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- M 25 - 長野県工技センター研報 論文 No.2,p.M25-M30(2007) 歩行時の足裏圧力分布測定による MTシステムを用いた個人識別の検討 * ** ** *** **** ***** ****** 宮嶋隆司 滝沢龍一 野川和幸 守谷 永岡正敬 久根下直樹 Personal Identification using MT System by Mesurement of Foot Bottom Pressure Distribution when Walking Takashi MIYAJIMA, Ryuichi TAKIZAWA, Kazuyuki NOGAWA, Satoshi MORIYA, Masataka NAGAOKA and Naoki KUNESHITA 品質工学におけるMTシステムという方法を用いて,圧力センサマット上を歩行する人の足裏圧力 分布計測から,歩行する個人を識別する試みを行った。スリッパを履いて歩行する 人について,足 11 裏面積の時間変化波形における微積分特性を項目としたMT法により識別を行みた。2名を識別対象 者とし,識別対象者を含めた識別においては,1人が %,もう1人が約 %の識別率であった。本 100 70 研究は,長野県品質工学研究会における実験研究活動の一つである。 キーワード:品質工学,MTシステム,MT法,個人識別 品質工学とはタグチメソッドとも呼ばれ,田口玄一 博士がほぼ独力で半世紀を掛けて構築し,体系化された 品質技術論である 「品質とは出荷後の機能のばらつき 1) による損失である」という品質に対する独自の考え方を 持ち,その中身はきわめて多岐にわたるが,基本的には 数理科学に立脚した客観的方法論である 。 1) 品質工学では,テストピースによりシステムの機能 性を能率良く評価する 「パラメータ設計」 を提唱し 2) ている。ユーザーの様々な使用条件で不具合を起こさな い製品を,早く安く作るための方法論である。しかし, 工学における様々な現象や自然界の現象(地震や水害な ど)は設計することができないので,それぞれのパター ンを認識し予測する情報システムの設計が必要となる。 その答がMTシステムであり,MTシステムは,欠陥や 不良の検出,画像の認識,人の顔や音の判別 ,人間の 3) 健康診断,災害の予知や不動産価格の予測など,あらゆ る分野で研究されている。 長野県品質工学研究会は,品質工学に関する知識と技 術の向上をはかり,その普及と情報交換を推進し,産業 の発展に寄与することを目的として,県内企業約 15 に所属するメンバーにより構成されている。長野県工業 技術総合センター精密・電子部門(岡谷市)が事務局と なり,会員の自主性に基づいた活発な活動が行われてい る。同研究会の共通テーマ活動の一つとして,MTシス テムによる個人識別の実験研究を行った。これは圧力セ ンサマット上に乗った人の足裏圧力分布計測から,乗っ た個人を識別しようとするものである。平成 年度に 17 は静止状態で乗った人の識別を試み ,平成 年度は 4) 18 歩行する人を対象とした識別実験を行った。本報では, 平成 年度に行った実験研究について,全体の概要と 18 MT法による識別結果について報告する。 MTシステム インドの統計学者マハラノビス氏と田口玄一氏の頭文 字から名付けられたMTシステムは,パターンを認識す る情報システムの技術 で MT法 MTA法 TS法 5) T法の4つの方法からなる。性能上の特徴や適用する対 象分野などにより4方法が使い分けられるが ここでは 最も初期に提案されたMT法の手順と考え方について簡 単に解説する。 MT法は,マハラノビス距離という指標を用いてパタ ーン認識を行う このときのパターンを 複数の特性 間の相関関係 と捉える 多くのデータを総合して パターンを認識するためのひとつの「物差し」をつくる が,その「物差し」の値がマハラノビス距離である。 例えば,測定した未知の足裏圧力分布データから,あ 長野県品質工学研究会における活動事例 * 設計支援部 ** 新光電気工業(株) *** KOA(株) **** 日置電機(株) ***** 富士電機デバイステクノロジー(株) ******

歩行時の足裏圧力分布測定による MTシステムを用いた個人識別 ... · 2019-08-27 · 不良の検出,画像の認識,人の顔 ... テムによる個人識別の実験研究を行った。これは圧力セ

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長野県工技センター研報論文

No.2,p.M25-M30(2007)

歩行時の足裏圧力分布測定によるMTシステムを用いた個人識別の検討*

** ** *** **** ***** ******宮嶋隆司 滝沢龍一 野川和幸 守谷 敏 永岡正敬 久根下直樹

Personal Identification using MT Systemby Mesurement of Foot Bottom Pressure Distribution when Walking

