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イニシエーションとしての子育て Silas Marner の〈自己実現〉一一 竹熊尚子 47 GeorgeEliot Sil α sM α rner:TheWe α verof R α veloe (1 861) 1の主人公 に,なぜ子育てをさせたのであろうか.この点については,孤児の養育とい うプロットを通じてタ執筆当時の西欧社会ではもっぱら女性の仕事とされて いた子育てが男性にも立派に可能で、あることを示したのだ,というフェミニ ズム的解釈がある (Paxton109;大嶋rSil α sM α rner J 29 30n). しかし, 男性主人公による子育てを,ジェンダー的役割の逆転という,いわゆる「象 徴的逆転J Zの行為として捉えてみると,このプロットには,フェミニズム 思想の表現という次元を超えた,ある普遍的なモチーフが隠されていること がわかる. 本稿は, Silas の人間性回復というこの作品の主題を,男と女,善と悪, といった二項対立から成る意識体系の解体と,それにつづく新たな世界観の 獲得のプロセスとして理解しようとする試みである.その鍵となるのは,文 化人類学的な意味におけるイニシエーション(加入札)と, C.G. Jung の心理 学が説く〈自己実現> 3 という,人間の精神的変容にかかわる三つの概念で、 ある.考察の進め方としては,まず, Eppie の養育が引き起こす Silas の内 的変化を〈自己実現〉の過程として跡づけ,さらに, Silas の子育てが,物 語の意味的・象観的レベルにおいて,イニシエーションとして解釈できると いうことを確認する.そして,上記の三項対立的意識体系の解体と新たな世 界観の獲得というプロセスが, <自己実現〉の過程と未聞社会で行われるイ ニシエーションとに共通するモチーフであることを見たうえで, Silas 〈自己実現〉と Raveloe 共同体へのイニシエーション,そして,それらがも

イニシエーションとしての子育て - Doshisha...イニシエーションとしての子育て-~ Silas Marnerの〈自己実現〉一一竹熊尚子 47 George Eliot はSilαsMαrner:

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イニシエーションとしての子育て

-~ Silas Marnerの〈自己実現〉一一

竹熊尚子

47

George EliotはSilαsMαrner:The Weαver of Rαveloe (1861) 1の主人公

に,なぜ子育てをさせたのであろうか.この点については,孤児の養育とい

うプロットを通じてタ執筆当時の西欧社会ではもっぱら女性の仕事とされて

いた子育てが男性にも立派に可能で、あることを示したのだ,というフェミニ

ズム的解釈がある(Paxton109;大嶋,rSilαsMαrner論J29幽30n). しかし,

男性主人公による子育てを,ジェンダー的役割の逆転という,いわゆる「象

徴的逆転JZの行為として捉えてみると,このプロットには,フェミニズム

思想の表現という次元を超えた,ある普遍的なモチーフが隠されていること

がわかる.

本稿は, Silasの人間性回復というこの作品の主題を,男と女,善と悪,

といった二項対立から成る意識体系の解体と,それにつづく新たな世界観の

獲得のプロセスとして理解しようとする試みである.その鍵となるのは,文

化人類学的な意味におけるイニシエーション(加入札)と, C. G. Jungの心理

学が説く〈自己実現>3 という,人間の精神的変容にかかわる三つの概念で、

ある.考察の進め方としては,まず, Eppieの養育が引き起こす Silasの内

的変化を〈自己実現〉の過程として跡づけ,さらに, Silasの子育てが,物

語の意味的・象観的レベルにおいて,イニシエーションとして解釈できると

いうことを確認する.そして,上記の三項対立的意識体系の解体と新たな世

界観の獲得というプロセスが, <自己実現〉の過程と未聞社会で行われるイ

ニシエーションとに共通するモチーフであることを見たうえで, Silasの

〈自己実現〉と Raveloe共同体へのイニシエーション,そして,それらがも

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48 イニシエーションとしての子育て

たらす彼の精神的解放が,この普遍的モチーフを機軸として描き出されてい

ることを明らかにする.こうした考察を通じて,作品の高いポピュラリテイ

の源泉となっている, George Eliotの人間性に対する透徹した洞察を改め

て確認してゆきたい.

1. Silas Marnerの〈自己実現〉

Silasの精神的再生の物語は, Jungの理論を適用するとき,まさしく彼

のいう〈自己実現〉の過程としてたどることができる 4 Jung心理学の根底

にある考え方は,人間の心は意識と無意識というこつの領域から成り,これ

らが互いに補いながら一つの全体性をもっというものである.そして,意識

の中心にある実体をく自我〉とし,意識と無意識を併せた心全体の中心は

く自我〉とは別に存在するとしている.これが(自己〉である.Jungは,

人の心には無意識内にある力を積極的に意識に統合し,意識の一面性を補い

ながら,より「高次の全体性J(河合, r入門JI220) を目指して発展する能力

が備わっており,その発展の結果として〈自己〉が実現すると考えた.こう

した心の動きが〈自己実現),あるいはく個性化〉と呼ばれる。 Jung心理

学では,こうした心的変化は, 40歳前後という人生の後半にさしかかる時

期に起こる場合に特に重大な意義をもっとされている(河合, r入門JI236).

