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Page 1: ’論/卒論… · Web viewローランド社の解説によると、例えば、2015年に入り複数の総合アパレル企業において、大規模なブランドの廃止と店舗の閉鎖を発表されたが、これまでトレンド市場を牽引してきた企業にとっても極めて厳しい競争環境に変化しつつある。

卒業論文11481135向井香織「流行りの形成過程~創るファッション・創られるファッション~」目次はじめに1.ファッション市場の現状1-1 国内のファッション市場1-2 世界のファッション市場1-3 今後の日本のファッション市場2.ファッションリーダーの存在と流行2-1 映画から生まれるファッション2-2 テレビの影響から生まれるファッション3.創られるファッション3-1 コレクションから流れてくる流行3-2 雑誌のはたらき3-3 「みんなが持っている」から生まれる流行4.選ぶファッション4-1SNS の普及4-2 ファストファッション4-3 自分を表現するという流行5.今後の流行おわりに

はじめにファッション(fasion)とは、服飾における流行,または流行の服飾そのものを指す。その中でも特に服装を指し、他にも装飾品(帽子、アクセサリー、等)や美容(ヘアスタイル、化粧)、香水も含まれている。また、フランス語では、モード(mode )という言葉で表現されている。衣装は、個人を表現・主張するもの、変化や新しいものへの好奇心であるのと同時に、世の中の慣習に従い、社会に溶け込むものである。ファッションにおける流行は、発生→伝播・拡大→頂点→衰退→消滅というプロセスで動いている。このプロセスをファッション・サイクル(ファッションの周期)と呼ばれている。しかし、ファッションは非常に複雑で幅広い。近年、このサイクルの発生から消滅まで期間は、ファストファッションの台頭により、短縮化傾向を辿っている。人々は、流行に敏感で、常に、次の新しいファッションを待ちわびているのだ。音楽も、ファッションも、その時代の雰囲気を反映した流行がある。消費者の選考・選択の結果として流行が生まれるが、消費者の選考・選択に影響を与え、その時々の流行を創ろうとする人達、仕掛けも様々に存在する。特にファッション業界は、流行の変化が激しい業界。では、流行は創ることができるのか。そもそもどのように流行が生まれるのか。ファッションにおける流行は、ファッション雑誌やコレクションを通じて、映画や人気女優により、あるいはSNS等、様々な要因で形成・拡散されていくと考える。本論文では、流行の形成過程の中でも、ハイブランドから生まれる流行を中心に研究する。ハイブランドから生まれる流行は、コレクション、メディア、人物の3 つのチャンネルからどのようにして流行りが形成されるのか。この3点に着目して、調べる。

1.ファッション市場の現状本章では、近年における国内外のファッション市場ついて、複数のグラフを用いながら、現状を把握する。

1-1 国内のファッション市場日本ファッション市場は、ここ 10年緩やかに縮小傾向にある。図①より、2013年は 18兆円規模(アクセサリー等含む)で、10年前と比べて 1%減少している。背景として、メルカリをはじめとする二次流通市場1の成長やファストファッション2ブームが考えられる。多くの日本ファッション企業が海外進出を目指しているが、ファーストリテイリ

1一度販売された製品を購入した後、再び販売すること。CtoCビジネス。2流行を採り入れつつ低価格に抑えた衣料品を、大量生産し、短いサイクルで販売するブランドやその業態のこと。

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ングのように海外売上が 2割を越える企業はない。国内上位企業の内、7割以上の企業は海外比率が 10%未満で、海外進出は進んでいない。

図1 -1 日本のファッション市場の推移・主要アパレル企業の海外進出状況

出典:経済産業省ファッション業況調査

図②より、ローランド・ベルガー社3 の分析によると、2014 年の国内アパレル小売市場は全体でおよそ9 兆円である。同社の予測では、今後も市場は横ばいの状態から、徐々に減少していくと考えられている。このようにアパレル市場全体が伸び悩んでいる背景としては、いくつかの理由が挙げられる。図③では、消費者がモノへの支出からサービスへの支出へシフトしたことがわかる。これより、ファッションにできるだけお金をかけないようにするために、ファストファッションのような低価格の衣料品を選択肢としている消費者が増加したことが挙げられる。他にも、先に述べたように二次流通市場の成長やメチャカリのような洋服のレンタル会社など衣料品の購入にいたるまでのプロセスが細分化されていることも理由のひとつだろう。

