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1 テロ予防手段としての政府開発援助 小野 圭司 <要 旨> 2001 9 月の米国同時多発テロ以降、テロ予防手段としての政府開発援助(ODA)の重 要性が再認識されている。本来 ODA は発展途上国の貧困削減であり、テロの予防手段とし ては間接的にしか機能しない。しかし雇用を創出し経済的に豊かになると、地域住民によ るテロ組織への参加・支援が減少することが期待される。この過程で重要なのは ODA の内 容とその供与方法であり、受け取る側の政府の統治能力である。またテロ予防策として実 効性を上げるためには ODA 単独では限界があり、他の手段との組み合わせが不可欠である。 はじめに 21 世紀初頭(2015 年まで)における世界の開発援助政策の指針として、2000 9 月に 開催された国際連合ミレニアム・サミットの結果を受けて、国連は大きく 8 つの項目から 成る「ミレニアム開発目標」を策定した。これは社会・経済・教育・保健衛生・環境等の 多岐にわたって、先進諸国や国際機関による開発援助が取り組むべき課題を列挙してある。 ただしこの中心となるのは「貧困の削減」であり、特にサハラ砂漠以南のアフリカに多く 存在する最貧国への対応に事実上の主眼が置かれていた。 しかし 2001 9 11 日に発生した米国同時多発テロを契機に、開発援助政策における 貧困削減がテロ対策としての政策的色彩を強く帯びるようになった。この背景には、テロ に対処するためには、テロそのものよりもテロを生み出す源に対処する必要性が認識され るようになったことがある 1。そして開発援助は、テロの源に対処する有力な手段の 1 と見なされるようになったのである。米国のブッシュ(George W. Bush)大統領は、2002 3 月のメキシコのモンテレイで開催された国連開発資金会議の演説で「我々はテロ対策 として、貧困の解決に取り組む」と述べた上で、2004 年からの 3 年間で開発援助を 50増額させることを表明した 2。それまで開発援助の拡大に慎重な姿勢をとってきた米国 1Niall Burgess and David Spence, The European Union: New Threats and the Problems of Coherence,Alyson J.K. Bailes and Isabel Frommelt eds, Business and Security: Public-Private Relationships in a New Security Environment (Oxford: Oxford University Press, 2004), p. 93. 2George W. Bush, President Outlines U.S. Plan to Help World's Poor: Remarks by the President at United Nations Financing for Development Conference,White House <http://www.whitehouse.gov/ news/releases/2002/03/20020322-1.html>, accessed on February 10, 2007.

テロ予防手段としての政府開発援助 - MODTerrorism Prevention )』を発表している(4)。我が国も2003(平成15)年8 月に閣議決定 した「政府開発援助(ODA)大綱」での中で、テロの予防策としての開発援助の役割につ

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Page 1: テロ予防手段としての政府開発援助 - MODTerrorism Prevention )』を発表している(4)。我が国も2003(平成15)年8 月に閣議決定 した「政府開発援助(ODA)大綱」での中で、テロの予防策としての開発援助の役割につ

1

テロ予防手段としての政府開発援助

小野 圭司

<要 旨>

 2001年 9月の米国同時多発テロ以降、テロ予防手段としての政府開発援助(ODA)の重

要性が再認識されている。本来 ODAは発展途上国の貧困削減であり、テロの予防手段とし

ては間接的にしか機能しない。しかし雇用を創出し経済的に豊かになると、地域住民によ

るテロ組織への参加・支援が減少することが期待される。この過程で重要なのは ODAの内

容とその供与方法であり、受け取る側の政府の統治能力である。またテロ予防策として実

効性を上げるためには ODA単独では限界があり、他の手段との組み合わせが不可欠である。

はじめに

 21世紀初頭(2015年まで)における世界の開発援助政策の指針として、2000年 9月に

開催された国際連合ミレニアム・サミットの結果を受けて、国連は大きく 8つの項目から

成る「ミレニアム開発目標」を策定した。これは社会・経済・教育・保健衛生・環境等の

多岐にわたって、先進諸国や国際機関による開発援助が取り組むべき課題を列挙してある。

ただしこの中心となるのは「貧困の削減」であり、特にサハラ砂漠以南のアフリカに多く

存在する最貧国への対応に事実上の主眼が置かれていた。

 しかし 2001年 9月 11日に発生した米国同時多発テロを契機に、開発援助政策における

貧困削減がテロ対策としての政策的色彩を強く帯びるようになった。この背景には、テロ

に対処するためには、テロそのものよりもテロを生み出す源に対処する必要性が認識され

るようになったことがある(1)。そして開発援助は、テロの源に対処する有力な手段の 1つ

と見なされるようになったのである。米国のブッシュ(George W. Bush)大統領は、2002

年 3月のメキシコのモンテレイで開催された国連開発資金会議の演説で「我々はテロ対策

として、貧困の解決に取り組む」と述べた上で、2004年からの 3年間で開発援助を 50%

増額させることを表明した(2)。それまで開発援助の拡大に慎重な姿勢をとってきた米国

(1)  Niall Burgess and David Spence, “The European Union: New Threats and the Problems of Coherence,” Alyson J.K. Bailes and Isabel Frommelt eds, Business and Security: Public-Private Relationships in

a New Security Environment (Oxford: Oxford University Press, 2004), p. 93.(2)  George W. Bush, “President Outlines U.S. Plan to Help World's Poor: Remarks by the President at

United Nations Financing for Development Conference,” White House <http://www.whitehouse.gov/news/releases/2002/03/20020322-1.html>, accessed on February 10, 2007.

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防衛研究所紀要第 10 巻第 3号(2008 年 3 月)

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にとって、これは大きな方針転換であった。そして国連開発資金会議そのものは同時多発

テロ発生の半年後に開催されたこともあり、同会議では各国からの代表による演説の多く

がテロ対策と開発援助の関連に言及している(3)。また経済協力開発機構(OECD)の開発

援助委員会(DAC)では、加盟国に対して開発援助をテロ対策として用いる際の指針とし

て、2003年に『テロ予防のための開発援助協力(A Development Co-operation Lens on

Terrorism Prevention)』を発表している(4)。我が国も 2003(平成 15)年 8月に閣議決定

した「政府開発援助(ODA)大綱」での中で、テロの予防策としての開発援助の役割につ

いては、「貧困削減は、国際社会が共有する重要な開発目標であり、また、国際社会におけ

るテロなどの不安定要因を取り除くためにも必要である」と述べている。さらに 2005(平

成 17)年 2月に閣議決定された「政府開発援助に関する中期政策」の中で、「(テロを含む)

地球的規模の問題は、国境を越えて個々の人間の生存にかかわる脅威である。国際社会の

安全と繁栄を実現するために、我が国は ODAを用いて積極的に貢献する」と明記し、テロ

に関する問題解決のために ODAを活用する姿勢を一層明確にした(5)。

 本稿は、近年テロの予防手段としての役割を求められるようになった ODAについて、そ

の有効性を検討するものである。そして本稿での検討の背景には上述のように、当初開発

援助による貧困削減が提唱される中で、2001年の米国同時多発テロをきっかけとして貧困

削減の ODAがテロ対策と結び付くようになった経緯がある。従ってここでは、ODAによっ

てもたらされるマクロ経済への影響とテロの予防策としての効果を議論する。ODA(無償・

有償)には資金協力と技術協力の大きく 2種類が存在するが、技術協力(警察へのテロリ

スト捜査技術支援や金融当局へのテロ資金摘発技術支援等のテロ対処能力向上支援)や対

テロ装備・機材の供与等(多くは無償資金協力の形で行われている)の形で実施されてい

る直接的なテロ対策はここでの対象とはしない(6)。ODAの本来の目的は発展途上国の貧困

削減・経済水準の向上であり、このような援助が波及効果としてテロの予防にどのように

機能するのか考察することが本稿の目的である。

(3)  Financing for Development Coordinating Secretariat, Department of Economic and Social Affairs, United Nations, Financing for Development, Building on Monterrey (New York: United Nations, 2002)を参照。

(4)  Development Assistance Committee, Organisation for Economic Co-operation and Development, A

