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1.は じ め に アラビア半島に位置するドバイ首長国(以下,ドバイ)が現在,世界から注目を集め ている。日本でもテレビや新聞,また雑誌等に取り上げられ,ドバイという名をよく耳 にするようになってきた。 現在ドバイは,第10 代ドバイ首長のムハンマド首長(シェイク・ムハンマド・ビン・ ラシード・アル・マクトゥーム:SheikhMohammadbinRashidAlMaktoum)を 中心に都市開発が積極的に行われ,毎日のようにビル,ホテル,ショッピングモールな どの建設に関するビックプロジェクトが発表されている 1 。完成済みおよび進行形のプ ロジェクトの一例をあげると「ザ・ワールド(TheWorld )」や「パーム・ジュメイラ ThePalmJumeirah )」などの人工島の建設,「ドバイランド(DubaiLand )」や「ス キー・ドバイ(SkiDubai )」などの娯楽施設の建設,また近々開業予定の無人運転シ ステムを採用した鉄道「ドバイ・メトロ(DubaiMetro )」の建設,超高層タワー「ブ ルジュ・ドバイ(BurjDubai )」の建設などであり,総工費およびその規模はけた外れ 17 ドバイ社会の変化に関する一考察 商品(特にランドマーク商品)が与える影響を中心として この数十年間で,ドバイは急激な勢いで形をかえ,ビルなどが立ち並ぶ,いわゆる 近代都市へとその姿を変えている。それとともにドバイ社会も大きく変化してきてい る。具体的には,ドバイで生活する人々の生活などに大きな変化が見られ,ドバイは この数十年の間に,街もまた人々のライフスタイルも大きく変化してきた。 ドバイ社会あるいはドバイで使用されている商品,特にドバイで生活する人々のラ イフスタイルを劇的に変えた商品に注目すると,いくつか興味深い事柄が見えてくる。 以上のことから,本稿ではドバイに住む人々のライフスタイルがどのように変化し たのかなどを「ランドマーク商品」の概念を用い,ランドマーク商品のもつ創造力 (プラス面),特に今回は「時間・距離を短縮させるモノ」,「温度管理(調節)を可能 とするモノ」の二つの視点から検討する。

ドバイ社会の変化に関する一考察 - Doshisha...中継地として重要な地域であった。商業都市としてのドバイを確固たるものにしたのは,1900年代初頭に,対岸に位置

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Page 1: ドバイ社会の変化に関する一考察 - Doshisha...中継地として重要な地域であった。商業都市としてのドバイを確固たるものにしたのは,1900年代初頭に,対岸に位置

1.は じ め に

アラビア半島に位置するドバイ首長国(以下,ドバイ)が現在,世界から注目を集め

ている。日本でもテレビや新聞,また雑誌等に取り上げられ,ドバイという名をよく耳

にするようになってきた。

現在ドバイは,第10代ドバイ首長のムハンマド首長(シェイク・ムハンマド・ビン・

ラシード・アル・マクトゥーム:SheikhMohammadbinRashidAlMaktoum)を

中心に都市開発が積極的に行われ,毎日のようにビル,ホテル,ショッピングモールな

どの建設に関するビックプロジェクトが発表されている1)。完成済みおよび進行形のプ

ロジェクトの一例をあげると「ザ・ワールド(TheWorld)」や「パーム・ジュメイラ

(ThePalmJumeirah)」などの人工島の建設,「ドバイランド(DubaiLand)」や「ス

キー・ドバイ(SkiDubai)」などの娯楽施設の建設,また近々開業予定の無人運転シ

ステムを採用した鉄道「ドバイ・メトロ(DubaiMetro)」の建設,超高層タワー「ブ

ルジュ・ドバイ(BurjDubai)」の建設などであり,総工費およびその規模はけた外れ

17

ドバイ社会の変化に関する一考察商品(特にランドマーク商品)が与える影響を中心として

川 満 直 樹

この数十年間で,ドバイは急激な勢いで形をかえ,ビルなどが立ち並ぶ,いわゆる

近代都市へとその姿を変えている。それとともにドバイ社会も大きく変化してきてい

る。具体的には,ドバイで生活する人々の生活などに大きな変化が見られ,ドバイは

この数十年の間に,街もまた人々のライフスタイルも大きく変化してきた。

ドバイ社会あるいはドバイで使用されている商品,特にドバイで生活する人々のラ

イフスタイルを劇的に変えた商品に注目すると,いくつか興味深い事柄が見えてくる。

以上のことから,本稿ではドバイに住む人々のライフスタイルがどのように変化し

たのかなどを「ランドマーク商品」の概念を用い,ランドマーク商品のもつ創造力

(プラス面),特に今回は「時間・距離を短縮させるモノ」,「温度管理(調節)を可能

とするモノ」の二つの視点から検討する。

Page 2: ドバイ社会の変化に関する一考察 - Doshisha...中継地として重要な地域であった。商業都市としてのドバイを確固たるものにしたのは,1900年代初頭に,対岸に位置