Takashi MIYAJIMA, Ryuichi TAKIZAWA, Kazuyuki NOGAWA, Satoshi MORIYA, Masataka NAGAOKA and Naoki KUNESHITA

品質工学におけるMTシステムという方法を用いて,圧力センサマット上を歩行する人の足裏圧力

分布計測から,歩行する個人を識別する試みを行った。スリッパを履いて歩行する 人について,足11裏面積の時間変化波形における微積分特性を項目としたMT法により識別を行みた。2名を識別対象

者とし,識別対象者を含めた識別においては,1人が %,もう1人が約 %の識別率であった。本100 70研究は,長野県品質工学研究会における実験研究活動の一つである。

キーワード:品質工学,MTシステム,MT法,個人識別

1 緒 言

品質工学とはタグチメソッドとも呼ばれ,田口玄一

博士がほぼ独力で半世紀を掛けて構築し,体系化された

品質技術論である 「品質とは出荷後の機能のばらつき1)。

による損失である」という品質に対する独自の考え方を

持ち,その中身はきわめて多岐にわたるが,基本的には

数理科学に立脚した客観的方法論である 。1)

品質工学では,テストピースによりシステムの機能

性を能率良く評価する 「パラメータ設計」 を提唱し, 2)

ている。ユーザーの様々な使用条件で不具合を起こさな

い製品を,早く安く作るための方法論である。しかし,

工学における様々な現象や自然界の現象(地震や水害な

ど)は設計することができないので,それぞれのパター

ンを認識し予測する情報システムの設計が必要となる。

その答がMTシステムであり,MTシステムは,欠陥や

不良の検出,画像の認識,人の顔や音の判別 ,人間の3)

健康診断,災害の予知や不動産価格の予測など,あらゆ

る分野で研究されている。

長野県品質工学研究会は,品質工学に関する知識と技

術の向上をはかり,その普及と情報交換を推進し,産業

の発展に寄与することを目的として,県内企業約 社15に所属するメンバーにより構成されている。長野県工業

技術総合センター精密・電子部門(岡谷市)が事務局と

なり,会員の自主性に基づいた活発な活動が行われてい

る。同研究会の共通テーマ活動の一つとして,MTシス

テムによる個人識別の実験研究を行った。これは圧力セ

ンサマット上に乗った人の足裏圧力分布計測から,乗っ

た個人を識別しようとするものである。平成 年度に17は静止状態で乗った人の識別を試み ,平成 年度は4) 18歩行する人を対象とした識別実験を行った。本報では,

平成 年度に行った実験研究について,全体の概要と18MT法による識別結果について報告する。

2 MTシステム

インドの統計学者マハラノビス氏と田口玄一氏の頭文

字から名付けられたMTシステムは,パターンを認識す

, , , ,る情報システムの技術 で MT法 MTA法 TS法5)

T法の4つの方法からなる。性能上の特徴や適用する対

, ,象分野などにより4方法が使い分けられるが ここでは

最も初期に提案されたMT法の手順と考え方について簡

単に解説する。

MT法は,マハラノビス距離という指標を用いてパタ

ーン認識を行う このときのパターンを 複数の特性 項。 「 (

) 」 。 ,目 間の相関関係 と捉える 多くのデータを総合して

パターンを認識するためのひとつの「物差し」をつくる

が,その「物差し」の値がマハラノビス距離である。

例えば,測定した未知の足裏圧力分布データから,あ

長野県品質工学研究会における活動事例*設計支援部**新光電気工業(株)***KOA(株)****日置電機(株)*****富士電機デバイステクノロジー(株)******