Silasの場合も, 39歳のときの Eppieとの運命的な出会いによって,心のあ

り様が根本から変わるのである.

若き日の Silasは, Lantern Yardの非同教派セクトに属し,その原理主

義的な宗教集団の模範的メンバーで、あった.当時の彼の精神生活は教義の忠

実な実行にすべてが向けられており,それゆえ,心の意識的側面のみを働か

せて無意識の動きを抑圧する,一面的なものであったと考えられる.彼の意

識と無意識が完全に分断された状態にあり,互いの相補作用を強く求めてい

たことは,彼が時おり不可解な強硬症 (catalepsy)の発作に襲われて意識

を失ったという現象に現れていると解釈できる.

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Silasは,セクト仲間で親友であった Williamに裏切られ,セクト内での

裁判によって無実の罪の裁きを受けたため,信仰を捨てて LanternYardを

去る.この時,それまで彼の心の意識的な領域を支配してきた価値観が崩壊

することになるため,彼の〈自我〉は危機的な状態に陥ったのである.

Jungによれば, <自我〉が危機的状況に直面し,そのエネルギーが低下す

ると,意識の中にそれと「補償的な関係Jにある無意識の内容が入り込む

cw自我j99).無意識的事象のうち比較的表層にあって個人に関係する内容

は〈個人的無意識〉と呼ばれる層を成しており,まずこの層の内容が意識に

入ってゆく.無意識の世界は「その人によって生きられなかった半面」となる

ことから, Jungはそれを(影〉のイメージで捉えたが,河合隼雄はこのイ

メージを用いて,人は無意識内容の意識化においてまず, <自我〉が無視し

てきた自身の側面を「個人的な影」として体験するのだ,と述べているa影j

30, 44). Silasの場合も, <自我〉の危機的状態を受けて無意識の働きが活

性化した結果,彼の「個人的な影」を体験することになると考えられる.つま

り,それまでの宗教的共同体での信仰中心の暮らしとは全く対照的な生活

人との交わりを避け,稼いだ金貨を数えることだけを生き甲斐とするよ

うな,物質主義的な生活一ーを Raveloeという新しい環境で送るのである.

その結果彼は, "a handle"もしくは"acrooked tube"(69)のような存在,すな

わち物同然の,非人間的存在となってしまう.

こうした即物的な合理主義は,実のところは,やはり心の意識的側面を偏

重する,一面的な態度である(Carroll161).つまりこの段階では, <個人的

無意識〉の内容の一部がそれまで意識を支配していた内容とそっくり入れ替

わったにすぎず,無意識は意識に統合されないまま, <自我〉の独占的支配

が続くことになる.したがって, Silasの心のあり様に根本的変化は起こら

ない.Raveloeへの移住後も,強硬症の発作が頻繁に彼を襲うことがそれを

示しているJ

意識と無意識の分裂が解消されてゆく契機となるのが,彼の Eppieとの

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50 イニシエーションとしての子育て

出会いである.それに先行して金貨の盗難事件が起こるが,金貨は労働とい

う意識的努力の成果を象徴するものと考えられる.そうした成果の喪失は,

彼の〈自我〉に二度目の大きな挫折をもたらすことになり,これが致命的打

撃となって,彼の〈自我〉はようやく無意識の補償作用を全面的に受け入れ

る状態になるのである 6Eppieが新しい生命や再生を象徴していることは明

らかであるが,彼女はまた,無意識世界からの「使者」として捉えることもで

きる.というのも,二人の出会い方--Si1asが強硬症の発作で意識を失っ

ている最中に, I彼の知らないうちにJ("withouthis knowledge" 168), Iど

こか解らない所からJ("'from 1 don't know where'" 179) Eppieが小屋に侵

入し,彼が意識を取り戻すと彼女が炉辺に居た,となっている←ーが,

Silasの無意識世界と Eppieとのつながりを暗示すると思われるからであ

る.また,無意識は「誕生あるいは新生児のシンボル体系を作り出す」という

Jungの指摘(r転移.1112 )も, Eppieは新生児ではなくすでに幼児となって

いるとはいえ,示唆的である.

SilasはEppieの養育を通じて,他の人間や自然の事物との,神や金貨が

介在しない直接的な関係に悦びゃ価値を見出すようになる.こうした生き方

は,彼が長い間忘れていたものであり,やはり彼の「個人的な影」の体験であ

るが,信仰を捨てた守銭奴という自閉的で暗い〈影〉の体験とは明らかに異

なる.Marie-Louise von Franzは,その人の人生に有益な結果をもたらす

ようなく影〉を「価値ある影J(191)と呼んで、いるが, Silasはこの時,彼の

「価値ある影」を生きていることになり,それによってその無意識的要素を意

識に取り込んでゆくと考えてよいだろう.次の一節は, Eppieの養育にとも

なって彼の無意識の内容が意識化されてゆく様子を描いていると解釈でき

る:".. • as her [Eppie's] life unfolded, his [Silas's] soul, long stupefied in a

cold narrow prison, was unfolding too, and trembling gradually into full

consciousness"(l85). また, Eppieの養育を始めてから強硬症の発作が止む

ことも, Silasの意識と無意識の統合の始まりを暗示すると考えられる.

