といったビジ

ネスモデル的発想もある。

わが国の医療サービスでは、現在でも「患者は医師の判断に素直に従うべきで、いわん

や医師の治療方針に疑義を差し挟んだり、質問をすべきでない」といった暗黙の発想が根

強く残っている。これは、医師は患者の最善の福祉を考慮して治療に臨んでいるという旧

来のパターナリスティックな考え方が前提になっているのだが、いまだに、一部の医療組

織には引き継がれている。

こうした検証されない「職場の知恵」といったものは、そうと知らずに組織活動に大き

な影響を与えることが少なくない。イノベーションの観点からは、変化を嫌う発想が多い

ために、革新への障害となる場合がある。例えば、製造業がサービス業への転換を検討す

96

Page 98: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

るような場合、「モノ製品の品質の高さが利益の源」といった過去の経験から生まれた基本

的な諸前提が、変化への抵抗となる場合が見られる。新しいイノベーションが、過去の成

功が生んだ諸前提への挑戦となり、一方、経営陣にはそうした過去の成功体験をもつ年長

者で多く占めている場合が多いために潰されてしまうようなケースである。

C. サービス企業における組織文化の機能と重要性

サービス・ビジネスでは、(装置産業的なサービスなどを除き)、人の活動がサービス内

容を決め、その品質の高さを左右する。その際、提供すべきサービス内容や品質について、

ある程度は基準がありマニュアルがある場合が多い。しかし、実際にその場その時に活動

内容を具体的に決定するのはその担当者の内的な基準である。この担当者の内的な基準と

は、上司や同僚など、職場集団の他のスタッフの行動や期待に影響を受けながら築き上げ

た、自分自身の仕事遂行の基準であり、「私はこの仕事をこのように遂行する」という暗黙

のスクリプト(筋書き)である。

製造業の生産現場では、従業員の行動を決めているのは第一義的には技術であって、主

に技術論的な論理から人間と機械のインターフェイスがデザインされる。つまりそこでの

人間行動を決定する主な要因は技術である。一方サービス生産では、対象を変換する論理

としての技術はあるが、その技術の担い手である従業員の行動を統制するのは、外側にあ

る機械ではなく、従業員の頭の中にある作業の内的な基準なのである。つまりサービス生

産では生産者である従業員が有している「どのように行動すべきか」という理解と価値観

によって具体的な行動が左右されるのだ。

製造業ではこの「どのように」は、例えば、そのスピードや技能の発揮の仕方は、大部

分、技術の要求にしたがって決められる。しかし、サービス生産では技術の要求そのもの

も抽象的で従業員の理解に左右されるため、この「どのように」は実際には従業員の自由

裁量に任されることになる。技術的な要求を充たしながら、どれ程の早さで、どれ程熱心

に、どんな態度を示しながら行動するかを従業員自らが決めているのである。この担当者

の内的な基準の内容に大きな影響を与えるのが、組織文化であり、とりわけ組織の「基本

的な底流にある前提」である。つまり、これを言い換えれば、従業員各人が持っている、

サービスとは何であり、それはどのように遂行されるべきかという「サービス観」である。

このことがサービス企業での価値システムつまり組織文化の重要性を際立たせているのだ。

このように、サービス組織とくに労働集約的なサービスの生産では、関係する多くの従

業員は、各々自分の理解する内的な基準に従って行動する。そこで顧客へのサービス生産

に一貫性をもたせ、一定の基準で判断できるサービス商品を提供するには、担当者の内的

な基準を一つの方向にまとめる価値システムが不可欠となる。「個人の中に効果的に内面化

され、日々の行動を導く規範によってのみ、厳格で一貫した効果的な日常の活動とサービ

スの提供を確保することができる」とノーマンは述べている 81。また価値システムは、ど

んな行動が正しいかを強調することで、従業員たちの仕事に意味を与え、仕事へのモチベ

ーションを高める。価値の示す方向性によって、「自らの仕事に一生懸命になる理由があき

97

Page 99: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

らかになるからである」 82。そのうえ、組織の主要な価値システムは、同じ価値観の下に

働く人々に集団的な一体感を生み出すことができる。このように担当者の内的な基準の内

容を左右する組織文化、とりわけ組織の「基本的な底流にある前提」はサービス組織にお

いては、製造業企業の組織に比べより重要な機能を果たしているのだ。

d. 成功に導く組織文化

ノーマンは、成功を収めたサービス企業を調査し、そこに共通する新しい組織文化の本

質的要素として次のような価値システムを例示している 83 0

1 . 品質と卓越性への志向性

成功したサービス企業は、提供するサービス商品の品質が高く、企業としてエクセ

レント・カンパニー志向している。それら卓越性は組織の内部プロセスおよび顧客と

の関係の両側面において示されている。

2 顧客志向(カスタマー・オリエンテーション)

顧客との相互作用の中で発揮されるが、それは初めから存在しているのではなく、

顧客を大切にするという苦労の多い意識的な努力によって、徐々に作りあげられて

いく。顧客との関係を作りあげる活動は、重要な投資であって、作りあげた関係は

重要な顧客資産であるとみなされる 84 0

3. 人間への投資と高い社会技術(ソシアルスキル)への志向性。

成功している企業は従業員を大切にし、顧客資産とならぶ重要な資産と見なしてい

る。またその人的資産の活用についてさまざまな工夫が実施されている。例えば、

従業員の新しい役割や組織化の発想、工夫のある雇用方法、効果的なコミュニケー

ション等々について新たな仕組みを開発し、活用しているのである。そこにあるの

は「人間の成長と生産する力」についての真の信頼感である 85 0

4. 自律的な小単位の現場と大規模な支援システム860

サービス・ビジネスの顧客接点では、現場で発生するさまざまな出来事に対応できる

ように、十分な範囲の権限を与えて、自律的に行動できるようにすべきである。し

かし同時にそれら現場での活動を最大限に支援できるような全社的なシステムが必

要となる。支援は、情報、物流、状況適応的判断に必要な知恵の提供などを内容と

する。わが国のコンビニエンスストア業界における店舗と本部との関係などが良い

例である。

5. 広い視野からの高度の集中

これは提供するサービス商品のいわゆる STP(Segmentation,Targeting, Positioning)

を明確にし、そこに努力を集中するということ、そして、その設計をする場合に広

い視点から知恵と情報を得て、十分な検討をしなければならない、ということであ

る。

これらの価値的な表現は、先に検討した組織文化の 3つのレベルの第二、つまり、「表明

された価値銀」のレベルに入る。つまりサービス組織のあるべき姿がいくつかの言明によ

98

Page 100: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

って作られているのである。これらの表明された価値銀がうまく組織に定着すれば、第一

と第三のレベルの組織文化に影響を与え、組織文化の変容を促すことになる。構造的変容

というよりも組織学習であるが、重要なサービス・イノベーションの一つとなる。

e. 組織文化の定着

それでは、こうした組織レベルの価値をどのように組織に定着させ、活用したらよいの

であろうか。先に見たように、望ましい組織文化はまず、従業員個々人のもつ価値システ

ムに受け入れられ、各人の行動基準として内面化されねばならない。そのための一般的方

法は、教育訓練や社内報や会議などを利用した組織内向けコミュニケーション、仕事上の

エピソードや職場の伝説を編集したブックレットの配布などのアプローチがある。いずれ

の方法を利用するにしても、望ましい組織文化をしっかりと理解した担当者によって、機

会があるごとに一貫した組織内コミュニケーションを粘り強く続けることが大切である。

レオナルド・ベリーは、サービス・ビジネスにおいて成功を維持していくためのドライバ

-(原働力)となる要因の調査において、価値主導のリーダーシップを中心とする 9つの

ドライバーを抽出している 87。それらは、価値主導のリーダーシップ以外に(1)エクセレン

スの実践、 (2)外部の影響力を排する、 (3)信頼に基づくリレーションシップ、 (4)従業員への

投資、 (5)小さな企業のように振る舞う、 (6)ブランドを育てる、 (7)社会への貢献、 (8)戦略的

フォーカスである。先に取り上げたノーマンの成功に導く組織文化の 5つの内、 4つまで

が含まれているのが、興味深い。抜けている「顧客志向」は、言わば、当然の前提である

ので含まれていないのであろう。

さて、ベリーは、これらのドライバーを価値主導のリーダーシップによって駆動させて

いく図式を描いているが、それらは、具体的には次のような活動によってなされる 88 0

1. 夢を表現する。

組織の存在理由をミッションやヴィジョンの形で従業員に伝え、組織のどんな活動が中

心的で重要なのかを理解させる。

2. 組織の成功を明示する。

組織のどんな活動の達成が成功なのかを具体的に従業員に示す。そうした具体的な指標

があればそれも利用する。例えばディズニーランドでは、ゲストが園内で喜びと楽しさを

感じることが最大の成功である。この場合、もし測定することが出来れば、満足度の高さ

が指標となる。

3. 価値を生きる。

リーダーは、自分の行動を通じて何が重要かを示す。現場に頻繁に足を運び、会議をリ

ードし、集まりに参加し、訓練プログラムの講師を務める。そうした振る舞いを従業員に

見せ、話かける。言葉は重要な手段だが、言葉と行動が矛盾してはならない。リーダーへ

の信頼感が自然発生的に生まれるように従業員に対して望んでいる行動を自ら示さなけれ

ばならない89。率先垂範である。顧客の話によく耳を傾けるようにと言いながら、従業員

の話を聞かない上司は信頼感を獲得することができない。

99

Page 101: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

4. 部下のリーダーシップを醸成する。

労働集約的なサービス企業では、現場のリーダーの質がとりわけ重要である。サービス

の質を維持し、組織の価値観を現場従業員の行動に反映させるには、彼らのリーダーのリ

ーダーシップが優れたものでなくてはならない。つねに本番がつづくサービス提供現場で

は従業員へのフィードバック、特に激励と賞賛と気配りが大切となる。それらは現場で従

業員を見ている職場のリーダーによってなされる。またそうした現場のリーダーは内部昇

進によって任命されるべきである。

5. 試練の時に価値に回帰する。

成功した企業の多くがその成長過程で危機を経験している。しかし彼らはそうした時に

こそその組織の中心的な価値へ回帰し、試練を乗り越えている。危機の時こそもう一度組

織の価値を組織のメンバー全員に問いかけ、それに立ち返る勇気をもたなければならない。

6. 現状への挑戦。

現状がうまく行っている時こそ、自社の価値の強化を図るべきである。サービス組織に

は自己満足の傾向があり、従業員たちは現在のサービス活動をその水準のまま継続するこ

とを願い、その状態に安住しがちである。リーダーは従業員の目線を高く保つ努力を続け

なくてはならない。

7. 高揚した気分の持続

顧客を満足させることは従業員にも喜びをもたらす。特にそれが組織の価値と共嗚した

サービス活動である場合に従業員の気持ちは高揚する。従業員が高まった気持ちで仕事に

対している場合には、従業員のサービス提供は、顧客に高揚した気分で受け止められて、

そこに一貫したサービス生産システムが活用されることで、良いミクロの循環が生まれる。

「真実の瞬間」の実現である 90 0

組織の組織文化(価値システム)は、このように主に組織のリーダーによって、組織成員

に定着していく。人間を基本的に信頼した品格のある価値観の構築は、リーダーの見識と

意識的な努力のたまものであって、その組織に当たり前に存在する雰囲気にまで作りあげ

るのは大きな努力を必要とする。反対に低俗な価値観(例えば、性悪説的な人間観、つまり

人間は見張っていなければズルをするものだ)に淫するのは非常に簡単である。しかしこ

れまで述べてきたように、サービス提供において、価値システムの持つ影響力はとりわけ

大きなものであって、したがって、なかなか気づきにくいのだが、サービス・マネジメン

トにおいて、「最も」といって良いほど重要な要因なのである。

1 近藤隆雄『サービス・マーケティング第2版』 90頁、 2010年、生産性出版

2 http://www.lesroches.edu 3 http://www.glion.edu 4 先に触れたレロッシュなどの教育プログラムには、サービス概念、組織行動論、心理学

100

Page 102: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

といった態度に関連する理論を教えるような行動科学的科目が含まれている。

5 近藤隆雄 2010op.cit, p.88

6 Schneidor, B. & D. E. Bowen Winning the Se立 iceGame 1995 p.5 Boston:Harvard Business Shool Press

7 ibid.

8スタウス.B.近藤隆雄(監訳)『苦情マネジメント大全』 126頁 2008年 生産性出版

Stauss, B. & W. Seidel Complaint management 2004 Connecticut :Thomson 9 近藤隆雄 2010op.cit., 94頁

1 0 こうした身分差の意識は、いまだ社会階層の明確な発展途上国ではまだ存在するかもし

れない。しかし、著者が本書の執筆を始めた英国では、一方で旧来の社会階層がいま

だ存在しているかどうかの議論があるが、著者が、目撃したさまざまの場面での印象

はかえって逆で、公共交通機関、行政サービス、飲食、ホテル業などでは、お客がし

っかりとお礼を言うのが習慣となっているようであった。「サービスをしてくれてあり

がとう」という意識である。

1 1 .Johnston, R. and G. Clark Service Operations Management (. 沢 ed) 2008 p .108 Sussex :Prentice Hall

1 2 顧客満足についてはここで述べた、良く知られたギャップ理論に基づく認知的アプロー

チだけでなく、帰属理論、正反の感情論、公平理論などから主張される要因の影響も

あるという議論がある。 Oliver,R. L. "Cognitive, affective and attribute bases of the satisfaction response" Journal of Consumer Research vol.20, no.3, 1993

1 3 Johnston & Clark op.cit. p.108 1 4 Bitner, M. and A. R. Hubbert "Encounter satisfaction versus overall satisfaction

versus service quality" in Rust and Oliver (eds) Service Qualityp.77 1994 Conneticut:Sage

1 5 Taylor, S. A. and T. L. Baker'、AnAssessment of the Relationship Between Service Quality and Customer Satisfaction in the Formation of Cunsumers' Purchase Intentins" Journal of Retailing vol. 70, no.2 1994 pp.163~ 176

1 6 ibid. p.173 ロ筆者は本書を執筆中に英国に滞在していたが、ある日テレビを見ていたら、 "Hotel

Inspector"という番組を放映していた。内容は、私的な HotelInspectorが実際に経営

している宿泊施設を訪れて、いろいろとアドバイスをするのだが、その内の一つで、実

際にはホテルとは言えない B&Bクラスの施設の経営者が「ホテル」という名称にこだ

わっている場面があった。そこで HotelInspectorは、「貴女は顧客の期待の管理を間違

っている」という表現を使っていた。なるほど、こういう言い方をするのか、と感心し

た覚えがある。

1 8 Johnston, R. & G. Clark op.cit. p.110 I 9 ibid. pl13・4, およびZeithaml,V., M. J. Bitner and D. D. Glemler Service Marketing

(5th ed) 2009. New York:McGraw・Hill p.76 2 0 Zeithmal, Bitner & Glemler ibid. p.80 2 1 Parasuraman ,A., V. Zeithmal & L.L. Berry, "A Conceptual Model of Service Quality

and its Implications for Future Research" Journal ofMarketingvoI.49 Fall, 1985 2 2 Johnston, R." The determinants of service quality : satisfiers and dissatisfiers"

International Journals of Service Indus匂 Management 1995, vol.6,no.5 p.14 2 3 ibid.p15 2 4 Johnston, R. & G. Clark 2008 op.cit p.121 zs F, ハーツバーグ北野利信訳『仕事と人間性』 1968年

Herzberg,F. The Moがvationto珈 rk 1959 New York: John Wiley and Sons 26 嶋口充輝『顧客満足経営の構図』有斐閣 1994年 32~52頁

2 7 山本昭二『サービス・クオリティ』 1999年 千倉書房 2頁

101

Page 103: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

28 ヘスケット、サッサー、シュレジンジャー著、島田陽介訳『カスタマー・ロイヤルティ

の経営』日本経済新聞社 1998年

Heskett, J. L., W. E. Sasser Jr, L.A. Schlesinger The Service Pro.it Chain 1997 New York: The Free Press

旦池尾恭一、青木幸弘、南智恵子、井上哲浩著『マーケティング』 2010年有斐閣

270頁

30 R.T. ラスト、 V.A.ザイタムル、 C.N.レモン著 近藤隆雄訳 『カスタマー・エクイティ』

2001年 ダイヤモンド社 39頁

Rust, R. T., V. A. Zeithml, KN. Lemmon DガvingCustomer Eqm"ty 2000 New York: The Free Press

3 1 Reichheld, F. & W. E. Sasser,Jr "Zero Defections:Quality Comes to Services" HBR Oct. 1990

3 2 Gremler ,D.D. & S.W. Brown, "Service Loyalty" QUIS 5 Proceedings p.173 3 3 近藤隆雄2010 op.cit.,275頁

34 ヘスケット、ジョーンズ、ラブマン、サッサー、シュレジンジャー著小野穣司訳

「サービス・プロフィット・チェーンの実践」『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス』

1994年 6,...,_,7月号

Heskett, Jones, Lovemann ,Sasser, Shulesinger "Sevice Profit Chain" HBR 1994 3 5 Reicheld,F. "The One Number You Need to Grow" HBR 2003 3 6 Heskett, J.L., W E .Sasser Jr, CWL Hart, Servi・ce Breakthrough 1991 New York:

The Free Press 3 7 ヘスケットその他(1998)op.cit.,14頁

3 8 ibid. 129頁

3 9 筆者が実施した看護師さんを対象とする訓練の場面でも、こうした心理的な関連性につ

いて数多く言及された経験を持っている。

40 ローラーE.E.3世著、安藤瑞夫訳『給与と組織効率』 332頁 ダイヤモンド社 1972年

Lower,E.E.3III Pay and Organizational Effectiveness 1971 New York: McGraw-Hill

4 1 ヘスケット等 (1998)op.cit., 128頁

4 2 ibid. 25頁

4 3 Gronroos, C. Se江 iceManagement and Marketing (3rd ed.) p. 7 4 2007 New York: John Wiley and Sons Ltd.

44 木村達也 『インターナル・マーケティング』 1頁、中央経済社 2007年

4 5 Gronroos 2007 op.cit., p.387 4 6 ibid. 4 1 ibid. pp.384-398 48 LL. ベリー、 K.D.セルトマン著古川訳 『メイヨー・クリニック 奇跡のサービス・マ

ネジメント~すべてのサービスは患者のために』 2010年 マクロウヒル・ビジネス・プ

ロフェッショナル・シリーズ 日本経済新聞社。著者のベリーは、サービス研究の偉大

な泰斗であるが、 2001年から 2002年の一年間の研究休暇の間、このクリニックに

Visiting Scientistというスタッフとして参加し、この研究をまとめた。

Berry, L. & K. D. Seltman Management Lessons From Mayo C血 ic2008NewYork :McGraw-Hill

4 9 ibid. 24頁

5 0 ibid. 40頁

5 1 ibid.100頁

5 2 ibid.252頁

5 3 ibid. 40頁。死期が迫った母親に結婚式を見せたいと願った花嫁の希望を受けて、病院

102

Page 104: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

のアトリウムを花で飾り、スタッフの多くが参加して実際に結婚式を行った、と

いった話や、やはり死期の迫った女性の 1000マイルも離れた所にいる夫を呼び寄

せるために彼女を世話していた看護師がカンパをして航空券を買った話など、さ

まざまのエピソードがこの本には紹介されている。

5 4 ibid.299頁

5 5 Bowen, D. E.. & E. E. Lawler III'、TheEmpowerment of Service Workers: What, Why,How and When" MIT Sloan ManagementReVJewvol.33 no.3 1992 pp31・39 (Baron S (ed) Service Marketing Vol.II p.202 London:Sage)

5 6 Rust, R. T, A. J. Zahorik & T. L. Keiningham S. 年 ceMarketing p.392, 1996 California :HarperCollins

5 7 Conger, J.A. & R. N. Kanungo''The Empowerment Process: Integrating Theory and Practice" Academy of Management ReVJ・ew, vol.13 no.3 pp.471-482, 1988

5 8 Bowen &Lawler 1992 op.cit., p.203 (Baron) 5 9 ibid.p.209 6 0 ibid.p.210 6 1 Davis, L. E. & J.C. Taylor Design of Jobs 1972、London:Penguin Book

近藤隆雄監訳『仕事の設計』昭和 53年 建 吊 社

6 2 Bowen&Lawler op.cit. p.209 6 3 Levitt, T. "Production -Line Approach to Service" HBR Sept-Oct. 1972 pp.41・52 6 4 Levitt, T. 、'Industrializationof Service" HBR Sept-Oct. 1976 pp .63・7 4 6 5 ibid. 6 6 Bowen&Lawler op.cit.,p202 6 7 近藤隆雄訳『サービス・マネジメント』 209頁、 1993年 NTT出版

Normann, R. Se訂 iceManagement 1984 New York: John Wiley and sons. 6 s ibid.pp204・208 6 9 ibid.p205 7 0 Schneider, B. & D. Bowen "Employee and Customer Perception of Services in

Banks" Journal of Applied Psychology vol. 70, 1985 pp423・433

7 1 Bowen&Lawler op.cit., p.211 1 z ibid. pp211・213 7 3 Hoffman, K. D.& J.E. G. Bateson Se訂 iceMarketing p.270, 2006 Ohio

USA:Thomson 74 ノーマン R.1993 op.cit.,287頁、

7 5 Johnston, R. & G. Clark 2008 op.,cit. p.481 7 6 ベリー&セルトマン,op.,cit. 95頁

7 7 ibid. 7 8 ibid.,98頁

7 9 Schein, E. H., Organizational Culture and Leadership沢 ed,p.122 2004 New York:Peiffer Wiley

80 藤倉克己「内なるプランディングこそ外に強し」『horizon』3No.632 21頁 2011

日本マーケティング協会

8 1ノーマンR. op.,cit. 288頁

82 和田正春訳『成功企業のサービス戦略』 2001,21頁ダイヤモンド社

Berry, L. L. Discovering the Soul of Senヮ:ce1999 New York=The Free Press 8 3ノーマン R op.,cit. 290・295頁

8 4 ibid.291頁

8 5 ibid.292頁

103

Page 105: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

86 原文では "smallis beautiful in a large scale"で93年の拙訳では「大きなスケールで

の単位の縮小化はうまくいく」としたが、今回は意訳した。

8 7 ベリー 2001op.cit. 23頁

s s ibid. pp61・78 8 9 ノーマン op.cit.282頁

9 0 ibid. 284頁

104

Page 106: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

第4章 サービス・イノベーションの方法論

1 . サービス・イノベーションの領域と方法

(1)サービス・イノベーションの全体像

ここで、本論で取り上げるサービスの改革・改善のアプローチの範囲と特徴を改めて明確

にしておきたい。本論のアプローチが全体的なサービス・イノベーション研究のどの分野

における成果であり、どんな特徴をもっているかをハッキリさせるためである。

イノベーションの研究には大きく分けて、イノベーションそのものを対象にする分野と、

それらをどのように管理し組織化していくかという分野の二つがある\技術論の分野と組

織論の分野である。これはサービス・イノベーションの領域においても同じである。

図20は、サービス組織のイノベーションの対象要因を 4つに分類したものである。こ

の図は、まず横軸を、改革・改善のアプローチの対象が「サービスそのもの」であるか、「そ

れ以外の組織的要因」であるかの区分で分け、縦軸は、対象となるサービス組織の「構造

的側面」か、それとも「社会・心理的側面」を取り上げるかの区別で分けてある。

A. の領域はサービスの改革・改善のアプローチの内、本書でサービス・イノベーションと

呼んでいる領域である。サービス商品の新デザインや、サービスのプロセスを形成するサ

ービス(タスク)間の関係についての新たな設計や工夫、またサービスの内容を規定する

権限の配分などが含まれる。つまりサービスの仕事内容そのものに関連するイノベーショ

ンである。サービス生産におけるプロダクト・イノベーションとプロセス・イノベーショ

ンが具体的内容であり、技術論な側面が含まれる。

織成果(効果性、効率性)は、一次的であり直接的である。

ここでのイノベーションが生み出す組

図20

(対象組織の側面)

