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113 音声表記再考 Phonetic Notation Revisited Masahiro IMANAKA 1.はじめに 英語の筆記試験の発音問題において、かつて音声表記に関する問題点の一つとして、本来ならば音 声、綴り字、記号が合致した形での習得が望ましいはずであるが、現実には音声不在の状態で音声記 号の視覚による記憶が中心となった認識・識別が行なわれているのではないかという指摘がなされた。 これは筆記試験による発音問題の妥当性に関する問題提起に端を発して、学習者が音声記号を視覚的 知識として記憶し区別できさえすれば、実際の音声を聴いて識別し、正しい発音ができなくとも正解 できるのではないかという疑義の提起であった(白畑 1992; 武井 1991)。このようにして筆記による 「母音・子音を区別する発音問題」には議論の余地があるとされた。 以前の学習環境では学習者が未習語に出会った際、その場で直に母語話者の音声を聴き、綴りとと もに発音を耳で確認することが難しかった。そのためある意味で音声と記号とが乖離した形で学習が 行なわれる可能性があった。未習語の発音を耳で確認したい時に、肝心の手本となる音声を聴くこと が難しい状況では、学習者にとって記号は視覚的には頼りになる存在ではあっても、記号と実際の音 声を一致させ、正しい発音を身に付けることを必ずしも保証できない面があった。音声によるコミュ ニケーションよりも、受験科目として高得点を取ることが英語学習の主たる目的と考えられていた時 代に、もっぱら語彙に関わる音声情報の一部として記号を正確に記憶することが筆記試験対策として 目的化した傾向もないとはいえなかった。一方、初学者や学習動機の低い学習者にとっては記号の習 得が大きな負担であり、結果として身に付かないのであれば、導入する必要はなく、とりあえず音読 させるためにカタカナ表記を使う方が効果的だという議論もあった。 しかしその後テクノロジーの進歩によって、電子辞書、CD-ROM版辞書、オンライン辞書などで未 習語を検索し、録音された母語話者の音声がその場で聴けるようになった今日では、これまでの状況 とは一変し、音声表記の存在意義が格段に増すことになった 1) 。現在では未習語の語義等を調べる際 に、音声を聴くと同時に綴りと記号を見比べながら音読することによって、音声の識別や記号の記銘 Masahiro IMANAKA 国際言語文化学科(Department of International Studies in Language and Culture)

音声表記再考 Phonetic Notation Revisited Masahiro …113 音声表記再考 今 仲 昌 宏* Phonetic Notation Revisited Masahiro IMANAKA 1.はじめに 英語の筆記試験の発音問題において、かつて音声表記に関する問題点の一つとして、本来ならば音