Development Co-operation Lens on Terrorism Prevention (Paris: OECD, 2003).(5)  外務省「政府開発援助に関する中期政策」 2005年、7ページ。「政府開発援助に関する中期政策」とは、「ODA大綱」の下での 5年程度の期間にわたるODAの基本的な考え方や重点課題を明らかにした文書。

(6)  テロ対処能力向上支援としては、我が国は出入国管理、航空保安、海上港湾保安、税関、輸出管理・不拡散、警察及び法執行機関、テロ資金対策、生物・化学・核テロ対策の各分野で支援を行っている。またテロ対処を目的とした巡視艇の供与(インドネシア)、指紋照合システムの供与(フィリピン)、警察無線と鑑識機材の供与(インドネシア)、空港。港湾保安機材の供与(インドネシア)等を実施している(「テロ対処能力向上(キャパシティ・ビルディング)支援」外務省 <http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/terro/kyoryoku_06.html>, 2007年 2月 28日参照)。

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テロ予防手段としての政府開発援助

1 ODA が対処すべきテロとは何か

 一口にテロといっても、その内容は多岐・複雑である。そして ODAで発展途上国の貧困

を撲滅させテロの温床を除去するにしても、あらゆるテロ行為がその対象となるわけでは

ない。OECDは『テロ予防のための開発援助協力』の中で、テロの予防と開発援助の関係

について議論する際におけるテロの性質を理解することの重要性を指摘している(7)。その

中でも述べられているように、米国同時多発テロで一躍注目されるようになった国際テロ

組織は旧来のテロ組織とはその性質や形態が異なっている。米国同時多発テロの翌年に出

された英国議会の庶民院外交委員会の報告でも、アル・カイーダは組織の目的が不明確で

あるのに対して、パレスチナで自爆テロを行う集団はイスラエルの占領を排除してパレス

チナ国家を建設するという明確な目的を持っており、後者はテロとの戦いの対象とはなら

ないと述べられている(8)。そのため ODAが対象とする近年の国際テロリズムの範囲を確

定することが必要となるが、その必要性に言及している OECD自身もテロの性質の把握が

困難であることは理解している。加藤朗は、テロの定義が難しい理由として以下の 3点を

挙げている。第 1に定義する目的が様々であること、第 2にテロの目的に対する価値判断

が多岐にわたっていること、そして第 3に政治目的を達成する手段としてテロが有効であ

ること、である(9)。このため加藤によると、例えば国連ではテロの定義付けを行っていない。

民族解放を目的とした破壊活動、これに対する報復的攻撃、そしてこれらの背後に宗教的

なアイデンティティ等が潜んでいる場合、テロを定義しようとする試みはそれぞれの破壊

活動・武力行使に対する価値判断を含むためである。特に最後の点に関してはタウンゼン

ド(Charles Townshend)もそれに沿うような考え方を示しており、テロリストと自ら名乗っ

ている集団は無く、「テロリスト」とは第三者による含意を有する区分であるとしている(10)。

 ただし清水隆雄も指摘するように、近年テロの行為主体の変質が観察されることは間違

いないようである(11)。清水はフランス革命時まで遡ってテロ行為主体に関する考察を行

う中で、テロを大きく国家が反対派を抑圧するもの(例えばロベスピエール(Maximilien

Robespierre)らによる恐怖政治)と人民による国家への反抗の大きく 2つに分けている。

(7)  Development Assistance Committee, Organisation for Economic Co-operation and Development, A

Development Co-operation Lens on Terrorism Prevention, p. 11.(8)  Foreign Affairs Committee, House of Commons, Foreign Policy Aspects of the War against

Terrorism (London: Stationery Office Limited, 2002), p. 41.(9)  加藤朗『テロ──現代暴力論』(中央公論新社、2002年)24~ 25ページ。(10)  Townshend, Charles, Terrorism: A Very Short Introduction (Oxford: Oxford University Press,

2002), p. 3.(11)  清水隆雄 「テロリズムの定義──国際犯罪化への試み 」『レファレンス』第 657号(2005年 10月)

38ページ。

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防衛研究所紀要第 10 巻第 3号(2008 年 3 月)

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つまりこの段階では、テロの行為主体または標的のいずれかに国家が関係している。ただ

し近年に入ってから国家主導によるテロは国家機関が実施するものの他に、国家が私人や

団体に資金・武器等の援助を与えてテロ行為を行わせる場合、また国家がそのような者に

指令を与えてテロを行わせる場合が現れている(12)。そして 2001年の米国同時多発テロは、

それまでのテロに関する概念を大きく変えることとなった。第 1はテロの標的が一般市民

となっていること(標的の無差別化)、第 2はテロの動機が政治的なものから宗教色の強い

ものに変化したことである。もっとも米国同時多発テロはそのようなテロの変質を目立た

せたのであり、清水によるとこのような兆候は 1980年代から観察されていた。

 更に時代を絞った考察では、スコンス(Elisabeth Skons)が第 2次大戦以降における国

際テロ活動の性質の変遷を大きく 3つの時代に区分している(13)。第 1に冷戦期における代

理戦争としての国家支援によるテロ活動であり、第 2は 70年代後半から 80年代前半にか

けての生じたテロ活動の非国家主体化である。ここまでは、上述の清水の議論と軌を同じ

くしている。ただしスコンスは、非国家主体となったテロ組織が自力による資金調達の方

法を探り出したことを重視する。そして第 3が 90年代に起こったテロ活動の地球規模化で

あり、この傾向は金融市場の規制緩和によりテロ組織にとって国境を越えた資金調達が可

能となった時に始まっている。ナポレニ(Loretta Napoleni)の推計によると、テロ組織に

よる経済活動規模は 1.5兆ドルに上り、これは世界の国内総生産(GDP)の 5%に相当する(14)。このことそのものはテロの性質と直接関係はないが、非国家主体であるテロ組織の経

済活動拡大は、そのままこれらテロ組織による活動規模の拡大に直結する。

 テロの行為主体の変質には、国際社会における対立軸の変化も影響している。つまり冷

戦が終了して資本主義(自由主義)対共産主義との対立軸が消滅すると、宗教や民族にア

イデンティティを求める宗教原理主義や民族原理主義が対立軸を形成するものとして登場

してきている。この結果テロの行為主体として、加藤朗が例示する宗教集団、民族集団、

ゲリラ集団に代表される亜国家主体が中心的な役割を果たすようになってきている(15)。加

藤は低強度紛争(Low Intensity Conflict: LIC)を亜国家主体対国家主体の紛争と定義し、テ

ロ組織は亜国家主体の 1つに挙げられている。そして紛争の手段は主体によって限定され

(12)  清水は前者の例として 1979年にイランで発生した米国大使館占拠事件、83年に発生したベイルートの米国大使館自爆攻撃事件を、後者の例としては 81年のローマ法王暗殺未遂事件(ブルガリア政府の指令による)を挙げている。

(13)  Elisabeth Skons, “Financing Security in a Global Context,” SIPRI Yearbook 2005 (London: Oxford University Press, 2005), p. 288.

(14)  Loretta Napoleoni, Modern Jihad: Tracing the Dollars Behind the Terror Networks (London: Pluto Press, 2003), note 10.

