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南シナ海領有に関する一考察 ―2018 年の国際秩序形成のあり方から新たな社会を眺望できるか A Study on the South China Sea Arbitration Award of 12 July 2016 Can we foresee a future through the Arbitration Award ?― 柴田 伊冊 SHIBATA Isaku 要旨 南シナ海の領有を巡る紛争は、中華人民共和国による領有の主張に関する常設仲裁裁判 所の判決と、それ以降の APEC を媒体とした「交渉」によって収束する方向にある。収束 の契機となったのは国際法による判決であった。 それでもアメリカの国際政治学者であるモーゲンソ―は、国際法を国家間のバランス・ オブ・パワーを反映して効力を発揮するものであるとし、そして第二次世界大戦前の時代 を評したイギリスの歴史学者である E.H. カーは、国際法を強制的な実効を伴わない法で あるとし、第二次世界大戦回避についての国際連盟の無力をリアリズムの観点から論じた。 本論は、これらの2つの古典的な見解と比較することによって、現代の国際社会の紛争(南 シナ海の領有)の収束のあり方の特徴を明らかにする。 言い換えれば、情報の流通が世界規模で拡大し、それに伴い人的な交流も活性化してい る現在、強国とそれ以外の国々の間の秩序の模索は、第二次世界大戦直前と異なるのだろ うかということになる。そして国際法が果たす役割には、「進化」が見られるのだろうか。 それを南シナ海の領有権を巡る紛争の解決のあり方について検証する。そこに 21 世紀第 2 四半期以降の世界を将来への「希望」に繋げる契機が見出せるか、否かが目的になる。 問題の所在 「国際法の分権性は、国際社会の分権的構造の必然的な結果である。」(Hans J. Morgenthau 以下 H.J. モーゲンソー) 1という見解は、国際社会のあり方を客観的に見た ときには依然として正しい。 国際法の分権的構造が明確になったのは、1648 年に宗教戦争が終了したときであり、 国家という制度を前提にして締結されたウエストファリア条約(Peace of Westphalia)を もって国際法の分権性が国際社会に定着したとされている。そしてこうした見解は、フー ゴ・グロティウス(Hugo Grotius)の「戦争と平和の法(De jure belli ac pacis)」(1625 年) をもって、国際法学の初期の集大成となったとしているが 2、それは、それぞれの国家が 自らのあり方を選択し、条約を自ら締結する時代が到来したという形態の確立によって、 国際法の分権的な構造が明確になったということを意味している。 2010 年代の現在、様々な情報の流通を妨げるものが除去される傾向にあり、かつ、人 種や国籍に関係なく、世界規模で人的な交流が拡大したために、国家のあり方が変化しつ つある。それに伴い、そこに適用される国際法が専門分化し、さらに国際法の実効性を担 保するために、それぞれの場合に応じて関係国内法と国際法とを連携させることが必要不 可欠なったときにおいても、国際法が国内法の場合と同様な制度的な裏付けを伴わない強 292

南シナ海領有に関する一考察 ―2018年の国際秩序形成のあり …...は1939 年にE.H. カー(Edward Hallett Carr,以下E.H. カー)によって著された第2

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  • 南シナ海領有に関する一考察―2018 年の国際秩序形成のあり方から新たな社会を眺望できるか―A Study on the South China Sea Arbitration Award of 12 July 2016―Can we foresee a future through the Arbitration Award?―

    柴田 伊冊

    SHIBATA Isaku

    要旨

     南シナ海の領有を巡る紛争は、中華人民共和国による領有の主張に関する常設仲裁裁判

    所の判決と、それ以降の APEC を媒体とした「交渉」によって収束する方向にある。収束

    の契機となったのは国際法による判決であった。

     それでもアメリカの国際政治学者であるモーゲンソ―は、国際法を国家間のバランス・

    オブ・パワーを反映して効力を発揮するものであるとし、そして第二次世界大戦前の時代

    を評したイギリスの歴史学者である E.H. カーは、国際法を強制的な実効を伴わない法で

    あるとし、第二次世界大戦回避についての国際連盟の無力をリアリズムの観点から論じた。

    本論は、これらの 2つの古典的な見解と比較することによって、現代の国際社会の紛争(南

    シナ海の領有)の収束のあり方の特徴を明らかにする。

     言い換えれば、情報の流通が世界規模で拡大し、それに伴い人的な交流も活性化してい

    る現在、強国とそれ以外の国々の間の秩序の模索は、第二次世界大戦直前と異なるのだろ

    うかということになる。そして国際法が果たす役割には、「進化」が見られるのだろうか。

    それを南シナ海の領有権を巡る紛争の解決のあり方について検証する。そこに 21 世紀第

    2四半期以降の世界を将来への「希望」に繋げる契機が見出せるか、否かが目的になる。

    問題の所在

     「国際法の分権性は、国際社会の分権的構造の必然的な結果である。」(Hans J. Morgenthau 以下 H.J.モーゲンソー)1)という見解は、国際社会のあり方を客観的に見たときには依然として正しい。

