19
Instructions for use Title 行政官養成における法優位主義の含意(1):スポールディングの近業に関連して Author(s) 伊藤, 大一 Citation 北大法学論集, 20(2), 48-65 Issue Date 1969-09 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/27880 Type bulletin (article) Note 資料 File Information 20(2)_P48-65.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

Instructions for use

Title 行政官養成における法優位主義の含意(1):スポールディングの近業に関連して

Author(s) 伊藤, 大一

Citation 北大法学論集, 20(2), 48-65

Issue Date 1969-09

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/27880

Type bulletin (article)

Note 資料

File Information 20(2)_P48-65.pdf

Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

Page 2: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

料資

行政官養成における法優位主義の含意

)

'A(

スポ

lルディングの近業に関連して

ロパ

lト・スポlルディング

(HNOZ2ζ・ω同V255mr・)が一

九四コ一年当時の日本について集計したところに拠ると、外務省を

除く主要な中央官庁の課長及び奏任部長全員のうち、高等文官試

験に合格した者の占める百分比は、司法省|九コ一、内務省||

九一、大蔵省||九一、内閣諸部局11八五、厚生省||八一一一、

農林省・商工省||七一、情報局||六九、逓信省11六九、帝人

部省|1五七、鉄道省||五五、であった。他方これに先行する

一九二九年から一九四一年までの期間、高等文官試験(外交官試

験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて

いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、

刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択

(2)

科目とされていた。また、口述試験におい℃は、必須科目である

行政法の他に、二科目を選択することが求められていたが、多く

の受験者によって選択されたのは憲法(受験者の六四・六%〉、刑

北法20(2・48)172

Page 3: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

"

法(四一・四%)、民法(一七・四%)、及び国際法(一五・八%)

の諸科目であり、政治学、社会学等の非法律系諸科目を選択した

者はほとんど皆無に近い状態であったという。

戦前の日本において、

「高等文官試験の合格者の大半を占める

法律学の修得者が、殆どすべての高級職への昇進の階梯を占有」

(

4

)

していたことは、汎く知られている。そして、これが〈自然の勢〉

に因るものではなく、〈制度によって意図された結果〉であるこ

とは、文官制度の形成過程に現われた当局者の言動からも容易に

窺い知ることができよう。たとえば、文官任用令の改正(明治一一一

二・コ了二ハ、勅令六三号)にさいし、首相山県有朋はその理由

)

1

( を説いて「今や我凶は尚ほ立憲制度創設の時代に属し園民の理想

行政官養成における法優位主義の含意

未た発達せす従て未た法治行政の実を挙くるの機運に達せすと雌

も法令既に頗る詳密にして官吏に自由専断の余地少く行政は漸く

一の専門技術たらんとするの期に達せり是を以て行政官たる者は

唯天賦の才能のみに怒りて其任務を全くし得へきに非す必すや行

政に須要なる専門の学識を有せさるへからす故に行政官の任用は

其忠実なる資質を要するの外又専門の学識を具ふる者を選はさる

へからす昔者政務の挙否は専ら之を人に待ちたるも今は専ら之を

学識に待たさるへからす若し夫れ閣家内外の大局に鑑み変通自在

の政策を適用する岡務大臣の職は則ち之を英傑の士に望まさるへ

からすと難も繁密なる法令を遵奉し錯雑なる行政を施行するの任

は寧ろ之を公正勤勉にして専門の学識ある者に須たきるへからさ

ハ5)

るなり」として、

「法科万能の学識検定の制度を勅任官級にまで

拡張」したのであった。

ところで、こうした任用試験における「法律偏重この事実から、

無条件に、専門技術としての行政と法的技術との同一性ないし互

換性を推断することはできない。というのは、第一に、任用試験に

おいてテストされる資質ないし能力は必ずしも現実の行政活動を

可能にする資質ないし能力と同じである必要はない||むしろ、

これら両者の聞には、何がしかの隔たりが認められるものだから

であるq

いうまでもなく、この隔たりは、体験的には、実地研修

9278門司同S55間)の過程及びその効果として現われる。すな

わちスポールディングも指摘しているように、もともと高等文官

試験の制度は||後に触れるように

ll「ジェネラリスト」を選

抜するという含みをもっている。そして、実際また、この試験を

通過した人聞はそれまでほぼ同一の教育を受けているのであり、

如何なる部署に配属されても仕事をこなしていけるだけの融通性

を具えている。ところが、ひとたび任官して、現実の行政活動を

はじめると、その融通性は次第に失われていく。もちろん、彼等

は、短い間合を置いて、その部署を変えていく。けれども、それ

北法20(2・49)173

Page 4: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

はあくまでも特定の省の内部であり、省の壁一を越えて移動するこ

とはほとんどない。その意味で一人前の仕事が出来る頃には「彼

7〉

等はある意味でスペシャリストになっているのである」||と。

しかし、問題はたんに体験的な局面にのみ尽くされるわけではな

ぃ。この隔たりには、いまひとつ、原理的な意味合いが含まれて

いる。それは、一般に試験任用という制度が「制度カりスマ」の

培養基として副作用する||あるいは、むしろ、この「制度カリ

スマ」を造り出すために、試験任用の制度、が活用されるという聞

が含まれているからである。ウェ

1バーが、

「いかなるカリスマ

的教育も、修学者を訓練して戦争英雄・まじない師・降雨師・被

魔師・祭司・法適暁者のいずれに育てようとしているかに応じて、

何らかの専門教育的要素を含んでいる。そして、威信や独占を守

るためにしばしば秘伝(のめFog-oFB)として取り扱われたこの経

験的・専門的要素||すなわち教説

(rr司)||は、職業の分化が

進み、専門知識が鉱大してゆくにつれて、たえず量的にも増加し

てゆくし、合理的性質をも高めてゆく」として、

「カリスマ的教

育」と「専門的教育」との相異の流動性を説いたのは、その点を

(8〉

透視していたからに他ならない。その限り、任用試験の科目内容

||それは、当然に、

「カリスマ的教育」の局面に位置づけられ

ることになる

llと「官僚制の要請する専門家的理論

(rro〉」と

は、範時的に、「正反対の対極」を構成することとなろう。

そして、この点は、戦前の日本についても、たとえば高等文官

試験の生みの親・伊藤博文が資格任用の観念を受容するに至った

(

9

)

経緯のうちに、読み取ることができよう。すなわち、もともと伊

藤はかなり早く、工部卿を任めていた頃から資格任用制に強い関

心を抱いており、工部大学校を創設してその卒業生を優先的に任

用するという方法を試みていた。しかし、この場合の資格任用は

あくまでも「スペシャリスト」のみを対象とするものであり、後

に見る高等女官すなわち「ジェネラりスト」を対象とするもので

はなかった。そして、この後者にまで資格任用制を及ぼしていく

ことについては、彼は、同じく強い関心を抱きつつも、同時に強

い危倶の念を禁じえなかった。それは、資格任用制とh-う「合理

的」な制度と、天皇大権という「非合理的」な制度とが果たして

うまく調和しうるか否かについて、当時、確固たる見通しをもち

えなかったからであるという。ところで、伊藤のこうした危倶を

取り除き、天皇大権と資格任用制との調和的|!というより、むし

ろすすんで相互補完的ーーな関係に限を見聞かせてくれたのは、

彼が畏敬して巳まぬローレンツ・フォン・シユタイン(F03尽きロ

ωEロ)であった。すなわち、シュタインは、伊藤の問に答えて、

「およそ任用には二つの原理が含まれている。その第一は、国王

北法20(2・50)174

Page 5: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

.