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113

音声表記再考

今 仲 昌 宏*

Phonetic Notation Revisited

Masahiro IMANAKA

1.はじめに

 英語の筆記試験の発音問題において、かつて音声表記に関する問題点の一つとして、本来ならば音

声、綴り字、記号が合致した形での習得が望ましいはずであるが、現実には音声不在の状態で音声記

号の視覚による記憶が中心となった認識・識別が行なわれているのではないかという指摘がなされた。

これは筆記試験による発音問題の妥当性に関する問題提起に端を発して、学習者が音声記号を視覚的

知識として記憶し区別できさえすれば、実際の音声を聴いて識別し、正しい発音ができなくとも正解

できるのではないかという疑義の提起であった(白畑 1992; 武井 1991)。このようにして筆記による

「母音・子音を区別する発音問題」には議論の余地があるとされた。

 以前の学習環境では学習者が未習語に出会った際、その場で直に母語話者の音声を聴き、綴りとと

もに発音を耳で確認することが難しかった。そのためある意味で音声と記号とが乖離した形で学習が

行なわれる可能性があった。未習語の発音を耳で確認したい時に、肝心の手本となる音声を聴くこと

が難しい状況では、学習者にとって記号は視覚的には頼りになる存在ではあっても、記号と実際の音

声を一致させ、正しい発音を身に付けることを必ずしも保証できない面があった。音声によるコミュ

ニケーションよりも、受験科目として高得点を取ることが英語学習の主たる目的と考えられていた時

代に、もっぱら語彙に関わる音声情報の一部として記号を正確に記憶することが筆記試験対策として

目的化した傾向もないとはいえなかった。一方、初学者や学習動機の低い学習者にとっては記号の習

得が大きな負担であり、結果として身に付かないのであれば、導入する必要はなく、とりあえず音読

させるためにカタカナ表記を使う方が効果的だという議論もあった。

 しかしその後テクノロジーの進歩によって、電子辞書、CD-ROM版辞書、オンライン辞書などで未

習語を検索し、録音された母語話者の音声がその場で聴けるようになった今日では、これまでの状況

とは一変し、音声表記の存在意義が格段に増すことになった1)。現在では未習語の語義等を調べる際

に、音声を聴くと同時に綴りと記号を見比べながら音読することによって、音声の識別や記号の記銘

* Masahiro IMANAKA 国際言語文化学科(Department of International Studies in Language and Culture)

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東京成徳大学研究紀要 ―人文学部・応用心理学部― 第24号(2017)

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が極めて容易になった点がこれまでの状況とは大きく異なっている。教師が主導する音声指導が望ま

しいことは論を俟たないが、少なくとも語・句レベルの語彙の構築に関しては音声、綴り字、記号を

一致させる形で学習が可能になった。音素目録を一通り指導しておけば、少なくとも受容能力の養成

については学習者が自力で習得可能な状況にもなった。本稿ではこうした学習環境の大きな変化に伴

い、ヨーロッパ各国の英語教育現場での採用状況とも比較しながら、音声表記の重要性と英語教育で

の位置付けや今後の方向性について再考する。

2.英語の正書法と音声表記

 英語はその歴史において、多様な形で複数におよぶ大きな言語接触があった。その間大量の借用

(borrowing)が行なわれたため、正書法(orthography)と音声の関係が他の言語に比して極めて複雑

になったという経緯がある。こうした原因が引き金となって他のヨーロッパの言語では大規模な形で

は生じなかった大母音推移(the Great Vowel Shift)などを通じて、特に母音数が極端に増加した。こ

のため限られた母音字(vowel letter)と複数の母音が結びつくことになった。一方、英語の姉妹語で

あるドイツ語は英語のように言語上の大きな変化に邂逅することはなかったため、綴り字と音声との

一貫性が比較的保たれたまま今日に至っており、学習の初期段階で未習語の発音が綴り字からほぼ誤

りなく類推できるようになるのに対して、英語では上述した歴史的背景から大きなハンデを背負うこ

とになった。

 このような問題を解決する手段の一つとして、記号と実際の音声とが一対一に対応するように考案

されたのが IPA(=International Phonetic Alphabet)に代表される音声記号である2)。IPAはあらゆる言

語音を忠実に表記できる手段として1886年にフランス人のPaul Passyが中心となって設立された国際

音声学会(International Phonetic Association)により考案され、幾度も改訂が行なわれてきた。これは

発した直後に消滅し、聴覚上でしか確認のできない、実体を捉えにくい「音声」という対象を視覚化

する一つの方法である3)。IPAは国際規格としてあらゆる言語の音素や異音の表記に対応できるとい

う点でも優れていることが広く認知されている。英語圏には辞典ごとに母語話者用に開発された表記

法4)もあるが、これは英語の音韻体系がすでに備わっている母語話者を想定した表記法で、基本的

に外国人学習者にとっては扱いにくい。また互換性、体系性、包括性という点でもIPAに及ばないと

いってよい(Monpean 2015: 295)。

 音声表記は特に英語のように母音数が極めて多いというだけでなく、一つの発音に対して多様な綴

り字をもつ言語の学習にも大いに有効である。音声表記の学習は一見遠回りのようにみえても、大き

な効果が望めるといってよい(Tench 2011: 51-52; Monpean 2015: 296)。

3.音声表記の功罪

 英語音声指導における音声表記について、改めてその長所と短所を概観する。

長所

1.綴り字の影響を受けずに正しい発音の習得を促すことができる

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音声表記再考

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2.瞬時に消えてしまう音声を字母で固定することによって正しい音声を表象として記憶しやす