     国際法の分権的構造が明確になったのは、1648年に宗教戦争が終了したときであり、国家という制度を前提にして締結されたウエストファリア条約(Peace of Westphalia)をもって国際法の分権性が国際社会に定着したとされている。そしてこうした見解は、フー

    ゴ・グロティウス(Hugo Grotius)の「戦争と平和の法(De jure belli ac pacis)」(1625年)をもって、国際法学の初期の集大成となったとしているが 2)、それは、それぞれの国家が

    自らのあり方を選択し、条約を自ら締結する時代が到来したという形態の確立によって、

    国際法の分権的な構造が明確になったということを意味している。

     2010年代の現在、様々な情報の流通を妨げるものが除去される傾向にあり、かつ、人種や国籍に関係なく、世界規模で人的な交流が拡大したために、国家のあり方が変化しつ

    つある。それに伴い、そこに適用される国際法が専門分化し、さらに国際法の実効性を担

    保するために、それぞれの場合に応じて関係国内法と国際法とを連携させることが必要不

    可欠なったときにおいても、国際法が国内法の場合と同様な制度的な裏付けを伴わない強

    292

  • 制力を欠いた法であるという H.J.モーゲンソ―の指摘は、依然として国際法のあり方の説明として妥当する。この事実は経済的、軍事的な分野、そして国家間のバランス・オブ・

    パワーを背景にして国際法の妥当性を論じる場合に明確な前提になる。それは、国際的な

    司法裁判機関の判決が必ずしも履行されるに至らないものの、判決に続く外交交渉が、当

    該判決を黙示の前提としながら、そしてそこにバランス・オブ・パワーを反映させながら

    関係国の間で妥協点を模索する場合に確認できる。それでもこうした過程で国際法が最も

    効果的なのは、国際法が技術的な手続を提供する方法として位置付けられるときである。

    国際法学者であるビンチェン(Bin Chen)が唱えた、通信や航空の分野で容易に適用されるインスタント国際法 3)の考え方が典型になる。

     通信や航空の分野には、2つの観点からの国際法によるアプローチがある。第一は、技術的なものの国際標準化である。第二は、それらの商業的な扱いに着目した世界規模での

    組織を構築するものである 4)。通信や航空の分野では、通信や航空機の「必要に応じて」

    統一されるべきことが国際法の規定となり、同時に「必要に応じて」多くの国々から合意

    を引き出すことについて当該国際法が有効であった。海洋法の場合でも、国際慣習の存在

    の認定から始まり、砲弾の着弾距離から推定された実効的な支配の可能性の規定化によっ

    て領海が設定され、海洋関係の国内法に関連する接続水域が法の執行技術的な観点から設

    定され、そして海底資源の分配の可能性についても、技術的な標準化と合意形成の誘導と

    いう傾向が認められた 5)。

     それでは、政治的な要素が必然的に介在する、領海拡張や、難民保護などを伴う人権保

    護に関する国際法の場合は、どのような傾向が認められるのだろうか。

     領海については、2018年にフィリピンによって常設仲裁裁判所に提訴された「9段線」によって囲まれた海域の中華人民共和国による「歴史的水域」の主張に対する判決と、そ

    の後の関係国間の妥結のあり方には、世界第 2位の経済大国となり、かつ、中国共産党主導の巨大な軍事力を有する中華人民共和国による国際秩序形成の様相が現れている。それ

    は 1939年に E.H.カー(Edward Hallett Carr,以下 E.H.カー)によって著された第 2次世界大戦直前の時代、すなわち「危機の 20年」6)と称されたときと、どのように異なるのだろうか。E.H.カーは、「危機の 20年」における法の基盤に関する検討の中で「法の究極の権威は政治に由来する」としている。2018年の南シナ海の中華人民共和国による領有の主張とその後の安定の実現の過程において、外交官経験者で、その後、歴史学者に転向