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イニシエーションとしての子育て 51

こうして「価値ある影Jを意識に統合しながら,他者や自然の事物とのかか

わりから生まれる悦ぴやそれらを慈しむ気持ちを経験してゆく中で, Silas

の心は,感情機能というそれまで抑圧してきた側面の活動を再開する.幼子

のEppieを膝に抱きながら"anemotion mysterious to himself'(180)に打ち

震えることに始まり,悪戯好きな Eppieに対1..-"the incompatible demands

of love"(185)を抱いて当惑したり,行方がわからなくなった彼女を発見して

"convulsive joy"(187)に打ちのめされたりするなど,彼の感情は目まぐるし

い動揺を見せる.こうした感情の起伏の経験が, Silasを自身の無意識内に

潜んでいた内面的現実というものに目覚めさせるのである.Jungは,人は

外的世界に対しでもつ根本的態度, (ベルソナ〉と対になるものとして,内

的世界に対する態度というものをもっと考えた.そして,男性の内的態度を

くアニマ),女性のそれをくアニムス〉と名づけ,夢や空想などにおいて前者

は女性のイメージとなって現れ,後者は男性像として現れる傾向があると分

析した.この〈アニマ/アニムス〉について河合は, I自分自身の内的な心

的過程に対処する様式」という説明を加えている cw入門.J196). また, (ア

ニマ〉として捉えられるような男性の心の中にある「女性的心理傾向」の具体

例として, von Franzは, I漠然とした感じゃムード,予見的な勘,非合理

的なものへの感受性,個人にたいする愛の能力,自然物への感'情,そして

(略)無意識との関係」を挙げている(194).Eppieを養育する Silasの心の中

で,ここに挙げられた傾向のいくつかが顕現化していることは明白である.

Silasは子育てという「女性的」な仕事を通じて,外的態度においてジェンダ

ーを超えた存在となるだけでなく,内面においても彼の〈アニマ),すなわ

ち「女性的」側面に目覚め,両性具有化するのである.物語の中で幼児という

中性的存在から成熟した女性へと成長してゆく Eppieは, Silasの心におい

て次第に顕現する彼のくアニマ〉を象徴しているとも言えよう. Silasが

Eppieの悪戯に振りまわされるシーンがあるが,こうした場面は,自身の

〈アニマ〉的側面を認識し始めた彼の〈自我〉が,撹乱され戸惑う様子を象

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概していると解釈できるj

人間の意識は無意識の内容を取り込んで、ゆくにつれ,より多くの心的内容

を包含するようになる.このようにしていわば「広くJなった意識が迎える

新しい局面について, Jungは次のように述べている.

ひとが自己認識とそれに応じた行為を通じて自分自身を意識すればする

ほど,集合的無意識の上に積み敷かれた個人的無意識の層は,ますます

薄くなり,消え失せていく. (略)このより広い意識は,もはや個人的な

無意識の逆傾向によって補償されたり,訂正されたりしなければならな

いような,個人の願望や恐怖(略)などではなく,客体,すなわち世界と

結ぼれた関係機能であり,それによって個人は,世界との簡に絶対的で

拘束的な解きがたい共同体を形成するのである。この段階で生じる混乱

は,もはや利己的な欲求の葛藤ではなく,自分ばかりか他者にもかかわ

る困難で、ある.つまり,この段階での問題は,結局のところ集合的無意

識を活動きせずにいない集合的な諸問題なのだ. (略)われわれはここに

おいて,無意識が当の個人にとってのみでなく, (略)ことによるとすべ

ての人々にとっても,妥当するような内容を生み出すさまを見るのであ

る. cw自我J100四 101)

〈集合的無意識〉とは, <個人的無意識〉よりも無意識のさらに深い部分にあ

る層のことで,人の心に普遍的に備わると考えられている 8 Silasの心にお

いても,この説明で述べられているような傾向が現れる.彼は無意識下にあ

った内的世界に目覚める一方で,より広い外的世界,つまり Eppieと共に

その構成員となりつつある Raveloeの共同体についても関心を抱くように

なり,そこでの習慣や信仰のあり方を受け入れてゆく.そして, Eppieや

Raveloeの村人たちとの交流を通じて人間の善性というものを改めて認識す

るにつれて,そうした Raveloeでの経験と,彼を人間や神に対する不信へ

と陥れることになった LanternYardでの経験との間にある深刻な矛盾を,

彼なりに解き明かそうとしたのである.こうした内的変化は次のような一節

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イニシエーションとしての子育て 53

で語られている¥.. as, with reawakening sensibilities, memory also

reawakened, he had begun to ponder over the elements of his old faith,

and blend them with his new impressions . . . " (201明202). この段階におい

てSilasは,人聞社会がはらむ矛盾にかかわるような問題,つまり Jungの

いう「集合的」な問題に直面していると考えてよいだろう.