図1-2 セグメント別国内アパレル市場規模推移

図1-3 家計の消費支出はモノからサービスへシフト

3ドイツ・ミュンヘンを本拠とする、ヨーロッパで最大の経営戦略コンサルティング会社。2

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出典:消費者庁平成 25年度版消費者白書市場規模で 9兆円の国内のアパレル市場であるが、その中身は大きく 3つの市場に分かれている。主要価格帯別に、上からラグジュアリー市場、トレンド市場、マス・ボリューム市場4である。これらの 3つの市場のターゲットとなる消費者と実際のブランドをさらに細かく見ていく。ローランド社の解説によると、ラグジュアリー市場は、富裕層や可処分所得の多い女性層を狙った LVMHやGucciに代表されるハイエンドブランド5と、トレンド層の消費者の取り込みも狙ったアクセシブルラグジュアリー6の 2つに分かれる。トレンド市場では、流行に敏感な消費者層を相手に、ワールドやオンワードなどの総合アパレル企業系のブランドや、BEAMSやUnitedArrowsに代表されるセレクトショップなどが展開している。そして、マス・ボリューム市場では、より一般層を相手に事業を展開するユニクロ、しまむら、無印良品が代表的である。他にも、ZARA、H&Mなどの海外グローバル・ファストファッション企業は、マス・ボリューム市場だけでなくトレンド市場にも侵食してきているようだ。そして、これら 3つの各市場の市場規模であるが、図④を見ると、2014年時点でラグジュアリー市場が 1兆円、トレンド市場が 2.6兆円、マス・ボリューム市場が 5.3兆円となっている。

図2 アパレル市場の構成及び市場規模

 市場全体としてはほぼ横ばいで推移する国内アパレル市場であるが、図②に戻り、上記3 つの市場毎に見ると、異なる動きが見られる。ラグジュアリー市場では、景気の回復と海外高級ブランドを中心としたラグジュアリーブランドの積極的な事業拡大により、マーケットは横ばいしている。また、マス・ボリューム市場についても、消費の二極化が進む中で変化は少ない。一方、トレンド市場は、唯一大きく減少傾向である。その結果として、トレンド市場におけるブランド間の競争が激化し、トレンド市場に軸足を置くアパレル各社の中には近年苦戦を強いられる企業が増えている。ローランド社の解説によると、例えば、2015 年に入り複数の総合アパレル企業

4これら3つの市場に分類するための基準は、本論文ではローランド・ベルガー社が定めた基準に合わせる。以下、基準についての説明である。シャツの価格を例にすると、ラグジュアリー市場ではシャツ 1枚が 2万円以上する高価格帯、トレンド市場では、1枚 7,000円~2万円といった中価格帯、マス・ボリューム市場では、1枚 7,000円以下のボリュームゾーンである。5高価格・高性能・高品質志向の商品、傾向そのものを指す。6ブランドとしての付加価値を高く保ちながらも、マスマーケットの消費者にも買いやすい価格帯で商品を提供するのが特徴。