くする

3.音声記号に慣れた後は、自力で未習語の発音を確認し、発音練習も同時にできる

短所

1.初期段階の学習者に対して、文字表記と音声表記の導入のタイミングが難しい

2.アルファベットと音声記号が共通する字母とそうでない字母があるなど学習者が慣れるまで

時間がかかる

3.中高の英語教育における指導項目の優先順位では、授業時間数の制約の中で音声表記の指導

は上位に位置づけられてはおらず、現状ではこれまで通り表記の指導に多くの時間を割くこ

とは難しい

 広く外国語学習という観点から言語別に音声表記の有用性について考察すると、学習者の母語にも

よるが、書記素と音素がほぼ一貫した関係をもつトルコ語、フィンランド語、スペイン語などは一

般論として音声表記を導入しなくとも音声指導が比較的容易かもしれない。一方、フランス語、デン

マーク語、英語などアルファベット体系の歴史的変化や音声と文字の関係において時間の推移とと

もに大きなずれが生じた言語では、音声表記を用いることによって大きな効果が望めるといってよい

(Monpean 2015: 295)。英語の正書法と音声とを学習する際、特に日英のように両者の言語的距離の

懸隔が大きい場合には、学習者にとって視覚的な支えとなる音声表記の存在が大きな助けとなる(堀

口 1991: 29-30)。日本人学習者の場合、音声を想起する支えとなる表記がない状況では(1)-(3)のよう

に綴り字をなぞるような、いわゆるローマ字読みをする傾向がある。

(1) アワード award / e'w c▼▲d/

(2) スクリュー screw /skru▼

▲/

(3) アッパー upper /' vp er/

 音声記号の導入について漢字のような表意文字を含む複数の文字種をもつ言語を母語とする日本人

学習者にとっては負担が大きいという意見もあるが、基本的には学習者次第であるともいえ、学習者

にとって導入に問題がないのであれば、使った方がよいという見方もできる (Hancock 1994) 。

学習段階に応じた形で音声表記の利点を掲げると以下のようになる。

1.綴り字と音声の懸隔の大きい事例(4)などの確認が容易である

(4) Arkansas /'ɑ▼

▲rk ens c

▲/, Stephen /'sti▼

▲v en/

2.強さアクセントの特徴をもつ英語において最も出現頻度の高い音schwa / e/の確認ができる

3.中・上級レベルでは、機能語(形式語)の辞書項目的発音⇔収縮形の隔たりを確認するのに

便利である

(5) for 《強形》/f c

▲r/ 《弱形》/f e r , f e/; at 《強形》/aet/ 《弱形》/ et/ 

4.母語話者間で発音が揺れていて(6)複数の音形が存在する語や(7)複数の強勢位置をもつ語な

どについて辞書で容易に確認できる    

(6) fertile /'f e r tl|, 'f er tail /, often /'ɑ▼

▲f en, 'ɑ▼

▲ft en/

(7) contribute /'kɑntrIbju▼

▲t, k en'trIbju▼

▲t/

他にも (8) は異綴同音語であるが、下線部がすべて黙字(silent)であることを確認する際に、音

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声表記によるのが最も確実な方法であろう(Wells 1996)。このように 音声記号は視覚から音声