である。それらは,ドバイそしてムハンマド首長が掲げる「すべての分野において世界

一」2)によりなされているものである。そのような状況からドバイを「ドバイ株式会社」

そしてムハンマド首長のことを「ドバイ株式会社のCEO」と呼ぶこともある。

上記のように,ドバイは急激な勢いで形をかえ,ビルなどが立ち並ぶいわゆる近代都

市へとその姿を変えている。それとともにドバイ社会も大きく変化してきている。具体

的には,ドバイで生活する人々の生活などに大きな変化が見られ,ドバイはこの数十年

の間に街もまた人々のライフスタイルも大きく変化してきた。

筆者は,2002年以降,毎年のように短期間(7~10日間程度)ではあるがドバイで

の現地調査3)を実施している。短期間ではあるがドバイに滞在すると,ドバイ社会と日

本社会との若干の違いを感じることがある。特に,筆者は,財閥の形成および発展過程

に関する研究とは別に,現在「ランドマーク商品」4)の研究も行っている。ランドマー

ク商品という概念をとおし,ドバイ社会あるいはドバイで使用されている商品,特にド

バイで生活する人々のライフスタイルを劇的に変えた商品に注目すると,いくつか興味

深い事柄が見えてくる。

以上のことから,本稿ではドバイにおけるランドマーク商品のもつ影響力,特に創造

力(プラスのパワー)について述べたい。

2.ドバイ首長国の概要

はじめに,ドバイの概要から述べたいと思う。ドバイはアラブ首長国連邦(UAE:

UnitedArabEmirate,以下UAE)の一首長国であり,UAEはドバイ首長国,アブ

ダビ首長国,シャルジャ首長国,アジュマン首長国,ラスアルハイマ首長国,ウンムア

ルカイワイン首長国,フジャイラ首長国の七首長国から構成される国家である(図表1

を参照)。首都はアブダビであり,外交や国防などは連邦政府が主として担当するが,

それ以外の政治や経済政策などについては各首長国の裁量に任せられている5)。そのた

め各首長国は独自の行政府をもち,UAEは緩やかな連邦制を形成している6)。

ドバイの経済発展過程については,すでに別稿7)にて論じたためここでは簡単に紹介

することとする。1833年に,アブダビにいたバニ・ヤス(BaniYas)族の支族である

アル・ブ・ファラーサ(AlBuFalasah)部族に属していたシェイク・マクトゥーム・

ビン・ブティ(MaktoumBinButti)が,同地に約800の人々を引き連れてきたのが,

現在ドバイの始まりである。ドバイを含む湾岸地域は,古くから海上および地域交易の

社会科学 84号18

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中継地として重要な地域であった。

商業都市としてのドバイを確固たるものにしたのは,1900年代初頭に,対岸に位置

するペルシャ(現在のイラン)が商人に対し課した高関税等であった。それにより多く

の商人が同地からドバイへとその活動の場を移してきた。第5代ドバイ首長であったマ

クトゥーム・ビン・ハシュル(SheikhMaktoumBinHasher)は,商業を重視した

政策をとり,積極的にペルシャから移住してきた商人を受け入れ,また天然の良港であ

るクリーク(入り江)もあり,ペルシャから国際的中継貿易港としての地位を引き継ぐ

ことに成功した。それらに加え,地理的な条件も重要である。同地はアラビア半島の先

端に近くアジア,アフリカ,ヨーロッパの結節点に位置していたこともドバイが商業

(貿易)都市および中継貿易港として栄えた要因であろう。

当時のドバイで商業(国際的な中継貿易港)以外の主な産業は,ナツメヤシ栽培や漁

業,また真珠採取などであった。なかでも真珠採取は1930年ごろまで,ドバイの中心

的な産業であった。その後,1966年にドバイで石油油田が発見され,1969年には石油

輸出が開始された。その後のドバイの経済発展は日本でも多く紹介されている通りであ

る。

一般にドバイの経済発展は,石油によるものだと思われがちである。もちろん,それ

を否定することはできない。しかし「近代ドバイの父」といわれる第8代ドバイ首長ラ

シード・ビン・サイード・アル・マクトゥーム(SheikhRashidbinSaeedAl

Maktoum)の功績も特筆に値する。第8代首長ラシード・ビン・サイードは1950年代

ドバイ社会の変化に関する一考察 19

図表1 アラブ首長国連邦(UAE)の基本情報

面積 83,600km2(北海道(83,455平方キロメートル)とほぼ同じ面積)

UAEの構成

アラブ首長国連邦は七つ首長国による連邦制。

アブダビ首長国,ドバイ首長国,シャルジャ首長国,アジュマン首長国,ラスアルハ

イマ首長国,ウンムアルカイワイン首長国,フジャイラ首長国の七つの首長国。

人口 449万人(2007年)

首都 アブダビ首長国

人種 アラブ人

言語 アラビア語

GDP 1,901億ドル(2007年,中央銀行,経済省)

一人当たりGDP 42,349ドル(2007年,中央銀行,経済省)

識字率 男性73.4%,女性77.1%(1998年)

宗教 イスラーム(国教)スンニー派80%,シーア派20%

(出典)外務省,ジェトロ,在ドバイ日本総領事館HPより(2008年10月14日採録)。北海道の面積は北海道

庁HP(http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kids/files/01hakase.htm#BB)より。

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後半に,当時無謀ともいわれたクリークの大規模な浚渫・拡張工事,また飛行場の建設