は、彼が任用したいと思う人聞を自由に選抜する大権を有すると

いうことであり、第二は、そのようにして任用される人間は、任

用に先立ち、先ず行政官たるに必要な教育を受け、更に資格試験

を通過していなければならぬということである」となしたのであ

った。ここに「大権」とは、「没主観化」(〈2E岳写宮口問)され

たカリスマの謂に他ならぬ。そして高等文官試験制度の礎を築い

た「女官試験試補及見習規則」(明治二

0・七・二三、勅令三七号)

は、じつに「没主観化」されたカリスマと資格任用制との相互補

完性の法的表現だったのである。

専門掠術としての行政と法的技術との同一性ないし互換性を無

)

-(

条件には推断しえぬ第二の理由は、

「法科万能」がひとり政府部

行政官養成における法優位主義の含意

門に限らず、民間の管理部門にも等しく認められる現象であると

いう事実に由来する。たとえば、青沼吉松氏が戦後の日本につい

て調査されたところによると、業界上位三七五社の経営者一五

O

O名のうち、東京大学のみに限ってみても、法学部出身者の占め

る比率は九・九ガに達するという。また、とくに、清水英夫氏が

「ビジネス・エリートとしての東大法学部をより強力にしている

のは、金融機関を中心とする彼等のネットワークであろう。高度

に発達した資本主義社会で、金融機関のもつ役割は今さら多言を

要しないと思うけれども、この世界は、官僚とならんで、代々東

大法学部エリートが多数配置された場所である」として、民間部

門の神経中執が法律学の修得者の手に握られている事実を重視し

ているのは、この際注目に値しよう。しかも、このような現象は、

何も戦後期に限ってみられるものではない。

ら、下は万筆の吏に至るまで、

「上は輔朔の大臣か

一切の国務政務の施行者、商事会

社の事務担当までも、法科出身者ならでは其の地位をえられぬと

いう有様。専門の技術を要する官街でも、之を経営し、之を指揮

し、之を監督する役目は、法科出身者に委ねられて居る」として、

一九一七年のことであるが、ス

「法科万能」が指弾されたのは、

ポールディングも分析しているように、法律修得者の民間進出

は、既に第一次大戦前後から始まっていたようである。

もちろん、このように政府部門と民間部門を通じて、同種の専

門技術が需要されるという事実それ自体は、別に異とするに当た

らない。後に改めて触れるところであるが、モ1スタイン・マ

l

pス(匂江露呈

OEO-ロ乞ω提唱ミ〉内山呂ロ

Fast諸問。哲一色Dロ百

。OB冨gtddpaヨ823)の説明にもあったように、技術過程と

してみた場合、政府の行政活動は社会一般

325ちの自制活動の

一環をなすものであり、前者の後者に対する関係は、間の音に対

する関係にも擬せられうるからである。しかし、既にモ1スタイ

ン-7lpス自身認めているように、行政活動は技術過程に還元

北記長20(2・51)175

Page 6: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

し尽くされるものではない。それは、

一面において、価値実現の

過程としての性格をもっ||そして、また、その公的責任

9zrr

RgEgg-芹可)の強調からも窺われるように、政府部門を民間部

門から区別する基準はまさしくこの価値実現における公的性格の

構成にある。とすれば||戦前の日本において、実体としての法

的技術がひとり技術過程にのみかかわるものではなく、さらに価

値実現過程にまでかかわりをもっていたと考えられる以上||民

間部門から切離して政府部門のみを取上げ、そこにおける専門技

術としての行政と法的技術との関連を云々することは、益のない

試みであるという反論を喚び覚ますことであろう。

けれども、翻って考えるに、高等女官試験は、教育制度から切離

されていたわけではない。逆に、それは、大学教育||とくに、帝

国大学におけるそれーーのうちに深く根差していた。この点は、

先に挙げた試験科目と帝国大学法学部における開講科目との間

に、必須・選択の区別まで含めて、完全な対応関係が保たれてい

た事実からも、更にはまた、高等文官試験委員と帝国大学法学部

教官との聞に高度の人的一体性が図られていた事実からも、容易

に看て取ることができよう。実際、たとえば、松本学氏は、東京

帝国大学を卒業して、内務省に入った前後の模様を、次のように

述懐している。

「僕らより以上のよい成績だった連中は七月に卒

業すると同時に文官試験を受けないでもすぐ採用されたのです。

われわれはクまず文官試験を取って来、いその上で採用してやろ

ぅ。というので、文官試験を取って十一月採用になった。十人位

だったでしょうか。その内には吉田茂君や平田紀一君等もいまし

た。われわれが内務省へはいったのはいわばセカンドクラスで

す。ファーストクラスの連中が三、四人おりましたよ。それはわ

れわれよりうんといい七十点かぐらい取っていたのでしょう」。と

ころで、二

O才前後の青年が大学で過ごす三年間の教育生活は、

その人間の資質および能力を開発し、方向づけるうえですくなか

らぬ影響力をもっ。しかも、それはウェ

lパlのいう「秘伝」の一っ

と着倣されている法学教育の場合、とくに著しい。とすれば、た

とえ大学教育は幼少年期に始まる長い教育過程の最終段階を成す

ものであり、そこでの法学教育は「思考における整合性と合理性」

に最後の仕上げを施すひとつの手段に過ぎぬとしても、なお、そ

れは専門技術としての行政を法的技術に結び付ける実体的基盤と

して機能し続けることになろう。

更にまた、第二の法的技術は政府・民間両部門を通ずる共有財

産として機能しうるものであり、したがって、とくに専門技術と

しての行政との関連を云々するいわれはないという見方に対して

も、反論の途は閉ざされていない。それは、

「自分の考えでは今

北法20(2・52)176

Page 7: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

t

日の日本の様に国家権力の強い国に於ては、最も効果を挙げうる

地位は官吏であると思います。如何に民聞において努力しようと

も今日の日本の様に政府の力の強い所では、それは政府にある官

憲の努力に到底及ばないでありませう」という官途に就く学生の

言葉に映し出されたような崎型性が、戦前の日本の「資本主義」

には具わっていたからである。

このような崎型性がある限り、民間部門の管理活動が政府部門

のそれ、すなわち、行政に同調する形で造り出されていくことは、

たんに「経済効率」の函ばかりでなく、

(M)