(15)  加藤朗『現代戦争論』(中央公論社、1993年)34ページ。さらに国連(超国家主体)や多国籍企業のような組織も、亜国家主体の例(脱国家主体に区分される場合もある)として挙げている。

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テロ予防手段としての政府開発援助

るのであり、テロ組織などの亜国家主体が使うことのできる手段はテロやゲリラ活動に限

られる。同時に、「亜国家主体対国家主体の紛争のほとんどすべては治安維持機能が正常に

機能し、司法制度が信頼性を獲得し、民主主義制度が確立している限り、警察、裁判所、

議会、政府などを通じて合法的かつ平和的に解決される」のである(16)。そして加藤はテロ

そのものについては、「暴力の使用や威嚇によって恐怖(terror)の心理的状態を作り出し、

その恐怖を行使することによってある特定の目的を達成する手段」と定義している(17)。つ

まりテロは、紛争解決に際しての平和的手段(交渉)と物理的暴力(武力の行使)の中間

に位置する、精神的暴力の一種とされる。そして行為主体に注目した上で、テロ活動を以

下のように分類している(18)。

 

行為主体 具体的なテロ活動の内容

国家主体 経済制裁、軍事演習等(外圧外交)

亜国家主体 人質誘拐、暗殺、破壊活動による威嚇・脅迫

出所:加藤朗『現代戦争論』(中央公論社、1993年)72ページ。

 このようにテロの定義に関する議論を概観すると、ODAが対処すべきテロの範囲が漠然

とではあるが見えてくる。まず ODAをテロ対策として用いるのであるから、対象となるテ

ロは発展途上国に本拠地を置くものとなる(19)。テロ組織には先進国に拠点を置くものも多

く存在するが、これらはここでの対象とはならない。もっともテロ組織は最近では国境を

越えて活動するので、本拠地が発展途上国にあってもテロが先進国で実行される場合は多

い。また近年におけるテロの傾向として、テロリストは被行為主体を直接攻撃するではな

く(政府要人への攻撃等)、攻撃対象が無差別化された上で恐怖の蔓延を最終的な被行為主

体への攻撃手段として用いている。そのため、テロの標的と被行為主体は一致しない。さ

(16)  同上 42ページ。(17)  同上 71ページ。加藤はこの後にクラウゼヴィッツの戦争の定義を用いる形で、「テロリズムとは、

敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる〈精神的〉暴力行為である」とテロを定義するが、むしろ本文に引用した部分の方が説明的である。

(18)  加藤は、LICの範疇に含まれない国家主体が国家主体に対して行うテロの例を大きく 2つに分けて紹介している。第 1は戦時において、軍事上の目的を遂行するための戦術として行われるものである。これは正規戦を補完する目的で、工作員や特殊部隊によって敵の後方地域で実行される。第2は休戦時に政治目的達成のために行われるものであり、正規戦に代替するもの、または強圧外交の一部として実施される。この場合は、敵対国のテロ組織に資金や武器を提供し、これらの反政府活動を支援するという方法もとられる(同上 74ページ)。

(19)  ただし前線拠点や活動拠点は、本拠地を離れて先進国等に置かれることは多い。例えばアル・カイーダの活動拠点は、英国・イタリア・ドイツ・スペイン・ベルギー等にも置かれている。The European Union Institute for Security Studies, A Secure Europe in a Better World: European

Security Strategy (Paris: The European Union Institute for Security Studies, 2003), p. 7.

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防衛研究所紀要第 10 巻第 3号(2008 年 3 月)

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らに個々のテロリストを結び付けるのは、政治信条のようなイデオロギーよりはアイデン

ティティである。これらをまとめると、ODAを用いた対応が求められるテロは以下のよう

に定義できるであろう。

 

行為主体 発展途上国に本拠地を置く亜(非)国家主体

標的 都市部の一般大衆(被行為主体に属するソフト・ターゲット)

被行為主体 国家主体

テロリストの絆 アイデンティティ

 ここでは、標的と被行為主体を分離した。被行為主体である国家主体は警察や軍隊等の

実力組織を有しており、テロの行為主体にとっては難しい標的(ハード・ターゲット)で

ある。そこでテロの行為主体は防備の手薄な一般大衆(ソフト・ターゲット)を狙って恐

怖の蔓延を画策し、被行為主体である国家主体に圧力をかける。その際、テロは都市部で

実行される。国家主体にとって都市は象徴的な存在であり経済活動の中心であるが、同時

にこのことはテロリストにとっても、都市部で実行されたテロには象徴的な意味が付与さ

れることを意味する(20)。また敵対勢力の要人暗殺のような行為はテロ行為ではあるが、本

稿においては ODAによる対処が期待されているものではないとする。なおここでいう国家

主体とは単一の主権国家の他、複数の主権国家がその意思を反映・実行する目的で設立し

た機関等を含んでいる。従って加藤は国連のような組織は国家主体ではなく亜国家主体に

分類しているが、本稿では国連や世界銀行、多国籍軍も国家主体に含まれる。また行為主

体の亜(非)国家主体については、カルドー(Mary Kaldor)が述べている「排他的なアイ

デンティティに基礎を置く多国間ネットワーク」という表現が適用できよう(21)。カルドー

は元々新しい紛争の行為主体を形容する表現としてこれを用いているが、近年におけるテ

ロの行為主体の定義に当てはめることも可能である。宗教や民族がアイデンティティの代

表的なものであるが、これらはイデオロギーと異なり属性であるので変更は不可能または

大変困難である。このことが、アイデンティティを絆とするテロ組織への対応を難しくし

ている。

(20)  Jo Beall et al., “Transcript of Terrorism and Development Debate” (London: Development Studies Institute, London School of Economics and Political Sciences, 2005) <http://www.lse.ac.uk/collections/DESTIN/pdf/TranscriptTDDebate.pdf>, accessed on January 20, 2008.

(21)  Mary Kaldor, New and Old Wars: Organized Violence in a Global Era (Cambridge: Policy Press, 1999), p. 6.

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テロ予防手段としての政府開発援助

2 テロと貧困の関係

 2001年の米国同時多発テロ直後には、テロの温床となる貧困への対処が課題として各方

面で取り上げられた。例を挙げるとラスル(Amina-Bernardo Rasul)はフィリピンのミン

ダナオを例に、貧困と武装闘争の悪循環の存在を指摘する(22)。ミンダナオでは貧困はイス

ラム教徒地域に偏在しており、このためイスラム教徒地域の住民は他地域に対して疎外感

を抱いている。また武装闘争の激化は経済活動の停滞を通じて貧困を一層悪化させ、武装

闘争の激化はテロの頻発を導くことになる。ただしこの悪循環は、因果関係を意味しない。

むしろ一般的なテロは貧困が原因ではないというのが、現在では通説となっている。アイ

ルランド共和国軍(IRA)のテロに悩んでいた英国は先進国であり、パレスチナ武装勢力の

テロ活動が行われている西岸・ガザ地区も決して貧困に悩んでいる地域ではない。同様に

フィリピンも、アフリカ諸国よりは多くのテロに悩まされているものの、アフリカ諸国ほ

どの貧困には直面していない(23)。またアジアでも最貧国の部類に入るアフガニスタンにお

いても、戦争による荒廃はタリバンが台頭する 14年前から始まっており、タリバンの勢力

伸張と貧困はほとんど関係ないと考えられている(24)。

 このような認識は、援助供与国側の公式見解の中にも現れている。米国のブッシュ大統

領は、同時多発テロ 1年後の 2002年 9月 11日の『ニューヨーク・タイムズ』紙論説欄へ

の寄稿の中で、「貧困が原因で、人々がテロ活動を行ったり殺人を犯したりするものではな

い」と述べており、半年前のモンテレイでの演説とは論調に変化が観察される(25)。2003

年 12月に欧州理事会で採択された『より良い世界における安全な欧州─欧州安全保障戦略

(A Secure Europe in a Better World: European Security Strategy)』では、地球規模での

テロ活動の原因を近代化・文化・社会・政治危機からの圧力、そして外国にいる若い世代

の持つ疎外感をテロの原因としているが、これらの問題はヨーロッパ社会にも存在してい

ると述べており、決して発展途上国に限られたものではない(26)。

 他方でテロ組織は経済的に裕福で高学歴といった階層からの参入者で構成されていると

いう事実があるが、この点からもテロと貧困を結び付ける考えには批判的な傾向も存在す

(22)  Amina-Bernardo Rasul, “Poverty and Armed Conflict in Mindanao,” mimeo, US Institute for Peace, (2002), p. 18.

(23)  Kim Cragin and Peter Chalk, Terrorism & Development: Using Social and Economic Development

to Inhibit a Resurgence of Terrorism (Santa Monica: RAND Corporation, 2003), p. 2.(24)  Daniel P. Sullivan, “Tinder, Spark, Oxygen, and Fuel: The Mysterious Rise of the Taliban,” Journal of

Peace Research, vol.44, no.1 (2007), p. 97.(25)  George W. Bush, “Securing Freedom's Triumph” The New York Times, September 11, 2002.(26)  The European Union Institute for Security Studies, A Secure Europe in a Better World, p. 7.