および拡張工事などを積極的に行い,石油が発見される以前のドバイで「ヒト・モノ」

を呼び入れるためのインフラ整備を行っていた。現在ドバイのとっている開発政策8)は

その延長にあるともいえる。

次にドバイの特徴的な点である人口について述べたいと思う。図表2はドバイを含む

UAEの各首長国の人口を表したものである。図表2によれば,2007年のドバイの人口

は約147万人であり,その内の男性が約112万人,女性が約35万人となっている9)。その

数字からも明らかなように男性人口が女性のそれを大きく上回っている。その要因とし

ていくつか考えられるが,もっとも大きな要因は石油の発見以降に職を求め,南アジア

を中心とした国や地域からやってきた多くの出稼ぎ労働者の存在であろう。現在,その

ような外国からの出稼ぎ労働者はドバイ人口の約80%近くいると言われ,それ以外の

約20%がナショナルズとよばれるドバイ人となっている。ドバイは,人口比率的にみ

ると自国民(ナショナルズ)がマイノリティとなった社会となっており,また,ドバイ

経済は外国人労働者により成り立っているといっても過言ではない。

中東にある産油国のほとんどが,ドバイのように一人当たりの国民所得の向上により,

いわゆる先進国と同様な消費社会となっている。例えば,今回取り上げたドバイの急激

な変化は,ここ数十年の出来事である。既述のように,ドバイ社会の発展を支えている

のは,外国からの出稼ぎ労働者(高所得者層から低所得者層までのすべての労働者)で

社会科学 84号20

図表2 UAE・各首長国の人口構成(単位:1,000人)

1975年 1980年 1985年 1995年 2000年 2005年 2007年

アブダビ 212 452 566 942 1,266 1,292 1,493

ドバイ 183 276 371 689 882 1,200 1,478

シャルジャ 79 159 228 403 599 725 882

アジュマン 17 36 54 121 179 190 224

ウンムアルカイワイン 7 12 19 35 49 45 52

ラスアルハイマ 44 74 96 143 172 197 222

フジャイラ 16 32 44 76 100 118 137

合 計 558 1,041 1,378 2,409 3,247 3,767 4,488

(出典)世界経済情報サービス〔2007〕111�112頁,またドバイ政府が毎年発行している Governmentof

Dubai〔2006〕も参考にした。2007年のデータは ・UAEPopulationEstimates・,Departmentof

Tourism andCommerceMarketingWebsite(http://dubaitourism.co.ae/Portals/0/Statistics/

PopulationStatistics/A001%20uae%20population%20estimates%20in%20%202007.pdf, 2008年11月

14日採録)より。

(注)資料により数値が若干異なる。2005年UAECensusは335,615人の調査もれがある。その調査もれぶ

んをあわせるとUAEの人口は約410万人となる。

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ある。ドバイの人口統計や国民所得統計などは,彼らのような労働者も含まれている10)。

しかし,先に述べたように,ドバイ人口の約80%を占める労働者,特にその中の半数

以上が屋外での建設現場等で働く低所得者である。

日本のような社会(いわゆる先進国)では,国民所得の増加は,購買力のある多くの

中間層を生み出した。彼らの多くが快適な生活,便利な生活など,そして精神的,物質

的な豊かさを求め,耐久消費財を含む多くのモノ(商品)を購入した。モノ(商品)を

得ることにより,各個人に便利で快適な生活がうまれ,また余暇時間の創出により精神

的にもゆとりある生活を送ることが可能となった。では,ドバイ社会はどうか,という

ことである。

ドバイ社会は大きく変化してきたと述べたが,その時の「社会」とは一体どこを指す

のか。ドバイ社会の「社会」とは,言うまでもなく,ナショナルズと呼ばれるドバイの

ネイティブをさす。しかし,ドバイの経済を支えているのは外国からの労働者である。

ドバイ当局は,将来,労働者は自国へ帰国することを前提に彼らを就労ビザで管理して

いる。そのため就労目的でドバイへきた者は,UAEの国籍,あるいは永住権を得るこ

とは基本的にできない。永住することのない者たち,そして低所得者層に位置する者た

ちの労働によりドバイの「社会」が成り立っているのである。

3.ドバイで発揮されるランドマーク商品のもつ創造力(プラスのパワー)

「Ⅱ.ドバイ首長国の概要」で簡単ではあるがドバイを概観してきた。本章では,ド

バイ社会とランドマーク商品との関連で,特に自動車と電気冷蔵冷凍庫(以下,断りが

ない限り冷蔵庫と記す),そしてクーラーを中心に述べたいと思う。

最初に,ドバイ社会とランドマーク商品を考える上で重要と思われるいくつかの点を

整理しておきたい。第一に,ドバイにはありとあらゆるモノ(商品)があるということ

である。第二に,ドバイの気候についてである。

まず,第一点目のモノ(商品)についてである。既述のとおり,現在ドバイは急激な

経済発展を遂げ,一人当たりの国民所得水準はかなり高く,それによりナショナルズと

よばれるネイティブのドバイ人(およびUAE人)は豊かな生活を送っている。

ドバイには多くのショッピングモールが立ち並び,現在では約50近く存在すると言

われている。ショッピングモールには,日用品から高級ブランド品,また多くの耐久消

費財をはじめありとあらゆるものが販売されており,ドバイはモノ(商品)であふれて

ドバイ社会の変化に関する一考察 21

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いる11)。また,モール内には映画館,遊園地,スキー場などの娯楽施設があり,そして