構造的

側面

社会・

心理的

側面

サービス・イノベーションの領域

(改革・改善のアプローチ)

サービス要因 組織的要因

A D

・サービス内容 ・組織構造

・タスク間の関係 ・コミュニケーション・

・権限の配分 ネットワーク

・報酬体系

B C

・カスタマー・ ・組織風土・文化

オリエンテーション ・価値体系(ミッション、

・モチベーション ヴィジョン)

・コミットメント

105

Page 107: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

B. とC.は本書で組織学習と呼んでいる領域である。また、 C.とD.は前述した組織論的な

イノベーション領域となる。

B. は、顧客志向のカスタマー・オリエンテーションや従業員のモチベーション、仕事へ

のコミットメントを高める効果をもつ組織学習が含まれ、組織成果に対して第一次的な影

響力をもつ。またA.の構造的なアプローチからの B.に対する二次的な影響もあり、その部

分も組織成果の向上に関係する。(例えば、エンパワメント・アプローチ)

C. と D.つまり組織論的イノベーション領域は、イノベーションが生成する場の条件の整

備に関係する。その意味で組織成果に対しては二次的な影響力をもつことになる。例えば、

次のようにイノベーションの発生を支援する諸条件があげられる。

a. 新しいアイデアの発生を助長し、それを作業に反映しやすい自律的な職場集団の

形成。

b. フラットな組織構造。情報が横断的に流れやすく、部門間の協力が得やすい。

C. 新しいアイデアの醸成を支援し、評価する組織文化(サントリーの「やってみなは

れ」)

d. 革新的な成果を認める報酬制度

e. アイデアを形にし、具体化するうえで協力が得やすい部門間編成

f. 革新的な姿勢を推進し保持するリーダーシップ(トップ、中間)

g. 迅速な意思決定を促進する組織内コミュニケーション・システム

これらの各々がイノベーションや組織学習の発生や活動の条件となって、促進的な影響

を与える重要な要因となる。したがって、 A.およびB.の領域の改革・革新は、 C.とD.領域

での改革・革新によるシナジー効果が期待でき、その結果、より強固な変革を生み出し、

長期間にわたり効果を継続することができる。また逆に言えば、 A,B領域(とりわけ B) で

の革新は、 C,D領域での革新を抜きにしては長続きしない、ということである。

しかし、組織論的な研究は、その領域が広く多様性に富むわりにサービス・イノベーシ

ョン研究の蓄積も多くなく、またなによりもその影響が二次的であるという理由で、本論

の問題意識である改革・革新のアプローチを明確化するという目的から外れると判断され

るので取りあげない孔ただし、 C.の領域に含まれる「組織文化」はそれがすべてのサービ

ス活動のインフラであり、広範で重要な影響を与えるという位置付けにおいて前章におけ

る組織学習の一部として検討した。(なお、サンドボーは、サービス・イノベーションのタ

イプをプロダクト・イノベーションとプロセス・イノベーション、および組織的イノベー

ションおよびマーケティング的イノベーション[例えば、 SASの「ビジネスクラスの新設」、

ただし本書ではこれはプロダクト・イノベーションと考える]に分けて、現実のサービス・

イノベーションではこれらのタイプが統合したものである場合が多いことを指摘している

3。)

本論では、したがって、上記の理由から、 A、B、C、の 3つの領域の改革・改善のアプロ

106

Page 108: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ーチを取り上げることとする。

(2) サービス内容のデザインを中心とするアプローチの概観

本章では、サービス・イノベーション領域の A.領域(図 20) を取り上げる。個々のア

プローチの詳細は後に説明することにして、最初に、このアプローチの特徴をまとめてお

きたい。

ここでのサービス・イノベーションは、何らかの意味でサービス内容そのものの変更を

ともなうものである。サービスは活動であるから、なにか新しい活動が加わったり、活動

内容が変更されたり、物的な道具(例えば IT)の利用によって活動が削減されることなどに

よって、顧客やサービス提供組織に新たな効果をもたらすものである。その効果は、顧客

にとって従来は存在しなかった、例えば 10分間で整髪を終えてしまうといった新サービ

ス(新しい顧客ニーズの充足)であるかもしれないし、従来存在していたサービスを充実

してより深く顧客ニーズを充たすものであるかもしれない(例えば、人毛に近い植毛技術

の提供)。また新しい仕組みと ICTの組み合わせによって、便利に時間をかけずにモノを配

達するサービスであるかもしれない。この宅配サービスの場合では、顧客への効果性とそ

のサービスを顧客に対して提供する企業の効率性の両方を充たすことになる。つまり、顧

客やサービス提供者の両方にとって、何らかの意味で効果性と効率性の両方か片方を高め

るようなサービス内容の変更がここでのサービス・イノベーションである。

サービス活動内容の変更は、サービス提供組織のシステム(特にプロセス)の変更であ

り、従業員にとっては仕事内容の変更である。したがって、この種のイノベーションはサ

ービス生産システムに構造的な変化をもたらし、また他の組織や部署に同じシステムを再

構築することも可能である(ただし、同じように機能するかどうかは、同じ品質の資源が

利用可能かといった他の条件によって左右される)。

本章で取り上げるサービス・イノベーションのアプローチは主に二つのグループに分け

られる。前半は、サービス内容のデザインにかかわるアプローチのグループであり、後半

は、サービス・イノベーションのニーズを発見するための新しい方法の提案である。

前半のサービス・デザインについてのアプローチの内容は次のようなものである。

1) . サービス・デザイン

①サービス構成要素の組立と拡大されたサービス・オファー

②製造業のサービス戦略

2) サービス・ドミナント・ロジックによるサービス・デザイン

また、本章の後半は、社会=技術システム論(Socio-technicalsystem)の考え方を応用

したサービス・イノベーション・ニーズを見つけ出す方法についてであり、これまでに紹

介されたことのないものである。

現実のイノベーションの発想からすると、まずイノベーション・ニーズの発見が先行し

て、次にその具体的対策としてサービス・デザインの段階が来るわけだが、前章の組織学

107

Page 109: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

習については、具体的な改革・改善のアプローチを順次検討してきた。本章でもこの流れ

を続けるために、まず、具体的なサービス・イノベーションの方法を先に検討することに

したい。

2 サービス・デザイン

(1)サービス構成要素の組立と拡大されたサービス・オファー

1) サービスの構成要素とその組立

サービスが商品一単位として顧客に提供される場合、そのサービス商品はいくつかの個

別サービスのまとまりとして顧客へ渡される場合が多い。その個別サービスはおのおの、

全体のサービス商品に対して機能的な役割を担っている。中心となるのはコア・サービス

であり、 2種類のサブ・サービス(促進的サブ・サービスと支援的サブ・サービス)はコ

ア・サービスの遂行を助けるサービスである。その他、状況によってコンティンジェント・

サービスが重要となる場合もある九

①コア・サービスは、そのサービス・パッケイジの中心的な機能を担っている。例えば、

医療サービスのコア・サービスは医師による診察と治療である。ホテルの場合は安全な宿

泊の提供、航空機では安全で高速な目的地への移動、スポーツクラプではスポーツをする

場と設備および訓練の提供、等々である。そのサービス商品のどんな活動に対して対価を

支払っているのか、を検討するとコア・サービスが明らかになる。またはサービス対象に、

どんな内容の変換を起すことをサービス購入者が求めているのかを検討するとコア・サー

ビスが理解できる。例えば、バスのサービスは乗客を目的地まで運ぶ活動を行っている。

乗客がサービス購入者であり、変換対象である。そして目的地までの移動が変換内容であ

る。バスのコア・サービスはしたがって、乗客の目的地への移動である。(なお、顧客側の

サービス・コンセプトはコア・サービスに対応している。コア・サービスが充たすものが

サービス・コンセプトである)。

②促進的サブ・サービスは、それ自体独立したサービスではあるが、コア・サービスの

遂行に欠かせない付随的なサービスである。ホテル、病院、航空機などのチェック・イン・

サービスは、求められる資格要件を確認し、サービス提供機関へのインプットをその時点

から確認し、以降サービス対象としてのスループットヘ変更する。大学における図書館も

促進的サプ・サービスの例である。大学での教育は、授業以外に学生が自学自習すること

によってその効果が高められるが、図書館はそうした学生の自学自習を援助する必須のサ

ービス機関である。(図書館サービスがある水準に達していなければ、文科省が大学の新設

認可を出さないのは図書館の大学教育・研究における重要性を認識しているからである。)

その他、交通機関や映画演劇コンサートなどの切符の販売サービス、病院、レストラン、

金融機関での顧客待機システムなどさまざまな促進的サービスがある。また、コア・サー

ビスと促進的サブ・サービスは、そのサービス提供組織の定常業務を構成している。

このコア・サービスと促進的サブ・サービスは、対象へのサービスによる基本的変換を

108

Page 110: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

担当する部分なので、いわば順調に顧客が満足できる水準で遂行されることが当然と受け

取られる。交通機関が乗客を予定通り目的地に運ぶのは当たり前であり、時間通り目的地

に到着したからといって、顧客はとりわけ満足感を感じることもなく、当然と思う。逆に、

この二つが十分に提供されないと、顧客は大きな不満足を抱くことになる。飛行機が目的

の空港まで到着しなければ大問題だし、大幅に遅延するのも顧客にとっては非常に困った

事態である。

したがって、この二つのサービスでは、顧客に取っての関心は、まず、そのサービスが利

用できるかどうかのアクセスが問題であり、その次に提供されるサービスの品質が問題と

なる。どのような種類のサービス業であっても、その提供するサービスがたとえお粗末で

低品質のものでも、取りあえずサービス・システムに入ってしまうと対価を支払わなくて

はならない。サービスの場合、探索属性を利用できないので、経験しなくてはその品質を

評価できないからである凡

③支援的サブ・サービスは、コア・サービスの遂行に必ずしも必要ではないが、このサ

ブ・サービスが提供されることで、全体としてのサービス商品の内容が豊かになり、サー

ビス商品としての差別化に役立つサブ・サービスである。例えば、ホテルでのレストラン

やバー、大学の学生食堂や部活動・サークル活動などへの援助などは、なくてはならない

ものではないが、あると便利であり、それらのサービスの良さが評判を生んで集客に役立

つこともある。

支援的なサブ・サービスにはさまざまな種類があるが、先に述べたコア・サービスや促

進的サブ・サービスとの違いは、多くの場合、先の二つがそのサービス商品の定額料金に

含まれているのに対して、支援的なサブ・サービスの場合には、その利用に別料金を必要

とする場合が多いという点である。(ただし、サービス商品のパッケイジの考え方によって

さまざまのケースがあり得る。例えば、日本旅館では食事はコア・サービスに入っている

のが普通だが、食事抜きの素泊まりの形式もあり、ホテルでは食事は普通別料金だが、朝

食や夕食込みのセット料金を設定する場合もある)。

④最後のサブ・サービスは、コンティンジェント・サービスである。これは状況適応的

なサービスである。天候、地震、台風といった自然的外部環境の変化と、火災・事故など

人為的・社会的な突発的出来事などが原因となって、サービス機関が顧客(または潜在顧

客)への特別な対応を行う場合である。 2011年 3月 11日の東日本大震災では、東京の公

共交通機関がほとんどストップしてしまったために、大量の帰宅難民が発生した。東京日

比谷の帝国ホテルではロビーをこの人達に一晩開放し、水や食料を配り、毛布を貸し出し

て、定期的に情報提供も行ったという。「さすが帝国!」という評価でプランドを高めると

同時に潜在顧客の数を増やしたに違いない。普段、不特定多数の人々にサービスを提供し

ているサービス機関は、天災等の事態では、困難な状況にある人々にそのサービス能力を

解放すべきである。

コンティンジェント・サービスを必要とする原因のもう一つは顧客が持ち込む特別要求

109

Page 111: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

である。腎臓の悪い人はレストランで塩分控え目の料理を頼むかもしれない。チェックア

ウトの時間を超えて会議が続いているホテルの客室の利用者は、利用時間の延長を依頼し

てくるかもしれない。このように個別の事情をかかえた顧客達は定常業務を越えた特別扱

いを求めてくる場合が少なくない。顧客がこうした特別扱いを求めてきた場合、企業のル

ールを逸脱することがあっても、可能であれば、対応することが望ましい。顧客も無理を

承知で頼んできているので、その要求に応じることで、顧客に大きな満足感とある種の感

謝の念を生むことができるからである。もちろん、このような場合、臨機応変の適切な判

断が求められることになる。また臨機応変の柔軟性のある対応を可能にするには、従業員

へのエンパワメントと顧客志向の組織文化の存在が前提となる場合が多い。

嶋口は、これらサービス・パッケイジを構成するサービス群に関して、興味深い仮説を

提案している凡彼は企業が提供するサービスの属性を二つに区分し、顧客が支払う対価に

対して当然受けられると期待しているサービス属性を本質サービス(本書ではコアと促進

的サプ・サービス)と呼び、代価にたいして必ずしも当然と思わないが、あればあるにこ

したことはないサービスを表層サービス(支援的サブ・サービスとコンティンジェント・

サービス)と呼んでいる。また、本質サービスは、最低許容限度以下の水準になると、そ

の満足は 0になってしまうが、ある水準以上に充足したとしても、満足度は中間水準で水

平状態になりそれ以上に上昇しなくなるとしている。

これに対し表層サービスは、顧客にとって不可欠ではないので、それがゼロであっても

別に不満の対象とならず、たんに満足感のない状態(アンサティスファイド)である。し

かしそれを充足されていくと次第に満足感が上昇する。つまり表層サービスは、顧客の満

足感を直接向上させるための重要なサービスだということになる。また表層サービスは、

一つの表層サービスの良さが他の表層サービスの欠点を補うという代償性の特徴を有する

が、本質サービスではこうした代償性は存在せず、もしどれかの本質サービスに欠点があ

るなら、それは全体としての満足感を引き下げる作用をすることになる。

そこで、この仮説が示唆する施策は、「何よりもまず、不満を作らないように最低許容水

準以上の本質サービス属性の充実をはかる。しかし、本質サービスは投資に対する満足上

昇効果は緩慢なうえ、ある充足水準以上では満足上昇が止まってしまうので、むしろ、表

層サービスの充実化に資源を振り向けたほうがよい」 7というものである。

この議論はハーツバーグの衛生理論8の援用と思われるが、問題点の一つは本質サービス

および表層サービスの定義が一般論のレベルに留まって明確でないために、特定のサービ

スがどちらに属するか、確定しにくいという点である。

われわれはコア・サービスとはサービスにおける変換過程を担う技術的な側面と考えて

いる。したがって、顧客にとっては当初は、それらのサービスが利用できるかどうかが関

心事である。なぜなら例えば、金融機関であれ、公共交通機関であれ、それらの技術シス

テムは普通人には外側からは評価できないことが多いために事前に評価するのは困難だか

らである(評価の信用属性)。しかしいったんサービスが利用できることになると、次の段

110

Page 112: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

階では、顧客自身との関わりの中で感じられる、さまざまの品質に対する評価がでてくる。

それらは主に、サービス提供の過程的側面に関して向けられることになる。

表層サービスに分類される支援的サブ・サービスやコンティンジェント・サービスはサ

ービスの提供過程(How)でのサービス品質である。 SERVQUAいの 5つのサービス評価項目の

内、信頼性というサービスの結果的側面(技術的側面)に関わる項目以外の確信性、共感

性、反応性、物的要素はすべてサービス提供の過程的な側面を評価する項目である。

実際に、サービスの構成要素をいかに設計すべきかについては、上述した嶋口の仮説は

取るべき方向性を示唆しているが、具体的ではないので、七章での「顧客満足」の部分で

検討した、「サービス品質要素の特徴」(図 14) を利用すべきである。くり返せば、そこ

では各々のサービス品質要素の特徴にしたがって、衛生要因、両義性要因、満足要因、中

立要因の四つに分類されている。提供されている特定のサービスの品質要素を調べること

ができれば、その特徴が属する分類を参照して、どの要素にフォーカスして改善・改革を

行うべきかを知ることができる。

2)拡大されたサービス・オファー

コア・サービスやサプ・サービスは、先に述べたように、サービス対象の変換に関わる

サービス商品の中核的な技術的な機能を分担するサービス・パッケイジであるので、その

設計には十分な検討が必要である。しかし同時に、顧客との相互作用を前提とする多くの

サービスでは、技術的な側面のみならず、サービスの過程的な側面についても配慮しなく

てはならない。過程的な側面で行われる、多様な相互作用を形作るさまざまの仕組みやシ

ステムが、顧客の満足感や組織の効率に大きな影響を与えるからである。それらは顧客の

心理面から捉えれば、サープクアルのサービス過程に関連する項目や先に触れたサービス

品質要素によって把握することができる。

次に、構造的なアプローチの 2番目として、「拡大されたサービス・オファー」の考え方

を説明しよう。

図21は、サービスの構成要素を拡大して、顧客との相互作用の側面も含んで、サービ

スそのものに関わる全体的なオファーを図示している 10。円の内部は、コア・サービスと

二つのサプ・サービスを表していて、この部分がサービスの技術的側面を受け持っている。

サービス対象の変換を実行する部分である。

円の外側は、一番上にきているのが「サービス・コンセプト」であって、円内の技術的

内容に対応する。顧客がそのサービスによってどんなニーズを充たしたいのかを示してい

る。時計回りで、二番目にくるのが、「相互作用」である。サービス組織とのコミュニケー

ションつまり、サービス組織の設備やシステムとの相互作用の分野である。一番下が「参

加」であって、顧客がサービス組織に対して自主的に行う活動を含む。最後の左中段は、「接

近性」であり、顧客のサービスヘのアクセスの良さに関係する。この 4つの内、サービス・

コンセプト以外の 3つの項目が顧客とサービス組織との相互作用領域であって、これらの

111

Page 113: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

領域における関係の実態がサービスの過程的な品質を構成する。この三つの領域は、サー

ビスそのものではなく、コア・サービスやサブ・サービスが作るサービス・パッケイジを、

顧客がどのように利用するかに関わるサービス提供の仕組みやサービス生産システムの要

素である。

図21 拡大されたサービス・オファー

アクセス

サービス・コンセプト

コア・サービス

^ 相互作用

ービス

参加

(Gronroos, C. Service Management and Marketing 3rd ed.

2007 Wiley p. 187)

この 3つの相互作用領域が含む具体的な項目の例は次の通りであって、示された項目

ごとに、その仕組みやシステムが顧客志向の内容になっているかどうかを検討し、十分

ではない部分は新たなデザインによって再設計しなければならない。

①顧客のサービスヘのアクセスの良さ

顧客が特定のサービスを利用する際の利用のしやすさに関係する項目である。サービ

ス組織の提供するさまざまな資源(従業員、技術、システム、他の顧客等)と顧客が容

易に相互作用を行い、サービス・プロセスに参加することを促進する。

a. 従業員の数と能力

b. 営業時間、時間帯別営業内容、サービス遂行に必要な時間幅、

C. 立地

112

Page 114: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

d. サービス施設の内部と外部

e. 顧客の利用する道具、設備、書類類の数、配置、説明

f. サービス利用に関連するシステムおよび情報機器(コンピュータ・モニター等)

g. サービス利用に関連する情報提供(ホームペイジ、パンフレット)

h. 顧客が利用でき、アクセスできるサービス組織の通信・情報システム

i. サービス・プロセスに同時に関われる顧客数

②サービス組織との相互作用

サービスの授受に関して必要となる、顧客とサービス組織の資源との間におけるさま

ざまな相互作用を含む。

a情報のやり取り

(イ)顧客発信:注文、商品内容相談、問合わせ、支払い、クレーム

(口)企業発信:商品案内、受注、請求、コンサルティング、

b. サービス組織の物的・技術的資源との相互作用

顧客のサービス消費に必要なさまざまな物的道具・機械・設備等の使い勝手 (ATM,

駅の自働発券機、空港の自働チェックイン機、病院のチェックイン機や自働支払い

機、コピー機、待合室の椅子、ホテルの机、等々)

C. サービス組織のシステムとの相互作用

サービス組織が用意しているさまざまな顧客利用システムの使いやすさ。(顧客待機

システム、予約システム、支払いシステム、検査システム、メンテナンスや修理シ

ステム、苦情システム等)

d. プロセス内での他の顧客との相互作用

③顧客参加

顧客がより優れたサービスを受けるために自発的に参加し、サービスのコ・プロダク

ションやサービス提供の文脈にあった共同創造(コ・クリエイション)を実行すること

に関係する。サービス生産プロセスに顧客資源を注入し、インパクトを与える。

a. 顧客の情報提供、書類への記入、ウェブサイトの利用など

b. サービス提供組織のアドバイスを受け入れ、従うこと(病院での患者のコンプライ

アンス、アドバイスに従ったサービス利用等)

C. 顧客のサービス組織に対する評価の表明、アドバイス、提案

これら 3つの相互作用領域は、現実に顧客がどのようにサービス・パッケイジに関わ

っているかを示している。つまりサービスが提供される過程の具体的な側面である。サ

ービス提供過程のサービス品質は、対人サービスの場面では、サービス提供者の能力や

態度に左右される部分が大きい。しかし同時に、規則、マニュアル、規定された役割、

物的要素など、サービスを提供する場の条件となる仕組みやシステムのもつ影響も重要

である。こうしたサービス提供の構造的側面を顧客志向の銀点から再設計することによ

113

Page 115: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ってサービスの過程品質を著しく向上させることができる。しかし、いままで、この部

分に関連するサービス品質は十分には検討されてこなかった。一般に、サービスの結果

的な側面(図 21の円内)に目がいって、サービスを顧客に渡す過程の側面への注目が

低かったことがその理由である。(この 3領域は、サービス・マネジメント・ミックス

のプロセスと物的要素の部分であり、ザイタムル達は、これにヒ°ープルを加えて、顧客

が無形のサービスを実感するサービスの証拠〔Evidenceof service〕いと呼んでい

る)。

このように、従来のサービス・デザインの視点からは十分には検討されてこなかった

アクセス、相互作用、顧客参加の 3つの領域にデザインの幅を広げて、これらも顧客に

対する企業のオファーの重要な一部分であると見なすのが、「拡大されたサービス・オ

ファー」の発想である。金型部品の商社であるミスミのビジネス・モデルは、この発想

と基本的に同じ視点に立っている。

ミスミは機械の部品をつくる金型部品の販売会社である。 1963年の創業

であるが、 2000年の初頭には、 500億円の売上を誇る企業となった。ミスミの

成功は、製品、価格、宣伝の工夫といった4Pによるものではなく、商品を

顧客へ供給するという流通部分に特化した、つまり商品を提供するプロセスを

改善するビジネス・モデルによるものであった。

金型部品の市場は、商品点数が一万を超えていて、納入先は 2.5万社、しかも

取引は商品の特質から一個から発生し、顧客が図面を書いて発注してくるという

非常に特殊なものであった。したがって、金型部品商社は営業マンを企業訪問

させるか、電話で商品の受注を取り、金型部品メーカーに注文を流すという販売

形態であった。

ミスミはまず、一万点の商品の標準化を図り、これをカタログに収載すると

いう方法を取った。完全に標準化できないものは半製品として収録した。

そした電話帳のようなカタログを取引企業に配布して、カタログに記載した

商品番号で受注するようにした。(これにより顧客はいちいち図面を用意する

必要がなくなった)。顧客の手間を省き、顧客参加の形態を変更したわけである。

また商品価格もカタログに載っている価格で販売し、価格体系も標準化された。

またカタログに記載された半製品については、ある程度の在庫をもつことを

製造企業に依頼して、注文が来ると、製造業者に連絡して発注主の規格に

合った製品をスピーディに用意できるようになった。カタログを基礎とした

取引にすることで、納期も明確化された。こうした態勢を整えることで、

ミスミは顧客に対し、品質保証(顧客が必要とする部品を見つける)、供給

保証(ねじ一本でも、一個でも)、価格保証(カタログに記載された価格で)、

納期保証(必要な期限までに)の4つの保証を与えることができた。この

114

Page 116: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

方式は従来のやり方に比べて、顧客にとっての利便性の革命的な変化である。

ミスミの改革は、商品である金型部品を、顧客へどのように供給するか

(つまりプロセス)の改革である。先の拡大されたサービス・オファーに

おける顧客との相互作用も、商品へのアクセスも、顧客参加の形態のすべての

側面が従来に比べて改善されている。こうしたビジネス・モデルがミスミの

成功を生んだ基となった。

(しかし、中堅企業となったミスミは、このビジネス・モデルの硬直化と

競合他社が同じ方式で参入して来たこと、また不景気による受注の落ち込み

などから、 2002年に経営者が交代し、従来の在庫や設備を‘‘持たない経営”