を想起させる(visual reminder)という重要な役割をもっている。

(8) right - rite - write /raIt/

また英語には同綴異義語(homograph)もあり、同じ綴り字で発音、品詞、意味が異なる語があ

る。例えば (9) - (11) などは、発音の違いや複音節語の第1強勢の位置を確認する上でも音声表

記の存在は重要である。さらに同綴となる名詞―動詞、動詞―形容詞等の組み合わせ(conduct,

object, increase, present, etc.)が英語には100語近くあるといわれるが、強勢位置の移動とともに強

形⇔収縮形へと母音自体も変化する。(12)-(14) のように強勢の移動によって第1音節の母音が強

母音から弱母音へと切り替わることなども音声を聴くだけよりも記銘が早く確実になる。さらに

(15) のように派生語として i の綴りに/aI/―/I/の母音の変化が生じることを示すことができる。

(9)  bow /bo/ /ba/

(10) minute /'mIn et/ /maI'nju▼

▲t/

(11) wound /wu▼

▲nd/ /wand/

(12) conduct n. /'kɑnd vkt/ v. /k en'd vkt/

(13) botany n. /'bɑt eni/ botanical a. /b e'taen ek el/

(14) present v. /prI'zent/ a. /'prez ent/

(15) sign /saIn/ signal /'sIgn el/

学習がすすんだ段階では、発話速度の上昇に伴って連結発話(connected speech)が生じ、弱音節

がさらに切り詰められることを示す場合、例えば形容詞の (16) は調音速度が上がると第2音節の

( )内のschwa が発音されなくなり、2音節語への音形の変化を明確に示すことが可能である。

(16) separate /'sep( e)r et/

表1 母音一覧表

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音声表記再考

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4.母音の表記

 日本語の5母音システムと比較して、英語は単母音と二重母音を合わせて母音数が全体で約20種類

(Wells 2008)(表1参照)もある。これは世界の主要な言語の中でも稀有な例である5)。英語の正書

法では、アルファベット26文字中、いわゆる母音字は五つ(a e i o u)しかなく、母語の習得後に英

語学習を開始する日本人学習者にとって英語母音すべてを分類・認識し、区別できるようになるには

相当な時間を要する。これに加えて英語は強勢アクセントであり、強母音と弱母音の違いが生じるこ

とから、表2が示すように各母音字に対して五つから七つの母音を対応させねばならない。表では各

母音字に対応する複数の母音を記号と語例で示しているが、これ以外にも複数の綴り字がまとまって

一つの母音を示す例なども含めると他に27通りの綴り字が存在する(竹林他 1984: 81-83)。

表2 英語母音字・音声記号対照表

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 ここで音声記号を使えば学習者に英語の母音の多様性を視覚面から意識させることができる

(Tench 2011: 243)6)。綴り字のみでは、英語の単母音や二重母音を系統立てて表示することが難し

いばかりでなく、音色の違いを目で確認するのは困難である。したがって母音の識別にあたって、視

覚的な表象(音声記号)としてこれだけの母音が存在することを音声とともに初期段階から時間をか

けて徐々に学習者に浸透させてゆくことで全体的理解が深まってゆくと考えられる。日英の音素目録

の比較からいっても、英語音素の全体像を把握させるという点で有効だといえる。

5.子音・半母音の表記

 母音以外の音素は基本的に子音と半母音に該当するローマンアルファベット(Roman Alphabet)と

同じ字母で一対一になるように音声記号が構成されており、対応不可となる音声にはアルファベット

にない記号を当てている(表3参照)。アルファベットと音声記号の関係について、全アルファベッ

ト中、c, x, qの三つが音声記号としては使われていない。c には4種類の音(cell /s/, cat /k/, social /ʃ/,

cello /tʃ/)、x は4種類(xylophone /z/, examine /gz/, box /ks/, noxious /kʃ/)、q は2種類(queen /kw/, quay

/k/)が対応している7)。success /s ek'ses/ のように一語の中にある同じ綴り字 c がそれぞれ異なる子音

/k/, /s/ で発音される例もある。またpermitted /p er 'mItId/, beckon /'bek( e)n/ の下線部が示すように複数

の子音字が一つの音声と対応するケースもある。表3の音素リスト中で、7種(7, 8, 11, 12, 15, 16,

20)がローマンアルファベット以外の文字体系から取り入れられている。そのため綴り字と重複しな

いことで逆に記憶しやすい面もある。新規に習得すべき記号数は母音ほど多くはないものの、一部で

はあるが子音字が複数の発音を表す多面性(multivalence)は母音と同様にある。

表3 子音・半母音一覧表

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6.ヨーロッパにおける音声指導

 ヨーロッパ七か国(フィンランド、フランス、ドイツ、マケドニア、ポーランド、スペイン、スイス)