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るA氏か否か(A氏のパターンかどうか)を識別するこ

とを考える。MT法では,まず,事前に計測されたいく

つかのA氏のデータから A氏識別用の物差し として,「 」

のマハラノビス距離の計算式をつくる。この「A氏識別

用の物差し」は,すべての項目間を対象に,A氏の相関

関係と一致するほど小さく,一致しない場合に大きくな

るものであり,A氏のデータなら値 付近になり,A1.0氏以外なら,違っている人ほど大きな値になる。

解りやすいように静止状態で片足で立った圧力分布デ

ータについて考える時,例えば,足裏の大きさと体重に

相当する総圧力という2つの項目だけを考えた場合のマ

ハラノビス距離のイメージを図1に示す。複数のデータ

, ,計測を行い それぞれの項目の平均値を取る点をゼロ点

標準偏差の値となる点を と定義し,その座標におけ1.0る,データのバラツキによる項目間の相関関係をA氏の

パターンと捉える。なお,この物差し用の計測データ群

を単位空間と呼ぶ。図1において識別対象の3氏のデー

タを考える。このとき,X氏とY氏のデータのA氏のゼ

ロ点との距離は,図のスケール上では同じだが,相関関

係との一致の程度が考慮されることにより,マハラノビ

ス距離は異なる値となる。A氏の相関関係との一致の程

度が低いX氏の値は,Y氏に比べて大きな値となりZ氏

も同様となる。この例では,未知の3氏の値から,Y氏

がA氏であると判断される。

一般には,多くの項目を対象として,そのすべての組

合せの2項目間についての相関関係を考慮する。また,

単位空間用の計測データ数は,項目数より多いことが基

本とされ,できるだけ多くの計測をすることが推奨され

ている MT法では 作成したこの物差しの良さ 精6),7)。 , (

度)を,直交表や品質工学のSN比という指標を用いて

評価し,より良い物差しを見つける。

このようにMT法は多次元空間に1つの尺度を入れる

手法のこととされ ,均一な性質の集団である単位空間8)

を規定し,調べたい対象は群を形成する必要はなく,一

つでも二つでも良い。単位空間の概念の導入,SN比に

よる評価などが,複数群間の判別を行う従来の多変量解

析における判別分析と異なる点 とされている。7)

図1 マハラノビス距離のイメージ図

X氏

Y氏

Z氏ゼロ点

1-1 0

-1

0.9

足裏の大きさ

総圧力

8.2

27.3

A氏のデータ群(単位空間)

3 実験の概要

3.1 実験の目的

実験研究としての本研究の大きな目的は,参加メンバ

ー個々の技術力向上のためのMTシステムの性能検証及

び関連ノウハウや知見の獲得にある。識別システムとし

て考えた場合には,履き物や歩幅の違いなど,あらゆる

歩行条件においても特定個人を確実に識別できるシステ

。 ,ムの構築が理想となる 識別のための基本手法としては

各種の特徴量によるパターンマッチングやニューラルネ

ットワークの活用など様々な方法によるアプローチが考

えられるが,前述の目的に沿って,MTシステムによる

アプローチを前提とした。波形からの特徴量としてMT

( )システムでよく用いられる微積分特性 変化量と存在量

の扱いと適用ノウハウの獲得や,本報告では触れない9)

がMTシステムにおけるMT法とT法の違いの確認など

も目的とした。

3.2 実験の方法

座る・寝る・立つ・歩く時の体圧分布を測定するため

の装置 が市販されている。本実験では,当工業技術総10)

合センター材料技術部門に設備されているニッタ(株)製

を用い, × のセンBIG-MAT VIRTUAL 440mm 1440mmサマット上を被験者に歩行してもらい,時間と共に変化

10mmする圧力分布を計測した センシングポイントは。 ,

ピッチの 点で,サンプリング速度は であ6336 10msecる。本装置は,荷重中心点(重心)の計算及びその軌跡

表示も可能である。被験者にはセンサマット前後も歩行

をしてもらい,なるべく自然な歩行状態を計測できるよ

うにした。被験者の歩幅により違うが,本センサマット

の長さは,2歩あるいは3歩分の計測が行える長さであ

。 , 。る 計測時の様子を図2に 計測データ例を図3に示す

図3は,歩幅の近い3人のスリッパを履いた歩行の計測

, , ,データの一部で 図の左から右へ歩行した際の 1歩目

2歩目,3歩目付近の計測画面を示している。

当センターの職員 名を被験者とし 「靴 「サンダ11 , 」,

ル スリッパ 靴下 の履き物で 各履き物に付き3」,「 」,「 」 ,

~5回の計測を行った。 人のうちの2名(A氏,B11

図2 データ計測時の様子

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) , 「 」,氏 については スリッパを履いて 上を向いた歩行