望ましい成行きであったろう。

「指導責任」の面からも

「今日までの官吏任用令は、維新

(1)

後急に西洋の制度を模倣し、此等制度に関する知識を有する法科

行政官養成における法優位主義の含意

出身者を登用した。:::凡そ国家公共の事務、乃至会社諸団体の

煩雑なる仕事は一定の形式に組織統一されて運用されている」と

古川学人は諦めを述べているα

すなわち、政府は、既に明治初年

の頃から、企業の組織および運用の方法について、モデルを作成

し、これを私企業の経営者に提示して、企業の法人化を促がして

きた。すなわち、ここには官吏を中心とする伝播体系の成立があ

る。そして、第一次大戦前後から日本の「資本主義」がそれなり

の自律性をもって運動を開始するに至るや、この伝播体系に人的

基盤を提供すベく、法律学の修得者は、官庁を中心として、同心

: 、3.

円状に民間企業へと拡散していくことになった。それ故、政府部

門において法的技術がもっ意味と、民間部門においてそれが果た

す役割との聞には、質的な相違がある。つまり、いってみれば、

後者における役割が政府部門の意向を汲んで、これを民間部門に

殖え付ける点にあったのに対し、前者においては、この政府部門

の意向自体を様想し、確定していくところに法的技術のもつ意味

があった、と考えられるのである。

そこで、このようにみるならば、

はあれ、とにかく専門技術としての行政と法的技術との関連を追

一定の条件のもとにおいてで

究し、両者の問一性ないし互換性を確定していくことにも、何が

しかの意義が認められることになろう。すなわち、スポールディ

ングは、先に引用した山県の言葉に関連して、もともと上級官吏

の役割は、多種多様な政府活動のいずれかをみずから分担すると

ころにあるのではなく、むしろ、これら諸々の政府活動を調整し、

統合するところにある。しかるに、この調整ないし統合のために

必要かつ有効な技能(凹

ECは、法学教育を通じて取得されるもの

であり、また、法律科目を中心とする任用試験によってテストさ

れうるものである

ii山県の言葉の背後にはこのような考え方が

潜んでいたのだというが、それは、おそらぐ、

「未だ行政の何た

るを知らず、行政と言へば直に刀筆吏の業と解し、政事家の心自

北法20(2・53)177

Page 8: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

を労するに足らざるもの」となす当時の風潮のもとで、

「行政の

如何にして功績を奏すべきか」(陸潟南〉という問い掛けにたいす

る日本なりの解答だったのであろう。

1〉

MNog-z・ω官民-ι5間同門

--F605乙82.師国仲間

rRCt-

ωゆ3wo開EEE丘05・HVロロasp-umア匂-ω一白〈吋白庄内町一)・

(2)Hr丘-w

yN一一(叶ωrFNA)・

(3)FF円山・・聞こコ

(H,与町一回)・なお、選択科目の内容は変化が

激しいが、「現行高等試験制度ニ於テハ其試験ガ著シク法

律学-一備シ時代ノ要求-一合セザルヲ以テ試験科目及試験方

法ヲ改善スル」目的のもとに制定された「高等試験令全文

改正」(昭和四・三・二八、勅令一五号〉によると、哲学概

論、倫理学、論理学、心理学、社会学、政治学、図史、政

治史、経済史、図文及漢文、商法、刑法、園際公法、民事

訴訟法、刑事訴訟法、財政学、農業政策、商業政策、工業

政策、社会政策の二

O科目と定められている。

(4〉辻清明、「日本における政策決定過程」『新版・日本官僚

制の研究』(一九六九年〉所収、一六四頁。なお、こうした

状態は、戦後においても、さしたる変化を蒙ることなく存

続している。この点について、統計的な分析を試みたもの

として、たとえば

llKEEFぎF百匹ゆ吋ロユ

ωRi

gロ2

5】

MomgRγ窓口

U

吋開拓可

ωREC口四時ロ♂開ιロnml

ccE-ωRr四BEロ内ysLの号ZH句民需gm.句江口nogp一回目白・

の}E句・品・

(5〉「文官任用令分限令懲戒令理由書」、和田善一、「文官詮

衡制度の変遷(一一一)」、『試験研究』一一一一号、六五頁に拠る。

(6〉繍山政道、『近代官吏制度の発達』、一九五一年、一七頁。

なお、この改正の政治的背景およびその合意については、

升味準之輔、『日本政党史論』、第二巻、一九六六年、コ三

一l一一一一一六真に詳細な説明がある。

(7〉

ω冨己島ロm・0司-S43・ω-∞lωN0・なお、今井一男氏に

よると、「一体どういういわく因縁で、そういった官職にす

わったのかという点について、ほとんどなんら反省されて

いないことは、十分非難に値い」するとして、現行の就職

制度のもとでは、「なんといっても、社会を知らない学生を

つかまえて、その十年後二十年後を当てようというのであ

るから、もともと注文する方が無理なのであり、万一当っ

たとしても、それは宝くじに当ったのに近い意義しかある

まい」と断じている

11『官僚』、一九五三年、八七頁。

(8)

宮ωH4司。

vpd司EREh同EEpaHREprogg向。向。宮口

さロ』DE524司gnroESP-u印?匂-一∞吋・なお、訳文

は、世良晃志郎訳『支配の社会学(二〉』、四八八頁に拠る。

(

9

)

スポールディγグは、殊の他、この伊藤の訪欧が果たし

た役割を重視している。

ω宮己mrロm-。同ynx・・円

UE司・ム(同志

mw

ロ門田

ω35・一∞∞M

〉・

(叩〉この点は、日本側研究者によっても等しく認められてい

るところである。たとえば、「:::試験制度の全面的採用

は、形式的ではあっても官僚制の基盤を鉱大するとともに、

北法20(2・54)178

Page 9: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

)