Jungの説明にもあるように,自身だけでなく他者にもかかわる「集合的

諸問題J,例えば Silasが直面するような人間の罪や社会の悪にかかわる普

遍的な倫理問題は,個人の問題を超えた「集合的」レベルでの補償を必要とす

るため, <集合的無意識〉を動かすことになる.Jungは, <集合的無意識〉

には神話や昔話,個人の夢などに登場する普遍的なイメージを生み出すよう

な, I原始的で類比的な思考方法」が備わると考え,これをく元型〉と呼んで

いるo自我.136). そして患者の分析や自身の経験から,意識と無意識の統

合が進み,内的成長の決定的段階にある人の夢や空想の中に,この層にある

〈元型〉がイニシエーションという象徴的イメージを生起させることを指摘

しているa自我.1189-90).注目すべき点は, Silasの物語においてもこれに

類する現象が読み取れるということである.つまり,他の土地から流れて来

た「よそ者」であった彼が, Eppieの養育を通じた村人たちとの交流の深まり

によって Raveloe共同体の一員として次第に受け入れられてゆくことから,

彼の子育ての過程は新たな共同体に参入するためのイニシエーションという

意味合いをもっと考えられ,さらには,そのことが物語の象徴的レベルにお

いても表現されていると解釈できるのである.次章ではこの点を詳しく検討

したい.

2. Silas Marnerの〈自己実現〉とイニシエーション

ここではまず,イニシエーションを含む通過儀礼一般の特徴を見ておきた

い.通過儀礼に関する最初の体系的研究を行ったのは,民族学者の Arnold

van Gennepである.彼は Lesrites de pαssα:ge (W通過儀礼.1, 1909)と題す

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54 イニシエーションとしての子育て

る論考で,結婚のような,個人の成長における節目に行われる儀礼や,ある

集団から別の集団への移行に際して実施される儀礼など, Iある状態から別

の状態へ,ないしはある世界(宇宙的あるいは社会的な)から他の世界への移

動J'こともなって行われる儀式全般を通過儀礼という一つのカテゴリーと見

なし,さまざまな民族や文化における通過儀礼が〈分離儀礼), <過渡儀礼),

〈統合儀礼〉という三つの下位儀礼によって構成されることを指摘した.そ

して,このうちの〈過渡儀礼〉は特に普遍性をもち,これに付随する「死と

再生の儀礼」には.修練者(通過儀礼を受ける者)の新生を促すという重要な

意義があることを明らかにした(8-11). <過渡儀礼〉についてはさらに,文化

人類学者の VictorTurnerが次のような点を解明している.すなわち,この

段階(<過渡期>)にある修練者は,儀礼以前に就いていた「社会構造における

定泣置」から新たな「定位置」へと移行する中間的な存在であり,彼(または彼

女)自身令そしてその周囲には 9 アイデンティティーを喪失した不安定な状

況を反映して,日愛味性や逆説を示すような,つまり「あらゆる慣習的な範轄

の涜乱」を意味するような象徴的状況が発生する(94-98)ということである.

そうした現象の典型が,性の境界侵犯ー 例えば,異性装のような両性具有

的なあり方一ーである.

SilasとEppieをめぐる状況には 9 通過儀礼の〈過渡期〉に見られるとい

う中間的 9 境界侵犯的要素が多く描き込まれている.その中の最も顕著な現

象ii,やはり Silasの育児という行為であろう.Silasはもともと機織りの

技術や薬草の知識など,西欧社会では中世以来,女性の領分に属するとされ

ていた特技をもっていたが, Eppieの養育を始めると,毘囲の村人たちも感

心するような優れた子育ての能力を発揮して,紛れもなくトランスジェンダ

ー的存在となる。他の境界侵犯的状況としては,例えば Eppieの出自が挙

げられる。地主階級の父親と下層階級の母親との間に生まれた彼女は,二つ

の階級の血をひく中間的存在ということになる.SilasとEppieの出会いも,

いくつかの点で暖l床性や境界侵犯性を示すシンボリツクな状況として読むこ

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とができる.まず,二人の出会いは大晦日の晩という旧年と新年との境目に

起こる.この「秩序のエアポケット」と見なせる時間には,人々が羽目を外し

て大騒ぎをする風習が多くの文化や地域に見られるが(山口 94),Raveloeに

おいても Cass家の屋敷, the Red Houseで大舞踏会が催されるのが毎年の

習わしである.SilasとEppieはこの舞踏会の真っ最中,つまり村全体が無

秩序を享受している瞬間に出会うのである.そして, Eppieが Silasの小屋

に入ってゆく時には, Silasは先述のように意識不明の状態にあり,また,

EppieをRaveloeまで連れてきた彼女の母親も,雪道の上で寒さと阿片の

服用のために昏睡状態に陥っている.つまり, SilasとEppieの母親は共に

生と死の境界線上とも言えるような状態にあることになる.さらに, Silas

はこの時,小屋の戸口という内と外の世界の境界上に立ちつくしているので

ある.このようにして出会った SilasとEppieの聞には,やがて実の親子

の情愛にも劣らぬ愛情が育まれてゆく.つまり,二人の粋は血縁という肉親

と他人とを隔てる境界を越えるのである.また,陰ながら Eppieの存在を

心に懸ける実父の Godfreyが自国防、ら立派な家具を Silasのコテージに送り

こむため, Silasの生活空間には,地主屋敷の家具という,職人の暮らしに

は不相応で異質な要素が混在することになる.