から新しいモデルヘ変化せざるを得なかった)。

(2)製造業のサービス戦略 (新しいサービス・ソリューションのデザイン)

産業界で進行する新しい変化に注目してサービスとモノ製品との関連を考える場合、

3つの流れを指摘することができる。第 1は、消費者の飽くなき欲求の高度化に対応し

て、サービスとモノ製品を一体化して、商品としてのソリューション能力を嵩めていく

動きである。これは、商品内容の変化である。

第2には、第 1の流れとも関連しているが、企業が顧客の変化する欲求に応じるため

に、企業の主要な生産物である製品や商品の構成をモノ製品からサービス商品へ転換さ

せていくことである。この流れには IBMのように主要な生産物の変化によって、産業分

類を製造業からサービス業へ転身したといった大規模なものから、製造業が生産してい

るモノ製品にたいしサービス商品の提供を増加させ、できればサービス生産においても

収益を上げたいといった問題意識に基づく、企業の生産物構成の構造的変化がある。こ

れには従来から提供していた機械メンテナンスの有料化といった比較的簡単なものか

ら、収益の主要な第二の柱としてサービス部門を立ち上げるといった比較的大きな組織

変化をともなうものまでさまざまな形態と規模で分布している。企業オファーのポート

フォリオの変化として判断される。

第 3は、第 2と同じく、市場へ提供する生産物の変化をともなうのであるが、その変

化が環境問題への貢献を生み出すという観点から議論される流れであり、これはサービ

サイジング (Servicizing) と呼ばれている。環境意識の観点から 2000年前後より取り

上げられ始めた。

この 3つの流れはいずれも何らかの意味で組織の効果性と効率性を高めるという点

で構造的変化をともなうサービス・イノベーションと考えることができる。

1) モノとサービスの融合

モノはサービスの「入れ物」であるとするサービス・ドミナント・ロジックの発想は、

モノの使用価値に注目して、単純化を恐れず言えば、モノ製品のもつ機能は、同じ変換

115

Page 117: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

機能という意味においてサービスと同じだという見方である 12。そうだとすれば、製

品や商品のもつ問題解決能力は、モノ製品とサービスの両方によって担うことができ、

具体的問題は二つの間での分担やデザインの問題だということになる。同様の見方は、

ショスタック 13、コトラー 14、上原 15などによって主張されている。また、実際、現

実のモノの消費活動では、上原の主張するように、なんらかのサービスの関与が不可欠

である 16 (例えば、モノ販売における梱包、配達、据え付け、不良品の交換・修理等)。

そこで、生産者や消費者が意識するかしないかは別にして、モノ製品や商品が使用価

値を十分に発揮するにはサービスが必要だとすれば、問題は、この二つをどんな組み合

わせにして販売するかである。

井関は、モノとサービスの関係について、実際に販売されている組み合わせの型とし

て次の三つのステージを寓意的に示している 17 0

第 1段階 すき焼き肉と脂身

第 2段階

第 3段階

サーロイン・ステーキ

松坂牛

この場合、肉(にく)本体はモノ製品を表し、脂身はサービスを表している。

第 1段階ではすき焼き肉の場合のように、脂身は客の求めに応じて付いてくるもので

ある。第 2段階のサーロイン・ステーキでは脂身は肉に必ず付いてくるが、各々は別の

部分として区別できる。第 3段階の松坂牛では、脂身と肉質が霜降り(サシ)状態にな

って一体化していて、分けることに意味がない。

第 1段階のすき焼き肉の段階では、製造業のサービスは、顧客の製品の購買にともな

って、言わばしかたなく提供しているサービスである。製品の梱包、配達、据え付け、

不良品の交換や修理、または苦情処理などである。こうしたサービスは、企業の競争優

位性の確立にはほとんど関係しない。企業としては、サービスが少ない方がモノ製品の

完全性を表すと考えていて、コストもかかるので、こうしたサービスは必要悪と見なさ

れている。

第 2段階のサーロイン・ステーキでは、サービスはモノ製品に付属しているが、別個

のものと見なされる。この段階と最初の第 1段階との違いは、サービスが差別化を形成

する一つの要因となると考えられていることである。

なお、この段階のサービスにも 2種類あり、一つは提供しているモノ製品と直接関係

しているサービスである。例えば、購入したパソコンの使い方や故障の問い合わせに対

応するアフターサービスなどで、最近では顧客も製品の購入に際してそうしたサービス

の良さを意識する傾向にある。その他、車のローンや保険、購入した機械の部品の供給、

コールセンター業務などがある。サービスが有料で提供されるか、無料なのかは、製品

とサービス内容、および企業の方針によって異なる。

もう一つは、モノ製品と関連しているが、直接的ではない付随的なサービスの場合で

ある。例えば、ブリジストンではタイヤを原因とするトラプルの処理を「タイヤ・ソリ

116

Page 118: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ューション」と名付けたサービスで提供している。これまでは、例えば夜間タイヤのト

ラブルが発生すると翌朝まで待たなくてはならなかったが、このサービスでは 24時間、

どこでもトラプル処理に当たるサービスが提供される。他にもコマツはショベル・カー

やブルドーザーに、インターネットを利用した位置情報、稼働時間の記録、省エネ運転

支援などのサービスを組みにして提供する「KOMTRAX(コムトラックス)」のサービスを

提供している。下記に例示したレッド・バロンの「ロード・サービス」と同じく、顧客

の個別の事情に対応した新サービスである。レッド・バロンでは、サービスを積極的に

顧客が求めるソリューション拡大に利用して、差別化に成功している。

レッド・バロンは 1972年の創業で、新車や中古車の二輪車の販売を行っている

企業である。資本金は 55億円。平成22年の売上高は 647億円にのぽる。

店舗は国内 300店舗あり、従業員は約 2400名である。この企業の特徴は、

創業以来 30年をかけて、顧客にとって非常にソリューション能力の高い

サービス体制『ロード・サービス構想』を確立したことである。その内容は

(1) 全国どこでバイクが故障しても 30分以内に現場に駆けつけて修理する

W30(Within 30Minutes)のサービス。 (2) レッド・バロンの顧客専用の

直営修理工場 (280店舗)を全国各地へ設置。 (3) これまで中古バイク販売

業界にはびこっていた走行距離の改ざんなどモラル・ハザード問題への対応、

の3つである。こうしたサービス体制によって、レッド・バロンの顧客は

二輪車の売買、およびその後の利用に関連する様々の問題のほぽすべてに

関して、会社への信頼を維持しつつ、どんな場合でも安心してバイクを利用

できるようになった 18 0

こうした付随的なサービス商品の開発は、企業が生産しているモノ製品になんらかの

関連性をもち、範囲の経済を利用しているものが多い。今後、提供しているモノ製品に

対して、顧客側がより深い問題解決能力を求める傾向が強くなり、また差別化の必要性

が高まるにつれて、この領域でのサービス開発は、いっそう重要となり拡大していくに

違いない。

第 3段階の霜降り肉の場合は、モノ製品の機能とサービスの役割が一体化して全体的

なソリューションを作りあげるタイプである。例えば iPodは、機械本体は録音再生機

であるが、 iTuneという音楽をインターネットで販売するサービスを利用することで、

自分の好きな楽曲を選び、自ら編集して固有のアルバムとして格納することができる。

つまり iPodというモノ、 iTune というサービスと一体化して価値を生むのである。収

益は、モノ製品からもサービスからも獲得することができる。 (iPhoneも iPad

も同じシステムとなっている)。ほかにもネットワークを利用したモノ製品とサービス

の一体化の例として心臓ペースメーカーがある。心臓ペースメーカーを製造している米

117

Page 119: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

国のメドトロニックスでは、ペースメーカーが心臓の状態を遠隔モニターして、その情

報がネットワークを通じて医師の所に送られ、顧客が必要なアドバイスが受けられるよ

うなサービスを提供している 19 0

現代のわが国では、第二段階が中心となっていくであろう。第三段階に入るには、

製品において情報技術を利用したブレークスルーが必要であり、どの製品でもこの段階

に進めるわけではない。

第二段階は今後も引き続き、発展する可能性をもっている。製造業が、モノ製品のコ

モデイディ化の回避を計り、範囲の経済やサービス・ドミナント・ロジックの文脈価値

の発想を活用して新サービス開発を進めれば、モノとサービスを組み合わせた新商品の

開発がより多く開花していく可能性を持っているからである。

2) 製造業のサービス戦略

前節において、商品として一体化したモノ製品とサービスの組み合わせについて概観

した。次に、そうした変化を生んでいる内在的論理は何なのか、また、製造業がサービ

ス化を進める際の手順や問題点などを少し具体的に検討してみたい。

最初の段階に見られたモノ製品に付随する(企業側が必要悪と見なす)サービスは、

そのモノ製品を購入した顧客が、いわば利用する権利 (entitlementservice2 0) をも

つ交換、保守・修繕といったサービスであった。しかし、今日、そうした第一段階のサ

ービス提供から第二段階へ、またほぼ同時に第三段階でのサービス提供が始まっている。

その内容は、従来、モノ関連サービス (productrelated service)と呼ばれたサービス

から、機械・設備の稼働率を高めるといった、機械類の取得から廃棄までのライフサイ

クル全体のさまざまな場面に関わるさまざまのサービス商品(アセット・マネジメント、

リスク管理、 BPO、その他のサービス・ソリューション等21) へと変化してきている。

①背景的要因

こうした方向への変化を生んだ背景的な要因には次のようなものがある。

a. モノ製品のコモディディ化のスピードが早くなり、モノ製品単体では利益が見込めな

くなってきた。そこでモノ製品関連の魅了的なサービスを付加して、商品の差別化を

図る動きが始まったこと。また、それらのサービスの価値を高めることでモノ製品の

売り上げを高めようとする (betterservice to sel 1 more products) 2 2動きがでてき

たこと。

b. サービスは一般に収入が安定的(一度でなく継続契約が多い)で、マージンも高く、

景気の変動にあまり左右されないこと 23 0

C. 顧客が購入したモノ製品に関してより大きな援助を求めるようになったこと。(機械が

より専門化し高度化している)。

d. サービスは外部から分かりにくく、そのため競合企業が真似しにくいこと。(商品の競

争優位性を作りやすい)。

118

Page 120: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

e. サービスでは投下資本が相対的に少なくて済むこと 24 0

f. モノ製品が持つプランドや顧客ベースが利用できること。

g. モノ製品と一体化することで、企業や商品へのロイヤリティを形成しやすいこと。

などである。

②モノからサービスヘ:ロジックの変化

アリゾナ大学のブラウン等は 20社の製造業のケース・スタディによって、製造業企業の

サービス提供に於ける利点や課題、成功要因などを調査しているが 25、結論として、製造

業がサービスを提供するという転換において成功を収めるには、モノ生産の論理からサー

ビス生産の論理へとビジネスの原理を転換しなくてはならないと述べている。また、 IBMの

場合を参照して、サービス・ロジックに転換することは、モノ製品の販売を止めることで

はなく、企業が市場ではたす役割を変化させることなのだとも言っている。

IBMは、 90年代までば悩める巨大製造業であったが、インターネット時代に入って、こ

の企業の最大の資産は、コンピュータの生産ではなく、そのオペレイション能力と組織対

応であることを経営者が認識するに至った。そして、 IBMを情報技術サービスの提供者とし

て再定義することを決断した。コンピュータを販売する会社から顧客が抱くさまざまな情

報技術の課題に対するソリューション提供企業に転換したのである 26。そのソリューショ

ンの一部にハードを含めることで、そもそもなぜハードを売るのかという理由を変えたこ

とになる (1996年に IBMグローバル・サービス部門を設立し、 2004年にパソコン部門をレ

ノボに売却した)。コンピュータは、最終商品から、ソリューションというサービス商品の

「道具」としてのハードヘ転換したのである。

ITC企業の場合には、技術進歩があまりにも急速であり、そのため市場の課題の変化も急

激であったという事情が影響しているかもしれない。しかしサービス・ロジックヘの転換

にはどの産業にも共通したパターンがある。

A社は老舗のボタンメーカーで、高品質のボタン製造で知られていた。

X社は SPA(製造販売)を行う婦人服メーカーであり、 A社のボタンの

カタログから必要な製品を選んで A社に発注していた。一方、 B社は

小規模のファスナーメイカーで注文生産を行っていた。 X社では現在、

新製品のプランを検討中であり、その中で、ファスナーを利用するために

B社の担当者を呼んで、どんなファスナーが適切か、相談を持ちかけた。

B社の担当者はフアスナーの可能性についてさまざまな説明を行って、

新製品に最適なファスナーを提案し、受注することができた。

X社の担当者は B社の説明が適切で、今後、さまざまな展開の可能性が

考えられたので、それから時々B社に相談を持ちかけることになった。

しばらくして、 B社は、 X社との間にアドバイザリー契約を結ぶこととなり、

継続的で安定した収入を得ることができるようになった。

119

Page 121: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

その内、 B社はボタンに関しても相談を受けて、新しい提案するようになり、

X社にボタンの納入も行うようになった。

このケースはサービス・ロジックの典型例を示している。 B社は、 X社の業務内容を把握

し、よく理解したうえで、 B社の専門能力を活かせるサービスを提案して X社との関係性を

築き、自社の専門能力を活かしたサービス商品を、顧客企業が必要とするソリューション

商品として提案した。これがサービス・ロジックの内容である。(つまり、 A社のように最

終商品としてのモノ製品を提供するのではなく、 X社との共同創造が可能な、価値の提案を

行う、ということである)。

プラウン等はサービス・ロジックヘの転換の利点を、継続的で安定的な収益、競合との

差別化、市場変化への柔軟で適切な対応の三点をあげているが、上の B社の例でもこうし

た3つの利点を見ることができる。

③成功要因

製造業がサービス商品の販売で成功するには、次のような課題をクリアする必要がある

2 7

a゚. 最も重要な課題は、製造業がサービス・ロジックを理解することである。自分の組織の

事業における固有の強味を理解し、それをサービスとして他社に提供できるかどうか判

断し、可能性があれば商品としてデザインする。(デュポンは、 13の事業部門を持って

いるが、その内 12では製品およびその製品に密接したサービスを提供している。残り

の一つは、顧客支援サービスを行っており、その中心となる能力は、独自に開発し蓄積

した安全管理技法であった)。

b. 顧客に提供するサービスの価値は、共割的な価値生産を目指す。 (SKFはベアリング・メ

ーカーであるが、ベアリングが故障すると顧客の製造過程は停止してしまう。そこで SFK

はベアリングを売るのではなく、顧客と一緒になって機械のダウンタイムを引き下げ、

生産性向上を目指すサービス・ソリューションのプロバイダーヘと転換した。)

c... c... プュポンや情報通信会社のエリクノノのようc. サ ビス専門の別組織の創設28 先r見t--''

にサービス化に成功した企業は、サービスに進出する際に組織内に新しい部門を創設し

ている。次に述べる組織文化とも関連するが、サービスの販売には、従来の製造業に適

していた組織構造やプロセスを変更し、新しいシステムを構築しなくてはならない。新

しい能力や方法を評価するインセンティブ・システム、新しいビジネス・モデルヘの理

解(取引志向から関係性志向へ)、顧客企業の事業プロセスヘの従来よりも深い理解な

どが必要となる。(モノ製品販売では、製品の素晴らしさを理解していればよかったが、

サービスの場合には、その製品が顧客の事業の全体のプロセスでどんな役割を果たし、

それを十全に活用するにはどんなプロセスのリ・デザインが必要となるかを考えなくて

はならない。)モノ販売の場合よりも顧客組織の上位の役職者との交渉、たんなる人月

的な価格ではなく顧客の価値を反映する価格体系(例えば、ダウンタイムの縮小を反映

120

Page 122: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

する価格、等)に配慮しなくてはならない。また、サービスを担当する組織単位を一つ

のプロフィット・センターとすべきである 29。その他、新しい雇用方針、営業訓練、業

績評価やインセンティプ・システム、モノ製品の場合とは異なる受注、請求の仕組み、

会計システムなどが必要となるであろう。

d. サービス文化を反映する組織文化の醸成。従来のようにモノ製品を販売している場合に

は、サービスはしばしばモノ製品に付加される「おまけ」として無料で提供を求められ

ることが多かった。それは製品の販売を確実にするための方策であった。新たなサービ

ス文化では、サービスそのものが顧客にとってどんな価値を生むかを理解しなくてはな

らない。大きな機械をデザインし、技術の論理で生産性を上げ、規模の経済を達成する

といった従来のパターンではなく、提供した機械をどのように活用して顧客の目的を達

成するかが課題である。そのためには、顧客の声を十分に聞いて、その手助けをする姿

勢が求められる。また、一台何億という機械を販売していたモノ販売の経済とは異なり、

営業員にとっては、毎月何百万といったサービス契約には情熱がわかないという問題も

ある。サービスの経済が異なることを理解しなければならない30。また、顧客のニーズ

や課題はさまざまであるから、課題ごとにチームを組み、グループで対応していくこと

が望ましい。その意味で従業員のチームヘの適応性やチーム倫理にも目配りしなければ

ならない。

e. サービス商品のモデュール化。新たに提供するサービス商品は、ある割合で、事前にい

くつかの標準化されたモデュールとして構成すべきである。顧客企業のニーズと状況に

合わせてカスタマイズすることは重要であるが、可能ならば、モデュールを組み合わせ

たマス・カスタマイズが望ましい。(エリクソンでは提供しているサービスの四分の三

をモデュール化している) 3 1。マス・カスタマイズできない課題は、担当チームによっ

て個別対応がどのように可能か、検討することになる。こうしたサービスのモデュール

化の発想は、サービス生産と販売の効率性と効果性を高め、サービス組織の業績を上向

かせるために不可欠の要素である。

④製造業企業のサービス化の発展段階

プラウン等は、彼らの調査に基づき次ぎサービス化への発展段階として、次の三つを示

している 32 0

a. モノ製品に関連した価値付加的なサービス (Product-reI ated, va I ue added services)。

製造業が従来,無料でモノ製品に付加してきた (entitlement)サービス。修理、保守、保障

期間の延長、プリンター企業のプリント用品の提供などのサービスを提供する段階。

b. モノ製品に関連していないサービス (Nonproduct-related services)。直接、生産し

ている製品とは関係ないが、企業がオペレイションや組織能力として保有している能力を

提供したり、アウトソーシングとして受けたりするサービス。人事関係業務 IT,輸送、カス

タマー・サービスなどを提供する段階。

C. サービス主導のソリューション (Service-ledsolutions)。最も進んだ形態のサービス

121

Page 123: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

提供。顧客と一緒に緊密に活動することによって、顧客のニーズを理解し、利益を共創す

ることによって信頼されるアドバイザー、ソリューション提案者となる。最初の企業で

サービスをモデュール化しテストされることで、他の顧客とも新たな関係性を築いてその

モデュールを利用し、事業を拡大する段階、である。

これに対し、オリバ等は、 ドイツの 11の大手機械メーカーの詳細な調査によって、そ

こで展開されたサービス化を次図のような 5つの発展段階にまとめている 33 0

図22 製造業のサービス化の段階

第 1段階: キッカケ:顧客満足の向上、競合との競争モノ製品関 目的: サービス品質と提供速度の改善、効率化連サービス 活動: ・バラバラに提供されていたサービスの統合の統合 ・サービス内容の評価システムの構築

・品質改善のための支援サービスの提供

第2段階: キッカケ:収益可能性、競争、顧客満足、経営の革新製品ライフ 目的:サービス市場への参入による利益の向上サイクル全 活動:サービス市場の評価体へのサー 独立したサービス組織の創設ビス提供 サービス提供地域の拡大

」し第 3段階:調係性の構築 第4段階:ブロセス中心のサー

ビス提供

キッカケ:顧客の希望、キッカケ:顧客の希望、商品目的:サービス資産の活用 ヽ

開発能力の活用活動:オペレイション・リス

~ V

目的:組織資源の活用クを負い、稼働率に対

活動:コンサルティング能力応する価格設定を行い、 の開発、コスト削減を達成する。 営業範囲の拡大、

"<-> 第 5段階:エンド・ユーザーのオペレイションを代替する。 I

(Oliva,R. ,R.Kallenberg "Managing the transition from products to services"

International Journal of Service Industry Management 2003 vol. 14 no. 2, p. 165)