各ショッピングモールは思考を凝らし,モール独自のカラーを出すため大掛かりな演出

を行っている。

そのようなショッピングモールに,多くのナショナルズおよび観光客が足を運び連日

にぎわっている。またそれらショッピングモール以外にもスーク12)(市場:イチバ)と

言われる伝統的なイチバがいくつかあり,現在のドバイは,街全体がショッピング天国

化しているといっても過言ではない。要するにドバイにはモノ(商品)が溢れ,消費社

会が到来あるいはその素地は整っているということである。

ちなみに,ドバイでは既述したようにモノがあふれている。しかし,それらのほとん

どがドバイ以外の外国からの輸入品であり,同地で生産されたモノ(商品)はほとんど

ない。それは今にはじまったことではなく,その昔からドバイはモノの取引が中心の商

業都市であった。そして,現在では,それに加え,いわゆるサービス産業が中心の消費

都市ともなっている13)。しかし,ここで重要な点は,誰がそのようなショッピングモー

ルでショッピングをしているのかを確認しておくことである。既述したように,多くは

ナショナルズや観光客である。ドバイの人口は図表2で確認したように約147万人であ

る。ナショナルズは147万人の約20%,また外国人の高所得者層(駐在員や経営管理者

等)が約20~30%14)であり,ショッピングモールを利用しているのは,ナショナルズ

の約20%とホワイトカラー層の約20~30%の合計40~50%(人口約147万人の中)と観

光客(約586万人15):2007年)ということになる。

次に,第二点目の気候についてである。ドバイを含むUAEは亜熱帯性気候に位置し,

年間を通して暖かい地域であり,また国土の多くが砂漠で占められている。図表3はド

社会科学 84号22

図表3 ドバイの平均気温(最高・最低) 単位:℃

(出典)TheWeatherChannnel,MonthlyAveragesforDubai

(http://www.weather.com/)より(08.11.25採録)。

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バイの気温を表したものである。図表3からも明らかなように,ドバイでは6月から9

月にかけ気温が上昇し,同時期の平均最高気温が35℃以上となる。またそれ以外の月

でも平均最高気温が20℃以上である。ちなみに年間の平均最高気温は約31.9℃であり,

平均最低気温は約21.8℃,年間の平均気温は約26.8℃となっており一年を通じて暖かく

(暑い)なっている。しかし,平均最高気温が35℃ということはそれ以上(40℃あるい

はそれ以上)の場合もあるということである。ヒトが生活するには,かなり厳しい環境

条件であることは間違いないであろう。

以上の二点(モノが豊富にある,年中暖かい)をふまえ,ドバイ社会においてランド

マーク商品が発揮するパワー(創造力:プラス面)16)とはどのようなものかを検討した

い。ドバイのような暑い地域(あるいは国)で,もっともパワーを発揮するモノは「安

全で快適な空間を提供するモノ(商品)」であろう。もちろん暑い地域(国)ではなく

ても「安全で快適な空間を提供するモノ」は,それなりのパワーを発揮することは当然

考えられる。しかし,暑い地域(国)では「安全性・快適性」がもっとも重要なキーワー

ドになっていると思われる。では,具体的にはどのようなものか。次の二つを考えるこ

とができるだろう。第一に「時間・距離を短縮させることのできるモノ(商品)」,第二

に「温度管理(調節)を可能にするモノ(商品)」である。

まずは,第一の「時間・距離の短縮」からみていきたいと思う。例えば,自動車17)

を含む乗り物をあげることができる。言うまでもなく,自動車は日本を含む多くの国で

移動手段の変化をもたらし,人々の生活に,そして社会に多大な影響を与えたランドマー

ク商品である18)。

では,暑い地域(国)で発揮される自動車のもつ創造力(プラスのパワー)とは何か。

先ほども述べたが,ドバイは砂漠の中にある都市である。図表3で気温を確認したが,

砂漠は暑くヒトが生活をするには厳しい環境である。自動車の関連でドバイあるいは砂

漠を考えると,当然のこととして考えることは,ヒトは砂漠をどのように移動していた

か,ということである。自動車の出現以前の砂漠での移動は,多くの文献や写真集から

確認できるように徒歩あるいはラクダなどの動物を使用していた。

例えば,イスラームの預言者であるムハンマド19)は有能な商人であったと言われて

いる。成人したムハンマドは,遠距離を移動する隊商貿易(いわゆるキャラバン隊)に

かかわり,隊商の組織者として活躍していた。当然,彼の生きた西暦500年代後半の主

な移動手段はラクダであり,彼もラクダを使用し隊商貿易を行っていたのであった。荷

を担いだラクダと遠距離移動を行うのは至難の業であり,まさに命がけであった。ムハ

ドバイ社会の変化に関する一考察 23

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ンマドは,その命がけの隊商貿易でいかんなくその才能を発揮した。ムハンマドが有能