'A

(

拡大された基盤の上に立つ官僚のプレスティlジを高め、

官僚制をより安定させる。そこではチャンスが公平に与え

られる以上、能力がすべてを支配するという命題に市民権

を与え、高級官僚の特権を正当化することが容易になる」

||利谷信義、「日本資本主義と法学エリート(一一)」『思

想』、一九六五年一

O月号、一

O七頁。

(日)清水英夫、『東京大学法学部』、一九六五年、五

O頁に拠

る。

(ロ)同書、五五|五八頁。

(門川)尾崎盛光、『日本就職史』、一九六七年、一二六頁に拠るo

nM)ω宮己品百四・

0司

-nu--宅-M忍lN∞0・

(はM)

円、白耳目内由。SRB司ogqFor-mgpNm(一回目一〉・司・ω呂・

戸山

)E《同二回以・ω-吋・

(行)平沼鋲一郎は、その『回顧録』(一九五五年)において、

「元来法律は葬倫道徳を基礎にすべきものと云う理論は高

尚なものと信じていたが、私共の学んだ頃は此道徳主義で

なく、全く形式法学、権利義務主義の法律であった。英圏

にも道徳を基礎にした学者がないでもない。ブラックスト

ンの如きこれである。然し此の派も形式法、権義派に庄せ

られた。私も法学部に入り、道徳主義をもう教へるかもう

教へるかと思っているうちに済んでしまって失望した。今

の役人は皆これで養成されたから、政治が出来ないのは当

然である。若し中に正しい考をもち、正しい政治をする者

があるなら、これは学校で学んだのではない」つ一二|二三

行政官養成における法優位主義の含意

頁〉と述べているが、平沼自身の生涯に照らしてみるとき、

この言葉は「形式法、権義派」のもつ「道徳」的性格を逆

説的に表現するものとして、興味深い。

なお、スポールディ

γグの立場を推しすすめていくと、

同一性な

ρし互換性を無条件に推断しえぬ第三の理由とし

て、「下からの統治」(問。耳目包

g岬号

ogg-D耳)すなわちい

わゆる票議制の問題が登場してくる

(ω司E5品-。℃・

24

3・ωNoiωMM・)。いうまでもなく、「決定権も指導的地位も

有しない末端の事務官」が起案者として行動するこの制度

のもとでは、「尚子一隆や試験歴のない中下級官吏」が、「法規

の知識や:::官界感覚は十分であっても、専門の知識はそ

れほど豊富でない」上級官吏を、その「長い経験の所産で

ある実務知識」によって補佐することになる結果、政策決

定にさいして法的技術が果たす役割は、実際上、かなり割

引かれることになる||すくなくとも、割引かれることに

なりうるーーからである(辻、前掲論文ゴけれども、スポ

ールディングの場合と異り、専門技術としての行政と法的

技術との関連を有意的に捉えていこうとする本稿において

は、宙飛議制の問題は||後に触れるように

l1別個のコン

テクストにおいて取上げられることになろう。つまり、そ

こには、官吏団内部の機能的H身分的分化と、その理由づ

け、つまり命令権の正当化の問題が含まれているように思

われるのである||え・当。一rpa-nF同・・同yg?l吋ON・

(刊悶

)ω司自庄日間・

CMM-nFf司・一コ・(吋曲目込町-U〉・

北法20(2・55)179

Page 10: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

業}

(旧)与三

--nr名-

M

一(同,

ZEmr巾

同閉山

EE5a)・もっとも、

こうした人的一体性から、直ちに帝園大学出身者の「有利」

を推論することはできないという見方も成立つ。たとえば、

帝岡大学教授兼高等試験委員・穂積重遠は、「岡家試験座

談会」において、次のように弁明している。「私が何もそ

れを弁解する筋もないのですが、少くとも私の知って居る

範囲に於ては官学に私すると云う気分は毛頭ないのみなら

ず、寧ろ帝大の諸君に気の毒な位です。帝大で得意になっ

て講義した所は高等試験に出すと云う気がしない。それだ

から帝大で詳しくやらなかった所を選んで試験することに

なる。しかもそれでは叉不公平だからと云うので結局漠然

たる問題となる。先刻誰かの云はれた根抵当の問題なぞ、

大きな問題であるから何時何度出るかわからない。細かい

問題ならばとに角、大きな問題は繰返されても致方ないで

はないでせうか。何せよ我々は非常に沢山の試験をするの

ですから、規帳面な先生はちゃんと帳面に付け置くでせう

けれども、私なぞいつどんな問題を出したか憶えてもいな

いですから、問題を繰返すことにもなります。試験委員と

して特に所謂我が子可愛いから、我が子だけ通るような問

題を出すと云う様なことは、私は絶対にないと言ひたい。

兎に角私は世間で思はれ、諸君がさう考える程の事はない

と信じます。」||『法律時報』、二巻七号、四九頁。

(却)内政史研究会編、『松本学氏談話速記録(上)』、内政史研

究資料第五二・五三・五四・五五集、四頁。

(引)参照、日本評論社編、『日本の法学』、

五ー一五六頁。

(包

)ω窓口55m・0司

-aF・同yω一回・

〈お〉河合栄治郎、『第二学生生活』、において語られた言葉。

なお、河中二講、『現代の官僚制』、一九六六年、第二章を

参照されたい@

(

)

-F325-Egg-、H,Z

Pぇ3PピロLopsmA・

宅-MEIN-印・当・4『

-FRrgo-仏(邑・γ目。

ωE;邑HWSl

og-n開口岬耳目》ユ再ルロ】ω同国ロ・司円百円20ロ-一回目印・〈UFω℃

(お)尾崎、前掲書、三七頁に拠る。

(お)福島正夫、「財産法」、『日本近代法発達史』、鵜飼信成他

編、第一巻(一九五八年)所収、七八|八八頁。

(幻)「銀行・会社への就職者が明治末、とくに第一次大戦後は

激増している。東大では行政官僚になる者のコ一倍である。

実業が彼らを吸収しうるほど発展したということであろ

う。「日本就職史」によれば、明治末年においても、財関本

社のような特殊なところをのぞいては、民間諸会社、が大学

卒を採用することはむずかしく、採用しても使いようがな

くてもてあます状態であったという。実業界が大学卒を恒

常的に採用するようになったのは、一九一七、一八年から

である。官界から引きぬかれた指導者、それまで少しずつ

実業界に入った大学卒が、企業のなかで発言権をましたこ

と、企業の経営および技術に改革と革新の必要が生じたこ

と等がその条件である。一九一九年には、帝国大学の拡張、

一九五

O年、

一五

北法20(2・56)180

Page 11: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

す. 、ノ

)