    した E.H.カーの考え方の「進化」を、1939年当時と 2018年との比較により、見出すことができるのだろうか。さらに研究者として学界で生きた H.J.モーゲンソ―の考え方を、21世紀ではどのように位置付けることができるのだろうか。我々は、その結果に、2018年以降の未来に相応しい、安定した平和の維持に貢献する世界秩序の形成を目指す考え方

    を見出せるのだろうか。その答えを提示することが本論の目的になる。

    1 南シナ海事件までの歴史的湾(水域)の考え方 歴史的湾(水域)の法理については、日本の大阪高等裁判所によって示された判決があ

    る。昭和 49年(う)第 1243号業務上過失障害・業務上過失往来妨害被告事件/判決昭和51年 11月 19日(以下 本件判決)である 8)。本件判決は、テキサダ号事件として広く紹介されているものであり、瀬戸内海入り口付近において、リベリア船籍のテキサダ号が、

    293

    南シナ海領有に関する一考察―2018年の国際秩序形成のあり方から新たな社会を眺望できるか―(柴田)

  • 日本国籍の三光汽船所属銀光丸と衝突した事件について責任の所在を示したものである

    が、あわせて管轄権の所在に関連して、当該水域の領有が審議されたものでもある。

     本件判決の領海及び接続水域の考え方は、次のとおりでもある。

     国際法上、領海の基線の内側は内水になる。内水は領土や領空と同じで、所属する国家

    による排他的かつ完全な主権に服する。日本は、国内法によって、明治 3年に自国の領海を基線から 3海里までの範囲であると定めた。さらに、昭和 52年の領海及び接続水域に関する法律(昭和 52年 5月 法律第 30号 以下 領海法)制定のときには、領海を 12海里に拡大する改正をおこなった。領海に関する世界の傾向に同調したものである。現在に

    至るまで日本の領海は、この領海法によって規定されていて、海洋法に関する国際連合条

    約(以下 国連海洋法条約)を遵守するものでもある。

     領海法第 1条は、日本の領海を基線から外側 12海里までの海域であると定めている。この場合の基線とは、低潮線及び直線基線によって海岸線に沿って引かれ、そして湾口又

    は河口に引かれる直線とによって形成される。さらに領海法第 2条は、内水となる瀬戸内海については公海との境界を政令によって基線で定めるとしている。そしてこの場合の基

    線は、国連海洋法条約第 7条によって定められるものであることを規定している。日本は、領海の細目を主権の所在に応じて、日本の法令によって定めているものの、領海の範囲は

    国連海洋法条約を遵守する形態を採用している。

     領海内での実行についてである。

     国連海洋法条約第 111条による追跡に係わる日本の公務員の職務には、領海内では日本の法令が適用される。また領海に続く接続水域について日本の場合には、国連海洋法条約

    第 33条が「沿岸国は、自国の領海に接続する公海上の区域において、次のことに必要な規制を行うことができる。(a)自国の領土又は領海内における通関上、財政上、出入国管理上又は衛生上の規則の違反を防止すること。(b)自国の領土又は領海内で行われた(a)の規則の違反を処罰すること。さらに接続水域が、基線から外側 24海里の線を超えているときで、その超えている部分については外国との間に中間線があるときは、その中間線

    までとする。ただし、当該外国との間で(a)(b)の措置を執ることが適当である認められるときは、中間線にかかわらず、24海里までとする。」と規定していることに応じている。これらは、従来の領海に加えて、機能的な海域概念を導入するという関係国の間の合意を

    反映したものである 9)。

     国際慣行及び判決の歴史的湾(水域)の考え方は、次のとおりである。

     長田祐卓(2001)は、本件判決の解説 10)の中で、日本の領海法に関連して国際連合条約の歴史的湾を認定する考え方を引用している。それは「国連事務局の研究によれば、歴

    史的湾として認定されるためには、①歴史的権限を主張する国による権限の行使、②上記

    権限の行使の継続性、③黙認、抗議の不存在などの外国による容認の反応が少なくとも考

    慮されなければならない(U/ N Doc. A/ CN.4/ 143,March 19, 62)。」である。そして長田祐卓(2001)は、瀬戸内海が歴史的湾に相当するか、否かについての判断は、明治42年の瀬戸内海漁業取締規則(農商務省令第 56号)と漁業法第 109条を引用して、日本による長期間にわたる権限の行使を証明し、外国との間の非抗弁性についても、外国から