「前に腕組みをした歩行 「後に腕組みをした歩行 ,」, 」

「 の重りを持った歩行」の4条件も加え,各条件10kgについて5回計測をした。

3.3 特徴量の検討

MTシステムの対象とする特徴量について,幾つかの

候補について検討を行った。取り上げた特徴量は,圧力

分布の時間変化である 計測データそのもの 重心位置「 」,「

」,「 」 。の時間変化と軌跡 足裏面積の時間変化 などである

「計測データそのもの」は,識別のためのすべての情報

を含む反面,扱うデータ量は非常に多くなる。この計測

データそのものを対象とする場合は,サンプルポイント

点の圧力の大きさを各画素における濃度に置き換えた画

像処理的なアプローチが必要と思われる。この場合,扱

う項目数が非常に多くなることが予想され,その対処の

ためのマルチMT法という方法の検討なども必要と思わ

れた。

次に 重心位置の時間変化と軌跡 の場合 対象とな,「 」 ,

るデータ量が大幅に少なくなり扱いは容易となる。歩幅

や歩数の検出も比較的簡便にできると思われ,また,方

向成分への分離や,速度変化や加速度変化などの計算に

より,個人の歩行の特徴が現れる可能性も高いと思われ

た。計測した重心位置の軌跡データの例を図4に示す。

3番目の「足裏面積の時間変化」とは,各サンプリン

グ時刻における荷重を検出したセンサポイント数の変化

である。扱うデータ量は少ないが,荷重の値は用いてお

らず,また足裏の接地形状の違いも考慮されない。圧力

の情報が無いことで識別が難しくなる反面,識別が可能

であれば, センサのみでのシステム構築が可能ON/OFFであることも示される。足裏面積の時間変化波形の例を

図5に示す。

本研究では,方向成分に分離した重心位置の時間変化

と,足裏面積の時間変化を対象に識別を試みたが,本報

図3 計測画面例(3人が左から右へ歩行)

図4 荷重重心点の軌跡表示例

では,後者について報告する。

3.4 波形の微積分特性

時間の変化とともに計測値である足裏面積が変化して

いく波形から,さらに2つの特徴量を抽出する。その特

徴量とは,ある基準の計測値を波形が横切る数を数えた

「変化量」と,同じくその基準の値よりも計測値が大き

くなる時間の総和を波形の総時間で割った「存在量」で

ある。前述したように,本方法は,波形からの特徴量と

してMTシステムでよく用いられる方法である。

基準とする計測値の値は,最大波高値やあらかじめ定

めた値を任意の数で均等分割するなどして定める。図6

に均等5分割による変化量と存在量の算出イメージを示

すが,図中の基準値 では,変化量6,存在量 と90 0.75なる。それぞれの基準値毎に2つの値が決まるので,こ

の例では,基準値0の場合を除くと, 個の基準値につ5いてそれぞれ2個,合計 個の値が得られることにな10る。図からも明らかなように,基準値を決める分割数が

多ければ多いほど,波形の微小な凹凸情報が特徴量に反

映されることになる。また,均等分割の元になる波高値

を,それぞれの波形毎にその最大波高値を採用する規格

化した方法か,あるいは,各波形について共通した特定

の一定値で扱う方法かによって,求まる特徴量の意味す

る情報が異なってくる。さらに,存在量の分母になる総

時間についても,今回のような波形では規格化が可能で

あり,同じように規格化の有無での違いが起きる。図6

, , 。は 時間軸は規格化し 面積軸は規格化しない例である

3.5 MT法による識別実験

, 「 」 「 」MT法による識別では 前述の 変化量 と 存在量

をマハラノビス距離算出のための項目とした。マハラノ

ビス距離の計算には,アングルトライ㈱製 を用ATMTSいた。識別対象者の計測データを単位空間としてマハラ

図5 足裏面積の時間変化波形例

図6 波形の微積分特性

0

25

50

75

100

125

0 50 100 150 200

時 間  [×msec]

足裏

面積

 [ポ

イン

ト数

]

0

30

60

90

120

150

0 50 100 150 200

時 間  [×msec]

足裏

面積

 [ポ

イン

ト数

]

0

30

60

90

120

150

0 50 100 150 200

時 間  [×msec]

足裏

面積

 [ポ

イン

ト数

]

(変化量)

の数

(変化量)

の数

(存在量)