4(

高専の大学昇格、私立大学の認可を含む、六カ年の高等教育

機関大拡張計画が議会に提案された(原内閣〉。こうして、

大戦直後の一時期官界よりも会社銀行に就職するという風

潮が高まった。一九一九年法学部を卒業して内務省にいっ

た萱場軍蔵は、「実業界へ行く人が派手に見えましてな。

:・役人になるのはなにか少し気が利かないというか、時

の人ではなかったな」といっている。しかし、「結果から

見ると、割合に成績のいい人が〔内務省へ〕行ったのじゃ

ないですか」

!l升味、前掲書、第四巻、一九六八年、一

八五|一八六頁。

(お

)ω-U25口問-

D同M

・E・-同yω

一∞・

(明日)陵渇南全集(西田、植手編)、第一巻、一九六八年、九一

頁。なお、これに続く「行政時言」のなかで、陸は次のよ

うに述べている。「行政機関の国に於ける関係は猶ほ血液

の身体に於けるが如し。国の進歩発育は全く此の機関の死

活如何に因らずんばあらず。放に行政の局に当る者の責は

立法司法の局に当るよりも重きや知るべきなり。行政官を

宰相の私臣と為し、又議会の公僕と為したるは昔時の謬見

なり。今日に至りでは、一省の長官より一村の長に至る迄

皆な国家の公職に居る者、決して之を軽視すべきにあらず。

之を軽視せざると同時に亦た其の人材を精選して之に信任

するの慣例を養はざるべからず。大臣若くは議員にして之

を視ること土偶の如く、任免廃立を忽にすることは最も非

なりと云うべし。党派嫉妬心より故なく濫に俸禄を削り人

行政官養成における法優位主義の合意

. ,

?

員を減ずるが如きは、其の口実とする所の如何に拘らず、行

政の秩序を素乱するものにして国の進歩を害するや甚し。

何となれば行政官の多数は元と熟練経験を要するものにし

て、殆んど一種の技術と為るもの、国の為めには貴重すべ

きの財宝なればなり」(九七頁〉。

スポlルディングの近業同日宮口ωこ品目dEHmymHC5-ω232

忙阿倍出回口町民FDロF

句ユロロwHOロ・一回目吋

は、じつのところ、右の同一性

ないし互換性を確定することを目標として書かれたものではな

「戦前の日本における高等女官試験制度の成り立ちとその背

景、および構造分析を行なったものであり、政治的近代化の表徴

の一つである官僚制の性格を、その面から解明しようと試みた」

本書の拠って立つ基本的立場は、むしろ、日本においては、そも

そも専門技術としての行政と法的技術との間に有意的な関連は存

在しないとするところにある。すなわち、

「:::もっとも論議の

的になっているのは、いったい法学的素養は行政官ないし外交官

にとって必要かつ有効な素養であるかどうかという点である。た

しかに、ホlエンツオルレルンやハプスプルグの支配者達は、そ

れが必要かつ有効な素養であると想定していた。しかし、それは、

彼等をしてそのように想定すベく仕向けるような歴史的条件がヨ

北法20(2・57)181

Page 12: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

ーロツパに本来具わっていたからである(の・】・明日ι号Y2吋rゅ

のロロCロ

gz-吋富岳to口広

H,S55開〉岳旦ロ仲間片岡白神oaSF目当白口弘

]己吋宙開》門出品

gnos-】

SHE-c『

Y向。今日間宮

Dq-出(-83・

3・一NU

lお)。しかるに、日本には、そのような歴史的条件はない。むし

ろ、日本人は右の想定をそのまま鵜呑みにして、その由って来た

る事情およびそこから派生する諸4

の問題について深く思いめぐ

らすということたしなかったように思われる」

11と。

ところで、たしかに日本は、高等文官の試験任用という観念を、

(3〉

ヨーロッパから輸入した。先のシュタインと伊藤のエピソード

は、ストーリーの一端を物語っている。そして、その際、試験任

用の観念と同時に、ヨーロッパにおける任用試験の内容までそっ

くり持ち込んでしまったということは、十分考えられるところで

「政府は明治一九年頃までに各国の官吏試験制度を

相当に研究していたらしく、プロシャ、イギリス、ォ1ストヮァ、

ある。実際、

ベルギー、フランス、アメリカ等の官吏試験に関する法令規剣を

翻訳した各国官吏試験法規類集上中下三巻を明治一九年四月から

五月にかけて内閣より出版」した。そして、明治二

O年の「文官

試験試補及見習規則」には、「プロシャの制度を多分に参酌したと

(4〉

思われる」跡が認められるのである。

けれども、帝国大学法学部の卒業生にたいして任用試験免除の

特権を規定したこの勅令は、その後、死文化していく。それは、

何故か。スポールディ

γグは、その間の事情を次のように説明す

るーl「行政部門の任官試験制には、司法部門におけるような現

6〉

実的要求が乏しかったので、一八八七年に、反薩長派であった谷

干城の上奏を契機として、政略に基づく行政官任用試験勅令(HH

「文官試験試補及見習規則」を指す〉が発布されたにも拘らず、

その後この勅令は死文と化している。勅ATを死文化せしめた現実

というのは、高級の行政ポストの大半は、藩閥側、がたのみとする

帝大卒によって供給され得たことである。帝大卒は、この勅令の

下でも免試特権を有していたから、行政部門に帝大卒以外の需要

がない年度には、官同文試験を実施する必要がなかった(の吉宮R-

SFSι号。一∞句。

LFERE)」(田中時彦氏の書評、「スポ

ールディング著、高等文官試験制度の研究」、

一一一一

O真に拠る)。

つまり、明治二

O年の勅令は、その後における試験任用制度の

礎石をなすものであったけれども、しかし、だからといって、前

者から後者が直接に導かれてきたわけではない。むしろ、後者の

直接的な母胎になったのは、先の免試特権を廃止し、帝国大学法

学部卒業者にたいしても試験を義務づけた「文官任用令」(明治二

六・一

O二三、勅令一八一二号〉であっ勺そして明治二

O年の

勅令からこの勅令に至るまでの聞には、試験任用についての観念

北法20(2・58)182

Page 13: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

iisa--dd 6

4

と制度の屈折が介在していたα

すなわち、「その後行政部門におけ

る任用試験の実施は、藩閥政府と民党議会との対抗関係のなかか

ら生れてきた。しかもそれは高等文官試験制の実施を民党側が要

求したからではなかった。第四帝国議会で、伊藤が、文官費用の

削減を民党側に約束したことに端を発する。その結果として、政

府側は、帝大卒にも試験を適用して、試験合格者の数とその後の

奏任官任周年次とを、必要に応じて統御できる方法を案出せざる

を得なかった。こうして、

一旦死文と化した高文試験勅令が、こ

)

i(

んどは政治的現実の必要に基づいて改めて復活させられるに至る

のである。行政部門においては、免許特権による帝大卒で需要が

充たされる限り、宜同文試験の適用は意味をもたなかったのであ

り、この特権を制限せざるを得ない事情が政府側に生じてはじ

行政官養成における法優位主義の合意

めて、試験制度は息を吹き返したのである〈の宮宮RU・。。

=ω宮。

t師同

吉会邑三乙 pロ

(1)