ここで再び文化人類学的視点から,イニシエーションの〈過渡期〉にとも

なう唆味性や逆説性がもっ意義をさらに探ってみたい.宗教学者の Mircea

Eliadeは,未聞社会で行われるイニシエーションにおいて,修練者は厳し

い試練を乗り越えることで「別人」へと生まれ変ることから,イニシエ」ショ

ンは「実存条件の根本的変革」に等しい意味をもっとしている(f生と再生J4).

そして,未聞社会のイニシエーションは神話的な世界観にもとづいて実施さ

れると指摘し,次のような説明を加えている.

加入札は神もしくは超自然者によって啓示されると信じられている.だ

から,加入式は神々のわざの模倣であり,これを執行することで,聖な

る原初の神代にふたたぴ生き,新入者はすべての加入者とともに神々も

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56 イニシエーションとしての子育て

しくは神話的祖先たちの現前にあずかるのである.(r生と再生j265)

こうした意味をもっイニシエーシヨンが行われる捺には,天地開闘神話が規

範的モデルとして模倣される.そして,天地開闇を象徴する儀礼に先行して,

まず「カオスへの逆転」を示す儀礼が行われる.カオスは天地開閥以前の,す

べてが未分化で暖昧な状態を意味する.そして, Turnerも指摘していた

「慣習的行為の倒錯」を表す儀礼内容は, Eliadeの考えでは,こうした未分

化の状態への回帰を象徴的に示すことになるno

生と再生j9-10). 未開入の

成人式イニシエーションの多くで実施される修練者の両性具有化(異性装の

ほか,男性の修親者に女性生殖器を象徴的に付与する下部切開など)はそう

した儀礼内容の典型である。このような「カオスへの逆転Jの儀礼が目指すと

ころは,全体性,完全性の回復を通じたより高次の存在様式の獲得であると

して, Eliadeは次のように説明するー「両性の共存,両性具有を知らずには

性的に成人の男になることはできない 9 換言すれば,全体的存在の様式を知

らずには,特定の,はっきり限定された存在様式に達することはできないと

いうことである.Jさらに, Eliadeによれば,こうした「創造」に先立つ未

分化状態への「象徴的回復」の瞬間においては, I自己自身からの離脱,特定

の強く歴史化された自己の状況を超越することヲそして始源の超人間的,超

歴史的な状況9 それゆえ人聞社会の形成に先立つ状況を取り戻すこと,すな

わち俗なる時間,歴史的時間の中では維持することが不可能な逆説的状況」

が可能となるのである(r悪魔J143-45). つまりヲ超越的瞬間における原初

の全体性の経験によって,修締者は新しい存在様式を獲得し, r生まれ変り」

を遂げるのである.

以上のような点を踏まえると, SilasとEppieをめぐる境界侵犯的状況は,

新しい存在様式の獲得に向けた Silasの原初的,全体的状況への回帰を象徴

的に表現していると考えることができる.このことは Silasの棲む空間によ

っても表徴されている.イニシエーションにおげる「カオスへの逆転」は,修

練者の儀礼上の死に相当すると考えられるが, Eliadeによれば,それは同

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イニシエーションとしての子育て 57

時に「より高い存在様式への誕生jの準備段階としての死でもある.こうした

新しい誕生を字む死という両義的な状況を表す象徴のーっとして, Eliade

は「小屋」を挙げているa生と再生j11). Turnerも, <過渡期)における修

練者の「死と成長」という「論理的には相対立するプロセス」を同時に表すもの

として, ['小屋とトンネルJを挙げ,それらは「墓と子宮Jを表徴すると指摘し

ている(99). Silasの石造りの小屋は, "a deserted stoneゃit"の近くに,

"nutty hedgerows"に囲まれて建っていた(52)と描写されており,そこには,

寂然たる穴=墓,豊かな木の実=多産=子宮,という相容れないこつのイメ

ージを読み取ることができる.そこで,この小屋は, Silasの旧人格にとっ

ての「墓」であり,同時に,新しい人格にとっての「子宮」でもあるという二重

の,しかも逆説的な意味をもっと解釈できるのである. Silasの〈過渡期)

は,したがって,彼が Raveloeに移り住みこのコテージに居を構えた時点

に始まったと正雄には言うべきであろう.そして, Eppieに出会うまでの

15年に及ぶそこでの暗い独居生活が「死」に向かう苦しみの期間であり,そ

こで Eppieと暮らす,その後の 16年間は,明るさに満ちた彼の「再生jの期

間であると考えることができる.