    争われたことがないという消極的事実で足りると考えた。

     本件判決も、歴史的湾(水域)の認定には、権限の行使とその継続的な事実の存在、そ

    294

    人文公共学研究論集 第 38号

  • して事実に対する外国からの抗議の不存在が必要になるとした。それは外国が異義を唱え

    ない限り、慣習上、つまり国際慣習法によって、歴史的湾(水域)については湾口の距離

    的な要件を満たしていないときも、湾に関する法理の類推適用によって、歴史的な事実の

    存在と外国からの抗議の不存在という要件を満たす限り、歴史的水域としての領有が認め

    られることに繋がる。

     このように歴史的湾(水域)の認定に関する考え方は、それぞれの国内法においては安

    定的(国際社会の意思に沿っている限りで)に規定されると同時に、南シナ海の事例のよ

    うに、実際には外国からの抗議の有無という政治的、軍事的、かつ経済的に不安定な要件

    にも依存している。したがって、南シナ海の領有に関する審議が、中華人民共和国による

    実行、すなわち Reefを根拠にすることの妥当性の検証に重点を置くのであれば、中華人民共和国が実効的な権限を行使し、管理を継続的に行っているか、否かという点で、フィ

    リピンの提訴に理由があるか、否かを検証する必要がある。

    2 常設仲裁裁判所判決から事実を知る 図 1(判決文 図 2)に示された 9つの段線に囲まれた海域、すなわち南シナ海が歴史的水域として、従来から中華人民共和国に帰属しているというのが、中華人民共和国の主

    張である。

     常設仲裁裁判所判決(PCA Case Nº 2013-19, IN THE MATTER OF THE SOUTH

    CHINA SEA ARBITRATION:AN ARBITRAL TRIBUNAL CONSTITUTED UNDER

    ANNEX VII TO THE 1982 UNITED NATIONS CONVENTION ON THE LAW OF

    THE SEA between THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES and The People’s

    Republic of China 以下 判決文から引用又は参照)は、中華人民共和国が 1953年に 9つの段線(以下 9段線)に囲まれた海域について、9段線をもって他の国と中華人民共和国の境界であるとしてきたところ、これについて 2013年に至り、フィリピンが国連海洋法条約第 7部「公海」の規定に違反するものとして、常設仲裁裁判所に申し立てた結果である(以下 事実関係は全て判決本文参照)。 9段線を構成するのは、Fiery Cross Reef,Johnson Reef, Mckennan Reef, Hughes Reef, Graven Reef, Subi Reef, Sandy Cay Reef, Mischief Reef, Cuarteron Reef である。常設仲裁裁判所における裁判では、前記の Reefそれぞれについて中華人民共和国領有の対象となる「島嶼」であると解釈できるのかが審査され、その後、もし「島嶼」であるならば南シナ

    海が「歴史的な水域」として中華人民共和国の領海であると認められるのかが審議された。

    それは、「島嶼」が居住または独自の経済生活を維持できない礁(岩)は、排他的経済水

    域や大陸棚を持つことができず 7)、内水や湾を形成することがないところ、中華人民共和

    国が 9段線に人工的な加工を行い「島嶼」であると主張し、かつ、南シナ海が歴史的に、現在の中華人民共和国に帰属するとしたことに疑義があったためであった。

     中華人民共和国の立場に対してフィリピンが主張したのは、第一に、南シナ海が歴史的

    な水域として中華人民共和国の領海ではなく、当該水域の領有は国連海洋法条約によって

    規定されるべきでものであること、第二に、9段線を構成する要素(前掲の Reef等)の国連海洋法条約における扱いを明確にすること、第三に、提訴が中華人民共和国によるフィ

    リピンに対する不法行為(フィリピンの漁業の妨害など)を解決するものとして審議され

    295

    南シナ海領有に関する一考察―2018年の国際秩序形成のあり方から新たな社会を眺望できるか―(柴田)

  • ること、第四に、中華人民共和国の行為が人工島の造成や干拓によって行われていること

    を仲裁裁判によって確認することであった。

     9段線の考え方が現れたのは 1948年であり、段線とは 1933年に南シナ海に所在する島々に応じて設定されていて、それを地図上に表現したものであった。1948年のものは 11段線であり、1953年に 2つの段線が除かれて、現在の 9段線になった。9段線はそのときから、中華人民共和国によって公式に表明されてきている(図 1)。中華人民共和国は、9段線の内側を領海にするとしている。