で実施された十代の若者や児童を指導するEFL/ESLの英語教員に関する調査(Henderson et al. 2012:

12-15)によると、多くの教員は学習者の段階で基本的に音声学・音韻論の理論に関わる講義やある

程度の音声指導を受けた経験をもっている。しかし教員資格取得にあたり、音声指導法の研修までは

受けていない人がほとんどであるという。そのため独学で身に付けようとする者も相当数にのぼって

おり、音声指導に自信がもてないという自己評価を下す教員も多い。 ヨーロッパでも日本と同様に

音声指導の優先順位はあまり高く位置づけられておらず、教員養成に関連して指導法の学習は各教員

の自己啓発に任されている傾向がある。教員資格取得の課程や教育内容自体も今後見直す余地が大い

にあると考えられている(Monpean 2015: 294)。 また音声記号を授業に取り入れているかどうかに関

しては、参加国全体の平均で82%の教員が記号を指導に用いており、うち約40% の教員はさらに記号

を書けるようにも指導を行なっていることがわかった。

 Monpean(2015)がフィンランド(FL)、フランス(FR)、スペイン(SP)の三言語を母語とする上

級レベルのEFLの大学生(18-23歳)177名の被験者に対して、音声記号に関する意識調査を実施した。

その中で次の5項目を中心に問うている。

1.音声に対する意識を高められるか

2.視覚面での補助となるか

3.自律的学習を促すか

4.容易性と有用性はあるか

5.熟知しているか

 表4からわかるように、全体的評価はどの項目とも肯定的である。特に (1) と (2) は8割以上の被

験者が同意している。(3) - (5) は7割弱が同意し、否定的な評価は3割前後となっている。各項目を

国別にみると肯定的な順位についてはバラつきがあるが、これは各言語の正書法、音韻構造、学習環

境の相違などが主な理由と考えられる。日本と同様に音声指導の優先順位が高くないにもかかわらず、

学習者側の音声表記に対する関心・評価はいずれも非常に高く、この調査に関する限り少なくとも大

学の中級から上級レベルの被験者は音声記号の利用について明らかに肯定的評価を下している。

 個別にみれば (2) の質問項目の「音声記号のおかげで英語音声がわかり易くなる」についての評価

では3言語の被験者間で FL 63.5%, FR 84.8%, SP 95.5% となり、言語間で多少温度差がある。一方、

(3)の質問項目の「辞書を引く際に音声記号が助けになる」では全被験者の 88.9%、「自分の発音を修

表4 3か国の被験者への音声表記に関する意識調査結果

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正するのに音声記号が役に立つ」では84.1% が同意している。(4)に関連して「12歳以下の児童に音声