な商人と言われるゆえんである。自動車の出現以前は,今述べたように砂漠の移動はラ

クダが一般的に使われていたのである。

また,暑い地域で遠距離をラクダで移動する隊商貿易にとって,もっとも気を配るこ

とは暑さである。周知のとおり,時期にもよるが砂漠の暑さは想像を絶する。そのため,

砂漠をラクダあるいは徒歩で移動するのに当然考えられるのは,もっとも暑い時期ある

いは時間帯(日中)を避け,涼しくなる時期あるいは時間帯に行動することである。

しかし,砂漠での移動は暑さだけに注意を払えばよいというわけではない。例えば,

暑さを避け夜間等に移動する場合には,移動中の安全確保が重要となってくる。盗賊等

から自分の身そして隊商に加わった者の身を守り,そして荷およびラクダ等の安全を確

保することも重要となる。徒歩もしくはラクダでの移動においては,暑さおよび外敵か

ら身を守ることが重要となる。以上のように暑さ等の自然に耐え,かつ安全に目的地ま

で行き,課せられた任務を果たし戻ること。これらが商人に課せられた働きである。

では,自動車の出現により暑い地域での移動はどのように変化したのだろうか。自動

車の出現により,もっとも大きく変わったのは言うまでもなく「時間の短縮」であろう。

例えば,100kmの移動を徒歩あるいはラクダで行った場合,どれくらいの時間を要す

るだろうか。例えば1時間で4km進むと仮定した場合,100kmの道のりを移動する

には25時間程度要することになる。しかし,時速100kmで走行する自動車でその距離

を走ったなら約1時間で目的に着くであろう。25時間と1時間,その差24時間の違い

をどのようにとらえるかであり,24時間という時間差はランドマーク商品としての自

動車の創造性(プラスのパワー)が発揮された結果であろう。

現代に生きる我々,あるいは日本のような社会で生きる我々は,その短縮した時間,

例えばそのようにして生み出された時間を各自の余暇に当てる,あるいは各自の仕事に

当てるなどのように,時間を他のことに当てている。モノ(商品)を使用することによ

り,効率的な時間を享受しているのである。それもランドマーク商品のもつ創造性(プ

ラスのパワー)の一側面である。

自動車の出現は,「時間の短縮」のみを暑い地域に創造したのではない。「移動中の快

適性」をも創りだしている。何度も述べているように,砂漠での移動は暑さとの闘いで

もある。自動車には(一般的に)屋根があり,日差しを避けることができるようになっ

ている。また時間の短縮により短時間で移動が可能となり,暑い時間帯の移動でも短時

間(先ほどの例:25時間が1時間へ)での移動が可能となる。そして近年ではクーラー

社会科学 84号24

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やオーディオなども装備され,車内は快適な空間を提供している。また,自動車は「移

動中の安全性」も創りだしている20)。自動車は,先ほどあげた例でいうと盗賊などの外

敵から身を守り,また暑さ等からも身を守ることを可能にしている。

ランドマーク商品としての自動車のもつ創造力,例えば時間の短縮,利便性,快適性,

安全性などは,暑い地域においてすべて発揮されている。そこで生活する者へ大きな影

響を与えたモノ(商品)といえるであろう。また,自動車のもつ特性および利便性等を

引き出すための装置,具体的にはアスファルト21)などによる舗装された道路の整備お

よび橋などの社会的インフラの整備等も,現在ドバイでは急速に整備されている。

次に,第二の「温度管理を可能にするモノ(商品)」についてである。例えば,クー

ラーや冷蔵庫などをあげることができるであろう。ドバイのような暑い地域(ドバイだ

けではなく日本のような地域でも同様であるが)では,それらのモノはランドマーク商

品として大きなパワーを発揮する。冷蔵庫は,主に食品の冷蔵および冷凍による簡易的

な食糧保存を可能とさせ,それにより生鮮品や魚肉類などの食品の腐敗を遅らせ,生活

者に食料面および精神面での安定を与え,人々の食生活に多大な影響を与えた。特に暑

い地域では,食料品の腐敗の速度ははやく,冷蔵庫の存在は暑い地域に住む者にとって

食料の安定ならびに保存に大きく貢献している。

ドバイでは,食料品のほとんどが外国から輸入される。特に生鮮品や魚肉類などは,

腐敗の速度を遅らせるため温度を一定に,あるいは一定以下に保つ必要がある。また,

加工食品,特に冷凍食品の流通および保存にも一定の温度管理が必要となり,コールド

チェーンの確立が必要となる22)。コールドチェーンの確立は,ドバイのような暑い地域

だけに当てはまるものではない。しかし,食料の安定供給という点からみたならば,暑

い地域での温度管理というのは我々が考える以上に重要なことであろう。

また,クーラーはドバイを含む暑い地域ではランドマーク商品として大きなパワーを

発揮する。暑さ対策は,昔から行われており,その代表的な例が,ドバイのヘリテイジ

ハウスなどでよく目にするドバイの古い建物に見ることができる。屋根の上に煙突のよ

うな送風装置があり,その煙突のような送風装置を利用し,外からの風を屋内へ送って

いる。送風装置は東西南北のどちらからの風でも屋内へ取り込むようになっており,ド

バイでも古くから暑さ対策がなされていたことが伺える。

しかし,今見たような送風装置は,自然条件(無風状態など)に大きく左右される可

能性がある。その場合,当然であるが屋外の気温が高い場合には,それにともなって室

内の温度も上昇していく。ちなみに,伝統的な送風装置(送風装置としての機能はない)