ぐω

C口ιD ト、コιb w ¥../

田中

前掲書評

一三

Ol二三頁に

このような崩折が介在している限り、「文官任用令」の性格は、

もはや、かつての勅令の如き、たんなる輸入品ではありえない。

むしろ、「当時の社会的背景を考慮しつつ仔締に文官任用令の実体

を眺めると、任用令の制定は決して政府にとり都合の悪いもので

はなく、むしろ政府が自らこれを定めた所以は政党の攻撃にょっ

て縮少させられた行政機構を自己陣営の内部において維持補強

。相手の振りかざす大旗を取って却ってこれを自己防禦の手

段と化するψ

ところにあった」とすれば、それは、その観念にお

いて、すぐれて土着的な性格をもっ。そして、この土着性は翻つ

して試験科目等を含む制度ーーたとえ、その法的表現において、か

つての勅令との聞に高度の同一位が保たれているにしても|!の

性格を作り変え、多かれ少なかれ土着化していくことになる。も

っとも、この点はスポールディ

γグも否定していない。むしろ、

日本における高等文官試験制度の成立は、多分にそれを促すよう

な園内的事情に因るものであるとして、たんなるプロシャ式法制

の模倣をもってその契機なりとする在来の見方は、インディジナ

スな見方ではないと斥けているのである。しかし、そうだとすれ

ば、日本が任用試験の内容として法律系諸科目をえらんだという

ことも、たんに皮相な模倣の結果ではなく、むしろそれを促すよ

うなインディジナスな事情があったからだ、と推定する余地も生

じてくることになろう。

そして、この推定は、

llスボlルディングは看過しているけ

れども

li先の屈折を、他方における教育制度、とくに大学制度

の変質と関連づけて理解するとき、いちだんと強められてくる。

その理由は、次の通りである。もともと、明治二

O年の勅令の特

北法20(2・59)183

Page 14: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

業ト

色を構成する免試特権は、その前年に制定された帝園大学令(明

治一九・三・一、勅令三号〉と関連づけて把握されなければなら

ない。周知の如く、この勅令はそれまでの東京大学を帝園大学に

改組したもので、その第一条において、帝園大学は「園家ノ須要

-一応スル学術技芸」の教授と研究を目的とするものであることが

定められている。そして、この目的を実現するために、その第六

条で、総長は「文部大臣ノ命ヲ承ケ帝聞大学ヲ統鰐」するものと

され、このような役割を担う者として、具体的には、それまで東

京府知事であった渡辺洪基が補任されたのであった。つまり、政

府によるこのような保護・統制と、その見返りとして期待される

大学側の「忠誠」

l帝園大学の卒業生に賦与された免試特権は、

このような状況を前提として、はじめてその合意が明らかになる

のである。

ところが、その後、こうした政府による統制に反携して、大学

側から「自治」の要求が出されてくる。たとえば、明治一一一一年、

文相森有礼の暗殺を機に提出された「帝園大学独立案私考」||

これは、帝園大学を皇室に直結させ、そのことを通じて政府の統

制を結果的に排除しようとするもので、外山正一等当時の指導的

教官六名が連署していた1ーはその一例に過ぎないのこうした動

きにたいして、政府は譲歩を余儀なくされ、明治二五年には「帝閤

大学令」を改正して、評議会の構成員である評議員の選出方法を、

それまでの文部大臣の「特選」から、教授の互選に基づく文部大

臣の「任命」へと切替えるに至った。そして、翌二六年には、再

び「帝閣大学令」を改正して、あらたに教授会に審議権を賦与す

るとともに、講座制を設けて大学行政を一般行政から区別するに

至ったのである。なお、その際、総長が法科大学長を兼ねる制度

を廃止し、法科大学にたいして或る程度の独立性が認められるに

至ったことも、注目してよい変化であろう。

ところで、このように政府による統制が緩和されることになる

と、それに応じて、帝国大学の卒業生に賦与されていた特権の方

も、当然制限を蒙ることになろう。いうまでもなく、この特権は

統制の存在を前提とし、いわばそれと抱合わせの形で与えられて

いたものだからである。しかし、そうだとすると、「文官任用令」

で免試特権が廃止されたのは、ひとつには、帝園大学自体の側に

おける変質、つまりその相対的自律化という事情に由因するもの

であったことになろう。言い換えれば、民党からの攻撃をきっか

けに起ってきた人事行政整備の要求とならんで、ここには、いま

ひとつ「文官任用令」の成立を促すインディジナスな事情が伏在

していたことになるのである。

きて、このようなわけで、高等文官試験制度の成立は、かなり

北法20(2・60)184

Page 15: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

lI1

a

の程度まで土着性をもっていることが明らかにされた。とすれば、

その限度において、法律系諸科目が任用試験科目にえらばれたこ

とについても、ヨーロッパの制度の無批判的な模倣という説明に

解消し尽くされぬ、それなりの有意的な根拠があると推定する途

が開かれることになろう。言い換えれば、スポールディングの否

定的見解にもかかわらず、ヨーロッパにおいて専門技術としての

行政と法的技術の同一化ないし互換を可能にした「歴史的条件」

は、程度の差こそあれ、ここ日本においても等しく存在していた

)

宅A(

と推定することが意味をもってくるのである。では、この「歴史

的条件」とはいったい何か。任用試験において、法律系諸科目が

強調される有意的な根拠は、いったいどこにあるのか。これに対

行政官養成における法優位主義の合意

する答は、おそらく、

「ジェネラリスト」と「スペシャリスト」

という官吏団内部の機能的リ身分的分化と、その理由づけのうち

に見出される。一般に法規による禁縛が、法的技術を身に着けて

いる上級官吏U

「ジェネラリスト」におけるよりも、それを身に

着けていない中下級官吏U「スペシャリスト」においてより著し

(日〕

いことは、既に汎く知られているところなのである。つまり、こ

の場合、法的技術は右の機能的H身分的分化|!これ自体は、ヨ

ーロッパにも、戦前の日本にも見られる遍在的な現象である||

を理由づけ、そのこと合通じて、官吏団の一体的な統制活動を可

4

(M)

能にするという役割を演じているように忠われるのである。そし

〔日)