記号は難しすぎる」という問いに同意する比率は FL 46.2%, FR 69.5%, SR 66.7% となっている。フィ

ンランドの低い値は同国では学習初期段階からすべての教科書の単語リストに説明付きで音声記号が

用いられているためである。これは(5)の「辞書や教科書で見慣れている」という質問への回答がFL

96.2%, FR 79.7%, SP 75.8% という結果と(2)のFLが他よりもやや低い値を示していることと密接に関

係しており、学習段階の早期に導入すればそれだけ早く慣れるという利点があると考えられる。この

調査はすべて第一言語がアルファベット系言語の被験者を対象としているため、これ以外の文字体系

をL1とする学習者への本格的調査が待たれるが、大いに参考になるデータである。

7.今後の音声指導上の留意点

 これからの音声指導についての考察にあたり、改めてここで確認しておきたいのは下記の二点であ

る(Celce-Murcia et al. 2010: 3; Tench 2011: 238)。

1.言語の本質は音声言語であり、書記言語に優先される

2.良い発話習慣(speech habit)を形成するうえで、早期から学習者に音声訓練を施しておくこ

とが望ましい

 音声指導は「最初が肝心」であり、一度不適切な発話習慣が形成されてしまうと、後からの修正が

非常に困難になるため、指導にあたっては学習開始時点で周到な指導方針をもとにした準備が望まれ

る。基本的にどのような目標設定や指導方法をとるかで、学習者の目標達成に大きなずれが生じてく

ることは間違いない8)。例えば日本語的発音でもよしとするのか、少しでも英語らしい音声を目標と

するのかについて事前に教育目標の綿密な検討が求められる。到達目標のレベルは入門から最上級ま

で、漸次的に推移する連続体(cline)と考えるならば、ほぼ無限にレベルの設定が可能である。また

発話モデル(AmE, BrE etc.)の選択も考慮しておくべき対象であろう。

 音声表記の学習にあたり、最も重要な点の一つは一般の学習者にとっては基本的に音声、綴り字、

記号を合致させて認識できるようになることである。すなわち受容能力(receptive ability)ないしは

受容的技能(receptive skill)の養成が最優先である。学習者が教員志望でない限りは、必ずしも音声

を聴取して、それを音声記号で表記ができるようにすることまでは考えなくともよいであろう。音声

はこれまで授業外では指導者の管理が行き届かないことから自学自習は難しい側面があった。しかし

新たな環境下では自己監視(self-monitoring)や自己修正(self-correction)能力の養成などができる

ようになるであろう。

8.おわりに

 言語能力(competence)と言語運用(performance)という二つの観点において、発音を確認し、音

読できるようにするための手段として音声表記を考えるならば、短期的な目標に関わる問題だといえ

る。発音の練習は実用的側面が強いので、音声表記は導入の段階から基本的に後者に関わる問題だと

考えられている。しかし目標言語の習得という長期的、包括的観点からすれば、音声表記は音声体系

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音声表記再考

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を身に付けるという重要な学習要件を強力に支える道具だともいえよう。 語学力が身に付くにした