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防衛研究所紀要第 10 巻第 3号(2008 年 3 月)

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る(27)。むしろ裕福で高学歴であるという事実は、個人の選択においてテロヘの参加を促す

要因であるという見方がある(28)。例えばパレスチナでの自爆テロ実行犯のうち、貧困層出

身者は 13%を占めるに過ぎない。そして 57%以上は、大学水準の教育を受けた者である。

一般的には経済的に裕福であり高学歴であることは、テロに参加することの機会費用を高

めることになると考えられる。つまり貧困が解消されると、テロに参加する者は減少する

はずである。ところが実際には、裕福で高学歴であることがテロ参加に対する抑制要因と

なっていない。

 しかし個々人と彼らが所属する共同体との関係で議論すると、テロと貧困の関係が観察

される場合もある。前節で見たように ODAによる対処が求められるテロは、アイデンティ

ティで結び付いた組織が行為主体となっている。アイデンティティは宗教や民族等の個人

の属性であるので、アイデンティティで結束しているテロ組織の構成員は、それ以前にア

イデンティティで構成される共同体の一員である。そして経済的に貧しい共同体における

富裕層がテロに参加しているとする、いわゆる「テロのロビン・フッド・モデル」では共

同体の貧困という事実がテロへの動機の根底にある。貧困を目の当たりにしていながら、

合法的・平和的手段による事態の改善が期待できない場合には、テロを通じて現状打破を

図るというものである。つまりテロリストは富裕層であっても、貧しい共同体の存在がテ

ロを生む土壌となっている。

 この他に、テロリストは先進国よりも発展途上国の出身者が多いという事実がある。ク

ルーガ(Alan B. Kuruga)は統計分析の結果に基づいて、テロの発生に有意な影響を与える

のは貧困ではなく市民的自由(civil liberty)の欠如であると結論付け、テロリストに発展途

上国の出身者が多い理由は、多くの途上国で市民的自由に制限が加えられているためであ

ると述べている(29)。従ってサウジアラビアやバーレーンのように経済的に裕福な国であっ

ても市民的自由が制約されている国は、結果としてテロリストを多く生み出すことになる。

集会の自由や政府に対する穏健な反対の意思表示が認められない場合には、長期的にはそ

の代替手段としてテロ活動に走る者が現れるのである。これは共同体の貧困と同時に、共

同体が属する国家の統治能力の問題でもある。このような議論とは別に、個人と共同体の

(27)  例えばイタリアの赤い旅団やドイツ赤軍等は、裕福で高学歴の者で構成されている。World Bank, Globalization, Growth, and Poverty: Building an Inclusive World Economy (Washington DC: World Bank), p. 125.

(28)  Jean-Paul Azam and Alexandra Delacroix, “Aid and the Indirect Fight against Terrorism,” mimeo (2004), p. 1.

(29)  Alan B. Krueger, “Poverty Doesn't Create Terrorism,” New York Times, May 29 2003.統計分析の結果は、Alan B Krueger and Jitka Maleckova, “Education, Poverty and Terrorism: Is There a Causal Connection?,” Journal of Economic Perspectives, vol.17, no.4 (Fall 2003), pp. 119-144に掲載されている。

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テロ予防手段としての政府開発援助

関係でテロ参加の動機を考える場合でも、貧困の介在を否定する立場もある。自爆テロを

行う者は、社会的な圧力によってそのような選択を行っているという議論である。地域社

会の中には、社会そのものが後押しする形で貧困層や富裕層に関係なくテロ組織に要員を

送り込んでいる例が見られる(30)。このように個人と共同体の関係をとっても、テロと貧困

の関係を巡る議論は様々である。

 もっとも発展途上国の統治能力に視点を移すと、テロと貧困の間に少なくとも間接的な

関係が存在することは否定できない。テロと貧困の間接的な関係では、ブッシュ大統領が

2002年 3月に行った米州開発銀行での演説で述べたように、貧困国では概して政府の統治

能力を強化することができず、そのためテロの庇護地となる傾向がある(31)。これは貧困が

直接テロの引き金になると言うものではなく、貧困が発展途上国の統治能力の低下を招き、

これがテロの温床となるという関係を示している。この貧困・統治能力・テロの 3者の関

係について、西水美恵子は発展途上国政府が抱える 2つの問題を指摘する(32)。1つは統治

能力の欠如が権力者の腐敗を醸成しており、これに対する若い世代の怒りが犯罪や過激な

宗教活動と共にテロ活動に向けられるというものである。現状への不満に対する効果的な

対応手段はテロであると考えている社会階層に対して、テロ組織は要員募集をかけている。

このようなテロ組織の中には社会的便益や資金を提供したり、家族に対する支援を行った

りするものもある。つまり社会・経済面での開発が進むと現状への不満を少なくさせるこ

とができるのと同時に、このような不満を抱える社会階層に対して、テロ集団に代わる便益・

資金や支援を提供することになる(33)。このようなテロ活動の標的は通常自国の権力者や政

府となるであろうが、それを支援している外国政府にテロの矛先が向けられることもある。

もう 1つの問題は、公教育の未整備である。政府に公教育を普及させる資金力がなく、ま

た教育予算が統治者の腐敗によって彼らの個人的な用途に流用されていることも多いため

に、公教育の整備状況は甚だ不十分である。従って貧困層の子弟は宗教団体等が運営する

学校に通うことになるが、時にはこのような学校が過激な思想を子供に植え付ける役割を

果たしている(34)。ネパールの毛沢東主義者集団や、アフガニスタンのタリバンがその例と

して挙げられている。

(30)  Cragin and Chalk, Terrorism & Development, pp. x-xi.(31)  George W. Bush, “President Proposes $5 Billion Plan to Help Developing Nations: Remarks by the

President on Global Development,” White House <http://www.whitehouse.gov/news/releases/2002/03/20020314-7.html>, accessed on January 10, 2008.

(32)  西水美恵子 「ガバナンスと開発援助戦略─南アジア草の根の現場から 」経済産業研究所 <http://www.rieti.go.jp/jp/papers/journal/0508/bs01.html> 2007年 2月 21日参照。

(33)  Cragin and Chalk, Terrorism & Development, p. x.(34)  サリバンにも、同様の議論が見られる。Daniel P. Sullivan, “Tinder, Spark, Oxygen, and Fuel: The

Mysterious Rise of the Taliban,” Journal of Peace Research, vol.44, no.1 (January 2007), p. 98.

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防衛研究所紀要第 10 巻第 3号(2008 年 3 月)

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3 テロ対策と ODA

 貧困はテロの直接的な原因ではないという理解がある一方で、既に述べてきたようにテ

ロの予防と開発援助の関係は 2001年の米国同時多発テロ以降様々な場で議論されている。

2003年 2月に米国で採択された『テロとの戦いのための国家戦略(National Strategy for

Combating Terrorism)』においては、地球規模でのテロリストの撲滅(defeating)、テロ

リストに対する支援・保護や資金提供の拒絶(denying)、テロリストが悪用している制度

の修正(diminishing)、米国の市民と権益の保護(defending)、という 4つの目標が示され

ている(4D strategy)(35)。そして長期的な対テロ戦略としてテロを避けるよりは、テロリ

ストが自暴自棄や破壊的な政体変更思想に走らないように、彼らに対して関与することを

薦めている。上記 4つの中で 2番目と 3番目の項目は、それぞれ治安公安行政(テロリス

トに対する支援・保護の摘発)、金融監督行政(資金提供の防止)、立法行政(テロリスト

が悪用している制度の修正)の課題である。ODAが対処すべきテロは発展途上国に拠点を

置いているために、このことはそのまま発展途上国の統治能力の問題となる。そして ODA

による技術協力を通じて上記の課題は改善され、当該発展途上国の統治能力の向上が図

られることになる。米国国際開発庁(United Stated Agency for International Development:

USAID)は、『テロとの戦いのための国家戦略』の 4つの目標の中で 3番目が自身の担当す

る課題であると理解しており、それに沿う形での開発援助戦略の優先順位付けが必要であ

るとしている(36)。長期的にはテロ組織に対して効果のある発展途上国の民主化と経済改革

が USAIDの任務となっており、具体的には貧困、疾病、失業、教育の欠如、腐敗等テロの

温床となっている事態への対処である。

 その中でも USAIDが重視している課題に、青少年対策がある。テロ組織や民兵集団は、

年齢層 15~ 35歳の定職を持たない男性を中心に要員募集を行っていることが経験的に分

かっている。またこの年齢層の失業率が高いと、テロ活動も活発になるという関係の存在

も判明している。発展途上国への ODAの提供は雇用を創出するので、定職に就くことので

きない若年層が将来への展望が見出せないことに対してテロ集団が付け入るのを防止する。

ジェンキンス(Brian Jenkins)が指摘するように、例えばアル・カイーダはテロ組織と言

うよりもテロの実行過程であり、その将来の能力は新しく人的資源を集める力に大きく依

存している(37)。つまりテロ組織の盛衰は、テロ活動に参加する可能性のある個人が、実際(35)  White House, National Strategy for Combating Terrorism (Washington, D.C.: White House, 2003), p. 29.(36)  Andrew S. Natsios, “Foreign Assistance in the Age of Terror” United States Agency for International

Trade <http://www.usaid.gov/press/speeches/2004/sp040421.html>, accessed on 4 January, 2008.(37)  Brian Jenkins, Countering Al Qaeda: An Appreciation of the Situation and Suggestions for

Strategy (Santa Monica: RAND, 2002), p. 4.

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テロ予防手段としての政府開発援助

にテロ活動に参加するか否かに掛かっているのである。同時に ODAは住民を生産活動に従

事させ、その結果として家族や共同体の生活水準が向上される、ということ通じて個々人

に尊厳と自尊心を植えつける効果がある。このように尊厳と自尊心を有する住民は、テロ

組織からは距離を置くようになる(38)。

 さらに USAIDは発展途上国の経済インフラ整備は、雇用創出とは異なる意味においてテ

ロ対策手段として有効であると主張する。アフガニスタンの例で紹介されているのが、道

路網の整備である。アフガニスタンにおけるタリバンやその協力者に見られるように、テ

ロ組織は発展途上国の孤立した遠隔地に拠点を置いている場合が多い。これは当該国の政

府が民主的で正統性を有する場合であっても、発展途上国では政府の統治効力が遠隔地域

までには及ばないことが多く、法的執行機関によるテロ組織の摘発が行われにくいためで

ある。このような場合における道路網の整備は短期的には雇用を増加させ、長期的には交

易を活性化させると同時に、政府の統治効力を遠隔地まで波及させる効果が期待できる。

また道路網の整備により、警察や軍隊等をテロ組織の活動に応じて迅速に派遣させること

が可能となる。

 一方 OECDも『テロ予防のための開発援助協力』の中で、「OECD加盟国政府においては、

テロに対処する任務を明確にするために、通商・国防・外交・財務金融・開発の各部門が

結集し協力する必要がある」と述べており、テロ対策として ODAは一定の役割を果たすも

のとしている(39)。そしてこの中では、まず共同体への取り組みがテロ対策として重視され

ている。つまり過激な宗教思想や政治思想に基づく暴力行為に対して共同体が抵抗力を身

に付けるため、共同体主導による社会経済開発を支援することを提案している(40)。特に宗

教共同体に対しては、閉鎖的な宗教共同体はテロ組織の術中にはまりやすいため、宗教指

導者と協働して共同体内部や共同体間の交流促進を求めている。また若年層、特に高水準

の教育を修めた青少年がテロ集団の要員募集の標的になっていることから、若年層を対象

とした雇用創出の重要性を指摘している。教育を受けた者は場合によってはテロ組織に対

して有用な人材となったり、テロ活動の支援者となったりする可能性があるので、これを

防ぐために格差や差別に対する援助提供側の注意を喚起している。

 この『テロ予防のための開発援助協力』について交わされた議論の中には、テロに悩ま

されている国やテロの温床となっている国に対して開発援助を行うべきかどうか、といっ

(38)  USAIDによるこのような見解は「ロビン・フッド・モデル」のテロには無効であるように見えるが、USAIDのこの議論は経済開発に関するものである一方、「ロビン・フッド・モデル」の前提には国家の統治能力欠如の問題が存在する。

(39)  Development Assistance Committee, Organisation for Economic Co-operation and Development, A

Development Co-operation Lens on Terrorism Prevention, p. 8.(40)  Ibid., p. 8.

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た問題も含まれている。このような国に対して開発援助を行うことはテロの発生を助長す

ることにならないか、また開発援助を貧困対策以外の目的に使うべきかどうか、という問

題である(41)。実際『テロ予防のための開発援助協力』で、OECD自身も「開発協力は特定

のテロリストやテロリスト・ネットワークへの対処を目的とすべきではないし、そうする

ことも不可能である」と述べており、開発援助が本来の目的を離れてテロ対策の手段とな

ることに対しては警戒感をにじませている(42)。また ODAの供与が他の対外政策課題(通商、

国防、外交等)との連携が求められる中で、ODA政策そのものが他の政策案件の従属的立

場に置かれる危険も指摘されている(43)。例えば 1998年 5月に核実験を行ったパキスタン

に対しては、日本の含めた先進各国が制裁措置として ODAの供与を停止したが、米国同時

多発テロ以降パキスタンのテロとの戦いの前進拠点として重要性が高まるにつれて、ODA

供与が再開されている。

 他方 ODAの提供方法の問題となると、むしろ先進国による発展途上国への経済支援はテ

ロを激化させているという意見もある。このような意見は経済活動の地球規模化(グロー

バリゼーション)、特に米国主導によるそれの文脈で述べられる場合が多い。先進国による

ODAは発展途上国の貧困削減を第一義的な目的とするが、究極的には市場経済と民主主義

を発展途上国に根付かせて地球規模の市場経済システムに組み入れる、これが発展途上国

を経済成長の軌道に乗せるために必要な開発戦略である、という米国的な考え方に対する

疑問である(44)。援助を提供する側は、時に発展途上国に対して個々の事情への配慮をせず

に性急な改革を要求することがあるが、この結果として国家間、また同一国内での貧富の

格差拡大がもたらされている。ロビン・フッド・モデルのテロは、このような状況下では

促進されることになる。

 経済活動の地球規模化とは関係無く、ODAの提供方法そのものの問題でテロを激化させ

ている場合もある。モロ国家解放戦線(MNLF)のテロに悩まされていた南フィリピンに

おける社会経済開発は、イスラム共同体に存在する不満を解消して、ミンダナオにおいて

新たな反乱を発生させないことを目的としていた。この構想は成功しなかったが、その理

由の 1つにフィリピン政府が地域住民の要求に配慮しなかったことが挙げられている(45)。

(41)  例えば、Canadian Council for International Co-operation (CCIC), ‘A CCIC commentary on “A Development Co-operation Lens on Terrorism prevention: Key Entry Points for Action,” (Ottawa: CCIC, 2003).

(42)  Development Assistance Committee, Organisation for Economic Co-operation and Development, A

Development Co-operation Lens on Terrorism Prevention, p. 11.(43)  Beall, et al., “Transcript of Terrorism and Development Debate.”(44)  例えば、Paul Collier and David Dollar, eds., Globalization, Growth, and Poverty: Building an Inclusive

World Economy (New York: Oxford University Press, 2001), pp. 82-84.(45)  むしろ開発計画は、地域の要望よりは投資の早期回収が可能であることが優先された。Cragin and

Chalk, Terrorism & Development, p. 19.