先に見たブラウン等のサービス化の発展段階とこのオリバ等の発展段階を比べてみると、

プラウン等の第一段階である「モノに関連したサービスの段階」(すき焼き肉とサーロイン

ステーキの段階)は、オリバ等の第 1, 第2, 第3の発展段階に対応し、オリバ等の方が

122

Page 124: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

細分化された説明となっている。次の「モノ製品に関連していないサービス」は第4と第

5の発展段階に対応していると考えられる。「サービス主導のソリューション」の段階もま

た、第4と5段階の発展形と考えられる。

第 1段階の「モノ製品関連サービスの統合」では、それまでバラバラに無料で提供され

て、モノ製品の販売促進のために使われてきた修理や保障といったサービス群をまとめて、

サービス商品として有料で提供する段階である。キッチリした品質のサービス提供によっ

て、顧客満足を向上し、競合との差別化を図ることを目指している。有料で提供するため

に、サービスの質と内容を顧客のニーズにより適合する方向で改善しなくてはならない。

組み合わされるサービスの種類は34、製品のマニュアル等書類化、輸送、据え付け、ヘル

プデスクの設置、検査、修理、部品交換、製品のグレードアップ、製品全体の改善・リニ

ューアル、リサイクル等、いわゆるインストール・ベースのサービス類が基盤となってい

る。

第 2段階の「製品ライフサイクル全体へのサービス提供」では、サービス内容は前の段

階と同じ種類を基礎としているが、一貫性のあるより優れた商品を提供しなければならな

い。この段階では前段階を受けて、サービス提供組織としてより成熟したものへと転換し

ていく。転換のキッカケは、 CS調査による顧客反応の良好さや、サービスによる収益可能

性が評価され、市場参入から利益の向上が期待されるようになるからである。

この段階での大きな課題は、サービス担当部門でのサービス文化の定着である。モノ製

品の販売とサービスのそれとは経済原理も異なり、従来、タダでおまけとして提供してい

たサービスを有料で販売しなければならない。その意味で、従業員文化の変容が不可欠で、

訓練など必要な対応策を講じなくてはならない。数字で示されることの多い生産性や規模

の経済から、サービス価値の論理を理解することが求められる。

この時期に重要なのは、サービス提供を他の組織とは別の独立した部門として構築する

ことである。またその場合、収支に責任をもったプロフィット・センターとすることも望

ましい。また、販路を広げるためにサービス提供地域を拡大しなくてはならないが、その

場合、直ぐには利益の上がらない投資の決定を行うこと、および、サービス・ネットワー

ク内にサービス販売に適切な能力を育成することが大切となる。また従来経験の薄いサー

ビス組織の経営を担当する人材の問題、および提供するサービス商品をどの程度標準化す

るか、といったサービス・デザインの問題も検討しなくてはならない。

第 3段階の「調係性の構築」。サービス提供能力が拡大していくと、顧客関係に変化が

生じる。それは 1回ごとの取引関係ではなく、継続的な関係性に入っていくということで

ある。それはサービス商品(例えば、保守契約)がもともと関係の継続性を求める特質を

もっているからである。またサービス料金の内容も 1回ごとの値段ではなく、定額の固定

料金で、契約期間をすべてカバーする形に変化する。顧客は契約期間中の機械の稼働率の

高さと機械が故障した場合の回復時間の迅速さ等を、サービスの提供する具体的な価値と

見なすようになる。長期契約と固定料金性は、サービス組織の不確実性を削減し、安定的

123

Page 125: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

な収益を期待することができるようになる。第 3段階で提供されるサービスは、保守管理、

予防管理、状況診断、部品管理、完全メンテナンス契約などである。

第4段階「プロセス中心のサービス提供」。顧客企業との関係性が構築されると、顧客の

関心も提供側の関心も共に、その関係性が生み出す価値の大きさが重要となる。個別の機

械のダウンタイムの大きさでなく、サービスが全体として顧客企業の生産プロセスにおけ

る諸問題に対応でき、結果として生産性を高めることが可能かという見方である。そこで

はモノ製品は、サービスの提供する価値提案(valueproposition)の一部となる 35。(先に

見た IBMの場合と同じ位置づけである)。この段階のサービス組織は「ソリューション・プ

ロバイダー」である。この段階で成功を収めた企業のサービス組織は、次第に専門サービ

スの提供組織に変化していくことになる。

第 4段階で提供されるサービスは、プロセス・エンジニアリング(テスト、最適化、シ

ュミレーション)、プロセス関連 R&D、部品管理、プロセス関連訓練、プロセス関連コンサ

ルティング、ビジネス関連コンサルティングおよび訓練、などである。

第5段階「顧客企業のオペレイションの代替」。第 4段階へ進化していくと、製造業の一

部であったサービス組織は、純粋にサービス企業の組織になり、ひとたびパッケイジ化や

システム化が立ち上がれば、場数を多く踏むことで、学習曲線が動きだし、規模の経済も

期待できるようになる。そして、顧客企業の生産プロセスのリスクと運営責任を引き受け

ることになると、そのプロセスのアウトソーシングを請負う可能性がでてくる。(第 5段階

への移行)。オリバ等の調査対象企業では、こうした段階は先のことでまだ見られないとし

ているが、 IBMやその他企業の提供する BPOはこうした方向と符号したものである。こうし

たサービス化の発展段階は、結局、製造業企業の未利用の経営資源を順次開発することに

よって、サービスを収益の柱として確立していくプロセスだと言えよう。

さて、最後に製造業企業のサービス化戦略が、今日なぜ有効かについて、楠木、阿久津

の論稿36を援用してまとめてみたい。製造業が現在、不可避の方向として進んでいく製品

のコモテイティ化について、楠木・阿久津は、コモデイディ化とは、ある商品カテゴリー

において、価格以外にその優位性を比較できない状態と述べている。そこで脱コモディテ

ィ化を図るには、顧客が比較できにくい特徴や優位性をもつ商品を提供することだとして、

それをカテゴリー・イノベーションと呼んでいる。顧客が比較しにくい特徴をもつことを

彼らは「価値次元の可視性の低さ」 37とし、それを実現する発想として、客観的で理解し

やすい商品の属性からその商品の使用文脈での価値への転換を主張している。

90年代のパソコン業界は、可視性の高い製品属性で競争していた。処理速度やメモリー

の大きさ、モニターの画質などである。しかしそれらの製品属性は、ある水準に達して、

使い勝手に差がなくなると消費者はあまり気にしなくなって、重要な訴求要因は価格にな

ってくる。コモデイティ化である。そこで成功を収めたのは、ダイレクト・モデルで顧客

の個別の使用文脈に合わせたパソコンを提供したデルであった。その他、属性から使用文

脈への価値次元の再定義を行った製品の例として、画質の美しさやスピードでは劣るかも

124

Page 126: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

しれないが手近に簡単に使えるキャノンの卓上コピー機、また、飛距離は落ちるかもしれ

ないが、ヘッドが大きく打ちやすいキャラウェイのゴルフクラブの「ビッグ・バーサ」、画

質は劣るかもしれないが、薄くて持ちやすく、日常的に簡単に画像情報が記録できるデジ

タル・カメラ、カシオの EXILIMなどを例としてあげている。

こうした例は、確かに顧客の使用価値をたかめるイノベーションである。しかし、すべ

てモノ製品であって、その意味で価値次元の可視化の水準は十分には低くなく、結局、同

じ特性を持つ競合製品が現れてくる。楠木・阿久津のあげているカテゴリー・イノベーシ

ョンの例はスターバックスであり、その価値は「第三の場所」の提供である。この例の選

択はかなり示唆的である。なぜなら使用価値は(サービス・ドミナント・ロジックを待っ

までもなく)、サービスそのものだからである。彼らは、イノベーションの対象としてモノ

製品とサービスを並列して同じものとして扱っているために、サービスの商品としての特

徴を見失ってしまっている。

サービスは前述したように、可視化の水準が低い、体験した者にしかその効果や意味が

理解できない。例えば、あるパソコンのコールセンターの係員の多くが、本当に優れた顧

客志向の態度を身につけていて、親身になって相談に乗ってくれたとすると、そのサービ

ス価値は非常に大きいであろう。しかし、それは外側からは見えない。せいぜいロコミで

伝わるだけである。またそのサービスの価値を外部の人間が再構成することも難しい。

製造業がそのモノ製品と優れたサービスを組み合わせて一つの商品として提供するとす

れば、その商品自体の価値の高さは伝わっていくが、その全体としての可視性は低いもの

となる。この意味では、製品のコモデイティ化に対応する一つの有力な方法は、モノ製品

とサービスの一体化したソリューションの提案である。これは「カテゴリー・イノベーシ

ョン」の有力な方法の一つと言って間違いない。

3)サービサイジング

サービス商品自体のデザインに関連するイノベーションの第 3番目のアプローチは、「サ

ービサイジング」である。サービサイジングとは「これまでモノ製品として販売していたも

のをサービス化して提供する」 38という意味である。 SDロジックの発想では、「モノはサー

ビス提供の配給機構」 (FP3)であって、モノ製品はサービスを提供することによって、その

使用価値が発揮される。したがって、サービサイジングとは、モノ製品を基盤としながら、

モノ製品からサービスを切り離し、サービスだけを商品として提供するという意味になる。

最近盛んになってきたカーシェアリングでは、会員は自動車の所有権は持たずに、運営会

社が所有する自動車を自分が利用したい時に申し込んで利用サービスを受けるシステムで

あり、このサービサイジングの典型例である。

サービサイジングは、モノの持つ機能をサービスとして提供することだが、サービスサ

イジングの発想には強調点の違いから 2つの流れがあるようである。一つは、モノ製品の

サービス化自体を強調して、そうした発想に基づくさまざまな新しいサービス商品を検討

125

Page 127: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

する見方であり、もう一つは、サービサイジングがモノ製品の購買を伴わないことから生

まれる環境負荷への削減を強調するアプローチである。後者は、欧州発の発想である

PSS (Product service system)の概念39を生み出した。これは、モノの機能をサービスとし

て提供するビジネス・モデルを指すが、このモデルでは、重要な達成目標として環境負荷

の削減が取り上げられる。わが国の経産省主催の研究会における「グリーン・サービスサ

イジング」の考え方は、この意味を明確化したものと言えよう。

①コラボレイション消費

これに対し、前者の発想は、「所有から使用へ」の発想を正面から取り上げて、さまざま

なサービス商品の可能性を検討している 40。ボッツマンとロジャースの著者『シェア』に

取り上げられている企業には、自分が所有する住宅の空き部屋を第三者にホテルとして提

供するエアビーアンドビー・ドッドコム (2010年4月現在、 8.5万人のユーザー、 126ヶ国

の3234都市で 1万3千あまりの物件がアップされている。ホームペイジでの情報提供、メ

ールによる P2Pの連絡およびクレジット・カードによる申し込みを行う。ホストは 3%、

ゲストは 6%から 12%のコミッションを企業に支払う。東京でも営業している)などが

ある 41。その他、カーシェアリング会社のジップスター、パリ市内の自転車シェアシステ

ムのヴェリプ、 P2Pの物品レンタルのジロック、子供服の交換サイトであるスレッドアップ、

農作物耕作用の庭や農地を貸し出すシェアードアース、古本、中古の DVD,ゲームなどを交

換するスワップ・ドットコムやアワスワップス、不要品を販売するフリー・サイクル、リ

ユースイット、等々、個人的な副業ビジネス・レベルから企業の形態を取るものまでさま

ざまで数多くのニュービジネスが紹介されている。またこうした事例は、結果として社会

的消費による効率化を生むので環境負荷の削減にも貢献する場合が多いと言えよう。

ボッツマンとロジャースは、こうした事例をコラボレイション消費と呼んで、 3つのパ

ターンに分類している 42 0

i)プロダクト=サービス・システム

あるモノ製品を 100%所有しなくても、その製品が提供してくれた、または受けた分

だけのサービスに対して対価を支払う方式:この場合、企業が所有するモノのサー

ビスを受けるカーシェアリング、太陽光発電、コインランドリーなどがあり、また

個人が所有するモノをシェアしたり、 P2Pで貸し出したりするシステム(企業例:ジ

ロック、レントイド、リレーライズ等)がある。

i i)再配分市場

ネットワークを通じて、私有物(新品、中古品)をその製品を必要としていない所

から必要としている所や人に再販分するシステム。完全に無料の場合(フリーサイ

クル、キャッシュレス、アラウンド・アゲイン)もあれば、ポイントと交換するシ

ステム(パーフェクト、 UIスワップ)または現金で購入するシステム(イーベイ、

フリッヒ°ド)などがある。再配分する品物は、アクセサリー、服、本、おもちゃ、

ゲーム、 DVDなどである。また交換の相手も赤の他人の場合も会員内の交換の場合も

126

Page 128: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ある。

i i i)コラボ的ライフスタイル

交換の対象となるのは、有形物だけではなく、時間、空間、技術、お金といった目

に見えにくい資産も、合意した意図の了解のもとに共有するシステムである。

交換するのは、オフィス空間(シチズン・スペース、ハプ・カルチャー)、駐車場、

仕事、スキル、時間、お使い、庭仕事、料理、通勤のための自動車の相乗り、等で

ある(デイヴジリオン、アーバン・ガーデン、ブルックリン・スキルシェア、ネイ

バーフッド・フルーツ、パーク@マイハウス、ライド・シェア)。インターネットに

よってメンバー間の調整を行い、多くの場合、主催機関が仲介となって交換を実行

する。

この iii)のパターンは、モノを媒介としないので、サービサージングの範疇からは外れ

ることになるが、交換又は「分け合う (Share)」という発想には当てはまる。従来の企業の

モデルでは扱うには小さくて費用が合わないかものや個人や企業が必要とする比較的小さ

な物品や簡単な仕事などを交換するという発想は、いわば未利用の資源を利用するという

ことであって、効果性、効率性の銀点からはサービス・イノベーションの分類に入るもので

あろう。

ボッツマンとロジャースは、こうした小さな、しかし従来にない交換やシェアの発想が

成功するには 5つの基本原則があるという 43 0

i)クリティカル・マスの存在。

提供される商品やサービスを求める人の数、提供される商品などの品揃えの大きさ、サ

ービス提供の場所(レンタサイクルを乗り捨てられるステーション)の数等、交換の意欲

を高めるような選択肢の多さや需要者の数が一定水準を超えることである。仕組みに関連

したこれらの要素がこのクリテイカル・マスに達しなければ、交換のシステムは存続でき

ない。

i i)社会的承認

多くの人に、新しい方法を実際に試めさせるために、初期の熱心な参加者の活動を見せ

たり、知らせたりすることの重要性。人々に今までとは少し違う行動を行なわせたり、従

来の習慣を変えさせるためには、実際に実行している人々の存在を認知させることが効果

的な方法である。

i i i)余剰キャパシティの活用

モノであれ、サービスであれ、使われていない余剰のキャパシティがなければ、交換や

シェアは起きない。モノの所有者やサービスの提供者は、動機はなんであれ、その余剰キ

ャパシティを他人に利用させたいと感じるところから交換やシェアが始まる。

iv)共有資源の尊重

この原則も重要な意味をもっている。参加者が自分勝手に行動するのではなく、みんな

で利用する共有資源を大切にし、一定のルールの下に活動するという発想である。みんな

127

Page 129: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

が利己的に行動することで共通の資産を無価値にしてしまうという「コモンズの悲劇」の

寓話の轍を踏まないことである。

v)他者との信頼

普通の消費社会では、売り手と買い手の間に仲介者(企業、公的機関等)が存在してニ

者間の調整を行っているが、コラボ消費では、多かれ少なかれ、会ったこともない他人を

信頼しなければ、成り立たない部分がある。そのため、適切なツールによってお互いの情

報を交換することで、他人との信頼を確保しなければならない。インターネットによる P2P

の連絡やクレジット・カードの利用などがそのための道具となっている。

②グリーン・サービサイジング

第 2のサービサイジングのアプローチは、商品のデザインを何らかの点において、環境

負荷の削減を中心に展開するものである。むろんそうしたアプローチは、環境基準として

企業に求められる法的規制の遵守やエコを推進する企業としての広報的な効果をもたらす

だけでなく、コストの削減や新しいビジネス・モデルとして新サービスの提案などにつな

がる事例も少なくない。

ゲージ・プロダクト (GageProducts Co.)は、もともと自動車用ペイントの販売を行って

いたが、コブラというペイント洗浄溶剤を開発したことから、顧客のペイント現場におい

て、ペイント・オペレイションに深く関与するようになった。クライスラー社が、環境保

護機関が定めた基準を超えそうになった時に、そのペイント・オペレイションを引き受け、

結果として、溶剤等の使用量を大きく削減し、環境基準内に排出量を抑えることに成功し

た44。以降、ケージ社は、各自動車メーカーのペイント部門での技術的サーポートサービ

スの提供者となっている。

ゼロックス (XeroxCorp)は、 1994年から自らを「ドキュメント・カンパニー」と呼んで、

印刷資材を生み出す装置類に集中することから、ビジネス内の情報の流れに関心を払うと

いう方針に切り替えた。この方針を進めるために 2001年にゼロックス・グローバル・サー

ビスを開始して、書類が集積するビジネス・プロセスでの効率を改善する顧客支援を導入

した45。ゼロックス・グローバル・サービスの中心部分はオフィス環境への支援であるが、

そのためのツールとして ODA(OfficeDocument Assessment)を作りあげた。 ODAは、オフィ

スの効率と従業員の生産性を高め、コストを削減する提案を行う。その中には、全体的統

合と調整によって、プリンター、 トナー、紙など従来ゼロックスが販売していた製品を削

減する案も含まれる。削減策は非常に強力であって、従来の製品 1対従業員 1の比率が、

製品 1対従業員 10になるほどであった。例えば、ゼロックスの顧客であるユナイテッド・

ヘルス・サービスは、年間 6万ドルのコスト削減に成功したが、それらの一部は、使用す

るプリンターの台数やその他関連する製品の削減によって成し遂げられている。なお、こ

れらの実績は、使用する資源の削減に大きく貢献したことに留まらず、 2005年にはゼロッ

クス・グローバル・サービスによって、ゼロックスの 22%の利益が生み出されている。ゼロ

ックスのアプローチは、建物を含んだシステムの全体的なアプローチによって電気の省エ

128

Page 130: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ネルギーを実現する ESCO事業と同種の発想であろう。

経産省のグリーン・サービサイジング研究会の報告書にはさまざまの事例が 70以上挙

げられていて参考になるが、分類があまり適切でなくわかりにくい。結局、先に述べたプ

ロダクト=サービス・システム (PPS)およびリデュース(削減)、リサイクル、リユース(再

使用)、リペア(修理)、リディストリビューション(再配分)の 5つの R46を実現することに

よって全体的な資源の削減を達成しようというアプローチである。

(3)サービス・ドミナント・ロジックのアプローチ

SDロジックは、サービスについての見方のみならず、従来のイノベーションの考え方を

大きく転換させる発想である。従来のイノベーションは、サービスであれ、モノ製品であ

れ、顧客のこれまで充たされていなかったニーズに対応する、まったく新規の商品を完成

品として提供することであった。

SDロジックの場合の商品とは、顧客と共同創造をするための企業資源の提供であって、

それが価値を生むのは、顧客の資源との共同創造において、その使用価値または文脈価値

が発揮されるからである。この場合、商品としてのサービスはその意味で、新しい状態に

「なるもの (becoming)」であって、「であるもの、または存在するもの (being)」ではない。

それはサービスを構成する資源についてもまったく同じであり、資源は「~になっていく」

ものである 47 0

以下で SDロジックのサービス・イノベーションを検討するが、その前にもう一度、サー

ビスまたはイノベーションに関連する SDロジックの主張をレビューしてみたい。

まず、サービスはどのように考えられているか。サービスとは能力 (competence:知識と

技能)を生み出す資源の適用であって、それはその行為者のベネフィトのために行われる 48 0

この場合、資源とはそれ自体に価値が存在するのではなく、資源が利用される際の顧客と

の共同創造によって価値が生産される 49。なお、共同創造によって生まれる価値は、当初、

機能を強調するために使用価値(Value-in-Use)とされていたが、後に文脈価値 (Value-in-

Context)と変えられた。共同創造における価値の創成と評価に、当事者の置かれている場

面や当事者自身の条件、つまり文脈が影響することを強調するためである。(またその後、

ボー・エドバードソン等は「文脈」の視点を「社会」にまで拡大して、社会的文脈価値

(Value-in-social-context)を提案している 50。)

大学における共同創造プロセスを例に考えてみると、起こっていることは学習

(learning)のプロセスである。提供されるサービスは、一方的な「教えること」でも「教

育プロセス」でもなく、個人の「学習(学ぶこと)」である。学生も教授も学習の共同創造

のために自分達の資源を利用し、また大学の資源ネットワークである他の学生達、教授、

図書館、書籍、 ITCシステムの支援を受ける。価値は、学生および彼、彼女が関係する資源

ネットワークによって発生する学習である。ヴァーゴは、企業(大学)の活動とは、顧客

の価値創造活動のために資源を統合活動へ「インプット」していくことであって、「アウト

129

Page 131: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

プット」生産のための経営資源を統合することではない、と述べている 51。(SDロジックの

基本的前提FP7 「企業は価値の提案はできるが、提供することはできない」)。例えば、 SD

ロジックでは、企業の生産するモノ製品は、それ自体が価値ではなく価値可能態であり、

使用されることで価値を発揮すると考える。

SDロジックにおけるサービス・イノベーションは、したがって、企業の提供する新しい

価値の提案がその内容となる。具体的には、新商品として新たに計画された新しい価値に

対応する新しい資源や新たな資源の組み合わせの提供である。そしてそれは顧客との共同

創造のプロセスで結合されて機能を発揮し、新しい文脈価値を生むものである。またそれ

は結果として、その企業の市場シェアや収益に相当な影響を与えるものでなくてはならな

ぃ52。サービス・イノベーションは、そもそも企業の目標達成に資するための企業活動だ

からである。

以下に SDロジックから生まれた二つのイノベーション・アプローチを紹介する。

1)条件整備アプローチ

オルダニニとパラスラマンは、 SDロジックの考え方から、企業が、どんな条件を整備す

ることで、サービス・イノベーションを促進することができるかを検討し、調査をおこな

った 53。オルダニニ等が取り上げた条件は次の三つである 54 0

a. コラボレイション能力(対顧客および対ビジネス・パートナー)

b. 顧客志向性(Customerorientation)の能力

c. 知識統合メカニズム (knowledgeIntegration Mechanisms) の能力

a. コラボレイション能力

この条件に関係する SDロジックの基本的前提はFP6(顧客はつねに価値の共同創造者であ

る)と FP4(オペラント資源は、競争優位性を生み出す基本的源泉である)の二つである。価

値は顧客とのコラボレイションから生まれるのであるから、企業が提供する資源が顧客と

のコラボレイションを助長し、十分な価値を生み出すものでなくてはならない。そこにお

いて顧客および従業員などの組織資源をふくむ企業のオペラント資源が、その企業の競争

力を生み出すことになる。適切な場が設定されれば、顧客は必要なニーズヘの集中やカス

タマイズなど市場の成功を導く情報やフィードバックを提供するからである。但し、顧客

も組織資源も過去の経験に制約されてイノベーションを生み出すので、その内容は、新規

性 (Radicalness)よりもこれまでの経験に乗ったインクリメンタルなイノベーションとな

る可能性が高い。

なお、コラボレイションの相手は第一に顧客であるが、もう一つは、企業の関係するビ

ジネス・パートナーも対象となる。このことは FP9(すべての社会的・経済主体は資源のイ

ンテグレーターである)と関係している。共同創造の文脈とはそうした資源ネットワークの

作っているすべての、そして個別のネットワークだからである。しかもビジネス・パート

ナーの場合、すでにある水準の技術・知識等のコンピテンス資源を保持しているので、か

130

Page 132: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

れらとのコラボレイションは、たんにインクリメンタルな内容だけでなく、ラデイカルな

新規性を生み出す可能がある。サービス・イノベーションを推進するには、第一に顧客お

よびビジネス・パートナーとのコラボレーション能力を高めていかねばならないのである。

そのためにはまず、組織と従業員に顧客の声を積極的に聞く態度・姿勢ができあがって

いなければならない。また、顧客やビジネス・パートナーの声を積極的に聞く場や機会が

設定されていなければならない。業務によって異なるであろうが、顧客が自分の意見をフ

ォーマルまたはインフォーマルに表明できる仕組みがあり、例えば顧客のノン・バーバル

な行動であろうとも業務へのフィードバックを従業員が感じ、情報として集約し整理する

システムを準備すべきである。

サービスの顧客との共同創造には必ずしも言葉による対話が必要とは限らない。顧客が

しつかり企業の提供する資産の内容を理解していれば、後はそれを自分の資産を使って利

用・ 統合すればよいのである。例えば、近所のシネマコンプレックスヘ映画を見に行くと

すれば、映画館のフィルムの品揃え、建物や設備の快適さ・使いやすさ、価格、提供して

いる飲食類、開始・終了時間、従業員の対応の良さ、上映時間とスケジュール、映画館の

立地等が企業側の提供している資源である。一方、観客は、映画を見にいく時間の自由さ、

予算、見ようとする映画についての知識、俳優・監督・映画会社についての知識・好み、

映画鑑賞の手段性(純粋に楽しみなのか、彼女と親しくなる機会なのか、等)、などが資源

となる。これらが映画鑑賞の文脈を作りあげ、そこで顧客と企業資源がどのような価値を

共同創造するか、ということが問われるわけである。顧客にとっては、映画館の提供する

資源について事前に十分な情報を得ていれば、自分の資源とのコラボレイションを実現し

やすい。その意味で顧客のコラボレイション能力を左右する条件の一つは、企業が事前の

情報提供を十分に行っているかどうかである。

ビジネス・パートナーとのコラボレイションにも同じことが言える。使い勝手のよい資

源の形態、情報提供、そしてビジネス・パートナーからのフィードバックや情報提供を促

進するフォーマル・インフォーマルな仕組みなどが重要となる。

b. 顧客志向性の能力

二番目のカスタマー・オリエンテーションとは、企業側の価値観や従業員の態度が作り

出すものである。その意味で顧客とのコラボレーションの基盤でもある。顧客の立場にた

ったサービス提供、顧客の志向性や要求を最優先する組織運営がカスタマー・オリエンテ

ーションの具体的な内容である。

関係する SDロジックの基本的前提は FPS(サービス中心の見方は、本来、顧客志向であり

関係志向的である)と FP4(オペラント資源は、競争優位性を生み出す基本的源泉である)