と の長さ比と の長さ比

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ノビス距離の計算式を定義し,対象者と他者との値を比

較することで,識別が可能かどうかを評価した。

MT法は,データのバラツキによる項目間の相関関係

を識別対象者のパターンと捉えることから,全くバラツ

キの無いデータでは,計算式そのものが成り立たないこ

ともあり識別ができない。バラツキを利用し,バラツキ

により変動するデータ群から対象者のパターンを見い出

していく事に特徴があり,バラツキに強いパターン認識

手法である。被験者の履き物について,履き物による圧

力分布パターンの違いをそのバラツキとして識別できる

のが理想であった。しかし,各個人所有の様々な履き物

による今回の測定では,予備実験の結果,足裏面積変化

波形を特徴量としたMT法では識別が困難であった。そ

こで,ここでは,各人が同じ「スリッパ」を履いて歩行

した場合に限定してMT法による識別を試みた結果につ

いて報告する。

4 実験の結果と考察

. ( )4 1 対象者以外の識別結果 分割数と規格化の影響

本実験では,識別する対象者をA氏とB氏の2名とし

た。スリッパを履いた状態での計測データは,前述した

ように両氏が5条件で5回測定した各 データ,他の925人分が データ,合計で データとなる。まず,識別対31 81象者の データを単位空間としてマハラノビス距離の計25算式を作り,残りの 人分の データについて,対象者10 56と区別ができるかを確認した。このとき,微積分特性に

よる特徴量抽出における分割数を変化させると共に,波

形の時間軸の規格化を行うか否かによる影響も調べた。

対象とした計測データの内,識別対象者の両氏の波形の

一つと,それに似ている別の者の波形例を図7に示す。

なお,面積軸の規格化については,予備実験の結果,規

格化しない一定値とした方が識別能力が高いことが確認

された。そこで,面積軸については,対象とする計測デ

ータの内最も高い値となる波高値をすべての場合に採用

し,それを均等分割した基準値を用いて特徴量抽出を行

った。ただし,本実験で用いたソフトウエアでは計算可

能だが,面積軸の規格化を行わない場合のマハラノビス

( ) 氏 ( ) J氏1 A 2

( ) B氏 ( ) E氏3 4図7 識別対象者と似ている波形の例

距離の算出時において,ある項目のすべてのデータが同

じ値(ゼロ)すなわち分散ゼロの場合のマハラノビス距

離の計算は出来ないのが一般的であるので注意が必要で

ある。また,マハラノビス距離の算出式は,その二乗の

値(D )で定義される のが一般的である。本報に2 5),8)

おけるマハラノビス距離は,二乗の値ではなく,その平

方根をとった値で記述をし,評価を行うこととする。

A氏を識別対象者とした時の他者の識別率の結果を表

, 。 ,1に 同じB氏の場合を表2に示す ここでの識別率は

マハラノビス距離の値 を閾値とし,それ以上となっ2.0た対象データは「識別対象者でない他者である」と識別

できたと解釈し, データの内いくつ識別できたかで計56算した。なお,識別対象者のマハラノビス距離は 付1.0近になるが,この閾値を大きな値で定義するほど識別率

は悪化することになる。

A氏については5分割で時間軸の規格化をした場合を

除いたすべての場合で,B氏については 分割とした場2056 20合で 個の他者のデータすべてが識別出来た ただし, 。

分割の場合は,本実験での単位空間用データ数 より項25目数が大きくなっており,前述した「単位空間用データ

数が項目数より多いことを基本とする 」という原則6),7)

を満たしていないので注意が必要である。本ソフトウエ

アでは計算は可能であったが,このような場合はマハラ

ノビス距離の計算をしないソフトウエア もある。B氏11)