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において、大規模なブランドの廃止と店舗の閉鎖を発表されたが、これまでトレンド市場を牽引してきた企業にとっても極めて厳しい競争環境に変化しつつある。こうしてトレンド市場全体が縮小し、トレンド市場を主戦場とする各社が苦戦を強いられる背景には、大きく2つの要因が存在しているも。 第一に、消費者の価値観の多様化に伴い、トレンドが細分化したことだ。これまで、トレンド市場が成長した背景には、国内のアパレルにおける消費トレンドの一様性が存在していた。すなわち、ある一定規模の消費者が一斉にトレンドにのったブランド・アイテムを買い求める傾向があった。そのため、トレンド市場をターゲットにしたアパレル企業は、トレンドを意図的に作り出して、継続的に収益を上げるということが容易だった。しかし、2000 年頃を境に、消費者の価値観の多様化が一気に進んだ。消費者は自らのライフスタイルと価値観に合わせ、自分が好きなものを着るというスタイルに変化し、流されにくい消費者が一般的となった。すなわち、服はトレンドにのっていることを示すファッションではなく、自らのライフスタイルや価値観を示すファッションとなり、消費者はラグジュアリー、トレンド、マス・ボリューム市場のブランドまでのアイテムを自由に組み合わせて、自らを表現するように変化した。結果、アパレル企業は従来のようにトレンドを作り出し、消費者をまとめて取り込むということが難しくなってしまったと考えられる。一方で、消費者の多様化にあわせるべく、アパレル企業はブランドを増やし、ファストファッションの台頭も重なり、トレンド市場にはブランドが溢れ返るようになった。結果、小粒なブランドが増えた。これにより、ブランドあたりの投資効率は直近10 年で大きく低下してしまったようだ。次に、第二の理由は、ファストファッション企業の台頭とマス・ボリューム市場のブランドの品質向上により、トレンド市場の単価が下落したことも挙げられる。ユニクロに代表されるSPA7 を行う企業が高品質で低価格なラインナップを増やし、加えてZARA やH&M が、今まさに街角で流行っている服装というのを比較的低価格で素早く市場に投入するようになり、もともとトレンド市場にいた流行に敏感な消費者層の価格に対する目線が下がってしまった。昔のようにトレンド商品を流行の起点であるコレクションブランドのみを意識した価格づけは困難となり、トレンド市場のブランドもファストファッション企業の価格を意識した値段設定にせざるを得ないのが現状である。

1-2世界のファッション市場 日本のファッション市場に続き、ここでは、世界のファッション市場を見ていく。図⑤より、世界のファッション市場をおける主要国におけるファッション市場規模は、2013年に 206兆円、2020年には 325兆円へ成長すると予想されている。地域別に見てみると、まず中華圏は 2020年までに 60兆円拡大し、113兆円の世界最大の市場へと成長すると見込まれている。また中華圏と同様に今後の成長が期待される東南アジア圏は大きく成長するも、2020年時点で8兆円程度にとどまると考えられている。北米圏は堅調に成長し、2020年までに 10兆円拡大し、63兆円の市場規模になると予想される。そして、西欧圏は 2020年時点で 40兆円と一定の市場規模があるものの、成長は限定的であると予測されている。次に、価格帯別に見ていく。これから 2020年にかけて、ラグジュアリー帯が 14兆円、ミドル帯が 66兆円、ロー帯が 40兆円拡大の見通しである。特に拡大著しいミドル帯の増分は、中国が約 5割である。これらの要因として、1-1の日本のファッション市場と同様に、ファストファッション企業の台頭とマス・ボリューム市場のブランドの品質向上により、ミドル帯の増加につながっていると考えられる。今後さらに、成長が期待される価格帯であることが図から読み取れる。

図3 主要国におけるファッションの市場規模

7SPAとはs pecialtystoreretailerof p rivatelabelapparelの略で製造小売ともいう。企画から製造、小売までを一貫して行うアパレルのビジネスモデルを指す。消費者の嗜好の移り変わりを迅速に製品に反映させ在庫のコントロールが行いやすいなどのメリットがある。

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出典:経済産業省ファッション業況調査

図4 世界のアパレル市場推移

図5 ブランド別ポジショニングマップ

1-3 今後の日本のファッション市場 1-1 、1-2 より、国内外のファッション市場を見てきた。ここでは、今後のファッション市場に向けてどういったアプローチをしていこうとしているのかを見ていく。 以前、日本のアパレル企業の多くがグローバル化に遅れている事実に触れた。もちろん、グローバルSPA 型のファーストリテイリングや良品計画のように、一部ではグローバル展開に成功する企業が台頭してきているものの、多くの企業が依然として国内市場に依拠している。高付加価値のラグジュアリー市場のブランドに至っては