これまでの考察で, Eppieとの出会い以降(あるいは Raveloeへの移住

以降)の生活を Silasの〈自己実現〉の過程,およびRaveloe共同体への加

入札の過程として見る読み方を示してきた.そして前章の終りでも触れたよ

うに, <自己実現〉とイニシエーションの両過程の関連性は, Jung心理学

においては再三指摘されているのである?このことには二つの過程の聞に見

られる様式面での相似性が関係していると思われる.先にも見たように,

Eliadeは,未聞人のイニシエーションにともなう逆説的状況が原初的全体

性への遡行を意味し,歴史的時間の超越へとつながることを示したが,彼は

また,こうした逆説的,超越的状況が,伝統にもとづく儀礼のみならず,さ

まざまな神話,理論においても「対立物の結合と全体性の神秘Jという重要な

共通イメージとなって現れることを指摘しており,さらには, Jungの説い

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58 イニシエーションとしての子育て

た〈個性化>,すなわち〈自己実現〉の過程が同様のイメージをやはり核と

して内包することにも言及しているa悪魔.1106, 142-45, 154).実際,

Jungが〈個性化〉の過程を,本来対立する意識と無意識が結合するという

イメージで捉えていたことは,彼の著作の随所に窺える.例えば, Jungは

く個性化〉について, r対立物の合ーから生じる超越的機能」と形容したり

a自我.1178), <個性化〉の結果として現れる(自己〉について, r対立項の

すべてを結合させた総体であるJcr転移j129)と述べたりしている.また,

後者の引用の原典である DiePsychologie der Vbertragung (r転移の心理

学.l, 1946)は,心理療法の臨床において患者と治療者との問に(転移〉と呼

ばれる現象を引き起こしながら進行する患者の〈個性化〉の過程に,錬金術

の過程がイメージの上で重なることを論じた研究であるが,この中で Jung

は,錬金術に関する文書を集めた書物,Rosαrium philosophorum C r哲学者

の蓄萩園.1, 1550)に含まれる一連の挿絵は,対立物の結合という(元型〉的

イメージを表現しており,そのイメージが(個性化〉が進行する過程に合致

するということを論証している.以上のような点から, <個性化〉とイニシ

エーションの両過程は,相反しながらも相補的関係にある二項が合一し全体

性を回復する,という逆説的,超越的状況の経験を通じて,人が新しい世界

観を獲得し新生する,という〈元型〉的パターンを共有すると考えられるの

である。 Jungによれば, (自己〉はその逆説的な性格ゆえに「象徴的な形姿

によってのみ表されるJ<f転移.1129)ということである.したがって, <個性

化〉の過程においては,意識と無意識の統合とその結果としての(自己〉の

実現のプロセスが,共通モチーフを内包するイニシエーションというイメー

ジとなって,しばしば象徴的に立ち現れるのである.

イニシエーションのイメージをともないながらく自己実現〉へと向かつて

ゆく精神的変容を,河合は「内的イニシエーション」と名づけているcr心理療

法j101).以上のような点を考えると, Silasの物語はまさに彼の「内的イニ

シエーション」を描いていると言えよう.Eppieの養育を通じた彼の〈自己

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イニシエーションとしての子育て 59

実現〉の過程が,向時に進行する Raveloe共同体へのイニシエーションの

プロセスを通じて,象徴的に表現されているのである.

3.二項対立的体系からの解放

Eliadeが未開人によるイニシエーションの,いわば「底本」と見なす天地

開闘神話は,人間意識における二分法思考の優位性を明らかにしている.世

界創造の神話には,天と地の区別の他に,光と閣の区別,あるいは天地を象

徴する男女(f父なる天Jと「母なる大地J)の分離を始まりとするものが多く見

られるが,こうした文化的伝承は,人間の意識が混沌から秩序をつくりだす

際には「二分化」という思考法が働くことを物語っている(河合, rとりかえば

や.J80-85). したがって,イニシエーションゃく自己実現〉の過程に共通す

る「対立物の合一」を表す瞬間においては,人間は二分法思考を一時的に廃棄

し,現実世界の秩序体系を作り上げているこ項対立の枠組みを超越すると考

えることができる.逆説的状況はそのような状態の象徴である. Silasの

〈自己実現〉の過程においても,現実世界に対する視座を支配してきた二分

法思考からの解放が生じており,この呪縛からの解放が彼の精神的変容にお

ける最も重要な契機となる.本章ではこの点を検討したい.

Lantern Yardでの経験から,この世に善をもたらすはずの神の存在や人

間の善性を疑うようになり,神も社会も拒絶する守銭奴となっていった頃の

Silas は,善対悪という二項対立にかかわる倫理的問題,すなわち,悪が存

在する世の中でいかに善を信じ求めながら生きてゆくかという問題を,未解

決のまま無意識の奥底に封じ込めていたと考えられる.しかし,先にも見た

ように, Eppieの養育と新しい共同体への加入を経験する中で,彼はこれを

Jungのいう「集合的問題」として意識の上にのぼらせるようになるのであ

る.そして,それについて熟考を重ねるうちに,彼はある見解に到達する.