の識別では,この原則を満たす範囲の 分割での大きい10方の識別率は %程度であり,十分とは言い難い結果で70あった。

表1及び表2の結果から,A氏,B氏ともに,分割数

を多くするに従って識別率が向上する傾向が見られた。

表1 A氏を対象者とした場合の他者の識別率

時間軸の規格化

有り 無し

92.9 % 100 %分割(項目数 )5 10

( ) ( )52/56 56/56100 % 100 %

分割(項目数 )10 18( ) ( )56/56 56/56100 % 100 %

分割(項目数 )20 38( ) ( )56/56 56/56

表2 B氏を対象者とした場合の他氏の識別率

時間軸の規格化

有り 無し

35.7 % 58.9 %分割(項目数 )5 10

( ) ( )20/56 33/5657.1 % 71.4 %

分割(項目数 )10 18( ) ( )32/56 40/56100 % 100 %

分割(項目数 )20 38( ) ( )56/56 56/56

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また,時間軸の規格化は行わない方が識別率が良いこと

も確認された。時間軸の規格化を行うことによる識別率

の低下は,対象者の通過スピードの大小の情報が失われ

る事によると推測される。

A氏について, 分割で時間軸の規格化をしない場10合の各データのマハラノビス距離の値を図8に示す。図

25 108に示したのは A氏の単位空間用 データと 他者, ,

人の内,比較的波形の似ている5人のデータである。

4.2 対象者を含めた識別結果

次に,識別対象者であるA氏とB氏を本人と識別し,

かつ他者を他者と識別できるかを調べた。両氏のデータ

は 個あるので,それを単位空間用データと識別対象25データとに分けて実験を行った。微積分特性の特徴量抽

出における波形の規格化は行わず,また,項目数より単

位空間用データ数が大きくなる原則を満たす範囲で,波

形の分割数と単位空間用データ数を変化させた。

まず,5分割で特徴量抽出した場合のA氏,B氏の識

別率を表3,表4に示す。4.1の場合と同様にマハラ

, ,ノビス距離の値 を閾値とし 本人の場合はそれ以下2.0他者の場合はそれ以上となった対象データの数からそれ

ぞれ識別率を求めた。なお,表3~6の表中における単

位空間データ数の ( )と ( )では,単位空間として20 a 20 b用いたデータの数は同じ だが,採用したデータが異20なっている。

表3における5分割でのA氏の識別では,単位空間に

用いるデータ数を増やすほど識別率が向上する傾向が見

られ,単位空間データ数 の時は,ほぼすべてのデー20。 ,タで本人と他者とをそれぞれ識別できた しかしながら

B氏の識別では,本人の識別率は単位空間データ数に関

する同じような傾向が少し見られたが,同時に識別でき

なければ意味のない他者の識別については,単位空間デ

ータ数を増加させると,逆に識別率が悪くなった。識別

率そのものも約 ~ %程度で満足のいくものでは70% 80なかった。比較的よく識別できた 分割で単位空間デー5タ数が ( )のA氏の識別と,同じ ( )のB氏の識別20 a 20 aについて,対象者の単位空間データと識別対象データ及

び他者5人の各データのマハラノビス距離のグラフを図

9,図 に示す。図9の場合の識別率はA氏本人も他10者も %ではあるが,個々のデータを見ると,A氏と100

図8 各データのマハラノビス距離(対象A氏 10分割)

0

1

2

3

4

5

6

マハ

ラノ

ビス

距離

A(単位空間) B E F I J

0

1

2

3

4

5

6

マハ

ラノ

ビス

距離

A(単位空間) B E F I J

識別された最も大きな値は ,他者とされた内最も小1.72さな値は であり,その差は僅かであった。2.15

次に, 分割した場合の両氏の識別率を表5,表610に示す。A氏の場合はA氏本人の1つのデータ以外はす

べて識別ができた。しかし,B氏では,分割数を多くす

ることによる改善はほどんど見られなかった。5分割と

分割の各条件の内最も良い結果でも,本人と他者を10合わせた識別率で約 であった。A氏とB氏の識別75%率の違いの原因は見つけられなかったが,分割数をさら

に多くして波形の詳細な凹凸情報を抽出すると同時に単

位空間用の計測データ数をより多くすることによって識

別率が向上する可能性は残されていると思われる。しか

し,この識別率は,今回のような足裏面積変化波形から

の微積分特性を特徴量としたMT法による識別における

識別能力の限界とも考えられる。

表3 A氏を対象者とした識別率(5分割)

単位空間数 ( ) ( )10 15 20 a 20 b60.0 % 90.0 % 100 % 100 %

A氏をA氏( ) ( ) ( ) ( )9/15 9/10 5/5 5/5100 % 100 % 100 % 98.2 %

他者を他者( ) ( ) ( ) ( )56/56 56/56 56/56 55/56

表4 B氏を対象者とした識別率(5分割)

単位空間数 ( ) ( )10 15 20 a 20 b93.3 % 90.0 % 100 % 100 %

B氏をB氏( ) ( ) ( ) ( )14/15 9/10 5/5 5/580.4 % 80.4 % 73.2 % 67.9 %

他者を他者( ) ( ) ( ) ( )45/56 45/56 41/56 38/56

図9 各データのマハラノビス距離(対象A氏 単位空間数20(a) 5分割)

図10 各データのマハラノビス距離

(対象B氏 単位空間数20(a) 5分割)