     2009年に大陸棚に関して国際連合に送付された書面において、中華人民共和国は下記のように陳述している。

     China has indisputable sovereignty over the islands in the South China Sea and the adjacentwaters, and enjoys sovereign rights and jurisdiction over the relevant waters as well as theseabed and subsoil thereof (see attached map). The above position is consistently held bythe Chinese Government, and is widely known by the international community(Note Verbale from the Permanent Mission of the People’s Republic of China to the United Nations to the Secretary-General of the United Nations, No. CML/17/2009 (7 May 2009) (Annex 191); Note Verbale from the Permanent Mission of the People’s Republic of China to the United Nations to the Secretary-General of the United Nations, No. CML/18/2009 (7 May 2009) (Annex 192) (文中下線は筆者が挿入)

     この陳述は、ベトナム、インドネシア、マレーシア、フィリピンから異義を唱えられて

    いる。常設仲裁裁判所判決にまで至ったフィリピンの主張は、中華人民共和国による領海

    の主張は、国連海洋法条約によって設定された組みを侵すことができず、国際法の根拠を

    持たないものであるという趣旨であったが、フィリピンからの異義に対して、中華人民共

    和国は下記のように反論している。

     China has indisputable sovereignty over the islands in the South China Sea and the adjacentwaters, and enjoys sovereign rights and jurisdiction over the relevant waters as well as the seabed and subsoil thereof. China’s sovereignty and related rights and jurisdiction in the South China Sea are supported by abundant historical and legal evidence. The contents of the Note Verbale No 000228 of the Republic of Philippines are totally unacceptable to the Chinese Government. (文中下線は筆者が挿入)

     中華人民共和国の反論は、南シナ海に所在する島々の領有の結果、中華人民共和国が南

    シナ海の大陸棚に関する権利を有するのであり、かつ、中華人民共和国が南シナ海に接続

    する排他的経済水域などの管轄を合法的に行使してきたのであり、その実行は領有を公表

    した 1930年代から継続して認められるとしていて、審議の過程ではその趣旨が表明された。

     これに対して、本件訴訟の当事者であるフィリピンの立場は、南シナ海に所在する中華

    人民共和国の島々には、排他的経済水域などの設定が認められるとしても、それらを包括

    的に扱い、歴史的水域として中華人民共和国の領海であるとすることには、国際法の根拠

    がない、というものであった。

     中華人民共和国とフィリピンの主張の争点は、歴史的な領有と、主権の行使と管轄権の

    296

    人文公共学研究論集 第 38号

  • 容認の根拠の明確化であったし、それは中華人民共和国の領有による南シナ海と、国連海

    洋法条約によって設定された水域との相異の確認ということでもあった。

     国連海洋法条約を逐次解釈し、それを国家の実行に照らして、中華人民共和国とフィリ

    ピンの主張の合法性を確認していくことは、本論の主たる目的ではないが、本論の展開の

    ために以降、国際常設仲裁裁判の判決を概観しておく。

     仲裁裁判で認定された事項(概要)は、下記のとおりである。

     1)中華人民共和国による不法行為   ①フィリピンの漁業及び海底油田調査に対する妨害行為

       ②人工的な島嶼の建設

       ③伝統的に漁業が継続されてきた海域からのフィリピン漁民の危険を伴う実力排除

     2)中華人民共和国による大規模造成のために発生した海洋環境汚染 1)及び 2)の前提として、Graven Reef, Hughes Reef, Johnson Reef, Fiery Cross Reef, Cuarteron Reefほか 6断線が、いずれも「岩」に過ぎず排他的経済水域や大陸棚を持たないこと、Subi Reef, Mischief Reefは、満潮時には水没する低潮高地に過ぎず、国連海洋法条約に定める権限も持たないこと、加えて南シナ海に位置する南沙諸島の「島嶼」は、人

    間の居住又は独自の経済的生活を維持するものではなく、国連海洋法条約に定める権限を

    持たないこと、が認定されている。

     上記の事項を踏まえての判決要旨は、次のとおりであった。

     裁判所は、提訴がなされて以降、フィリピンや中華人民共和国の海軍や当局の船舶によ

    る行為がこの紛争の解決を阻害してきたことに憂慮すると同時に、最近の中華人民共和国

    の埋め立てや人工島の建設が関係国の間に紛争を引き起こし、自然な状態での南シナ海に

    おけるフィリピンの排他的経済水域における活動を妨げてきたと判決する 11)。

     常設仲裁裁判所は、中華人民共和国の主張を退けて、フィリピンの勝訴を告げた。この

    裁判によって中華人民共和国が今後留意しなければならないとされた事項は、次の 3つになる。

     1) 中華人民共和国は、国連海洋法条約の下でフィリピンに認められている自由と権利を尊重しなければならないこと。

     2) 中華人民共和国は、国連海洋法条約に定められた規定に従って、南シナ海の環境を保全しなければならないこと。

     3) 中華人民共和国は、国連海洋法条約に定められた規定に従って、南シナ海における権利と自由を、フィリピンとの関係で再考しなければならないこと。

     判決は、最後の部分を次のように掲げて、結びとしている。

    1195. All of these propositions fall within the basic rule of “pacta sunt servanda”, expressed inArticle 26 of the Vienna Convention on the Law of Treaties as: “Every treaty in force isbinding upon the parties to it and must be performed by them in good faith.” In essence, whatthe Philippines is requesting is a declaration from the Tribunal that China shall do what it is