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日本企業が最も苦手とする分野であり、サカイやコムでギャルソンのようなアパレル中心のデザイナーズブランドは存在するものの、カテゴリーを増やしてライフスタイルブランドとしてビジネスを成功させた例はない。それでは、なぜこのような事態になってしまったのであろうか。その背景には大きく3 つの理由がある。図④に注目しながら説明していく。 第1 に、ガラパゴス的な日本固有の市場・競争環境にある。アパレル市場を、価格帯別に大きく、ラグジュアリー、トレンド、マス・ボリュームの3つの市場に分けると、日本は海外と比較して、中間価格帯のトレンド市場が非常に大きかった。背景には、自らの価値観が希薄でトレンドに流されやすい中間層が存在していたことにある。日本のファッションビジネスは、百貨店、ショッピングセンターといったそれらの人々が集まりやすい場所に対する出店と、雑誌・メディアと一体となったプロモーションで成り立っている。いわば、その中間層に対し、毎シーズン業界をあげて新しいトレンドを作り、トレンド消費を煽るというビジネスを繰り返してきた。結果、ブランドの世界観やものづくりにおける独自性の追求が進まず、逆に同質化が進んでしまったと考えられる。

図6 国内と海外の市場構造の違い

 しかし、消費社会の成熟化、デジタル化に伴い、現在この層に分裂してきている。中間層は様々なグループに分かれ、独自の価値観を持った消費者の集まりを形成し、それぞれ異なった消費行動をとり始めており、従来のファッションビジネスが通用しなくなっている。実は、この中間層の多様化はグローバルで見ると自然なことであり、海外では既に存在しているタイプの普遍的な消費者の集まりが日本国内にも出現してきているだけのようである。中間層は、戦後の高度経済成長と人口ピラミッドの偏りが生んだ日本固有の巨大な消費者の集まりであり、国内アパレル企業のみならず百貨店などの流通業の多くが頼ってきた市場である。この市場が消費者の変化に伴い大きく変容していること、そして従来のファッションビジネス、ものづくりに慣れ親しんだ企業の多くがその変化に対応できていないことが、アパレル不振の原因であると考えられる。 これまで説明してきた通り、トレンド市場における競争環境は非常に厳しい。一言で言えば、ブランド過多の状況である。このような状況下では、同じ業態の中でもそのブランド力により勝ち負けがはっきりと分かれるようになる。これらの企業はこれまでの戦略は、店舗があってこそのブランド作りであった。百貨店、ファッションビル、ショッピングセンターなどの店舗ごとに、そこに集まる人々向けにブランド開発を行ってきた。従ってブランド作りの考え方としては、どうしても売り場があってこそとなり、消費者の価値観に合わなくなってしまう。結果として、個性の無い同じようなブランドが数多くでき、売れない小規模ブランドが生まれ、会社全体の収益の悪化を招いている。生き残るにはブランド力が求められる今、こうした企業はブランド作りのあり方を見直す必要に迫られている。

図7 アパレル主要企業のブランド数と営業利益率の相関

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図8 主要国のファッション市場規模(商品カテゴリー別)

図9 消費者の分類分け

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2.ファッションリーダーの存在と流行 前章より、近年におけるファッション市場の変化がわかった。流行とは一斉にトレンドにのったブランド・アイテムを買い求めることではなく、自らのライフスタイルや価値観を示すファッションのことである。本章含め次章以降では、かつて流行がどのようにしてできていたのか考える。 ファッションリーダーと世間で呼ばれている人はモデル、俳優、王族、大統領夫人、デザイナーなど、世の人々の憧れである著名人である場合が多かった。その人自身のファッションが世界に影響を与え、ブームとなり、ファッションにおける流行を巻き起こした。

