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21 「野倉萬治下獄」「アダムス女史新川視察」他 「野倉君下獄」 1923(大正12)年 4 月1日「労働者新聞」

新聞記事にみる賀川豊彦「賀川豊彦のお宝発見」その3 新聞記事にみる賀川豊彦(21) 1910(明治43)年~1963(昭和38)年(神戸版) 第21

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「賀川豊彦のお宝発見」その3

新聞記事にみる賀川豊彦(21)

1910(明治43)年~1963(昭和38)年(神戸版)

第 21回 「野倉萬治下獄」「アダムス女史新川視察」他

「野倉君下獄」 1923(大正12)年 4月1日「労働者新聞」

大騒擾事件の犠牲として六名の惨死者、百名の収監者

三千の失業者を出し四十余日に亘って奮戦苦闘した神戸大労働争議最後の総勘定として、

前神戸聯合会長野倉の く ら

萬治君が一年六月の刑に服すべく、三月二十日橘分監に送られた。是

より先彼か

の大事件の最後のそして最大の犠牲者の下獄を紀念すべく種々の盛大な而も悲愴

な催しがあった。

紀念● ●

演説会● ● ●

十四日午後七時から湊川勧業館で告別大演説会が開かれた。場内は定刻前

既に千五百名の聴衆を以て埋められ閉鎖された門前に押し寄せた群集亦数百に上り、殺気さ っ き

斗と

牛ぎゅう

を衝つ

くの光景を呈した。定刻青柿主事の会開の辞に次いで、安井、小畑お ば た

、石橋、行正、

井上、木村等の面々警官の注意中止を喰ひつゝ、或は悲愴なる当年を追懐ついかい

し或は横暴なる

資本家と官憲を糺弾きゅうだん

して完膚か ん ぷ

なからしめた。此の間に場外に詰め掛けた群集益々増加し退

散すべくも見へぬので、遂に野倉君窓口に出で、一場の挨拶をした。一方場内では遥かに

鈴木会長、松岡主事等より寄せられた長文の電報朗読あり次いで村島、高山、賀川氏等得

意の長広説ちょうこうせつ

を振ひ最後に惨敗歌を高唱しつゝ午後十時盛会裡に解散した。

登山会● ● ●

十八日午前九時、蕭 條しょうじょう

たる春雨を衝いて一行約五十名神戸聯合会を出発、思

い出深い生田神社で少憩。布引町の川崎男邸前で恨み重なる資本魔の軈て亡びん日の為に

弔し、正造親子の銅像に小便ひり掛けつゝ、水源地より再度山大龍寺に至り昼食ちゅうじき

、絶対自

由の言論に虹のやうな気焔をあげ、錨山の急阪きゅうはん

を下りて諏訪山遊園地に着、それより宏壮

なる松方邸を弔ひ終って、午後二時聯合会に引き揚げた雨は吾等を試練すべく降りしきっ

ていた。

茶話会● ● ●

十九日午後七時から聯合会楼上で茶話会を開く。集まる者五十余名悲歌ひ か

慷慨こうがい

士相次いで熱弁を振ひ鴨おう

緑りょく

江こう

節ぶし

、安来節、琵琶歌の妙なる場面もあって夜の更け行くを知

らなかった。

愈●

其●

日●

執行の其日は来た。警察と裁判所は流言蜚語の盛んなのに面喰ひ、戦々兢 々きょうきょう

るものであった。曰く川崎造船職工大挙して裁判所に押し懸けん。曰く○○方面襲撃され

んなど櫛の歯を引く注進に、ドウカ間違ひのないやうにとの哀願的注意が度々齎もたら

された。

そこで官憲のそうした大きな予想の裏をかいて、二十日早朝聯合会で僅かに野倉君の○○

を高唱し四名の代表者と共にこっそり一台の自動車を神戸地方裁判所検事局に飛ばした。

一年有半獄舎の生活幸ひよあれ(ZA生)