    297

    南シナ海領有に関する一考察―2018年の国際秩序形成のあり方から新たな社会を眺望できるか―(柴田)

  • 図 1

    298

    人文公共学研究論集 第 38号

  • already obliged by the Convention to do.1196. As both Parties have pointed out, the Convention itself expresses in Article 300 that: States Parties shall fulfil in good faith the obligations assumed under this Convention and shall exercise the rights, jurisdiction and freedoms recognized in this Convention in a manner which would not constitute an abuse of right.

     本論では、国際法によって示された判決が、国際社会の実際について、どのように反映

    されていくのかが、次の争点になる。

    3 判決と解決の実際 本件判決を受けて、フィリピンは中華人民共和国に特使を派遣することになり、中華人

    民共和国もこれを受け入れた。南シナ海は、フィリピンによって西フィリピン海と称され

    ることにもなったが、2016年 10月 20日には常設国際仲裁裁判の判決に関わらず、中華人民共和国とフィリピンとの間で「協力」が合意された。中華人民共和国とフィリピンの

    判決以降の立場は「双方は二国間協議によって意見の相違を適切に調整する 12)」という

    ものであり、意見が一致しないものを一時的に棚上げすることも射程においている。また、

    「中華人民共和国はフィリピンが国際社会から批判を受けている麻薬対策について支持を

    表明したことなどによって、両国の話し合いを促進する下地を整備した。そのほか外交・

    国防協議での対話再開で両首脳が合意したとも表明した。ただし南シナ海問題では、中華

    人民共和国は常設仲裁裁判所の判決を前提とした協議には応じない立場である。フィリピ

    ンとの協議再開には、判決を無効化し、日米など判決の対象地域外の国の介入を防ぐ狙い

    があるとみられる。両首脳の会談後、両国は貿易や投資、農業、観光、麻薬対策や海上警

    備など計 13件の協力文書に署名した。加えて、中国側はフィリピンの農産物の禁輸を解除し、関係の正常化に向けた動きを本格化させる 13)」ことになった。

     仲裁裁判所の判決には、関係条約による拘束力はあるが、その執行には強制力がない。

    そのため紛争は、中華人民共和国とフィリピンについて、南シナ海に止まらず、両国全体

    の関係の中で調整を試みるという方向で妥結することになる。本件判決を法的に精査して、

    国連海洋法条約を厳格に適用することなく、両国の関係についての総体的なバランスの中

    で南シナ海における安定を図ることになる。さらに中華人民共和国は、中華民国(台湾)

    やその他関係国との安定を模索する目的で ASEANとの間で「南シナ海行動規範」を協議することにも同意した 14)。ただし、現状ではその同意は協議するという枠組みのみであり、南シナ海の安定はフィリピンの漁業再開と中華人民共和国による人工島建設の再開などの

    相互容認ににとどまっている。その後、「南シナ海行動規範」については 2018年 11月に至って、これから 3年間をかけて審議を尽くしたいと中華人民共和国が表明した 15)。 周辺関係国の対応も様々であった。中華民国(台湾)は常設仲裁裁判所の判決中に、大

    平島が「島」に該当しないとの判断が含まれたことに反発した 16)。またベトナムとシン

    ガポールは、南シナ海における航行の自由を含む平和と秩序を支持し、法的、外交的な手

    続によって紛争が回避されることを望むとの立場を表明している 17)。

     南シナ海の領有を巡る紛争は、今後も中華人民共和国主導で安定が図られることになる

    と予想される。中華人民共和国の国益を損ねることなく、総体的なバランスの中で新たな

    299

    南シナ海領有に関する一考察―2018年の国際秩序形成のあり方から新たな社会を眺望できるか―(柴田)