ドバイ社会の変化に関する一考察 25

Page 10: ドバイ社会の変化に関する一考察 - Doshisha...中継地として重要な地域であった。商業都市としてのドバイを確固たるものにしたのは,1900年代初頭に,対岸に位置

は,現在でも新たに建設される建物に取り入れられ見ることができる。

ドバイのような暑い地域でのクーラーは,ヒトが求めて集う場所(空間),憩いの場

所(空間),生活するために必要な場所(空間)などを提供する。ヒトは気温の高い場

所(主に屋外)を避け,涼しい場所を求めクーラーのある場所へ集まってくる。先ほど

述べたようにドバイには多くのショッピングモールがある。そのすべてのショッピング

モールは温度管理ができるようにクーラーが設置されている。ショッピングモールに足

を運ぶヒトは,純粋にショッピングを目的に行く人もいれば,涼しさを求めて行く人も

いるであろう。先ほども触れたが,ショッピングモール「モール・オブ・エミレーツ

(MalloftheEmirates)」内にある「スキー・ドバイ(SkyDubai)」などは代表的な

例であろう。

同施設は,その名のとおり,砂漠のドバイでスキーを楽しむ施設である。真夏であれ

ば連日,外気が約35℃(あるいは40℃)以上となるなか,「スキー・ドバイ」では防寒

着を着た中東の人たちが雪遊びを楽しんでいる。まさに我々の想像をはるかに超えた娯

楽施設であり,そのような施設がドバイには現に存在しているのである。人間の(自然

の)暑さに対する挑戦であり,「スキー・ドバイ」はヒトの行える温度管理(調節)の

最たるものであろう23)。現在,ドバイでは,バス停留所の待合室内,歩道橋内また歩道

橋に設置されているエレベーター内にもクーラーが取り付けられており,クーラーの設

置が可能な場所,あるいはクーラーの設置が考えられる場所に,それが取り付けられて

いる。

「オアシス」とは砂漠で水がある場所をあらわす言葉である。また,心に安らぎを与

えるような場所のこともいう。その昔,ヒトは水とひと時の安らぎを求めオアシスを訪

れた。ヒトが生きる上で,水が重要であることは現在でも変わらない。ドバイでは,ヒ

トが涼しさを求め,ショッピングモールなどのクーラーが設置されている場所にヒトが

集い,涼しさというひと時の安らぎを得る。まさにクーラーのある場所(空間)は,現

代版のオアシスとも言えるだろう。ここで重要なことは,ヒトが主体的にそして自由に

温度調節を行い,また温度を管理することであり,それを可能にしたのが例としてあげ

た冷蔵庫やクーラーなどのランドマーク商品である。

以上,見てきたようにドバイのような暑い地域において,ランドマーク商品のなかで

も特に「時間・距離を短縮させるモノ」,そして「温度管理(調節)を可能にするモノ」

は,その社会に大きな影響を与えると同時に不可逆性の高いものとなっている。

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4.結びにかえて

最後に,ランドマーク商品の影響によるドバイ社会の変化について,いくつか私見を

述べ結びにかえたい。

以上,ドバイのような暑い地域で発揮されるランドマーク商品のもつ創造力(プラス

のパワー)を「時間・距離を短縮させるモノ」,「温度管理(調節)を可能とするモノ」

の二つの視点から見てきた。どちらの特性もドバイのような暑い地域だけで,ランドマー

ク商品のもつ創造力が発揮されるわけではない。日本のような国,あるいはそれ以外の

国や地域で,上記した特性をもつモノ(商品)がランドマーク商品となることは十分に

想像がつく。

しかし,ドバイのような暑い地域では,今回取り上げた二つの視点「時間・距離の短

縮させるモノ」「温度管理(調節)を可能とするモノ」がもっともランドマーク商品の

もつ創造力を発揮すると思われる。なぜなら,今回,具体的に取り上げた自動車やクー

ラーなどは,それが出現した前と後では,そこで生活する人々のライフスタイルが大き

く変化したと思われるからである。繰り返しになるが,自動車は暑い地域での移動手段

において時間および歩行距離の短縮,安全な移動,また暑さをしのぐことなど,実に多

くの創造力を発揮している。クーラーにおいても同様に同地に人々の集うオアシスを提

供し,日常の生活に快適性を提供した。ヴェブレンが「いったん私たちが得た生活水準

を引き下げることが困難である」24)と指摘しているように,現在のドバイでは自動車お

よびクーラーを手にした以上,以前の生活に戻ることは困難であり,またそれを使用し

ないという選択肢は考えなれないであろう。

ドバイを含む中東地域では,基本的に部族が中心となった部族社会である。それは現

在でも変わっていない。現に,UAEは七つの首長国からなっている国家である。その

七つの首長国は,それぞれの首長一族により統治されている。部族長がそれに連なる一

族をまとめ,部族長の指示に従い統一した行動をとる。砂漠の多い中東地域では,意思

統一そして統一行動をとることは重要であり,部族は砂漠という過酷な環境で,一族が

路頭に迷わず生きていくためには重要な(生命維持のための,相互扶助のための,等々)