の二つである。つまり、カスタマー・オリエンテーションは、コラボレイションの方向を

示す基準となり、顧客志向のサービス提供によって競争優位に企業を導く指針となる。

ただし、カスタマー・オリエンテーションは、現在の顧客ニーズに関心を集中するため

に、新しい革新的なイノベーションが出にくくなる傾向を生むことがある。つまり衛生要

131

Page 133: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

因に注目した「失敗防止アプローチ」になってしまう可能性があるのである 55 0

G. 知識統合メカニズムの能力

企業にカスタマー・オリエンテーションが存在し、コラボレイションの能力が高くても

そこに情報や知識を共有するシステムが存在しなければ、顧客情報をイノベーションに利

用することはできない 56。そこで、情報や知識を組織内での移転を促進する社会的・物的

な条件が存在しなくてはならない 57。それが知識統合メカニズムである。こうした発想を

支持する SDロジックの基本的前提は、 FP4(オペラント資源:知識・技能は競争優位性の源

泉である)と FPl (サービスが基本的な交換の基礎である)の二つである。これらは知識

の効果的な移転の重要性を強調している。

顧客コラボレイションの場面で、この知識移転について重要な役割を担うのは、顧客接

点にいる従業員である。先に第 5章において、サービス組織に内在するイノベーションヘ

の抵抗について指摘したが、こうした抵抗勢力を構成するのは顧客接点に配置されている

従業員である場合が多い。イノベーションは自分達の労働負荷を増大することを予見させ、

また、新しいやり方を学習しなくてはならないからである。

しかし、生産と消費の同時性の特徴から、顧客接点にいる従業員が顧客要求の確認を行

い、組織運営の効果的な実施に配慮し、そのうえでイノベーションが導入されれば、その

実行の中心的担い手となるであろう。従業員はイノベーション知識の獲得について決定的

に重要なオペラント資源であることに間違いはない。そこで求められる課題は、どのよう

に従業員を新しいコンピテンスの獲得へ動機付けるかである。革新的な組織文化の醸成や

エンパワメントされた参加的な労働環境が必要であり、これらがイノベーションに必要な

条件となる。顧客接点の従業員と顧客との効果的なコラボレイションは、新たなサービス

開発のスピードを高め、より多くのイノベーティブな知識を開発するのに役立つと考えら

れる 58 0

同時に、情報移転のフォーマルなプロセスとして、システム的な知識統合メカニズムを

組織内に確立することが必要である。インフォーマルに従業員から上がってくるイノベー

ション情報を捕捉し、分析し、統合し、知識に変換して組織の各部署に伝達するシステム

である。

オルダニニ等は、こうした一連の理論的な検討に基づいてイタリアの 5星ホテル91店の

調査を行った。その際、以下の 7つの作業仮説を設定して調査を実施したが、その結果、

大部分の仮説の妥当性が証明されている 59 0

(作業仮説)

1. サービス・イノベーション・プロセスにおいて、顧客とのコラボレーションが大き

いほど、イノベーションの数が大きくなる。

2. ビジネス・パートナーとのコラボレイションが大きいほど、サービス・イノベーシ

ョンの新規性(ラデイカルネス)が高くなる。

3. カスタマー・オリエンテーションが大きいほど、サービス・イノベーションの数と

132

Page 134: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

新規性が高まる。

4. サービス・イノベーション・プロセスで顧客接点の従業員とのコラボレーション・

レベルが高いほどサービス・イノベーションの数が多くなる。

5. 知識統合メカニズムの利用が多いほど、サービス・イノベーションの新規性が高

まる。

6. サービス・イノベーションの数と新規性が高いほど、企業業績が高くなる。

7. 企業業績への影響は、イノベーションの数よりも新規性の方が大きい力をもつ。

(仮説の妥当性が、部分的にしか検証されなかったのは、次の通りである。仮説3 : カス

タマー・オリエンテーションは、イノベーションの数には影響しないが新規性には影響す

る、仮説4:従業員コラボレイションは、数だけでなく、新規性にもポジティプな影響力

を持つ。仮説 7:イノベーションの数も新規性も収益に影響する。但し新規性の方が強い

影響力を持つ。 60)

2)共創的サービス・デザイン・アプローチ

先に検討した「条件整備アプローチ」は、 SDロジックに基づくサービス・イノベーショ

ンを実現する際に、イノベーション・プロセスの条件をどのように整備すれば、イノベー

ションが進展しやすいかを検討したものである。要約的に述べれば、顧客とのコラボレー

ションを促進するために、どんな仕組みを準備したら効果的かという議論であった。

次のアプローチは、共同創造が生み出す価値の特徴に注目し、企業の提案する価値(value

proposition)、つまりイノベーションの結果としての新サービスはどのように構成される

べきかを提案するものである。この議論に関係する SDロジックの基本的前提は、主に、

FP6(顧客はつねに価値の共同創造者である)と FP7(企業は価値の提案はできるが、提供す

ることはできない)および FPlO(価値はつねに、受益者によってユニークかつ現象学的に判

断される)の 3つである。

これまで主流であったグッド・ドミナント・ロジック (GDロジック)におけるイノベー

ションは、モノに内蔵される価値(交換価値)の高い製品を開発することであったが、そ

の内蔵される交換価値の基盤になっているのは、 SDロジックによれば、実際にはサービス

価値(使用価値)であった。なぜならモノはサービスの入れ物だからである。したがって

モノ製品の使用は、現実には顧客との共同創造(使用価値の発揮)であるにも関わらず、

モノ製品を最終生産物と見なしたために、交換価値が過度に強調され、共同創造全体のプ

ロセスに関心が払われなくなった。そのため、 GDロジックでは、グーグルやイケアといっ

たイノベーションがなぜ社会に大きなインパクトを与えることになったかをうまく説明す

ることができない。例えば、グーグルの使用価値は利用する顧客の知識によって左右され

る(顧客側の資源の活用)。また顧客の検索行動と広告を連動し、広告効果も生んでいる(関

連システムの資源の活用)。つまりグーグルの価値はシステムと顧客と広告主との共同創造

なのである。イケアの場合には、顧客がセルフ・サービスによって安価でデザインの良い

家具を選択し、必要とする場所に運んで、自ら組み立てて、使用する。つまりイケアの企

133

Page 135: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

業システムと顧客との共同創造によって、満足できる家具を使用するという価値が生まれ

るのである。イケアの生産する家具の価格や品質など提供側の資源の良さ(つまり 4P)

を検討しても、イケア商品のもつ全体的な価値は理解できない。

マイケル、プラウン、ギャランは、イノベーミ (d・ /ョン 1scontinuous 1nnovation61) の

実現において、SDロジックがどのように新しい視点を提供するかを論じている 62。彼らは、

SDロジックによるイノベーションが次の二つの要件により構成されるとする 63 0

a. イノベーションが、どのように顧客の共同創造価値を変化させたか。(使用価値の

基準)

b. イノベーションが市場規模、価格、市場シェア、収益などにどんな重大な影響を与

えたか。(交換価値の基準)

マイケル等は、イノベーションが重大な企業活動の一環であり、その意味で経済的なア

ウトプットを伴わなければならないこと、そしてそれは、共同創造の内容の変化が交換価

値の向上を生み出すことによって実現されることを強調している。

マイケル等の SDロジックのイノベーション・アプローチは、サービス生産における二つ

の側面での変化を基に考えられている。共同創造過程の変化は、一つには「顧客の役割」

の変化であり、もう一方の企業側では、共同創造のための企業資産の提供の仕方の変化と

して捉えられる。マイケル等の研究によれば、大部分のサービス・イノベーションは、顧

客の役割のうちの少なくとも一つと企業の価値創造アプローチの両方を変化させている 64 0

イ)第一の側面:顧客の役割の変化

SDロジックによれば、企業は価値の提案はできるが、価値自体を提供することはできな

いので、価値の内容をきめるのは顧客である。価値の共同創造は、顧客に次の 3つの役割

を遂行することを求める。使用者(User)、購買者(buyer)、支払者(payer)の 3つである。

おかれている文脈によって、顧客は、この 3つのすべて、またはその一部を実行する。例

えば、ある人が近くのコンビニでおにぎりとお茶を買い、それを公園のベンチで食べる。

この場合、この客は 3つの役割すべてを実行している。デパートで息子のシャツを買った

母親は夫のクレジットカードで支払いをした。この場合、使用者は息子、購買者は母親、

支払者は父親である。使用者の役割は使用価値に関係し、支払者は交換価値、購買者は使

用価値と交換価値の橋渡しの役割をになうことになる 65 0

a. 使用者の役割:サービス・イノベーションが使用者の役割を変えてしまった例として

放送大学がある。放送大学は、他の普通の大学のように、学期中大学へ通学する必要がな

い(短期間のスクーリング以外)。したがって、学生は通学可能な大学の近辺に住む必要が

ない。特定分野の学習や学位の取得という点での共同創造価値にはあまり差はないが、学

生にとっての利便性は高い。また大学側のコストも低く効率的である。

b. 購買者の役割:例えば、シネコン(シネマ・コンプレックス)では、同じ映画館で複

数のフィルムを上映している。したがって、通常の映画館の場合のように、特定のフィル

ムを見るために映画館に出かけるのではなく、シネコンの映画館にまず出かけて、その場

134

Page 136: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

でどのフィルムを見るかを決めることができる。購買者の役割とは購買意思決定であるが、

この意思決定に必要なコストを引き下げていることが価値となる。また、最近、盛んな株

式のオンライントレードでは、証券の売買をインターネットで行うことができる。従来の

証券会社経由の株取引のように店舗に出かける必要もなく、自分の場所で好きな時間に十

分に時間をかけて株売買の意思決定ができるのである(使用者と購買者の役割の変更)。

C. 支払者の役割: DVDや CDのレンタルをしているッタヤは、ッタヤ・ディスカスという

定額の料金で、郵送を利用したレンタル・サービスを開始した。従来は DVD一枚いくらと

いう価格体系であったが、ディスカスでは、毎月の定額料金を支払うと毎月、 4枚または 8

枚の DVDを借りることができる。タイトルをインターネットまたはケイタイで予約すると

DVDが郵便で届き、返却も返却用封筒にいれてポストに入れるだけでよい。支払いはクレジ

ット・カードで行う。この新サービスでは顧客の購買者としての役割が変化していて、購

入・返却に店舗まで出向かなくても済む。また支払者の役割も定額の支払いがクレジット・

カードで行われ、これも顧客の労力を削減している。企業にとっては定期の会費収入が見

込め、収益が安定化するという効果がある。

このように、企業との共同創造における顧客の役割を変化することによって、顧客の利

便性を大きく向上させることができる。こうした視点は SDロジックに基づくサービス・イ

ノベーションの可能性を示すものである。

ロ)第二の側面:企業の価値提案の方法

第二の側面は企業側の共同創造へのアプローチについてである。サービス・イノベーシ

ョンは、先に述べた顧客の役割の変更を含めて、当然、企業がサービス提供やサービス・

システムの変更について、イニシャティブを発揮して進めるべきものだ。例えそれが何らか

の意味で顧客提案を基にするものであったとしても、企業が設計と変更の責任を持つので

ある。

a. オペラント資源をモノやシステムヘ作り込むこと

SDロジックではモノは、サービスの配給メカニズムである (FP6)。したがってすべてのモ

ノ製品は、顧客との共同創造においては企業側が提供する資源であるが、その場合、モノ

製品自体がどれだけ優れているか、ではなく、モノがどれだけ、顧客との共同価値の創造

において優れているか、の視点が重要である。(こう考えると、家電製品などにいかに多く

の無駄な機能が組み込まれているかが分かる。本来は、使い手の問題解決にそれらの機能

がどれだけ役に立つかが重要なのだ)。

最新のグルコース(ブドウ糖)測定装置は、糖尿病患者が自分で、一日に数回、血中糖

度をモニターできるようになっている。従来は医師のみが可能な作業であった。自分の血

中糖度を正確に知ることによって、患者は、最も効果的なタイミングにインシュリン注射

を行い、低血糖状態や高血糖状態になることを避けることができる。

モノ製品の革新はモノ・イノベーションの中核であるが、 SDロジックの立場からは、モ

ノが顧客の使用価値(共同創造価値)をどのように高めることができるかの視点から判断

135

Page 137: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

される。

b. 資源の統合状態を変化させる

分業や専門化はそもそも交換を生じる原因なのであるが、価値の共同創造過程において

も仕事の分割と統合が手段として利用される。資源の専門化の利益や統合の利益を生み出

すためである。したがって、新サービス開発の課題としては、だれが、何を分割し、何を

統合するかである。つまり共同創造の担い手としての顧客は、必要に応じて、資源をより

多く統合した商品か、より少なく統合した商品かを選択する 66。資源をより多く統合する

とソリューション提供に近くなるが、少ない資源の場合には専門化したものとなる。一般

に、少ない統合は、より安価に、より効率的に、コントロールの余地が増し、より柔軟性

が向上する 67。マクドナルドでは資源の統合は比較的簡単に行われているが、高級なフラ

ンス料理店では多くの資源が統合されていて、それだけ管理に手間がかかる。顧客は、そ

の状況や置かれている文脈によって、少ない統合を好んだり、厚い統合を選んだりする。

イケアの場合、顧客は、伝統的な家具販売店に比べて、多くの資源の統合を自分で行わな

くてはならない(運ぶ、組み立てる)。イケアの提案する価値の共同創造は意図的に少ない

資源統合の商品なのである。

資源の統合状態を薄くして、顧客に新たな便益を提供するワンコイン健康診断サービス

をケアプロ(株)という企業が 2007年から提供を始め、すでに 6万人が利用している 68 0

保険証不要、予約不要で 500円で健康診断が受けられ、その場で直ぐに結果が分かる。検

査項目は血糖値、コレステロール、中性脂肪、骨密度などで、検査機器を使って測定する。

仕組みは簡単だが、 SDロジックによる顧客の役割の変更と価値提案の方法の発想の大部分

を利用している。まず従来の健康診断と異なり顧客は自分が関心のある項目を選んで検査

するアラカルト方式である(使用者役割の変更)。購買者としては必要な項目だけを選ぶこ

とができ、支払者としては 1項目当たり 500円で分かりやすく負担も少ない。価値提案の

方法については、オペラント資源を組み込んだ検査機器を利用し、資源の統合方式は可能

な限り薄く作られている。

SDロジックによるイノベーションは、顧客の役割や価値提案の方法を再検討することで、

価値の共同創造における顧客の参加の仕方を変える、つまりサービス生産プロセスの側面

に関するイノベーションが中心となっていると言えよう。

C. 価値ネットワークの再構成

顧客と企業の共同創造価値は、主に、二者間の資源統合が問題とされるが、実際にはも

っと広い「価値の星座(valueconstellations)」との関係が想定されることがある 69。それ

はポーター流のバリュー・チェーンのように一方への流れではなく、相互につながるネッ

トワーク型の価値の関係である。インターネットを利用するサービスは、一見すると二者

関係と見える場合でも他の多くのリンクした資源とつながっている。ウィキペディアは利

用者と情報提供データベースとの関係のみならず、コンテンツを作成している多くのボラ

ンティアが提供する資源との関係でもある。グーグルも情報、技能、データをリンクする

136

Page 138: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ものだが、情報探索者の適切なキーワードの選び方、それに関連する知識、範囲の設定の

仕方など探索者の背景となる知識の全体によって共同創造価値の結果、つまり探索結果の

質が左右される。またグーグルの収益モデルは、支払い企業への状況特定的なリンクとい

う現象が生み出すものでもある。

日本信用情報機構といった信用情報機関は、信販会社やクレジット・カード会社等に対

して、ローンの設定等に関する顧客の信用情報を提供している。また反対に、信用情報の

提供サービスを受けるクレジット会社等は、顧客の支払い状況や履歴を信用情報機関に連

絡する。このようにさまざまの機関から集約した顧客情報を高度に標準化したシステムで

処理することにより、クレジット・カードによる支払などの場面で、与信処理の効率を飛

躍的に高めているのである。

オンライントレードの名称で知られているインターネットによる証券取引は、最近では

個人取引の半分を占めるまでなったと言われている。サービス・イノベーションとしては

成功したケースといえよう。オンライントレードを提供している証券会社は、オンライン

でアクセスしてくる会員顧客に対して株売買の代行を行っているだけではない。株式の売

買動向や株価の変動、会社情報などを一覧性のある表示で瞬時に提供している。つまり、

株式の購買意思決定の情報支援を行っている。また、顧客は、証券会社と提携関係にある

銀行に口座をもっていれば、購入株の支払いや売買代金の受け取りなども瞬時に、自分の

銀行口座経由で実行することができる。株のオンライントレードでは、顧客の好きな時間

に好きな場所で取引ができ、手数料も安いという利便性が顧客にとっての大きな価値であ

るが、それだけではなく、さまざまの価値をその関係する全体的ネットワークから生み出

しているのである。

このオンライントレードや信用情報提供サービスのように、関連する複数の主体の各々

の資源を結合することで一定の共同創造価値を生み出す仕組みを作るのが、この価値ネッ

トワーク再構成のアプローチである。

(4) 新しいサービス・イノベーション・アプローチ (STSアプローチ)

ここで紹介するのは、サービス・イノベーションまたは組織学習に必要な変革のシーズ

を発見する方法についてである。本書の最後に取り上げるのは、これまでの方法のごとく

すでに存在する理論に準拠したものではなく、筆者が、社会=技術システム論の考え方を

援用しながらも、独自に開発したアプローチだからである。

この方法の狙いと意味を要約的に述べると以下のようになる。これまで何度か取り上げ

たSDロジックによれば、企業は顧客に価値の提案はできるが、価値そのものは生産できな

い。価値は顧客との共創過程によって生み出されるからである。この考え方によれば、企

業の提供するサービスは、価値の提案であって、現実の価値の実現は顧客がどのようにそ

のサービスを利用するかにかかっている。そこでサービス生産システムの変革・革新のシ

ーズを発見するためには、この共創過程を分析し、企業の提案であるサービスを顧客との

137

Page 139: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

相互作用のなかで記述することが必要となる。サービス・イノベーションを実現するには、

サービスそのものの構造を顧客との共創過程の中で、サービスの効果性と効率性を高める

方向で変革しなければならない。そこで、ここで述べるアプローチの第 1の目的は、この

企業の価値提案の形(企業側の経営資源の提供の形態)を顧客との共創を前提にして記述す

ることである。そのうえで、第2に、どのようにサービスの構造(提供するハードとソフト

の経営資源のあり方)を変革することでイノベーションを実現するかを検討するということ

である。企業のサービス価値の提案を記述し、そこに変革のシーズを発見することが、こ

こでの方法の主眼である。(なお社会=技術システム論を援用したこのアプローチについて

は、その考え方の一部を第4章の第 2節の (2) 「サービス・イノベーションの契機」のと

ころで STSアプローチとしてすでに簡単に紹介した。)

1)社会=技術システム論 (Socio-technicalsystem theory)

社会技術システム論 (STS理論と略称)は、 1950年代にロンドンのタビストック人間関

係研究所による炭鉱の研究から始まったものである 70。この研究所は、社会科学系の研究

者を中心に、他分野の研究者も集めて組織研究を行っていたが、アクション・リサーチ(仮

説を立て、実際に組織の変革を進めながら検証していく研究方法)を取っていたので、た

んなる理論にとどまらず STS理論のような組織変革の具体的な方法を生み出した。

STS理論の一つの特徴は、技術と人間の関係を、経営組織論アプローチのように組織全

体でとらえるのでもなく、また行動科学のアプローチのように個人レベルの行動や反応で

とらえるのでもなく、その中間である職場集団において分析した点であろう 71。

STS理論では、すべての生産システムは、技術システムと社会システムから構成されて

いると考える。技術システムは、オープン・システムである生産システムにインプットさ

れた原材料等の変換活動を担当する。他方、社会システムは、技術システムが順調に活動

できるようにさまざまな境界管理活動を行う。技術とは「物質や情報をある予定された方

法で変換して、望ましい結果を得るための諸技法の複合体」 72である。技術システムはこ

の変換のための内在的な論理に対応して配列された機械、エ具、材料などを指す。また技

術システムはその具体的構成要素の特徴から特定の技術システムにおいて固有の要求を持

つことになる。(例えば、その技術システム固有の癖や特定のインプット要素など)。

社会システムは、生産システムの変換過程に関わる従業員が作る社会集団であるが、機

械の稼働や誘導など変換過程に直接関わる作業活動のほか、原材料、労働力、機械・エ具

など諸資源の確保・維持の活動である保全活動、そして諸活動を調整・統合し、状況に合

わせて諸要求に応える統制活動の 3種類を行う。こうした活動は、具体的には、変換過程

で外的および内的な要因から発生するさまざまな変異性(variance)を統制し、これによって

変異性を送り込む環境に対して自己統制的 (self-regulatory)な定常状態 (steadystate)

を保つ働きである 73。なお、技術システムと社会システムの関係は、「各々独立しているが

相関している血dependentbut correlative)」と考えられていて、その意味で、特定の技術

138

Page 140: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

システムが決まった形態の社会システムを一義的に求めるといった技術決定論の考え方は

取らない。もっとも望ましいのは、両システムが相手システムの要求に応え、適応しなが

らも自らの欲求を最大限に充たす同時最適化(jointoptimization)のアプローチである 74。

STS理論は、 60年代にかけてさまざまの研究者がその方法を精緻なものに改善するとと

もにアメリカ、ヨーロッパに広がりを見せ、特に 1972年にコロンビア大学で開かれた、

Quality of Working Life(労働生活の質)国際会議を頂点として各国において STSの方法を

使った実験が行われた 75。有名なものとしては、スウェーデンのボルボ・カルマール工場、

カナダケベックのアルカン・アルミニウム工場、その他 P&G,GF, などでこの方法が試みら

れている。大学関係では UCLA、ケースウェスタン、ハーバードなどを中心に研究が進め

られた。

STS理論が盛んになった背景には、 70年代の初めにかけて世界的に労働疎外の問題が取

りあげられたという事情がある。 STS理論が技術システムの要求に応えながら、従業員の

社会集団である社会システムの充実を図るという発想が、 QWLを向上させる方法論として

有効だと考えられたからである。しかし、 70年代前半のオイルショックをキッカケに、世

界的経済不況が広がり、 QWLの問題意識も下火となってゆき、 STS理論が大きく取り上げ

られる機会は少なくなっていった。

2) STSの方法

STS理論の方法は、生産システムをオープン・システムと見なすところから出発する。

つまり、環境からのインプットをシステム内で変換(スループット)し、それを再び環境

にアウトプットするプロセスとみなすものである。 76

①技術システム分析

技術システム分析では、まず生産システムにおいて変換されるインプットに注目する。

それは「変化しつつある製品(product・in・becoming)」に焦点を当てることである。そして

この変換されるインプットに注目することによって、技術システムと社会システムの交差

するものとして存在するタスクを分離して、変換されるインプットの加工に技術システム

と社会システムがどのように関わっているかを客観的に分析することができる。

a. ユニット・オペレイション

生産システムに原材料がインプットされ、スループットとして変化していく状態は、ユ

ニット・オペレイションによって記述される。それは変化しつつある製品を記述すること

である。

下図(図 23) は、チーズの製造工程を単純化して記述したものである。

ここでは手作りチーズを想定して、理解を助けるために、技術(変化に必要とされるタス

ク)を右側に説明してある。実際の技術システム分析では、このタスクは表記されない。こ

こでのユニット・オペレイションは、原料の牛乳がインプットされ、ある望ましい状態で

アウトプットされるまでの原料の変化を一つのまとまりごとに 7のステップで記述されて

139

Page 141: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

いる。この各々のステップがユニット・オペレイションと呼ばれる「変化しつつある製品」

図23. チーズの作り方とユニット・オペレイション

ユニット・オペレイション 技術(タスク)