0

1

2

3

4

5

6

マハ

ラノビス距

A(単位空間) A B E F I J

0

1

2

3

4

5

6

マハ

ラノビス距

A(単位空間) A B E F I J

0

1

2

3

4

5

6

マハ

ラノ

ビス

距離

B(単位空間) B A E F I J

0

1

2

3

4

5

6

マハ

ラノ

ビス

距離

B(単位空間) B A E F I J

Page 6: 歩行時の足裏圧力分布測定による MTシステムを用いた個人識別 ... · 2019-08-27 · 不良の検出,画像の認識,人の顔 ... テムによる個人識別の実験研究を行った。これは圧力セ

- M 30 -

表5 A氏を対象者とした識別率( 分割)10単位空間数 ( ) ( )20 a 20 b

80.0 % 100 %A氏をA氏

( ) ( )4/5 5/5100 % 100 %

他者を他者( ) ( )56/56 56/56

表6 B氏を対象者とした識別率( 分割)10単位空間数 ( ) ( )20 a 20 b

80.0 % 100 %B氏をB氏

( ) ( )4/5 5/569.6 % 73.2 %

他者を他者( ) ( )39/56 41/56

5 結 言

ここでは,長野県品質工学研究会における実験研究

活動として,圧力センサマット上を歩行する人の足裏圧

力分布計測から,個人を識別する試みを行った。スリッ

パを履いて歩行する11人について,2名を識別対象者と

し,それぞれ足裏面積の時間変化波形における微積分特

性を項目としたMT法により識別を試みた。本実験にお

ける条件下で得られた知見は下記のとおりである。

( ) 識別対象者以外の識別においては,最も良い条件で1の結果で,一人の場合が %,もう一人の場合が100

%程度の識別率であった。70( ) その際,波形の分割数を多くするに従って識別率が2

向上する傾向が見られた。

( ) また,分割の際の規格化は,面積軸と時間軸ともに3規格化を行わない方が識別率が高かった。

( ) 識別対象者を含めた識別においては,最も良い条件4での結果で,一人の場合は値の差はわずかだが識別

率 %,もう一人の場合が約 であった。100 75%( ) 波形の微積分特性による特徴量抽出を用いたMT法5

, ,では 単位空間用データ数との大小に注意しながら

抽出の際の波形の分割数と規格化の有無についての

考察が必要である。

本研究では,T法による識別や,本報告以外の対象者

での識別などいくつかの試みも同時に行ってきた。本実

験研究を通じて,研究会活動の目的とするところの,そ

れぞれの立場で参加しているメンバー個々の技術力向上

が図られたものと考えている。

本研究で得られた知見を,研究会活動等を通じて県内

企業に普及していきたいと考えている。なお,本研究会

では,長野県内企業の技術者を対象に,随時入会を募集

しているので,ご興味のある方は事務局までご連絡願い

たい。

参考文献

1) 宮川雅巳. 品質を獲得する技術~タグチメソッドが

もたらしたもの~,日科技連,2000

2) 田口玄一. 開発・設計段階の品質工学,日本規格協

会,1988

3) 例えば 田村希志臣ほか. "MTシステムを用いた顔画

像による個人識別の研究(1)", 品質工学, No.6,Vo

l.13, 66-73(2005)

4) 長野県品質工学研究会,中原健司,野川和幸,守谷

敏,常田聡,宇井經雄,宮嶋隆司,滝沢龍一. "MT

システムを用いた足裏圧力測定による個人識別の検

討~長野県品質工学研究会における活動事例~",

計測自動制御学会中部支部シンポジウム2006講演論

文集, 74-75(2006)

5) 長谷川良子. マハラノビス・タグチ(MT)システム

のはなし,日科技連,2004

6) MTシステム法超高速汎用ソフトATMTS(MT法)取扱説

明書, アングルトライ株式会社, 2005

7) 鴨下隆志ほか. おはなしMT(マハラノビス・タグチ)シス

テム:予測・推測の可能性を広げる品質工学手法,

日本規格協会,2004

8) 田口玄一. コンピュータによる情報設計の技術開発

-シミュレーションとMTシステム-,日本規格協

会,2004

9) 手島昌一. MTシステムの概要と製造現場への応

, ,用 H18長野県品質工学研究会第1回特別講演会資料

2006

10) 例えば "体圧分布測定装置(FSAシステム)". タカ

ノ株式会社

11) "MT法ソフトウエア 用". 株for Windows EXCEL式会社オーケン