 例えば、ダイアナ元皇太子妃もその一人である。彼女は在位中、世界のトップデザイナーたちの助けを得て、英国王室のドレスコードに革命を起こした。彼女はその場にふさわしいドレスを着用する技を習得した。ホスピスを訪れる際は温かく近づきやすい印象を与えるために明るい色の服を着用し、海外を訪れる際はその国のナショナルカラーをイメージした服を選んだ。1986年に来日した際は、白に赤いドットのドレスを着用している。 また、ダイアナは、王室のファッションルールを理解していたが、それを変えていくことも恐れなかった。王族女性は喪中にしか着ないとされていた黒いドレスを着て、王室の儀礼を破ったのも彼女が初めてである。他にも、タキシードや蝶ネクタイなど、中性的な装いをし、夜の催しでパンツルックを披露した初めての王室女性でもあるという。 ダイアナは、王室ファッションを現代化することにも貢献した。1985年にホワイトハウスでの晩餐会の際、彼女が着用した、ビクター・エデルスタインによるミッドナイトブルーのベルベットドレスが最も有名な例である。このドレスを着て、映画「サタデー・ナイト・フィーバー(Saturday Night Fever)」からのヒットソング「ユー・シュッド・ビー・ダンシング(You Should Be Dancing)」に合わせ、主演した米俳優のジョン・トラボルタ(John Travolta)と一緒に踊った。こうして、その時の時代に合わせた装いをすることで、王室ファッションを変えていった。 1996年にチャールズ皇太子と離婚後は、イギリス人デザイナーに拘らず、「ディオール(Dior)」や「クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)」、「シャネル(Chanel)」といった国際的なファッションメゾンを支持した。ダイアナのファッションは広く真似され、今もキャットウォークやデザイナーたちにインスピレーションを与え続けている。

 彼女の立場は、皇太子妃であり、自然と世界中からの注目度も高い。しかし、それまでと同じように伝統的な王室ファッションを続けていれば、現在に至るまで指示され続けるようなファッションリーダーとはなりえなかったに違いない。彼女は、服装がどれだけ強力なコミュニケーションツールになるかということに気づき、そこから世間にメッセージを発信したという。このように注目される著名人たちは、自分自身の仕事を通してだけでなく、日々の

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ファッションからも世の中に自分を表現してきた。これが、人々に影響を与え、支持され、流行を作る時もあるのだ。以降、戦後の社会の中で、映画・テレビを通して生まれたファッションリーダーを例に挙げながら、流行との関係を見ていく。

2-1 映画から生まれるファッション 1950年代、まだまだ戦争の傷跡が色濃く残る中、ファッション対する関心は多くの人が持っていた。1947年、クリスチャンディーオールが発表した「ニュー・ルック」とは、丸みある肩と胸、細く絞られたウエスト、裾の広がったスカートが女性の身体をスッキリ見せるファッションである。これは、50年代ファッションの基盤となり、日本にもその影響は大きく流れてきた。また、石原慎太郎の著書「太陽の季節」の映画化のブームにより、映画の登場人物達のファッションを真似た「太陽族」と呼ばれる若者たちが登場する。この太陽族のファッションは、スポーツ刈りにアロハシャツ、マンボズボン、サングラス、ボールドルックのスーツなどの着こなしのことである。他にも、洋画「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」の映画の大流行の影響でオードリー・ヘップバーンのファッションが女性の間で大流行した。彼女はこの時代のファッションリーダーであり、世の女性たちに大きな影響を与えた。

 まず、1953年公開の映画「ローマの休日」。アン王女からアーニャへと変わる姿。ロングからショートにカットしたヘアスタイルと共にフレンチスリーブブラウス&フレアースカートがヘプバーンのフレッシュな魅力にマッチ。これで衣装デザインを担当したイーディス・ヘッドはアカデミー衣装デザイン賞を獲得、ヘプバーンの名が知れわたるきっかけになった。女性の心の変化をファッションに託す、そんなファッションの本質が、散りばめられている作品である。

 次に、1954年公開の映画「麗しのサブリナ」で着用して大ブームになったサブリナ・パンツ。細身のシルエットと、八分丈・九分丈くらいの短めのズボン丈に特徴がある。サブリナ・パンツでさっそうと自転車に乗るのも流行した。サブリナ・パンツに合わせて選ぶのはぺったんこのサブリナ・シューズ。オードリー・ヘップバーン演じる主人公サブリナの名前がファッションアイテムに使われることとなった。 黒いドレスは喪服だという概念を根本からひっくり返したのはココ・シャネル。シャネルは黒をオシャレに着こなす提案をした。そんな黒をおしゃれに着こなすことを定着させたといわれているのが、1958年公開の映画「ティファニーで朝食を」でオードリー・ヘップバーンが演じたホリー・ゴライトリーの冒頭のシーンだった。映画史上最も洗練されたドレスと言われ、今もなお多くのファッション最先端な人々がこぞって真似をするのが、オードリー・ヘップバーン着用の「ジバンシー」ブランドの黒いドレス。現在では、どんなシチュエーションに着て行ってもオシャレで、自由な着こなしができる女性の定番的なコーディネートのひとつということで定着している。リトル・ブラック・ドレスは時代やファッショントレンドの変化にあわせ、そのラインやスカート丈などをさまざまに変化させながら、現在も女性の定番アイテムとして生活に根付いている。