野 倉 君 下 獄 野 倉 君 下 獄

「ジェーン・アダムス女史の新川視察」 1923(大正12)年6月23日「神戸新聞」

廿日夜来神した平和の伯母さんジェーン・アダムス女史は廿一日午前九時和田富子

女史と共にオリエンタルホテルを出て元町筋で質素な雨合羽その他二三の買物をし

た後下山手の神戸女子基督青年会を訪問、更に神戸女学院に趣きデフォレスト院長

と堅い握手を交はして院内を一巡した後講堂で女生徒の為に「婦人問題に就いて日

本の若き婦人に與ふ」といふ演題で約三十分間に亘る講演を試みた。

次で女子青年会館に帰り賀川春子夫人の案内にて正午自動車を駆か

って新川のイエス

団に賀川豊彦氏を訪問これは予ねて賀川氏の事業を倫ろん

敦どん

で聞き知っていたのでその

実況を視察すべく訪れたのであるが雨天のため視察を思ひ止まり階上の窓を排して

新川一帯を見下ろし乍ら種々の問題に就いて懇談を交へ

午後一時半オリエンタルホテルへ帰り午餐を認したた

め少憩の後、午後四時からトーアホ

テルにてウーメンズクラブ主催の茶話会に臨み同五時から同所で「近代の都市及び

社会の運動」との題下に左の如き講演を行った

「米国では婦人が政治家を扶たす

け婦人の社会的地位を向上させ様としましたので、私

的団体を沢山組織して居りますが、これは欧州各国殊に英国と合衆国とが婦人運動

について異った行き方をした主な点であります、それで欧州では理論上参政権等に

ついても婦人運動は余程進んで居り又法律も整って居りますが米国では実行を主と

し法律に余り拘泥せず与論に訴へ私的団体によって実行すると云ふ有様故救済事業

幼児保護等の実績は大いに上がっている訳です子供の愛護及び市民の健康増進と云

ふ事は米国で重大な社会運動でありましてシカゴ市の如きは大いなる遊園地を二十

も持って居ります、子供は国家の財産で決して責任を負はされるべきものでありま

せん彼等は育て様でどうにでもなるものであるのですから我々大人は責任上必要な

平和の伯母さんが賀川さんと歓談

イエス団を訪れて二階の窓から雨の新川視

三箇所で得意の講演

平和の伯母さんが賀川さんと歓談

イエス団を訪れて二階の窓から雨の新川視察

三箇所で得意の講演

施設を行ふべきでありますイクノイ? ? ? ?

に於いては父親の無い子供には一人につき一週

間十弗を与へ母親が稼がなくてもよい様にしてあります、これによって子供の受け

る利益は大変なものであります恐らく都市及社会の近代的運動として次に解決せら

るべきものは小供を保護し健全なる発達をさせる事でなければなりませぬ、世界各

国が此点につきそれぞれ改革の緒につきつゝある事は何より喜ばしい事です云々」 斯くて七時には県会議事堂で折原知事その他知名の人達と会談、八時から同所で一

般の人達に対して和田女史の通訳で講演を行った今日は午前九時半大阪に赴く筈で

ある。 「私設社会事業助成」 1923(大正12)年9月9日

「大阪毎日新聞・兵庫県付録」

施設社会事業助成 本県救済協会では私設社会事業の拡張又は設備

改善の奨励として左の通り助成金を交付した。 二千円神戸訓育院 一千円神戸盲唖教育教会 一千円神戸養老院 一千円神戸海員ホーム 五百円仏教同盟婦人会保育団 五百円イエス団友愛救済会。

<参考> 神戸の新聞ではないが、1923(大正12)年6月22日「大阪朝日新聞」には、ア

ダムス女史の賀川訪問の次の記事が掲載されている。 (2011年3月30日記す。鳥飼慶陽)

神戸オリエンタル・ホテルに宿泊中のジェーン・アダムス女史は廿一日午前九時和

田富子女史と共に朝飯を済ませ十時半ホテルを出い

で元町で二三買物をした後神戸女

子基督青年会に立寄った、同会では恰も西洋料理の講習中であったが女史はその講

習振りを視察した上神戸女学院に寄った、デホレスト院長は大いに喜び直に全院生

徒を講堂に集めた、女史は「婦人問題について日本の若い婦人に与あた

ふ」といふ演題

にて講演をした、その最後を左の力強い言葉で結んだ 「私達はもう年取って将来大いに活動をなし得ませんが、貴女方新教育を受けた若

い婦人達は更に修養して全日本及び世界の婦人と提携し各階級の婦人向上の為に努

力せねばならぬ」 斯くて女史は更に自動車を飛ばして新川の貧民窟に賀川豊彦氏を訪れた女史は賀川

氏の事業を倫敦トレンビーホールの副主事にして賀川氏の親友キャッチホール氏か

ら聞いて知っていたのである、その席に日本農民労働組合の杉山会長もいたので約

四十分間種々の問題について懇談を交へたが 「日本の幼年工の労働状態が貴下(賀川氏)のお言葉のやうとすれば大いに改善を

要します、併し小学児童が多過ぎて学校が足らないといふことは頗る喜ばしい現象

ではありませんか、御国の婦人労働者が未だ十分覚醒していないことは今後の社会

問題として大いに考察を要します殊に繊維工場に従事する婦人労働者はその労働状

態からいっても最も早く覚醒せねばならぬ筈で英国では此種の婦人労働組合が最も

堅固で従って労働状態の改善の機会が多いのです又日本の農民が近時著しく覚醒し

て来たのは愉快です米国の農民は最近非常に覚醒団結して殆ど全国に亙わた

り村毎に農

民相談所がありその統一事務を政府で扱っています」と語り午後一時半オリエンタ

ル・ホテルに入り午餐を摂った。

賀川氏を訪ねた

アダムス女史の

幼年労働者に対する談話

大阪の歓迎 委員会にて協議

ジェーン・アダムス女史は二十二日朝九時より十一時までの間に神戸より大阪着、直ち

に本社入り婦人会関西聯合会代表者と午餐を共にし午後一時から中央公開堂に於ける歓迎

講演会に臨む筈だがその後の歓迎方に就き大阪歓迎委員会は二十一日午前十一時から大阪

市庁舎で打合会を開き 二十二日 ― 午後六時中央公開堂三階大食堂に於いて歓迎晩餐会を開く

二十三日 ― 午前十一時大手前女学校で女学校生徒、小学校生徒約一千名の歓迎会 同日午後七時より大阪ホテルのヴェランダに於いて社会問題に関する懇談会 二十四日 ― 日曜のため未定 二十五日 ― 午後三時より中央公会堂に於ける大阪市婦人聯合会の講演会を開く、そして 同夜女史は京都に向かふ筈 尚、二十三、四、五の三日間の内時間を見て市の社会施設、教育施設の巡覧の予定。