システムである。そのようなシステムの中にあっては,部族長の発言および決定はそれ

なりに重みがあり,当然それに連なる者は従うことになる。逆に,その長に部族を治め

る能力が欠ける場合には,部族の中から新たに長が誕生する。

これまでの研究成果25)からも明らかなように,ランドマーク商品は,我々のライフ

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スタイルを大きく変化させるものである。誤解を恐れずにいうならば,それは多くの場

合,生活者「個人」のライフスタイルの変化に直結している。ランドマーク商品のもつ

創造力(プラスのパワー)は,ヒトが「個人」として,あるいは「一人」で生きていく

ことに大きく貢献していると言えるのではないだろうか。

では,ランドマーク商品は,そのような部族社会にどのような影響を与えるのだろう

か。ライフスタイルを大きく変化させるランドマーク商品は,砂漠という過酷な生活環

境の場で,他人の意見に従わず,個人の判断により物事を決め,そして一人で生きてい

く(生活していく)という選択肢を与えるほどのパワーを提供すると思われる。それは

部族社会の伝統的な価値観や慣習,習慣などに影響を与え,また,集団生活から個人が

中心となった生活へ,そして集団行動から個人が中心となった行動へと,生活スタイル

および行動スタイルの変化をも生むであろう。しかし,得てして伝統を重んじる社会,

また文化的あるいは宗教的な要素が社会(生活)に強い影響を与える地域や国では,モ

ノ(商品)は普及するが,しかしモノの普及によってそこに住む人々の価値観等を含む

ライフスタイルが変化しない場合もある。それはある商品が日本ではランドマーク商品

になり得ても,ある商品がある地域や国ではランドマーク商品になり得ないということ

である。例えば,伝統的あるいは経済的な格差等により家庭内で使用人を雇っている場

合など,また宗教的あるいは社会的な制度により職業の自由がない場合などがその例で

あろう。それらは大きな問題であり,この場で論じることはできない。別の機会に論じ

たいと思う。

以上,ドバイ社会にモノ,特にランドマーク商品が与える影響について検討してきた。

しかし,本稿で論じることのできなかった点も多くある。例えば,ランドマーク商品の

破壊力(マイナスの面)について,また自動車やクーラー以外のモノ(商品)が与える

影響などについて,およびドバイのような特異な社会(人口構成,所得階層等)におけ

る「社会」変化にモノ(特にランドマーク商品)が与えた影響等,それらの点について

は,今後の課題とし引き続き研究を継続していきたい。

〔付記〕本稿は,同志社大学人文科学研究所第5研究会(2008年11月2日,同志社大学)

での報告草稿に加筆したものである。当日有益なコメントを賜った研究会の先生

方に心より厚く御礼を申し上げたい。

なお,本稿は平成20年度科学研究費補助金(若手研究(B))「イスラーム諸国

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における財閥の形成・発展過程に関する一考察」の助成にもとづく研究成果の一

部である。

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1)世界経済の影響を受け,2008年11月ごろからドバイ経済にも失速の兆候がみられ,いくつ

かのプロジェクトが延期もしくは中止となっている。

2)ドバイの基本的な考え方(発想)は以下の七つである。恩田・池上・近江(2008)69�71

頁。

① GCC諸国でできないことは何か。

② 周辺諸国でできないことは何か。

③ イスラーム諸国でできないことは何か。

④ 世界でできないことは何か。

⑤ できることであれば,その規模を圧倒的に大きくできるか。

⑥ 同じものであれば新たな組み合わせによる違いが出せるか。

⑦ 新たな発想とアプローチを試せるか。

3)ドバイでの現地調査の主な目的は,イスラーム諸国で活躍する財閥の形成ならびに発展過

程についての調査である。

4)ランドマーク商品とは「その出現によって,それ以前の生活スタイルを大きく変え,生活

の利便化,効率化,安楽化,安直化,簡明化つまり労働の軽減と自由時間の増大に決定的

な影響を与え,多様な生活スタイルを実現させ,その背景となる価値観の変容をも促すほ

どのパワーもった商品」のことである。石川「なぜ,商品を買うのかだろうか 商品史

のドア 」石川編著(2004)10�11頁を参照。

5)同国の連邦体制にかかわる1970年代の政治的なやり取りについては,堀拔(2008)に詳し

く述べられているので,それを参照のこと。

6)「アラブ首長国連邦概況(PDF版)」2頁,第32回中東協力現地会議資料・各国概況,�

中東協力センター HP(http://www.jccme.or.jp/japanese/08/pdf/08-07-02-09.pdf,

2007年12月6日採録)。

7)川満(2008)。また,細井(2005),皆木(2005),GraemeWilson(1999),DavidQuinn

& Joseph Rowland(2005), HisHighnessSheikh Mohammedbin RashidAl

Maktoum(English)OfficialWebsiteなども参照のこと。

8)ドバイは,石油資源の枯渇にそなえ「脱石油」をスローガンに,石油に頼らない自国(ド

バイ)経済・産業の多様化につとめている。

9)・UAE PopulationEstimates・,DepartmentofTourism andCommerceMarketing,

GovernmentofDubaiWebsite(http://dubaitourism.co.ae/Portals/0/Statistics/

PopulationStatistics/A001%20uae%20population%20estimates%20in%20%202007.pdf,

2008年11月14日採録)より。

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10)前田は,前田(2008)で中東産油国の統計発表について「奇妙な数字のカラクリ(前田