 この時代のファッションリーダーは、映画に出演している女優や俳優である。その理由として、オードリーが活躍した 1950年代は、第二次世界大戦が終わり、混乱の中から新しいモノを生み出そうというエネルギーに満ちた時代だった。この時代、日本ではNHKの放送が開始し、アメリカではカラー放送が始まる。そうして一般家庭にも徐々にテレビが普及し始めていたが、この頃はまだ映画の影響力が強かった。しかし、1960年代に突入すると、その関係が崩れ、テレビの時代になっていく。ファッションも、テレビに出演している人物から影響を受けるようになるのだ。

2-2 テレビの影響から生まれるファッション 1960年、この時代を象徴するファッションとしてヒッピーが挙げられる。社会的な解放運動を行う人々のファッションから誕生した物でフレアジーンズにTシャツをメインに、インド・アフリカ・東欧などの民族をモチーフにしたものが多かった。ビートルズの影響で流行ったモッズファッションの特徴は細身のスーツでスリムなパンツ、ミリタリーパーカーなどがある。当時、流行に敏感な若者「みゆき族8」の間で大流行したファッションがアイビー・ルック9だ。このファッションの特徴は、3つボタンのブレザー、ボタンダウン・シャツ、コットンパンツ、コイン・ローファー、ロングスカートにリボンベルトを結び、二つに折ったハンカチーフを頭にかぶり、少し着崩すことだった。

 特に、ファッションリーダーとして 60年代の文化を象徴するトップ・モデルの一人として、ツイッギーが挙げられる。ツイッギーとは、小枝のような細い手足が特徴であった彼女の愛称である。日本でも67年に来日して“ミニスカートの女王”と呼ばれていた。日本では若い女性から羨望の的とされ、ツイッギーをイメージしたコンテストが催されるほどの加熱ぶりであった。また、森永製菓やトヨタといった日本企業のCMに出演しており、テレビを通して彼女

864年の 5 月頃から銀座のみゆき通りや並木通りに大勢の若者がたむろするようになり、みゆき通りにちなんで「みゆき族」と名づけられた。9アメリカの 8大学により結成されたフットボール連盟があり、その彼らが来ていたファッション。連盟となっている各校にはレンガ造りの校舎に生い茂る蔦(アイビー)がシンボルとなっていたことからアイビールックと呼ばれる。

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を見ることができた。図 12より、この時代、白黒テレビからカラーテレビへ移行している時期であり、都会においてテレビの普及率は約 100%である。このことから、当時、最新のメディアとはテレビであり、そこから受ける影響は大きかったと考えられる。テレビが世間一般に普及されていくことで、著名人は大勢多数の人々に見られることとなる。見ている人の年齢、出身、職業も様々であるため、そこからさらに、好きなスタイルが分かれ始める。ここから、ファッションの個別化が始まったのではないかと考えられる。

図10 主要家庭電気製品の普及率

3.創られるファッション

3-1 コレクションから流れてくる流行 その年の色・モードといった、ファッションの流行(トレンド10 )は、消費者が商品を目にする2 年前から創り出されている。例えば、 色がある。この色が選ばれ理由は、   。これは、常に決まったプロセスにしたがって生み出される。その流れは以下の通りである。

時期 内容

約2 年前 流行色の決定

約1 年半前 ファッショントレンドの発信・決定

約1 年前 素材の方向性の提案・決定

約半年前 デザイナーのコレクション発表、アパレル企業の展示会開催

実売期 小売店での販売

 まずはじめに、流行色の決定である。流行色の方向性を決めているのは、1963 年に発足したインターカラー(国際流行色委員会:INTERNATIONAL COMMISSION FOR COLOR )という組織である。加盟国を代表する色彩情報団体で構成されており、協議でファッション流行色を選定していく。