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テロ予防手段としての政府開発援助

一方でフィリピン政府による大規模開発とは別に、国連や世界銀行などの国際機関も 96年

に総額約 5億ドルに上る南フィリピンへの平和開発支援を表明した。しかしミンダナオで

は、道路や交通機関などの開発の遅れにより村落の多くが孤立していることから、開発計

画のほとんどは開発がある程度進んでいたキリスト教徒が多く住む地域に対して行われる

傾向にあった。このような開発事業の実施はキリスト教徒とイスラム教徒間の富の偏在を

助長しており、中長期的にはテロ活動の促進に繋がっている可能性が指摘されている(46)。

 クラギンとチャーク(Kim Cragin and Peter Chalk)は、開発援助がテロの予防策として

成功するための条件を 3点示している(47)。第 1に地域社会の指導者と相談し彼らの助言を

求めること、第 2に開発政策の策定に際して対象となる地域からの要求に対して配慮がな

されていること、第 3に資金の分配に当っては不偏不党を貫徹すること、である。発展途

上国の例ではないが、北アイルランドでは不用意に共同体間の対立が発生するのを防ぐた

めに開発政策は第 3者である欧州連合(EU)主導で行われた。個々の開発計画の立案は地

域住民も参加する形で進められ、便益の配分や管理運営にも透明性が確保された。つまり

対立するカトリックとプロテスタントの代表が参加し、共同で計画を実行し不偏性への疑

念が生じないように配慮された(48)。しかしミンダナオでは、開発政策はこのような形では

実行されなかった。フィリピン政府によるミンダナオ島の経済開発計画は、地域社会の要

望を聴取・評価することなく行われた。これらの開発援助事業は、計画段階では共同体の

要望よりは投資を早期に回収することに主眼がおかれた。さらにフィリピン政府も説明責

任を果たすことなく、多くの計画は賄賂や見返りの提供を通じて不正に流用された。

4 モデル化の試み

 本節では、テロと ODAの関係のモデル化を試みる。既に見たように、テロは恐怖を通じ

て目的を達成するという性質を有する。そして各個人におけるこの達成の判断基準は、心

理的なものが大きいと思われる。また経済的な要因(貧困)はテロの直接の原因ではないが、

両者は間接的な関係を有している。以下では、これらの要因を変数としてモデルを構築する。

そしてモデルを構築した後に、各変数がモデルの中で有する意味を考察する。ここで対象

とするのは、個人の行動である。近年ODAに関する議論で頻繁に取り上げられるようになっ

た「人間の安全保障」の考え方についても、テロを含む様々な脅威から個人を保護し、ま

(46)  Ibid., pp. 20-21.(47)  Ibid., pp. xi-xii.(48)  Ibid., p. 19.

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たこれらの脅威に対処する個々人の選択・行動する能力の強化が中心となっている(49)。こ

のように ODAの目的とテロ組織の存続基盤の両面から、個人の行動を扱うモデル化が分析

の手段として望ましいと考えられる。

(1)モデル化の前提

 テロリストの行動に関してモデル化を試みる場合、テロリストにとってテロ行為がもた

らす効用とこれに要する費用とを比較考慮することが一般的である(50)。ただしテロの予

防策としての ODAの効果をモデルに組み込む場合には、当然のことながら ODAをモデ

ルの中でどのように表現するかが問題となる。アザムとデラクロワ(Jean-Paul Azam and

Alexandra Delacroix)もテロリストはテロの限界効用とテロの限界費用が等しくなるよう

にテロ活動を行うと想定しているが、このモデルの中で開発援助は援助供与国に対するテ

ロ予防の便益との関連で扱われている(51)。具体的には、援助供与国は開発援助の支出額と

テロ予防の成功による損害回避(所得増)を比較する、という制約条件が付いている。従っ

てこのモデルでは、テロリストの行動を決定する変数として開発援助は機能していない。

 テロに参加する個々人を、テロリスト市場への財と見るとどのような特徴が浮かび上が

るであろうか。第 1に、テロリストの募集市場において供給が需要を上回っていることが

考えられる。従ってテロ組織は効率的かつ確実に任務遂行を行うために、応募者の中から

教育水準の高い者を優先的に選ぶことが可能となる(52)。このようにテロ組織の要員募集市

場においては、買い手市場が成り立っている。第 2に考えられるのが、次世代に対する利

他行為への積極的な姿勢と極端に低い時間選好である。このことは、「テロのロビン・フッド・

モデル」を考える際の参考になる。時間選好が低い人は、将来の所得増加を考えて先行投

資となる教育への投資を行うであろう。そしてその結果、学齢期を終えた後では高い生活

水準を享受することが可能となる。しかし極端な場合として、利他的であると同時に時間

選好がゼロであったらどうなるであろうか。このような人は現在享受している豊かな生活

を(そして通常このような人は先行投資として高い水準の教育を受けている)、次世代のた

めに犠牲にすることを全く厭わない。従って教育と高い生活水準によって上昇した自己犠

牲の機会費用は、このような利他主義によって十分相殺されることになる。貧困とテロの

(49)  外務省「政府開発援助に関する中期政策」1~ 2ページ。(50)  この分野におけるサーベイとしては、Dipak K. Gupta, “Toward an Integrated Behavioral Framework

for Analyzing Terrorism: Individual Motivations to Group Dynamics,” Paper presented at the annual meeting of the International Studies Association (San Diego, 2006)が網羅的であり有用である。

(51)  Azam and Delacroix, “Aid and the Indirect Fight against Terrorism,” pp. 10-17.(52)  十分な教育を受けていない者は、高度な国際テロを実行することはできない。Jenkins, Countering

Al Qaeda, p. 11.

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テロ予防手段としての政府開発援助

間には直接的な因果関係は見られないものの、上記の 2つの特徴は ODAが第一義的な目的

とする貧困の削減と無関係ではない。まずテロリストの供給であるが、若年失業率が高く

青少年の間に現状に対する不満がうっ積している場合、合法的・平和的手段に訴えること

が不可能であれば、テロのような暴力手段をとることも辞さなくなる。前節で述べたように、

実際テロ組織は失業中の若年層を狙って要員募集を行っている。また国や社会が貧困の状

態から脱却できないと、高水準の教育を受けたあとでも生活水準は依然として改善しない。

このため時間選好の存在は無意味となり、テロ誘発の条件が整えられる。

 もっとも本稿の初めに述べたように、「テロリストは恐怖を行使してある目的を達成する

手段」としてテロ攻撃を用いる。加えてテロ活動には、経済的な動機はほとんど見られない。

経済的な動機のない行動は合理的ではなく、このような行動をモデルで表した上に、変数

の中に開発援助を組み込むことには無理が生じる。しかし利他的行動も合理的であり得る

とするならば、テロ活動について合理的なモデルを構築する余地が出てくる。この利他主

義の合理性について、オルソン(Mancur Olson)は以下のように述べている(53)。

 他者もある集合財を当然利用すべきという利他的な考えから、その集合財を手に入れ

るために自分の余暇やその他の個人的消費を犠牲にしてもよいと思っているような人を

考えてみよう。換言すれば、その人の選考の序列には、自分の個人的消費のみならず、

他者にとって獲得される集合財もが考慮に入っているのである。

 この利他主義の仮定は、必ずしも非合理性を意味するものではない。また、個人のもっ

ている価値や選考を最大限満足させるということと矛盾する選択を行う傾向を意味する

わけでもない。また利他主義は、種々の財ないしは諸目的のいかなる対においても限界

代替率が通常逓減的であることに対して異議を唱えるものではない。

 一方で開発援助がテロ活動に直接影響を与えるものであれば、「行為の報酬」という形を

とる必要がある。しかし前節で見たとおり、ODAのテロ予防手段としての効果はむしろ間

接的である。これを前提にすると、機会費用に影響を与えるという形でのモデル化が可能

となるであろう。そこで以下では、利他的行動と機会費用を変数に組み込んでモデル化を

試みる。参考とするのはやや古いモデルであるが、テュロック(Gordon Tullock)の革命参

加モデルである。テュロックの革命参加モデルは、個人が革命に参加する動機について検

討しているものであるが、サンドラとハートレイ(Todd Sandler and Keith Hartley)が指摘

(53)  マンサー・オルソン『国家興亡論』加藤寛監訳(PHP研究所、1991年)48~ 49ページ。

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防衛研究所紀要第 10 巻第 3号(2008 年 3 月)