1 . 滅菌された原料の牛乳 滅菌

2 乳酸発酵した牛乳 ヨーグルトを加え乳酸発酵させ

3. ツブツブに凝固したカード レンネット(凝固剤)を入れる

4. 乳清を分離したカード カードの中の分離した水分を取

り出す

5 発酵したカード カードをくるみ、重しを載せ、

発酵させる。

6 固まりにしたカード カードを揉んで固まりにする。

7. 成形したチーズ 決まった形に成形する。

*カード:牛乳が凝固したもの

である。くり返せば、ユニット・オペレイションは製品の「変化の状態」を記述したも

のであって、スループットに加えられる活動を記したものではない。

b. 変異性(variances)

STSの方法の特徴の一つがこの変異性の概念である。これは、変換されつつあるスルー

プットの予定された正常な状態債そ常状態:Steady state)からの逸脱のことを意味する口。例

えば、チーズを作るために牛乳を乳酸発酵させる(上図の 2の段階)のに適した温度は 3

5度であるが、これが正常な状態であって、これ以上牛乳の温度が高くても低くても加工

中の牛乳の変化は期待通りには行かず、変異性が発生することになる。前出のチーズの作

り方の 1.から 7までのユニット・オペレイションごとに,発酵に適した温度や発酵に必要な

時間、牛乳に含まれるさまざまの細菌の量等の定常状態があり、そこからの逸脱の可能性

をもつ要素が変異性と呼ばれる。

変異性には二つのタイプがあり、インプットされる変換対象自体から発生する変異性、

例えば、チーズ製造の例で言えば、原料となる牛乳に含まれる脂肪、蛋白その他の成分の

構成比、また細菌の種類と量等がある。また第 2のタイプは、変換過程そのものから発生

する変異性であり、チーズの例では、発酵に適した温度や時間などがあげられる。このよ

うに変異性とは、生産システムの環境の変化と変換過程で発生する事由の二つを反映した

ものである。

なお、変異性の内、変換過程を経過している生産物の量、質、コストに重大な影響をあ

たえる変異性を主要変異性(keyvariance)と呼び、この種の変異性を統制して正常な標準内

に収めることが、技術システムの要求に応えることだという主張を STS理論は持っている。

140

Page 142: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

またこのキー・ヴァリアンスをコントロールするのは、社会システム側の人間の仕事役割

である。チーズ製造の場合には各ユニット・オペレイションでの温度と時間、および原料

としての牛乳の質が主要変異性であり、それらの適切な統制がチーズの品質を左右するこ

とになるのである。

変異性は、このように生産システムにおいて対応されるべき問題やエラーそのものでは

ない 78。つまり変異性とは問題そのものではなく、問題が発生する可能性を持った要素の

ことであり、それを適切に統制するのが作業員の仕事役割を含んだ社会システムなのであ

る。

②社会システムの設計

STS理論の社会システムは通常の概念とは異なり、人が作りあげる集団のことではない。

それは「仕事に関連する活動とメッセイジ(情報)が作りあげるネットワーク」 79という抽象

化された概念である。その活動とコミュニケーションは、実際には仕事役割(workrole)と

して具体化される。役割は職務伽b)とは異なり、ある組織的なポジションを占めているこ

とを前提に関係性の中で生じる行動として定義される。例えば、腕時計の本体をケースに

セットする仕事役割は、行動としては時計の機械部分をケースに的確に収めて固定するこ

とだが、それは前段階の機械部分を適切に準備する役割と後段階のセットされた時計を次

ぎの段階へ送る役割との関係の中で決まってくる活動である。つまり、まとまりのある作

業全体の中である部分的な役割を担っていることを表している。つまり仕事役割とはその

活動がある全体から見た部分として内容が決められることを示している。(通常、タスクや

職務として表現される人間活動は仕事役割の中に含まれている)。こうした発想は、作業現

場では職場集団が中心となる日本ではあまり違和感を感じることはないが、職務中心の仕

事体系で、その職務と賃金が対応している欧米の作業現場ではかなり特異な主張である。

この社会システムを職務充実の理論や QWLの観点(仕事での自己実現や社会関係の充

実)から設計することが STS理論における社会システムの要求に応えることであり、変異

性の統制を通じて技術システムの要求に応え、同時にこうした立場から社会システムを構

築することが合同最適化(Jointoptimization)の具体的な内容である。

③ STSデザインの 11の原則

STSの生産システムデザインは、作業員の自律的な集団行動を創出するために、次の原

則にしたがって行われる 80。

1. 整合性の原則(Compati bi I i ty)

デザインの設計や進め方はその目的と適合したものでなくてはならない。例えば、 STS

デザインは作業員の自発性や創造性を引き出すことを目標の一つとしているので、デ

ザインの過程に作業員を参加させるべきである。

2. 必要最小限の規定 (Minimumcritical specification)

目的は明確に示すべきだが、それをどのように実現するかは現場に任せるべきである。

3. 変異性の統制(Vari ance contro I)

141

Page 143: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

変異性はそれが発生する場所になるべく近いところで統制すべきである。例えば、品

質は作業現場で作り込まれねばならない。

4. 境界の引き方(BoundaryI ocat ion)

組織や作業チームの境界は、メンバーによる情報、知識、技能の共有を妨げないよう

に引くべきであって、まとまりのある作業プロセスを分割して引くべきではない。

5. 情報の流れ(Informationf I ow)

情報は、必要なアクションを取る所に最初に伝えられるべきである。上司がまず情報

を得て、外部から統制しようとすれば、担当者の責任ある行動を引き出すことはでき

なVヽ。

6. 権限と責任(Powerand authority)

必要なアクションを取る部署に必要な権限と責任を与えなくては、担当者は自分の

問題として取り組むことができない。

7. 複合的な機能と技能(MuIt i funct iona I/mu It i-sk i 11 s)

狭い領域の単機能の仕事しか与えられない作業員は能力を伸ばすこともできないし、

自己責任を感じることもできない。目的と期待が明確なら,仕事を達成する方法は複数

あるものである(Equifinality)。

8. 支援システムの整合性(Supportcongruence)

給与、昇進、採用などの人事システムや組織構造など、作業員の行動に直接・間接に

影響を与えるシステムは、組織の目的や理念に沿って作られなくてはならない。 STS

アプローチでの従業員行動は、個人の成長をもたらす自律的で自己充足的な内容が求

められる。したがって、給与は、「何をするか」を基準にしたものではなく、「何を知

っているか」(知識や技能)、または「得た結果」によって支払われる。

9. 人間的価値の設計(Designand human va I ues)

さまざまの欲求をもつ人間の存在を前提に、一定の価値観を押しつけるのではなく、

選択の余地を用意し、さまざまな選択を許すような設計を行うべきである。

10. 変化に橋を架ける (Bridgingthe transition)

急激な変化は関係者に抵抗とストレスを生む。不必要な抵抗を生まないようにバラン

スを取った変革を進めねばならない。

11. 未完成(Incomp I et ion)

デザインは繰り返し行われなくてはならない。新しい状況への選択肢を閉じてはなら

ない。常により良いデザインを求めて検討し続けることが重要である。

このデザイン原則は、仕事役割、職場集団の構造、組織の構造などを含くむすべての社会

システムの設計原理なのである。

3)サービス生産システムヘの応用 ~ イノベーション・ニーズの発見

さて、ここまで STS理論のアプローチを丹念に検討したのは、このアプローチをサービ

142

Page 144: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ス生産に応用する、という問題意識からである。 STS理論は、これまで、主に第2次産業

の場面で調査対象を選択し、アクション・リサーチがくり返されてきた。 STS理論の視点

からサービス産業についても言及した文献はあるが、サービスそのものへの理解不足や

STSの理解が抽象的なレベルに留まっていたりして、われわれの発想に適したものはまだ

見つからない81、82。

サービス生産場面で STS理論の方法を展開するうえでの課題は、まず、モノ生産の場合

のように、生産プロセスを適切に記述できるかどうか、つまりユニット・オペレイション

を確定できるかという問題、次にサービス生産で発生する変異性とは何なのかという問題

である。

a. ユニット・オペレイション

サービス生産も特定の対象(人、モノ、情報)に対する変換のプロセスである。この点、

モノの製造と変わるところはない。その意味でサービス生産においても技術システムが想

定できる。サービス生産におけるユニット・オペレイションもしたがって、変換対象の変

化の状態を区切りのよいまとまりごとに記述することで確定することができる。サービス

生産の技術システムとは、まずその生産システム全体を構成する変換の論理である技術(理

論・知識・スキル)、そしてその道具である物的な機械、備品、装置、場所、仕組み、など

である。

例えば、比較的簡単な眼の白内障の手術を考えてみよう。この場合、技術システムとし

て最も重要なのは、医師の頭の中にある医学的な理論・知識・スキルであって、それはさ

まざまに起こり得る要因間の影響関係についての理解である。また手術室、照明等の設備、

眼の角膜を切るメスと白濁した水晶体を破砕し吸入する白内障手術用の機械、手術用のラ

テックスのグローブ、顔を覆う布等々の手術用小物製品、また眼に挿入する眼内レンズ、

および機械類の動力である電気などが技術システムを構成している。

手術の手順は、白内障手術の対象である眼球およびそれを有する患者を対象に、順次変

換・加工(手術のステップ)が実施されるが、中心となるのは、白濁した水晶体が破砕さ

れ吸い出されて、変わりに人工の眼内レンズをセットされるステップである。

白内障手術のユニット・オペレイションは次のようにまとめることができる。

1 . 前処置:(健康状態の確認、消毒、散瞳薬と点眼麻酔薬の点眼)

2. 手術室での消毒・麻酔:(手術室への移動、消毒、麻酔)

3. 濁った水晶体の破砕と吸引:(角膜への切り込み、超音波装置による水晶体の破砕と吸引)

4. 眼内レンズの挿入

5 回復室での安静・回復

これらは手術対象の眼球を中心に据え、それへ手術過程で加えられる処置の結果である眼

球の状態の変化を各ステップごとに記述したものである。なお( )内は各ユニット・オ

ペレイションで必要とされる作業が、理解を助ける意味で述べてある。

b. 変異性(ヴァリアンス)

143

Page 145: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

変異性とは先に述べたごとく、ユニット・オペレイションが、ある標準や定常状態から

逸脱する可能性をもったポイントであり、一つにはインプットされた変換対象のもつ性質

から生まれるものと変換プロセスの中で発生する逸脱の 2種類がある。前者には例えば白

内障手術の場合では、患者の眼球の特徴や手術時の患者の身体的状態(例えば発熱してい

る)などから来るものなどである。後者では、使用される機械や道具の状態、その使い方

やスキル、経過する時間や滅菌状態、温度、騒音など状況的な変数である。

そうした変異性の内、最終アウトプットの品質やコストなどに相対的に大きな影響を与

えるヴァリアンスが主要変異性(キー・ヴァリアンス)である。このキー・ヴァリアンス

をコントロールすることによって、生産システム全体の定常状態が維持される。ヴァリア

ンスは前に触れたように、生産システムの問題や課題そのものではなく、そうした問題や

課題を発生する可能性をもったポイントである。ここに注目して現実の生産システムの状

態を分析することで、改革や改善のポイントを明らかにするのが、この STSアプローチの

目的である。

図24は、白内障手術の場合のユニット・オペレイションとヴァリアスを表にしたヴァ

リアンス・マトリックスの例である。表の左端に縦に連続して示してあるのが、ユニット・

オペレイションで、右側に各オペレイションにおいて発生するヴァリアンスが記述してあ

る。先行するヴァリアンスと後のヴァリアンスの交点に x印があるのは、ヴァリンスが相

互に関係し合うことを示している。先行のユニット・オペレイションで発生するヴァリア

ンスがうまくコントロールされれば、後のヴァリアンスの持つ影響力は小さくなる。また

ヴァリアンスの番号が網掛けで記してあるのは、キー・ヴァリアンスを示している。この

表から全体の生産システムをデザインするには、先に紹介した「STSデザインの 11の原

則」にしたがって行う。

図24のキー・ヴァリアンスを検討してみよう 83。(〔 〕はユニット・オペレイシ

ョン、「 」はヴァリアンスを示す)。

1. 〔前処理〕のユニット・オペレイションでは、「患者の健康状態」がキー・ヴァリア

ンスになっている。手術当日の患者の健康状態は、手術の結果や回復時の状態にも

影響する。このヴァリアンスをコントロールするには、患者に、手術当日の健康状

態に注意するよう事前によく伝えておかねばならない。また最初に診察室に入って

きた時に、患者の状態を十分観察し、血圧や脈拍の測定を行う。血圧が高い場合、

投薬によって安定を図るが、異常に血圧が高い場合、また患者が酪酌しているよう

な場合は手術の中止を患者に伝え、帰宅してもらう。患者の健康状態が正常であれ

ば、瞳孔を広げる「散瞳薬」を点眼し、眼球の周囲を「消毒」し、予備的な「点眼

麻酔」を行う。

2. 次のユニット・オペレイションは、〔手術室での消毒・麻酔〕である。

前処理のユニットオペレイションで、点眼薬による予備的な消毒と麻酔を行ってい

るが、この段階の「消毒」と「麻酔」は手術に直接影響するヴァリアンスなのでし

144

Page 146: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

つかり処置されねばならない。

図24 白内障手術におけるユニット・オペレイションとヴァリアンス・マトリックス

白内障手術における Unitoperations (ユニット・オペレイション)とVariance(変異性)マトリックス

Unit operations(ユニット・

オペレイション)

前処置

手術室での消毒・麻酔

水晶体の破砕と吸入

眼内レンズの挿入

安静・回復

退出 '

Variance (変異性)

X X X X

X X X X X

X X X X

X X

X X X X X X X X

X X X X X X X

X X X X

X X X X X X X X

X

(ヴァリアンスの網掛けで番号が振ってあるのがキーヴァリアンス)

X X X

X X X

3. 〔水晶体の破砕と吸引〕のユニット・オペレイションはこの生産システムの中核部分で

ある。まず患者に「頭部を動かさないように伝え」、メスによって角膜に 3ミリ未満の

「切り込みを付け」、さらに前嚢と呼ばれる水晶体を包んでいる袋に約 5mm

の窓を作り、そこからノズルを挿入して超音波によって「白濁した水晶体を乳化破砕

し、破砕した水晶体をすべて吸引する」。(水晶体超音波乳化吸引術: PEAの場合)

4. 〔眼内レンズの挿入〕は、先のユニット・オペレイションで空けた前嚢のまどから折り

たたんだ人工の「眼内レンズを挿入し、広げて固定する」。オペレイションの 3と4を

足した手術所要時間は約 10"-'15分である。

145

終了

Page 147: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

5. 〔安静・回復〕回復室へ移動して 30分から 1時間「安静にして休む」。その後診察室

で眼球の状態を検査して、異常がなければ、帰宅する。前処理から帰宅まで全部で 1.

5時間から 2時間である。

このようにユニット・オペレイションとヴァリアンスを記述することで、全体のプロセス

の中で、どの部分で問題が起きる可能性があるかを判断することができ、また、実際に何

か問題が生じた時には、どの部分が原因になっていて、それは他のユニット・オペレイシ

ョンのどの部分に影響を与えているかを判定することができる。またそれらの情報を使っ

て今後の対応策を検討することもできる。

4)変異性とイノベーション・ニーズの発見

STS分析におけるキーヴァリアンスを特定する作業は、サービスの変換過程において、

生産システムの効果性や生産性に重要な影響を与える可能性をもつ要因を特定することで

ある。それは分析対象である生産システム固有のヴァリアンスであって一般的なものでは

ない。キーヴァリアンスの適切な統制は、その取り上げた生産システムの生産を定常状態

に導き、順調な生産を可能にすることができる。

サービス生産においても STS分析のキーヴァリアンスは、まったく同じ意味をもっと考

えられる。サービス生産においてもモノの生産と同じく生産過程の定常状態を想定するこ

とができるからである。

例えば、マクドナルドのようなファースト・フード店では、お客が入店してレジで注文

を出し、支払いをして料理を受け取り、テープルを見つけて、そこで食事をし、 トレーに

残った紙くずや紙コップをゴミ箱に投入して、 トレーを所定の場所に置いて、退店する。

これが典型的なサービス生産の流れであり、普通は多くのお客がこの流れにしたがって、

入店し、退店して行く。これがこのファースト・フッド店での活動の流れの定常状態であ

る。しかしこの定常状態を逸脱するいくつかのヴァリアンスも存在する。例えば、お客が

混みすぎる、注文取りでの間違い、椅子やテーブルが見つからない、客がキチンと後始末

をしないためにテーブルが汚れている、等々である。最後のヴァリアンスを統制するため

に、マクドナルドでは店内を回って、テーブルの清掃や整理をする役目のサービス・クルー

がいる(社会システムでの仕事役割の例)。

どんな種類のサービス提供であっても、普通、その担当者にとっては(初任者以外は)、

仕事が順調に回っている状態が頭の中に想定されていて、その流れが理解されていると思

われる。そこで起きる、定常状態を攪乱するさまざまのヴァリアンスを巧みに処理してい

<従業員が、いわば優れた、またはベテランの従業員であろう。

このように考えるとヴァリアンスとは、サービス生産プロセスの順調な流れを阻害する

可能性をもったポイントと考えることができ、そのポイントの恒常的な改善に、イノベー

ション・ニーズを見出すという発想は自然な考え方であろう。

こうした発想の問題点の一つは、ヴァリアンスを統制してサービス生産の定常状態を維

146

Page 148: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

持することを、イノベーションに含めることができるか、という点である。定常状態の維

持は、顕著に効果性や効率性を高めることにはならないのではないかという疑問である。

この問題についての筆者の見解は以下の通りである。つまり、サービス生産では、モノ

生産の場合に比べて、生産システム自体の柔軟性が高く、デザインすべき領域も広い。そ

こで重要なのは、特定の変異性の中に、革新または改善をすべき生産システムのポイント

を見つけることであり、その改革ポイントに対するデザインは、従来の定常状態を越えて、

新しいより高度の定常状態に導くことが可能だということである。その理由を次に述べる。

モノの生産システムでは一般に、技術システムはクローズド・システムに近い特性をも

っていると考えられる。対象が変換されていくプロセスが、比較的明確で整理された原因・

結果の関係に依存するためである。他方、社会システムはその仕事役割をどのように組も

うと同様の結果を出すことができる場合が多く、オープン・システムのエクイフィナリテ

ィ (Equifinality)8 4の特性をもっている(例えば、自動車の組立であれば、直線的なアッ

センプリー・ライン型の作業組織もあれば、ヴォルボのカルマール工場のようにメンバー

の職務を固定しない自律集団型の作業組織を組むこともできる) 8 5。

モノ生産に比べて、サービス生産では、(サービスの種類によって異なるが)、技術シス

テムにおいても、期待される結果を生む方法はより多様であって、エクイフィナリティの

特性を多くもっている。その原因の一つは、モノ生産の場合、期待される結果を導く因果

関連の構成要素である活動が、第一義的に機械や工具といったハードな要素から発生する

のに対して、サービス生産では、ある幅をもったソフトな要素(例えば、人間のスキルや

コツ)から生まれる活動の割合が大きいからである。

またサービス生産の場合、グルンルース 86やジョンストン87が指摘しているように、サ

ービスの結果的側面と過程的側面を分けて考えることができ、サービスの結果的価値

(What)を生む技術的側面だけでなく、顧客の経験を形成する過程的な側面(How)が存在する。

つまり、サービス生産ではデザインの対象となる側面は、サービス商品の結果の側面、ま

たサービスの過程的側面、そして技術システムと社会システムの 4つのグループがあり、

それはモノの生産システムの場合よりもはるかに幅広いものである。

したがって、イノベーションのキッカケとして重要なのは、サービス生産システムのど

の部分に革新や改革の可能性があるかをハッキリさせることであり、それはキーバリアン

スを特定し、それを検討することによってイノベーション・ニーズを発見することができ

る。ヴァリアンスとは問題そのものではないが、問題や課題を生む可能性をもった要素や

要因である。そこで、ヴァリアンスに焦点をあてて、それを中心に改革・革新のデザイン

を検討することができる。そこを出発点として、 4つのデザイン領域でどのような新しい

発想が可能かを検討し、新たなデザインによって、従前の定常状態を越えた、より高い定

常状態を作りあげることである。そこにこそ、サービス生産システムの効果性や効率性を

より高める新しい方法の開発が可能となるのである。

次にこの STSアプローチによるヴァリアンス・マトリックス分析を使って、イノベーシ

147

Page 149: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ョン・ニーズを明確化し、サービス・イノベーションを実施した事例をいくつか紹介しよ

う。

〔事例 1〕美容サービスの場合88

対象とするのは、東京郊外にある私鉄沿線の駅前の道路を、駅から 5,......,5分歩いたとこ

ろに位置する小規模な美容院である。店舗をオープンしてから約 10年になる。スタッフ

は美容師2名、アシスタント 2名である。

経営者の A氏は、美容師でもあるのだが、最近、客足が低調なことが気がかりである。

設立して 3年目の最盛時の 3分の 2ほどに落ち込んでいる。店舗の外装や内装の手直しも

そろそろ必要だが、美容サービスの仕事の進め方全般の改善によって、何か他の美容院に

はないユニークな特徴を打ち出すことができないかと考えている。そこで、コンサルタン

ト企業に勤めている甥の I氏に相談してみることにした。

相談を受けた I氏は、大学院の時代にサービス・マネジメントについての勉強もしていた

ので、美容サービス全体の仕事の流れを分析して、何か改革のヒントが得られないかと考

えた。また、イノベーションの基本方針を、顧客との共同価値生産を進めることによって、

従来の完成品としての美容サービスの提供ではなく、顧客の文脈価値を探りながら、個々

の顧客に適したサービスを顧客との会話の中から探り、その実現を図れるような態勢作り

を中心に置くこととした。美容サービスはもともと顧客の要望に応じて作業するカスタマ

イズしたサービスではあるが、その水準を高め、顧客の潜在的ウォンツを十分に充たした

サービスを実現して、それを差別化の中心としようと考えたのである。

そこでまず、 A氏ともう一人の美容師、およびI氏との三人で美容サービスの流れを分析

してみることになった。

その結果、 10のユニットオペレイションが確認され、また、各ユニットオペレイショ

ンごとにヴァリアンスとキーバリアンスが特定された。ユニットオペレイションの内、後

半のシャンプー、カット、パーマ、カラーリング、プローセットについては、技術者の技

術とセンスまた会話能力など個人的なスキルと資質に大きく影響されるので、技術者の講

習会などへの積極的参加が計られることになり、業務の改善は①電話予約、②来店・受付、

③待合室、④カウンセリングの前半の 4つのユニット・オペレイションに集中することに

なった。

①電話予約(キーヴァリアンスは、「広告」、「電話対応」)

a. 大部分の顧客は電話予約をして来店する。

たまには予約なしの顧客もあるが、予約客が優先されて待たなくてはならないことが

分かっているので、その数は多くなく問題にはなっていない。

b重要な課題は集客。

従来は季節ごとに一回ぐらい、コミュニティのフリーペイパーヘ小さな広告を掲載す

る程度で積極的な広告宣伝活動はしていない。 A氏は、当該店舗がサービス内容も外観

148

Page 150: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

図25美容サービスにおけるVariance(変異性)マトリックス' ' . アariance(変異,L¥

来店・受付

待合室

カウンセリング

' ー且 _ 1311・3

シャンプー

カット

ノぐーーマ

~

カラーリング

日王l

ブロー・セット

会計・見送り同

l

' ーn-日 日

変異性の意O・・・ 理論的興味のみ1…実際の重要度が小さい2・・・ 実際の重要度が中くらい3・・・ 実際の重要度が大きい□…サービス品質との関係性が大きい , • 一