  • 秩序が模索される。常設仲裁裁判所の判決は、歴史的な湾(水域)の法理による南シナ海

    の中華人民共和国による所有の表明を後退させたものの、実質的には判決によらずに「相

    互に認め合う」という方法によって南シナ海に安定を招来させた。

    4 20 世紀後半における国際法の評価に答える-今、何が変わったのか(考察) 国際法が強国の間に均衡を鼎立する手続を提供するか、国際司法裁判所の判決のように、

    解決のためのパッチワーク作業の手掛かりを提供するものであるとすれば、我々は依然と

    して国家という国際社会の主体のあり方を起点に未来の秩序を考察しなければならない。

     これまで国際航空のあり方に現れたように、世界の秩序は国家単位で、そして二国間協

    定(合意)によって保たれてきたといえる。国際社会が分権的であるが故に、ときには国

    際連盟規約や国際連合憲章の実効性が疑わしいとされることもあった 18)。それらの基本

    条約は、抽象的で華やかな用語によって糊塗されていたし、関係国は、自国の判断によっ

    て個々の条文の適用を留保することも、ときには国際連盟を脱退することも可能であった。

    それ故に国際法が国際舞台における権力闘争を規制し、抑制する上で有効であるというこ

    とは、国際法が自然法のようなものとして認められているということとは異なる。なぜな

    らば国際社会のバランス・オブ・パワーという観点が国際法の存在には必要不可欠であっ

    たからである 19)。国際法の存在を必要とする局面は、国際社会における利害の一致と補

    完関係の構築に現われる 20)。そして国際法は、起点が多国間条約の場合においても、当

    事者のみを拘束するのが原則になる。このような分権的な社会に対応する手続であるため

    に、国内の場合のような三権分立が存在せず、よって強制力も脆弱である。第二次世界大

    戦に至る 20年、そして第二次世界大戦後の冷戦の時代における国際社会における国際法の評価は、こうした事実から離れることがなかった。

     南シナ海の問題とそこでの紛争解消の評価に入る前に、技術主導で、関係国の間での合

    意が成立しやすい国際航空での秩序形成を振り返ってみよう。

     第二次世界大戦後の荒廃からの国際航空の復興は、バランス・オブ・パワーによって成

    立した均衡から出発している。強国はアメリカであり、均衡したのはイギリスを中心にし

    て結束した航空の将来性と必要性を認識した国々であった。このときの国家間の航空運航

    の内容は二国間協定に委ねられ、国際社会として合意に達したのは運航に必要な技術的な

    統一と安全確保の方法の設定であった。

     国際民間航空条約(Convention on International Civil Aviation 1944 以下 シカゴ条約)が締結され、多くの航空関係国が批准した。シカゴ条約は、多くの標準書を伴っていて、

    航空の発展と世界規模での普及に応じてその数は増加し、さらに多くの付属文書が国際航

    空の標準化に貢献した。二国間協定に委ねられた運航、すなわち航空の実際を定める協定

    は 4000を超える数になったが、そこでも強国を中心に標準形が策定されたために、そして航空の運航という単純形のために深刻な混乱に陥ることがなかった。ここで国際航空を

    稼動させるという重要な役割を果たしたのは、国家ではなく、運航する航空会社とその団

    体であった。国家は航空の細目まで作成して、運用するノウハウを持たなかったためであ

    る。今日、LCC(Low Cost Carrier)などの活躍によって航空が世界規模で普及して、次の段階として宇宙を射程においたとき、航空会社は益々国家による介入から離れ、国境を超

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    人文公共学研究論集 第 38号

  • えて自由に活動する傾向にある。そして国家の役割は安全維持と治安の分野に集約されつ

    つある。この国際航空の世界で国際法が果たした役割は、まさしく航空機の運航に必要な

    事項に関する二国間での合意の形成であり、技術と安全についての一般条約の制定であり、

    そられの実行のための手続の明文化であった。運航の経済的な分野は、国境を越えて航空

    会社自体の団体が主導したために、主として技術的な「必要」という強制圧力も存在して

    いた。それは、当初の航空大国アメリカに対しても有効であった。

     こうした航空に適用された国際法のあり方や航空団体のあり方と並行させて、南シナ海

    の事例に欠けているものを考えてみよう。

    ① 歴史的湾(水域)の法理の否定以降のあり方について具体的手続がないこと。裁判と

    いう機能の性格上、以降の姿を南シナ海の実態に即して提示することは、関係諸国の利害

    の調整に立ち入ることになり、異なる分野での権益の交換など、国内社会の実際と同様に

    対処を行なうことでもあり、国際裁判に馴染まない。

    ② 執行について強制力がないこと。南シナ海のあり方のみを判断することは、中華人民

    共和国の実行を阻むことに、直接は繋がらないこと。

     上記の理由から、常設仲裁裁判所の判決に実行力がないことを重視した、H.J.モーゲンソ―や E.H.カーの国際法に関する評価は現在にもあてはまる。 次に、両者の評価と異なっている事項を掲げてみよう。