て、スポールディングもこの事実には相応の注意を払っている。

つまり、この視点から、彼の業績を再構成してみるととも十分可

能なのである。以下、稿を改めて、この問題と取組むことにした

L 、。(1〉田中時彦、「スポールディング著、高等文官試験制度の

研究11

『明治・大正・昭和における日本近代化の研究』(「日

本近代化連絡会議編」)、一九六八年、一二七頁。なお、田

中氏も言うように、「本書の特色は非常な労力を費して関

連諸文献を渉猟していることである。とくに、勅令、法令、

およびこれらの草案の類いを丹念に分析し、それらを高文

試験制度の治革のなかに位置づけるとともに、その政治的

意味と背景とを明らかにしようとつとめている。さらに、

高文試験の構造の変容を、その都度、図式を併用して説明

し、関連する諸問題をも能う限り数字化されたデータに基

づいて分析し、処理するなど、明快な論述である」。

(2)ω同恒三島口問。目

ynF-司・

ω一∞-

(3)

もっとも、養老律令のもとで、中国の例に倣い、文官の試

験任用の制度が設けられたことがあるが、この制度は、間も

なく、事実上死滅してしまった

lz・・28H(吋E}

oh同

ZのF52伶

ω325)。

(4)

和田、前掲論文(二)、『試験研究』、

一二号、五二一貝。

北法20(2・61)185

Page 16: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

(5)

帝園大学法学部卒業生に免試特権が与えられたのは、第

一に、学内試験の万が、任用試験よりも厳しく、その結果

がよりリライアプルであり、したがって、それを通過して

きた者に改めて任用試験を施す必要はない、と考えられて

いたからである。たとえば、当時、総理大臣から帝困大学

総長に宛てて、次のような訓令が発せられている。「卒業

試験評点平均八五点以上は年俸六

OO円、七五点以上八五

点迄五五

O円、六五点以上七五点迄は五

OO円、落第点以

上六五点までは四五

O円の年俸を給す」||和田、前掲論

文(二)、『試験研究』一一一号、に拠る。また、第二の理由と

して、帝同大学卒業者は、私立大学卒業者に比べて、政府

にたいしより強い「忠誠」心をもっていると推定されてい

たことである。明治二

O年に「困家学会」が創設されたの

は、伊藤博文のイニシャティヴに基づくものであったとい

う事実、更にはまた、後年、伊藤が「皇室典範義解」およ

び「大日本帝岡憲法義録」の稿本と、その著作権とを「園

家学

APEに寄贈したという事実は、象徴的である|i利谷、

前掲論文合一)、一

O八頁。

(6)

司法部門における試験任用制度の成立について、田中氏

は、スポiルディングの説くところを次のように要約して

いる。「官僚の能力に対する需要を充たすルlトとして、

在来慣行としての情実任官制が行政部門では、まだその意

義をそれほど疑われなかった時期に、メリット・システム

の任官制が、どの部門からなにゆえ採用されるようになっ

たか。本書はそれが司法部円であったことを明らかにしよ

うとする。一般的にいって列強の圧力の下で条約改正のや

み難い必要感を抱いた明治政府が、西洋式制度の導入を不

可避と考えたことは周知の事実である。その現象が司法部

門においていち早く、しかもとくに強く現われた理由は主

としてこっ考えられる。一つは、列国側が、わが国におけ

る司法制度の整備なしには領事裁判権を放棄するわけには

いかないとの態度を示したこと、および公的諸部門で彼我

利害抗争の重要な技術的解決手段となったのは訴訟であっ

て、西洋式訴訟制度のテクニックを習得することなしに国

民的利益は守れなかったこと、以上である」(前掲書評、一

二八l一一一九頁)。

(7)

「文官任用令」の内容は、次の通りである。

L

第一条奏任文官ρ

別ニ任用ノ規程ヲ叡Fルモノノ外左ノ

資格ノ一ヲ有久ル者ノ中ヨリ之ヲ任用ス

一文官高等試験ヲ経テ其ノ合格証書ヲ有スル者

二満三年以上高等文官ノ職ニ在リタル者但特別任用ノ

規程エ依リ在職シタル者並-一教官技術官ノ在職年数ヲ

除グ

三満三年以上判事検事ノ職ニ在ル者及在リタル者

第二条判任文官ハ別ニ任用ノ規程ヲ設グルモノノ外左ノ

資格ノ一ヲ有スル者ノ中ヨリ之ヲ任用ス

一文官普通試験ヲ経テ其ノ合格証書ヲ有スル者

二文官高等試験ヲ経テ其ノ合格証書ヲ有スル者

北法20(2・62)186

Page 17: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

)