■ • ••キーバリアンス(品質に関係し、変異性の高いもの)■ • • •二次的な関連性がある

Page 151: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

なども平均的でとりわけこれといった特徴がないので、存在を知らせる程度で、宣伝

にはとりわけ大きな効果はないという見方であった。今回のリモデルで何らかの差別

化要因を作ることができれば、その点をテーマにある程度の広告を実施する心つもり

は持っている。

c電話予約サービスの品質。

もともと電話をしてくる顧客にとっては予約が目的なので、ビジネスライクに迅速に

正確に予約を確定することが大切である。しかし I氏は、電話予約が顧客コンタクトの

最初の場面なので、良い印象を与えることが重要だと考えていた。従来は手の空いて

いるアシスタントか美容師が受けていたが、電話による接客の印象までは考慮してい

なかった。

最初の印象が良ければ、後のプロセスヘの期待が高まる効果を持ち、集客へも良い影

響を与える。そこで、一度、スタッフ全員で接客訓練を実施することにした。 I氏は接

客訓練のビデオテープを購入し、全員がそのビデオを見た後で、彼がトレーナー役を

務めて、集合訓練を行った。「感じの良い予約受付」がテーマである。その後、終業後

のスタッフ・ミーティングの際に、電話での予約サービスについての話題が出るよう

になり、スタッフの接客の意識化に大きな影響を与えたことが分かった。

d. 予約受付の問題。

現状では、予約が混みすぎて、顧客に大きな不便をかける状況ではない。一週間先の

予約を楽に受けられる状態なら、顧客も問題を感じないし、スタッフも余分な暇のな

い適度な忙しさで仕事をすることができる。しかし現状では、ときには、 z,...._,3日後

の予約が空いている時がある。一週間先のスケジュールをいつばいにした状態で仕事

を回すのが理想である。このリモデルによって、この水準を達成するのが目標である。

現在では紙のスケジュール表に予約を書き込む方法を取っているが、コンピュータ予

約にして、営業中はいつも PCを立ち上げておくのも一つの方法である。たんに予約を

受けて時間ごとに名前を書き込むだけでなく、どんな目的で来店してくるのか(結婚

式の出席、 PTAの会合への出席、デート等々)を受付時に聞き出して、記入しておく

にはPCの方が便利である。スタッフのPCへの慣れの問題もあり、一長一短があるが、

スケジュールを PC化するかどうかは、今後の検討課題である。

このように検討してくると、電話予約という比較的単純なユニットオペレイションが後の

工程の遂行にある種無視できない影響を与えていることが理解できる。

②来店・受付(キーヴァリアンスは、「外装と内装」、「受付の対応」、「顧客カルテ管

理システム」)

a. 外装と内装

店舗の外親は、その店舗のサービスの内容や品質の高さについての顧客の期待に影響

することは良く知られている。特に美容院のようにサービス提供者の美的なセンスや

スキルがサービスの結果に影響すると考えられている業種では、とりわけ店舗の外観

150

Page 152: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

は重要な顧客訴求の要因となる。また待合室や作業室の内装も提供されるサービス内

容と対応していると受け取られる。したがって、外装、内装ともに新しいセンスが感

じられるような雰囲気を持っていることが重要である。A氏はこうした関連を良く理解

していて、最初に店舗を開店して 10年すぎているので、予算の大きな部分をこのリ

モデルに掛けようと考えている。

b. 受付の対応

この店舗では専任の受付スタッフを置いていないので、手すきのアシスタントか美容

師が待合スペースに入ってきた新しい顧客に対応する。「電話予約」のところで確認した

ように、「感じの良い対応」がポイントである。実際に対面しながらの対応なのでいっ

そう印象が強くなる。心のこもった挨拶「いらっしゃいませ」を行い、電話予約表を確

認して、「一ー さま」と顧客の名前を呼ぶ。

また、顧客の荷物とコートを受け取り、クロゼットに収納する。

c顧客カルテの管理

前の段階で、初めての顧客(電話予約の段階で確認しておく)の場合には、歓迎の挨

拶の後に、店舗からお知らせ等をお送りするからという説明をして、顧客カード(カ

ルテ)に住所・名前、年齢、性別、電話番号、メールアドレス等を記入していただく。

顧客カルテには、顧客の個人情報と共に、当日実施したサービスの種類と内容を、毎

回、作業が終了して顧客を送り出してから手早く記入しておく。その際に、美容師や

アシスタントが、作業中に顧客との会話の中で、顧客の特徴を示すもの、職業、趣味、

生活水準、特別な好みなど収集した情報を記入しておき、次に来店してその顧客を担

当する場合、事前に眼を通しておく。これは、顧客との関係性の構築に必要な情報と

なる。顧客が沢山の情報を提供してくれれば、顧客の期待や好みを確認しながら、サ

ービスを顧客の期待に合わせることができる。またそうした関係性を築けば、顧客の

スイッチング・コストを高めることができる。

③待合室(独立した部屋ではなく作業室につながったスペース)

ヘアスタイル関係の雑誌が置いてあり、壁に面した小さなデーブルに自分でコーヒー

を入れられるコーヒーメイカーと紙コップとプラスチックのホールダーが置いてある。

このコーナーはカットした髪の毛などが飛んでこないように高めの衝立で囲われてい

る。

④カウンセリング(キーバリアンスは、顧客の期待を明確化すること)

顧客のヘアスタイルについての希望を明確化し、価値の共創化を計る重要なステージ。

たとえ顧客が、現在のヘアスタイルを変えないことを希望していても、別のヘアスタ

イルを試してみませんか、と話しかけて、カウンセリングに誘導する。この場合、美

容師は膝をついた状態で、座っている顧客と対面で行う。

カウンセリングはコンピュータを利用するハスフィス方式(HairStyle Fitting

System)を利用する。やり方は以下の通りである。

151

Page 153: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

a. 待合室のテーブルに置いてあるラップトップ型コンピュータに事前に取り込んで

ある 10のパターンのヘアスタイルを順次見せて、その内の好みのスタイルを選ばせ、

そこから同じカテゴリーで細分化されたヘアスタイルを 5つ順次見せて顧客の好みを

絞り込む。

b美容師が顧客の正面の顔写真をデジタルカメラで撮影し、ただちにコンピュータに

取り込んで、モニターに映し出し、顧客が先ほど選んだヘアスタイルと重ねて表示す

る。その手順で順次違うヘアスタイルを見せて、顧客が自分に最も合っていると思え

るヘアスタイルとヘアカラーを選択する 89。

C. 美容師は、そのヘアスタイルでどんな場面に顧客が出かけたいのか聞き出しなが

ら細かい手直しなどについて適切なアドバイスを与え、また他スタイルを試すことを

膊める。

d. こうしたカウンセリングをくり返して、最終的に顧客がどんなヘアスタイルとヘア

カラーにするか決定するのを援助する。この段階は、顧客が自分の背景となる固有の

文脈を考慮しながら、その時の自分に最適なヘアスタイルを絞り込む段階である。そ

の選んだヘアスタイルを後のユニットオペレイションである「カット」、「パーマ」、「カ

ラーリング」の各段階で、美容師による頭髪の処理を受けながら共同創造していく。

この段階に必要なカウンセリング話法を事前に訓練しておく。(例えば、顧客の発言を

否定しないで、肯定的に相手の気持ちを受け止めながら、異なるものを試すことを駕

める、等々 )。

このプロセスに 15分から 30分の時間を掛け、顧客が最終的に自分自身で選んだとい

う感覚を得て、完全に満足するまで対応する。

⑤シャンプー

以降、⑨までのユニットオペレイションでは、美容師およびアシスタントの個人的な

スキルと美的なセンスが発揮される場面である。したがって、今回のイノベーション

の対象からは除外される。ただ、各人のスキルを伸長するために、その種の講習会に

積極的に参加するという方針を確認した。

ただし、⑤から⑨までの作業で、美容師およびアシスタントは、順次行っていく作業

の内容を、顧客に聞こえるような低い声で伝えながら行ってゆく。時々、「どうです

か?」といった調子で、顧客の感想を促しながら作業を進める。これは、顧客が一方

的に加工される対象ではなく、そうした自分の頭髪に加えられている変化に、顧客自

身も参加している感覚を高めるためである。こうしたプロセスを経る方が、顧客の価

値の共同創造の感覚が強くなり、満足度も高くなることが予想されるからである。

以下のステップを順次すすめていく。

⑥カット

⑦パーマ

⑧カラーリング

152

Page 154: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

⑨ブロー・セット

すべてのサービスを終了した段階で、仕上がったヘア・スタイルについての感想を求

め、その後、そのヘア・スタイルのメンタナンスについて説明する。必要な場合は、

顧客に実際にやらせて見せ、指導する。

⑩次の予約、会計と見送り

a. 次回の予約

会計の前に次回の予約を取るかどうか確認し、予約を取る場合にはスケジュール表に

記入しておく。

b会計処理

会計処理をし、この店舗独自にデザインされた領収書を手渡す。また 10回で 1回分無

料となるポイント・カードを、初回の顧客の場合には顧客の名前を記入し 1回分の印

を押して手渡す。また、顧客の知人・友人に渡して、そのカードを持ってくるとその

知人・友人の 1回分の料金が無料になり、そのカードを渡した顧客も次回半額になる

「ご紹介カード」も合わせて手渡す。なお、カードを渡した顧客には、メールアドレ

スが顧客カードに記入されていれば、紹介者の来店の事実と次回半額になることをメ

ールで連絡する。

C. 荷物の手渡し

荷物とコートをクロゼットから出して、手渡す。コートの場合は着せかける。

d. 見送る

「ありがとうございました」のかけ声とともに顧客の退店をドアまで行って見送る。

この事例で、ヴァリアンス・マトリックス分析の結果、導入された改革・改善の内容は

以下の通りである。

1. 宣伝の強化:地域のコミュニティ誌にハスフィス方式を強調した広告を打つ。

2. 電話による予約受付のサービス品質の向上

3. 店舗の外装・内装のリニューアル

4. 顧客カルテの導入と利用方法の改善

5. 待合室での飲み物の提供と紙コップの改善

6. ハスフィス方式の導入

7. カウンセリング能力の向上

8. 作業中の声かけの改善

9. ヘアスタイルのメインテナンス方法の紹介

10. ポイント・カードの導入

153

Page 155: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

〔事例 2〕信用金庫のサービス改善

金融機関を対象とする STS分析は複雑にならざるを得ない。それはコアとなる変換プロ

セスが多数存在しているためである。例えば銀行を例にとれば、その主要な活動分野は、

決済、金融仲介、信用創造(与信機能)に分かれ、各々の分野は、例えば決済であれば、

普通口座を通した預け入れ、払い出し、公共料金の自働引落し、支払代金の振り込みなど

の諸活動が存在し、その各々が固有の目的とシステム・インプットとシステム・アウトプ

ットをもっていて、境界によって区切られるシステムをなしている。それらのほとんどは

特定の金額を背負った情報を変換対象としている。つまり金融機関の変換プロセスは大部

分情報処理プロセスなのである。

しかし、ここで述べる信用金庫のサービス改善例は 2種類あり、その内の一つは、信用金

庫にやってくる顧客のサービス・アクセスに関するイノベーションである。

都内北部地域で業務を展開している S信用金庫では、「金融機関から金融サービス業へ」

というスローガンを立てて、きめ細かいサービスを提供することで、小口預金の安定的獲

得を目標にして活動している。その活動の内の一つが顧客の待ち時間の短縮と不均衡の改

善であった。

(1) ホールの顧客の待ち時間の改善

目的はなんであれ、テラー・サービスを利用しようとする顧客は、まずホール内に設置

されている発券機のボタンを押して受付順のナンバー・シートを機械から取り出し、その

順番がカウンターにある表示器に表示されるまで、カウンター前の椅子に座って待ってい

ることになる。銀行では普通、テラーの担当は、公共料金の支払い、口座の開設、預貯金

の引き出し・預け入れ等の役割毎にグループ化され、そのグループ化された窓口ごとに発

券機が設置されている。

①分析

顧客は受け取った番号シートをもって、グループ毎の表示器に自分の番号が表示

されるのを待ち、そのグループのテラー窓口に向かう。しかし問題は、各グルー

プでの顧客数や処理スピードが異なるので、待っている顧客の数が不均衡になる、

という事実である。そこで、ここにおいて銀察される変異性は、

1顧客の求めるサービス内容が異なる。

2. テラーごとの処理スピードが異なること。(求められるサービス内容の違い、

およびテラーの処理能力の違いが原因)

結果として、あるグループではどんどん顧客がはけていくのに、隣のグルー

プではまった<待機顧客の数が減少しないという現象が起こり、各グループ

間で、待っている顧客の数が異なることになる。

②改善策

154

Page 156: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

③結果

1. グループごとの発券機の設置を廃止し、全体をカバーする発券機を複数設置

した。

2. テラーの業務を役割別に分けずに、全員、どんなサービスにも応じられる

マルチ・ジョブ制にした。

3番号が表示器に表示されると、その時空いているテラーの窓口で顧客は

サービスを受けることができる。

4. もし特定の顧客の案件処理に時間がかかることが予想される場合、テラーは

自分の窓口を他の待機中のテラーに譲り、低いカウンター席に顧客と共に移

動して作業を続けることにする。

こうした改善によって、顧客の待ち時間が平均化され、また待ち時間そのもの

も削減された。この改善策は、待ち時間の不均衡という変異性を統制するとい

う観点から生まれたものである。

(2) 「年金孫の手サービス」(新サービスの開発)

次は、顧客の特徴から店舗に来店しにくい顧客が存在するというインプットの変異性に

注目した改革である。年金受給者である高齢者は、信用金庫の地域での小口預金の獲得と

いう観点から重点ターゲットであるが、この人々が高齢のため、店舗まで来店しにくいと

いう問題が観察された。

そこで、次のような「年金係の孫の手サービス」が開発された。

1来店が困難な高齢者に、無料で年金を自宅まで届ける「年金無料宅配サービス」。

2. 年金受給日に来店いただいた方にプレゼントを差し上げる「年金感謝デー」。

3来店できずに、 ATMを利用する方には、 ATMの手数料を割り引くサービス。

こうした地道な取り組みの結果、高齢者の新たな口座開設につながっている。この信用

金庫では、業界の平均預金残高を、競合他社が 66店舗で獲得しているのに対し、 43店舗で

達成している。この事例も金融サービスヘの顧客のアクセスに関連する変異性の統制の問

題が出発点になっている。

〔事例3〕生花卸売業の新サービス・システム90

A株式会社は、東京に本社を置く胡蝶蘭の卸売業者である。胡蝶蘭は比較的長持ちする生

花であるが、一鉢何万円もする高価な商品であり、主に贈答品として利用されるので、需

要が均ーでなく、生花販売店としては、利益は高くても在庫管理の難しい商品であった。 A

社は、苗作りから開花した完成商品まで 3年間も要する胡蝶蘭の生育過程に積極的に関与

し、販売までの各段階を専門化によって変異性の統制を行っている。しかし同時に、全体

の過程の一部を外部化することで、専門化に必要な資源をかかえこまず、「資源の統合状態

を出来る限り薄くする態勢」作りを行っている。その結果、ヴァリュー・チェーンの最終段

155

Page 157: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

階である顧客の生花販売店の在庫リスクを削減すると共に、他の段階での自社の取引リス

クを大きく削減することに成功している。同社は、こうしたまったく独自のビジネス・モ

デルによって、競合他社に対する競争優位性を築いている。(なお、この事例は STSの方法

によって新しいサービス・モデルを作ったものではないが、変異性の統制を中心とする発

想が核となっているという理由で取り上げた)。

①仕組み

1. 沖縄の農場における胡蝶蘭のフラスコ苗の育成。

バイオ・テクノロジーを利用した方法を利用している。無菌状態に保たれた寒天の入

ったフラスコの中で約 10ヶ月成長させる。ただし、 1つのフラスコに十数株入ってい

る苗でうまく成長できるのは数株にすぎない。

また花を咲かせるには約 20ヶ月かかり、商品になる花かどうかは咲いてみないと分

からないというリスクがある。その意味で非常に歩留まり(変異性)の悪い事業で

ある。

2台湾の契約している胡蝶蘭生産農家に沖縄で育成した苗を販売し、約 14ヶ月後、開

花する半年前の状態まで成長した質の良い開花株を買い上げる。 1. の段階での歩留

まりの悪さという変異性を台湾の専門生産農家に対応してもらい、品質を保持してい

るわけである。A社はまた品質が定まらない苗を販売し、良質な開花株を購入するので、

リスクの低い取引をすることができる。(開花株の品質に関する変異性の統制)

3. 開花株を日本の胡蝶蘭生産農家に販売し、その後、需要に応じて、良質の胡蝶蘭を仕

入れる。 A社は、開花までの作業を専門家に任せて品質(変異性)を管理し、不良品の

在庫をかかえるリスクを回避しているわけである。

4.A社は、生花卸しとして顧客である販売店からの注文を受けると、生産農家から納入

してもらい、場合によっては、直接、販売店の顧客の所へ搬送する。生花販売店は普

通、季節ごとに 10,,....., 2 0鉢の胡蝶蘭を仕入れ販売するが、高価なので在庫を減らし

たいが、急に需要が発生しても、生産者が地方に居るために直ぐには納入できない。

また花き市場での競りも鉢物が出ない日には仕入れられない。こうした状況で、 A社の

仕組みは安定しているし、販売店としては無駄な在庫を置かない(在庫の変異性の統

制)で済む。ただし、その分高めの価格をA社に支払う。 A社はまた大手法人顧客に

対しては直接販売も行っている。

②分析

フラスコ苗の生産は自社で行っているが、苗の開花株への育成はフラスコ苗を販売し

た台湾の生産農家で行う。開花株の完成品までの育成は日本の生産農家へ委託してい

る。しかし両方の生産農家との関係は、販売・購入の取引関係であって、各部分を専

門家に任せることで、良質の商品のみを入手できる仕組みになっており、 A社の納入さ

れる商品の品質はつねに守られる。また、台湾と日本の生産農家にとっては、原材料

である苗や開花株の安定的な購入を可能にし、かつ育成した商品(鉢)も安定的に買

156

Page 158: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

い上げてもらえるという利点がある。また生花販売店も在庫リスクをかかえずに胡蝶

蘭を販売できるというメリットがあり、苗作りから顧客への販売までのヴァリューチ

ェーンの各部分に関係しているステークホルダー間のすべてでウィンウィンの関係を

構築しているという特徴がある。

この A社のビジネス・モデルの基本となっているのは、各機能の担当部門でのキーバリ

アンス(品質と価格)をどのように統制するか、またそのために、過剰な経営資源を自社

でかかえこまないような仕組みをどう構築するのかという発想にある。

5) まとめ

変異性の統制は、経営管理の場面で一種の常識となっている「例外管理」の発想と類似

している。しかし、例外管理は、当該職場における基準やルールの逸脱という悪しき状況

への対応という意味で取らえられる場合が多い。

一方、 STSアプローチにおける変異性は、必ずしもネガティブな意味をもたない。当該

職場における変換プロセスになんらかの変化をもたらす可能性を意味している。これはそ

の状況によりネガティプにもポジティブにも変化する兆しである。これをネガテイプな場

合にはポジティブに、ポジティブな場合にはそれを助長するような改革や革新を生み出す

のが STSアプローチの目的である。

ここで挙げた 3つの事例がこのことを良く表している。美容院のケースでは変異性はポ

ジティプな革新を生み出し、二番目の信用金庫の事例では、ホールの待ち番号の改革はネ

ガティブな状況の解消を、後半の年金孫の手サービスはポジティプな新サービスの創出に

つながっている。三番目は、変異性を統制するという課題の発想が新しいビジネス・モデ

ルを生んだ事例である。この 3つの事例は、変異性コンセプトを利用する 3つの典型例と

なっている。どれも変異性への注目がサービス・システムの革新を生み出す出発点になる

ことを示そうとするものである。また、第一と第二の事例は、変異性をあぶり出す方法と

してヴァリアンス・マトリックスが有効であることを示している。

6) STSアプローチを実施するための組織対応

STSアプローチを企業で実際に展開するには、ふたつの進め方がある。一つは、組織の

限られた特定の部署で限定的に進めるやり方であり、もうひとつは、組織全体にこの考え

方を広め、サービス・イノベーションを組織全体で展開する方法である。また前者が試行

的に実施され、後者に移行していく場合も考えられる。

前者の限られた部門で実施する場合も、少なくとも大きく二つのステップが必要となる。

第 1は、従業員が STSアプローチを理論的に学習する段階と第二にはそれを実際の職場で

適応する段階で、この第二の段階もヴァリアンス・マトリックス分析を行う段階、それを

基にサービス・イノベーションに発展させる段階、そして最後にそれを実行する段階の 3

つのステップに分けられよう。

157

Page 159: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

先に触れたように、サービスの革新は職場からの抵抗を生みやすい。その意味で限られ

た範囲の実験であっても、その部署のトップによるシッカリした理解と決意が求められ、

また対象職場に対する説明・連絡も十分に行う必要がある。

組織全体で実施する場合には、より慎重で時間をかけた地ならしが求められる。まずト

ップ経営層の理解と決意、それに基づく意思決定が最初に実行されねばならない。組織的

に展開される継続的な運動では、ここが十分に行われていなければ、 CS活動を始めこれま

で広く行われた多くの経営改革運動のごとく、十分な成果をあげることはできないであろ

う。

経営トップ層による地固めが成功したとして、次に組織全体で STSアプローチを展開し

ていくためのステップを項目ごとに挙げてみよう。このステップは一種の組織文化変容の

活動にならざるを得ない。つまりたんなるフォーマルな構造的・組織的変更に止まらず、

組織成員全体の心理の深い所での意識変革を必要とするのである。

①サービス・イノベーション・センターの設置

組織内に専門的にこの事業を展開する部著として、また、組織的に展開するためのサポ

ート部門としてサービス・イノベーション・センターを設置すべきである。センターは次

のような業務を行う。

1. 関係各部門へのサービス・イノベーション運動の広報活動。

2. 各職場に対する STSアプローチの考え方およびヴァリアンス・マトリックス分析

方法の集合訓練および実習

3. 各職場が作成したヴァリアンス・マトリックス分析とヴァリアンス・コントロー

ルの方法およびサービス・イノベーション案の評価と蓄積

4. サービス・イノベーション案を実行に移す場合の企画・立案と上位部門への提案

5. サービス・イノベーション実施案の各関係部門への連絡

6. サービス・イノベーション活動のデータベース化。

②組織全体を対象とするサービス・イノベーション運動の展開

サービス・イノベーションは既存のサービス・システムの変更を求めるために、組織の

サービス提供者の抵抗を受けることが多い。したがってサービス・イノベーションの意義

を組織の関係者全員に理解し、支援してもらうことが

不可欠である。そのためにもサービス・イノベーション運動の組織内広報活動を行う必要

がある。それは社内の広報誌でのキックオフ宣言に始まり、経営トップの決意表明、 STS

アプローチの簡単な概要などを伝達する活動となる。

③各職場に対してサービス・イノベーションの考え方と STSアプローチの方法の研修を

実施する。

部門ごとに 20人前後を一グループとする研修グループを作り、サービス・イノベーシ

158

Page 160: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ョンの発想、概念、および STSアプローチの方法、つまりヴァリアンス・マトリックス分