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するように非合法な暴力的反政府活動(反体制テロ)への拡張が可能である(54)。またテュ

ロックのモデルの基礎には、オルソンによる革命に参加する各個人の動機に関する議論が

存在している(55)。オルソンは労働者階級がプロレタリア革命を起こす場合に、利他的行為

にただ乗りする者の存在を重視する。革命に関与する労働者は生命と財産の危険にさらさ

れることになるが、それでも敢えて革命に参加する者(利他的行動を行う者)が存在する

ということは非合理的行動の理論化が必要となる。ここでいう非合理的とは経済的動機に

関することであり、革命参加については経済的な誘因が存在しないことを意味する(56)。こ

のような理由から、本節ではテュロックのモデルを修正する形で議論を進めることとする。

(2)テュロックの革命参加モデルの修正

 まず変数を、以下のように置く。

  :テロが成功する確率

  :個人のテロへの参加度合い(時間:テロへの支援活動への参加を含む)

  :成功時の利益(定数、テロの達成感や利他行為等に対する満足感を含む)

  :努力に対する満足感

  :政府に捕まる確率

  :警察力の規模

  :刑罰・量刑

  :時間選好係数

  : の 1単位当たりの賃金率(機会費用)

 このモデルにおいては、テロの成功がもたらす利益( )とテロに貢献することそのも

の( )が、個人にとってのテロ参加への誘因となる。またテロがもたらす利益は、テロ

活動に対する達成感や利他行為に対する満足感を含む。これまで見てきたように、テロ活動

がもたらす個人への効用は、経済的利得よりも心理的なものが中心となるからである。ここ

でテロへの参加とはテロ活動そのものだけではなく、テロ活動に対する支援活動を含む。テ

ロの成功がもたらす利益には当然のことながら、テロが成功する確率( )も関係してくる。

(54)  Todd Sandler and Keith Hartley, The Economics of Defense (Cambridge, UK: Cambridge University Press, 1995), p. 311.

(55)  以下の記述は、Sandler and Hartley, The Economics of Defense, pp. 309-313に基づいている。(56)  マンサー・オルソン『集合行為論』依田博、森脇俊雅訳(ミネルヴァ書房、2002年)132~ 134ページ。

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テロ予防手段としての政府開発援助

これは各個人のテロ活動にかける時間の増加関数であり、収穫逓減を前提とすると

  

の関係を有する。

 そしてテロに参加する要因としては費用も考慮する必要があり、これには刑罰( )と

テロに参加することで失う賃金( )が相当する。前者に関係する係数として、逮捕され

る確率( )と警察力( )が設定されている。従って とこれに関連する変数の間には、

以下の関係が存在する。

  

 また機会費用である には、係数として時間選好( )が関係する。つまり費用とし

て影響を与えるのは主観的な機会費用であり、これは各個人の時間選好に左右される。そ

してリスクに中立的な個人は以下の式に基づいた最大化行動をとり、これによって個々人

のテロへの参加度合い( )が決定される(57)。

  

  (ここで (定数)、 、 は外生変数)

 この①式を を横軸にとってグラフで表すと、図「テロへの参加意思決定モデルのグラ

フ」のようになる。ここで①式の初めの 2項 がもたらす効用の合計が上

に凸の曲線(曲線 A)、後の 2項 のそれが下に凸の曲線(曲線 B)である。

つまり各個人がテロに貢献することによって得られる効用( )は限界的に逓減し、その

費用は逓増する。2曲線の距離が最大となる が、この個人のテロへの貢献度(テロ活動

を行う時間)となる。ここでは、①式の 1階の条件である

  

が成立している。

(57)  テュロックの革命参加モデルは となっているが、これはバンドワゴン効果( )の存在を前提としている。ただしテロでは革命と異なりバンドワゴン効果が現れないので、修正モデルでは を変数から外してある。

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防衛研究所紀要第 10 巻第 3号(2008 年 3 月)

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図 テロへの参加意思決定モデルのグラフ

(3)モデルの意味するところ

 このモデルは、以下のことを示している。個人がテロ活動(テロへの支援も含む)に参

加する効用としては、利他行為に対する満足感とテロ活動に参加することへの達成感があ

る。しかし費用としては、違法活動をしたことに対する刑罰(ただし捕まった場合)とテ

ロ活動に参加することによる機会費用がある。そして効用と費用の差が大きいところで、

テロ活動への参加度合いが決定される( )。それでは前項のモデルを、具体的事例に当

てはめて検証してみよう。まずタリバン勃興の要因について、サリバン(Daniel P. Sullivan)

はデスレ(David Dessler)の指摘に従って大きく 4つに分類している(58)。第 1は「引き金

(trigger)」であり、将来への期待が一向に満たされることなく失望感が高じることで、テ

ロへの動員が促される。この際テロに参加するのは、エリート層または不満がうっ積して

いる若者である。第 2は「目的(target)」で、タリバン構成員の場合は治安の回復と社会

条件の改善(理想的イスラム国家回復への展望)となる。これは社会的経済的基盤が不十

分であり、国家が破綻していることがもたらした結果である。第 3は「手段(channels)」

であり、政治・経済・社会面での分断状況を超えて包括的行動へと向かわせる。タリバン

においては民族と宗教というアイデンティティで個々人が結び付いており、これは宗教学

校での教育を通じて各個人に植えつけられる。第 4は、「触媒(catalyst)」である。これは「紛

争の進度と強度に影響を与え、紛争が一旦始まるとその継続期間を左右する」ものと定義

され、タリバンで触媒の機能を果たしたのは不満を募らせている青年(男性)や宗教など

の他、外部からの支援であった(59)。これを上記モデルに当てはめると、以下のように理解

できる。社会的経済的基盤が貧弱であるので賃金( )は低く、経済活動が活発でないと

(58)  Sullivan, “Tinder, Spark, Oxygen, and Fuel,” pp. 99-100、サリバンが参照しているデスレの研究は David Dessler, ‘How to Sort Causes in the Study of Environmental Change and Violent Conflict,’ in Nina Greager and Dan Smith, eds., “Environment, Poverty, Conflict,” PRIO Report (1994).

(59)  Sullivan, “Tinder, Spark, Oxygen, and Fuel,” p. 100.

Page 19: テロ予防手段としての政府開発援助 - MODTerrorism Prevention )』を発表している(4)。我が国も2003(平成15)年8 月に閣議決定 した「政府開発援助(ODA)大綱」での中で、テロの予防策としての開発援助の役割につ

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テロ予防手段としての政府開発援助

個人の時間選好( )も低くなる。そして国家が破綻していると警察力( )は小さく、

テロ活動をしても逮捕される確率( )は小さい。そしてタリバンの構成員は相互にア

イデンティティで結び付いているが、このことはテロ組織に参加することで個人にもたら

される満足(精神的利益: 、 )を大きくする。またテロが成功する確率( )は、

個人のテロへの参加度合い( )に対して収穫逓減であると考えられる。これらを考慮す

ると、①式の 1階の条件が成り立つためには、 の減少が必要である。既に述べたように、

は の増加関数であると同時に について収穫逓減である ことから、

個人のテロへの参加( )は増加する。

 またジェンキンスは既に述べたように、アル・カイーダの勢力伸張の鍵が要員募集にあ

ると見ている。欧米に移住した者や社会の底辺で生活している者などが、絶対的な真実や

生きる意味合いを宗教に求めるようになる。宗教集団には過激的な思想を有するものもあ

り、テロ集団はこれに付け込んで募集活動を行う。募集後はテロリストとしての教育と訓

練を受けるのであり、この過程で極端な利他主義の思想を植えつけられる。また過激なイ

スラム教思想に基づいて、イスラム帝国の理想郷を回復するための聖戦思想の教育が行わ

れる(60)。これを上記モデルの変数で示すと、宗教に生き甲斐を求めるほど生活に困窮して

いる者は、賃金( )と時間選好( )は低いと考えられる。また聖戦思想を植え付け

られると、テロに参加することによる精神的満足( 、 )は上昇する。従ってこの場

合も①式の 1階の条件が成立するためには、個人のテロへの参加度合い( )の増加が必

要となる。

 このように見てみると、個人によるテロへの参加に対して ODAがどのような形で影響を

与え得るかが浮かび上がる。本来 ODAが①式の変数の中で影響を与え得るものは、 (逮

捕の確率)と (賃金率)である。 は、現地警察に対する技術協力等によって改善できる。

さらに USAIDが主張するように、道路網などの経済基盤の整備が統治効力を改善すること

で副次的に の値の向上が期待できる。また経済基盤の整備は現地の経済水準向上や雇用

創出によって、間接的に の改善をもたらすと考えられる。ただし技術協力等は本稿の対

象としていないので、ODAの効果として主に期待されるのは の改善である。 の増加

は図 1の曲線 Bを上方に移動させると共に、接線の傾きも が増加するにつれてより急な

ものとなる。従って、2つの曲線間の距離を最大とする の値はより小さくなる( は左

へ移動)。換言すると、ODAによってテロへの支援も含めたテロへの参加を減少させるこ

とは可能となる。ただしこれには、2点ほど注意が必要である。まず、Jカーブ効果の存在

である。これはテロを含む武力闘争を通じてテロの行為主体は、彼らにとっての事態の改

(60)  Jenkins, Countering Al Qaeda, p. 5.