    ① 「法の究極の権威は政治に由来する」(E.H.カー)21)ものの、南シナ海の判決は、中華人民共和国の政治判断による実行を、少なくとも方向転換させたこと。

    ② APECという諸国の集まりが、中華人民共和国という強国との交渉の場を提供していること。「法の本質が安定を助長し、社会の体制を維持することにある」(E.H.カー)22)ならば、そして「国際法が国家間のバランス・オブ・パワーを反映して効力を果たすもの」

    23)(H.J.モーゲンソー)であるとしても、本件判決は当面、中華人民共和国とフィリピン、そして関係諸国の安定を協議する手がかりを提供したことになる。

     以上の考察からは、現在の国際法のあり方や、その効用は H.J.モーゲンソ―や E.H.カーが評したときから大きく変化していないことになる。ただし、我々は、国家というものの

    ほかに、NGOや多くの影響力が多極的に現れていることを軽視してはならない。現在の国際社会の傾向は、国家によって全体が統制されるというよりも、先の航空の発展の例の

    ように、全体が合理的かつ明快で、なお関係国及び関係主体が合意に到達することができ

    る手続の設定に関係者を集中させることにある。だとすれば、法を多極的にする必要があ

    り、それが「未来に繋がる」ということの意味になる。

    注釈

    1) モーゲンソ―「国際政治(中)」岩波書店 2013年 234頁(原 ヨシヒサ訳)2) 前掲 231- 232頁3) Bin Chen, ”United Nations Resolutions on Outer Space : Instant International Customary

    Law? “, 6 Ind, J. Int. L., pp23-48, 19654) Charles Henry Alexandrowicz,“The Law of Global Communication”,Columbia Univ.

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    南シナ海領有に関する一考察―2018年の国際秩序形成のあり方から新たな社会を眺望できるか―(柴田)

  • press, pp139-157,19715) 山本草二「海洋法」三省堂 1992年 21- 41頁6) E.H.カー「危機の 20年」岩波文庫 2011年 345頁(原 ヨシヒサ訳)7) 森田章夫ほか「講義国際法」有斐閣 2004年 259- 261頁8) ジュリスト「国際法判例百選 No.156」 2001年9) 前掲 7)前掲 20頁10) 前掲 8) 81頁11) Press Release “The South China Sea Arbitration” The Hague, 12 July 2016, pp212) http://mainichi.jp/articles/20161021//k00/00m/030/108000c (毎日新聞 2016年 10月 20

    日)2019年 1月 5日参照13) 前掲 12)14) http://mainichi.jp/articles/20170519/k00/00m/030/154000c (毎日新聞 2017年 5月 18日)

    2019年 1月 5日参照15) https://www.asahi.com/articles/ASLCG4K12LCGUHBI01F.html (朝日新聞デジタル 2018年 11月 15日 01時 29分)2019年 1月 5日参照

    16) http://www.sankei.com/world/news/160713/wor160713(n1.html). (産経新聞 2016年 7月13日)2019年 1月 5日 参照

    17) http://tuoitrenews.vn/politics/35827/vietnam-welcomes- (2016 年 7 月 13 日)http://www.todayonline.com/singapore/singapore-south-china-sea-ruling-reaction (2016年 7月 12日)いずれも 2019年 1月 5日 参照

    18) 前掲 1)232- 234頁19) 前掲 1)234- 236頁20) 前掲 1)233- 234頁 21) 前掲 6)344- 345頁22) 前掲 6)363頁23) 前掲 1)228- 236頁

    参考文献

    E.H.カー(2011)「危機の二〇年」岩波書店 (原よしひさ訳)H.J.モーゲンソ―(2013年)「国際政治」岩波書店(原よしひさ訳)小寺彰 岩沢雄司 森田章夫 編(2004)「講義 国際法」有斐閣山本草二(2001)「国際法」有斐閣リチャード・フォ-ク(2011)「21世紀の国際法秩序」東信堂(川崎孝子訳)Bin Chen, United Nations Resolutions on Outer Space: Instant International Customary Law?(1965) 6 Ind. Journal of International LawBin Chen, The Law of International Air Transport, (1962) Oceana坂本昭雄(1999)「新しい国際航空法」有信堂吉永・坂本(1968)「最新 国際航空法要論」有信堂Anthony Sampson, Empires of The Sky, (1984) Random House

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