析のやり方とヴァリアンスの統制の考え方などを講義し、実習を行う。午前 2時間、午後

3時間計5時間を一単位とし、実施スケジュールを当該部門からサービス・イノベーショ

ン・センターに提出してもらい、そのスケジュールにしたがって実施する。丸一日空けら

れない場合、午前のセッション、午後のセッションと分けて 2日間で実施することもでき

る。

④サービス・イノベーション・サークルの設定と開催

各部門の職場集団ごとにサービス・イノベーション・サークルを作り、定期的に(例えば

一週間に一回)、終業時間後に開催する。現行業務の分析・検討・見直し等を全員参加の討

議によって行う。各職場で、まずどんなサービス・システムが存在するか列挙し、その内

の一つを選んで、ヴァリアンス・マトリックを作成する。キーバリアンスを特定し、その

統制の方法について全員で検討する。各サービス・イノベーション・サークルでは係を決

めて、これらの活動を記録する。

⑤サービス・イノベーション・サークルでの活動結果は SIセンターに報告し、まとめら

れたイノベーションの実施案について、優先順位をつけて SIセンターに提出する。

⑥ SIセンターでは、各職場から提出されたヴァリアンス・マトリックスとサービス・イ

ノベーション実施案について評価・検討し、必要があれば、各職場のイノベーション・サ

ークルでの再検討を要請する。適切なイノベーション案については、実施に向けた報告書

(必要な経営資源を検討・評価する)を作成し、決定機関へ上申する。また、実施までに至

らないイノベーション実施案と付属のヴァリアンス・マトリックス分析についても、 SIセ

ンターが記録・保管してデータベース化する。

⑦上部機関の承認を得たイノベーション案は、順次実施するとともに、関係する他部門

へ SIセンターが連絡・報告する。実施したイノベーション案の成果や問題点の評価は SI

センターが行い。これも記録・保管しデータベース化する。データベースは社内のどの部

署からも閲覧可能にする。また併せて、イノベーションの成果について社内広報誌で発表

したり、ビデオ作成などの広報活動を行う。

⑧年に一度、経営トップも出席するサービス・イノベーション発表会を開催し、優れた

イノベーション案とその成果を発表し、これを表彰する。

このように企業内で STSアプローチを展開するには、いわば適切なインターナル・マー

ケティングが不可欠である。組織を一定温度に温めて、動機付けなくてはならない。 STSの

アプローチが一定の成果を上げ、その情報が組織の他部門へ伝わるにつれて、こうした展

159

Page 161: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

開は実行しやすくなっていく。こうした従業員に対する一種の態度変容活動は、ここに述

べたようなステップによる地道で粘り強い推進が求められる。

1 Sundbo, J." Management oflnnovation in Services" 1997 The Service Indust丘'esJournal vol.17 no.3 p.432

2 この④の部分つまり、サービス・イノベーションの構造的側面を含んだ組織論的領域を

十分に検討するには、サービス・イノベーションの組織論についての新たな一冊の著書

を必要とするであろう。本書ではサービス・イノベーション領域の①、②、③の領域に

限定してサービスの改善・革新のアプローチを取り上げることとする。

3 Sundbo,J. "Innovation and Learning in Service" p.138 Spath, D.,K-P.Fahnrich (eds.) Advances in Services Innovation 2006 Heidelberb:Springer

4 近藤隆雄「サービスのデザイン」『DIAMONDハーバド・ビジネス』 1991年 11月

97頁、ダイヤモンド社

5小宮路雅博監訳『サービス・マーケティング原理』 p.80白桃書房 2008

Lovelock,C. & L.Wright Principles of Sen如eMarketing and Management New Jersey:Prentice Hall 2002

6 嶋口充輝『顧客満足型マーケティングの構図』 pp.65・73有斐閣 1994 7 ibid. p.69 8 Herzberg, F. The Motivation to Work 1959 New York: John Wiley and Sons 9 近藤隆雄『サービス・マネジメント入門(第3版)』 p.213生産性出版 2007 1 o Gronroos, C. Se訂 iceManagement and Marketing 3rd ed. 2007 West Sussex:Wiley

p.187 1 1 Zeithaml, V. A., M.J. Bitner and D.D. Gremler Service Marketing 2009 p.129

New York:McGraw・Hill 1 2 井上崇通 『サービス・ドミナント・ロジック』 20頁、平成 22年、同文舘

1 3 Shostack, G. L. "Breaking Free from Product Marketing" Journal of Marketing 1977 vol.41 April

1 4 コトラー.P.&G.アームストロング和田充夫(監訳)『マーケティング原理』(第 9版)

349頁 2003年ダイヤモンド社

Kotler, P. & G. Armstrong Princilples of Marketing 2001 New York:Prentice・Hall 1 5 上原征彦 『マーケティング戦略論』 pp.129~1381999年 有斐閣

1 6 ibid.p.136 ロ井関利明講義での説明

1 8 このケースは明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科の青木博のレポートか

作成したものである。レッド・バロンは、顧客の「文脈価値」に注目して価値あるサ

ービスの開発に成功している。

1 9 プラハラード C.K,&ベンカト・ラマスワニ『価値共創の未来へ』 29-30頁

2004年 ランダムハウス講談社

Prahalad,C.K.& V. Ramaswamy The Future of Competition 2004 Boston: Harvard Business School Press

2 0 Brown, S. W.,、'FromProduct to Service" Research World Nov.Dec. 2010 2 1 ibid.

2 2 Oliva, R. & R.Kallenberg" Managing the transition from product to service" p.163 International Journal of Service Industry Management vol.14, no.2, 2003

2 3 ibid., p.160 2 4 Brown,S.W., A. Gustafsson, L Witell "Manufacturers Branch Out Into Services"

蹄 11Street Journal June 22, 2009

160

Page 162: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

2 5 Brown, S. W, A Gustafsson & L. Witell "Service Logic: Transforming Product・Focused

Business" Working paper, Center for Service Leadership, W.P.Carey School of Business ASU 2011

2 6 Jレイス・ガースナー著山岡洋一訳『巨像も踊る』 153頁、日本経済新聞社、 2011年

Gerstner, L.V.Jr. Mo Says Elephants Can't Dance? 2002 New York:Harper Collins

2 7 Brown 2010 op.cit. 2 8 Brown 2011 op.cit., 2 9 Oliva op.cit, p.167 3 0 ibid. 3 1 Brown 2011 op.cit., 3 2 ibid. 3 3 Oliva,op.cit. p.165

なお、オリバ等の調査した製造業は、資本設備と言われる機械等の耐久消費財の製造業であり、これ

らの機械はいったん据え付けられて廃棄されるまでのライフサイクルにおいてさまざまのサービス

を必要としており、それらは設置型サービス (Installedbase services)と呼ばれている。製造業の

サービス化を検討するのに適した業界と考えられる。

3 4 ibid. p.168 3 5 ibid. p.169 3 6 楠木健、阿久津聡「カテゴリー・イノベーション:脱コモデイティ化の論理」

『組織科学』 Vol.39,No.3pp4~18 2006 白桃書房

3 7 ibid.,p.5 38 グリーン・サービサイジング研究会『グリーン・サービサイジング研究会報告書』

経産省、平成 18年 6月 1頁

3 9 ibid. 40 ボッツマン.R.,R.ロジャース著、関美和訳『シェア』日本放送出版協会 2010年

Botsman, R., R. Rogers SHARE 2010 New York:Harper Collins 4 1 ibid. p.8 4 2 ibid. p 101~ 105 4 3 ibid. p107~127 4 4 Rothenberg, S. "Sustainability Through Servicizing" p.84 MIT Sloan

Management Review Winter 2007 4 5 ibid. p.85 46 ボッツマン、ロジャース op.cit. p.103 4 7 Edvardsson, B., B. Tronboll, T. Grnber "Expanding understanding of service

exchange and value co-creation: a social construction approach" Journal of the Academic Marketing Science 2011 vol.39 p.328

4 8 ibid. 4 9 ibid. so ibid., p.327

文脈は元々社会的な関係が含んでおり、影響する条件という意味で Contextだけで

良いのではないだろうか。

5 1 Vargo, S. L. "Customer Integration and Value Creation: Paradigmatic Traps and Persp ctive" Journal of Service Research 2008 vol.11 no.2 p.214

5 2 Michel, S., S.W. Brown, A. S. Gallan'、Anexpanded and strategic view of discontinuous innovations: deploying a service-dominant logic" Journal of the Academic Marketing Science 2008 vol. 36 p.55

5 3 Ordanini, A., A. Parasuraman "Service Innovation Viewed Through

161

Page 163: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

A Service・Dominant Logic Lens: A Conceptual Framework and Empirical Analysis" Journal of Service Research 2011 vol.14 no.l pp.3・23,

5 4 ibid.p.4 5 5 ibid.p.7 5 6 ibid.p.8 5 7 ibid.p.7 5 8 ibid. 5 9 ibid.p.14 6 0 ibid. 6 1 Michel, S., S. W. Brown, A. S. Gallan op.cit., pp.54・66

discontinuous innovationとは、継続的な incrementalinnovationに対比して、従来と

はまったく異なる新しい商品を生み出すイノベーションを指している。

6 2 ibid. 6 3 ibid.p.55 6 4 ibid.p.61 6 5 ibid. 6 6 ibid.p.62 6 7 ibid. 6 8 『I.M.press』2011.9 vol.141, p.8~10 6 9 Michel, S.,S. W. Brown, A. S. Gallon op.cit., .63 10 L.E. デイビス J.C.テイラー編 近藤隆雄監訳『新しい仕事の設計』 100頁,.....,106頁

建吊社昭和 53年Davis, L. E. & J.C. Taylor(eds) Design of Jobs 1972, London: Penguin Books

7 1 職場の社会集団に注目した点では、メイヨー、レビン、リッカート、のグループと同系列であるが、仕事そのものに焦点を当てている点で、これらの研究者とは視点を異にしている。

72 デイビス&テイラー op.cit., 11頁73 近藤隆雄「社会体系と技術体系一社会—技術システムについて」 50 頁、『組織科学』

vol.10,no.4 1976年74 近藤 ibid. 51頁75 日本 QWL委員会『欧米諸国における QWL問題』 QWLレポート 1 9頁 1974年

立教大学社会学部7 6 Taylor,J.C. & D.F. Felten Performance By Design p.53 1993, New York:Prentice

Hall 7 7 ibid. p.59 1 s ibid.,p.74 7 9 ibid. p.111 s o ibid.pp 154~ 159 s 1 ibid. pp.71~75 8 2 Smith, J.S., G. L. Fox, E. Ramirez'、AnIntegrated Perspective of Service Recovery:

A Sociotechnical Systems Approach." Journal of Se灯 iceResearch vol.13 no.4 pp.439~452

83 この白内障手術のステップとヴァリアンスについては、現実の眼科クリニックの分析ではなく、眼科医の松本玲医師のホームペイジを参考にし、同じく眼科医で明治大学グローバルビジネス研究科在学中の長谷川憲司医師の指導を受けた。

8 4 Equifinality: Wikipedia "same end state may be achieved via many different paths or trajectories."フォン・ベルタランフィの一般システム理論での用語、オープン・システムの一つの特徴と考えられている。

8 5 STS型の自律的作業組織ではスウェーデンのボルボ・カルマール工場が有名であるが、次のような事例も報告されている。

風間信隆「ドイツにおけるフレキシブル合理化と〔労働の人間化〕」『労働の人間化の

新展開』法政大学大原社会問題研究所編 1993年 総合労働研究所8 6 Gronroos, C. Service Management and Marketing (3rd ed.) p.74

2007 New York:John Wiley

162

Page 164: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

8 7 Johnston, R. & G. Clark Service Operations Management (:Jrd ed)p.7 2008 West Sussex: Prentic-Hall

8 8 この美容サービスの事例は、当時明治大学グローバルビジネス研究科の学生だった

石田逢太郎君の助言を受け、またヴァリアンス・マトリックスの作成も彼の助力を

受けた。

89 iPhoneのアプリに同じような発想で、ヘアスタイルを選んで、それに人間の画像

をはめ込んで、楽しむというものがある。

9 0経済産業省関東家財産業局 産業部 流通・サービス産業課編『サービス業のための生産性向上ワンポイント事例集』平成22年 3月 3 5,....,__,4 0頁

163

Page 165: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

第 5章結論

さて、サービス・イノベーションが目指すべき理想のサービスとは何であろうか。本書

ではサービス・イノベーションの目的を、現状のサービス状態から出発して、なんらかの

意味でサービスを提供する組織の効果性と効率性を高めることだと考えている。効果性と

は組織の目標達成を指向し、具体的には利益率の向上、また顧客満足感の拡大であり、効

率性とは費用のかからない組織運営を目指すことである。しかし、顧客満足は集客力を高

めるという意味では結局、利益率の向上につながり、顧客に提供するサービスの価格を考

慮すれば、効率性も顧客満足に関係する。

したがって、議論を単純化すれば、サービス・イノベーションが目指すものとは長期的

には、顧客をより深く満足させるエクセレント・サービス(卓越したサービス)提供の仕組み

を作ることだと言えよう。

エクセレント・サービスとは通常の満足感を越えてディライトのレベルに達する満足感

を生むようなサービスであるが、それは二つの側面で十分な水準に達していなければなら

ない。二つの側面とは、顧客がサービスに求める結果の側面(例えば病気が治癒した、試験に

合格した)とサービスの過程の側面(例えば、気持ちの行き届いた親切な接客など)である。

この結果品質と過程品質の両方においてエクセレントなサービスが理想である。サービ

ス・マネジメントの分野での代表的なサービス品質評価手法である「サーブクアル

(Servqual)」においても、結果品質を計る「信頼」の項目と過程品質を測定する「確信性、

共感性、反応性、物的要素」の項目の二つに分かれている。つまり、一方ではサービスの

技術的品質を高めて、顧客の欲求を十分に充足し、他方、サービス提供の過程的側面にお

いて、顧客の主観的な感情的欲求をきめ細かく充たしていくこが高いサービス品質なので

ある。

わが国では、サービス品質と同じような意味合いで「ホスピタリティ」という言葉がよく

使われる。一般にホスピタリティが高いというのは、サービスの過程品質が高いというこ

とを表している。この「Hospitality」という言葉はラテン語を原語とする英語であるが、

日本での使い方は、本来の英語での意味をいくぶん逸脱している。英語では「friendlyand

generous reception of guests, visitors」iの意味で、顧客や訪問者への一般的なレベルでの

親切で友好的な態度を意味している。しかし、わが国では「おもてなし」といった言葉と

同義で心のこもった対応を意味する場合が多い。つまり日本では価値観を含んだかなり親

密な高い水準の対応を意味するが、欧米ではたんに丁寧で親切な言葉使いをする対応とい

う幅の広いレベルで捉えられることが多い。欧米でホスピタリティ・インダストリ•とは、

ホテル・飲食店などの産業を意味していて、それは顧客に対して丁重に対応することを特

徴とする産業だからである。(英語のテキストで HospitalityManagementの表題をもつの

は、ホテル・飲食店の経営について述べている専門書であって、顧客対応の仕方について

の本ではない。)日本の“ホスピタリティ産業”では、しばしば、過剰にホスピタリティや

164

Page 166: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

おもてなしの概念に支配されていて、その問題点は、それらが仕組みとして提供されるよ

うには議論されず、もっばら現場接客員の精神論として語られることである。

またサービス接客場面でしばしば用いられる「おもてなし」という言葉も形式的に使わ

れていて、かならずしも内容が明確ではない。「持て成し」とは接遇するという意味だが、

伝統的に二つのパターンが区別できる。一方では、接待する相手を上座に据え、ご馳走を

用意するというパターンで、かけずり回って良い食材を用意し(馳走の馳も走も走り回る

の意味である)、歓待する。この場合、お客の希望や状況は問われずに、接待側の一生懸命

な態度だけが重視される。客はこの暗黙のルールを理解しているから、たとえ自分の嫌い

な料理であっても、相手の気持ちに感謝していただく。ある種一方的なもてなしである。

これに対してもう一つのパターンは、相手の状況に合わせて行う「もてなし」である。

茶道の完成者である利休には利休七則という教えがあるが、それらは次のようなものであ

る。

花は野にある様

炭は湯の煮ゆる様

服は加減のよき様に

夏は涼しく冬はあたたかに

刻限は早めに

降らぬとも雨用意

相客に心をつけ候

この七つすべてに低通する姿勢は、お客の「心になって」もてなすという事であろう。も

う一つよく知られた話に石田三成の逸話がある。秀吉が鷹狩りの途中に三成が小坊主をし

ている寺に立ち寄り、喉が渇いたので、お茶を所望すると、三成はまず冷たいお茶を持っ

てきた、秀吉が二杯目を求めると、生暖かいお茶を出し、もう一度求めると暑いお茶を出

したという話である。鷹狩りで汗をかいた秀吉の状態を考えて対応したわけである。

図25 顧客対応のパターン

顧客のニーズ

(顕在化している) (潜在化している)

(状況特定的)

(一般的)

提供するサ—ビス① ④

優れたサービス 究極のホスピタリティ

② ③

(英語的)ホスピタリティ・ 日本的おもてなし

サービス

165

Page 167: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

利休の七則も三成の話ももてなす相手の状態を重視する発想が基本になっている。つま

り客の文脈を踏まえ、文脈価値を生産する対応だという事である。

図25は、顧客に対する接客サービスを 2つの軸で分けて 4種の異なる接客サービスの

パターンをマトリックスで示したものである。縦軸は提供されるサービスが特定の状況に

対応した(カスタマイズ)したサービスなのか、それとも一般的な定形的(マス)サービスなの

かを表している。横軸は、顧客のニーズが顕在化してハッキリ示されたものか、それとも

潜在化していて、提供者に示されていないか、で区分されている。

①の「優れたサービス」は、顧客が自分の希望を明確に述べ、カスタマイズしたサービ

スが提供される場合である。寿司屋のカウンターでの顧客と料理人とのやり取りのように、

お客は自分の欲しいものを告げて、料理人はそれを調理して提供する。

②の「(英語的)ホスピタリティ・サービス」は、愛想のよい丁寧な態度で顧客に接するが、

提供されるサービスは定形的で一般的なものの場合である。例えば、人間ドックのお客の

ように、丁寧には扱われるが、決まった手順にしたがって、検査を受ける。

③は「日本的なおもてなし」である。顧客は自分の希望を述べず、あてがわれた内容の

サービスを受け取る。例えば、日本旅館の料理を含めたサービスである。旅館では、顧客は

自分の希望を述べることもできるが、受け入れられるかどうかは、準備されている定形的

なサービスを大きくは逸脱しない範囲においてである。黙って楽しくおもてなしを受ける

のが良いお客である。

④は「究極のホスピタリティ・サービス」である。ここのポイントは、顧客の状況や文

脈を踏まえたサービスであるが、それはサービス組織側が自主的に提供するサービスであ

って、その必要性を顧客から求められているわけではない、という点である。顧客の心に

なって、気持ちを推測して行うサービスである。ある場合には顧客自身も気づいていない

欲求かもしれない。例えば、寒そうに眠っている航空機の乗客に、黙ってブランケットを

掛けてあげるキャビン・アテンダントの行為や先に挙げた石田三成の秀吉へのお茶の供応

などである。

約 15 0年前に創業した京都の老舗旅館柊屋で 60年間仲居として働いた田口八重さ

んは、おもてなしについて次のように語っている。「お客さまは一人ひとり気持ちが違いま

す。それぞれに合ったおもてなしが大切です。そのためには、お目にかかった瞬間に、お

客様の気持ちを察して、こうして欲しいと望む対応をしていく。」 iiまさに④の究極のホスヒ°

タリティである。

また日本を代表するソムリエである田崎真也氏も次のように語っているiii。

日本のサービス業の考え方はかんちがいしていると思うんですね。サービス

しているぞといっている側が、一方通行で提供しているというのがサービス

だと思っている。本当は逆で、サービスを受けとる側から情報を提供しても

らって、それに対応していくのがサービスだということを、フランスにいた

166

Page 168: 博士学位請求論文 サービス・イノベーションの 理 …...序章 ~ サービス・イノベーションの構図 現代はサービス経済化した社会だと言われている。その根拠は、日本の場合、国内総生

ときに気づきました。

ホスピタリティという言葉をぽくはあまり使いたくないのです。ホスピタリ

ティは日本語の「もてなし」みたいなことで、それらはどちらも奉仕の精神

が基本になっていると思います。サービス業というからには、奉仕ではなく

有料で何かを提供しているので、ホスピタリティを受ける方のアシストに徹

することが、サービス業だと思うのです。

田崎氏の最初の指摘は、サービスとは価値の共同創造だということを指摘している。ま

た二番目のサービスとは奉仕ではなく有料の提供だという点もまさにその通りである。サ

ービスが対人関係を場とすることが多く、また、多少単純化して言えば、日本の対人関係が、

伝統的に、相手と対立することなく仲良くやっていく点に重点があったために、サービス

が十分に対象化されずに、対人関係と同一視される方向に流れてきてしまった。サービス

を善意や奉仕と切り離して、対象変革活動の役割として対象化しなければ、効果性や効率

性を高める新しいサービス・デザインは不可能である。わが国では、新しいサービス部門

を作る場合、そのサービスの役割としての活動内容をキチンと決めずに、たんに人を配置

して、目的だけ与えてしまう場合が見られる。担当者にやる気と善意があれば、サービス

内容を明確化しなくても対人サービスはどうにかなるという発想であるが、これは間違っ

た発想と言わざるを得ない。

顧客指向(カスタマー・オリエンテーション)とは、不限定な他人への善意とは別物で

ある。顧客指向とは、顧客のニーズを的確につかみ、それを最優先にし、サービス提供の

ための諸資源を整え、 PDCAを回して、顧客との価値の共創を実現していく姿勢にほかな

らないからだ。そこには十分なサービスの技能と知識、そしてシステムとして良く練られ

たサービス生産の仕組みが必要である。

わが国の人間関係を大事にする精神主義は素晴らしい。しかしサービス・システムの健

全な発展にとっては、それは曇ったメガネのようなものである。われわれは、メガネの曇

りをしつかり拭き取ってこの二つをハッキリ切り分けて進まねばならない。

i Oxford Dictionary of English ii田口八重 『おこしやす』栄光出版社平成 13年 24頁

iii井関利明&黒崎政男『ワインは時を語る』丸善平成 13年 1 3 5,-.., 6頁

167