(2008)111�115頁)」を指摘している。同氏の試算によれば,実質的なUAE(ナショナ

ルズ)の一人当たりのGDP(2005年)は14万ドル(ちなみに,同年の日本のそれは3万

6,000ドルとのこと)となる。詳細については,同書を参照のこと。

11)日本のダイソー(株式会社大創産業)などもドバイ(2004年3月3日オープン)へ進出し

ている。ダイソーは,UAE内でドバイを含め,七つの首長国すべてに出店している。詳

しくは,同社HP(http://www.daiso-sangyo.co.jp/shop/foreign/uae.html,2008年11

月28日採録)を参照のこと。また,イエローハットもドバイへ進出し,現在(2008年12月

現在)2店舗ある。

12)ドバイの代表的なスークは,ゴールドスーク(GoldSouk),テキスタイルスーク

(TextileSouk),スパイススーク(SpiceSouk)など(他に多くある)であり,現在で

は観光客も多く足を運びにぎわっている。

13)ドバイを含むUAEは,自国内で消費されるほとんどのモノ(商品)を外国からの輸入に

頼っている。もちろん自動車や冷蔵庫なども例外ではない。川満(2008)でも述べたが,

ドバイ政府は工業化を目指すのではなく,ドバイを中東の物流・ビジネスの拠点とするた

めに,多種多様なフリーゾーンを建設し,外国企業の誘致を積極的に行っている。それだ

けではなく,外国から多くの観光客を呼び込むため,積極的に観光施設などの開発をすす

め,巨大なショッピングモールなどの商業施設を建てている。繰り返すが,それらの政策

はドバイでモノを作るためのもの(工業)ではなく,モノを流通させる(商業・サービス

業)ために行っている。

14)恩田・池上・近江(2008)98頁。同書では,ドバイの所得階層(消費者社会層構造)と人

口の国籍構造が重なると述べ,所得階層を富裕層(ハイエンド層:ナショナルズ),高所

得者層(アッパー層:先進諸国からの駐在員など),中間層(労働者の中でも比較的給与

の高い層(企業のマネージャークラス):アジア人労働者など),低所得者層(建設労働

者など:アジア人労働者など)に分けている。

15)ドバイにあるホテルへの2007年の宿泊者数である。出典は・HotelStatisticsSummary

1998-2007・(PDF),p.69,DepartmentofTourismandCommerceMarketing,Govern

mentofDubaiWebsite(http://dubaitourism.ae/EServices/Statistics/HotelStatistics

/tabid/167/language/en-US/Default.aspxより,2008年12月9日採録)。

16)いわゆる快適性,利便性,簡便性など。また今回は「破壊力(マイナス面)」は検討しな

い。「破壊力」については別稿で述べる。

17)参考までに,ドバイで販売されている自動車(中古車)の価格は,年式や走行距離により

異なるが,トヨタカムリ:約67,000Dhs(1Dhsは約26円),トヨタランドクルーザー:

約165,000Dhs,トヨタカローラ:約58,000Dhsとなっている(AlFuttainAutomall

Website,http://www.automalluae.com/,09.5.10採録)。

18)ランドマーク商品としての自動車については,瀬岡誠「負の商品史 消費社会における

自動車と人間 」石川編著(2004),瀬岡和子「日本におけるモータリゼーションの進

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展とその負性」石川編著(2004)で詳しく論じられているのでそちらを参照のこと。

19)ムハンマドについて書かれた文献は数多く存在する。紙幅の関係上ここに記さないが,そ

れら文献を参照のこと。

20)自動車には,創造力(プラスのパワー)だけではなく,自動車事故などの破壊力(マイナ

スのパワー)が存在することもわかっているが(瀬岡誠「負の商品史 消費社会におけ

る自動車と人間 」石川編著(2004)を参照のこと),本稿では,先にも述べたように

創造力(プラスのパワー)のみを取り上げる。破壊力(マイナスのパワー)については別

稿で論じたい。

21)ランドマーク商品としてのアスファルトについては,石川「アスファルト」石川編著

(2006)を参照のこと。

22)ランドマーク商品としての「冷凍食品」については,川満「冷凍食品」石川編著(2006)

を参照のこと。

23)もちろんそのような革新的な事柄には,世界的な環境問題の点から負の側面も多くあるこ

とは理解している。

24)ヴェブレン(2004)101�102頁。

25)同志社大学人文科学研究所第5研究会(代表者:石川健次郎(同志社大学教授))の1995

年から2008年の現在まで,ほぼ毎月開催された研究会でのメンバーが行った研究報告(同

志社大学人文科学研究所『研究所報』No.31(1995年)~No.43(2007年)を参照のこと)

など。また,同研究会の研究成果としては,石川編著(2004)(2006)(2008)などがある。

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石川健次郎編著(2006)『ランドマーク商品の研究② 商品史からのメッセージ 』同文

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舘出版社。

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参考にしたウェブサイトは,本文中に掲載。