それを彼は,彼の心理療法士のような存在である DollyWinthropに,次の

ように打ち明けている.

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60 イニシエーションとしての子育て

"There's good i' this world-I've a feeling 0' that now; and it makes a

man feel as there's a good more nor he can see, i' spite 0' the trouble

and the wickedness. That drawing 0' the lots is dark; but the child

was sent to me: there's dealings with us-there's dealings." (205)

このとき Silasは, r善J("good")と「悪J("trouble," "wickedness")という

対立項がこの世に併存しうること,そして, r善」と「悪」を「配分」

("deal")する,人の知覚(あるいは意識)を超えた何ものかが存在するという

ことを感得している.r神」という表現は使われていないが, r配分Jという考

え方の背後に彼がイメージしているのは,神的な存在であると思われる.こ

れより 16年前,幼い Eppieを初めて見た時に, Silasは"somePower

presiding over his life"(l68)を予感し,その存在に畏怖の念を抱いている.

上の告白の際にも,彼はおそらく同様の,自身の上に在る何ものかを思い描

いていると考えられる.この存在は,彼がLanternYardで信仰していた神

とは異なり, r邪悪なJ("darkワ行為を許容するというこ面性をもっ.この

Silasの告白の直前に, '''... isn't there Them as was at the making on us,

and knows better and has a better will?'" (204)という Dollyの問いかけが

ある.この中の"Them"という複数代名調は,語り手によれば,神に対する

"a presumptuous familiarity"(138)を避けるために Dollyが使う表現である

ということだが,一義的でない神,つまり善悪の両面を併せもつ神,を暗示

していると考えることもできる. SilasはDollyに同意を示し,この存在を

認めているのである.

ここで思い出されるのは, Jungが(自己〉を「神的なものJと捉え, rわれわれの内なる神」と表現することもあったa自我J201・204)ということで

ある. Jungはまた,神的存在であるく自己〉のイメージとして, rアプラ

クサス」と名づけた至高の存在を描き,その力は「二面的jで, r同ーの言葉,

同ーの行為の中に,真と偽,善と悪,光と聞を産み出すJと表現し,さらに,

その存在は「原初の両性具有であるJとも述べている u自伝J251-52).以上

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イニシエーションとしての子育て 61

のような点から, Silasは子育てを通じた〈自己実現〉によって,彼の(自

己> ~ I神」を実現させ,その存在の逆説的で全体的なあり方を認識・受容

し,かつまたそれを畏れ敬うことで,現実世界における善と悪,そしてそれ

らと結ぴつく彼の現在と過去という対立項がもたらす葛藤を超克する,と解

釈できるのである.彼の心の中で成就する,矛盾していた現在と過去,そし

て人間世界の善と悪の統合は,本稿第 1章で引用した文章の後半部分とそれ

に続くくだりにおいて,次のように表現されている.

. . . he had begun to ponder over the elements of his old faith, and

blend them with his new impressions, til1 he recovered a conscious-

ness of unity between his past and present. The sense of presiding

goodness and the human trust which come with all pure peace and

joy had given him a dim impression that there had been some error,

some mistake, which had thrown that dark shadow over the days of

his best years . . " (201-202)

こうした達観はしかし, Eliadeによれば, r超越的,無時間的視点からの

み真実」であり,現実の社会に生きる人間にあっては,善と悪は依然として

対立する.そのため, I人聞は善を追求し,悪と戦わねばなら」ないのである

(r悪魔J121).実際, Raveloeの村人たちの聞にも Eliadeのこの考えに類

似した価値観が見られる.本稿で詳しく見る余裕はないが,第 6章で、描かれ

ている居酒屋 theRainbowでの MaceyやSnellらの談話が示すように,彼

らは一義的な価値観や普遍的真理というものを決してそのまま受け入れるこ

とはしない.しかし他方,金貨を盗まれた Silasを憐れんで、気づかったり,

彼の孤児 Eppieへの献身を称賛するというように,弱者への援助という善

意のルールを当たり前のものとして持っている(Q.D.Leavis 39). こうした

人々との交流,特に,善意の権化である Dollyとのかかわりが Silasを感化

し,その結果,彼は人間の善性とそれを授ける「神Jに対する信頼を,現実

世界における心の拠り所として回復するのである.

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Silasはかくして,現実世界の秩序を成り立たせている二項対立の呪縛か

ら解放されながらも,その対立を枠組みとする秩序を最終的には受容する.

こうした選択は,ある意味で矛盾であるかもしれない.しかし,作品ではこ

のような逆説的な展開が,子育てという行為を通じた Silasの心の成長とし

て見事に結実するのである.