流行色は作るというより、予想している。社会の背景に関係してい色がえ

加盟国 /加盟団体 (2015年1 月現在15 ヶ国 アルファベット順)1:中 国 /China Fashion Color Association (CFCA)2:イギリス /The British Textile Colour Group (BTCG)

10 市場におけるファッションの流行・動向や売れ筋のことをトレンドという。10

Page 11: ’論/卒論… · Web viewローランド社の解説によると、例えば、2015年に入り複数の総合アパレル企業において、大規模なブランドの廃止と店舗の閉鎖を発表されたが、これまでトレンド市場を牽引してきた企業にとっても極めて厳しい競争環境に変化しつつある。

3:フィンランド /Federation of the Finnish Textile Industries4:フランス /Comité Français de la Couleur(CFC)5:ドイツ /Deutsches Mode Instutut(DMI)6:ハンガリー /L’Institut de la Mode Hongroise7:イタリア /Italian Color Insight(COLORIS)8:日本 /Japan Fashion Color Association (JAFCA)9:韓国 /Korea Color & Fashion Trend center (KCFT)10:ポルトガル /Centro Tecnológico das Indústrias Têxtil e do Vestuário de Portugal (citeve)11:スイス /Schweizer Textil-Moderat12:タイ /Thailand Institute of Fashion Reserch(inFASH)13:トルコ /Turkish Clothing Manufacturers Association14:スペイン /Escola Superior de Disseny(ESDi)15:アメリカ /Cosmetic Executive Women – CEW Represented by Beautystreams

 ここで、加盟国各国の色彩情報団体があらかじめ選んだ色をプレゼンしあい、お互いの提案に対する理解を深めながら流行色を決める。実際のシーズンの約2年前の5 月に春夏カラー、11 月に秋冬カラーが決められる。この段階で、流行色の基本的な方向付け(国際流行色)が決定する。ここから各国の色彩情報団体が、国内の市場にあわせてトレンドカラーを発信し、日本においては、JAFCA (一般社団法人 日本流行色協会)がその役割を担う。実際には、①レディスウェア ②メンズウェア ③プロダクツ&インテリア ④メイクアップというカテゴリごとに、JAFCA 会員に対して情報が提供される。 流行色が決まると、次は総合的なトレンドが発信される。発信元は、主にパリを中心とした「スタイリングオフィス」と呼ばれるファッショントレンド情報会社が中心になる。各社が、ジャンル別のトレンドブックの販売やトレンド予測セミナーの開催をし、各ブランドのデザイナーやバイヤーが参考にする。 続いて、素材が決められる。ここで言う素材とは、糸と布地(テキスタイル)である。 インターカラーで国際的流行色の決定し、半年〜1年後までの期間に糸の展示会と布の展示会が行われる。その選りすぐりの素材を元に、各ブランドでデザインされた服が実際に作られて発表されるのが、販売される半年前である。デザイナーやパタンナーが作り上げた服が、世界中のコレクションやファッションウィークを通してお披露目される。 また、コレクションとほとんど同時に、VOGUE やELLE などの海外ファッションメディアから新作情報が消費者に届く。近年は、雑誌を通してだけでなく、ファッションショーのネット配信もよく見られる。その後、国内のアパレル小売店・ファッションメディアからトレンド情報が発信され、徐々に消費者の間で次のトレンドが浸透し始める。そして、各ショップの店頭にトレンドの商品が並べられ、実売期に突入していく。こうして、私たち消費者の間で、創られた流行のアイテムが広がっていくのだ。