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善に期待を急速に膨らませるが、被行為主体である国家主体はその期待に迅速に応えるこ

とができない。このため行為主体の不満が一層募ることになり、武力行使の強度も上がる

というものである(61)。この Jカーブ効果は上記のモデル外の事象であるが、ODAによる

テロの予防を考える際、民衆の期待に迅速に応えられないと Jカーブ効果を誘発してむし

ろ事態の悪化を招きかねないことには注意を要する。もう 1点は、合理的精神の普及である。

ODAを通じて上記モデルの各変数に影響を与え、結果としてテロの予防を行おうとするた

めには、前提として各個人が合理的に行動することが求められる。各変数は費用対効果や

便益を表すのであり、過激な宗教思想によって合理的判断にひずみ(過度の利他主義を含む)

が生じるようであれば、ODAによるテロ予防の効力は大きく低下する。イスラム教聖戦思

想を排除するために、グナラトゥナ(Rohan Gunaratna)は穏健な聖職者による思想普及を

唱えるが、穏健な宗教思想は合理的な行動の妨害とならないことが期待できよう(62)。

まとめに代えて

 開発援助と安全保障は、冷戦初期の 1950~ 60年代には深く結びついていた。しかし 70

年代に入って、開発援助の焦点が発展途上国の貧困削減に当るようになると両者の関係は

希薄となった(63)。しかし 90年代に入り冷戦が終結すると、開発援助と安全保障に跨る問

題が数多く発生した。2001年 9月の米国同時多発テロもその 1つであり、テロ予防という

安全保障の問題に ODAが色々な形で関与することになった。ODAは発展途上国の警察・

保安・公安能力の向上、また広く統治能力向上を技術支援する形でテロ対策の一翼を担っ

ている。しかし ODAの本来の目的は発展途上国の経済水準の向上であることから、本稿で

はテロの予防手段として ODAの経済援助の側面から議論を進めた。

 テロと貧困の間には直接的な因果関係は観察されないものの、テロと貧困の間には間接

的な関係があると考えられる。従って ODAがテロの予防手段として機能するのは、この

間接的な関係がかかわる範囲でということになる。このテロの予防手段として開発援助を

用いる際における政策上留意すべきこととして、クラギンとチャークは以下の各点を指摘

している(64)。第 1に開発援助額が中途半端である場合、却ってテロを誘発する危険が存在

することである。開発援助が開始されると地域住民の期待は大きく膨らむが、支援の規模

(61)  Sullivan, “Tinder, Spark, Oxygen, and Fuel,” pp. 98-99.(62)  Rohan Gunaratna, “Countering Al Qaeda: An Interview with Dr. Rohan Gunaratna,” IO Sphere

(Spring, 2006), p. 6.ただし宗教は個人の属性(アイデンティティ)であるので、変更させるのは極めて困難である。

(63)  Beall, et al., “Transcript of Terrorism and Development Debate.”(64)  Cragin and Chalk, Terrorism & Development, pp. 33-35.

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テロ予防手段としての政府開発援助

や内容がその期待に見合わないことが判明すると住民の反動と憤りを招き、逆効果を生じ

る可能性がある。一時的に膨らんだ期待が満たされないことが、さらにテロ発生の危険を

大きくするという点で、前節で述べた Jカーブ効果と似ている。第 2に開発援助の効果は、

援助の金額よりも開発事業の種類やその実行内容に左右される。従って開発政策は、対象

地域の行政側の要望に基づくだけではなく、地域社会の代表による提案も考慮するべきで

ある。場合によっては、過去においてテロ組織に対して同情的であった地域社会の要求も

汲む必要がある。テロ組織に対して同情的である地域は概して開発が遅れているが、この

ような地域に対する開発政策の対応の遅れは地域間格差を放置することになる。第 3の点

は、テロリストが政治・経済・社会の不正・腐敗に対してテロは有効な対応手段と見なし

ていることである。そして開発援助そのものが途上国政府の不正・腐敗の犠牲となっており、

このような状況は早急に改善される必要がある(65)。第 4は、開発援助単独でテロの脅威を

除去することはできないということである。テロに対抗するには、政治的交渉・軍事的行動・

地域社会の関係構築など複数の手段を組み合わせる必要があるが、ODAもその 1つである。

同時に重要なことは、貧困はテロの直接的な原因ではないものの、貧困が既に存在する不

平を助長している事実である。

 テロへの参加と ODAのモデル化の結果、ODAは各個人のテロ参加に対する機会費用を

上昇させるので、テロ参加(テロへの支援も含めて)を抑制する効果があることが分かっ

た。高学歴や高収入といった機会費用はテロの抑制には有効に働かないという意見もある

が、機会費用が有するテロ抑制効果を打ち消す要因となる利他行為や社会的圧力は、モデ

ルの中では機会費用とは独立した存在として表すことが可能である。つまり ODAを通じた

間接的な機会費用の上昇はテロの抑制に有効であり、このことはテロへの参加を促す利他

行為や社会的圧力の存在とは無関係である。この機会費用の上昇は、中長期的には新しく

中間層を創出することにつながるものであり、テロ集団に対する地域社会の支援を弱体化

させるのに有効である。中間層は時間選好が極端に大きいまたは小さいことがなく、加え

て彼らは一定以上の賃金率を得ている。要するに中間層はテロに参加する機会費用は大き

いのであり、中間層の創出は自動的にテロの抑制につながる。

 ODAは、テロ対策にとって必要条件であっても十分条件ではない。そしてそれは、政治・

軍事・地域社会関係等の各種手段と平行して実施された時に有効性を発揮する。このことは、

2004年に国連事務総長が設立したハイレベル委員会の報告書『より安定した世界に向けて

(65)  不正・腐敗の他に、援助を受ける発展途上国側の統治能力上の課題として行政の非効率がある。1996年から 2001年 8月の間、イスラム共同体の不満解消を目的として実施されたモロ・ムスリム住民居住地域(南フィリピン:MNLFのテロ活動拠点)への経済支援は 80%が行政事務経費に費やされ、実際の開発事業に充当されたのは残りの 20%以下でしかなかった。Ibid., p. 17.

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─我々に共通した責任(A More Secure World: Our Shared Responsibility)』の中でも言及

されている(66)。その中で開発援助ができることは直接テロを抑制するというよりは、むし

ろテロ組織への新規加入者の流れを止めたり、新しい中間層の創出をしたりすることに対

して、間接的にテロの抑制に影響を与えることである。しかしそのためには、前提条件が

あることもまた確かである。特に ODAを通じたテロの抑制がうまく機能するかは、各事業

をどのように運営するかに大きく依存している。先に紹介したクラギンとチャークの指摘

は、まさにこの問題が政策立案過程において常に認識されるべきであることを意味してい

るのである。

(おのけいし 研究部第 3研究室長)

(66)  United Nations, A More Secure World: Our Shared Responsibility (New York: United Nations, 2004), pp. 48-51.