結び

以上見てきたように, SilasはEppieの養育というイニシエーシヨン的な

過程を通じて, <自己実現〉を経験する.そしてそれによって,矛盾をはら

んだ現実世界を受け入れ,そこで生きるための新しい視座と力を獲得するの

である.つまり, Jung心理学の観点から言えば,本作品では〈元型〉的な

パターンに沿った人格変容のプロセスが描かれていることになる.この物語

が人々の心を捉えてきた10理由の一つは,こうした普遍的モチーフを内包し

ていることにあるのではないだろうか.

このような人間性の普遍的事象を,心理学的あるいは文化人類学的研究の

成果に先んじて表現しえたことは, George Eliotの人間理解の奥深さを証

明していると言うべきであろう.古代や未聞の文化と並んで,近代のいくつ

かの芸術作品が,人関心理の深層部分を感知し尊重していたことは, Jung

自身も認めているところであるcW創造j71・79).SilαsMαrnerもJung心理

学を先取りする芸術作品の一つに数えることができるかもしれない.また,

Eliot自身がこの作品を,突然に着想、を得た「伝説めいた話JCLetters382)と

説明していることから,彼女の(集合的無意識〉内にあるく元型〉が生み出

した物語という見方もできょう.しかしながら,この作品は,普遍的モチー

フに従いながらも決して単なる「道徳的寓話J,あるいは「おとぎ話Jに堕すこ

となく (F.R. Leavis 46),題材を「より現実的」に扱おうとした作者の構想

CLetters 382)どおり,リアリズム小説の性格も十分に備えている.そうした

側面が作品に奥行きと味わいを与えていることは強調されるべきであろう.

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イニシエ」ションとしての子育て 63

そのような成果には, Godfreyをめぐるもう一つのプロットや Raveloeの

下層民らのメンタリテイなどと絡ませながら Silasの心的変化を描いた,巧

みな小説技法が大きく寄与していると思われる.この点については稿を改め

て論じたい.

1 以下,この作品からの引用は GeorgeEliot, SilαsMαrner: The Weαver of

Rαveloe (1967; HarmondswoI曲 :Pen♂lin,1985)により, ( )内に頁数を示す.

2 r象徴的逆転J(symbo1ic inversion)とは,この概念をテーマとする論文集 The

Reversible World (1978)の編者 BarbaraA. Babcockがその「序文Jで示した定義に

よれば,言語,文学・芸術,宗教,社会・政治のすべての領域において「一般的に認

められている文化的な記号体系,価値,規範を,逆転,否定,廃止するような,あ

るいは何らかの形でそれらに取って代わるものを示すような表現行為J(14)のこと

である.

3 本稿では, Jung心理学および文化人類学における特殊用語(自己実現,アニマ,

過渡期など)をく 〉でくくり,引用ならびに特別な意味を込めた語句を

でくくって記述する.

4 Si1asの物語をく自己実現〉と結びつけることについては,すでに Peter

Mudford (xxiv)や大嶋治(rrサイラス・マーナ-j論J148)の示唆がある.両氏は,

SilasのEppieとの偶然の出会いが, (自己実現〉の過程によく現れるく共時性〉

の現象と見なせると指摘している.

5 Raveloeの村人たちの中での長老的存在である Maceyは, Silasの強硬症の発作

について,次のような現象に類するものだと指摘している.

'. . . there might be such a thing as a man's sou1 being 100se from his body,

and going out and in, . • • and that was how folks got over-wise, for they w巴nt

to schooI in this sheIl-1e白sstate to those who cou1d teach them more than

their neighbours could Iearn with their five senses and the parson." (55)

この発言は,意識の一面性を補おうとする無意識の補償的作用を素朴な視点から表

現していると解釈できる.

6 Jungは,心理療法の治療過程にある患者が,治療者(医師)との対話を通じて無意

識との接触を始める時期に,泥棒が家に忍び込むという内容の夢を見ることがある,

と報告しているa転移JI28).

7 内的態度の現れ方が男女で異なる点について,河合は次のように説明している.

ペルソナとアニマは相補的に働くものである.男性の場合であれば,そのペル

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ソナは,いわゆる男らしいことが期待され(略)力強く,論理的でなければな

らない. しかし彼の内的な態度は,これとまてコたく格被的であって,弱々しく,

非論理的である. (略) ・般に望ましいと考えられる外的態度,ペルソナから

閉め出された側面が,こころ[内的根本態度jの性質となるのであり,これが

心像として現われるときは,女性像として現われることになる. (W入門.1197)

Silasの場合, 18世紀末から 19世紀にかけての英国社会,つまり,ジェンダーの

分化が著しく,引用にあるような「男らしさ」についての規範が強固で、あった社会を

背景とする人物であるので, <アニマ〉の概念を適用することは妥当と判断される.

8 英語では"collectiveunconscious"だが.日本語では〈普選的無意識〉と訳される

こともある(河合入門j89).

9 この点を論じた研究17IJ としては,河合心理療法~ 276-82や, Joseph L.

Henderson, f夢と神話の世界 o passim,などがある.

10 本作品は発表当時から好評を博し(Haight342),その魅力は 20世紀の批評家によ

つでも認められた.例えば F.R. Leavis は,本作品を「魅力的な小傑作J(46)と評し

ている.

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