3-2 ファッション雑誌のはたらき 1970 年代に入ると、雑誌「An ・an 」と「Non・no 」は社会への影響も大きく、若者用語の流行語「アンノン族」を生み、ヤングファッションと若者文化の台頭を喚起した。この時代は、ファッション誌確立の時代であり、1960 年代では洋裁誌・服飾誌だった各誌はファッション誌へと変身した。それまでの服飾誌やスタイルブックは、服を購入することよりも自分の服を作ることを目的として、製図や縫い方を主要な記事としていたしかし、70 年代になると、既製服の選び方やチャーミングに見せる着こなし方、自分を演出する方法などの記事を多く取り上げるようになったのだ。衣服の作り方から、個人の好みや満足感など感性や自己表現としてのファッション誌本来の機能が強まる。その時に生まれたファッション誌が「An ・an 」、そして「Non・no 」である。両者は、読者ターゲットを独身の若い女性に絞り、着こなしの提案をした。この時代から、ファッション誌は判型をワイド化し、カラーページを多くすることにより、読む雑誌から見る雑誌となり、流行を知るバイブルとなっていく。70 年代後半になると、「An’an 」よりもう少し読者層の年齢を引き上げ、「クロワッサン」「More 」などの生活情報誌、ライフスタイル誌と呼ばれる雑誌が創刊される。業界誌の発刊も盛んになり、「月刊アパレル」「ファッションビレッジ」「ファッション販売」などが出る。 60 年代後半から70 年にかけて臨時増刊号の発行形態が多く見られた。新たに提案したいテーマをまず臨増号で試し、読者や関係者の反応を見て市場が確保されると、単独誌として登場させた。従来の衣服の研究は、モノに関する科学に重点がおかれていたが、1960 年ころから、「着る人間」が優先されていったのだ。

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3-3 「みんなが持っている」から生まれる流行

4.自分を表現するという流行 昨今のアパレル市場では、数年前と比べて大きく変わってきている。2000 年代から現在に至るまで、顕著に表れているのが市場シェアの変化だ。世間でよくいわれている、ファストファッションの台頭である。日本のみならず、世界中でも爆発的な勢いで広がっており、現在のアパレル市場を席巻している。日本ではバブルが崩壊し大不況の時代に、一時期は景気も持ち直してきたが、2008 年のリーマンショックから2011 年の東日本大震災など、日本だけでなく世界中で不景気の時期に突入している。その中で台頭してきたファストファッションは何より「安い」というものであり、品質も良く、且つトレンドを捉えた商品の販売を行っている。 同時に、消費者の価値観の多様化に伴い、トレンドが細分化してきていることも事実だ。女性の社会進出、趣味も人それぞれ千差万別である。今まで流行はファッション業界の業界人によって創られていたが、こうした変化により、流行を操作することが難しくなった。その要因として、3点挙げられる。 一つは、SPAブランド、いわゆるファストファッションブランドの台頭である。近年、POSデータで消費者のニーズをつかみ、スピーディーに売り場や商品企画、製造に反映している。消費者にとっては、見栄えの良い最新デザインの服が比較的安価に手に入るため、購入する人が多い。UNIQLO のようにベーシックアイテムを提供するブランドもあれば、ZARA のようにトレンドデザインを提供するブランドもあり、選択肢も豊富であるため、

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ファストファッションだけで満足する人も多い。 二つ目に、誰でもファッション情報を簡単に入手可能になったことである。今や、コレクションやラグジュアリー・ハイブランドのファッションショーがリアルタイムに動画で見られ、雑誌を買わなくてもSNSで自分のより好みのファッションを探すことができる。著名人でない一般人でも、自分が好きなファッション、生き方に共感し、日々のその人のコーディネートが見られることも特徴である。③より自分らしい着こなしを追求する人の増加

4-1 ファストファッションの台頭 近年、アパレル業界ではファストファッションと呼ばれるものが、席巻している。日本の代表的ファストファッションブランドのユニクロ。世間に知名度を上げることになったのは、2000 年のフリースブームであろう。従来の常識を打ち破り、低価格、高品質、豊富なバリエーションを生み出した。クライン( 訳 2014:124)によると、「ファストファッションの販売スタイルは、それまでの季節ごとの販売方式とは違い、年間を通じてコンスタントに新商品を並べるという斬新なもので」「価格は競合他社よりも安い」、このように低価格、商品サイクルの速さ、SPA を採用しているというのがファストファッションである。

 では、世界のアパレル製造小売(ファストファッション)業界の売上高はどうだろうか。

 

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4-2 SNS の普及

4-3 自分を表現するという流行

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