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2008/9/11(木) 午後 10:20 無題 練習用
2015 9月
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[ロゴセラピーゼミナール] ウィーン・プラハ研修旅行
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写真:上から、マイヤーリング入口の標識、マイヤーリングの礼拝堂、ハイリゲンクロイツ、ハイリゲンクロイツ回
廊、ジーグロッテの記念碑。
前日の観光打ち合わせで、I先生とYさんがバスツアーに参加すると話され。ご希望の方はご一緒しましょうとの
事でしたので、私は、東京のはとバス気分で参加を希望しました。ところが、このバスツアーはウイーンの郊外に
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ある史跡を辿るツアーだったのです。<参加者、C.I.さん、M.Aさん、K.Yさん、報告者の4人>
当日は9時30分頃、ピックアップのバスが来るとの事でロビーで待ち合わせ。しばし、待ち時間がありましたが無
事、バスが到着し乗車。早速、ツアーの開始と思い、張り切っていたところが、どうも、これは、ピックアップ専用の
バスらしく、とあるバスターミナルに到着。そこで、目的ツアーバスに乗り換えました。
バスの乗車率は半分以下で、余裕の座席でした。ワンボックスを1人で使いながら、ツアーの開始です。街中を
抜けて、一路郊外、ウィーンの森方面へバスは走ります。車窓には、広い畑が見えていましたが、いつの間に
か、木々が多くなり出し、森の中を走っていました。その、景色がなんともいい感じでした。
さて、最初に到着したのがMAYERLING(マイヤーリング)です。道路から、上り坂をやや登るとそこには、こじんま
りとした教会のような建物がありました。ここは、皇太子ルドルフのゆかりの地です。ハイリゲンクロイツから西へ
約4キロ。ハプスブルグ家の「狩りの館」が会った場所です。1899年(明治22年)1月30日、この館でオーストリア
皇位継承者ルドルフ皇太子が愛人とされるマリー・ヴェッツェラとピストル自殺を遂げたのでした。その事件後、皇
帝はこの館を取り壊し修道院を建設しました。そして、今回、見学した礼拝堂だけが残っているのです。
50人程度でいっぱいになりそうな、小さな礼拝堂に続いて、当時の資料などが展示してある部屋が続いてお
り、そこには自殺を嘆き悲しむ母親などの絵や資料ありました。この部屋は、当時の館の部屋を再現したと言わ
れています。
続いて、向かったのがCistercian Abby of Heiligenkreuz(ハイリゲンクロイツ修道院)です。
ここは、中世ヨーロッパ最大の修道院と言われ、図書館、学校、病院など全てが集約されていたそうです。当
然、自給自足の生活をしており、農作物や酒なども造っていました。歴史的には1133年にバーベンベルク辺境伯
レオポルト三世によって創建されました。シート派の修道院で12世紀に建てられたロマネスク様式と13世紀のゴ
シック様式の内陣が残されており、中庭にはルネスサンス様式の美しい回廊が巡らされていました。現在も使用
さていて、見学の最中にも礼拝に向かう牧師さんの姿を見ることが出来ました。900年前にタイムスリップしたよう
でした。
最後に向かったのがSeegrotte(ゼーグロッテ)です。此処は鍾乳洞です。以前は石灰などを掘り出していたので
すが、第二次世界大戦中に、ナチの飛行機製造工場としても使用されました。地下60メートル、水深120センチメ
ートルの地底湖が広がっているのです。此処は、強制労働の場所として使われていました。どれくらいの人達が
此処で働いていたかは不明です。ガイドの説明に夜とこの洞窟で生まれ育った馬は目が見えなかったとのこと
で、何か、寒々としたものを感じました。所々には、当時作られた飛行機の部品がそのまま、残っていました。戦
争でこの施設は破壊され、一時は、人が入れる状態ではありませんでしたが、後に観光用として3年の月日をか
けて改修され、現在に至っているとのことでした。
夏なのに、摂氏9度と、半袖では寒くていれません。戦争当時、強制労働の人達は、どんなに寒かっただろうと思
いました。広い地底湖は水深が一定になるように常に水をくみ上げているとの事でした。飛行機部品を製造して
いる当時は、地底湖の水を全部くみ上げ作業をしていたそうです。しかし、実際、此処で作られた部品で飛行機
が組み立てられたことはなかったとの事でした。
思いもかけず、とても、価値のある史跡を巡ることができました。私、1人で来たならば、絶対見なかったであろう
オーストリアの歴史に触れることができ、とても有意義なツアーでした。紹介して下さった、I先生に感謝しておりま
す。
午後1時30分頃、市内に戻りました。その後は、各自が市内散策を自由に行いました。ちなみに私は職場へのお
土産を買いました。
以上で、報告は終わりです。このツアーはなんとドイツ語、イタリア語、英語の3ヶ国語ツアーでした。M.A.さんがド
イツ語の説明を通訳して下さったので、私にも何とか、内容が理解でき本当に助かりました。有り難う御座いまし
た。心から、感謝申し上げます。
(文責:H.H.)
マイアーリングの狩猟の館は、ハプスブルグ家のものというより、皇太子ルドルフが自分のために買ったもので
す。彼はドイツ帝国と仲良くしたいと言う父親のフランツ・ヨゼフと政治政策で対立していて、自分の同志やフラン
スからの使者などと心置きなく会見したり、密談するために手に入れました。結局、彼は父親の権力の前に破
れ(オーストリーはドイツと協定を結んだので)、それがもとで命を絶ったというのが定説になっています。(K.K.記)
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