がって、必然的に音韻に関する規則や知識、音素・異音の識別力や調音上の明瞭度等が体系として備

わってくる。言語習得全体を見据えていえば、音声表記の導入は言語能力の養成に深く関わるものだ

といってよい (Dickerson 1987; Hancock 1994)。カタカナ表記のようにL1 の文字体系を使ってL2 の音

声を表記する方法は学習者に対してまさに短期的観点からの目先の音声指導に止まることを意味する

9)。換言すれば、カタカナによる音声表記等を指導で用いることは目標言語の習得について自動的に

低いレベルの目標を設定していることになる(Pennington and Richards 1986: 219)。

 音声表記は学習者が中・上級レベルまで着実に学習を積み重ねてゆけば、活用できる環境が少しず

つではあるが着実に整ってくることになり、効率よく利用できるようになる。学習開始当初の段階で

は、英語の音韻システムが構築される前の段階、すなわち学習者のなかで音素目録が未整理の状態で

あるため、音声表記を十分に活用できる状況になってはいない。この段階では確かに学習者にとって

負担に思われるかもしれないが、その後の発展性を考慮すれば早期からの音声表記導入はいわば重要

な初期投資ということになる。長期にわたる学習を通じて本格的な習得を視野に入れるならば、フィ

ンランドの例にもみられるように、音声記号を早期に導入して慣れさせておくことが後々の音韻シス

テムの本格的な習得につながるという点に注目したい。こうした点から特に大人の学習者が発音を扱

う際には音声記号がとりわけ有益である。

 従来の語彙の学習方法は、もっぱら reading などを中心にした視覚を通じた目読中心の学習であっ

たため、音声面でも受容語彙(passive vocabulary)から表現語彙(active vocabulary)への転換に時間

がかかるきらいがあった(Dickerson 1987: 14)。現在は中高でも音読を中心とした指導が行なわれる

ようになってきており、これは音声を通じたコミュニケーション能力の養成に向けて大きな改善だと

いえる。これまで自学自習による発音は自己流に陥りがちであったが、母語話者音声へのアクセスの

容易性と音声表記との相乗効果を通じて、音声の自律学習が積極的に促されるようになれば、表現語

彙への移行がよりスムーズにしかも早い段階から可能になる。音声と綴りの問題に関しては基本的に

音声記号を先行導入して、早期から慣れさせ、徐々に学習者を自立学習に向かわせて体系的習得につ

なげることが望ましい。

1) 音 声 指 導 に 関 連 す る 設 備(CALL [Computer-Assisted Language Learning]) や 教 材(CAPT

[Computer-Assisted Pronunciation Teaching])も大きく進歩を遂げている。とりわけ音声に関す

る学習環境が一方向のみではなく、双方向(対話式)の形式もとりつつ改良されてきている。

Tench(2011: 261)はこうした教育環境の利点について、五つ掲げている。

1.繰り返しに耐えうること

2.モデル発音が一貫性(典型的母語話者の録音)をもって繰り返されること

3.モデル発音の変化(米、英、豪や男女の相違など[筆者注])があること

4.学習者に自律性をもたせられること

5.音声のインプットやフィードバックに加えて視覚的な補助もあること

2) 本 稿 で は 外 国 人 学 習 者 に と っ て 必 要 な 音 声 表 記 と い う 観 点 か ら、 音 素 表 記(phonemic

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transcription)を中心に据えて考察する。IPAには簡易表記(broad transcription)と精密表記(narrow

transcription)という2段階の表記方法があるが、一般の学習者には簡易表記をもとにした表記

法が望ましいと考える。

3) 近 年 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 力 の 養 成 に は、 個 々 の 分 節 音(segment) よ り も 超 分 節 音 素

(suprasegementals)を優先すべきだという考え方が一般的に受け入れられている(Hancock

1994)。最小対立の音素よりは超分節音素を重視した音声教育が注目されている。こうしたトッ

プダウン処理(top-down processing)の考え方は調音速度の上昇などによって分節音が多少不明

瞭になった場合、超分節音素に加えて、より高次の統語や意味のレベルから低次の分節音などが

補完されるという利点があるからである(Tench 2011: 242)。本稿ではいわゆるボトムアップ学

習の観点から音声指導を論じている。外国語学習の初期段階では、いわゆるボトムアップ処理

(bottom-up processing)も重要であり、各分節音が不十分な形で調音されるとコミュニケーショ

ンが成立しにくくなるという面も軽視することはできない。これはいわゆる二者択一の問題では

なく、本格的な習得を目標とするならばいずれのアプローチも大切だという立場に基づくもので

ある。

4) Agnes and Guralnik(2007), Pickett(2006)参照。

5)子母音数については Wells(2008)の分類に基づいている。

6) Hancock(1994)が、スペイン語を母語とする中・上級レベルの英語学習者に音声表記を用いて

指導した実験群と統制群とを比較する調査を行なった。調査範囲が単音節語に限定されてはいる

ものの、前者がより多くの語について有意に発音を正確に記憶できたという報告がある。スペイ

ン語は日本語と同様5母音システムで、母音数が共通している点で参考になる。

7) q については、英語を語源とするほとんどの語が qu のように u とセットで綴られる。単独の q

はアラビア語からの借用語として (Qatar /k et'ɑ▼

▲ r /, lraq /I'rɑ▼

▲k) などがある。

8)この点に関して音声指導に限ったことではないが、学校単位で一貫した目標や指導方針を設定し

ておくことが望ましい。教員によって達成目標や指導方針が異なると、担当者が変わることによっ

て一貫性を欠く指導となり、学習者を戸惑わせることになるからである。

9)カタカナによる音声表記で英語がもつ母音数や音色の違いを視覚的に示すことはほとんど不可能

である(今仲 2003, 2004)。

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