-(

行政官養成における法優位主義の合意

A1S

1Le

駒そ

三官立公立尋常中学校叉ハ文部大臣ユ於テ之ト同等以

上ト認メタル官立公立学校ノ卒業証書ヲ有スル者

四高等商業学校旧附属主計学校及旧主計専修科ノ卒業

証書ヲ有スル者並-一文部大臣ノ認可ヲ経タル学則ニ依

リ法律学政治学叉ハ経済学ヲ教授スル私立学校-一於テ

本令施行前ニ卒業証書ヲ得タル者

五満三年以上女官ノ職-一在リタル者但特別任用ノ規程

ニ依リ在職シタル者並ニ教官技術官ノ在職年数ヲ除グ

第三条教官及技術官ハ別ニ任用ノ規程ヲ設タルモノノ外

奏任官ニ在リテハ文官高等試験委員、判任官-一在リテハ

文官普通試験委員ノ鈴衡ヲ経テ之ヲ任用ス

第四条特別ノ学術技芸ヲ要スル行政宮ハ別ニ一試験ヲ用牛

ス奏任官-一在リテハ女官高等試験委員、判任官-一在リテ

ハ文官普通試験委員ノ錐衡ヲ経テ教官技術官ノ中若クハ

試験委員-一於テ教官技術宮タルノ資格アリト認ムル者ノ

中ヨリ之ヲ任用スルコトヲ得

第五条満五年以上一麗一員トシテ同一官庁エ勤続シタル者ハ

文官普通試験委員ノ鐙衡ヲ経テ直ニ其ノ官庁ノ判任文官

ニ任用スルコトヲ得

第六条本令第三条、第四条及第五条英ノ他特別ノ規程-一

依リ任用セラレタル者ハ文官試験ヲ経ルユアラサレハ其

/各条叉ハ其ノ規定-一指定シタル以外ノ文官一一任用スル

コトヲ得ス

第七条文官任用及錐衡-一関スル細則ハ閣令ヲ以テ之ヲ定

第八条本令ハ明治二十六年十一月十日ヨリ施行ス

また、この「文官任用令」と同時に制定された「女官試

験規則」(明治二六・一

0・三一、勅令一九七号)の内容

は、次の通りである。

第一条文官試験ハ別ユ規程ヲ設クルモノノ外本令ニ依リ

之ヲ行フ

第二条文官試験ヲ分チテ文官高等試験及文官普通静岡験ノ

二種トス

第三条文官試験ヲ行フへキ期日及場所ハ予メ官報ヲ以テ

之ヲ公告シ、東京以外ノ地-一於テ行フ試験-一在リテハ例

其ノ地方ノ新聞紙一種以上ニ公告スへシ

第四条年齢満二十年以上ノ男子ニシテ左ノ諸項ノ一ニ該

当セサル者ハ文官試験ヲ受タルコトヲ得

一重罪ヲ犯シタル者但問事犯ニジテ復権シタル者ハ此

ノ限-一アラス

二定役ユ服スへキ軽罪ヲ犯シタル者

三破産若タハ家資分散ノ宣告ヲ受ケ復権セサル者又ハ

身代限ノ処分ヲ受ケ債務ノ弁償ヲ終ヘサル者

第五条文官試験ヲ受ケテ合格ジタル者ニハ合格証書ヲ付

与ス

第六条

不正ノ方法-一因り試験ヲ受ケント企テタル者及試

北法20(2・63)187

Page 18: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

料資

験ニ関スル規程-一違背シタル者ハ其ノ期ノ試験ヲ受タル

コトヲ得ス試験合格証書ヲ受領シタル後是等ノ事実発覚

シタルトキハ其ノ合格-証書ヲ無効トス

第七条文官試験ヲ出願スル者ニハ手数料トシテ高等試験

-一在リテハ金十円、普通試験ニ在リテハ金二円ヲ納メジ

第二章文官高等試験

第八条文宮高等試験ハ毎年一回東京-一於テ女官高等試験

委員之ヲ行フ

第九条文官高等試験ヲ分チテ予備試験及本試験トス予備

試験-一合格シタル者ニア一フサレハ本試験ヲ受クルコトヲ

得ス

第十条予備試験ハ受験人尋常中学校以上ノ官立公立学校

ヲ卒業シ又ハ之ト同等以上ノ学力ヲ有スル者ニシテ本試

験ヲ受クルニ相当ナル学科ヲ修メタル者ト認ムヘキヤ否

ヲ考試スルヲ以テ目的トス

第十一条予備試験ハ論文試験並-一論文-一関聯スル口述試

験及迅速作文試験ノニ次トス口述試験及迅速作文試験ハ

論文試験エ合格シタル者エ就キ之ヲ行ア

前項ノ口述試験及迅速作文試験ハ試験委員ニ於テ便宜

其ノ一ヲ省略スルコトヲ得

第十二条帝園大学法科大学、旧東京大学法学部、文学部

及旧司法省法学校正則部ノ卒業証書ヲ有スル者ハ予備試

験ヲ免ス

第十三条本試験ハ受験入学理上ノ原則及現行法令ニ通暁

シ並ニ其ノ修得シタル学術ヲ実務-一応用スルノ能力アル

ヤ否ヲ考試スルヲ以テ目的トス

第十四条本試験ハ左ノ科目ヲ用ヰテ之ヲ行フ

以上ノ科目ハ試験ノ際選択取捨スルコトヲ得ス

三刑事訴訟法

四民事訴訟法

以上ノ科目ハ受験者ヲシテ其ノ中エ就キ予メ一科目ヲ

選択セシメ之ヲ試験ス

第十五条本試験ハ分チテ筆記試験及口述試験トス

筆記試験-一合格ジタル者ニアラサレハ口述試験ヲ受クル

コトヲ得ス

第十六条予備試験及本試験ノ合格者ヲ定ムル方法ハ試験

委員ノ議定スル所-一依ル

第十七条文官高等試験-一関スル細則ハ閑令ヲ以テ之ヲ定

北法20(2・64)188

Page 19: 行政官養成における法優位主義の含意 - HUSCAP...刑事訴訟法、民事訴訟法、商法、国際法、財政学の諸科目が選択いたのは、憲法、行政法、民法、経済学の諸科目。他に、刑法、験及び司法官試験を除く〉の筆記試験において必須科目とされて一九二九年から一九四一年までの

" 4

1行政官養成における法優位主義の合意 (1)

第三章文官普通試験

第十八条文官普通試験ハ各官庁ノ須要-一応シ其ノ庁ノ文

官普通試験委員之ヲ行フ

第十九条文官普通試験ノ科目ハ尋常中学校ノ科程ヲ標準

トシ各官庁所掌ノ事務ヲ劃酌シテ文官普通試験委員之ヲ

定メ文官高等試験委員ノ承認ヲ経ヘシ

第二十条文官普通試験-一関スル細則ハ女官普通試験委員

之ヲ定メ文官高等試験委員ニ報告スヘシ

第二十一条本会ハ明治二十七年一月一日ヨリ施行ス

(8)なお、この間の屈折を、民党の側から記述したものとし

て、升味、前掲書、第二巻、第五章がある。

(9〉和田、前掲論文、『試験研究』、一一一一号、五六頁。

(叩〉

ω宮己島口問-

D司・

2f司・印自仏

ωOR-

(什)利谷、前掲論文、一

O八|一一

O頁。

(ロ)向論文、一一一頁。

(日〉末弘厳太郎は、『役人学一一一則』(日本評論社二九五五年)

のなかで、その点を次のように論じている。「法規を盾に

とって理屈をいう技術と法律学とは別物である。法律学の

ような高尚な学問を研究せずとも法規に精通して形式的の

理屈をいい有無をいわせず相手の議論を撃破したり要求を

しりぞける技術を修得する必要がある。世の中では、とか

く法科万能のなんのといって、いかにも法律的知識ないし

技術を蔑視するようなことをいうけれども、いやしくも役

人として出世しようとするかぎり、法規を盾にとる術に熟

達することを要する。諸君は試みにお役所をたずねてみる

がいい。法科出身ならざる役人といえども、いやしくも有

能なる役人であるかぎり、すべてきわめてたくみに法規を

あやつる術を心得ているのを発見するであろう。われわれ

法律家の白からみるとこれら技術出の役人の法律論はもっ

とも法律学から速いものであるのだが、役人仲間ではああ

した法律論がもっとも役に立つので、いやしくも役人とし

て出世せんとする以上、すべてその術を修得せねばならな

い」(六頁〉。

QV

円四・

2EBEEgg-吋

rg日旨

33ω-Z口問ωSSE-

nzp-U8・3・∞

-lg・

(日)ω宮ロ-島口問・

0司-nFF-宅・

5ωl-2・

ゴt法20(2・前)189